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フォーラム記事

みなみ
2024年2月14日
In デジモン創作サロン
目次(https://www.digimonsalon.com/top/dezimonchuang-zuo-saron/mu-ci-kotira-wu-shi-lan-dian-noy-tan-zhen-suo?origin=member_posts_page) 篠突く雨、うっすらと靄がかかる峠を通る車はほとんどいない。 その、車を停めるに必要な、ギリギリ狭いエリアに一台の大型のバイクが停まっていた。 その大きさたるや、通常の大型バイクを二回り上回り、人間が乗るには足が完全に地面に着かぬほど。 そうでなくとも、このバイクはただのバイクではない。 自我に似たものを備え、自らが認めた主以外の者全てを容赦なく振り落とす。 この無骨ながら洗練されたマシーンの名は、ベヒーモスという。 「……遅ェ」 そんな事を呟きながら、バイクに背を預けるのは一体のデジモン。 黒と灰のレザージャケットにカラスを模したような仮面を身につけた長身痩躯の男。 どこか、ベルスターモンを彷彿とさせる外見の持ち主。 赤色の瞳を細め、苛立たしげに遠くの山を見つめる。 「早く来い、いつまで待たせる?」 デジモンの苛つく声は、雨音にかき消されていった。 こちら、五十嵐電脳探偵所 #22 妖精はキューピッドになり得るか? ーーそのデジモンが探偵所を訪れたのは、営業開始から30分過ぎてからだった。 「おう、失せ物探しならデジモンでも受付の構わん探偵所ってのはここでええか?」 そう言いながら入ってきたそのデジモンに対する反応は、美玖とミオナ、シルフィーモン達で大きく違っていた。 美玖とミオナからすれば、色々と情報量の多い外見をしていた。 赤で統一された色彩の鎧。 潜水服を思わせる頭の防具。 そして八本の腕。 多腕の人型デジモンといえばアシュラモンだが、それを超えるインパクトのある容姿だ。 だが、シルフィーモン達の反応は違う。 ラブラモンにしか見えてないが、ヴァルキリモンも驚きの表情を隠していない。 「落とし物ですか?でしたら、こちらへどうぞお掛けください。詳しくお話しを……どうしたの?」 美玖がシルフィーモンとラブラモンの反応に気づき訊ねる。 「せんせい、そいつ、おりんぽすじゅうにしんのいったい」 「…えっ?」 後ろでそのデジモンが咳払いする。 「あまり騒がしくされちゃ堪らんが、ワシはウルカヌスモン。イリアス一とは言わんが、鍛治を生業としておる」 「ウルカヌス…ギリシャの鍛治の神ヘファイトスと同一視されるローマの…?」 美玖の隣に湧く気配。 それを見たウルカヌスモンの目がカッ開かれた。 ーーーまさかオリンポス十二神、数々の武具を手がけた名うての鍛治職人がここに来るとはね。 「…テメェっ、ヴァルキリモン!?なぜ現実世界にいやがる!」 ーー 「……な、なるほどな。何事だと思ったが、…コキュートスのガルフモンねえ」 来客室に通され、事情を聞かされたウルカヌスモンは唸りながら茶呑みをあおる。 改めて素性を聞かされた美玖は、そっとヴァルキリモンに尋ねた。 「お知り合いなんですか?」 ーーー私、いや、代々のヴァルキリモンは勇者の魂を求めてあらゆるOSの管理するデジタルワールドを飛び回っていたからね。イリアスのオリンポス十二神とはある程度の面識がある。それに……。 意味深な視線をラブラモンに投げかけるヴァルキリモン。 ーーー数代前のアヌビモンが職務放棄した上でイリアスにカチコミをかけてきたのを見かねた先先代のヴァルキリモンがイリアス側へ援護に行った縁もね。 「せんだいの"くろれきし"だ、あれは」 「どういう事です?」 ーーーそれについて話すと長くなるから、今は彼の依頼に集中しようか。…それでウルカヌスモン殿、先程失せ物探しと言っていたが、まさか商売道具でも無くした…というわけではあるまいね? ヴァルキリモンの言葉にウルカヌスモンは頭を抱えた。 「否定はせんが、テメェはいちいち癇に障るから嫌ェなんだよ」 「どこでなくされたか、心当たりのある場所はありませんか?」 