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フォーラム記事

みなみ
2022年12月31日
In デジモン創作サロン
*あけおめ、ことよろ* *今回は♡付き喘ぎ声がありますがそれだけです。苦手な方はスクロールでお楽しみください* *ハロウィン企画SS・その蜜味は出会いの味を先に読めばよりわかりやすくなるかも…?* のどかな朝は、突如その空気を打ち破られる。 そんな事をつゆ知らず、シルフィーモンは朝早く起きてのトレーニングに勤しんでいた。 探偵所の2階の部屋の一つ、そこがトレーニング室代わりになっていて、シルフィーモンが自分で持ち込んできたサンドバッグやダンベルが置かれている。 しなやかに、力強く、サンドバッグに打ち込む。 「……ふう」 架空敵に良い一撃を見舞い、残心。 ワンテンポおいて残心を解くと、揺れたサンドバッグを手で軽く押さえた。 「よし、ここまでしてお……」 その時である。 「んほぉおおおおおおおっ♡♡♡♡♡♡♡」 ……それが、悲劇の始まりだった。 ーーー 「美玖!!」 声の出処は寝室。 シルフィーモンが起きた時はまだ就寝中だったはずだ。 寝室に駆け込んだ彼が見たものは、めくれ上がった掛け布団と白目を剥きながら身体を震わせた美玖の姿だった。 「どうしたんだ、美玖!?」 何かしらの疾病の発作か。 険しい表情でシルフィーモンが美玖に触れた瞬間。 「んほぉおおぉ♡♡♡♡らめっ、らめぇええ♡♡♡」 「!?」 身体をガクガク振るわせ、口から涎が流れ落ちる。 何かが、違う。 これは、何らかの病気の発作で苦しむ人間のそれではない。 シルフィーモンは、美玖のその姿に既視感を覚えた。 その姿は、まるで、性行為中の人間の……。 「しっか…しっかりしろ。ラブラモン!いるか!?」 「はぁい!!」 パタパタと音がしてラブラモンが入ってくる。 「どうしたの?」 「すまない、美玖の様子がおかしい。病院に連れて行く前に精査したい。クズハモンを呼んできてくれないか」 「わかった!」 ……… 【ウィッチェルニーにて】 「ふふふふふふ……」 使い魔を通した幻視のヴィジョンが映し出された水晶玉を覗き見、ほくそ笑んでいるのは赤いローブに帽子が特徴的な魔女・ウィッチモン。 「あの人間、この間は良い結果を出してくれたから今回は初めから狙って試したけど良いわ!良い結果だわ!!」 ウィッチモンが覗き見ているのは、喘ぎ声をあげて絶頂している美玖の姿。 ……ミスティモンに嗅ぎつけられ、人間をデジモンに変える飴玉を売った件から謹慎の意もあってウィッチェルニーに連れ戻されてきたウィッチモンは、しかし懲りていなかった。 彼女は謹慎中でありながらも、魔法薬を作り黒猫型の使い魔を通じて美玖をモルモットにしたのである。 「人間界をリサーチしてて見つけた、『感度を3000倍にする薬』!正直、意味がわからなかったけど色んなデジモンや人間に盛ったら面白い事になるじゃないか!!」 使い魔はリアルタイムで、美玖の(色々と凄惨な)有様をウィッチモンに伝える。 シルフィーモンに触れられただけで絶頂。 お着替えされただけで絶頂。 コーヒーを一口飲んだだけで絶頂。 金色の鳥ことフレイアに肩に止まられただけで絶頂。 呼ばれて来たクズハモンが託宣による占いを始め、彼女が呪符を焼き落とした水を美玖に飲ませてようやく治った。 「む、クズハモンか…まさか究極体があっちにいるとは思わなかったなー。もうちょっと経過観察したかったのに」 いかにも残念という口ぶりでそれを眺めながら椅子に腰掛けるウィッチモン。 それを眺めていたのは、ウィッチモン以上に赤色とそれに加え炎のモチーフが入ったローブ姿の魔人型デジモン。 「……ダメだこりゃ」 ーーー 「感度を3000倍にする薬?」 その魔人型デジモン、フレイウィザーモンから聞かされた話の内容に、ウィッチモンと同門のウィザーモンは目を瞬かせた。 「何だそれは?」 「オレだって知らんよ。だけどウィッチモンの奴、そんなモン作ってまたミスティモンからこってり油絞られるだろアレは…ひどかったぜ」 やれやれといった様子でフレイウィザーモンは答える。 アイツ、全然懲りてねえと盛大にため息をついて。 「感度、ということは…触覚に影響を及ぼす…ふむ…」 「ともかく人間に盛るなんざ流石にマズいって。お前もあんまり変なマネはすんじゃねえぞ?」 お前は真面目に見えて探究心が過ぎるとやらかすタイプだから、と言い置き、フレイウィザーモンは歩き去った。 ……その嫌な予感が最悪な方向へ的中していくなど、つゆも知らず。 ……… 「ンホォォォオオオオオオ♡♡♡♡♡♡♡♡」 再び事件が起こったのは、それから三日後の昼だった。 「な、何!?」 「ガレージからだ!」 ガレージへと駆けつけたシルフィーモンと美玖が見たものは。 腹を見せてひっくり返り、ビクビクと全身を震わせたグルルモンの姿だった。 「グルルモン!?」 「今度はお前かー!!」 すぐさまクズハモンが呼ばれる。 再発の気配があるだろうと近くで待機していた彼女は、グルルモンを占って気難しい顔になった。 「なんと、面妖な……」 「ど、どうなんです?」 「うむ、其処許(そこもと)と同じ効能の薬を盛られておるな。実行犯は、違うが…」 シルフィーモンは尋ねる。 「相手は…」 「此奴も、同じ魔法使い系統のデジモンじゃな。それも、ただ盛ったのではない。強化された薬を使っておるのう」 「えっ」 「……30000倍」 「さんまんっ…!?」 シルフィーモンが天を仰いだ。 美玖に使われたものの10倍ではないか。 「息をしたのがきっかけで先程から息注ぐ間もなく絶頂し続けておる」 「……今、も……?」 美玖が恐る恐るグルルモンの方へ視線を戻せば。 その視線だけでグルルモンは股間を濡らし、跳ね上がった。 「ン"オ"ッ♡♡♡♡♡♡♡」 「………其処許と同じく、符水を飲ませるとしよう。それで快癒する筈じゃ」 ………… ウィッチモンは激怒した。 必ず、かのライバルを超えてやると改めて決意した。 ウィッチモンにライバルの動機がわからぬ。 ウィッチモンは、文字通りの魔女である。 ただいたずらに薬を生み出しては、"モルモット"の反応を見て愉しんでいた。 けれども、ライバルたるウィザーモンの動向には、人一倍に敏感であった。 ゴリっ…… ゴリっ…! ゴリリッ…! 薬研の軸を握る手に青筋が入る。 ライバルに先を越されたという怒りが、薬の材料をより細かくしつこく粉砕していった。 「許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない!!」 ブツブツと恨み言を吐きながら薬研を磨り続けるウィッチモン。 側から見ても一種凄まじい剣幕で、フレイウィザーモンさえぎょっとし、 「なにあの子怖っ……とずまりしとこ」 と覗き見して数秒でそそくさと離れるレベルだ。 ゴリっ…… ゴリゴリゴリっ…… ゴリリリッ…… 「三億倍…三億倍ならっ…!」 喉から血が滲むような声で呟きながら磨り続ける彼女を止める者は誰もおらず。 やがてウィッチモンが自室に篭ること数週間後の、C地区の片隅で。 「んほぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡!!!」 犠牲者はナイトモン。 デジタルワールドから来たばかりの、探偵所とは全く無関係の彼は。 鎧の隙間からあらゆる体液を漏らしながら、打ち上げられた魚が如く道端で跳ねているところを警察に保護された。 「どうなってんだこりゃ……」 捜査官とデジモン専用医療機関関係者一同が困惑の色を浮かべ、阿部警部がこの案件を五十嵐探偵所に持ち込んだ事で探偵所一同も言葉を失った。 クズハモンがすぐさまナイトモンを治療しに向かい、この一連の出来事に唯一の傍観者であったヴァルキリモンはこう思う。 (肉体、失った状態で良かったあああ…!!) と。 ーーー この出来事で、ウィッチェルニーでウィッチモンとウィザーモンによるやらかしが判明。 二体は、特に元凶のウィッチモンは念入りにこってり油を搾られ、しばらく成長期に退化させられて過ごすこととなった。 ミスティモンどころか、普段はウィッチェルニーの誰も知らぬ場所で隠居していたはずのヘクセブラウモンまでが出張するという事態。 さらにこの事件がきっかけで、デジタルワールドやダークエリアに『感度が3000倍になる薬』という知識が広まり、七大魔王やロイヤルナイツや三大天使といった錚々たるメンバーは揃って外人の肩透かしポーズをする羽目になった。 「なんだこれは、たまげたなあ……」 イグドラシルがデジタルワールドへ『感度が3000倍になる薬』の開発や輸入を禁じたのは、人間界に住んでいたデジモン達の間でちょっとした話題となるが。 これはまた、別のお話。
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みなみ
2022年12月24日
In デジモン創作サロン
12月24日、朝の4時。 気温はマイナス10℃を下回って防寒アイテムが手放せない。 そして、起床したばかりともなれば、どうあろうと布団と生涯を共にしたい寒さだ。 そんな朝だろうと出勤しなければならないのは、社会人の一生の悩みだろう。 ーー阿部警部も、ご多分に漏れずそうした悩みを抱えながら起きた一人である。 「ふぁ〜……寒ぃ……」 妻と"息子"が寝ている脇から身を起こし、トイレへ行き、コーヒーのための湯を沸かすのに並列して朝食を摂る。 これが彼のほぼ毎日の日課の始まりなのだが、この日は違った。 こんこん 「ん?」 微かだが力強い、窓を叩く気配。 訝しげに首を傾げ、音が聞こえたリビングルームへ向かった先には。 「お前、なんで来てるんだよシルフィーモン!?まだ午前4時だぞ!」 ーー 「……で、何の相談だ?」 二人分淹れたコーヒーの片方をシルフィーモンへ寄越しながら、阿部警部はキッチンに立った。 自分用の弁当を作るために冷凍庫から冷凍食品を幾つか取り出している。 シルフィーモンはコーヒーを受け取ると、そんな阿部警部の背中を見ながら切り出した。 「……阿部警部」 「うん?」 「今日は、クリスマスイヴ、という日なんだよな」 「まあ、そうだな。だから、こっちも警備とかそういうのが忙しくなる」 で?と阿部警部は続きを促す。 「……クリスマスイヴとクリスマスになると、人間は他の相手にプレゼントを送るんだったな?」 「おう、そうでない人間もいるし、クリスマスの日だけって訳じゃない。贈られたら嬉しい奴はい……まさか」 阿部警部は思い当たるふしあって、シルフィーモンの方を向く。 シルフィーモンはといえば、全身から汗が噴き出さんばかりに重い空気を纏っていた。 「すまない、阿部警部。私は一応、クリスマスというものに関してはある程度知識はある。だが、知識はあっても、私自身には関わりのないものだと思ってたんだ。だから……」 ばんっ!!とテーブルに両手を叩きつける。 「阿部警部!美玖はどんな物をあげれば喜ぶんだ?教えてくれ!!」 ……… 一週間前に遡る。 友人達と女子会をしているうちに話題がクリスマスの事となったが。 たちまち友人達が戸惑いの表情を向ける。 「美玖、あなた…」 「まさか、今年もクリスマスプレゼント贈りたいような素敵な人いないってんじゃ」 一斉に集まる視線に居た堪れず、美玖は顔を伏せた。 「ねえ、美玖!あなたこないだまで、合コンに通いまくってた事あったよね?!」 「うん」 「もう行かなくなってたから彼氏できたのかと思ったけど違ったんだ!?」 「……うん」 「なんでさ!!」 宮子が頭を抱えて突っ伏した。 「美玖、昔っからあなた、浮いた話がないとは思ってたけどさあ!」 「そうなんですか?」 こう横から尋ねたのは夏実。 「そーなのよー…美玖ってば、学生の時からバレンタインのチョコ、誰にあげてたと思う?自分のお父さんと弟君達になのよ!」 「え…つまり、娘チョコで、姉チョコってこと?」 呆気にとられた顔で朝菜が美玖を見た。 …事実、美玖はバレンタインの時には毎年手作りのチョコレートを、父親と弟達にあげていた。 父親はともかくとして、弟達からしたら母チョコ並みに複雑な心境なのは間違いない。 「昔うちの学年にめちゃくちゃカッコよくて人気だった男子いたんだけど、その子にあげてみたらって言ったわけ。で…」 結局あげなかった。 周りの女子の取り巻きもあったが、美玖自身が気が引け、あげず仕舞いになってしまったのである。 「なんであの時渡しに行きなって言ったのに、そうしなかったのよ!?」 「だって…優斗君、好きだって人は多かったし良いかなって」 「バレンタインがどういう日かくらいわかってたよね?!」 宮子に言われ、ますます美玖はうつむいてしまった。 そこで夏実が聞く。 「シルフィーモンさんや、探偵所のデジモンさん達へは?」 「あげる、予定…」 「よぅし!なら美玖!!」 ずびし!!と宮子が美玖の鼻先に食い込まんばかりに人差し指を向けた。 「来年からシルフィーモンさんにバレンタインチョコも渡しなさい!」 「え、ええっ?」 「ええっ?じゃなーい!弟君達だって一番下の健人君とかもうじき高校生でしょ?流石にそんな歳になって姉チョコ貰い続けてるとか、オトコノコからしたら恥ずかしいでしょうが!!」 それに、と宮子は言う。 「デジモンにバレンタインチョコをあげちゃいけないなんて、そんな決まり事もないんだから」 「う……うん」 かくして。 悲喜交々の時間のまま、クリスマスイヴは幕を開けた。 ーーー 「それにしても…」 いつものようにデスクに向かいながら、美玖は顔を上げた。 朝からシルフィーモンの姿がない。 「…シルフィーモン、どこへ行ったんだろう」 グルルモンの話によると、デジタルワールドへ一度戻ると言っていたそうで。 「ドコヘ、ナドトアイツハ一切喋ラナカッタ。何カ探シモノガアルヨウダガナ」 朝早く、一度いなくなっては六時程にこちらへ戻ってきた後、いそいそと支度をしてデジタルワールドに向かったらしい。 とはいえ、デジタルワールドは広大な世界。 いつ戻ってくるか、などわからない。 「…一応、ケーキの受け取りは行けるから良いけど」 家からクリスマス用のチキンが丸々三羽分も届いているため、明日でも構わないのだが…。 ちなみに一羽分は、丸ごとグルルモン用とは母の葉子の弁である。 つけたテレビからはひっきりなしにクリスマスソングが、華やかにライトアップされた名所を歩く人々の映像が流れる。 この日は多数ものメールや電話応対が相次いだが、未だにシルフィーモンが戻らないまま時間が過ぎていった。 そして、終業時間を迎えて三十分経った時。 玄関が開く音と共に、ラブラモンの迎える声が聞こえた。 「しるふぃーもん、おかえりなさい!」 美玖が向かうと、シルフィーモンが帰ってきていた。 「一体、デジタルワールドの、どこへ……」 言いかけて、美玖は気がつく。 シルフィーモンの身体には戦いによるものと思しき傷が幾つも見受けられることに。 「どうしたの、その傷…」 「今から君を連れて行きたい場所がある。ラブラモン、私達が帰ってくる前に食事の支度を頼めるか?」 「うん、いいよ」 「…すまない」 美玖の手を引き、外へ行こうとするシルフィーモン。 「ちょ、ま、待って!」 慌てて引き留め、ソファーの上に置いていた包みを取り、コートを羽織る。 それから改めて、一人と一体揃って、外へ出た。 「掴まってくれ」 「どこに行くの?」 「ここから少し飛んでいきたい場所がある。そこで、君に渡したいものがあるんだ」 背中にしがみついている間、目を閉じていてくれ。 シルフィーモンのその頼みに、美玖は従った。 ……風の音。 ……頬が痺れるほど冷たい空気。 不思議と暖かな背中に抱きつきながら、30分ほどそうしていた。 やがて、風の流れから、シルフィーモンが減速するのを感じる。 ひゅうっ、という落下感の後、どしりっと彼の足が地に着く感覚が身体に響く。 「美玖、目を開けてくれ」 シルフィーモンの声に、目を開いた。 そこで目に飛び込んできた風景に、美玖は思わず声をあげた。 「綺麗…」 光の中、色鮮やかに垂れ下がるそれは花のカーテン。 幻想的な光とのコラボを生み出しているのは、樹齢150年の大藤棚だ。 「ここって…」 「…一応、内緒にはしておいてくれ」 「えっ?」 目を瞬かせる美玖の目前に、シルフィーモンはある物を差し出した。 「これを、君に渡したかった。デジタルワールドからの物だが、こちらへ持ってきても大丈夫だ」 「これ……」 それは、一見花の形をした宝石のように見えたが、実際はその逆だ。 まさに、宝石のような花なのだ。 見た目はシャコバサボテン、別名をクリスマスカクタスと呼ばれる種類のそれによく似ている。 紅の花弁は仄かに色づきながらも、鮮やかで美しい。 「…デジタルワールドのある場所にしか咲かない花でな。縄張り意識の強いデジモン達も多い難所だ。採るのに、時間がかかってしまったよ」 そう言いながら、シルフィーモンは苦笑いを浮かべる。 そっと美玖が受け取ると、花は光の中できらきらとその花弁を輝かせた。 「気に入ってくれた、だろうか?今まで誰かに贈り物をしたことが…なくて。その花は、一度咲けば燃える事も凍える事もなく、長い年月を咲き続けるんだ。君がこういう物を喜んでくれるといいのだが……」 紡がれる言葉は辿々しく。 普段の彼がここまで自分の発言を選ぶように口にしている姿は新鮮だと美玖は思った。 「…普通じゃない花は、好きじゃなかったかい?」 「普通でもそうじゃなくても、花は好きよ」 言いながら、美玖は花を大事に胸元に抱えた。 先程の説明と身体の傷からして、シルフィーモンは何度も交戦しながらこの花を目指したのだろう。 「ありがとう、シルフィーモン。大事にするわね」 「……良かった」 気が抜けたように、その場で膝をつくシルフィーモン。 まるで、教師や親から大事な話をされた緊張感から解き放たれた子どものように。 そんな彼の目前に、美玖は自身が持ってきた包みを差し出した。 「?」 「私からも。…メリークリスマス、シルフィーモン」 「……ああ!」 一瞬、気が抜けたようになっていた所で、パッと表情が輝くようなものに変わる。 「私も、デジモンにプレゼントをするのって初めてだから…何を贈っていいかわからなかったのだけど」 「開けてもいいかい?」 嬉しげなシルフィーモンの声に、うなずいた。 包みを開ければ、中に入っていたはマフラー。 「いつも、首元寒そうだなって思ってたから…」 「早速着けていい!?」 「う、うん」 明るく弾むような問いに応えると、シルフィーモンは早速そのマフラーを首に巻いた。 ワインレッドの落ち着いた色にイエローの菱形模様が洒落ている。 「どう…かな?」 「……うん、似合ってる」 微笑み返し、互いに抱き合った。 ……周りには伏せている、お互いの関係。 周りからすれば認められて良いのだろうが、決して今の法ではまだ認められない関係。 だから。 (…今のままは、まだ、こうして密かに向かい合うことしかできない) けれど。 きっと、互いの繋がりはとても深いところで繋がっている。 それを感じながら、唇が重なった。 「…メリークリスマス」 その言葉と共にしばらく、幻想的な藤棚のカーテンの下で時を過ごす。 ……夕飯とラブラモン達へのプレゼントを思い出したのは、それから二時間ほどのことだったが。 了
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みなみ
2022年12月24日
In デジモン創作サロン
  目次 (カッと空間の中央に据え置かれた椅子を照らすスポットライト) (カツ…カツ…と足音が響き、全身に不気味な刺青の赤い悪魔が影から現れる) (悪魔は悠然と椅子へ歩み寄り、椅子へ腰掛ける) (咳払い) こほん。 諸君、ご機嫌よう。 さて、諸君はエンディングでお好みなものは何かあるかね? 愛し合う者同士が艱難辛苦を乗り越え結ばれる? 正義の志を抱いたヒーローによる痛快な事件解決? はたまた周囲の温かさに触れながら成長していく若者のハートフルストーリー? 成程、成程。 結構、結構。 実にわかるよ、ハッピーエンドとは満たされた者には甘いものだ。 …だがね、諸君。 満たされない者にとってはハッピーエンドよりもっと甘く痛快な終わりがある。 そう、バッドエンドだ。 先程のハッピーエンドを逆に置き換えるならば。 愛し合っていたはずの想いはたちまち冷め、二人の人生は破滅に繋がり。 あるいは、愛した者が第三者に身も心も穢され、生涯に癒えぬ傷を残すも一興。 ヒーローの正義とは時に悪にもなる。 善かれと思ったその行いが相手の人生を狂わせる劇毒だとしたら? もしかしたら悪こそが真っ当な"正義"だと、そう主張する終わりもあるだろう。 人間とは常に偽善の仮面をかぶっているものだ。 君が今日まで良い人と信じていたその人間の本性が、真逆のものだとしたら。 明日にはきっと、君にとって全ての人間が嘘つきに見えるだろう。 成長ではなく、ただの思い込み(プラシーボ効果)だったとはお笑い種ではないかね。 そうだ、バッドエンドとは報われた物語に飽き、共感など1ミリも湧かぬ人間には何よりの栄養剤であり麻薬だ。 他人の不幸は蜜の味、とはよく言うものだな。 どんな善人、聖人だろうとどこかで、中指差しで呪われるものだ。 地獄に堕ちればいいのに、と。 では、本題に入るとしよう。 諸君らは美女と野獣という物語をご存知かね? その傲慢さから魔女に呪われ、愛されなければ死ぬまで醜い野獣の姿であり続ける事を運命付けられた一人の王子と、一人の心優しく聡明な美女の、愛に目覚め結ばれるまでの過程を描いた物語だ。 人間ならば、知らぬ者はないと聞く。 まず、ここで、問わなくてはならないだろう。 この物語の本質は、『姿に拘ることなくその者を愛せるか』にある。 しかし、物語の読者のなかにはこう言う者もいる。 「なんで人間に戻ってしまうんだ?野獣のままが良いじゃないか」 ……どうかね、諸君の中にも、そう思う人間はいるのではないかな? 皮肉な事に読者の半分ほどは姿に拘るがあまり、ハッピーエンドであるはずの終わりを自身の中で"バッドエンドに結びつけている"とは。 いやはや、なんとも興味深く、滑稽なことだ。 さて。 美女と野獣にもしバッドエンドが用意されているのなら、諸君はどんなエンドをお考えかね? 愛されぬまま野獣のままか、一度は愛を得ても美女か王子どちらかの愛が冷めて心変わりしてしまうか。 …ふうむ。 諸君がどのようなエンドをご所望かはともあれ、今回は不幸な不幸な二人を実験台にしてみるとしよう。 なに、ある意味でいえば、此度の犠牲者とは本質的にも種族としても違う者同士。 如何なる末路を辿るのか… それでは、早速その二人をここへ招待し、諸君らに見ていただくとしよう。 彼らに訪れるのは救いか。 はたまた惨い終わりか、を。 こちら、五十嵐電脳探偵所 第13話 Beauty and The BeastMan   その依頼が五十嵐探偵所に持ち込まれたのは、閉業時間まで残るところ30分ほどのことだった。 依頼人の男はホテルのオーナーと名乗った。 小綺麗に整えられた髪と服装は、オーナーの人となりを表しているかのようである。 「ーーそれで」 美玖は尋ねた。 「ホテルでは不可解な現象が今も絶えず起きている、と」 「はい。始めは騒がしい…ラップ音とかいいましたか。あのような音が聞こえる程度で」 しかし、やがて顧客から苦情が増えるようになった。 夜中に子どもが駆け回るような、ばたばたという足音のようなもの。 大勢の人たちが囁き合うような声が、そのままボリュームを上げたかのような音声。 やがては、幽霊らしきものが歩くのを見たという苦情まで。 「このままでは経営もままなりません」 「そうですね…」 「ある時に、このような封筒が郵便受けに入っていたのです」 言いながら依頼人が差し出したのは、赤い封蝋が押された一通の封筒。 宛先は『五十嵐探偵所様』と書かれ、差出人の名前はない。 「これは」 「実はこの探偵所を訪ねたのは、この封筒があるからです」 「中を開けても?」 封を開けると中からは血のように赤い便箋。 そこには、次のような文章が書いてあった。 『五十嵐美玖様ならびにシルフィーモン様 お二人方のご活躍は此方の耳にしかと届いております。 明日、ホテル○×で宴会を行いますので必ずお二人のみ揃っておいでください』 「……これって……」 ホテル○×は依頼人が経営している場所だ。 依頼人に確認をしたが、そのような催しの予定に心当たりはないと返ってきた。 「しかし、なぜこの手紙の差出人は私と美玖を指定してきた?」 「…ホテルで起きているという怪現象の仕掛け人かもしれない」 訝しげに言い、シルフィーモンと美玖は見合わせる。 そこで、嫌な予感がよぎった。 「まさか、メフィスモンか?」 あの洋館での一件以来、メフィスモンに関係する話を聞かない。 ハックモンと僅かな時間の間のやりとりでも、彼が何がしかの有用な手がかりを得られた事はなかったと話している。 「差出人の名前もなし、なのにこちらを指名というのは…」 明らかにこちらを誘っている。 そう断じたシルフィーモンは、端末を取り出した。 「失礼…」 シルフィーモンがソファーを立ち、美玖は依頼人と話を続ける。 「封筒には、開催時間が書かれていませんが、明日午前9時頃にそちらへお伺いしても構いませんか?」 「構いませんよ」 依頼人はうなずいた。 少しして、端末での音声通話を終えたシルフィーモンが戻ってきた。 「担当に連絡をとって明日の出撃予定を別日に変えてもらってきた」 「わかったわ。明日の朝9時、○×ホテル前で」 ーー 依頼人が帰ると、シルフィーモンは美玖の方を見た。 「……思えば、久々に君との依頼になったな、美玖」 「そうね」 ここ二ヶ月近く。 進展がなければ攻撃を開始するというイグドラシルの宣告からしばらくの間、シルフィーモンはまともに探偵業務の方へ出向けなかった。 その間を埋めて探偵アグモンが残ってくれていたが、それでもシルフィーモンがいない時間の多さを考えればどことなく不安を美玖は覚えている。 その不安を、美玖が誰かにこぼす事はなかった。 「久方ぶりの"本業"だ。気合いを入れていくとするか」 シルフィーモンは言いながらキッチンへ向かう。 …この時ばかりは、一人と一体ともに、思わなかったのだ。 罠である事はわかっていたが、待ち構えているものに翻弄される事を、知るはずもなかった。 ーーー 翌朝、9時。 隣県のやや人里から離れた地域に、○×ホテルはあった。 「ここか」 上空から目的の場所を見つけたシルフィーモンが、足から下へと落ちる。 首元に巻き付かれた腕の力がきゅっと強くなるのを感じながら、地面へと着地した。 そのまま膝をついた姿勢で、彼は背中にしがみついた美玖を見る。 美玖も、ゆっくりと足を地面に付けるように立ちながら、シルフィーモンの背中から身体を離した。 「大丈夫か?」 「う、うん…」 思えば久々のシルフィーモンの背中である。 グルルモンの背に乗るようになってから、シルフィーモンも身が軽いのが良いだろうとご無沙汰だった。 「時間だ、入ろう」 ホテルへと入っていく美玖とシルフィーモン。 その後ろ姿を、木々の合間から見ているフレイアの姿があった。 「湯田さん、五十嵐です」 「はい、今参ります」 ホテルの受付カウンターの前で、依頼人の湯田は一人と一体を出迎えた。 「ここがホテルの中か…今のところ、宴会などの催しはやっていなさそうだな」 言いながらシルフィーモンはホテルの内装を見回した。 小洒落ているが、飾り気のない、ある意味ではごく普通の雰囲気のホテルだ。 「もし良ければ、探偵さん、ホテルの中を見て回られます?」 「はい、お部屋の構図なども把握しておきたくーーあ、怪異がよく起きる場所も知りたいですね」 「私もこの階は一通り部屋を散策して来ようか。ところで、本日の宿泊客は…」 「いえ、最近は本当に怪異のおかげで閑古鳥が鳴いておりまして…」 言いながら、湯田はシルフィーモンから離れてロビーへと向かう美玖の後をついて行った。 同行するにしては、静かに気配を殺した足運び。 美玖が部屋を開けた時。 湯田はその後ろから襲いかかってきた。 「!?」 片手で美玖の口を塞ぎ、ドアを閉めてから組み付きにかかる。 口と鼻にヒンヤリと濡れた布の感触。 「んんっ!!」 何をさせられようとしているのか理解した美玖が素早く身をよじり、湯田の脇腹に肘鉄を当てる。 「ぐっ!」 痛みに湯田が怯んだ。 美玖が部屋を飛び出そうとした時、部屋の外で派手な倒壊音が聞こえた。 「シルフィーモンーーっ!」 「大人しくしてもらおうか!」 「っぐう!んんうーっ!」 ……… 「ほう、多少はかわせるか」 「…っ!」 ほんの一瞬だった。 だが、その一瞬が致命的な一撃への連鎖に繋がる事を予測し損ねれば命がなかった。 破壊された壁、砂塵吹き荒れる向こうでそいつはシルフィーモンに向かいせせら笑った。 全面的に黒い装甲やサイバネ部位、そして毛並み。 それは、一般的にはマッハガオガモンと呼ばれる狼か犬のような獣人のサイボーグ型デジモンに酷似した姿。 「…ブラックマッハガオガモンか!」 シルフィーモンは左肩をさする。 先程壁を破壊し突っ込んできた拳をもし避け損ねていたら、一撃で持っていかれかねない衝撃。 そこで、シルフィーモンは後ろに聞こえるよう声を張り上げた。 「美玖!デジモンの襲撃だ!依頼人の避難を…」 「その必要はない」 ブラックマッハガオガモンの口角が吊り上がる。 「お前達は袋の鼠だ」 「なにっ…!?」 そこで気づく。 後ろを振り向くと、意識を失った美玖を抱えた湯田がいた。 「まさか、依頼人といったのは嘘だったのか…!」 「そいつはフェレスモンの旦那と契約した"信者"でな。随分と役に立ってくれる」 ブラックマッハガオガモンが言う間に、湯田はそれに一礼した後美玖を抱えて廊下の向こうへ駆け出していく。 「待ーー」 「よっ…と!」 後を追おうとしたシルフィーモン。 その後頭部へ強烈な一撃が叩き込まれた。 瞬時に距離を詰めたブラックマッハガオガモンの拳だ。 どさり… 力なく倒れる身体が半機械化された脚で蹴転がされる。 「こりゃ旦那の見立て通りだな…それなりのやり手ではあるが、あの人間の女がそんなに大事か」 倒れ伏すシルフィーモンを前に、ブラックマッハガオガモンは凶暴な笑みを浮かべた。 そこで通知音が鳴り響きだす。 ブラックマッハガオガモンは腰の端末を取り出し、通信用のスイッチをオンにした。 「おう」 『首尾はどうだ』 「湯田が例の女をそっちへ連れて行っている。こちらも今から連行するところだ」 『ふむ、例のコードは忘れておるまいな?』 「09666508だろ?」 『結構。では連れて行くといい』 フェレスモンとの通信を終え、ブラックマッハガオガモンはこちらも意識を失って昏倒したシルフィーモンを肩に担ぎ上げた。 「さて、俺個人としちゃどちらにも恨みはないがよ、フェレスモンの旦那の悪趣味を愉しませて貰うぜ…?」 …………… 目を覚まし、最初に肌に感じたのは、冷たい空気。 次に感じたは、身体に加えられた強い圧迫感。 「………」 目を開けた美玖。 座った状態で椅子に縛られた状態だ。 「…ここは…」 「お目覚めかね、五十嵐美玖。…選ばれざる子どもよ」 「あなたは!」 暗い部屋の中、悠然とした足取りで近寄るは。 「フェレスモン…!」 「ご機嫌よう、エジプト以来だな」 貴族然とした赤い悪魔は笑みを崩さず、彼女のすぐそばへとやってきた。 そして、手を伸ばし美玖のあごを下から覆うように掴んだ。 「……っ」 「どうした、メフィスモンを捕らえた時のような鋭気ぶりが嘘のようだな」 あごを掴みながら目線を合わせてフェレスモンは言う。 ねっとりとした視線に、否応なく鳥肌が立つのを覚えた。 「こうして見れば、お前もただの子犬同然か」 「シルフィーモンは…彼は!?」 「ククク…この状況で助手の身を案ずるか。似たもの同士だな。心配せずとも奴は始末しておらんよ。ーーー用意しているショーにはお前と奴が必要なのでな」 「なんですって…?」 「そのためにまずお前から奪っておかなくてはならない。お前から、一切の記憶をな……」 美玖のあごに触れていた指先からぼうっと怪しげな光が灯った。 何が起こったのか。 それすらわからないまま、美玖の意識は闇へ落ちていった。 ………… 冷たく固い土の感触。 シルフィーモンが目を覚ますと、そこはホテルの中ではなく薄暗い森の中だった。 ブラックマッハガオガモンの拳を直撃された後頭部が未だ痛みを伝えてくる。 「……ここは……」 森の中は霧が濃く、どこからか不気味にもカラスの鳴き声が響く。 立ち上がると、注意深く周囲を見まわした。 ゴーグルとHMDの機能に問題なし。 近くにある草木に触れ、作り物ではないその感触から今いる場所がデジタルワールドでない事を確かめる。 「…美玖は、フェレスモンの元で…!」 まさか人間を自身の傘下に加えていたとは、思いもよらなかった。 おそらく人間を使い、自身らを警戒させる事なく誘き寄せるためだったのだろう。 そうなると憂うべきは美玖の安否である。 フェレスモンはメフィスモンと何らかの形で同盟を組んでいる。 メフィスモンからの言質ではあるが、どのみち身の安全の保証は怪しむべきだ。 「急がないと」 そう呟いた時、獣の遠吠えが聞こえた。 ……野良犬? その時、視界を何かが横切った。 HMDがその姿を明確に捉える。 それは人間だった。 フードをかぶっているが、どうやら女性のようだ。 そして。 「!」 200mほど後方から数体もの獣が女性を追ってきている。 ただの獣ではない。 真っ赤な毛並みにギラギラ光る黄色い目。 痩せこけた身体に殺意を纏わせた狼のような姿。 「あれは……ファングモン!」 ファングモンは狡賢く攻撃的なデジモンだ。 それが数体も一人の人間を襲うなどデジタルワールドならともかく現実世界でとは尋常ではない。 シルフィーモンは脚に力を込め、飛び上がった。 「はぁ、はぁ、はぁ…!」 上がる息、跳ねる心音。 女は木々の間を走る。 悪い足場、足先がもつれて倒れる。 「ああっ…!」 その周りをあっという間にファングモンが取り囲んだ。 耳元まで裂けた口には鋭利な大牙がずらり。 生臭く温かい息がすぐそばから顔にかかった。 「ひっ……来ないで!」 女の悲鳴を飢えた獣が聞く道理もなく。 うち一匹が女のコートに食らいつく。 さらにもう一匹が女の首を狙ってその裂けた口を開いた時。 「『トップガン』!!」 上空から飛んできたエネルギー弾に跳ね飛ばされ、そのままデータの残滓として四散した。 他のファングモン、そして女が上空にいるシルフィーモンの姿を見上げる。 そのままシルフィーモンは両腕を広げ、加速と共に急降下。 彼の腰に装着されたベルトのタービンが高速回転。 赤とピンクの光に包まれた状態で、シルフィーモンは狙いを定めた。 「『デュアルソニック』!」 キーン…!と飛んだ衝撃波は、さらに数匹のファングモンを蹴散らす。 これに生き残りはたちまち女を諦め、散り散りに逃げていった。 「大丈夫か!」 着地してすぐ、シルフィーモンは女へと駆けつけた。 女は慌てて立ち上がると、シルフィーモンに背を向け逃げようとする。 「待ってくれ!私はーー」 「嫌あっ!来ないで!!」 怯えた声と共に振り向かれたその顔に、シルフィーモンは硬直した。 別人と認めるには、あまりにも似すぎた顔。 「美玖!?」 思わず、足が止まる。 それに何一つ思うところもないのか、美玖によく似たフードの女は逃げ去ってしまった。 「………美玖……」 止めようと伸ばした腕はそのままに、立ち尽くした。 …あんな顔は初めて見た。 あれほどデジモンのそばに寄る事が生きがいのような彼女が、デジモンに怯え逃げるなど。 だが、あれは。 (あれは、美玖だ) 別人と疑おうにも、疑えなかった。 一体彼女に何が起きたのか。 地面にわずかに残された足跡を辿る、それしかシルフィーモンにはできそうになかった。 「……後を、追おう」 ………… 息せきながら走った女が入った場所は、日本とは到底思えない場所だった。 一言で言えば、ヨーロッパの古き美しい町。 郊外に農場や牧草地帯が広がり、町中に玉石敷きの通りや古風な尖り屋根の家々が立ち並ぶ。 美玖によく似た女がその通りを歩くと、家の一つから顔を出したふくよかな女性が声をかけた。 「こんにちは、セイラ。朝から森に出かけてたのかい?」 「こんにちは、おばさま。ええ、今日はキノコ採りに出かけていたわ。恐ろしい狼に襲われそうになったのだけど…」 「まあ!」 女性の顔が青ざめる。 「よく無事だったわね!いえ、お前が出かけたのに皆が気づく前に、町に御触書が出て…」 「御触書?」 「そう、最近この辺りで、鳥の脚をした二本足の人間によく似た恐ろしい化け物が出たんですって。空を飛ぶことができて、人を襲うから気をつけろって書いてあったわ」 「…それ、きっと私は会ったわ。おばさま」 「まあ!!」 さらに顔が青ざめる女性にセイラと呼ばれた女は森での出来事を話す。 「狼を吹き飛ばしたりして、とっても恐ろしかった」 「本当、よくお前は無事だったわね…あ、そうだ。わたしはそろそろお父さんの畑を見に行くわね。お前が言っていたこと、皆にも知らせておかなくちゃ」 「わかったわ、おばさまも気をつけて」 別れると、セイラはキノコでいっぱいのカゴを抱えて家へ向かった。 ……… 「……あそこか……」 町を少し離れた場所、高い木の上からシルフィーモンはその姿を見ていた。 一体ここがどこなのかわからないが、少なくともシルフィーモンには確かなものが見えている。 「デジタルワールドでもないのに、あれだけのデジモンがいるとは…」 セイラ……美玖によく似た女性が話していた相手は、マッシュモンというキノコのようなデジモン。 セイラと話していたマッシュモンだけではない。 町の至る所にいるのは全てデジモンだ。 事実、シルフィーモンは間違っていなかった。 言うまでもなく、セイラは美玖その人である。 フェレスモンに記憶を消され、シルフィーモン以外のデジモンが人間に見えるように催眠をかけられていたのだ。 おそらくデジモン全てがフェレスモンの協力者だろう。 そして、自身が今町へ入れば、町にいる全てのデジモンが敵対して向かってくるだろうことも、シルフィーモンは予知していた。 「どうにかして彼女にもう一度接触しなければ。美玖かどうか、確かめる必要がある…」 その時、視界を金色がよぎった。 軽やかに羽ばたきながらシルフィーモンを更に高みから見やるその姿に、彼は見覚えがあった。 「お前は確か、フレイアとかいう鳥…」 ピイッ 美しい羽を羽ばたかせながら、フレイアはシルフィーモンの頭上を旋回。 そして、そのまま町の方へと飛んでいった。 「…なるほど」 デジモンではないフレイアなら、デジモン達から敵対されることはない。 少なくとも、非デジモン的存在を使役するデジモンはいれど、フレイアのような全くの生物を使役するデジモンはそういないのだ。 警戒されることはないだろう。 ……… 家に帰り着いたセイラは、カゴの中のキノコをテーブルの上で選り分けていた。 キノコは乾燥させて日持ちを良くさせる。 暖炉の火がパチパチと燃え、部屋を温かい空気で満たした。 脱いだコートを壁に掛けた時、窓の方から鳥の羽ばたきの音が聞こえた。 「…あら?」 セイラが振り向くと、そこには見たこともない美しい金色の鳥がいる。 思わず見惚れていると鳥は入ってきた。 ピイッ 金色の鳥はテーブルの上に降り立つ。 キノコには目もくれず、ルビーのような赤い目でセイラを見た。 「綺麗な鳥さん…どこから来たの?」 セイラは尋ねるが、鳥がそれに答えられるわけもない。 鳥が逃げる様子もないのに、思わず手を伸ばす。 柔らかな羽毛の感触と仄かな体温が指に伝わった。 その時。 セイラの脳裏で鮮烈にフラッシュバックが走った。 眩いばかりの純白。 その純白に沿うように停まる金色の…… 「……!!」 セイラはハッと我にかえる。 未だ鳥は、そこにいた。 「今の……今の、何…」 ピイッ 鳥は何を感じとったのか、突然羽ばたいた。 そのまま、窓へ。 「あっ」 セイラが窓から外を見たが、すでに鳥はいなくなっていた。 ーーー ピイーッ シルフィーモンの元へフレイアが戻ってきた。 その嘴には紙、脚には炭を掴んでいる。 「それは……」 ピイッ シルフィーモンの手に紙と炭を落とし、フレイアは旋回した。 これで、彼女と文通を交わせということだろう。 紙と炭はどこかの家にあったものを頂戴したか。 どのみち、接触の手段が浮かばないならばこれしかない。 「…よし」 近くにちょうどよく、書くのに適した平らな岩がある。 紙を置くと、シルフィーモンは炭を手に書き始めた。 今回、フレイアが同行するにあたり、ヴァルキリモンは探偵所の方へ残った。 万が一フェレスモンかメフィスモンの罠であった場合、ヴァルキリモンの存在が彼らに露呈する恐れがあるからだ。 ヴァルキリモンの存在を明確にメフィスモンに知られないうちは、こちらの"切り札"としての役目があるとラブラモンは、否、アヌビモンは言う。 「あちらはあの時の戦いで、お前の事を知っている。魂のみになってしまってもフェレスモンならば視認できる」 フェレスモンならばメフィスモンを経由してヴァルキリモンについて幾らか情報は持っていよう。 そうでなくとも、青森での一件に関与していた事に勘づかれているやもしれない。 そうラブラモンが言ったために、ヴァルキリモンはフレイアに一切を任せた。 フレイアには戦闘能力はほとんどない。 だが自我を持つ故の利点がある。 フレイアは美玖とシルフィーモンが拘束された際、シルフィーモンを連行するブラックマッハガオガモンを追った。 自身と違い、戦闘を行うことのできるシルフィーモンを優先したのである。 シルフィーモンを森の中へ放り捨てたブラックマッハガオガモンが向かった先は町だった。 規模の大きいデジタルポイント内にできたその町を探査することで、フレイアはいくつかの情報を得た。 町には、フェレスモンの気配はない。 次に、町中のデジモン達は皆、セイラ…美玖の前だけ人間であることを演じており、彼女が近くにいなければ隠す気すらない。 さらに、見張りは居り、決まった時間毎に交代すらあるものの居眠りやふざけ合いなど隙だらけな者がいる事、など。 フレイアに注意や警戒をする者はいなかった。 フレイアはシルフィーモンに紙と炭を渡し、彼の様子を木の上から見下ろす。 シルフィーモンは手紙として書くべき内容に幾らか苦心した後、改めて町の方へ目を向けた。 「……あそこが良いか」 そうつぶやいたかと思うと、ニ三行ほどの短い文をしたためて畳む。 それからフレイアに紙を見せた。 「これを、彼女の居場所があれば見える位置に置けるか?」 フレイアは枝を飛び立つと、シルフィーモンの手の中の手紙をくわえて再び町へと飛んでいく。 見つかりにくいよう空高くから町へ進入し、セイラの"家"へと向かった。 その途中、セイラの姿を見つける。 彼女は家より少し離れた井戸にいた。 セイラだけではない。 彼女と話す、複数体のデジモン達。 その中心にいたのは、強力な闇の力の持ち主として知られるレディーデビモンだ。 レディーデビモンが何か発言するたび、周りのデジモン達は彼女を仰ぐように見ているのだった。 それを眼下に通り過ぎると、フレイアはセイラの家に窓から入る。 フレイアはシルフィーモンが書いた手紙を、テーブルの上に置いた。 セイラが戻るまでに間がある。 家の中を、ぴょこぴょこと飛び移っては見に回る。 木製の家財用具が置かれており、機械の類は何一つない。 非常に素朴な家の中。 美玖である証拠の物がありそうなチェストは、フレイアでは開けられない。 セイラが開けるところを観察するか、シルフィーモンをここへ誘導して開けさせるかのどちらかだろう。 そこへ、足音と、わずかに水のばしゃばしゃという音が聞こえる。 「よい……しょっ、と」 ごとん、と何かが置かれる音。 フレイアは速やかに窓から外へと出ていく。 「あら?」 水の入った桶を手に家へ入ったセイラは瞬きした。 いつのまにか置かれていた、手紙と思しきもの。 それを手に取り、開いてみる。 『君と話がしたい。夜中に、町の中央の教会で待っている』 「誰かしら?」 とんと見当がつかず首を傾げた。 セイラからすれば、町中皆が顔を合わせばすぐ話が弾む"友達"だ。 森で遭遇したあの、人の顔をした恐ろしい化け物が文字を書くなど想像もつかなかった。 だが、いずれにせよ確かめる手段はない。 スマホどころか時計や電話すらない、かなり忠実に機械そのものが皆無な古きヨーロッパが再現されたこの町では。 ーーー そして、夜。 森の中を駆け抜けながら、シルフィーモンは町を囲う外壁、門の近くへとやってきた。 茂みに身を隠しながら窺う。 門番をしていたのは、小鬼のようなゴブリモン二体。 このゴブリモン達はフレイアが目をつけていた、真面目に仕事をしない部類の門番だ。 片方のゴブリモンは、交代して門前に立つや否や、その場で舟を漕ぎはじめた。 「だらしねーのー。俺もだけどよ」 そうぼやきながら、もう一体も壁に寄りかかった。 そのゴブリモンからもいびきが聞こえ始めると、シルフィーモンは音をたてず彼らの間を通り過ぎていく。 門へ入ってすぐ、彼は家の囲いに沿うように身を隠した。 (……これは油断はできないぞ) 町中の明かりは消えており、デジモン達が町を闊歩している。 いずれも、明らかに町を出歩くというより見回りだ。 なかには、昼間にセイラと話をしていたレディーデビモンや… (……あの時のブラックマッハガオガモン!) 夜闇にわかりにくいが、視界に見覚えのある姿を捉え、シルフィーモンはより慎重に教会を目指す。 「あいつははたして来るのかねぇ?」 「そりゃ、来るだろうさ。役者は揃わなきゃ始まらんよ」 退屈げなレディーデビモンに他のデジモンがそう話す声が聞こえた。 「ところで、あの記憶を奪ったまんまの人間の女は今家にいるかい?」 「さっき教会へ向かったよ。お祈りをしに行くんだと」 「教会ねえ、なんだって芝居づくりとはいえアタシらまで行かなきゃならないんだ」 「そうカッカすんなよ!」 (記憶…!) その言葉を聞いて、シルフィーモンの胸中に湧き上がる熱。 (やはり、彼女は美玖だったんだ!) だが、まずは会って話をしないことには始まらない。 あの、怯えたような彼女の表情は、自身への記憶も失ったゆえのものだろうが落ち着いて話を聞いてくれるかどうか。 いちか、ばちか。 ーーー 暗く、静かな教会の中。 セイラは一人佇み、奥のステンドグラスを見つめていた。 「……」 心の中で、ざわつくものがある。 それは、いつも教会の中に入るたびにわき起こるものだった。 (どうしてここに来ると、こんなに胸の中が苦しくなるのかしら?) 大事なものが抜けているが故に。 わからない。 わからない。 わからない。 忘れているような感覚に思いを馳せようとするたび、もやもやと頭の中が霞みがかる。 それでも。 教会に来るたび、痛烈な感覚が彼女に何かを呼び起こさせようとするのだ。 (いつも、いつも…そうよ、ここに初めて来た時から、いつも…… いつも?) かたりっ かすかな物音にセイラは懺悔室のある方を向いた。 そして、目を見開く。 「あ……」 そこには、森で自分を襲った狼達を攻撃した、あの怪物がいた。 (どうして?なんで教会に…!?) 怪物が歩み寄る。 逃げようとしたが、足が動かない。 その時、彼女の脳裏にフラッシュバックが走った。 明るい光差す教会の中。 ウェディングドレスを着て立っている、自分。 これは、これは。 「ああ……あ……」 唇が震える。 歩み寄る怪物と、フラッシュバックの中で自分に向かって歩み寄る誰かとが重なる。 怪物が口を開いた。 人と同じ唇で、声で。 「美玖!」 近寄り、腕を取ろうとするその手を、セイラは思わず取ろうとしてハッとした。 「さ、触らないで!化け物!」 払いのけ、後ずさる。 怪物は、シルフィーモンは、構わず続けた。 「落ち着いて聞くんだ!君は、記憶を消されて別の人間に仕立てられてここにいる!私は君を助けに来た」 「そんな話、誰が信じるの?私は生まれた時からこの町に…」 そう、私はセイラ。 私は生まれた時からこの町に住んでいる。 この怪物が呼んでる美玖って、誰のこと? 「私はセイラよ!生まれた時からずっと、ずっとここに…」 「それは君がそう思い込まされた偽物の記憶だ!君の名前はセイラじゃない!君は、君は、五十嵐美玖!それが君の名前だ!」 シルフィーモンは必死に訴えかける。 だが。 自身に向けられた殺気。 それを感じとり、身を捻ったシルフィーモンの足元に一本の矢が刺さった。 「感心しねえなあ、夜中の教会に女の子を呼んで拐かすとは!」 そう言いながら手にした弓でシルフィーモンに狙いをつける影。 その声を聞いたセイラが叫ぶ。 「狩人さん!怪物よ、早く撃って!」 「よし」 安堵の声を受け取り、降りてきたのは長いザンバラ髪に多彩な矢が仕込まれた特徴的な防具の持ち主。 (ザミエールモン!こいつまでいるのか!) 身構えながらシルフィーモンは改めて町にいる戦力がいかほどのものかに戦慄した。 ザミエールモンはゲリラ戦や掃討戦等のいかなる戦いにも対応した、文字通りのプロだ。 妖精型や植物型を中心としたデジモンの勢力を纏めるリーダーであり、将軍でもある。 高い指揮力のみならず、ザミエールモン自身の戦闘力の高さも、シルフィーモンは風の噂に聞いていた。 ーー今、相手にするには間違いなく不利な状況だ。 「…すまない、また、後で必ず!」 シルフィーモンが走る。 跳躍し、窓を突き破る。 ガシャアーン!! 「おい!逃げたぞ!!」 ザミエールモンの声と窓の破砕音に町のデジモン達が反応するのに時間はかからなかった。 シルフィーモンが教会を飛び出して早々、あらゆる攻撃が彼めがけて降ってきた。 「ほらほら!アタシらのセイラによくもちょっかいをかけてくれたね!」 レディーデビモンの『ダークネスウェーブ』が襲いかかる。 コウモリの群れを形成した闇のエネルギー体がシルフィーモンの身体に食らいつく。 「……っ!」 激痛に堪えながら、再び跳躍。 そのまま滑空し、外壁から外へ飛び出すシルフィーモンを追撃するべく何体かのデジモンが追いかけてくる。 そのなかには、あのブラックマッハガオガモンもいた。 「おいおいおい、まさか逃げるつもりじゃないだろうなぁ!」 背中のロケットエンジンを火力最大に、一気にシルフィーモンへと肉薄。 「これでも食らいな!『ガオガトルネード』!」 「くうっ!」 推進力で接近しての高速連続攻撃をいなす術はない。 「うわあああっ!!」 地面に向かい、垂直に叩き落とされていく。 どぉん!! 大きく立つ土煙。 晴れた場所には、大きな穴が空くばかりだった。 ………… 教会から送り帰され、セイラは一人、家の中にいた。 灯りも着けず、暗い中椅子に腰掛けたまま、ひとり。 (……あの怪物が言ってることは、本当なの?) 自分がこの町で生まれ育った人間だと。 自分の名前がセイラだと。 それは偽物の記憶だと否定した怪物の声。 (そんなはずない。だって私は…) 生まれた時からここにいるんだもの。 優しい、いい人達がいるんだもの。 だって……。 「……あれ?」 他に、誰が、いたっけ? そんな疑問と感覚が頭をよぎる。 いや、間違いなく、町の人たち皆で全員のはずだ。 でも、頭の何処かでそれが「違う」と否定してくる。 (君はセイラじゃない!) (君は、君は、五十嵐美玖!それが、君の名前だ!) あの怪物の言っていることが、脳の中をガンガンと叩く。 ズキズキと痛む。 「もう嫌…!」 振り払うように叫んでも、違和感は、セイラ自身の認識を否定する声は、止んでくれなかった。 ……… 「…うっ…」 冷えた固い土が手に触れる。 全身がどうにかなってしまいそうな程、激しく痛む。 身体中には、『ダークネスウェーブ』のコウモリによるおびただしい咬み傷もあった。 「……くそっ」 ぽっかりと空いた穴を見上げながら、悪態をつく。 結果を言えば、失敗だった。 彼女は自分を思い出せないばかりか、利敵行為に走った。 けれど、シルフィーモンが声をかける一歩手前で、彼女に著しい変化があったのは確かだ。 だが、今のままでは声をかけるだけには足りないこともこれでわかった。 ……後は。 「あのー」 (あの手勢をどう、かいくぐれば……) 「……あの〜」 (ブラックマッハガオガモンにレディーデビモン、ザミエールモンとなると) 「あのー?おいらの言うこと聞こえてますー!?」 「!?」 シルフィーモンがとびあがり、後ろを振り向くとずんぐりむっくりとしたシルエットがあった。 鼻先と足先にドリルを付けたモグラのようなもの。 「…ドリモゲモン?」 「やっと気づいたあ!あのさ、今すぐここから出てってくれる?なんで上から落っこってくるの?うるさいよ!」 ぷんすか怒った様子でドリモゲモンはシルフィーモンを睨んだ。 どうやら、ブラックマッハガオガモンに叩き落とされた先は、ドリモゲモンの巣穴のようだった。 「お前もあいつらの仲間でしょ?デジタルポイント張って、町みたいなのまで作っちゃってさ。うるさくてたまんないって伝えてよ」 「ちょっと待て」 「なによ」 「お前の巣を騒がしくしてしまったのは謝る。だが、私は町の連中の仲間じゃない。町に、助けたい人間がいる」 シルフィーモンは素性を打ち明け、事情を話す。 ドリモゲモンは苛立ちもあって半信半疑だったが、元々攻撃的な性質の持ち主でない事もあり耳を傾けてくれた。 そして、シルフィーモンは最後に。 「私は、どんな手段を使ってでも、彼女に記憶を取り戻させた上で助けたい」 と話すと。 「今からそれやろうとするの、厳しくない?」 「そうだな。もしかすれば今頃は、警戒態勢を強化しているかもしれない」 「だったら、一晩待ってよ。そんならおいらが手伝う。あいつら、おいらの事見て見ぬふりしてるんだもん」 そう言うと、ドリモゲモンはシルフィーモンに尻を向けどこかへ行ってしまった。 まもなく、遠くでガリガリガリガリ……と硬いものをドリルで削るような音を聞く。 「…なら、少し休ませてもらおう」 今やるべきは体力の回復だ。 昼から何も食べていないが、死にはしない。 掘削音をBGMにシルフィーモンは深い眠りに落ちた。 ーー シルフィーモンがドリモゲモンに起こされたのは、それから約8時間過ぎた頃か。 目を覚ましたその目前に、骨付き肉が幾つかと、一本の棒のような大きな骨が転がっていた。 「肉畑のやつだけど食べる?いらないんなら良いけど」 「ありがとう、助かるよ。昨日は午後の食事を摂ってなかったんだ」 シルフィーモンが食べるのを見ながら、ドリモゲモンは話した。 「あいつらの町の地下にトンネルと落とし穴を掘ったよ。うまく使って。で、その骨なんだけど…」 「これは…?」 目前に置かれていた長い骨を手に持った。 本当に骨かと思う程の重量と硬さがシルフィーモンの手に伝わる。 細長い方は尖っていて、ちょうど杭のようになっていた。 「それ、スカルグレイモンの骨」 「スカルグレイモンの?」 「前に拾ったんだよ、ガルルモンが埋めてたやつさ。重たいしおいらが持っても意味ないからそれもやるよ」 ドリモゲモンは答え、大きくあくびした。 「それじゃおいらはもっと下へ隠れとく。穴は結構掘ったんだけど、急がないとあいつらに塞がれそう」 「わかった。感謝するよ」 「これだけお膳立てしてあげたんだから。それで失敗してもおいらのせいじゃないからね」 そう言ってドリモゲモンは、自分の足元に鼻先のドリルを突き立てる。 本当に、地層の更に下へと消えていったお尻を見送り、スカルグレイモンの骨を持った右手を握り返した。 「…よし、待ってろ、美玖」 ……… どれだけしばらく、座り込んでいたか。 気づけばテーブルに停まっている、あの金色の鳥を見てセイラは目をこすった。 「ああ…鳥さん、また、来たの?」 そう聞いて鳥が答えるはずもなく、目の前で羽繕いをするばかり。 椅子を立ち、そっと触れようとすると鳥はパッと飛び立った。 そうして飛び移ったはチェストの上だ。 「だめよ、その中には大事なものが入ってるから」 ピイッ チェストの上を跳ねるように動く鳥に笑いつつ、セイラはチェストへと歩いていく。 ーーそういえば、何が、入っていたんだっけ。 「…大事なものって、なんだったっけ」 ピピピッ 金色の鳥はキョトンと首を傾げた。 しばらくそれを見て。 「……何を入れたか思い出せないから、確かめておかなくちゃーー」 チェストに掛けられた留め金具を外し、ゆっくり蓋を開けてーー 「これ……」 中に入れられていたものを見て、セイラは目を瞬かせた。 入っていたのは、衣服と思しきもの。 中から取り出してみれば、それはスーツだった。 「この服…」 頭の中で、再びもやもやしたものが生まれる。 頭の何処かで、強烈な感情がそれを押し破ろうとしている。 ピピっ 金色の鳥はパタパタと羽をあおぐ。 「…着てみせてって?」 ピイッ しばらく悩んだのち、セイラは自分が今着ている服に手をかけた。 地味な仕事着をその場で脱ぎ捨てる。 そして、スーツに袖を通し、家の片隅に置かれた姿見を見て初めて。 「あ……」 頭の中のもやが、急激に晴れる。 私は、私は、私は。 目の前の私の姿を知っている! 「あら、セイラ。珍しく遅かったと思えば」 戸口からかかる声。 それが、いつも井戸端で会う馴染みの声だとわかり、振り向いた。 「お姉……さ、ま?」 戸口に立っていたのは、いつも優雅に談笑していた、"お姉様"ではなかった。 黒いレザースーツ、異常なほど大きく鋭い鉤爪を備えた細長い腕。 顔半分を覆うマスクの下で、冷たく零された笑み。 「セイラ、もしかして、私があの化け物のように見える?」 「あ…」 セイラの顔がたちまち青ざめる。 「嘘…嘘でしょう?お姉様?これは、これは…」 「ハッ!今頃気がついたのかい?…まあ、仕方ないね。今のアンタは催眠が解けただけ。予定より早過ぎたみたいだね。…それより」 "お姉様"を演じていたレディーデビモンは金色の鳥に一瞥をくれた。 「その鳥は何かしら?セイラ?」 金色の鳥がパッと飛んだのと、レディーデビモンの爪が閃いたのは同時だった。 爪をかわした金色の鳥が彼女を頭の上から突き回す。 「この!小鳥風情があっ!」 ひとひら舞う羽根。 セイラはどうしようかと迷うも、それもほんの数分はもたなかった。 (…私が誰だかわからないけど、逃げよう!) 家を飛び出したセイラ。 激しい物音と共にレディーデビモンのわめく声が響いた。 「セイラが逃げたよ!!捕まえろ!!」 ………… さて、セイラにフェレスモンがかけた催眠が解けるより前に遡ろう。 「ふぐぅ!?ん、ぐぅ…っ……」 口をふさがれ、もがく間もなく電脳核をスカルグレイモンの骨の杭が穿つ。 不用心に穴へ近づいてきた見回りのデジモンを仕留めたシルフィーモンは、その骸を穴へと蹴り落とした。 「…この辺りは」 周辺を見回すと、教会の屋根が遠くに見える。 