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フォーラム記事

森乃端鰐梨
2024年4月16日
In デジモン創作サロン
目次 反逆者の支配域のうち、天使軍からの攻勢が特に激しいのは『鋼』の領域であったが、それは、彼が王や王軍からの恨みを特に買っていた事が直接の理由ではない。 『鋼』と同じく岩峰山脈に領地を持つ『土』に関しても、軍団秘蔵の"希望"と"光"のデジメンタルの他、領主となる際に騎兵隊から"勇気"と "知識"を奪い取ったことで──尤も後者については、先任の騎兵隊幹部がルーチェモンの視点では"デジメンタルの管理者として不適任"であったためにその役割に適した他の幹部、即ち『土』のもとへと移したに過ぎず、当の『土』にしてみても、それを理由に責められる筋合いなど微塵も無いのだが──天使軍の憎悪の矛先が向けられる理由は少なからずある筈だった。 しかし、なぜ天使軍は第一の攻撃目標として『鋼』の領域を選んだのか。それは、かの鏡獣が、反逆者の中で唯一参謀としての役割に専従出来る存在であるが故。 無論他の九匹にあっても軍略を解さないという事はないが、その本質は所謂野戦指揮官であったり、共同体を纏める首長のようなものである場合が殆どであり、戦の前段階における謀略に関しては、事実上『鋼』に一任されているのが現状だった。 古代種の、それも進化の極限に達した者を十名も幹部として戴く反逆者の軍勢は確かに強力だ。しかし、如何に強大な軍であっても、その基礎となる軍略を疎かにしてはいずれ瓦解する。兵数に圧倒的な差があるならば尚更のこと。 軍に於いて参謀はあらゆる行動の基礎であり、寡勢である敵軍に於いては潰しの効かぬ役でもある。これを失う事は、反逆者達にとってこの上無い痛手となるだろう──断崖と大雪に守られた『鋼』の領域を、多少の犠牲を払ってでも攻めようとする天使軍の行動の裏には、このような事情が隠れていた。 「あと数日を以て雪の季節は終わる」 ホーリーエンジェモンの隣、弓兵隊長パジラモンが示す先には、青く霞む岩峰山脈の影──その地肌の上に残雪の白が描く歪な斑ら模様は、この地域が既に雪解けの時期を迎えている事を示すものであった。 「『鋼』の領域に於いて最も警戒すべきは、部隊単位での遭難と雪崩の害。雪解けの時期が過ぎたならば、その害を受くる心配も無い。攻勢を掛けるならば、その時分をおいて他にありますまい」 「うむ……だが、聞くところによれば、『鋼』の領域はかの古代種が持つ強大な魔力のために絶えず空間の歪みが生まれているという……その備えを抜きにして兵士を送り込んでも、以前の二の舞となるでしょう」 ホーリーエンジェモンは何事においても慎重であったが、それが猟兵達の小さな不満を煽る一方で、彼等の生命を守りそして数々の功績を猟兵隊に齎していることもまた事実だった。 「その件については、『鋼』の部下数名を此方へ引き込む手筈を整えております。彼等は岩峰山脈の状況に詳しく、歪みの影響を受けぬ行軍路を知っている。『鋼』の領域は容易には攻め崩せぬ要害の地ではありますが、このような土地は得てして内部からの攻撃には弱いものです」 かつて堅牢を誇っていた、竜族の本拠地である火山が『土』、『鋼』の送り込んだ二小隊によって一日も経たずして陥落した事実が、それを裏付けている。無言で頷いた後、ホーリーエンジェモンは改めて隣のパジラモンへと向き直った。 「山肌の雪が消える、その時分を以て、我が猟兵隊の主力部隊を『鋼』の領域へ送り込みます。弓兵隊長殿、申し訳ないが、それまでの内部工作については貴隊の間諜に一任したい」 「……心得た」 パジラモンの返答に黙礼を返した後、ホーリーエンジェモンは王城の方角へと飛び去った。己を見送るパジラモンの傍に、いつの間にか黒い翼を備えた天使型デジモンが立っていた事に、彼が気付く由もなかった。 * 弓兵隊長の送り込んだ間諜が、自軍の離間と将兵の引き抜きを図っている──王と敵対せねばならぬと決まった時から予測していた事態ではあるが、実際に対処するとなると中々に骨の折れる事であった。 「弓兵の接触があったのは、我が隊の偵察兵と思われます。しかし、問い詰めようにも証拠がないうちでは、余計に離反を招く結果にもなりかねません」 心底困った、といった様子でアウルモンは報告の言葉を紡ぐ。 「そう簡単に尻尾を掴める筈もあるまい。いや、離反の虜がある者については、おれもある程度の検討は付けておるところだが……致し方無し、余り使いたくない手ではあったが……」 『鋼』の言葉に、アウルモンと、その隣のセトモンが怪訝な表情を浮かべる。 「アウルモン。これらの書状を、其々『風』の剣士とテティスモンに届けよ。余計な事は言わずとも、彼奴等であれば中を読めば解るだろう」 「は、了解しました」 『鋼』の秘書を携え、アウルモンは月の無い夜空へと飛び去った。それを見送った後、セトモンは背後の主を顧みる。 「大将……『土』の領域の事なんですが……偵察隊の、サーチモンとその麾下のデジモン達に何やら不審な動きがあります。これもおそらく、弓兵隊の間諜が関わっているかと……」 情報戦の要を担う兵士に対する離間工作、反逆者側の参謀役を担う自分への攻勢……天使軍は、その圧倒的物理を以ての蹂躙ではなく寡勢である此方側の対抗手段を徐々に奪う方針であるらしい。 堪え性の無い幼王を総大将とする天使軍にとってはあまりに悠長なやり方だが、力押しが通じぬ現状をみれば、多少王からの責めがあったとしてもこの方法を取らざるを得ないのだろう。 「彼奴と『雷』の兵が敵方に奔ったとは聞いていたが……サーチモンまで向こうに居るとなれば話は変わる。奴を失うのはちと惜しいが、これも致し方無し……」 瞬間、辺り一帯に、重々しい殺気が満ちた。長らく『鋼』の麾下にあるセトモンは、この恐ろしき鏡獣が何を考えたのかを瞬時に察した。 「……殺しますか?」 「今は、良い。だが、機が満ちたならばお前にも働いてもらわねばならぬ故、それまでは決して表に出ぬようにせよ」 セトモンは無言で頷くと、城を出て裏手の山中へと駆け込み、姿を消した。 「さて、後は『風』と『水』を待つだけだが……問題はお前をどうするか、だな……」 執務室奥の小部屋に入りそう呟いた『鋼』の眼前、険しい表情を浮かべたまま横たわるアンティラモンの姿があった。 雪崩の難に遭った後セトモンとその部下によって確保された彼を居城へ連れ込み、今程意識を取り戻すその時まで匿っていたのは、決して友誼によるものではない。 「……『鋼』よ。何故、俺を助けた? お前の事だ、純粋な善意に基づくものではあるまい」 「大恩ある相手に向けた言葉とも思えぬが……まあ良い。理由があってお前を此処へ連れて来たのは事実だからな」 その言葉に、アンティラモンの表情が一層険しさを増す。長らく付き合いのある相手だからこそ、目の前の鏡獣が決して心を許してはならぬ存在である事を誰よりも分かっているが故の反応だった。 「端的に言おう。王は……ルーチェモンは、お前の生命を欲している。猟兵隊の行軍にお前を帯同させたのも、敵軍との戦闘における戦死を装いお前を亡き者にせんとするため。だが、我らとしてもお前がルーチェモンの手に掛かって死んでは些か都合が悪い。それ故に、王軍の手が伸びる前に此方へ引き込んだという訳だ」 目覚めて早々に聞かされた事実──ルーチェモンに、己の主君に、命を狙われている……俄には信じられぬ話である。これを告げたのが『鋼』であるならば尚更だ。 「まさか……王がそのような事をなさる筈が……」 「我等への裏切りを見て尚、愚王に信頼を寄せるか」 その一言に、アンティラモンは口を噤んだ。 確かに、ルーチェモンは、己の配下を手に掛ける事に対し、一切の躊躇を見せない──それは、目の前にいる『鋼』を含めた四名の領主達に対する行動によって既に証明されている事ではあるが…… 「……しかし、お前の言葉が真実だとして、これ程の手間をかけてまで王が俺を亡き者にしようとする理由が分からぬ」 「それについては……一つ、心当たりがあります」 その言葉と共に扉の奥から現れたのは、先代弓兵隊長エンジェウーモン。件の襲撃の折に落命したとばかり思っていた彼女との予期せぬ邂逅に、アンティラモンは困惑と驚きの表情を隠せなかった。 「貴女は……何故、此処に?」 「以前、王命を受けた刺客のために生命を失いかけた事がありました。その際、『鋼』の主によって救われ、それ以来この城に匿われているのです」 暫しの沈黙の後、アンティラモンは訝るような表情で傍の『鋼』を見遣った。 「お前、まさかと思うが……」 「……断っておくが、おれに"その気"は無いぞ」 デジモンの身体には雌雄の区別が存在しないが、種ごと、個体ごとに性別の自認はある。その立ち振る舞いや言動、電脳核に宿るデータの由来となった人物の事を考慮すれば『鋼』は雄ということになるが、だからといってエンジェウーモンを匿った理由が雌性に対する欲情にあらぬ事は言うまでもない。 「……して、王が我々を亡き者にせんとする、その理由に心当たりがある、とは?」 「貴方と、私と……そして、猟兵隊長ホーリーエンジェモン。おそらくですが……王の狙いは、私達の電脳核……正確には、その中に宿る聖なるデータの結晶でしょう」 どういう事だ、と言おうとしたアンティラモンだったが、その前に察するものがあったのか咄嗟に口を噤んだ。 ──三つの聖なるデータ……そうだ、俺も、彼等も…… 通常とは異なる、異様な出自。 ホーリーエンジェモン、エンジェウーモン、そしてアンティラモン。通常は幼年期の姿で孵化するところを、彼等は誕生時点で既に成長期の段階に達していたというが、それは、彼等の電脳核が内包するデータ量が、同種族の平均を遥かに上回る事の証明。 そして、この尋常ならざる出自を持つ三匹のデジモンを完全体、それも神聖系の上位に名を連ねる種への進化へと導いたのは、彼等の体内に宿る高純度の聖属性エネルギー。 ルーチェモンが求めているのは、己と同じ出自を持つ三名の幹部──自身と同質の、それも莫大且つ極めて純度の高いエネルギー。 「王の狙いを識る者はそう多くは居るまいが……元より天使軍の中にはホーリーエンジェモンの台頭を歓迎せぬ者が多い。古参の猟兵然り、騎兵隊然り。彼等の内の何れかが近く事を起こすは間違いなかろう」 猟兵隊長就任以来、ホーリーエンジェモンの周囲には不穏な噂が絶えず付き纏っている。彼の配下にある者のうち、小隊長クラスの兵は皆彼の上席にいた者達であり、尚且つ彼を任命したミスティモンに対しても、決して良い感情を抱かぬ者ばかりであった。 「何にせよ、彼奴に余計なデータを喰わせてはならぬ。ルーチェモンはあれで未だ成長期の段階、これ以上の力を得るならば、いずれ手の付けられぬ事態となろうぞ」 ルーチェモンそのものに関して最も憂慮すべき事態──それは、彼が進化の刻を迎える事。 今の時点で、並の完全体を上回る程のデータ容量を持つ種であるから、仮にホーリーエンジェモン一体分のデータを喰ったところで進化に必要な分量を満たすとは考え辛いが、何せルーチェモンは他に類を見ない特殊な出自と生態を持つデジモンである。どのような条件下で進化を遂げるのか、そして進化後の彼がどれ程の力を備えるのか、全てが未知の領域にあった。 「お前ならば……"星見"で全て把握しているものだと思っていたが……」 「簡単に言ってくれるな。"コレ"を使うには、様々の条件を満たさねばならぬのだ」 星の光として見える、デジタルワールド全体の状態を表す電子信号を解析することにより過去に発生した、或いは未来に発生すると予測される凡ゆる事象を把握する。それが、『鋼』の──彼を淵源とする古代種エンシェントワイズモンが持つ異能の一つであったが、この種は現在のデジタルワールドにおいては──特殊な装具を用いて進化した個体、或いは本種の遺伝子データの断片を体内に含有する現生デジモンがごく少数確認されてはいるが──直系の子孫は既に絶滅したと考えられている。 過去、未来を見通す大賢者と称された本種が、その血筋を現在まで残す事ができなかったその理由は、『鋼』の語るとおり、この異能が、必ずしも術者自身の任意によって行使出来るものではなかったためであろう。 邪神を行使するエルダーサインが、今現在も贄を求めて術者たる『鋼』の生命を脅かしている事もそうだが、この鏡獣が持つ過去・未来視の異能は、それ相応の対価と制限を定めた上で与えられたものであった。 彼に分からぬことは無し 古の叡智の全てを記録する者 そう謳われ、さらには ──彼の鏡獣は"ラプラスの魔"なる術により、この世の過去と未来の事象を自在に書き換える事が出来た という常軌を逸した力を持つ、とする伝説は、『鋼』と同じ形質を持つ種がデジモン分類学上における独立種として認定された頃、あろうことかデジモン学者が正規の学会論文にそう記載したものである。 研究が進んだ現在では"ラプラスの魔"は時空間転移の術であった事が判明しているが、それ以前の突拍子もない説は何処から生じたのか──それは、当時『鋼』と敵対した敵の中で、"ラプラスの魔"本来の効果によりこの世界に一切の痕跡を残さず消えた者がいる事、そして、彼の"星見"の異能、即ち、この世の全てを記録するアカシックレコードの一部分を閲覧出来た事に関する断片的な情報が入り混じったために生まれた誤説だったのだろう。 余談は此処で終わるが、『鋼』がその異能を以て天使軍とルーチェモンを圧倒出来ず、やがて同族の血を絶やすことになるその理由は、以上に記したとおりの事情によるものであった。 「融雪期を過ぎたならば、天使軍の攻勢が本格化する。その主力は猟兵隊、王がホーリーエンジェモンに対し事を起こすのも、恐らくはその時であろう」 青白い燐光が灯る城内に、遠方の山で雪の崩れた轟音の余韻が響く。それが収まった後も、誰ひとりとして声を発する者はいなかった。
鋼鉄臥龍伝 ー渾沌の章ー 参 content media
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森乃端鰐梨
2024年2月27日
In デジモン創作サロン
目次 奇妙な光景だった。 『鋼』の執務室の卓上に、角付きの鉄面を被った、猫の如き頭部と尾のみを持つ獣と、銀色をした鼠の玩具と形容すべきデジモンが乗っているのだ。 領主自らを除けば、その側近や同盟軍の幹部のみが立入りを許される筈の執務室──だが、卓上のデジモン達がその何れにも該当しない事は、余りにも幼い彼等の外見を見れば明らかだった。 「大将。もしや、"打った手"というのは……」 「然り」 セトモンは唖然とした表情で卓上のデジモンを見遣る。 何たる事か、主ともあろう者が、進退窮まった挙句にこんな幼児達に縋るとは……『土』の領主が抱いた不安は、見事に的中していたのだ。 そんなセトモンの心中を察したのか、『鋼』は彼の目の前に一編の書簡を放った。 「これは……!」 展開した紙面上に記されていたのは、離反したとされるデジモン達の名と所在、行動履歴に関する詳細な報告。 「カプリモンは耳敏く、チョロモンは外敵の知覚を乱す。此奴らは小柄故、敵兵の目に留まり難い。敵中を探るに、これ程都合の良い者もそうは居らぬ」 『鋼』の言葉に、カプリモンが誇らしげな表情と共に丸い身体を目一杯逸らす。どうやら、胸を張っているつもりらしい。 その隣に居るチョロモンも、彼に賛同する意思を示そうとしているのか、赤い目を忙しなく点滅させた。 鉄面の二本角に高精度のアンテナを内蔵するカプリモン。 敵デジモンのAI、即ち人間にとっての脳機能に混乱を来す鉄粉を尾先から噴出するチョロモン。 彼等を一組にして天使軍の前線基地に放ち、その中にいる離反者やその周囲の行動を監視する。 進向を光センサーに頼っているが故に暗所では動けぬチョロモンをカプリモンに乗せて運び、一方でカプリモンの存在を察知されぬためにチョロモンが適宜鉄粉を撒いて敵兵を攪乱する。そうして彼等が集めてきたのが、竹簡に記録された膨大なデータであった。 「成る程、すべてはお見通しであったと……ですが大将、そういう事はサーチモンの十八番でしょう。『土』の領主様ならば、すぐにでも派遣して頂けるのでは?」 「彼奴は天使軍に顔が割れている。万が一にも姿を見られたならば此方の動きが筒抜けとなろうぞ」 言われてみれば、元々四名の領主達はルーチェモンの配下、即ち天使軍とは同じ側に立っていた。ならば、そのうちのひとりである『土』の麾下にある偵察隊の小隊長、サーチモンの事も彼等は当然把握しているだろうから、その潜入を予測している可能性は充分にあるといえた。 「ふむ。しかし大将、こんなにも裏切りが相次いでいては幾ら敵情を把握出来たとて軍の崩壊は避けられません。一体どうしたものでしょうか?」 「策はある……が、今不用意に動くのは拙い。彼方に"仕掛け"を知られては、この策は意味を為さぬ」 絡繰を知られたその瞬間に全てが水泡に帰す──故に、先走りの気がある『土』の動向は『鋼』にとって目下の懸念材料であった。彼の配下であるサーチモンの派遣を渋るその理由も、先に述べた事情に加えて、彼の主である『土』の短気が要らぬ危機を齎す事を警戒しての事だった。 「余計な事はするなと言っておいたが、『土』は生来の気短者故、どうにも信用出来ぬ。セトモン、お前暫く彼奴の様子を見ていてくれるか? 同行させる者は、お前の判断に任せる」 「了解しました」 そう言って執務室を出たセトモンは、出入口付近に待機していた部下二名を連れて城外へと躍り出た。 疾走する三つの巨大な影が城壁の際で高々と跳ね上がり、瞬く間にその頂上に達する。 西の方角を目指して駆け出した彼らの背後では、薄墨色の空に鋸歯の如き岩峰の影が黒々と浮き上がっていた。 * 人獣争乱終結まで、ルーチェモン麾下の軍において中核を担っていたのは騎兵隊──その名の通り他のデジモンに騎乗して戦闘を行う者、或いは現実世界の人間が想像する、一種のシンボルとしての"騎士"の容姿を持つ重装歩兵で構成された部隊だった。 広大なデジタルワールドの大地の、ありとあらゆる場所で発生する闘争を短期間で鎮圧するのに、騎兵隊の卓越した機動力は大いに役立った。 ミスティモンを始めとして、天使軍の上級幹部を数多く輩出している事からも、騎兵隊が極めて優れた戦士の集まりであることは明らかであった。 しかし、反逆戦争でルーチェモンと敵対した者達のうち、『鋼』『木』『土』『水』の四匹は、峻嶮な高山地帯や巨木の繁茂する樹海、或いは深海の峡谷の底等、いずれも過酷極まる場所に縄張りを構えるデジモンであった。 このような場所における戦闘では騎兵本来の機動力を活かす事は難しい。そこで台頭してきたのが、今現在ホーリーエンジェモンが率いている猟兵隊である。 リアルワールドにおいては銃器の扱いに習熟した軽装歩兵の事を猟兵と呼ぶが、一方でこの時代のデジタルワールドでは、散開してからの隠密戦闘、或いは種として元来備えた技を用いた遠距離からの狙撃等を得意とする徒士の総称として扱われた。 人間界の猟兵と同様に、彼等は少数かつ狭所での機動力に優れた部隊であり、足場の悪い山道や断崖、入り組んだ林間でもその動きを阻害される事はなく、また先々代の頃から募っていた水棲系デジモンの傭兵を用いての水中戦闘が可能であった。 これら猟兵の特性を鑑みれば、敵と化した件の四領主達を攻めるにあたって彼等が作戦の中心に据わる事は自明の理であるといえよう。 人獣騒乱の頃は騎兵の支援役に徹する事を強いられ、踏み躙られた矜持を抱えながらの鬱屈した月日を過ごしていた猟兵隊──だが今や双方の立場は転じ、勇ましき猟兵隊の面々こそ当に誉高き天使軍の精鋭なり、とまで讃えられた。華々しき戦果無き時であっても、彼等は後の勝利に繋がる働きを成して帰ってくる。 叛逆者の軍で参謀を務める『鋼』の主が、猟兵隊に関する内外の情報を最優先で収集していた事からも、彼等が軍内において如何に重要な役目を担っているのか、そして、敵対者にとってどれ程迄に厄介な存在だったのかは、推して知るべしであった。 そんな彼等は他の王軍兵士達にとって頼もしい事この上なく、だが同時に嫉妬の対象でもあった。 「……そういえば、いつだったかアンタの所に来た小隊長とやらも元は騎兵だったわねぇ。確か、ミスティモンが入団した時の教練担当だったとか……」 黄金に光る月を仰ぎ、『水』は徐にそう呟いた。 セトモンを送り出してから凡そ一刻後、一匹のピラニモンだけを伴って現れた彼女は、いつものように酒をねだることもせず、池の中心で水を吐く龍像の頭に登り腰を据えた。そこから暫くの沈黙を経て発したのが、先程の言葉だった。 「行く行くは騎兵隊の、末は天使軍の長となるべき者──俄かには信じられぬ話だが、彼奴嘗てはそう持て囃されていたらしい。何とも甚だしき買い被りではないか」 「酷い言いようねえ。ま、本当の事だから仕方ないんだけど」 「……して、本題は?」 鋭く細められた『鋼』の双眸が、不気味な金光を放つ。 「一昨日を以て、火山地帯の猟兵隊が撤退しました。その代わりに入ったのが、騎兵隊長とその直属部隊……」 水面から頭部の上半分を覗かせたピラニモンが『鋼』の問いに答えた。 嘗ての『炎』の領域たる、火山地帯。陥落させたのはルーチェモン麾下にあった頃の自分達であるが、戦後は猟兵の大隊を率いた幹部が数名駐屯しその統治に当たっていた。その役目が、今になって騎兵隊長へと移された。 今後激化する戦闘を見越して、より多くの猟兵を実戦の場に投入するために行われた措置であろう。 「ただでさえ猟兵にお株を奪われて面白くないってところにコレだものねえ。騎兵隊長様、今何を考えてるかしら?」 大戦を前にして辺境の中の辺境ともいうべき火山への事実上の左遷を、王自らの口より告げられたという騎兵隊長の心中が穏やかならざるものであった事は、想像に難くない。 立場があるならば、其処には権限もある。それを欲するのは人の性であり、本能に刻まれた欲望のひとつである。人に近しき形質を得たが故に、『鋼』はその事実を良く理解していた。 多勢の天使軍は決して一枚岩ではなく、各隊、或いは個々の将兵相互のしがらみが多少なりとも存在する。自分は彼等と敵対する立場であるからこれを煽動し、利用する事を考えるのは決して不自然ではないと考えるが…… 「一先ずは、様子を見る他無かろう」 「あら、放っておくの? アンタなら上手く利用して仲間割れを誘う、とかやると思ったんだけど」 「詳細が分からぬ以上、此方から仕掛けるのは悪手となろう。王が直接関わっているならば尚更の事……」 指揮官たるルーチェモン自らが、天使軍の中に混乱を招こうとしている──戦場において己の手足がわりとなる天使軍に、態々分裂の原因となる火種を与え続けるなど、およそ正気の沙汰とは思えぬ行為ではあるが、それを全く隠さぬあたり、その真意は別にあるのだろう。 「……まあ、向こうも馬鹿じゃないからねぇ、迂闊な事は控えておくわ」 「そうしてくれ。おれもこれ以上の気苦労は抱えたくないからな」 『鋼』の言う"気苦労"とやらの原因を察した『水』は、それ以上何も言う事なく、青黒い水面に飛び込んで姿を消した。 * 「手土産……竜族の者がか?」 弓兵隊長パジラモンの報告に、ミスティモンは訝るような表情を浮かべた。 「『炎』の側近にして、里の守備頭を務めていた老竜……其奴が我が配下となるにあたり持参したものです」 そう言ってパジラモンが示したのは、卓上を全て覆い尽くす程の広い紙面一杯に書き込まれた図面。 聞けばそれは、火山を追われた後の『炎』と眷属達が移り住んだ地下の大熔岩洞の経路図なのだという。 「だが、これが何らかの策略の一環である可能性は捨てきれぬ。敵方に『鋼』がいるならば尚更……」 「軍団長……老竜が『炎』を見限ったのは、まさに『鋼』が彼方についた為です」 その言葉が示す意味を、ミスティモンは暫しの思案の後に導き出した。 「つまりは、『鋼』が……領主共が、彼の地位を脅かした事が、老竜の離反を招いた原因である、と?」 「左様にございます。『炎』の勢力は元来一族の者達で構成されておりその信頼関係は極めて強固。ですが、それが揺らいだならば、竜族は土台を失った楼閣の如く容易く崩壊するというもの。『炎』めは己が配下に優れた参謀無き事を懸念し『鋼』を引き入れ彼の策を請うたようですが、全くもって悪手でございましたな」 パジラモンの瞳が弓形に歪む。冷酷非情にして他者への慈悲を持たぬと言われる白羊の眼が、愉悦の光に赤く輝いた。 「猟兵隊からも、『雷』と『土』の守備兵を数名引き込んだ旨の報告を受けております。所詮敵方は一時の利益により集まったに過ぎぬ烏合の衆、綻びを広げさえすれば、忽ちに崩れ去るはずです」 回りくどいやり方ではある。だが、反逆者達を天使軍の圧倒的物量を以て蹂躙するという当初の目論見が阻まれている今、パジラモンの示した、一見非効率的とも思えるその策を用いる事は決して間違いではない。 「然らば、パジラモン。敵軍の……特に、『鋼』『木』『水』の偵察兵に接触し、彼等を此方へ引き入れよ。これまでの戦を見るに、情報戦の要は彼等の隠密。それを抑えさえすれば、敵方の情報網は破壊したも同然であろう」 「御意」 周囲の配下に何やら指示を出しつつ、パジラモンは砦の外へと走り去った。その姿が見えなくなるのを見計らって椅子の背凭れに全身を投げ出したミスティモンの周囲には、黒く染まった魔力の靄が濛々と立ち込めていた。 * 「何だって下衆鏡になんざ頭下げなきゃなんねぇんだよ……」 未だ憎々しい感情を抱いている『鋼』に頼らなければならない現状の腹立たしさに、『雷』は思わず呻くような声で愚痴を溢した。 「仕方がない。俺達の部下が王軍の手引きをしているとなれば、早急に手を打たねばならん。その為には、どうしても彼の知恵が必要なのだ」 己の配下達が、王軍を手引きし味方である『炎』や『光』を危機に陥れた──竜族の件は『闇』の助太刀もあって大事には至らず、『雷』の領域にあっても『木』との連携により此度は事なきを得た。しかし、裏切り者達をこのまま放置しておく訳にはゆかぬ上、漏洩した情報をどう扱うかという問題にも対処しなければならない。直属の指揮官たる自分達だけの手には負えぬところまで事態は進んでしまっているのだ。 「それに……里から出た竜が、機械の兵となっていたあの件も、どうにも気掛かりだ」 『炎』が以前岩峰山脈で目撃した、機械竜の一団──己の眷属であり元は配下であった彼等の姿は、身体の各所に錆びた機械部品を埋め込んだ悍ましきものへと変わり果てていた。 遥か天空に聳え立つ峰を息も切らさず登り続ける無尽蔵のスタミナはその代償に手に入れたものと見られるが、げに恐ろしきは、それ程の体力を備えた雑兵を、ごく簡単な処置を施すのみで確保出来るという点であろう。 「ですが長。機械のデータは岩峰山脈の周辺以外では滅多に手に入らぬものの筈。一体ルーチェモンはどうやってあれ程の数を……」 「ここ最近は大陸全土でリアルワールドに由来するデータが流れ込んでいるらしい。機械兵(サイボーグ)を作るに、今やそう難しい事はないのだろう」 近年デジタルワールド各地に流入する人間由来のデータがその量を増している事は以前に述べた通りであるが、竜達に埋め込まれた機械部品もその内の一部であるとみられた。 「え、直接身体に入れるの? 何か変な副作用とかあるんじゃない?」 「なればこそ、寝返った兵に施したのだろうな」 天使軍の兵士と違い、離反した兵ならば仮に失ったところでマイナスにはならない──提案者は現弓兵隊長であるとの事だが、機械化した兵は猟兵や騎兵の部隊にも数の多寡の違いこそあれ配備はされている。元より大軍であるルーチェモン側の勢力にこれ以上の力を持たせては、そう遠からず自分達の軍は叩き潰されてしまうだろう。己を含め、大将を務める十のデジモンの力を以てしても、かの大軍を相手に生き延びられる保証はなく、況してやそれを打破し勝利を納めるなぞ到底叶わぬ事である。 「……ねえ、機械のデータの取り扱いって、前は『鋼』の領域だけでやってたんだよね?」 「おう、話に聞く限りでは、だけどな」 如何にも深刻な面持ちの『氷』に、『雷』は怪訝そうな様子で応えた。 「で、機械が入った竜がいたのも同じ場所でしょ? 何ていうかさ……あの下衆鏡の事、手放しで信用したらダメなんじゃないかな、って……」 天使軍の各隊に一定数の機械兵を配備出来る程度のデータとなればその必要量は膨大なものとなる。各地の流入量が増えてきているとはいえこれを満たす程のものであるとは到底言い難いのが現状であった。ならば、今天使軍の中にいる機械兵達は如何にして生み出されたのか。 「つまり、『氷』よ。お前の予想では、機械兵の素材の提供元は『鋼』ではないか、という事か?」 「そういうこと。いや、別に個別に恨んでるとかじゃないけどさ、今この状況見て疑うなって言う方が無理だよ」 『炎』は口を噤む。そう、元々自分達と『鋼』は敵同士だったのだ。ルーチェモンと戦うために同盟を組んではいるが、鏡獣の真意を理解出来たかと問われれば、その答えは否である。 「考えられる可能性は幾つもあるが……いずれも今此処で証明出来るものではない。不用意に疑心を抱くのは余りにも危険だ」 その言葉に、『雷』と『氷』は一度互いの顔を見合わせてから再び『炎』に向き直った。 「お前な、お人好しもいいが程々にしろよ」 「いや確かに、やたらと疑うのが良くないのも分かるんだけどね。でも、気をつけるに越した事はないよ、多分」 これだけ伝えたならば後は何も言う事は無い、と言わんばかりに、二匹は地下洞窟を後にした。 ──元は俺が協力を願い出た相手、根拠も無く疑いたくはないが……しかし…… 一度抱いた疑念を払拭する事は容易ならざる事……況してや『鋼』は元々ルーチェモン麾下の上級幹部であり、その狡猾な遣り口についても、『炎』は自らの身を以て知り得ている。 「これは、思った以上に厄介な事になりそうだな」 蒼い瞳に暗い翳を落としてそう呟いた長の横顔を、傍らのティラノモンは不安に満ちた表情で見つめていた。
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森乃端鰐梨
2024年1月29日
In デジモン創作サロン
