「こ、このお方はまさかっ⁉︎ り、領主様、これは一体どうしたことですかの?」
問屋の主人──ボコモンは『鋼』に呼び出されて登城するや否や、執務室奥の小部屋の床に直接横たえられた嫋やかなる天使の姿に度肝を抜かれた。
「話すと長くなるが、取り敢えずはわしの客人だと思え。怪我をなさっておるが生憎此処に寝具などという気の利いたものは無い故、貴公を頼った次第だ」
同じ突然変異系の誼みか、将又彼が商いに長け且つ勤勉で利口なデジモンである事を評価してか、『鋼』は城内での雑事の処理を彼に任せる事が多かった。
当のボコモンは「はあ、そうですか」と呆けたような顔で呟くと、持参した三畳分の青畳を石床の上に手際良く並べ、その上に真新しい綿布団を敷いた。
艶麗なる女天使が、畳の上の野暮ったい敷布団に横たわる様は何とも不釣り合いな印象を与えるが、この際贅沢な事は言えない。
「しかしまぁ、天使軍きっての猛者たる弓兵隊長様がこれ程の大怪我をなさるとは。領主様、そんなおっそろしいツワモノがまだこの世におるんですか?」
「正面から打ち合ったとは限らんだろう。若しおれが下手人であったならば、この手合いと真面にやり合おうなどとは考えぬがな」
肩口の傷痕は背中側に長く伸びていたが、それは、彼女が背後から袈裟斬りの一撃を受けた証拠である。
本来の部下ではない、別部隊の兵士が当てがわれた今回の作戦。その決行直前に行われた、指揮官たる彼女への裏切り。
此度の襲撃の黒幕は、己の主君たるルーチェモンであると見て間違いない。
その目的までは未だ見えぬが、彼にとって自分は排除すべき存在であると、そう判断された事は疑いようのない事実だ。
まあ、おれも幾度か手酷い仕打ちは受けてきた故、王に良い感情など無いが……しかし、永らく仕えてきた者に対してする事がこれとは……
希少なデジメンタルを、態々直属軍から取り上げてまで己への褒美にしたかと思えばこの仕打ち。
後世において「彼に分からぬ事は無し、悠久に受け継がれたる古代の叡智にて遥か未来を見通す者なり」と謳われた『鋼』──後にエンシェントワイズモンと称されるこの聡明な鏡獣の頭脳を以て思案しても、ルーチェモンの行動は兎角不可解極まるものであった。
「ああ、気が付かれましたかの⁉︎ よかったよかった」
気の抜けるような声に振り返れば、無邪気に笑うボコモンと、身体を起こし怪訝な顔で彼を見るエンジェウーモンの姿がそこにあった。
「漸くお目覚めか。弓兵隊長殿、改めて問うぞ。貴公、何を求めて我が領地に踏み入った?」
「……答えなければ、どうしますか?」
「然るべき手段を取らせて頂くまで」
『鋼』の金眼に、邪悪な光が灯る。
こういう時の領主が恐ろしく残忍且つ獰猛である事を、何かと城への出入りが多いボコモンはよく知っていた。
「ひえぇぇ……あ、ワシ大事な用事があったんでした! 領主様、畳と布団は後で取りに来ますんで、今日はコレで失礼しますっ」
逃げ足猛ダッシュ。麗しき女天使への凄惨な拷問を想像し恐怖に駆られたボコモンは足早に帰って行った。
「喧しい奴め。騒がしくて申し訳ない」
「いえ……それより、先程貴方が問うた事……此度の目的についてですが」
苦し気に少し喘いでから、エンジェウーモンは訥々と語り始めた。
「此度の王命、それは貴方と『木』の領主を、王城から其々の本拠まで尾行しその様子を詳細に報告せよ、というものでした。私は貴方を、もう一名の、猟兵隊長は『木』を。そして、貴方を追って域内に入った後、目的を達し主人の元へ帰ろうとした際、突然背後から斬られたのです」
成程、指揮官たる彼女と、彼女に宛てがわれた部下──本来の部下ではない、猟兵隊の、それも古参の兵士。エンジェウーモンと彼等との間で、拝した下命の内容に明らかな差異がある。
自分や『木』もそうだが、彼女もまた、天使軍、ひいてはその最高司令官たるルーチェモンに何らかの理由で狙われているようだ。
「相分かった。取り敢えず、貴公は暫く此処に居るが良い。未だ聞き足りぬ事もある上、その傷では満足に動けぬだろう。抑も、今の天使軍の中に貴公の戻る場所はもうあるまい」
エンジェウーモンは無言で頷く。
何処からか吹き込んだ寒風の、吹笛と紛う奇妙な聲が、石壁に囲まれた薄暗い城内に響いていた。
「あーあ、やっぱり駄目だったか。ま、所詮ザコだし仕方ないね」
頬杖を突きつつ、ルーチェモンは世間話でもするかのように軽い調子でそう呟いた。その視線の先には、僅かに表情を強張らせたミスティモンが傅いていた。