「……あるんだが、どこそこという場所かって説明するのは名前を知らねえし面倒くせぇ。今から案内してやるからついてきな」 「あ、はい……」 ーーーー その日は晴天なり。 陽の光を受けた水面がキラキラと輝き、深みのある蒼色をより際立たせている。 連れてこられたのは、そんな美しい海の広がる光景を望める広大な公園だった。 「…『ぴゅありい臨海公園』で落とし物ですか」 「おう、そんな名前だったのか。現実世界(こっち)に来て早々、用を足したくなってここのトイレに駆け込んでよ。戻ってきたらこっちで依頼人に渡すはずだったブツとワシの商売道具が消えやがった。…その辺りでなくしたと思うんだが」 「関係があるかはわかりませんが、この臨海公園、ちょっとした噂があるんです。私の友人で朝奈という子から聞いた限りなのですが……」 曰く。 ここ、ぴゅありぃ臨海公園は、開園から30年ほど経つのだがある噂がある。 それは、縁結びの噂。 散歩、あるいは出会ってすぐか。 仕掛け人のわからない不思議な悪戯に見舞われた男女がカップルとして結ばれると地元で知られた場所だ。 悪戯の多くは、男女どちらかが何者かに突き飛ばされて倒れかかったところを片方がそれを受け止める、など。 いずれも互いの距離が非常に近くなる事を意図されたものであるが、未だに悪戯を仕掛けた者の正体は不明。 デジモンだの、或いはキューピッドが実在していただのと噂されてはいるがただ一つ判明していることがある。 「…その、縁結びの悪戯が来て成立したカップルは、いずれも成立前から互いを意識していたり元から恋愛感情を持ちながら打ち明けあえていなかった人間同士なんだそうです」 「ほう?」 「縁結びを当てに、下心から気になっていた異性をデートに呼び出す人はいるそうなんですがその様な人達に悪戯は絶対来ないのだとか」 また、失敗例もあるがその場合は間が悪かったり片方が最悪な対応をしてしまった事がほとんど。 いずれにせよ、縁結びの悪戯そのものが一種のドキドキを提供してくれるスポットとして有名になり、歓迎されるようになっているのだった。 ……で。 「今回は依頼人のウルカヌスモンさんに私とこちらのシルフィーモンのみで同行させていただきますね」 「おう、別に構わんよ」 ーー性別の持たないデジモンのみとの同行なら、おそらく悪戯は起こらない。 そう、美玖は思っていた。 …だが、思い違いでもあった。 確かにデジモンは性別こそ持ち合わせないが、"恋をする生き物"であることを、美玖は知らなかった。 デジモンは戦闘種族、戦闘本能こそが彼らの礎。 そんな生き物が恋などするはずがないーー そうとすら、思っていたのだから。 「きゅきゅ、きゅ!」(ねえねえねえ! 「きゅっきゅきゅ、きゅーきゅーきゅー!」(ターゲットにできそうなの来たよー。 「早速心の中を覗くっピよ!」 「ええい、待て待てい!全く、お前達ときたらせわしく口煩いことこの上ない」 複数もの小さなピンク色の生命体に囲まれ、鬱陶しげに胡座を解くのは鴉天狗のような容姿のデジモン。 ピンク色の生命体には二種類おり、うち一つはフワフワした体毛に覆われた丸い胴体と透明な虫の翅に小ぶりの槍を持ったもの。 もう一つは、人間の手のひらに収まってしまえるほど小さく、幼年期デジモンのコロモンに身体を取って付けたような容姿だ。 その首には金色のホーリーリングが輝いている。 彼らもまた、デジモンだ。 「…ふむ、こいつらを……て、ウ、ウルカヌスモン!?オリンポス十二神がなぜここにおる!」 フワフワの体をしたピッコロモンが映し出す映像を見た鴉天狗が驚きの声をあげる。 多くのデジモンの知る限り、オリンポス十二神はデジタルワールド・イリアスにおいてロイヤルナイツに相当する存在。 それが現実世界はおろか他のOSが管理するデジタルワールドに出張る事はそうそうないはずだ。 「きゅ?きゅきゅー」(ほんとだー。珍しいねえ。 「誰かに依頼されたのかっピね?お仕事で人間の世界まで来るとは思ってなかったピよ」 「きゅきゅきゅー!」(さあさ、『悟って』『悟って』! 「サ!ト!リ!」 「きゅ!きゅ!きゅ!」(サ!ト!リ! 「わかった、わかったから静かにせい!