目覚めた時には、全てが吹き飛んでいた。
「一体、何が起こったというのだ……なぜ、このような事に……」
ケルビモンと呼ばれる、薄桃の被毛を持つ兎のような姿をした智天使型デジモンは、瓦解した城の跡地に呆然と立ち尽くしていた。
"神の領域"カーネル。
コンピュータ内部のオペレーティングシステムにおいて運用の中核を成すソフトウェアに名の由来を持つこの地は、電脳空間デジタルワールドに存在する全データの演算処理を担う、謂わば『世界の心臓部』。
カーネルが古より精強なる天使型デジモンの軍団によって篤く守護され続けてきたのはそのためである。
だが、今はどうだろう。カーネルに存在したあらゆる構造物は悉く瓦礫の山へと変じ、聖域の守人たる天使にあっても、ケルビモン以外に立っている者はなくただ彼らの無残な屍とその微細な断片が其処彼処に散らばるのみであった。
中枢たるカーネルの異常とは即ち、デジタルワールドの崩壊と同義。この恐るべき終末の災いは、如何にして齎されたのだろうか。事の始まりは、冒頭より遡って丁度半日前のこと──
「ダークエリアにて、コキュートスの魔王達と正体不明の勢力との戦闘が勃発した」
この急報を受け、カーネル中央部に聳える巨城へと集結した天使型デジモンの最高位、通称『三大天使』。
熾天使セラフィモン、智天使ケルビモン、座天使オファニモン。
この三名こそが天使型デジモンのうちの筆頭格であり、神の領域たるカーネルにおいて守護の要を担う存在であった。
「正体不明の勢力とは? まさか、かの吸血鬼の王が動いたか、若しくは、魔王同士が何かの理由で争い始めたか……」
ケルビモンの問いに、青と銀の甲冑を纏う天使、セラフィモンが首を横に振る。
「その可能性も考えられたが……原則不干渉を貫く七大魔王達が、態々労力を割いてまで相争うその理由も、現状では見当たらない。それに、魔王と争っているのが吸血鬼の王や彼に比肩するデジモンだという仮定だが、それにしては相手方のデータ容量が余りにも小さ過ぎる」
セラフィモンのその言葉に、同席したケルビモンと、彼の隣に座す碧鎧の天使オファニモンが思わず頭を捻った。
データの墓場、デジタルワールドの地獄とも呼べる暗黒の世界ダークエリア──その最下層部コキュートスには、『七大魔王』の通称で知られる七種の強力な魔王型デジモン達が本拠を構えており、長きに亘ってこの黄泉の世界を統べていた。
現在に至るまで、支配者の座に対する野望と悪しき意思とを持ったデジモン達が彼等になり変わらんと戦いを挑む様子が何度か観察されてはいたが、その悉くは返り討ちとなって果てるのが常であった。
とはいえ、究極体に至らずともそれを凌駕する力と強大な勢力を有するデジモンがダークエリアの中に生息しているのもまた事実である。
そのうちの一例、"地獄の貴公子"と謳われるアスタモンという魔人型のデジモンがいるが、この種は完全体の身でありながら究極体を凌ぐ実力を備え、そのカリスマ性によって悪魔デジモンの軍勢を率いてダークエリア内でも一定の地位を築き上げているのだという。
今回の件に関しては、このようなデジモンが縄張りを拡充するにあたり七大魔王達と交戦した、というところだろうか。
「どのようなデジモンを相手にしているにせよ、七大魔王の関わる争いであることに間違いは無い──此方にどのような影響が及ぶか、今の時点では見当もつかぬが……いずれにせよ、用心はしておくべきだろう」
頷いたケルビモンが、ふと城の出入口に視線を移した。
「何かありましたか?」
「……どうにも外が騒がしい。一体何をしているんだ?」
その言葉が終わると同時に、全身を朱に染めた守備兵の一人が慌てた様子で城内に駆け込んで来た。
「て、敵襲です! 領域内に七名の侵入者を確認!」
三人の天使が弾かれたように立ち上がった。七の数字を耳にして、彼等の脳裏にかの恐るべき魔王達の影が過ぎる。