目次 「……儂に、長と一族を裏切れと言うのか?」 老竜の白く濁った瞳が見つめるその先、天使軍の弓兵隊長パジラモンとその近侍二名の姿があった。 三名の何れも一切の武器を帯びていないところを見るに、老竜に対する害意は全く持ち合わせていないようだった。 「かの者は清廉にして潔白、それは此方も認めざるを得ません。しかし、彼は大局を見極める程の知見を持ち合わせておらぬ。斯様な長の元で、貴方は一体何を為そうというのです?」 表情一つ変える事なく、白羊は淡々と言葉を紡ぐ。薄寒さすら感じる真紅の眼光は、老竜に注がれたまま少しも揺らぐ事はない。 「儂の役目は、長を援け一族の繁栄を末永きものとする事だ。儂自身で事を為そうなど、考えた事もない」 「ふむ、やはり貴殿は、聞きしに勝る忠臣……だが、竜の長は貴方を無視し一族の仇である『鋼』の領主を頼っていると聞きますが……」 その言葉に、老竜の表情が僅かに歪んだ。 脳裏を過る記憶──『闇』の領域へ赴く際、同行を申し出た自分に対し、僅かの思案もなく断ったばかりか、己を廃した直後、『鋼』の領主に同行を自ら依頼したという。 その真意がどうであれ、長のした事は自分に対する事実上の裏切りに他ならないと、老竜は今でもあの行為を許せずにいた。 「我等の王は、裏切り者を許さぬ。しかし、己が下へ奔って来た者には、深き慈悲を注がれる。貴殿の如き優れた戦士を得るは甚だ難し、王は必ずや貴殿を重く用いられる事でしょう」 「……貴殿らは、何を欲している?」 老竜の声に反応し、パジラモンの眼が妖しく煌る。 「『炎』の竜とその同盟者の、今現在の兵力に関する情報。そして、彼とその眷属が隠れ住むという地下道の案内」 「……相分かった。今この時をもって、儂は貴殿の指揮下に入る。弓兵隊長殿、この老体、如何様にもお使い下され」 頷いたパジラモンが、ふと老竜の背後、遥か後方の林間を睨んだ。どうしたのかと周りが問うその前に、足元の枯れ枝を拾い上げ闇中の一点目掛けて投げつけた。それから一瞬の間を置き、何者かが枯草を踏んで走り去る乾いた音が鳴った。 「……彼方の手の者ではありますまいな?」 「おそらくは、そうでしょう」 上官の言葉に、傍らの弓兵達が弾かれたように駆け出した。その姿は見る間に木々の中へと消えてゆき、数分も経たぬうちに二人は何かを手にしたまま戻って来た。 「うへえ、何なのコレ⁉︎」 緊張感の欠片も無いその声の正体は、アンティラモンの元で小間使いをしていた筈の黄毛の獣人、ネーモン。その尻に刺さっている枝は、紛れもなくパジラモンが放ったものであった。 「お前は……此処で何をしていた?」 「あ、弓兵隊長さま。えーっとですね、何日か前にボスと逸れちゃって、適当にウロウロしてたらここに来ちゃいました」 相変わらずいい加減な奴だと呆れつつ、パジラモンは部下達に彼の解放と傷の手当てを命じる。 「お前、主人の事について、何処まで聞いている?」 「うーん……山で逸れてからは特に何も」 「そうか……残念な報せだが、ネーモン、お前の主人は死んだ。『鋼』の領域に向かう最中、雪崩に巻き込まれてな」 その言葉の意味をすぐに理解出来なかったネーモンは、数秒の沈黙を挟んで素っ頓狂な叫び声を上げた。 「え、ええぇぇー⁉︎ うわぁ、どうしよう、俺露頭に迷っちゃったぁ……」 「落ち着け。暫くは私の元に居るが良い。その後の事は、軍団長に諮ってやる」 「ホントですか、やったぁ。隊長大好き、一生ついて行きますっ」 くっ付こうとするネーモンを鬱陶し気に引き剥がして再び部下に預けると、パジラモンは老竜と連れ立って歩き出した。 この一連の光景を偶然目撃した『闇』の眷属のひとりケルベロモンによる長への報告と、それにより齎された『闇』の助太刀により、数日後に決行された熔岩洞への急襲作戦は失敗に終わる事となる。 しかし、総大将たる『炎』の側近が敵に寝返ったというその事実は、古代種やその配下達の間に大きな動揺を生む事となった。 * 奇しき獣の根源たる太古の末裔──彼の膨大なる記憶の始まりは、屍の山が連なり血の河が流れ下る、現世の地獄。 人型と獣型が相争う時代……否、今現在のデジタルワールド、或いは、現実世界の野生下や戦場においても、幼く非力な命は色濃い死の影に絶えず付き纏われていた。 研ぎ澄まされた刀槍を携えたヒューマン族の兵士が、豪壮な牙と爪を振るうビースト族の一団が、一切の抵抗も出来ずに逃げ回る幼年期デジモン達を惨殺し、無防備に転がるデジタマを踏み潰して回る。 ──殺される前に殺せ。それが出来ぬ者は死ね。 戦場の掟を識ったその瞬間、外敵に怯えていた幼仔の瞳は邪悪な金光を宿す。 隠家代わりの死骸に刺さっていた剣先を銜えて引き抜き、己に背を向けていた一人の兵士目掛けて飛び掛かった。 口角を切りながら力一杯突き立てた刃は、果たして鎧の隙間を通って敵の頸を捉え、喉笛にまで達した。そして、即死に至らず悶え苦しむ獲物の身体を未だ満足に生え揃わぬ牙で噛み破り、剥き出しになった電脳核を喰らった。 襲撃、戦闘、捕食。それを繰り返し、幼年期の次は成長期、成熟期、そして太古代における進化の最高位たる完全体への進化を遂げた。 そこから永き時を経て、電子の獣はやがて進化の極地へと至る。全てを失い異形の鏡獣と成り果てたその後も、彼の行動原理は変わらない。たとえこの世を統べる王であろうと、己を脅かす意を抱く者ならば生かしてはおかぬ。 『木』の呼び掛けに従って『炎』の竜を受け入れ、彼と同盟を結ぶと決めたその理由は、かの幼王を亡き者にするという、怨嗟に塗れた渇望を満たさんがためであった。 「『鋼』よ、私です。開けてください」 鉄扉を貫いて室内に響く胴間声が、微睡の中にあった『鋼』の意識を引き戻す。不機嫌そうに細められた金眼が一際強く輝いた次の瞬間、何者も触れていない筈の執務室の扉が大きく開け放たれた。 「失礼、お休みでしたか」 「時間を考えろ馬鹿が。一体何用で此処へ来た?」 「一大事ですぞ。竜族の守備頭めが、一族を裏切り王軍に奔ったそうです」 珍しく深刻そうな顔でそう言った『土』の予想に反し、『鋼』の反応は冷やかだった。 「……まさかとは思うが貴様、それを言う為だけにおれを叩き起こしたのではあるまいな?」 「え? まあ、その通りなんですけど……いや、まだあります。『雷』の偵察兵三名と、私の配下二名も、ここ三日程姿が見えないのです」 「……『雷』の配下が、か?」 火山の戦に敗れた直後より若竜を中心に出奔者が相次いでいた竜族と、ルーチェモンにより直々に粛清対象である事が示された『土』の配下に加え、『雷』の子飼いまでもが主を見捨てた。 今後一族の中に己が居場所を求めたところで、やがてルーチェモンと彼が率いる天使軍の圧倒的物量、戦力によって纏めて轢き潰されてしまう事は火を見るより明らか──兵達がそう考えるのは至極当然の事であり、彼等が企てた此度の離反も、起こるべくして起こったものと言えよう。 「斯くなる上は、裏切り者達を捉えて抹殺する他ありません。急ぎ彼等の居場所を探らねば……」 息巻く『土』の隣で、『鋼』は呆れた様に深く溜息を吐いた。 「彼等の情報が天使軍の末端にまで行き渡った今、本人の口を塞いだ所で手遅れというもの。良い、このまま連中は泳がせておけ」 「随分悠長じゃありませんか。本当に大丈夫なんでしょうね?」 「泳がせはするが、捨て置く積りも無い。此度に関しては既に手を打ってある故、『土』よ、くれぐれも余計な事はしてくれるなよ?」 歪められた鏡獣の金眼に禍々しい光が灯る。 散々見慣れている姿である筈なのに、今日に限っては何故、こんなにも不安になるのだろう? 今の『土』に、その答えを見つけ出す術はなかった。 * 天使軍猟兵隊を構成する兵士達は好戦的且つプライドの高いデジモンが多い。そして、そんな彼等を率いる猟兵隊長もまた、勇猛果敢にして武功抜群の戦士である事が伝統的に求められてきたが、先代隊長もその例に漏れず、天使軍設立の頃より積み重ねて来た数々の戦功によって隊長の地位に命ぜられた歴戦の勇士であった。 偉大なる彼の後釜として、ホーリーエンジェモンが隊長職を拝する事となったのは、凡そ四ヶ月前の事。 『木』の領主を秘密裏に葬れという、王直々の命を受けた当時の猟兵隊長は、特別に選りすぐった部下達を伴い自ら暗殺部隊の陣頭指揮を執った。 そして決行の当日、彼等の接近と意図を察知した『木』が放った砲弾によって、側にいた部下諸共身体を粉々に砕かれてしまったのだ。 その後のホーリーエンジェモンの隊長就任は、副隊長である彼の立場を見れば至極当然の選出であるかのように思えるが、先に述べた猟兵隊の伝統的性格を鑑みた場合、最適とは言い難い。 無用の争いや諍いを嫌う、悪く云えば"事勿かれ主義"的な傾向にある、しかも天使軍の中では若輩の立場である彼が部隊の頭に据えられるその事実を、気の荒い猟兵達は内心歓迎していなかった。 「古くから居るとはいえ、実力の伴わぬ者を隊長に据える事など出来ぬ。ホーリーエンジェモンを選んだその理由は、ひとえに彼の力と功績の甚だ優れたるが故だ」 天使軍軍団長ミスティモンが自らホーリーエンジェモンの下へ赴き、猟兵達の居並ぶその前で、彼を副隊長から隊長職へと昇任させた──実力と功績の面において、猟兵隊に属する者のうちの誰ひとりとしてホーリーエンジェモンには遠く及ばないから、表立って不満を述べる者は居なかったが、歳若い彼が自分達を差し置いて隊長となる事に対し、古参の兵達の中である種の嫉妬心が生まれた事は想像に難くない。 抑も、副隊長に任ぜられるその時ですら、猟兵達からは隠しきれぬ反発心が漏れ出ていたのだ。こうなる事は、任命したミスティモンも、それを了承したルーチェモンも、そしてホーリーエンジェモン本人も当然予測していた。 「なればこそ、猟兵隊長として為すべきは……天使軍の勝利のために己が全てを捧げ戦う事、それが、猟兵達を得心せしめる唯一の道であり、今の私に課せられた責務にございます」 ホーリーエンジェモン就任後の猟兵隊は、華々しさにこそ欠けるものの、多大なる戦果をルーチェモン側に齎した事は間違いない。 古代種達が、大きな損失を出さぬ一方で未だ攻勢へと転じられぬその理由も、各地の猟兵と、隊長自ら協力を申し出た弓兵隊、更には彼等に呼応したデジモン達によってその勢いが抑えられているためであった。 「……で、間違いなく成功するんだよね、それ?」 「無論、手筈は整えてございます。此処まで来れば、後は機を待つのみ」 ルーチェモンの居室の中心、衝立の裏に据えられた長椅子に、小隊長の印を下げた黒翼の天使と彼の部下達が堂々と腰掛け、卓を挟んで王と直接会話を交わしている──それは、彼等の上官である軍団長ミスティモンであっても決して許されぬ筈の行為であった。 「しかし、驚きましたよ。まさか王自身が、猟兵隊長を亡き者にせよ等と仰るとは……」 「ま、色々あってさ。理由は……聞かなくていいよね?」 「無論。あの余所者のミスティモンの鼻柱を折り、加えて奴の子飼いの若造を抹殺する機会が得られようとは。我らにとって、これ以上の喜びはございません」 黒翼の天使達は満面に歪んだ笑みを貼り付けている。その様は、神聖系のデジモンとは凡そ思えぬ程に禍々しく、悍ましいものであった。 「楽しみにしてるよ、次期猟兵隊長殿。"お土産"、忘れたらお仕置きだからね」 「御心配には及びませぬ。必ずや、聖なるデータの欠片を持ち帰ってご覧に入れましょう」 向かい合うルーチェモンと天使達との間に据えられた卓上に、大陸全土の地形図が広げられている。突き立てられた三口の短剣のうち、二口は岩峰山脈の麓を、残る一口は東部山地の中心部を貫いていた。
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森乃端鰐梨
2023年12月17日
In デジモン創作サロン
目次 ──此処は何処だ? 俺は一体、どうなってしまったのだろう? 微かに届く月明かりが薄墨色に照らす渓谷の底で、アンティラモンは意識を取り戻した。 ──そうだ、確か、桟道を通って『鋼』の領域に入る時に、鈴が鳴って……石の柱が…… 妖鈴の音に惑わされ奇岩の柱が立ち並ぶ谷間へと迷い込んだその後、白い波に飲まれた。 その後、どれ程の間倒れていたのだろうか。体を起こして周りの様子を確かめようとするが、その意思に反し、手足はおろか指の一本すら動かない。 何とか瞼を開き、僅かな光の中で自身の状態を見てみれば、雪に埋もれなかった右半身は寒風に晒されたために白く凍り付き、手足に至っては、本来ならば決してあり得ぬ向きで折れ曲がっていた。 ──まさかこのような事が起ころうとは……皆は、皆はどこに行ったのだ? 行軍の部隊に帯同し案内役を務めよ、との王命が直々に下されたのは、凡そ三日前。 峻険且つ複雑な地形の山々が連なる 『鋼』の領域を通るにあたり、かの地に精通したアンティラモンを案内として立てるのは特段おかしな事ではなかろう。 しかし、此度の命はあまりにも直前すぎやしないだろうか。訝るアンティラモンだったが、暴王の命に従わぬ等と言った日にはどんな目に遭わされるか……断るという選択肢などあるはずもなく、急ぎ行軍ルートの選定とその結果を小隊の幹部達に伝え、細部を訂正してゆく。 そうしているうちに決行当日を迎え、そして今に至る。 アンティラモン達を飲み込んだ白い波は、桟道の上部で発生した雪崩だった。 部隊を構成するデジモン達は、アンティラモンを含め冬の山岳地帯での行動は少なからず経験しているため、当然『鋼』の領域においても雪崩が発生する事態を警戒してはいた。今回の行軍で使用されたルートと通過する時刻は、その難に遭わぬために計算を重ねた上で導き出されたものである。 しかし、先にも述べた通り、今回の雪崩は"泡雪崩"と呼ばれる、通常のものとは性質や発生の条件が異なる雪崩であったため、彼等の予測に反した結果を齎したのだった。 此度の雪崩は、発生自体は自然のものであったが、領域の主であり出身者である『鋼』や、似た環境下で生まれ育った『土』は天候や地形から凡その発生地点と時分を予測していた。そして、他の桟道や街道を雪で封じ予測地点の一箇所を通る桟道に誘い込んだ結果が、今回アンティラモンと小隊の見舞われた惨事である。 谷底に再び月光が差し込むその刹那、霞がかった視界の中に、黒々とした無数の塊が映る。それは、彼と行動を共にしていた天使軍の兵士であった。 かれらは皆、赤黒い染みの中に倒れ伏したまま動かなかったが、アンティラモンの耳に届く小さな呻き声は、兵士達が辛うじて生命を取り留めている事を示していた。 その直後、雪を踏む複数の足音が鳴り、次いで短い悲鳴が上がる。それが何度か繰り返された後、アンティラモンの目の前に、真紅の巨影が姿を現した。 「お前は……」 それを最後に、アンティラモンの声が途絶える。群青の夜空に掲げられた二本の牙の、その捩じくれた先端からは紅の雫が滴り落ちていた。 * 地下洞穴の薄闇の中、頑強な甲冑に身を包む騎士の一団が構える剣の刃が、彼等の掲げる松明の灯を反射し妖しい光を放っている。 「彼方は……丁度二十名か。『光』よ、この状況、どう切り抜ける?」 『炎』の竜と『光』の銀狼は互いに背中合わせとなって敵の集団と対峙していた。 「目の前の敵は斬り伏せる、それ以外に道は無い……そうだろう?」 『光』の返答に対して 『炎』は一度頷き、彼が動くのとほぼ同時に敵の真っ只中へと斬り込んでゆく。 だが、竜の爪が、狼の刃が、侵入者達を次々に引き裂いてもなお、続々と傾れ込む敵兵の数は一向に減る様子を見せない。 ──守備頭の居ない時に敵襲とは間が悪い……いや、抑も彼等を招いたのは…… 複雑に入り組んだ洞穴の道筋を何故外敵が知っていたのか。そして、彼等が現れたのは守備頭が失踪した直後──そこから導き出されるのは、竜族の事情に精通した者の密告と手引き。 『炎』は一昨日の記憶を呼び起こした。それは、伝令役のティラノモンと言葉を交わした時の事…… 「師匠ですか? そういえば、昨日から姿を見ていませんね……」 守備頭の老竜が姿を消した……これを聞いた時、『炎』の心中は大きく掻き乱された。 『光』の銀狼を求め『闇』の領域に向かう際、側近のうちで特に信頼を置いていた老竜に何も伝えず、嘗ての敵である『鋼』に自ら同行を依頼した……それを耳にした老竜が怒りを露わにしたことは言うまでもない。 「この目では十分な働きが出来ぬ故、長が儂を廃するのも致し方無かろうが……しかしだ、一族の誰にも告げる事なく、そしてあの憎き『鋼』の領主に対し自ら頭を下げて供を頼んだとは、長は一体何を考えておるのだ⁉︎」 老竜が姿を消したのは、それから間も無くの事であった。 あの時の選択が、『光』を救う手段として見る限りでは最善のものだった事に疑いの余地はないが、それが幹部の不信と離反を招いたとなれば、戦全体を見渡した際に悪手と断ぜざるを得ないのもまた事実である。 「敵は疲れ切っておる。今だ者ども、このまま押し切れ」 指揮官の騎士が、身の丈程もある大剣を担ぎ上げ自ら先陣を切って飛び出す。外殻を盾代わりにして咄嗟にこれを防いだ『炎』だったが、指揮官の背後から押し寄せる兵士達の剣の群れを捌ききれず、裂かれた翼の所々から血を流した。 このままでは、いずれ此方が消耗し力尽きる──そう思った矢先、先頭の指揮官が前触れもなく倒れた。大の字になったままぴくりとも動かないその身体は、すぐにデータの粒子になって散った。 戸惑う敵兵の背後から、金色に光る鉤爪が振り下ろされる。後列の兵士は身体が斜めに両断され、振り返った前列の兵士は脳天から真っ直ぐに切り裂かれて絶命した。 「……『闇』の主。何故ここに?」 「我等一族を救った貴殿に報いる……以前申し述べた通りにしたまで」 『光』の問いかけにそう返した黒獅子が、隣の『炎』へと視線を移す。 「竜の長。一つ聞きたいが……貴殿の配下に、灰の鱗を持つ物は居るか?」 「……一名、居る。我が一族の守備頭だ」 その答えに、『闇』はほんの僅かに眉根を寄せた──ように見えた。 「我の眷属より齎された情報であるが……弓兵隊長パジラモンが、竜族の者と思われるデジモンと接触したという。その相手が、灰の鱗を持つ老いた竜であったと……」 それを聞いた瞬間、『炎』の疑念は確信へと変わった。幹部のひとりが一族を裏切った……それも、長である己の浅慮が原因で。 ──『炎』よ、半端な隠し事は軍内に要らぬ不和を生むだけだぞ。秘事にあたっては、全てを密に行う事だ。 他のどんな軍団よりも強く結び付いた一族の絆は、僅かなきっかけで自らの身を裂く刃に変ずる。その事実を目の前に突きつけられた『炎』の竜は、険しい表情を浮かべたまま虚空を仰いだ。 * 「そう……で、他には?」 側近であるアンティラモンが雪崩に呑まれ谷底へと消えた──ミスティモンから報告を受けたルーチェモンは特段取り乱す、或いは怒る素振りを見せなかった。あまりにも淡々としたその様子が、ミスティモンにとっては寧ろ不気味且つ恐ろしいものに感じられた。 「……我が兵士達の失態により王の側近が命を落としたとあっては、責任を取らぬ訳には参りませぬ。いや、彼等に罪は無し、全ては指揮官たる者の責務を果たせなかった私の落ち度で御座います。斯くなる上は、私めの命を以て……」 「いいよ別に。アイツの同行許したの僕だし」 ルーチェモンはミスティモンの言葉を途中で遮り、頬杖を突いた格好で長椅子の上に身体を横たえた。 「死んじゃったモノはしょうがないじゃん。そんな事より、次どうするか考えるのが君の仕事でしょ? いいから帰ってよ」 「ですが……」 瞬間、ルーチェモンは長椅子の前の卓を蹴った。その衝撃で、天板の上に並んでいた器が散らばって砕け、中身の茶や菓子類が床一面を汚した。 「君が首を刎ねられようが腹を切ろうが、それは単なる自己満足。僕には何の得も無い。はっきり言って迷惑なんだよ」 僅かの苛立ちが混ざるその声を、ミスティモンは押し黙ったまま聞いていた。それから暫しの沈黙を挟み、ルーチェモンは深い溜息を吐く。 「いい加減、僕を失望させるのやめてくれないかなぁ」 氷のような冷たい瞳が己に向けられたその瞬間、ミスティモンは電脳核を直に握られたような緊張が全身に奔るのを感じ取った。 「僕ね、待つの嫌いなんだ。王の……僕の軍だ何だって偉そうにしてるんなら、それ相応の結果を出してよ。あの穢らわしい反逆者どもを、いつまで生かしておくつもりなの?」 幼き天使の青い瞳に、獰猛な殺意の灯が燈る。ルーチェモンの澄んだ声の所々に、以前耳にした記憶のある掠れた声が混ざった。 「……か、必ず……我等の命を引き換えとしてでも、必ずやかの叛逆者達の首級(しるし)を挙げて御覧に入れまする。どうか、暫しの猶予を……」 「期待してるよ。今度こそ、良いところ見せてよね」 無言のまま主の前に跪くミスティモンを取り巻く魔力の流れに、どす黒く濁った瘴気が溶けてゆくその様を見守る幼王の顔は、ひどく穏やかなものであった。 そんな彼等の遣り取りを、扉の外から聞いていた三人の天使──小隊の指揮官とその側近達が邪悪な笑みを浮かべた違いの顔を見合わせたその瞬間、彼等の両肩に刻まれた三日月型の紋章が紫に光り、穢れなき純白の翼が漆黒に染まった。 黒翼の天使達は、ミスティモンが戻ってくるのを待つ事なく、三人連れ立って暗い回廊の奥へと姿を消した。 * 現在のデジタルワールドは、デジモン研究発祥の地ファイル島や、その直近に位置するフォルダ大陸など、複数の陸地により構成されている。 対して、太古の血を引く十の獣が生きていた時代のデジタルワールドにおいては、宛ら現実世界の超大陸パンゲアの如き巨大な一つの陸地が存在し、その周辺には大小の島々や大陸が点在していた。 超大陸の東縁には複数の水源を有する緑の山々が立ち並び、その豊かさを求めて多数のデジモンが生活を営んでいた。 そんな東部山地に突如として大禍が訪れたのが、凡そ一年程前のこと。 時の王ルーチェモンはこの山地の住民達に対する粛正を決行した。その理由は、住民の中に反逆を企てた者がいる、ということだが、その真偽を示すものは何もない。 周辺地域の領主達を動員し二日をかけて焼き尽くされた東部山地からは清き水も青い木々も住民達の声も全てが失われ、ただ焼け跡の一部に辛うじて何者のかの暮らした痕跡が見出せるのみであった。 それから季節が巡り、もう雪が降り始めるかという頃、東部山地周辺でひとつの噂が流れ始めた。 其は異能を以て願いを成就させる者。白き妖精に全てを託すべし。 どんな願いも叶えてくれる、白い妖精が現れた……それも、罪無き者達が惨殺された悲劇の舞台たる、東部山地に。 ルーチェモンの暴政と彼に抗う者達との間で繰り広げられる戦乱に倦み疲れたデジモン達は東を目指した。白い妖精が、自分達を救ってくれるかも知れぬと一縷の望みを抱いて。 元々複雑な地形の東部山地の、白い妖精がいるとされる最奥部の区画に入るのは大変な労力が要る。それでもデジモン達は、実在するか否かも定かでない白き妖精の力に縋り、死の山へと向かう命懸けの旅路に臨んだ。それ程迄に、今の彼等の生活は苦痛と絶望に塗れていたのだ。 移り住んだ後のデジモン達がどうしているか、知る者はいない。複数の集落が作られた事は確認されているが、住民達の暮らしはその中で完結しているとみえ、ただ一匹のデジモンも外界へ一切出てこなくなったからだ。 願いを叶える白い妖精……彼が実在のものであるとしたら、その力により齎された恵みは多大なものであるのだろう。東部山地を目指す者は、今も後を断たないという。 「"白い妖精"……やはり、彼奴であったか」 『鋼』は卓上の竹簡に記された文字の列を目で追いながら低く呟いた。その黄金の双眸は、普段より更に暗く、澱んだ邪気に満ちている。 「本人かどうかは分かりませんがね。ですが、かの妖精の正体……ウッコモンと見て間違いないでしょう」 セトモンの言葉に、『鋼』の脳裏を過る忌まわしき白影の記憶。虚な翡翠色の瞳が見つめるその先には、血染めの雪原と無数の屍があるのみ── ──"管理者権限"による干渉と、ウッコモンの出現……どうもおれの悪い予感は当たるらしいな。 流れる雪雲の隙間から差し込む月光は、いつにも増して赤く、そして禍々しかった。 災禍の章 終 渾沌の章へ続く
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森乃端鰐梨
2023年11月30日
In デジモン創作サロン
白銀の寒月が照らす古城の門前、鎧武者のような装束を纏い奇妙に捻じ曲がった二振の太刀を携えた竜人が、足下に横たわる獣達の亡骸を見下ろしながら佇んでいた。 ガイオウモン──悠久の時の中で歴戦を制し己の力を増してゆくという竜系のデジモン。 種の本能に刻まれた生態に従い日夜戦いに明け暮れる彼は、血塗られた旅路の最中に立ち寄った村の長より『姿の見えぬ盗人を退治してくれ』と依頼された。 剣術と焔の力だけを己の頼りとする種の特性に違わず、このガイオウモンも斯様な得体の知れぬ力を持つ者に対処する術なぞ一切持ち合わせていない。 しかし、同種の内でも特に義理堅い気性を備えた個体である彼に、一宿一飯の恩義のある相手からの頼みを断るなどという事は出来なかった。 「だが、居場所が分からねば剣を振るう訳にもいかぬな。さて、どうしたものか……」 「そうですな……方法が無い訳ではありませんが……」 「何か手があるのか?」 村長は心底困ったような表情を浮かべてから、徐に口を開いた。 「この先の山麓に広がる竹林の奥に、"片眼狐"と呼ばれる陰陽師がひとり隠れ住んでおります。その者ならば、或いは……」 この時の村長の様子がどうにも気に掛かったガイオウモンだったが、他に手は無しと考えた彼は竹林の奥に佇む"片眼狐"の住処を訪ねると決めた。 青竹の繁る林の中は、昼間だというのに夕暮の闇もかくやとばかりに暗い。辛うじて道だと分かる地面の筋を辿って行った先に立つ庵が、かの陰陽師の住まいであった。 「おや、客人とは珍しい……何ぞ御用でも?」 背後から突如発せられたその声に、ガイオウモンは抜刀しながら振り返った。鋭い太刀先に断ち割られた青竹の束が、がらがらと音を立てて辺りに散らばる。 「危ねぇ危ねェ、お客人、取って食いやしませんから落ち着きなさいな」 今度は庵の方から声がした。そちらを見遣れば、白と紫の道服を纏う狐の姿をした獣人が一人立っている。 「いや、これは……失礼した」 「いえいえ、もう慣れておりますんで、お気になさらず……それより旦那、こんな辺鄙なところまで来なすったんだ、吾(あっし)に用があるのでは?」 気まずそうな様子のガイオウモンを、道服の狐──タオモンは面白がるような表情で覗き込んだ。 その蒼の瞳は右側だけが光を宿し、もう一方は固く閉ざされた瞼を引き裂くようにして、古い切傷の痕が額から頬骨にかけて斜めに走っていた。 「一つ聞きたいのだが……この辺りで"片眼狐"と呼ばれる、腕の立つ陰陽師がいると聞く。その者の助力を得たい」 「随分と買い被られたモンだなァ……ま、いいでしょう。で、吾に何をせよと?」 ガイオウモンは事の次第を全て"片眼狐"に伝えた。 「はあ、成程……分かりました、手を貸しましょう」 危うく命を奪われそうになったにも関わらず、"片眼狐"はその当事者たるガイオウモンの頼みを驚く程あっさりと聞き入れた。 それから三日後の月夜──彼の力添えにより賊の隠家を探し出したガイオウモンは、見張り役の盗賊を全て始末した後、分厚い扉を蹴破って中へと押し入った。 「何処へ行ったのかと思ったら……全く、お前という奴は……」 呆れたように言い放つガイオウモンが睨むその先で、見覚えのある金毛の獣人が、火に掛けた鉄鍋を頻りに覗き込みながら、時折長い尻尾の先をゆらゆらと揺らしていた。 「これはこれは、ガイオウモン殿。随分遅かったじゃ御座ンせんか。ああ、これ? 別に盗ったわけじゃありませんよ、少し借りてるだけです」 獣人、もとい片眼のタオモンが、見える方の眼を先にしてガイオウモンの方を振り返った。 「鍋はどうでもいい。俺が言っているのは、"ソレ"の事だ」 鍋で煮立った油の中を泳ぐ奇妙な形の塊が、じゅうじゅうと音を立てながら辺り一帯に奇妙な匂いを漂わせている。その横に並んでいる、先に揚がっていたと思われるうちの一つを、鉤爪を備えた三本指が器用に摘み上げた。 「何せ"鼠"は、狐(われら)の好物なモノですから……つい、ね」 タオモンの手にある塊から僅かに覗く、赤紫の肉……その正体が、まだ息のあるデジモンだという事に気付いたガイオウモンは、目の前の金狐が哀れな盗人たちを即席の夜食として"調理"していたという悍ましき事実に思わず顔を顰めた。 「今回の件、向こうさんは『退治せよ』と言っておりましたが、別にその方法は示してなかったでしょう? ならば、どうしようと咎められる謂れは無し。それに……デジモンがデジモンを喰ってデータを取り込む、それは正しき自然の摂理、弱肉強食ってヤツじゃあ御座いませんか」 ガイオウモンの内心を見透かすかのようなその言葉と共に、タオモンは手にした肉塊を鋭い牙が並ぶ口の中へと放り込んだ。咀嚼された獲物が砕けるその度に、粉雪のようなデータの破片が舞い散った。 「……ちと後味が腥ぇ気もするが、まぁ溝のネズミにしちゃ上出来かなァ」 余韻を楽しむかのように口角の脂を舐め取る妖狐の姿には、然しもの百戦錬磨の強者ガイオウモンといえど嫌悪の情を抱かずにはいられなかった。 この悍ましき隻眼の陰陽師は、元の生物に由来する鋭敏な嗅覚と摩訶不思議の術を以て盗賊の隠家を見つけ出した。 彼の助力により此処まで辿り着いたガイオウモンは、行手を阻む落武者のようなデジモンと彼の部下らしき獣型のデジモン達を皆一太刀の元に斬り捨てのだが、一体何処へ行ったのやらタオモンの姿がいつのまにか見えなくなっていた。 まさかと思って隠家の中へ入ってみれば、盗賊の首魁は既に、赤い紙片の散らばる焼け焦げた床の上で体の各所をあらぬ方向に捻じ曲げて事切れ、そんな彼の傍らに屈んでいるタオモンの後ろ姿を見つけたのが、先の状況である。 裏仕事の請け負いを生業とするこの金狐の元々の評判が決して良いものではない事は村長の態度からある程度察してはいたが、まさかあのような行動に出るとは……あそこまで手の込んだ食い方をするあたり、おそらくは、ガイオウモンの依頼を聞いたその時から、この片眼狐は賊の正体に気付き彼等をどうするかまで決めていたのだろう。そうなれば、此度の依頼を快諾したその理由も自然と察せられる。 この陰陽師、腕の確かなことは間違いないがあまり深い関わりは持ちたくない奴だと、ガイオウモンは心中で密かに呟いた。 「旦那、こりゃあ"道士"が一枚噛んでますよ。ほら」 牙の隙間から引き出された赤い紙。近づいて見たところ、それはタオモンが所持しているのと同じ呪札だった。 「ネズミ共、みんな腹にこの札を仕込んでますな。おそらく、コレが不可視のタネでしょう」 揚げ鼠を口に含み、中の呪札だけを取り出す事を数度に亘り繰り返す。その過程で並べられてゆくものの中には色違いも何枚か混じってはいたが、描かれた紋様はやはりみな同じものだ。 「まさかと思うが……」 「……先に言っておきますけど、コレ吾のじゃありませんからね。端金のためにこんな手の込んだ事する奴ぁいませんよ」 愛刀である菊燐の柄に手を置くガイオウモンを片眼で見遣り、タオモンは念を押すようにそう言った。 この金狐、言動の非道さは兎も角決して嘘はつかないという話を村の者達から予め聞いていたし、この三日間の行動からその評判が真実であることも分かってはいたので、ガイオウモンは彼を問い詰める事はしなかった。 「お前ではないのは分かっているが……しかし此度の件、裏に居る道士とやらを何とかせねば、また近いうちに同じ様な者が悪事を働くだろう」 「ああ、それならご心配なく。もう見当はついておりますんで」 深刻な表情で虚空を見つめるガイオウモンの横を通り、タオモンは出入口に向かって歩き始めた。 「ほう……道士たる者、呪の痕跡から術者を探し当てるも容易い、と云ったところか?」 純粋な関心から発せられたガイオウモンの言葉に、タオモンはひたと歩みを止めて背後の彼へと振り向いた。 「まさか。吾にそんな腕はありませんよ。それが出来たら、こんな日銭稼ぎなんぞやってませんからね」 青い隻眼が、自嘲気味な笑い声を伴って三日月の形に細められる。片側の吊り上がった口の端から覗いた牙が、差し込む月明かりを反射してぎらりと煌った。 「では……先程見当がついたと言ったのは……」 「"コレ"がね……吾の"片割れ"がね、教えてくれたんですよ」 そう言って、タオモンは固く閉ざされていた左の瞼を開いた。古傷の下から現れた紅色の瞳には、澱んだ殺意の灯が燃えていた。 第一話 終 【登場デジモン】 ・ タオモン : 通称『片眼狐』と呼ばれる陰陽師で、デジタルワールド辺境の村の更に外れにある山麓の竹林に住んでいる。その左眼には大きな傷痕があり、普段は固く閉ざされているのだが……。 幼年期のポコモンだった頃、双子の兄と生き別れになったらしい。 好物は油で揚げた鼠(特にチューモンが好きらしい)。 ・ガイオウモン :デジタルワールド中を放浪し数多の戦いを繰り広げるウィルス種の竜人型デジモン。 基本戦いの事しか考えていないが、生来義理堅い性格のため、どんなに些細な恩義でも必ず返そうとする。 ・??? :片眼狐の双子の兄。 幼い頃に弟と別れて以降、長らくその消息は不明になっていたらしいが……。
