奇妙な光景だった。
『鋼』の執務室の卓上に、角付きの鉄面を被った、猫の如き頭部と尾のみを持つ獣と、銀色をした鼠の玩具と形容すべきデジモンが乗っているのだ。
領主自らを除けば、その側近や同盟軍の幹部のみが立入りを許される筈の執務室──だが、卓上のデジモン達がその何れにも該当しない事は、余りにも幼い彼等の外見を見れば明らかだった。
「大将。もしや、"打った手"というのは……」
「然り」
セトモンは唖然とした表情で卓上のデジモンを見遣る。
何たる事か、主ともあろう者が、進退窮まった挙句にこんな幼児達に縋るとは……『土』の領主が抱いた不安は、見事に的中していたのだ。
そんなセトモンの心中を察したのか、『鋼』は彼の目の前に一編の書簡を放った。
「これは……!」
展開した紙面上に記されていたのは、離反したとされるデジモン達の名と所在、行動履歴に関する詳細な報告。
「カプリモンは耳敏く、チョロモンは外敵の知覚を乱す。此奴らは小柄故、敵兵の目に留まり難い。敵中を探るに、これ程都合の良い者もそうは居らぬ」
『鋼』の言葉に、カプリモンが誇らしげな表情と共に丸い身体を目一杯逸らす。どうやら、胸を張っているつもりらしい。
その隣に居るチョロモンも、彼に賛同する意思を示そうとしているのか、赤い目を忙しなく点滅させた。
鉄面の二本角に高精度のアンテナを内蔵するカプリモン。
敵デジモンのAI、即ち人間にとっての脳機能に混乱を来す鉄粉を尾先から噴出するチョロモン。
彼等を一組にして天使軍の前線基地に放ち、その中にいる離反者やその周囲の行動を監視する。
進向を光センサーに頼っているが故に暗所では動けぬチョロモンをカプリモンに乗せて運び、一方でカプリモンの存在を察知されぬためにチョロモンが適宜鉄粉を撒いて敵兵を攪乱する。そうして彼等が集めてきたのが、竹簡に記録された膨大なデータであった。
「成る程、すべてはお見通しであったと……ですが大将、そういう事はサーチモンの十八番でしょう。『土』の領主様ならば、すぐにでも派遣して頂けるのでは?」
「彼奴は天使軍に顔が割れている。万が一にも姿を見られたならば此方の動きが筒抜けとなろうぞ」
言われてみれば、元々四名の領主達はルーチェモンの配下、即ち天使軍とは同じ側に立っていた。ならば、そのうちのひとりである『土』の麾下にある偵察隊の小隊長、サーチモンの事も彼等は当然把握しているだろうから、その潜入を予測している可能性は充分にあるといえた。
「ふむ。しかし大将、こんなにも裏切りが相次いでいては幾ら敵情を把握出来たとて軍の崩壊は避けられません。一体どうしたものでしょうか?」
「策はある……が、今不用意に動くのは拙い。彼方に"仕掛け"を知られては、この策は意味を為さぬ」
絡繰を知られたその瞬間に全てが水泡に帰す──故に、先走りの気がある『土』の動向は『鋼』にとって目下の懸念材料であった。彼の配下であるサーチモンの派遣を渋るその理由も、先に述べた事情に加えて、彼の主である『土』の短気が要らぬ危機を齎す事を警戒しての事だった。
「余計な事はするなと言っておいたが、『土』は生来の気短者故、どうにも信用出来ぬ。セトモン、お前暫く彼奴の様子を見ていてくれるか? 同行させる者は、お前の判断に任せる」
「了解しました」
そう言って執務室を出たセトモンは、出入口付近に待機していた部下二名を連れて城外へと躍り出た。
疾走する三つの巨大な影が城壁の際で高々と跳ね上がり、瞬く間にその頂上に達する。
西の方角を目指して駆け出した彼らの背後では、薄墨色の空に鋸歯の如き岩峰の影が黒々と浮き上がっていた。
*
人獣争乱終結まで、ルーチェモン麾下の軍において中核を担っていたのは騎兵隊──その名の通り他のデジモンに騎乗して戦闘を行う者、或いは現実世界の人間が想像する、一種のシンボルとしての"騎士"の容姿を持つ重装歩兵で構成された部隊だった。
広大なデジタルワールドの大地の、ありとあらゆる場所で発生する闘争を短期間で鎮圧するのに、騎兵隊の卓越した機動力は大いに役立った。
ミスティモンを始めとして、天使軍の上級幹部を数多く輩出している事からも、騎兵隊が極めて優れた戦士の集まりであることは明らかであった。
しかし、反逆戦争でルーチェモンと敵対した者達のうち、『鋼』『木』『土』『水』の四匹は、峻嶮な高山地帯や巨木の繁茂する樹海、或いは深海の峡谷の底等、いずれも過酷極まる場所に縄張りを構えるデジモンであった。