教会は町のほぼ中央に建っているため、今出てきた場所から教会へ向かえば近いといったところだろう。 スカルグレイモンの骨を片手に、シルフィーモンは塀に沿って進んだ。 (……あそこにいるのは) 塀の伸びた先に、ゴブリモンが一体とピコデビモンが一体。 二体とも、バカ話に興じており、シルフィーモンには全く気が付いていない。 (…殺しやすい方は生かすか) 見比べ、見極めをつけたシルフィーモンが動く。 それに気づいたピコデビモンが相方に注意を促すよりも早く。 ズッ… 「あ…がぁ…」 ゴブリモンの胸を背中から貫く白い杭。 ヒッと漏れる悲鳴。 「おい!誰か……ん、ぐぅ!」 「お前はこっちに来い」 ピコデビモンを引っ掴み、その口を封じながらシルフィーモンはまだ目をつけられていない別の穴へと飛び降りた。 口をふさいだ手をどけると、ピコデビモンがわめく。 「クソぉ!いつのまにこんな所まで入り込んでやがったのか」 いくら大声でわめこうにも、穴はかなり深く、つまりここでなら周囲にバレず尋問ができるという事でもある。 「あの糞モグラめ、穴掘って根っこかじるだけしかない能無しめ、今に見てろ!こいつ諸共皆で八つ裂きにしてやる!覚えてーー」 シルフィーモンの手がピコデビモンの身体に強い力を加えた。 まるで風船から空気を搾り出すかのような音が、ピコデビモンの口から漏れる。 「質問といこうか」 淡々と見下ろしながら言った。 「フェレスモンは美玖に何をした?彼女を元に方法はあるか?答えろ!」 「きゃ、くゅう、ふぅ、がふっ…ゲホッ…!」 手で締め、手を緩め。 それを繰り返されてピコデビモンは観念する。 口だけ自由になると、彼は口早に喋りだした。 「わ、わかった!わかった話す!フェレスモン様は選ばれざる子どもだという女から記憶をぜーんぶ奪って、お前以外が普通の人間や生き物に見えるように洗脳をかけたんだ」 「なぜ、そんな真似を?」 「知らねえ!でもフェレスモン様の命令で、ここぞって時が来るまではあの女を殺しちゃならねえって言われてる。記憶はフェレスモン様が町の教会に隠した、けど洗脳の解き方はお生憎様オレたちも知らないんだー!」 「……町の教会、だな?」 「そうだ、記憶をビンに詰めて教壇に隠した…」 「そうか」 そこまで聞けば、十分だった。 ピコデビモンの丸く小さな身体を、下から杭が貫いた。 わななく骸を転がし、両脚に力を込めた。 「目指すは教会だ…!」 穴から飛び出し、敵が周囲に居ないことを確かめてシルフィーモンは教会へと走った。 ーーどんな手段を用いてでも。 傭兵という生業だった身が、雇い主のためにやるべき事は一つ。 一晩過ぎた教会は、壊れた窓もそのままだった。 窓から入ったシルフィーモンは、迷わず教会の奥にある教壇へと歩み寄る。 そこだけは、普通の教会にはないものであるだけに違和感があるが、シルフィーモンは構わずその裏へ手を探り漁った。 「……これが」 手に伝わる硬くとても軽い感触。 手を引き抜けば、仄かに光るものが中に収められた小瓶。 オレンジゴールドの色を持った光を見つめた瞬間、シルフィーモンの胸中に暖かく宿るものがあった。 (ーーずっと、忘れかけていたもの) ずっと長いこと、シルフィーモンにとっては最早死ぬまで縁なくして終わると思っていたもの。 それは、他者への暖かな思い。 その他者としての枠に、自身も含まれている事に震える。 「なんとしてでも、彼女にこれを…」 その時、聞き覚えのある叫び声が遠くから聞こえた。 周辺の気配が活発になるのを感じる。 それはつまり。 「美玖が危ない!」 ……… 「はあ、はあ、はあ!」 行き慣れた道を全力疾走で駆け抜ける。 あの金色の鳥が気になるが、今はそれどころではないことくらいセイラにはわかっていた。 「セイラが逃げた!セイラが逃げたぞ!」 「ひどいなあ、皆、お前によくしてやったのにな!"友達"だったのにな!」 追いかける声のトーンすら、責めるというより煽りだ。 あれだけ仲良くお話しをしていたはずだったのにと。 しかしその声音は、こう伝えてきた。 あれだけ仲良くお話しをしてやったのに、と。 悪意と嘲りが背後から追ってくる。 早鐘を打つ胸を押さえながら、セイラは近くに積荷を見つけた。 後ろを振り向けば、複数体の化け物…デジモン達が追ってくる。 積荷によじ登り、屋根の上へ上がる前にそれを蹴倒す。 屋根の上へ上がり、化け物達を下に見やった時。 「いかんなぁ、セイラ?」 今立っている屋根よりさらに高い視点から、高速で飛び足元に突き立つは一本の矢。 ザミエールモン、セイラが知る"狩人さん"が更に高い屋根の上にいた。 「狩人さん…!」 すでに次の矢がセイラに向けてつがえられている。 「さあ、セイラ。逃げる悪い子にはお仕置きしなくちゃならねえ。それに俺の本職は狩人なんてものじゃないしな。じっくり痛ぶってあげるよ」 ザミエールモンの口元が愉しげに歪む。 フェレスモンから殺すなとは言われたが痛めつけるなと言われてない。 そして、ザミエールモン自身が残虐性を持つサディストでもあった。 ーーだが。 「!!」 自身に向かって何かが飛んでくる。 咄嗟にセイラから狙いをそらし、つがえた矢で撃ち落とす。 それは、杭のように尖った骨ーー 「美玖!!」 空から飛んできたのは、骨を投げた相手。 シルフィーモンだ。 一直線に飛んできたそのシルエットが、見覚えのある赤みがかったピンクの光に包まれる。 「『デュアルソニック』!」 「むぅ!」 飛ばされた衝撃波がザミエールモンの立っていた櫓に直撃した。 足場を崩され、ザミエールモンの態勢が崩れる。 「美玖!」 セイラは、その声に応えるように、思わず屋根から跳んだ。 その身体を抱き止め、シルフィーモンは外壁に向けて飛び続ける。 必死に首元にしがみつきながら、セイラは。 (私は、この化け物に、なんで…助けを求めたのかしら) 抱きつきながら、けれど。 不思議と嫌悪感はない。 それどころか、町の人達よりもはるかに穏やかでいられる。 昨夜遭遇した時は、余りにも動揺していて話もまともに聞く事はなかった。 けれど。 「……ありがとう」 今なら、話せる。 「教えて欲しいの。あなたは、私を、知ってるの?」 「…ああ」 返ってくるいらえ。 「私は、君に雇われた用心棒であり、助手であり…家族、だ」 「家族……」 不思議と、その言葉がすんなり入ってくる。 目の前の人外の言葉は、セイラの中に、染み入っていく。 「ひとまず、君は本当の記憶を取り戻す必要がある。そのための物がここに… !」 豪速がシルフィーモンの体のバランスを奪う。 ロケットエンジンがたなびく火に彼は舌打ちした。 「自警団長さん!」 「ブラックマッハガオガモン!」 ロケットエンジンを推進させながら迫る姿に一人と一体の声が出る。 さらに、シルフィーモンの行く手をコウモリの群れがさえぎる。 「逃げようたってそうはいかないよ!」 ふわり、と闇のオーラを纏ってレディーデビモンも現れる。 空中で二体に挟まれた。 もう逃げ場はない。 「遅かったじゃねえか姐御」 ブラックマッハガオガモンがシルフィーモンの背後をとりながら軽口を飛ばした。 見れば、レディーデビモンの髪は乱れ、一本二本不自然に飛び出している。 「金ピカの鳥に邪魔されたんだよ!あの鳥、後でもし見つけたら今度こそ捕まえてローストチキンにしてやる」 「へぇ、姐御がたかが鳥相手に」 「お黙り!!」 御機嫌斜めにレディーデビモンは叱咤する。 おそらくフレイアは健在だろう。 そう判断したシルフィーモンは、現状把握に務める。 (…後ろにブラックマッハガオガモン、前にレディーデビモン、そして…) まもなく追いついてポジショニングするだろうザミエールモンか。 前後を挟むどちらも、完全体としては戦闘力が高く隙がない。 だが、手間取れば追いついたザミエールモンにいつ狙撃されるかもわからない。 追いつかれた場所は外壁までほんの1、2キロほどの地点。 ドリモゲモンが掘った穴が近くにあれば、活用できたかもしれないが…。 (穴は近くにない、か) 「そうカッカすんな、姐御。ともあれ、一応の役者は揃ったわけだ。始めようぜ」 そう切り出されたのを機に、前後から殺気が衝突してきた。 拳が、爪が、シルフィーモンとセイラを狙って襲いくる。 「……!」 僅かなタイムラグ。 シルフィーモンは前後の攻撃の速さを見極め、身を捻った。 「…はっ!」 脇に挟み込むように爪を振るってきた腕を封じ、もう片手で拳を払う。 「…っ!」 爪がセイラの着ているスーツをわずかに切り裂いた。 レディーデビモンの腕を脇に挟むとそのまま身体を回転、迫ったブラックマッハガオガモンへとぶつけた。 「おおっ!?」 「ぐわーっ!?」 互いにぶつかり合って、ブラックマッハガオガモンとレディーデビモン双方の態勢が崩れる。 今のうちに。 「降りるぞ、その方が君は安全だ」 二体が追いつくより早く、シルフィーモンは一気に地上へ降下する。 土に足が着くや、セイラを背中から離す。 「隠れろ」 「あなたは…」 「奴らは私が狙いだ、君はおそらくメフィスモンの件があるから保留にされてるんだろう」 「メフィスモン…?」 「いいから、そこにいろ」 そう短く言い置き、シルフィーモンは上空から襲う重量とコウモリの群れを振り仰いだ。 「『トップガン』!」 エネルギー弾が超音波とコウモリの群れ状の闇エネルギーと衝突する。 そのまま戦闘へ突入するシルフィーモンを、物陰に身を隠しながらセイラは見ていた。 頭の奥が、ズキズキする。 なぜかわからない。 でも、誰を頼るべきなのかもわかっている。 ピイッ! バササッ、と顔にかかる風。 肩に乗った小さな重みに思わず向けば、あの金色の鳥がいた。 口に、何かをぶら下げている。 小さなプレートのようなものにベルトが付いた代物だ。 「それ、は…」 頭痛が、ズキ、ズキ、と。 その時、今まで意識していなかったが、スーツのポケットに触れた手が、小さな膨らみを掴んだ。 取り出せば、それは水晶体が嵌められた小さな指輪だった。 「…この指輪…」 どぅん!! 「!!」 近くの家屋で衝突音。 激しく倒壊したその中で、立ちあがろうとする姿。 「…!」 その手が、動いた。 左手の中指に指輪をはめる。 …そう、記憶は奪われても。 『それ』の使い方を仕込まれた身体の記憶までは、消えていない。 「当たって…!」 叩き落とされたシルフィーモンへいち早くトドメをと迫ったレディーデビモンめがけ、指輪から一条の光線が迸った。 「なっ、がっ…いっ、たい…!?」 デバイスから放たれた麻痺光線が、レディーデビモンの動きを止めたことで。 シルフィーモンに反撃の機会が生まれた。 「『トップガン』!」 「っ、ぎゃああああ!!」 まともに直撃され、レディーデビモンは消滅した。 ブラックマッハガオガモンの右目の眉が上がる。 「姐御!…なるほどねえ」 荒く息を吐いたシルフィーモンが倒れ伏す。 それを見下ろしたブラックマッハガオガモンに変化が表れたのは、その時だった。 「…ザミエールモンの旦那が来たなら、と思ったが」 全身に及ぶデータの歪み。 セイラはそれを見て嫌な予感を覚えた。 記憶と共にデジモンに関する知識を失ってもわかる。 それは、進化の兆し。 「旦那が来る前に絶望を徹底的に刻みつけてやるとしようかね!」 死神が如き宣告と共に、ブラックマッハガオガモンの姿が大きく変化した。 それは、ひと言で表せば、鎧を纏った騎士だった。 その両手には、剣のような長く鋭い爪の付いた手甲。 本来なら、深みのあるインディゴブルーである鎧は、ブラックマッハガオガモンの時と同じく、くすんだ黒色に染まっていた。 「まさ、か…」 それを、かろうじて身を起こして仰いだシルフィーモンの顔に、険しいものが浮かぶ。 「ミラージュガオガモン!?だが、その、色は…」 「ああ?この色はな、身体にこびりついちまってから離れないのよ」 低い声で言いながら、黒いミラージュガオガモンはシルフィーモンを冷たく見下ろし。 そして瞬きの刹那。 「ぐ、あああっ!!」 シルフィーモンの苦悶の叫びが響いた。 セイラは目を見開く。 ミラージュガオガモンの爪が、シルフィーモンの胴体を貫いていた。 「ほうれ、ほれ。もっと抉ってやろうか」 「ぅぐ、ぐ、ぁがっ、あああ…!」 貫いたまま、手甲を、幾度も、幾度も叩きつける。 時折中の内臓を掻き回すが如く、ぐりぐりと動かす。 そのたびにシルフィーモンの苦悶の叫びがあがり、セイラの顔から血の気が引いた。 「やめて…やめて!」 黒いミラージュガオガモンがセイラの方を向く。 その目に、喜色が浮かんだ。 「ようし、そうだセイラ、こっちへ来い。…こっちだ」 「何を、するの」 「良いから」 "いつも"の、軽薄な自警団長の口ぶりで呼ぶミラージュガオガモン。 恐る恐る歩み寄ったセイラに、彼は足元に転がった物を蹴って寄越した。 ーー肉切り包丁だ。 「それでこいつを殺せ」 ほら、こいつは御触書きの化け物だからさ。 そう、黒いミラージュガオガモンは嗤って言った。 「身体の真ん中、"この辺り"をグサってやればいい。それでこいつの命は終わり、お前に報酬が出る」 「……わ、私は……」 反抗しようにも、こちらへの一瞥には殺意が籠っている。 やむなく、包丁を取る。 でも。 (やりたくない。やりたくない。やりたくない。やりたくない) 包丁を持つ手が、震える。 なんで、なんで、なんで、なんで! 「……美……玖……」 シルフィーモンの手が動こうとしている。 「やれよ、俺達は"友達"だろう?」 そう言うミラージュガオガモンの言葉を聞いて、脳裏によぎるは。 自身の身体に加えられる痛み。 それは、蹴られたものだったり。 それは、髪を引っ張られ、引きずられたものだったり。 ああ、嫌らしく嗤う背後で、冷たく愉悦の笑みを浮かべた"彼女"はーー 「……違う」 「あ?」 「あなたは、あなた達は!」 胸の奥がカッと熱くなる。 宿るは、オレンジゴールドの光。 「友達なんかじゃ、ない!!」 ドンっ! ミラージュガオガモンの懐へ走る。 それを跳ね除けようとして、目を見開く。 「お前っ…!」 沈黙。 払い除けようと振るわれたその爪は、彼女に当たった瞬間いとも容易く弾かれて。 なんの変哲のない包丁では貫く事も難しいクロンデジゾイト製の鎧は、包丁の貫通を奥深く許した。 「なん…だと…!?これは、これは…なんだよ、これは…!」 震える声で黒いミラージュガオガモンは怒声を張り上げる。 包丁が引き抜かれる。 傷口からデータが、血液の如く吹き出た。 「ぐ、おおおっ…!なん、だ、これはぁ…っ!」 「はぁ、はぁ、はぁ…!」 なおも噴き出すデータ。 黒いミラージュガオガモンの体内で、ブラックデジトロンなる物質の混ざったデータが、激しく脈動し荒れ狂っている。 「ぐああっ…くそっ、クソクソクソッ!クソがあっ!これがっ…これが、【奇跡の紋章】の力によるものな筈があるかっ!!」 傷口を押さえながら、ミラージュガオガモンが後退する。 やがて、その全身から力が失われた。 立つ事もままならないまま、彼は、やがてデータの残滓となり四散した。 セイラは、茫然としたままでいる。 そこへ、金色の鳥が飛び回り、彼女はようやく我に返った。 「そうだ…お願い!お願い、目を覚まして!」 包丁を放り投げ、セイラは、シルフィーモンにすがりついた。 だが、先程まで絶妙な加減で痛ぶられていたシルフィーモンは、最早生命力が底を尽きかけていた。 「……」 口が弱々しく何かを喋る。 だが、声がかすれ、聞き取れない。 「お願い!今、お医者様を…ああ、駄目!お医者様も化け物だった。どうしよう…!」 セイラの目から涙が滲み出す。 ぼろぼろとこぼれ落ちたそれが、シルフィーモンを濡らす。 ーーこれで、良い。 ゴーグルの裏で、目を閉じる。 ーー君を守れた、それで良い。ただ、まだ、記憶の小瓶を……。 「お願い、ねえお願い!神様!神様!お願いします!」 必死に叫びながら、彼にしがみつく。 「私は、私は、無力なままでいたくない!この人を見捨てたくはないの!だから…」 どうか、お願い 私に力をください お願いします そう願いながら、彼女はシルフィーモンの胸元に顔を埋めて泣きじゃくった。 しばらく、そうしていた時に。 シルフィーモンは、彼女の身体の下に光を見た。 オレンジゴールドと、それに重なった薄桃色の光。 それが、自身を包み込んで、そこでシルフィーモンの意識は途絶えた。 ……… 「…なるほど、ひとまずの終わりはこうなり得たか」 後ろに湯田を控え、フェレスモンは静かに瞼を閉じ、考えに耽った。 彼にことの経過を報告したザミエールモンが問う。 「あれは一体何なんだ?」 「さて。どうにせよ思惑が外れてしまった。いずれはまた何かの機会を設けるとしよう。ご苦労だったな」 言いながらフェレスモンが振り返り、ザミエールモンは既に姿を消していた。 声が反響する。 「やれやれ、お前と組むとどうも居心地が悪い。次からはちゃんと報酬は弾めよ」 「ああ、もちろんだとも」 ………… シルフィーモンが目を覚ました時、そこは探偵所のベッドの上だった。 泣き腫らした目をして、セイラーーいや、美玖は、彼に抱きつき何度目かわからない涙を流した。 ラブラモン達に聞くところによると。 フレイアだけが戻り、ラブラモンを通じて報せを受け、阿部警部らと共に○×ホテルへ行った。 そこにホテルは跡形もなく、シルフィーモンの上に覆い被さるように美玖も倒れていたのだ。 最初、意識を取り戻した美玖は、自身をセイラと名乗り、何の記憶もなくなったように思えたが。 「お前さんが持ってた変な小瓶。あれを金色の鳥が落として割りやがって、そうしたら途端に元の五十嵐に戻ったよ」 そう、阿部警部はシルフィーモンに説明する、 セイラを名乗っていた間の記憶はないようだ。 美玖の記憶が戻って、無事に帰って来れた。 その事実に、シルフィーモンは安堵した。 「お前さんの事はどうロイヤルナイツへ連絡したものかと思ったが、ラブラモンが知らないうちに全部やってくれたんだと」 「……そうか」 あの一件の直後から、どうやら数日間は意識を失っていたらしい。 あれだけ黒いミラージュガオガモンに抉られていた傷は、綺麗にふさがっていた。 「しるふぃーもんのでじこあも、きれいになおってたよ。でも、むりはしないでね」 「…わかってるよ」 ラブラモンの言葉に苦笑いで返した。 そして。 あの叫びを、思い出す。 "セイラ"だった間の、あの叫びを。 (…私が死に陥ろうとした時、君は、私への記憶がなかったのに、悲しんでくれた。助けようとしてくれた) それに、言いようのない喜びを覚えた。 だから。 「これからも、君の事は何があっても守りたい。良いかな?」 「どうしたの?」 「…いや」 心持ち穏やかに、微笑んで返す。 そして、シルフィーモンは美玖に歩み寄ると、その身体を抱きしめた。 「ちょ、シルフィーモン?どうしたの?」 「…このまま、居させてくれ」 そう注文し目を閉じるシルフィーモンに、美玖は顔を赤らめながらも彼の好きなようにさせたのだった。
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みなみ
2022年12月10日
In デジモン創作サロン
目次 ……デジモンにも生と死の概念は存在する。 他のデジモンとの生存競争に負けたか。 病気や怪我による外因的なものか。 あるいは寿命か。 ともあれ、デジモンも生き物である以上、死というものからは逃れられない。 人間や他の生物同様、いつか、いずれ。 死したデジモンの多くはデジタマを残す。 しかし、それとは例外的な形でデジタマが残されることがある。 再生、つまりは復元である。 瀕死のデジモンのデータを再構築、修復し、デジタマへ復元する。 復元されたデジタマから孵ったデジモンは、死するまでの記憶を有している可能性が高い。 奇跡というべき事象だがこれを可能とする力を持つ者は存在する。 それこそが。 善きデジモンのみをデジタマへ生まれ返らせる冥府の管理者アヌビモンであり。 勇者として死したデジモンをデジタマへ復元する光の戦士ヴァルキリモンであり。 この二体のみが奇跡を引き起こす事ができるデジモンだ。 ーーーそれにしても驚いたな。まさか人間の世界で我々デジモンが大手を振って歩いているなんて。 「あれから色々と起きたのだ。お前が永久の闇に追放されて以降な」 ーー今から数千年前のデジタルワールドで戦いが起きた頃に遡る。 まだデジタルワールドと現実世界の接点が近しくなかった頃に起きた、ダークエリア最深部コキュートスからの軍勢の侵略行為。 アヌビモンだけでは圧倒的に力不足であり、彼からの救援要請を受けてデジタルワールドで様々な勢力と選ばれし子ども達が動いた。 その数少ないパイプ役として動いたデジモンの一体が、ヴァルキリモン。 どうにか協力に漕ぎつけるだけでも、かなりの労力を費やしたはずだ。 選ばれし子どもと数騎のロイヤルナイツを迎えたアヌビモンが目にしたのは、ダークエリアの境目を突き破ろうとした不死者の王グランドラクモンと、右に並び同盟を結んだ黙示録の落とし子たるガルフモンのオリジナルというべき個体。 ガルフモンは複数体もいる存在だが、その最もたる"オリジナル"は、底辺の究極体ならば立ち所に死に追いやる力を持った文字通りの化け物というべきモノだ。 進化を、生命の在りどころを、否定し根絶するために黙示録が残した"置き土産"。 それがデジタルワールドへ侵略しようものなら、無事では済まない。 同盟を結んでいるグランドラクモンもまた、数多くの天使型デジモンを堕としてきたのみならず七大魔王を上回る真の実力者としてコキュートスの一角を牛耳る。 万事休すと思ったアヌビモンの元へ駆けつけたのが、ヴァルキリモンとそれに手引きされた大勢のデジモン達だった。 戦いは熾烈を極めた。 多くの死者が出た。 選ばれし子ども達とロイヤルナイツらは二手に分かれ、ダークエリアから攻め寄せる軍勢とそれを率いる強大な二体の究極体を相手にしなければならなかった。 アヌビモンはガルフモンを、ヴァルキリモンはグランドラクモンを相手にする方へそれぞれ回った。 そして疲労困憊の体、ようやく二体の究極体をコキュートスへ叩き落とした時にグランドラクモンは奥の手を使ってきた。 永久なる闇の世界への追放である。 選ばれし子どもかロイヤルナイツ。 どちらかを闇に葬れればそれで良し。 その目論見にいち早く気づき、身を呈して永久の闇に呑まれた者こそ、ヴァルキリモンだった。 「…なるほど、暗黒の海で先生と…しかし、よくまあ肉体を失っただけで済んだものだ」 ため息が出た。 ははっ、と渇いた笑いが返ってくる。 ーーー狂っていた方が幸せではないかと何度も思ったがね。 「むしろどうする気だ。魂のデータしかない以上、デジタマとして残すには容量が少なすぎる。今のお前に"次代"は産めないだろうが!」 特殊な力と役割を持つデジモンだけは、残したデジタマに記憶を継がせる。 そうして生まれたデジタマから孵った事で、"先代"たる個体から八割ほどの記憶を引き継ぐのである。 アヌビモン、ヴァルキリモンは、そうして継いできたデジモンの一種だ。 ーーー弱ったな、すっかり忘れていたよ。確かにそれは困ったものだ。……まあ、おいおい考えるとしよう。今はそれよりやるべき事ができた。 ラブラモンは自身がやってきた方へ視線を向けた。 「昨夜ここへやってきたネットゴーストを排除したのはお前か」 ーーーあまり騒がしくして欲しくなかったからね。なによりも害意がなかろうとあれらは、ここにいてはならないモノだ。 そう言いながらヴァルキリモンは肩に乗ったフレイアの頭を指で撫でた。 ーーーそれにしても昨日は初めて人間の食べ物を口にしたが悪くなかったよ。現実世界にまだ未知のものがあると思うと堪らない。そうじゃないか? 「初めての現実世界だからと…」 浮かれるな、と続けようとしたラブラモンは、近づいてくる話し声を耳にし中断した。 「そろそろ私は行く。もう時間だ」 「…どうにかならないの?この状況は…」 ラブラモンとヴァルキリモンが息を潜める。 美玖とシルフィーモンが連れ立って出てくるのが見えた。 「情報が入らない限りは現状維持だ」 美玖の声が不安げに震えた。 「でも、どうにかしないと、現実世界…私達の世界が」 「わかっている。だが、私達ではどうしようもない。今は探偵としてやっていく事に徹するしかないんだ」 対するシルフィーモンの方は平常を保っている。 無理に彼女の不安を取り除こうとするそぶりもない。 美玖の肩に手を置き、シルフィーモンは言った。 「私にできることは、君の元へ帰れるよう努めることだけだ。だから。君も無理はするなよ…」 「シルフィーモン」 「君が無事でいる事。その事実が、私にとって最高の報酬だ。それを忘れないでくれ」 美玖が顔を上げた時、シルフィーモンの姿はなかった。 こちら、五十嵐電脳探偵所 第12話 地図から消えた村 『転移』を受けて消えたシルフィーモン。 先程まで彼がいた場所にぼんやりと手を伸ばし、空を掴んで美玖はハッとなった。 ーーー選ばれし子どもとパートナーデジモンの関係でもないに関わらず微笑ましいね。こちらが妬けるよ。 「茶化してる暇があるなら少しはこちらを手伝え、ヴァルキリモン」 ーーーすまない、すまない。確か、イグドラシルがこちらに干渉したという話だったな? 「そうだ、…あのイグドラシルがだ」 ラブラモンが説明しようと口を開いたところへ、美玖の呼ぶ声が聞こえた。 「ラブラモン?ラブラモン!どこなの?朝ご飯よー!」 思わず、返事した。 「いまいくー!」 返答して美玖の方に向かいかけたところで、ハッとしラブラモンはヴァルキリモンの方を向き直る。 ヴァルキリモンはというと。 ーーー……っ。 顔を俯け、手で口元を押さえながらふるふると震えている。 「おい」 ーーーっくくく……。 「おい、笑うな」 ーーーいや、まさか厳格な裁判官殿が子どものような言葉遣いと声を…。 「だから笑うな!…くっ、先生がいる手前、子どもらしい言葉を演じなければならないこの身がもどかしい!」 「ラブラモン?朝ご飯冷めちゃうから早く戻ってきなさい!」 「ちょっとまってー!」 そのやりとりについにヴァルキリモンの耐え忍びは限界を超えた。 ーーーっぷ、あっっはははは!!駄目だ、こんなの笑うなという方が無理じゃないか!くっ、ぷっ、ははははっ! 「おのれ!!後で覚えてろヴァルキリモン!!」 ーーーー その正午、二人の大学生が探偵所を訪れた。 三年次生の男子が一人と四年次生の女子が一人。 彼らは、各々を、笠倉勇吾、野々原華と名乗った。 「私達は○◇大学のオカルト研究サークルをしてます」 「サークル?」 「はい」 探偵アグモンの言葉にサークルの顧問を務める華はうなずいた。 「この探偵所が、以前に某県の呪われた館の謎を解いたという話を伺っていましてそれで是非とも私達もこの探偵所に協力をお願いした方が良いのでは?とサークルの皆で話し合ったもので…」 「呪われた館?」 探偵アグモンが訝しげに美玖を向いた。 「隣の県で依頼があったんです。その件ですね」 美玖は答えると、華に尋ねた。 「理由はわかりました。私達はオカルトに関して門外漢ですので、どこまで力になれるかわかりませんがお引き受けしましょう。それで、どのような案件でしょうか?」 「そうですね……」 華と勇吾は顔を見合わせた。 口を開いたのは勇吾だった。 「探偵所の皆さんは、『杉沢村』をご存知でしょうか?」 「杉沢村?」 一同、目を瞬かせた。 「青森県にあると言われる村のことです」 「青森?」 (そんな名前の村、あったかしら…?) 美玖は思い出そうとする。 青森には父方の親戚が蕎麦屋を営んでおり、年に数度赴いたり桃や梨を送り合うくらいには身近だ。 だが、そんな名前の村など聞いたことがない。 「美玖よ、確かお主の親戚が青森におらんかったか?」 「はい。蕎麦屋を営んでいまして…しかし、聞いたことのない名前の村です」 美玖が悩ましげに思い出そうとすると、華は頷き続けた。 「ある意味、仕方のない事かと。この村は、もうないんです」 「ない?どういうことなの?」 「この杉沢村は、数十年前に起こったある事件によって、地図から消された村なんです」 ………曰く。 ある一人の男が突如狂気に陥り、斧を凶器に村中の人々を惨殺する事件が起こった。 男はその後自殺し、動機すら知られる事のないまま小さな村を血生臭い死で満たした。 事件の凄惨さや犯人の自殺による迷宮入りが相まり、その村は地図や公文書から事件の隠蔽目的で消された。 その村こそが杉沢村であり、一時期はオカルトのスレッドで話題にさえなった伝説である。 「地図から、消された…」 「これまで何人もの目撃談はあります。いずれも、背筋の凍るものばかりで…」 杉沢村は、国そのものから見捨てられた村とも言っていい。 実態が定かでないながらも、目撃談が相次いだこともある。 悪霊の溜まり場となっており、中に入った者の中にはそこで味わった恐怖のあまり髪が白髪へ変わったという話があるほどに。 「私達は、杉沢村の存在をテーマに選びました」 華が言うに、一週間後に目撃談から整理した情報を元に華と勇吾と任意希望のサークル参加者で散策に入る予定だ。 「実は数年前のテレビ番組でも捜索企画はあったらしいのです。けれど…」 その手の企画の常か、杉沢村の所在は分からずじまいに終わっている。 そこで、華達は自分達が探そうという。 その内容に探偵アグモンは眉をひそめた。 「好奇心は大いに結構だ、そこまで本気ならワシも止めぬ。この子が引き受けた以上な。だが、ワシから一つ約束をさせてくれ」 「は、はい」 「無理はするな、そして自身らが知る必要のないものを知ろうとするな。それが守れれば良い」 「…ふたつ、ある」 ラブラモンがぼそり。 それに構わず探偵アグモンは美玖の方を向いた。 「今回はグルルモンを連れて行きなさい。シルフィーモンは居らず、かといえワシまでこの子だけを留守にさせる訳にもいかんからな」 「わかりました」 そこで、美玖は周囲をそれとなく見回す。 かすかに、羽音が聞こえた。 あの鳥、フレイアが近くにいる。 それはつまり。 (…あのデジモンに、助けてもらえるのかしら…?) 確証とはいえない。 そもそも二度も三度も都合よく助けてもらえないかもしれないだろう。 自分は未だ、あのデジモンの名前すら知らないのだ。 未だに助けてくれた恩人の何もかもがわからない。 不安だ。 ーーー円卓の間にて。 防衛の為の手勢を派遣したデジタルポイント各所からの戦況がリアルタイムで映し出されているのを見ながら。 オメガモンはドゥフトモンを振り返った。 「防衛はかろうじて上手くいっているようだが、そう甘くはないか」 「ハッカーの送り込むアバターが厄介だな。対策を練りたい」 言いながらドゥフトモンは、送られてきたデータに目を通した。 「現在、日本の警察が計画を立てている。日本国内で発見された拠点から持ち帰ってきたデータにより、組織の本拠地の所在を掴めるかもしれない見込みが出たそうだ」 「三澤女史は何と?」 「SITを送り込む事を計画していると」 SIT、正式名称は特殊犯罪捜査係。 人質誘拐事件や大規模な過失業務事件、爆破事件等に対処する刑事部の部署の一つ。 SAT(特殊急襲部隊)とは同じく人質救出作戦部隊として編成されもするため、両者は混同されがちである。 SATより捜査力に秀でたSITを送り込むことで、活路を見出そうというのだ。 「元SITも招集する見込みだ」 ドゥフトモンの言葉にオメガモンは腕を組む。 「本拠地の所在が判明できればその分こちらも動きやすくなるというもの。デジタルポイントの封鎖もガンクゥモンの縁者達がこなしてくれている。問題は」 「アバターへの対処と、防衛のための戦力をどこまで本拠地への攻撃に回せるかだ」 ドゥフトモンは言いながら送り込まれてきたアバター500人とぶつかり合う手勢のいるデジタルポイントの映像に目を細めた。 アバターは無限に湧く。 どうにかするには、大元たるハッカーを叩くしかない。 「ところで、ジエスモンの動向は?何か連絡はないか」 「現在もメフィスモンを追跡中だ」 そうドゥフトモンが返した時、円卓の片隅でアラートが鳴った。 ロイヤルナイツからの通信である。 「ジエスモンか、首尾はどうだ?」 映像に映り込んだクールホワイトの小竜にオメガモンは問うた。 『こちらジエスモン。現在、青森県付近を散策している』 「青森?」 『日本国内の北に位置する所だ』 「メフィスモンの潜伏地が判明したのか?」 『いや、奴の居場所は未だ掴めていないが、奴と同盟を結んでいるフェレスモンが人間から魂のデータを搾り取る拠点の一つがここにあるという情報を得たのでそこを洗いに来ている』 「ふむ…」 『五十嵐探偵所から得た情報で、メフィスモンは今深手を負っているようだ』 「深手?」 『探偵所が受けた依頼の遂行の途中で、遭遇したリアルワールドの生物から傷を受けたらしい』 オメガモンとドゥフトモンは顔を見合わせた。 「…あのオリジナルのガルフモンを、一部のみとはいえリアルワールドの生物が深手を負わせた?」 『そういう話だ。それを確かめるためにも足取りを追っている』 「ふむ、報告ご苦労。引き続き追跡を開始してくれ。奴に不穏な動向が確認されたら即報を寄越すように」 『了解』 通信が終わり、ドゥフトモンはつぶやく。 「メフィスモンが深手を負っているのが事実ならば、その分フェレスモンの動きは大きくなるだろうな。隠れ蓑になるはずだ」 ーーー 依頼遂行日、探偵所前に一台のワゴン車が停まったのは朝5時頃。 運転しているのは、華と同じ四年次生の男子である大倉道也だ。 「おはようございます!探偵さん、隣へどうぞ」 中列に座った華が美玖へ声をかけた。 「おはようございます。失礼して…今日はよろしくお願いしますね」 「このお姉さんが、本物の探偵さん?思ったより若いし可愛い!」 「中田さん、失礼ですよ!」 隣の女子大生を華が叱る。 ワゴンに搭乗した人物は美玖を含めて七人。 明るめに染めた茶髪に、いっぱいのストラップを付けた携帯を手離さない二年次生の中田理枝。 おどおどとした、地味めな印象が理枝と対照的な一年次生の横道謙也。 黒のショートに青のカラコンが特徴的な同じく一年次生の林麻里奈。 そして、唯一外国籍であるベトナムからの留学生にして二年次生のチャン・リン・ドワゴン。 「今日はよろしくお願いしますね、探偵さん」 「すごい!本当にデジモンがいるんですね」 「わあ!デジモン、わたしも、初めて見ます!カッコイイ…!」 玄関で送りに出ている探偵アグモンとラブラモン、シルフィーモンを見て麻里奈とチャンが興奮する。 「せんせい、きをつけてね!」 「うん」 ドアが閉まり、走り出すワゴン車。 それに手を振りながら、シルフィーモンはつぶやく。 「私が出撃予定でなければ、一緒についてやれたのにな…」 「ぐるるもんがいるからだいじょうぶ!」 「だと、いいが……」 不安を隠さぬシルフィーモンの声。 探偵所に入りながら、探偵アグモンは振り返る。 ワゴンが走る後ろを飛んでついて行く金色の鳥を見やって。 ーーーー 青森へは車で高速を走れば片道五時間。 ワゴン車の中で音楽を流し、ワイワイと話し合う大学生達。 曲は今をときめくアイドルを中心としたラインナップのHIPHOPだが、それに反して話の内容は一貫してオカルトに関するもの。 やれ、某県のとある田舎には過去に人柱の風習があっただの。 やれ、某県の人里離れた山にはその昔に旧日本軍が使っていた病棟があるだの。 美玖からしても、真偽の掴みづらい話ばかりだ。 だが、大学生達は、さすがサークルに加わっているとだけあり、皆熱心に聞いている。 途中パーキングエリアで一回休憩と運転手交代に入る。 交代し、運転手を務めるのは華だ。 その関係で配置は、美玖の隣を華の代わりに道也が座ることになる。 「このまま行くとお昼になりそうだけど、どこかご飯食べてから調査にする?」 「美味しいお店がいいなー!」 「それなら、探偵さんが言ってたお蕎麦屋さんに寄らない?」 「良いですね」 国道を出て、青森南部に入ること数十キロ先。 時刻は12時半近く。 山道にも近く車通りのそこそこ多い場所に、その蕎麦屋、『ケンちゃん屋』はあった。 美玖の叔父にあたる店主、五十嵐賢治のこだわりと丹精を込めて作られた蕎麦は、地元でも常連ができるほど。 最後に会ったのは春信のお通夜以来だ。 美玖と大学生達が来た時には、平日とはいえバイカー達や地元の家族連れで少し混んでいた。 元気よく大きな声でオーダーや会計をこなす割烹着の女性が、美玖を見るや一際声をあげる。 「まあ!!美玖ちゃんじゃない!どうしたの、こんな所に!」 「仕事の最中でして、昼食にと」 美玖が言うと、その女性…賢治の妻である沙都子が厨房の方を向いた。 「ケンちゃーん!美玖ちゃんが来てるわよ!お昼ご飯食べに来たんですって!」 その声に厨房から、手拭いをバンダナのように頭に巻いたサングラスの男が顔を出す。 暑そうに肩にかけたタオルで汗を拭きながら、賢治は笑った。 「おう、美玖ちゃん!今日はどうした?」 「こんにちは、ケンさん。今日は仕事の関係で依頼人の人達と一緒にこちらでお昼ご飯を…」 「仕事かあ、大変だな。さっちゃん、席へ案内してやんな」 「はぁい!」 畳の小部屋に案内され、美玖と大学生達はひと息ついた。 メニュー表を配りながら、沙都子は美玖と話す。 「ケンちゃんの事だからいつもより大張りきりになるわ。注文が決まったらいつでも呼んでね」 「ありがとうございます。…そうだ、沙都子さん、後でケンさんもご一緒に聞きたいことがあるんですが」 「そうね、食べ終わってお会計したら、うちにいらっしゃい」 ざる蕎麦、山菜そばに力そば、鴨南蛮に月見そば。 それらが席に配膳されると、香り高く蕎麦つゆの湯気が漂う。 「美味しいー!」 シャキシャキとした食感の新鮮な山菜。 サクッとした歯応えながら衣が中身より目立つ事のない天ぷら。 そして、コシがあり喉越しの良い麺蕎麦そのもの。 そのどれもが、客の舌と胃に確かな満足を提供するに足る味とボリュームだ。 美玖も、自身が注文したきつね蕎麦を啜りながらうなずく。 (やっぱり、ケンさんのお蕎麦は美味しい…) 過去に賢治の蕎麦を食べたことは二回程だが、それでも今なおその美味しさは衰えていない。 大学生達も喜んで箸を進める。 華が美玖に声をかけた。 「探偵さん、この後の予定なんですが蕎麦屋の店長さん達にお話を伺いに行くんですね?」 「そうですね。ここで蕎麦屋を始めてから三十年近くいますから、杉沢村について何か情報があれば聞いていきたいところです」 「それなら、探偵さんに是非道のナビをお願いしたいです」 しかし、その前に情報を少しでも得ておきたい。 そう思った時、近くの席に座っていたバイカーの若い男二人が、こんなやりとりを交わしていた。 「今日は早いうちに宿泊先へ向かって休もうぜ。暗いと色々困るし、怖い話も聞くし」 「なんだ、それ?」 「ここ十年くらい前から、近くの山道で行方不明者が出てるんだ」 「マジかよ!」 大きな声をあげた片割れに、そのバイカーは静かにするよう人差し指を立てた。 「声がでかい。…それで、最近は走り屋も夜間の峠越えをやらないらしい。つくづく不吉な話だよな…」 「わりぃ…それっていわゆる神隠しに遭ったって事か?」 「さあな。少なくとも俺はそんなもん信じない」 この時、美玖は華と一緒にこのやりとりに耳をそばだてていた。 他の大学生達は自分達の頼んだ蕎麦をシェアし合ったりしてやりとりには気づいていない。 (……夜間の山道で、神隠し?) …出発日の前、美玖は事前に杉沢村について調べていた。 オカルトスレッドのログを、当時まだネットワークがパソコン通信と呼ばれていた頃の非常に古い年数まで辿って。 そこでわかった幾つかの情報。 まず、杉沢村の目撃情報は、夜間の山道が多いということ。 地図にこそ載っていないものの、村そのものの痕跡が残っているとされている場所が存在すること。 (…後は、実際にたどり着いてみないとわからないわね…) 実在しない創作の可能性を問う説も幾つかあった。 しかし、行方不明者が出ているという話との関連性を問うには情報収集が先だ。 美玖は華に目配せすると、席を離れてバイカー達に近づく。 「すみません」 「え、はい?」 「私達は旅行にここへ来たばかりなんですが…今の話は本当でしょうか」 行方不明者の件を持ち出していたバイカーが、頭を掻く。 「聞こえていましたか…すみません。不安にさせるつもりはなかったんですが」 「いえ、私達も始めての青森の旅行でしたので、今のお話について少しでもお聞かせ願えたら。宿泊先の確保も関わっていますからね」 「そうですか……とはいえ、俺もネットが出元の噂を見た程度だから無責任でしかないです」 それでも、という美玖の頼みにより、そのバイカーから得られた話によると。 今から十年前から、この蕎麦屋の近くから入る山道より先で行方不明者が出続けている。 未だに原因は不明であり、警察の捜索も何度かあったのだがその警察からも行方知れずになった者がいるという。 「そんな話が…」 「とはいっても、ネットの話ですからね…確証はないんです。神隠しだっていわれてますけど、俺オカルトとかそういうのは信じないタチなのでなんか不安がらせてすみません。ダチとのツーリングで話のタネになりそうだと思って話しただけですから」 「おい…」 片割れバイカーはジト目で相方を睨む。 美玖は一礼した。 「お話を聞かせてくれてありがとうございました」 「こっちこそ、こいつがすみません。旅行、楽しんで下さい」 ーーーー 会計を済ませ、沙都子から家の鍵を渡されると美玖達はワゴンへ戻った。 「探偵さん、運転できますか?」 「大丈夫ですよ」 車のハンドルは美玖に任された。 賢治の自宅は店や山道とは反対の方向にある。 国道からも近い。 到着後、事前に沙都子達から許可は得ていたため美玖と大学生達は家へと上がり待つことにした。 「お邪魔しまーす!」 大学生達と家に入り、お茶を淹れてすぐに計画の確認が行われた。 「今、私達がいるのはこの辺り。これから散策予定となる山道へは20時の予定となります」 赤ペンを手に、華はこたつテーブルの上に広げた地図で説明する。 「先程、お店にいたバイカーさんから行方不明者が出ているという情報を入手しました」 「ゆ、行方不明者って…」 「え。本当なんですか!?」 すぐさま謙也と麻里奈が両極端な反応を示した。 「あくまで、ネットで見た噂との事ですので、鵜呑みにはできませんが。それでも、共通点があるので頭の片隅に入れておくのが良いでしょう」 「具体的にはどんな?」 今度は道也。 「今のところ、夜間に山道を移動した者が…というだけですね。なので、これからケンさん達に聞こうと思います。もうじき閉店時間ですしね」 時計の針は17時を指している。 蕎麦屋の閉店時間だ。 「それで蕎麦屋さんからお話を聞いたらすぐに出発します」 「今回はどこまで回る予定ですか?」 夜間の山道の移動や車内泊を念頭に移動ルートを相談し合う。 雰囲気は旅行の計画相談のそれだが、内容は危険性があるかもわからない怪異の探索だ。 せめて何もなかったというオチで終わりであった方が、幸いだったのかもしれない。 ーー 「美玖ちゃん、帰ったぞー」 「ただいまぁ」 「お帰りなさい、ケンさん、沙都子さん」 話し合いの途中、賢治達が帰宅してきたのを迎える。 沙都子が台所へ入っていく。 「美玖ちゃん、それと大学生の皆さんはこれから山道へ向かう相談かい?」 「はい。……その、それで、聴きたいことがあるの、ケンさん」 「おう、どうしたん?おれも、山道へ行くと聞いて言っときたい事があるんだけど」 心配げに返す賢治の言葉に、美玖は華と顔を見合わせ、続ける。 「お昼にお客さんから聞いた話なんですが…」 昼間にバイカー達から聞いた話を美玖は話す。 それに賢治は渋い顔をしながら沈黙。 「……店主さん?」 「ああ、もう、聞いてたんだな…そうか」 賢治は表情を崩さないまま茶を一口。 唇を湿らせると話した。 「おれが言いたかったのは、その行方不明の件なんだよ」 「本当だったんですね…」 「ああ。うちの常連にも一人出てな…その奥さんが捜索願を警察に出してるんだ。一週間前にね」 賢治が言うには、ここ十年で行方不明者は増える一方であり、現在は夜間の山道での運行を規制している場所もあるという。 その関係で、美玖達に注意を促したかったというのが彼の意図だ。 「とはいっても、どうしても今回のサークルの方針としては是非とも散策に必要というスケジュールでしたので…」 「そうか…おれとしては止めたいところなんだがなあ…。数日前にうちの店に来たデジモンも、山道に入るっていうんで止めたんだがどうしても探したいものがあると言って聞かなくてな…」 「デジモンが、ですか」 「ドラゴンを小さくしたような白いデジモンでな、そのデジモンがたった一人で来たんだよ」 ドラゴンの姿の白いデジモン。 その言葉に、美玖は心当たりを覚えた。 「ケンさん、そのデジモン、もしかしてお名前はハックモンという名前ではありませんでしたか?」 「ん?……確かに、そんな名前だったような」 「以前に別な依頼でお世話になった事があるデジモンなんです。その方なら大丈夫だと思いますよ」 そう言いながら、美玖はふと疑問を抱いた。 (ハックモンさんが、ここに…。今回聞いた行方不明者の件、杉沢村…どちらとも関係が?) ついで、華達は杉沢村についても聞いてみたが、賢治は首を傾げるばかりだった。 元々青森出身である沙都子に聞いても同じ反応だ。 ここまで聞いたのなら、後は。 大学生達と美玖がワゴンへ乗り込むと、賢治が見送りに出てきた。 「本当に、気をつけてな」 「大丈夫ですよ、沙都子さんにもよろしく伝えてください」 「美味しいお蕎麦ありがとうございました!」 車が出発したのは夜も更けての20時。 店があった国道近くへ逆戻りし、迷わず山道へ向かう。 山道で明るいのは、街に近い場所だけだ。 道を入って少しすれば、街灯は消えたちまち夜の深い闇が包む。 ここまで来ると頼りになる明かりは車や自転車ならヘッドライト、徒歩なら懐中電灯でもなければまともに前を歩くことはできない。 ワゴンは緩やかなカーブとガードレールを照らしながら上っていた。 山道を上っている間、ワゴン車の中は一種異様な沈黙に包まれていた。 朝方から昼間にかけての和気藹々さはどこへやら緊張から皆口を閉ざしていた。 (…皆、無理をしていたのかな…) そんな事を美玖は思った。 ただでさえ実在するかもわからない村の所在を確かめに行くだけでない。 ……行方不明者が出ているという案件。 それが言いようのない不安をもたらしているに違いなかった。 いくらオカルトが好きとはいっても、彼らも美玖と同じ普通の人達。 勇みだって行く程の肝の太さまでは持ち合わせていないのだ。 「……探偵さん、大丈夫ですか?」 隣に座っていた勇吾が尋ねた。 「私でしたら大丈夫ですよ」 「そうですか。…実は、さっき聞いた行方不明者の話を調べていたんです」 手元には開いた携帯電話。 「行方不明者が出ている件なんですが、幾つか噂があるらしくて」 「例えば?」 「その中で一番の可能性が、デジモンによるものではないか、と」 「……デジモンが」 実際、デジモンによる誘拐が神隠しや行方不明の原因と判明したケースは幾つも存在している。 その多くが、凶暴なデジモンによる捕食行動や殺害衝動の犠牲者になっていることもよくあるのだ。 (もしかして、今回もそういう案件だとしたら…) 考えれば、以前に調査した洋館も、デジモンが関わっていた。 そして、その洋館の案件には、間接的だがメフィスモンが絡んでいる。 しかし、今回聞いた行方不明者の案件は。 (今から十年前…メフィスモンが現れるよりも五年前。デジモンの仕業だとしても、メフィスモンではなく他のデジモンによるもの……) 「ね、ねえ?」 声が張り上げられた。 理枝のものだ。 「携帯が、なぜか圏外になってる!契約してる会社、電波が良好なとこのはずなのに」 見れば、全員の携帯電話の表示は圏外になっている。 そればかりか、表示された文字が虫食いのように文字化けしていた。 「いくら山の中でもこれはおかしいよ!」 「それに、先輩、やまのなか、ぐるぐるしてる」 チャンの言葉に運転していた道也の顔は真っ青になった。 「まさか」 美玖は腕のツールを起動する。 そして、モーショントラッカーの機能を使用してみた。 「……やっぱり!」 モーショントラッカーは美玖達七人と非デジモン反応一体分を表示している。 これが意味することはひとつ。 「今、私達はデジタルポイントの中にいる…!」 「え?デジっ…え?」 「それって、デジモンの通り道的なやつですよね確か」 理枝と麻里奈が戸惑って顔を見合わせた時。 道也が声をあげた。 「待った、チャンの言う通り、俺達どうやら同じ道路を回ってるらしい…この標榜、さっきのと同じだ」 美玖は非デジモンを示す反応の方を向いた。 ワゴンよりやや高い視点から並行して飛んでいる金色の鳥を見る。 (あのデジモンらしい反応がないけど…フレイアがいるのなら、近くにいるのかしら) 「一回引き返してみたら?」 「そうするか…いや、待てよ」 華の提案にうなずきかけて、道也はワゴンを道の端に寄せた。 エンジンは止めないまま、窓から外を覗き見る。 「どうしたんですか、道也先輩」 「あそこに道がある…さっきまで、あんな道あったか?」 美玖も見れば、そこは車一台やっと通れる幅の小道だ。 皆に聞くまでもなく、ワゴンはその道に入る。 道はさらに真っ暗で、その上整理されていない砂利道だ。 かなりの頻度でワゴンがガクつき揺れた先、とあるものが全員の目についた。 まず目についたのは一点の看板。 そこには、こう書かれていた。 『ここから先へ立ち入る者 命の保証はない』 「この看板…!」 全員は顔を見合わせた。 そして次に。 ぼんやりと暗闇の中に見えてきたのは鳥居。 それも、かなりの年月が過ぎているのか遠目からわかるほどに朽ち果てている。 「間違いない、ここが杉沢村への入り口…!」 誰かが唾を呑む音がした。 美玖はその鳥居の手前に、いく台もの車が停まっているのを見た。 「この車達…」 車の何台かは、一体どれほど時間が経っているのか腐った落ち葉に埋もれ、車体には錆が見受けられる。 さらに、一台は青森県警のものと思しきパトカーも見つかった。 「行方不明者は、皆、杉沢村に入って…」 華が言いながら、鳥居の下にある髑髏のような岩に近づいた。 すでに勇吾が写真を撮っている。 美玖は車から降りるとすぐに携帯電話を開いた。 それを前方へかざす。 「グルルモン!」 携帯電話の画面が光ったと思うと、グルルモンがその場に現れる。 それに大学生達は驚いた。 「え、携帯から…え、デジモン!?」 「すごい!デジモンが携帯から出てくるの初めて見た!」 「おお、なんだか、すごいです!」 身体をほぐすように伸びをした後、グルルモンは鼻を動かした。 「…気ヲツケロ、美玖。デジモンノ臭イガコノ先デスル」 言いながらグルルモンが睨む先は、鳥居の向こう側。 その時、美玖のモーショントラッカーでデジモンの反応が一瞬だけ動いたのと同時に、鳥居の向こうで白いものが動いた。 それに反応したのは勇吾とチャンだ。 「!」 「いまの、皆さん、おいかけましょう!」 それを皮切りに、鳥居の向こうへ消えた白い影を追いかけていった大学生達。 グルルモンが美玖の傍らへ来た。 「アイツラヲ追ウゾ、乗レ」 グルルモンに乗った美玖が合流した時、大学生達は数件の廃屋の前で止まっていた。 華が美玖に向かって手を振る。 見ると、その手にはなにやらレシーバーに似た機械が握られていた。 「探偵さん、探偵さんにもこれを一つ持ってもらっていいですか?」 「それは……レシーバー?」 美玖が目を瞬かせる。 勇吾が代わりに答えた。 「スピリットボックスです」 「スピリットボックス?」 「最近、ゴーストハンティングの秘密道具として話題になっている機械ですよ。幽霊の声を再生できるというものです」 「幽霊の、声……」 細かなスイッチボタンが8つついているそれを、華は美玖に手渡した。 「それでは、一組に一つずつと探偵さんにスピリットボックスを渡したところで探索といきましょうか」 「どうやらここが、杉沢村の入り口に近い家屋のようですね。かなり荒れていますが…」 言いながら、華が一つの家屋の中を覗き込む。 グルルモンが退屈げにあくびをした時。 美玖の手元で声がした。 ーーーザー……く……える…… ーーーザーー……み、…わた……え… ーーーザーー……テス、テステス、あー…聞こ、え…… 「!?」 美玖は手元のスピリットボックスに目をやる。 確かに、何か声が聞こえた。 「…あの、勇吾さん!」 「どうしました?」 「これ、声を聴きやすくできませんか?」 美玖の言葉に勇吾は近寄った。 「早速幽霊の声が聞こえましたか!」 「これ、どうしたらいいんでしょう?」 「周波数を調整しますよ、一度貸してください」 他の大学生達が小声で何かを話し合うなか、勇吾が美玖のスピリットボックスを操作する。 やがて、ノイズまみれの音声は鮮明になり…。 ーーーあー、テステス。どうかね、美玖。私の声は聞こえるようになったかい? 聞き覚えのある声に、美玖は目を瞬かせた。 「あなたは…あの時のデジモン…」 ーーーどうやら通信できるようだね。これはまた面白いものだな。肉体を失った身には有難い通信手段だよ、そう思わないかね? 「え…えっ?」 勇吾が困惑の声をあげた。 それに構わず、声の主であるヴァルキリモンは話を続けた。 ーーーせっかくだ、この機械を通して話させてもらうよ。君達がいるその場所だが、…そこは村ではない。敵地だ。早く抜け出したまえ。でないと……。 「!?」 ツールのモーショントラッカーに反応が強く出た。 反応はウイルス種数体。 「な、なに!?」 理枝が不安げに周囲を見回した時、彼女が立っている場所の物陰から白いモノが飛び出してきた。 悲鳴があがる。 「きゃああーっ!!」 「『カオスファイアー』!」 理枝に襲いかかろうとした白い布のようなデジモンを不気味な色の炎が焼きつくす。 「今のは…!」 ーーーバケモンだな。 ヴァルキリモンの言葉にグルルモンは唸り声をあげた。 「ドコカラ見テイルガ知ランガ、大方大量ニコイツラハ居ルンダロウ?」 ーーーそうだね、ここから見える限りでも、そこよりちょっと離れたところに数十体はバケモンとソウルモンが…いやまて、かなり離れた所にスカルサタモンが一体いる。ここの監督者のつもりかな? 「ま、待って」 勇吾が、華が、大学生全員が顔面蒼白になる。 先程のはデジモン? 幽霊ではない? 「あ、あの、今話しているのは幽霊では、ないんですか?」 ーーーおや、そういえば説明がまだだったね。期待を裏切るようですまないが、私は幽霊ではなくデジモンだ。…その余裕もないので名乗れないが。それより気をつけた方が良い、また来るよ。 ヴァルキリモンのその声を待っていたように。 村の家屋の至るところから、大量に白い影が出現した。 以前にナイルの街で見たソウルモンに限らず、そのソウルモンから帽子を取っ払ったようなバケモンが混ざっている。 「ちょ、ちょっと、本当にちょっと待って!?」 「え、幽霊じゃ、ないんです?」 「これ全部デジモンとかウソでしょ…!?」 そこまでが彼らにとっては限界だった。 「数ガ多イ、ココハ一度…」 「うわああああーっ!!」 「きゃああああーっ!!」 ーーー落ち着きたまえ!下手にバラけては…… 「皆さん、一度引き返さないと!落ち着いてーー」 ヴァルキリモンと美玖の制止も空しく、パニックを起こした大学生達。 グルルモンの舌打ちが聞こえたかと思うと、『カオスファイアー』で前方のソウルモン達を焼き払い強引に走り抜け始めた。 「オイ、ドコノ誰カ知ラナイガ、ソッチカラモ見エルナラ援護クライシロ!」 ーーーすまないが、それには私が美玖のすぐ近くにいることが肝要でね。私が直接、戦闘での援護をするには制約がかかり過ぎてしまっている。…温存はしておくが。 「……グルルモン」 美玖がグルルモンの背にしがみつきながら、勇吾が落としたものを回収したスピリットボックスに口を寄せる。 「でも、このままお話はできる。この機械は彼らも持っているので、どうにか連絡はできるはずです。誰か一人でも連絡が取れましたら、安全な場所への誘導をお願いできませんか?」 ーーー良し、その指示、引き受けたよ。 時間を少し遡り…… 「まさかこんな山の中にデジタルポイントがあるとは…」 クールホワイトの小竜、ハックモンは暗い森の中を歩いていく。 ぐるぐると同じ場所を回ってやっと、可能性のある道へと入ればいく台もの車やバイクが目に入った。 「…かなり朽ちたものもある。行方不明の原因はおそらく」 その中に、まだ土埃や朽葉すらかかっていない白いワゴン車が停まっているのが目に入った。 「この車は…」 車体に軽く触れてみる。 まだ、温かい。 その時、ハックモンの耳に悲鳴が聞こえた。 「……あっちか!」 ーー 「『グルルスラスト』!」 回転した躯体、その肩口のブレードが対象を切り刻む。 ソウルモンやバケモンだったモノがはらはらと舞い落ちるなかをグルルモンが走り抜けていく。 暴れる獣の背にしがみつきながら、美玖も手の中に生じた弓を構えようとしてみる。 もっとも、乗馬すらしたことのない人間が、騎乗しながら矢を射るのははるかに難しいため狙いもまともに定まらないのだが。 なにより。 「ウカツニ動クナ、美玖!サモナケレバ振リ落トスゾ!」 グルルモン自身が戦っている時に体勢を崩そうものなら、たちまち落獣してグルルモンの攻撃に巻き込まれるかソウルモン達の餌食になりかねない。 グルルモンもそれを承知で立ち回っている。 「戦イハ俺ガヤル。オ前ハ周リニ依頼人ガイナイカ探セ!」 言われた通りに、美玖はモーショントラッカーを見る。 見た目以上に入り組んだ村の中、モニターに表示される点はどこもかしこもウイルス種デジモンの反応ばかりだ。 「…グルルモン、スカルサタモンってどんなデジモンなの?!」 「堕天使型デジモンノ成レノ果テダ。単純ナ戦闘能力ナラ以前ノファントモンナド話ニナラン」 「それほど、強い…」 「イクラオ前ニ人情ガアルトハイエ限度トイウモノガアル。スカルサタモンニ依頼人ガ襲ワレタナラ、見捨テル事モ考エルンダナ」 グルルモンは、少なくともあのデジモンを信用していない。 ましてや、ダークエリアに棲むものの中でも高純度の闇の力を有する強力なデジモンが絡むとなればだ。 むろん、成熟期であるグルルモンがスカルサタモンに挑んだところで勝算は薄い。 成熟期が完全体に挑んで勝ち目はないこともないが、世代が上の相手を圧倒する事のできる力を持つデジモンはそういない。 「華さん達、どうか無事でいて…!」 ーー 「はぁ、はぁ、はぁ…も、もう、ダメ…!」 「ここで、息を、ひそめましょう」 家屋の一つ、その中に身を潜めて息を殺すはチャンと麻里奈。 元はそれなりに裕福な者の家なのだろうか、農具がそこかしこに置かれお陰様で身を隠すには困らない。 