「『炎』の竜が、この領域に現れたそうだな」
険しい顔でそう言ったアンティラモンが、部下達の記した、細かな文字の羅列に覆われた手元の紙束に目を落とす。
これは、『炎』の竜が初めて『鋼』の領域に現れてから二日後、件の御触書が発出される四日前の事である。
「その事か。部下共が追い返した故に大事は無いが、何をそこまで心配することがある?」
『鋼』は何の感情も籠らぬ声で答えた。
「お前、自分がルーチェモン様に命を狙われているのはもう分かっているだろう。その最中で敵対勢力の幹部がお前に接触を試みたなど、もう弁明の余地などあるまい」
「王の事だ、我等四名の領主を亡き者とする決意を抱いた以上、それを今更弁明一つで翻すとも思えぬ。『炎』めが此処に来ようが来るまいが、おれが死を賜る事に変わりは無かろう」
この時代のデジモンは大抵そうだが、殺し合い喰らい合う事が日常的に行われる環境で生まれ育った『鋼』は、元々己や己の味方の死に対する感情が極めて希薄なのだが、それにしても、今の彼は余りにも落ち着き過ぎていると、アンティラモンはその心中で訝しんだ。
「だがアンティラモンよ、そこまで分かっていながら此処に来るとは随分と軽率ではないか。もしやと思うが、王に何か命じられての事ではあるまいな?」
その声と同時に、背後から──いや、己を囲むあらゆる方角から、針先のような鋭い殺気が向けられるのを、アンティラモンは確と感じ取った。
「それは、心配無い。俺が将官でないのもあるだろうが、王や軍団長からはまだ直接の話はされていない。しかし、お前と『木』のことで王も軍団長も何ら詮索もせず対策を取ろうともしなかったのは妙だ。同時期に天使軍の幹部が二人も居なくなった事も、偶然とは思えん」
アンティラモンが抱いた違和感は、決して的外れなものではない。
未だ理由は分からぬが、己への襲撃と、弓兵隊長エンジェウーモンの暗殺未遂とが同じデジモンによって行われていた事、そして、これに加わった猟兵達の胸に、ルーチェモンにあるのと同じ三日月型の紋章──尤も、魔力により刻まれたもので魔術の素養無き者には不可視ではあったが──それがはっきりと刻まれていた事、更に、自分が暗にミスティモンではない者の関与を口にするや否や、捕らえた兵士の胸の紋章が赫く光りその次の瞬間には焼け死んでいた事……主君であるルーチェモンが、四匹の古代種と、天使軍の幹部、それも、ミスティモンに次ぐ権限を持った将官を殺めようとした事は確実であると『鋼』は踏んでいた。
さて、如何な天使軍と云えど冬の只中に此処を攻めるとは思えぬ。そうなれば、直に来るのは、王自身、か──
先の章で少し触れたが、『鋼』の領域は、標高が高く地形も険しい岩山が無数に重なり合っている。そのため、徒歩は勿論の事、無数の岩壁に当たって乱された不安定な気流により飛行に長けたデジモンでも容易に山間を抜ける事は出来ない。長年此処で暮らした者ですら、体勢を崩して墜落、或いは断崖に衝突する等して落命する事例は枚挙に暇(いとま)が無かった。
加えて、主である古き魔鏡の怪物が備える膨大な魔力の干渉が、領域全体の時空間の均衡を崩してしまうため空間転移系の術も全く行使出来ない状態にあり、結果この厳寒の山脈は当に自然の要塞ともいうべき堅牢なる防護を誇っていた。
「しかし『鋼』よ。お前本当に死ねと言われてその通りにするつもりなのか?」
「あの王が決めた以上、近々の内に討伐の命が下るのは確実。そうなれば、我等は威王ルーチェモンの配下より外れ逆賊となるのみ。その後の事は、王の側近であるお前の預かり知るところではない」
剣の鋒を思わせる鋭く冷たい声が淡々と紡ぐその言葉に、アンティラモンは背筋の毛をぞくりと逆立てた。