集中できぬわ」 片手で周りの小さなギャラリーを振り払い、鴉天狗カラテンモンは周りにいる彼らが目を付けた者……美玖とシルフィーモンに向けて特技を行使した。 その特技とは相手の心を読む『サトリ』。 本来は戦闘において敵の思考を読み自身が有利な方へ戦況を傾けるため使用する特技である。 「どうっピ?」 「………ふむ、この感じは悪くなさそうだ。思惑あって、互いに感情を隠しておる。…じゃが、何かをきっかけに引き剥がせる程度には、脆いの」 視えたものへの所感をカラテンモンは告げる。 「きゅきゅっ、きゅ?」(どーいうこと? 「要は互いに懸想し合うているが、その感情にどちらも気づかぬまま自身のそれを隠し合っているという話だ」 「お互いに片想いて事っピね!」 「きゅきゅ」(そっかー! ピンク色の、もう一種のデジモンの一匹がくるりと宙回転。 その名はマリンエンジェモン。 …愛らしい外見やサイズからは信じられ難いが、れっきとした究極体デジモンである。 「きゅー、きゅっきゅ!」(じゃあさっそくくっ付け作戦いってみよー! 「行ってみよっピ!」 「おう、とっとと行って…ぬおっ!?」 一人ここで待つ…と思っていたところ、ぐいぐいと大勢に引っ張られるカラテンモン。 「わかった、わかったから!無理やり引っ張るでない!頼むから!!」 …………… 「このトイレで間違いないですか?」 「おう」 美玖の言葉にうなずくウルカヌスモン。 場所は臨海公園に入ってすぐの歩道を2キロ程の進んだ先にある公衆トイレ。 デジモン用のトイレの壁の真白さと元からあったトイレの壁の汚れが、それぞれの設置された時の違いを想起させた。 さらに、所々にバグがかかったような痕跡が見られるのは、25年前に起こったイーターの襲撃の爪痕である。 「警察に届け出はしたのですか?」 「いんや、そんなモン知らなかったしアテもなかったしのう。その辺を歩いてた人間を捕まえて聞いたが、デジモンならここで尋ねれば良いんじゃねえかと紹介されたわけよ」 「それでか……」 美玖が早速ツールのライトを起動する。 ウルカヌスモンの足跡の他に、新しい痕跡がないか調べる必要がある。 見れば、黒い羽根がデータのチラつきを伴って落ちていた。 「デジモンの羽根か…」 拾い上げ、早速ツールにスキャンを行う。 ホログラムに載ったデジモンを見て、シルフィーモンは怪訝そうにつぶやいた。 「カラテンモン?こいつの仕業ということか」 「カラテンモン…」 鴉天狗そのものの見た目に美玖は尋ねる。 「どんなデジモンなの?」 「大天狗デジモンの部下と言われてるが、私もよくは知らない。ただ、こいつには厄介な能力があることはよく知られている」 「能力?」 「こいつは相手の思考を読むことができる。『サトリ』とかいったな…」 そこで、美玖の口から声が漏れた。 「思考を読むって……まさか、悪戯の犯人って事?」 悪戯を仕掛けられた男女のほぼ全員が、お互いに隠しての相思相愛や片想い。 そして、仕掛け人不明の悪戯。 ならば思考を読むという能力はあまりにも都合が良すぎる。 だが、シルフィーモンは首を横に振った。 「恋人同士になるよう仕向ける意図がわからない。サトリを使うのはあくまで戦いの為のはず。…だがウルカヌスモンの仕事道具を持ち去ったのはこいつで間違いないと思うのだが、どうだ?」 「ワシの手製の武器が目当てならば取り返さにゃならん。今回はある依頼人(クライアント)からメンテナンスを任された代物でな、ワシでなければできん仕事だ。だがな、それゆえにワシの作った武具を狙っとる輩も多い…此奴が犯人ならば取り戻すまでよ」 「あなた程の職人はそうそういないからな…だからこそその武具を持っているだけで"箔"がつくと狙う輩がいるのは事実」 ウルカヌスモンは自身が認めた者にしかその手腕を振るわない気質を持っている。 肩をすくめながらシルフィーモンは美玖の方を向き直った。 「美玖、カラテンモンの痕跡は他にもあるか?あればそれを辿る」 「あるわ」 「なら、歩こうか。新しい痕跡を辿ってくれ」 ーーーー (きゅきゅ、きゅ(どうする、どうする?) 空から彼らを見下ろし、マリンエンジェモンらとピッコロモンらはぺちゃくちゃと相談に入る。 (どうするっピ?ワガハイがここで仕掛けに行ってもいいっピ?) (きゅきゅ!(ぼくが行くー!) (きゅ、きゅきゅ?(どういくの?) 別のマリンエンジェモンに尋ねられ、くっぷっぷと企むような笑みを浮かべ。 (きゅきゅきゅ、きゅーきゅー!(それはもう!後ろから突き飛ばしちゃう!!) ……ここで回想。 (後ろから突き飛ばされ、シルフィーモンの胸へ倒れ込む美玖) 『ああっ……し、シルフィーモン…』 『心配いらないよ、美玖…私がちゃんと受け止めてあげるから』 (見つめ合う二人。その視線は情熱的に絡み合い、やがて……) (きゅっきゅ、きゅっ、きゅっ、きゅーっ!(…という訳なのだ!) (それ良いっピね!) (きゅ、きゅきゅっ!(というわけでやってみよー!) ((おおーっ!!)) 「……」 それを側から見て、カラテンモンはひとりため息を吐いた。 彼らの考えた事など『サトリ』を使わずともわかる。 だからこそ、こう思う。 (大丈夫かマジで) と。 …………… さて、そんな企みが裏で交わされているとも知らない美玖達。 ツールに読み込んだカラテンモンのデータを利用し、照合させたライトで痕跡を探す美玖。 彼らが探索している場所は、海の見渡せる広けた道だ。 その後ろから忍び寄る、一匹のマリンエンジェモン。 最初の企みを提案した一匹だ。 (きゅー……(せーの……)) 美玖の背後に忍び寄り、勢いをつける。 美玖の前方、すぐ手前にはシルフィーモン。 更にその前をウルカヌスモンがいるという配置。 美玖に狙いを合わせ、飛び出した…その時! 「あっ」 美玖が何かに気づき足を止める。 「どうした?」 「ちょっと待って、靴紐緩んだみたい」 (!?!?) ローファーの靴紐の緩みを直すため、美玖がしゃがむ。 押すべき背中を見失い、スピードを殺しきれなかったマリンエンジェモンはシルフィーモンの脇を通過。 「ん?」 シルフィーモンが横を通り過ぎる気配に足を止めた目の前で。 「うおおおおおおおおおおおっ!!?」 ウルカヌスモンが切り立った崖からバランスを崩し落下していった。 言わずもがな、犯人はスピードを殺しきれず突っ込んでいってしまったマリンエンジェモンだ。 上空からそれを見たカラテンモンとピッコロモン達が絶叫。 「何してんだよ!!!!」 「こ、これじゃあ…!!」 火曜サスペンスのBGM、崖の下で変わりはてたウルカヌスモンの姿。 新聞のトップにデカデカと 『ウルカヌスモン暗殺事件 ぴゅありぃ臨海公園の悪戯が死を招いた!? 殺神事件の真相は!』 という煽り……。 ーーという妄想が走馬灯の如くマリンエンジェモン達の間によぎる中、崖下から猛烈な勢いで走ってきたのはウルカヌスモン本人だった。 「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」 全力疾走で整理された道を駆け上がるウルカヌスモン。 シルフィーモンと、わずかに反応の遅れた美玖の目の前まで走ってきた彼は完全に息を切らしていた。 「だ…大丈夫ですか!?」 「はぁ…はぁ、あ、荒事は不得手じゃが、はぁ…はあ…、ワシとてオリンポス十二神の一角…この程度で倒れる、ほどヤワでは…はぁ…ないわ…」 崖から落ちこそしたものの、彼自慢の鎧でダメージは軽減されていた模様。 「なぜ崖から落ちたんです?」 「ワシにもわからんよ!崖下にないものかと覗いた後ろから突然、何かがぶつかってきてバランスを崩したとしか!」 「………」 ウルカヌスモンの言葉に、思考を巡らすシルフィーモン。 ウルカヌスモンが落ちる数秒前にほんの一瞬、視界に入った高速飛行物体。 美玖に意識を向けていたこともあって、視界の端から全容を捉えるに至らなかったが。 (少なくともあれは攻撃…とは思えないな。オリンポス十二神である彼を直接狙った不意打ちの一撃にしては威力が低すぎる) 究極体デジモンを殺すに落下のダメージでは不十分だ。 一瞬だけ目に入ったモノの正体を知る必要がある。 なら、次にも来るかもしれないそれに気をつけるまで。 ……………… 「きゅ、きゅきゅ〜」(ご、ごめーん…失敗しちゃった 「きゅきゅ?」(大丈夫? 