電脳空間には無数の層(レイヤー)が存在し、その一つ一つが、デジタルワールドをはじめとする様々な種類の世界を形成している。
ミスティモンの出身地であるウィッチェルニーもそのうちに含まれ、現在ではウィザーモン種を始めとする魔導士系デジモン達の発祥の地として知られているが、実のところ、この場所は原初より魔法が盛んだった訳ではない。
今でこそ魔術研究の中心とされているウィッチェルニーだが、創成期の魔法学水準はデジタルワールドに大きく劣り、それに付け込んだ外敵から脅かされた事も一度や二度ではなかった。
だが十数年前、その状況が一変する出来事があった。
十の元素を司る太古代のデジモン達が更なる進化を遂げたその少し後の時代に、突如として現れた"旋風将"の異名を持つ魔竜の騎士──後世の研究により、この騎士もまた、進化の極地に至った強大なデジモンだと判明している──彼がその武威を以て敵の悉くを退けたのだ。
外敵の脅威が去った後のウィッチェルニーは、急激に魔術を発展させ、学術機関の創設も後押ししてか次世代の優秀な魔導士たちが数多く育ち、数年の内に魔法学のメッカとしての地位を築き上げる。ミスティモンは、そのような過程の中で育った魔導士のひとりであった。
彼の中にある、幼き日に見た旋風将の面影は、ひどく朧気なものであった。
しかし、滅びへの道を辿っていた故郷を救い、世界に大きな進歩を齎した絶対なる力に対する憧憬は、今に至るまで彼の胸を焦がし続けた。
そして、更なる魔術と武技の研鑽を求めてこちらのデジタルワールドへ渡ってきた際目にした、ルーチェモンによって敷かれた厳格なまでの絶対的秩序、彼自身に宿る圧倒的な力──その姿に、ミスティモンは彼に従う事を決めた。かの偉大なる天使の中に、在りし日の旋風将の面影を重ねたのかもしれぬと、今でも思うことがある。
ルーチェモンに仕えた後は彼の為、命を賭した数々の戦に恐るる事なく赴き、何の迷いもなく敵を斬り捨て、その功績により彼の直属軍の長を任された。
その時にルーチェモンから直々に預けられた五つの聖なるデジメンタルは、ミスティモンの生涯において最も輝かしき名誉の証だった。
だからこそ、赦す事が出来なかった。
己が命懸けで築き上げた栄光の証を掠め取った、かの古代種達を。
利己のため偉大な王の権力の傘に潜り込む、姑息な獣共を。
「どうかした?」
ふと、玉座の上から降ってきた声に顔を上げる。
怪訝な顔をしたルーチェモンの淡い青の瞳が、こちらをじっと見ていた。
「あっ……い、いえ、隊長二人の事を考えておりました。早く次の者を決めねば、と思いまして……」
猟兵隊と弓兵隊。
襲撃の折に行方を眩ませた隊長二名の痕跡は幾日経っても知れず、結局彼等は死んだものと看做して後任を定める事が決定された。
「で、誰にするの?」
「取り敢えず、猟兵隊は副隊長……ホーリーエンジェモンをそのまま昇進させたいと考えています。弓兵隊の方も、適任が見つからなければ同様に進めるつもりです」
「ふーん……ま、その辺は任せるよ。僕はそういうのあんまり興味無いからさ」
ルーチェモンは頬杖を突くと、そのまま目を閉じて微睡み始めた。
主の提案──領主達の暗殺計画に戸惑いつつも従ったミスティモンだが、奥底で抱く迷いは未だ彼の心を酷く悩ませていた。
功績ある者であっても、己の害になりうると、ルーチェモン自身が判断した者は切り捨てるべし。
生真面目なミスティモンにしてみれば、如何に憎い相手であっても、斯様に理不尽な扱いを受ける事には疑問を抱かざるを得ない。
そして彼の心中に湧き上がる、一つの懸念──もし自分も、古代種達のように、何かのきっかけにより王の害になると見做されたら?