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森乃端鰐梨
2023年11月21日
In デジモン創作サロン
「ヨネ、お前またゴミ溜めてるじゃねぇかよ。いつも言ってるだろ、その度に捨てないと駄目だって……」 比良岩 世音(ヒライワ ヨネ)がパオモンのテイマーとなったのは、昨年の春頃。 赴任した大学の研究室で管理していたデジタマから孵ったこの電子獣──通称デジタルモンスター、略してデジモンと呼ばれる電子生命体を、よりにもよって自分に預けた室長の真意を、世音は未だに図りかねていた。 「まだ八分目だもん、いちいち捨ててたら勿体ないでしょ」 「そんなだから生ゴミ腐るんだよ、こっち来てみろよ、ひでぇ臭いだぞ?」 灰色のプラスチック箱の前でしかめ面をする犬顔の饅頭──世音のパートナーデジモンであるパオモン。 彼は幼年期、即ち人間で言うところの乳幼児に相当するが、同種の仲間と比べて随分と大人びた性格をしているらしい。私生活において凡ゆる面で自堕落な世音にとって、パオモンの几帳面さに助けられる事も少なくないのだが、それ以上に煩わしくもあった。 「そこまで言うなら、たまにはアンタが捨てに行ってよ。アタシこう見えて割と忙しいから」 「無理。オレ手足ないんだもん」 これ見よがしにコロコロと横に転がったパオモンは、分厚い紙束に当たって止まる。 それは、世音が読みかけのまま放置していた論文の山。頂点に置かれた一冊の、見開きのページに描かれていたのは、犬か狼を思わせる頭部に人のような身体、更にはその背に巨大な猛禽の翼を生やしたデジモンのスケッチ。 「オレだってな、デジタマになる前はほら、こんなふうに手足があってオマケに羽まであったんだぜ?」 「わー、すごーい」 「おい、何で目ェ逸らすんだよ」 パオモンが自称する、前世とも呼ぶべき姿──それを語る前に、彼らデジモンの進化と、その生と死のサイクルについて触れなければならない。 そもそもデジモンとは、生存本能を与えられたプログラムの一種。デジタル技術の発達に伴い増加したデータ群を自らの体内に取り込んで進化した電子の生命体。 彼らは、本能に従って闘争と捕食を繰り返し、より強大な姿へと自らを変えてゆく。 初めは幼年期、その次は成長期、更には成熟期、完全体という段階を経て、最後は究極体と呼ばれる極地の姿に至る。 その後寿命を迎え死亡したデジモンは、"デジタマ"と呼ばれる、卵殻の形を模したデータ塊と化す。 パオモンの言葉を信じるなら、彼もまた天寿を全うしたデジモンの"転生"した姿であると言えるだろうが…… ──アヌビモン……いや、確かにアレも犬だけど…… 古代エジプトにおける冥府の守護者アヌビスを模した神人型デジモンは、種名の由来となった狼頭の神と同じく、死した者の運命を左右する権能を有していた。 即ち、死亡した後にデジタルワールドの冥府、通称ダークエリアにデータを転送されたデジモン達の、デジタマへの転生の是非については、このアヌビモンという種に絶対の決定権が与えられているのだ。 似た能力を持つデジモンとしては北欧神話の戦乙女を模したヴァルキリモン等がいるのだが、ダークエリアの守護も併せて担っているあたり、アヌビモンという種が特殊な立ち位置にある事に疑いの余地は無い。 ──パオモンは人工のデジモンのはずなんだけど……その進化系がデジタルワールドの"あの世"を管理してるってのもおかしな話ねぇ。 アヌビモンは、ダークエリアを管理する役目を古来より担ってきた種である。しかし、近年の記録に残る歴代の管理者達は、確認出来た限りでは皆パオモンを──先程の言葉を信じるなら、世音のパオモンもまたそうであったのだろう──彼等を進化元とする個体が務めていたことが分かっている。 冥府の裁判官──良いデジモンの魂は新たな命に、悪しき者の魂は永劫の闇の中へと封ずる……デジモン達の世界、デジタルワールドは、大元を辿れば人間の活動に伴い生まれたものとされているが、今は大型のホストコンピュータが自らの判断で管理しているという。そいつが、態々人工的に作られたデジモンであるパオモンから進化したアヌビモンに与えた権限は、不自然なくらいに強すぎた。 そもそも、人工デジモンというのは、通説では幼年期の次、成長期から先には進化しないとされていた。 パオモンの場合、次に至るのは幼年期の第二段階であるレッサー型のシャオモン。これはパオモンを少し大きくして短い手足をつけたようなデジモンだ。 そしてその次、成長期の獣型、ラブラモン。レトリバー犬を冠するその種名通りの、現実の犬と違わぬ姿となるが、身体データの不安定な人工デジモンにとって、この姿が進化の到達点であるというのが、テイマーや研究者の間では従来の常識であった。 しかし、西暦2000年代に入ってから、その状況は大きく変わり始めた。 非公式な記録ではあるが、ラブラモンの中から成熟期への進化を成し遂げた例が数件確認されたのだ。 当時最も多く報告された進化先は、聖獣型のシーサモン。沖縄を中心とする南西諸島に伝わる魔除けの獅子の姿を持つこの種から、ギリシャ神話の地獄の番犬を模したケルベロモンに至り、アヌビモンへの進化を遂げた個体の出現……それも、一体や二体ではなく。 そしてもう一つ、アヌビモンに関して世音は疑問を抱いていることがある。 それは、ラブラモンが究極体にまで至った最初の記録からまもなく、シーサモンとは別の成熟期を経由する進化が増えたということ。 魔獣ドーベルモン──ラブラモンと同様現実世界の犬種を模した種であり、その容姿と、悪しきウィルスを只管に狩るその性質は、厳格なる冥府の守護者にしてデジタルワールドの裁判官とも称されるアヌビモンと通ずると言えなくもない。 問題は、何故その変化が起きたのか、だ。重役に人工デジモンをわざわざ据えたのもそうだし、進化の仕方が変わった事にも、何かしらの介入があったのではないだろうか? 「人工デジモンにおける進化の限界の突破……進化先の傾向の変遷……そもそも、ダークエリアの管理者に彼らを選んだその真意は何なのか……」 「……どうした?」 虚空を見つめて考え込む世音を、パオモンは怪訝な表情で見上げた。 「ねぇパオモン。アンタの前のアヌビモン、それもパオモンだった奴?」 「奴って言うなよ、失礼だろ。まあ、そうだな、オレの覚えてる限りはみんなそうだったと思うけど……」 「成熟期の時のことは?」 「そうだな……オレは確かドーベルモンだった筈だけど……その前はみんなシーサモンだったかな」 そこまで聞いたところで、眼鏡の奥の目の色が変わった。何かに勘付いたパオモンがその場を離れるより一瞬早く、世音の手が丸っこいその頭を鷲掴みにした。 「思い立ったが吉日、パオモン、出掛けるよ‼︎ 」 「ちょ、ヨネ、一旦離せ! 頭皮が剥けちまう!」 「あ、もしもし室長。比良岩です……はい、ちょっとまた、例の件で……しばらく"向こう"にいますので……はい、お願いします、では」 電話口で"出張"の許可を取り付けた世音は、フィールドワーク用の背嚢に思いつく限りの道具を詰め込んでいく。 「あとはえーっと……あ、そうだ。パソコンと、スマホと、野帳とペン忘れてた……よし、これでオッケー」 「身支度の品はどうした?」 「あんな危険地帯でおフロや歯磨きの暇なんてあるわけないでしょ。帰ってから入る」 「えぇ……いや、せめて着替えくらいは持って行けよ……」 一度疑問に思ったならば、それを解明するまで決して止まらない……電子獣学者比良岩世音(三十一歳独身)は、そういう人物であった。 この行動力を、少しでいいから日常生活に向けてくれたらなぁ……パオモン──先々代のアヌビモンだった犬饅頭は、抜けるように青い現実世界の空をぼんやりと見上げた。 その先で一瞬閃いた赤い光の正体が何であったのか、この時の彼が知り得る筈も無かった。 第一話 終 【第一話 登場人物&デジモン】 ・ 比良岩 世音(ひらいわ よね) 三十一歳独身のデジモン学者。着眼点は鋭く研究者としての実力は割と上。職場で孵ったパオモンを押し付けられて以降は彼と過ごす。名前の由来は動物学者の平岩米吉氏。 ・パオモン 口の悪い幼年期デジモン。その正体は先々代のダークエリアの管理者が転生した姿。
【#ザビケ】 夜を断つ牙  第一話 content media
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森乃端鰐梨
2023年11月12日
In デジモン創作サロン
目次 夕刻の空に白く浮かび上がる極北の銀嶺──その頂にて対峙するは、この地を支配する『氷』の巨獣と鮮烈なる蒼の甲冑を纏う『水』の主。 蟠を巻いた魚の半身を椅子代わりの岩に据え落ち着いた様子の『水』とは対象的に、『氷』は脂汗の浮かぶ顔を苦しげに歪め、荒く吐き出される吐息は彼の周りを濃霧のように白く烟らせていた。 「もう勝負はついてるじゃないの、早く降参しなさいよ」 「うるさい! ここからが本番なんだよっ」 その言葉と共に、『氷』の十脚の、最前列右側の一本が動いた。 「よっしゃ来たぁっ!」 そう叫ぶ白獣の蹄の先には、赤い空に浮かぶ純白の満月── 「……何やってるのよ貴方達……」 冷ややかな声の発せられた方向に顔を向けると、そこには腕を組んで呆れたような視線を二匹に注ぐ『風』の剣士の姿が。 偵察を終えて『炎』達の元へ戻る前に『氷』にも一度声を掛けておこうとその縄張りに立ち寄った彼女が見たのは、険しい表情で『水』の主と睨み合う白獣の姿だった。 「この大変な時に何を呑気に遊んでるのよ、全く」 「遊びじゃないよ! コレはね、貴重なデータを巡る真剣勝負なんだよ」 そう叫んだ彼が『水』を相手に二刻にも亘って繰り広げていたのは、一本の酒瓶を巡る花札勝負。 『氷』は大の酒好きであるが、彼の住まいは『鋼』の縄張りと比較して現実世界からのデータ流入が少ないため、その分アルコール飲料のデータも入手が困難である。 『水』の持ち掛けたこの勝負を、貴重な酒を入手する絶好の機会と見た『氷』は、彼女の誘いに二つ返事で応じたのであった。 「ずっと昔、コレで『鋼』と賭けをしたことがあったの。どっちが愛情のデジメンタルを貰うか、って」 手の中で札を弄びながら、『水』は徐に口を開く。その顔には、薄らと翳が差しているように見えた。 「で、どうだった?」 「アイツの部下にセトモンやアウルモンがいるでしょ。つまりは"そういうこと"よ」 『水』は虚空をじっと見つめ、一瞬の沈黙を挟んでから深い溜息を吐いた。その口元から、白炎の如き蒸気の帯が立ち昇る。 「今更言っても仕方ない事だけど、アレは何かしら仕込んでたとしか思えない。いやきっとそうよ、あんなに何度も大役が出来る筈ないもの」 ほんの短期間『鋼』と行動を共にしただけの『氷』ではあったが、あの鏡獣が"そういう事"をするデジモンであるという『水』の意見は、至極最もであると思った。 何せ『鋼』の領地は、気流の不安定な山間を通る道が多く、生半可な飛行能力のデジモンでは五体満足のまま領域の内外を行き来する事すら難しい。 よって、彼がその道程を安全に移動出来る配下を欲するのは当然の事だろうし、それを得る為ならば、『鋼』は例え卑劣な手段であろうとも迷いなく実行に移すだろう。彼奴はそういう奴だと、『氷』は自信を持って言えた。 「歳食ってる分ロクなこと考えないよなぁ、あの下衆鏡」 「……言いにくいんだけど……あいつアンタより歳下よ」 『氷』は一瞬、『水』の放った言葉の意味が分からずに固まったが、直ぐに満面を驚愕の色で染め上げた。 「……はぁ? 嘘だろ!?」 「嘘じゃないわよ。アイツのタマゴ……"大会戦"の跡地で孵ったらしいから」 人獣争乱の中で最も凄惨であったといわれる戦い。 当時まだ幼かった白獣の記憶にも確と刻まれる程の、残酷極まりなき殺戮劇。 その舞台となった岩峰の山脈こそ、今の『鋼』の領地であり、彼の生まれ故郷でもあった。 「大会戦……当時あの一帯にあったデジタマは全て破壊されたと聞いていたのだけれど……」 ヒューマン族、ビースト族のいずれも、最たる懸念としていたのは、敵方の戦力の増強──それを防ぐ為に両軍が講じたのは、敵地にある中で最も無防備であり脅威の源泉となり得るデジモンの卵、通称デジタマの破壊と、その中に凝縮されたデータの回収という余りにも非情な措置であった。 「一つ一つ確認しながら割ってた訳でもないからね、アイツが偶々見つからなかっただけか、大会戦の後何かの拍子にデジタマの状態で持ち込まれたか……まあ、どちらにしても有り得ない話ではないと思うわ」 「いや、それよりさ……アイツが僕より年下ってホントなの?」 「残念ながらね。まあ、信じられないのも無理はないけど」 あの下衆鏡が自分より若い……それはつまり、自分がアイツよりも年寄りだということじゃないか。白獣が受けたショックは余りにも大きかった。 「気にしないで。アイツが異様に老け込んでるのが悪いんだから」 そう言って暫く白獣を慰めていた『水』だったが、不意に傍の『風』へと顔を向けた。 「……ねぇ貴女。"白い妖精"って、聞いたことある?」 唐突に投げかけられたその問いに、『風』は仮面の下で怪訝な表情を浮かべる。 「まあ、噂程度には……」 「願いを叶えてくれるとかいうデジモンでしょ。僕も実際に見た事はないけど……」 「それでね、最近その白いデジモンが現れたっていう東の山地に渡ってくる住民が増えてるんだって」 昨年、謂れなきルーチェモンの粛正によって死の大地と化した清流の山々──その焼け跡に点在する幾つもの集落は、この数ヶ月内に他所から移り住んで来たデジモン達が築いたものであったが、彼等が住み慣れた故郷を離れ今や不毛の大地と化した東部山地に態々居所を求めるその理由は、他者の願望を現実のモノにするという、"白い妖精"の力に縋らんとする為であった。 「でも……何故急にその話を?」 「何となくよ、何となく。ただね、そんな都合の良い力を持った連中がいるなら、もっと前から話題になっていても良いと思うんだけど……実際は違う。それがちょっと気になったの」 言われてみれば、願いを叶えるなどという尋常ならざる能力を持った者達の話が、今の今まで世間に広がらなかったというのも妙な話ではある。 「元来他の目が届かない場所に隠れ住んでいたのが戦乱で追われて表の世界に出て来たか、または、何処かから突然現れたのか……」 『風』は一頻り思案してみたが、いずれの仮説を真とするにしても、一切の確証が無いことに変わりはない。そもそも"白い妖精"そのものの実在すら、現時点では定かでないのだ。 「願いねぇ……本当に会えたらルーチェモン倒してくれって頼もうかな?」 「そう美味い話があるんだったら誰も苦労しないでしょ……こんな風に、ね」 「あぁっ⁉︎」 人魚の手にあるのは、桜花を背負う錦の幕、次いで捲れた菊花と盃の札──凍り付いた極北の大気を震わせる『氷』の悲痛な叫びに重なり、雪崩の轟音が千仭の谷間に響き渡った。 「じゃ、コレはアタシのものって事で」 「そんなぁ……」 力無く呟いた『氷』が、虚な目で紺青の天を仰ぐ。いつの間に陽が沈んでしまっていたのだろう、極北の嶺は既に夜を迎えていた。 * 「何たる為体! 貴様ら、一体何をしていたのだ?」 ルーチェモンの側近であるアンティラモンをも巻き込んで決行された『鋼』の領域に対する奇襲作戦は、何の成果も得られぬまま失敗に終わった。 いや、そればかりではない。 天使軍の兵士だけならば兎も角、よりにもよって王の近侍をも作戦失敗の代償として死なせる結果になった……憤怒と呆れの入り混じった感情を爆発させたミスティモンは、足下で平伏する己の部下達を睨み付けた。 「め、面目御座いません……まさかあのような時分に雪崩が起きようとは……」 雪崩だと? あの時間帯に? 小隊長の言葉に、ミスティモンは訝しげな表情を浮かべた。 彼の知り得る雪崩という現象は、冬の気温が上がった日や春先等の積雪の溶けた時に起こるものと認識していたが、あれほどに冷え込んだ日の真夜中、雪は硬く凍り付いているはずの時間に起こるものだろうか。 「貴様、言うに事欠いてそのような虚言を弄するとは……それで天下に名高き天使軍の幹部を名乗ろうとは片腹痛し、恥を知れ」 ミスティモンの手が佩剣に伸びた。軍団長からの処罰を受けねばならぬのは元より覚悟の上であったのか、作戦の責任者たる小隊長と彼副官の二名は、微塵も慌てる素振りを見せない。 「お待ち下さい軍団長。その者の言葉、決して嘘では御座いません」 突如響いたその声の主は、弓兵隊長のパジラモンであった。 「嘘ではない……何故、そのように言える?」 「あの後、私と配下達とで桟道の辺りを見て参りましたが……崖の付近に、雪の流れた跡がありました。あの日『鋼』の領域は明方から夕刻まで吹雪に見舞われていた……」 だから何だというのだ──そう言おうとしたミスティモンより早くパジラモンが次の言葉を紡いだ。 「これは他の者から聞いた事ではありますが、冬の高山が荒天の気象にあった直後の夜間には、前触れ無き雪煙の雪崩が起こることがある、というのです」 通称"泡雪崩"──凍結した雪の上に更なる深雪が積もった所へ加わった外力が引金となって起こる、謂わば"雪の突風"。雪の微粒子を含んだ空気塊によるその衝撃は凄まじく、リアルワールドで度々発生するそれは、ヒトの居住地を丸々一つ滅ぼした例もある程の破壊力を有するという。 「ならば、本当に雪崩に遭ったというのか? では、彼等の言うことは……」 「真実で御座いましょう」 パジラモンの言葉に、ミスティモンは気まずそうな表情で部下達の方を見た。その視線の先で、先程まで彼の叱責に身を縮こませていた三名の部下が冷ややかな眼で彼を睨んだまま、無言で佇んでいた。 「……いや、疑ったのは申し訳ない……しかし、貴重な兵士を失ったのは元より、ルーチェモン様の近侍をも死なせたとあっては、どの道お前達に責任を取らせない訳にはゆかぬ。私から王に説明はしておくが、何らかの処断が下される事は心に留めておくように……」 その言葉に、小隊長とその副官が片膝をついて跪く。己に背を向け立ち去るミスティモンを見送る彼らの、侮蔑と嘲弄に満ちた顔には歪んだ笑みが貼り付いていた。 * 寒風吹き荒ぶ月夜の断崖に佇む『鋼』と『土』の二匹は、獲物に喰らい付くシードラモンの姿も斯くやとばかりの凄まじき雪煙の奔流が、王軍の一小隊を桟道諸共谷底へと押し流してゆくその様子を眺めていた。 「いやはや、仕方のないこととはいえ、アンティラモンには気の毒な事をしましたな」 「致し方無し、王に奴のデータを渡す訳にはゆかぬからな」 彼等の頭上、牙のように鋭い岩峰の頂に寒月を負って佇む異形の魔獣──『闇』の眷属の生き残りであるギュウキモン。 その種名は、リアルワールドの極東に位置する日本国の、主に西南地域に伝わる、牛頭を持つ鬼に由来するというが、近代に描かれた牛鬼の画像データを反映した本種は、鬼の下半身が蜘蛛のそれに置き換わった悍ましき姿をしていた。 目に見えぬ程に細い蜘蛛の糸を岩壁の隙間に渡し、それを伝って音もなく天使軍の小隊に近づく……それを可能にしたのは他でもない、蜘蛛の半身が備える八脚。 「『鋼』の主。茶兎は下に落ちてしまったが、本当にこれで宜しいか?」 ぬっと覗き込むようにして、ギュウキモンが眼下の『鋼』を見遣る。その拍子に、彼の両角に結え付けられた鈴が凛と音を立てた。 これは単なる装飾ではなく、ギュウキモンが獲物を襲う際、その音色で対象の感覚を狂わせるためのもの。 先刻、アンティラモンが知らず知らずのうちに隊列から離れて行ったその理由は、ギュウキモンの鳴らす鈴の音に惑わされたが為。 隊列の中で最も鋭敏な聴覚の持ち主であった彼の耳は、向かいの峰で鳴り響く妖鈴の音を図らずも捉えてしまったのだ。 「これで良い。いや、貴公には此処まで足労頂いた故、後程長を通じて礼を致そうぞ」 『鋼』の言葉に一度頷き、ギュウキモンは音もなく岩山から降りたかと思うや、忽ちその姿を闇の中に溶かして消えた。 「こうも早く、『闇』の眷属の協力を得るとは、相変わらずの鮮やかな手腕」 「世辞は要らぬ。それに、戦となれば使えるモノを全て使うのが常識というものだろう」 淡々と発せられた『鋼』の言葉に、『土』は隆々と肉の盛り上がる己の肩を抱いて態とらしく身震いをして見せた。 「おお、何と容赦の無い……いや、貴方が王とその配下達に並々ならぬ恨みを募らせるその気持ちはよく分かりますがね。何せ王様、以前"病"で寝込んでいた貴方のところに態々押し掛けて来た挙句に意味も無い折檻をなさったのですから……」 「要らぬ事を思い出させるな」 『土』の言葉に、『鋼』が不機嫌そうな声で返した。 電脳核の砕けたかと思う程の激痛──一年以上経った今思い出しても沸々と怒りが湧いてくる。煮え滾る憎悪の感情に呼応するかのように、黄金に煌る『鋼』の眼光が、僅かな赤色を帯び始めた。 「まあまあ、そう怒らずに……本音を云わせて貰うと、私にも色々と思うところはあるのですよ。愚王閣下の気紛れで、一体何人の部下が生命を落とした事か……いやはや、今思い出しても胸が潰れそうです」 いかにも芝居がかった調子で嘆いて見せる『土』を無視して、『鋼』は冬天に瞬く星の光に目を向けた。 アカシックレコード、別名アカシャ年代記。 現世において過去に起こった、あるいは未来に起こり得る全ての事象に関する記録。 『鋼』はこの膨大なる年代記を読み解く能力を持っていた。 彼が、生まれ持った力の全てを失う代わりに授けられた畏るべき術──それを行う為に、古き鏡獣の根源とも呼べるこの個体が用いたのは、星光の形で表される、デジタルワールド全体の運行に伴って変化する電子信号の解析であった。 Your ID was not admtted. Unauthorized access was detected. System is forcibly terminated. 不意に眼窩の裏で閃いた文字列が、星光の幻影を掻き消した。炸裂する白光の眩さに、『鋼』は思わず目を逸らす。 「な、何事ですか⁉︎」 明らかに通常と異なる『鋼』の反応に、『土』は珍しく慌てた様子を見せた。 ──今のはまさか……いや、若しそうだとすれば、ルーチェモンの背後に居るのは…… 「どうしたんですか、貴方らしくもない……若しや、今見た中に妙なモノがあったとでも?」 「……『土』よ。これは不味い事になるやも知れんぞ」 金眼に焦燥の色が滲み出る『鋼』の尋常ならざる様子に、『土』はそれ以上の言葉を発する事が出来なかった。 ERROR CODE:Y◼︎S◼︎7D◼︎_0361
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森乃端鰐梨
2023年10月09日
In デジモン創作サロン
