火の山は猛火と黒煙に覆われていた。
自然の噴火ではない──山頂の里を襲ったデジモンの群によるものだ。
「敵襲だと? 一体何処から入った⁉︎」
敵の数は三十体弱。竜の里の戦闘部隊と比べてその半分にも満たない。
だが、白昼に、しかも本拠地の只中に忽然と現れた見慣れぬデジモン達の姿に混乱した里の守備隊は敵の猛攻に晒され、碌な手傷を負わせる事すらせずに敗走した。
彼らは曲がりなりにも精強なる竜の眷属、平時であればこのような失態は犯さなかっただろう。
しかし、悪いことに竜達の殆どは先頃からの流行病で体調を崩しており、本来の戦闘能力を発揮出来る者は幾匹も居ない。それに加え、敵の侵入を警戒した連日連夜の見張番が彼らの心身を疲弊させていたこと、頼みの『雷』と『氷』の援軍が『木』『水』の急襲により動きを封じられていたことも災いした。
竜族はその長たる『炎』の指揮の下、『光』と『風』の後押しを得て力の限り戦い続けたものの、一度崩れた態勢を立て直す事は難しく、数々の不運も重なった結果、火山は日没を待たずして陥落した。
『炎』は生き残った竜を率いて南麓の樹海へと姿を消し、戦の最中に深手を負った『光』と『風』は行方知れずとなった。
彼らは決して油断などしていない。想定し得る全ての侵入経路に昼夜見張を立てていたのがその証拠。
そして長の『炎』と、『光』『風』という三匹の強力な古代種デジモンが火山の防衛の為にに全力を尽くした。
それなのに何故竜の里、ひいては里を擁する火山地帯がこうもあっさりと奪われたのか?
事の起こりは襲撃の日から遡って三ヶ月程前──
「秋頃には落とせましょう」
主から作戦の首尾について問われた『鋼』はそう答えた。
「は? 僕待つの嫌いなんだけど」
予想通りの返答。兎に角この幼王は堪え性が無いのだ。
「『炎』が相手ですので、備えに三月(みつき)頂きます。その代わり、作戦自体は実行の日──本日より数えて九十二日目の、その日の内に終わらせます故」
一蹴してやろうと思ったルーチェモンだが、『鋼』の語った「実行の日に作戦を終わらせる」という、一見無茶にも思えるその宣言が些か気になった。
「……準備さえ出来れば一日で片付くってコト?」
「左様に御座います」
即答。面白いじゃないか、これからどうするつもりなのかじっくり見物してやろう。
「じゃあ、三か月待つね。その代わり、少しでも遅れたらお仕置きだよ。この間の倍くらいキツいやつを用意しておくからそのつもりで」
「御意」
『鋼』は深々と頭を下げた後、無い踵を返して玉座の間から退出した。
「一日で片を付けるとは大きく出たな。だが準備に三か月とは……」
そう言ったのは、ルーチェモンの側近である茶毛の聖獣。
王と各地の領主との伝達役も担うこの勤勉な大兎──アンティラモンは、『鋼』の突拍子もない提案に酷く呆れた様子だった。
「本来ならば半年欲しいところだったが……何処ぞの莫迦が『それほど時間もかからない』等と言った所為で三月に納めねばならなくなった」
「それは……申し訳なかった……が、その三か月も十分長い。よく断られなかったものだ」
「その日のうちに終わらせると言ったんだ、三月の準備程度で文句も言うまい」
アンティラモンと会話するその間にも、『鋼』は卓上に並べた大量の書簡を見比べながら何やら思案していた。
「さっきから何を……」
何をしているのか聞こうとしたがやめた。以前『鋼』に長話をさせたら夜を明かす羽目になったからだ。
それにしてもこれらの書簡──見た限りでは大陸各地の気候に関する報告書のようだが、今回の作戦にどう関係するのだろう? こいつのやる事はどうにも理解しづらい。
それから月日が経ち、実行の日まで残り一ヶ月──件の火山地帯を含む山地エリアで病が流行り始めた。
原因は急激な気温の低下。これは現実世界においても同様だが、気候の激変というのは生物の身体に重大な影響を及ぼすものである。
屈強な竜族も例外ではない。
里の守備に当たる者、その大多数を占める成熟期のデジモンが、人で言う所の風邪をやや重くしたような症状を訴えているという。
これだけで死に至る訳ではないが、戦に臨む戦士にとって厄介な事は間違いない。
「成程、最初に気候の記録を調べていたのは病の流行を予測するためか。だが、軍を退かせた後どうするんだ? いや、こちらの兵まで病に罹っては困るが……実行日まで間に合うのか?」
「良い。ここまで来れば後は待つだけだからな」
そう言って振り返った『鋼』の双眸は、凶々しく歪んでいた。
火山の竜達は体力の限界を迎えていた。
病み上がりの体に鞭打ち、敵の夜襲を予想して不寝番に立ち、夜が明けてからも同じ場所を日没の時間まで警戒。見張の最中に意識を失いそうになった事も一度や二度ではない。
「師匠。見張り番は結構ですが、これでは埒が開きません。皆疲れ切って、これでいざ戦になっても誰一人役に立つ者はいませんよ」
「口を慎め。長と御客人までもが直々に見張をされている中で我らが先に音を上げるなど言語道断」
灰色の老竜は尚も何か言おうとしたが、若いティラノモンの不穏な眼光に思わず口を噤んだ。
「……いい、儂が代わる。お主は休んでおれ」
ティラノモンは返事の代わりに大きな溜息をついた後、無言のまま休息所の洞窟へと入って行った。
そして内部で響く言い争いの声──蝕まれているのは体だけではない。竜族の固い結束すら、この極限状態で徐々に綻びを見せていた。
このままではいずれ里の守備体制は崩壊する。
一度長の『炎』に相談してみようかと振り返った老竜の目の前を突如一筋の閃光が横切り、次の瞬間彼の視界は闇に閉ざされた。
「師匠ッ、敵襲です‼︎」
敵襲だと? 一体何処から入ったのだ?