その時は、厳格なる天使は容赦なく己の命を擦り潰しにかかるだろう。
ルーチェモンに対する忠誠心──後世ミスティモンの血を受けた末孫にまで残り続ける事となるその心は、今も彼の中に確と宿っていた。
王が自分に向けた信頼を、偽りだと思いたくはない。だが、一度抱いたこの、恐怖とも疑念とも呼べる蟠りもまた、後々まで消える事は無かった。
*
月光に浮かび上がる巨城の黒影が、紺碧の夜空を埋め尽くす。
この城の主に宿る、"眠れる龍"の異名を持つ謀将の伝説にまつわる数々のデータ。
その影響により形作られた雄々しき姿は、もし現実世界のヒトが目にしたならば、漢代以降の中国大陸にて造られた、古き城廓の姿を想起するだろう。
ただ、形こそ現実世界のそれと同様であるものの、壁や柱の悉くが濃灰色の石材で、屋根を覆う瓦の総てが青黒い金属塊により形作られた、謂わば城の形に彫刻された岩窟とも謂えるその威容は、基になった木造城郭の堂々たる姿とはまた異なる、重々しく不気味な威圧感を纏っていた。
街と共に堅牢な外壁で囲まれたこの城は、『鋼』の領域内で政治、経済その他凡ゆる分野に於ける本拠地となる場所。
そして、この荒涼たる岩塊の山脈を支配する、悍ましき鏡獣の塒(ねぐら)であった。
「余りにも脆く、そして貧弱! あれが天下に名高き天使軍の精兵とは、とんだ期待外れですよ」
先日遂に王軍兵士の奇襲を受けた『土』だったが、彼らが余りにも容易く壊れてしまったその事実に、己の力の強大さに過剰とも云える程の自信を持ったようだった。
「随分と嬉しそうじゃないか。お前、これからが面倒になるのだぞ」
呆れた様子の『鋼』にそう言われ、『土』は表情を堅くする。
「それは勿論、承知しています。それにしても、あれだけの功績を残した私達を、弁明の一つも許さず闇討ちで排除しようとはあまりにも酷な話ではありませんか」
天井を仰ぎ、『土』は先程渡された樽の酒を一息に飲み干した。所謂四斗樽であるが、巨体の彼にとっては精々御猪口代りにしかならない。
「理由は王本人に訊くよりないが、訊かされたところで我等が死を賜る事は変わらぬ」
「結構です。最近の戦はどうにも緩くて仕方ありませんでしたから、寧ろ思い切り暴れられる絶好の機会じゃありませんか」
『土』の口角が大きく吊り上げられる。その嬉々とした表情は、宛ら新しい玩具を与えられた幼子のようだ。
「呑気な奴め。そうなった時に苦労するのは誰だと思っているんだ」
「いいじゃありませんか。それに『鋼』よ、貴方と、貴方の厄介な"客人"にとっても、彼らとの戦は好機となる筈ですよ」
「……何が言いたい?」
「"邪神の贄"……集めるのに随分と苦労しているでしょう?」
『鋼』の目が、俄に赤色の光を灯した。背後に薄らと立ち込める黒靄が、歪な獣の形を成す。
「お前なぞに、おれと"此奴"の事を心配される筋合いはないが?」
「いえいえ、別に心配はしていませんが、ただ、元より少ない寿命を喰わせるよりは経済的だなぁ、と思ったまでです」
無礼な奴だ。だが、『土』の言う事も一理ある。
邪神が力を高める毎に、要求される贄も増す。彼の空腹を満たし、己自身のデータを増強する材料としては、天使軍とその指揮官達は格好の獲物だとも云えた。
もとより、王軍と自分達が戦わねばならぬ事はもう覆しようがない。それを利と出来るのであれば、己(おれ)は喜んで彼らと刃を交えようではないか。
「失礼します」
不意に室外から声が掛かる。
「セトモンか。何用だ?」
「城壁の上に、このようなものが……」
折り畳まれた紙片。
開いてみると、どうやら何者かの記した書簡らしい。
「……何と! 『炎』の竜が⁉︎」
「大胆と云うべきか、莫迦と云うべきか……『土』よ、彼奴め我等を味方に引き入れるつもりらしいぞ」
「……まさか、彼の誘いに応じるつもりではありませんよね?」
『鋼』は首を横に振ってから、手にした書簡を懐に仕舞い込んだ。
「返事はせぬ。これが真実の言葉であれば乗ってやるのも一興だが、生憎おれは疑り深い。決めるのは、『炎』の腹中を探った後だ」
壁面に施された、ヒトがよく知る龍や虎等の頭部を模った燭台の、口中に灯る青白い燐光が隙間風に揺らめいた。
照らし出される三匹の表情には、一様に重苦しく、陰惨な翳が差していた。
*