「面目ありません……我が配下共の不手際、これ即ち私自身の不徳の致すところで御座います」
「別にいいよ、今回は僕が自分でやった事だし」
襲撃はミスティモンの差金ではない──『鋼』の見立ては凡そ間違ってはいなかった。
事件から遡る事二週間前、ルーチェモンはミスティモンに対し、幹部二名と、彼等につける精鋭の兵士を四、五名ずつ差し出すよう命じた。
その目的は、『木』『鋼』両名の抹殺。
これを受けたミスティモンは戸惑いを隠せなかった。自分自身、報奨の直後に何度か領主四名の元へ使者もとい刺客を送った事はあったが、その全てが生きて戻らなかった事、何より、それがあってからも今まで通りの調子でこちらに接するかの古代種達の、得体の知れぬ不気味さに警戒し、彼等への接触を極力控えていた。
そこに来て王から提案された、今回の襲撃。
ミスティモン個人としては、彼らの事は正直気に入らないが、王自身が、直近に多大な功労のある高位の配下を手に掛けようとするその行為は理解に苦しんだ。
「君、彼奴らのこと嫌なんでしょ? なら消しちゃおうよ」
「……私自身の好き嫌いで、王の為に死力を尽くした優秀な幹部達を失うなど、罷りなりません。彼らの獰悪さには、私も思うところは御座いますが、それでも……」
「僕はね」
ミスティモンの言葉を遮り、突如ルーチェモンは語り始めた。
「この世界が平和で、幸せに溢れていて欲しいんだ。でも、争いは全然無くならないし、そのせいで不幸になる奴はまだまだいっぱいいる。デジモンはみんな馬鹿だからさ、やめられないんだろうね。そういう奴らはしょうがないから潰すしかなかったけど、見てよ、次から次へと馬鹿が湧いて、全然キリがないじゃない。本当はこんな事したくない、何でこうなるんだろうって、生まれた時からずっと、ずーっと考えてたんだけどさ……」
それは宛ら、朗々たる詩歌の声。ミスティモンは引き込まれたように、身じろぎ一つせず主の話すその言葉に聴き入っていた。
「僕達と、このデジタルワールドを作った連中……ニンゲンがそうだから、デジモンも馬鹿みたいに争うんだって気付いた。僕たちより弱くて、それでいてこの世界に災いを持ち込む人間……あいつらが愚かでいる限り、あいつらから生まれたデジモン達も同じように馬鹿なままなんだ」
だからさ──声と共に発せられた、刃の如き蒼い眼光が、ミスティモンに注がれる。
「現実世界に行く。そして、愚かな人類をこの僕が支配し、導いてやるんだ。方法はもう分かっているけど、その為にはもっと強い力がいるし、沢山のデータとエネルギーが必要なんだ」
「ならば王よ……尚更、彼等の如き強者が必要なのではありませんか?」
何故、自分はあの憎い古代種達を庇うのだろう? ミスティモンは自分の口から出るこの言葉が理解出来なかった。
「アイツらはね、強いけど危な過ぎるんだ。領主だけじゃない。竜の里の長も、その仲間も。従えてもいつかは必ず僕に逆らう。前に『鋼』辺りでほら、遊んでやった事があったじゃん。アイツはあの時、本気で僕を殺そうと思ってた。その前の『土』も『木』も、同じだった。『水』は知らないけど、まあどうせアイツらと一緒だ」
恍惚とした表情の幼き天使の姿に、黒白の翼を負う青年の幻影が重なって見えた。
「反抗は寧ろ大歓迎……って思ってたんだけど、今回は、僕の生涯で一番の、大事な計画。領主達が幾ら強くても、失敗のリスクを冒してまで残す駒じゃない。不安の芽は、早いうちに摘み取らなきゃね」
先程とは比較にならぬ程の、凄まじき殺気。
鈴の鳴るような声の所々に、嗄れた男の声が混ざる。
「前に言ったでしょ? 僕に逆らったその時は、今日の仕置きなんて忘れるくらい苦しめてやる、地面に這いつくばって僕に許しを乞うまで痛めつけてやるんだ、って。あはは、どうやって抵抗してくるかなあ、あいつら。ホント、今から楽しみでしょうがないよ」
ミスティモンはただ平伏し、そして主君の命じた儘に従う他無かった。
ネットの海。デジタルワールドの大部分を占めるかの溟海を統べるは、『水』の名を持つ太古の末裔。
「王軍の兵士が……ねぇ。まあ『木』は兎も角、『鋼』はあの性格だからデジメンタルの事抜きにしても恨みの一つや二つ買っててもおかしくないでしょうけど」
『水』は珊瑚の玉座に凭れたままそう呟く。