「賊は……賊は一体、何者か?」
答えはなかった。
その口から言葉が発せられる前に、伝令兵の頭が胴体から分かたれてしまったためだ。
首なしの亡骸が前のめりに倒れ、その背にしがみ付く下手人の姿が露わになった瞬間、三大天使は皆一様に己が眼の正常ならざるを疑った。
賊の正体は、ダークエリアの黒い森に住まうウィルス種の成長期デジモン 、ファスコモン。
リアルワールドの豪州大陸に生息する珍獣ファスコラルクトス・キネレウス……一般にコアラと呼ばれる生物を模した本種の、緊張感の無い眠たげな顔付きとぬいぐるみのような丸っこい体躯とあまりにも緩慢なその仕草だけを見れば、彼等は無害な存在のように思えるだろう。
だが、目の前で繰り広げられる悍ましき仕業──毟り取った獲物の頭部を抱え、前脚にこびり付いた返り血を恍惚とした表情で舐め取るファスコモンの姿は、起源たる小動物の愛らしさとは到底無縁の、冷酷非情な悪魔の眷属そのものであった。
それにしても、捕食行動や外敵への奇襲以外、一日の殆どを樹上で眠って過ごすとされるファスコモンが、このような遠方にまでわざわざ足を運んで来るとは、一体どうしたというのだろう。
それに加えて、自分より上位の進化段階にある、然もウィルス種の天敵たるワクチン種デジモンを襲って死に至らしめる──俄には信じ難い光景だった。
「貴様、此処が神の領域と知っての狼藉か⁉︎ 目的は何だ?」
ファスコモンは応えず、手に持った血塗れの生首をケルビモンの顔面目掛けて投げつけた。咄嗟に躱しはしたが、首の飛んでいった先から響く轟音と石材の剥がれ落ちる乾いた音とを耳にし、桃色の智天使は背筋に走る薄寒いものを感じた。
「どうも、ちょっとお邪魔しますよ」
殺伐としたこの場に似つかわしくない、気の抜けるようなその声に天使達が振り返れば、顔の中心よりやや左寄りの部分に陥没の痕と血の染みを拵えた神像の頭頂部に、伝令を襲ったのとは別のもう一匹のファスコモンが腰掛けていた。
白羽の団扇を携え、暗い灰褐色の毛皮の上に白縹の袍と群青の綸巾を身につけた、古き時代の軍師を思わせる、通常の個体とは明らかに異なる奇妙な出で立ち。異形のファスコモンは忙しなく口元を動かしながら何かを咀嚼しているように見えるが、それが何なのかは三大天使達のいる位置から窺い知ることが出来ない。
「貴様らは何者だ? 魔王の内のいずれか、或いは吸血鬼の王の手先か……言わぬなら、斬り捨てるぞ」
ケルビモンの手に、稲妻の槍が現れた。隣のセラフィモンとオファニモンも、即座に攻撃の構えを取る。
「この状況で尚そのような口が利けるとは、余程腕に自信がおありと見える。いやはや、流石は世に名高き三大天使……」
神像の頭を蹴って跳んだファスコモンが、一番近場にいたケルビモンの眼前に着地し彼の黒々とした瞳を徐に覗き込んだ。
「おやすみなさいませ」
ファスコモンが僅かに目を細めたその瞬間、ケルビモンは声を発する暇もなくその場に崩れ落ちた。
睡眠波動エビルスノア──ファスコモンという種が標準的に備える技の一つであるが、成長期の発するそれが、進化の最高位たる究極体、しかも、その中でも上位の実力を持つ三大天使のひとりを一瞬にして昏睡状態に陥らせるとは。
「この者達、単なる使い魔ではないようです。くれぐれもご注意を……」
オファニモンの言葉に、セラフィモンが頷く。二人の視線は、敵に注がれたままだった。
「セブンヘブンズ」
「セフィロートクリスタル」
七つの火球と十の水晶塊が、それぞれの正面に立つ敵目掛けて襲いかかるが、二匹のファスコモンは横に転がってこれを回避し、瞬く間に天使達の懐へと潜り込んだ。
軍師姿の方と対峙していたセラフィモンは、自分に迫る小さな魔獣の胸元、デジモンにとって生命のコアとなる電脳核のある辺りに拳を叩き込んだ。みしりと軋む手応えは、核の中心を捉えた証拠──拳打の衝撃で後方に飛ばされたファスコモンは、口から血煙を吹き出しながら床を転がった。
