「なんで出口が空中にあるんだよ⁉︎ このポンコツ魔法!」
逆さにひっくり返ったままの『氷』が抗議の声を上げる。彼の下敷きになっていた『鋼』は、明月のようなその双眸を歪め不満に満ちた表情を浮かべた。
「貴様が余計な事をしたから手元が狂ったんだ。全く、お前の所為で要らぬ災難に遭ったおれの身にもなれ」
己に伸し掛かる巨体を押し上げてその下から這い出した後も、引き続き『鋼』は『氷』との口論を続けている。そんな彼らの横で、『炎』の竜と『光』の銀狼は長らく待ち侘びた再会の刻を迎えていた。
「『炎』よ、無事だったか。しかし、何故お前と『氷』がここに?」
己と戦友たちとの再会が、『闇』の領域の只中で果たされようとは──『光』の銀狼は、予想だにしなかったこの事態に驚きを隠せなかった。
「お前が『闇』の領域に居ると聞いて、迎えに来た。此処には居ないが、『風』や『雷』も皆生きている」
「それは、良かった。だが……後ろの彼奴……『鋼』の領主が、何故お前達と共に居る? 見たところ、捕虜にしたという訳でもなさそうだが」
銀狼の指摘に、『炎』は気まずそうな表情を浮かべて目線を逸らした。
「彼が……『鋼』が居るのは、俺が同行を頼んだからだ。経緯を話すと長くなってしまうが、今俺と四名の領主達はルーチェモンを打倒するために同盟を結んでいる。お前が此処に居るという情報も、『鋼』を通じて知ったものだ」
それは、火山の戦以来世間の動きが全く分からずにいた『光』にとって驚くべき事であった。
「……お前の事だ、考え無しに奴等と手を組んだ筈もあるまいが……」
『氷』との年甲斐もない口喧嘩を繰り広げる『鋼』からは、『光』が見た限りでは此方に対する敵意のようなモノは全く感じられない。
しかし、元々が獰悪なウィルス種、それもつい最近まで自分達と対立していた張本人であるから、それを味方として受け入れろと言われても、そう簡単に出来る筈も無い。
そういえば、奴はどうして『氷』の下敷きになぞなっていたのだろう? 平静を装いつつも脳内の混乱が収まらぬ銀狼の影から、『炎』の姿に気付いたチコモンが顔を覗かせた。
「おさ、おさだ!」
無邪気に笑うチコモンは跳ねるように駆け出し、今度は『炎』の片翼の隙間に潜り込んだ。
「おお、チコモン。お前、『光』と一緒に居たのか。無事で良かった」
若竜達に連れられて出奔したと思われていた蒼き幼竜──彼と『炎』との思いがけぬ再会もまた此処で果たされた。
「ときに黒獅子よ、仮面と蠍尾の白き魔獣……アレが此処へ現れたのは、何時の事か」
一頻り『氷』と言い争った後、『鋼』は傍の『闇』へと向き直った。漆黒の獅子は暫しの沈黙の後、徐に口を開いた。
「……貴公らが此処へ来る、半刻程前。斯様な姿の者は我が領域には居らず。『鋼』の主、貴殿は奴等の事を知っておるのか?」
「然り。あれなるは、ウィルスを食らう者、マンティコアモン。ルーチェモンの近衛兵、俗に言う天使軍の長が、戦場に帯同するために飼っていた使い魔……」
「ごめん、さっきもちょっと思ったんだけどさ。ミスティモンってウィルス種だよね? マンティコアモンがウィルスの電脳核食べるんだったら寧ろ自分が危ないんじゃないの?」
横で話を聞いていた『氷』が声を発する。先程自分を襲ったマンティコアモンの事を思い出して浮かんだ疑問が、思わず口をついて出たのだ。
「口を挟むな、戯けが。アレの飼主は、ミスティモンの先代の軍団長だ」
マンティコアモン達の旧主は、先代の天使軍軍団長──種名をアルケーエンジェモンというワクチン種の天使型デジモンであった。
本種は魔獣を操り戦う特異な生態を持っているが、先代の軍団長もその例に漏れず、己と同じ完全体のマンティコアモンを多数統率出来る程の力を有していた。
彼は二十年程前に病で急逝したが、その後を継いだミスティモンは、マンティコアモンが捕食対象とするウィルス種のデジモンのため、先代が遺した白き使い魔達は戦場で要らぬ危険を招くだけの厄介な存在にしかならなかった。故にミスティモンの就任後、マンティコアモン達は地下深くに設けた魔力の檻に永らく幽閉されていた。