配下の一人、薄紫の海月(くらげ)の如き衣を纏った女性──テティスモンから襲撃の全容を聞かされた時、『水』は始め戸惑ったものの、自分達が元王軍管理品のデジメンタルを下賜された事を思えばさもありなんと直ぐに合点がいった。
「近頃、海竜や海獣系の集団が王軍の拠点付近の海域に集まる動きが見られます。ミスティモン麾下の本隊に水棲種はおりませんが、彼等と呼応したならばこちらも襲われないとは限らないでしょう」
「そうねぇ……貴女、ちょっと遠出になるけど、『鋼』のところに一つ、この手紙を持って行ってくれるかしら? あと、帰りにアイツの手下……〝誠実〟のデジメンタルで進化した奴を一人連れて来て」
「畏まりました」
『水』の書簡を受け取ったテティスモンは海上目指して泳ぎ去った。陸上での活動にも長けた彼女であれば、そう日を待たずとも戻って来れるだろう。
「……噂をすれば何とやらってね」
『水』は玉座の傍らに置いた赤茶の瓶を手に取り、もう一方の手に携えた金の三叉鉾を背後の一点目掛けて徐に突き下ろした。
血煙と共に上がった断末魔の声には振り返りもせず、彼女は中身の酒を一息に呷る。
「アタシは普通に仕事してたんだけどねぇ。王様、何がそんなに気に入らないのかしら?」
先鋒の惨たらしい死に様すら意に介する様子なく、シードラモン種と思しきデジモン達が約五匹、『水』の周りを取り囲む。
『水』が知る由も無い事だが、彼等は嘗て、若き日の彼女との制海権争いに破れた者達の末裔であった。此度刺客に選ばれたのは、彼等が代々受け継いできた、彼女に対する殺意の念を買われての事。
「このお荷物が欲しいんでしょ? 正直邪魔だから持っていって欲しいんだけど」
『水』は重なり合う珊瑚の隙間を差してそう言い放った。そこには、水晶の厳重な檻に納められた桃色の蕾のような塊──〝優しさ〟のデジメンタルが鎮座していた。
使えもしないものが幾らあったところでどうしようもない。
『木』の指摘は至極真っ当である、『水』は彼の言葉を思い出しながらそんな事を考えていた。
その間にも、シードラモン達は身をくねらせて人魚の身体を八つ裂きにせんと牙を剥く。
そして、指揮官らしい、一際身体の大きな個体──メガシードラモンは稲妻型の頭角から猛烈な電撃を発したが、『水』はその隙間を何の事は無いといった様子で潜りつつ、手下のシードラモンを三叉鉾の先で軽く撫ぜた。
瞬間、彼等の細長い身体は鉾先の触れたその部分から真っ二つに割れ、驚愕の余り動きを止めたメガシードラモンの眉間に、三叉鉾の石突が重々しい金属音を伴って打ち込まれた。
「全く……あのお荷物を頂いてからロクな事が起きないわ」
叩きつけるように卓状珊瑚の上へと置かれた酒瓶の、荒狂う白い波濤を描いた札が、青々しい海中に半ば剥がれかけたまま揺れていた。
ボコモンじゃねえか! しかも逃げ足ダッシュまでしてる! 夏P(ナッピー)です。
ミスティモン氏はルーチェモン様相手に割と本音言いつつ処断されない辺り、ある意味でとてつもなく信用されているのでは。しかしコイツ、後の歴史的に多分デュナスモンか……三大天使(の完全体)といい後世の主役となるべきっぽい人達が続々と登場しているのはこの作品の面白いところ。それはそうと既に登場してしまったボコモンは後世(フロンティア)時代までボコモンなのか!? そしてボコモン登場してしまったということはネーモンも出てくるもんだと思いますが、アイツ不意打ちで敵側、つまりルーチェモンの有能な間者として出てきたりしたらウケる。
ルーチェモン様ご自身が「夢……我らの夢……信じて良いのか」を語ってしまっていますが、そういえば人間界の歴史と密接に関わっているって前回の時点で語られてましたな。これは最終的に「私に従うか死ぬかどちらかを選べ 選べ」来るな!? その前にやられること確定してしまっているのも然もありなん。三大天使の前身が何気に十闘士の皆さんと関わり始めてるのも含めて後世との繋がりを予感させる。
果たして十闘士がルーチェモンを倒した後、代わって世界を治めるようになる三大天使に消え往く十闘士がスピリットを託す展開が来るのか否か。そもそも三大天使がスピリットを管理していた設定、またケルビモン五個でセラフィモンオファニモン合わせて五個管理というビースト反逆バッチコイな設定が公式だったかフロンティア限定だったかを思い出そうとしている。
期せずして暗殺に加担させられたとはいえ、畳に寝かされるエンジェウーモンはなんか背徳感。わかってんな『鋼』の旦那……!
それでは次回もお待ちしております。