目次 「なんで出口が空中にあるんだよ⁉︎ このポンコツ魔法!」 逆さにひっくり返ったままの『氷』が抗議の声を上げる。彼の下敷きになっていた『鋼』は、明月のようなその双眸を歪め不満に満ちた表情を浮かべた。 「貴様が余計な事をしたから手元が狂ったんだ。全く、お前の所為で要らぬ災難に遭ったおれの身にもなれ」 己に伸し掛かる巨体を押し上げてその下から這い出した後も、引き続き『鋼』は『氷』との口論を続けている。そんな彼らの横で、『炎』の竜と『光』の銀狼は長らく待ち侘びた再会の刻を迎えていた。 「『炎』よ、無事だったか。しかし、何故お前と『氷』がここに?」 己と戦友たちとの再会が、『闇』の領域の只中で果たされようとは──『光』の銀狼は、予想だにしなかったこの事態に驚きを隠せなかった。 「お前が『闇』の領域に居ると聞いて、迎えに来た。此処には居ないが、『風』や『雷』も皆生きている」 「それは、良かった。だが……後ろの彼奴……『鋼』の領主が、何故お前達と共に居る? 見たところ、捕虜にしたという訳でもなさそうだが」 銀狼の指摘に、『炎』は気まずそうな表情を浮かべて目線を逸らした。 「彼が……『鋼』が居るのは、俺が同行を頼んだからだ。経緯を話すと長くなってしまうが、今俺と四名の領主達はルーチェモンを打倒するために同盟を結んでいる。お前が此処に居るという情報も、『鋼』を通じて知ったものだ」 それは、火山の戦以来世間の動きが全く分からずにいた『光』にとって驚くべき事であった。 「……お前の事だ、考え無しに奴等と手を組んだ筈もあるまいが……」 『氷』との年甲斐もない口喧嘩を繰り広げる『鋼』からは、『光』が見た限りでは此方に対する敵意のようなモノは全く感じられない。 しかし、元々が獰悪なウィルス種、それもつい最近まで自分達と対立していた張本人であるから、それを味方として受け入れろと言われても、そう簡単に出来る筈も無い。 そういえば、奴はどうして『氷』の下敷きになぞなっていたのだろう? 平静を装いつつも脳内の混乱が収まらぬ銀狼の影から、『炎』の姿に気付いたチコモンが顔を覗かせた。 「おさ、おさだ!」 無邪気に笑うチコモンは跳ねるように駆け出し、今度は『炎』の片翼の隙間に潜り込んだ。 「おお、チコモン。お前、『光』と一緒に居たのか。無事で良かった」 若竜達に連れられて出奔したと思われていた蒼き幼竜──彼と『炎』との思いがけぬ再会もまた此処で果たされた。 「ときに黒獅子よ、仮面と蠍尾の白き魔獣……アレが此処へ現れたのは、何時の事か」 一頻り『氷』と言い争った後、『鋼』は傍の『闇』へと向き直った。漆黒の獅子は暫しの沈黙の後、徐に口を開いた。 「……貴公らが此処へ来る、半刻程前。斯様な姿の者は我が領域には居らず。『鋼』の主、貴殿は奴等の事を知っておるのか?」 「然り。あれなるは、ウィルスを食らう者、マンティコアモン。ルーチェモンの近衛兵、俗に言う天使軍の長が、戦場に帯同するために飼っていた使い魔……」 「ごめん、さっきもちょっと思ったんだけどさ。ミスティモンってウィルス種だよね? マンティコアモンがウィルスの電脳核食べるんだったら寧ろ自分が危ないんじゃないの?」 横で話を聞いていた『氷』が声を発する。先程自分を襲ったマンティコアモンの事を思い出して浮かんだ疑問が、思わず口をついて出たのだ。 「口を挟むな、戯けが。アレの飼主は、ミスティモンの先代の軍団長だ」 マンティコアモン達の旧主は、先代の天使軍軍団長──種名をアルケーエンジェモンというワクチン種の天使型デジモンであった。 本種は魔獣を操り戦う特異な生態を持っているが、先代の軍団長もその例に漏れず、己と同じ完全体のマンティコアモンを多数統率出来る程の力を有していた。 彼は二十年程前に病で急逝したが、その後を継いだミスティモンは、マンティコアモンが捕食対象とするウィルス種のデジモンのため、先代が遺した白き使い魔達は戦場で要らぬ危険を招くだけの厄介な存在にしかならなかった。故にミスティモンの就任後、マンティコアモン達は地下深くに設けた魔力の檻に永らく幽閉されていた。 「だが……マンティコアモンなる、かの魔獣の群れ……奴等に喰い殺された我が眷属の内には、ウィルス種でない者も居た」 「ね。さっきもこの下衆鏡無視して僕のこと食べようとしてたし、何か変だよね」 マンティコアモンの残骸の山の中には、『闇』の眷属のうちワクチン種である三つ首の魔犬ケルベロモンやデータ種の赤狼ファングモン等の亡骸が見えた。ウィルス種の電脳核を喰らう性質を持つ本種が、それ以外の属性を持つデジモンを積極的に襲うに留まらず、『氷』の時のように本来の捕食対象たるウィルス種を無視していたのも、彼等本来の生態を鑑みると妙な行動ではあった。 「必ずしもウィルスだけを喰らう訳ではないが、此度の事に関しては、他者の手が加わっておるのは間違い無かろう。それをする者の見当も、大方は付いている……」 * "魔の檻"が開け放たれ、中のマンティコアモン達が行方を眩ませた──その報告に、ミスティモンは全身の血の気が引いてゆくのを感じた。 「……探せ! 奴等を放っておけば、必ずや災いの種となろうぞ。一匹残らず捕えて来い」 鬼気迫る軍団長の命に、新隊長ホーリーエンジェモン以下七名の猟兵隊が敬礼を以て応える。 「うるさいなぁ……そんなに騒がなくても大丈夫だよ」 突如響く透き通った声。見れば、入口の際にルーチェモンと近侍のアンティラモンが立っていた。 「は、これはルーチェモン様……御自ら此処に来られるとは、如何致なされたのですか?」 「別に。それより、マンティコアモンのことなら、放っておいていいよ。アレ出したの僕だから」 それを聞いたミスティモンと猟兵達は、己の耳を疑った。主人を喪い制御から解き放たれた魔獣を外に出すなど、到底正気の沙汰とは思えない。 「な、何故そのような事を?」 「何でって、せっかく強いデジモンがいるのに勿体ないじゃん」 その声はあまりにも軽く、事の深刻さなど微塵も感じていない様子であった。 「しかし……連中の獰猛さは常軌を逸しております。もし味方にまで被害が出ては一大事では御座いませんか」 「大丈夫だよ、放す場所もちゃんと決めてからやったもん」 こんな感じでさ──そう言ってルーチェモンは、手に持った短剣を己の背後へと無造作に放り投げた。その鋭い切先は、壁に掲げられた大陸全土の地図に深々と突き刺さった。 「今回彼等を解放したのは、『闇』の領域。丁度良かったね」 「丁度良い、とは……?」 ミスティモンは険しい顔付きで主君に問いかける。 「鈍いなぁ、あそこの主は古代種、間違ってあの裏切り者どもに乗せられて手を組んだら面倒だろ? その前にマンティコアモンに喰って貰えたなら、こんなに良い事は無いと思うけどね」 「……確かにそうかもしれませんが、『闇』の領域に居る黒獅子の眷属はウィルス種だけではありませんし、抑も彼等に損害を与えられる程の実力がマンティコアモン達にあるとも思えませぬ……」 「そこは色々と細工したから大丈夫。それにしても、これからが大変だっていうのにこの程度の事で大騒ぎしてたら先が思いやられるなぁ」 蔑むようなその視線に、ミスティモンは自身の中で怒りの炎が爆ぜるのを確と感じた。 ──落ち着け、主の云う事も尤もだ。軍団長である俺がこの程度で狼狽えてどうするのだ…… 思わず叫ぼうとしたその衝動を抑え込みはしたものの、一度心中に生じた動揺が完全に収まることはなかった。 踵を返して去ってゆくルーチェモンを見送るミスティモンの、庇の下に隠れたその目は暗く澱んでいた。 * 「『闇』の主。そして、彼の眷属達よ。貴殿等は、今後どうするつもりか?」 『炎』の言葉に、黒獅子とその眷属達は互いに顔を見合わせた。 「……『闇』の一族は、我を含めて此処に居る五名のみ。こうなってしまえば、最早滅ぶより他ない」 長の言葉を、生き残りの眷属達は沈痛な面持ちで聞いていた。 「しかし、ただ座して滅びを待つは我等の望むところに非ず。一族の仇……暴王ルーチェモンに、せめて一太刀でも浴びせぬうちは、死する積りはない」 「……とりあえず、僕達に味方してくれるって事でいい?」 「然り」 それは驚くべき決断であった。此方側には、『闇』の一族が先祖代々怨嗟の情を滾らせて対峙してきた『光』の一族の末裔が居るというのに。 「……『闇』の一族が、『光』と手を組もうとは……此は、如何なる災いの兆しであろうな」 皮肉めいた『鋼』の言葉にも、『闇』の獅子は仮面の如きその表情を崩さなかった。 「この銀狼……『光』の一族の血を引いてはおるが、その生い立ちに一族は関わっておらぬと云うではないか。斯様な者を討ったとて、我が先祖達の無念と怨嗟を晴らすその望みは叶わぬ」 銀狼の姿を横目で見遣り、『闇』の主は淡々とした調子でそう答えた。 「それに……例え一族の宿敵といえど、我と我が眷属の命を救った者であるのは事実。その恩義に報いぬは道義に悖るというものだろう。どの道亡びるさだめならば、我が一族の義を通した後に死するが我等の願い……」 そう言い残し、『闇』の主は、漆黒の空間に溶け込んで消えた。生き残った彼の眷属達も、長を追って闇の中へと去って行った。 「行っちゃった……まぁでも、味方してくれるって言ってたし良かったね」 「うむ……しかし、あのマンティコアモンの事も含めて、気になる事は山ほどある。とりあえずは、一度帰って態勢を整えねばなるまい」 「その事だが、竜の長よ。おれは急でやらねばならぬ事が出来た故、このまま帰らせて貰うぞ」 『炎』は『鋼』のその言葉に一度頷いて返し、山吹色の巨大な翼を漆黒の空に展開し飛び立った。彼の羽の合間に入っていた筈のチコモンは、いつの間に移動したものか、今は首輪の隙間にすっぽりと嵌って眼下の景色に見入っていた。 「……『鋼』の主」 「何だろうか」 帰り際の己を呼び止める鋭い声。『鋼』が振り向いたその先、赫き双眸に猜疑と敵意の光を湛える銀狼の姿が在った。 「俺が此処に居るのを探り当てたのはお前だと聞いたが……一体何を企んでいるのだ?」 「貴公の事は、我が旧主……今は怨敵と化した愚王ルーチェモンとその配下の動向を探る最中に偶然知り得たもの。他意は無い」 『鋼』の返答に、『光』は尚も訝しむような表情を崩さずにいた。 「抑も、お前のような者がルーチェモンの下に付く利を捨てて態々反逆者たる俺達の味方に回ったと云うのも信じ難い」 「かの幼王の配下に在る事の利は甚だ多し……それは真実であるが……彼奴は我ら四名の領主に対し、突如刺客の群を差し向け、加えて弁明の場に於いても自らの手で我等を亡き者にしようとした。これを訊けば、我らがルーチェモンの下を去るその故も理解出来るだろう、『光』の銀狼」 本当の理由は分からないが、ルーチェモンは己にとって有益な部下であるはずの四匹の古代種達を自ら殺害しようとし、その魔手を逃れた彼等は旧主に敵対する、元は敵同士であった『炎』の呼び掛けに応じて彼の下へ付いたという。銀狼はそれを訊いても尚、『鋼』や彼と同じ領主の地位にあった三匹の古代種を信じる気にはなれなかった。 「あいつが……『炎』がお前を信用して味方に引き入れたならば、俺もそれを受け入れるしかないが……もし妙な真似をしたその時は、即刻斬り捨てるぞ」 眼前に突きつけられた大剣の鎬を、『鋼』は法衣の片袖で無造作に押し除けた。 「貴公に言われずとも大人しくしておるつもり故、物騒な事は控えられよ。それに……斯様なモノを斬っては、如何な業物とはいえ刃毀れの一つもするだろうて、勿体無いことはせぬが良かろう」 彼程の腕を持つ者に斬られたならば、如何に頑強な『鋼』と謂えど、深傷を負う事は避けられない。余計な怪我をしないためにも、この銀狼の前で矢鱈な事はしない方が良いだろうな、と『鋼』は心中で呟いた。 未だ釈然としない様子の『光』に背を向け、『鋼』は方陣の中へと潜ってゆく。 沈み切る直前、後ろで『氷』が置いていくな云々と叫んでいたように聞こえたが、それを『鋼』が気に留める事はなかった。 * 眼前に迫る雪の山脈が、雲間から差し込む月明かりを受けて蒼く輝いた。 群兵の構える剣の切尖と見紛う峰々の先に、反逆者のひとりである『鋼』の領域があるのだ。 「しかし、何とも嫌な奴を相手にするものよ。『鋼』の事だ、どうせ碌でもない仕掛けを用意しているに違いない」 ホーリーエンジェモン麾下の小隊長に率られ、アンティラモンは部隊の殿付近に陣取って雪の山道を歩いていた。 『鋼』の領域への強襲──本来なら避けるべき厳冬期の進軍ではあるが、それ故に敵の意表を突く事にもなる。少数精鋭の部隊を選りすぐり、『鋼』の領域の道に詳しいアンティラモンが同行する事で進められたこの作戦は、いよいよ佳境に入ろうとしていた。 ──凛。薄明かりの中で何処からか響いた澄んだ音が、アンティラモンの耳に届く。 「何か聞こえなかったか?」 「え? いえ、特には……」 傍の兵士は怪訝な顔をしながらそう答えると、再び前を向いて周囲の警戒をし始めた。周りにいる他の者達も、何かを聞いた様子は無い。 ──凛。また鳴った。 「失礼……今、鳴物……鈴か何かを鳴らした者はおらぬか?」 「鈴ですか? いえ、そのようなものは誰も携行しておりませんが……それより、もう直ぐ『鋼』の縄張りに入ります故、周りの気配に集中なさった方がよろしいかと」 兵士にそう返されたアンティラモンは、顳(こめかみ)の辺りを手で押さえて虚空を見上げた。 気のせいだったか。俺も随分と疲れているらしいな…… ──凛。アンティラモンが自嘲気味に呟いたその側から、再び鈴の音が聞こえてきた。 ──凛。凛。凛…… 鈴の音が、どんどん近づいて来る。 度重なる不気味な現象に困惑したアンティラモンがふと周りを見ると、先程まで周りにいた兵士達の姿が消え、彼は無数の奇妙な石柱が立ち並ぶ空間に一匹で取り残されていた。 「な、何だ此処は⁉︎ 俺は一体、何処へ来てしまったのだ?」 その瞬間、視界全体が白く染まった。凄まじい衝撃の波が容赦無く押し寄せて来る。 全身を打ち据えられたアンティラモンが意識を手放すその直前、彼の真紅の双眸は、遥か上方に聳え立つ岩峰の中腹に揺らめく、寒月を映す魔鏡の銀光と岩漿の煮える赤い燈を捉えていた。
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森乃端鰐梨
2023年9月02日
In デジモン創作サロン
目次 『鋼』が本拠とする城の中には、周囲の沢より引き込んだ清水を湛々とたたえる巨大な池があり、そこから伸びる複数の水路と回廊が、広大な城内に網目の如く張り巡らされている。 これは景観の優美なるを求めた訳ではなく、『鋼』の配下や同盟者に多い水棲種デジモンのために作られた出入口及び通路であり、その複雑な構造には、外敵の侵入を容易ならざるものとする目的があった。 中央の池に臨む回廊の只中、『鋼』は水面に揺らめく蒼月を一瞥した後、徐に声を発した。 「『闇』の領域に銀狼の姿在り……確かな話であろうな?」 「はい。紫水晶を嵌めた白銀の鎧、二振の黄金の大剣、その特徴を備えたデジモンとなれば、『炎』の求る『光』の銀狼とみて間違いは無いかと……」 水上で煌めく月の虚像を割いて現れたティロモンが、主の問いに淀みなく答えた。 ルーチェモンと配下の天使軍の同行を探る内に掴んだ情報──火山の戦で行方知れずとなった『光』が、生きて『闇』の領域に居る。間者として放ったイガモンから伝令役のティロモンを介して齎されたこの情報をどう扱ったものかと、『鋼』は思案した。 「『炎』めに伝えたならば直ぐにでも向かうと云うだろうが、『闇』の領域は黒獅子の縄張り故、奴に万一の事があっては後が困る……」 だが、銀狼に関する巷談が『闇』の領域を出て遥か遠くまで聞こえている今、己が黙っていたところでいずれは『炎』の耳に入るだろう。 結局、『鋼』は自ら『炎』の元を訪れてこの事実を包み隠さず伝えた。後顧の憂いとなり得る余計な秘事は、すべきではない── そう考えた末の行動であった。 さて、『鋼』の主自らの急訪と、彼の持参した驚くべき情報に、『炎』の竜は大いに心を乱された。 己の親友──『光』が生きている。だが、その理由は兎も角、『闇』の領域に居る現在の状況は決して楽観視して良いものではない筈だ。一刻も早く、彼と合流しなければ。 「しかし長、あの地には『闇』の獅子とその眷属達が犇いております。孤軍で赴くのは流石に危険、儂が供を致します」 老竜が前に進み出た。視力が落ちたとはいえ、その戦闘能力は依然として竜族の中での上位にある。彼が帯同するのならば、『炎』にとっては心強いことに違いはないが…… 「だが、『風』が留守で他の者も動けない今、お前までここを離れるのは拙い。俺の事は心配いらぬ故、どうかここに居る皆を守ってやってはくれまいか」 竜族側の同盟者の内、『闇』の領域に関して僅かばかりだが知識のある『風』の剣士は、ルーチェモンの居城とその付近の海域の偵察に従事しているため、此度の件に随伴させる訳にはいかないが、かと言って、唯一残された拠所であるこの地下洞穴を幹部不在の状態にするのも得策ではない──『炎』の決断は至極当然のものであった。 長の指示に老竜は一瞬残念そうな表情を浮かべたが、無言で頷きその場を退出した。 「……『鋼』よ。一つ、頼みたい事があるのだが」 老竜の姿が見えなくなったのを見計らい、『炎』は声を顰めてそう言った。古参の部下にすら聞かせたくない、つまるところ、碌な頼みではないのだろう。 「大方の見当はつくが、一応聞いておこう」 「『闇』の領域を進むに、貴殿の同行を願いたい。俺も俺の部下もあの地を全く知らぬが、貴殿はこの大陸、ひいてはデジタルワールドの地勢に詳しく、『闇』の領域に関する情報も持つと聞く。どうか、その知を貸して欲しい」 矢張りだ──銀狼がかの地に居り、且つ『炎』の側で最も地勢に明るい『風』の剣士が直ぐに動けぬ状況にある時点で、こうなる事は既に決まっていた。 全く予想通りの『炎』の言葉に、『鋼』は不機嫌そうな溜息を吐いた。 「貴公のことだ、おれが断ったところで、諦めるとは言うまい。同行の件は了解したが、貴公、『闇』の獅子と奴の眷属とを相手に闘うとは如何なる事か、それも当然心得ておるのだろうな?」 武芸が不得手であるとは以前『鋼』自らが申し述べた事だが、自ら天使軍の精兵を手にかけた彼が言ったものであるから、鵜呑みにすべきでない言葉なのは明らかだ。しかし、凡ゆる生命に死の呪いを齎すという『闇』の獅子と、彼の力を受け継ぐ眷属達を相手にするとなれば、味方が『鋼』一匹では些か心許ないのも事実である。 「それに、先程の竜……いや貴公の決断は尤もだが、かの者を退けて外様の将であるおれを伴とした事を知れば、決して良い感情は抱かぬだろう」 『炎』は気まずそうに下を向いた。今の状況を鑑みた最善の選択であったとはいえ、老竜の心に蟠りを生んでしまったこともまた事実である。 「告ぐるに害を以てすること勿れ、将の謀は密なるを欲す……だが『炎』よ、半端な隠し事は軍内に要らぬ不和を生むだけだぞ。秘事にあたっては、全てを密に行う事だ」 『鋼』は軍内の将兵が馴れ合う事にあまり重要性を見出した事はない。しかし、兵の信頼を得られぬ大将に、軍を統率することは叶わない──相手方の天使軍も同じ状況に陥ってはいるが、何せ彼方は大軍で且つルーチェモンという圧倒的な力を秘めた総大将を頭に据えている。同じ条件で、寡勢が多勢に勝利出来る道理はないのだ。 「おーい、久しぶり……ってうわぁ、何でお前が居るんだよ⁉︎」 突如響いたその声に振り返れば、巨大な地下洞穴の出入口に、新雪の如き白毛に被われた『氷』の姿があった。 彼は、『炎』と正対して何やら議論しているらしい『鋼』の姿に大層驚いた様子だった。 「何と言われても、用があって来ているとしか言えぬが……それより貴公、よく此処へ辿り着いたな。通り道は水底に沈んだものと聞いていたが」 『鋼』が言ったのは、先の戦で『水』の手により行われた妨害──火山地帯に向かう渓谷を海水で充たし『氷』とその配下の行進を阻んだ作戦の事である。 「あー、アレね……おととい『水』がウチに来てさ、丁度良いから水抜きしてもらったの」 この時の訪問の理由について、これから共闘するにあたって挨拶くらいはしておきたい、というのが『水』の言ではあったが、果たしてどこまで信用して良かったものか、『氷』は未だに図りかねていた。 因みに、彼女が手土産に持って来た、波の絵札が貼られた瓶の酒が思いの外美味かった、というのは余談である。 「……竜の長」 『鋼』が低い声で耳打ちした。『炎』は彼を一瞥した後、『氷』へと向き直る。 「『氷』よ、急で申し訳無いが、ひとつ手伝って貰いたい事がある」 「え? ま、まあ特に何も無いから良いけど……」 余計な事言うんじゃなかった……後に『氷』の白獣は、この時の己の軽率さを心底恨んだという── * 『闇』の主は、常闇の渓谷を抜けて己が支配域へと戻った。彼の眷属達は、力に於いて他に並ぶもの無しと信じて疑わなかった一族の長が重い傷を負って帰ってきたその事実に、酷く慌てた様子であった。 「何たることか。早う薬師を呼べ」 「案ずるな、今に来る。……それにしても、銀狼めはどうなったのだろう?」 右往左往する『闇』の眷属の中には、魔獣型の他に幻獣──天馬の姿をしたユニモン等、一般には聖なる獣として扱われる存在を模した種も多くいた。 「長が生きて戻ったのだ、きっと闘いの末に見事討ち取ってしまわれたに違いない」 「違いない。まことめでたや、長の傷が治ったらすぐに祝いの宴をせねば」 一族の者は皆、口々に黒獅子の帰還を祝った。 だが当の獅子自身は、常日頃己がねぐらにしている神殿跡地の台座に横たわり、身体を丸めてその真紅の瞳を閉ざしていた。 眷属達はこれを、負った傷の重きによるものと考え、長の眠りを妨げぬようにと微かな物音も立てずにその場を離れて行く。 どうしてあれを勝利と言えようか、手負いの狼に挑み、挙句これ程の手傷を負わされたという恥ずべき失態…… 『闇』の心中に、禍々しき殺意の火が灯る。この傷が癒えたならば、直ぐにでも銀狼の元へ舞い戻り奴を抹殺せねばならぬ。獅子の血脈に刻み込まれた呪咀が、彼自身を責め苛んだ。 ふと、微睡みの向こうに不穏な気配が過った。一族のうちの誰でもないことは、咽せ返るような血脂の臭気と唾液の泡立つ湿った音を伴う唸り声により察せられた。 「……問う。貴様等は何者か?」 仮面の魔獣は答えない。ただ彼らは、腹の底にまで響くような唸り声を発し、口角から涎の糸を引いて獲物を貪り食らうのみ。 普段であれば遅れを取る事も無かっただろうが、今の『闇』は深傷を負った身──四方から殺到した魔獣達が漆黒の装甲に覆われた身体の其処彼処に飛び付いた。 吼え猛る黒獅子は魔獣の一匹に喰らい付き、その身体を真っ二つに噛み切った。だが、その間に別の個体が側腹に穿たれた刀傷に近付き、ぱっくりと空いたその口に三叉の蠍尾を捩じ込んだ。 響く絶叫、倒れ伏したまま動けぬ『闇』に迫る魔獣の一団は、このまま彼の身体を跡形も無く喰らい尽くすと思われた。 閃く金光──大口を開けた魔獣の、上顎より先の頭部が宙に舞った。 「貴様は……何故、我が領域に居る?」 瀕死の黒獅子が息も絶え絶えに問いかけたその相手は、黄金に輝く二刀を構える、『光』の銀狼であった。 * 「うわぁ、何だこいつ⁉︎」 『闇』の領域を進む三匹の古代種達の前に現れた、三つの口と尾を持つ青白い魔獣。彼らの姿を見るや、最も巨大な『氷』の身体に飛びつき、頭と両手の口に備わる牙と蠍尾の毒針をその横腹へと執拗に突き立てた。 だが極寒の環境下で永く生きた『氷』の厚い被毛は金属に匹敵する硬度を持つ鎧と化しており、幸い牙も針の毒も下の皮膚には届いていなかった。 「いい加減離れろこのやろー!」 怒りが頂点に達した『氷』が、しがみ付かれた側の腹を下にして身体を倒した。 哀れ、被毛に牙を絡め取られた魔獣は即座に離れることが出来ず、伸し掛かる巨獣の途方もない重量に押し潰され原型を失ってしまった。 「マンティコアモン……ミスティモンの奴、結局あの使い魔共を始末しなかったか。戦では使えぬと散々愚痴を言っていたようだが」 何十年も前の記憶ではあったが、見覚えのある魔獣の姿に、『鋼』は訝しげな様子で呟いた。 「え⁉︎ これ天使軍の関係者⁉︎」 ウィルス種の電脳核を喰らうウィルス種、その名はマンティコアモン。 現代においても、暗黒系デジモン──その殆どはウィルス種に分類されるという──彼等と敵対する天使型デジモン達が、マンティコアモンの食性と攻撃性に着目し、戦闘のために使役するケースが多いとされる。 人類がデジタルワールドの踏査によって本種を"発見"するのは数十年先の事だが、その遥か前、原初の古代種が生きるこの時代においても、彼らの扱いは変わらなかったようだ。 「ウィルス種の電脳核……あれ? じゃあ何で僕が齧られてるの?」 「本人に訊けば良かろう」 本来捕食対象とするウィルス種──この場において該当するのは『鋼』だが、どういう訳かこのマンティコアモンは彼に見向きもせず、データ種である『氷』の方を優先して襲った。 「てか、お前……見てないで助けてよ」 「断る」 「何だよもう!」 荒事は専門でないと喧伝する『鋼』だが、少なくとも、先程のマンティコアモン──訊けば、その世代は完全体。この時代における進化の最高位である──彼程度であれば、技を用いずに斃せるくらいの膂力はある筈だが、それをしないのは、余計な労力を割く事を嫌う彼の性質故か。 『鋼』は『氷』の抗議を無視して五芒星の陣を開き、潰れたマンティコアモンの残骸をその中に投げ込んだ。 「何してるの?」 「他に魔獣が居れば、この中にある電脳核の残滓を漁りに来る。早う始末せねばなるまい」 彼の言わんとするところを理解した『氷』だが、五芒星の中から溢れる黒い"何か"が発する形容し難い邪気がどうにも気掛かりだった。 「その黒いのって大丈夫なヤツ? 襲ってこない?」 「心配無い。食わせるモノがある限りは、だがな……」 黒い澱の正体は、古き鏡獣の身に宿る異界の邪神──そのデータの源流にあるのは、ある一人の男が失意に満ちた生涯の中で紡いだ、畏怖すべき狂気の物語。彼の遺志を継いだ者達の記した、星海の先に広がる恐怖の物語──それらにまつわる無数の情報群が複雑且つ歪に混ざり合って生まれた悍ましき電子の神々は、獲物はおろか、己が依代の魂すらも食い尽くさんとする貪婪の魔神であった。 喰う量に際限がある分、マンティコアモンの方がまだ良いかもしれぬな──『鋼』はそんな事を考えつつ、路傍に伏せる黒毛の獣に目を向けた。 「貴公、『闇』の一族の者か。此はそも、如何なる由があっての事か」 「……分からぬ。白い獣が……長は未だ傷が癒えぬ……ああ、一族もここまでか……」 黒獣はそう言ったきり動かなくなった。その亡骸はデータの粒子と化し、暗黒の空間に溶けて消えた。 「何やら向こうが騒がしいが……まさか……」 そう言って『炎』は両翼を広げ、喧騒の方角へと飛んだ。 「ちょっと待て、置いてけぼりは無しだぞ!」 『鋼』が方陣を展開するや、『氷』は十脚のうちの二本を彼の身体に引っ掛け、その動きを阻んだ。 「離せ馬鹿者、まだ置いて行くとは言っておらぬだろうが!」 「うるさい下衆鏡、お前は信用出来ないんだよっ!」 言い争う二匹は歪な方陣の中に沈んだ。 瞬きの間も無く放り出された先の空間には、無残に食い荒らされた無数の遺骸と、その只中に並び立つ漆黒と白銀── 「『光』よ、俺だ。助太刀に来た」 『炎』の声に、四つの紅い眼光が彼のいる方へと向く。 飛び掛かる直前のような姿勢で伏す黒獅子と、その傍に座す銀狼。彼等の周りには、断ち割られ、引き裂かれたマンティコアモンの残骸が堆く積み上げられていた。
鋼鉄臥龍伝 ー災禍の章ー 参 content media
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森乃端鰐梨
2023年8月31日
In デジモン創作サロン
目覚めた時には、全てが吹き飛んでいた。 「一体、何が起こったというのだ……なぜ、このような事に……」 ケルビモンと呼ばれる、薄桃の被毛を持つ兎のような姿をした智天使型デジモンは、瓦解した城の跡地に呆然と立ち尽くしていた。 "神の領域"カーネル。 コンピュータ内部のオペレーティングシステムにおいて運用の中核を成すソフトウェアに名の由来を持つこの地は、電脳空間デジタルワールドに存在する全データの演算処理を担う、謂わば『世界の心臓部』。 カーネルが古より精強なる天使型デジモンの軍団によって篤く守護され続けてきたのはそのためである。 だが、今はどうだろう。カーネルに存在したあらゆる構造物は悉く瓦礫の山へと変じ、聖域の守人たる天使にあっても、ケルビモン以外に立っている者はなくただ彼らの無残な屍とその微細な断片が其処彼処に散らばるのみであった。 中枢たるカーネルの異常とは即ち、デジタルワールドの崩壊と同義。この恐るべき終末の災いは、如何にして齎されたのだろうか。事の始まりは、冒頭より遡って丁度半日前のこと── 「ダークエリアにて、コキュートスの魔王達と正体不明の勢力との戦闘が勃発した」 この急報を受け、カーネル中央部に聳える巨城へと集結した天使型デジモンの最高位、通称『三大天使』。 熾天使セラフィモン、智天使ケルビモン、座天使オファニモン。 この三名こそが天使型デジモンのうちの筆頭格であり、神の領域たるカーネルにおいて守護の要を担う存在であった。 「正体不明の勢力とは? まさか、かの吸血鬼の王が動いたか、若しくは、魔王同士が何かの理由で争い始めたか……」 ケルビモンの問いに、青と銀の甲冑を纏う天使、セラフィモンが首を横に振る。 「その可能性も考えられたが……原則不干渉を貫く七大魔王達が、態々労力を割いてまで相争うその理由も、現状では見当たらない。それに、魔王と争っているのが吸血鬼の王や彼に比肩するデジモンだという仮定だが、それにしては相手方のデータ容量が余りにも小さ過ぎる」 セラフィモンのその言葉に、同席したケルビモンと、彼の隣に座す碧鎧の天使オファニモンが思わず頭を捻った。 データの墓場、デジタルワールドの地獄とも呼べる暗黒の世界ダークエリア──その最下層部コキュートスには、『七大魔王』の通称で知られる七種の強力な魔王型デジモン達が本拠を構えており、長きに亘ってこの黄泉の世界を統べていた。 現在に至るまで、支配者の座に対する野望と悪しき意思とを持ったデジモン達が彼等になり変わらんと戦いを挑む様子が何度か観察されてはいたが、その悉くは返り討ちとなって果てるのが常であった。 とはいえ、究極体に至らずともそれを凌駕する力と強大な勢力を有するデジモンがダークエリアの中に生息しているのもまた事実である。 そのうちの一例、"地獄の貴公子"と謳われるアスタモンという魔人型のデジモンがいるが、この種は完全体の身でありながら究極体を凌ぐ実力を備え、そのカリスマ性によって悪魔デジモンの軍勢を率いてダークエリア内でも一定の地位を築き上げているのだという。 今回の件に関しては、このようなデジモンが縄張りを拡充するにあたり七大魔王達と交戦した、というところだろうか。 「どのようなデジモンを相手にしているにせよ、七大魔王の関わる争いであることに間違いは無い──此方にどのような影響が及ぶか、今の時点では見当もつかぬが……いずれにせよ、用心はしておくべきだろう」 頷いたケルビモンが、ふと城の出入口に視線を移した。 「何かありましたか?」 「……どうにも外が騒がしい。一体何をしているんだ?」 その言葉が終わると同時に、全身を朱に染めた守備兵の一人が慌てた様子で城内に駆け込んで来た。 「て、敵襲です! 領域内に七名の侵入者を確認!」 三人の天使が弾かれたように立ち上がった。七の数字を耳にして、彼等の脳裏にかの恐るべき魔王達の影が過ぎる。 「賊は……賊は一体、何者か?」 答えはなかった。 その口から言葉が発せられる前に、伝令兵の頭が胴体から分かたれてしまったためだ。 首なしの亡骸が前のめりに倒れ、その背にしがみ付く下手人の姿が露わになった瞬間、三大天使は皆一様に己が眼の正常ならざるを疑った。 賊の正体は、ダークエリアの黒い森に住まうウィルス種の成長期デジモン 、ファスコモン。 リアルワールドの豪州大陸に生息する珍獣ファスコラルクトス・キネレウス……一般にコアラと呼ばれる生物を模した本種の、緊張感の無い眠たげな顔付きとぬいぐるみのような丸っこい体躯とあまりにも緩慢なその仕草だけを見れば、彼等は無害な存在のように思えるだろう。 だが、目の前で繰り広げられる悍ましき仕業──毟り取った獲物の頭部を抱え、前脚にこびり付いた返り血を恍惚とした表情で舐め取るファスコモンの姿は、起源たる小動物の愛らしさとは到底無縁の、冷酷非情な悪魔の眷属そのものであった。 それにしても、捕食行動や外敵への奇襲以外、一日の殆どを樹上で眠って過ごすとされるファスコモンが、このような遠方にまでわざわざ足を運んで来るとは、一体どうしたというのだろう。 それに加えて、自分より上位の進化段階にある、然もウィルス種の天敵たるワクチン種デジモンを襲って死に至らしめる──俄には信じ難い光景だった。 「貴様、此処が神の領域と知っての狼藉か⁉︎ 目的は何だ?」 ファスコモンは応えず、手に持った血塗れの生首をケルビモンの顔面目掛けて投げつけた。咄嗟に躱しはしたが、首の飛んでいった先から響く轟音と石材の剥がれ落ちる乾いた音とを耳にし、桃色の智天使は背筋に走る薄寒いものを感じた。 「どうも、ちょっとお邪魔しますよ」 殺伐としたこの場に似つかわしくない、気の抜けるようなその声に天使達が振り返れば、顔の中心よりやや左寄りの部分に陥没の痕と血の染みを拵えた神像の頭頂部に、伝令を襲ったのとは別のもう一匹のファスコモンが腰掛けていた。 白羽の団扇を携え、暗い灰褐色の毛皮の上に白縹の袍と群青の綸巾を身につけた、古き時代の軍師を思わせる、通常の個体とは明らかに異なる奇妙な出で立ち。異形のファスコモンは忙しなく口元を動かしながら何かを咀嚼しているように見えるが、それが何なのかは三大天使達のいる位置から窺い知ることが出来ない。 「貴様らは何者だ? 魔王の内のいずれか、或いは吸血鬼の王の手先か……言わぬなら、斬り捨てるぞ」 ケルビモンの手に、稲妻の槍が現れた。隣のセラフィモンとオファニモンも、即座に攻撃の構えを取る。 「この状況で尚そのような口が利けるとは、余程腕に自信がおありと見える。いやはや、流石は世に名高き三大天使……」 神像の頭を蹴って跳んだファスコモンが、一番近場にいたケルビモンの眼前に着地し彼の黒々とした瞳を徐に覗き込んだ。 「おやすみなさいませ」 ファスコモンが僅かに目を細めたその瞬間、ケルビモンは声を発する暇もなくその場に崩れ落ちた。 