「だが……マンティコアモンなる、かの魔獣の群れ……奴等に喰い殺された我が眷属の内には、ウィルス種でない者も居た」
「ね。さっきもこの下衆鏡無視して僕のこと食べようとしてたし、何か変だよね」
マンティコアモンの残骸の山の中には、『闇』の眷属のうちワクチン種である三つ首の魔犬ケルベロモンやデータ種の赤狼ファングモン等の亡骸が見えた。ウィルス種の電脳核を喰らう性質を持つ本種が、それ以外の属性を持つデジモンを積極的に襲うに留まらず、『氷』の時のように本来の捕食対象たるウィルス種を無視していたのも、彼等本来の生態を鑑みると妙な行動ではあった。
「必ずしもウィルスだけを喰らう訳ではないが、此度の事に関しては、他者の手が加わっておるのは間違い無かろう。それをする者の見当も、大方は付いている……」
*
"魔の檻"が開け放たれ、中のマンティコアモン達が行方を眩ませた──その報告に、ミスティモンは全身の血の気が引いてゆくのを感じた。
「……探せ! 奴等を放っておけば、必ずや災いの種となろうぞ。一匹残らず捕えて来い」
鬼気迫る軍団長の命に、新隊長ホーリーエンジェモン以下七名の天使が敬礼を以て応える。
「うるさいなぁ……そんなに騒がなくても大丈夫だよ」
突如響く透き通った声。見れば、入口の際にルーチェモンと近侍のアンティラモンが立っていた。
「は、これはルーチェモン様……御自ら此処に来られるとは、如何致したのですか?」
「別に。それより、マンティコアモンのことなら、放っておいていいよ。アレ出したの僕だから」
それを聞いたミスティモンと猟兵達は、己の耳を疑った。主人を喪い制御から解き放たれた魔獣を外に出すなど、到底正気の沙汰とは思えない。
「な、何故そのような事を?」
「何でって、せっかく強いデジモンがいるのに勿体ないじゃん」
その声はあまりにも軽く、事の深刻さなど微塵も感じていない様子であった。
「しかし……連中の獰猛さは常軌を逸しております。もし味方にまで被害が出ては一大事ではありませんか」
「大丈夫だよ、放す場所もちゃんと決めてからやったもん」
こんな感じでさ──そう言ってルーチェモンは、手に持った短剣を己の背後へと無造作に放り投げた。その鋭い切先は、壁に掲げられた大陸全土の地図に深々と突き刺さった。
「今回彼等を解放したのは、『闇』の領域。丁度良かったね」
「丁度良い、とは……?」
ミスティモンは険しい顔付きで主君に問いかける。
「鈍いなぁ、あそこの主は古代種、間違ってあの裏切り者どもに乗せられて手を組んだら面倒だろ? その前にマンティコアモンに喰って貰えたなら、こんなに良い事は無いと思うけどね」
「……確かにそうかもしれませんが、『闇』の領域に居る黒獅子の眷属はウィルス種だけではありませんし、抑も彼等に損害を与えられる程の実力がマンティコアモン達にあるとも思えませぬ……」
「そこは色々と細工したから大丈夫。それにしても、これからが大変だっていうのにこの程度の事で大騒ぎしてたら先が思いやられるなぁ」
蔑むようなその視線に、ミスティモンは自身の中で怒りの炎が爆ぜるのを確と感じた。
──落ち着け、主の云う事も尤もだ。軍団長である俺がこの程度で狼狽えてどうするのだ……
思わず叫ぼうとしたその衝動を抑え込みはしたものの、一度心中に生じた動揺が完全に収まることはなかった。
踵を返して去ってゆくルーチェモンを見送るミスティモンの、庇の下に隠れたその目は暗く澱んでいた。
*
「『闇』の主。そして、彼の眷属達よ。貴殿等は、今後どうするつもりか?」
『炎』の言葉に、黒獅子とその眷属達は互いに顔を見合わせた。
「……『闇』の一族は、我を含めて此処に居る五名のみ。こうなってしまえば、最早滅ぶより他ない」