「どうしましょう…先輩達や探偵さん、大丈夫かな」 「大丈夫、信じましょう。問題は、私達」 チャンは言いながら、土壁に空いた穴から外を盗み見る。 白いものが視界いっぱいに埋まり、何かを探すようにうごめく。 麻里奈に目配せし、チャンは静かにするようジェスチャーした。 しばらくすると、白いものが穴の向こうから動いて消える。 (…でも、本当にどうしよう) チャンは思考を巡らせる。 チャンが杉沢村の調査に参加したのは、日本の農村そのものにもだが、日本独自の陰鬱とした怪談やサスペンスといったものに惹かれていたからだった。 それが、ここへきてまさかの危険なデジモンの介入である。 ベトナムでもデジモンはそれほど馴染んだ存在ではないが、無害な存在でない事は知っていた。 (あの探偵さんはきっと、大丈夫) 美玖の人となりを思い出し、チャンは心の中で強くうなずいた。 その時である。 手元のスピリットボックスから声が聞こえたのは。 ーーー聞こえるかい、人間よ。 「!」 麻里奈が驚く表情でチャンのスピリットボックスを見る。 チャンはうなずき、小声で応じた。 「聞こえます。あなたは、さっき、探偵さんと、話してた」 ーーーそうだよ。君は、異国の言葉にまだ不慣れのようだが良い受け答えだ。 姿の見えぬデジモンの声はチャンの応答に微かな笑みを含めた声音となる。 そのまま、デジモンの声は続けた。 ーーーそこが君達の安地というわけか。問題ないな。 「私達は、どうすれば、いいですか?」 ーーー現状、君達の周辺のソウルモンやバケモンの数は少ないがまだ誘導するに必要な場所が見極められなくてね。それについてはもうしばらく我慢してくれたまえ。……ただし、周辺の敵の数が増え始めたなら君達にすぐ知らせよう。そうしたらすぐそこから離れるんだ。 「華先輩達は無事なんですか?」 今度は麻里奈が尋ねた。 こちらも、なるべく小声で。 ーーー場所の把握はできたが君達よりもさらに多い敵に囲まれた所だ。身の安全を優先したか、こちらからの声には応えなかったが。 「そうですか」 ーーーともあれ、君達の対応についてはまだ誘導は先送りだが、敵が増えた際の避難ルートの確保は約束しよう。 ………… 村の一画、かなり奥まった地点の家の中で、華と道也、勇吾は身を潜めていた。 周囲にはソウルモンやバケモンがひしめいており、とても話すらできない。 先程スピリットボックスから声が聞こえるも、道也の咄嗟の判断でバッテリーを抜くことで中断させた。 暗い家の中。 それも、畳と一部の部屋の壁には黒い血痕。 まさに、話に聞いた杉沢村の情報そのままだ。 ただ、そのような家の中で誰一人何も言わぬまま居るのは気分が悪い。 そんななか、勇吾が携帯電話を出す。 手をかざすようにディスプレイの光を抑えて、テンキーを入力していく。 そして、打った文字を華達に見せた。 『これで話そう』 そこで、華達は各々携帯のテンキーを打ちながら見せ合った。 『ここ、村のどの辺だろう?』 『かなり奥まで走っちゃったね。横道君と中田さん、大丈夫かな』 ソウルモンらから逃げた時。 謙也と理枝は華達と逃げていたのだが、横槍で現れたバケモンに驚き別の方向へ逃げてしまったのだ。 『無事を祈るしかないな』 携帯を見せ合いながら、華達が話し合っていた時。 外から喧騒が聞こえてきた。 「『フィフクロス』!」 高速で何か白い影が走りすぎるのが見える。 立て続けに聞こえる断末魔にも似た悲鳴。 華達が顔を見合わせていると、外から声が聞こえた。 「やはりここが奴の拠点の一つで間違いないか」 勇吾がそっと覗き見ると、一体の白い竜のようなデジモンが周囲を見渡していた。 周りにあれほど多くいたソウルモン達は影も形もない。 「ここでフェレスモンとメフィスモン、どちらかに関わる情報が手に入ると良いのだが…それにしても随分古びた村の様相だな、ここは」 勇吾が華に携帯を見せる。 『外に白いドラゴンみたいなデジモンがいる』 『それって、もしかして、お蕎麦屋さんから聞いた探偵さんと知り合いの白いデジモン?ハックモンていったっけ』 『かもしれない。幽霊みたいなデジモンを片っ端から倒してくれてるみたいだし、話しかけて大丈夫だと思う?』 『なら俺が行く。華と笠倉は隠れて待ってて』 そう打つと、道也が立った。 「ん?誰だ」 ソウルモン達を倒し、改めて村を見渡していたハックモン…が進化したバオハックモンが物音に気づき振り返る。 「あの…すみません」 「人間?なぜこんな所に」 目を瞬かせたバオハックモンに、道也は少し安堵した。 やはり、人間を襲うようなデジモンではないようだ。 道也は事情を話すと、華達に出てくるよう促した。 「なるほど、先程の悲鳴は君達か」 「はい…」 「だが杉沢村というのは初めて聞いた。俺は、ある闇のデジモンを追跡に来たんだが」 「けれど、鳥居にドクロの岩、そして看板。あれは、杉沢村を語る上でなくてはならないものです。間違いない」 「……ううむ」 バオハックモンが物思いに耽ったその時。 華達がいる地点よりさらに奥の方から、悲鳴が聞こえた。 「今のは……」 「謙也君!!」 ………… 「『キラーバイト』!」 道をふさぐ最後のバケモンが牙で引き裂かれた時。 グルルモン、美玖も少年の悲鳴を聞いた。 「今のは…依頼人の子達の一人!」 「向カウカ?」 ツールで確認してみる。 モーショントラッカーには、人間の反応が一つ。 周囲にはデジモンの反応はない。 「一人だけしかいない…?ひとまず行きましょう!」 「ワカッタ!」 グルルモンの足で駆けつけてみれば、かなり大きな長屋の前で一人の男子学生が後ろへ倒れ込んでいた。 謙也だ。 顔面蒼白で震えている。 とっさにグルルモンの背から降りて駆け寄った。 「横道さん!どうしたんですか?華さん達は!?」 「あ……あぁ…、はっ…あ…」 謙也は問いに答えない。 そこへ。 「探偵さん!」 「よかった、無事だった!」 華達とバオハックモンも駆けつけて、美玖は目を見開いた。 「ハックモンさん…!?」 「美玖か、まさかここで会うとは……、っ…!」 美玖に事情を聞こうとし、バオハックモンは不快げに目を細めた。 漂ってくる腐臭。 「うえっ…なんだこの臭い」 「生ゴミの臭いをキツくしたみたい」 臭いの出処は目の前の長屋だ。 謙也が開けたのか、引き戸が少し開いている。 「………」 嫌な予感を覚えながら、美玖は長屋の前に立った。 「気ヲツケロ」 グルルモンの言葉を背に受けながら、懐中電灯を手に引き戸へ近寄る。 臭いは近づくとより強烈になり、ハエがぶんぶんと目の前で飛び交うのを手で払う。 そうして長屋の中を懐中電灯で照らすと。 「………うっ」 懐中電灯で照らされた、ひと部屋いっぱいにあるそれはーーー 死体 死体 死体 もはや原型さえ留めてないものも多く、闇の中で蛆が不気味にうごめきながら腐肉を啜るのが見えた。 腐敗しきっていないものの中に見える、あれは警察の制服か。 背後から近寄ってくる気配。 華のものだ。 「探偵さん?」 「…来てはダメ!!」 バンっ!! 口元を手で押さえながら、美玖は引き戸を閉めた。 「探偵さん…?」 「美玖、何が見えた?」 尋ねる面々を振り返った。 「ダメ……!中は死体だらけよ!警察の制服も見えた」 「警察の!?それって、まさか……」 ある事実に思い至って、血の気を失っていく。 ……十年前から起き続けていた、行方不明事件。 捜索中の警察官すら消えた不祥事。 山中に発生したデジタルポイント。 「まさか、行方不明者を、ここで集めて……」 「その通り!魂を集める為にな」 新たな声と共に、一体のデジモンが姿を現した。 黒ずくめの、骸骨のような外見。 しかし、その背には大きな悪魔の翼を生やし、何よりも目立つは肋骨の奥に守られた黒い球。 おそらく、電脳核(デジコア)。 「ようこそ、フェレスモン様の魂の蒐集所へ」 「…スカルサタモン!!」 …………… 「はあっ、はっ、はっ、はあっ…も、もう、ダメぇ…!!」 走るたび肺から逃げていく空気。 これ以上に走ったなんて記憶は多分今しかない。 ソウルモン達に追われながら、理枝は疲労から徐々に走る速度を落としていた。 それを、見下ろす視線がある。 腰に提げた矢筒から一本、矢を取り出す。 黒いクロスボウの弓床に添わせるように、装填。 それを、理枝が向かう先、堆肥袋が山のように積まれた所。 理枝がその下を通り過ぎたところで、クロスボウから矢が放たれた。 ぼすっ 一番下に積まれた一袋に穴が空き、中身が少し漏れる。 バスバスっ ぼすっ 中身の溢れ出す量が増えて、袋の山がぐらりと傾いだ。 中身を失ったことで形を変える堆肥袋。 その支えを失った中段から上の堆肥袋が崩れ落ちていった。 ソウルモン達の何体かがその下敷きになり、理枝を追うための道が塞がれることになる。 「な、何!?」 驚いた理枝が後ろで倒壊した堆肥袋の山を振り返っていると、金色の鳥が彼女の視界をよぎった。 ピイッ 「え、なに、この鳥…」 陰鬱な場所にあまりにも不釣り合いな金色の鳥は、理枝の頭上を大きく旋回。 まるで道案内をするように、理枝を導くように飛んでいく。 「…ついてけばいいのかな!?」 金色の鳥の後をついていくこと数分。 そこで、別の足音とぶつかった。 「…理枝先輩!」 ばったりと鉢合わせたのはチャンと麻里奈。 二人は周囲の敵が増えてきたことをスピリットボックスからの連絡で知り、金色の鳥に誘導された場所で隠れていたのだ。 「華先輩達はどこかわかる!?」 「さっき、連絡、あった。今、探偵さん、と、合流して、かなり奥にいる!」 「連絡?…あ、謙也が!」 先程理枝が組んだ相手が、スピリットボックスを預かっていた謙也だったがソウルモンやバケモンの襲撃の際はぐれてしまったのだ。 「ねえ、チャン!そのスピリットボックスてさ、使えるの?」 「使える!」 「じゃあさ、ちょっと貸して」 理枝はチャンからスピリットボックスを受け取ると話しかけた。 「ええと、デジモンさん?返事できますかー!デジモンさん!」 チャン達が周りを見渡すなかで声をかけ続ける理枝。 そこで、やっと返事がきた。 ーーーすまないね、少しばかり他への対処に手間取っていたところだよ。 「良かった、聞こえた!ねえ、私達はどこへ行けばいいの!?」 ーーーそこから君達が村に入った近くの家まで戻れるかい?今、奥へと敵が集中して手薄になっているだろう。 「奥!?」 ーーーその家に隠れて待機するといい。危険があった時のために、その報せとしてフレイアが君達のそばにつくはずだ。 「フレイアって……」 ピィーッ ばさり、と金色の鳥が来る。 「あっ、さっきの鳥!?」 ーーー私は今のうちに待機状態を維持する。すでに監督者が動き出した。まもなく、君達の友達や頼りにしている探偵達がこちらに来るはずだ。その時になったら、フレイアを通じて君達に教えよう。 通信は、そこで終わった。 ーーーー 「おのれ、待てい!!」 離れた所にいるスカルサタモンの叫びを背後に、美玖達は村の入り口を目指して走っていた。 麻痺光線銃を受けて今のスカルサタモンは動くのに難儀している。 その間に。 グルルモンの背には美玖だけでなく、未だ茫然自失とした謙也や華達全員が乗っている。 「走リニクイ…!」 まともに戦闘を行える状態ではないグルルモンの代わりに殿を引き受けるのは、バオハックモンから進化したセイバーハックモンだ。 「『トライデントセイバー』!」 縦横無尽に駆け巡りながら、後方だけならず前方を塞ぐ敵にも反応し切り裂く。 だが、ソウルモンやバケモンは次から次へと現れる。 「一体どこからこれだけの数を…!」 「以前、エジプトの時はフェレスモンが呼び出していた、と思うのですが」 学生達は必死にしがみついているため、掛け合いも満足にできる状態ではない。 だが、村の入り口付近まで戻ってきたところで、手を振る三人分の人影が見えてきた。 「チャン達だ!」 グルルモンがそこで足を止めると、降りた華達が彼らに合流した。 「謙也いたんだ!…て、どうしたの!?」 「うう…う…」 「後で話す!その頃には謙也も落ち着くだろうし…早く車へ!!」 ピィーッ フレイアが先導するように飛んでいった。 「あの鳥は!?」 「待て!それ以上先へは逃すな!!」 スカルサタモンの声に一行は顔を見合わせた。 ここで話し合っている猶予はない。 鳥居を目指し、その先を抜けて停めていたワゴンに乗り込んだ。 「俺達が足止めをするから、早く!」 セイバーハックモンとグルルモンが入り口に止まってくれる。 運転席に乗った道也が車のキーを差し込んだ。 「『メテオフレイム』!」 「『カオスファイアー』!」 背後ではすでにセイバーハックモン達が戦闘を始めていた。 相手側の中には、スタンから立ち直ったスカルサタモンも混じっている。 ………だが。 何分経とうが、エンジンのかかる気配がない。 「ね、ねえ、道也!早く車出して!」 「先輩!」 「わかってるけどよ!」 振り返る道也の顔は青ざめ、脂汗がしたたっていた。 「車が…車が動かないんだ!!」 「ど、どういうこと!?」 バンっ!! 突如窓を強く叩くような衝撃。 窓へ目を向けた麻里奈と理枝が悲鳴をあげた。 「きゃあああああああ!!!」 数体ものバケモンがワゴンを取り囲んでいる。 彼らは身体を覆う白い布の下から伸ばした『ヘルズハンド』を窓に打ち付けていた。 「グオオッ!」 グルルモンの声と脇へ吹き飛ばされる姿が見えた。 助けに向かおうとしてスカルサタモンに妨害されたのだ。 「か、囲まれた…どうしよう!」 スカルサタモンの哄笑が響く。 「逃げても無駄だ!貴様らはここで○○○○モン様の糧となれい!」 「……!」 弓を手に、美玖は脇のドアに手をかけた。 「探偵さんダメ!!今、出たら囲まれちゃうよ!」 麻里奈が気づいて強く引き留める。 その時、スピリットボックスから声が聞こえ、美玖の胸元に再び熱いものが灯った。 ーーーやあ、待たせたな。ではそろそろ、私も動くとしよう。君を危険に晒すわけにもいかないからね、美玖。人間の言葉でこう言うんだろう?…「ヒーローは遅れてやって来る」とね。 ザワッ …ばんっ! バケモン達が何かの気配にザワつき、動きを止めた。 ワゴンのルーフ上に何者かが降り立っている。 スカルサタモンがそれに気づいた。 「新手だと…?貴様、何奴!!」 「あのデジモンは……」 グルルモン、セイバーハックモンもその白く眩い姿を見た。 次の瞬間。 その白い姿がかき消えたかと思うと、ワゴンに張りついていたバケモン達が次々に切り裂かれ四散した。 「なっ…!」 「ハ、速イ!?」 セイバーハックモンとグルルモンは、一瞬にして葬り去られたバケモンを見て背筋にぞわりとしたものを受けた。 白いデジモン、ヴァルキリモンはソウルモンやバケモンを斬り伏せながらスカルサタモンへと向かう。 ガキィン!! 「ぐ……こや、つ…ぬおおおっ!!」 一騎討ちでヴァルキリモンと組み合うスカルサタモンだが、あっという間に押される。 スカルサタモンは知るまでもなかったが、相手があまりにも悪すぎた。 ーーー君達スカルサタモンとはダークエリアで幾度もやり合ったからね。だが。 これで終わりだよ。 そう聞いた時すでにスカルサタモンの電脳核(ダークコア)はヴァルキリモンの剣に貫かれていた。 断末魔すらなくスカルサタモンの身体がデータの残滓となり四散するのを、セイバーハックモンは見ながら冷や汗を流す。 (闇の完全体デジモンの中でも強力な部類であるスカルサタモンをこうも容易く…このデジモンは、一体) ーーーさて、……デジタルポイントの発生源は、あれだな。 鳥居の下にあるドクロの岩へ目を止めると。 ヴァルキリモンの持つ剣に強烈な冷気が纏わりつきだす。 ーーー『フェンリルソード』! ドクロの岩がその一撃で砕かれた瞬間。 0と1の歪んだ緑の数字と空間の歪みが生じ。 気づけば、辺りは静寂に包まれていた。 見回せば、ドクロの岩だけでなく鳥居や看板は影も形もない。 ツールのモーショントラッカーが停止し、通常のモードに切り替わるのを美玖は見る。 それが意味することはひとつ。 「デジタルポイントが、消失した……」 そこへ、やかましく響いたエンジン音。 道也が安堵の混じった声をあげた。 「やっと車が動いた!何がなんだかわからないけど、ようやく逃げられる!」 「じゃあすぐに出よう!!」 「…待って、その前にやりたいことがあります」 美玖は言うなりワゴンを出た。 「グルルモン!」 「応」 美玖が開いた携帯電話。 その中へ、グルルモンの姿が吸い込まれた。 それから、指輪型デバイスを地面に向ける。 「……座標(ビーコン)デバイス、起動!」 指輪から赤色の光が地面に撃ち込まれた。 ワゴンへ戻った美玖が、道也に声をかける。 「……青森県警へ行きます」 「え?」 麻里奈と理枝が目を瞬かせる。 「今から青森県警へ向かいます。そこで、私を降ろしてくだされば。それで、謙也さんの事も考えて、今夜は調査を中断して、ケンさんの家で待機を」 「わかった」 「ま、待って!どういうこと!?」 「……死体があったらしいんだ。俺達は見てないけど、謙也と探偵さんが」 道也がそう答えたのに、麻里奈と理枝、チャンは謙也を見た。 謙也は未だボソボソと何かを呟きながら、うずくまっている。 セイバーハックモンがワゴンへ近寄り、声をかけた。 「なら俺はここで失礼する。一旦、仲間の元へ戻って確認しなくてはならない事ができたのでな」 「ハックモンさん、お疲れ様です」 「ああ…お疲れ様」 すでにヴァルキリモンの姿はない。 セイバーハックモンはハックモンの姿に退化(スケールダウン)すると、その場を去った。 ワゴンは森を抜けてようやく、灯りある道へと戻ることができたのだった。 ーーーー その後。 青森県警へと向かった美玖の報告を受け、県警は出動。 座標を頼りに向かった先は…… 「……村が、ない…!?」 そこは開けた更地しか残っていなかった。 幾台もの停まった車の他は、最奥にある…… 「……っ」 軽く50人を超える死体の山だけだった。 これには、現場慣れした者達も思わず呻いた。 まだ死んだばかりの遺体の中に身元の特定が早くもされた者がいる。 …一週間前から行方知れずになっていたという、賢治の店の常連客だ。 捜索願が出されていた為に、特定はあまりにも容易だった。 後日、その妻と遺族の元へ、遺体が引き取られる事となる。 一方、大学生達は謙也がようやく落ち着いたものの、美玖からの知らせにより調査を完全中止。 杉沢村調査は、かくして終わりとなった。 ーーーー 「……と、いうことがありました」 「そうか」 一週間後に戻ってきた美玖の報告。 その報告を聞いた探偵アグモンはしかめ面で両腕を組んだ。 「魂の蒐集所か。フェレスモンは存外に広い範囲に及んで人間から魂を回収していたようだな」 「今回、デジタルポイントがあった事についてもですが、おそらく…」 美玖の言葉にシルフィーモンはうなずく。 「利用したんだろう、その杉沢村の伝説を」 美玖達が村と思っていた場所は、いわゆる見せかけ用のスキンのようなもの。 フェレスモンは興味本位で村を探した者や、夜道を急ぐ者をデジタルポイントへ引き寄せるための釣り餌や隠れ蓑に杉沢村伝説を利用したのだろう。 「でも、なぜ死体を処理しなかったのかしら…」 「利用方法などいくらでもあるからな」 「どういうこと?」 美玖の問いにシルフィーモンはこう答える。 「ゾンビの生成や引き寄せた犠牲候補の人間の平静を奪うためのトラップ…今回はただ始末を放置しただけのようだが、本来ならそれくらいの利用価値が見出されても、おかしくなかったってことだ」 「……そうなの」 「それに…一部の新鮮な人間の内臓は、売れれば金になるらしいからな。人間世界での資金源にも出来ただろうが」 「……!」 美玖の青ざめた顔に、可能性の話だ、とシルフィーモンは言う。 「ともあれ、彼らが調査を思いとどまってくれた事には安心するわい。その、死体を見たという学生は?」 「帰宅後、二日の間自宅で療養してから復帰したそうです」 ただ、サークルそのものを退部してもいると華は言っていたが。 「ところで、君が彼らと行っている間に、その杉沢村とやらについて調べていたんだが」 シルフィーモンが言う。 「時空の歪みの中に存在し、現われたり消えたりする村、か」 「えっ?」 「依頼人が言っていた、数年前のテレビでやっていたという特集のことだ。アーカイブをようやく見つけて閲覧したんだが、最後にそう結論づけていた。…そういう村だとしたなら、デジタルワールドとも縁のありそうなものだなと」 デジタルワールドも幾度か現実世界と接点を持ってきた。 偶然から歪みが開き、デジモンが訪れた。 そのたびに接触した人間達は、時に感動を、時に未知なるものへの恐怖を感じてきていたはずだ。 「なぜ男が村人全員を殺害し、自死したのか。おそらくその話自体はおまけ程度のものでしかなく、村そのものの特異の設定づけだったのかもな」 むろん、未だに杉沢村には謎が多い。 創作だという者。 実在すると主張する者。 その決着がつくことは、今後もないだろう。 だが。 「多分、それで良い」 デジタルワールドも、デジモンも、始めは存在を疑われていたのだ。 それが現実のものになったというだけの話だ。 杉沢村のような幻となる事はもうない。 そう言うシルフィーモンの言葉に、美玖と探偵アグモンは顔を見合わせた。 ーーー 「ジエスモン、只今調査から一時帰還しました」 「おお、ご苦労じゃった。どうだ、調査の方は」 出迎えたのはガンクゥモン。 ジエスモンと同じロイヤルナイツにして、ジエスモンの師でもある。 「どうにも順調とはいかず…もう少し、手がかりがあれば良いのですが」 「なぁに、焦るな。奴らが簡単に尻尾を出すとは思っておらぬよ」 「そう、ですね」 言い淀む弟子に、ガンクゥモンは尋ねる。 「どうした?」 「その…五十嵐探偵所の所長と、会う機会があったのですが」 「ふむ」 「その時、彼らに知らぬデジモンの存在が関与していたのです」 「どういうことじゃ?」 ジエスモンは村での一件を話す。 ガンクゥモンはそれを聞き再度尋ね返す。 「……剣を操る、白いデジモンじゃと?」 「はい。あの俊速、『アウスジェネリクス』を使わなければ対処の難しい手合いと実感しました。ダークエリアの完全体デジモンの中でも有数の実力者であるスカルサタモンを、いとも簡単に返り討ちにしただけでなくデジタルポイントも解除した…」 「…ふうむ」 ガンクゥモンはしばし物思いに耽る。 そして、つぶやいた。 「……もしや、あ奴が、帰ってきおったのか。だがどうやって」 「師匠?」 「心配いらん。其奴に関しては幾らか心当たりがある。我らロイヤルナイツと敵対する事は、よほどの限りないじゃろう。今は調査を続けるようにするんじゃぞ」 「はい。……ところで、シスタモン達は、大丈夫でしょうか?」 ふと思い立ち、ジエスモンは尋ねる。 同じガンクゥモンを仰ぐ存在であり、自身にとってはハックモンたる修行時代の頃から世話になってきた彼女達。 今だ彼女達はデジタルポイントを閉じる作業を続行し続けている。 「あれらは心配いらん。ベルスターモンは癖こそあれど実力はあるからのう」 「そうですね…」 仮眠休憩のためその場を去るジエスモン。 その後ろ姿を見ながら、ガンクゥモンはネットの上の空を見上げる。 「ヴァルキリモン…あ奴、そうか、戻ってきおったのか。もはや、あ奴を覚えておるデジモンは少なくなってしまったが…事によっては、忙しくなりそうじゃの」 物思いにまた耽り、ガンクゥモンはその場を歩き出した。 オメガモンの耳へこの事を入れるために。
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みなみ
2022年11月10日
In デジモン創作サロン
雪の深々と降る、肌も凍る夜。 砕け散ったデータの残滓がはらはらと風に舞い散る。 ゴブリモンに似ながらそれ以上に貧相かつ粗悪な印象と凶暴さを持った未知の敵達は、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。 「……ふ」 弱敵だ。 倒すのは苦でもない。 だが。 「……この世界も、俺を受け入れないか」 そうぼやき、足を進めた。 暗黒の力の落とし子、未来の迷い子。 忌まわしき力を持って生まれた黒い竜戦士は白い息を吐き、どこへ行くとも決まらぬまま足を動かす。 元より、自分という存在を受け入れてくれる、そんな可能性のある世界なら何処へでも良かった。 ……もっとも。 (今のところ、何処にもない) 自分はデジモンであってデジモンではない。 心を持たぬ者であるはずなのに、心を持って生まれた。 生まれてこなければ良い、そんな生命などないと諭されて出てきたはいいがどうすれば良い? そんな事を考えながら歩んでいた時。 ちりん 鈴の音がした。 「…あら?見慣れない人ね、こんばんは」 前方を見やると、一人の人間の女がいた。 長い毛に覆われたヤクに似た大型の草食獣の背にまたがりながら、女は黒い竜戦士を見て柔らかな微笑みで挨拶をする。 この世界に来てから初めて会話が成り立ちそうな相手だ。 美しくもあどけなさのある女だった。 フードから幾許か長い黒髪がはみ出し、その肌はきめ細かな雪花石膏だ。 その腰には竜を模った柄の剣がちらりと見える。 銀色の瞳が竜戦士の金色の瞳と交わった。 「……」 「よその方かしら?私は、怪しいものではないわ。この辺りは確かに魔物が多いけど…」 「誰もそんな事は言っていない。だが、お前は誰だ?」 「失礼。…家なく流離う渡り鳥です。短きすれ違いですが、お見知り置きを。………あなたは?」 ちりん 再び鈴の音が鳴る。 よく見れば、女のまたがる鞍に鈴が付けられていた。 「俺は、俺を価値あるものと認めてくれる場所を探している」 白い息を吐きながら、目の前の巨体に乗る女へそう答えた。 「だが、この世界にもありそうにない。どういきれば良いか諭されたはいい。それでもなお、どこにも見つからない」 「あら、深くは追求しないけれど、訳ありのようね…ふむ」 女は竜戦士の答えにさほど驚きを示してない。 考えるようなそぶりをしながら、女は尋ねた。 「あなたはどれだけの時間を、幾つもの場所を巡ってきたのかしら?」 「知るか。数えるのもとうに忘れた」 「そう、それだけ長い時間をかけて、か」 …なら。 女は呟く。 「青い鳥をご存知かしら?」 「なんだと」 「ここは一つ、あなたの最初の出発点に立ち直ってはいかがかしら?数えるのもやめてしまったくらいに巡ってきたのならばきっとね。……あくまで、ただの経験則だけども」 出発点。 黒い竜戦士にとっての、出発点。 それはつまり。 「…俺に元来た世界へ戻れというのか」 「そうするかどうかはあなた次第。戻り方を覚えていることが前提だけれど…答えを探して探して、もう詰みだと思うのなら」 なるほど、それはそうだった。 俺は弱い者の言うことには従わない。 だが。 柔らかに諭された通り、詰みであるのは事実だ。 「…なら、そうさせてもらおう」 「そう。……お気をつけて」 言いながら、踵を返す。 後ろ姿を見送りながら、女はふう、と息を吐いた。 「……行っちゃった。私の他に世界から世界へまたいでる者に会うのはちょっと驚きね」 フードが跳ね上がる。 尖った耳が飛び出した。 「同じ異邦者同士、どうかあなたの旅の終わりが良きものでありますように」 非常に強大な戦士にして魔導士でもある竜の化身。 己の居場所なく数百年近くも数多の世界を彷徨い続けている女は、たった今立ち去った竜戦士の行方を思い、目を閉じた。 ーー 「ブラックウォーグレイモン!」 引き止めるその言葉を振り切り、俺は飛ぶ。 貫かれた腹から生命が出ていくのを感じる。 幾許の猶予もない。 その前に俺がするべきは、光ヶ丘にあるデジタルゲートの封印だ。 …俺の存在意義は、俺の価値は、わからずじまいだった。 だが。 立ち戻って良かったと思う答えは見つかった。 (俺は、あいつらのようなブザマな生き方ができただろうか?) 最後に彼らと交わし合った言葉を思い出し、安らかに息を吐いた直後。 その身体は霧散し、砕け散った。 その直前。 いつぞやの女の声が聞こえた気がした。 ーー変わらない思いがあるのならば、いつか桜の下で。 漆黒の竜戦士ブラックウォーグレイモン。 デジタルワールドに混沌と破壊をばら撒いた災厄の落とし子は、そうして短き生涯を閉じた。 だがその生に意味があると教えてくれた者がいた事は、彼にとって数少ない幸運であるに違い無い。  #1推し
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みなみ
2022年11月04日
In デジモン創作サロン
空気をつんざき、震わせる咆哮。 それが戦いの始まりだった。 咆哮をあげたものは鳥のそれに似た炎の翼を大きく広げる。 全長15m超、翼長は20mを超えようか。 大地を踏み締めるように四つ脚で立ち、全身を鎧のような真っ赤な装甲で覆われた巨竜。 長い首をもたげ金色のタテガミを振りあおぎながら、力強く咆哮するその姿は竜王と呼ぶに相応しい威風に満ちていた。 ……その名はエンシェントグレイモン。 かつて古代デジタルワールドにおいて堕天使ルーチェモンと死闘を繰り広げ、封印する最期まで戦い抜いた十闘士の生き残り二体の片割れ。 全てのグレイモン系デジモンの始祖にして竜系デジモンを後継とする者。 炎の向こう、エンシェントグレイモンが睨む相手は、禍々しさと邪悪さを兼ね備えた異形。 人型をベースに無数の触手を手足の代わりに生やした姿は邪悪と共におぞましさすらある。 …その名はアルカディモン。 七大魔王が一人、デーモンが復活に成功した超究極体。 「ウォーグレイモン!」 エンシェントグレイモンの背へ向けて、叫びがあがる。 風になぶられたブロンドを押さえながら、ホームレスの少女・フィーラは誰よりも信頼した竜戦士の名を叫んだ。 …覚悟はしていた。 父親の魂を宿したアルフォースブイドラモンから聞かされた事実。 デジタルワールドに来たフィーラと彼女の供である猫のアーグルを助けて以来、ずっとその側に居続けてくれたウォーグレイモンという戦士。 その正体が、目の前に聳える火の十闘士の魂の一部だと。 「ダメだ、兄貴は戦うつもりだ!」 一緒に行動してきていた仲間のデジモンの一体であるグレイモンが、後ろからその肩にやんわり爪を置く。 グレイモンの後ろに、猫のアーグルがしがみついている。 遠く離れているアルカディモンに並々ならぬ脅威を感じているのだろう。 首の後ろが逆立ち、何度も繰り返し威嚇していた。 「でも!」 「究極体同士の戦いになれば俺達は引くしかない。…フィーラ、君のその力があっても、君は人間だ。巻き込まれれば命はない…!」 ほんの少しの間視線を外していた間に。 二体の強大なデジモンは激突を開始していた。 アルカディモンの触手が伸び、エンシェントグレイモンの身体に絡みつく。 いかなるデジモンもこの拘束を長く許せばたちまちデータを吸収されデジコアも残らない。 むろんそれを許すわけもなく、エンシェントグレイモンの口腔内に光が満ちたと思うと炎が吐き出され触手を焼き切る。 だが、全ての触手を焼き尽くすには至らない。 グオオオオオッ……!! 触手に拘束された部分からわずかに散るデータの粒子。 苦悶の声が響いた。 「兄貴……!」 劣勢に陥りかねない状況にグレイモンが気づいた時、フィーラは走り出していた。 「フィーラ!」 「にゃん!」 フィーラの全身から金色に輝く粒子が溢れ出す。 腕に光るブレスレットによって、人間(ヒト)のデータから聖なるデジモンのものへと置き換わる。 人間の腕から鳥の翼へと変化したそれを羽ばたかせ、黄金のデジモンが飛翔した。 「フィーラ!だめだ!」 黄金の聖鳥ホウオウモンの背に向けてグレイモンは引き止めようと叫ぶ。 エンシェントグレイモンを拘束する触手を増やす傍らで、アルカディモンは闖入者を視界の隅に捉えた。 「クリムゾンフレア!」 エンシェントグレイモンのそれとは異なる炎が翼から迸る。 炎はエンシェントグレイモンを拘束する残りの触手を焼き払い、自由にさせることに成功した。 「ウォーグレイモン!大丈夫?」 傍らまで飛んできたホウオウモン…フィーラが声をかける。 だが。 エンシェントグレイモンはそれを一瞥で返すだけですぐ前方のアルカディモンへ視線を戻す。 「ウォーグレイモン…」 その反応にフィーラは浅くもショックを受けていた。 操られていた時とはまた別に、そこにウォーグレイモンとしての意志も人格も見受けられない。 そこへ、アルカディモンの触手が伸びた。 「っ!クリムゾンフレア!」 応戦するも判断が遅い。 そもフィーラはデジモンと化すことができても、デジモンとの実戦経験がない。 このような戦いにおいて判断ミスは死に直結するという事実を、自らの身で味わうことになるとは。 「あああああああーっ!!」 触手が金色の羽毛に絡みつき、縛り上げた。 振り解こうにも力が足りず、たちまちデータの搾取が始まる。 エンシェントグレイモンはこれに一切の反応を示さない。 炎の翼を広げるとアルカディモンへと肉薄していった。 「ぁ…ぐ、ウォー…グ……」 呼ぼうにも触手がデータを、体力を搾り取っていく。 そこへ、緋いエネルギー球が飛んできた。 触手を吹き飛ばしたそれは、事態を察知して戦場を横切ってきたブラックウォーグレイモンのものだった。 「くそ…!あいつ、十闘士に戻った影響で戦いの事以外なんも見てねえ!フィーラ!!」 傷だらけの体が真っ逆さまに落ちていく。 地上から、アーグルの鳴く声が聞こえた。 ーーーー 0101011100111001011001100110011110000……… 落ちていくなか。 頭の中で電子音が聞こえる。 かちゃり、と小さな錠が開けられたような音も。 脳裏に、ある光景が広がった。 大量の記憶の破片 白亜の空間 その中からある記憶がピックアップされて、音声データとして流れ込む。 それは、覗き込む両親の温かな笑顔であったり。 それは、まだ生きていた頃の祖母が出してくれたスイートポテトパイだったり。 それは、ハロウィンの夜に友達と出かけてお菓子を貰って見せ合った様子だったり。 やがて。 その中から、父親の声が聞こえた。 フィーラの中にあった、「アカシックレコード」によるカーネルへの接続によって引き出された、父親の記憶。 ーーフィーラ。 ーー『月の子(モンデンキント)』。 ーー私達の可愛い『月の子』。 ドイツ系の血を引く母親が名付けてくれたミドルネームを呼ぶ父の声。 ーー私の可愛いフィーラ。 身体中が熱くなる。 毛先の根っこ一つ一つが熱くなる。 ーーパパ! 涙が溢れた時、フィーラの身体に更なる変化が生じた。 「なっ!?」 落下中のところを受け止めようとしていたブラックウォーグレイモンが最初にその異変に気づいた。 黄金の羽根がはらはらと舞い落ちていく。 根本から抜け落ち、羽毛の下から新たに羽毛が生え替わっていく。 黄金から、白へ。 「フィーラ…これは一体!?」 「にゃん?」 グオオオーッ!! そこへエンシェントグレイモンが吹き飛ばされてきた。 アルカディモンが驚くほどの俊敏さで接近し、闇色の矢を連射する。 「ぐうっ…!」 矢が脇腹をかすってブラックウォーグレイモンの身体が傾ぐ。 …その間にも。 フィーラの身体は純白の羽毛に覆われ両脇から新たに一対の翼を生やして、サイズはより巨大なものに。 その姿は、ホウオウモンよりもシンプルながら神秘的なものへと変わっていった。 「あの姿は……!!」 その姿は他の戦場で戦っていたデジモン達にもよく見えた。 「パージシャイン!」 巨大な純白の翼から放たれた輝きが、アルカディモンの放つ闇の矢をことごとく撃ち落とした。 そこでアルカディモンも、そしてエンシェントグレイモンも、初めて反応を示す。 輝く純白の巨鳥。 それを見たエンシェントグレイモンの脳裏に、一つの記憶が光のように差した。 光の十闘士と共に戦った記憶に、一人の少女の姿が上塗りになる。 そして、エンシェントグレイモンの記憶は、その鳥の姿の少女の記憶を引き出した。 「……フィーラ!?」 ばさり、と白い巨鳥が舞い降り、エンシェントグレイモンの脇に並んだ。 「……ウォーグレイモン」 「フィーラ、私は、お前を…」 そこへ伸びる触手。 それに今度はフィーラも即座に反応した。 「ガイアバースト!」 「パージシャイン!」 「ガイアフォース!」 三体の究極体クラスの攻撃が無数の触手を相殺した。 「ヒヤヒヤしたぞ、俺に世話をかかせんじゃない!」 「何を言っているんだ。しかし、フィーラ、その姿は……」 「なぜかわからないんだけど、パパの記憶が頭の中に響いて…」 そうか、アカシックレコード。 フィーラの中に接続できるプログラムが眠っていたことを思い出す。 だからこそ、なのだろうか。 フィーラが化した姿も、アカシックレコードを経由して為された姿なのだとしたら。 「気を抜くんじゃねえぞフィーラ!カリスモン達に救援に来るよう頼んだがそれまでは俺達だけで耐える羽目になるんだからな!」 ブラックウォーグレイモンが言い、構えた。 アルカディモンが初めて敵意と呼ぶべきものを見せ、天を仰ぎ咆哮する。 ーー最終決戦は、火蓋を切って落とされた。
【単発作品企画】最後の聖戦〜from デジタルワールドの彼方へ【ハロウィン】 content media
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みなみ
2022年10月24日
In デジモン創作サロン
目次 その怪しげな出店を見つけたのは、辺りも薄暗い夕方時のことだった。 「そこのお姉さん、不思議な飴玉はどうだい?」 ハスキーボイスで呼びかけてそう手招きしたのは、真っ赤なローブにとんがり帽子の装いをした女性。 外国人だろうか。 金色のショートに淡いブルーの目をした女性の周りには、フラスコやアルコールランプ、様々な色の液体に満たされたビーカーが置かれ、上から何かの草を束ねたものが幾つも吊るされている。 まるで魔女の工房のようだと美玖は思った。 「飴玉、ですか?」 「そうだよ、世界のどこにもない不思議な飴玉さ。なんと、ひと口食べただけで、デジモンの姿になれてしまうんだ」 「デジモンの…?」 気づけば近づいていた。 女は美玖の興味津々な様子を見て満足げに笑う。 「すこーしの間デジモンの姿になれる不思議な飴玉さ。お姉さん、興味がお有りのようだね?この店は気まぐれだから今日を逃せば次にどこで出るかわからない。買うなら今だよ?」 確かに、今まで見たことのない出店ではあった。 飴玉を見れば、ひと粒ひと粒と大きめのそれが、宝石のようにきらきらしている。 デジモンになれる、という効果の真偽はともかく、こんな飴玉を見て素通りできる人間はおるまい。 「……一つ、ください」 「あいよ、一つ五百円。毎度あり。……ああ、そうそう。ひとつだけ言っておこう。デジモンになれると言っても、好きなデジモンの姿になれるわけじゃあない。どんなデジモンになってしまうかはお楽しみだよ……はい」 ーーーー 「ただいま」 「おかえりなさい、せんせい。いま、ごはんつくってるさいちゅうだよ」 帰ってきた探偵所にはラブラモンとグルルモンがいる。 シルフィーモンは留守だ。 「せんせい、きょうはわたしがぜんぶつくるね!」 「え、いいの?」 「うん」 「わかったわ、ありがとう」 オフィスワークでもしようかと椅子について、ふと飴玉を思い出す。 受け取った小さな紙袋を開けると、照明の明かりを受けてきらきら輝くピンク色の飴玉がころりと出てきた。 「ちょっと口寂しいからひと舐めだけ…」 包装を破り、飴玉を口に入れた。 美味しい。 フルーティで優しい甘さ。 ひと舐めのはずが、気づけば舌の上でなくなるまで転がし続けている。 (これ、美味しい…もう一つくらい買っておけば良かったな) もう口の中は空になってしまい、美玖はため息をついた。 ……その時である。 (あれ、なんだか、頭が……) ぐわんぐわんと。 ズキズキと。 痛みと気持ち悪さがセットでやってきて、思わず立った。 「ちょっと、外の……空気、を…」 ふらついた足で探偵所の外に出るが、そこで膝をついた。 もう立っていられなかった。 ーーーー 「………んんっ………」 何時間気絶していたのか。 まぶたを開くが、妙に視点が低い。 (あ、れ……私、どのくらいの時間まで…) 「プギィアー…」 口から妙な声が出て、思わず口を閉じた。 そういえば、両腕の感覚が全くない。 それを不思議に思ったその時である。 「……オマエ……」 振り向けばグルルモンがガレージから出てきていた。 しきりに鼻をうごめかし、口からヨダレが垂れている。 (グルルモン、怖い顔してるけどどうしたの?) 「ぷぎぃ、ぷぎゃっ、プギィー!」 (だめだ、また変な声が…!) 「オマエ、美味ソウナ匂イダナ!」 そう言ったグルルモンが口を開け、食らいつこうと飛びついた。 (グルルモン!?) 「ぷぎ!?」 慌てて脚を動かせば、思った以上に速く動ける。 グルルモンのあごがさっきまで美玖がいた場所をガチリッと噛んだ。 (グルルモン、一体どうしたの!?) 「ぷきゃ、ぷき、ぷぎ!?) 明らかに飢えた獣といった様子でグルルモンが美玖を見下ろす。 デバイスを使おうにも、腕の感覚がないため止める手段もない。 (に、逃げなきゃ…!!) そう思った瞬間、その場から脱兎の如く走り出した。 「せんせい?あれ……せんせい?ぐるるもんもどこ?!」 夕食ができたのに近くに美玖がいないことを心配し、玄関へ出たラブラモンが見たものは。 先程まで美玖が着ていたはずの衣服に、デバイスとツールだった。 ーーー (はぁ、はあ、はぁっ…) 「ぷぎ、ぷ、ぷきゅ…」 ようやく追跡を振り切った美玖が逃げ込んだ先は公園の女子トイレ。 ここに逃げ込めばさすがのグルルモンも嗅覚を頼りに追っては来れない。 (でも、なんでこんなに足が……待って、じゃあ私、本当にデジモンになれたんだ…) でなければ、人間の足でグルルモンの足に勝てるはずもない。 問題は、どんなデジモンに変身したかだ。 あの、出店の女性の言葉を思い出す。 (確か、何のデジモンになれるかは食べるまでわからないって……) 幸いにもここはトイレだ。 鏡がある。 「ぷ、ぷ、ぷ」 身体こそかなり小さいが、程度こそ弱くも飛ぶことができるのに加えて脚が強いのか、苦もなく鏡のある位置まで登っていく。 そこで、鏡に映る自分を見た。 (この、姿は……) 一言でいえば、ダチョウやキウイのような地面を走る鳥とドラゴンフルーツの合いの子だろうか。 全身がカラフルなピンクに近い赤と緑色で固めな表皮に覆われている。 両腕の感覚がないのも当然のこと、どこを見ても腕と呼べるものがなかったのである。 あるのは、申し訳程度に小さな羽と身体の下にある二本の鳥の脚だけだ。 鏡に顔をグッと寄せ、ぱちくりと目を瞬かせる。 (このデジモン、なんだろう?) 鳥デジモン、だとは思うが見た事がない。 シルフィーモンなら何かわかるだろうかと思うも、気になるのは先程のグルルモンの様子だ。 まるで自分を食べ物としか見ていないような口ぶりだったことに身震いする。 (もし、シルフィーモンも私を見てグルルモンみたいになったら…?) そうなったら、どうしよう。 一日、効果が持続するそうだが、それまでずっと外にいなければいけないのか。 あれこれと考えを巡らせていた時、小学生とおぼしき一人の少年の姿が鏡越しに映った。 振り向くと、少年は不思議そうに鏡の前の美玖を見つめている。 「……なにこれ」 少年は背中にリュックを背負っていた。 塾通いにしては少し膨れているのが気になる。 「ぷき、ぷぎぎ、ぷきゅ?(きみ、どこの子?)」 「うわ、こいつおもちゃじゃないのか!…もしかして……デジモン?」 少年は周りを見回した後、美玖の目前までやってきてその身体を抱え上げた。 「ぶきゅっ?」 「一人だとさみしいんだ。おまえ、ヘンチクリンな奴だけど、ちょっとだけで良いから一緒にいてよ」 ーーー 少年は名前を昇(のぼる)といった。 今年で小学四年生。 昇がもう20時を過ぎた時刻というのに外にいるのには理由があり。 「俺、母さんに会いに来たんだ。もうあいつと一緒に暮らすのはいやだ」 聞けば、両親は離婚して別離。 父親に引き取られたもののアルコール中毒の父親から度々暴力を受けていた。 耐えられたのも引き取られて始めのうちだけ。 暴力は次第にエスカレートし、耐えかねた昇は母親の住む家を訪ねるため一人抜け出してきたのだ。 見れば確かに、昇の身体にはアザが幾つも残っている。 「母さん、この辺りに住んでるから後少しなんだけど…暗くなっちゃったよなあ」 「ぷきゅ、ぷき、ぷきゅ…(お母さん、見つかるといいわね)」 心配げに話しかける声も、ヒトの言葉のそれではない。 それでも昇にはちゃんと意図は届いているようで、力強く美玖の頭の部分を撫でた。  「なんか、心配されてるみたいだな。見た目ヘンチクリンだけどおまえのこと気に入った!」 うちにデジモンいたらなー、と独りごちる昇。 デジモンはペットじゃないからうちで飼うとかできないんだよなあ、と。 バスケットボールほどの大きさになっている美玖は、昇からすれば抱えるのにちょうど良いらしく。 リュックから出した毛布にくるまるように、その一晩は公園のベンチで昇に抱かれながら眠った。 ……… 「美玖!美玖!!」 「せんせーい!」 探偵所近辺をシルフィーモンとラブラモンは走り回った。 グルルモンが戻ってきたところを問いただしても、美味しそうな果実の匂いに惹かれて気づけばかなりの距離を走ってしまったと言う。 美玖の姿を見た人間もいないため、ラブラモンは泣きそうになった。 「せんせい、どこいったの…?」 玄関前に落ちていた服とツール、デバイス。 美玖が露出狂だとしても、服を脱いで走り回ったのなら目撃者はいたはずだ。 もっともそんな事、十中八九有りもしない。 「美玖を見たものがないとなると…可能性としては…」 何かデジモンに襲われて姿を変えられ連れ去られたか。 だがガレージから出る前までの記憶を覚えていたグルルモンからの証言では、周囲にデジモンの気配や匂いは全くなかったという。 ただ。 「美玖ノ声ガスグソバデ聞コエテ、倒レタ音ガシタノハ確カダ」 「で、出てきたところで理性を忘れるくらい美味しそうな匂いがしたと?」 「…………アア」 そうして探偵所前で三体が考え込んでいると、一台のパトカーがやってきた。 中から阿部警部が顔を出す。 「お、いたいた。ここに戻ってきてたか」 「阿部警部?」 「よう、ちょっと、グルルモンに用があってな」 「俺ニ?」 パトカーを降りた阿部警部は神妙な顔でグルルモンを見やった。 「お前さん、気をつけろよグルルモン。今日この辺りの住民からうちに電話があってな。『大きな獣型デジモンが小さいデジモンを追い回して走っていた』って。どんな奴かと聞いたらお前さんのことらしくてな、通報した人はたいそう怖がってたぞ」 「……スマナイ」 「小さなデジモン?」 シルフィーモンとラブラモンは顔を見合わす。 「阿部警部、その小さなデジモンというのは?」 「ん?聞いた限りだが、ドラゴンフルーツって果物は知ってるか?」 「いや、聞いたことないな」 「ちょっと待て……こんなやつだ」 言いながら阿部警部は検索した画像をシルフィーモンに見せる。 「こいつに足が生えたような奴を追っかけ回してたそうなんだ。それもヨダレ垂らして凄い勢いと足の速さでな」 「……小さなデジモン……これは…」 ドラゴンフルーツの画像を見たシルフィーモンの頭の中で、何かが一致する。 「もしや…グルルモンが追い回していたのはポームモンか」 「ポームモン?」 「成長期の植物型デジモンだ。鳥とこの果実を合わせたような見た目をしている。体内に濃い甘い汁を蓄えているんだ。あれはジュースのように美味いぞ」 「美味い?」 阿部警部の言葉にシルフィーモンは一度目をそらして咳払いした。 「…ともかく、その甘くて美味い汁目当ての鳥デジモンや虫デジモンなど天敵が多くて、ポームモンはそいつらから逃げ回るだけの足の速さを持ってるんだ。…うん、確かによく似ている。……てことは、だ」 シルフィーモンは阿部警部に向き直った。 「阿部警部、このポームモンを探すのを手伝ってくれ!」 「お、おう、急にどうした?」 「グルルモンが追い回していたのは、本来のデジモンとしてのポームモンじゃない!美玖だ!」 「は!?」 「なぜか私もわからないが、今、美玖はポームモンの姿に変えられて彷徨っている」 「五十嵐が!?どういうことか説明してくれ!」 ………… 夜が明け、目を覚ませば朝の6時半。 「…これ、食べられる?」 そう言われ、差し出されたのは学校給食の残りだったろうコッペパンの半分。 リュックに無理矢理突っ込まれてぺちゃんこだが、久しぶりの給食の味だ。 コッペパンを分け合った朝食を終えて昇はリュックを背負った。 「それじゃ俺行くけど…一緒についてく?」 「ぷぷっ(行くわ、心配だし…)」 まだ空気も冷たい朝、人通りのない道を並んで歩く。 昇は手に持った紙をにらみながら団地へと足を踏み入れた。 「母さんの住んでるアパートはこの辺の……」 カァー カアー カラスが数羽停まった木の下を通ると、不穏な視線に嫌な予感を美玖は覚え振り向いた。 カラスの目が全て美玖に向けられている。 (私を、狙ってる…!?) グルルモンの時を思い出して思わず足が止まった。 気づいた昇も止まった。 「ん?どうしーー」 カアッ! バサバサっと羽音激しく飛び立ち、カラス達は美玖めがけて襲いかかってきた。 「ぷぎっ(か、カラスまで…)!」 美玖を狙って舞い降りたカラス達は、クチバシや爪で美玖をつつき、ひっかいてきた。 表皮が傷つき、血の代わりに汁がにじみ出す。 クチバシに汁がついたカラスがその味に興奮して鳴きたてた。 昇が美玖を守るためリュックをカラス達に向かって振り回す。 「おい!弱いものいじめはやめろ!あっちに、いけっ!」 「ーーっ」 しかし数羽のカラスが相手は無謀だ。 せっかくの美味い獲物を横取りされてなるものかと言わんばかりに、カラス達は昇にも攻撃を仕掛けてきた。 「いてっ、くそっ、このっ!」 美玖を守りながらリュックを構わず振り回す昇は傷だらけだ。 傷が増えていく一方に、美玖は痛みに耐えながら立ち上がる。 「ぷぎいっ!!(やめて!)」 今の身体では叶わないなりに、カラスに向かっていこうと決意した時。 どこからともなく金色の影が飛翔し、カラス達へ高速で突っ込んできた。 「えっ…!?」 黒の羽根が舞い散り、昇はその中を縦横無尽に飛ぶ金色の鳥を見る。 「ぷぎ!(フレイア!)」 突然の乱入に動揺するカラス達を、一羽、また一羽と叩き落としていく。 この特攻に面食らってか、カラス達はたちどころに飛び去っていった。 「はぁ…はぁ…い、いった、のか?」 美玖も周りを見回すが、すでにフレイアの姿も見当たらない。 そこへ、女性の声がかかった。 「…昇!?」 黒い羽根が舞い散る中、一人の女性がこちらに向かって走ってくる。 昇も気づき、顔に笑顔が戻った。 「母さん!!」 「昇!」 駆けつけた女性に昇は抱きついていった。 二人の間に漂う安堵の空気に、美玖は見守ろうとして。 後ろから力強い白い腕に抱きかかえられた。 「それでね、母さん!あそこのデジモンに……… あれ?」 昇が振り返って、そこで姿がないことに気づいた。 ーーーー ーーー探したよ。紋章の力を感じないと本物のポームモンとは見分けがつかないのは困ったものだ。 美玖を抱きかかえながら、ヴァルキリモンはため息をついた。 フレイアがじっとその肩から美玖を見下ろしている。 「ぷき…(せめて、あの子を見送りたかったです)」 ーーー貴方の場所へ戻ったら、どうにか元に戻す案を考えるとしよう。何者かに捕食される前に見つかってよかった。 白鳥の外套をはためかせ、飛翔するヴァルキリモン。 探偵所へはあっという間で着いた。 ーーーいるか、アヌビモン!……無人か、仕方ない。 知己の姿を探すも見当たらない。 全員、美玖を探すために外へ出払っているのだ。 ガレージに入ると、端末が目に入る。 本来はグルルモンが探偵所内に入るためのものだ。 ヴァルキリモンはその端末に近づくと起動し、ネットワークへと入っていった。 電子の道を通り、探偵所内のパソコンを通して侵入する。 ーーーお邪魔するよ。 ソファーの上に美玖を置いてやると、短い足で立ちながら美玖はヴァルキリモンを見上げた。 「ぷきっ?(どうするんですか?)」 ーーーなぜ貴方がデジモンの姿になっているか理由を聞きたいところだが、生憎貴方の言葉が人のそれではないためどうしようもできない。ひとまず、傷の手当てはさせてもらうかな。 そう言ったヴァルキリモンの鎧が淡く美しいオーロラ光を帯びた。 本来は力尽きたデジモンのデータを再生させるために使われる力を、データの修復を行う程度に調整して使う。 ーーーちょっとだけ味見してみたかったけど、それは無理なのでやめておくかな。 「ぷ?(えっ?)」 オーロラ光が美玖の表皮の傷を修復していく。 傷口周りの痛みがすうっと引いていった。 ーーーこの力も普通に使えるが、おそらく貴方と一緒にいる時だけだな。肉体を失った痛手がここでくるか。 呟きながらゆっくりとソファーへ腰を下ろす。 初めて気づくが、ヴァルキリモンの身長は存外人型デジモンとしては大柄ではない。 シルフィーモンよりも頭一つ高い程度だ。 ーーーしかし、人間の家の中というのも悪くはないな。肉体があれば存分にくつろぐこともできただろうが…。 ピイッ フレイアが肩の上からソファーに飛びうつる。 ーーーここは貴方の家のような場所らしいが、落ち着くよ。デジタルワールドに家らしい家を持たなかったものでね…。 言いながら、膝の上に美玖を抱きあげた。 目の前の戦士に穏やかな表情を見出して美玖が話しかけようとした時。 どくん (え、あ…あ……っ?) 身体中がよじれるような、くすぐられるような感覚。 頭の中が絞り上げられるような……。 ………… 「ん?」 捜索中、シルフィーモンは端末が鳴っていることに気づいた。 「ドウシタ?」 「ガレージ内の端末から反応を受信した。誰か、デジモンが探偵所内に入ってきたようだな」 探偵所のドアには不在の張り紙がしてある。 ガレージ内の端末は、入り方さえわかればどんなデジモンでも侵入ができる。 普段はグルルモンが使うためのものであるため油断していた。 「お前は阿部警部と一緒に行動してくれ。ポームモンを前にしてまた理性を失われても困る」 「ワカッタ」 今回の件でグルルモンも申し訳なく思っているようで、いつになく大人しい。 下手をしたら取り返しのつかないことになっていたところだから。 ーーーー (…探偵所内に人間一人とデジモンの気配。属性は、フリー) 美玖のツールにあるモーショントラッカー機能で探査する。 美玖ではないが、どのみち何の目的で入ってきたか問う必要がある。 「ーー誰だ!ここは探偵所だ、不法侵入である以上、目的を聞かせてもらおうか!」 ドアを開けてすぐの広間へ入った。 そこで、シルフィーモンは硬直した。 目の前のソファーに見慣れない白い外套の人型デジモンが座っている。 それは良い。 問題は、そのデジモンの膝の上に座っている人間だ。 「…………美玖!!?」 美玖も、デジモンも戸惑った面持ちで硬直していた。 「シ、シルフィーモン!」 ーーーナイスタイミング……と、言いたいところ、だが……。 そう、ナイスタイミングだ。 美玖の変身が解けたのだから。 …それだけだったなら。 「!!?」 美玖は自分の今の姿に気づいて顔が真っ赤になった。 「…………み、見ないで!!」 パンっ!パンっっ!! ……二体分。 平手打ちの音が小気味よく探偵所に響いた。 ーーーー 「そうだったのか…無事で良かった」 「ほんとうによかったよ、せんせい!」 「迷惑かけてごめんなさいね…」 服を着た後、知らせを受けて戻ってきた面々に美玖は事情を説明。 それを聞いてほぼ全員が胸を撫で下ろした。 阿部警部が思い当たりがあるのか呟く。 「そういや…ちょっと前から小学生の間でウワサがあったとか話があったな」 「ウワサ…ですか」 「おう、デジモンになる飴玉を売ってる女のウワサだ。多分五十嵐はその女から買ったんだろ」 「確かに、出店の雰囲気は魔女とか魔法使いの工房だと思いましたが…」 まだヒリつく頬を押さえながらシルフィーモンはツールに表示された画像を見せた。 「美玖、これが君がなっていたデジモン、ポームモンだ」 美玖が覗き込むと、そこには鏡で見たあの姿があった。 それにうなずく。 「この姿よ、こうして見るとちょっと可愛いわね」 「そんなこと言ってる場合か。ポームモンは色々なデジモンから捕食されやすいんだ。下手をしたらグルルモンどころか他のデジモンに間違って捕食されていたんだぞ。今回は助けがあったから良かったが……」 なお、その助けことヴァルキリモンは美玖から平手打ちを喰らった反動でフェードアウトしている。 「早急にその出店をとっちめないことにはな。それは俺も今回の件を上に報告して対処を検討してもらうことにする」 「それが良い」 ーーー 後日。 出店の出処はすぐに割れた。 警察によってではない。 その証拠に、探偵所に一通の手紙が届いたからだ。 「差出人は……ミスティモン?」 魔法使いデジモンの出身が多い、別次元のデジタルワールド『ウィッチェルニー』。 その出身デジモンにして有力者からだ。 出店の店主である女性…否、ウィッチモンによる商売の被害者へのアフターケアと詫びを主な文面とし、美玖が見、食べたものと同じ見た目の飴玉の袋が同梱されている。 手紙には、詫びの気持ちの一部として、飴玉そのものは好評だったらしいということで、デジモンへ変化する効力のないただの飴玉として送ることが書かれていた。 「あの店主…デジモンだったのね」 それはそれとして、今度は安全にあの美味しい飴玉が食べられるのは嬉しい。 シルフィーモンは懸念したが、ラブラモンと一緒に飴玉を食べた後何も変化はないため安心した。 その頃。 昇は一人、部屋の中で手を動かしていた。 辺りには、切った布の破片と裁縫箱。 最後のひと針を縫い終え、玉止めの後に糸を切った。 「できた!」 ひと抱えできる程の大きさと、手に心地よくフィットする生地の手触り。 満足げに昇は作品を見つめる。 それは、ポームモンの姿そのままを作ったぬいぐるみだ。 家庭科を受けて気づけば手芸が趣味になっていた昇にとって、会心の出来といえるものだった。 「…今、あいつ元気にしてるかな?傷だらけだったけど…きっと元気でいるよな!」 母親が呼ぶ声が聞こえる。 夕食の時間だ。 それに元気よく応えて、リビングへ行く前に。 「…また、会いたいな」 ぬいぐるみを、昇はぎゅっと抱きしめた。 *当作品は連載シリーズ・『こちら、五十嵐電脳探偵所』からの単発となります。 最低限設定の説明がないよう払拭しておりますが、もしこのSSがきっかけでシリーズに興味をお持ちになった方はぜひともお気軽にどうぞ。