「ヒヤヒヤしたっピよ」 戻ってきたマリンエンジェモンを他のマリンエンジェモンとピッコロモン達が取り囲む。 「ちょっと気をつけた方が良いっピ。あのデジモン、確か目が良かったはずだからバレたらどうなるかわからないっピよ」 「おう、あ奴、気づきかけとった。慎重にやらんとだぞ」 「きゅきゅー…」(気をつけるよー しょぼん、とするのも束の間、すぐそのマリンエンジェモンは次の作戦会議のため同族やピッコロモン達とぺちゃくちゃし始める。 カラテンモンはその様子にもはや、何のリアクションも示さない。 …始めこそは呆れ果てていた。 だが彼ら、特にマリンエンジェモン達はこの悪戯によって得た人間やデジモンの恋する心のエネルギーを自分らの糧として食い繋いでいる。 それに悪戯好きであるピッコロモン達が乗っかって今の関係ができているのだ。 (…まったく、拙も甘くなってしまったものだな…。此奴らに助けられてしもうたが運の尽きかねえ) 25年前。 イーターによる襲撃事件の時、デジタルワールドから人間のいる現実世界に来た先で襲われたデジモンのうちの一体にこのカラテンモンもいた。 デジモンならばともかく、本能の赴くままデータを食らい尽くし取り込むイーターを相手に『サトリ』は通用しない。 危うく自身の肉体データを喰われかけ、逃げた先で迷い込んだのが、ピッコロモン達の魔法によってできた結界だった。 イーターの脅威から逃れるために張られた結界に助けられたカラテンモンは、以降、その『サトリ』の能力を見出されてマリンエンジェモン達に協力させられる関係として今に至る。 「カラテンモン、そろそろ次の作戦に入るっピよ」 「ほいほい」 ーーーー 「そうですか…ありがとうございました」 ランニング中の女性を呼び止めるも、得られた情報なく美玖は一礼した。 情報収集を始めて数時間経過、公園を歩く人に声をかけているが収穫は得られない。 …この合間にも"悪戯"は仕掛けられた。 「きゃっ!?」 突然清掃用の台車が美玖に向かって突っ込んできたのを、シルフィーモンが彼女を横から抱きかかえたり。 休憩所で突然できたぬかるみに転びかけた美玖を支えようとシルフィーモンも転びかけ、いわゆる『壁ドン』になったり。 突然蛇口が噴出、近くにいた美玖を水が直撃することで彼女のブラウスを濡らし、シルフィーモンの眼前で『透けブラ』を晒すことになったり。 さすがにこれが意図的なものである事にウルカヌスモンは気づいたものの、当の本人たちは何ひとつとして気がつかない様子だ。 心の中でツッコむウルカヌスモン。 (気づかんかい!!) なおカラテンモンも同じ意見である。 実際、悪戯でそれなりの接触こそさせられているにも関わらず、普段から接触した日々を過ごしていたせいか悪戯と気がついている様子が全くない。 …透けブラになった瞬間、シルフィーモンの心に動揺の色を見ることはできたが。 それをカラテンモンが伝えると、マリンエンジェモン、ピッコロモン達も焦りだした。 「きゅきゅー…」(まずいよぉ… 「全然トキメキな雰囲気にならないなんて…こんな手強いの初めてだっピ」 「人間同士じゃないのがいけなかったのかなっピ?」 「きゅー…」(そんなー… しおしおに萎れたマリンエンジェモン達。 流石に可哀想な有様ではあるが、悪戯が過ぎると次はバレかねないと危惧するカラテンモン。 (此奴らには悪いが、切り上げることを提案せねばならん。これ以上頻発しようものなら人間に悪い影響になりかねんからな…) 「おい、お前達。いい加減ここで切り上げ……」 「「「それじゃ最終作戦だっピ!!!」」」 ……なぜそうなる。 カラテンモンの意識は30秒程漂白。 しかし、ハッと我に返った時には、たちまちマリンエンジェモンもピッコロモンもいなくなっていた。 「待て!待たんか!!あ奴ら、思いつきだけで行動しおって…知らんぞ」 ーーー 「や、やっと乾いた…」 先程まで透けていた下着の色が薄くなっている事に安堵の息を漏らす美玖。 控えめなバストとはいえ美玖も乙女。 目の前の相手が性別を持たないデジモンとはいえ反射的に見えてしまう部分を隠してしまうのは仕方のないことだろう。 …しかしシルフィーモンがかすかに顔を赤らめた事に気づくことはなく。 