長の言葉を、生き残りの眷属達は沈痛な面持ちで聞いていた。
「しかし、ただ座して滅びを待つは我等の望むところに非ず。一族の仇……暴王ルーチェモンに、せめて一太刀でも浴びせぬうちは、死する積りはない」
「……とりあえず、僕達に味方してくれるって事でいい?」
「然り」
それは驚くべき決断であった。此方側には、『闇』の一族が先祖代々怨嗟の情を滾らせて対峙してきた『光』の一族の末裔が居るというのに。
「……『闇』の一族が、『光』と手を組もうとは……此は、如何なる災いの兆しであろうな」
皮肉めいた『鋼』の言葉にも、『闇』の獅子は仮面の如きその表情を崩さなかった。
「この銀狼……『光』の一族の血を引いてはおるが、その生い立ちに一族は関わっておらぬと云うではないか。斯様な者を討ったとて、我が先祖達の無念と怨嗟を晴らすその望みは叶わぬ」
銀狼の姿を横目で見遣り、『闇』の主は淡々とした調子でそう答えた。
「それに……例え一族の宿敵といえど、我と我が眷属の命を救った者であるのは事実。その恩義に報いぬは道義に悖るというものだろう。どの道亡びるさだめならば、我が一族の義を通した後に死するが我等の願い……」
そう言い残し、『闇』の主は、漆黒の空間に溶け込んで消えた。生き残った彼の眷属達も、長を追って闇の中へと去って行った。
「行っちゃった……まぁでも、味方してくれるって言ってたし良かったね」
「うむ……しかし、あのマンティコアモンの事も含めて、気になる事は山ほどある。とりあえずは、一度帰って態勢を整えねばなるまい」
「その事だが、竜の長よ。おれは急でやらねばならぬ事が出来た故、このまま帰らせて貰うぞ」
『炎』は『鋼』のその言葉に一度頷いて返し、山吹色の巨大な翼を漆黒の空に展開し飛び立った。彼の羽の合間に入っていた筈のチコモンは、いつの間に移動したものか、今は首輪の隙間にすっぽりと嵌って眼下の景色に見入っていた。
「……『鋼』の主」
「何だろうか」
帰り際の己を呼び止める鋭い声。『鋼』が振り向いたその先、赫き双眸に猜疑と敵意の光を湛える銀狼の姿が在った。
「俺が此処に居るのを探り当てたのはお前だと聞いたが……一体何を企んでいるのだ?」
「貴公の事は、我が旧主……今は怨敵と化した愚王ルーチェモンとその配下の動向を探る最中に偶然知り得たもの。他意は無い」
『鋼』の返答に、『光』は尚も訝しむような表情を崩さずにいた。
「抑も、お前のような者がルーチェモンの下に付く利を捨てて態々反逆者たる俺達の味方に回ったと云うのも信じ難い」
「かの幼王の配下に在る事の利は甚だ多し……それは真実であるが……彼奴は我ら四名の領主に対し、突如刺客の群を差し向け、加えて弁明の場に於いても自らの手で我等を亡き者にしようとした。これを訊けば、我らがルーチェモンの下を去るその故も理解出来るだろう、『光』の銀狼」
本当の理由は分からないが、ルーチェモンは己にとって有益な部下であるはずの四匹の古代種達を自ら殺害しようとし、その魔手を逃れた彼等は旧主に敵対する、元は敵同士であった『炎』の呼び掛けに応じて彼の下へ付いたという。銀狼はそれを訊いても尚、『鋼』や彼と同じ領主の地位にあった三匹の古代種を信じる気にはなれなかった。
「あいつが……『炎』がお前を信用して味方に引き入れたならば、俺もそれを受け入れるしかないが……もし妙な真似をしたその時は、即刻斬り捨てるぞ」
眼前に突きつけられた大剣の鎬を、『鋼』は法衣の片袖で無造作に押し除けた。
「貴公に言われずとも大人しくしておるつもり故、物騒な事は控えられよ。それに……斯様なモノを斬っては、如何な業物とはいえ刃毀れの一つもするだろうて、勿体無いことはせぬが良かろう」
彼程の腕を持つ者に斬られたならば、如何に頑強な『鋼』と謂えど、深傷を負う事は避けられない。余計な怪我をしないためにも、この銀狼の前で矢鱈な事はしない方が良いだろうな、と『鋼』は心中で呟いた。
