時は来れり。
我、最後の聖戦に臨む。
憎き反逆者共を鏖殺し、その暁には、愚かなる人類に代わり我が世界の管理者となる。
されど、軍中に叛意抱く者あり。
古き血の末孫、彼等こそ罪深き不義の獣なり。
世を憂う志あらば、我と共にかの逆賊共を討て。
その日、『木』の領域は過去に例を見ない程の濃霧に覆われた。
葉の落ちた木々の梢からは、凝固した霧が無数の玉雫となって滴り落ち、宛ら驟雨の様相を呈していた。
「……先日発せられたあの御触書……王軍が動くのも、最早時間の問題でありましょう」
『鋼』の密偵──梟の姿をしたアーマー体、アウルモンが神妙な面持で『木』と対面する。
「現実世界(リアルワールド)への侵攻、我等を謀叛人と看做しての号令……王は一体、何を考えているのだ?」
「それが、皆目検討もつかず……加えて、竜族の長が我が主に対し共闘を呼び掛けておるようですが、あれも正気の沙汰とは思えません」
「故郷の仇を討つ為に、襲撃の下手人たる我々を味方に引き入れたい、か。彼の性格からして、欺く意図があるとは思えぬが……」
しかし、『炎』の提案は、余りにも常軌を逸している。『鋼』は彼の真意が解るまでは返事をしないと決めたようだが、それも当然の判断であろう。
「む……如何した?」
突如弾かれたように背後を顧みたアウルモンに、『木』は怪訝な様子で問いかける。
「いえ、何やら向こうが騒がしいようですが……」
言い終わるや早く、霧の中から朽木の怪物──ウッドモンが慌てた様子で転がり出た。
「い、一大事です! 竜の長が自ら攻め込んで来ましたぞ」
「『炎』が? ……して、彼方の兵数は、如何程か?」
「それが、彼奴どうも一匹で来ているようなのです……しかし、危険な相手である事は間違いなし、急ぎ兵を集めて迎撃に向かいます」
ウッドモンの言葉に、『木』は首を横に振った。
「その必要は無い。おそらく、『炎』は私に用があって来たのだろう。此方からも彼に確かめねばならぬ事があった故、丁度良かった」
『木』は、古木のようなデジモン ──側近のジュレイモン一匹だけを伴い、濃霧に烟る木叢の中へと姿を消した。
*
「馬鹿言うんじゃねぇよ、そんな事が出来るかっ」
その呼び名に違わぬ雷鳴の如き怒声が、樹海の木々を震わせる。
ルーチェモンの配下だった四匹の古代種と共闘し、かの暴虐の天使を討つ──『雷』にとって、『炎』の竜が示したこの提案は到底受け入れらないものであった。
これより少し前、『氷』に同じ話をしたところ、眉間に皺を寄せながら
「確かに味方は多い方がいいけど……大丈夫かなぁ、『雷』の大将にそんな事言ったら多分怒ると思うよ」
と呟いていたが、その不安は見事に的中した。『雷』の配下が先の戦で受けた惨たらしい仕打ちを思えば、無理もない。
「正直私も乗り気ではないけど……今の状況を見たらそうも言ってられないわ」
『風』自身、『鋼』の奇襲で深傷を負わされた経験があるので、本音を言えば、彼や彼の同胞と手を組むなど御免だが、だからと言って自分達四匹の古代種と、各々が従える配下と僅かな協力者達を掻き集めても、ルーチェモンの大軍勢と渡り合うなど出来る筈もない。
「王軍に関する情報も少ない……その意味でも、向こうの事情に通じた領主達を味方に付ける必要があるというのが、『炎』の考え。確かに、今時点で最善の策は何かと云えば、彼の提案をおいて他に思い当たるものは無いわ」
「そうは言ってもなぁ……大体、奴等を引き入れるアテが『炎』にあるとは思えねえが、その辺どうなんだ」
『雷』の問いに、『風』は首を横に振って答えた。
「全く。取り急ぎ、『鋼』の所に書簡を投げては来たものの、案の定返事は無し。一昨日『炎』が直談判しに行ったけど……」
──『炎』の竜は、暴虐の王が動き出す禍々しい気配を感じとっていた。
それは理論や分析の域を超えた、謂わば本能として備わった危機感知能力とでも呼ぶべきものであったが、外界の空気に混じる血の匂いと殺気に満ちた瘴気は、最早一刻の猶予も無い事を何よりも雄弁に語っていた。
黄昏時の闇に深紅の外殻を溶かし、吹き荒れる谷風を翼に受けて岩峰の狭間を滑空する『炎』の目に、凍りついた山道を進む影が映った。
──彼等はまさか、里の者達か? しかし、あの姿は一体……
直立型恐竜の姿をした一団は、戦の後に竜の里を去った守備隊の若竜達と見て間違いない。
しかし、褪せた赤色の皮膚と、その切れ目から露出する錆びた基板や銅線等の機械部品が、彼らの姿を異様なものに変えていた。
「貴様……『炎』か⁉︎ 何故此処に居る⁉︎」