『鋼』は元々、ルーチェモンを信奉して彼の配下になった訳ではない。以前この山脈を支配していた他のデジモン──『鋼』にとっては前の主にあたる者だが、彼がルーチェモンとの徹底抗戦を主張する最中、『鋼』が此れを謀殺し新たな主に収まったその後、無数の将兵を伴って配下となった過去がある。そのような行動に出たのは、ルーチェモンに従う事と彼に抗う事との利害を比べた結果、前者が有益と判断したため。
即ち、『鋼』がルーチェモンの配下でいる事と、主君からの数々の理不尽な扱いに耐えてきたのは、それ以上の利益を彼が対価として齎してくれるからに過ぎず、故なく死ねと言われたその時には、一体何をするか分かったものではない。
一度断ったとはいうが、ともすればあの『炎』の竜に与する可能性も大いにある。アンティラモンのこの不安は、数日の後に的中する事となる──
*
「開門、開門!」
闇を裂き響き渡るその声の源目掛け、セトモンは屋根の頂点から飛び降りた。
「おお、貴女は、『水』の……」
「お久しゅう御座います、セトモン様。ときに、我が主よりの秘文を携えて参りました故、領主様に御目通り願います」
出発より十日、テティスモンは『鋼』の領域に到達した。激流の大河を遥か頂へと遡り、天高く聳える峰を越えて。
「うむ、だが暫く待ってくれるか。今急の客人が来ているものでな……」
言い終わらぬ内に、城内から真紅の巨竜が這い出した。
「あれは、竜族の長⁉︎ 何故此処に……」
圧縮した身体データを再び展開した『炎』の威容に思わず目が奪われる。
その後について出てきた『鋼』の姿を認めるや、テティスモンは『水』の書簡を取り出し彼の前に跪いた。
「急の訪問、どうかお許し下さい。『水』の主より、『鋼』の領主様への秘書を預かって参りました」
無言で受けたその書には、彼女の領域──とは言っても、海と呼べる所は基本的に全て『水』の縄張りであるが──における王軍とその協力者と見られる水棲デジモンの不穏な動向が事細かに記されていた。
「彼奴、他に何ぞ言うておったか?」
「一つ……『鋼』の領主様の配下、〝誠実〟のデジメンタルで進化した兵を一名、派遣して欲しいと……」
ルーチェモンの傘下に入った際、旧領の領主に定められた後の四匹の古代種は、王の管理するデジメンタルの中から一又は二種類ずつを下賜された。
そのうち、『鋼』は〝愛情〟と〝誠実〟という、彼自身の悪辣な気性とは真逆の性質を持ったデジメンタルを得たが、それはこの二種を使う事で、優れた飛行能力と遊泳能力を持った部下を得られる利点を欲した為であった。
「成程、奴もこの事態を見越していたか。実に丁度良い、近々そちらへ行く者がおったが、其奴を伴って帰るが良かろう」
その一刻後、秘匿の伝言──自分と『木』とが、此度の王の振る舞いを理由として彼の配下を辞し竜の長と手を組む決断を下した事と、『水』にもそれを暗に勧める事──テティスモンはこれを携え、ティロモンと呼ばれる、鮫と海竜を掛け合わせたような姿のデジモンと連れ立って河中を再び海へと下って行った。
「……彼らは大丈夫なのか?」
「平地に入る辺りに王軍の伏兵が居るやもしれぬな。幸い、あの二名はそのような手合いに慣れておる故、まあ心配するまでも無かろう」
だが、問題は他に山程ある。
まず、テティスモンの主君である『水』が、此度の共闘を素直に承諾する訳がない。自尊心の強い『土』もまた、一度己が打ち負かした敵の世話になるなど承知しないだろう。
「此方も同様であるが、貴公の側も、我等と手を組む事を拒むものがいると見える。寡勢を以て大軍を迎えるに、斯様な懸念を抱えては既に敗れたも同然」