このような場所における戦闘では騎兵本来の機動力を活かす事は難しい。そこで台頭してきたのが、今現在ホーリーエンジェモンが率いている猟兵隊である。
リアルワールドにおいては銃器の扱いに習熟した軽装歩兵の事を猟兵と呼ぶが、一方でこの時代のデジタルワールドでは、散開してからの隠密戦闘、或いは種として元来備えた技を用いた遠距離からの狙撃等を得意とする徒士の総称として扱われた。
人間界の猟兵と同様に、彼等は少数かつ狭所での機動力に優れた部隊であり、足場の悪い山道や断崖、入り組んだ林間でもその動きを阻害される事はなく、また先々代の頃から募っていた水棲系デジモンの傭兵を用いての水中戦闘が可能であった。
これら猟兵の特性を鑑みれば、敵と化した件の四領主達を攻めるにあたって彼等が作戦の中心に据わる事は自明の理であるといえよう。
人獣騒乱の頃は騎兵の支援役に徹する事を強いられ、踏み躙られた矜持を抱えながらの鬱屈した月日を過ごしていた猟兵隊──だが今や双方の立場は転じ、勇ましき猟兵隊の面々こそ当に誉高き天使軍の精鋭なり、とまで讃えられた。華々しき戦果無き時であっても、彼等は後の勝利に繋がる働きを成して帰ってくる。
叛逆者の軍で参謀を務める『鋼』の主が、猟兵隊に関する内外の情報を最優先で収集していた事からも、彼等が軍内において如何に重要な役目を担っているのか、そして、敵対者にとってどれ程迄に厄介な存在だったのかは、推して知るべしであった。
そんな彼等は他の王軍兵士達にとって頼もしい事この上なく、だが同時に嫉妬の対象でもあった。
「……そういえば、いつだったかアンタの所に来た小隊長とやらも元は騎兵だったわねぇ。確か、ミスティモンが入団した時の教練担当だったとか……」
黄金に光る月を仰ぎ、『水』は徐にそう呟いた。
セトモンを送り出してから凡そ一刻後、一匹のピラニモンだけを伴って現れた彼女は、いつものように酒をねだることもせず、池の中心で水を吐く龍像の頭に登り腰を据えた。そこから暫くの沈黙を経て発したのが、先程の言葉だった。
「行く行くは騎兵隊の、末は天使軍の長となるべき者──俄かには信じられぬ話だが、彼奴嘗てはそう持て囃されていたらしい。何とも甚だしき買い被りではないか」
「酷い言いようねえ。ま、本当の事だから仕方ないんだけど」
「……して、本題は?」
鋭く細められた『鋼』の双眸が、不気味な金光を放つ。
「一昨日を以て、火山地帯の猟兵隊が撤退しました。その代わりに入ったのが、騎兵隊長とその直属部隊……」
水面から頭部の上半分を覗かせたピラニモンが『鋼』の問いに答えた。
嘗ての『炎』の領域たる、火山地帯。陥落させたのはルーチェモン麾下にあった頃の自分達であるが、戦後は猟兵の大隊を率いた幹部が数名駐屯しその統治に当たっていた。その役目が、今になって騎兵隊長へと移された。
今後激化する戦闘を見越して、より多くの猟兵を実戦の場に投入するために行われた措置であろう。
「ただでさえ猟兵にお株を奪われて面白くないってところにコレだものねえ。騎兵隊長様、今何を考えてるかしら?」
大戦を前にして辺境の中の辺境ともいうべき火山への事実上の左遷を、王自らの口より告げられたという騎兵隊長の心中が穏やかならざるものであった事は、想像に難くない。
立場があるならば、其処には権限もある。それを欲するのは人の性であり、本能に刻まれた欲望のひとつである。人に近しき形質を得たが故に、『鋼』はその事実を良く理解していた。
多勢の天使軍は決して一枚岩ではなく、各隊、或いは個々の将兵相互のしがらみが多少なりとも存在する。自分は彼等と敵対する立場であるからこれを煽動し、利用する事を考えるのは決して不自然ではないと考えるが……
「一先ずは、様子を見る他無かろう」
「あら、放っておくの? アンタなら上手く利用して仲間割れを誘う、とかやると思ったんだけど」
「詳細が分からぬ以上、此方から仕掛けるのは悪手となろう。王が直接関わっているならば尚更の事……」
指揮官たるルーチェモン自らが、天使軍の中に混乱を招こうとしている──戦場において己の手足がわりとなる天使軍に、態々分裂の原因となる火種を与え続けるなど、およそ正気の沙汰とは思えぬ行為ではあるが、それを全く隠さぬあたり、その真意は別にあるのだろう。