「うう…っ、なんか今日は変なことばかり起きる…」 シルフィーモンとウルカヌスモンの元へ戻ると、彼らは何か話を交わしている最中だった。 美玖に気づき、二体が振り返る。 「美玖、大丈夫か?ずっと胸を隠しっぱなしだったが」 「だいぶ乾いてきたから大丈夫。それより、何を話していたんですか?」 「うむ、実は報酬について少しな…」 言葉を濁すウルカヌスモン。 シルフィーモンが続ける。 「実は持ち合わせがないらしいんだ。依頼人の元へ届けに行くだけと思っていたらしくてな」 「まさかこうなるとは思わなんだ。そこで相談なんだが、ワシに仕事をさせてくれんか?カバンの留め具でもいい、修理の依頼でもあればこの件が完了次第にちゃっちゃとやらせて貰おう」 「そんな、良いんですか?」 美玖が訊ねるとウルカヌスモンはうなずいた。 「ワシとて仕事人、仕事をしてなけりゃ落ち着かんでの。武具に関しては使い手を見抜かにゃならんが、道具かつ誰もが使う物ならば息抜きになる。お嬢ちゃんの持ち物でないかの?そういう、まだ使えるが部品が使い物にならんで困っておるようなーー」 そこまで言い、ウルカヌスモンの目が美玖のある物に止まる。 それは、美玖の身に付けていたデバイス。 「お嬢ちゃん、それなんだが…」 「このデバイスですか?」 「そりゃ、オーパーツじゃないか。この感じからして、おそらくイグドラシル管轄のデジタルワールドの産物。ちょいと見せてくれんかね」 「ええ、構いません」 良いのか。 そんな事を思ったシルフィーモンをよそに、美玖がデバイスを外しウルカヌスモンに渡す。 ウルカヌスモンは早速、デバイスを手に取るやしげしげと見始めた。 「こりゃかなりの年代物だのう。普通に遺跡に眠ってるような奴じゃぞ。人間が手に出来るような代物じゃあない。…一体お前さん、どこでこんな物を手に入れたんじゃ?」 「貰ったんです。探偵所を師匠から引き継いだ時に……」 そこで、美玖は突然金縛りに遭ったかのように、身体の自由が利かなくなったのを感じた。 それに遅れ、シルフィーモンの身体も強張ったように止まった。 「えっ?」 「っ、何だ!?」 「な、何じゃ?」 まるでマリオネットのようにぎこちなく、自身らの意思とは違う動きに動揺する美玖とシルフィーモン。 デバイスを調べていたウルカヌスモンが思わず彼女達に目をやる。 まるで、小さいナニかが群がってしがみつき、無理矢理押しだそうとするような感覚を覚える一人と一体。 シルフィーモンが振りほどこうとするが効果は薄くすぐに押し出される。 強制的に変えられる身体の向きと体勢。 美玖とシルフィーモンは、互いに向き合うようになった。 (えっ…) 驚く間もなく背中から押し出され、グイグイと距離が縮まる。 シルフィーモンの後頭部に力を込められて体勢を低くするよう強制された。 美玖の顔が上がる。 そのまま、さらに距離が狭まり… (ふぇ、あっ…!?) ようやくことの事態に気づき、美玖の顔が紅潮した。 このままいけば、互いの唇が重なる。 (だ、だだだだ…ダメ!!) 動こうにも、小さな何かに集団でしがみつかれているような感覚。 シルフィーモンも故意にそのような動きをしている様子ではない。 ならどうしよう。 ウルカヌスモンも彼自身の武器に手をかけながら、事態の把握に必死だ。 唇が重なるまで、残りーーー 「だ、ダメえっ!!」 美玖が叫んだ瞬間、これまでにない程強く胸元の紋章がオレンジゴールドの光を放ったと思うと。 「うわっ!?」 オレンジゴールドの光が形作る巨大な剛腕、その拳に殴られたシルフィーモンが吹き飛んだ。 「きゅきゅー!?」 「きゅぴー!!」 彼と共に吹き飛ばされて、姿を現したのはピンク色の海洋生物のような外見をしたデジモン達。 それを見たウルカヌスモンが声をあげる。 「マリンエンジェモンじゃと!?…それに、今のは…」 上空から更に別の声が乱入してきた。 「い、今のなんだっピ!?」 「ええい、だから言っておろうに!」 姿を現したのはピッコロモン達とカラテンモン。 ピッコロモンの魔法によって姿を見えなくしたマリンエンジェモン達が、美玖とシルフィーモンにとりついていたのだ。 