抑揚のないその声は、ただ淡々と事実を語るのみ。
『鋼』が法衣の懐から徐に取り出した竹簡の上に、各地に配された王軍の部隊とその内訳が詳細に記されていた。
その数は概算ではあるものの、おそらくは此方の数倍に及ぶと見えた。
「その件だが、『鋼』よ、あと二名の領主には、貴殿と『木』とで話をしてほしい。此方の方は、俺が何とかしよう」
そう言い残して『炎』が去った後、『鋼』はエンジェウーモンを匿う執務室の奥部屋を訪れ、事の顛末を詳細に伝えた。
「何と……貴方達は、本気で王と戦うお積りなのですか?」
「出来ればこの事態は避けたかったが、どうやら王自身が、それをお許しにならぬと見える。貴公についても、王軍が秘匿で行方を探っているとの報告がある故、目立つ行いはせぬが良かろう」
彼女が率いていた弓兵隊は、先日新任隊長として羊の聖獣パジラモンが当てられたという。その指揮のもと、弓兵達は嘗ての指揮官たるエンジェウーモンの行方を探っている──それも、世間に対しては、彼女は既に死亡した、と喧伝した上でだ。
先代の猟兵隊長──『木』の砲撃によって部下諸共粉微塵になったため、どの道行方など永久に分からぬのだが──彼に対してはそのような動きがなく、何故エンジェウーモンのみが執拗に狙われるのか。
まさかとは思うが……もしそうであれば、アンティラモンと今の猟兵隊長もその対象であろうが……
「何かあるのですか?」
「……此度の件、どうにも厄介事が多く絡んでいると見える故、行く行くは貴公の助力も仰ぐ事になろう。それまでは、敵方に居場所を気取られぬようになされよ」
戸惑いつつ、エンジェウーモンは無言で頷く。
後に己が、デジタルワールド全体を揺るがす大事変の当事者となり、更にはその後の歴史に大きく関わる事になろうとは、今の彼女が知る由も無かった。
*
「貴方の主ともあろう者が、何とも軽率な事です。あの頓狂な書簡の誘いを受け入れるとは……」
『炎』が去った後、『鋼』は急遽認(したた)めた書簡をセトモンに持たせ、西方に広がる火山群──『土』の領域へと奔らせた。
翌日の夕刻を待たずして辿り着いた彼により齎されたその急報に、『土』は驚く様子もなく、ただ『鋼』達の行動に呆れた様子を見せるのみであった。
「我が主の深謀を持ってしても、王の粛正に抗うにはこの方法を置いて他には無い……それは、認めざるを得ません」
セトモンは獰猛な性質を持つ種の筈だが、目の前の彼に関しては、このような実利に関する事には異様な程冷静だった。それが、彼の個体としての性質なのか、将又彼の主による影響なのか、『土』には分からない。
「そもそも、我々にすら勝てぬ『炎』が、王軍の総勢力など相手に出来ますかな? それに、『炎』が良くてもその周りが私達との共闘を受け入れるとはとても思えません」
「は……そちらに関しては、我が主に、一計ありと」
訝る『土』は、巻かれた書簡の残りを開いて文字を追う。そこに記された一文を読んだ『土』は、一度驚いた顔をしてから片方の口角を吊り上げ、セトモンを見遣った。
「……了解したと、主に伝えなさい。いやはや、思わぬところで楽しみが増えましたよ」
大将、一体何と書いたんだろう? 疑問を抱きつつも、セトモンは月明かりすらない暗闇の中を走って『鋼』の領域へと戻っていった。
*
「断る」
憮然とした様子の『雷』は、にべもなくそう言い放った。
「だが『雷』よ、俺達だけで王軍とルーチェモンの双方は相手に出来ない。俺も故郷を失った故、思うところはあるが……一時の感情だけでは戦に勝てぬ」
「……お前なぁ、『鋼』がどういう奴か知らん訳でもねえだろう。アイツは騙すのと疑うのが仕事だ、そう易々とお前の頼みを聞くなんて怪しいと思わなかったのか?」