王が自ら、己が配下たる『木』と『鋼』、更には、つい先日『水』と『土』をも直属軍を使って襲撃した──この俄には信じ難い報せが真実であったことに、『炎』の竜は驚きを隠せなかった。
「一体奴ら、何を考えているんだ?」
「何って、そりゃあ領主どもが出過ぎた杭になったからですよ。彼らがあのまま勢力内での力を増せば、元々の側近だった天使軍の幹部あたりは面白くないでしょうからね」
若いティラノモンが、何処か嬉しそうな様子でそう言った。故郷を荒らし同胞を虐げた憎き仇敵どもの危機と訊けば、これを喜ばずにはいられないだろう。
「天使軍の長はルーチェモンに絶大の信頼を置かれていると聞きます。きっとそいつが、領主共に叛意ありとでも言って適当な証拠をでっちあげたに違いありませんよ」
「何にしても、今のこの状況は私達にとってチャンスかもしれないわ。領主達が排除されたなら、ルーチェモン側の戦力は大きく削がれることになる」
『炎』の願い──それは、一族の故郷たる火山の聖域を取り戻す事、そして、二度とこの悲劇が起こらぬよう、暴王ルーチェモンを打倒する事である。
そして、かの王が保有する戦力の内でも特に強大なかの四匹の古代種達が廃されるかもしれぬとは、またとない好機。
「もう少し、様子を見させてくれるか? 彼方の動きも分からず、此方の備えも薄い内に戦を仕掛けるのは余りに危険だ」
「……そうね。とりあえず、『雷』と『氷』に話くらいはしておくわ。領主抜きにしても、あの王は一筋縄でいく相手じゃない。もっと多くの味方を集めなければ……」
『炎』とティラノモンは互いを横目で見遣った。竜の里の戦力は、このティラノモンを除く殆どの若兵が一族を見限って各地へと散ってしまい、その数はかつての一割程。
また、『炎』の協力者である、火山付近に生息する鉱石型や爬虫類型デジモンの群も、自分達を守るのに精一杯で、竜族への加勢なぞ到底叶わぬ状況にあった。
「『風』よ、その事なんだが……俺にひとつ、考える事があるから聞いてくれ。そして、その内容をそのまま『雷』と『氷』にも伝言して欲しい」
「分かった。聞かせて」
湖水のような群青の瞳が、真っ直ぐに『風』を見据えた。
「領主達を、我等の戦力に引き入れる」
「……はぁ⁉︎ しょ、正気なの貴方?」
思わず声が裏返る。鳥を模った仮面の上からでも、『風』の驚愕の表情がはっきりと見て取れた。
「突拍子もないのは重々承知だが、かの天使がいつ仕掛けてくるか分からぬこの状況では、手段を選んでなどいられない。『光』は未だ戻らないが、もしあいつが居たとしても、俺達だけでルーチェモンと天使軍の総力を相手にするのは無謀だ」
それはそうだろう。今まで王軍の行ってきた戦の苛烈さと、それに蹂躙された土地の惨状を見れば、彼らが規格外の戦力を有しているのは明らか。
幾ら個々が強くとも、物量の違いは如何ともし難い。
「領主達は、王軍の内情にも詳しい。大軍との戦となれば情報戦もせねばならんが、その為の材料が今は足りない。その意味でも、彼等を味方に付ける利は十分にあるはずだ」
『風』は頷いた。『氷』は兎も角、『雷』にこんな話をしたら烈火の如く怒りそうなものだが、致し方無い。
強力なデジモンを一匹でも多く味方に付けたいのは、疑いようのない事実なのだ。
「……どうする? もしよければ、領主のところに書簡の一つでも投げ込んでくるけど?」
「頼む。今この瞬間にルーチェモンが動き出したとしても不思議ではないからな、早めに戦力を整えたい」
半刻程の後、『風』の剣士は虹の道を辿って遥か北方の空へと飛び去った。
この時『鋼』の領域に残してきたのが先述の書簡なのだが、これに対する返答が得られなかったのも、先に述べた通りである。
しかし、この行動が後に原初の古代種──後世に"伝説の十闘士"として語られる英雄達の集結の嚆矢となった事は、紛れも無い事実であった。
こちらでははじめましてになります、快晴です。鋼鉄臥龍伝、毎度楽しく読ませてもらっております。
前々からサロンの方にもお伺いしようと機を伺っていたのですが、某氏にケツを蹴られたので良い機会かと思い、感想を書きに伺いました。
Twitterで呟いたものとも重なる、簡単なものではありますが、どうかよろしくお願いします。
まず、緻密な世界観とそれに相応しい重厚な描写の数々が素晴らしい!