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みなみ
2022年10月19日
In デジモン創作サロン
  目次 その日は青天白日、実に晴れ晴れとした空だった。 朝の日差しに照らされ、金色の羽毛がキラキラと輝く。 誰もいない病院の屋上、そこに実体を伴う金色の鳥と共にそれは佇み己の手を見ていた。 ーーーふむ、相手も霊体ならば如何様にも戦えるが、流石に生身を持つ者が相手ならばあの人間の紋章がなければ、か。 そう独りごちるのは、白鳥の外套に軽鎧を纏い、背中にクロスボウを背負う中性的な雰囲気を漂わせた戦士であった。 かざした手の向こう側が透けて、その先の風景が見える。 斯様に、この戦士は永らく闇の世界に幽閉され、彷徨し続けた果てに肉体を失っていた。 戦士を導いたのは、一人の女の"光"である。 "光"を浴びた時、戦士は確かに受肉を体感した。 だが、女を暗黒の海から現世へと送り届けたと同時に、再び幽体へ戻ってしまったのである。 ーーーやはり、あの人間は守るに値する相手だ。あの紋章の輝きは、共に有った光の紋章とも、他の紋章とも異なる力を持つもの。…確かめねば。 その時、屋上の物干し竿に止まっていた金色の鳥が戦士の腕へ戻った。 気づき、眼下を見下ろせば。 あの女が、病院前で白い獣の元へ歩み寄り、またがるところだった。 白い獣が走り去るのを、戦士は見送りながら愛おしげな手つきで鳥を撫でる。 ーーーでは行こうか、フレイア。 こちら、五十嵐電脳探偵所 第11話 祝いの席に忍び寄る影 「美玖ー!!」 「退院おめでとう!!」 「せんせい、たいいんおめでとー!!」 探偵所へ戻った美玖をクラッカーで出迎えたのは、美玖と同年代の女友達三人とラブラモンだった。 突然のことに呆然とした美玖に、女友達の一人、宮子が屈託なく笑う。 「どうしたのよ、ボーゼンとしちゃって!」 「え……あ、う、ううん!?その、びっくりしちゃって。三人とも、今日はこっちに来たの?」 あたふたしながら問う美玖にくすりと笑ったのは、女友達の一人の朝奈。 「全くもう!美玖が退院するっていうから、こっちの可愛いワンちゃんに話して一緒に待たせてもらったの。ねー!」 「ねー!」 朝奈とラブラモンが互いに顔を見合わし、にっこりする。 最後に、女友達の一人である夏実が言う。 「その…本当でしたら、シルフィーモンさんっていう美玖の助手さんも一緒に祝う予定だったですけど……緊急招集が入ったと言って消えてしまいました」 「緊急、招集……」 先日、聞かされた近況。 美玖が入院して目が覚めなかった間に起こった、全世界に向けて発信されたイグドラシルからのメッセージ。 美玖の入院費と探偵所の維持費、両方を賄うためにシルフィーモンがとった選択。 なお、ラブラモンによる行動に関して本所警察署から届けられた報告書を読んだ瞬間、美玖は卒倒する羽目になった。 「そうだ……ラブラモン、今度からその、ね?もうちょっと気をつけましょうね?」 「えっ?」 警察としても、ラブラモンの扱いには困っている。 いかんせん、アヌビモンなる、デジタルワールドからしても重要な存在と思しきデジモンなのである。 その管理と監視を任されている自分に非があると美玖は頭を抱えた。 特に想定していなかったのは、発電機用のガソリンを使って例の中国人達が拠点としていたらしき元ソープランドの運営会社のビルを発火させたことである。 自分は火を近づけてはいけない危険な物だと、そう教えたはずだ。 (なのに、どこでそんな知識の使い方を……) その意識が、宮子の言葉に引き戻された。 「そんな辛気臭い顔しないの!シルフィーモンさんがいないのは残念だけど、私達だけでもお祝いしたいから今から一緒に海行こう!海!!」 「う、海?」 ぱちくりと瞬きする美玖に三人は一様にうんうんうなずいた。 「でも私……仕事を……」 「それはね、せんせいのししょうがやっておくって!」 だから、今日一日くらいはゆっくりこっちで骨休めをしてこい。 それが、探偵アグモンからの伝言。 「師匠……」 「美玖が一生目を覚まさなかったらどうしようって、皆、心配だったんですもの。退院も体調が悪化して遅れたって聞きました」 「あ、あれは……そう、ね」 美玖は思わず苦笑いした。 実は退院までの間にとあるトラブルが美玖の身に起こったのだ。 それが原因で、美玖は命を狙われ、あわやというところでまたあのシルフィーモンによく似た面影の謎多き人型デジモンに助けられたのである。 「ひとまず海へ出よう!ラブラモンちゃんも一緒だよ」 「うん!せんせいといっしょにそとにいけるの、うれしい!」 ーーーー 車で片道三時間。 間近で海を見たのはいつぶりだろうかと、車を出ながら目を細める。 波が砂浜や防波堤に打ち寄せ、音が絶え間なく響く。 「………で」 手に持つは、釣具セットと竿。 宮子に至ってはクーラーボックスを担いでいる。 「………釣りなんだよね」 「ごめん、でも美玖は手術あったから心配だったし、のんびり釣りしながら話したかったからさあ!」 宮子が言いながら手を合わせた。 言われてみれば、抜糸は済んだとはいえ手術痕は残っているのだ。 気にしなくて良いのに、とため息をつくも 「ダメーっ。美玖も女の子ならそういうのちょっとは気にしなきゃ!デジモンに囲まれててそういうの麻痺してるとかじゃないでしょ?」 「それは違うような…」 実のところ、美玖からすれば宮子の言葉の半分は理解できなかった。 元から、仕事柄のため傷を負うことには抵抗はない。 危険な仕事だからと覚悟していた事でもあった。 傷痕が残ろうと、なぜそれがいけないのか美玖は今ひとつ理解できていないのだ。 母親の葉子が聞いたら頭を抱えるだろう。 「泳ぐのは今度にして、いいスポットあるからそこで釣ろう、ね?」 「……わかった、行きましょう」 「ここ、さかながつれるの?」 「うん!仕事先に同じ釣りが趣味の人がいてね、その人に教わったのよ」 話しながら、防波堤へ向かう。 風は少し強めだが、だからこそ釣りに良いと宮子は笑った。 「あまり海が凪いでると釣れないのよねえ。のんびりが目的ならそれでも良いんだけど」 防波堤まで来て、釣具セットの箱を下ろす。 中には釣り糸、ルアーや練り餌といったものがある。 「きれいなさかな!」 「ルアーね、魚に見せかけるように動かすんだよ」 各々が竿をセッティングする。 そうして餌を付けた糸が一斉に投げ込まれた。 ぽちゃり、と波紋が立って静かに消えていく。 そこで、釣りをしながら話が始まった。 「うちの会社、デカいプロジェクトがあったんだけどようやくひと段落ついてホッとしてるの」 「じゃ、結構残業詰めだったんじゃない?」 先手は朝奈のOLトーク。 「それだけじゃないのよー!新人さんの世話と両立してやらなきゃいけなかったし、その新人ときたらいくら噛み砕いて説明してから、あれやってこれやってって言っても聞かないし!」 「それは……大変ね」 釣竿を垂らしながら愚痴を吐く朝奈を三人一同汗を垂らしてなだめる。 「休日出勤まで入って、気づけば七連勤!」 「そ、そんなに…」 「で、美玖が入院したって頃にやっと片付いたんだ。ホッとしたけど、もう二度とやるもんかってなったわ!」 最後は茶化すようにケラケラと笑った。 相当ストレスが溜まってたんだろうなと美玖は思いながらラブラモンの方を向く。 「ラブラモン、退屈だったら近くに浜辺あるから遊んでっていいからね」 「だいじょうぶ!」 そう尻尾を振るラブラモンの背中を宮子が優しく撫でた。 「ラブラモンちゃん良い子だなー。デジモンだから普通の動物と比べちゃいけないのわかってるけど、最近入ってきた子達の面倒が大変でさ」 ペットショップの従業員を務める宮子は、毎日動物に囲まれながら仕事をしている。 「ラブラモンちゃんは自分でおトイレもお散歩も行けるし、ケンカもあんまりしないでしょ?……ダメだ、普通の動物と比べちゃうの、ダメだよね…」 「だーめだね」 「ダメですね」 「ダメよ」 「ダメかあ…」 どんなデジモンとて一定の知能は備わっている。 普通の動物とはどうあっても比べようがない。 「あ、でもデジモンっていえばさ…」 言いながら朝奈が意味深な視線を美玖に投げかけた。 「な、なに?」 「シルフィーモンさんとかそうだけどさあ、人間の見た目したデジモンってイケメン多いよね」 「あっ、思う!」 「確かに、女性型も美人さんが多いですよね」 二人が一斉に食いついた。 「美玖が羨ましいよー。毎回あんなイケメンと一緒に住み込んでてしかも守ってもらったりしてるんでしょ」 「え…それは、その」 「しかもデジモンと結婚できないから、あんまり一緒にいたらそこらへんの男じゃ満足できなくなっちゃうじゃん。……ならない?」 「そんなの考えたことなかったなあ」 苦笑いしながら美玖は困った顔をした。 未だに結婚願望もなければ、デジモン相手に恋愛感情を抱いたことすらない。 そもそも、憧れの存在にそんな感情を抱くのはおかしいのではないかと、そう思ってすらいる。 「そういえば、病院にいた時に知らないデジモンに助けられたんでしょ?どんなデジモンだった!?」 「ええっと、ね……」 美玖が見たままの印象そのままに話すと、朝奈はさらに盛り上がった。 「それ、絶対超絶イケメンなやつじゃん!ヤバいよ美玖ー!危機的状況で助けに来てくれるイケメンとか絶対恋に落ちちゃうやつ!」 「ひとまず朝奈、落ち着こう?」 夏実も苦笑いと共に止めた。 そこで、美玖は話し始める。 「そういえば、さっき、夏実が言ってたことがあったから話そうと思うんだけど…退院が遅れたことに関わりのあること」 「おっ?」 「怖かったの、まさか、あんなことになるとは思わなくて」 ………… それは、美玖が目を覚ましてから二日ほど経った時のことだった。 「五十嵐さーん」 がらり、と病室のドアが空いて女性の看護師が顔を出す。 この時美玖はシルフィーモンが持ってきた報告書に目を通している最中だった。 「五十嵐さん、今日新しい患者さんが入ってくる関係で病室を変えてほしいのですが構いませんか?」 「あ、はい」 急な病室移動である。 美玖も今いる病室に固執する理由もないので、荷物を手に看護師と移動した。 移動先の病室も個室だったが、先程までいた病室と比べてあまりにも異様な空気だった。 壁はじっとりとして、カビ臭さが漂う。 あまりにも清潔感とはかけ離れた病室である。 看護師も申し訳なさげに小声で言った。 「ごめんなさいね、五十嵐さん。私達も担当医と何度も相談はしているのだけど、空いた病室がここくらいしかなくて…もし何かあればすぐにナースコールで連絡をお願いします」 「それは、どういうこと…」 何度も頭を下げながら看護師が退室していくのを、美玖は唖然と見送った。 改めて見回したが…ひどいものだ。 「仕方ないか…」 ため息をつき、ベッドのそばへ来てサイドテーブルに荷物を置く。 ベッドのシーツは綺麗に整えられているが、それでもこの病室の雰囲気はどこか気味が悪い。 サイドテーブルに置いたハンドバッグから携帯電話を出し、ベッドに横になろうとした時だった。 びゅうっ 何かが落ちた。 視界の端で大きなものが落ちていった。 窓の外で、人間のようなものが。 「……!?」 ぞくり、と背筋が粟立った。 今のは、まさか。 慌てて窓を開けて下を覗き込もうとした時だった。 ピィーッ! 「い、痛っ!」 後ろからバサバサという鳥の羽音と共に髪を引っ張られる。 髪を押さえながら頭を戻した時。 今度は先程よりも重量のある物が落ちたのを視界の端に捉えた。 ガシャーン!! 下で何かが落ちる音と、人の騒ぐ声が聞こえる。 ホバリングする金色の鳥を振り返りつつも、もう一度窓から下を覗いてみる。 病院の窓の下は庭になっているが、植木鉢が落ちて砕け散っていた。 だが。 (さっきのは…) 窓を覗く前に落ちてきた影。 あれは、人間そのもののように見えた。 だが、どこを見回しても人間が落ちて横たわった姿はない。 「………、あなたが、私を助けてくれたの?」 なぜ植木鉢が落ちたかわからないが、もし金色の鳥が止めてくれなければ。 そう思い振り返ったが、鳥の姿はどこにもなかった。 ーー その午後、美玖がトイレのため病室を出るとすぐ隣の病室から出た年配女性の二人組がぎょっとした表情で美玖を見た。 そして、彼女を横目で見ながら、ひそひそと何かを交わしだす。 (何かしら…?) 初対面に対してのあからさまな態度であるため腹立たしくはあったが、病室について何か知っているに違いない。 「すみません」 話しかけると、二人は大仰なリアクションで美玖を見た。 なんというか、挙動不審である。 「な、なにかしら?」 「本日、病室をここへ移動した五十嵐と言います。……この病室、雰囲気といいおかしいものを感じるのですが、何かご存知ですか?」 美玖の言葉に二人組は神妙な顔。 少し若い方が顔をひきつらせながら尋ね返した。 「あなた、病室を移動してきたの?」 「はい。本日新しい患者さんが入るということで、部屋を移動したのですが…この部屋、壁がジトジトしてるし先程上から植木鉢が落ちたし…」 ほら、さっき騒ぎあったじゃない、朝の。 そんな小声でのやりとりを二人は目の前の美玖に構わず交わす。 「この病室について、何かご存知でしょうか?」 「ええと……そうね。五十嵐さん、といったわね?そこはね、…ここじゃ一番曰くのある病室なの」 女性二人が話してくれた内容によると。 これまで入院して滞在した何人かが、謎の不審死を遂げている場所なのだという。 看護師達の間でも知らぬ者はない程で、行くのを嫌がる者も多いそうだ。 ある患者の時は看護師が来た時すでに息絶えていて、その患者の指はずっとナースコールを押していたという。 不可解なことに、発見されるまでその病室からのナースコールは一度も看護室に届いたことはない。 しかし、メンテナンスに呼ばれた技師がナースコールを押した時にはきっちりと作動していたため、皆気味悪がった。 (それで、さっき看護師さんが…) 「それでね、早くあの部屋出た方がいいわよ。でないと、死んじゃうわ」 ーー (はああ…、退院しなきゃって時に、とんでもない事聞いちゃったな…) トイレを済ませ個室を出ながら、大きなため息が出た。 女性達の話を聞く限り、本当なのだろう。 でなければ、どうしてあんな事が起きた? どうして植木鉢が上から落ちた? 偶然か? 手を洗いながらそんな事を考える。 蛇口を捻り、ひと息ついた時耳が小さな声を拾った。 女の、恨めしいような声。 「どうして、あなた、死んでないの?」 「えっ…?」 顔を上げた瞬間、真後ろにこちらを睨む女の顔が肩越しに映った。 「!?」 バッと振り向くが、そこには誰もいなかった。 しかし。 ……死んじゃえば、いいのに さっきと同じ声が聞こえて、汗が伝い落ちた。 初めて見た顔だった。 長い黒髪を垂らし、胸から下が血で染まった女の姿を見るようになったのはそれからだった。 それから度々、美玖は何度も危険な目に遭いそうになった。 ある時には病院食に針が入っていた。 ある時にはベッドの下にマムシや毒グモがいた。 そのたびに美玖を助けてくれたのが、あの金色の鳥だった。 どういう意図でそうしてくれるのかはわからなかったが、一方で美玖の体力は何故か衰えていった。 「脈も血圧も低下している…他は何の異常もないのに…」 担当医はそう言うが、病室の異常性を知っていて押し隠しているようでもあった。 そして、美玖の身体がついに、歩くことすらできなくなったある夜。 (……身体が、重い…怠い…) 胸が息苦しい。 息をするたび、激しく痛む。 金色の鳥がサイドテーブルの上から見下ろしていた。 (……私、やらなきゃいけない事、あるのに…こんな…) その時、鳥が飛び立った。 (な、に…?) 視界の端にぼんやりと映る影。 病室は電気が着いておらず真っ暗闇だ。 その影はゆっくりと美玖に近づき、衣擦れと何かが這いずるような音が聞こえた。 そこで美玖の目に映ったは、あの女の顔だ。 スルスルと美玖の身体に細長いものが這いずり、強く締め上げてきた。 「あ、あな、っが…ぁ…!?」 「ゆるさない…」 相変わらずも恨めしそうな女の声と共に、細長い何かが首を、手足首を、強く巻きつき締めあげる。 「か、ひゅう、あっ、ぐっ」 暴れようにも身体に力が入らない。 何かはわからないが、相手はおそらくデジモンではなく、怨霊の類なのだろう。 抵抗のろくに利かない身体で、唯一できる事があるならば。 (お願い…誰か、来て。私は…私は、まだ、生きていたい…!) 祈ることだった。 その時、美玖の胸元が熱く感じたかと思うと。 かすかな、風を切る音が聞こえた。 ヒュウッ 「ぐうっ!?」 女の身体に光る矢のようなものが突き刺さる。 ーーーそこまでだ。己の死を認めきれず、幽世を揺蕩いながら生者に手をかける者よ。 白く輝く姿があった。 それは、間違いなく、暗黒の海から自身を助け出してくれたデジモンだった。 その手には、背中に負ったクロスボウが握られている。 「ゆるさ、ない…私は…死んでなんか…」 ーーー諦めよ。既に定めを貴方は振り捨てた。これ以上の業を犯すというのであれば、力づくで送り返すしかない。 「邪魔を……するなぁ!」 女の声がドス低くなった。 まるで蔦地獄のように病室全体を覆うもの。 それは、長い長い黒い髪の毛だった。 触手のようにスルスルと動き、それは白い人型デジモンをも覆い尽くそうと襲いかかってきた。 これに対し、デジモンは平常を保ちクロスボウを背中へ戻すと左腰に付けた剣の柄を握った。 ーー抜剣。 ーーーやむを得まい。…『フェンリルソード』!! それは、一振りで敵の生命活動を止める氷の魔剣。 たちまち黒髪は切り刻まれ、その中心にいた女を刃が切り裂く。 「いやぁぁぁぁああああああああ!!」 女の口から悲鳴が迸る。 斬られた傷から光が溢れ、霊体はたちどころに霧散した。 美玖を緊縛していた髪の毛から力が失われた。 「こほっ、こほ…!」 前にも、こんな事あったな。 そう思いながら咳をし、肺に酸素を送って意識が暗くなる。 「ありが……と……」 視界のなかの輝かしい姿が朧げになり、そこで意識が途絶えた。 ………… 「目を覚ました時には、他の人と一緒の病室に寝かされていて、看護師さんが心配そうに見ていたの。聞いたら、部屋一面凍りついた霜と切られた髪の毛だらけで、私はベッドの上で気を失ってたって…」 「ちょっと、…それめちゃくちゃホラーじゃん…!」 「美玖、それ普通に怖い話特集に応募できるレベルだわ。よく無事だったよね!?」 「…応募できる話かはどうかわかりませんが、本当に無事で良かった」 その日から偶然空きができた複数人対応の病室に美玖は移され、事情を知った周りの患者達からは慰めと安堵の声をかけられた。 それ以降、あの病室で二度と異常のある出来事も不審死も起こらなくなったそうだ。 それだけでなく、美玖自身の体調も、驚くほどの回復を見せたという。 「退院できて安心よ」 二度とあんな目に遭うのもごめんだとつぶやいた時。 宮子の釣竿に反応が出た。 「あっ!宮子、なんかかかったよ!」 「ほんとだ。しかも良い引きだ、これえ!」 糸を切られないよう、動きを気をつけながらリールを巻いていく。 流石は実家が漁師で、釣りが趣味とだけあり手慣れている。 他の三人と一体が見守るなか、宮子はついに獲物を釣り上げた。 「こ、これって……」 釣り上げられて悶えるそれを、急いで手持ちの綱で掬いあげた。 八本の足を窮屈げに動かすそれは、紛れもないタコだった。 「せ、せんせい、これなに?」 「タコだ!私、生きてるの初めて見た」 「ラブラモンちゃん、タコは初めてかあ、かわいい!でもタコって釣り糸で釣れるのね。蛸壺で捕まえるのかと思ってた」 朝奈の言葉に宮子はどこか複雑げな顔で返す。 「釣れなくはない、よ?確かに普通はタコ漁をするなら専用の道具が必要よ。釣り糸でもいけなくもないんだけど…」 「だけど?」 その手が悔しげに握られているのに美玖は気づく。 「運で釣れるってのは……その……釣り人としてのプライドが……」 「……あ、あはは」 「宮子らしー!」 そこで、タコを見ていた朝奈が思いついたように提案した。 「そうだ!このタコ使って今夜は美玖の探偵所でタコパしない?」 「お、いいね!」 「うちにたこ焼き用のやつが付いたホットプレートあるんだ。持ってくるよ」 ーー 釣果は決して多くはなかったが順調だった。 取り止めのない話をしながら少しずつ雑魚が釣り上がる。 「そこそこに釣れたんじゃない?」 「そうね!じゃあ、夕方になってきたし、美玖のが釣れたら一度朝奈んとこ行こ」 まもなく、美玖の釣竿に何かがかかった。 「おっ、早速」 「待って、これ結構重い!」 「てことは大物かな?」 それにしては、全く抵抗がない。 不審に思いながら、美玖は針にかかったものを釣り上げた。 「………え?」 「なに、これ?」 それは、見るからに古そうな小ぶりの壺だった。 長い間海の中にあったのか、フジツボがこびりついている。 だが、その壺を異様なモノにさせたのは、幾重にも封をするように貼られた札のようなものだった。 「な、何コレ?」 「ねぇ、さっき怖い話した後でこれヤバいって!なんか変な札みたいなの貼ってあるし」 「そ、そうだね…一旦海に…」 その時だ、重さに耐えかねてか、糸がぶつりと切れたのは。 ガシャン!! 割れる音に全員が青ざめた。 慌てて下を見るがかろうじて見つかった壺の破片と思しきもの以外は何も見つからない。 「んもー、やだ!怖い!!」 「さっきの、マズかったりする?」 「わ、わからない…」 数分間、沈黙。 やがて、ラブラモン以外の全員が、ひきつった笑いをあげた。 「あ、あはははは!」 「よし!見なかったことにしよう!!」 「うん、うん、撤収だ!!」 急ぎ片付けを始めた四人を見ながら、ラブラモンは壺が落ちた方へ横目を向ける。 (………嫌なモノが、入っていた。今の私じゃ…あれは追い払えない……) ーーー 途中、朝奈の家へ寄り、ホットプレートを携えて探偵所に戻った頃にはすでに18時を過ぎていた。 「グルルモンは……まだ、戻ってないか」 探偵アグモンと引き受けた依頼へ赴いているためガレージはもぬけのからだ。 シルフィーモンもまだ戻ってきていない。 「私達で先に準備しましょ!」 「そうね」 中に入り、台所へ行くと和気藹々と話しながら準備をする。 クーラーボックスからタコを取り出し、宮子が解体する脇で夏実が具材を切っている。 「ソースと青のりとおかかあるー?」 「あったはず。ラブラモン、そこの棚ちょっと見てもらって良い?」 「うん。……あったよー!」 「でかした!!」 ホットプレートにたこ焼き器をセッティング、いつでも焼けるように油と回すための串をスタンバイ。 「ついでだからなんか飲み物も用意する?せっかくのパーティーだし」 「ラブラモン用のジュースがあるけど、もう量はないかも!」 「じゃあ、私が買いに行くよ。近くにコンビニあったよね?」 朝奈が探偵所から近場にあるコンビニに向かったところで、たこ焼きの具材とタネを混ぜながら宮子が言った。 「美玖、せっかくだからお風呂入ってきたら?今日退院帰りだったし、釣りに連れ回しちゃったから疲れちゃったと思うし」 「だ、大丈夫よ」 なんだか、世話をかけさせちゃうなと苦笑いした。 じゃあ…と夏実。 「恋バナでもしませんか?」 「恋バナ?」 「美玖の」 「わ、私!?」 突然予想外の話題に振られて美玖は驚く。 「お、珍しく夏実がそういう話題を、それも美玖に振るなんてね」 「ま、待って、私そういうのは本当に縁がないって!」 「でも、一人くらいは良いっていう人いるかも」 「少なくとも、人間ではいないから!」 「「人間"では"」」 宮子と夏実の声がハモった。 「つまり、デジモン"なら"いい人いるってことね!言質取ったわ!!」 「となると、やっぱりお相手はシルフィーモンさん……」 「ち、違うって」 美玖は困った顔になりつつ、ホットプレートにひくための油を開けた。 「言うのも……なんだけど、シルフィーモンって会ったばかりの頃は結構冷たかったのよ。最近は丸くなったなって思ってるけど、それでもたまに距離感わからなくなるし…」 「知ってるのよ?」 「え?」 なにやらニヤニヤ顔で宮子が見つめる。 困惑する美玖に顔を近づけて言った。 「聞いちゃったのよ」 「何を?」 「デートしてたって話!」 「……はっ!?」 囮捜査の件だとわかるや美玖の顔が真っ赤になり、蒸気が噴出さんばかりに熱くなる。 「おっと、図星かあ!?」 「デート行ってたんですか?初耳です」 「ち、違っ…あ、あれは囮捜査でって何で知ってるの宮子!?」 「え、だって…」 がちゃり、とドアが開く音。 朝奈が戻ってきたのだ。 「いっぱい買ってきたよー!て、なんか盛り上がってるね!」 「ねえ、朝奈!結構前に、美玖がシルフィーモンさんらしき人とデートしてたって言ってたよね。あれいつだっけ?」 「朝奈!?」 美玖が眼球をひっくり返さん勢いで振り向く。 「あ、うん、だいぶ前の縁日あった日ねー。確か公園で変な爆発事件があったって噂になってた頃」 「そんな事あったんですね」 「で、遊びに行ったのよ。休みだったしさ。そしたらー」 宮子と同じくニヤニヤしながら、携帯電話を操作する朝奈。 イヤーな予感を覚える。 「まさか…」 「はい、これ」 朝奈が見せた画面。 そこには、確かにあの日の髪型と服装の美玖と、偽装(クローク)コマンドで人間の姿になったシルフィーモンが写っていた。 「なーっ!?」 「シルフィーモンさん、人間っぽく変装もできるんだね!びっくりしたよ」 「てか、美玖の格好可愛いじゃん!しっかりおめかししてデートかー!!くーっ、羨ましいぜ!」 恥ずかしさやら何やらでわなわなと震えだす美玖。 ラブラモンが顔を覗き込んだ。 「……せんせい、ゆでだこになっちゃってる、だいじょうぶ?」 「大丈夫じゃなーい!!だからそれ、デートじゃなくて爆発事件での囮捜査のためで……」 ドンドンドン 美玖のテンパりが頂点に達しかけた時、ドアをノックする音が聞こえた。 四人が顔を見合わせ、ラブラモンは何を察したか唸り出す。 「誰かしら?」 「シルフィーモン……でも、師匠でもないわね。ちょっと行ってくる」 美玖が玄関へと向かう。 ドンドンドン ドンドンドンドン! 叩く音は美玖が近づくとより激しく聞こえた。 「すみません、本日は業務終了時間でして、またのお越しをお願いします」 ドンドンドン! 音はより激しくなる。 訝しく思った美玖がモニターをチェックすると、そこには赤い体色をした人影のようなものが立っていた。 全長2mほど、ぬめりを帯びた体表にはぶつぶつとしたモノが浮かび上がっている。 (デジモン……?いや、これって…) 嫌な予感がする。 目の前にいるモノに感じる違和感。 それは、暗黒の海にいたあの半魚人のようなモノに近い。 でも、まさか? そこで、美玖は夕方の、あの妙な札で封がされた壺を思い出した。 (……まさか!?) ドンドンドンドン!! ドアを叩く音はより一層強くなった。 軋み、悲鳴をあげるドア。 そこへ、宮子達が来た。 「美玖ー、大丈夫?」 「困ったお客さんでも来たの?」 美玖がどうしたものかと振り向きかけたところで、夏実が悲鳴をあげた。 「どうしたの?」 「み、美玖……上!」 「え?…きゃあっ!?」 見てみれば。 鴨居に当たる部分よりもさらに上。 ガラス張りになった所から、のっぺりとしたひょっとこのような顔がギョロリとした目でこちらを見ていた。 「うううううぅぅぅうううぅぅう……」 腹に響くような低く重い唸り声が不気味に響く。 よくモニターを見れば、ドアの前に立っているものから長く伸びている部位がある。 ……首だ。 それを見た宮子達が悲鳴をあげた。 「きゃあああああっ!!」 ドンドンドンドンドンドン!! より一層激しくドアが叩かれる。 ラブラモンが鋭い目になって言った。 「せんせい、どあはぜったいにあけちゃだめ!みんな、だいどころまでいこう!」 「わ、わかった!」 いつにない剣呑な表情。 ドンドンドンドンドンドン! ドアが激しく軋んで歪み、今にも吹き飛びそうになった。 ミシミシと金具で接合された部分が嫌な音をたてる。 「夏実、早く!」 「ま、待ってください…!」 台所へ駆け込み、電気を消して息を潜める。 ((どうしよう)) 激しい物音に血の気の失せた顔を見合わせた。 美玖が携帯電話を出す。 シルフィーモンの端末へ真っ先にメールを送信した。 (お願い、早く戻ってきて…!) 同じ内容のメールを探偵アグモンの端末にも転送。 暗いなか、ラブラモンの目が獰猛な光を帯びるのが見えた。 (シルフィーモンと師匠にメールを送った。戻ってきてくれるといいんだけど…) (でもあの化け物ドア破ったりしてこないよね?さっきからひっきりなしに叩いてるけど…!) (見た目はグロいけど実はいい人だったりとかしてーー) (だめ、あれはいやなやつ!きけんじゃないけど、あれはにんげんにとってとってもいやなやつだよ) 朝奈の言葉にラブラモンが強く否定した。 (ラブラモン、あれが何かわかるの?) (たぶん、あれはでじたるわーるどのねっとのうみからきたのが、かなりむかしのじだいのにんげんにふういんされたもの。ねっとごーすと、っていうやつ。ほんとうのわたしならあれはかんたんにどうにかできるけど、いまはむり) (じゃ、じゃあどうするの!?) 顔を真っ青に聞く宮子。 (あれはたんさいぼうみたいなものだから、"いーたー"とくらべたらすごくたんじゅん。いないとおもったらどっかへいくから、このまままってるのがいちばん。あいつ…せんせいをねらってるし) (私を……私が、あの壺を落としたから?) ーーー ドアが叩かれてから30分以上経過。 辺りは静かになった。 「……もうだいじょうぶ、けはいをけしてるけど、あいつははんぶんゆうれいみたいなものだからせんせいのすがたがわからないうちはどうすることもできない」 「よ、良かったあ…」 どんどんどんどん!! 「ひゃあっ!?!?」 間近で聞こえた音に全員が跳び上がった。 「誰かいるか?開けてくれ!」 声のする方を向くと、すぐそばの窓の向こうで拳を軽く窓ガラスに当てるように叩く姿がある。 シルフィーモンだ。 「し、シルフィーモン!」 美玖が窓を開けるとシルフィーモンは中へ入ってきた。 「よ、良かったあああー!!」 「美玖からメールを受け取ったが一体何があった?ドアが酷く損傷している。あれは、修理屋を呼ぶしかない」 シルフィーモンがメールの内容に嫌な予感を覚えて急ぎ戻ってきた時。 玄関周りに潮の臭いの混じった悪臭が漂い、ドアには無数の引っ掻き傷と強い力で叩きつけた痕跡があった。 ドアは歪んでしまい、とても開けられたものではない。 ドアやその手前の地面は、べっとりと粘液のようなもので濡れていた。 美玖達が事情を説明すると、シルフィーモンは嫌そうな顔をした。 「ネットゴースト、デジタルワールドのネットの海でできたバグの漂流物か。よりによって面倒なものが来たな」 「ごめん!私達じゃどうしようもなくて、シルフィーモンさん、あいつがもしまた来たらなんとかしてー!!」 「それは別に構わないが…いくらなんでも狙われすぎだろう」 ため息をつきながら、シルフィーモンは部屋の電気をつけた。 「それより、今夜はどうする?君達は探偵所で泊まるかい?夕食なら作ってやるが…」 「あ」 シルフィーモンの言葉を受けて思い出した一同。 「そうだよ、タコパ!!タコパの準備してるとこだった!」 「た、タコパ?」 ーーーー 「な、なるほど、たこ焼き…」 目の前で焼かれてひっくり返されるたこ焼きを前に、シルフィーモンはつぶやいた。 「あれ、シルフィーモンさんってたこ焼き食べたことは?」 「ある。以前に美玖から貰ったことがあってな」 「ああー、デートの時ですよね?もっと教えて貰っていいですか!?」 「ああ。………て、ちょっと待った。デートって何の話だ?」 言いながら宮子の方を向きかけたシルフィーモンは、視界の端に丸いものを見た。 ホカホカとした、ソースと青のりにおかかが踊るそれを反射的に開けた口で受け止める。 「…むぐ、もぐ、もぐ…」 「おっ、美玖手ずからとか!」 「それはいいから…美味しい?」 「……んぐ、……美味しいが、熱いよ」 それを皮切りに、四人と二体は、焼き上がったたこ焼きを美味しく食べていく。 宮子が釣り上げたタコは中々に立派なものだったが、肉質も厚く弾力があり、噛めば噛むほどに味わいがあった。 「宮子が釣ったこのタコ、肉厚で美味しい!」 「あふあふ、あふ」 「ラブラモン、一気に頬張ると熱いわよ」 タコパを楽しんでいると、窓の方から今度は小さく音がした。 コンコン、コン コンコンコン 「…?今度はなんだろう」 「待て、私が見に行く」 立ち上がりかけた美玖を制し、シルフィーモンが窓へと近づく。 そこでシルフィーモンが見たのは、金色の鳥だった。 「…何かいたの?」 「美玖、来てくれ」 美玖が歩き寄ると、シルフィーモンはガラス越しで羽繕いをする金色の鳥に目配せした。 「美玖、君が言っていた鳥ってこれのことか?」 「え……あっ」 ピピピッ 鳥は美玖に気づくと、ガラスを嘴で二、三度、コンコンとつついた。 「待って、開けるから…」 ピピッ 窓が開けられると、鳥は美玖に向かって飛んできた。 「う、わっ?!」 肩の上に停まられて美玖が驚いた。 その声に宮子達は振り向く。 「どうしたのー…って、鳥!?」 「わー、何その鳥!ペット?」 「綺麗な鳥ですけど…見たことない」 美玖が慎重に鳥を肩に乗せたままテーブルにつくと、皆物珍しげに鳥を見た。 「宮子、この鳥何かわかる?」 「わかんない…店長に聞いてもわかるかなぁ…」 「美玖に懐いてるみたいですね、その鳥さん」 キャアキャアわいわいと言いながら鳥を眺め、撫でようとしてみるが鳥は素早く美玖の肩の上を跳ねて位置を移動する。 「それは…おそらくデジタルワールドに住む鳥だろうな」 「へえー!デジモンの世界にも普通の鳥いるんだ!」 「鳥だけじゃない、魚なんかもいるぞ。大抵は食料になるんだが…こいつは、私も見たことがないな…」 「ふれいあ」 「ん?」 四人とシルフィーモンがラブラモンを見る。 ラブラモンは、鳥を見据えながらもう一度答えた。 「そのとり、なまえはふれいあっていうの」 「ふれ…フレイア?」 「へー、ラブラモンちゃん、物知りい!」 夏実が思い出したように言った。 「フレイアといえば、北欧神話に出てくる愛と美の女神の名前でしたね」 「え、ヴィーナス的な感じの女神さま?いい名前だねえー!」 「じゃあ、女の子かフレイアちゃん!見た目は綺麗で、結構お利口そうなの良いなぁ」 「おりこう……そうかも、しれない」 そうつぶやくラブラモンの表情には、何か思わしげなものが浮かんでいた。 (ラブラモン…、アヌビモンは、この鳥とあのデジモンのことを知ってる?) そう美玖は思いつつも、ある事を思いついた。 立ち上がると、棚へと向かう。 鳥、フレイアも肩に乗ったままだ。 「美玖ー、どうしたの?」 取り出したのは透明なプラスチックの包装パックにメモ帳とボールペン。 戻ってくると、シルフィーモンが聞いた。 「美玖、それをどうするんだ?」 「お礼したいからたこ焼き少し包むね」 焼き上がったたこ焼きを六個、パックに入れる。 それから、メモ帳から一枚ページを取って書き始めた。 内容は、暗黒の海と病院、そのどちらでも助けて貰ったお礼の気持ち。 たこ焼きを送る旨。 そして、最後に自身の名前。 それを日本語とデジモン文字両方で書きつけた。 「あなたの飼い主のデジモンに、これを届けてくれないかな…?」 美玖が手拭いに包んだそれをフレイアに見せる。 ピィーッ! フレイアはひと鳴きすると、包みを両脚で掴み上げた。 「ほんとに持ってってくれるんだ!?」 がらり、と窓を開けると、たちまち金色のシルエットが暗闇に消えた。 ………… 美玖達がタコパに夢中になっていた最中。 再び、不気味な赤い化け物は探偵所へと近づいていた。 べしゃり、べしゃり。 焦点の定まらない目をギョロつかせ、再びドアへその両腕が伸ばされた。 ーーー随分とあの娘には客人が多いな。 一閃。 ドアへ伸ばされた両腕が切断し、宙を舞った。 「ぬぅぅうううぼぼぼぼっぼっぼ…」 ーーーここはお前のいるべき場所ではない。 そう告げたそれは死の宣告そのものであり。 剣を手にツカツカと歩み寄るその姿を、ネットの海を揺蕩って現実世界の海に彷徨い出た異形はどのように捉えたのか。 再び、一閃。 凍気を纏うものではない斬撃を受けて、それは断末魔をあげることなく足から煙をあげて萎びていった。 ピィーッ! 脂を拭い鞘に剣を収めたところへ愛鳥が戻った。 愛鳥が止まれるようにと腕を差し伸ばしかけて、デジモンは愛鳥の脚に掴まれた包みに気がつく。 ーーーフレイア、それは? 包みを片手に受け取り、愛鳥を肩に止まらせる。 一体何かと包みを見ると、食欲をそそる香りが漂った。 ーーーこれは…人間の、食べ物か。 挟んであるメモに目がいった。 メモを取り出すと、そこに書かれた文面を読み始めた。 唇に笑みが浮かぶ。 ーーーふ、礼に及ばない。近いうちに話ができたらそうしよう。……美玖、よ。 さて、問題は包みの中の本命だ。 受肉は早くも解けてしまったため、直接口にすることは叶わない。 が。 ーーーどうにか、できなくはないな。 人間の作った気持ちを食事の形で摂取することで、どうにか料理の味を把握することができる。 ーーーほう、これは中々。 ピイッ 冷え冷えとした夜中、一見手付かずのたこ焼きが入ったパックは探偵所の窓の前に置かれるのだった。 ーーー 翌朝。 三人が帰った後の静けさを味わいながら美玖は起きた。 昨夜はあれこれ聞かれて大変だったものの、化け物が来たのはあの時だけ。 きっと。 (あのデジモンが…) ふと、窓を見ると昨晩あの鳥、フレイアに届けて貰ったはずの包みが置いてあった。 慌てて窓を開け、包みを回収する。 「たこ焼き、好きじゃなかったのかしら…」 だがメモは抜かれていた。 それに安堵しつつ、ひとまずパックを開ける。 もったいないので、朝ごはんがわりに。 そう思いながらたこ焼きを一つ口にして、美玖は固まった。 「おはよう、美玖」 「し、シルフィーモン!」 「…どうした?」 美玖が冷めたたこ焼きを一つ、シルフィーモンに食べるよう勧めた。 「それは…」 「昨日、私が言ったデジモンの所へ届けて貰ったはずのたこ焼きが戻ってきたんですが…味が、味がなくなってるんです!」 中の具材だけでない、ソースも青のりもおかかも。 風味を失い、ただの味のない粉物と化している。 「ああ、なら心配いらない。食べて貰って良かったな、美玖」 「えっ?」 美玖は目を瞬かせた。 シルフィーモンは続ける。 「グルルモンの事で話したことは覚えているか?」 「ええと…食べ物を食べることで作った人間の気持ちを養分にするっていう話でしたよね?」 「食べ物を直接摂取しなくても、その食べ物を作った人間の気持ちを摂食するすべはあるんだ」 ただし。 「それは、なんらかの事情で肉体を失ったデジモンに限られる」 「肉体を…?」 「たまにある事だが、生命を失うのとは違う。魂だけがそこにある感じだな」 「……?」 「ともあれ、たこ焼きを受け取ってもらえて良かったな。しかし…そのデジモン、一体何者なのか」 朝食にと台所へ向かおうとして。 美玖はラブラモンの姿がないことに気づいた。 ーーーー さて、と。 浅い眠りから覚めたデジモンは、肩の愛鳥を撫でつつ立ち上がる。 まずは今の人間世界とデジタルワールド双方の現状の把握と、あの娘についての視察だ。 視察そのものはフレイアがいるので不可能ではない。 彼女はどうやらフレイアにも自身にも好意的だ。 問題は、緊急時でもない時にどう彼女と接触の機会を得るか。 そう考えていた時である。 カチャカチャという音と共に、自分に近づいてきたそれは話しかけてきた。 「数千年。途中から人間世界と同じ時間軸の速度になったとはいえ、またしてもお前の姿を見ることになるとは」 その言葉に振り向く。 そこにいたのはラブラモン。 その口調は、いつもの幼い声とは違い非常に大人びた…否、厳格で冷静な口調だった。 対するデジモンの唇に笑みが浮かぶ。 最後に会って数十年経つ顔馴染みに再会した時のような。 ーーー久方ぶりだな。姿が変わったが…先代、というわけではなさそうだ。 「事情があって、デジタマに還元する能力を私自身に使っただけだ。まだ次代を生む時ではない」 それより、とラブラモンの前足が片方前へ踏み入った。 「聞かせてもらおうか。どうやって永久の暗黒から出たのか。先生…五十嵐美玖に接触した意図を。ヴァルキリモンよ」
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みなみ
2022年10月15日
In デジモン創作サロン
ここは、デジモンとの共存の道を拓きつつあるリアルワールド。 日本にある××県。 過去にとあるデジモンの暴走による大規模な地形崩壊を修復してできた、十字形の五つのブロックに分かれた土地。 そのうち十字の右側にあたるD地区では、今、エキゾチックな音楽を流しながら公園のど真ん中に非常に大きなテントが張られていた。 あまりの大きさに皆が振り返り、そしてそこで働く様々な鳥型デジモンを前にさらに驚くのだった。 「皆様、お初にお目にかかります。我らは名をガンダーラ舞踏団、鳥デジモンを中心に構成された舞踏団にございます」 テントの前で恭しく挨拶を述べているのは、ネイティブ・アメリカンの装飾をした鳥人型デジモン、ガルダモン。 「本日は団長のアプサラスが準備中の為、私(わたくし)、ガルダモンのジャターユが皆様方へ本舞踏団を代表しご挨拶させていただきます。開演に些か時間はかかりますれば、皆様方にお知らせいたします。我ら鳥デジモンによる舞踏の宴に危険はございません。どうぞ、開演の際には是非お越しくださいませ」 ーーー 「鳥デジモンが中心に演技をする舞踏団、か……」 チラシを見ながら、茶髪のポニーテールの女性は興味津々につぶやく。 ここは、五十嵐探偵所。 探偵の実績はまだまだ浅い女性探偵・五十嵐美玖は、今日も鳴らぬ電話を前にチラシを見ていた。 「開演は……一週間後ね。今のうちに予約したいな」 「何の話だ?」 そこへ歩いてきたのは、ゴーグルに顔半分を隠した、半人半鳥獣の異形めいた容姿のデジモン。 美玖の助手兼用心棒だ。 「シルフィーモン、これを見てください。新聞受けに入っていたものなんですが」 「どれ?………ガンダーラ舞踏団?」 チラシを渡され、シルフィーモンと呼ばれたデジモンはひと目見てすぐに返した。 「鳥デジモンだけで集められた舞踏団で、しかも団長もデジモンなんだそうですよ。それも珍しいことに、インド舞踊を演目としているんだとか」 「ふうん」 いかにも興味なさげに椅子へ腰掛けるシルフィーモン。 美玖はその様子に肩をすくめつつ、チラシを見つめた。 「………行きたいのか、君は」 「はい。…珍しくないですか?デジモンだけで、それも舞踏団なんて」 「それはそうだが…、構成員に人間が一人もいないことは怪しまないのか?」 シルフィーモンの言葉に思わず顔を上げる。 「デジモンばかり、それも人間がいない集まりなんてロクなものじゃない。それに団長が誰かも写真にないだろう?」 「普通は、そう載らないものだと思うのですが…」 「ともかく。行くにしても、何かあれば私は責任をとれない」 …要するに、行きたければ一人で行け、ということだろう。 残念に思いつつも、美玖はチケットの予約がすでに可能か見るために、パソコンのウェブサイトを開こうとした。 かたり 扉が開く気配。 女性の声が聞こえた。 「失礼致します。こちらで、探し物の請け負いをしても構いませんか?」 「え?あ、はい!どうぞ中へお入りください」 美玖の返事に応じ、中へ入ってきたのはデジモンだった。 が。 そのデジモンを見て、美玖は思わず目を瞬かせた。 それは、美玖がよく知るデジモンそのもの。 「し、シルフィーモンが、二人!?」 ーー 「これは失礼しました…!」 「いいえ、お気遣いなく」 数分後、客間の席に座りながら美玖は赤面を隠さず目の前の依頼人へ頭を下げた。 淹れたお茶を差し出しながらシルフィーモンは少し驚いたように言った。 「まさか、私以外のシルフィーモンと会うことがあろうとは…」 「それは、私も同じ考えで」 言いながらもう一体のシルフィーモンは同胞を見返した。 デジモンにも、個体数や進化までの過程によれば発見数の少ないものはいる。 シルフィーモンというデジモンは、見かけることのそうそうない部類だ。 「それでは、改めまして。……私の名前はアプサラス。今この町に開演を予定している、ガンダーラ舞踏団の団長を務めております」 「ガンダーラ舞踏団…!」 美玖が少し驚いたように目を見張る。 「実は開演を観に行こうと、先程予約をチェックしているところでした。デジモンだけのパフォーマンス団体というのはたいへん珍しかったので…」 「そのように申し上げていただけて此方も嬉しいです。是非いらして下さい。……こほん」 もう一体のシルフィーモン…女性的な声や仕草をしたアプサラスは、軽く口元に拳を当てて咳払い。 そんな仕草も女性的なお淑やかさがあり、自分の隣にいるシルフィーモンとまるで違う印象を美玖は抱いた。 シルフィーモンの方は、アプサラスと違い、声も仕草も男性的だ。 「探し物との事ですが、どんな物をお探しでしょうか?」 「今から20年以上前になるのですが、今からお話しする理由によりこの町で見失ってしまった品があります。それを、今回の開演前にどうしても見つけたい。…開演場所をこの地区に選んだ理由のひとつはそれです」 「それで何を……」 「私にとって、どうしてもなくてはならなかった物……デジヴァイスです」 アプサラスの返答に美玖はもちろんだがシルフィーモンの顔色が変わった。 「デジヴァイス!?…まさか、お前は」 「お察しの通り、私は元選ばれし子どものパートナーデジモン。パートナーでした先代団長は…すでにこの世を去りました」 ーーー アプサラスがそのパートナー、三宅圭太郎と出会うまでかなりの時間を要した。 当時成長期だった彼女は、わずかな繋がりを頼りに必死に探し回った。 デジタルポイントを通じて、リアルワールドへ彷徨い出て、たったひとりで。 この頃はまだ人間世界でのデジモンへの認知度が低く、多くの人間の目にデジモンの姿が触れればひと騒動になりかねない有様だった。 悲鳴をあげられ、物を投げられ、野良猫や野良犬に追い回されてなおアプサラスは探し続けた。 自分にとって、かけがえのない、たった一人のパートナーの子どもを。 「圭太郎が見つからないまま、気づけば10年の月日が経ち、私はシルフィーモンに進化していました。姿が変わっても、きっと圭太郎を見つける、その一心で」 しかし、小柄だった成長期、成熟期と異なり、シルフィーモンほどのサイズとなれば身を隠す手段はかなり限定される。 彼女の姿を見るといかがわしいコスプレくらいに思う者がほとんどだったが、勘付きの良い者からはすぐ怪物扱いされた。 道中、人助けをしてなお、そのように態度による仇で返されることも少なくなかったと彼女はうつむく。 「……それは、とても辛いことだったでしょうに」 「そうでしょうね。ですが、私達選ばれし子どものパートナーデジモンにとって、パートナーと巡り会う事こそ使命。辛くなかったと言えば、嘘にはなりますが」 そしてアプサラスが運命のパートナーを見つけた時。 彼は、車椅子に乗った、何処にでもいるごく普通の青年だった。 繋がりを強く感じ、やっと見つけたと喜ぶも束の間。 圭太郎が通っていた工事現場に騒ぎがあったと思うと、彼の頭上から鉄骨が落下した。 『トップガン』を放ったのは、反射的なものだった。 「パートナーを守るために必殺技を使ったのは、後にも先にも、あの一瞬だけでした」 パートナーが無事である事を確かめた彼女を待っていたのは、自身を熱意と好奇心で見つめる彼の顔だった。 「信じられないことですが、圭太郎は私が必殺技を放つ時の仕草を、もう一度見せてほしいと言ってきたのです」 流石に何もない場所に放つわけにはいかず、そもそも場所が悪い。 彼の自宅へと同行し、そこで見せることになった。 「彼が投げた空き缶を、必殺技で撃ち落としたのです。そうしたら…」 圭太郎は、アプサラスの手を取って言ったのだ。 『今の動きのしなやかさ、優雅さ、本当に美しい…!君は僕のパートナーだと言っていたが、こんな偶然もあるのか!』 圭太郎は学生時代にダンサーを志していた。 小学の頃からすでに生まれきっての才能があり、誰もが彼の背中を押していた中で。 高校生の時に交通事故に遭い、半身不随に。 ダンサーとしての道を閉ざされる事になる。 『どうか、頼みがあるんだ。僕には夢がある。君にどうか、僕の足の代わりになってくれないだろうか?』 圭太郎は大学生になってまもなく、インドの舞踊に魅了されていた。 インド舞踊には大まかに分けて4つの種類があるのだが、そのどれもが持つ、手を使った感情表現や音楽との調和、バリエーション豊富な情感の表現…。 そういったものに圭太郎は魅せられ、インド舞踊の魅力を広めたいと思うようになった。 しかし、リハビリを重ねてなお下半身のまともに動かぬ状態、ダンサーである道を閉ざされた身。 諦めようにも諦めきれず、その思いに煩う日々を過ごしていた時に。 アプサラス、否、シルフィーモンの放つ『トップガン』の挙動に見る眼を奪われた。 「まさか、初めてでした。戦い以外の道で、パートナーの力になるなど思いもしなかったのです」 アプサラスという名は、彼がつけてくれた。 インド神話に伝わる、踊りを得意とする天女のような存在だ。 「そこから、鳥デジモン達による舞踏団を?」 「ええ。まさかとは思いましたが、彼は、人間にできてデジモンにできないことは決してないはずだ、と。それに、鳥デジモン達を見て、圭太郎はインスピレーションを膨らませたいとも言っていました」 「それで」 シルフィーモンは尋ねた。 「今回探してほしいというデジヴァイスについてだが」 「そうでしたね。出会った時に、彼に尋ねたのです。普通、選ばれし子どもならデジヴァイスを所持しているのに、なぜか彼は肌身に持っていなかったので…そうしたら…」 15年も前に両親に没収されて以来、そのまま。 そう答えられて、愕然とした。 「ご両親に…?」 「ええ、圭太郎がデジヴァイスを見つけたのは、中学校に入学したばかりの頃なのですが両親からは誰からの物ともわからない玩具を持つなと取り上げられてしまったそうで」 圭太郎の両親は厳しく、テレビゲームや友達の家へ遊びに行くことさえ禁じていた。 誕生日やクリスマスのプレゼントでさえ、幼稚園の頃から実用的な物しか貰えなかったそうだ。 そんな両親からしたら、圭太郎の手にある物がいかに彼にとって大事だろうとあってはならない物なのである。 「そうなると、捨てられた可能性もあるのでは…」 「そうでしょうね。ですが、実はまだこの身体に感じているのです。パートナーが死してなお、デジヴァイスの気配を」 それは、たった今もこのD地区にいてより強く感じている。 できることならば自身で探しに行きたいが、開演準備や最終的なショーの仕上げ、さらにはアプサラス自身によるソロダンスの練習と団長としてやるべき事が山積みだ。 「そこで、この地区に住むデジモンから、この探偵所の事を教えていただきました。どうか、私の代わりにお探し願えませんか?」 ーーーー 「アプサラスさんから教えていただいた、圭太郎さんが子どもの頃住んでいたマンションはここですね」 地図とメモを頼りに美玖達がやってきたのは、とある10階建て賃貸マンションの前。 当時は真っ白だったはずのビルも、今では黄ばんだみずぼらしいものになっている。 マンションの大家と不動産屋へ連絡をとったところ、今は別の人間が暮らしているそうだ。 「念押しで大家さんにデジヴァイスについて伺ってみたけれど、収穫はなかったようですね…」 「こうなると望みは薄そうだな」 「ですが…ダメ元でいきましょう」 インターホンを押すと出てきたのは、70歳ほどの男性。 彼に用件を説明し、デジヴァイスの写真を見せて尋ねてみた。 「どれどれ………ああ、これは、見た事ありますね」 「いつ頃に、家から見つかったのでしょうか?」 「9年前くらいに家内とここへ引っ越して、荷物の整理をしていた時でしたか。家内が押し入れの奥に何かあると騒いでみたら、小さな箱があってその中に入っていたんです」 現在の家主夫婦も、デジヴァイスというモノについて知らず、前の家主が集めていた何かの玩具の類だろうくらいにしか思わなかった。 「それで、どうしましたか?」 「処分に困っていたところ、リサイクルショップがありまして家内からの提案で売りました」 「この地区のですか?」 「ええ」 美玖はシルフィーモンと顔を見合わせた。 D地区でリサイクルショップなら一点だけ存在する。 「そこへ行こう」 D地区には今の所新しくリサイクルショップやジャンクショップといったものは建っていない。 こじんまりとしたリサイクルショップの中は所狭しと商品たる物が置かれていて、シルフィーモンくらいの大きさでは通るのもやっとだ。 店員を見つけて、早速デジヴァイスの写真を見せる。 「すみません、こちらのお店に、この写真に似た機械を扱っていますでしょうか?」 「これは………少々お待ち下さい、店長をお呼びします」 1分ほどして、白髪の男性がやってくる。 60歳ほどだろうが、若々しい印象があった。 「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」 「お尋ねしたいことがあって…この写真のものと同じ機械を探しています。9年前ほどに、あるご夫婦がこれを売りに来られたというお話を伺って来たのですが…」 「どれどれ……」 写真を見せられた店主の顔色が変わる。 「ああ……これ、ですか。確かに、お引き取りした事がございます」 「その機械は、今もこちらにありますか?」 「ええ、……しかし、どうしてこれをお求めに?」 訝しげになる店主に、美玖は依頼の一件を明かす。 「そう、でしたか……」 店長は、しばしお待ちを、と言うと奥へ消え。 しばらくして小さな古びた紙箱を手に戻ってきた。 「河野さん、しばし留守番をお願いします」 「はい」 リサイクルショップの店長は、大事そうに紙箱を抱えながら美玖達に頭を下げた。 「そのデジモンの元へ案内していただけますかな?」 …… 道中明かしてくれた話によれば、店長の孫がまさに選ばれし子どもだったそうで、デジヴァイスとパートナーデジモンを見せてもらった事があるという。 その時、孫からデジヴァイスというのはとても大事な物だと知り、そこでその事を知るより少し前に老夫婦が売ってきた玩具の事を思い出した。 「なぜ取り上げられていたのかと思えば…合点がいきます。子どもを思いすぎた親ほど、子どものことが見えなくなるのはよくある事ですから」 ガンダーラのテントまでやってくると、ジャターユと名乗ったガルダモンが他の鳥デジモンとちょうど何かの取り込みの最中。 ジャターユの言葉を受けて鳥デジモン達が早足でテントの中へ入るところを見計らい、美玖達は話しかけた。 「おや、これは、アプサラス団長からお聞きした探偵所の方々。どうされましたか?」 「初めまして。お探しになっていた例の物についてアプサラスさんにお話したい事があるのですが、お時間の方は大丈夫でしょうか?」 「少々、お待ちを」 ジャターユがテントへ入って行く。 5分ほどして、一体のピヨモンが出てきて手招いた。 「アプサラス団長がお呼びです」 テントの控え室に通されると、アプサラスはテーブルに座り待っていた。 「あなたが、デジヴァイスをお探しのデジモンですか」 リサイクルショップの店長が尋ねるとアプサラスはうなずく。 「どうぞ、おかけになってください」 「どうもすみません、多忙の時に…」 「いいえ、今ジャターユを代わりに当たらせましたのでご心配なさらず」 店長は、紙箱をそっと開けた。 「どうぞ、お確かめください」 「…………っ!」 紙箱から丁寧に取り出されたデジヴァイスを見て、アプサラスは身体を震わせた。 美玖も実物のデジヴァイスを目にするのはこれが初めてだ。 「……触れても、良いでしょうか?」 「ええ」 店長からの許可に、アプサラスはデジヴァイスを手に取った。 次の瞬間。 「あ…!」 美玖が声をあげる。 アプサラスが触れた瞬間、デジヴァイスの液晶部分がパッと光った。 「これは……」 店長が目を見張る。 引き取った時、どこをどう触れても稼働したようには思えなかったのに。 デジヴァイスから放たれた光に共鳴するように、アプサラスの全身がうっすらと光を内側から帯びる。 「シルフィーモン、これ…」 「ああ。……間違いなく、圭太郎のデジヴァイスだ」 まもなくその液晶は、光を止め、再び沈黙に返った。 遅れて、アプサラスの全身の輝きも止まった。 「消えた…?」 「おそらく、持ち主である圭太郎とのリンクが途切れたままだったからだろうな。……だから、猶予がなくなる前に、探しておきたかった」 シルフィーモンが言いながらアプサラスを見た。 アプサラスも、その言葉の意図を理解してうつむく。 「猶予って?」 「パートナーデジモンは、パートナーが死ねば緩やかに消滅する運命を辿る」 「!!」 「今回の公演が、お前にとって最後になる。そうなんだろ?」 「………はい」 ーーー 脳梗塞でした。 彼女はそう話し始めた。 「圭太郎は、長いこと、不自由な身体にありながらダンスに生涯をかけてきました」 そのため妻子はおらず、アプサラスだけがずっと圭太郎の傍らに居続けた。 炊事や洗濯、排泄に入浴…そうした下半身不随の身ではままならぬものは、なにもかもアプサラスが甲斐甲斐しく手伝い、こなした。 本来ならシルフィーモンというデジモンに備わった強靭な身体能力は圭太郎を介護するために使われた。 戦いではなく、パートナーの生活を支えるためだけのあり方。 圭太郎によるダンスのレッスンと両立した生活は、アプサラスにとっては大変なれど楽しくもあった。 そんな生活のなか、圭太郎が一度だけ、激怒したことがある。 『なぜだ、彼女の技量は認めてくれたのに…なんでだよ!!』 圭太郎はアプサラスのダンサーとしての見てもらうため、いくつもの会社へのパフォーマンスのオーディションに参加させた。 しかし。 『デジモンだから?デジモンだから駄目とはどういうことなんだ?こんなの間違ってる!デジモンならデジモンだからこそできることだってあるのに!』 『……圭太郎』 審査員達はアプサラスの技量に感服するも、デジモンであることを理由に不採用の結果を連絡してきたのだ。 デジモンが一部の職を得るにフリーランスとならざるを得ないのは、未だにデジモンという種を相手にどこまで人間と同じ枠組で扱えば良いのか迷っている業界ごとの背景ゆえだろうが。 デジモンがダンサーになるには今だに、フリーランスか団体への所属がなければ難しい。 「圭太郎は、それを受けて決意したのです。