睡眠波動エビルスノア──ファスコモンという種が標準的に備える技の一つであるが、成長期の発するそれが、進化の最高位たる究極体、しかも、その中でも上位の実力を持つ三大天使のひとりを一瞬にして昏睡状態に陥らせるとは。 「この者達、単なる使い魔ではないようです。くれぐれもご注意を……」 オファニモンの言葉に、セラフィモンが頷く。二人の視線は、敵に注がれたままだった。 「セブンヘブンズ」 「セフィロートクリスタル」 七つの火球と十の水晶塊が、それぞれの正面に立つ敵目掛けて襲いかかるが、二匹のファスコモンは横に転がってこれを回避し、瞬く間に天使達の懐へと潜り込んだ。 軍師姿の方と対峙していたセラフィモンは、自分に迫る小さな魔獣の胸元、デジモンにとって生命のコアとなる電脳核のある辺りに拳を叩き込んだ。みしりと軋む手応えは、核の中心を捉えた証拠──拳打の衝撃で後方に飛ばされたファスコモンは、口から血煙を吹き出しながら床を転がった。 とどめを刺すならば今この瞬間をおいて他に無しと、セラフィモンは再び"セブンヘブンズ"を撃つ構えを取った── 「嗚呼、誠に貧弱……少し貴殿を買い被り過ぎたようです」 むくりと起き上がったファスコモンの左手にある竹簡が、飛びかかる大蛇と見紛うような勢いで前方へと繰り出された。革紐で綴った竹札の帯が、まるで意思を持つ一匹の生物であるかのようにくねりながらどこまでも伸びてゆく。 大技の構えに入っていたセラフィモンはこれを避ける事が出来ず、四肢に首にと竹簡が絡みついて完全に身体の自由を奪われた。 成長期が究極体の渾身の打撃を、それも急所に受けたにも関わらず平然と立ち上がり、身体の損傷も意に介さぬとばかり、純粋な膂力を以て天使の筆頭格たるセラフィモンを雁字搦めに拘束した──果たしてこれは、現実に起こっていることなのだろうか。 「全く、今代の三大天使の、何と未熟なる事か」 ファスコモンは軽蔑するような調子でそう言い放ったあと、床に向かって何かを吐き捨てた。 それは、羽の切れ端の纏わり付いた、白く変色した生の肉片。 襲った天使デジモンの身体の一部を齧り取ったものであろうこの肉から血を吸い出し、それを勢いよく吹き出すことで負傷を装い相手の油断を誘った──セラフィモンはこの行動自体にも驚かされたが、そもそも、このように多量の物体を口に含んで尚明瞭な音声を発して会話など出来るものだろうかと、至極単純な疑問が頭を過った。 思い返せば、ファスコモンの口元の動きと、彼が発しているであろう声とが、僅かばかりずれていたようだが…… 一方その頃、片割れのファスコモンは、オファニモンの絶え間無く繰り出す槍の刺突を悉く躱しながら、彼女の周りをひらひらと飛び回っていた。その様子は、戦いと云うよりは宛ら児戯のようだが、仮にも聖域の守護者、更にはその筆頭格のひとりだけあって、オファニモンは敵の挑発じみた振る舞いを前にしても冷静なままだった。 飛び回る魔獣の行く先を測り、そこを目掛けて素早く突きを放つ。この予想だにしなかった攻撃が片翼を掠めたファスコモンは、空中で大きくバランスを崩した。 そこに再び、オファニモンの鋭い槍の一突。 だが、ファスコモンは空中でくるりと回って体勢を整え、迫る穂先を足で踏みつけそこから軽やかに跳躍してみせた。そして、溜めを挟んだ上で放つ、全身の捻りを加えた回し蹴り──成長期の小柄な体と謂えど、その全体重を乗せた一撃の破壊力は侮れない。重々しい衝撃音と共に、ファスコモンの短い後脚が鎧の無い腹部に深々と突き刺さった。 「マーヴェリック」 ぼそりと呟いたファスコモンが、闇の気を纏った後脚を振り抜くと同時に、オファニモンは遥か後方の壁際まで弾き飛ばされた。 倒れ伏し激しく咳き込む彼女の口から、湿った音と共に赤黒い血の塊が吐き出された。今の一撃で体内を損傷したのだろう。 窮地のオファニモンに加勢せんと、セラフィモンは竹簡の縛めを強引に引き千切って駆け出したが、軍師姿のファスコモンが即座にその行く手を阻んだ。彼の放った毒爪ユーカリクローが掠めた鎧の表面が、どろりと音を立てて融解する。 異様な程の怪力、変化した毒性──彼等は、通常のファスコモンと何かが異なっている。片方の珍妙な格好は言わずもがなであるが、彼ともう一匹のファスコモン双方の力が、何者かの手が加わった結果齎されたものであることに疑いの余地は無かった。 お前達は一体、何者なのだ──その疑問がセラフィモンの口をついて出ようとした瞬間、頭上から不気味な青の薄明りが降り注いだ。 見上げた先では、小さな翼を羽ばたかせながらくるくると回り続ける一対の魔獣が、虚空に巨大な真円を描いていた。その中心に浮かぶは、夜空の如き紺青の鮮やかな、光の魔法陣。 LEVEL:666 CODE:SLOTH SYSTEM:BELPHEGOR_ 「あれは、"怠惰の冠"⁉︎ では、やはり……」 CAUTION! PURGATORY LEVEL 4_ 「セブンス・ペネトレート」 軍師姿のファスコモンが白羽扇を天高く掲げるのと同時に、蒼光の冠から膨大なエネルギーが迸った。それに呼応するかのように、二匹の魔獣の双眸と、彼等が差し出す前脚の指尖とが赤く輝いた。 「さらばです、愚昧なる天使達よ。嗚呼、せめて汝らの死の旅路が、憂なきものでありますように……」 眩い真紅の閃光が、天使達諸共カーネルの中心部を飲み込む。セラフィモンの意識は、その最中に途絶えた。 ケルビモンが目覚めた時には、もう全てが終わっていた。神域の守護者たる天使デジモンの軍団は、彼を除いた上級及び中級部隊の構成員が悉く行方不明となり、下級部隊に至っては殆ど全滅状態という惨憺たる有様であった。 「なぜ、このような事に……」 絶望に打ちひしがれたケルビモンは、頭を抱えたままその場に蹲った。 「うわぁ、酷いねコレ。生きてるのは君だけ?」 唐突に投げかけられた、あまりにも軽い調子のその声に顔を上げると、瓦礫の山の頂点に、顔の左半分を布で包んだ少年の姿の天使が座しているのが見えた。 「お、お前は、"傲慢"の……!」 三大天使の、ひいては全ての天使型デジモンの始祖にして不倶戴天の仇敵。聖なるデジモンである彼等とは、決して相容れぬ魔王の一柱……その姿を映すケルビモンの目に、怒りと殺意の光が満ちる。 稲妻の槍を取り出し全身に沸々と湧き立つ戦意を漲らせた彼に向け、天使の少年は片方の掌を突き出して此れを制した。 「落ち着きなよ、ケンカしに来たわけじゃないんだからさ。それより、さっきのファスコモン……あいつらのコト、色々教えてあげようか?」 その言葉と共に、天使──ルーチェモンが、不敵な笑みを浮かべた。 「……お前が奴等の事を知っているということは、やはり七大魔王の一件に関わる者なのか」 「一応は、ね。うーん……どうしよう、これ説明が面倒臭いんだよなあ」 倦み疲れたような表情になったルーチェモンが、徐に顔の布を解く。その下にある筈の左眼は、深々と刻まれた切傷に掻き潰されていた。 第一話 終 第二話 ーEpisode of Cherubimー(https://www.digimonsalon.com/top/dezimonchuang-zuo-saron/zabike-heavenly-dynamites-di-er-hua/dl-6271f647-c707-449a-8905-02c70c49c947?postId=64fd196b7a603b00103148da&origin=member_comments_page) 作 ユキサーン様 第二話 ーIncarnation of Destructionー(https://www.digimonsalon.com/top/dezimonchuang-zuo-saron/zabike-heavenly-dynamites-di-er-hua-1/dl-da451504-fed7-4758-8b6e-17230b5b4e7e?postId=65a7bf80358c4a00102ed69b&origin=member_comments_page) 作 夏P様
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森乃端鰐梨
2023年8月16日
In デジモン創作サロン
目次 「は? どういうこと?」 ルーチェモンは己の耳を疑った。 四名の領主が、何れもひとりの供すら連れる事なく己が居城へ推参した──指示したのは他でもない自分だが、あれ程の事があって尚己の元に集まるとは、一体彼らは何を考えているのだろう。 「王よ、ご心配には及びませぬ。城内に弓兵隊を待機させております故、奴らが何を企んでいようとも恐るるにに足らず」 「……ま、別にいいけどさ。通して」 その声に呼応し、玉座の先にある大扉が開いた。一礼の後に広間へと入った四匹のデジモン達が、玉座の階(きざはし)を前にして平伏する。 「貴様ら、一体何をしに此処へ来た?」 ミスティモンの問いに、先頭の『土』が憮然とした様子で顔を上げた。 「これはこれは、軍団長様ともあろうお方が、何と惚けた事を。この時分に登城するのは兼ねてよりの取り決め、何ぞおかしなところがありますかな?」 挑発じみたその言葉に思わず抜剣しそうになったミスティモンを制し、ルーチェモンは四匹の古代種に視線を移す。 「今の状況、分かってるんだよね? 今更何しに来たの?」 「は……件の襲撃と御触書、是等が故無き事とは考え難し。よって我等四名、王に潔白の証を示さんが為、本日此処へ推参した次第に御座います」 『土』の隣に控えた『鋼』が、手を拱いた姿勢をとってそう答える。 彼のこの所作は己に敵意無き事を表すものの一つだが、それが全く信用できるものでない事は、本人を含めここに居る殆どの者達にとっての共通事項であった。 「別にいいよ。聞く気なんて無いから」 そう言ったルーチェモンの眼前に、煮え滾る火球の群が出現する。 「グランドクロス」 天上に燃える星々のエネルギーをそのまま凝縮したかの如き怒涛の攻撃が、四匹の古代種達に迫る。 だが不思議な事に、彼らの内誰ひとりとして、慌てる様子は見られない。 ──どういうことだ。まさか、打つ手が無いと思って諦めたのか。 訝しむルーチェモンの視線の先で、火球の群が突如として霧散した。『鋼』が予め施していた防護の結界に触れたためである。 「両名、これでも未だ、おれの決断を愚とするか」 覆面の奥で僅かに目を細め、『鋼』は横目で『土』と『水』を見遣る。 二匹は何も言わず、ただ首を横に振るだけだった。 「弓兵隊前へ! あの賊どもを討ち取れ!」 ミスティモンの号令で、隊長パジラモンに率いられた弓兵隊の精鋭達が方々から集結する。 「射てっ」 降り注ぐ矢の雨。研ぎ澄まされた鏃の表面が、遥か上方の高窓から差し込む陽光を受けて銀鱗の如くぎらりと輝いた。 「お二人、後ろ失礼しますよ」 「悪いわね」 『土』と『水』が、其々『木』と『鋼』の背後に回った。味方を、文字通り矢面に立たせるその行為に、ミスティモンと弓兵達は何のつもりかと訝ったが、『木』の巨体が矢の殆どを受け止め『鋼』の錬鉄で出来た体に当たった鏃が潰れるのを見て、漸く彼等の意図を知った。 「凡愚の王よ、貴公は我等の忠誠を踏み躙り、そればかりか故なくして粛正の対象と断じた。斯様なる不義の主に、我等が仕うる理由は無い」 「黙れっ、下賤の獣ども! 不義者とは貴様らの如きを云うのだ」 抜剣して斬り掛かるミスティモンに向け、『土』は傍に落ちていた矢を拾って投げつけた。ヒトの使う擲箭(ダーツ)と同じ要領だが、『土』の剛力を以て放たれる投矢の威力は人間のそれとは到底比べ物にならない。 咄嗟に身を屈めたミスティモンの頭上を掠めて飛んだ矢は、彼に追随していた騎士の眉間を兜ごと貫いたばかりか、その勢いの衰えぬまま、串刺しの頭部を胴体から捥ぎ取って後方の壁に磷付てしまった。 「おのれ賊ども、生かしては帰さぬ」 パジラモンの指揮で、弓兵部隊が四匹其々の元へと散ったが、腕利き或いは戦上手の評がある『水』や『木』に比べれば、『鋼』に当たる兵は、他の三匹と比べて少数だった。 「貴公らだけでは心許なかろう。後ろの暇そうな連中も呼んだらどうだ」 紫羽の扇を揺らし、揶揄するかのようにそう言い放った鏡獣の目線の先、対峙する三名の弓兵達の後方では、隊長パジラモンとその近侍が巨体の『木』を牽制しつつひたすらに矢を射っていた。 「貴様の如き姑息な軟弱者なぞ、我等だけで十分だ。大人しく首を差し出せ」 絶叫と共に放たれた矢は、法衣の袖に遮られ下に落ちた。 完全体より先の世代──究極体への進化と、それを成し遂げた者達の恐ろしさを熟知する現生デジモンの常識で見れば、弓兵達の行動は無謀もいいところだが、この時代に生きる古いデジモン達にそのような感覚は無かった。 そもそも、普段周りに戦う様子を見せない代わりに数々の策略を以てルーチェモン配下の勢力内を立ち回る『鋼』の戦闘能力など、ルーチェモンやミスティモンのような幹部達ならば兎も角、一兵士である彼らが知り得る機会などある筈も無かった。 「大層な口を利くではないか。雑兵風情が、随分と舐めた真似をするものよ」 『鋼』の輪郭が揺らめき、弓兵達の眼前から消えた。戸惑う彼らの背後で風を切る音が鳴った次の瞬間、三名全員の首がごとりと音を立てて床を転がった。 弓兵達の死骸の傍に佇む『鋼』の虚な袖口から覗くのは、哀れな獲物達の首から吸い上げた鮮血の赤が滴り落ちる、紫紺の羽扇──ただ"羽"とは言っても、持主が大量の金属データを内包するデジモンであるが故にこの羽もまた多くの金属成分を含んでおり、その縁は刀剣の刃の如く鋭利だった。 「首三つ……アンタ意外とやるじゃないの」 茶化すようにそう言った『水』を無視して、『鋼』は自分と他三匹の古代種達の足元に方陣を展開した。兵達が追う暇もなく、彼らは一切の痕跡すら残さず王城から消え失せた。 「──と、いう訳だ。本日を以て、我等四名は威王ルーチェモンの配下を辞した。王軍の兵も数名手にかけた故、名実共に逆賊となったということだな」 そう言って『木』は身体を二度三度震わせた。その勢いで、体表に刺さった矢がばらばらと音を立てて下に降り注ぐ。鏃の刺さっていた場所には僅かな跡が残ってはいるものの、抜けた直後から傷口が塞がり始めるその様からは、『木』に備わった恐ろしいまでの自然治癒力の高さが見てとれた。 「つまり、私達への協力を『土』と『水』に納得させる為に王城で暴れたって事?」 「人聞きの悪い事を言ってくれるな、『風』の剣士。あれは本来、王の真意を問いたださんが為のものだった。それを訊いたならば、あの二名も私と『鋼』の振る舞いを理解するだろうと思ったのだが……」 結果はこの通りだ、と『木』は足下に散らばる大量の矢を見回した。 「ときに『木』の主。ルーチェモンの……王軍の動きは、如何なものだろう?」 「数日のうちに動く、という事はなかろう。今は冬の只中、天使軍の編成もまだ定まらぬ状態だ。その間の動きに関しても、私と『鋼』と……あとは『水』の配下の内で陸上に慣れた者を間者として各地に放ってある故、情報には事欠かぬ」 『水』は半身が魚のそれであるため、陸上での移動を苦手としている。テティスモンのような水陸に適応した種族の他、領主となったときに賜った"友情"のデジメンタルで進化した部下──種にもよるが、これを使って進化したデジモンには優れた走力を持つ者が多いとされている──彼らを使うことで、その不便を補っていた。 「そういやお前、刺さった矢全部そのままにして帰って来たのかよ」 「然り。今の我等の立場と王軍の意思とを示すに、これ程までに適したものもあるまい」 四方から射掛けられた無数の矢。 抜かずにそのまま『雷』の所へ行けと言ったのは『鋼』らしいが、彼のその真意は、正に今『木』が述べたとおりの──王軍が四名の領主を誅殺の対象とした事の物証として示さんが為だという。 「マジかよ。あの下衆鏡……」 そう小さく呟いた『雷』の声には、彼の呆れと憤りの感情とが滲み出ていた。 「致し方無し。自分でやれと言おうにも、奴のあの身体では剣の刃も鏃の先も立てられぬからな。それに、此方に対しての疑心深き貴殿に真実を示すにも、それなりの証が必要だろう」 「だからってお前が……いや、俺がこれ以上とやかく言う事でもねぇな……」 散々覇権を争った怨敵である筈の『木』を気遣うとは、俺は遂におかしくなったんだろうか──そんな事を思いつつ、『雷』は鎌腕の先で角の根本を掻きながらぼんやりと虚空を眺めていた。 「……ひとつ聞くけど、騒ぎを起こして逃げて来た、それだけではないわよね?」 「うむ。もう一つ、残して来た物がある……」 四領主改め四名の逆賊が去った後の城内は混乱の坩堝の中にあった。玉座の間は所々に兵士達の血がこびり付き、豪奢な調度品の数々はその殆どが打ち壊されていた。 「軍団長! せ、正門の衛士が……」 天使の一人が示した先、城の正門脇の石柱に騎士の一人が己が得物たる斧槍に右胸を貫かれて磔にされていた。その上、斧槍の柄の中程には、紐で綴った木札の帯──木簡の切れ端と思われるモノが吊り下げられていた。 ──我等四名、王に仕えしその日より、彼が為にこの生命を戦場に捧げき、此れをして我等が忠義の証とするもの哉。されど幼君、己が猜疑に因りてこれを踏み躙り、故無き粛正の刃にて我等を処断せんと欲するものなれば、誰可此れを得心すべけんや。古より、士は己を知る者の為に死すと云う、されど、愚王は我等を知る者に非ず。故に我等、彼の滅ぶを望むものなり。不義の王よ、汝が元に、惨烈たる死の訪れがあらんことを── 騎士の血で記された呪詛の言葉。 ミスティモン達に遅れてやって来たルーチェモンは上記の文言を一読すると、無造作に手を伸ばして木簡を掴んだ。 「い、いけませんルーチェモン様! その札は……」 ミスティモンの制止を無視して、ルーチェモンは斧槍の柄に括り付けられた木簡を荒々しくちぎり取る。その拍子に斧槍の穂先が柱から抜け、磔付られていた兵士が地面に落ちた。 木札に纏わり付く強烈な魔力に触れた皮膚が赤黒く焼け爛れても、ルーチェモンは眉一つ動かさない。 「死に損ないの獣風情が、舐めやがって……」 ルーチェモンは足元に横たわる騎士の頭を兜ごと踏み砕いた。血飛沫が飛び散り、次いで霧散したデータの残骸が空中に消えてゆく。 「……いいよ。そこまで言うんなら、僕を殺してみろよ。お前らが全員、俺に嬲り殺される前にな」 以前耳にしたのと同じ、嗄れたような声。 ミスティモンの背筋に悪寒が走る。 めきりと音を立てて、天使の右手の中にある木簡が握り潰された。木札の破片が掌を貫く激痛なぞ意に介する素振りすらなく、ルーチェモンは遥か彼方の空を睨んでいた。 * 何たることか。『光』の銀狼は、目の前に広がる光景を愕然とした表情で見つめた。 茫漠たる岩石の平野と、その所々に暗緑の毛氈の如く繁る蘚苔。 ──まさか此処は……『闇』の領域か? 『光』は用心深く周囲を見渡した。東西南北凡ゆる方角の空が地平の際まで全て漆黒に染まっているあたり、此処は『闇』の領域の、それも真っ只中の地点にあるとみて間違いはないだろう。 「竜達の痕跡を探ったつもりだったが……何故此処に……」 『光』の電脳核が内包するデータの中には、現実世界のイヌ科動物、就中オオカミの生態や伝承に関するものが多分に含まれている。そのため、『光』は彼らと同様に極めて優れた嗅覚を持ち合わせているのだが、戦火の只中にある火山地帯周辺に充満する硝煙や血の匂いが本人の気づかぬうちにその感度を鈍らせ、その上数日間も一筋の明かりすら届かぬ暗闇の谷底に居たがために、大元の方向感覚にも狂いが生じていた。 「敢えてこの領域を突っ切るのも手だが、それではお前が危ないな。さて、どうしたものかな……」 その声に応えるかのように、白銀に光る鎧の隙間から、薄青色の饅頭とでも形容すべき小さなデジモンが顔を出した。それはチコモンと呼ばれる、竜の里で暮らしていた幼年期のうちの一匹だった。 「……いない。みんないない」 円な眼一杯に涙を溜めてそう言ったチコモンが、丸い身体を左右に振った。激戦の最中に里の竜達と逸れた彼は、迷い込んだ谷底で気を失った『光』を見つけその耳元でひたすら泣き続けた。銀狼の意識を現世に引き戻したのは、その時チコモンの発した甲高い泣き声だった。 「大丈夫だ、長も里の竜も皆生きている。早く此処を抜けて、皆を探そう」 竜の幼子を宥めつつ『闇』の領域を進む『光』の耳に、何処(いずこ)かで絶叫する獣達の異様な声が響く。 ──この声は……『闇』の一族の者か。 其処彼処から発せられる不気味な咆哮。どうやら自分達は、『闇』の領域の中枢部まで入り込んでしまっていたらしい。 『光』は内心で焦りを覚えた。まだ満足に戦えないチコモンを守りながら『闇』の一族のデジモンと、おそらく既にこの領域に戻っているであろう彼らの長──漆黒の獅子とを相手に立ち回るなど、無謀の極み。ましてや、未だ戦の傷が癒えぬ身体でそれをするとなれば尚更である。 「だが、今更引き返しても結果は変わらんだろう……致し方無い」 銀狼の双眸が真紅に輝き、二振の大剣が抜き放たれた次の瞬間、彼の周りを、目玉模様の仮面を被り三叉の蠍尾を備えた魔獣型デジモンの群れが取り囲んだ。 「悪いが、通して貰うぞ」 黒の虚空に金の剣光が迸る。 今まさに飛び掛からんとした魔獣の躰が、分厚い鉄面ごと断ち割られて左右に転がった。 残る魔獣達は同胞の仇たる銀狼を襲うかと思いきや、真っ二つになった死骸へ我先にと群がってデータの残滓を貪り始めた。 「こわい!」 あまりの恐ろしさにチコモンが悲鳴を上げた。無理もない、長年デジタルワールドの野生下を生き延び、数々の戦場を渡り歩いた銀狼ですらこの悍ましい光景には目を背けたくなる程だ。ましてや非力な幼子の目を通して見たならば、それはどれ程迄に恐ろしいものと映るか── だが、魔獣の群が死骸を喰うのに忙しい今こそが、チコモンを連れてこの場を離れる好機であると、そう判断した『光』は地を蹴り、その呼び名に違わぬ電光の如き速さで走り出した。 血の香の漂う淀んだ空気を切り裂いて、常夜の大地を駆け抜ける白銀の剣狼。彼と蒼き幼竜とが目指すその先に待つは、脱出の活路か将又死出の洞門か──
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森乃端鰐梨
2023年8月04日
In デジモン創作サロン
目次 「『炎』の竜が、この領域に現れたそうだな」 険しい顔でそう言ったアンティラモンが、部下達の記した、細かな文字の羅列に覆われた手元の紙束に目を落とす。 これは、『炎』の竜が初めて『鋼』の領域に現れてから二日後、件の御触書が発出される四日前の事である。 「その事か。部下共が追い返した故に大事は無いが、何をそこまで心配することがある?」 『鋼』は何の感情も籠らぬ声で答えた。 「お前、自分がルーチェモン様に命を狙われているのはもう分かっているだろう。その最中で敵対勢力の幹部がお前に接触を試みたなど、もう弁明の余地などあるまい」 「王の事だ、我等四名の領主を亡き者とする決意を抱いた以上、それを今更弁明一つで翻すとも思えぬ。『炎』めが此処に来ようが来るまいが、おれが死を賜る事に変わりは無かろう」 この時代のデジモンは大抵そうだが、殺し合い喰らい合う事が日常的に行われる環境で生まれ育った『鋼』は、元々己や己の味方の死に対する感情が極めて希薄なのだが、それにしても、今の彼は余りにも落ち着き過ぎていると、アンティラモンはその心中で訝しんだ。 「だがアンティラモンよ、そこまで分かっていながら此処に来るとは随分と軽率ではないか。もしやと思うが、王に何か命じられての事ではあるまいな?」 その声と同時に、背後から──いや、己を囲むあらゆる方角から、針先のような鋭い殺気が向けられるのを、アンティラモンは確と感じ取った。 「それは、心配無い。俺が将官でないのもあるだろうが、王や軍団長からはまだ直接の話はされていない。しかし、お前と『木』のことで王も軍団長も何ら詮索もせず対策を取ろうともしなかったのは妙だ。同時期に天使軍の幹部が二人も居なくなった事も、偶然とは思えん」 アンティラモンが抱いた違和感は、決して的外れなものではない。 未だ理由は分からぬが、己への襲撃と、弓兵隊長エンジェウーモンの暗殺未遂とが同じデジモンによって行われていた事、そして、これに加わった猟兵達の胸に、ルーチェモンにあるのと同じ三日月型の紋章──尤も、魔力により刻まれたもので魔術の素養無き者には不可視ではあったが──それがはっきりと刻まれていた事、更に、自分が暗にミスティモンではない者の関与を口にするや否や、捕らえた兵士の胸の紋章が赫く光りその次の瞬間には焼け死んでいた事……主君であるルーチェモンが、四匹の古代種と、天使軍の幹部、それも、ミスティモンに次ぐ権限を持った将官を殺めようとした事は確実であると『鋼』は踏んでいた。 さて、如何な天使軍と云えど冬の只中に此処を攻めるとは思えぬ。そうなれば、直に来るのは、王自身、か── 先の章で少し触れたが、『鋼』の領域は、標高が高く地形も険しい岩山が無数に重なり合っている。そのため、徒歩は勿論の事、無数の岩壁に当たって乱された不安定な気流により飛行に長けたデジモンでも容易に山間を抜ける事は出来ない。長年此処で暮らした者ですら、体勢を崩して墜落、或いは断崖に衝突する等して落命する事例は枚挙に暇(いとま)が無かった。 加えて、主である古き魔鏡の怪物が備える膨大な魔力の干渉が、領域全体の時空間の均衡を崩してしまうため空間転移系の術も全く行使出来ない状態にあり、結果この厳寒の山脈は当に自然の要塞ともいうべき堅牢なる防護を誇っていた。 「しかし『鋼』よ。お前本当に死ねと言われてその通りにするつもりなのか?」 「あの王が決めた以上、近々の内に討伐の命が下るのは確実。そうなれば、我等は威王ルーチェモンの配下より外れ逆賊となるのみ。その後の事は、王の側近であるお前の預かり知るところではない」 剣の鋒を思わせる鋭く冷たい声が淡々と紡ぐその言葉に、アンティラモンは背筋の毛をぞくりと逆立てた。 『鋼』は元々、ルーチェモンを信奉して彼の配下になった訳ではない。以前この山脈を支配していた他のデジモン──『鋼』にとっては前の主にあたる者だが、彼がルーチェモンとの徹底抗戦を主張する最中、『鋼』が此れを謀殺し新たな主に収まったその後、無数の将兵を伴って配下となった過去がある。そのような行動に出たのは、ルーチェモンに従う事と彼に抗う事との利害を比べた結果、前者が有益と判断したため。 即ち、『鋼』がルーチェモンの配下でいる事と、主君からの数々の理不尽な扱いに耐えてきたのは、それ以上の利益を彼が対価として齎してくれるからに過ぎず、故なく死ねと言われたその時には、一体何をするか分かったものではない。 一度断ったとはいうが、ともすればあの『炎』の竜に与する可能性も大いにある。アンティラモンのこの不安は、数日の後に的中する事となる── * 「開門、開門!」 闇を裂き響き渡るその声の源目掛け、セトモンは屋根の頂点から飛び降りた。 「おお、貴女は、『水』の……」 「お久しゅう御座います、セトモン様。ときに、我が主よりの秘文を携えて参りました故、領主様に御目通り願います」 出発より十日、テティスモンは『鋼』の領域に到達した。激流の大河を遥か頂へと遡り、天高く聳える峰を越えて。 「うむ、だが暫く待ってくれるか。今急の客人が来ているものでな……」 言い終わらぬ内に、城内から真紅の巨竜が這い出した。 「あれは、竜族の長⁉︎ 何故此処に……」 圧縮した身体データを再び展開した『炎』の威容に思わず目が奪われる。 その後について出てきた『鋼』の姿を認めるや、テティスモンは『水』の書簡を取り出し彼の前に跪いた。 「急の訪問、どうかお許し下さい。『水』の主より、『鋼』の領主様への秘書を預かって参りました」 無言で受けたその書には、彼女の領域──とは言っても、海と呼べる所は基本的に全て『水』の縄張りであるが──における王軍とその協力者と見られる水棲デジモンの不穏な動向が事細かに記されていた。 「彼奴、他に何ぞ言うておったか?」 「一つ……『鋼』の領主様の配下、"誠実"のデジメンタルで進化した兵を一名、派遣して欲しいと……」 ルーチェモンの傘下に入った際、旧領の領主に定められた後の四匹の古代種は、王の管理するデジメンタルの中から一又は二種類ずつを下賜された。 そのうち、『鋼』は"愛情"と"誠実"という、彼自身の悪辣な気性とは真逆の性質を持ったデジメンタルを得たが、それはこの二種を使う事で、優れた飛行能力と遊泳能力を持った部下を得られる利点を欲した為であった。 「成程、奴もこの事態を見越していたか。実に丁度良い、近々そちらへ行く者がおったが、其奴を伴って帰るが良かろう」 その一刻後、秘匿の伝言──自分と『木』とが、此度の王の振る舞いを理由として彼の配下を辞し竜の長と手を組む決断を下した事と、『水』にもそれを暗に勧める事──テティスモンはこれを携え、ティロモンと呼ばれる、鮫と海竜を掛け合わせたような姿のデジモンと連れ立って河中を再び海へと下って行った。 「……彼らは大丈夫なのか?」 「平地に入る辺りに王軍の伏兵が居るやもしれぬな。幸い、あの二名はそのような手合いに慣れておる故、まあ心配するまでも無かろう」 だが、問題は他に山程ある。 まず、テティスモンの主君である『水』が、此度の共闘を素直に承諾する訳がない。自尊心の強い『土』もまた、一度己が打ち負かした敵の世話になるなど承知しないだろう。 「此方も同様であるが、貴公の側も、我等と手を組む事を拒むものがいると見える。寡勢を以て大軍を迎えるに、斯様な懸念を抱えては既に敗れたも同然」 抑揚のないその声は、ただ淡々と事実を語るのみ。 『鋼』が法衣の懐から徐に取り出した木簡の上に、各地に配された王軍の部隊とその内訳が詳細に記されていた。 その数は概算ではあるものの、おそらくは此方の数倍に及ぶと見えた。 「その件だが、『鋼』よ、あと二名の領主には、貴殿と『木』とで話をしてほしい。此方の方は、俺が何とかしよう」 そう言い残して『炎』が去った後、『鋼』はエンジェウーモンを匿う執務室の奥部屋を訪れ、事の顛末を詳細に伝えた。 「何と……貴方達は、本気で王と戦うお積りなのですか?」 「出来ればこの事態は避けたかったが、どうやら王自身が、それをお許しにならぬと見える。