鋭い声と共に、一筋の銀光が『炎』の片目を狙って飛来する。
頬骨付近の頭殻を掠めて抜けた刃の正体は、主の命を受けて部下と共に機械竜達の迎撃に向かっていたセトモンだった。
「竜の長まで来ているのか?」
「これはまずい、早う大将に知らせねば」
『鋼』の配下達は、予想だにしなかった巨竜の出現に酷く狼狽した様子であった。
異変に気づいた機械竜達も、長の姿を認めて俄に色めき立つ。
瞬間、眼下の谷底から噴き上げる邪悪な気配に、『炎』は咄嗟に身を翻した。
『炎』の直近を通り過ぎ、外敵目掛けて躍りかかる異形の顎門(あぎと)。金属に覆われた機械竜の身体が、まるで薄紙のように容易く引き裂かれてゆく。
「竜の長。我が領域に踏み入るは何故か?」
声の主は、何処にも居ない。
だが、忘れもしないそれは、間違いなく『鋼』の発したものであった。
「『鋼』の主、貴殿を含めた四名の領主──その助力を願いたい。本日はそれを伝えに来た」
答える声は無かった。
その代わりに、異形の牙の全てが、『炎』目掛けて殺到する。
吐き出す火炎でそれらを焼き払い、『炎』は巨大な翼を一際大きく羽ばたかせて遥か上空へと飛び去った。
「……そういう訳で、追い払われたって」
「何考えてんだアイツは……」
大胆とも蛮勇ともとれる彼の行動に、『雷』は呆れと憤慨の感情を抱かずにはいられなかった。
だが、此方が反対しても、『炎』は己の意思を曲げないだろう。彼は妙なところで頑固なのだ。
「……信用ならねえのは『鋼』と変わらんが……声掛けるんならまだ〝ヤツ〟の方がマシだぞ」
『雷』が、霧に覆われた樹海西側の領域に顔を向ける。
絡繰仕掛けの木馬──『木』の古獣は、他の三領主と比較すれば温厚な性質ではあるというが、『雷』の領域への凄惨な襲撃が彼の指揮のもと行われた事実を鑑みれば、『木』が信頼出来るデジモンだという保証も無い。
「領主共と共闘なんざ御免蒙るが……『炎』には色々世話になった身だからな、アイツには最後まで手を貸してやる。奴なりに考えがあるなら好きにすりゃあ良い。それが俺の返事だ」
「……『炎』に伝えておくわ。ありがとう」
その声には応えず、『雷』は木々を掻き分けて樹海の奥へと戻って行った。
*
「……『木』の主。無礼を承知で、貴殿に頼みがある。我らと共に、暴王ルーチェモンを討って欲しい」
「……それは、私が彼の禄を喰む者と知っての言なのだろうか?」
鉄板と木片を組み上げて作られた顔に表情と呼べるものは全くないが、その声色から、『木』が猜疑の心を抱いている事は明らかだった。
「王は、貴殿らの永年の忠誠を裏切って刺客の群を差し向けたと聞く。そのような不義があって尚ルーチェモンに従う理由があるとも思えぬ」
『木』が徐に歩を進める。歯車の軋む不気味な音が辺り一帯に響き渡った。
「……王に恩義が無い訳ではないが……斯様に卑劣な裏切りを受けてまで、彼に仕える積りは無い。それは貴殿の言う通りだ」
木馬は、『炎』が立つ場所の直前で立ち止まった。巨竜の視線の更に上、鉄面に穿たれた眼窩から覗く赤い目が、彼をじっと見下ろしていた。
「何より……自ら此処へ赴かれた貴殿の覚悟に、報いぬ道理はあるまい。先の依頼、確と承った」
「……感謝する、『木』の主よ」
「だが、問題は他の三名だ。彼らの気性からして只では従うまいが……何とか話は通してみよう」
『木』の背後に控えるジュレイモンが、彼の伝言を紙片に書き留める。その書簡は、『鋼』の領域へと帰るアウルモンに手渡された。
「次の日の出を見てから此処を発たれよ。時分としては、それが最も良かろう」
『炎』は深く頷いた。
霧の晴れた樹海の上空、蒼の雲井に白銀の陽光が煌々と輝いていた。
*
「汝らの知る通り、我は仕えてより永らく王の為生命を賭して戦い続けたが、それに対する答えは、先の御触書に示された通りである」
何たる事か。
永きに亘る忠誠への報いが、謀反人としての断罪とは。獰悪な『鋼』の部下達も、流石に此度の理不尽さには困惑せざるを得ない。
「そして、我が配下たる汝らも、我と同じく生命を脅かされるは明らか」
居並ぶ軍兵達の間に緊張が走る。
「告ぐ。理不尽なるこの決定に抗い我と生死を共にするか、王軍の断罪より逃れ野に隠れ潜むか、若しくは王の下へ奔り赦しを乞うか、各々、明晩迄に意思を決めよ」
『鋼』がそう触を出した次の夜、外城へ通ずる門前に集ったデジモンの群れ──野に降る決断をした者と、表立っては言わぬが主を見限りルーチェモンに仕えんとする者達。