デジモンが活躍できる舞踏団を作ろうと。副団長を任せているジャターユは、その過程で私達に同意し手伝ってくださっているデジモンの一人です。彼の名前も、圭太郎が感謝の意を込めてつけたものでした」 評価を順調に得て、団員が増え、少しずつできることが増えてきた矢先だった。 圭太郎が倒れたのは。 救急車を呼ぶも、搬送された先でアプサラス達を待っていたのは不幸な知らせ。 享年31歳。 あまりにも若く、アプサラスにとっても唐突すぎたパートナーとの別れだった。 「それで、この舞踏団はデジモンだけになったんだな」 「幸い支援をしてくださる方はいましたが、肝心の団員に加わってくださる方は一人も…それで、私が団長を務め、まとめあげてきました」 けれど、それも長くは続かない。 どれだけ最期が近づいているか、この身体がわかっている。 そんなとき、彼のデジヴァイスのことを思い出した。 「私は彼のデジヴァイスを見ずに、ここまできました。ですから、消えてしまう前に彼との繋がりをもう一度感じておきたかった…」 「そうでしたか」 店長は何度もうなずき、そして空の紙箱を抱いた。 「アプサラスさん、デジヴァイスをあなたにお返しします。商品にせずに預かり続けて安心しました」 「どうもありがとうございます。圭太郎の証を守ってくださって、感謝の言葉もありません。…あなた方に依頼して本当に良かった」 それでは、とアプサラスは部屋を出た。 美玖はシルフィーモンの方を向いて小声で話す。 「アプサラスさん、良かったですね」 「そうだな。あの様子からして、猶予そのものはもうあまりない。…パートナーというのも不便なものだな」 アプサラスが戻り、報酬金の入った封筒と、数枚ほどの紙のような物を持ってきた。 「こちらは依頼の報酬金です、どうかお納め下さい」 「お受け取りしますね。……そちらは?」 「個人的な御礼ですが…」 アプサラスは言いながら、美玖に封筒とともに二枚、店長に一枚それを渡す。 「そちらのリサイクルショップの店長様にも、良ければ公演を見に来ていただけたら幸いです」 「えっ…!?」 それがチケットであると知って美玖は思わず声をあげた。 「い、良いんですか!?」 「はい。ジャターユにも話は通しておきます。こんなにも早く探していただけた恩を、こういう形でしかお返しできませんが…」 アプサラスは憑き物の取れたような晴れやかな表情で笑む。 「おかげで、圭太郎のパートナーとしても胸の張れるパフォーマンスができます。どうか、楽しみにしていて下さいね」 ………… 今、思えば。 あの時からもう彼女は消えかかっていたのだと思う。 彼女がチケットを美玖に手渡した時、その指先が一瞬だけノイズがかったように見えた。 …見に行く気は、なかったんだがな…。 ーーーー 公演初日。 テントを訪れた客の数は、集客としてはまずまずといったところだろうか。 緊張と期待に胸を膨らませながら、美玖は隣のシルフィーモンを見た。 「見に行かないんじゃなかったんですか?」 「いや、同じシルフィーモンのよしみだ。それに、二人分もチケットを寄越されたらさすがに来ないわけにいかない」 団長から直接手渡されたチケットは感謝の証。 とてもではないが、気軽に他人に譲渡できるはずもない。 面倒そうなシルフィーモンのため息をよそに、美玖は受付中のピヨモン達にチケットを見せる。 「あ!団長がお招きした方々ですね!お席はすでに用意してありますので、前の方へお願いします」 チケットを見せられたピヨモンの声に、テントから現れたフクロウのような見た目のファルコモンが一体現れた。 「こちらです」 中は非常に広く、ステージを囲むように前へ行くほど狭まっていく形になっている。 その最前席に美玖達は座ることになった。 「おや…」 「リサイクルショップの店長さん!」 互いに挨拶を交わし合う。 「私もインド舞踊というものは初めてでね」 店長は恥ずかしげに頭を掻いた。 ステージを見れば、楽器が置かれ、それを何体かのピヨモン達が調整をしているのが見える。 公演の演目はオープニングセレモニーとエンディングセレモニーの他で三つ。 一つ目はマニプリと呼ばれる、本来なら複数人の女性で踊るものでゆったりとした動きが特徴の舞踊。 二つ目はカタカリと呼ばれる、本来は男性が踊る舞踊劇。台詞のない歌舞伎のようなものといえばわかりやすいか。 三つ目が、アプサラス団長によるバラタナティヤムという女性によるソロダンスで、演目名は『ヴァーユ神に捧ぐ』。 これらを、全てデジモン達が踊るのだ。 ……… ーーなあ、アプサラス。 ーーなんですか?圭太郎。 ーー…ここ最近、頭に時々浮かんでしまうことがあるんだ。もし、今の僕の足が、こうじゃなかったら… ーーこうで、なかったら? ーーきっと君と一緒に踊る、そんな事ができたんじゃないかって。 ーーきっと、できますよ、いつか。……きっと。 ……… オープニングセレモニーはクチプディと呼ばれるインドの田舎発展の古典舞踏。 踊るのはピヨモン、ホークモン、ファルコモンといった成長期の鳥型デジモン5体。 色鮮やかな衣装と鈴のついた足輪を身に着け、緩やかな曲調で奏でられ始めた音楽とともにステージに歩み出る。 成長期ということで、客席はお遊戯会を見るようなほのぼのとした雰囲気になるも束の間。 音楽、間に入る歌声、踊り手たる5体の動きとテンポにたちまち引き込まれた。 ひと通りの踊りが終わり、センターを務めるホークモンが一礼をする。 「皆さん、この度は当舞踏団へお越し下さり、誠にありがとうございます。是非とも最後までショーをお楽しみください!」 次いだ演目・マニプリでは、スワンモンとバードラモン。 鈴の音と舞うたびに、スワンモンからは白い羽毛を思わせる霜が、バードラモンからは火の粉を思わせる光が散る。 曲と伸びやかな歌声に合わせた赤と白の共演に誰もがため息をついた。 次の演目はカタカリ。 この演目ではジャターユを主演にカラス天狗を思わせる容姿のカラテンモン、一体の大きなニワトリにも似たコカトリモンが演じる。 ジャターユ達の目が充血していることに美玖は驚いた。 演目の内容は『ラーマーヤナ』より、王子一行へ一人の羅刹女がそそのかしに現れる一場面。 舞でありながら、芝居を観ているかのような心地。 羅刹女を演じるコカトリモンも主役に負けず劣らずの演技と舞を演じる。 (これは……) 迫力と雅さ、それらが同居した様にシルフィーモンは目を見張った。 (彼女のパートナーが言っていた、デジモンならではの可能性とは、これなのか) 自身が踊るという夢を閉ざされたからこそなのか。 彼らの演技力が高いがゆえなのか。 拍手に意識を引き戻された時には、ジャターユ達は舞台から戻っていた。 ……… もうじきだ。 傍らに置いたデジヴァイスに、何度手を触れただろう。 脚に付けた鈴の音を鳴らしながら立ち上がる。 「…圭太郎、行きましょう」 戦うことはなかったけれど。 これといった大義を負うことはなかったけれど。 これこそが、自分の"闘い"であることを示せるのなら。 ……… 休憩時間の終わりと共に、ステージに軽やかな笛の音が始まりを告げた。 ステージの端から、色鮮やかな衣裳に煌びやかな装身具を身に付けてアプサラスが現れる。 足輪の鈴を数度鳴らし、力強い脚が軽やかなステップを踏む。 歌声と打楽器による囃子が入り、観客はたちまち魅入られることになった。 曲に合わせ、様々な手つきを見せつつ、時にゆったりと時に激しいステップを踏む。 本来ならば目による表現もこのインド舞踏には欠かせないものなのだが、ゴーグルで覆われているはずの向こうの目も表現を表しているかのように美玖は錯覚した。 インド舞踏の事はよくわからないながらも、アプサラスの多種多様な手の動き、柔軟な全体の動き、重さを感じさせないステップにはしなやかな美があった。 まるで人の形をした風が舞っているかのような。 (……凄い) 感想をどうにか形容しようと精一杯の言葉を探した結果の答え。 でも、それでも終わったら必ず伝えに行こう。 そう思い、終わる最後まで、美玖は一挙一動を観ていた。 脳へ叩きつけ、刻み込むために。 ーーーー 拍手喝采と共に、賑やかなボリウッドダンスが始まった。 ステージの上で踊り終えたアプサラスを囲むように、ドッと鳥型デジモン達がステージに現れたのはまさに圧巻のひと言だった。 観客達も面食らいながら、最後を締めくくるに相応しい賑やかな大団円に拍手から手拍子に変わる。 観ていて、楽しい。 そんな感想をもたらしながら、初日のインド舞踏ショーはひとまずの閉幕となった。 ーーーー 「……凄かったですね……、皆のダンス」 帰ってきて未だ興奮からの脱力が抜けず。 深く息を吐きながら言う美玖に、シルフィーモンは答えずデスクワークに移った。 「シルフィーモン?」 「私が君の分もやるから、今日は休んでいろ」 「もう、シルフィーモンもあれを観て凄かったとか、良かったとかないんですか?」 「特に、な」 「ええ……っ?」 作業に入りながら、シルフィーモンは目を閉じた。 踊っていたアプサラスの、ノイズが増えていたのを思い出しながらだ。 だからこそ。 (君の踊りは…素晴らしかったよ、同類(アプサラス)) あの踊りには全身全霊、心が込められていたのを感じた。 だからこそ、魅せられた。 ああ、けれど。 (やはり、パートナーというものを持ったデジモンというのは、面倒だな) そう心の中で、彼はぼやいた。  ーーーーー ショーの最終日の夜。 いつものように探偵所としてのオフィスワークを終えた先で、ドアを叩く音。 「すみません、すでに業務終了時間なのですが…」 美玖が言いながら出ると、ジャターユが立っていた。 「こんばんは、探偵所の方。…アプサラス団長が、お呼びです」 「え?」 「依頼の件ではなく…ついに、消滅を始めたのです」 「!!」 赤く目を腫らしたジャターユの全身からは強烈なスパイスの香りが漂った。 「急きょ、来ていただきたいと団長が」 「…わかりました!」 ーーーー ジャターユに案内され、美玖とシルフィーモンが小さな下宿屋に向かう。 そこで見たアプサラスの全身は、幽霊のような半透明の状態で、ノイズが激しくかかっていた。 「ああ……っ」 「こんな時間に、すみません。よく来てくださいました」 愕然とする美玖を前に、穏やかな面持ちでアプサラスは笑んだ。 まるで、これから自分がなくなってしまう事を恐れてはいないかのように。 「初日に来ていただきありがとうございました。……いかがでしたか、私の舞は?」 「言葉でなんて表せれば良いのかわからないくらい、凄くて、綺麗でした」 大雑把、といっていいくらい拙い感想だったが、アプサラスは安堵の表情を浮かべた。 「ありがとうございます。圭太郎が満足するかはわかりませんが…最後まで、踊れた事が本当に良かったです」 「あの踊りには、心がこもっていた。それに魅せられるものを覚えたよ、アプサラス」 「まあ」 シルフィーモンからの言葉にアプサラスは少し驚いたような反応。 「同族からそう言ってもらえるとはその、思わず」 「お前のパートナーも、そんな踊りを踊ったお前を誇らしく思ってるんじゃないかな」 ジジッ……ジッ…… ノイズがより強く、そしてアプサラスの身体の透明化がより著しくなっていく。 ジャターユはアプサラスの肩に手を置こうとしたが、すり抜けた。 「…ジャターユ、後をお願いしても良いですか」 「団長…」 「次期団長は、貴方に。どうか、ガンダーラ舞踏団をより良いものにしてあげて下さいな」 私と圭太郎の分も。 そう言った時、アプサラスの脚から上へとデータの分解が始まった。 デジモンの死。 それを理解した美玖の目から涙が溢れる。 「アプサラスさん…!」 「……美玖さん、並びに同じシルフィーモン。デジヴァイスを探して下さって、本当にありがとうございました。……本当に、ありがとう……」 ーーーーピキィィィーーーン…… データの粒子が上昇し、アプサラスの姿は砕け散った。 初めて目にしたデジモンの死に、美玖は泣きながら両手を合わせた。 「団長…ぐすっ…」 「アプサラス団長ー!」 ジャターユの他に、その場に居合わせていた数体の鳥デジモン達もすすり泣きながらくず折れる。 しばらく、その夜は、哀悼の泣き声に満たされた。 ーーーー 遅い就寝の夜、美玖は夢を見た。 暖かな春のような風、鼻をくすぐる花の香り。 そして、どこからか音楽が聞こえてきた。 (この、曲は…) インド舞踏のエキゾチックな旋律に、美玖は目を開ける。 そこは、何の種かわからない、色とりどりな美しい花が咲き乱れる場所だった。 その中で。 アプサラスと、一人の男性が踊っているのが見えた。 何処にでもいるような、ごく普通の男性。 その男性の腰に付けられたデジヴァイスに見覚えがある。 (……アプサラスさんのパートナーの、圭太郎さん…!) 楽しげに、踊りを交わす一体と一人。 それを見て、もう収まったと思っていた涙がまた溢れ出す。 彼らは、再び会えて、共に踊れているのだ。 花の香りと花弁が乱舞し、その中を楽しく幸せに踊る姿に美玖は。 夢から覚めるまで、いつまでも見守ったのだった。 いつまでも、いつまでも。 ……後に。 新たに団長を迎えたガンダーラ舞踏団は、着々と評価を得てやがて、人間の団員を迎えるようにもなる。 「またいずれ、この地区で演じる日が来るかもしれませぬ。その時は何卒宜しくお願いしますね」 下宿屋を去る前にそう言ったジャターユの言葉も、近いうち現実になるだろう。 その言葉にうなずき、美玖は今も、彼らのテントを待ち続けている。 また、あのひと時を体感するために。
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みなみ
2022年10月05日
In デジモン創作サロン
目次 ……走る。 「はぁ、はぁ、はぁ…!」 何もない黒の闇を、 「はぁ、はぁっ、はあ、はっ、はっ……」 走る。 何も履いていない素足が何かに引っかかって擦り切れ、血が出た。 だが止まれない。 止まるわけにいかない。 「はぁ、はぁっ、はっ……待って……!」 はるか前方を飛ぶ金色の光を見る。 今は、その光以外を見るわけにもいかない。 ……なぜなら。 「ウウウゥゥゥウウウ……」 「追え…花嫁…俺達の、花嫁…」 背後から追ってくる、濡れた音の混ざった不快音。 十、百…いや、たくさん。 そいつらが背後から迫ってくる。 やがて、視界が開けた。 真っ暗な森から飛び出した先は。 「ああっ…!」 目の前に広がる光景に絶望の色を見せる。 そこは、何ひとつない崖と濁った海。 名状し難い巨影を見た海。 崖下では、数百にのぼる目が見上げていた。 金色の光は、どこにもいない。 もうダメだ。 「ウウウウ!!」 「俺達の子を産め…孕めえっ…!」 「……っ!!」 追いつかれた。 逃げ場はない。 手の中の光の矢も数多の奴らを止めるには足りない。 ついに。 「いやああああああああああっ!!!!」 女……五十嵐美玖の痛々しい絶叫が、暗礁に響いた。 こちら、五十嵐電脳探偵所 第十話 闇(くら)き暗礁、白き閃光 その日、何の変わりのない日常は突如人間達を混乱に陥れた。 テレビが。 パソコンが。 携帯電話が。 街角の宣伝モニターが。 尽く、尽く、砂嵐のようなノイズを映し出したのだ。 「なんだ?」 「故障かしら…?」 「おい、なんだってこんな時に」 人々が困惑するなか、そのメッセージが表れた。 『凡ての人間らへ告げる。凡ての人間らへ告げる。我が名はイグドラシル。デジタルワールドを統制、統治するもの也』 「イグ、ドラシル?」 「なんだ、誰かのイタズラか?」 到底肉声のものとは思えない音声が、モニターに浮かび上がった言葉を読みあげる。 デジモン達の端末にもそれは表れる。 困惑した人間と違い、デジモン達の間には緊張が走っていた。 音声は仰々と、淡々と、メッセージを続ける。 『此度は我がメッセージを遍くリアルワールドのネットワークへ飛ばした。これは、人間らへの警告とリアルワールドに住む凡てのデジモンらへの要請である』 「警告?要請?」 デジモン達は声をひそめ囁き合った。 イグドラシルは、曰く。 『数ヶ月に掛けて、デジタルワールドにて不当なる人間らの侵入並びにデジモンへの攻撃が起きている。これらに対し、此方はロイヤルナイツらによる長きに渡る対処を行ったが依然改善の余地なし。ゆえに』 人々はどよめいた。 デジタルワールドに人間が侵入? デジモンを攻撃? にわかに信じ難い話だ。 だが、イグドラシルはそれを赦すまいとした。 『ゆえに、人間らへ告げる。不当な侵入と攻撃を行う人間らの居場所、詳細を知る者はただちに通告せよ。さもなければこのメッセージより三ヶ月後に、侵略に対する正当行為としてリアルワールドへ攻撃を行う』 「はあ!?」 「…………えっ?」 困惑は文字通り混乱と軽度の恐慌に変わった。 これはテロリストによる攻撃布告とはわけが違う。 だが、人間達のそうした反応を、イグドラシルは機械的な態度を以って流した。 『リアルワールドに滞在しているデジモンらへ要請する。デジタルポイントへ赴き、然るべき指示を得て攻撃者を殲滅せよ』 デジモン達は顔を見合わす。 『現在、デジタルポイントの封鎖作業が行われているがその数は莫大。それゆえ希望者はこのメッセージの後端末より013と番号を送るが良い。ロイヤルナイツからの返答を待機せよ。ーー危険な任務となるが、それに見合った報酬を約束しよう』 ーーー 「遂に始まったか、我が君」 …ロイヤルナイツの集合所にて。 イグドラシルが発信するメッセージの羅列を、眺める白い騎士。 緑眼を細めながら呟く後ろから、別の騎士が歩み寄ってきた。 「こちら側の戦力は現在究極体が23体、完全体159体、成熟期747体にアーマー体が300体集っている。既に被害の多い地点のデジタルポイントへ向かわせているところだ」 ドゥフトモンだ。 彼が提示した戦力は、アルフォースブイドラモンとスレイプモン、ガンクゥモンが駆け回ってかき集めた現時点での数だ。 組織への無所属である事を考えればそれなりの数は集まったというべきか。 「各組織に動きは見られたか?」 「ウイルスバスターズが積極的に自主的なパトロール行為を行っている。彼らが主な情報源だ」 ナイトメアソルジャーズ、ウインドガーディアンズ、ネイチャースピリッツに動きなし。 ディープセイバーズは海上にて警戒態勢を敷いている。 メタルエンパイアは……。 「つい二週間前に連絡が入っていた。メタルエンパイアが所有しているレアメタルの鉱床の一つが奴らに乗っ取られていたそうだ」 メタルエンパイアは機械型やサイボーグ型デジモンによって構成され、組織としては規模も戦力も最大クラス。 首魁である究極体デジモンのムゲンドラモンにより、戦力の割り振りや装備の調整・補強に欠かせないレアメタルの鉱床の管理は厳重に行われている。 その一つが人間達の好きにされていたのだ。 「ムゲンドラモン(奴)の激昂ぶりが目に浮かぶようだな」 「だがメタルエンパイアは強者至高主義の組織。協力は期待できん。リアルワールドでどれだけの戦力が集まるか、そこにかかる」 白い騎士・オメガモンは言いながら、イグドラシルのメッセージが終えるのを見つめた。 それから数分して、指定番号の送信が入った。 「ほう、一番手とは中々早い」 ドゥフトモンが感心したような声と共に、送信元を確認し…指が止まった。 「この者は…」 「どうした?」 「例のエジプトでの一件に関与した者達を覚えているか?ジエスモンから報告されていた…」 ああ、と即答し、オメガモンは目を瞬かせる。 「それが何か?」 「そのうちの一人からだ」 ドゥフトモンが端末の管理番号を検索し、モニターに表示する。 表示された情報のデジモンを見て、オメガモンは目を細めた。 「このデジモンは…」 「現在、アヌビモンと関係のあるデジタマから生まれたデジモンを管理している探偵所に所属している者だ。現在、所長である例の人間…五十嵐美玖は病院にて治療中との事だが」 それは、シルフィーモンのものだった。 ーー 探偵所に必要なのは金銭的な維持だ。 だが、依頼だけでは到底足りないのも現状だ。 探偵業は大儲けという言葉とは程遠い職業の一つと言ってよく、だからこそ。 シルフィーモンは、イグドラシルのメッセージが終わってすぐ、その招集に応じた。 今の探偵所に多額の報酬の依頼が来る可能性もないならば。 「…お主、行くのか」 探偵アグモンがシルフィーモンに声をかける。 「ああ。探偵所の維持もだが、美玖の治療費もかかっている。それに向こうにせよ戦力は必要だろうからな」 ロイヤルナイツからの連絡が来るのは三日以内の予定。 それまでの間は待機となる。 「お主の手を借りたいのは山々だが……」 探偵アグモンはうなだれるが、言わずともシルフィーモンにはわかっていた事だ。 そうでなくとも、シルフィーモンは美玖が負傷した事に対して負い目を感じている。 「あの子を任せられる者がいる事を、ワシは今、幸せに思っている。…その事だけは、お主に言っておくぞ」 「わかった」 少ない荷物をショルダーバッグに入れながら、シルフィーモンはゴーグルの裏で祈るように目を閉じた。 (今、美玖の容態に変わりはない。だが……) いつ、悪化するかもわからない。 そう医師から聞かされている。 弾丸を取り除く事に成功はしたが、ダメージもあるため後遺症の可能性が残るかもしれないとも。 ぎゅ…とショルダーバッグを握りしめる。 (美玖……どうか、目を覚ましてくれ) ーーーー 病院の一室、とある病室にて。 美玖は、今も意識不明のまま眠り続けていた。 心拍(バイタル)は依然として低値を維持している。 この時、美玖に何が起こっているのか誰一人として窺い知ることはできない。 ………… ざわざわざわざわざわざわざわざわ……… ざわざわざわざわざわざわざわざわざわ…… 黒という黒で塗り潰されたような闇。 波の音のように、無数の誰かが囁き合う声が反響するような音。 (……わたし……) その無数の音に悪意を、敵意を感じて、身をよじる。 ……「身をよじる」? そこで美玖は「目を開いた」。 こぉぉぉおおおおお……… ぬるく、生臭い潮風が頬をなでた。 背中に濡れて温かい泥の感触。 それを不快に思いながら、美玖は身体を起こした。 「ここは……?」 そこは、何処かわからない海岸だった。 暗く雲が立ち込める空には日の光がなく、海も墨のようだ。 「ここは…海?」 さっきまで、自分は何をしていたんだろう? そんな事も思い出すことができず、もやがかった思考のまま身体を起こす。 なぜ自分がここにいるのかも、そもそも自分が最後にどうしていたかもふわふわとしている。 「なんだかここ……気持ち悪い」 墨のように黒い海面に、不安を覚える。 その時、海面のとある場所が、ぶくぶくと泡立ちだした。 最初、それは美玖のいる海岸からは視認できないほど小さいものだったが、やがて。 ザバァアア……! 「あれは!?」 海面が山のように盛り上がり、そこから現れたものに先程までもやがかったような意識が叩き起こされる。 海上に響き渡るおぞましい咆哮。 暗いにも関わらずそこにいるとわかる存在感と巨大さ。 それは、蝙蝠のような翼とタコの頭を持った名状し難い巨人の様相をしていた。 (あれは…デジモン?) 反射的にスキャンをしようとして気づく。 ツールはおろか、デバイスも身につけていないことに。 「嘘っ!?」 思わず声が出た。 そして、改めて自身の格好を目にする。 今の美玖は患者が着る手術用のガウン姿になっていた。 …逆に言えば、それ以外のものは何も身につけていない。 今の美玖は丸腰も同然の、無防備な状態だった。 …そのような状態だと確認したことで。 「ああ……あ……」 恐れが、不安が。 そうだ、薬。 薬は? ガウンをまさぐるが、そんな物を持っているわけもない。 グォォォオオオオオオオ!! 「!!」 "巨人"がより大きな咆哮をあげた。 サイレンのような不快感の伴うそれに、美玖の不安や恐れはたちまちピークを迎えた。 「いやあああっ!!」 走り出す。 どこへ、など考えない。 ぬかるんだ地面の上を素足で走るため、足がめり込む感触が気持ち悪い。 額を脂汗が伝い落ち、ただひたすらそこに地面があるからと言わんばかりに足をばたつかせる。 「はあっ、はあ、はあっ、はっ」 …暗闇に近い空の下、自分の周り以外の周囲が見えない視界。 精神安定剤もなければ傍らに誰もいない。 (助けて、助けて、助けて!!) 涙が溢れる。 なぜ自分はこんな所にいるのか? なぜこんな怖い目に遭わなくてはいけないのか? 頭の中で思考が浮かんではぐるぐる回って消えていく。 今まで支えられたからこそ維持していたものが、隠されていた脆弱さが表に表れる。 今の美玖を助けてくれる者は誰もいない。 「あぐぅ!」 ぬかるみに足を取られた。 顔から泥へ突っ込んで、顔から下のほとんどが泥にまみれた。 「うう…う…」 口の中に入った泥にうめき、吐き捨てながら立ち上がったところで前方に見えるものに目を瞬かせた。 「あれは…」 それは、村だった。 牧歌的なものすらないほど小さく荒涼とした。 ーーーー 早くも、三日経ち、シルフィーモンの端末が鳴った。 「そろそろ私は行く。後の事は探偵アグモンに頼んであるので、大丈夫だと思うが」 「しるふぃーもん、ほんとうにいっちゃうの?」 「……すまない」 「行クノハイイガ、死ヌナヨ」 「わかってるよ」 …… 指定されたデジタルポイントへ入る。 そこにはすでに三十体を超える数が集まっている。 成熟期が多いのは、元々デジモンとしての通常の限界ゆえだろう。 「今回揃ったのはお前達だけだな?」 デジタルポイントの一角から姿を現したのは、黄金の装甲にも似た鎧を纏った青い肌の竜人のようなデジモン。 ロイヤルナイツの一人、マグナモンだ。 マグナモンは集まったデジモン達を見回しながら続けた。 「では諸君、今回は第一召集という事で今集まってもらった者に任務の説明と、希望者にはシフト制の案内をしている。後者については、当初予定のなかったが我らが同志ガンクゥモンからの提案を取り入れた」 デジモン達は互いに顔を見合わす。 「今回の任務は我らが君イグドラシルからのメッセージにある通り、デジタルポイントを通じて侵入してくる人間達の殲滅だ。最近彼らについてさらに有力な情報が入ってくる期待があるゆえ、拠点捜索は人間側の警察機関に任せ、こちらは追加指示があるまで防衛に専念することとなる」 「諸君らは指定されたネット空間で待機状態だ。シフト制をとった者には個別で座標送信とプログラム言語による『転送』の術式が送られる。待機の合間は鍛錬を怠るな」 マグナモンが質問者がいないかと面々を見渡すと、そのなかに挙手された手を見つけた。 「シフト制についてだが質問して良いか?」 「お前は……」 シルフィーモンだ。 マグナモンは促す。 「シフト制と言ったが、リアルワールドで人間達が使っているシフト制と同じ仕様と捉えて良いのか?時間や日数についての選択もあるだろう?」 マグナモンはその問いに対し、手元に書類を出すと目を通しながら答えた。 「概ね同じと思って構わん。報酬もその分変動はするが、功績を出せば出す分のものは出そう」 他には?と見回すマグナモン。 すぐさま別のデジモンが挙手する。 「相手は人間だろ?なぜ俺たちデジモンから戦力を募る必要があるんだ。同じ人間をぶつけりゃ良くないか?」 「………彼らの装備にはデジタルワールド由来の素材も使われている。二週間前、メタルエンパイアが所有していた鉱床の一つが占拠されていた報せが届いたことからもそれが窺える」 それを聞いて一部のデジモン達は声をひそめた。 メタルエンパイアの組織としての規模と強力さは知られている。 「それのみならず、奴らは肉体を何らかの方法で強化している。ただ吹き飛ばす、蹴り飛ばすのだけでは意味がない。必殺技で容赦なく消し飛ばせ」 その言葉にシルフィーモンはうなずいた。 「他に質問は?」 「デジタルポイントの移送に関してだが、そちらからの座標によって動くのか輸送手段が来るのだろうか?」 「それに関しては、バルブモンを数体派遣する。デジタルワールド側のデジモン達を先に拾い上げてからになるが、それまで各自準備やコンディションの調整を怠らぬように」 質疑応答の後は、マグナモンによる個別相談。 早速シルフィーモンが呼ばれると、マグナモンは彼を見上げた。 「エジプトの件ではアヌビモンであったデジタマ確保のため働いたと聞いたが、今回の作戦に関しても世話になる」 マグナモンは続ける。 「それで、シフト制希望ということだが、具体的な希望日時は?」 シルフィーモンはマグナモンに伝えた。 希望として、美玖のいる病院の休院日に当たらぬ曜日のうち二日分の休日と、10時間勤務。 緊急出動にも応じると。 「なるほど、その件は後日組んでおこう」 マグナモンは送信を終えると、改めてシルフィーモンを見た。 「個人的な質問をしても良いか?」 「私に…?」 「探偵所所長の五十嵐美玖についてだが、彼女の状態はそれほど思わしくないのだな?」 「……ああ」 シルフィーモンの返答に、マグナモンはしばし沈黙を守る。 「……そうか、心苦しいが、作戦が開始次第よろしく頼むぞ」 ーーー ふらつく足取りで村へと歩く。 途中の道に立つ看板が目に入った。 「……ここに、人が住んでいるの?」 つぶやきながら看板を覗くと、デジモン文字が書き付けられている。 「字がすごくかすれていて、読めない。イ……マス?」 かなりの年月が過ぎたものなのか、泥のような黒いものに汚され、お世辞にも薄暗い空の下とても読みにくい。 看板が示す方には小さな村。 なだらかな丘を下り、二キロほどの距離を歩いてその村にたどり着いた。 ともあれ、ここがどこか、あの海にいたモノが何かは聴くべきだ。 そう思った美玖だったが、着いた村の様相を見て困惑の表情を浮かべた。 「なに…ここ……」 そこは、村というにはあまりにも寂れていた。 こじんまりとした木の家だが、どの家も朽ち果てていて人の気配がない。 家畜が飼われていたのか囲いがあるが、中はもぬけの殻だ 空気は潮臭く、およそ人が住むには心地よくのない雰囲気すらあった。 (……ここ、人がいない?) 廃村だろうか?と見回す。 村全体は意外にも広々としていて、その中心はちょうど広間になっている。 そこで、美玖は人影が固まっているのを見つけた。 「良かった、人がいた!」 家に人の気配がなかったのは、おそらく村全体の集まりがあって外出していたのだろう。 そう思って、村の中央へ近づいていく。 「…………」 「……………」 「……」 近寄って、そこで美玖は潮臭さと共に魚のような生臭さが漂うことに気づいた。 その大元が、村人と思しき人影らであることにも。 だが、デジモンにも、近寄りがたい体臭を放つものはいる。 看板のデジ文字からして、きっとここはデジタルワールドなのだろうと美玖は思っていた。 それが間違いだとしても。 「すみません!」 美玖が声をかけると、人影が一斉に止まった。 まるで一時停止機能を押されたビデオ映像のように、ぴたりと。 それに気味悪さを覚えながら、美玖は構わず尋ねた。 「すみません、ここはデジタルワールド…ですよね?迷い込んでしまったようで、もし良ければ話を……」 "それら"は、一斉に美玖を振り向いた。 人影だと思っていたものは、墨のように黒いモヤに覆われた人と魚の合いの子のような姿をしていた。 ギラつく目が一斉に美玖を見た後、一人、いや一体が言った。 「……光……」 「え?」 戸惑う美玖をよそに、彼らは美玖へ近づいてきた。 ぺたり ぺた、ぺたり 水かきのついた足が一歩、また一歩と美玖へ距離を詰める。 ここで美玖は彼らの自身を見る目が異常であることに気がついた。 理性の伴わぬ、狂気に満ちた視線。 「光、光だ!」 「花嫁、おでだちの、花嫁!」 「子ども、産ます!俺達の子ども、産ます!」 「花嫁が、来たぞおおおお!!!」 どっと彼らは美玖へ突進してきた。 涎を垂れ流し、獣じみた声をあげながら走るその姿に美玖は悲鳴をあげた。 「きゃああああああああ!!」 元来た道を引き返すように走り出す。 背後で、数十を超える狂気の群れが押し寄せてくる。 「花嫁!花嫁!花嫁!!」 (花嫁って何!?何かがおかしい!) 美玖は異様な違和感を覚えた。 彼らは本当にデジモンだろうか?と。 デジモンには性別はない。 どれだけ魅惑的な肢体を持とうと、それらは全てガワのようなものだ。 かろうじてあるとすれば、その性格、内面的なものが男性的か女性的かくらいか。 デジモンの繁殖は転生に近く、寿命が近づいた時自身のデータの一部をデジタマに変換する事で次の世代を残す。 そう教えられていた。 それだけに、自身を"花嫁"と呼び追いかけてくるその姿が異様だ。 「な、何か、変、だ…!」 ここは、デジタルワールドではないのか? 捕まればどうなるか。 おそらくその場で凌辱が始まるか、さもなくば……。 想像したくないものが頭をよぎり、冷たいものを背筋に覚えた。 (それだけは…どうにか、どうにかしないと!) その時、手元に強い光が生まれた。 「あ…!」 手元になかったはずのもの。 以前に、呪われた館でファントモンに追い詰められた時に弓矢に変化したもの。 ホーリーリングが。 「…仕方ない!」 振り向き様、その弦を引いて溜め始めた。 稲妻のような光が、矢のような形状となってつがえられる。 「止まりなさい!さもなければ撃つ!」 しかし、その牽制もむなしく異形達は美玖へ迷う事なく迫ってくる。 真っ先に詰め寄った奴に、美玖は矢を放った。 「グオオオッ!」 胴を撃ち抜かれたモノがたちまち闇色の粒子となって四散する。 少し胸は痛むが正当防衛と割り切り、唇を噛む。 それでも他のものは怯むどころかさらに走ってきた。 一体、さらに一体。 光の矢で撃ち抜かれたものは四散するが、それよりも数が多い。 「いつの間に、増えて…!?」 気づけば、村の広間にいたよりも"彼ら"の数は増えていた。 数十体どころか、百体を優に超えている。 それら全てが自分を狙っている。 飢えて狂った、ケダモノの目で。 「どうすれば…!」 その時である。 ピィィーーーッ! 視界の端を金色の小さな影が横切る。 それは、美玖と"彼ら"の間をさえぎるように通り過ぎて、美玖の頭上を旋回した。 目を瞬かせる。 「………鳥?」 鳥は、暗闇にいてわかる程に金色に輝き、赤い双眸を美玖に向けると中空飛行で飛んでいく。 まるで、美玖を誘うように。 一瞬、その様子にぼうっとしかけたが気づけば再度"彼ら"が接近しようと走ってくる。 迷う猶予は、ない。 構わず一体を撃ち抜くと、美玖は金色の鳥の後を追って、走った。 ーーーー 戦いは熾烈を極めた。 アラームと共に、幾何学的な形状をしたバルブモンのボディからポッドが幾つも射出される。 デジタルポイント内の地面に落ちると、そこからデジモン達は一斉に飛び出した。 相手である人間の数は半端なものではなかった。 どこから捻り出したのかと言わんばかりの人数。 その数、実に600人。 いち組織としてはあり得ない数だ。 だが、その仕組みはすでに判明し、デジモン各々へ伝えられている。 曰く。 「向こうにはハッカーがいる。彼らは独自の手法でデジタルポイントやデジタルワールドへ『多重ログイン』をしている」 アバターを作成し、数百体単位にコピーした者を送り込むやり方だ。 デジタルポイント及びデジタルワールドがネットワークの世界である事を利用した戦力といえる。 こうなると、デジモンからなんらかの方法でハッカーの精神にアクセスし、そのニューロンを焼き切ってでも元を絶たない限りいくらでもアバターは湧くのだ。 そして、このアバター達は個別に動ける。 デジモン達に対して、この戦法は一定の効果を得てもいる。 無制限に補充の利く歩兵が湧いて出るようなものなのだ。 戦意と士気、どちらも殺ぐには効果的。 「くそっ、キリがねえ…」 何度目かわからない防衛を終えて、デジモンの一体がぼやいた。 その傍らでシルフィーモンも肩で息をする。 休息のため後列へ下がった彼を複数の視線が迎えた。 「よう、そこのあんた。前の前線じゃ世話になったな」 そう言いシルフィーモンを手招きしたのは、バイザーの付いたヘルメットに全身を武装したケンタウロスのようなアサルトモンの一体。 投げてよこされたそれをシルフィーモンは受け取った。 焼けば肉料理のような味わいのニクリンゴ。 軽く熱を通されたそれをかじれば、リンゴの見た目からは想像もつかぬ生姜焼きの味と香りが口の中に広がる。 デジタルワールド特有の食べ物の一つだ。 「今回の戦力はかなり厄介みたいだったな、アバター共は何人いた?」 「600人」 「ヒュー!…ゾッとしないねえ!」 今回は間に合ったが前線は崩壊寸前だった。 広範囲と高火力を備えたサイボーグ型デジモン達による一斉掃射が功を奏した。 「そちらは次の前線に出る予定か?」 「おう、やたら湧くアバター共には閉口するが報酬はきっちり約束してくれるからな」 事実、イグドラシルは己のメッセージを偽ることはなかった。 どう計測しているのか定かではないものの、確かな高額の報酬をきっちりと出してくれていたのである。 「しかし、イグドラシルもアレだねぇ。俺達を働かせるのはいいが、いつまで消耗戦をやらせる気なのだか」 「……三ヶ月後、リアルワールド(こちら)にて拠点が割れなければ攻撃を開始、か」 具体的にどう攻撃か、など問うのはおそらく愚問。 噂ではそのための要員を究極体から募っていると聞いている。 究極体や上位の完全体を投入し、各地での攻撃を行わせるのだろう。 (……それは、阻止せねば) ニクリンゴをかじり終えて、シルフィーモンは立ち上がる。 「お、もう行くのか?」 「ああ」 「俺達もじきに行く。幸運を!」 今日はこちらでまだやるべきことがある。 それに集中し、終えてすぐ美玖の見舞いへ。 シルフィーモンは思いながら、再び前線へと戻った。 ーーーーー 永久の闇に閉じ込められて幾数千。 戦いは終わったのだろうが、自身はその終わりを見ることもなく彷徨し続けている。 ーー今、デジタルワールドの行方は? 一筋の光すら射さぬ闇の中、片腕に留まった小さな命だけが唯一の救いだった。 でなければ、とうに狂い果ててもおかしくはない。 …むしろ、その方が幸せなのかもしれないが。 なにせ、今となっては肉体を構築するデータは失われた、魂だけが残った状態なのだ。 終わりのない彷徨に幾度めかももはや数えられぬため息を漏らした時。 ーーん? 今まで光ひと筋もなかった闇にぽつんと、光が見えた。 薄桃色と、その背後から輝くオレンジゴールド。 誘蛾灯に惹かれるように、そこへ白い外套を翻し向かう。 ーーあの光は、一体。 片腕に留まらせていた小さな命がぴぃ、と鳴き、飛び立つ。 さながらノアの手から放たれた鳩の如く。 ーーあの光へ導いてくれ、フレイア。 もし魂だけとなったこの身にやるべき事が新たに生まれるのなら。 光に向かいまっすぐ飛んでいく愛鳥の後ろ姿を追って、自身も光ある先へ飛び込んで行った。 そこは、闇の領域。 デジタルワールドでもダークエリアでもない、未だに残された狂気の地。 その地に迷い込めば最後、たとえどれだけの運を持った人間であろうと無事には出られぬ領域。 ーー暗黒の海か。 その名は知っていた。 邪神のダゴモンを支配者とした冒涜的な世界。 自身が目指した光は、ここにあるのか。 白鳥の外套をはためかせ、愛鳥の帰還を待つことにした。 ーーーー もう幾度となく防衛での参戦を繰り返し、身体はひどく痛む。 シルフィーモンはその痛みに耐えながら、デジタルポイントを通って美玖の病院へ向かった。 病院の利用者がシルフィーモンとすれ違い、ぎょっとした顔で彼を振り向く。 …腕の白い毛並みや翼は戦いの土埃やデータの残滓に汚れ。 下半身の羽毛や脚部にはわずかに血がこびり付いていた。 受付まで行くと、看護師があ、と小さな声をあげる。 「こんにちは。五十嵐美玖さんへの面談ですね」 「ああ」 「手続きは了解しました。それと……、一度、お身体を綺麗にしてからまたいらしてください」 「え?……ああ、そうか。すまない」 あまりデジモンの来院者がいない事もあってか、看護師達もシルフィーモンの事をすっかり覚えたようだ。 苦言を呈した看護師に頭を下げ、シルフィーモンは一度病院の外へ出る。 「…すっかり忘れてた。仕方ない、身体を洗ってこなくては」 幸い場所は聞いてある。 スーパー銭湯だ。 デジモン専用の個室に入り、ゴーグルとHMD、上に着ていたラバースーツのようなインナーを脱ぐ。 特に意識をしているわけではないが、誰かの前で脱ぐというのは落ち着かない。 久しぶりに、一人になった気がした。 「……こんなの、いつぶりだ」 探偵所という拠り所を得て。 気づけば仲間も増えて。 騒がしくこそあるものの、ご近所付き合いも増えて気づけば。 それが楽しいと思える自分がいた。 以前までは、他のデジモンや人間に興味などなかったはずだったのに。 (彼女に情をほだされたかな…) 初めて会った時は、後先考えず無茶をする人間だと思っていたのに。 今ではただの雇い主以上の存在になってきている。 どう言い表せば良いかと問えば…例えば、家族のようなもの、とか。 (こんな気持ち、初めてだ) 毛についた汚れや血を洗い流していく。 見た目はごく普通の血だが、生身の人間のものだけでなく、ハッカーによって生み出されるアバターのものもある。 概念的な血液なのだ。 それが排水口へ流れていくのを見て、目を閉じる。 (…どうすれば) 真っ赤な、血。 彼女の胸を濡らした血の赤。 (どうすればいい?) そんな思いを抱えながら、浴場を出て身体を乾かす。 体毛の多いデジモン用に用意されたドライヤーも、今ではもう慣れた。 そこへ、端末がけたたましく鳴る。 「何だ?」 送信元を見れば美玖の病院。 慌ただしく端末を手に取り、受話器モードにした。 「シルフィーモンです、どうしましたか?」 相手は先程受付にいた看護師の女性。 切迫した声で彼女は言った。 『すみません、五十嵐美玖さんですが………』 「どうしました?」 『先程容態が急変して…、呼吸困難の状態に』 「!?」 胸騒ぎがする。 『現在、担当医が対応中ですので、面談の件ですがすぐには…』 「いえ、そちらへ向かいます!!」 …………… 慌ただしく馳せ回る看護師。 状態を確認し、美玖に様々な医療器具を繋ぎ、指示を送る医師。 聞こえますか、と。 ●●できますか、と。 看護師の繰り返し呼びかける声が病室に木霊する。 おびただしく汗が流れ落ちていく。 気道確保のためのパイプが外れんばかりに、胸が激しく上下運動を繰り返す。 接続された心電図に表示中の心拍数(バイタル)は乱れ、低値と高値を不安定に繰り返す。 今、美玖の身に何が起きているのか? …………… ーー 「はぁっ、はあっ、はあっ…!」 押さえる胸は激しく脈動する。 近くにいた者に聞こえるのではないかと思うくらい、激しく。 「花嫁え…!」 「俺達のためのぉ、子ぉおお」 不気味な叫びが、彼らが近くで徘徊している事を教えた。 物陰に身を隠しながら、美玖は走り出す機会を窺っていた。 金色の鳥を追うのと、背後から来る魚人のようなモノ達から逃げるのを両立しては足が何本あろうが足りない。 ガクガク震える足を押さえながら、弓を持つ手を握りしめた。 鳥は、大きく8の字を描きながら飛び回っている。 こちらがわかっているのだろうか? (走るのは、足の疲れが取れてから…!) ひた、ひたりと、足音は周辺に響いている。 今のところ、魚人共は鳥には何の関心も示していない。 興味をそそられる程の存在とは捉えていないのだろう。 もう一度物陰から覗くと、一体の魚人がすぐそばを通り過ぎた。 (…どう動く?) 弓を持つ手を握りしめながら、様子を窺う。 近くを歩く魚人は、周りをギョロギョロとした目で見回しながら不恰好な姿勢で通り過ぎる。 足の疲労が落ち着いたのを確かめて、美玖は物陰からその姿を視界に納めつつ弓を引いた。 光の矢が魚人の背中を貫いてすぐ、美玖は物陰から飛び出した。 それに気づいた魚人達が声をあげる。 「い"だぞぉぉおおおおお!!」 ………走る。 「はぁ、はぁ、はぁ…!」 何もない黒の闇を、 「はぁ、はぁっ、はあ、はっ、はっ……」 走る。 前方を行く金色の鳥を追って。 何も履いていない素足が何かに引っかかって擦り切れ、血が出た。 だが止まれない。 止まるわけにいかない。 「はぁ、はぁっ、はっ……待って……!」 そう、止まるわけには。 「ウウウゥゥゥウウウ……」 「追え…花嫁…俺達の、花嫁…」 ……… 緩やかに下がる脈拍(バイタル)。 「美玖!!」 ……… 真っ暗な中を走り抜け、美玖は開けた崖の上へ出た。 「ああっ…!」 金色の鳥はどこにもいない。 目の前に、最初に見た時と同じ墨のような黒い海面と十数mもの高い崖下。 無数の目が光る海面から目をそらすように、背後を振り向けば。 ……… 冷たいその手を握りしめ、心電図を睨み。 下がる一方の心拍数にただただ祈るように手を強く握る。 「美玖…!」 ……… 振り返れば、数百を超える飢えた眼差しが群れを成して自分に迫っていた。 もう逃げ場はない。 自分は何のためにここへ逃げたのか。 絶望的な表情が自ずと浮かぶ。 「あ……ああ、あ……」 ……… 「彼女はもう……」 「いや、まだ、もう少し祈らせてください!!」 ………… 「ウウウウ!!」 「俺達の子を産め…孕めえっ…!」 「……っ!!」 追いつかれた。 ………… ーーーーピッ ーーーピッ ーーーーピッ ………… 「いやああああああああああっ!!!!」 黒い大きな影のような群れが一斉に迫った。 冷たくヌメヌメした身体が美玖を押し倒し、術衣を引き裂く。 女性の腕力以前に、多勢に無勢。 視界いっぱいが魚人共に覆い尽くされ、下半身はほぼ裸同然の状態に暴かれる。 「ぐぉおおお!」 「やめて、お願い、やめて!!」 ………… 「美玖、帰ってきてくれ!……美玖!!」 ……………ピッ ……… 吠えながら一体の魚人が美玖の上へ乗り上げた。 その時である。 ひゅうっ 風を切る音と共に、美玖の上へ乗った魚人の身体が硬直した。 「………!?」 「が……あ…っ……」 見れば、鳥の頭を模した鏃の矢が一本、その頭部を貫いている。 たちまち群れ全体がざわついた。 ピィーッ…! あの金色の鳥が飛んできて、美玖の上で硬直したままの魚人をつつきまわす。 その魚人はゆっくり上向けに倒れ、四散した。 「あれは…!?」 美玖は上空に、白く輝く誰かの姿を捉えた。 それは人のように見えた。 鳥の羽を思わせる外套をなびかせ、黒いサングラスのようなバイザー越しに下を見下ろす。 その時、美玖は自身の胸元が熱くなった感覚を覚えた。 「これは…!?」 彼女の胸にボウッと光る、オレンジゴールドの光。 薄桃色の輝きとは違うそれが、上空に浮かぶ人型のそれに向かって強い輝きを放った。 ーーーそうか、この光か。 ゆっくり、人のようなものが抜き放ったのは両刃の剣。 光から目を守ろうと退く魚人達だが、人のようなそれは剣を振り上げた。 瞬時に凍りつく大気。 (寒…!?) 肌を切るような寒さに美玖は剥き出しの肌を守ろうと自身を抱きしめる。 美玖を未だ拘束しようとしている魚人達に向けて、その刃は振るわれた。 ーーー『フェンリルソード』!! その斬撃は一瞬だった。 美玖の周囲の魚人達はたちまち氷のオブジェめいて凍りつき、そこを剣によって両断されていく。 圧倒的な強さの一端を見せつけるには十分な攻撃だ。 ーーーこの光か。魂だけだったこの身体が、肉体があった頃のように…! 魚人共は美玖に近づけず右往左往した。 ……だが。 人型の存在の姿がかき消えたかと思うと再び。 ーー『フェンリルソード』! 絶対零度の冷気を伴う斬撃と共に、一度に数十もの魚人が塵となり舞う。 崖下からこれを見上げていた数百の眼はたちどころに水面下へ消えた。 魚人達は本能的に自分達の目の前に現れたモノが非常に強力な存在である事に気づいた。 だが美玖という存在を前に逃げ出す事も選ぼうとしない彼らへ、高速の斬撃は容赦なく振るわれる。 数十! 数十! 数十! 数多の魚人が四散していくのを唖然と見守る美玖の右肩に、重みが加わった。 慌てて見れば、あの金色の鳥が乗っている。 「…あなたと、あの人が助けてくれたの?」 羽繕いする鳥に尋ねる。 鳥は応えるように、美玖の肩の上でもう片方の翼を羽繕いした。 ーーーほう。フレイアが私以外の者に停まるとは。  ハッとして美玖が顔を上げると、目の前に先程の人型存在が見下ろしていた。 気づけば魚人の姿はどこにもない。 剣を鞘に収めて、その者は美玖に近づいた。 「あなたは……デジモン?」 ーーーそうだ。 その者は微かな笑みを浮かべた。 中性的な容姿にどこか、シルフィーモンの面影を見いだす美玖。 だが、圧倒的な神々しささえあるその姿は、眩しくさえあった。 ーーーダークエリアでの戦いにより、永久の闇に封じられ数千年。久方ぶりに光を見た。感謝する。 「ダークエリア!?」 ーーーしかし、妙だ。貴方は選ばれし子どもではない。にも関わらず、その内に紋章と光がある。…ふむ。 白い布地に覆われた指で軽く自身のあごに触れ、物事を考えるも束の間。 その者は美玖へ歩み寄り、抱き上げた。 「あ…」 ーーーともあれ、ここは暗黒の海。心に闇を見た者が迷い込む魔境。出るとしよう。 「で、でも、私、どうやって出れば」 ーーー心配はいらない。貴方の光を辿らせてもらおう。 そう言った瞬間、人型デジモンの外套の両脇がさながら鳥の翼のように広がった。 そして、高速で空の歪みに向かって飛び上がる。 「……っ」 たちまち地上と海から離れていく。 そこへ、あの悍ましい咆哮。 思わず身をすくませる美玖の身体を、しっかりと力強い腕が支えた。 ーーー心配するな。ダゴモンといえど手出しはさせん。 加速する。 たちまち暗黒の海の主すら置き去りにして、その者は闇を駆け抜ける。 「あ、あなたは…」 ーーー私はどうやらまだやるべき事ができたようだ。…いずれ、また。 ーーーーー 「…………っ?」 目を醒めたと共に、鼻と口に感じる異物感。 どことなく息苦しさを覚えて、それでもなお身体に不自由さを感じた。 (……?ここ、は?) 白い壁と天井。 かろうじて目を動かせば、夜明けの朝日が窓から差し込んでいるのが見えた。 (ここ……病、院…?) そこで気づいた。 異物感の正体は口と鼻に挿入されたパイプだ。 耳をすませば、心電図の音がする。 (私、どうして、ここに…?) 思い出せない。 最後に何があったか思い出そうとして、すぐ傍らにシルフィーモンの姿を見つけた。 (あ……) 彼は美玖の手を握りしめたまま、座った姿勢で眠っていた。 それを見て、みるみると目に涙が浮かんだ。 あのシルフィーモンに似た面影のデジモンが誰かはわからない。 でも。 (帰って、これたんだ) 「……ん……」 身じろぎし、シルフィーモンが上体を起こした。 「もう、こんなじか……!?」 そこで目が合った。 シルフィーモンが驚く早さで立ち上がり、美玖の手を握り直す。 「……美玖!!」 名前を呼び返そうとして、パイプに邪魔されて上手く言えなかった。 けれど。 シルフィーモンの手がナースコールを押した。 「美玖、良かった…!もう、ダメかと思ってた」 涙が溢れて、こみ上げて。 怖い思いをした後だからこそ、それはたちまち崩れ落ちた。 (……うああああ…!!) ーーーー 「心拍数も血圧も正常値に戻っています。このまま後一週間ほどは安静にすれば、退院もまもなくでしょう」 医師の診察にシルフィーモンは安堵した。 必要なしとパイプの接続は外され、少しずつだが美玖の回復は快方へ向かっている。 病室へ向かうと、阿部警部が立っていた。 「どうだ?」 「このまま安静にしていれば退院もまもなくだそうだ」 「……そうか」 二人して沈黙の後、阿部警部はシルフィーモンの顔を窺うように聞いた。 「…あの時は本当にすまんかったな、うちの署長が」 数日前。 シルフィーモンはE地区の警察署まで出向いた時、署長に美玖の事で責められた。 『なんで美玖ちゃんはこう毎度、デジモンにばかり…!良いか、あんたらデジモンは美玖ちゃんの人生を滅茶苦茶にした!台無しにした!狂わせた!私ゃ絶対許さんからな!』 「五十嵐のやつ、警察署にいた頃は一部じゃアイドルみたいに扱われてたからな…署長にいたっちゃ結構なもんだった」 思い出し、苦笑いしながら阿部警部は詫びる。 「お前も気に負わんようにな、シルフィーモン。悪いのはお前じゃない。それは皆わかってるからよ」 「………ああ」 「五十嵐は良くも悪くも、"ほっとけない"タイプだからな。……もうじき昼だ。なんか奢るぞ」 ーーー 静かな病室の中。 安らかに寝息をたてる美玖の傍らにぼんやりと。 白く輝くそれは佇んでいた。 肩に、金色の鳥を乗せて。
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みなみ
2022年9月19日
In デジモン創作サロン
今日は、じいちゃんが死んでちょうど一年になる。 俺は母さんと共に××県の山奥に近い実家へ向かった。 元々閉鎖的な集落で、各々の家で育てて採った野菜による自給自足をやってるが時代の流れでかくも変わるもので。 今は、ブランドものを打ち立てる形で品種改良された野菜を村一同で育てて出荷している。 ……それを除けば、ごく普通の小さな村だ。 「あら、美穂子さんと賢太君。いらっしゃい。ちょうど今、お母さんが住職さんを呼びにお寺へ行ってるわ」 「こんにちは、節子さん。最近暑くなってきましたね」 「ええ、また一段と早くなってきたわ。ささ、お茶を淹れるからあがって」 迎えてくれたのは節子さん。 血縁としては遠いが、なにかとお世話になってきた人だ。 とても穏やかな人で、この人の顔を見るといつも、そしてなぜか、俺はほっとする。 ガキの頃からよくこの人に面倒を見てもらっていたからだろう。 今年で40代くらいだったと思うが、俺の周りの同年代の女性と比べても物静かな人でもあった。 最近はじいちゃんの身体が悪く、ばあちゃんだけじゃ負担が重いからと気に掛けてくれ、同居していたと母さんから聞く。 「どうぞ」 「ありがとう」 風鈴の音に縁側を吹きつける風。 いかにも夏といった感じではあるが、それでも今年は例年よりもまだ早い暑さだ。 節子さんが出してくれたお茶と水饅頭はとても美味しく、俺も母さんもここまでの道のりの疲れが吹き飛ぶ思いだった。 「………眠い……」 それなのに、妙に眠い。 俺はまぶたを擦りながら、涼やかな風の中で横になり目を閉じた。 ーー 「……ん……」 ぬるい風に頬を撫でられて、俺はふと目が覚めた。 どれだけ寝ていたんだろう? 遅ければ母さんがきっと起こしてるはずなので、ばあちゃんが住職と戻ってくる頃には間に合っているはず。 …だと思ったのに。 「………は?」 身体に感じるは、木の感触と匂いではなく少し固い土の感触と匂い。 ぬるい風がまた頬を撫でるが、それがまた微妙に気持ち悪くて俺は立ち上がった。 「なんだ、一体…… ここは?」 そこは、古びたお寺のような場所だった。 いつもじいちゃんが世話になっていた住職のお寺とは全然違う。 破れ寺…というやつだろうか。 周りは竹林に囲まれていて、とてもではないが不気味だ。 「……これは、夢、か?」 軽く自分の頬をつねってみるが、痛い。 でも、俺は確かにばあちゃんの家の縁側で、横になっていたはずなのだ。 それに、ガキの頃からよくばあちゃん達の家の近くの山で遊んでいたからよくわかる。 ここは……俺の知る山の光景じゃない。 「ん?」 がさり、と竹林の奥で何かの気配がした。 こんな所に人だろうか? 俺は、音のした方へと足を進める事にした。 「おうい!」 竹林を歩きながら、俺はその奥にいるだろう誰かに向かって声を張り上げた。 何かが動くのが見えた。 それを目指して走っていると、足元に突然赤々とした絨毯が広がる。 なぜ、彼岸花が? (この時期にはまだ早すぎる…) そんな考えが思わずよぎった。 ともかく俺が、彼岸花に囲まれた中にいるそいつに声をかけると、そいつはぴたりと止まった。 「………」 「すみません、どういうわけか道に迷ってしまって。帰る道を探しているんですが…」 そいつは、何も答えず、ゆっくりと俺を振り返った。 「……ひいっ!?」 今思えば話しかけなければ良かったかもしれない。 そいつは人かと思っていたけれど、よく見たら全然違う。 身長は俺の腰くらい低くて、身体は岩そのものでできている。 ゲームにこんなやつがいたような気がするが、当然そんなことを考えてる場合じゃない。 「なっ…」 俺は言葉を失った。 こいつと同じような奴が、何人?何体?ともかくそれだけ沢山の数で俺を取り囲んでいたのだ。 暗がりの中、目を真っ赤に光らせて…。 「jdmtlgn#gvkgptm!!」 「うわああああ!」 ノイズがかかったような声と共にそいつらが俺に襲いかかる。 俺はとっさに背を向けて逃げ出した。 幸い、そいつらの足は速くはないようだが…竹林の中を走りながら俺はゾッとした。 (まだ、何人もいるのか!?) ともかくあちこちに、光る目があった。 どれも俺を睨み、まるでお前はここにいるべきではない、と言っているかのようだった。 「うわっ!?」 周りに気をとられすぎて、前に何がいるかもわからずぶつかってしまった。 ぶつかった時の感じからして、俺よりも背の高い奴のようだ。 「あ?なんだ、お前」 どこか気怠げに俺を振り返ったのは、これも人じゃなかった。 人のようだけど背丈が2.5mくらいで、青いザンバラ髪に沢山の髑髏を首飾りのように掛けている。 …まるで河童のような頭に、あれ?と俺は首を傾げる。 銃の弾を入れる部分と三日月の形をした刃物を強引にくっつけたような棒は別にしても、どこかでこんな奴を見た覚えが……。 「cgukkgrscjmhyy!」 さっきの奴らが追いついてきた。 それを見た河童に似た奴が舌打ちするのを俺は聞いた。 「…おい、人間」 「は、はい!」 「巻き込まれたくなきゃ、頭を下げてろよ。ーーー降妖杖・渦紋の陣!」 そいつが手に持った武器を持ち上げ、凄い勢いで振り回す。 凄い重い物だろうそれが、うずくまった俺の頭上で風を起こしながらブン回されることに生きた心地がしない。 その時、水飛沫のようなものが顔にかかって、俺は思わず顔をあげてしまった。 「これ、は…」 出処はわからないが、水の竜巻のようなものがさっきの奴らを片っ端から呑み込んでいる。 まるでゲームやアニメのキャラクターが出すような、現実ならあり得ない技という現象に俺は唖然とした。 (一体、なんなんだ…?) 瞬く間に水の竜巻がかき消えて、河童のような奴は俺を見下ろした。 「おい、もう立っていい。この辺りの連中は片付いた」 「は、はあ…ありがとうございます」 「にしても、なぜ人間がここにいる?ここは人間の来るところじゃないぞ」 俺は、名乗ってすぐに事情を説明した。 どうやらこいつはさっきの奴らと違って俺を襲わないようだし。 夢なのかどうかさえわからない、と話すとそいつは気むずかしげな顔をした。 「そいつは……てか、お前。まさか、あいつの世話になってるのか?」 「あいつ?もしかして、じいちゃんかばあちゃんの事?」 「違え。……まあ、良い。おそらくお前は魂だけが飛んでここに来ちまってるんだろ。ともあれあいつに免じて現世に帰してやる。そのままでいろよ」 河童のような奴が言いながら何かを念じると、頭の中がぼんやり霞がかってきた。 「心配いらん。お前はすぐに目を覚ます」 その言葉を最後に、俺は倒れてしまった。 ーー 「………た!賢太!」 「ん……」 何度も揺さぶられ、俺はぼんやりと目を開けた。 木の匂い、感触、聞き覚えのある声。 閉じたまぶたの隙間から差し込む茜色の光。 「!」 起き上がる俺を母さんが呆れたように見下ろしていた。 「おばあちゃんが帰ってきたわ。こんな所で寝てたら風邪ひくわよ。今から支度をするから、お風呂にでも入ってなさい」 「は、はあい」 気の抜けた返事に、母さんはすぐ踵を返す。 夕飯の準備をするんだろう。 気づけば夕方か…縁側に差し込む夕陽に俺は目を細める。 のそのそと起き上がり、すっかり冷めたお茶を口にしながら部屋を見回した時、本棚に目が止まった。 「……これ」 それはかなり古い絵本だった。 日焼けした部分やめくれ跡がどれだけこの絵本が読まれていたかわかるほど。 いかにも子ども向けといった感じの絵だが、そこに描かれたものに俺はあっと言葉を吐いた。 白い馬に乗った坊さんに、雲に乗った猿と熊手を担いだ豚、そして…。 「そうだ、沙悟浄とかいうやつ…」 俺を助けてくれた、あの河童に似た奴への既視感の正体。 あれは、西遊記の登場人物にいた三蔵法師の弟子の一人の沙悟浄だったんだ。 それにしちゃあんな武器じゃなかったような気もしたが。 そこへ、畳を踏む音がした。 「その絵本、昔よくあなたに読み聞かせてわね賢太君」 「節子さん」 節子さんがにこにこと微笑みながら、そばにやってきた。 「懐かしいわ、西遊記。金角と銀角との戦いがあなたの一番お気に入りだったわよね」 「……そうだっけ」 全然覚えてなかったが、それでもちょっとした談笑を終えた俺は風呂へ向かうことにした。 ーーー 「………」 節子は、一人部屋に佇みながら、絵本のページをそっとめくった。 そこへ、声がかかる。 「お前も好きものだよな、人間の家にやってきてまで世話をかけるなど」 「シャウジンモン」 振り向く節子は、すでに人間としての姿ではなかった。 姿こそ人間のようであるが、大胆に露出度の高い袈裟姿をした女性の姿。 そこに人ならぬ空気を纏う。 「いい加減戻ってこいよ、サンゾモン。…ゴクウモンがヘソ曲げる前な」 「ふふ、あなたも変わらずですね。ですが、せめて。もうしばらくは世話になった人間がいた此方にて、功徳を積もうかと思っております。ゴクウモンにも伝えてくださいね」 「やれやれ…あの坊主からお前の気配を感じた時には何事かと思ったんだがな。俺がいたから良いようなものの、"こちら側"の奴らが坊主を襲った原因を作ってどうするんだよ」 「……そうですね。それは失念していました」 節子……サンゾモンはため息をつく。 西遊記の三蔵法師がそうであるように、サンゾモンもまた他のデジモンから狙われる身。 「あの子には、本当に申し訳ない事をしました。礼を言わせてくださいね」 「やれやれ」 ……人の姿に戻った節子は縁側から外を見る。 少しばかり空気が湿っぽくなるのは、雨の兆しか。 「…今年はあの人の一周忌。参りましょうか」 そっと立ち上がり、絵本を本棚に戻して節子は。 住職の手伝いをするべく仏間へと歩みだした。 了