貴公についても、王軍が秘匿で行方を探っているとの報告がある故、目立つ行いはせぬが良かろう」 彼女が率いていた弓兵隊は、先日新任隊長として羊の聖獣パジラモンが当てられたという。その指揮のもと、弓兵達は嘗ての指揮官たるエンジェウーモンの行方を探っている──それも、世間に対しては、彼女は既に死亡した、と喧伝した上でだ。 先代の猟兵隊長──『木』の砲撃によって部下諸共粉微塵になったため、どの道行方など永久に分からぬのだが──彼に対してはそのような動きがなく、何故エンジェウーモンのみが執拗に狙われるのか。 まさかとは思うが……もしそうであれば、アンティラモンと今の猟兵隊長もその対象であろうが…… 「何かあるのですか?」 「……此度の件、どうにも厄介事が多く絡んでいると見える故、行く行くは貴公の助力も仰ぐ事になろう。それまでは、敵方に居場所を気取られぬようになされよ」 戸惑いつつ、エンジェウーモンは無言で頷く。 後に己が、デジタルワールド全体を揺るがす大事変の当事者となり、更にはその後の歴史に大きく関わる事になろうとは、今の彼女が知る由も無かった。 * 「貴方の主ともあろう者が、何とも軽率な事です。あの頓狂な書簡の誘いを受け入れるとは……」 『炎』が去った後、『鋼』は急遽認(したた)めた書簡をセトモンに持たせ、西方に広がる火山群──『土』の領域へと奔らせた。 翌日の夕刻を待たずして辿り着いた彼により齎されたその急報に、『土』は驚く様子もなく、ただ『鋼』達の行動に呆れた様子を見せるのみであった。 「我が主の深謀を持ってしても、王の粛正に抗うにはこの方法を置いて他には無い……それは、認めざるを得ません」 セトモンは獰猛な性質を持つ種の筈だが、目の前の彼に関しては、このような実利に関する事には異様な程冷静だった。それが、彼の個体としての性質なのか、将又彼の主による影響なのか、『土』には分からない。 「そもそも、我々にすら勝てぬ『炎』が、王軍の総勢力など相手に出来ますかな? それに、『炎』が良くてもその周りが私達との共闘を受け入れるとはとても思えません」 「は……そちらに関しては、我が主に、一計ありと」 訝る『土』は、巻かれた書簡の残りを開いて文字を追う。そこに記された一文を読んだ『土』は、一度驚いた顔をしてから片方の口角を吊り上げ、セトモンを見遣った。 「……了解したと、主に伝えなさい。いやはや、思わぬところで楽しみが増えましたよ」 大将、一体何と書いたんだろう? 疑問を抱きつつも、セトモンは月明かりすらない暗闇の中を走って『鋼』の領域へと戻っていった。 * 「断る」 憮然とした様子の『雷』は、にべもなくそう言い放った。 「だが『雷』よ、俺達だけで王軍とルーチェモンの双方は相手に出来ない。俺も故郷を失った故、思うところはあるが……一時の感情だけでは戦に勝てぬ」 「……お前なぁ、『鋼』がどういう奴か知らん訳でもねえだろう。アイツは騙すのと疑うのが仕事だ、そう易々とお前の頼みを聞くなんて怪しいと思わなかったのか?」 そう言われてしまうと、反論は出来ない。 正直なところ、領主達への直接の交渉は、いつルーチェモンが動き出すやも知れぬという焦燥感に突き動かされた面が大きい。かの天使と相戦うその時に此方の総大将となり得るのは間違いなく『炎』であり、そんな彼が焦って行動を起こした──それが結果として利益を齎したとしても、決して褒められるものでないことは事実だった。 「お前がやりたくてやった事なら止めはしねえ。協力もする。だが、俺自身が奴らのうちの一人とでも組んで戦うなんざまっぴら御免だ」 どうしたものか。戦況如何によっては、彼と領主四名のうちの誰かと合軍で動かねばならない事もあり得るだろう。 大将同士が不和である限り、互いの将兵も協力して動かぬどころか、最悪の場合仲間割れや裏切りが発生する懸念も大いにある。 「大将、えらい事になりましたぜ」 焦った様子で駆け込んできた一匹のオオクワモンが、『雷』の前に平伏する。 「おう、どうした?」 「少し前の事なんですが、ルーチェモンの城で乱闘騒ぎが起きたそうです。何でも、あの領主達が自分の潔白を証明するとかで直談判しようとしたのがきっかけとか……」 潔白の証明とは、一体どういう事だ。まさか、今になってルーチェモンと戦う事に恐怖して決死の命乞いに走ったとでもいうのか。その場の空気が、一瞬にして張り詰める。 「おいオオクワモン。その話、詳しく教えろ」 「それは、私が直接説明した方が良かろう」 突如割り込んできた声に振り返ると、生い茂る木々の中に巨大な木馬の屹立する姿があった。 「『木』の主……手前ェ、俺等の話を聞いてたのか」 「隣域でそのような大声を出されては嫌でも耳に入るというもの。兎も角、今回の件については、いずれ貴殿らにも話さねばならなかった故、今この場で伝えても問題はあるまい」 そう言って林間から歩き出た『木』の、古木で出来たその身体には、真新しい矢が無数に突き立っていた。
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森乃端鰐梨
2023年7月21日
In デジモン創作サロン
目次 時は来れり。 我、最後の聖戦に臨む。 憎き反逆者共を鏖殺し、その暁には、愚かなる人類に代わり我が世界の管理者となる。 されど、軍中に叛意抱く者あり。 古き血の末孫、彼等こそ罪深き不義の獣なり。 世を憂う志あらば、我と共にかの逆賊共を討て。 その日、『木』の領域は過去に例を見ない程の濃霧に覆われた。 葉の落ちた木々の梢からは、凝固した霧が無数の玉雫となって滴り落ち、宛ら驟雨の様相を呈していた。 「……先日発せられたあの御触書……王軍が動くのも、最早時間の問題でありましょう」 『鋼』の密偵──梟の姿をしたアーマー体、アウルモンが神妙な面持で『木』と対面する。 「現実世界(リアルワールド)への侵攻、我等を謀叛人と看做しての号令……王は一体、何を考えているのだ?」 「それが、皆目検討もつかず……加えて、竜族の長が我が主に対し共闘を呼び掛けておるようですが、あれも正気の沙汰とは思えません」 「故郷の仇を討つ為に、襲撃の下手人たる我々を味方に引き入れたい、か。彼の性格からして、欺く意図があるとは思えぬが……」 しかし、『炎』の提案は、余りにも常軌を逸している。『鋼』は彼の真意が解るまでは返事をしないと決めたようだが、それも当然の判断であろう。 「む……如何した?」 突如弾かれたように背後を顧みたアウルモンに、『木』は怪訝な様子で問いかける。 「いえ、何やら向こうが騒がしいようですが……」 言い終わるや早く、霧の中から朽木の怪物──ウッドモンが慌てた様子で転がり出た。 「い、一大事です! 竜の長が自ら攻め込んで来ましたぞ」 「『炎』が? ……して、彼方の兵数は、如何程か?」 「それが、彼奴どうも一匹で来ているようなのです……しかし、危険な相手である事は間違いなし、急ぎ兵を集めて迎撃に向かいます」 ウッドモンの言葉に、『木』は首を横に振った。 「その必要は無い。おそらく、『炎』は私に用があって来たのだろう。此方からも彼に確かめねばならぬ事があった故、丁度良かった」 『木』は、古木のようなデジモン ──側近のジュレイモン一匹だけを伴い、濃霧に烟る木叢の中へと姿を消した。 * 「馬鹿言うんじゃねぇよ、そんな事が出来るかっ」 その呼び名に違わぬ雷鳴の如き怒声が、樹海の木々を震わせる。 ルーチェモンの配下だった四匹の古代種と共闘し、かの暴虐の天使を討つ──『雷』にとって、『炎』の竜が示したこの提案は到底受け入れらないものであった。 これより少し前、『氷』に同じ話をしたところ、眉間に皺を寄せながら 「確かに味方は多い方がいいけど……大丈夫かなぁ、『雷』の大将にそんな事言ったら多分怒ると思うよ」 と呟いていたが、その不安は見事に的中した。『雷』の配下が先の戦で受けた惨たらしい仕打ちを思えば、無理もない。 「正直私も乗り気ではないけど……今の状況を見たらそうも言ってられないわ」 『風』自身、『鋼』の奇襲で深傷を負わされた経験があるので、本音を言えば、彼や彼の同胞と手を組むなど御免だが、だからと言って自分達四匹の古代種と、各々が従える配下と僅かな協力者達を掻き集めても、ルーチェモンの大軍勢と渡り合うなど出来る筈もない。 「王軍に関する情報も少ない……その意味でも、向こうの事情に通じた領主達を味方に付ける必要があるというのが、『炎』の考え。確かに、今時点で最善の策は何かと云えば、彼の提案をおいて他に思い当たるものは無いわ」 「そうは言ってもなぁ……大体、奴等を引き入れるアテが『炎』にあるとは思えねえが、その辺どうなんだ」 『雷』の問いに、『風』は首を横に振って答えた。 「全く。取り急ぎ、『鋼』の所に書簡を投げては来たものの、案の定返事は無し。一昨日『炎』が直談判しに行ったけど……」 ──『炎』の竜は、暴虐の王が動き出す禍々しい気配を感じとっていた。 それは理論や分析の域を超えた、謂わば本能として備わった危機感知能力とでも呼ぶべきものであったが、外界の空気に混じる血の匂いと殺気に満ちた瘴気は、最早一刻の猶予も無い事を何よりも雄弁に語っていた。 黄昏時の闇に深紅の外殻を溶かし、吹き荒れる谷風を翼に受けて岩峰の狭間を滑空する『炎』の目に、凍りついた山道を進む影が映った。 ──彼等はまさか、里の者達か? しかし、あの姿は一体…… 直立型恐竜の姿をした一団は、戦の後に竜の里を去った守備隊の若竜達と見て間違いない。 しかし、褪せた赤色の皮膚と、その切れ目から露出する錆びた基板や銅線等の機械部品が、彼らの姿を異様なものに変えていた。 「貴様……『炎』か⁉︎ 何故此処に居る⁉︎」 鋭い声と共に、一筋の銀光が『炎』の片目を狙って飛来する。 頬骨付近の頭殻を掠めて抜けた刃の正体は、主の命を受けて部下と共に機械竜達の迎撃に向かっていたセトモンだった。 「竜の長まで来ているのか?」 「これはまずい、早う大将に知らせねば」 『鋼』の配下達は、予想だにしなかった巨竜の出現に酷く狼狽した様子であった。 異変に気づいた機械竜達も、長の姿を認めて俄に色めき立つ。 瞬間、眼下の谷底から噴き上げる邪悪な気配に、『炎』は咄嗟に身を翻した。 『炎』の直近を通り過ぎ、外敵目掛けて躍りかかる異形の顎門(あぎと)。金属に覆われた機械竜の身体が、まるで薄紙のように容易く引き裂かれてゆく。 「竜の長。我が領域に踏み入るは何故か?」 声の主は、何処にも居ない。 だが、忘れもしないそれは、間違いなく『鋼』の発したものであった。 「『鋼』の主、貴殿を含めた四名の領主──その助力を願いたい。本日はそれを伝えに来た」 答える声は無かった。 その代わりに、異形の牙の全てが、『炎』目掛けて殺到する。 吐き出す火炎でそれらを焼き払い、『炎』は巨大な翼を一際大きく羽ばたかせて遥か上空へと飛び去った。 「……そういう訳で、追い払われたって」 「何考えてんだアイツは……」 大胆とも蛮勇ともとれる彼の行動に、『雷』は呆れと憤慨の感情を抱かずにはいられなかった。 だが、此方が反対しても、『炎』は己の意思を曲げないだろう。彼は妙なところで頑固なのだ。 「……信用ならねえのは『鋼』と変わらんが……声掛けるんならまだ"ヤツ"の方がマシだぞ」 『雷』が、霧に覆われた樹海西側の領域に顔を向ける。 絡繰仕掛けの木馬──『木』の古獣は、他の三領主と比較すれば温厚な性質ではあるというが、『雷』の領域への凄惨な襲撃が彼の指揮のもと行われた事実を鑑みれば、『木』が信頼出来るデジモンだという保証も無い。 「領主共と共闘なんざ御免蒙るが……『炎』には色々世話になった身だからな、アイツには最後まで手を貸してやる。奴なりに考えがあるなら好きにすりゃあ良い。それが俺の返事だ」 「……『炎』に伝えておくわ。ありがとう」 その声には応えず、『雷』は木々を掻き分けて樹海の奥へと戻って行った。 * 「……『木』の主。無礼を承知で、貴殿に頼みがある。我らと共に、暴王ルーチェモンを討って欲しい」 「……それは、私が彼の禄を喰む者と知っての言なのだろうか?」 鉄板と木片を組み上げて作られた顔に表情と呼べるものは全くないが、その声色から、『木』が猜疑の心を抱いている事は明らかだった。 「王は、貴殿らの永年の忠誠を裏切って刺客の群を差し向けたと聞く。そのような不義があって尚ルーチェモンに従う理由があるとも思えぬ」 『木』が徐に歩を進める。歯車の軋む不気味な音が辺り一帯に響き渡った。 「……王に恩義が無い訳ではないが……斯様に卑劣な裏切りを受けてまで、彼に仕える積りは無い。それは貴殿の言う通りだ」 木馬は、『炎』が立つ場所の直前で立ち止まった。巨竜の視線の更に上、鉄面に穿たれた眼窩から覗く赤い目が、彼をじっと見下ろしていた。 「何より……自ら此処へ赴かれた貴殿の覚悟に、報いぬ道理はあるまい。先の依頼、確と承った」 「……感謝する、『木』の主よ」 「だが、問題は他の三名だ。彼らの気性からして只では従うまいが……何とか話は通してみよう」 『木』の背後に控えるジュレイモンが、彼の伝言を紙片に書き留める。その書簡は、『鋼』の領域へと帰るアウルモンに手渡された。 「次の日の出を見てから此処を発たれよ。時分としては、それが最も良かろう」 『炎』は深く頷いた。 霧の晴れた樹海の上空、蒼の雲井に白銀の陽光が煌々と輝いていた。 * 「汝らの知る通り、我は仕えてより永らく王の為生命を賭して戦い続けたが、それに対する答えは、先の御触書に示された通りである」 何たる事か。 永きに亘る忠誠への報いが、謀反人としての断罪とは。獰悪な『鋼』の部下達も、流石に此度の理不尽さには困惑せざるを得ない。 「そして、我が配下たる汝らも、我と同じく生命を脅かされるは明らか」 居並ぶ軍兵達の間に緊張が走る。 「告ぐ。理不尽なるこの決定に抗い我と生死を共にするか、王軍の断罪より逃れ野に隠れ潜むか、若しくは王の下へ奔り赦しを乞うか、各々、明晩迄に意思を決めよ」 『鋼』がそう触を出した次の夜、外城へ通ずる門前に集ったデジモンの群れ──野に降る決断をした者と、表立っては言わぬが主を見限りルーチェモンに仕えんとする者達。 その数、配下の内凡そ半数。 「それが汝らの答えか。致し方無し、己が生命には変えられぬ」 そう言って背を向けた『鋼』目掛け、数体のアーマー体デジモンが殺到する。 だが彼等の爪牙は、鏡獣の身には届かなかった。振り返りもせず、『鋼』はそのまま城内へ戻って行く。 「セトモン、お主はどうする? このまま我が配下でいるか、或いは、此の首を手土産に王軍へ奔るか……好きな方を選ぶがよい」 『鋼』の言葉に、セトモンの目が不気味な弧を描く。 「どうせ殺されるのは変わらないんでしょう? なら、楽に死なせてくれる方を敵に回します」 この非情の鏡獣と相対する事が、威王の絶対的な力に蹂躙される事より遥かに恐ろしい──彼の背後で、暗黒の顎門が生者の血肉を貪り喰らう阿鼻叫喚の地獄が広がっていた。 「して、『炎』の竜よ。貴公、我に従えと申すか」 燐光が照らす城内の一角、其処に佇む深紅の竜に問いかける。先の見立て通り、この時既に『鋼』は、アウルモンから『木』の伝言を記した書簡を受け取っていた。 『炎』──竜族の長が、まさか二度に亘って己が領域に現れようとは。 然も、彼をこの地に導いたのは『木』の領主──此度ばかりは無碍にも出来ず、『鋼』は彼が城内に立ち入る事を遂に許した。 「助力を得たいのは事実だが、従えなどと傲岸は言わぬ。『鋼』よ、暴王ルーチェモンを討つため、貴殿の力を貸して欲しいのだ」 「その頼みは二度……いや、"これ"を含めては三度目か」 『鋼』は法衣の懐から、幾重にも折り畳まれた紙片の束を取り出した。それは、先日『風』の手により届けられた件の書簡であった。 「古の英雄は、智者を得るためその棲家を三度(みたび)訪れたと聞く。それを思えば、俺は貴殿に礼を尽くしているとは未だ言えぬ」 「"三顧の礼"……我等の遣り取りに、ヒトの礼儀を持ち込むか」 嘲るようにそう言い放ち、『鋼』は『炎』へと向き直る。 「『炎』よ。天使の王、ルーチェモンを打破せんと欲する、その真意や如何に?」 「……一つ、かの王の魔手より、我等が故郷──火山の聖域を奪還する事。一つ、後世に於いて、暴王の為に蹂躙される者無きようにする事」 そう語った『炎』に再び背を向け、『鋼』は壁面に刻まれた虎頭の燭台へと近づいた。牙の連なる顎門の中に、青白い燐光が揺らめいている。 「貴公の目的がどうであろうと、それは我の預かり知らぬ事。己が身に関わらぬ他者の生死など、どうでもよい」 『鋼』は淡々と言葉を紡ぎ、手にした書簡を燭台の口へと放り込んだ。 蒼焔の中でのた打つ紙片の帯が、捩れ、燃え尽きてゆくその様を、『炎』は表情ひとつ変えずに見つめていた。 「……だが、王が故も無く我らを滅ぼすと云うならば、それを受け入れる訳にもいかぬ。竜の長、おれはこの見た目の通り武芸は不得手だが、少しばかり知恵が回る。騙し合いの戦は任せて貰おう」 声と共に振り返った『鋼』の、殺気を孕んだ金の眼光が不敵に歪む。その邪悪さが、今の『炎』にとってはひどく頼もしく思えた。 凶星の章 終 災禍の章へ続く
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森乃端鰐梨
2023年6月29日
In デジモン創作サロン
目次 電脳空間には無数の層(レイヤー)が存在し、その一つ一つが、デジタルワールドをはじめとする様々な種類の世界を形成している。 ミスティモンの出身地であるウィッチェルニーもそのうちに含まれ、現在ではウィザーモン種を始めとする魔導士系デジモン達の発祥の地として知られているが、実のところ、この場所は原初より魔法が盛んだった訳ではない。 今でこそ魔術研究の中心とされているウィッチェルニーだが、創成期の魔法学水準はデジタルワールドに大きく劣り、それに付け込んだ外敵から脅かされた事も一度や二度ではなかった。 だが数十年前、その状況が一変する出来事があった。 十の元素を司る太古代のデジモン達が更なる進化を遂げたその少し後の時代に、突如として現れた"旋風将"の異名を持つ魔竜の騎士──後世の研究により、この騎士もまた、進化の極地に至った強大なデジモンだと判明している──彼がその武威を以て敵の悉くを退けたのだ。 外敵の脅威が去った後のウィッチェルニーは、急激に魔術を発展させ、学術機関の創設も後押ししてか次世代の優秀な魔導士たちが数多く育ち、数年の内に魔法学のメッカとしての地位を築き上げる。ミスティモンは、そのような過程の中で育った魔導士のひとりであった。 彼の中にある、幼き日に見た旋風将の面影は、ひどく朧気なものであった。 しかし、滅びへの道を辿っていた故郷を救い、世界に大きな進歩を齎した絶対なる力に対する憧憬は、今に至るまで彼の胸を焦がし続けた。 そして、更なる魔術と武技の研鑽を求めてこちらのデジタルワールドへ渡ってきた際目にした、ルーチェモンによって敷かれた厳格なまでの絶対的秩序、彼自身に宿る圧倒的な力──その姿に、ミスティモンは彼に従う事を決めた。かの偉大なる天使の中に、在りし日の旋風将の面影を重ねたのかもしれぬと、今でも思うことがある。 ルーチェモンに仕えた後は彼の為、命を賭した数々の戦に恐るる事なく赴き、何の迷いもなく敵を斬り捨て、その功績により彼の直属軍の長を任された。 その時にルーチェモンから直々に預けられた五つの聖なるデジメンタルは、ミスティモンの生涯において最も輝かしき名誉の証だった。 だからこそ、赦す事が出来なかった。 己が命懸けで築き上げた栄光の証を掠め取った、かの古代種達を。 利己のため偉大な王の権力の傘に潜り込む、姑息な獣共を。 「どうかした?」 ふと、玉座の上から降ってきた声に顔を上げる。 怪訝な顔をしたルーチェモンの淡い青の瞳が、こちらをじっと見ていた。 「あっ……い、いえ、隊長二人の事を考えておりました。早く次の者を決めねば、と思いまして……」 猟兵隊と弓兵隊。 襲撃の折に行方を眩ませた隊長二名の痕跡は幾日経っても知れず、結局彼等は死んだものと看做して後任を定める事が決定された。 「で、誰にするの?」 「取り敢えず、猟兵隊は副隊長……ホーリーエンジェモンをそのまま昇進させたいと考えています。弓兵隊の方も、適任が見つからなければ同様に進めるつもりです」 「ふーん……ま、その辺は任せるよ。僕はそういうのあんまり興味無いからさ」 ルーチェモンは頬杖を突くと、そのまま目を閉じて微睡み始めた。 主の提案──領主達の暗殺計画に戸惑いつつも従ったミスティモンだが、奥底で抱く迷いは未だ彼の心を酷く悩ませていた。 功績ある者であっても、己の害になりうると、ルーチェモン自身が判断した者は切り捨てるべし。 生真面目なミスティモンにしてみれば、如何に憎い相手であっても、斯様に理不尽な扱いを受ける事には疑問を抱かざるを得ない。 そして彼の心中に湧き上がる、一つの懸念──もし自分も、古代種達のように、何かのきっかけにより王の害になると見做されたら? その時は、厳格なる天使は容赦なく己の命を擦り潰しにかかるだろう。 ルーチェモンに対する忠誠心──後世ミスティモンの血を受けた末孫にまで残り続ける事となるその心は、今も彼の中に確と宿っていた。 王が自分に向けた信頼を、偽りだと思いたくはない。だが、一度抱いたこの、恐怖とも疑念とも呼べる蟠りもまた、後々まで消える事は無かった。 * 月光に浮かび上がる巨城の黒影が、紺碧の夜空を埋め尽くす。 この城の主に宿る、"眠れる龍"の異名を持つ謀将の伝説にまつわる数々のデータ。 その影響により形作られた雄々しき姿は、もし現実世界のヒトが目にしたならば、漢代以降の中国大陸にて造られた、古き城廓の姿を想起するだろう。 ただ、形こそ現実世界のそれと同様であるものの、壁や柱の悉くが濃灰色の石材で、屋根を覆う瓦の総てが青黒い金属塊により形作られた、謂わば城の形に彫刻された岩窟とも謂えるその威容は、基になった木造城郭の堂々たる姿とはまた異なる、重々しく不気味な威圧感を纏っていた。 街と共に堅牢な外壁で囲まれたこの城は、『鋼』の領域内で政治、経済その他凡ゆる分野に於ける本拠地となる場所。 そして、この荒涼たる岩塊の山脈を支配する、悍ましき鏡獣の塒(ねぐら)であった。 「余りにも脆く、そして貧弱! あれが天下に名高き天使軍の精兵とは、とんだ期待外れですよ」 先日遂に王軍兵士の奇襲を受けた『土』だったが、彼らが余りにも容易く壊れてしまったその事実に、己の力の強大さに過剰とも云える程の自信を持ったようだった。 「随分と嬉しそうじゃないか。お前、これからが面倒になるのだぞ」 呆れた様子の『鋼』にそう言われ、『土』は表情を堅くする。 「それは勿論、承知しています。それにしても、あれだけの功績を残した私達を、弁明の一つも許さず闇討ちで排除しようとはあまりにも酷な話ではありませんか」 天井を仰ぎ、『土』は先程渡された樽の酒を一息に飲み干した。所謂四斗樽であるが、巨体の彼にとっては精々御猪口代りにしかならない。 「理由は王本人に訊くよりないが、訊かされたところで我等が死を賜る事は変わらぬ」 「結構です。最近の戦はどうにも緩くて仕方ありませんでしたから、寧ろ思い切り暴れられる絶好の機会じゃありませんか」 『土』の口角が大きく吊り上げられる。その嬉々とした表情は、宛ら新しい玩具を与えられた幼子のようだ。 「呑気な奴め。そうなった時に苦労するのは誰だと思っているんだ」 「いいじゃありませんか。それに『鋼』よ、貴方と、貴方の厄介な"客人"にとっても、彼らとの戦は好機となる筈ですよ」 「……何が言いたい?」 「"邪神の贄"……集めるのに随分と苦労しているでしょう?」 『鋼』の目が、俄に赤色の光を灯した。背後に薄らと立ち込める黒靄が、歪な獣の形を成す。 「お前なぞに、おれと"此奴"の事を心配される筋合いはないが?」 「いえいえ、別に心配はしていませんが、ただ、元より少ない寿命を喰わせるよりは経済的だなぁ、と思ったまでです」 無礼な奴だ。だが、『土』の言う事も一理ある。 邪神が力を高める毎に、要求される贄も増す。彼の空腹を満たし、己自身のデータを増強する材料としては、天使軍とその指揮官達は格好の獲物だとも云えた。 もとより、王軍と自分達が戦わねばならぬ事はもう覆しようがない。それを利と出来るのであれば、己(おれ)は喜んで彼らと刃を交えようではないか。 「失礼します」 不意に室外から声が掛かる。 「セトモンか。何用だ?」 「城壁の上に、このようなものが……」 折り畳まれた紙片。 開いてみると、どうやら何者かの記した書簡らしい。 「……何と! 『炎』の竜が⁉︎」 「大胆と云うべきか、莫迦と云うべきか……『土』よ、彼奴め我等を味方に引き入れるつもりらしいぞ」 「……まさか、彼の誘いに応じるつもりではありませんよね?」 『鋼』は首を横に振ってから、手にした書簡を懐に仕舞い込んだ。 「返事はせぬ。これが真実の言葉であれば乗ってやるのも一興だが、生憎おれは疑り深い。決めるのは、『炎』の腹中を探った後だ」 壁面に施された、ヒトがよく知る龍や虎等の頭部を模った燭台の、口中に灯る青白い燐光が隙間風に揺らめいた。 照らし出される三匹の表情には、一様に重苦しく、陰惨な翳が差していた。 * 王が自ら、己が配下たる『木』と『鋼』、更には、つい先日『水』と『土』をも直属軍を使って襲撃した──この俄には信じ難い報せが真実であったことに、『炎』の竜は驚きを隠せなかった。 「一体奴ら、何を考えているんだ?」 「何って、そりゃあ領主どもが出過ぎた杭になったからですよ。彼らがあのまま勢力内での力を増せば、元々の側近だった天使軍の幹部あたりは面白くないでしょうからね」 若いティラノモンが、何処か嬉しそうな様子でそう言った。故郷を荒らし同胞を虐げた憎き仇敵どもの危機と訊けば、これを喜ばずにはいられないだろう。 「天使軍の長はルーチェモンに絶大の信頼を置かれていると聞きます。きっとそいつが、領主共に叛意ありとでも言って適当な証拠をでっちあげたに違いありませんよ」 「何にしても、今のこの状況は私達にとってチャンスかもしれないわ。領主達が排除されたなら、ルーチェモン側の戦力は大きく削がれることになる」 『炎』の願い──それは、一族の故郷たる火山の聖域を取り戻す事、そして、二度とこの悲劇が起こらぬよう、暴王ルーチェモンを打倒する事である。 そして、かの王が保有する戦力の内でも特に強大なかの四匹の古代種達が廃されるかもしれぬとは、またとない好機。 「もう少し、様子を見させてくれるか? 彼方の動きも分からず、此方の備えも薄い内に戦を仕掛けるのは余りに危険だ」 「……そうね。とりあえず、『雷』と『氷』に話くらいはしておくわ。領主抜きにしても、あの王は一筋縄でいく相手じゃない。もっと多くの味方を集めなければ……」 『炎』とティラノモンは互いを横目で見遣った。竜の里の戦力は、このティラノモンを除く殆どの若兵が一族を見限って各地へと散ってしまい、その数はかつての一割程。 また、『炎』の協力者である、火山付近に生息する鉱石型や爬虫類型デジモンの群も、自分達を守るのに精一杯で、竜族への加勢なぞ到底叶わぬ状況にあった。 「『風』よ、その事なんだが……俺にひとつ、考える事があるから聞いてくれ。そして、その内容をそのまま『雷』と『氷』にも伝言して欲しい」 「分かった。聞かせて」 湖水のような群青の瞳が、真っ直ぐに『風』を見据えた。 「領主達を、我等の戦力に引き入れる」 「……はぁ⁉︎ しょ、正気なの貴方?」 思わず声が裏返る。鳥を模った仮面の上からでも、『風』の驚愕の表情がはっきりと見て取れた。 「突拍子もないのは重々承知だが、かの天使がいつ仕掛けてくるか分からぬこの状況では、手段を選んでなどいられない。『光』は未だ戻らないが、もしあいつが居たとしても、俺達だけでルーチェモンと天使軍の総力を相手にするのは無謀だ」 それはそうだろう。今まで王軍の行ってきた戦の苛烈さと、それに蹂躙された土地の惨状を見れば、彼らが規格外の戦力を有しているのは明らか。 幾ら個々が強くとも、物量の違いは如何ともし難い。 「領主達は、王軍の内情にも詳しい。大軍との戦となれば情報戦もせねばならんが、その為の材料が今は足りない。その意味でも、彼等を味方に付ける利は十分にあるはずだ」 『風』は頷いた。『氷』は兎も角、『雷』にこんな話をしたら烈火の如く怒りそうなものだが、致し方無い。 強力なデジモンを一匹でも多く味方に付けたいのは、疑いようのない事実なのだ。 「……どうする? もしよければ、領主のところに書簡の一つでも投げ込んでくるけど?」 「頼む。今この瞬間にルーチェモンが動き出したとしても不思議ではないからな、早めに戦力を整えたい」 半刻程の後、『風』の剣士は虹の道を辿って遥か北方の空へと飛び去った。 この時『鋼』の領域に残してきたのが先述の書簡なのだが、これに対する返答が得られなかったのも、先に述べた通りである。 しかし、この行動が後に原初の古代種──後世に"伝説の十闘士"として語られる英雄達の集結の嚆矢となった事は、紛れも無い事実であった。
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森乃端鰐梨
2023年5月29日
In デジモン創作サロン