未だ釈然としない様子の『光』に背を向け、『鋼』は方陣の中へと潜ってゆく。
沈み切る直前、後ろで『氷』が置いていくな云々と叫んでいたように聞こえたが、それを『鋼』が気に留める事はなかった。
*
眼前に迫る雪の山脈が、雲間から差し込む月明かりを受けて蒼く輝いた。
群兵の構える剣の切尖と見紛う峰々の先に、反逆者のひとりである『鋼』の領域があるのだ。
「しかし、何とも嫌な奴を相手にするものよ。『鋼』の事だ、どうせ碌でもない仕掛けを用意しているに違いない」
ホーリーエンジェモン麾下の小隊長に率られ、アンティラモンは部隊の殿付近に陣取って雪の山道を歩いていた。
『鋼』の領域への強襲──本来なら避けるべき厳冬期の進軍ではあるが、それ故に敵の意表を突く事にもなる。少数精鋭の部隊を選りすぐり、『鋼』の領域の道に詳しいアンティラモンが同行する事で進められたこの作戦は、いよいよ佳境に入ろうとしていた。
──凛。薄明かりの中で何処からか響いた澄んだ音が、アンティラモンの耳に届く。
「何か聞こえなかったか?」
「え? いえ、特には……」
傍の兵士は怪訝な顔をしながらそう答えると、再び前を向いて周囲の警戒をし始めた。周りにいる他の者達も、何かを聞いた様子は無い。
──凛。また鳴った。
「失礼……今、鳴物……鈴か何かを鳴らした者はおらぬか?」
「鈴ですか? いえ、そのようなものは誰も携行しておりませんが……それより、もう直ぐ『鋼』の縄張りに入ります故、周りの気配に集中なさった方がよろしいかと」
兵士にそう返されたアンティラモンは、顳(こめかみ)の辺りを手で押さえて虚空を見上げた。
気のせいだったか。俺も随分と疲れているらしいな……
──凛。アンティラモンが自嘲気味に呟いたその側から、再び鈴の音が聞こえてきた。
──凛。凛。凛……
鈴の音が、どんどん近づいて来る。
度重なる不気味な現象に困惑したアンティラモンがふと周りを見ると、先程まで周りにいた兵士達の姿が消え、彼は無数の奇妙な石柱が立ち並ぶ空間に一匹で取り残されていた。
「な、何だ此処は⁉︎ 俺は一体、何処へ来てしまったのだ?」
その瞬間、視界全体が白く染まった。凄まじい衝撃の波が容赦無く押し寄せて来る。
全身を打ち据えられたアンティラモンが意識を手放すその直前、彼の真紅の双眸は、遥か上方に聳え立つ岩峰の中腹に揺らめく、寒月を映す魔鏡の銀光と岩漿の煮える赤い燈を捉えていた。
まずい! いつの間にか二話分投稿されている! 夏P(ナッピー)です。
話してみると全員案外物分かりが良かった。というわけで、てっきり最後の最後までブロリー映画のベジータみたく協力を拒むと思われた『闇』も無事に盟約完了。「下級戦士が戦ってるのに……俺がエンシェントスフィンクモンだああああちゃあああああ」みたいな展開は無かった。あと前回『氷』まで襲われてたのにしっかり意味があること明かされてましたね。ミスティモンの前任者がアルケーエンジェモンと明言されたことで、その危険さ故に封じられていた奴を解き放ったルーチェモン様の愚王ぶりが更に跳ね上がってしまう。ドミニモンではなく敢えてのアルケーエンジェモンなのでしっかり完全体なのも世界観的にニヤリ。
『炎』と『光』が再会したのもかなり久々。というか、地味に『光』が行方不明化を挟んでるので浦島太郎状態。そうかルーチェモン様に『鋼』その他が討伐されかけてたことすら知らなかったか……十闘士筆頭とされる皆々様が一堂に会してしまいましたが、そこに混じる『氷』の勇姿。悟空ベジータピッコロの横に並ぶクリリン状態だぜ。
まあ『鋼』が疑われるのも当然で、俺もいやコイツ今は味方でも絶対愚王打倒後の利権や覇権を得る為の根回ししてるよな、故あれば寝返るよなと思ってますからね。そろそろ愚王に耐え切れなくなってるっぽいミスティモンと共に寝返り枠で間違いないでしょう。
後のケルビモン様さっそく失態。何故だ!!
それでは早めに追い付きます。