その数、配下の内凡そ半数。
「それが汝らの答えか。致し方無し、己が生命には変えられぬ」
そう言って背を向けた『鋼』目掛け、数体のデジモンが満身に殺気を滾らせ躍り懸かった。
だが彼等の爪牙は、鏡獣の身には届かなかった。振り返りもせず、『鋼』はそのまま城内へ戻って行く。
「セトモン、お主はどうする? このまま我が配下でいるか、或いは、此の首を手土産に王軍へ奔るか……好きな方を選ぶがよい」
『鋼』の言葉に、セトモンの目が不気味な弧を描く。
「どうせ殺されるのは変わらないんでしょう? ならば、楽に死なせてくれる方を敵に回します」
この非情の鏡獣と相対する事が、威王の絶対的な力に蹂躙される事より遥かに恐ろしい──彼の背後で、暗黒の顎門が生者の血肉を貪り喰らう阿鼻叫喚の地獄が広がっていた。
「して、『炎』の竜よ。貴公、我に従えと申すか」
燐光が照らす城内の一角、其処に佇む深紅の竜に問いかける。先の見立て通り、この時既に『鋼』は、アウルモンから『木』の伝言を記した書簡を受け取っていた。
『炎』──竜族の長が、まさか二度に亘って己が領域に現れようとは。
然も、彼をこの地に導いたのは『木』の領主──此度ばかりは無碍にも出来ず、『鋼』は彼が城内に立ち入る事を遂に許した。
「助力を得たいのは事実だが、従えなどと傲岸は言わぬ。『鋼』よ、暴王ルーチェモンを討つため、貴殿の力を貸して欲しいのだ」
「その頼みは二度……いや、〝これ〟を含めては三度目か」
『鋼』は法衣の懐から、幾重にも折り畳まれた紙片の束を取り出した。それは、先日『風』の手により届けられた件の書簡であった。
「古の英雄は、智者を得るためその棲家を三度(みたび)訪れたと聞く。それを思えば、俺は貴殿に礼を尽くしているとは未だ言えぬ」
「〝三顧の礼〟……我等の遣り取りに、ヒトの礼儀を持ち込むか」
嘲るようにそう言い放ち、『鋼』は『炎』へと向き直る。
「『炎』よ。天使の王、ルーチェモンを打破せんと欲する、その真意や如何に?」
「……一つ、かの王の魔手より、我等が故郷──火山の聖域を奪還する事。一つ、後世に於いて、暴王の為に蹂躙される者無きようにする事」
そう語った『炎』に再び背を向け、『鋼』は壁面に刻まれた虎頭の燭台へと近づいた。牙の連なる顎門の中に、青白い燐光が揺らめいている。
「貴公の目的がどうであろうと、それは我の預かり知らぬ事。己が身に関わらぬ他者の生死など、どうでもよい」
『鋼』は淡々と言葉を紡ぎ、手にした書簡を燭台の口へと放り込んだ。
蒼焔の中でのた打つ紙片の帯が、捩れ、燃え尽きてゆくその様を、『炎』は表情ひとつ変えずに見つめていた。
「……だが、王が故も無く我らを滅ぼすと云うならば、それを受け入れる訳にもいかぬ。竜の長、おれはこの見た目の通り武芸は不得手だが、少しばかり知恵が回る。騙し合いの戦は任せて貰おう」
声と共に振り返った『鋼』の、殺気を孕んだ金の眼光が不敵に歪む。その邪悪さが、今の『炎』にとってはひどく頼もしく思えた。
凶星の章 終
災禍の章へ続く
自分から最後の聖戦とか言ってしまう王燃え。その最後はお前にとっての最後だったらしいな!(フラグ) 夏P(ナッピー)です。
というわけで、最初から最後まで『炎』のフットワークが超軽い一話でした。主であるはずなのに一番忙しなく動いておられる。斥候のアウルモンも側近のセトモンも愛情のデジメンタルのアーマー体なのに『鋼』の部下なのですな。てっきり『風』の手の者だとばかり思っていたので「貴様ら寝返ったのか!?」と戦慄しましたがそんなことはなかった。自ら戦いは不得手と申す『鋼』ですが、これはまあフラグでしょうな。
絶対にジュレイモン辺りが「ええい主が出るまでもない、ここで『炎』を討ち取りその首級を王に捧げれば我らが領域は救われるのじゃ! 者ども出会え! 出会えー!」とか言い出して、古代獣同士のバトルが勃発するものと警戒しておりましたが、側近も物分かりのいい奴らでした。でも実際に戦いが始まったら多分死にそうなポジションだジュレイモン。
↑の警戒もそうですが、そういった回り道もなく進んでいくのが心地良い。後々の悪の四(五)闘士を仲間に引き入れられるとは……ただ、あっさり仲間になると戦いの後に仲違いが発生する危険性があるので、まずは存分に意見含めてぶつけ合っておいた方が……あ、でも『闇』もいたな……。
人の価値観や礼儀を持ち込んだのが『炎』な辺り、やっぱり最終的に自らの魂を獣だけでなく人にも分けた理由って……?
それでは次回もお待ちしております。