美玖にとりついていたマリンエンジェモン達の姿が、紋章による影響か見えるようになる。 「……えっ?」 「きゅ〜〜……」 美玖は戸惑った表情で自身の身体にしがみつく彼らと目が合った。 一方、シルフィーモンはどこぞの有名漫画作品めいて殴られた反動からまっすぐ後ろに吹っ飛び、コンクリート塀にクレーターのような亀裂を作りながら目を回していたのだった。 彼の周辺に15匹程のマリンエンジェモン達が背中から落ちて目を回している。 …幸い、軽傷で済んだ。 「やはりというか、デジモンの仕業だったとはな」 「きゅきゅー…」(ごめんなさい…。 「ワガハイ達、トキメキの感情をおまんまにしないとやっていけないんだっピ」 「拙は此奴らを手伝っておったのみだが、拙はともかく此奴らを悪く思わんでやってくれ」 「…それは、いいけど…」 その後。 カラテンモンが率先してピッコロモン、マリンエンジェモンらと共に土下座。 気を失っていたシルフィーモンも意識を取り戻して、話を聞きに加わっている。 「その、…びっくりしちゃった事は本当よ。でも怒ってなんていないわ」 「……ほんとっピ?」 「きゅきゅ…?」(ボク達のしたこと、迷惑じゃない? 美玖がうなずく。 そこで、マリンエンジェモン達が歓喜の声をあげて跳ねた。 「で、あんたに聞きたいんだが…」 ウルカヌスモンはカラテンモンを前に尋ねる。 「あんたか、ワシの仕事道具と依頼人の武器を盗んだのは。早(は)よう返してくれ」 「返すも何も、初めからあそこに置かれたままよ」 「な、なんじゃと?」 カラテンモンが答えるに、ウルカヌスモンが置いたのに術をかけ、見えなくしていたという。 「最近は置き引きが多くてな。拙の羽根で置かれた場所をひと撫ですれば術が解けるよう、置いておいたのだが…」 「早く言わんかそれを!!」 美玖がすぐ、スキャンに使ったカラテンモンの羽根をウルカヌスモンに渡す。 「すぐに行きましょう」 「だな、歩き損だったのが手痛いが…」 ……… ウルカヌスモンが探していた道具は確かにトイレの隣に置かれたままだった。 とりあえずとホッとした彼を伴い、カラテンモンやマリンエンジェモン、ピッコロモン達に別れを告げて探偵所へと戻った。 「さて、料金の代わりとしてだ。このデバイスにワシが手を加えてやろう」 説明によれば、このデバイスは、アップデートが古いまま止まったパソコンのような状態であり、改良・改善が必要とされた状態だ。 そこで、ウルカヌスモンはイリアスの技術をデバイスに加えつつアップデートを行う事で、クールダウンの短縮や機能の追加、究極体デジモンにも通用できるまでの機能強化を行うという。 「本来なら、こういったモンの扱いは他の奴がやるべきかもしれんが…ワシも心得はあるからの。しばらく部屋を借りるわい」 「ど、どうぞ」 ーーー鎚を振るう。 鎚を振るって、デバイスの記憶媒体(メモリ)に技術を刻み込む。 この時、いつもならば彼はただ無心で作業を行うのだが…。 (まさか、"あれ"があのお嬢ちゃんの体内に潜んでいたとは…いつからじゃ?どこで?) 鎚がデバイスを打ち、概念的な火花が散る。 (最後に"あれ"を見たのは『銀の時代』…ついぞ地中で絶えたものと思っていたが…まだ潰えなんだか) 鎚の打つ音。 火花。 鎚の打つ音。 火花。 「…おっと、そうじゃ。折角じゃ、追加料金といこう」 道具袋を漁って触れた感触に、ウルカヌスモンは思い出したようにつぶやいた。 ーーー ウルカヌスモンがデバイスを手に部屋から出てきたのは、彼が部屋に篭って6時間後。 すでに日が暮れ、探偵所は閉まって夕食の支度の行われていた時間だった。 「ほれ、出来たぞ」 「すみません、なんと言うべきか…」 「気にせんで良い。金が無ければ手に持った職の技で返すまでじゃからな。ホレ」 手のひらの上に転がされたそれは、使用感が微塵も見られない程に磨き抜かれていた。 いつも見慣れたデバイスが、新しく生まれ変わったような色合いを以って美玖の指に帰ってくる。 「新しく加えた機能と、前からあるもので改良した機能についてこの豆本を作っておいた。この手の道具を扱いこなすなら、学んでおくのがよかろう」 「あ、ありがとうございます」 「どんな機能が付いてるんだろうね!」 