目次 「こ、このお方はまさかっ⁉︎ り、領主様、これは一体どうしたことですかの?」 問屋の主人──ボコモンは『鋼』に呼び出されて登城するや否や、執務室奥の小部屋の床に直接横たえられた嫋やかなる天使の姿に度肝を抜かれた。 「話すと長くなるが、取り敢えずはわしの客人だと思え。怪我をなさっておるが生憎此処に寝具などという気の利いたものは無い故、貴公を頼った次第だ」 同じ突然変異系の誼みか、将又彼が商いに長け且つ勤勉で利口なデジモンである事を評価してか、『鋼』は城内での雑事の処理を彼に任せる事が多かった。 当のボコモンは「はあ、そうですか」と呆けたような顔で呟くと、持参した三畳分の青畳を石床の上に手際良く並べ、その上に真新しい綿布団を敷いた。 艶麗なる女天使が、畳の上の野暮ったい敷布団に横たわる様は何とも不釣り合いな印象を与えるが、この際贅沢な事は言えない。 「しかしまぁ、天使軍きっての猛者たる弓兵隊長様がこれ程の大怪我をなさるとは。領主様、そんなおっそろしいツワモノがまだこの世におるんですか?」 「正面から打ち合ったとは限らんだろう。若しおれが下手人であったならば、この手合いと真面にやり合おうなどとは考えぬがな」 肩口の傷痕は背中側に長く伸びていたが、それは、彼女が背後から袈裟斬りの一撃を受けた証拠である。 本来の部下ではない、別部隊の兵士が当てがわれた今回の作戦。その決行直前に行われた、指揮官たる彼女への裏切り。 此度の襲撃の黒幕は、己の主君たるルーチェモンであると見て間違いない。 その目的までは未だ見えぬが、彼にとって自分は排除すべき存在であると、そう判断された事は疑いようのない事実だ。 まあ、おれも幾度か手酷い仕打ちは受けてきた故、王に良い感情など無いが……しかし、永らく仕えてきた者に対してする事がこれとは…… 希少なデジメンタルを、態々直属軍から取り上げてまで己への褒美にしたかと思えばこの仕打ち。 後世において「彼に分からぬ事は無し、悠久に受け継がれたる古代の叡智にて遥か未来を見通す者なり」と謳われた『鋼』──後にエンシェントワイズモンと称されるこの聡明な鏡獣の頭脳を以て思案しても、ルーチェモンの行動は兎角不可解極まるものであった。 「ああ、気が付かれましたかの⁉︎ よかったよかった」 気の抜けるような声に振り返れば、無邪気に笑うボコモンと、身体を起こし怪訝な顔で彼を見るエンジェウーモンの姿がそこにあった。 「漸くお目覚めか。弓兵隊長殿、改めて問うぞ。貴公、何を求めて我が領地に踏み入った?」 「……答えなければ、どうしますか?」 「然るべき手段を取らせて頂くまで」 『鋼』の金眼に、邪悪な光が灯る。 こういう時の領主が恐ろしく残忍且つ獰猛である事を、何かと城への出入りが多いボコモンはよく知っていた。 「ひえぇぇ……あ、ワシ大事な用事があったんでした! 領主様、畳と布団は後で取りに来ますんで、今日はコレで失礼しますっ」 逃げ足猛ダッシュ。麗しき女天使への凄惨な拷問を想像し恐怖に駆られたボコモンは足早に帰って行った。 「喧しい奴め。騒がしくて申し訳ない」 「いえ……それより、先程貴方が問うた事……此度の目的についてですが」 苦し気に少し喘いでから、エンジェウーモンは訥々と語り始めた。 「此度の王命、それは貴方と『木』の領主を、王城から其々の本拠まで尾行しその様子を詳細に報告せよ、というものでした。私は貴方を、もう一名の、猟兵隊長は『木』を。そして、貴方を追って域内に入った後、目的を達し主人の元へ帰ろうとした際、突然背後から斬られたのです」 成程、指揮官たる彼女と、彼女に当てがわれた部下──本来の部下ではない、猟兵隊の、それも古参の兵士。エンジェウーモンと彼等との間で、拝した下命の内容に明らかな差異がある。 自分や『木』もそうだが、彼女もまた、天使軍、ひいてはその最高司令官たるルーチェモンに何らかの理由で狙われているようだ。 「相分かった。取り敢えず、貴公は暫く此処に居るが良い。未だ聞き足りぬ事もある上、その傷では満足に動けぬだろう。抑も、今の天使軍の中に貴公の戻る場所はもうあるまい」 エンジェウーモンは無言で頷く。 何処からか吹き込んだ寒風の、吹笛と紛う奇妙な聲が、石壁に囲まれた薄暗い城内に響いていた。 「あーあ、やっぱり駄目だったか。ま、所詮ザコだし仕方ないね」 頬杖を突きつつ、ルーチェモンは世間話でもするかのように軽い調子でそう呟いた。その視線の先には、僅かに表情を強張らせたミスティモンが傅いていた。 「面目ありません……我が配下共の不手際、これ即ち私自身の不徳の致すところで御座います」 「別にいいよ、今回は僕が自分でやった事だし」 襲撃はミスティモンの差金ではない──『鋼』の見立ては凡そ間違ってはいなかった。 事件から遡る事二週間前、ルーチェモンはミスティモンに対し、幹部二名と、彼等につける精鋭の兵士を四、五名ずつ差し出すよう命じた。 その目的は、『木』『鋼』両名の抹殺。 これを受けたミスティモンは戸惑いを隠せなかった。自分自身、報奨の直後に何度か領主四名の元へ使者もとい刺客を送った事はあったが、その全てが生きて戻らなかった事、何より、それがあってからも今まで通りの調子でこちらに接するかの古代種達の、得体の知れぬ不気味さに警戒し、彼等への接触を極力控えていた。 そこに来て王から提案された、今回の襲撃。 ミスティモン個人としては、彼らの事は正直気に入らないが、王自身が、直近に多大な功労のある高位の配下を手に掛けようとするその行為は理解に苦しんだ。 「君、彼奴らのこと嫌なんでしょ? なら消しちゃおうよ」 「……私自身の好き嫌いで、王の為に死力を尽くした優秀な幹部達を失うなど、罷りなりません。彼らの獰悪さには、私も思うところは御座いますが、それでも……」 「僕はね」 ミスティモンの言葉を遮り、突如ルーチェモンは語り始めた。 「この世界が平和で、幸せに溢れていて欲しいんだ。でも、争いは全然無くならないし、そのせいで不幸になる奴はまだまだいっぱいいる。デジモンはみんな馬鹿だからさ、やめられないんだろうね。そういう奴らはしょうがないから潰すしかなかったけど、見てよ、次から次へと馬鹿が湧いて、全然キリがないじゃない。本当はこんな事したくない、何でこうなるんだろうって、生まれた時からずっと、ずーっと考えてたんだけどさ……」 それは宛ら、朗々たる詩歌の声。ミスティモンは引き込まれたように、身じろぎ一つせず主の話すその言葉に聴き入っていた。 「僕達と、このデジタルワールドを作った連中……ニンゲンがそうだから、デジモンも馬鹿みたいに争うんだって気付いた。僕たちより弱くて、それでいてこの世界に災いを持ち込む人間……あいつらが愚かでいる限り、あいつらから生まれたデジモン達も同じように馬鹿なままなんだ」 だからさ──声と共に発せられた、刃の如き蒼い眼光が、ミスティモンに注がれる。 「現実世界に行く。そして、愚かな人類をこの僕が支配し、導いてやるんだ。方法はもう分かっているけど、その為にはもっと強い力がいるし、沢山のデータとエネルギーが必要なんだ」 「ならば王よ……尚更、彼等の如き強者が必要なのではありませんか?」 何故、自分はあの憎い古代種達を庇うのだろう? ミスティモンは自分の口から出るこの言葉が理解出来なかった。 「アイツらはね、強いけど危な過ぎるんだ。領主だけじゃない。竜の里の長も、その仲間も。従えてもいつかは必ず僕に逆らう。前に『鋼』辺りでほら、遊んでやった事があったじゃん。アイツはあの時、本気で僕を殺そうと思ってた。その前の『土』も『木』も、同じだった。『水』は知らないけど、まあどうせアイツらと一緒だ」 恍惚とした表情の幼き天使の姿に、黒白の翼を負う青年の幻影が重なって見えた。 「反抗は寧ろ大歓迎……って思ってたんだけど、今回は、僕の生涯で一番の、大事な計画。領主達が幾ら強くても、失敗のリスクを冒してまで残す駒じゃない。不安の芽は、早いうちに摘み取らなきゃね」 先程とは比較にならぬ程の、凄まじき殺気。 鈴の鳴るような声の所々に、嗄れた男の声が混ざる。 「前に言ったでしょ? 僕に逆らったその時は、今日の仕置きなんて忘れるくらい苦しめてやる、地面に這いつくばって僕に許しを乞うまで痛めつけてやるんだ、って。あはは、どうやって抵抗してくるかなあ、あいつら。ホント、今から楽しみでしょうがないよ」 ミスティモンはただ平伏し、そして主君の命じた儘に従う他無かった。 ネットの海。デジタルワールドの大部分を占めるかの溟海を統べるは、『水』の名を持つ太古の末裔。 「王軍の兵士が……ねぇ。まあ『木』は兎も角、『鋼』はあの性格だからデジメンタルの事抜きにしても恨みの一つや二つ買っててもおかしくないでしょうけど」 『水』は珊瑚の玉座に凭れたままそう呟く。 配下の一人、薄紫の海月(くらげ)の如き衣を纏った女性──テティスモンから襲撃の全容を聞かされた時、『水』は始め戸惑ったものの、自分達が元王軍管理品のデジメンタルを下賜された事を思えばさもありなんと直ぐに合点がいった。 「近頃、海竜や海獣系の集団が王軍の拠点付近の海域に集まる動きが見られます。ミスティモン麾下の本隊に水棲種はおりませんが、彼等と呼応したならばこちらも襲われないとは限らないでしょう」 「そうねぇ……貴女、ちょっと遠出になるけど、『鋼』のところに一つ、この手紙を持って行ってくれるかしら? あと、帰りにアイツの手下……"誠実"のデジメンタルで進化した奴を一人連れて来て」 「畏まりました」 『水』の書簡を受け取ったテティスモンは海上目指して泳ぎ去った。陸上での活動にも長けた彼女であれば、そう日を待たずとも戻って来れるだろう。 「……噂をすれば何とやらってね」 『水』は玉座の傍らに置いた赤茶の瓶を手に取り、もう一方の手に携えた金の三叉鉾を背後の一点目掛けて徐に突き下ろした。 血煙と共に上がった断末魔の声には振り返りもせず、彼女は中身の酒を一息に呷る。 「アタシは普通に仕事してたんだけどねぇ。王様、何がそんなに気に入らないのかしら?」 先鋒の惨たらしい死に様すら意に介する様子なく、シードラモン種と思しきデジモン達が約五匹、『水』の周りを取り囲む。 『水』が知る由も無い事だが、彼等は嘗て、若き日の彼女との制海権争いに破れた者達の末裔であった。此度刺客に選ばれたのは、彼等が代々受け継いできた、彼女に対する殺意の念を買われての事。 「このお荷物が欲しいんでしょ? 正直邪魔だから持っていって欲しいんだけど」 『水』は重なり合う珊瑚の隙間を差してそう言い放った。そこには、水晶の厳重な檻に納められた桃色の蕾のような塊──"優しさ"のデジメンタルが鎮座していた。 使えもしないものが幾らあったところでどうしようもない。 『木』の指摘は至極真っ当である、『水』は彼の言葉を思い出しながらそんな事を考えていた。 その間にも、シードラモン達は身をくねらせて人魚の身体を八つ裂きにせんと牙を剥く。 そして、指揮官らしい、一際身体の大きな個体──メガシードラモンは稲妻型の頭角から猛烈な電撃を発したが、『水』はその隙間を何の事は無いといった様子で潜りつつ、手下のシードラモンを三叉鉾の先で軽く撫ぜた。 瞬間、彼等の細長い身体は鉾先の触れたその部分から真っ二つに割れ、驚愕の余り動きを止めたメガシードラモンの眉間に、三叉鉾の石突が重々しい金属音を伴って打ち込まれた。 「全く……あのお荷物を頂いてからロクな事が起きないわ」 叩きつけるように卓状珊瑚の上へと置かれた酒瓶の、荒狂う白い波濤を描いた札が、青々しい海中に半ば剥がれかけたまま揺れていた。
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森乃端鰐梨
2023年5月08日
In デジモン創作サロン
目次 悍ましき絶叫と共に、黄金色の牙が並ぶ黒獅子の口から真紅の飛沫が散る。その側腹には、眩く煌めく大剣の鋒(きっさき)が深々と突き刺さっていた。 常闇の谷底に引き込まれる最中、瀕死の銀狼が放った一突。 獅子の牙が外れたと見るや、その腹を蹴り付けて強引に剣先を引き抜いた『光』は、谷底に叩き付けられる直前に空中で蜻蛉を切り、巨体らしからぬ軽やかな着地と同時に二振の大剣を構えた。 『光』とほぼ同時に谷底へ降り立った『闇』の獅子は、怒りと殺意の宿る妖光を、赫々たるその瞳に湛えていた。 『光』と『闇』とは決して相容れぬ── 実を言うと、今この瞬間対峙する二匹の古き獣達には、個々としての面識もなければ禍根も無かった。 ただ在るのは、世界の創成期に勃発した戦を端緒とする、先祖同士の怨恨のみ。 しかし、当代の『光』は生まれて間もない頃、所属する群の同族を戦により悉く失ったというその生い立ち故、『闇』の一族との因縁と彼等への憎悪を育む機会はなく、今に至ってもかの一族に対する怨嗟と全くの無縁──つまるところ、『光』にとって『闇』の乱入と、彼が己に向けてきた並々ならぬ殺意に関して、何一つ理解出来るところが無いのだ。 一族の因縁に決着を付けるという、先祖代々受け継がれてきた使命を果たす為──そうだとしたら、この獅子の行動に対しては、何故今更と言わざるを得ない。 この世に生を受けて以来、『闇』の領域を離れた事など一度たりとも無いであろう彼が、今になって突然自分の目の前に現れた理由──領主達との戦の気配に当てられたのか、或いは、近年この世界に満ちる禍々しき邪気のためにその凶暴性が目覚めたのか…… 尤も、その理由が分かったところで状況は変わらない。 止め処なく血を噴き出す傷の痛みすら意に介さず、狂気と暴威の儘に爪牙を振るう『闇』の主の猛攻を前にして、『光』に残された唯一の選択肢は、眼前の敵を打破する以外に無いのだ。 銀狼は地を蹴り、跳んだ。 その両の腕に携えた二振の大剣が、黄金の閃光となって『闇』の頭上に迫る。 凄絶な斬撃を咄嗟の跳躍で以て躱した黒獅子だったが、側腹の刀疵が疼く激痛に思わず唸り声が漏れた。だが、そこは流石『闇』の魔獣を束ねる長と言うべきか、更なる攻撃を加えんと詰め寄る『光』目掛け、『闇』はその槍状の尾を勢いよく突き出した。 舞う血飛沫。 三叉の穂先が、『光』の右上腕を掠めて後方に流れた。『闇』は尚も攻撃を仕掛けようと身を翻したが、突如前脚から力が抜け、危うく頭を地に打ち付けそうになる。 再び開いた傷口の激痛と、出血の様相を以て多量のデータが体内から失われた事で、彼の運動機能は遂に崩壊を始めたのだ。 忌々しい。あと一歩のところだったというのに──『闇』の赤眼は、高まる怨嗟の為により一層妖しく、凶々しく輝いた。 そして、魂が凍りつくかとさえ思える不気味な咆哮を最後に、その漆黒の巨躯は『光』の前から姿を消した。 ……『闇』の一族。何故今更現れた? 如何にして奴は俺の居場所を探し当てたのか? 『光』の脳裏を廻る疑問の数々。それらに対する答えの分からぬうちに、銀狼の意識は暗黒の中に途絶えた。 鋭峰の頂より吹き降る狂飆が、宵闇の路を吹き荒ぶ。その不吉な風音は、暗黒に沈む市街の狭間に反響し、歪なる絶叫となって寒夜の外気を震わせた。 「……一応問うてはおくべきか。狙いは我が生命か、それとも"奇跡"か?」 王城からの帰路、己が居所へと向かう街路上に蠢く、不穏の気配。 静かな怒気を湛えた声と共に背後の暗がりを顧みた『鋼』の烱々たる金の眼光は、青黒い闇の中に溶け込む賊どもの姿を確と捉えていた。 「両方だ。至宝を渡してお前も死ね」 絶叫と共に、巨岩と見紛う屈強な体躯の天使が、得物の聖杖を構えて躍り出た。 『鋼』は心底煩わしそうに溜息をつき、塵でも払うかのように軽く──少なくとも、周りにいた者達にはそう見えた──袖を振った。 同時に、天使の逞しい体が杖諸共くの字に折れ曲がって吹っ飛び、その先に居た二名の不運な同胞を巻き込んで数メートル隔てた石壁の上に叩きつけられた。 どれ程の力が加わったものか、壁に貼りついたまま絶命した三体の死骸はいずれも体の各部があらぬ方向に捻じ曲がり、『鋼』が直接の一撃を与えた天使に至っては、電脳核の収まる上腹辺りに帯状の大きな窪みが出来ており、半ば開いた口から夥しい量の血泡が噴き出していた。 至宝を賜った四体の古代種。 無双の剛力を誇る『土』と千尋の海溝に居を構える『水』、途方も無い巨体を備え更に広大な樹海の中を絶えず移動し続ける『木』と比べて力が弱く、その棲家に忍び込むも比較的容易な『鋼』を襲撃者が手始めに片付けたがるのは、自明の理であった。 ただ、力が弱いと云ってもそれは古代種の、その間で幾度となく繰り広げられた死闘を制しさらに進化の限界をも踏み越えた猛者達の基準で見た場合に限る。 何の技も異能も用いない、袖先で叩く一打のみで、天使軍猟兵隊の精鋭と謳われた巨躯の天使を即死に至らしめた事からも分かるように、古の鏡獣と襲撃者達との間には、決して覆す事の叶わぬ力の隔たりが存在したのだ。 軍内でも特に武勇の誉高い戦士達が一瞬にして屠られる様を見せつけられ、襲撃者の内で最後のひとりになった兵士は、これは敵わぬと踵を返し逃げ去ろうとした。 「セトモン、捕えよ」 『鋼』の声に呼応し、傍の小路から赤い躰に銀の兜を纏う魔獣が躍り出た。 その捻くれた二本の青牙は侵入者の両肩を易々と貫いたに留まらず、勢いそのままに彼を後方の石壁に縫い付けてしまった。 「大将。此奴、王軍の者では? どうにも見覚えのある顔をしてます」 その言葉に、兵士は不敵に笑うだけで何も答えない。苛立ったセトモンに牙を捻られ傷口が抉れても、僅かに呻くだけで只の一言も発する事はしなかった。 「ミスティモンの差金……ではないな。これ以上の面倒は勘弁願いたいんだが」 ミスティモンではない──『鋼』の言葉に、兵の表情が青白く染まった。 と、何かを察知したセトモンが慌てた様子で後方へと飛び退る。その直後、兵士の身体から猛烈な勢いで炎が噴き出し、灰の一粒も残さず彼を焼き尽くしてしまった。 「口封じ……これは"クロ"ですね」 「違いない。全く、この忙しい時期に何を考えているんだあの餓鬼……」 まだ何か言おうとした『鋼』が、不意に反対側を向いた。セトモンも何かに気付いたらしく、姿勢を低く下げ迎撃の構えを取る。 「見えているぞ。出ろ」 夜目の利く二匹が睨んだ先、廃墟と化した建物脇の小路から、濃紺の外套を纏う、人間の女性と酷似した姿のデジモンが覚束ない足取りで姿を現した。 肩を押さえる手指の隙間から血を流す彼女──今更だが、デジモンに性別の概念はないので三人称の区別は見た目に合わせた便宜上のものである──その正体に、『鋼』もセトモンも思わず怪訝な表情を浮かべた。 天使軍の弓兵隊長、エンジェウーモン。 先程の襲撃者を指揮していたのは彼女であろう。 だがしかし不可解なのは、肉が弾けその断面から骨(ワイヤーフレーム)の一部が覗く、右肩の大きな刀疵。 『鋼』もその部下も関与していない負傷であるのは明らかだが、それならば、これは一体誰の仕業だと言うのか──考えられるのは一つ。 「部下の裏切りとはとんだ災難だったな、弓兵隊長殿。一応聞くが、貴公、何を求めて我が領地に踏み入った?」 口元が僅かに動いたように見えたが、声は発せられなかった。多量の出血と厳寒の為に、エンジェウーモンは意識を失いその場に崩れ落ちた。 「ここで殺しますか?」 「馬鹿を言え、此奴に訊かねばならぬ事が山程ある。連れて帰るぞ」 そう言った『鋼』はエンジェウーモンの両手を体の後ろで固く縛り、セトモンの背に彼女を括り付けて居城へと戻っていった。 火山の麓に広がる樹海は、嘗ての大溶岩流の跡地に無数の木々が生育として出来たものである。 その地下には、かつて溶岩の内部から多量の火山ガスが抜け出た際の通路が無数の大洞穴を成し、且つそれらが複雑に入り組むことでさながら迷路の如き様相を呈していた。 『炎』の竜とその一族は──件の戦の後、若者の大部分が出奔してはいたが──この巨大な地下洞窟に身を寄せ合い再起の刻を伺っていた。 「……本当に『風』なのか?」 「疑うのも当然でしょうね。でも、本人よ。たまたま彼に見つけてもらったから命拾いしたわ」 信じられぬ。あの時、『鋼』の不意討ちを受けて千仞の谷底へと消えた彼女が、同じく戦の最中に行方知れずとなっていた老竜と共に己の前に現れたのだ。 「おお、お前も無事だったか。しかし、眼を……」 『土』の奇襲兵に切り裂かれた老竜の眼は、幸い視力を完全に失う迄には至らなかったが、それでも角膜の表面が白靄に覆われたこの状態では、何をするにしても障りがあるに違いない。 「情けないことです。『土』めの奇襲を許し、そればかりか長と客人の危機に加勢すら出来ずに里を奪われるとは……」 老竜は牙を噛み締め拳を固く握り込んで『炎』の前に平伏する。彼の口角と指の間から滲む血が、その屈辱と無念の情を物語っていた。 「良い、皆生きているだけでも奇跡というもの。それに、此度のことは長たる俺に責めがある」 『炎』は少し俯いた後、『風』の方に向き直った。 「あいつは……『光』はどうなっただろう?」 「……分からない。私達も『土』の守備兵を撒くので精一杯だったから……」 『光』の銀狼。己の為に命を賭して戦った親友を見殺しに出来るほど、『炎』の竜は冷酷にはなれなかった。 「長、どちらへ?」 「渓谷に行く。あいつと『闇』の獅子は、まだそこにいる筈だ」 「落ち着いて。貴方じゃちょっと目立ち過ぎるわ」 流石に『氷』の白獣には及ばぬものの、それでも『炎』は大きく、そして常に焔の立ち昇る真紅の外殻と翼は目立つ。 『風』の一言ではっとしたように振り返った『炎』は、後脚を曲げて腰を下ろし、洞穴の黒々とした天井を仰いだ。 「……済まない、少し取り乱した」 「大丈夫。それより、『土』の兵士が気になる話をしていたわ」 「気になる話?」 「ええ。何日か前にルーチェモンの城に領主が集められてあれこれ報告を求められたらしいの。これ自体は、多分定期のものなんでしょうけど……」 『風』は短く息を吐き、再び話を続けた。 「その帰り道に天使軍──つまりルーチェモン直轄の軍団ね。そこの兵士が『木』と『鋼』の領主を襲撃したんだって。どちらも失敗して全滅したらしいけど」 「王の軍が、同じく王の配下たる領主を襲うと?」 『炎』は怪訝な顔をしたが、言われてみれば、彼らは今回の戦功により、ルーチェモン配下の勢力内における己の地位を大きく高めただろうし、それを誇り高き王軍の将兵が快く思わないのもまああり得る話だ。 「本当の所は分からないけどね。あの下衆鏡を抱えてる勢力の考えることだし、もう少し詳しく調べてみるわ」 『炎』は無言で頷き、それに応じた『風』は虹の道を渡って再び地上へと向かった。 ルーチェモンの勢力内における分裂。 辺境とはいえ、一国の領主に対する王軍兵士の襲撃と、その事実が別の領主の、しかも末端の兵士にまで知られているという明らかな異常事態。 「……何が起ころうとしているんだ」 火の山で滾る岩漿(マグマ)の鳴動が、地下洞穴に鳴り響く。 その不気味な唸り声は、この先に待ち受ける災禍の前兆だろうか──
鋼鉄臥龍伝 ー凶星の章ー 参 content media
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森乃端鰐梨
2023年5月05日
In デジモン創作サロン
ー序ー ー伏魔の章ー 壱 弐 参 肆 伍 ー凶星の章ー 壱 弐 参 肆 伍 陸 ー災禍の章ー 壱 弐 参 肆 伍 陸 ー渾沌の章ー 壱 弐 参 肆 伍 陸 ー激昂の章ー 壱 弐 参 肆 伍 陸 ー荒天の章ー 壱 弐 参 肆 伍 陸 ー燼滅の章ー 壱 弐 参 肆 伍 陸 ー慟哭の章ー 壱 弐 参 肆 伍 陸 ー修羅の章ー 壱 弐 参 肆 伍 陸 ー逆鱗の章ー 壱 弐 参 肆 伍 ー終ー 皆様こんにちは、鰐梨と申します。 昨年末より、こちらで「鋼鉄臥龍伝」という作品を掲載させて頂いている者です。 さて、拙作は最後の投稿から2ヶ月が経ち、最新話の執筆もリアルの都合により遅れていることから、一度、今時点での物語の流れを紹介するという目的で今までのお話を目次形式で纏めました。 全くもって未熟な出来ではありますが、もしこの機会に目を通して頂ける等しましたら幸いであります。 本作は、デジタルモンスターシリーズにおける伝説の十闘士とルーチェモンの戦いを、アニメやゲーム等各作品の設定や、鰐梨独自の解釈、想像etc…を織り交ぜて描く物語です。タイトルの「鋼鉄」は本作の主題となる十闘士の属性から、「臥龍」は彼のモチーフとされる三国志の軍師 諸葛孔明 の渾名から拝借しています。 なお、本作における独自解釈の部分については、話の都合、或いは原作設定をそのまま取り入れると矛盾が生じてしまう点を無理矢理解消したりするため等の目的で導入しておりますが、このようなものが苦手な方は閲覧の際ご注意願います。 最後になりましたが、皆様、今後とも宜しくお願い致します。 2023.5.5 鰐梨 ※ 2023.5.23 追記 当初この記事に添付してあった挿絵は「伏魔の章 参」に移動しました。各章の三話目には不肖鰐梨が描いた筆イラストを添えておりますので、そちらも是非見て頂けたらな、と思います。
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森乃端鰐梨
2023年3月06日
In デジモン創作サロン
目次 ※ 今回も独自設定(年代やその他諸々)多めです。ご注意下さい。 「うーん……どうしよう、コレ」 雪に覆われた山の中腹、『氷』の巨獣は悩まし気にその頭を捻った。 大量の塩水。内陸深くに聳える高山の中頃に、そこの空間だけがそっくり入れ替わったかのように海があるのだ。 「海が無いなら作ればいいじゃない」 大海を統べる、群青の人魚。 この世に存在する、ありとあらゆる水を如何様にも操れるという海の支配者に対し、此度作戦参謀を任された『鋼』の領主は以下のように伝えてきた。 「竜共はおれと『土』で当たるが、後ろの『雷』と『氷』に加勢されると少々厄介だ。お前と『木』で抑えておいて貰えるか」 彼の依頼に対して『水』が示したのは、『氷』が火山に赴く際に通るであろう大峡谷を、引き込んだ海水で満たすという作戦。 かの巨獣とその配下達の進軍を阻みつつ自分達の独壇場たる水中の環境を強引に作り出す力業だ。 現実世界には、永い時を経て沈み込んだ氷食谷に海水が入り込んだフィヨルドと呼ばれる特殊な入江が存在するが、『水』はこれと似た状況を擬似的に、それも即席で作り出した。 これに際しては、地下水を抜き谷の一帯を若干沈下させておく下準備はあったが、それ以外に『水』がすべき事は何もなかった。 早々に準備を終え、実行の前日まで『鋼』を揶揄いに出かける程暇を持て余していた彼女だが、いざ戦に臨み己が身に宿す甚大なる力を振るうその姿は、大海の王者たるに相応しきものといえた。 現代に残る彼女に関する逸話の一つに、その怒りに触れた無数の島々や大陸が海底に沈められたという恐るべき言い伝えがあるが、此度の仕業を鑑みれば、この話は決して誇張や絵空事ではないのだろう。 『氷』は頭を抱えた。最近、山の各所にある温泉が次々と枯れる不可解な現象が起きている話を部下から聞いていたが、まさかこんな突拍子もない出来事の前触れだったと誰が想像し得ただろうか。 「マズいなぁ……コレ、うち以外にも来てるよね?」 『氷』の不安は的中していた。 同時刻、『雷』率いる昆虫型デジモン達は『木』の密命を受けた植物型デジモンの部隊と激闘を繰り広げていた。 「お前ら、足を止めるなよ。囲まれたら終わりだぞ」 「大将、そんな事言ったってこの寒さじゃ兵もマトモに動けませんぜ」 右手と大顎の片方とを失ったオオクワモンが『雷』に背を向けたまま怒鳴るようにそう叫んだ。 樹海に立ち込める晩秋の寒気は、低温に弱い昆虫達の身体を容赦なく責め苛み、その自由を奪う。 対して『木』の兵士達は、厳寒の気に晒される影響など微塵も無いと言わんばかりに木々の合間を自由自在に駆け回っていた。 『雷』は今のこの状況が不思議でたまらなかった。と、言うのも、『木』とその配下達は、温暖な樹海の環境下で生まれ育ったデジモンらしく、ごく一部の例外はあれど基本的に寒さを嫌い、実際冬季を迎えた彼らが戦を仕掛けた前例は今まで一度もなかったのだ。『雷』は長きに亘る『木』との戦を通じてそんな彼らの性質を把握し、結果彼らを、自分達と同様低温に弱い生き物だと結論付けた。 これは何ら誤りのない見立てであるし、実際『木』の軍勢は、今日までは寒冷期の戦を頑なに避けていた。 だが、現在目の前にいる敵兵たちは、枝葉に霜が下りる程の冷気に晒されて尚、陽光の下に居るかの如き平然とした振る舞いを見せていた。これはどういう訳だろうか。 彼らの正体──それは、『土』と『鋼』の領域に跨る高山地帯を出身地とする植物型デジモンの戦士。 樹海に住む者達と全く同種のデジモンであるが、寒冷地で生まれ育ったが故、低温下の活動に耐え得る身体を持っている。そんな彼らが樹海西部の『木』の領域に到達したのは、火山の戦が起こる五日ほど前のこと。 これより更に前、竜族の協力者である『風』の剣士が樹海を訪れたさい、東西領域の境界線付近にある村々から住人の影が全く消えていたのを確認しており、その直前には、件の村人達と同じ種類のデジモンが大群を成して一斉に移動する姿を『雷』の手下達が目撃していた。 だが、彼等はその出来事を新たな敵の襲来と結び付けることはなかった。何故なら、『雷』達は外敵の行軍を現地の住民が移動する姿だと誤認していたからだ。 これこそが、敵の最大の狙い。 樹海の村人達は確かに棲家を離れてはいたが、それは幾つもの小集団に別れた上で、且つ木々の影や夜陰に紛れて行う極めて密やかなもの。 対して、『雷』の部下が見た大群の移動は、高山から呼び寄せた植物型デジモンの行軍。 彼らは樹海まで敢えて遠回りの道を通ってゆく、或いは同種の村人達の集団との分離集合を何度も繰り返すなど、己が正体と目的地を隠す為の様々な工夫を行ったが、結果としてそれが功を奏し、『雷』の軍勢に自分達が増援の部隊であると察知させる事なく『木』の指揮下に入ったのだった。 本来樹海では起こり得ぬ筈の厳寒の戦と、隠密裏に送り込まれた敵の増援。 『雷』の兵はそれぞれが三匹程の集団を相手に奮闘していたが、相手が多勢なのに加えて寒さの為に動きを鈍らせ、瞬く間に敵の輪の内に呑まれてしまった。 程なくして彼らは立ち去っていったが、その場に残された配下の姿を目にした『雷』は愕然とした。 配下達は皆、かろうじて生きてはいた。だが、それが敵の慈悲によるものではない事は、瀕死の彼等の脚と翅を全て根元から毟り取った上で捨て置くその所業を見れば明らかだった。 『木』の領主が下した厳命── 『雷』の軍を樹海の内より出すべからず。 これを遂行するだけなら、とどめを刺さずともただ敵兵の戦闘能力を奪えばより早く、簡単に事が進む。そう考えた末に選んだ手段が、かの恐るべき苛虐の遊戯であったのだ。 斯くして、同時代のデジタルワールドでも屈指の兵数と練度を誇る『雷』の精鋭軍は、謀略と欺罔を駆使する『木』の領主のために潰滅の憂き目に遭い、更に負傷した兵の半数近くはその戦闘能力を殆ど永久的に奪われてしまった。 同日『水』の大軍から襲撃を受けた『氷』の山も、先述の通り八方塞がりの状況にあり、危機に陥った『炎』とその一族に対する加勢は叶わなかった。 