そう言われてしまうと、反論は出来ない。
正直なところ、領主達への直接の交渉は、いつルーチェモンが動き出すやも知れぬという焦燥感に突き動かされた面が大きい。かの天使と相戦うその時に此方の総大将となり得るのは間違いなく『炎』であり、そんな彼が焦って行動を起こした──それが結果として利益を齎したとしても、決して褒められるものでないことは事実だった。
「お前がやりたくてやった事なら止めはしねえ。協力もする。だが、俺自身が奴らのうちの一人とでも組んで戦うなんざまっぴら御免だ」
どうしたものか。戦況如何によっては、彼と領主四名のうちの誰かと合軍で動かねばならない事もあり得るだろう。
大将同士が不和である限り、互いの将兵も協力して動かぬどころか、最悪の場合仲間割れや裏切りが発生する懸念も大いにある。
「大将、えらい事になりましたぜ」
焦った様子で駆け込んできた欠け顎のオオクワモンが、『雷』の前に平伏する。
「おう、どうした?」
「少し前の事なんですが、ルーチェモンの城で乱闘騒ぎが起きたそうです。何でも、あの領主達が自分の潔白を証明するとかで直談判しようとしたのがきっかけとか……」
潔白の証明とは、一体どういう事だ。まさか、今になってルーチェモンと戦う事に恐怖して決死の命乞いに走ったとでもいうのか。その場の空気が、一瞬にして張り詰める。
「おいオオクワモン。その話、詳しく教えろ」
「それは、私が直接説明した方が良かろう」
突如割り込んできた声に振り返ると、生い茂る木々の中に巨大な木馬の屹立する姿があった。
「『木』の主……手前ェ、俺等の話を聞いてたのか」
「隣域でそのような大声を出されては嫌でも耳に入るというもの。兎も角、今回の件については、いずれ貴殿らにも話さねばならなかった故、今この場で伝えても問題はあるまい」
そう言って林間から歩き出た『木』の、古木で出来たその身体には、真新しい矢が無数に突き立っていた。
皆さん戦争が始まりました。夏P(ナッピー)です。
木「デジモン万歳イイイイイイイイ!」
ラストの一文で『オイ待てエンシェントトロイアモンもう死んだ!?』と戦慄しましたが、あの機動戦艦がそう簡単に死ぬわけがない。矢ってことは弓兵部隊じゃ……? 我が王がまさしく傲慢な一方、領主達も正義感や平和への思いとかではなく割と我欲私欲があって思い思いに動いているのが面白いところ。エンシェントスフィンクモン……お前は今どこで戦っている……?
一部のスピリットがかつてデジモンカードでデジメンタルの効果を有していたことから、本作の領主の皆さんがデジメンタルを所有しているのはそのオマージュかと予想していましたが、『鋼』が持ってるのがまさかの愛情と誠実(イメージ的にも合う知識ではないのか!?)。しかし配下その1がセトモンだったのそういうことだったのか……というか、本人に無い飛行能力と潜水能力を求めた時点であまりにも野心が滲み出過ぎている。『雷』の言うところの「騙すのと疑うのが仕事」には噴きましたが然もありなん、めちゃくちゃ正鵠を得ている。
アンティラモンとエンジェウーモンはまあそういうことなのでしょうが、既に後年背負い込む気苦労が確定しているのがちょっと笑えますね。しかし『土』は割と柔軟で『雷』の方が頑迷とは意外な、これぞ純平。貴様だけは許さん!(三回ぐらい聞いた台詞)
あまりにも『鋼』が中心に立ち過ぎて、主人公気質で実際に最も動きまくっている『炎』とまさしく対になっているぞ……いいのか『光』……!
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。