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みなみ
2022年9月16日
In デジモン創作サロン
目次 それは昼下がりのこと。 シルフィーモンの反射神経が加速する。 「はああっ!」 裂帛の気合いと共に彼に向けて繰り出された蹴り。 咄嗟に腕をクロスさせガードの態勢を取る。 速く、鋭く、重く、蹴りの衝撃が腕を通して全身に伝った。 (この一撃は…!) 次に来る蹴りを予測し、シルフィーモンは素早くこちらも蹴りで払うように対応した。 ガッ! 払った脚を素早く戻し、距離を取る。 ーーシルフィーモンというデジモンは対空戦に特化した能力を持っている。 ゴーグルによる動体視力向上の補助を受けて放つ百発百中の『トップガン』、飛行中に多用する事が多い衝撃波『デュアルソニック』。 対して陸上、特に近接戦においては、拳や平手を用いた殴打、高い脚力を活かしたキックが主流となる。 ただ、それゆえに。 相手によっては劣勢に陥れられることも多いのも事実である。 シルフィーモンの完全体としてのスペックは決して弱くはないが、非常に強力なデジモンというわけでもない。 特に近接戦での接戦ならば、身体能力だけを頼りにしているのが災いして、洗練された武術(マーシャルアーツ)の遣い手が相手であれば不利に追い詰められること必至だ。 今相手にしているデジモンは、まさにそのような手合いだった。 楽しげに相手の口角が吊り上がる。 「まだお相手できるかい?」 「そうだな」 応えながらシルフィーモンは構え直す。 距離としては5mほど。 十分に近い位置だ。 相手方の足が探偵所のフロアの床を蹴る。 シルフィーモンの足も同一のタイミングで踏み込みーーー ガチャッ! 「しるふぃーもん、ただいまー!」 「良いジャガイモと人参あったから、今日の晩御飯はカレーよ!……っ!?」 激しくぶつかり合うシルフィーモンと見知らぬデジモン。 帰宅してきた一人と一体がそこで固まった。 「シルフィーモン!?」 探偵所内、受付前でシルフィーモンとせめぎ合うデジモンを見る。 相手のデジモンの身長は3mほど。 シルフィーモンを若干上回る人型と思しき体型だ。 雷と東洋の意匠が見られる装束と手足首に巻かれたバンテージ、両手には指抜きのグローブを装着している。 美玖は、シルフィーモンの援護のためそのデジモンへ指輪型デバイスを向けた。 「待て!」 シルフィーモンが止める。 「美玖!彼は依頼人だ!」 「……え?」 こちら、五十嵐電脳探偵所 #9 まっくら火急大急ぎ 『バウトモン。完全体、獣人型、ワクチン種。空手などの格闘競技のデータから進化したデジモン。あらゆる格闘技のルールがラーニングされており、相手が望む試合形式で戦うことを重んじる礼儀正しいスポーツマンだ。……』 場所は移って客室。 デバイスによる解説に目を通し、美玖は目前の客に尋ねた。 「いちからお尋ねさせていただいても良いですか」 「おう、センセイ」 「なぜ、先程シルフィーモンと戦っていたんです?」 美玖の問いに目の前のデジモン・バウトモンは返答に困ったように苦笑い。 「あれはだな…」 「美玖達が買い物に行ってあまり経ってないうちに彼がやって来てな。帰ってくるまでの時間潰しをしていた」 「時間」 「つぶし?」 美玖とラブラモンが同時に口を開いた。 「センセイが戻ってくるまでしばらく待つって事でよ。そこの助手さんが中々腕が立つってことで組み手の相手をしてもらってたってわけだ」 バウトモンは言いながらシルフィーモンの肩に手を置いた。 「アンタ、良い腕だったぜ!また今度付き合ってくれな」 ひとまず話を戻して。 依頼は人探し、のようなものである。 「ようなもの?」 「場所は知ってるんだが、リアルワールド(ここ)へ来てから連絡が全然取れなくてよ。人間の知り合いもいねえし、どうしたもんかなと思ったらデジモンの悩みを解決してくれるかもというこの探偵所を紹介してもらったんだぜ」 バウトモンが訪ねようとしていた相手の名前はトゥルイエモン。 まだ未完成の域だがオリジナルの武術を持つデジモンで、バウトモンとは格闘技愛好の繋がりから友好を深めていた仲だという。 そのトゥルイエモンは現在、リアルワールドへ渡って東京まで移住しており、バウトモンも、それを追ってデジタルワールドからやってきたが…。 「やってきてから連絡したんだが、全然出ないんだ。回線はちゃんとリアルワールドに対応するよう設定もしてあるはずなのにな」 「今も連絡は取れない状態なんですよね?」 「ああ、掛けてみるぜ」 バウトモンが端末を取り出し、番号を入力。 端末が通信中になり、受信音が鳴り響く。 …5分後。 「……通信中のまま、ですね……」 「何か心当たりはないのか?」 「俺もよくわからない。少なくとも、あいつにリアルワールド(ここ)へ行くと伝えた時にはちゃんと話もできた」 美玖が自身の携帯電話を取り出した。 「念のため、私の携帯からも掛けさせてもらって構いませんか?」 「すまんな」 バウトモンからトゥルイエモンの端末の番号を教えてもらい、美玖が携帯電話から端末に向けて掛けてみる。 PRRRRRR……… PRRRRRRRRRRRRR…… 5分後… 「……出る気配がない、ですね」 端末の画面に連絡相手の通知が出るため、他の誰かがかけてきたなら気づくはず。 「何か事態に巻き込まれた…?」 美玖が怪訝な面持ちで考え込む。 「東京、と言っていましたね。詳しく、どこにご在住かわかりませんか?」 「確か……リョウゴク?とかいう場所の地下鉄にいるって話だったぜ」 バウトモンの答えに美玖とシルフィーモンは顔を見合わす。 「リョウゴク?」 「…多分、両国だわ。相撲とか国技館で有名な場所よ」 バウトモンは身を乗り出した。 シルフィーモンと比べてもわかるほど隆々たる体が前のめりになる。 「探偵のセンセイ。どうか、アンタを頼らせてほしい」 「わかりました」 一人と一体は頷いた。 しかし。 (東京、か…田舎者かって、言われないかしら…?) そう、別のベクトルで不安になる美玖だった。 ーーーその翌日の昼。 高速道路を走り抜け、白い獣の影はデジモン用の国道へと出ていった。 人間が騎乗した場合に限り、四つ足歩行のデジモンや一部の乗り物系デジモンは軽自動車と同じように扱われる。 また、選ばれし子どもに限られるが、審査を経て通学・通勤にパートナーデジモンにのみ騎乗や運送が許されている。 なお、緊急時を除き、一般人が移動を目的で乗り物系ではないデジモンに騎乗する場合には免許が必要だ。 運転免許証取得の際希望があれば、その場でも後でも審査を経ての取得が可能である。 美玖も、グルルモンを迎えた関係で、市への申請と共に免許を取得している。 「…今、埼玉の上辺り…緊張する…」 グルルモンの背の上で現在位置を確認しながら、美玖は早る胸を抑えきれずにいた。 なにせ、彼女にとってこれが初めての東京である。 「大丈夫か、探偵のセンセイ?めちゃくちゃ心臓が動いてんぞ?」 「ハッ!?い、いえ、大丈夫です!なぜドキドキしてるのがわかったのかと思いますが…!!」 一番手前でグルルモンにまたがっているバウトモンに聞かれ、美玖はつい口早で答えた。 「ああ、俺のような運動系データ由来のデジモンはどういうわけか、人間の心臓とか脈拍とかに敏感なんだよ。全部がってわけじゃないが」 「せんせい、しんぞうばっくんばっくん!」 「ちょ、ラブラモンまで…」 ぎゅっと背中に耳を押し付けるラブラモンに美玖が困っていると。 「ハシャグノハ構ワナイガ、落チルナヨ」 走りながらグルルモンがため息まじりに言った。 「ねー、ねー、せんせい」 「ん?」 「いまね、とおりすぎてったあのたてものみたいなのはなーにー?」 ラブラモンが前脚で指すものはすぐ遠ざかる。 指差していたものはガソリンスタンドだ。 バウトモンもチラリとそちらを見ていた。 「確か、人間の乗り物の燃料を補給する場所じゃなかったか?」 「ガソリンスタンドですね。人間が乗る自動車用の燃料を補給するためのお店です」 「なんで、がそりんっていうの?」 ラブラモンが目をぱちぱちさせる。 「ガソリンっていうのが車に使われている燃料の名前なの。他にも種類があるんだけどね」 「へー」 「とても火に燃えやすいから、もし触る機会がある時は絶対にガソリンの近くだけでも火を近づけちゃダメよ。火が近いと、爆発してとっても危ないものだからね」 「はーい!」 それに吹き出すバウトモン。 「アンタ、随分知りたがりだな。でも悪くないぜ」 えへへ、とラブラモンは得意げに舌をペロリと出す。  「せんせいからいろいろおそわってるんだ!せんせい、しるふぃーもんとおなじくらいなんでもしってるから!」 「そんな事ないわよ」 苦笑いしながら、美玖は後で何か好きなの買ってあげようと模索するのだった。 ーー かなりの距離を走りこそしたが、デジモンのスタミナは相当のもの。 途中のパーキングエリアでの10分休憩を除けば、グルルモンは移動の殆どの時間を走り抜けていた。 隅田川の流れを横目にジャンクションを通過、それからグルルモンは上空を飛ぶシルフィーモンに目配せした。 「高い建物ばっかり…!」 街並みを目にして、思わず口からそう出てしまった。 A地区、C地区、E地区にも高い建物はそれなりにはあったが、デジモンの姿がほとんど見当たらない事もあって美玖は唖然としていた。 通りすがるとほとんどの人が、グルルモンを見てかなり驚いたような顔をする。 「……この辺りの人たちもデジモンをあまり見ないのね…」 都市だからどう、という違いではない。 実際、以前に依頼で行った呪われた洋館のあった地区は、美玖達の住むD地区とあまり変わり映えのしない街並みだった。 それにも関わらずデジモンがいなかったのだから、尚の事彼女は困惑するしかない。 (私の暮らしていた町がそういう場所だったから…) グルルモンが足を止めたのは、両国の交番。 その背を降りると、地上へ降りて来たシルフィーモンと合流した。 「まずは、ここでトゥルイエモンさんについて何かないか聞きましょう」 「そうだな」 美玖とシルフィーモン、バウトモンが交番へ入ると中にいた巡査と思しき若い男性警察官がぎょっとした表情を見せた。 その隣では、より歳のいった男性警察官が何やら険しい顔で電話を受けている。 「こんにちは。御勤め、ご苦労様です」 「あ、はい…なんでしょうか?」 美玖からの一礼に反射的に返す若い警察官。 美玖が名刺を出し、若い警察官に渡す。 「私はこちらの探偵所の所長です。こちらの依頼人の方に関わりのあるデジモンの所在を探しておりまして…」 「これはどうも。五十嵐、探偵所、ですか。で…こちらの、デジモン、の…」 バウトモンを見上げながら若い警察官は目を瞬かせた。 一般的な身長の男性からしても、バウトモンの背丈はかなりの差がある。 ただ見下ろされているだけで威圧感を覚えるのは致し方ないか。 「俺の同志で、トゥルイエモンというデジモンがいるんですがこちらの地下鉄にいるはずなんだ。それが、何日か前から連絡が取れない。何か知りませんか」 「地下鉄…?」 若い警察官がどう応えたものかと迷っている所で、歳上の警察官の通話が終わった。 「ふう、参ったな…ん、すみません。何か御用ですか?」 「神田巡査部長、彼らが、その…」 「お取り込み中のところ、失礼します。私達は……」 若い警察官と美玖が伝えると、その警察官…神田巡査部長と呼ばれた50代の男は眉根を寄せた。 「もしや、両国地下鉄の?」 「はい」 バウトモンが答えると、神田巡査部長は剣呑な様子で手元のメモを開いた。 「先程、両国駅から通報があってね。臨時ホームを見回っていた駅員が血まみれになったと」 「臨時ホーム?」 「夕刊輸送と臨時列車用のホームだ。昔は長距離列車用のホームだったんですがね」 あまり使われていないが、稼働そのものは今も行われている。 「以前からそこに、デジモンや十数人くらいホームレスがたむろってて注意するよう度々駅の方には言ってたんですが…まさかと思いますが」 神田巡査部長は深く息を吐く。 「万が一デジモンによる傷害事件ならば尚の事検閲しなくては」 「では、これから話を?」 美玖が尋ねると、神田巡査部長は若い警察官の方を向いた。 「両国駅で詳しく事情を聞きに行く。渡部巡査、君も来なさい」 「は、はい」 「…その件で、君達にも同行してもらいたいが良いですか?」 神田巡査部長の言葉に、一人と二体はうなずいた。 そして、交番前に出ると。 「うわっ!?」 「イキナリナンダ、オ前ハ…」 「おまわりさん、おっきなこえださないで!びっくりしたよ」 待っていたラブラモンとグルルモンまで渡部と呼ばれた巡査にビビられた。 どうやら、デジモンに見慣れない上にビビり屋のようだ。 「お前よう、いい加減デジモンの一体や二体くらい馴れろ!」 「す、すみません…」 …少なくとも、ただバウトモンとの体格差だけが原因ではなかった様子。 神田巡査部長は半ば呆れたような顔をしながら、シルフィーモンとバウトモンを向いた。 「うちの若いのがすみませんね。今年の三月に入った新人なんですがね、いかんせん対人はおろかデジモンにさえご覧の通りで申し訳ない。早く治せと本人には言っとるんですが」 「いや、お構いなく」 「俺も同じく、だ」 美玖が尋ねる。 「神田巡査部長は、デジモンに何度かお会いしたことは…」 「ああ、異動前の派出所でね。しかし…五十嵐、…まさか」 顔色が変わり、美玖を神妙な目で見る神田巡査部長。 「もしや君は、五十嵐美玖さんか。特殊犯捜さ…」 「神田巡査部長!早く行きましょう!」 渡部巡査の声にやれやれと顔を向ける神田巡査部長。 美玖は、静かに言った。 「……今は、私の経歴については、あまりお口にしないでください。できれば思い出したくなくて……お願いします」 「それもそうか。すまんな」 「………」 ーーー 両国駅に着いたのは午後17時過ぎ。 彼らを見た駅員が驚く。 「こんにちは、神田巡査部長。あの…こちらの方々は?随分とデジモンが多いようなのですが…」 駅員が困惑するのも無理はない。 都市部において一度に五体以上ものデジモンを見るのは稀だ。 「彼らは探偵所とそこへ頼ってきた依頼人だ。それで、先程電話で言っていた駅員さんはどちらに?」 「藤原さんですね。今、お呼びします!」 ーーー 応接室で、呼び出された藤原という名の男性駅員と神田巡査部長と渡部巡査の他は、美玖とシルフィーモン、バウトモンのみ入った。 臨時ホームで血まみれになったという藤原は、着替えを済ませてきたようでさっぱりした身なりだ。 「それで、詳しい話を聞かせてくれませんかね。一体何があったんです?」 神田巡査部長の問いに藤原は頷いた。 「先程神田さんへお電話で申し上げた通り、午後16時に臨時ホームの点検へ向かいました。いつもなら、そこにホームレスの方やデジモンがいたんですが、なぜかどこにもいなかったんですよ。それに、変な臭いもしました。なんでしょう、こう…鼻にくる臭いが」 「臭い?」 「…数種類くらい色んなものが混ざった感じの臭いです。なんだか気味が悪くなって、急いで切り上げようと思っていたら何かを踏んで転んでしまって」 そこで、駅員の顔から血の気が引いた。 「うつ伏せに転んだら、手と顔にべちゃって何かが付いたんです。手を見たら、真っ赤に、真っ赤に手が濡れていて…目の前に何か横たわってて……」 ガタガタと手が震え出す。 バウトモンが穏やかに声をかける。 「ゆっくりで良いぜ駅員さん、あまり無理はしないでくれ」 「すみません…それで、僕、その、怖くなって。大声をあげて逃げ出して。構内へ戻った時、血まみれになった僕を見て皆さんが凄い悲鳴をあげまして。…僕からは以上です。詳しく話せなくて、その…」 「神田巡査部長」 美玖が神田を振り向く。 神田がうなずくと、美玖はバウトモンへ目配せ。 バウトモンもうなずくと、藤原に尋ねた。 「俺はバウトモンというんだが駅員さん、トゥルイエモンってデジモンを知らないか?ここの地下鉄に住んでるって聞いた。俺の同志なんだが、ここ数日連絡が取れない」 「トゥルイエモン…ああ!」 藤原の顔がパッと明るくなった。 「道着を着た、ウサギみたいな方ですよね?エセ中国語?で話すウサギさん!います!確かにそのデジモンさんはここにいました」 「そうだ、紫色のウサギみたいな奴。そいつと連絡が中々取れなかったんで、こちらの探偵のセンセイを頼った」 バウトモンが美玖へ振り返ると、美玖もうなずき駅員に尋ねた。 「失礼ですが、臨時ホームの点検というのは、どれくらいの周期に行うのでしょうか?」 「そうですね。イベント以外であまり使われないホームでして、臨時列車や終着駅としての利用を考慮すると頻度は決して多くはないです」 数週間に一度くらいの頻度か。 「……ていうことは」 「トゥルイエモンと連絡が取れなくなる状況は、早くともバウトモンがリアルワールド(ここ)へ来る直前で起こったと考えた方が良いか」 「私からも良いですか?」 渡部巡査が藤原に尋ねる。  「先程あなたは、何かを踏んで転んだと言ってましたが何かまではわかりませんか?」 「あの時は……、気持ちが急いていましたのと、倒れた直後に付いた血に気が動転して、そこまでは見る余裕もありませんでした」 藤原は必死に思い出そうとしながらも、申し訳なさそうに頭を下げた。 となれば、直に確かめに行くしかないだろう。 神田巡査部長は藤原に言った。 「これから臨時ホームを見に行きます。何かあれば必ず報告しますので」 「どうか、お気をつけて…」 神田巡査部長を先頭に、人間三名とデジモン四体が目指して歩くは「幻のホーム」と呼ばれるコンコースで閉鎖された扉の向こう。 このホームは通常は閉鎖されており、イベントによる特別車両の乗り入れや展示でもなければ一般人が中に入ることは不可能だ。 ーーならなぜ、ホームレス達が侵入できたのか。 答えは、デジモン達の移動経路にある。 デジモン達のリアルワールドでの移動方法にはいくつかあるが、走りや飛行による手段を除けばネット空間からの移動が最も使われる。 この方法はパソコンや携帯電話などの機器を通じてネットワークを移動する事で、ある程度目標地点に近く、速く着けるメリットがある。 両国駅の臨時ホームへの侵入は、偶然からの発見であり、そこからデジモン達はデジタルポイントと呼ばれる一種の通路を繋ぐ事で誰でも侵入できるようにしてしまったのだ。 ホームレス達が入れたのは、雨風を凌げない事の多い彼らへの一部のデジモン達の"善意"によるものである。 デジタルポイントへはデジタルワールドからの行き来も可能であるため、イグドラシルから制限を食らわなければいかなるデジモンもそこから行き来できてしまうのが問題だ。 これを閉め出すには相当な力を持つデジモンでなければできない上、それらのほとんどが究極体。 違法として扱うにもグレーな位置のため、警察もデジタルポイント周りの取り締まりには大いに困っていたのだった。 コンコースの通路には赤い絨毯が敷かれ、広々とした中を歩くことができる。 「いずれはこうなるかと思ってたんだ」 懐中電灯を握りしめながら神田巡査部長はぼやいた。 「渡部巡査、周囲に警戒を。それと五十嵐さんは、自衛に何かお持ちですか?」 「麻痺光線銃(パラライザー)機能の指輪型デバイスが」 「ほう」 神田巡査部長は頷き、腰のホルスターに軽く触れた。 「腰道具はデジモンには通じないからな。同じデジモンに戦いを任せなくてはいけないのが歯痒いが…」 「少なくとも」 とシルフィーモン。 「相手がデジモンとは限らない。…デジタルワールドには、デジモンと同等に危険な存在はいる。彼らの可能性も否定できないし、用心した方がいい」 実際、デジタルワールドにはデジモンと認知されていないながら、何種類もの生命体が存在している。 美玖もまだ見たことがないが、危険性や生息数は未知数のものばかりだ。 「ともかく、藤原さんが血まみれになったという地点を探そう」 「それでしたら、…グルルモン、ラブラモン、お願い」 「うん!」 「ワカッタ」 グルルモンとラブラモンが二手に分かれて鼻を動かしだす。 事前に藤原の匂いを覚えさせておいたのである。 「えーっとね…こっち!」 ラブラモンが一向を呼びながら進む。 カーペットの向こうへと進むと、パチリと肌を走る感覚。 0と1の数字と緑色の光が周囲を覆い尽くし、独特の空間がそこにあった。 この空間が、デジタルポイントだ。 「ダイブ血ノ臭イガ強マッテキタ。ソレト……」 グルルモンが鼻を蠢かし、低く唸る。 「デジモント人間ノ臭イモスルガ、妙ナ臭イガ混ジッテル」 シルフィーモンとバウトモンが先行し、神田巡査部長と頼りないながら警棒を握りしめた渡部巡査が歩く。 一方、美玖はツールを起動し画面を展開させていた。 ホールの構造の上に、三つの灰色の光点と、赤三つと紫一つそれぞれの光点が映し出される。 デジタルワールドやデジタルポイント内でのみ機能するよう作られた、モーショントラッカーだ。 属性によって色分けされる。 赤はワクチン 緑はデータ 青はウイルス 紫はフリー …といった具合だ。 人間は灰色で色分けされている。 今までデジタルポイントに入る機会さえなかったが、遂に日の目を見ることとなった。 「……今のところ周囲には私達だけのようですが……ラブラモン、グルルモン。血の匂いは後どれくらい近い?」 「かなり近いよ。……あ、あれ!」 「コチラモ血溜マリガ見エタ。…一人死ンデイル」 「!!」 足早に駆けつけると、そこには確かに一人の男が倒れていた。 着ている服はかなりくたびれ、汚れていていつ洗濯したかもわからない程に臭う。 ホームレスの一人に間違いない。 その背中に二発ほど弾痕が穿たれ、身体の下からかなりの量の血液が流れ出ていた。 「……」 「発見時刻は19時12分。死因は…失血死と思われる」 神田巡査部長が膝をつく。 渡部巡査と美玖がその両隣にかがみ込む。 一同黙祷し、調べ始めた。 「至近距離から背中に二発。どちらも心臓と肺を後ろから貫いてるが、弾そのものが中に留まってる」 「顔の確認をしますね」 姿勢を低く、遺体の顔を見る。 歳は40代ほどで髪も髭も伸ばし放題だ。 「この人は…」 「確か、以前からそれなりに長くいた一人だ。武藤さんとかいったか」 美玖は周辺を見渡す。 そして、お目当ての物を彼女は見つけた。 懐中電灯の光にキラリと反応する物を。  「神田巡査部長!」 「む」 ポケットから出した手袋を素早くはめ、美玖はそのうちの一つをつまみあげた。 「これ……」 「空薬莢か」 自動拳銃や自動小銃を撃つ時に出る、弾丸の薬莢だ。 藤原はこれを踏んで転んだと見て間違いない。 「弾の種類は?」 片手間にツールを起動して弾の大きさを測定。 「……25ACP弾と思われます」 「すると凶器は25口径拳銃か。それを正確に局所に当てるとは…」 「少なくともこれは、デジモンがやったとは考えにくいでしょう。…デジモンが人間の仕業に見せかけてやる理由が浮かばない」 弾頭重量と火薬量が少ないために威力は低いものの、その分だけ反動も小さく簡単に扱えるのが特徴の弾丸だ。 この弾を使う拳銃は護衛用に使用されるものだが、少なくとも銃規制の厳しい日本ではあまり出回らない。 これで急所を的確に命中させ、標的を絶命させたのなら相当のプロだろう。 「だが、誰がこんな事を…」 「デジモンではなく人間の仕業…であるにしても、なぜデジモン達の姿が…」 そうだ。 美玖は疑問に感じた。 なぜ、トゥルイエモンもそうだが、ホーム内にいるというデジモン達の姿がどこにもない? モーショントラッカーを確認しようとしたその時だった。 BLAM! BLAM! BLAM! ホームの向こう、美玖達がまだ目指す先から聞こえるそれはまさしく銃声だった。 全員に緊張が走る。 「…!」 モーショントラッカーが激しく反応する。 その方向から灰色の光点が複数確認されたのだ。 せわしなく動き回り、その都度銃声も聞こえている。 「ーーこっちに近づいてきています!」 美玖が顔を上げると、渡部巡査が救いを求めるように神田巡査部長を振り向いた。 「どうします、巡査部長!」 「……」 美玖は指輪型デバイスを見やる。 この大所帯では、偽装(クローク)コマンドによるステルスは意味がないレベルにまで精度が下がる。 すぐに見つかってしまうだろう。 「そこら辺にある物の影に身を隠すしかない。グルルモンは美玖の携帯に入るか、ホログラム化するんだ」 シルフィーモンの言葉に、グルルモンの姿が0と1の数字と青の光を放ち、透明化していく。 ホログラム化は維持に制限時間こそあるものの、デジモンが咄嗟に人間の目から逃れるためよくやってきた方法だ。 そうして、散り散りバラバラではあるが、全員は以前のイベントの時のものだろうオブジェに身を隠した。 懐中電灯の光を消せば、後は何も見えない。 暗闇の中で響く銃声。 美玖は看板と思しきものに身を隠しながら、モーショントラッカーを確認した。 灰色の光点に追われるように、緑色の光点が一つ、こちらへ向かっている。 それは、かなりの速さで他の者たちが隠れたオブジェを横切り、美玖の脇へと来た。 「ハイヤーっ!」 軽々とした動きでオブジェを飛び越えた直後で、ぎょっとしたような声をそのデジモンは張り上げた。 「アナタ、一体そこで何してるアルか!?ここは危険アル、早くデジタルポイントから出た方が良いアルよ!」 どうやら美玖がいることに気づいたらしい。 暗闇で相手の顔は見えないがシルエットならかろうじて見える。 美玖が見上げると、そこにいたのは長い耳を垂らしたウサギらしきデジモンだった。 着ている格闘着のような服装に、ふと思い当たる。 「まさか、あなたがトゥルイエモンさん?」 「アイエッ?なぜワタシのことを知ってるアルか?」 「バウトモンさんから依頼を受けた者です。一体何があったのか詳しく…」 美玖が言い終えるよりも前に、トゥルイエモンが来た方向から男の声が聞こえた。 日本語ではない。 美玖のうなじに冷たいものが走った。 奇しくも、エジプトで遭遇した四人組が使用したものと同じ、広東語だったからだ。 「貴様、何者だ!そこから出てこい」 美玖の隠れたオブジェへ一斉に集まるセンサーの光。 トゥルイエモンがハッと振り返るが、彼が制止するより先に美玖が出て行く。 彼女の口からも広東語が飛び出した。 「……あなた達こそ誰!?私は探偵よ!こちらには警察もいる。大人しく投降しなさい!」 指輪型デバイスを構え、前方を睨み据えた。 「ーーー探偵だと?まあいい、動くな」 暗闇の向こうからやってくる複数の人影。 彼らは美玖と遅れて出てきたトゥルイエモンへ銃口を向けた。 その人数は五人。 いずれもプロテクターと思しき防具を身につけ、腰にはナイフと拳銃、警棒のようなものを携行している。 頭部は顔を覆うバイザーがあり、ご丁寧にもナイトビジョン付きのようだ。 彼らはシルフィーモンや神田巡査部長らが隠れているオブジェに気づかず通り過ぎていく。 「…おい!探偵のセンセイ、マズイんじゃないか!?」 声を低くしながらバウトモンがシルフィーモンの方を向いた。 「ああ。不意打ちといくか」 「人間とはいえあんな武装集団をです!?」 渡部巡査が慌てたように二体の会話に加わる。 「神田巡査部長、この場合デジモンの人間への攻撃って正当なものに当たります!?」 「"その"場合による。だが……」 険しい表情で神田巡査部長はホルスターに手をやった。 「相手は殺人をとうに行なっているうえ銃器を携行している。拳銃のみならず自動小銃も所持しているとは…」 神田巡査部長は頭を巡らせる。 彼らの携行している拳銃(サイドアーム)はやはり、25口径拳銃。おそらくコルト社製。 数人が美玖に向けた自動小銃は世界的にも運用の多いAK-47をベースに製作されたもの。 中国語と思しき言語といい、厄介な連中と判断した。 「いいから逃げるアル!」 トゥルイエモンが美玖に叫ぶ。 「アイツらに何人か人間がやられた上に、ここのホームにいたデジモンの中にアイツらに捕まったやつもいる!一人じゃ敵わないアルよ!」 「私一人だけではありません、大丈夫です」 美玖は答えながら、オブジェから覗き込んでいたシルフィーモンに目配せ(アイコンタクト)。 そして、前へ出る。 「あなた達!もう一度警告します!こちらには警察もいる…今すぐ武器を捨てて投降なさい!」 「ーーうるさい女だ!」 一人が拳銃を発砲。 弾が美玖の頬を擦り、一筋血が流れ落ちていく。 …これだけでも美玖にはわかる。 相手はわざと射線を外している。 相手の攻撃には強い殺意がある、エジプトの時の謎の男達と同じだと。 「……っ」 「今すぐ膝を付け。さもなければ殺す!」 アイコンタクトを受けたシルフィーモンが一言。 「美玖からの救援要請だ、やるぞ」 「まじですか…」 「私とバウトモンが先制する。巡査部長と巡査二人は私とバウトモンの援護(フォロー)を」 「わたしは?」 ラブラモンが物陰から尋ねる。  「お前はそこで待機だ。私が呼ぶまで絶対に物陰から動くな」 「……わかった」 「グルルモンは好きに行動してくれ。お前はその方が動きやすい」 「良イダロウ」 グルルモンの声が聞こえた。 ラブラモンのすぐ隣からだ。 「渡部巡査、良いか」 「まってください…!」 心の準備が、と渡部巡査がもたつくのを待たず先んじてバウトモンが飛び出した。 本来なら不意打ちは彼のスポーツマンシップに反するところだが、そんな事を言っているわけにもいかない事態を理解している。 飛び出し、距離を詰めて彼は、初めてそこで自分が探していた相手の姿を見つけた。 「トゥルイエモン!」 「あ、バウトモン!?」 「それと探偵のセンセイ、助太刀するぜ!できる限り加減はするけどよ…!うおおぉっ!!」 バウトモンが迫るは自動小銃を持った一人。 反応するより早く、その腹部に強烈な回し蹴りが叩き込まれる。 相手は10m先まで吹き飛ばされ、男達はどよめく。 「誰だ貴様!」 一人が叫ぶが、日本語ではなく広東語。 広東語を理解できるのは美玖だけだ。 遅れてシルフィーモンが飛び出す。 「ぐうっ!」 シルフィーモンの脚が跳ね上がり、もう一人の腹へ叩き込まれる。 その時、妙な違和感があった。 (なんだ、この硬さは…!?) 人体とは思えぬ手応えだ。 まるで金属製の何かを蹴ったような感触が足に伝わる。 それを裏付けるかのように、バウトモンに蹴り飛ばされたはずの一人がよろめき立ちあがろうとしていた。 「どういうこと!?」 美玖は薄寒さを感じた。 加減したとはいえバウトモンは完全体。 完全体デジモンの攻撃はたとえ技でない打撃であっても生身の人間には十分な痛手だ。 普通ならすぐには立ち上がれぬはずだが、目の前の男はちょっと跳ね飛ばされただけと言わんばかりの様子だ。 普通ならありえない。 少なくとも… (…エジプトで遭遇した、あの人達はそうではなかった) BLAM! BLAM! 闇の先、銃口が火を吹くのが見える。 神田巡査部長の射撃だ。 しかし、その弾はどうしたわけか命中した男の膝から脛へ火花を散らせただけで何もない。 「か、神田巡査部長!?まるで効いてないようです」 渡部巡査の顔から血の気が引く。 シルフィーモンも疑念を口にした。 「何かがおかしい。私が攻撃した一人も軽傷と言わんばかりに立ち直りが早い…!」 見ればシルフィーモンが攻撃した一人もよろめきながら立ち上がっている。 トゥルイエモンが叫んだ。 「そこのデジモン、どこの誰か知らないアルがダメアル!ソイツら、必殺技でもないと傷付けられないアルよ。着てるものが相当強靭なのかわからないけど、ワタシの兎牙拳でもノックアウトするのがやっとアルよ!」 「……つまり」 殺傷に持ち込むなら必殺技の一つは当てなければダメということか。 シルフィーモンは神田巡査部長の方を窺い見る。 どのみち時間はなさそうだ。 「……すでに相手側から発砲している。許可しよう…!」 複雑な面持ちで神田巡査部長は返す。 ここまで厄介な連中が来るとは思わなかった。 男達が動きを見せたのはその直後だった。 数人が武器を持ち替え、警棒のようなものを取り出す。 かちり、という音と共にうっすらと電流を帯びる。 「あれは…!」 美玖が思い出すはエジプトで自身に向けて突きつけられたものを、シルフィーモンが代わりに受けた時。 彼もそれに気づいたようだ 「気をつけろ、あれはまずい」 「…スタンガン内蔵式の強化警棒(タクティカルバトン)か」 だがなぜそんなものを、と神田巡査部長は眉根を寄せる。 そんななかで男達より先に動く紫色の影。 「『忍迅拳(にんじんけん)』!アチョーッ!!」 目にも止まらぬ速さで接近すると、両手に装備した刃物のような兎角鉄爪と蹴りを叩き込む。 それを受けた一人が激しく床へ叩きつけられ、立ちあがろうとしたところにトドメとばかりの手刀を受けて倒れた。 それに合わせるようにバウトモンも動く。 狙うは先程彼が一度蹴り飛ばした一人。 「『迅雷廻天戟(じんらいかいてんげき)』!」 「!?」 手加減こそあれ手心なく。 小銃を構えるより蹴りが早い。 蹴りや拳を連続で叩き込むその動きに一切の無駄は無し。 そして今度は立ち上がることなく、バウトモンの前でがくりと倒れ伏した。 「他にはーー」 呟き、美玖がモーショントラッカーを確認しようとしたその時。 銃声。 彼女の胸を襲う熱と衝撃。 スーツの胸元から血が噴き出す。 「ーーっ」 意識はたちまち刈り取られ、どさりと冷たい床に倒れ伏した。 「美玖!!」 カッと熱くなる胸。 シルフィーモンを真っ先に動かしたのは感情だ。 両掌にエネルギーを溜め、技の名を叫ぶ声は怒りに掠れた。 「『トップガン』!!」 放った先にいたのは25口径拳銃を持った新手の一人。 美玖を撃った相手だ。 エネルギー弾が直撃し、相手が倒れ伏す。 「誰か…いや、お二人のうちのどちらか、美玖を頼む!」 「渡部!」 「は、はい!」 銃弾をくぐり抜け、渡部巡査は美玖の元へ走り寄る。 彼女を引きずるように物陰へ身を隠し、手当てにかかるが…。 「……くそっ、出血が止まらない!」 「おまわりさん!わたしがてつだう」 物陰の合間を縫って走ってきたラブラモンが小声をかけた。 「頼むよ…」 祈るような渡部巡査の声に、ラブラモンは美玖の胸に前足を乗せた。 「『キュアーリキュール』!」 美玖の傷の損壊を妨げるべく彼女の体をデータそのものに還元し、修復を始める。 だが、回復を始めてすぐ、ラブラモンの表情に焦りが出た。 「……せんせいのからだのなかに、なにかはいってる。これがせんせいのなかにあるからちがとまらない…!とりのぞきたいけど、しゅじゅつしなきゃとりだせないよ!」 「まさか…弾丸か!?」 銃撃の威力は弾丸によって左右される。 そして、致命傷に陥るような傷でも、弾丸が身体を貫通し体外から出ていれば問題のない事が多いという。 厄介なのはほんの一欠片でも弾丸が体内に残った場合だ。 先程の武藤というホームレスの遺体に残された銃痕も、弾が身体を貫通していなかった。 「ひとまず、出血を抑えられないか!?」 「いまの"わたし"じゃむずかしいけどやってみる!」 一方、残った三人へトゥルイエモン、バウトモン、シルフィーモンが迫る。 三人のうち二人が武器を警棒へと持ち替えている。 残る一人が自動小銃を撃ち放った。 BRATATATATATATATATATA!! シルフィーモンの反応が加速する。 美玖を撃たれた怒りに触発され本能により能力が向上されたか。 放たれた乱射をかわしきった。 一方、警棒を持つ一人へバウトモンが技を放とうとした直前。 警棒からパチリと不快な音が聞こえた。 咄嗟に腕で受けようとするバウトモン。 「防いじゃダメアル、バウトモン!!」 トゥルイエモンが叫ぶもむなしく、防御のため交差した腕に警棒が触れるや全身を強烈な痺れと虚脱感が襲った。 「しまっ………く、っは…」 「バウトモン!」 両膝から崩れ落ち、両手をつく。 全身から筋肉を奪われたかのように身体が動かない。 警棒をバウトモンに振るった一人が、腰部のポーチから何かを取り出そうとした時。 BLAM! 「…っ!?」 その胸に大きな風穴が空いた。 コツコツ、と高いヒールの足音。 ハスキーながらよく耳に通る女の声が響いた。 「よそ見は禁物だねぇ」 「なっ…」 ただの銃撃だけで相手を沈めた新たな顔に、美玖と彼女を手当て中の渡部巡査とラブラモン、姿を消したままのグルルモンを除く全員の目が集中した。 硝煙薫る風になびく、臀部まで届く長さのブロンド。 豊かなバストにくびれたウエストと抜群のプロポーションを誇る身体を包む黒のレザースーツ。 そのレザースーツも、バストの下半分から下を惜しげもなく露出させ煽情的だ。 そして、カラスを思わせる形状のマスクの下から覗く目は、狡猾で冷酷な捕食者の色を隠さない。 黒いマフラーをなびかせ、両手の二丁拳銃を無造作に提げながら歩く女性型デジモンの後ろから新たに声がする。 「待って…待ってよ、もう!」 女性型デジモンの後ろからやってきたのは、これもデジモンだ。 …一見すれば、修道女キャラのコスプレをした二人の少女のようにも見えるが。 「ああっ、姉さん…!」 黒と白。 それぞれ異なった色の修道服を纏ううち白の少女型デジモンが、倒れた美玖を見つけ息を呑む。 「そんな…っ!」 「それより下がってな」 「お前は…」 シルフィーモンが言い切るよりも早く、警棒を持ったもう一人を女性型デジモンの持つ拳銃から撃ち放たれた弾が穿つ。 「噂に聞いた、ベルゼブモンレディ…!」 「その名はよしな!…別にイヤって訳じゃないけどさ、むず痒いんだよ!」 呼ばれた女性型デジモンはシルフィーモンを軽く睨んだ。 「ナルホドナ」 ーー『キラーバイト』 ぐしゃり、とひしゃげるような音がシルフィーモンの脇、先程まで自動小銃を構えていた男の方からした。 見れば大きなホログラムの獣が後ろから男の上半身を咥え、噛み潰すところだった。 グルルモンだ。 「確カニ余所見厳禁、ダ」 どさり、と骸が落ちた。 ホログラム化を解き、グルルモンが姿を現す。 「ハッ、随分豪快な食いっぷりだね!」 それを見たベルゼブモンレディ…否、本名、ベルスターモンはからからと笑った。 息絶え絶えに走り寄る修道服姿の少女デジモン二体を振り向き、 「あっという間に終わっちまったからアタシは物足りないけどねぇ」 それより、とベルスターモンは振り返る。 「そこで倒れてる人間の女、ほっといて良いのかい?」 「美玖!!」 シルフィーモンが駆け寄ると、ラブラモンは泣きそうに振り向く。 「しるふぃーもん、ちがとまらない!せんせいが、せんせいがしんじゃう!」 傍らへ白の修道服の少女が寄り添った。 続いて、黒の修道服を纏う少女も。 「私達が手伝うわ!ラブラモン(その子)の回復力だけじゃ追いつかないでしょうし…まったくハックモンってば、こんな時に何してるんだかもう…!」 ガサゴソと黒の修道服を纏う少女が懐から出したのは、何かのカプセル錠。 それを、美玖の口に含ませる。 「"師匠"から万が一にって渡された回復ナノマシンよ。本来はデジモン用だけどこれなら…!」 飲ませてまもなく、出血量が抑えられてきたのか、徐々に『キュアーリキュール』による回復量が多くなってきた。 変わらず、美玖は意識を失ったままだが。 「こんな時にすまない、感謝する!それより君達は?」 神田巡査部長が尋ねると、白い修道服を纏った少女のデジモンが応えた。 「こちらこそ申し遅れました。私はシスタモン・ブラン、こちらは姉のシスタモン・ノワールです。それと…」 「条件付きでこの子らのタダ乗りにデジタルワールドから来たベルスターモンさ」 ベルスターモンは肩をすくめながら、ふとホームの向こうを向いた。 「いつまで隠れてるんだい?パーティーは終わった、とっとと出てきな」 それに応じるように気配が近づく。 姿を現したのは、緑色のナメクジのような外見をしたヌメモン達だった。 「ト、トゥルイエモン…」 「もう大丈夫…アルよ」 バウトモンを支え起こしながらトゥルイエモンは答えた。 バウトモンの方はスタンバトンによる痺れでまだ動けそうにない。 「それより、他のホームレスさんはどうしてるアルか?」 「痛がってる…早く、人間の病院に連れて行かないと」 「そうアルな…」 見れば、ヌメモン達の後ろにさめざめと泣く数人の人影がある。 「あいつらにやられたのか?」 シルフィーモンが尋ねた。 ヌメモン達は恐々とうなずく。 「うん」 「いつから?」 「つい、おとといくらいだよ。何の前触れもなくいきなりやってきて、何匹か仲間が捕まってホームレスの皆も何人かがあいつらに殺されて…」 シルフィーモンは美玖を抱きかかえる。 出血はぴたりとはいわないものの、ある程度は止まりかけている。 「助けてくれた礼は美玖が無事に癒えてからだ。一刻も早く病院へ連れて行かないと」 「それじゃ全員ひとまずデジタルポイント(ここ)を出て行くんだね」 ベルスターモンは退屈げにあくびをした。 「アタシはそこの姉妹からリアルワールドでの羽伸ばしの条件という事で頼まれてんだよ。デジタルポイントを閉じてほしいってさ。……ま、人間にはお気の毒だけど、ちゃんと雨風に困らず生きていけるよう頑張りな」 そうホームレス達に向けて言い捨てると、手をひらひらと振るようにベルスターモンは歩き出した。 デジタルポイントを閉じるために。 「後で落ち合おうじゃないか。ノワール、済ました後に何処行きゃ良いか連絡はおくれよ!」 「わかったわ」 ーー シルフィーモン達、シスタモン姉妹、神田巡査部長らにヌメモン達は揃って通路を渡り、駅員の元へと戻ってきた。 「なんか増えてる!?いえ、その、大丈夫ですか?探偵さんにホームレスの皆さん、ひどい怪我してるじゃないですか!」 血に濡れた美玖やホームレス達を見て駅員一同、顔から血の気が引く。 神田巡査部長が叱咤した。 「狼狽えるんじゃない!彼女には救急車を!それと、ホームレス達は別途で乗り物デジモンに頼って病院へ送り届ける!」 「は、はい!!」 ーー 救急車が到着してすぐに美玖は中へ載せられる。 関係者としての立場と事情説明のため、シルフィーモンが同乗することになった。 「私がいない間すまないが、お前達だけで話を聞いておいてくれ。戻るとなれば、多分今日の夜になる」 「アア」 「わかった…」 走り出す救急車。 それを見送りながら、ノワールがため息をついた。 「まさかこんな事になるなんて思わなかったな…」 ーー 救急車が搬送の準備と美玖への看護を始めたのに前後して、パトカーが数台ほど駆けつけてきた。 両国を含め、墨田区南部を担当する本所警察署からのものだ。 複数人の警官が駆けつけ、神田巡査部長と渡部巡査は一礼して迎える。 「御勤めご苦労様です!」 「三番ホームの様子は?」 「現在、ベルスターモンなるデジモンがデジタルポイントを閉じる為に中に残っています」 「了解。全員、三番ホーム内に一旦入り、デジタルポイントが閉じられたか確認を行う」 「はい!」 警察官達は一糸乱れぬ動きで駅の構内へと入っていく。 「あの不気味な連中について何かわかれば良いが…」 それを見送るシスタモン・ノワールの端末が受信音を鳴らす。 「はいはーい、ノワールよ。……そう、早く片付いたのね。今、人間の警察が調査にそっちへ来てる。……うん、こっち戻ってきてくれると助かるわ。じゃ」 連絡を終えてノワールは残されたラブラモンとグルルモンへ向き直った。 「探偵所のメンバーは、彼女とあのシルフィーモンを除けばあなた達だけよね?」 「うん」 「ソウダ」 「本当なら彼女に直接話したかったんだけど、予定が狂っちゃったのは仕方ないわ。吉報を待つしかない…」 神田巡査部長に向けて声をかける。 「ベルスターモンが戻ってきたら、話したい事が」 「良いが、君達はあの連中について何か知っているかい?」 「さる筋からのものでしたら、一部あります」 とブラン。 「最近、デジタルワールドに頻繁にやってきてはデジモンを捕獲して連れて行ってる連中。以前から、現れては消えを繰り返しててイグドラシルが珍しく手を焼いてるわ」 「なんだと?」 「だから、ここ数日の間に、イグドラシルが直接、このリアルワールドへ干渉して今いる全デジモンへの指令が下される事が決まってるわ」 「!?」 ノワールの言葉にグルルモンの顔色が変わった。 「イグドラシルガ…?今マデコノ現実世界ニ不干渉ダッタトイウノニカ!?」 …デジタルワールドにおいて神、あるいは最高クラスの支配者というべきホストコンピュータ。 イグドラシルはこれまで、人間の世界に対して不干渉を貫いてきた。 人間世界への干渉やそのトップ達との対話はもっぱらロイヤルナイツに任せているだけである。 それが、イグドラシル自らの干渉。 前代未聞の事態だ。 「私達は彼らが世界を転々としデジモンを捕縛して回る活動を抑えるために、デジタルポイントを閉じてまわるお手伝いをしているんです」 「デジタルポイントを?」 「はい。彼らの移動手段でもある事がすでに判明していますので」 ブランは言いながらノワールを振り向く。 ノワールは背後の足音に頷いた。 「残りはあいつらに全部任せといたよ。ぶっちゃけ面倒だから助かるわ」 ベルスターモンが悠然とした歩みで近寄りながら、ブランの頭に肘を置く。 身長差のある彼女に体重を乗せられた事でブランはよろめいた。 「ともかく突っ込んだ話は交番でしましょ。…ひとまずブランを離してよ」 「悪いねぇ」 ニッカリと牙を剥いて笑い、ベルスターモンがブランを開放した。 「もう…っ。ひとまず、交番へ行きましょう、巡査部長さん」 「そうだな。戻るぞ、渡部巡査」 「は、はい」 交番へ戻るすれ違いに、太いうどんを思わせる独特の毛並みをした巨大犬のような姿のデジモンが横切った。 頭にメットをかぶり、背中に人を載せられるカゴを付けている。 乗り物デジモンのコモンドモンだ。 駅員達が呼びつけたのである。 普段はデジモン用のタクシーとして呼びつかっており、滅多に人間用に借用されることはなかったのだが今回数人ものホームレス達を乗せる上では適任だろう。 ホームレス達もコモンドモンの背中の乗り場へおっかなびっくり上がっていく。 「………どうしたものアルか、バウトモン?」 その様子を見届けながら、トゥルイエモンは同志に訊ねる。 「色々と申し訳ないアル。両国に来たら、案内したい場所がいっぱいあったアルのに…」 「こればっかりはしょうがねえ、それより」 バウトモンは拳を強く握りしめた。 「行くぞ、俺達も」 ……… 両国交番へ戻って、ラブラモンは自分達の後をついてきたトゥルイエモンとバウトモンに目を瞬かせた。 「ふたりとも、ついてきてどうしたの?」 「乗りかかった船…とも違うアルね。でもワタシは少なくとも無関係ではないはずアル」 トゥルイエモンが言いながら同志を振り向く。 応、とバウトモンは自らの拳を打ち合わせた。 「探偵のセンセイを危険な目に遭わせちまったからな。確かに俺からあんたらへの依頼は完了だが、人間にも危険な連中がいるとあっちゃ見過ごす訳にもいかん。必要とあれば手伝うぜ」 「ええと…その…」 ブランが歯切れ悪く口を開く。 だが、それに、とトゥルイエモンの言葉がさえぎった。 「両国だけアルが、デジタルポイントの場所は把握してるアル。大半は一時的な用事のために繋いで、後はほったらかしの状態なのが」 「! ちょっと、それ聞き捨てならないじゃないの!」 ノワールがトゥルイエモンに詰め寄った。 「ここへ来てヌメモン達から教わったのでアルよ」 トゥルイエモンは言いながら懐から紙を出す。 手書きの地図のようだ。 「デジタルポイントの場所を記憶するために使ってた地図アル。この中に、両国駅のものもあったアルけど…」 「アタシが閉じたからね。バツ印でもつけとくかい?」 覗き込みながらベルスターモンが聞く。 「そうアルね」 両国駅にポイントされたマル印に、マッキーでバツが引かれる。 「ソレデ、話ヲ戻スガ」 とグルルモン。 「アノ人間共ハ一体何者ダ?ホームニ入ル前、俺ハ言ッタナ?変ナ臭イガ混ザッテイル、ト。ソノ臭イノ発生源ガアイツラダッタ」 「あー、多分だけど」 ベルスターモンが手をあご下に添えた。 「あれは、多分ヤクさ」 「ヤク?」 「薬かなんかで自分らを強化してるみたいさね。だから、人間相手になら幾ら殴られようが平然としてられるってワケさ。アタシらデジモンの攻撃にも、無傷じゃないが耐えられるくらいにはね」 「薬物だと?」 神田巡査部長が眉根を寄せる。 デジモンの攻撃にもある程度耐えられる効果を持つ肉体強化をもたらす薬品。 そんなもの聞いたことがない。 「アンタが嗅いだ妙な臭いってものの正体はおそらくそれさ。アタシがアイツらの死体に近づいたら、結構嫌な臭いをプンプンさせてたからね」 鼻がひん曲がりそうだったさとおどけたように言う。 それにノワールが続いた。 「あいつらが何度もデジタルポイントを通してデジタルワールドに侵入を繰り返していたから、わかっている事もあるの」 一つ、彼らはほぼ全て中国人で残りの一割ほどは日本人であること。 一つ、彼らの装備にはデジタルワールド由来の素材が使われていること。 一つ、彼らにはデジモンを捕縛する道具があること。 「それって、コイツかい?」 ゴトリという音と共にベルスターモンが机に置いたものを見てブランが驚く。 「持ってきちゃったんですか!?」 「一つくらいはこっちで確保しとかないと調査が進まないとか抜かしたのはアンタじゃないか」 「そうですけど…!」 「ふむ」 神田巡査部長が興味深げに見る。 それは、テニスボールほどの大きさの球状の機械だった。 青緑色の透明な中にはDNAの螺旋がホログラムとして渦巻いている。 「これアル!あいつらはこれを使ってデジモンを捕まえて…」 トゥルイエモンが言うと、ノワールはその機械を手に取った。 「私達も実物を間近で見るのは初めてよ。…中にデジモンが入ってるわ」 「なんでわかるんだ?」 「この中に螺旋状になったホログラムあるでしょ。これが目印よ」 確か、ここをこうしてとノワールが球状の機械の一部から突出したボタンを押す。 カチリという音と共に、光が機械から飛び出してデジモンとしての形を作った。 一体のヌメモンが、パチクリと目を瞬かせていた。 「…あれ?ここ、は?」 「人間達の交番よ。あなたは捕まってたけど助かったの」 ノワールがヌメモンに答える。 それを聞いたヌメモンがブルブル震えながら、涙を流す。 「怖かったよおおお!!」 「おいおい…」 バウトモンになだめられるヌメモンを見て、ブランはラブラモンとグルルモンに聞いた。 「実は、探偵所の所長である美玖さんが、彼らについて情報を持っているというお話も伺っていたんです」 「それで、ハックモンへの通達の伝言も兼ねて、お邪魔したんだけどタイミング悪い事に留守だったんだよね」 「とうきょうに、いってたから…」 「だから、私達は居所を辿ってネット空間から来たのよ。……本当にタイミングが悪かったわ」 ノワールはため息をついて足をかがめた。 螺旋状のホログラムが消えた機械を手に。 「一体、ドコカラソンナ話ガ出テキタ?」 「彼女と助手のシルフィーモンが、デジタマと失踪した発見者の捜索依頼の為にエジプト行って、そこで遭遇したって件よ。そのうち指導者だって奴は、ロイヤルナイツの方で確保されてこないだ日本の警察のトップへ引き渡されてったけどね」 へえ、と渡部巡査が目を瞬かせる。 「そんな話があったんですね」 「当たり前でしょ、警察側からしたらシークレットな情報よ一応。まだ本拠地とかさえ判明してないしね」 ぼーーーん…… ぼーーーーん……… 壁に掛けられた時計が時刻を伝えた。 神田巡査部長が始末書を書く手を休める。 「お、もうこんな時間か。渡部巡査、ひとまずあがれ。私は始末書を仕上げないといけないからな」 「はい、巡査部長!お疲れ様です」 「……君達はどうする?」 神田巡査部長はデジモン達へ目線を向けた。 「バウトモンは今日ワタシと行動するからここで失礼するアル」 「わたしたち、どこかへとまるってよていがなくって…」 「ソノ気ニナレバ外デ寝ルガナ」 「流石にそれはやめなさい。……渡部巡査」 「はい?」 出ようと扉に手がかかっていた渡部巡査がきょとんと振り向く。 「君、今日は彼らを家に泊めてやってくれんか?この辺りにはデジモンが泊まれるようなホテルがない。それに君んとこは庭付き一軒家だったろう」 「は、はい」 「だいじょうぶかな」 渡部巡査はラブラモン達と神田巡査部長を何度も交互に見やった後。 「…泊まってくかい?」 「いいかな?」 「シルフィーモンといったか、彼にはこちらから連絡したい。端末の番号はわかるかね?」 「んっとねー」 ラブラモンが神田巡査部長に出してもらったメモを書いていると、話しかけるブラン。 「……あ、あのー……」 「どうしたかね?」 「私達も、実は泊まる予定の場所がなくてですね……」 ーーーー その夜。 墨田区にある渡部巡査の家は、彼の人生の中でもとても騒がしい事になった。 彼女もまだいない独り身には少しばかり広い家だが、時々友人を呼び込んでいたよりも大所帯である。 「……っかーっ!これが人間の飲む酒かい!中々オツなものだねぇ!」 「は、はあ…」 缶ビールを丸々カラにしたベルスターモンを前に、渡部巡査はぽかんとした。 急な客でもあるため頼んだ出前のピザも、かなりの早さでなくなっていく。 独身貴族でないとはいえ、まだ余裕はある方なのだが不安になる。 唯一、沢山食べそうだったグルルモンだけが庭で早くも寝についていたのは救いのように思えた。 「おまわりさん、これおいしい!」 「そ、そうかい、ははは…」 ミックスチーズのピザをはぐはぐ食べながらしゃべるラブラモンに乾いた笑いを返し、渡部巡査はその毛並みを撫でた。 「…こうして触ってると、実家のタロウを思い出すなあ」 「たろう?」 「ああ、うん。飼ってた犬だよ」 「ふうん」 ラブラモンは犬にかなり近い容姿をしたデジモンであるため、渡部巡査には余計犬との区別がつかなくなってきている様子。 その後ろからベルスターモンが、今夜四本目の缶ビールを手に絡んできた。 「結構良いねェ!アイツらへの土産に何本かお持ち帰りしたいけど良いかい?」 「ちょっと困るよ…」 「ベルスターモン、早々に酔っ払ってない?」 呆れた口調でノワールとブランがベルスターモンを引き離す。 渡部巡査は思わずホッとした。 馬鹿力でないが、人型デジモンの力は見た目より強いことが多いので加減なしに絡まれると痛い目を見る。 ましてや、渡部巡査は知るよしもないが相手は究極体だ。 究極体デジモンが本気を出せば人間の家屋の一つや二つ、風穴がいつ空いてもおかしくないだろう。 「しかし………あああ…今度飲む分が、もうなくなって…」 冷蔵庫の中のビールの残り本数に沈んだ声と面持ち。 そこへ鳴るインターホン。 ブランが出ると、すぐにがちゃりとドアを開けた。 「しるふぃーもん!」 「すまない、遅くなった」 尻尾を振って迎えるラブラモン。 ますます犬のようだと思いながらも、思考の切り替えの為にも渡部巡査はシルフィーモンに聞いた。 「その…彼女、大丈夫でしたか?」 「緊急手術で弾丸の除去と輸血をした。医師から的確な措置がなければ間に合わなかっただろう、と言われたよ。…輸血に必要な血液があったことも幸いだとさ」 「良かった…」 いや、とシルフィーモンは首を横に振る。 命こそ取り留めたものの、美玖は現在意識不明の状態だ。 いつ目を覚ますか、その見当はつかない。 「そうでしたか…」 「美玖の両親と、彼女の元同僚だった刑事の夫妻が駆けつけてきた。