「……まあ、向こうも馬鹿じゃないからねぇ、迂闊な事は控えておくわ」
「そうしてくれ。おれもこれ以上の気苦労は抱えたくないからな」
『鋼』の言う"気苦労"とやらの原因を察した『水』は、それ以上何も言う事なく、青黒い水面に飛び込んで姿を消した。
*
「手土産……竜族の者がか?」
弓兵隊長パジラモンの報告に、ミスティモンは訝るような表情を浮かべた。
「『炎』の側近にして、里の守備頭を務めていた老竜……其奴が我が配下となるにあたり持参したものです」
そう言ってパジラモンが示したのは、卓上を全て覆い尽くす程の広い紙面一杯に書き込まれた図面。
聞けばそれは、火山を追われた後の『炎』と眷属達が移り住んだ地下の大熔岩洞の経路図なのだという。
「だが、これが何らかの策略の一環である可能性は捨てきれぬ。敵方に『鋼』がいるならば尚更……」
「軍団長……老竜が『炎』を見限ったのは、まさに『鋼』が彼方についた為です」
その言葉が示す意味を、ミスティモンは暫しの思案の後に導き出した。
「つまりは、『鋼』が……領主共が、彼の地位を脅かした事が、老竜の離反を招いた原因である、と?」
「左様にございます。『炎』の勢力は元来一族の者達で構成されておりその信頼関係は極めて強固。ですが、それが揺らいだならば、竜族は土台を失った楼閣の如く容易く崩壊するというもの。『炎』めは己が配下に優れた参謀無き事を懸念し『鋼』を引き入れ彼の策を請うたようですが、全くもって悪手でございましたな」
パジラモンの瞳が弓形に歪む。冷酷非情にして他者への慈悲を持たぬと言われる白羊の眼が、愉悦の光に赤く輝いた。
「猟兵隊からも、『雷』と『土』の守備兵を数名引き込んだ旨の報告を受けております。所詮敵方は一時の利益により集まったに過ぎぬ烏合の衆、綻びを広げさえすれば、忽ちに崩れ去るはずです」
回りくどいやり方ではある。だが、反逆者達を天使軍の圧倒的物量を以て蹂躙するという当初の目論見が阻まれている今、パジラモンの示した、一見非効率的とも思えるその策を用いる事は決して間違いではない。
「然らば、パジラモン。敵軍の……特に、『鋼』『木』『水』の偵察兵に接触し、彼等を此方へ引き入れよ。これまでの戦を見るに、情報戦の要は彼等の隠密。それを抑えさえすれば、敵方の情報網は破壊したも同然であろう」
「御意」
周囲の配下に何やら指示を出しつつ、パジラモンは砦の外へと走り去った。その姿が見えなくなるのを見計らって椅子の背凭れに全身を投げ出したミスティモンの周囲には、黒く染まった魔力の靄が濛々と立ち込めていた。
*
「何だって下衆鏡になんざ頭下げなきゃなんねぇんだよ……」
未だ憎々しい感情を抱いている『鋼』に頼らなければならない現状の腹立たしさに、『雷』は思わず呻くような声で愚痴を溢した。
「仕方がない。俺達の部下が王軍の手引きをしているとなれば、早急に手を打たねばならん。その為には、どうしても彼の知恵が必要なのだ」
己の配下達が、王軍を手引きし味方である『炎』や『光』を危機に陥れた──竜族の件は『闇』の助太刀もあって大事には至らず、『雷』の領域にあっても『木』との連携により此度は事なきを得た。しかし、裏切り者達をこのまま放置しておく訳にはゆかぬ上、漏洩した情報をどう扱うかという問題にも対処しなければならない。直属の指揮官たる自分達だけの手には負えぬところまで事態は進んでしまっているのだ。
「それに……里から出た竜が、機械の兵となっていたあの件も、どうにも気掛かりだ」
『炎』が以前岩峰山脈で目撃した、機械竜の一団──己の眷属であり元は配下であった彼等の姿は、身体の各所に錆びた機械部品を埋め込んだ悍ましきものへと変わり果てていた。
遥か天空に聳え立つ峰を息も切らさず登り続ける無尽蔵のスタミナはその代償に手に入れたものと見られるが、げに恐ろしきは、それ程の体力を備えた雑兵を、ごく簡単な処置を施すのみで確保出来るという点であろう。
「ですが長。機械のデータは岩峰山脈の周辺以外では滅多に手に入らぬものの筈。一体ルーチェモンはどうやってあれ程の数を……」
「ここ最近は大陸全土でリアルワールドに由来するデータが流れ込んでいるらしい。機械兵(サイボーグ)を作るに、今やそう難しい事はないのだろう」
近年デジタルワールド各地に流入する人間由来のデータがその量を増している事は以前に述べた通りであるが、竜達に埋め込まれた機械部品もその内の一部であるとみられた。