古代十闘士に触れるお話は(よくも悪くも公式がふんわりしているのもあって)二次創作では比較的お見かけする印象なのですが、考察力といい知識量といい、界隈でも頭一つ分飛び抜けている印象です。
そもそもデジタルモンスターで大河ものというジャンルがなかなか新鮮で、なおかつ軸となっているのがあの策士・エンシェントワイズモンというのが本当に素晴らしい! 正義に燃える勇士ではなく、普通に性格が悪いのもポイント高いですね。やはり鋼はこうでなければ。下衆鏡の愛称は、こちらの作品に多々ある好きポイントのひとつです。
時代的な事もあってどこの陣営もきな臭く、策謀渦巻く中で暗躍する『デジタルワールドいちの知恵者』……こんなんワクワクしない訳がないですからね。
最新話ではいよいよ時代の覇者、幼き天使の王・ルーチェモンと袂を分つ流れが色濃くなり、太古の究極体達が『古代十闘士』となる日が迫ってきた印象で、オラ、ワクワクしてきました(Twitter含め4回目)。
しれっと下衆鏡の寿命が残り少ないと言及されているのも気になりますねぇ……。それはそれとして、『鋼鉄臥龍伝』の『土』さん、慇懃で気配りもできるけど、がっつりパワータイプなの本当に好き。
大河ドラマは「みんなが知っているネタバレまでの筋道をどう調理するか」が個人的に楽しむ上での最大の魅力だと思っているのですが、その点でもこちらの作品は本当に素晴らしいといいますか。果たして彼らの戦いの末には、何が待ち受けるのか……それこそ歴史を目の当たりにするような心づもりで、次回以降の投稿も楽しみにしております!
それでは、拙いものではありますが、こちらを感想とさせていただきます。
風向き変わりそうね、というか流れ変わったな。夏P(ナッピー)です。
旋風将の文字が出た時点でピンと来ましたがメディ―バルデュークモンだ! それに憧れたとされるミスティモンは、てっきりその旋風将の持ち得る魔槍の名を冠するアイツに、後世進化するものと思っていましたが、自分自身も粛清される可能性に思い至って微かなりともルーチェモンに疑念を抱き始めた模様。ルーチェモン様を疑う心の所為だ! そうでなければコヤツのこの力なぞに……な、何!?(フラグ)
あとミスティモンが十闘士の皆さんを憎んでいる際に、彼奴らを“獣”と称していたのでキチンとヒューマンとビーストの関係があるのかとニヤリ。そして待ちに待ったホーリーエンジェモン出世、お前ここで取り立てられるんだ! 弓持ちの天使(完全体以下)なんてエンジェウーモン以外にいたっけかな……。
そんな“獣”どもの呉越同舟展開来た! 待っていたぜェこの展開! 後半戦に来た感がある! なんとなく始まりがこんなだと、無事にルーチェモン倒せたとしても十闘士の中で仲間割れするんじゃねと警戒してしまいますが。
それでは次回もお待ちしております。