もし『雷』『氷』のこれら二勢力が竜族に加勢していたならば、戦の結末は変わっていたのか──否、それも闇の奥底で微睡む魔神の目覚めを早める引金となるに過ぎず、破滅の運命を打破するには至らなかったであろう。 峨々と聳える無数の岩峰が天然の要害を形成する『鋼』の縄張りは、一足早い冬の季節を迎えていた。 領内の街に点在する建物や彼方に見える山脈の頂が、白く輝く雪衣を纏っている。 厳寒の気候と、痩せた土壌。 決して豊かとは言えない荒涼とした山地であるが、この地に集まる現実世界(リアルワールド)由来のデータとそれが齎す様々な恩恵の賜物か、領内の市街や村落は似たような環境下にある他地域と比べてその発展の度合いが著しく大きかった。 「大将、これちょうだい」 緊張感など微塵も感じられぬ、暢気な声が響く。 薄黄色の身体に赤い股引を身に付けた、猫と狐の中間とでも形容すべき眠ったような表情の獣人は、城外で待たされるその暇に飽いて付近の店を物色し始めていた。 「アンタ、油売ってるとまたご主人に叱られるぞい」 「ちょっとなら大丈夫、二人とも話長いから」 そう言いながら、獣人は手に持った赤茶色の細い瓶を店主に差し出した。その表面に貼られた楕円形の紙片には、チィリンモンと呼ばれるデジモンとよく似た不思議な動物が描かれている。 「それは酒じゃぞ。お前さん確か下戸じゃなかったかの?」 「平気へーき。えへへ……」 豆の粉を塗した餅菓子を肴に二、三口程呑んだところで、獣人は店先に鎮座する丸々と太った犬か豚のような焼物の像に寄りかかって眠り込んでしまった。 「こらぁ! こんなところで寝る奴があるか‼︎」 白い顔の真ん中を真っ赤に染めた店主の叫びは、酔夢の中に漂う彼の耳には届かなかった。 「……何だ今のは?」 付け根よりやや上で垂れた耳を蠢かせ、アンティラモンは怪訝そうに呟いた。 「あの声は問屋の小僧だな……おい、まさかとは思うが、お前のところの小間使いがまた何かやらかしたのではあるまいな?」 「それは……そうかもしれんが……い、いや、まずはその手紙の事だ。『鋼』よ、それをどう思う?」 内心で「こいつ、誤魔化すつもりだな」と毒突いた『鋼』だったが、取り敢えず先程手渡されたルーチェモンの書簡に目を通した。 その内容を要約すると、こうだ。 火山の竜族を降して以来、彼等に与する忌々しき反乱分子の殆どが姿を消した。 これはまことに喜ばしく、この勝利をもたらした汝らの功績は多大である。 この上は、安寧の治世を永久不滅のものとする為、我最後の聖戦に挑まんと欲す。 挙兵の日まで、汝ら努々錬磨を怠ること勿れ。 「……まぁ、碌でもない話なのは間違い無かろう」 「ハッキリ言うな、お前。だが、確かに妙な予感はする。今でも反逆者と呼べる連中もいるにはいるが、あの程度わざわざ大軍を成してまで当たるものでもなかろうに……」 相変わらず、幼王の考える事は為体が知れぬ。 とはいえ、これを拒んだその時どうなるかは今更考えるまでもないので、二匹には王の下命を待つ以外の選択肢は無かった。 「うーん……もう食べられない……」 「何をやってるんだ馬鹿者っ、仕事中だぞ‼︎」 「うへぇ!」 城を出たアンティラモンは、問屋の軒下で雪の布団を被って寝そべる部下の姿を見るや街中に響く程の大声を張り上げて怒鳴った。 「全くお前というやつは……」 「すみませぇん」 哀れな黄色の獣人は、上司の小言を頭上に聞きながら、雪の街路に見事な二本の平行線を残して引き摺られていく。 凍死は免れたものの、この後の彼を待つ厳しい仕置きを思うと、これは果たして幸いだったのか否か……。 一方のアンティラモン、部下の奔放ぶりに呆れつつふと周りを見渡してみれば、大路沿いの店先に、今まであまり目にすることの無かった様々な品物が並んでいることに気付いた。 酒や菓子類といった嗜好品の類いはもとより、複雑に組み上げられた機械やその部品など、それらは何れも人間の活動により生まれる各種データを主な起源としていた。 先程の帰り際に『鋼』から聞いたところによれば、近頃これら現実世界由来の物品が、過去に類を見ない程大量にデジタルワールドの各地へと流入しているのだという。 当時の現実世界──年代にして、おそらくは1970年代後半頃と思われる──ちょうど企業向けの、所謂オフィスコンピュータと呼ばれる機器が普及の過渡期を迎えた頃であり、先に述べた各物品を扱う企業もまた、帳簿管理や商品開発に関するデータの処理をこれら電子計算機器を用いて行う機会が増加した。 目敏い『鋼』は、これにより齎された人間達の創造物を、己が縄張りの発展と拡充に最大限利用しつつも、それらに対する警戒心を解く事は決して無かった。 人間の影響は、その全てがデジタルワールドにとって好ましい物にはなり得ない……『鋼』に限らず、多くのデジモン達はそう認識していた。 輝かしき繁栄の反面、人間達の抱く悪意や欲望が黒々とした渦を巻いていたこの時代、人類の社会的活動に起因するデータを礎に生まれたデジタルワールドもまた、起源たる世界の不吉な影を受け継ぎ、そこから溢れ出る災いの種を今なお取り込み続けているのだ。 さて、『鋼』の部下には元来凶暴な者が多いが、近頃彼らのその性質が以前にも増して激烈なものとなっている。何なら、頭目である『鋼』自身──古代種の特性故に元々激しい気性を備えたデジモンではあったが──彼にこそ、この不気味な変容が如実に顕れており、それは、ヒトに由来する"鋼"の属性を宿した彼の特質と全くの無関係ではないだろう。 そして、ヒトといえば、この世界の頂点に立つルーチェモンやその近縁である天使型デジモンも、『鋼』より更に人間に近しい姿や性質を持っている。 このデジモン達の基になった天の御使の偶像が、大抵その作者の考え得る理想的人物の姿を表している所為であろうが、そんな彼等もまた、その神々しい体の内に邪悪な瘴気を溜め込んでいた。 その影響は、ルーチェモンの行う様々の暴挙、天使軍の構成員同士で繰り広げる権力闘争等の形を取って表面に浮き出している。 デジモン達の創造主たる、人類の繁栄が齎した功罪。 大禍の足音は、もう間近に迫っていた。
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森乃端鰐梨
2023年2月04日
In デジモン創作サロン
目次 ※注意※ 古代十闘士のいた時代から既にデジタルワールドとウィッチェルニーとの交流があった事を示唆する記述が本文中にありますが、デジモンプロファイル等の公式情報にはその辺りに言及する記載が一切ないため、本当のところはどうなっているのか分かりません。鰐梨の完全なるオリジナル設定ですので、ご了承のほどよろしくお願いします。 アンティラモンは頭を抱えていた。 竜族との戦いを制したあの日以降、少しは肩の荷も降りるだろうというその考えは甘かった。 王直属の天使軍。 正しくは、天使の他にも騎士や聖獣型等のデジモンを含んだ混成団であり、現に今代の軍団長を務めるのはウィッチェルニー出身の魔法戦士ミスティモンなのだが、頂点であるルーチェモンが天使の姿をしている事、彼に仇為す不届者を断罪せんと戦うその様があたかも神の御使のようであるという意味も込めて、世の民は彼等を天使軍と通称した。 ルーチェモンが世界の統治を始めたその日以来、この聖なる軍団は王の命を受けてあらゆる邪悪を討ち滅ぼしてきた。 勇猛果敢、威風堂々たるその姿はあらゆるデジモン達から尊敬と畏怖の念を以て讃えられ、彼等もまた己が武勇を至上のものと信じていた。 そんな彼等の誇りが粉々に打ち砕かれる原因となった出来事──晩秋に行われた竜族との戦闘である。 初めに彼等の討伐を任された天使軍の将官のひとりは、その本拠たる火山──そもそも長の『炎』が王軍の敵意を感知しなかったあたり、竜族の勢力圏にすら入らなかったとみえるが──其処に到達することさえ叶わなかったばかりか、何を血迷ったか無関係の領主──『土』と『鋼』を襲った挙句返り討ちに遭った。 それだけではない。この二匹と、彼らに協力したもう二匹の古代種が、先代がついに成し遂げられなかった作戦を引き継ぎ、一日の内に全て片付けてしまったという事実に、天使軍の兵士達がどれ程心を乱されたか、想像に難くない。 「アンティラモン、少しいいか?」 背後の声に振り返れば、そこに居たのは同輩のホーリーエンジェモン。 彼も天使軍に籍を置く戦士のひとりであるが、その清廉な気質が幸いしてか、件の領主達との諍いに僅かの関わりももたずに済んでいた。 「お前が直接訪ねてくるとは珍しい。さては、何か起きたな」 「ああ……一昨日のことなんだが、伝令の一人が『鋼』の領域に行ったきり行方不明になっているんだ」 近頃天使軍の重役──軍団長のミスティモンかその取巻きが主であるが──と領主達が度々接触している事はアンティラモンも度々聞いていたが、それは使者が頻繁に行方を眩ませたり各領域に暮らすデジモン達が不可解な死を遂げる等の不穏な噂を伴うものであった。 「こんな時に供も無しで、しかもよりによって争いの当事者本人に使いを遣るとは……何を考えているんだお前の主は」 とはいえ、彼がこうする理由として充分な心当たりはある。 脳裏を過るのは、戦の直後に行われた報奨のこと── 居並ぶ天使の集団は、玉座の間を満たす重苦しい空気にその身を強張らせる。 王の御前に平伏する四匹の古代種、即ち、 其々討伐軍の先鋒と参謀を務めた『土』『鋼』 彼らと同調し敵の援軍を防いだ『木』『水』 ルーチェモンが功労者達に掌を向けると、彼らの前に眩い光を放つ塊が出現した。 「あれは……‼︎」 天使の一人が驚愕の表情を浮かべる。 それもその筈。四匹に与えられたのは、天使軍秘蔵のデジメンタル。 特に功績多大な『土』には"希望"と"光"の二つを。 『鋼』『木』『水』には其々"奇跡" "運命" "優しさ"を。 王は何を考えているのか。希望と光のデジメンタルは使用者を聖なるデジモンへと進化させる天使軍の至宝とも呼べる重要なもの。それを、よりによって蛮行と殺戮を好む『土』への褒美にするとは。 それに、他の者に与えた三つも真に強く、正しき戦士にのみ使用が許された神聖なデジメンタルだ。少なくとも、あの古代種達が持っていて良い代物ではない。 「ルーチェモン様! あのデジメンタルを奴らに渡すとは如何なるお積りですか⁉︎」 鎧と剣を身に付けた魔導士──ミスティモンが思わず声を荒げる。 領主宛に配られた五つのデジメンタルは、彼が遠い昔にルーチェモンから直接管理を任された重要な品であり、その輝かしき戦歴を彩る誉の証でもあった。 「だって仕事したんだから何かあげないとダメでしょ? それとも何、僕のやり方にケチ付ける気?」 ルーチェモンは煩わしそうな表情でミスティモンに目を遣った。 「そうではありません。ですが、あれらのデジメンタルは我が軍……いえ、この世界で最高の秘宝と言っても過言ではありません。あたら手放すにはあまりにも勿体無う御座いませんか?」 本音を飲み込み、あくまでも冷静を装いつつ応える魔導士の姿に、幼王は蔑むような視線を送る。 「そう言うけどさ……君に使わせて役に立った事、今まであったかなぁ?」 ルーチェモンは悪戯っぽい笑みを浮かべ、ミスティモンと配下の天使達を見回す。痛い所を突かれた彼らは皆一様に苦虫を噛み潰したような顔で俯いていた。 「じゃ、皆お疲れ様。もう帰っていいよ」 四領主は各々下賜されたデジメンタルを恭しく戴いた後、玉座の間から退出した。 この後、ミスティモンが領主宛に使者──それを表向きの名目とした一種の刺客を送ったのは他でもない、長年かけて築いた栄誉に大きな瑕を付けた彼等が、己と同じ天を戴く事なぞ決して許さぬという澱んだ決意に突き動かされての事だ。 「大方、奴を脅すか何かして逆にやられたか……」 「近衛の兵士を手に掛けるなど、事が知れたら無事では済まないと思うが」 これが知性なき獣の仕業であればさもありなんと言えようが、海千山千の策士が、己を不利に追い込む短絡的な行為に走るだろうか。 「いや、『鋼』のことだ、不意に襲われたから返り討ちにした、とでも言って終わらせるだろう。まああいつの事は別にいいとして、心配なのはお前の主人だ。こんな事を続けて、そのうち天使軍そのものが崩壊しないとも限らんぞ」 それはそうだろう。現に兵士達の間では、指揮官に倣いかの古代種共と争うは望むところなりと血気に逸る者とそれに反抗する者、ホーリーエンジェモンのように争いに関わる事自体を良しとしない者とで既に分裂が起きているのだ。 峻厳なる軍律と戦の内に育まれた確固たる絆が支える、神聖不可侵の軍団。 その美麗なる姿の裏で今、黒く淀んだ憎悪と敵愾の影が蠢いている。 高潔無垢な天使軍が患うこの悩ましき病が、後年彼等に酸鼻極まる破滅の訪れを招くことになるのだが、今この時点において、凄惨なる己が運命を予見する兵士は誰ひとりいなかった。 「何でアンタだけ二つも貰ってんのよこの筋肉ボール」 「私の配下、とりわけ奇襲部隊の面々は命を賭してこの作戦の先鋒を切り開いたのですよ。それを思えば、この配分は寧ろ当然だと思いませんか?」 報奨が終了した後も、 『土』『水』の両名は延々と言い争いを続けていた。 彼らの後ろに立つ『木』は、使い道もないものを幾ら貰っても仕方なかろうにと呆れつつ、さてこのデジメンタルをどうしたものだろうかと思案していたが、ふと、傍らの『鋼』が深刻そうに押し黙っている事に気付いた。 「如何した?」 「いや……」 『鋼』は先程の記憶を呼び起こした。 ルーチェモンが貴重なデジメンタルをあっさりと手放した件──についてではない。 居並ぶ天使の群れが放つ邪悪な気配。 数年前からルーチェモンに顕れていたものと同様の、神聖系デジモンには凡そ不釣り合いな禍々しい瘴気を纏っていた。 「一体どうしたのでしょう?」 「内心怒ってるんじゃない? アイツの部下だって先鋒で何人か死んでるのに褒美はアンタの半分よ、半分」 「い、いや、それはそうですが……私だって先鋒で負傷しましたし……ねぇ?」 「……」 三匹には目もくれず、『鋼』は天上に浮かぶ星辰の瞬きに視線を移した。その金の双眸が眩しげに細められ、身体の大鏡が鈍い輝きを放つ。 紺碧に舞う魔の幻影。 災禍を供とする黒白(こくびゃく)の翼は、赤光の軌跡を残して星の海へと消えていった。 デジタルワールドを構成する十属性のうちでただ一つ、"鋼"のみが人工の物質にその由来を持つ。 そも、鋼は元来"刃金"或いは"釼"と書き、文字が示す通り刀剣等の刃を作る強靭な金属を指す言葉であった。 そして現代、貿易における国際規格では、割合にして2パーセント以下の炭素を含む鉄合金を鋼と定義するが、土壌や鉱石等自然の中にある鉄がこの状態になることはまず無い。 溶鉱炉で生産される各種鋼材、蹈鞴(たたら)製鉄で造られる超高純度の通称玉鋼(たまはがね)等、何れも人工的手法でのみ得られるものばかり。 ──そう、本来"鋼"と呼ばれるモノは"ヒトの技術無くしては決して存在し得ない物質"なのだ。 他の九属性が火や光、水や土など自然現象或いは自然界の構成物に由来する中で唯一人類によって生み出された要素を司る太古代の末孫は、確かに人間の──その形を歪に真似たような奇怪な容姿と、その叡智と悪意を写し取ったが如き深謀と狡猾さを備えていた。 「端的に言う。先日の報奨……"奇跡"のデジメンタルをこちらへ渡せ」 「お断り申す」 鰾膠(にべ)も無き『鋼』の返答が、分厚い鉄扉の向こうから投げつけられる。 戸を挟んで彼と言葉を交わすのは、天使軍の指揮官ミスティモンの伝令。 出迎えどころか姿すら見せぬ無礼な振る舞いに内心立腹しつつも、使いの騎士は憤怒の感情を抑えながら会話を続ける。 「そのデジメンタルは我が主人が、偉大なる王ルーチェモン様より預かりし至高の宝。小領主風情への褒美とするなど罷りならぬ」 何と傲慢な物言い。偉大なる王の代理としてその武威を振るう王軍の一員たるその矜持(プライド)と、辺境の主如きが何するものぞと言わんばかりの侮蔑の感情とが、声の端々から滲んでいた。 「笑止。我にデジメンタルを授けたのは王自身、それも、貴公の主人にこの至宝を預けたとて微塵の役にも立たぬ、と仰った上でだぞ」 「それは貴様の讒言に惑わされた故。君主の誤りを正すのは配下として当然の務め也」 「……使者殿、貴公は此度の王の判断が間違いであると、そう申すのだな」 「然り。賢王とて愚を犯すこともあろう。そんな事より貴様、扉越しに使者を迎えるとは無作法にも程があるぞ。早くここを開けろ」 「それは出来ぬ相談というもの。兎に角、今の"奇跡"の管理者はそれがしに御座る。ミスティモンに伝えよ、『貴公に至宝を預かる器量は皆無、故に其の任は我が引き継ぐものなり』とな」 その言葉が終わるや否や、騎士は腰の大刀を引き抜いたその勢いで鉄製の留金を両断した。 留めを失った大扉が、耳障りな軋りを伴って開かれる。 騎士の目に、室外の僅かな灯りを反射して煌る法衣の背が映った。 「最後の猶予をやる。さあ、デジメンタルを返せ」 鋼鉄を断ってなお刃毀れ一つ起こさぬ鋭剣の鋒を突き付けられたこの瞬間も、当の『鋼』に動じる様子は微塵もない。 「全ては貴公の身を案じての事だというのに……何と察しの悪い奴め」 『鋼』は緩慢な動作で騎士を顧みる。 晒布に覆われたその喉元に深々と食い込む、異形の五指。連なる腕は術者の胴──異界に続く大鏡を貫いて外界へと伸び、依代の躰に大蛇の如く絡み付いていた。 「是非も無し。ちと弱過ぎるが、この際貴公を代わりにする他あるまい」 欲望の儘に命を喰荒す暗黒の黒々とした表皮が、電脳核の拍動に合わせて不気味な波を打つ。宙を舞う魔鏡は暗がりの虚空を音も無く滑り、恐怖のあまり身じろぎ一つ出来ぬ哀れな獲物に詰寄った。 「き、貴様、王の近衛に手を出して、無事で済むと思うのか⁉︎」 「貴公、先程王の賢慮を誤りだの愚だのと、勝手な事を申しておったではないか。木端の騎士如きが王を愚弄する不遜、これを処すに、何の咎めを受けようか」 高慢なる騎士が最後に見た光景──常時黄金であるはずの双眸は、鮮血の如き赫に染まっていた。 P.S. 災厄ポ〇モソのBGMを聞きながら執筆したら大分不穏なお話ができちゃった。 (・ω<) テヘペロ 災イノ カガミ 封印ハ 解カレタ ▼
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森乃端鰐梨
2023年1月21日
In デジモン創作サロン
目次 火の山は猛火と黒煙に覆われていた。 自然の噴火ではない──山頂の里を襲ったデジモンの群によるものだ。 「敵襲だと? 一体何処から入った⁉︎」 敵の数は30弱。竜の里の戦闘部隊と比べてその半分にも満たない。 だが、白昼に、しかも本拠地の只中に忽然と現れた見慣れぬデジモン達の姿に混乱した里の守備隊は敵の猛攻に晒され、碌な手傷を負わせる事すらせずに敗走した。 彼らは曲がりなりにも精強なる竜の眷属、平時であればこのような失態は犯さなかっただろう。 しかし、悪いことに竜達の殆どは先頃からの流行病で体調を崩しており、本来の戦闘能力を発揮出来る者は幾匹も居ない。それに加え、敵の侵入を警戒した連日連夜の見張番が彼らの心身を疲弊させていたこと、頼みの『雷』と『氷』の援軍が『木』『水』の急襲により動きを封じられていたことも災いした。 竜族はその長たる『炎』の指揮の下、『光』と『風』の後押しを得て力の限り戦い続けたものの、一度崩れた態勢を立て直す事は難しく、数々の不運も重なった結果、火山は日没を待たずして陥落した。 『炎』は生き残った竜を率いて南麓の樹海へと姿を消し、戦の最中に深手を負った『光』と『風』は行方知れずとなった。 彼らは決して油断などしていない。想定し得る全ての侵入経路に昼夜見張を立てていたのがその証拠。 そして長の『炎』と、『光』『風』という三匹の強力な古代種デジモンが火山の防衛の為にに全力を尽くした。 それなのに何故竜の里、ひいては里を擁する火山地帯がこうもあっさりと奪われたのか? 事の起こりは襲撃の日から遡って三ヶ月程前── 「秋頃には落とせましょう」 主から作戦の首尾について問われた『鋼』はそう答えた。 「は? 僕待つの嫌いなんだけど」 予想通りの返答。兎に角この幼王は堪え性が無いのだ。 「『炎』が相手ですので、備えに三月(みつき)頂きます。その代わり、作戦自体は実行の日──本日より数えて九十二日目の、その日の内に終わらせます故」 一蹴してやろうと思ったルーチェモンだが、『鋼』の語った"実行の日に作戦を終わらせる"という、一見無茶にも思えるその宣言が些か気になった。 「……準備さえ出来れば一日で片付くってコト?」 「左様に御座います」 即答。面白いじゃないか、これからどうするつもりなのかじっくり見物してやろう。 「じゃあ、三か月待つね。その代わり、少しでも遅れたらお仕置きだよ。この間の倍くらいキツいやつを用意しておくからそのつもりで」 「御意」 『鋼』は深々と頭を下げた後、無い踵を返して玉座の間から退出した。 「一日で片を付けるとは大きく出たな。だが準備に三か月とは……」 そう言ったのは、ルーチェモンの側近である茶毛の聖獣。王と各地の領主との伝達役も担うこの勤勉な大兎──アンティラモンは、『鋼』の突拍子もない提案に酷く呆れた様子だった。 「本来ならば半年欲しいところだったが……何処ぞの莫迦が『それほど時間もかからない』等と言った所為で三月に納めねばならなくなった」 「それは……申し訳なかった……が、その三か月も十分長い。よく断られなかったものだ」 「その日のうちに終わらせると言ったんだ、三月の準備程度で文句も言うまい」 アンティラモンと会話するその間にも、『鋼』は卓上に並べた大量の書簡を見比べながら何やら思案していた。 「さっきから何を……」 何をしているのか聞こうとしたがやめた。以前『鋼』に長話をさせたら夜を明かす羽目になったからだ。 それにしてもこれらの書簡──見た限りでは大陸各地の気候に関する報告書のようだが、今回の作戦にどう関係するのだろう? こいつのやる事はどうにも理解しづらい。 それから月日が経ち、実行の日まで残り一ヶ月──件の火山地帯を含む山地エリアで病が流行り始めた。 原因は急激な気温の低下。これは現実世界においても同様だが、気候の激変というのは生物の身体に重大な影響を及ぼすものである。 屈強な竜族も例外ではない。 里の守備に当たる者、その大多数を占める成熟期のデジモンが、人で言う所の風邪をやや重くしたような症状を訴えているという。 これだけで死に至る訳ではないが、戦に臨む戦士にとって厄介な事は間違いない。 「成程、最初に気候の記録を調べていたのは病の流行を予測するためか。だが、軍を退かせた後どうするんだ? いや、こちらの兵まで病に罹っては困るが……実行日まで間に合うのか?」 「良い。ここまで来れば後は待つだけだからな」 そう言って振り返った『鋼』の双眸は、凶々しく歪んでいた。 火山の竜達は体力の限界を迎えていた。 病み上がりの体に鞭打ち、敵の夜襲を予想して不寝番に立ち、夜が明けてからも同じ場所を日没の時間まで警戒。見張の最中に意識を失いそうになった事も一度や二度ではない。 「師匠。見張り番は結構ですが、これでは埒が開きません。皆疲れ切って、これでいざ戦になっても誰一人役に立つ者はいませんよ」 「口を慎め。長と御客人までもが直々に見張をされている中で我らが先に音を上げるなど言語道断」 灰色の老竜は尚も何か言おうとしたが、若いティラノモンの不穏な眼光に思わず口を噤んだ。 「……いい、儂が代わる。お主は休んでおれ」 ティラノモンは返事の代わりに大きな溜息をついた後、無言のまま休息所の洞窟へと入って行った。 そして内部で響く言い争いの声──蝕まれているのは体だけではない。竜族の固い結束すら、この極限状態で徐々に綻びを見せていた。 このままではいずれ里の守備体制は崩壊する。 一度長の『炎』に相談してみようかと振り返った老竜の目の前を突如一筋の閃光が横切り、次の瞬間彼の視界は闇に閉ざされた。 「師匠ッ、敵襲です‼︎ 」 敵襲だと? 一体何処から入ったのだ? 歴戦の古兵たる老竜といえどこの状況を前にしては狼狽せざるを得ない。 「敵だ、敵が里に入ったぞ!」 「殺されるぞ、早く逃げろ!」 両眼を裂かれた老竜は何も見えない。だが、竜達の悲痛な声と血腥い空気が、今この場所で起きている惨事を物語っていた。 「皆、怯むな! 何としてでも敵を排除するのだ」 守備の要を任されながら敵の侵入を易々と許した事実に老竜は焦りを覚えた。 敵の気配を感じたならば即座にその方向へと火炎を吐きつけ、剛腕に備えた巨大な鉤爪を振り下ろす。だが悲しいかな、最初不意討ち気味に火炎を食らった一名以外の敵兵はとうにこの場を離れ、次の獲物を探して里の奥へと移動した後。 一人虚空目掛けて爪牙を振るう老竜の頭上、二対の赤光が怪しく煌めいた。 「問う。『光』の銀狼は何処(いずこ)に在る?」 竜の里を襲ったのは『土』と『鋼』の手勢、その中でも地中に暮らす生態を持ったデジモンだった。 ディグモンと呼ばれる、螻蛄(けら)のようなアーマー体を指揮官に据えた30あまりの小隊は襲撃から一ヶ月程前──そう、丁度件の病が流行り始めた頃に火山の内部、竜の里の真下あたりに到達しそこで実行の日を待ち続けていた。 彼らより前、『土』が遣わせた他の兵が『木』の配下と共に尾根伝いを歩いて竜族の目を引いていた事、更に疫病の蔓延に起因する里内の混乱が、地下で蠢く彼らの気配を紛らわせた。 そして実行の日──竜の守備隊はかつての勇壮さを失い、まさしく疲労困憊。 合図で飛び出した先鋒の兵が鉄爪のひと掻きで守備隊を仕切る老竜の眼を潰し、慌てふためく他の竜は皆一撃を食らった途端に蜘蛛の子を散らすが如く逃げ去った。 敵が白昼堂々と、しかも自陣の中から攻めてくるとは夢にも思わなかった彼らは完全に不意を突かれた格好となった。 長の『炎』に敵襲の報が伝えられた時には既に守備隊は潰走し、その頭である老竜も血溜まりを残して姿を消していた。 『炎』は『光』『風』の両名と共に敵へと襲いかかった。老竜のそれとは比べ物にならぬ程の猛火が数名の兵を焼き払い、残った者達を三振(みふり)の刃が斬り刻む。 「長、敵の増援です! それも恐ろしい数の大軍が……!」 山頂目指して駆け上がる軍団の先頭に、他とは明らかに異なる闘気を纏った、燃える隕石の如きデジモンが見えた。 「あいつは『土』の領主……大将が自ら出て来るあたり、本気で此処を取るつもりみたいね」 「させぬ。この山は我ら竜族の聖地、悪しき王の手に渡す訳にはいかない」 刹那、大剣を構えた『光』が敵軍目掛けて火山の急坂を駆け下りた。『土』は獰猛な笑みを浮かべて迎撃の構えを取る。 巨大な刃と『光』自身の重量を合わせたところに高所から振り下ろす勢いを加えた必殺の一撃。『土』は下から無造作に差し出した掌に刃を食い込ませてこれを受けた。 何と凄まじい剛力、何と強固なる表皮。 渾身の斬撃を止められて一瞬無防備になった『光』の水月を『土』の拳が深々と抉り、白銀の巨体が宙を舞う。 『光』は咄嗟に受身を取り体勢を立て直したが、急所に受けた傷は想像以上に重く、片膝をついた姿勢から立ち上がる事が出来ない。固く食い縛った牙の隙間から溢れた鮮血が、赤い筋を残して滴り落ちる。 加勢に入ろうと動いた『炎』と『風』の眼前に、黒々とした巨影が立ちはだかった。 真紅の瞳、漆黒の体躯──『闇』の名を持つ魔の獅子だった。 「『闇』の主……お前もルーチェモンの配下に付いたか」 「否。我は何者の支配も受けぬ。我は汝らの敵に非ず。されど味方にも非ず」 「じゃあ何しに来たのよ。まさか、見物に来たとか言うんじゃないでしょうね?」 『風』の問いかけには答えず、『闇』は背後の銀狼を振り返る。 「問う。『光』の銀狼とは貴様の事か?」 「……そうだと言ったら、どうする?」 「我は『闇』の末裔、『光』を屠るは我が血族の使命なり」 黒獅子の咆吼が響き渡る。『土』はつまらなそうにその様子を眺めていたが、傍の兵士たちは恐怖のあまり身じろぎ一つ出来ない。 「『闇』の主。貴殿の目的がその狼ならば、残り二名は我々が頂いてよろしいですね?」 「好きにされよ」 そう言って『光』の元へ駆け寄った『闇』は、未だ立ち上がれない彼の喉元に己が牙を突き立てたかと思うと、その身体を咥えたまま渓谷の底へと飛び込んで姿を消した。 「待ちなさい!」 「おやおや、他人の心配をしている余裕がそちらにありますかな?」 『風』の背中で魔力の塊が爆ぜた。 真紅の飛沫と虹色の羽を撒き散らしながら、血塗れの痩躯が昏い谷底へと堕ちてゆく。 何が起こったのかと振り返る『炎』の視線の先で、深緑の法衣に身を包んだデジモンが虚空から姿を顕した。 「遅いじゃありませんか。お陰で要らぬ怪我をしました」 『土』は掌に付いた刀傷を当てつけのように見せびらかす。 「お前が討ち損ねた連中を片付けてやったんだ、文句を言われる筋合は無いぞ」 不満気に答えた『鋼』が不意に『炎』へと向き直った。 「『炎』の竜、貴公の眷属達は皆無事だ。されど、今彼らの悉くが死の淵に立たされている事もまた事実」 「……何が言いたい?」 「選べ。聖なる火山の領地を護るか、竜共の瑣末な生命を守るか……」 『鋼』の言葉に呼応するかのように、山頂付近で幾本もの火柱が立ち昇る。 「……里の竜を集めてくれるか?」 「長! まさか、一族の聖域をお捨てになるつもりで⁉︎」 「竜達を無駄に死なせる訳にはいかない。済まないが、今は耐えてくれ」 『炎』が見せた苦悶の表情。伝令のティラノモンは大急ぎで山頂の里へと駆け戻り、残った竜を掻き集めた。 長の元へと集う竜の群れ。疲労と虚無と失望の入り混じった表情を浮かべながら、彼らは火山の南に広がる樹海の奥を目指して歩を進める。 最早竜達に反抗する力も意気も残されていない。それを分かっているのか、『土』『鋼』の軍勢は彼らを追わなかった。 竜の一団が木々の中へと姿を消したその頃、陽光は未だ地平の縁で赤く輝いていた。 伏魔の章 終 凶星の章へ続く
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森乃端鰐梨

その他
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