彼らに仔細を伝えたところで端末に知らせを受け取ってこっちに来たよ」 ところで、とシルフィーモンはシスタモン達姉妹を振り向く。 気づけばノワールまで飲んでおり、ブランは収拾に手間取っている。 「これは一体どういう騒ぎだ?」 「ええと…あそこのベルスターモンさんてデジモンが僕の冷蔵庫から出したビール飲み始めまして…」 やれやれ、とシルフィーモンは外へ向かう。 「あれ、どっかいくの?」 「コンビニだ。何かいるか?」 「うーん…あ、おかし!」 「なんでもかい?…少し待っててくれ」 ーーー 馬鹿騒ぎが落ち着いたのは22時を過ぎてやっと。 気づけばベルスターモンもノワールも大の字に伸びていた。 シルフィーモンとブランは半ば呆れた顔をしながら、彼女達を隅へ転がしておいた。 シルフィーモンが気遣いに買ってくれた追加の缶ビールの一本で一服し、安堵する渡部巡査。 「すみません、我が家ながら世話をかけさせてしまって」 「いえ、こちらこそ急に押しかけてしまって本当にすみませんでした。姉さん達ってばだらしない…」 そう返し、ため息をつくブラン。 腰を落ち着け、シルフィーモンは改めてブランの方を向いた。 「それでだが、私と美玖に話したい事があると言っていたな」 「はい。私達は今日遭遇した人間達と同じ人間に、以前もあなたと彼女が遭遇していると聞いてやってきたのです」 「エジプトの件か」 「師匠からハックモンへの知らせついでに聞いてきて欲しいと」 「師匠……ああ、ガンクゥモンの事か」 ガンクゥモン。 ロイヤルナイツの一人であり、最も新たに加わったロイヤルナイツの一人ジエスモンとは師弟関係にある。 他のロイヤルナイツと異なり、他のデジモンとも柔軟に対応・連携を取るという方針と主義を持っておりこれは弟子のジエスモンにも受け継がれている。 初めてジエスモン、…それが退化(スケールダウン)したハックモンに遭遇するまで、シルフィーモンはその情報に半信半疑だった。 「するとお前達はガンクゥモンの関係者か」 「関係者であり、彼は私と姉さんの恩人です。…そのおかげで色々と大変だった事もありましたが」 こほん、と咳払いしてブランは話を戻す。 「それでですが、エジプトであなたと彼女が遭遇した人間について詳しく話してもらっても良いですか?」 「それは構わないが、美玖でなければ詳しく話せない情報もあるぞ」 「あなたから、詳しく話せるものであれば」 「……そうか」 エジプトで遭遇した時の出来事を、シルフィーモンは話した。 ーーー 「…というわけだ。スカルバルキモンにやられた後の車にソウルモンが殺到したその後からは、残念だが私達は知らなかった」 「なるほど…ロイヤルナイツが確保したのは一人だけでしたので、彼の証言とも合致しますね」 シルフィーモンから聞いた話にブランは納得したようにうなずいた。 「しかし、中国語の一つとは…私達は人間達の言語を多くは理解していなくて…」 「私も。できるのはいくらかの英語のみ。…今のところ、身近な人間であの言葉がわかるのは美玖だけだ」 「弱りましたね…」 渡部巡査は脇で眠りに入ったラブラモンを撫でながら、ビールを一口。 「広東語ですか…私もそれどころか中国語はさっぱり」 「少なくとも、今回でのあのやりとりからしてやはり大元は友好的な相手の集まりではないようだな」 「これまで襲撃されたケースでも、無言で攻撃を仕掛けてくることが多かったそうです」 シルフィーモンは美玖を射撃してきた男達の言動を思い出した。 あの雰囲気や装備は、そこらのヤクザとは明らかに違う。 軍事ほどとは言わないが、明らかに妙でもあった。 「美玖の様子はまた明日確認するとして、今日の駅での調査の話を聞きに本所警察署へ行く」 「でしたら、私達も行きますよ。イグドラシルの件はなるべく多くの人間達に通達した方が良いと師匠も言っていました」 「なら、それで」 話を切り上げ、その夜は全員寝に入った。 ……… 「………んん………ん?」 夜が明け、渡部巡査が目を覚ますと何やら匂いがする。 誰かが朝食を作っているようだが…。 「ふぁ……」 「あ、おはよう、おまわりさん」 「おはっ…… !?」 渡部巡査は驚き、目をこする。 ラブラモンが台所に、椅子を台にして立っていた。 探偵所では見慣れたものだが、渡部巡査からすればデジモンが食事を作る光景は初めてだ。 「おまわりさん、かってにれいぞうこのなかつかっちゃったけどごはんつくったよ!すくらんぶるえっぐとさらだ!」 「す、すごいね…」 犬のような見た目ながら、包丁も危なげなく使える事に二度見してしまう。 「こ、こういうのもやってるのかい?」 「うん!せんせいと、しるふぃーもんにおそわっててつだってるの」 「偉いなぁ」 「えっへん」 他のデジモン達はまだ目を覚ましていない。 渡部巡査がハッとして時計を見る。 時刻は朝の8時。 「そういえば今日は燃えるゴミの日だ…急いで出しに行かないと」 「わたしもいっしょにいってもいい?」 ラブラモンが前足を拭きながら椅子から降りた。 「良いのかい?ちょっとゴミが多いから人手…デジモン手というのかな。助かるよ」 少しして、二袋分のゴミ袋を一袋ずつ持った一人と一体が外へ出た。 だが、この時は渡部巡査もラブラモンも尾行の気配に気づくことはなかった。 ーー 「よっ、せ…」 「うんしょ、と…」 ゴミ捨て場は少し離れた場所にある。 カラス避けのネットをかき分けてゴミ袋を置き終えた。 それじゃ戻ろう、と渡部巡査がラブラモンを振り返りかけた時。 パチッ 不穏な物音と、ラブラモンが叫ぶ。 「おまわりさん、うしろ!」 渡部巡査がそれに反応するより早く、彼の背中に電撃が突き刺さった。 「が、ああ…っ!」 「おまわりさん!」 倒れる渡部巡査の後ろから現れたのは、数人の男達。 いずれもパーカーのフードを目深にかぶり、手には警棒のようなものを手にしている。 …間違いない。 「……っ!」 渡部巡査が心配だが、彼らの狙いは自分だ。 とっさに走り出したラブラモンに、男達が声をあげ追いかけてきた。 途中、犬を散歩中の年配の女性が通ったが、ラブラモンと後を追いかける数人の男を見て不思議そうに首を傾げた。 どうやら、ラブラモンを本物の犬と見間違え、散歩中に犬が逃げたと思ったようす。 ラブラモンにしても、助けを求めようにも男数人に対して小型犬を連れた女性一人では危ない。 後を追いかける男達が何かやりとりを交わすのが聞こえる。 だがそれに構う余裕もない。 「…っ!!」 ラブラモンの足が止まる。 目の前に行き止まりの壁。 背後から迫る複数の足音。 振り向くと、電流の走る警棒を握りしめた男達が道を塞ぐ。 ぐっと四つ足を踏ん張ると、ラブラモンは吠えた。 「『レトリバーク』!」 「っ!」 吠え声による超振動が一人二人を吹き飛ばす。 成長期といえどデジモンの力は侮れない。 だが。 昨日の男達同様に、彼らもタフだ。 「ーー!」 構わず立ち上がった者も含め、男達は一斉にラブラモンへ殺到した。 複数の手がラブラモンの毛を掴み、地面に引き倒す。 「はなせ!はなせーっ!!」 暴れるラブラモンの耳元に、バチバチという音が聞こえる。 警棒が首元に押しつけられた瞬間。 強い衝撃が電脳核(デジコア)を襲い、意識が遠のいた。 ラブラモンが気を失うのを確認すると、男の一人が何かを取り出す。 ベルスターモンが持ち帰ってきたものと同じ球状の機械だ。 突出したボタンをラブラモンの体に押し付けると、青い光がラブラモンを包み込む。 ラブラモンの身体が光に包まれ、ボタンから機械の中に吸い込まれると、機械の透明な部分にDNAの螺旋のホログラムが生まれた。 実体化したデジモンの身体をデータに、その体重をデジモン各個のデータ量に還元し、収納するシステム。 デジモンの身体がデータで構成されている事を利用した、質量保存の法則をクリアした代物だ。 ラブラモンをその機械に収納した男達が立ち去ろうとした時。 「ホアアチョオオオオー!!」 一人がどこからともなく飛んできた紫色の影に蹴り倒される。 トゥルイエモンだ。 「その機械に今入れたデジモンを放してもらおうか!ーー『雷撃踵(しょう)』!」 続いて高速で回転しながら飛び出し、もう一人へ踵落としを浴びせたのはバウトモンだ。 だが彼らだけではない。 彼らが現れた後ろから声がした。 「頼む!あの子をあいつらの手に渡してはいかん!」 そこにいたのは黄色い身体をした恐竜の子どものような見た目のデジモン。 アグモンと呼ばれる成長期デジモンだが、ハンチング帽にコートとステレオタイプの探偵のような格好をしていた。 「わかってるが、あいつら逃げ足が速いぞ!」 一人を倒したバウトモンが舌打ちしながら振り返る。 男達は、ラブラモンを閉じ込めた機械を持った一人を守ろうと、積極的にトゥルイエモンやバウトモンへ向かってくる。 肉壁になるつもりのようだ。 どこからともなく車が走り、男達の前へ止まる。 「こいつ、また邪魔するアルか!」 肉壁に押されてトゥルイエモンがうんざりと叫ぶ。 その間にラブラモンの入った機械を持っている男が車に乗り込んだ。 ギュリィィィイイイイイイイ!!! タイヤがアスファルトを荒々しく擦る。 バウトモンとトゥルイエモンを蹴散らす勢いで、車はどこかへ走り去った。 男達も、打ちのめされた仲間を抱え逃走する。 「くそっ!」 「焦るな」 「でもよ!」 バウトモンが歯軋りしながらアグモンの方を向き直る。 アグモンはハンチング帽を軽く爪の先で持ち上げ、去っていく車を見た。 「バックナンバーはすでに確保しておる。ともかく、先程の彼を起こして戻るぞ」 「………わかりましたアル」 ーーーー 一時間後。 …渡部巡査の家の中は重い空気に包まれていた。 当の家主でさえ、未だかつて勤務中にあって味わったことのないものだ。 ラブラモンがさらわれた。 不覚にも、自分は注意を払えず、守れなかった。 「……それで」 口を開いたのはシルフィーモン。 「彼らの居場所について足掛かりは?」 「先程、奴らが乗った車のナンバープレートは押さえた。むろん、これだけでは場所の特定には行きつかぬ。そこで…」 シルフィーモンの問いに答えながら、探偵の姿をしたそのアグモンは、シルフィーモンやグルルモンにはあまりにも見慣れた道具を付けた片腕を示した。 「ウイルスの一種を車に仕込んだ」 「それは…美玖が着けているものと…」 「うむ。わしが着けているこれはプロトタイプだが、あの子に与えたものはデバイスも含めこれがなければアップロードがままならんでな」 渡部巡査を拾って家へ駆け込み、事態を話す傍らでこのアグモンは自らを探偵であり美玖の師と名乗った。 どこで聞いたか美玖の現状を知って、トゥルイエモンとバウトモンにコンタクトを取り合流。 そこで美玖の探偵所の関係者たる三体に会おうと向かった先で、ラブラモンがさらわれたところに居合わせたわけである。 「あの子がまさか奴らと接触してしまうとは、そのうえ撃たれるなどと…」 探偵アグモンはしかめ面で顔に手を当て、嘆息した。 「だが、まずはさらわれたラブラモンを救わねば。良いか、車にウイルスを打ち込んでおいた。それをこのツールで探知する。奴らは極力人目を避けるだろうが、ラブラモンの匂いを知っとるならそこの彼に追跡を任せられるはずだ」 「ソレハ構ワナイガ…」 探偵アグモンに目を向けられたグルルモンはシルフィーモンと顔を見合わせる。 「俺ダケデ行クベキカ?」 「うむ。大人数で追えば却って追跡を気づかれよう。なにより、主らの顔は向こうへとうに割れておるゆえ素で行くのも勧められん。ワシと主だけで行けば偽装コマンドによるカバーはできるはずだ。やれるか?」 「………アア」 グルルモンが立ち上がると、探偵アグモンはその背中にひらりと乗った。 かなりの差であるに関わらず随分と身軽である。 「では、ワシはこのグルルモンと追跡に出るゆえしばし待て!」 「そ、そんな急に………行っちゃった…」 一飛びで庭を飛び越えるグルルモンに、ノワールは呼び止められず。 ブランがシルフィーモンに尋ねる。 「あのアグモンさんが、美玖さんのお師匠様なんですか」 「彼が着けているあの道具で疑う余地はない。あれと同じものを美玖も着けているし、彼女から以前に話は聞いていた」 「……にしてもねぇ」 ベルスターモンはあぐらの姿勢をとりながら考え事をしていた。 「ありゃ、多分だがそれなりに名のあるデジモンなんじゃないか」 「え?」 「あそこまで雰囲気の違うアグモンなんざ見たことないし、纏ってる雰囲気が成長期やそこら辺の成熟期とは段違いなんだよ」 そう言うベルスターモンにノワールは目を瞬かせる。 「じゃあ、あのアグモンって」 「アタシの見立てじゃありゃおそらく完全体…それも相当に長く生きてる奴か究極体が退化(スケールダウン)したものだろうね」 「………退化、か」 シルフィーモンはハックモンもといジエスモンのことを思い出した。 究極体デジモンがおいそれと人間の世界に来れないのは、イグドラシルと人間の契約ゆえ。 完全体デジモンまでをギリギリのラインとして、イグドラシルは人間の世界へ入る事を許した。 究極体デジモンはデジタルワールドに強い影響を及ぼす者が多い。 それが人間世界に飛びだせば、いずれは強い悪影響を人間世界を通じてこちらに及ぼしかねない危険がある。 イグドラシルはそう判断した。 そのような判断から、デジタルワールドから究極体デジモンが人間世界に入ることも、人間がデジタルワールドへ入る事もイグドラシルは厳重に規制した。 ……依然、デジタルワールドに人間が迷い込む事があるにも関わらず。 一方で、イグドラシルが例外として人間世界への進入を許している者達もいる。 その例外の一部が、イグドラシルの傘下に入るロイヤルナイツ達。 デジタルワールドの秩序を護るため彼らは滅多に自らの意志で人間世界に足を踏み入る事はない。 ならジエスモンが何の意図で、自身ら探偵所の者と接触を図ったのか。 「それに、あのラブラモン、あれ元があのアヌビモンだろ?」 「え?」 「は??」 バウトモンとトゥルイエモンが唖然とする。 「お、おい、アヌビモンって…」 「デジマアルか!?さっきのよりも衝撃的アルよ!?」 「…………すまない」 シルフィーモンが真顔で言う。 「事実、なんだ。私と美玖が前にエジプトで行方を絶ったとの事で探すようにと依頼されていたデジタマが、ある理由からアヌビモンが自身の力を使ってなったものでな。ラブラモンは、そのデジタマから孵ったものなんだ」 「なんと!?」 「あ、あの…」 渡部巡査が割って入る。 「そ、そのアヌビモンっていうのは凄いデジモンなんですか?」 「ああ、デジモン知らない奴(クチ)かいアンタ。まあ、一言で言えばそうさね…こっちで言うところの閻魔大王とかいうのみたいなものさ」 「え、閻魔大王…」 「デジモン達が死んだ後に行くダークエリアという世界の管理人でもある」 ベルスターモンとシルフィーモンが言うと、渡部巡査は何やら混乱した様子。 「ぼ、僕らはそんなデジモンに朝ごはん作ってもらったり、ゴミ出しに手伝ってもらったりしてたのか…!」 「……そう考えるとすげぇな…」 バウトモンがぼやいた。 ダークエリアの管理者にして裁判官がそれをやるギャップ。 だが今はそれよりも。 「美玖には今、阿部警部の奥さんがついている。何かあれば連絡をくれるよう頼んでいるので私達は一度待機。アグモン達が戻ってきたら本所警察署へ行くことを提案しよう」 シルフィーモンは全員の顔を見ながら言った。 ………… 目を覚まし、一番最初に感じたのは冷たく固い床。 空気を鼻から吸い込めば、鉄錆と薬品が混ざったような嫌な臭い。 「……っ……うう…」 まだ力が入らない体を無理矢理起こし、ラブラモンは自分が今いる場所を見回した。 そこは、暗い部屋の中だった。 あまり大きな部屋ではなく、鉄の格子が付いているのを見るあたり独房のようだ。 所々にデジモンのものらしき毛や髪が散らばり、壁や床には引っ掻き痕が残されている。 ここへ閉じ込められたままでは、いずれロクな事にならないだろう。 「……」 格子に耳を押し付け、わずかでも音声を拾おうと努める。 まもなく、二人分の足音が近づいてきた。 話し声も聞こえる…が。 「……………」 「………、………。………」 やはり中国語っぽい言葉…美玖が言っていた『広東語』なのだろう、会話が全くわからない。 やがて足音はラブラモンが入れられた部屋に近づいてきた。 すぐ横になってまだ気を失っているふりをする。 (いま、わたしがおきてるってわかったらだめ…!) 人の気配がすぐ近くに来るのを感じる。 薄目を開けてちらりと見やると、痩せ型の男と豊満なバストをした黒髪ショートヘアの女がいる。 二人ともに白衣を纏い、薬品の臭いを漂わせていた。 「………、…………」 「…?………、……………」 「…」 二人は話しながらラブラモンを見やる。 (だいじょうぶ…きづいてない…) しかし。 ラブラモンは不吉なものを覚えていた。 二人連れのうち、女の方にである。 女はぱっと見で年齢30代ほど、濃い紫のアイラインが目立つ派手めな化粧をしている。 だが、ケバケバしさは感じず、むしろ匂いたつような色気を帯びていた。 (このけはい…どこかで…) まもなく、男からの言葉に女が応じて、それをきっかけに二人は部屋から去った。 と、その時。 女がラブラモンの方を振り向く。 そして、唇が紡いだのは、ラブラモンにも馴染みのある言葉。 「そうよ…あなたのことはたっぷりともてなさなくちゃね、アヌビモン……ふふふ」 (……!?) 意味深く含み笑いを浮かべながら、女は背を向けた。 二人が立ち去ると、ラブラモンはのそりと起き上がった。 女の正体が気になるが、それよりまずはここを抜け出し、情報を引き出さないと。 (ええと…あ、とられてない!よかった!) 耳の裏に仕込まれた小型の機械に爪で触れると、がしゃりと変形してバッグのような形態になった。 物をデータ化して持ち歩くバックパックのようなツールだ。 ジャンク屋で買い取った物を、シルフィーモンのコネで修理し美玖がラブラモンにプレゼントしたのだ。 中は大体、あって困らないようなものを美玖が選んで入れている。 「このへんに……あった!てるみっとできるやつ!」 耳からツールを外してぽちぽちと押すと、丈夫に梱包されたポチ袋とチャッカマンが出てきた。 このポチ袋の中には、事前に混ぜ合わせておいた酸化鉄の粉とアルミ粉末が入っている。 「せんせいがおしえてくれたほーほーで…しんちょうに…」 包みを少し開けて格子を中心に粉を撒いていく。 粉を撒いた後は、かなり後ろまで下がりながらチャッカマンの火を着け、粉を撒いた部分に近づけた。 ……まもなくして、粉を撒いた部分から凄まじい熱と光が起き始めた。 テルミット反応は酸化鉄とアルミ粉末に火を近づけることで起きる化学反応のひとつ。 本来は専門家の指示を受けながらやるべきものだ。 美玖がラブラモンにこのテルミット反応の利用法を教えたのにはむろん訳がある。 ひとつは、成長期デジモンとしての非力さをカバーするためのもの。 もうひとつは、このような囚われの状況等に陥った時のもしもの対処法としてのものだ。 「……おりが、とけてく!」 熱されて真っ赤に格子が溶け落ちる。 格子から3000度レベルの高熱が引くまで時間を待つ必要こそあったものの、誰も来なかったのが幸いした。 「……えいっ!」 格子に体当たりすると、高熱から冷えた格子は大きくひしゃげる。 廊下へ出ると、ラブラモンは物陰に隠れながらそっと空間の把握のために周辺を見回した。 廊下は乱雑に段ボールが置いてある以外はごく普通の廊下だ。 ドアが幾つもあり、ラブラモンだけでは調べるのに時間がかかるかもわからない。 (……わたしだってたんていじょのひとりだ。せんせいのためにも、がんばらなきゃ!) ………… 探偵アグモンの連絡があったのは、待機してから30分弱。 指定された場所へ渡部巡査以外の全員で向かうことにした。 「本所警察署に連絡して貰って良いだろうか?実際に被害を受けたわけだし、昨日から早々に発見があったと言う事は他の場所でも目撃証言はあると思う」 「わかりました」 シルフィーモンの言葉にうなずく渡部巡査。 神田巡査部長の耳にも入れておきますと告げる彼とその家を後にしたデジモン達一同が向かった先は、隣の台東区、上野公園の噴水前。 「おう、ここだ」 探偵アグモンがグルルモンのそばで手を振った。 合流すると、彼は早速探索の結果を話した。 「場所の特定は完了した。場所は吉原の一角だ」 「吉原?」 「人間達の娯楽の街…で良いかね。そこの廃ビルを連中は拠点にしてるようだ」 言葉をだいぶ濁しているが、無理もない。 濁された言葉の意味がわかったのはシルフィーモン一人だけだった。 「車をその駐車スペースに入れて奴らは中に入ったのを見届けた」 「俺達ニ気ヅクコトナク、ナ」 「すると問題はその侵入方法だな。廃ビルということなら、我々揃って一斉に入るか?」 「でもラブラモンだけじゃなく他にもデジモン達が捕まってるのよ。人質にとられるような事態は避けたいわ」 「……ふむ」 やりとりを眺めながら、探偵アグモンは考え込んだ。 「なら、少数でいくというのはどうでしょう」 「でも顔が割れてるって話なら、不意打ちされるかもだろう?あいつらには、こっちの動きを奪える手段があるんだぞ」 そこで、探偵アグモンが片手を上げた。 「ふむ、ならシスタモンブランの言うように始めから少数で行くのはどうだ。…むろん、そのまま、ではない」 「どう行くつもりだい?」 探偵アグモンはツールをなでさするようにした。 「…シルフィーモンよ、お主が美玖と共にいたのなら、あの子の持つデバイスの機能のうち偽装コマンドについて知っとると思うがどうかね?」 「何度かあれには世話になったが…そうか、そういうこと…」 「何がよ?」 ノワールが聞くと、探偵アグモンは説明を始めた。 偽装コマンドを使い、人間の姿になりきる。 二体までとし、他のデジモン達は携帯や端末からネット空間に待機。 先んじて廃ビルに侵入し、中を探索。 ある程度中を調べてラブラモンや他のデジモン達の居場所を把握し確保したか、あるいは…。 「我々と知られて交戦状態になった時は飛び出してくれ」 「悪クナイ案ダトハ思ウガ、ソレハ誰ガ行クンダ?」 「それは、ワシが今決めた。彼と行こう」 探偵アグモンが言いながらシルフィーモンの肩を叩いた。 何度か経験がある者なら、柔軟な対応が可能なはずだ。 ……なにより。 「あの子の助手として助けになったというその手腕、頼りにさせてもらおう」 ーーーー ラブラモンは廊下を注意深く歩きながら、扉の一つをそっと開ける。 中はこれまた薬品の臭いが充満しており、思わず尻込みした。 薄暗いが、中には実験器具が所狭しと置かれている。 そろりそろりと中に入った時、テーブルの上から物音と声がした。 「おい、誰かいるのか!?」 「!」 びっくりして見上げると、テーブルの上に水槽が置かれその中に一匹のネズミのようなものが閉じ込められている。 「ここだ、ここ!早く出してくれ。ちくしょう、あいつら、オイラをその辺のネズミみたいに扱いやがってー!オイラだってれっきとしたデジモンだってのによお!!」 泣きわめきながらそのネズミ…のようなデジモンはケースを叩いていた。 「まってて!いま、たすけるから」 「ありがてえ!」 ラブラモンが近くにあった椅子を引いて踏み台にし、ケースの蓋を外す。 ネズミのようなその小柄なデジモンは、ケースから飛びだすと大喜びで跳ねた。 「ありがとうよ!同じ成長期デジモン同士のよしみだ、一緒にここから出ようぜ!」 そのデジモン、チューモンは言いながら、ラブラモンの頭の上に乗った。 チューモンというデジモンは非力だがズル賢く、危険が迫ると逃げてしまうせこさを持っている。 「まって、わたしもつかまったしここからにげたいんだけど、まずやりたいことがあるの!」 「はああ!?」 「だから、さきにきみだけにげて!」 信じられないといった顔でチューモンが頭を抱える。 それでもラブラモンの気が変わらないのを見ると、意を決したように身を乗り出す。 「一体何をしたいんだ?」 「わたし、たんていじょにいるでじもんなの。ここのにんげんがでじもんをつかまえる、わるいにんげんらしくて…ちょうさちゅうに、つかまっちゃった」 「なーるほど?」 「そのにんげんたちに、せんせいがうたれたの。やさしくて、わたしたちでじもんのことがだいすきな、いいせんせい(人間)。せんせいのためにも、ここのにんげんたちのじょうほうがほしい」 「また命知らずなマネするなあ!……探偵ねえ。無理に命張るまでもないと思うけどなあ」 うーん、と唸るチューモン。 「……しかし、そうだな。最近、人間の中に、オイラ達デジモンを捕まえて何か企んでる連中がいるって噂がホントだったってのは皆に伝えないとな」 「うん、ありがとう。……もしものときがあったら、きみだけでもにげてね」 「良い子ちゃんすぎるぜお前…でもありがとよ」 ……… ラブラモンが目を覚ます一時間前に遡ろう。 ソープランドが立ち並ぶ吉原の一角。 呼び込みの女性が歩く二人組の男を見てネズミ鳴きをした。 それをちらりと流し見し、黙殺して去る二人。 一人は色黒の壮年で、190cm超えの身長に精悍な体つきだ。 バサついたダークグレーの短髪に、ステテコとタンクトップという吉原には似つかわしい組み合わせの格好である。 もう一人は後ろへおろしたロングヘアの茶髪に、中性的で整った顔立ち。 連れと比べてかなり年若い。 長身痩躯でその足取りはかなり軽い。 鮮やかなライトブルーの目は注意深く周囲を窺うように煌めくが、それが男女問わず彼にひと目惹かれる要素ともなっていた。 言わずもがな。 この二人は、探偵アグモンとシルフィーモンだ。 探偵アグモンの持つツールに搭載された偽装コマンドで、人間の姿に擬態しているのである。 連れ立ちながら、探偵アグモンーー壮年の男の方ーーが、若い中性的な男…シルフィーモンに言った。 「連中がいる廃ビルは信号を二つ過ぎた先だ。侵入経路だが、裏口から入る。そこを入ってすぐ連中がいる可能性は高い」 「侵入して誰かいた場合は気絶を狙った方が良いか?」 「そうだな。あの子が言うその広東語という言葉が我々には使えない以上、多少の強硬手段はやむを得まい。一人だけなら我々でもどうにかできるが、それ以上人数がいるようならその時点で待機した皆を呼ぶとしよう」 「場合によっては私が陽動する」 そう話し合いながら、二人はまもなくその廃ビルの近くへとたどり着いた。 廃ビルは見た目だけなら誰も住んでいる気配も様相もない。 何食わぬ顔で二人は廃ビルより手前の通路へ曲がり、先程まで歩いた街並みの向こう側へ移動する。 廃ビルの裏手口はそこから侵入ができるはずだと探偵アグモンは言った。 裏手口まで着くと、緑色の古びたスチール製のドアが一つ。 探偵アグモンがシルフィーモンに目配せ。 シルフィーモンがうなずくと、先んじてノブに手を掛けて開けた。  …建物内は薄暗く、人の気配はあまり感じられない。 探偵アグモンが壁にある案内を見つけて見上げた。 「最上三階、地下一階…」 シルフィーモンも案内を見ると、元はソープランドを経営していた会社だったのか社名と見取り図が書かれていた。 「ラブラモンが閉じ込められているとしたら、地下か二階辺りだろうか?」 「二手に分かれて探すのは悪手だ、手がかり探しも兼ねて一階を固く探すか」 ………… 廊下はとても暗い。 ラブラモンの頭の上からきょろきょろと見回しつつ、チューモンは尋ねた。 「手がかりってたけど捕まってる皆がどこにいるのかわかるか?」 「ううん」 「それを先に探そうぜ」 「うん。そういえばちゅーもんはどうしてつかまったの?」 「オイラ?…しくじったんだよ、ダチ助けようとした先でさ」 チューモンは自身の友達と言ってはばからない相手であるスカモンが捕まったのを、助けるために乗り込んだのである。 しかし、ドジを踏んで見つかり、そのまま捕まってしまったのだ。 「あいつら、オイラをモルモットみたいに扱うつもりだったらしくてよ。色んな薬揃えてやがったんだ。ひでぇ臭いだったぜ」 チューモンは言いながら鼻をむず痒そうにした。 「おいといて、ひとまず人間の匂いはまだしないみたいだ。今のうちに探せるところを探そうぜ」 ひとまず目についた先の扉へと入ってみる。 そこは資料室だろう、本棚と机、デスクトップパソコンが置いてある。 パソコンは起ち上がっていない状態だ。 「ぱそこん…!」 「やったぜ!逃げ道はひとまず見つかったな」 ひらりと机の上に飛び乗ると、チューモンはパソコンの電源を起ちあげた。 画面はすぐについたが、それを見ていた彼は舌打ちした。 「くっそ、ご丁寧にパスワード付けてやがる!」 「ぱすわーど?」 「このままじゃネット空間に入れない」 パソコンへのログインができなければ、ネット回線に繋げられずデジモンもネット空間に入ることが叶わない。 とはいえ、パソコンを常々使っているのなら、パスワードを見えやすいところに貼る人間もそうそういないだろう。 「ぱすわーど、さがさなきゃ」 「やっぱりそうだよな…くっそー!」 近くにあったマウスを蹴飛ばしかけ、チューモンの耳がピンっとまっすぐ立った。 たちまちその表情に焦りが浮かぶ。 「おい、誰か来るぞ。隠れろ」 「!」 一人分の足音。 チューモンが何かを見つけて指差す方を見れば、部屋のドア近くに逆さに置かれた段ボール箱が目に入った。 咄嗟に下へ潜り込む。 間一髪、白衣を着た一人の男が中へ入ってきた。 先程、女と一緒にいた痩せぎすの男だ。 男は段ボールに隠れたラブラモンとチューモンに気づかず通り過ぎ、パソコンの前まで来た。 「…?……?」 訝しげな声音をあげて男がパソコンの前に座る。 それも束の間、すぐに、パソコンをタイプしログインした。 おそらく、パソコンが付いていたのを、自分が消し忘れただけと思ったのだろう。 (ろぐいんした…!) (でもどうするよ…人間はオイラ達に気付いてないけど、あいつらみたいにタフだったら嫌だぞ) チューモンは複雑な面持ち。 抵抗した際に彼らがデジモン並みに打たれ強い存在だと知っているからだ。 (うーん……) ラブラモンは段ボールの隙間から辺りを見回す。 そこで、ある物が目についた。 (ねえ、あれ使えるんじゃない?) (あ?) 指した先に落ちていたのはPPバンド…ポリマー素材の、荷物の積載の固定などによく使われているものだ。 (あれをどう使うんだ?) (もってこれる?) (それなら…) チューモンはソロソロと箱の下から抜け出し、男の様子に気をつけながらPPバンドを持ってきた。 幸いあまり物が落ちていないため、バンドで物音を起こすこともない。 (持ってきた。で、これで何するんだ?) (まえに、えいがでみたことあるの!これでうしろからくびしめられるしーん) (えっ!?) 思わず大きな声を出しかけ、チューモンは口元を押さえた。 (人間の首をこれで絞めろって!?) (せんせいがいってたんだけど、ころせなくてもいきができなかったら、くるしさにたえられなくてきぜつするんだって) (それは……お前、とんだ発想だぞ…。しかし、うーん…) 本当にやるのか?とチューモンは手の中のバンドを握る。 しかし、どのみち目の前の男をどうにかしなければせっかく見つけた逃走ルートの確保もままならない。 (本当に、やるんだな?) (うん) ラブラモンが力強くうなずくと、チューモンも観念した。 (で、どうやって首を絞める?) (わたしがきをひくから、チューモンはそのすきにあいつのくびを) (わかった) 静かな室内で、一層響くタイピング音。 どこかへのメールだろう内容を打ち込んでいる男の耳に、かさり、とかすかな音が聞こえる。 「……?」 スツールをやや右に傾けながら振り向く男。 その時。 突如首に硬く長い触感が巻かれたと思うと、強い力で締め付けられた。 「!?」 しまった、と男は巻かれたPPバンドをほどこうとするが、かなりキツく締められていて手指が入らない。 「……!」 「がんばって、ちゅーもん!」 「やってやらあ、ふんぬううううう!!」 男の背中にぶら下がるようにしながら、チューモンはありったけの力を込めてPPバンドを握る手に力を込める。 男は抵抗しながら、あちらこちらへとよろめく。 「こんのぉー!!」 そう叫ぶチューモンの顔も真っ赤だ。 だが。 「……!…!!」 男も力を振り絞ったのだろう、バンドのたるんだところに指がひっかかり、そのままチューモンごと振り払った。 「うわー!」 「チューモン!」 「……、……!」 男は息を切らしながらよろよろと起き上がった。 声をかすれさせながら、連絡をするつもりか白衣のポケットをまさぐりだす。 「くそー…あいつ、他の連中呼ぶつもりだ!」 「それなら!『レトリバー……」 「バカ!必殺技はダメだ!それよりは頭突きかなんかお見舞いしてやれ!」 ラブラモンの必殺技『レトリバーク』は吠えて超振動を起こす技。 それこそ、自分達は逃げましたと周りに告げるようなものだとチューモンは叫ぶ。 「わかった!」 携帯電話を取り出した男めがけ、ラブラモンは突進した。 「てやーっ!!」 「!」 どすん! 男の腹に刺さるように頭突きが入る。 大きくよろけ、後ろ向けに倒れると男はそのまま気を失ってか動かなくなった。 「はあ…、はあ……、やったぜ!」 「うん…!」 あまり外に漏れた音でもないのか、追加の足音はない。 ひとまずと二人がかりで男をPPバンドで縛り付けたうえにどこからか拾ってきた雑巾をその口の中へ詰めた。 「よし、こいつは目立たないとこに隠して…携帯電話も取り上げとこう。音鳴らされないように電源落として…と」 男を運ぶのに手間はかかったが、どうにかパソコンという手段を確保することに成功した。 そこで、ラブラモンがツールからメモリーカードを取り出す。 「せんせいからあずかってたやつ!」 以前に、美玖が預けていたブランクのメモリーカードだ。 これにパソコンの中のデータを移せば情報として持ち帰れる。 「さすが探偵様様…てか?準備良すぎだろ」 「でもこれで、わたしのやるべきことのひとつはできたね」 「…オイラ達が無事に逃げられたらの話だけどな」 ………… 「あ、ぐぅ………」 背後からシルフィーモンによる打撃を受け、崩れ落ちる白衣の男。 二体が探索しているのは、一階の部屋の一つだ。 白衣の人物がいたため、背後から不意打ちを狙ったがあっさりだった。 「手応えは…普通の人間だったな」 「うむ、おそらく研究員のような人材は肉体を強化されてはいないのだろう」 今のところ、特に成果らしいものはない。 棚を漁ってみたものの、中は研究員の私物なのか服やバッグ、ぬいぐるみくらいだ。 「さすがにここにはないか」 「一階に人間がほとんどいない。ということは上か、下か」 人影のない廊下を見ながら、二人は顔を見合わせる。 「行こう」 「行くか」 白衣を奪うと、探偵アグモンはそれをシルフィーモンに渡した。 「見た目だけでもワシよりお主が着た方がそれっぽくて良かろうて」 サイズは少しキツかったが、それでもどうにか形にはなる。 それから二体は階段を上がった。 二階は一階よりかは明るく、人の気配がする。 廊下の向こうから気配がした。 シルフィーモンが振り向くとこちらも白衣の人物が歩いてくる。 女のようだ。 探偵アグモンは偽装コマンドを使い、シルフィーモンの背後で目立たないようにしている。 ショートヘアの黒髪に厚めの化粧をした女が白衣の裾をはためかせながらやってきた。 軽く会釈し、女が通り過ぎるのを待つ。 白衣の下に着た露出の高いワンピースドレスから、惜しげもなく谷間を主張させて女は歩いて行く。 男なら迷わず視線が食い込んでもおかしくないが、シルフィーモンは女の背を見届けるに徹し探偵アグモンに目配せした。 「こっちだ」 小声でやりとりし、進む。 しかしこの時。 女の足が止まった。 女は訝しげに首を傾げ、ゆっくりとシルフィーモンの方を向いた。 「……おかしいわねぇ。研究員にあんな男いたかしらぁ?」 ……… 『データの移動完了まで残り30分です』 メモリーカードにパソコンの中のデータを移動させると共に進捗画面が表示される。 「これからほかのへやにもいかない?」 「いいぜ、でも部屋入られたら事だからひとまずー…」 チューモンは先程男を隠した場所へ戻り、しばらくまさぐった後チャリチャリと音を立てて戻ってきた。 「よっし、鍵があった!これで、オイラ達が探してる最中、邪魔されないで済むな!」 「うん」 部屋を出て鍵をかけ、暗いところに鍵を隠す。 こうすれば、部屋に入られてデータの吸い出しを止められる事もないだろう。 暗がりを移動しながら、チューモンは先んじて他の部屋を順繰りに偵察する事にした。 ラブラモンは後をそっとついていきながら、鼻をうごめかす。 「…この部屋は、何人かいやがるな」 薄く開いたドアを覗いて呟くチューモン。 ラブラモンも覗いてみると、青の蛍光色に照らされた部屋の中に数人の男達がいる。 両国駅で遭遇した者達のような装備はしていないが、独特の異臭に加えて防弾チョッキと思しきものを着込んでいた。 「このへやじゃない?」 「オイラも臭いと思う。けど、どうしよう?」 今入っていくのは危険すぎる。 別の場所も探そう、ということになりがらんどうな場所へと移動する。 ラブラモン達がいる地下は、部屋数が少なく電源などの施設があるだけだ。 「こっちは……んん?」 階段から離れた所で、チューモンがひたすら鼻を動かす。 ラブラモンもつられて臭いを嗅ぐと、嗅ぎなれない臭いがつん…と漂った。 揃って向かうと、薄暗がりの中赤いガソリンタンクが十個ほど置かれていた。 電気が通らないため発電機用の燃料だろうか。 「こいつは…ガソリンじゃないか。人間達が乗る車の」 「がそりん?」 タンクのそばに近寄り、くんくん臭いを嗅ぐ。 「これが、がそりん?」 「おう、オイラは何度も見てる」 ラブラモンはガソリンタンクをしばらく見ていたが、やがてあっ、と声をあげた。 「そうだ!"ひ"だ!」 「へ?」 「ちゅーもん、いいことおもいついた!これに……」 そこへ、突如扉の開く音がした。 中から人が出てくる気配。 「…!マズい、隠れろ」 先程の部屋にいた数人が慌ただしく出てきた。 彼らは手に手に得物を持って、階段の方へと駆け上がっていく。 「なんだ?」 「わかんない…でも、いまのうちにへやにはいれるんじゃない!?」 「そうだな!戻ってみようぜ」 ………… 部屋へ近寄り、ドアノブへ手をかけたところに声がかかる。 「ねぇ、あなた。ちょっと良いかしら?」 ハッと振り返るシルフィーモンは、後ろから女が歩いてくるのを見た。 やっぱり、というふうに、女の唇に一種凄惨な笑みが浮かぶ。 「あなた、だぁれなの?日本語で聞かれて振り返るなんてお馬鹿さん」 (しまった!) 身構えるシルフィーモン。 女はわざとらしく困った、という仕草で見つめる。 「私のこのボディにシラフなだけじゃなく、日本語に反応しちゃう時点でバレバレじゃない。ここの男達はみぃんな、私が骨抜きにしてるから不自然すぎて目立っちゃってるわよ。どうやって来たか知らないけど……そこのあなたも出てきたらいかがかしら?」 その言葉に込められた剣呑なものに背筋が凍る。 やや長めの沈黙があったが、観念したかのように探偵アグモンが偽装コマンドを解く。 「お利口さんね、そっちのあなた。……で、何の用があって潜り込んできたのかしら?お仲間さんを取り戻しに?」 「……こやつ……」 探偵アグモンの頬に汗がひとつ筋を残しながら落ちた。 「気をつけろ、こやつ…」 女が手元に取り出した機械をいじる。 スイッチを押すとけたたましいブザーが上下階に鳴り響いた。 ザッザッザッザッザッザッ!! 一階を経由して地下から、三階から、大勢押し寄せてきた。 手に手に、スタンロッドやナイフ、拳銃を所持している。 「シルフィーモン!」 「ああ」 携帯電話の液晶から光が放たれる。 狭い通路だが、幅ギリギリを占有するように待機していたデジモン達が飛び出した。 「出番か!」 「てか、狭いわよ!?よくこんな狭いところで戦おうってなったわね」 「前後を挟まれてるからな!互いに干渉しないためにも必殺技を使うようにするんだ」 「わかってますが…!キツいですこの状況!」 気づけば女の姿はない。 仕方なしとシルフィーモンは前方を見据えた。 探偵アグモンの身体が光に包まれる。 「アグモン、進化!!」 縦にも横にもギリギリに、大きな赤い身体をしたティラノサウルスのようなデジモンが現れた。 「ーーティラノモン!!」 ……… 「うん、だれもいない」 「なんだ、この機械?」 先程まで男数人がいた部屋は無人の状態。 これ幸いと部屋に入ったラブラモンとチューモンが見たものは、円筒形の機械が羅列された光景だった。 青の蛍光色が部屋を満たしていた。 二体が近づいていくと、機械には何かが嵌め込まれている。 それにラブラモンは見覚えがあった。 「のわーるがいってた、でじもんをなかにいれるきかいだ!」 「デジモンを?この中に?」 チューモンが訝しげに近づき、一つを引き抜いた。 DNA螺旋のホログラムが浮かび上がっている。 「ただのオモチャとかそんなんじゃないのか?」 「ちがうよ!でもここにみんないるのならきみのともだちも」 「スカモンも!?……なら、どうするよ?」 チューモンが振り返ると、ラブラモンは後ろを振り向きながら手招きした。 「さっき、いいかんがえがあるっていったよね?」 「おう、言ったな」 「さっきの、がそりんのあるところにもどろう」 「おう…?」 部屋を出て、ガソリンタンクが置かれたスペースへ戻る。 チューモンが何をするつもりか聞こうとした矢先で、ラブラモンがタンクの一つにとりついた。 「おい、何やってんだよ!?」 驚いたチューモンを前に、ラブラモンはタンクの蓋を外し始めた。 それも一つに限らず全部のタンクを順繰りに開けていく。 「おい、おい!?何するつもりだ!」 「"ひ"をつかうんだよ」 「ひ…火ぃ!?」 タンクを全部開けると、ラブラモンは一番手前にあるタンクを両前足で押し始める。 「うん…しょ、うんん…しょ…!」 タンクはかなり重く、一度に押し倒すには力が足りない。 体当たりをくわえて、やっとタンクを倒す事に成功した。 ガコン!と音を立てて、中からガソリンが流れ出ていく。 「なにするんだ?」 「がそりんをこのあたりにまくんだ。ぱそこんのあるへやからちょっとはなれたあたりまで」 ラブラモンはガソリンについて事前に調べていたのだ。 美玖の知らないところでラブラモンはガソリンについて調べていたのである。 勉強という範疇で。 「がそりんって"ひ"がつきやすいんだって。ちょっとはなれたとこから"ひ"をつけても、がそりんがきはつしたとこからひがついてばくはつするってあった!」 「なんてこった」 ラブラモンが立てた計画を話すと。 ガソリンのタンクをいくつか倒しておき、ある程度パソコンの部屋に近い位置までガソリンを垂れ流しておく。 その後、円筒形の機械から、デジモンが入ったもののみを抜き取る。 ツールがあるからこそ可能といえるだろう。 その後はパソコンの部屋へ戻ってパソコンをチェック。 データの抜き取りが完了したのを確認してから、火を部屋の外に投げ入れてすぐにパソコンから電子世界に逃げる。 火が投げ込まれればその頃にはガソリンの揮発した範囲は広くなっているため、投げ入れてすぐドアを閉めるのが良いという話だ。 「ほんと、お前なんか恐ろしい子だな…」 「えへへ」 「いや、本気で怖いからな!?」 計画に鳥肌が立ったチューモンは、改めてラブラモンへの見解が変わるのをうすら恐ろしく感じたのだった。 ーー 「これで最後だ……よいっ、しょ!!」 「よいしょー!」 ガコン!! 四個目。 パソコンの部屋から5mほど離れた位置までタンクを押す。 ガソリンに濡れないようにしながら押す作業は、重労働であると共に危険な作業でもあった。 「うん、これくらいのきょりでいいかな」 「で、火だけどどうするんだ?お前さっき長いライターっぽいの持ってたろ?あれじゃドアを閉める前にオイラ達が爆発しちまうぞ」 「だいじょうぶ、ぱそこんのへやにかみがいっぱいあったからそれにひをつけてなげる!」 そうこう話をつけながら来た廊下を折り返す。 向かった先は円筒形の機械の部屋。 まだ誰も戻ってきていないのを確認し、手分けして機械からボール型の機械を抜き取っていく。 「ほろぐらむがあるのだけね!」 「このなんか青い所にぼーって浮かんでるやつか、よっし」 少し力を入れる必要があるが、機械を抜き取っていってカバン型ツールにどんどんと投げ込んでいく。 作業には十分もかかったろうか。 円筒形の機械はほとんど空になった。 「だいぶあったな…」 「きみのともだちもなかにいるといいね…もどろう」 パソコンの部屋の施錠を解除し、中へ入る。 画面を確認すると、データ移動の完了を報せる表示のウインドウ。 「やった!」 「ゲート開ける準備しとくぜ」 パソコンがオンラインであることを確かめる。 それからチューモンがゲートを開く作業を行なっている間に、ラブラモンは棚からファイルを一冊抜き取った。 その中の一枚を外し、チャッカマンで火をつけた。 「げーと、どう?あきそう?」 「もうちょい……よし、開いた!」 チューモンが跳ねた。 「じゃあ、なげるよ!さきにはいってて!」 「ほんとに大丈夫だよな!?」 「うん!」 念のために、メモリーカードもツールもチューモンに預けている。 後は、タイミングだ。 ラブラモンは火の付いた紙を持った前足に力がこもるも、ドアのノブにもう片前足をかける。 そして。 ………… ドォン!!!!! 「なんだ!?」 突如の轟音。 戦闘中、ビルそのものが揺らぐほどの衝撃にシルフィーモン達も男達も驚愕の声をあげる。 「………マズいぞ」 熱気が下から迫り上がる。 それも、かなりの早さで。 ティラノモンが叫んだ。 「全員窓から飛び出せ!!」 後ろの部屋との間をふさぐ男達はベルスターモンとグルルモンが倒している。 「な、何が起こったんです?」 「わからないが、誰かが下で爆発物の類を起動させたらしい!急いで外へ出るんだ」 「待て、だとしたらラブラモンが…… くっ!」 気がかりから珍しく焦りを見せたシルフィーモンだが時間がない。 他のデジモン達に連れ立ち、部屋の窓へ走る。 男達は戸惑い立ち尽くし…そのまま爆風と炎に吹き飛ばされた。 最後に窓から飛び降りたのはノワール。 その背後から迫る爆炎。 飛び降りながら彼女は叫んだ。 「爆発オチなんてサイテー!!!」 ーーー 吉原のソープランドはたちまち混乱に陥った。 ビルのほぼ全階から噴き出した爆炎と煙に周囲から悲鳴があがる。 消防車のサイレンが夕焼けの空に鳴り響く。 外へ脱出してしばらく、ソープランドから抜け出したデジモン達が向かった先は上野公園。 噴水の近くに腰を下ろした面々は、息をついた。 「ホンット…なんなんだい、あの爆発は」 ベルスターモンが言いながら汗を拭う。 その様子を通りすがった男子学生が、鼻の下を伸ばしていたのは敢えて見なかった事にする。 シルフィーモンはしばらく沈んだ面持ちであったが、ふと携帯電話から信号が出ていることに気づいた。 「これは…」 急ぎ、携帯電話を開く。 その瞬間、液晶から光が溢れた。 「しるふぃーもん!!」 「うわっと!?」 「!?」 飛び出したラブラモンとチューモンに、全員の目が集中した。 「ラブラモン…!!」 シルフィーモンが声をあげ、ラブラモンを抱きしめる。 震える腕にキツく力がこもった。 「し、しるふぃーもん、くるしいよ…」 「無事だったんですね!良かった」 ブランが胸を撫で下ろす。 ベルスターモンはすんっと鼻先を上に向けたかと思うと、腕で鼻を覆うようにした。 「なんだい、この臭い?アンタ達すごく臭うよ」 「俺モダ。鼻ガ曲ガリソウナンダガ…」 グルルモンも鼻がむず痒そうにする。 チューモンが気まずそうな顔になった。 「お、オイラから話そうか?」 ………… 『なるほど、ガソリン……』 なんて無茶を、と神田巡査部長は頭を抱えた。 『だがおかげで、得る物があったのも事実か』 本所警察署からの調べは吉原の廃ビルにも入り、ラブラモンとチューモンが持って帰ってきたメモリーカードという情報源もあって謎の組織に関しての調査も一歩前進した。 神田巡査部長と連絡をとりながら、シルフィーモンは傍らで眠るラブラモンを見やる。 シルフィーモン、ラブラモン、グルルモンは今、五十嵐探偵所まで戻ってきている。 ラブラモンは戻って夕食を摂って早々、眠りに入ってしまった。 「それで、我々の探偵所はしばらく休業になるかもしれない」 『五十嵐さんが入院中だからか』 「………ああ」 シルフィーモンは拳を握りしめた。 「もう少し早く、新手に気づいていれば良かった」 美玖は未だ目を覚さない。 ……用心棒失格だ。 『君が気に負う事はない。彼女は少なくとも、君を責めはしないだろう』 「………そうだろうな」 彼女の性格を思えば、そうか。 シルフィーモンはため息をついた。 『例の組織について何か情報があればまた』 「わかった」 通話を切り、ひと息吐く。 今、探偵所はとても静かだった。 出かける数日前とはあまりにもうってかわって。 (……美玖……) シルフィーモンはうなだれた。 ラブラモンや謎の組織にさらわれたデジモン達は無事戻ってきた。 聞くところ、唯一の生存者たる白衣の男が廃ビルの地下で見つかった。 その男は軽傷のため、現在本所警察署に勾留の後、広東語に堪能な通訳者が到着次第に聴取が始まる。 だが、今はそれより、この探偵所をどうするかだ。 「……美玖がいなければ当然その分を私達で埋めなくてはいけない。だが、それだけではおそらく足りない」 そう呟いた時。 来客を報せるインターホンが鳴った。 出ると、そこにいたのは…… 「随分と変わったのう…ここも」 「あなたは…」 シルフィーモンは目を見張る。 そこにいたのは、確かに上野公園で別れたうちの一体。 「しばらくの間はワシが、あの子の代わりに、久方ぶりに腕を振るわせてもらおう」 探偵アグモンその人だった。
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みなみ
2022年8月06日
In デジモン創作サロン
ずっと顔なしさんなのもなんなので、アイコンイラスト描きました。 五十嵐探偵所をよろしくお願いします。
アイコン完成 content media
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みなみ
2022年8月04日
In デジモン創作サロン