「え、直接身体に入れるの? 何か変な副作用とかあるんじゃない?」
「なればこそ、寝返った兵に施したのだろうな」
天使軍の兵士と違い、離反した兵ならば仮に失ったところでマイナスにはならない──提案者は現弓兵隊長であるとの事だが、機械化した兵は猟兵や騎兵の部隊にも数の多寡の違いこそあれ配備はされている。元より大軍であるルーチェモン側の勢力にこれ以上の力を持たせては、そう遠からず自分達の軍は叩き潰されてしまうだろう。己を含め、大将を務める十のデジモンの力を以てしても、かの大軍を相手に生き延びられる保証はなく、況してやそれを打破し勝利を納めるなぞ到底叶わぬ事である。
「……ねえ、機械のデータの取り扱いって、前は『鋼』の領域だけでやってたんだよね?」
「おう、話に聞く限りでは、だけどな」
如何にも深刻な面持ちの『氷』に、『雷』は怪訝そうな様子で応えた。
「で、機械が入った竜がいたのも同じ場所でしょ? 何ていうかさ……あの下衆鏡の事、手放しで信用したらダメなんじゃないかな、って……」
天使軍の各隊に一定数の機械兵を配備出来る程度のデータとなればその必要量は膨大なものとなる。各地の流入量が増えてきているとはいえこれを満たす程のものであるとは到底言い難いのが現状であった。ならば、今天使軍の中にいる機械兵達は如何にして生み出されたのか。
「つまり、『氷』よ。お前の予想では、機械兵の素材の提供元は『鋼』ではないか、という事か?」
「そういうこと。いや、別に個別に恨んでるとかじゃないけどさ、今この状況見て疑うなって言う方が無理だよ」
『炎』は口を噤む。そう、元々自分達と『鋼』は敵同士だったのだ。ルーチェモンと戦うために同盟を組んではいるが、鏡獣の真意を理解出来たかと問われれば、その答えは否である。
「考えられる可能性は幾つもあるが……いずれも今此処で証明出来るものではない。不用意に疑心を抱くのは余りにも危険だ」
その言葉に、『雷』と『氷』は一度互いの顔を見合わせてから再び『炎』に向き直った。
「お前な、お人好しもいいが程々にしろよ」
「いや確かに、やたらと疑うのが良くないのも分かるんだけどね。でも、気をつけるに越した事はないよ、多分」
これだけ伝えたならば後は何も言う事は無い、と言わんばかりに、二匹は地下洞窟を後にした。
──元は俺が協力を願い出た相手、根拠も無く疑いたくはないが……しかし……
一度抱いた疑念を払拭する事は容易ならざる事……況してや『鋼』は元々ルーチェモン麾下の上級幹部であり、その狡猾な遣り口についても、『炎』は自らの身を以て知り得ている。
「これは、思った以上に厄介な事になりそうだな」
蒼い瞳に暗い翳を落としてそう呟いた長の横顔を、傍らのティラノモンは不安に満ちた表情で見つめていた。
死んだわパジラモン。夏P(ナッピー)です。
「これも敵の策ではないのか?」「いえいえ、ホニャララな理由からこれが策であるはずがございません」などと言ったら裏を掻かれて死ぬのは必定。ところでミスティモンの魔力のモヤモヤは何でしょうか、てっきり彼奴は後のデュナスモンになるものと思っていましたがブレスオブワイバーン的なアレなんだろうか。パジラモンはどれかの領主に討ち取られると見せかけ、実はミスティモンにあうんさせられるのかもしれん。んもー、下手に冷酷な顔や舌なめずりをすると余計に死期を速めるぞ!!
マスターティラノモン氏は寝返ったと見せかけ、最後の最後に竜族の誇りは捨てていませんでしたァーッ的な奴と予想。
『水』はああ言っていましたがいや愚王と呼ばれるだけあって単なるアホだろ傲慢と思っていましたが、ここに来て「何か別の意図があるのでは」と前フリがされました。リアルワールドからの情報の流入が激しいという言及もあって、これは「私に従うか死ぬかどちらかを選べ」来るな!? デジタルワールド制覇の後は人間界に攻め入る奴! 『炎』『氷』『雷』の会話もあってどちらの軍勢も一枚岩では行かないっぽいですし、こっから裏切り裏切られの嵐なのでしょうか。でもこの『鋼』は冷徹ではあるけれども心中に熱いものを持ってるっぽいので、機械化技術を売ったりはしなさそうなんですけどねー。
それはそうと幼年期をも用いる策は見事。これぞ孔明。
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。