歴戦の古兵たる老竜といえどこの状況を前にしては狼狽せざるを得ない。
「敵だ、敵が里に入ったぞ!」
「殺されるぞ、早く逃げろ!」
両眼を裂かれた老竜は何も見えない。
だが、竜達の悲痛な声と血腥い空気が、今この場所で起きている惨事を物語っていた。
「皆、怯むな! 何としてでも敵を排除するのだ」
守備の要を任されながら敵の侵入を易々と許した事実に老竜は焦りを覚えた。
敵の気配を感じたならば即座にその方向へと火炎を吐きつけ、剛腕に備えた巨大な鉤爪を振り下ろす。
だが悲しいかな、最初不意討ち気味に火炎を食らった一名以外の敵兵はとうにこの場を離れ、次の獲物を探して里の奥へと移動した後。
一人虚空目掛けて爪牙を振るう老竜の頭上、二対の赤光が怪しく煌めいた。
「問う。『光』の銀狼は何処(いずこ)に在る?」
竜の里を襲ったのは『土』と『鋼』の手勢、その中でも地中に暮らす生態を持ったデジモンだった。
ディグモンと呼ばれる、螻蛄(けら)のようなアーマー体を指揮官に据えた三十体あまりの小隊は襲撃から一ヶ月程前──そう、丁度件の病が流行り始めた頃に火山の内部、竜の里の真下あたりに到達しそこで実行の日を待ち続けていた。
彼らより前、『土』が遣わせた他の兵が『木』の配下と共に尾根伝いを歩いて竜族の目を引いていた事、更に疫病の蔓延に起因する里内の混乱が、地下で蠢く彼らの気配を紛らわせた。
そして実行の日──竜の守備隊はかつての勇壮さを失い、まさしく疲労困憊。
合図で飛び出した先鋒の兵が鉄爪のひと掻きで守備隊を仕切る老竜の眼を潰し、慌てふためく他の竜は皆一撃を食らった途端に蜘蛛の子を散らすが如く逃げ去った。
敵が白昼堂々と、しかも自陣の中から攻めてくるとは夢にも思わなかった彼らは完全に不意を突かれた格好となった。
長の『炎』に敵襲の報が伝えられた時には既に守備隊は潰走し、その頭である老竜も血溜まりを残して姿を消していた。
『炎』は『光』『風』の両名と共に敵へと襲いかかった。老竜のそれとは比べ物にならぬ程の猛火が数名の兵を焼き払い、残った者達を三振(みふり)の刃が斬り刻む。
「長、敵の増援です! それも恐ろしい数の大軍が……!」
山頂目指して駆け上がる軍団の先頭に、他とは明らかに異なる闘気を纏った、燃える隕石の如きデジモンが見えた。
「あいつは『土』の領主……大将が自ら出て来るあたり、本気で此処を取るつもりみたいね」
「させぬ。この山は我ら竜族の聖地、悪しき王の手に渡す訳にはいかない」
刹那、大剣を構えた『光』が敵軍目掛けて火山の急坂を駆け下りた。『土』は獰猛な笑みを浮かべて迎撃の構えを取る。
巨大な刃と『光』自身の重量を合わせたところに高所から振り下ろす勢いを加えた必殺の一撃。『土』は下から無造作に差し出した掌に刃を食い込ませてこれを受けた。
何と凄まじい剛力、何と強固なる表皮。
渾身の斬撃を止められて一瞬無防備になった『光』の鳩尾を『土』の拳が深々と抉り、白銀の巨体が宙を舞う。
『光』は咄嗟に受身を取り体勢を立て直したが、急所に受けた傷は想像以上に重く、片膝をついた姿勢から立ち上がる事が出来ない。固く食い縛った牙の隙間から溢れた鮮血が、赤い筋を残して滴り落ちる。
加勢に入ろうと動いた『炎』と『風』の眼前に、黒々とした巨影が立ちはだかった。
真紅の瞳、漆黒の体躯──『闇』の名を持つ魔の獅子だった。
「『闇』の主……お前もルーチェモンの配下に付いたか」
「否。我は何者の支配も受けぬ。我は汝らの敵に非ず。されど味方にも非ず」