目次 「ーーねえ、教えて」 その声は枯れたようにかすれて。 「"紋章"のこと」 「……知らない話だ」 二人だけのオフィス。 仕事の傍らで、不安げに美玖はシルフィーモンに問うた。 「デジモンでも紋章ってものの事はよく知らないの?」 「大半はそうだろうな…知っている者がいるとすれば、選ばれし子供達と接点があった連中くらいだ」 選ばれし子供達。 この世界中の人々がデジモンを認知する以前からデジモンと関わってきた、選ばれた人間達。 パートナーとされたデジモンとの間に深い絆で結ばれ、その絆によってパートナーの進化を促す存在。 デジタルワールド及び現実世界においての…救世主たりえる者達。 今も選ばれし子供達は生まれ続けているが、理由は不明。 いずれにしても、美玖にとっては縁遠い人々といえた。 …ただ、かつての選ばれし子供達は、デジタルワールドへ行ったという。 それが、羨ましくて堪らないと思ったことならあるが。 「その選ばれし子供達って結局なんなの?」 「デジタルワールドの歪みを正すためにホメオスタシスが選定した人間。そう話に聞いている」 ホメオスタシス。 謎に包まれた、デジタルワールドの機構。 デジタルワールドを管理するイグドラシルとは別個の意志と役目を持って存在しているが、実態がよくわからない。 「人間なりデジモンなり、詳しい誰かを探して話を聞くしか…」 がたり、と扉の開く音に一人と一体は振り向く。 「失礼。…今しがた、ホメオスタシスと聞こえたのだが、何かそちらで重要な話と見える。頃合いを見計らってからで良いか?」 「あなたは…」 そこにいたのはクールホワイト・カラーの身体の小竜。 エジプトで会った、謎のデジモン。 「ハックモンさん」    こちら、五十嵐電脳探偵所 #8 蹴る球には笑う鬼来たる 「いや、確かに重要な話だが、相手による。…むしろ、今ホメオスタシスに反応したからには、話に乗ってほしい所だと思った」 シルフィーモンの言葉にハックモンはしばし考え込んだのち、一人と一体のもとへ歩み寄った。 「……それで、ホメオスタシスがどうかしたのか?」 「その…」 美玖がどう話せば良いか迷っていると、すかさずシルフィーモンが切り出す。 「美玖。しばらくハックモンと話をしたい。ホメオスタシスに関して人間の前では話せない事があるからな」 「良いのか?」 良い、とシルフィーモンはハックモンに目配せ。 「……わかった」 「話が済んだらすぐに呼ぶ」 美玖に席を外させ、彼女が姿を消すと。 シルフィーモンは改めてハックモンを見据えた。 「単刀直入に聞きたい。今、お前達ロイヤルナイツ内でホメオスタシスの今の方針についてどこまで把握している?」 「そういうことか…」 美玖を席から外させた理由にハックモンは天井を見上げ、嘆息。 「俺よりは、師匠やドゥフトモン、オメガモンの方が堪能なのだが…現在もホメオスタシスによる"選定"は実行され続けている」 「となれば、その分"取りこぼされた"人間もいる事になるな?」 「おそらく。………まさか」 ハックモンがハッとした。 「……美玖は不安がっている。紋章の力についてな」 呪われた洋館での出来事を話すと、ハックモンは思い当たるふしがあってか応えた。 「エジプトで、ガルフモンをダークエリアから復活させるための呼び水となるレンズを壊した時。それを見たクレニアムモンとデュナスモンが言っていた。彼女から"光"が見えた、と」 「私は見えなかったぞ。…お前は?」 「何も。ただ、それを聞いたドゥフトモンは、彼女の素性に関してある程度推測をあてていた」 「……素質がありながら選ばれなかった、"選ばれざる子供"か」 時折、そのような子供が存在するという噂は耳にしたことがあった。 デジモンまたはデジタルワールドを感知しながら、選ばれし子供でない者。 「可能性は十分高い。ただ、お前から聞いた話からして、"紋章"の力をそのように使った事例は選ばれし子供の中からも聞いたことがない」 ハックモンは唸った。 「ダークエリアという闇の領域に影響されたものなのか、はたまた精神的な危険に晒された影響で一時的な覚醒を起こしたのか」 「ただ、生憎美玖が何の紋章を持っているか私は見ていない」 「こちらはクレニアムモンの見立てでは、"光の紋章"ではないか、と言われているが」 「…"光の紋章"か…」 選ばれし子供の"紋章"には、子供達に備わった最も美徳たる性質の数だけ存在する。 その中でも、僅かな子供達にだけ備わった一つが"光の紋章"。 美しさ、進化の可能性を主たるものとした特性を紋章としたもの。 これを抱える選ばれし子供の数は非常に少なく、そのような子供のパートナーデジモンは神聖な力を持つものが多いとされる。 「……美玖は選ばれなかった子供だったとしたら、彼女が危ない」 二体の意見は一致した。 選ばれし子供も、選ばれざる子供も、過去に闇のデジモンによって精神性を堕とされ傀儡となった事例が幾つかある。 精神的にごく普通の子供と何の違いもない彼らは、ほんの些細なきっかけから闇の勢力に堕ちることがあるのだ。 「メフィスモン、いや、ガルフモンは美玖を絶望に陥れることにご執心だ」 ホメオスタシスもイグドラシルも、それに一切何の救済をする事はなければ期待もできない。 イグドラシルに至っては、排除を念頭に置こうとすらするだろう。 「ガルフモンを復活させようとした男…今はメフィスモンと断定されたが、奴を追うために日本に来て幸いだった。奴の追跡は俺に任せてくれるか。任務でもある」 「言われなくても」 万が一ガルフモンとしての力と姿をメフィスモンが取り戻すことがあれば、完全体どまりな自身では勝ち目はない。 無論、ハックモン…もといジエスモンだけで勝ち目があるかと言われれば怪しいが。 「ひとまず、今は美玖の中の"紋章"に関して詳しく調査する必要がある」 「ああ」 ーーー シルフィーモンが美玖を呼ぶと、彼女はそっと入ってきた。 「……それで、何か話は」 「ああ。ハックモンに頼んで調査してもらう。君の中に宿った"紋章"については、ひとまず保留だ」 「それより、メフィスモンを追う必要がある。奴がお前を狙っている以上、こちらで押さえる必要がな」 そこへ、誰かが入ってくる気配。 「おっと…先客がいたか」 振り返ると、ハックモン以外には見知った顔。 「阿部警部」 「いや、すまん五十嵐。先客の依頼相談が済むまで外で待ってる」 「その必要には及ばない。警察殿。俺は別用でこの探偵所に顔を出しただけだ。依頼ではない」 ハックモンは断りを入れ、素性を名乗った。 「そうかい、それでは改めて話といって大丈夫か?」 「ああ」 「良いのですか、ハックモンさん」 美玖が尋ねる。 ホメオスタシスに関して詳しい話を彼女は聞いていない。 「それは後ほどシルフィーモンに聞いてくれ」 「…わかりました」 ーー 「…というわけで、改めて依頼だ。本来なら、うちの生活課の範疇なんだがデジモンが絡んでるっぽくてな」 阿部警部は言いながら、一枚の紙を見せてきた。 どうやらポスターのようだ。 「最近、あちこちにこのポスターが貼られまくってる。おかげで生活課担当は対応に追われっぱなしだ」 そのポスターには、赤いボールに手足がついたようなキャラクターのイラストとセットで次のような文章が記載されていた。 『急募!デジモンのサッカーチーム結成のため選手とレフェリーの募集!』 絵はお世辞にも上手いとはいえない、稚拙な出来だ。 「デジモンの…サッカー?」 美玖は目を瞬かせた。 阿部警部は頭の後ろを掻きながら続けた。 「これが、何の申請もなく公の場にも貼られているんだ。誰が、いつ貼ったものなのかもわからない。しかもデジモンに限定してサッカー選手やレフェリーの募集なんて聞いたことがない」 「私も初耳です」 「だろうな」 というわけで、と阿部警部はシルフィーモンへ向き直った。 「あんたは何か心当たりないか、シルフィーモン?」 「私はデジモンの生き字引じゃないんだぞ。……心当たりがないでもないが」 シルフィーモンはポスターを睨んで複雑げな面持ちになる。 「デジモンでサッカー、いや、球技といえば…」 ーーーー ポスターに書かれた住所を手がかりに、美玖達探偵所のメンバーと阿部警部、ハックモンが揃って訪れた場所はC地区の片隅にあるオフィスビル。 その一室を前に、インターフォンを鳴らそうと美玖が手を伸ばした時だった。 バアアンッ!! 「クァァアアアアアーーッ!」 「きゃあーーっ!!?」 突然ドアを破る勢いで飛び出した何かが、美玖にぶつかってきたのだ。 とっさの事に他の面子の対応が間に合わず、その何かと美玖が揃ってフローリングの床にぶっ倒れる有様となった。 「だ、だいじょうぶ、せんせい!?」 「何なんだ一体」 目を回した美玖を阿部警部が揺さぶり起こす。 「うう……」 一方、シルフィーモンは美玖にぶつかって倒れ込んだモノを叩き起こしていた。 「起きろ。いつまで寝てるつもりだ」 「クァアア〜〜…」 こちらも目を回しながら一発、シルフィーモンから拳を貰っていたのは、明るい色調の模様のクチバシと小さい翼が特徴の鳥型デジモン。 阿部警部とラブラモンの呼びかけにようやく美玖が目を覚ます。 「うーん…」 「大丈夫か?」 美玖が起き上がると、シルフィーモンに何度もはたかれる鳥デジモンの姿が目に入った。 「あれ、は…」 「いきなり部屋から飛び出してお前にぶつかってきたんだぞ、五十嵐」 すぐツールでスキャンする。 『トーカンモン。アーマー体。鳥型、フリー属性。“優しさのデジメンタル”のパワーによって進化した、アーマー体の鳥型デジモン。派手派手しい容姿とはウラハラに自分の殻にこもりがちな、鳥型デジモン。陸地での生活が長いため羽根が退化し飛べない鳥になってしまった。……』 「うーん……ハッ!?」 ようやく目を覚まし、トーカンモンはジタバタともがいた後起き上がる。 ツールの説明通り身体を覆った割れた卵のような殻と短い足では起き上がりにくそうだ。 「えー…あー…は、これは申し訳なく!いつになくコーチの急かしがキツかったものでぇ!!…どんな御用件でござんしょうか?」 自身の姿勢を正すトーカンモンの前に、阿部警部は警察手帳とポスターを見せた。 「警察と探偵、一般市民たるデジモン一名だ。このポスターについてだが、話を聞かせて貰っても?」 「あー、ハイハイ!そのポスターですね!確かにわたくし、コーチからの指示でそのポスター貼りまくりましたよぉ」 「貼りまくりましたよぉ、じゃない!生活課に苦情で来てるんだ!貼ってはならない場所に貼られている、普通は貼る事を承諾してない場所にまで貼られている件でな!!」 「あー、そうでござんしたね」 トーカンモンは悪びれもなくうなずいた。 阿部警部にとってこの態度はある程度想定していたものだった。 実際、現実世界で暮らすデジモン達の誰もが、人間にとってのルールやタブーを心得ているわけではない。 その結果、本来は特定の人間のために用意された施設を堂々と私的で利用するデジモンが出たりするのだ。 「率直に尋ねたいが良いか?」 今度はシルフィーモン。 「ハイハイ、なんでしょう?チームメンバーの募集でしたら…」 「お前のコーチとやら、いや、シュートモンは今そこにいるのか?」 目の前の部屋を指しつつ問う言葉にトーカンモンは肯定した。 「ええ、もちろん!コーチは今いらっしゃいます」 「それなら質問を変えよう。先程チームメンバーの募集というものについては、もう間に合ってはいるんだよな?」 シルフィーモン以外の全員が顔を見合わす。 「そうです!とうに間に合っておりまして…」 「だが、ポスターは貼り続けている。チームメンバーとは別に足りない人員がいる、と」 なるほど、と阿部警部。 ポスターはメンバー募集という主旨で貼られたモノだ。 とうにメンバーが間に合っているにも関わらず、まだ貼り続けているということはだ。 「ソウデスネー。なのでコーチもいつになく焦ってござんして」 「彼と交渉する。チームメンバーの募集をしに来たわけじゃないが、足りない人員の埋め合わせが必要だろう?」 この申し出にトーカンモンはえらく驚きを見せた。 「本当にやってくれるんでござんすか!?恩に着るでざんす!………サッカーは知ってるでざんすよね?」 シルフィーモンが答える前に阿部警部が口を出した。 「そりゃ、知ってるデジモンの方がまだ少ないだろ?俺達でカバーする」 「すまない」 ま、とりあえず行きましょか、とトーカンモンはシルフィーモンを伴い部屋へ入って行った。 「……なんだか、とんだ話になってしまったな」 同行したハックモンがぼやく。 「探偵というのはスポーツ選手の代役もやれるものなのか?」 「さすがにそれはないです」 美玖は微妙な顔でかぶりを振った。 だが、今回はどうやらそうならざるを得ない予感がした。 ……… 「今回ポスターを貼りまくってるのは、この絵からしてシュートモンというデジモンだろう」 「シュートモン?」 ポスターにある場所へ向かう道すがら。 シルフィーモンの説明に美玖は目を瞬かせた。 「あらゆる球技に堪能した完全体デジモンだ。逆に言えば、ポスターにあからさまに姿を描かれていて関わっていないと考えるのが無理だな」 「そいつが今回の問題となるわけか」 阿部警部はポスターのイラストを睨んだ。 「こんな奴もいるとはな」 「こいつには、デジモンに人間の球技を広めるという目標がある」 それが、今回の「Why done it」(ホワイ・ダニット)か。 「こんな見た目で完全体なの?」 「ああ。ことに球技に関しては妥協を許す奴じゃないとはもっぱらのウワサだ。奴を知るデジモンの間ではこう呼ばれている。…『笑う鬼コーチ』とな」 …… 「しるふぃーもん、だいじょうぶかなあ…」 シルフィーモンが部屋に入ってから10分。 ラブラモンが誰にともなく尋ねる。 「さてな…じゃが出るかボールが出るかだ。上手く話を取り付けてくれるのは有り難いが」 そう阿部警部が言った時。 突如キンキンと響く笑い声がドア越しに響いた。 全員が驚いていると、ドアが開き、より笑い声が近くなった。 「そーだったか、そーだったか!アッハッハッハッハ!」 部屋から最初に出てきたのはトーカンモン。 その後から続いて出てきたのは、シルフィーモンともう一体のデジモン。 顔の付いた赤い球状のボディに蛇腹のホースのような手足が特徴のデジモンだ。 その背中にはバズーカのようなものが背負われている。 「いやー!一日のみという条件なのは残念だがありがとよGuys!ある理由があってな、残念ながら募集者でレフェリーになりたいという奴が全然いなくてさ!」 非常に上機嫌な様子で、甲高いボイスを張り上げるシュートモン。 「レフェリーの希望者が、現れるとはまことにもってありがたい!」 ボフッ、とトーカンモンの殻のボディに軽い肘鉄を当てた。 「そーだろマネージャー?」 「そうでござんすね!」 慣れっこなのかトーカンモンも萎縮することなく返した。 阿部警部が話しだす。 「本来なら有償で貼ってもらう場所にまでお前達は勝手にポスターを貼ってるんだ。次からはちゃんと手続きを踏んでくれ」 「OK、OK!そいつについちゃ、本気で悪かったな。次からはきちんとそうさせてもらうぜサツさんよ」 「……なんとなく、大丈夫じゃない気がする」 ストレートに不安を口に出す美玖だったが、その不安がこの後別のベクトルで形に出ることなど彼女はまだ知らなかった。 ーーー二日後。 B地区の、人が少なく面積の広い土地にて。 やってくる地元の人々の目は好奇に満ちていた。 というのも。 サッカーボールの弾む音。 土煙を立てながらドリブルやヘディングの練習に励んでいるデジモン達の姿。 二つのチームに分かれる彼らは、各々ユニフォームに身を包んでいる。 シュートモンは彼らの間を周りながら、目に入った選手を呼び止めてはああだこうだと指摘している。 その間、大きめにサッカーコートのラインを引いていたのは、レフェリー用のユニフォームを上から着込んだシルフィーモンとそれを手伝う美玖とラブラモンだ。 「せんせい、これたのしい!」 ライン引きをよいせよいせと牽きながら、ラブラモンが楽しげに笑う。 赤い毛をくるんと巻いたような尻尾の裏側はすっかりチョークで真っ白だ。 「後でタオル用意してあげるから、席につくとき拭こうね」 肩に掛けたタオルで軽く額を拭きながら、美玖は息つきシルフィーモンへ声をかけた。 「そっちは?」 「今終わったところだ」 ライン引きを片手に持ち上げながらシルフィーモンはやってくる。 本日は日差しも強く、風がない分暑さを否応に感じる。 美玖は新しく冷やしたタオルを取り出した。 「シルフィーモン」 「どうした?」 「…それ、一度外せる?」 ゴーグルとHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を指差す。 …三分後。 ちょうどの頃合いで、阿部警部とハックモンがやってきた。 そこで一人と一体の目に飛び込んできたのは。 「心配いらない!拭きたいなら自分でやる!」 「デジモンだって日射病とか熱中症は怖いでしょう!?今日は暑いんだから詰めて!」 ……シルフィーモンの頭のゴーグルを外そうとしている美玖だった。 ラブラモンはどうしたものかとただ見守っているばかり。 「おいおい、そろそろゲームが始まるぞ!レフェリーがいなきゃ始まんねえ」 騒ぎを聞きつけたかシュートモンもやってきた。 「何してんだ?」 「俺達も今来たところなんだが…ラブラモン、わかるか?」 「えーっとね…」 ラブラモンは相変わらず攻防をやりとりしている一人と一体を見た。 「せんせいがしるふぃーもんにあたまふきたいからごーぐるはずしてってたのんだの。あついからたいへんだって」 「あー…なるほどな。確かにデジモンに多いよな、鎧着てたりして暑そうな奴」 しかし、シルフィーモンは大丈夫だからとゴーグルとHMDを外す事を拒否した。 そして今に至る。 「だがこっちはグルルモンを待たせてんだよ」 阿部警部が加わり、美玖から奪ったタオルをシルフィーモンの着ているカッターシャツの内側へ入れた。 「ひとまず入れとけ!拭きたきゃいつでも拭けるんならこうした方が都合が良いだろ」 「もう!」 美玖は膨れたが、荒く息をつきながらシルフィーモンもこれには同意せざるを得ない。 「それよりゲームだ!レフェリー」 「わかってる」 ーーー 「さあ、どーぞ!皆様のお席はこちらにてざんす!」 トーカンモンに案内され、一番見晴らしの良く日陰のできた席についた。 後ろにグルルモンが座る。 「待チクタビレタゾ」 「ごめん…」 近くにいてわかるくらいにグルルモンの毛皮は熱を帯びて、とても暑そうだ。 サッカーコートの中央で二つのチームが一列に並び、その間にシュートモンとシルフィーモンが立った。 観客たる人達は皆、デジモンがサッカーをやるという物珍しさから話し合っている。 観客席の一角に立ったノヘモンというカカシのようなデジモンがどこから持ち出したか、小さなラッパを軽快に吹き鳴らす。 開会式の合図だ。 「どうーぞ、お立ちどう!」 トーカンモンの声に皆一斉に席を立つ。 シュートモンが手元のメガホンで挨拶の演説。 「今回は集まってくれてありがとよ人間のGuys!これは将来的に人間と試合をやる事を目指したお試し試合だ!いくらか荒っぽくなっちまうだろうがまだまだ調整中だ、大目に見てくれ。そして、本日限りだが…試合のレフェリーになりたいという奴が見つかった!拍手!!」 シュートモンの腕が伸びてシルフィーモンの片手を高々と挙げた。 それに対する拍手喝采。 ……と、それに混じり。 「ねえ、あのデジモンって」 「みっちゃんと一緒にいたデジモンじゃないか?」 「シルフィーモン、さんていったっけ」 「みっちゃんとお付き合いしてるんですってねえ、こないだ加東さんが言ってたわ」 「まあ!」 ……美玖の顔が真っ赤になった。 田舎あるある、近所伝いに伝わる情報網。 (て、加東さん、なんて事触れ回ってるのよー!!) シルフィーモンがボールを手に宣告する。 「これより試合を始める!対戦するはレッドチームと!」 咆哮のようなざわめきと共に、赤のユニフォームを着たデジモン達がウォーミングアップ。 「ブルーチームだ、頑張れ!」 レッドチームと真逆に緊張で固まった青ユニフォームのデジモン達。 シルフィーモンがサッカーボールを、レッドチームの主将である人狼のような獣人型のワーガルルモンの前へ置いた。 ボールといえ、デジモンが使うことを想定してか、人間の試合に使われるものよりもひと回り大きく頑丈そうだ。 「行くぞ!」 「プレイボール!!」 始まりのホイッスルが鳴らされる。 そこで阿部警部は、立ち上がるや否やツッコんでいた。 「そりゃ野球だ、シルフィーモン!サッカーならキックオフだ!!」 ワーガルルモンがボールを蹴り、先を走るミノタウロスのようなデジモンへボールを渡す。 ミノタルモンがドリブルし、さらに先へ走る長い耳と鋭い爪が特徴的な獣デジモンのガジモンへ渡す。 ガジモンは小柄な身体に違わない軽快さでボールをドリブルし、横切った巨体へとパスを渡した。 ドスドスと四つ脚でサッカーコートを震わせながらボールを渡されたのは、重厚な甲殻と鼻先に大きな一本角を持つサイのようなモノクロモン。 …ある意味、ブルーチームを怯えさせるには十分な巨体だった。 美玖達も、モノクロモンのような巨大でサッカーに適していると思えない体型のデジモンがチーム入りしていることに驚きを隠せない。 意外にも器用に角の先でボールを拾い上げると、それをヘディングするモノクロモン。 そのパスを受け取ったのは、黒いボディに緑色の背びれを持つダークティラノモン。 対してブルーチームはこれを阻止しようと動くのだが、軒並みへし並み蹴散らすようにダークティラノモンは突っ込んでいく。 ブルーチームのゴールポストまでいくと、ゴールキーパーを務める熊のようなグリズモンが立ち塞がった。 「『アイアンテール』!」 それを長い尾で弾き飛ばしたダークティラノモン。 「ちょっと待て!」 観戦していた阿部警部が口を開く。 「荒っぽいってレベルじゃねえぞ!」 「うわあっ!」 グリズモンが仰向けに倒れた間にゴールポストめがけて蹴り込もうとしたダークティラノモン。 だが。 「それは待ったああー!!」 高速で走ってきたのは、ブルーチームの一体。 忍者のような様相をしたダチョウに似たデジモン、ペックモン。 ダークティラノモンの後ろを横切り、そのままカーブを曲がる。 「いでぇ!?」 痛みに怯んだダークティラノモンからボールをかっさらっていった。 「アイツ、ダークティラノモンノ尻尾踏ミツケテイキヤガッタゾ」 と、グルルモン。 そして。 「っ!!」 ペックモンは気づかずシルフィーモンの足も踏みつけていった。 あまりの速さからの出来事であるため、シルフィーモンが自分の足を押さえていることを不思議がる者の方が多かった。 「はははは!」 速く速く、レッドチームを何体か抜き去って、そこでパスを渡すペックモン。 だが。 「はうあぁっ!?」 ……下のユニフォームのズボンがずり落ち、そのまま転倒して醜態を晒す羽目になるのだった。 さて、ペックモンからボールを受け取ったのは、ブルーチームの主将、カンガルーのような外見をしたカンガルモン。 ポンポンとボールを跳ね上げ、自慢の脚で前を行くチームメイトにパスを渡す。 それを受け取った派手な羽飾りを持つ肉食恐竜型のアロモンからボールを渡されたのは、テイルモン……に一見見えるが、あからさまに人型かつそれっぽくメイクしたような顔をしたベツモン。 しかし、そこで次へのパスが行き渡らなくなった。 レッドチームを煽るように、おちゃらけた動きでベツモンがボールを足元で遊ばせ始めたのだ。 それを見たハックモンが声を張り上げる。 「何をしてる!早くやれーっ!」 それに構わずベツモンは続けたが、立ち起こる土煙を見て目の玉が飛び出た。 レッドチームが大挙して突っ込んでくる。 まるでアニメーションのような動きで足だけ逃げるように動くも、そのまま吹っ飛ばされ目を回した。 吹き鳴らされるホイッスル。 レッドチームの前へ走るシルフィーモンだったが。 「うわっ!!」 猛烈な勢いで走ってくるレッドチームの波に押しつぶされた。 彼らが走った後に残されたのは、うつ伏せに倒れピクリとも動かないシルフィーモン…。 「担架だ担架、急げー!」 「あいさー!」 「よっせ、よっせ、よっせ!」 待機していた救急班が動いた。 担当しているのは、旧式テレビのような頭部に忍者のような服装のモニタモン。 人海戦術(?)を乞われたデジモン選か知るよしもないが、複数体が担架を担ぎ、シルフィーモンのもとへと走っていった。 「ひどいわ…シルフィーモン、大丈夫かしら?」 「……うごいてる?」 あまりの出来事に言葉も出ない美玖達。 モニタモン達がたどり着く前に、いつから来ていたのかシュートモンがシルフィーモンを起こしていた。 「おいおい、しっかりしやがれ兄弟」 「……っ」 それを見たモニタモン達ががっかりして持ち場へ戻っていく。 ちょっとかわいそうだと美玖は思った。 「さぁて、立ってくれ!試合再開だ!」 試合は再開した。 この間の流れで、観客席の空気はかなり変わっていた。 最初は皆、物珍しく、かつわくわくとした雰囲気に包まれていたのだがそれが次第に…ひと言で言えば「引きつった笑い」にも似たものへとなっていった。 無理もない。 デジモン達も初めはそれらしくサッカーを始めていたのだが…。 徐々に、サッカーボールを巡ってバトル紛いの行動を起こし始めたのである。 ブルーチームの一体、岩石を組み合わせたようなゴツモンにボールが行くと、それに対してワーガルルモンとガジモンが肉薄する。 「『アングリーロック』!」 あろうことか、ヘディングと同時に繰り出す必殺技。 ワーガルルモンより後ろにいたガジモンはすぐにかわせたが、ワーガルルモンの方はガードをし損ね岩を頭に受け目を回すはめに。 「ギャハハハハ!!」 それを見たガジモンが腹を抱えて笑う。 元々イタズラ好きで性悪な性格ゆえに致し方ない反応だが、それにブチリ、と何かが切れる音がした。 「アァ?」 涙を堪えてまで笑うガジモンを、静かに振り返りながらワーガルルモンは蹴り飛ばした。 「ふぎゃあ!?」 蹴っ飛ばされた先にいたのはカンガルモン。 ヤバい、と思った時にはすでに手遅れ。 土手っ腹ににぶつかり、それに怒ったカンガルモンからガジモンは一方的に蹴られ始めた。 「なにすんだ、このっ!このっ!」 「ぎゃー!!いでででで!!」 「そこ!何してるんだ、やめろ!」 すぐさまホイッスルを鳴らし、二体の喧嘩を止めに走るシルフィーモン。 「あれ反則だぞ!」 「でじもんたちのしあいだよ?」 「バカ言え、将来的には人間と試合するとか奴さんが言ったの忘れたのか?あれじゃマトモな試合なんて無理だ!」 阿部警部が怒るのは無理もない。 人間がデジモンの技や格闘に巻き込まれようものならタダでは済まないからだ。 ボールを受け取ったペックモンが走る。 だが、その後ろからペックモンの首に巻かれた長い布を踏んづけ、ニヤニヤ顔でいる者がいた。 ギュリリリリリ!! ペックモンの足が前へ進まず、そのまま地面に横長の穴を掘るように埋まっていく。 「な、なんだ!?」 「さっきの仕返しだ!」 長い布を踏んでいたのはダークティラノモン。 ペックモンがハッとすればダークティラノモンの尻尾が今度は自分に迫っている。 とっさに頭を低く下げて避けることはできたが、ボールは奪われた。 ポーンと弾かれたボールはそのままブルーチームのゴールポストの方へと転がっていく。 「キャッチ任せた!」 「了解!」 グリズモンはその声に応えた。 ボールを拾い上げると、グリズモンは少し離れた仲間の元へと投げる。 そこにいたのはパンダの着ぐるみのようなパンダモン。 走ってきたミノタルモンをかわしてパスを、これまた離れた位置にいるアロモンへと渡す。 その一方、カンガルモンとガジモンを止めに入ったシルフィーモンの周りは大乱闘状態。 止めに入ったところで喧嘩がヒートアップし、それにレッドチームのデジモンの何体かがお祭りの気分で乱入してきたからだ。 挙句、無関係であるはずのシルフィーモンに殴りかかり蹴りかかる者まで出始める。 さすがにこれに暴力的な対応を返す彼ではなかったが…。 ハックモンが叫ぶ。 「レフェリー!しっかりしろ!!」 美玖がぎょっとして振り返る。 「ハックモンさん、ダメです!レフェリーはシルフィーモンなんですよ!!」 いつの間にか、離れたところで今度はアロモンとボールを奪いにきたダークティラノモンが殴り合い噛み合いを始めていた。 …元々、アロモンは同じ恐竜型デジモンのティラノモンをライバルとする。 一方ダークティラノモンはそのティラノモンがウイルスによる汚染を受けて、性質的・性格的に変異した存在。 お互い対戦チーム同士ということもあってか、容赦のない小競り合いになっていた。 気づけばポロッと転がったボールが、気を失ったままのベツモンの脇に転がる。 そこへワーガルルモンが蹴り込んだ。 「ふわああああああ!!?」 ボール共々高く蹴り上げられ、意識が戻ったベツモン。 「…このっ!」 ベツモンの蹴ったボールが、レッドチームのゴールポストへと飛んでいった。 そこでキーパーとしてどっしりと構えているのは、トリケラトプスが二本足で立ったような完全体デジモンのトリケラモン。 飛んできたボールを、トリケラモンは受け止め、豪速球で投げた。 それを追いかけるレッドチーム。 事態の収拾に手間取っていたシルフィーモンのすぐ脇をボールが通過する。 「!?」 次の瞬間。 レッドチームと一部のブルーチームのデジモン達がまたしても怒涛の勢いのもとシルフィーモンを巻き込み走り去っていった。 気づけば、カンガルモンもガジモンもどさくさに紛れて彼らに混じっている。 「担架だ担架だ!」 「よっせ、よっせ、よっせ!!」 モニタモン達が担架を担ぎ走っていく。 「……レフェリーニ誰モナラナイワケダナ、アレ…」 またうつ伏せに倒れたシルフィーモンの様子を見ながらグルルモンがぼそりとぼやいた。 そしてモニタモン達よりも早く、シュートモンがまたシルフィーモンを叩き起こしに来た。 「ほれほれ、立つんだ兄弟」 「げほっ、けほっ……一体…何度、やる気だ、これ…!」 それを見たモニタモン達は再びガッカリしながら帰っていく。 一度はその担架に乗せてほしいと切に思うシルフィーモンだったが、シュートモンの強引な仕切り直しにそれが叶うことはなかった。 ーー ゴールキーパーの投げたボールは、相手方のゴールポストへ。 受け止めたグリズモンの身体が少しばかり後退したものの、完全体と成熟期の差こそあれ同じパワー系統デジモンの意地か耐えた。 キッと向こう側のゴールポストを睨み、頭上高く放り上げると前脚で前方へ叩き込んだ。 トリケラモンの投げたものに匹敵する豪速球で、ボールがサッカーコートを一直線に飛んでいく。 「なっ」 立ち上がりかけたシルフィーモンが慌て、膝を付くとすぐ上をゴウっという圧がかすめていった。 レッドチームもブルーチームもサッカーボールを追って走るが、ボールは再びトリケラモンの手に返った。 トリケラモンがグリズモンを見やると、前脚を下から扇ぐように 「来いよ!」 のジェスチャー。 「よし」 何がよし、なのか。 今その問いを投げる者がいないなか、トリケラモンは再び豪速球でボールを返した。 選手に? 否、相手側のゴールキーパーに! ボールは再びサッカーコートを往復した。 猛スピードでカッ飛ぶボールを受け取れる者がキーパー以外いなくなってしまった。 戸惑った二つのチームが止まる。 キーパー達のボールの投げ合いは白熱していく一方で、往復するボールをその場にいた選手・観客ほぼ全員が目で追うこととなった。 このままではラチがあかない。 「ちょっとその角貸せ!」 ワーガルルモンが叫ぶ。 「え、自分の事でがす!?」 モノクロモンが振り返る。 「いいからブレーキ!!」 その間に、グリズモンが何度目かの投げ返し。 ボールがレッドチーム側へと飛んでいった頃合いに、ワーガルルモンを筆頭にメンバーが全員モノクロモンを下から持ち上げ始めた。 「よし、そっち持てっ」 「重てぇ…!」 重量級のモノクロモンを持ち上げるのは、いかに完全体デジモンでももはや苦行だ。 どうにかボールが飛ぶ位置にまで、鼻先の角を持っていくことができれば… びゅううんっ!! トリケラモンからのボールが頭のすぐ上をかすめ、思わず目を閉じたものの、意を決した顔でモノクロモンは角を構える。 グリズモンによる幾度めかの返しが飛んでくる。 豪速球で飛んできたそれは、奇跡的にもモノクロモンの角先へと吸い込まれていった。 ぼすっ ちょっと不吉な音がする。 ボールが歪んで膨れたように見えた瞬間… ぶしゅうううううううううつうううう!!! 角から抜け出たボールが空気を噴き出す。 空気を噴き出しながら、ジェットさながらの勢いでめちゃくちゃな軌道を飛び回り出した。 ……レッドチームはもう限界だった。 「も、もうダメだぁ……!!」 「ううっ」 モノクロモンを支えきれず全員がその場で崩れ落ちる。 ボールの軌道はレッドチームを周回すると、観客席へ飛んでいく。 悲鳴をあげる人々の頭上スレスレをボールはかすめ。 「うわあ!」 「ラブラモン、もう少し頭を下げてて!」 美玖達の観客席にもやってきて、飛び回るボール。 美玖はラブラモンを抱き寄せ、ボールに当たるまいと距離をとる。 「このっ…!」 阿部警部とグルルモン、ハックモンが叩き落とそうとしたがボールはそれを嘲笑うように彼らの合間を通り抜けた。 合間をすり抜けたボールが次に飛ぶ先は、モニタモン達がやさぐれて座る救急用のテント。 一体がボールに気づき、逃げ惑う彼らの頭上をあっという間に通りすぎる。 次にはブルーチームの元へと飛んで、足元をすり抜けていった。 「……ええい!」 始終、試合を見ていたシュートモンが立ちあがった。 「おい、マネージャー!」 「はいはいー……っあー!!?」 シュートモンの行いにその場にいた者達は目を疑った。 呼ばれてとんで来たトーカンモンにシュートモンが触れた瞬間、トーカンモンは羽がちょっとだけ生えた黒いボールのような物に変化。 それをシュートモンは自身のバズーカの銃口に収める。 「『キャノンボールシューター』!!」 「コーチぃぃいいいい!!それ、あきまへ、あーっ!!」 …哀れ、トーカンモンは技の一つ『ラウンドジェイル』でボールにされた。 空気を噴き出し飛び回るサッカーボールへの弾として。 ーーー 「……ともかく。まだ、人間とのサッカーは駄目だ」 「……だろうな……」 阿部警部からの断言に、シュートモンは大きなため息をついた。 あの後。 ボールはボール化したトーカンモンで撃ち落とされて事なきを得たが、結果として試合続行は不可能。 今は、めちゃくちゃになったサッカーコートを、二つのチーム総出で整理している。 「レフェリーは?」 「さっき、グルルモンに送ってもらって帰りました。もう、二度とは報酬(ギャラ)を積まれようが請け負わないって…」 美玖は答えながら、色々とボロボロだったシルフィーモンの様子を思い出していた。 あれだけの惨状では、そう言いたくなるのは無理もない。 「あそこまで無法地帯なのは俺もな…」 「警部殿に同感だ」 阿部警部もハックモンも苦渋の表情。 シュートモンは、笑い顔のままだが、サッカーコートを振り返りながら頭の後ろを掻いた。 「……まだしばらく仕込みは必要だな。練習してる時はマトモなんだけどよ」 「練習してる"時は"?」 「見たろ、あいつらをさ」 シュートモンは言いながらコートを眺めた。 「あいつら、特にレッドチームの方は、気性の荒い奴ばかりだ」 「そういえば、だいぶレベルや種類に偏りがあるような…」 「集まってきたのがたまたまそういう奴らばかりだったのかもしれんがなあ…。そういう奴らだから余計、試合になると戦闘本能を抑えきれなくなっちまう」 デジモンは生物として闘争本能、戦闘本能が非常に強い。 今なお、人間社会に彼らが馴染む事を懸念する者達から出される根拠の一つだ。 「なんとかしてやりたいが、デジモンだけじゃどうにもならないのが現状だ、こりゃ…」 「そうでざんすね…」 シュートモンとトーカンモンは揃ってうなだれた。 そこへ、数人の男女と、小中学生の少年達がやってきた。 「すみません。少し、良いですか」 「私達は少年サッカースクールの顧問の者ですが…」 美玖達は目を瞬かせる。 代表で、一人の30代ほどの精悍な男性が話しかけてきた。 「試合を見た上で、お話は聞かせていただきました。その上で相談に来ました」 「お、おう…?」 「今のお話を窺う限り、将来的にデジモンが人間と安全にサッカーができるようにしたいという事でしたら微力ながら協力したいと言う生徒達がいまして」 言いながら代表の男性は後ろの少年達を振り返る。 少年達は、デジモンが初めてなのか少しおどおどしながらも一様にうなずいた。 「念のために聞きたいんだが…お前達から頼みたいんだよな?」 「うん」 考えながら聞くシュートモンの言葉に、少年の一人が頷いた。 「コーチ、どうするでざんしょ?」 「一つ話は聞いてやるか。まさかあそこまでめちゃくちゃだったのに快く相談してもらえる、なんて虫の良い話はねぇから慎重にな」 "笑う鬼コーチ"。 その名からは意外な一面に美玖は驚く。 が、同時に、それだけにサッカーを始めとした球技に思い入れがあるのだろうという思いも浮かぶ。 「俺達は帰るか、五十嵐。俺は今回の件のことを報告に生活課へ行く」 「俺はここで失礼する。やらねばならない事があるからな」 「はい、ハックモンさんもお疲れ様です」 ラブラモンを連れて、阿部警部とハックモンと別れて帰路に着く。 グルルモンは一人と一体の姿を見て顔を上げた。 「帰ッテキタカ」 「うん、へとへとー」 「シルフィーモンは?」 「アイツナラ中ダ。今ゴロ泥ノヨウニ寝テル」 そう言って、グルルモンは大きなあくびを一つ。 そのまま寝に入った。 「ただいまー!」 探偵所に入ると、ホッとひと息。 シルフィーモンの姿が見当たらない。 おそらく、寝室だろう。 「ラブラモン、今日は二人でご飯にしようか。シルフィーモンが起きてきた時のために三人分作るわね」 「うん」 一人と一体は揃ってキッチンに立った。 静かではあるが、楽しいひと時には違いない。 ーーー 「ごちそうさま!」 「お粗末様でした」 夕飯は白米にお味噌汁とおかず数点。 おかずにラップをかけ、冷たいものは冷蔵庫にしまう。 「せんせい、わたし、あとかたづけやりたい!」 「いい?ちょっとだけシルフィーモンの様子見てくるわね」 「うん」 食器を洗う音を背に、美玖は寝室へ向かう。 かつて自身が寝ていた部屋とは別室だ。 元は違う用途の部屋だが元の寝室が狭いため、美玖とシルフィーモンとラブラモンでスペースを共有した寝室になっている。 寝室のドアをそっと開けると、中は電気がついてない。 「……シルフィーモン?」 そっと小声で呼んだが、布団は微動だにしない。 足を忍ばせ、布団の近くへ来ると深い寝息が聞こえる。 (…それ、やっぱり着けたままなのね…) ゴーグルとHMDに苦笑いしつつも、そっと脇へ座りこんだ。 寝息を立てて眠るその横顔は、少年の寝顔のそれだ。 その下が獣のような腕と鳥の下半身でなければ。 けれど。 出会った時から、不思議とこの姿に安らぎを感じている。 「……今日も、お疲れ様」 そう言いながら、そっと寝ているその頬に軽く唇を当てる。 そこで、睡魔がどっと押し寄せた。 (あ……) どうやら今日は自分も、かなり疲れていたらしい。 シルフィーモンの隣に寄り添うように、美玖はくずおれていた。 (……わたし、こんなに、疲れてたんだ……) そう思った時には、すでに夢の中だった。
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みなみ
2022年7月09日
In デジモン創作サロン
目次 ーーー呪い。 それは、古くより多くのものが備え持ってきた、一種の概念。 それは例えば、敵に対するものだったり。 それは例えば、愛する者に対するものであったり。 人は、獣は、あるいはどちらでもない何かは、何かに呪いをかけてきた。 呪われればある者は死に。 呪われればある者は宿命を負う。 何万、何千、何百年。 それは決して変わらず、自然文明問わずその影にこびりつくもの。 どれだけの時が過ぎようとも消えないそれは、一種の永遠とも呼べるものなのかもしれない……。 こちら、五十嵐電脳探偵所 #7 射干玉(ぬばたま)の奥から這い寄りしそれは 午後16時。 いつより日暮れは薄暗く。 カラスが鳴き飛び立つのを仰ぎ見ながら、二人の小学生の少年と少女が歩いていた。 ブラウンの髪にダークブルーの目が印象的な二人。 少年はトニー。 少女は杏(アン)。 一歳離れの、日本人とアメリカ人の混血児の兄妹である。 とはいえ、日本で生まれ育った彼らは隔たりなく友達を得た、ごく普通の幸せな生活を過ごす子ども達だ。 今日、下校の際に友達の家へ翌日遊びに行く約束をとりつけた兄妹は、通い慣れた道を歩く。 途中で、必ず通りかかる場所から影が差してきた。 そこは、古い洋館だった。 金をかけたものであるのがひと目でわかる程立派な建築だが、無人となってから誰も住んでいない。 館の所々をツタが覆い隠していた。 かつては白かっただろう壁は汚く黄ばみ、窓も汚れの酷さに中を覗こうともすりガラスのように見えない。 鉄柵が設けられた向こうから、不気味なシルエットを惜しげもなく見せつける洋館の姿を見ながら、兄妹はため息をついた。 「誰か住めばいいのに」 「呪われてなかったらもう誰か住んでるよ、きっと」 「……うん」 何を隠そう、この館。 建てられた明治後期の頃に、ある事件を境に住む人が尽くいなくなるという"呪われた"館として有名だった。 いわく、この館に住んでいたある華族の一家が、全員惨殺されたとかで。 それ以降この館に住んだ人間は、住み始めてから三日足らずで行方不明になった。 一時はオカルトスポットとして一躍有名にさえなったが、入った人間が帰らぬ人となったという話が広まりだし。 その人気も、あそこは却ってヤバい場所だと認知されるや否や下火となった。 トニーとアンの家はこの洋館の近くにあるが、友達は皆、この洋館を避けている。 百年以上建ち続けた洋館の呪われた噂は有名であったし、子ども達はトニーと杏も含め親達からは常々と近寄ってはいけないと言い付けられていた。 そのため、トニー達は決まって、友達の家へ遊びに行くのが常である。 しかし、やはり彼らもたまには自分達の家に遊びに誘いたいもの。 ため息が漏れた。 鉄柵から手を離し、トニーが杏に帰ろうと促した時。 「ちょっと、良いかな?」 後ろから声をかけられ振り向く。 そこにいたのは、一人の若い女だった。 スーツを纏った20代前半頃と思しき女で、褐色の髪を白のシュシュでポニーテールに結い上げている。 記者だろうか、手にペンとメモ帳を持っている。 知らない人に声をかけられ、困惑する二人に女は目線を合わせつつ尋ねてきた。 「ごめんなさいね。あなた達の目の前にあるあの館について調べているんだけれど、この辺りであの館に詳しい大人の人はいないかな?」 「あの館?」 「うん」 兄妹は顔を見合わせたが、首を横に振った。 「そっか…」 女は少し考え込むような顔をしながら、なお聞いてきた。 「それなら、早く帰りなさい。暗くなって、危ないから。あなた達のお家は?」 「それなら、あそこ」 「あの白いお家」 兄妹が指差す方を女が見ると、確かに、まだ真新しい白い屋根の二階建て一軒家が見える。 「お父さんとお母さんはこの館について知ってる人?」 「この辺りの人なら皆知ってる。でも…」 「皆怖い顔して言うの。この館には絶対に近寄っちゃダメだって」 「そうなの…」 とても真剣な顔で考え事をした後、兄妹に一礼と共に早く帰るよう再度促して女は立ち去った。 ーーーー 夕食後、トニーと杏は兄妹共通の部屋で思い思いに過ごしていた。 そこで、思い出したようにトニーは呟く。 「あのお姉さん、館について調べてるって言ったけど、取り壊すとかできないまま百年以上経ってるんだぜあそこ。今になってなんで調べたがってるんだろう」 「でも、ほんと、あの館はどうなるのかしらね」 杏の声に不安が伴う。 トニーは立ち上がり窓を見た。 その窓から洋館がよく見える。 普段は、不気味さもあってカーテンを閉める事が多いのだが、どうしてか気になった。 「でも私は大人になっても住まないわ、絶対に!」 ふと、トニーは違和感を覚えて窓の外、洋館の窓に目を凝らした。 すりガラスのように向こう側の見えにくい窓。 その向こうに、白い何かが動いて見えた。 思わず、杏を呼んだ。 「杏!洋館の中に誰か居るみたいだ」 「うそ…ほんとうに?誰かいるの?」 震える声で杏も立ち上がり、トニーの後ろから窓の外を見た。 「もしかして………おばけ?」 洋館の窓の向こうに見える白いものは、すっと横切っていく。 「うん、おばけかもしれない。近くへ行ってみよう」 夜の21時。 両親は早めの就寝中である。 寝巻き姿であるが、とりあえず懐中電灯と野球のバットを持っていくことにした。 ーー 「中、見える?」 なぜか空いていた鉄柵の扉を抜け、玄関の窓から中を覗き見るトニーに杏は聞いた。 「いや……」 トニーはかぶりを振り、ドアを押してみる。 そのドアも、鍵がかかっているはずだが、あっさりと開いた。 開ければ、じっとりとした埃臭い空気が二人を出迎えた。 「中は見えても、おばけは普通見えないよ」 懐中電灯で中を照らすトニーが先に入り、杏はそれにくっつくようについていく。 「おばけが見えないなら…」 バタン! 背後で突然閉まるドア。 兄妹は振り向き、顔を見合わせた。 互いに、散々入るなと言われてきた場所に足を踏み入れてしまった事への緊張感がよぎる。 「……どうするの?」 「しーっ」 ともかく、歩くことに決めたトニーは懐中電灯で辺りを照らした。 豪華な調度品が置かれているが、どれもが埃まみれだ。 蜘蛛の巣が張っており、一度はその一つがトニーの髪にかかったのを杏はそっと手で払い除けてやった。 柔らかく厚みのある絨毯の上を歩みながら、入ってすぐ手前に見えた階段に向かう。 誰もいないため、聞こえてくるのは二人の息遣いのみ。 そこへ突然、ギイィと軋んだ音が響いた。 トニーがぎょっとし、すぐ後ろの杏を振り向く。 「…何の音!?」 「階段がミシッて…」 「もっとゆっくり歩けよ」 小声で話しながらも、古い階段を登り続ける二人。 野球のバットを持ちながら兄の後に続いて登ろうとした杏。 彼女の顔に突然黒いものが降ってくる。 それが大きな蜘蛛とわかった瞬間杏は叫んだ。 「きゃあああああーっ!!?」 「しっ!」 咄嗟に振り返ったトニーが静かにするよう人差し指を立てるも、大人の手と同じくらいの大きなサイズに身の毛がよだった。 そうした"ちょっとした"ハプニングがありながらも、二人は階段の上に気配を覚えた。 何かが上にいる。 「あそこだ」 トニーが言った。 少しばかり小声でなくなったのは、ハプニングこそあれど大して何も起きていない状況に少しばかり肩透かしを食らったからだろう。 トニーが指差した階段の向こうで、影が動いた。 「あの向こうだ。走れって言ったら、走れよ」 「Okay………どこへ?」 「とにかく走れ」 早足で階段を登り始める。 近づくうち、何かが唸り声を漏らしながら、鼻で嗅ぐような鼻息が聞こえてきた。 「……ねえ」 杏が聞く。 「おばけって鼻良いの?」 「バットを貸せ」 トニーが杏に懐中電灯を渡し、手にバットを持った。 おばけが現れたら殴るつもりらしい。 「おばけって叩けるの!?」 「しーっ!ごちゃごちゃと色々と聞くな!」 階段を登りきった先、前方のドアが開いた先。 白いものがいた。 間違いない、洋館の窓越しに見えたものだ。 だが、その白いものは、明らかに人よりも大きかった。 いや、姿ですら人のそれではなかった。 トニーは苦し紛れに笑う。 「ほらね、おばけじゃない。多分ただの……」 ドアの向こうにいたものが振り向いた。 「誰ダ!!」 光る鋭い目と牙。 四本足で立つ狼のようなものが振り返り、トニーと杏へ牙を剥いた。 「キャーーッ!!」 二人は叫んだ。 そして階段に戻り駆け降りた。 「オイ…待テ!?」 叫びながら階段を駆け降りる二人。 パニックに近い状態で足元が疎かになっていた。 つまづいた先からもつれて二人一緒に階段を転げ落ちていく。 「うわっ!ちょ、危ない!」 「きゃあああああ!!」 「何だ!?」 下から声がし、階段を転がり落ちた二人へ駆け寄る足音が聞こえた。 足音の主は近くに来ると、驚いた声音を張り上げる。 「子ども!?…おい、大丈夫か?」 二人が声の主を見れば、目元をカバーのようなもので隠した誰か。 しかし、よく見ればその下半身が人のものではなく、鳥のものであることに二人は再度の悲鳴をあげた。 「キャーーッ!」 「!」 思わず耳?を塞いだ足音の主。 そこへ、二人にとって聞き覚えのある声が聞こえた。 「シルフィーモン!今の悲鳴は何!?」 足音が近づき、懐中電灯がトニーと杏を照らし。 「…あなた達!夕方に館の前にいた子達じゃないの!」 「あ…」 トニーと杏も驚きを隠せず目をこすった。 「あの時のお姉さん!?」 …… 美玖は驚きながら、夕方に会った二人の子どもが立つのを手伝ってやった。 「あなた達、どうしてここへ?」 「僕たち、家の窓から見てたらおばけがいて…」 「おばけ?」 美玖がシルフィーモンの方を向いた。 「おばけ、なんていた?」 「いや、それらしいものは見なかった…本当にいたのか?」 「いたよ!たった今この上で見たよ」 トニーが言いながら階段の上を指差した。 「大きくて!全身が真っ白で!青い縞模様があってーー」 ずしん 「すっごい目と牙してて僕たちを…」 「ソレハ俺ノコトカ?」 すぐそばで聞こえた低い声にトニーは硬直した。 杏が顔を真っ青にして後ろを指差す。 「ト、トニー…う、後ろ…」 トニーの全身から汗が噴き出る。 恐る恐る振り向いた先に。 抜けるような真っ白い毛並みに青い縞模様の、巨大な狼のような"おばけ"がそこにいた。 「ーーっ!!」 美玖がすぐ押さえた。 「大丈夫!グルルモンはおばけじゃない、デジモンよ」 「デ、デジモン…」 恐ろしげな姿を見上げる。 ふんっ、と鼻で息を飛ばし、グルルモンはブルブルと全身を震わせた。 「そちらはどうだった?」 シルフィーモンがグルルモンに尋ねる。 「デジモンノ臭イガアチコチシテイル。嫌ナ空気ダ」 「うん。ここ、ダークエリアのけはい、する」 グルルモンの背中で飛び跳ねたシャオモンにトニーと杏の目が釘付けになった。 美玖がシャオモンの方を向いた。 「わかるの?」 「うん。さっきより、もっとけはいがつよくなってきた。みんな、きをつけて」 トニーと杏は改めて美玖と一緒にいる三体を見た。 実物のデジモンを見たのはこれが初めてだからだ。 ーー 今回の依頼は、美玖達の暮らす地区のある県のひとつ隣の県から持ち込まれた。 依頼人は、トニーと杏が通う学校の校長。 呪いの洋館についての調査を依頼してきた。 「この館が建てられて百年。未だに行方不明者が絶えないまま、取り壊しもままならない」 「なぜ…?」 「取り壊そうとすると、現場担当の人間が何人も、原因不明の病に倒れてそのまま亡くなってしまうからです」 そんな事の繰り返しで、いつまで経っても問題を解決できないのではどうしようもない。 そんな時、デジモンの力を借りて解決できないか、と言う意見が持ち上がった。 そこで、あらん限り調べて、デジモンの力を借りて解決するスタイルであるこの探偵所を頼りに来たという次第だ。 「どうか、お願いします。あの洋館があっては、子ども達も安心して学校を行き来することが叶いません。どうか、どうか」 ネット検索してみると、件の洋館に関する情報はすぐに見つかった。 大型掲示板サイト発端の、10年もの前の過去のオカルトスレッドだ。 信憑性はともかく、このような場所から情報を探すより他はない。 「洋館が建てられたのは1895年。明治時代のものね。ある華族が住んでいたのだけれど…一族が全員虐殺…」 メモを取りながらスレッドの過去ログを辿る。 犯人は華族一家の当主の元友人で、諍いを拗らせ犯行に及んだ数日後に変死。 殺害された一家は、当主とその夫人、当時21歳になる長男と18歳の次男、そして15歳の長女。 ここまで仔細を書いた書き込みの人物は地元の人間だといった。 「殺害があってから三回、住む人間はいたがいずれも行方不明…」 そこからオカルトスポットとして有名になり、行ったと報告する書き込みもいく件か見られた。 「人間とは本当妙だな。いなくなったという噂があるのにわざわざ行くとは」 「心霊スポットもそうだけど、怖いもの見たさってのがあるから…」 訝しげな表情を浮かべながら、シルフィーモンは紅茶を口にした。 が、途中までスクロールしてある書き込みが目に止まる。 「この書き込みは…」 『やばい まじやばい 皆あいつにやられた ほんとだよまじでやばいんだ信じてくれ 一緒に行ったダチが皆殺されたのは間違いない もう俺はあの館に近寄りたくない』 それに対していくつかの返信が寄せられる。 心配して尋ねるもの、ネタで返すもの、何がやばかったのかと詳細を尋ねるもの。 『わかんねえ。四人で行ったんだけど、N男とP子がすっげえ悲鳴あげてて何だって駆けつけた時には血まみれで。 でもそれより二人のそばにいた奴がヤバかった。 そいつがN男とP子を引きずってどっかへ消えてった』 数分空けて同一のIDによる書き込み。 『あれは人のように見えたんだけどよく見ると真っ黒な毛が生えてて、猫みたいな目でこっちを睨んでたんだ。 尻尾みたいなものも生えててさ、数本もあってさ』 さすがに現実離れした内容のせいか、冗談で返す返信が目立ったが。 『とにかくあそこはやばい。 おれも一緒にいたR太も全速力で玄関まで走ったけど、外へ出てすぐR太の悲鳴が聞こえて。 気づけばおれ1人だった。もうあそこに戻りたくない』 そこから先の数週間後の日付けで、複数の別のIDによる"目撃"の書き込みが幾つか散見されるようになる。 美玖はシルフィーモンの方を向いた。 「デジモンの仕業…なのかしら」 「可能性はあり得る」 シルフィーモンは文面を睨みながら続けた。 「獣人型デジモンが人間を襲っている、と考えるべきなのかもな」 ともあれ、その翌日のうちから洋館のある地区を訪れて聴き取り調査に数日を費やした。 しかし。 「何人か、よその人が洋館に入っていくのを見た者はいるようなのだが」 シルフィーモンが気難しげに話す。 「洋館そのものの話になるとだんまりになる人間が多すぎる。相当話したくないらしいな」 また、デジモンについて話してみても、同様だ。 洋館がある地区はデジモンの姿が皆無で、何人かはシルフィーモンを見るやコスプレか何かと訝しげな顔をしてくることがあったくらいだ。 「土地を管理している方がいたから、説明して鍵を借りてきたわ。これで中に入って、様子を見るしかなさそうね…」 「そうだな」 その日のうちに潜入するにあたり、シルフィーモンがある提案をした。 シャオモンを連れて行くという。 「なぜシャオモンを?だってシャオモンは…」 「さすがに幼年期デジモンが直接戦闘は無理だ。だが、シャオモンの技にはある副次効果がある」 「副次効果…?」 提案を請け負って、今回は留守番にせずシャオモンを連れてきたのだった。 シャオモンは、ずっと留守番だったこともあって、美玖達と一緒にいられるのが嬉しく跳び跳ねていた。 「おしごと!おしごと!」 「私とグルルモンが戦闘を担当するから、あまり前へ行かないように」 心配からかシルフィーモンが注意する。 「はーい!」 夜20時半に館へ訪れる。 暗い夜、長年人のいないために手入れがされていない洋館はとても不気味で。 「……雰囲気は確かにあるわね」 言いながら、美玖は鉄柵に借りた鍵とメモを括り付けた。 これで美玖達に何かあっても、管理者が鍵を回収に来れるだろう。 「予想はしていたけど…中は荒れてない」 人が訪れていたならば多少は捨てられたゴミも多いものだが、庭にゴミが落ちていないことからある程度想像はできた。 年代を感じさせる調度品やカーペット、カーテン、照明。 厚く埃をかぶっているものの、いたずらに手をつけられたような形跡が見られない。 「ここは少し広そうね。なら…」 呟くと、携帯電話を取り出して開く。 その画面から光があふれたと思うと、大きな獣のシルエットが飛び出した。 グルルモンだ。 現地到着の後、美玖の携帯電話からネット空間で待機していたのだ。 「よろしく、グルルモン」 「何ヲスレバイイ?」 「デジモンがいないか痕跡を探してくれ。匂いでもなんでも。私と美玖は階段周りのフロアを探そう。2階の捜索を頼む」 「イイダロウ、二階ダナ」 グルルモンが行こうとして、シャオモンがその背中によじ登った。 「! オイ、コイツハ…」 「今回の件は特殊な事情があるので連れてきた。シャオモンも、何か感じ取ったならすぐグルルモンに知らせるんだ」 「はぁい」 「マテ、イイノカ…」 困惑するも、有無を言わせぬシルフィーモンにグルルモンは肩をすくめた。 トニーと杏が見たのは、この後二階の回廊を探索していたグルルモンだったのだ。 ーーー 「探偵が、どうしてこんな所に?」 トニーが尋ねるのも当然だ。 行方不明者が出たのも、数年前の話。 ニュースにすら出てもないが、誰もが知っていて口に出したがらない事象。 「依頼があったの」 「君達子どもの安全のためにも、ということでね。私たちデジモンの力を借りたいと請われた」 トニーと杏は顔を見合わせる。 「それより、子どもがこんな時間に来てはいけないわ。帰りなさい。ご両親が心配しているでしょう」 美玖は言いながら、グルルモンを振り返る。 ………それは、すぐ真上に迫っていた。 久方ぶりの侵入者。 闇の中、目を爛々と輝かせてそれは身を低くする。 獲物に飛びかかる事前動作。 「グルルモン、この子達を送って貰えない?…家は近かったのよね」 「う、うん」 梁の上から、ゆっくりと這い寄る。 手指の先に光る、薄い刃物のような爪。 身を乗り出し、飛びかかろうとして。 「!」 それに気づいた者がいた。 「美玖、伏せろ!」 「え!?」 シルフィーモンが素早く両腕にエネルギーを溜める。 「『トップガン』!」 「フギャアアアアアアオ!!」 梁から飛びかかったものに『トップガン』が直撃。 喚き声をあげてそれは落ちてきた。 「な、何!?」 トニーと杏も異常に気づいてお互いに抱き合った。 「フィギャアアアアアアオオオ…!」 身体をブルブルと震わせながら、そいつは立ち上がった。 身長は美玖より少し低いほど。 全身真っ黒な毛に覆われ、瞳孔が縦に割れた金緑色の目だけが光る。 身体つきは人間の女性にとても近く、顔立ちも人間そのものだったが、獣の目に限らず真っ赤な口から覗く鋭い牙が異形としての特徴を曝け出していた。 そして、その後ろに立ち上がる尻尾。 その数は七本に分かれていた。 「コイツハ…!?」 グルルモンが身構えて唸る。 美玖がすぐさまツールでスキャンを狙うが…。 「フギャアオ!!」 「!!」 素早い動きでそれは、自身の襲撃を妨害したシルフィーモンへ襲いかかった。 たちまち取っ組み合いになり、もつれた両者がカーペットの上を転がる。 「シルフィーモン!」 「…ぐっ!」 爪を立て、食らいつこうとするその牙から自身の喉を守るのに精一杯だ。 美玖は咄嗟に指輪型デバイスを構えた。 「…麻痺光線銃(パラライザー)コマンド、起動!」 指輪型デバイスの水晶体から光が放たれ、シルフィーモンへ上乗りになったそいつに当たった。 「…えっ!?」 そいつに光が当たった瞬間、パチっと静電気が走ったような光になる。 が、そいつは、何事もなかったかのようにシルフィーモンへ攻撃を加え続けた。 「効かない!?」 麻痺光線はデジモンのみならず人間や動物にも有効なものだ。 それが直撃したにも関わらずなお、相手は動いている。 「…俺ガヤル!嫌ナ予感ガスルガ」 グルルモンが駆けだし、シルフィーモンになお噛みつこうとするそいつへ食らいつき引き離した。 「フギャ!?」 咥えられたそいつが暴れるよりも早く、グルルモンは振り返りつつ反動を利用して投げ飛ばす。 派手に音を立ててテーブルの上を滑り、その先へ転げ落ちた。 「シルフィーモン!」 美玖が駆け寄ると、シルフィーモンの顔や胸元、腕におびただしい噛み傷と爪痕を前に絶句する。 鼻と口から出血までしていた。 「…あいつは…」 シルフィーモンがうめきながら、よろめいた。 「待って、今、修復(リペア)をーー」 「せんせい!!」 指輪型デバイスをシルフィーモンに向けようとしたところへ、シャオモンの叫び声。 そこへ、トニーと杏の悲鳴も続いた。 「あ、あれって…!」 美玖が杏の指差す方を振り返る。 壁際に何かがいる。 そこにいたのは、赤と灰色のローブのようなものを纏った何かだった。 その奥の目と首にかけた目玉のような飾りは禍々しい光を放ち、美玖達を見ている。 一歩遅れて、グルルモンに投げ飛ばされたものが、その脇で体勢を正した。 「アイツハ…!」 グルルモンが唸る。 「…グルルモン!子ども達と美玖をーー」 シルフィーモンが叫ぶ前に、赤と灰色のローブを纏ったものがどこからともなく大きな鎌を出す。 「…無駄だ。ここはすでにダークエリアと大きな繋がりを得ている。我らが僕となりし者どもよ!」 美玖の足元に生じた歪み。 そこから、複数の腕が美玖の足を掴んだ。 「きゃああああーっ!!」 「美玖!」 「探偵のお姉さん!」 たちまち闇の歪みの中へ引きずり込まれていく美玖にシルフィーモンは手を伸ばした。 だが、それをさえぎるように再び黒い猫のようなものが彼に襲いかかる。 「くそ…美玖!!」 「俺ガ…」 駆けつけようとしたグルルモンを、大鎌の斬撃が掠った。 「ク…!」 足を斬られ、バランスを崩すグルルモン。 両者の目の前で、無数に増えた腕に頭まで引きずり込まれて行く美玖。 「シルフィーモ……」 手を伸ばし、叫ぶも虚しく、彼女は歪みへ呑まれていった。 すぐさま閉じられた歪みに、グルルモンが怒りを露わにする。 「畜生!」 「ど、どうするの!?」 トニーが顔を真っ青に声をあげる。 「グルルモン!」 猫のようなそれを蹴り飛ばし、シルフィーモンが息を荒げながら叫ぶ。 「お前はその子達を連れてなんとか外に避難しろ!」 「オ前ハドウスルツモリダ!」 「私はこいつをどうにかして美玖を探す!早く行け!」 後ろを向けば、大鎌が見える。 「ぐるるもん!せんせいならだいじょうぶ!せんせいは、べつのばしょにつれてかれただけ」 「ナンダト?」 シャオモンの言葉に訝しむグルルモン。 「それより、ふぁんともんからにげなきゃ!」 「……ソレモソウダナ!」 ファントモン。 それが、今迫りつつある死神然とした存在の名前だ。 「あれも、デジモンなの?」 杏の言葉にグルルモンは短く応えた。 「ソウダ!」 「…うわっ!」 問答無用で襟首を咥えられた順に、兄妹はグルルモンの背中に乗せられる。 シルフィーモンは猫のようなものと未だ格闘中であり、奥の部屋で激しく物音がした。 「シッカリ掴マッテロ!」 「うん!」 「わ、わかった!」 ファントモンの追撃を避け、グルルモンは階段へと駆け上がる。 「……逃げるか。だが、ダークエリアの領域と化したここから逃げる事は不可能だ。じっくり、料理してやろう」 大鎌を手持ち無沙汰に提げながら、奥の部屋へ向き直った。 「貴様もいつまで遊んでいる!あれを追え!」 ーーーー 強い力に抗えず歪みに引き込まれた時。 数えきれない救いを求める声や嘆きが耳に響き。 まるで水中にいたかのような視界と息苦しさに気を失った後。 「……う………」 頭の中がズキズキする。 それに耐えながら、美玖は目を覚ました。 「ここ、は…」 そこは、本が積み上げられた部屋だった。 息苦しいくらいに埃の匂いが充満している。 「ここは…書斎、ではなさそう…」 所蔵庫、というべきだろうか。 足の踏み場がない程でないが、本の山の合間を縫うのは狭っ苦しい。 本棚を見れば、どれも古ぶるしい表紙の本ばかりだ。 タイトル一つをとっても、年代を感じさせる文体と表紙、ページの紙の質感。 「こんな所でゆっくり本を読んでる場合じゃないわよね…」 しかし、目は何か手がかりはないかと本一冊一冊を探る。 そこで、一冊の本が目に止まった。 「これは…」 紐で綴じられたそれは、ページが古びていて黄ばんでいる。 「……『江戸怪異録』?」 文体や手書きによる筆跡は読みにくささえあるものの、全く読めないものでもない。 目次の項目には、幾つもの怪異の説明が載っている。 その中に、猫の文字を見つけて、美玖は呟く。 「………猫……?」 思い出すは、先程シルフィーモンと戦闘していた、あの猫のような、女性のようなもの。 自分はあの時、データをスキャンできず、さらにはデバイスの麻痺光線機能が効かなかった。 まさか。 目次を元に、猫についてのページをめくる。 そこには、猫…化け猫についての記載がされていた。 「化け猫…」 そこで、引っかかるものを覚えた。 まさか。 (あれは、デジモンではなく……でも、まさか、そんな事が?) 「おおお…これは懐かしい…昔、爺さんの持ってたやつにあったなあ。そうか、美玖も本を読むのが好きになったか。昔は教科書読むのに頭が痛いと宿題をサボっておったのがなあ」 「………え?」 思わず、振り返った。 ふわふわと何かが浮いている。 それは、どこか懐かしさを感じる温かな小さな光だ。 光は美玖の周りをくるくると周りながら、再び聞き覚えのある声が聞こえた。 「美玖、大丈夫だったかあ?皆とはぐれて心配だろうから、ついついお彼岸から来てしもうたよ」 「………」 しばらくの間の沈黙。 頭が理解に及ぶのに時間がかかった。 光が再度呼びかけた。 「美玖、美玖や。わしだよ。春信だよ」 「………え?」 だめだ、あまりにも現実離れしている。 脳が理解することを拒否している。 だが、それが事実だと気づかなくてはいけなかった。 「お…おじいちゃん!?」 ………… 「ぐ…うっ…」 声に反応して去っていった黒い猫のようなそれに、待てと叫ぶ余力がなかった。 シルフィーモンの身体は無惨に傷つけられていた。 生きているのが不思議なほどに。 「……」 近くにファントモンがいる事を警戒し、よろめく身体をかろうじて構えるも。 何も来ない。 「すぐに、追わない、と…」 美玖からの修復(リペア)による手当てが間に合えば良かったのだが、追撃に次ぐ追撃で戦闘の続行が不可能なレベルにまで追いやられている。 ファントモンがトドメを刺しに来なかったのは、反撃の余力が残っていない事を理由に後回しにされたからか。 「……くぅ、はぁ…はぁ…」 壁に手を付き、ふらつく足を引きずりながら部屋を移動した。 それにしても。 (あいつはなんだったんだ) 口の中に鉄の味を覚えながら、シルフィーモンは先程の敵に考えを巡らせた。 最初。 ネットで見たあの書き込みの特徴を読んで、思い当たる獣人型デジモンがいることからそのデジモンかと思っていた。 しかし、実際に見たものは。 特徴こそ確かに書き込みと合致する点があったが、それはシルフィーモンが思い当たった獣人型デジモンとは全く別物の存在だった。 (まるで、動物が人間になったかのような…) 美玖がいれば何かしらの答えは得られただろうが、その美玖がどこかへ連れ去られている。 美玖を探