とどめを刺すならば今この瞬間をおいて他に無しと、セラフィモンは再び"セブンヘブンズ"を撃つ構えを取った──
「嗚呼、誠に貧弱……少し貴殿を買い被り過ぎたようです」
むくりと起き上がったファスコモンの左手にある竹簡が、飛びかかる大蛇と見紛うような勢いで前方へと繰り出された。革紐で綴った竹札の帯が、まるで意思を持つ一匹の生物であるかのようにくねりながらどこまでも伸びてゆく。
大技の構えに入っていたセラフィモンはこれを避ける事が出来ず、四肢に首にと竹簡が絡みついて完全に身体の自由を奪われた。
成長期が究極体の渾身の打撃を、それも急所に受けたにも関わらず平然と立ち上がり、身体の損傷も意に介さぬとばかり、純粋な膂力を以て天使の筆頭格たるセラフィモンを雁字搦めに拘束した──果たしてこれは、現実に起こっていることなのだろうか。
「全く、今代の三大天使の、何と未熟なる事か」
ファスコモンは軽蔑するような調子でそう言い放ったあと、床に向かって何かを吐き捨てた。
それは、羽の切れ端の纏わり付いた、白く変色した生の肉片。
襲った天使デジモンの身体の一部を齧り取ったものであろうこの肉から血を吸い出し、それを勢いよく吹き出すことで負傷を装い相手の油断を誘った──セラフィモンはこの行動自体にも驚かされたが、そもそも、このように多量の物体を口に含んで尚明瞭な音声を発して会話など出来るものだろうかと、至極単純な疑問が頭を過った。
思い返せば、ファスコモンの口元の動きと、彼が発しているであろう声とが、僅かばかりずれていたようだが……
一方その頃、片割れのファスコモンは、オファニモンの絶え間無く繰り出す槍の刺突を悉く躱しながら、彼女の周りをひらひらと飛び回っていた。その様子は、戦いと云うよりは宛ら児戯のようだが、仮にも聖域の守護者、更にはその筆頭格のひとりだけあって、オファニモンは敵の挑発じみた振る舞いを前にしても冷静なままだった。
飛び回る魔獣の行く先を測り、そこを目掛けて素早く突きを放つ。この予想だにしなかった攻撃が片翼を掠めたファスコモンは、空中で大きくバランスを崩した。
そこに再び、オファニモンの鋭い槍の一突。
だが、ファスコモンは空中でくるりと回って体勢を整え、迫る穂先を足で踏みつけそこから軽やかに跳躍してみせた。そして、溜めを挟んだ上で放つ、全身の捻りを加えた回し蹴り──成長期の小柄な体と謂えど、その全体重を乗せた一撃の破壊力は侮れない。重々しい衝撃音と共に、ファスコモンの短い後脚が鎧の無い腹部に深々と突き刺さった。
「マーヴェリック」
ぼそりと呟いたファスコモンが、闇の気を纏った後脚を振り抜くと同時に、オファニモンは遥か後方の壁際まで弾き飛ばされた。
倒れ伏し激しく咳き込む彼女の口から、湿った音と共に赤黒い血の塊が吐き出された。今の一撃で体内を損傷したのだろう。
窮地のオファニモンに加勢せんと、セラフィモンは竹簡の縛めを強引に引き千切って駆け出したが、軍師姿のファスコモンが即座にその行く手を阻んだ。彼の放った毒爪ユーカリクローが掠めた鎧の表面が、どろりと音を立てて融解する。
異様な程の怪力、変化した毒性──彼等は、通常のファスコモンと何かが異なっている。片方の珍妙な格好は言わずもがなであるが、彼ともう一匹のファスコモン双方の力が、何者かの手が加わった結果齎されたものであることに疑いの余地は無かった。
お前達は一体、何者なのだ──その疑問がセラフィモンの口をついて出ようとした瞬間、頭上から不気味な青の薄明りが降り注いだ。
見上げた先では、小さな翼を羽ばたかせながらくるくると回り続ける一対の魔獣が、虚空に巨大な真円を描いていた。その中心に浮かぶは、夜空の如き紺青の鮮やかな、光の魔法陣。
LEVEL:666
CODE:SLOTH
SYSTEM:BELPHEGOR_