「じゃあ何しに来たのよ。まさか、見物に来たとか言うんじゃないでしょうね?」
『風』の問いかけには答えず、『闇』は背後の銀狼を振り返る。
「問う。『光』の銀狼とは貴様の事か?」
「……そうだと言ったら、どうする?」
「我は『闇』の末裔、『光』を屠るは我が一族の使命なり」
黒獅子の咆吼が響き渡る。『土』はつまらなそうにその様子を眺めていたが、傍の兵士たちは恐怖のあまり身じろぎ一つ出来ない。
「『闇』の主。貴殿の目的がその狼ならば、残り二名は我々が頂いてよろしいですね?」
「好きにされよ」
そう言って『光』の元へ駆け寄った『闇』は、未だ立ち上がれない彼の喉元に己が牙を突き立てたかと思うと、その身体を咥えたまま渓谷の底へと飛び込んで姿を消した。
「待ちなさい!」
「おやおや、他人の心配をしている余裕がそちらにありますかな?」
『風』の背中で魔力の塊が爆ぜた。
真紅の飛沫と虹色の羽を撒き散らしながら、血塗れの痩躯が昏い谷底へと堕ちてゆく。
何が起こったのかと振り返る『炎』の視線の先で、深緑の法衣に身を包んだデジモンが虚空から姿を顕した。
「遅いじゃありませんか。お陰で要らぬ怪我をしました」
『土』は掌に付いた刀傷を当てつけのように見せびらかす。
「お前が討ち損ねた連中を片付けてやったんだ、文句を言われる筋合は無いぞ」
不満気に答えた緑衣のデジモン、もとい『鋼』が、不意に『炎』へと向き直った。
「『炎』の竜、貴公の眷属達は皆無事だ。されど、今彼らの悉くが死の淵に立たされている事もまた事実」
「……何が言いたい?」
「選べ。聖なる火山の領地を護るか、竜共の瑣末な生命を守るか……」
『鋼』の言葉に呼応するかのように、山頂付近で幾本もの火柱が立ち昇る。
「……里の竜を集めてくれるか?」
「長! まさか、一族の聖域をお捨てになるつもりで⁉︎」
「竜達を無駄に死なせる訳にはいかない。済まないが、今は耐えてくれ」
『炎』が見せた苦悶の表情。伝令のティラノモンは大急ぎで山頂の里へと駆け戻り、残った竜を掻き集めた。
長の元へと集う竜の群れ。疲労と虚無と失望の入り混じった表情を浮かべながら、彼らは火山の南に広がる樹海の奥を目指して歩を進める。
最早竜達に反抗する力も意気も残されていない。それを分かっているのか、『土』『鋼』の軍勢は彼らを追わなかった。
竜の一団が木々の中へと姿を消したその頃、陽光は未だ地平の縁で赤く輝いていた。
伏魔の章 終
凶星の章へ続く
一気に話が動きましたねー! 夏P(ナッピー)です。
なんとなく『鋼』の目的が見えてきたようなそうでもないような。ルーチェモンに仕えている大兎ことアンティラモン、さてはこやつルーチェモン没後にその力を受け継いでケルビモンになる奴だな!? あと暴君と言われるルーチェモン様ですが存外に物分かりが良い。いやこれは『鋼』の下準備と台詞回しが上手いと言うべきか。ルーチェモンに対してはああ言いつつ、いざ『炎』と対峙した際にはあんな感じの『鋼』の真意は……地味にマスターティラノモンサクッと死んだァ!
エンシェントスフィンクモン登場! 最初の台詞の時点でコイツ『闇』だなと直感できたのがちょっと嬉しかったですが、あんまりメディアでは触れられないエンシェントガルルモンと対になる関係にもしっかり言及! え、でもこの展開だと普通に『光』殺されるような……あと『風』も作業的に撃墜されてしまった。
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。