「あれは、"怠惰の冠"⁉︎ では、やはり……」
CAUTION! PURGATORY LEVEL 4_
「セブンス・ペネトレート」
軍師姿のファスコモンが白羽扇を天高く掲げるのと同時に、蒼光の冠から膨大なエネルギーが迸った。それに呼応するかのように、二匹の魔獣の双眸と、彼等が差し出す前脚の指尖とが赤く輝いた。
「さらばです、愚昧なる天使達よ。嗚呼、せめて汝らの死の旅路が、憂なきものでありますように……」
眩い真紅の閃光が、天使達諸共カーネルの中心部を飲み込む。セラフィモンの意識は、その最中に途絶えた。
ケルビモンが目覚めた時には、もう全てが終わっていた。神域の守護者たる天使デジモンの軍団は、彼を除いた上級及び中級部隊の構成員が悉く行方不明となり、下級部隊に至っては殆ど全滅状態という惨憺たる有様であった。
「なぜ、このような事に……」
絶望に打ちひしがれたケルビモンは、頭を抱えたままその場に蹲った。
「うわぁ、酷いねコレ。生きてるのは君だけ?」
唐突に投げかけられた、あまりにも軽い調子のその声に顔を上げると、瓦礫の山の頂点に、顔の左半分を布で包んだ少年の姿の天使が座しているのが見えた。
「お、お前は、"傲慢"の……!」
三大天使の、ひいては全ての天使型デジモンの始祖にして不倶戴天の仇敵。聖なるデジモンである彼等とは、決して相容れぬ魔王の一柱……その姿を映すケルビモンの目に、怒りと殺意の光が満ちる。
稲妻の槍を取り出し全身に沸々と湧き立つ戦意を漲らせた彼に向け、天使の少年は片方の掌を突き出して此れを制した。
「落ち着きなよ、ケンカしに来たわけじゃないんだからさ。それより、さっきのファスコモン……あいつらのコト、色々教えてあげようか?」
その言葉と共に、天使──ルーチェモンが、不敵な笑みを浮かべた。
「……お前が奴等の事を知っているということは、やはり七大魔王の一件に関わる者なのか」
「一応は、ね。うーん……どうしよう、これ説明が面倒臭いんだよなあ」
倦み疲れたような表情になったルーチェモンが、徐に顔の布を解く。その下にある筈の左眼は、深々と刻まれた切傷に掻き潰されていた。
第一話 終
作 ユキサーン様
第二話 ーIncarnation of Destructionー
作 夏P様
ザビケ再興に手を貸すがいいシャアその上で世界のことを共に考えよう。夏P(ナッピー)です。
申し上げます! トトカマ星に超サイヤ人が現れ(首ちょんぱ)あうううん。何だコイツら、あのアイコンが大量生産されたコアラどもつええぞ! 伝令に走った近衛兵を後ろからドスェとは流石は諸葛ファスコモン、男の浪漫をわかっておられる。ここでセラフィモンかケルビモンが「曲者ォ! 者ども、出会え! 出会え!」言っていたら完璧でしたぞご老公or上様。
セラフィモン「上様とあろう御方がこのような場所におられるはずがない! 斬れ! 斬って捨てい!」
オファニモン「ククク見誤ったのう吉宗、将軍と言えどここで討たれれば只人ぞ! 斬れ! 斬って捨てい!」
ケルビモン「最早これまで。悪党と言えど最後に死に花を咲かせてくれるわ! 斬れ! 斬って捨てい!」
(※BGM:あのテーマ)
よく見たらめっちゃベルフェゴール言ってるし! というか必殺技名ベルフェモンXの技では!? アスタモンの必殺技名も出てきたし何者なのだ諸葛ファスコモン。ケルビモン死んだかと思いましたが、そーいや冒頭生きてたわと安心したのは内緒。もしや七体のファスコモンが実は全員七大魔王なんじゃねと思ったらルー様いる! というか片目潰されてる! 赤髪のシャンクスと化したルーチェモン!
セラフィモンとオファニモンは被弾したところで終わってましたが、あのまま死んでしまったのでしょうか。また死亡回数が密かに増えるセラフィモン。何故だ!
これは……2話冒頭にある(と思しき)ルー様の解説無いと続きは難しいな……!