緊張やら嬉しさやらでデバイスを眺める美玖の脇から覗き込むミオナ。 (師匠に見せたら、驚くかな…) それを見つめるシルフィーモン。 ウルカヌスモンは、手に天鵞絨の小箱を持ちながら、そんなシルフィーモンの目前までやってきた。 「…それは?」 「追加料金じゃ。…あのお嬢ちゃんにはまだ内緒だぞ」 …「まだ」? そんな事を尋ねたそうなシルフィーモンに、ウルカヌスモンはかぶりを振った。 (こいつは、来たるべき儀に、あんたがお嬢ちゃんと開けるべきものじゃ。それまでは取っておけ) 小声で伝えながら、天鵞絨の小箱をシルフィーモンの手に握らせた。 …力を込めたら握り潰してしまいそうだと思う。 「それと、もう一つ」 「何だ?」 神妙な顔で再度小声で囁かれる。 あのお嬢ちゃんだがな、何か妙な変化が起きた時にはオリンポス十二神の誰かを頼れ。 場合によってはプルートモンをアテにするのも良い。 危険な賭けだがな。 ……… 雨が止んで、晴れ渡った空を見せた時にはすでに夜だった。 あまりにも長すぎる到着に、いい加減待ちぼうけもダラけるというもの。 バイクの上で伸びを仕掛けた男に声がかかったのはその時だった。 「…まさか、お前が現実世界に来ようとは思わなんだ」 「ああ?」 気怠げに男が紅く鋭い目を声のする方へ向ける。 そこに立っていたのは、鹿撃ち帽を被り、ロングコートを羽織ったアグモン。 帽子やコートの質感から、先程まで雨に濡れていたのだろう。 「なんだおめぇ」 「雨宿りのできる場所がないかと探しているうちに止んでしまってな。…まさか、ここで意外な顔を見つけることになるとは。七大魔王が一人、ベルゼブモン殿よ」 探偵アグモンが口を開き、しばしの沈黙。 冷たい風が吹きつけ、湿った匂いを漂わせる。 「……俺に大した用がねぇなら去れ。こっちは待ち人がいんだよ」 「邪魔はせん。歩き詰めだからの…近くで腰を下ろさせてもらうぞ」 武器・ベレンヘーナを届けに鍛治神が来るまでの間。 それまでの間、この不思議な沈黙は守られるのだった。
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みなみ
2024年1月03日
In デジモン創作サロン
新年を迎えた日本において、この時期だからこそ馴染み深い光景。 それは、新年初売りセールである。 正月を迎えて3日にしてすでに大勢の客で賑わうスーパーの中を歩き回りながら、美玖とミオナ、シルフィーモンの二人と一体もセールに加わっていた。 多い人垣を掻き分けながら進んでいた後ろで止まった美玖に気づき、振り向く。 「どうしたの、美玖?」 ミオナが覗き込んだその顔は、やや強張りの表情を見せていた。 その視線の先に目をやれば、プロテインを12缶に纏めたものがまとめ売りされている。 「……プロテイン?美玖、これ欲しいの?」 「う、ううん!ちょっと思い出しちゃった事があって!!」 早口でまくしたてるように振り返った美玖。 その頬を伝う脂汗にミオナはトラウマのようなものかと感じる。 シルフィーモンもそれに気づいたようで、 「ーーああ、あの件の事、まだ染みついてたのか。…私が買おうにも、これ、人間用だしな」 と言うや美玖の腕を引いて離れるよう促した。 ーーー 「……で、あの件って一体どういうことなの。プロテインでなんか嫌なことでもあったの?」 フードコートの席に落ち着いたところで、ミオナは一人と一体に尋ねる。 時計は午後12時を指し、昼食或いは休息の為に席に座る人が増える頃合い。 全国に支店を構える有名なうどんのチェーン店で注文をとり、それを待つ意味での質問に答えたのはシルフィーモンだった。  「……探偵所にまだ美玖と私だけしかいなかった頃の話だよ。その頃、積極的に仕事を持って信頼を得ようと美玖が張りきるので、情報屋にも頼んで請けられる仕事がないか探していたものだ…。まさか、アメリカから受けて向かった先で、ああも悪夢に近いものを見せられるとは思わなかった」 こちら、五十嵐電脳探偵所 えれくとりかるっ⭐︎まっするぱれえど 〜ボディービルダー養成学校より愛を込めて〜 そのメールが届いたのは、シルフィーモンが探偵所に来てから一ヶ月経った頃だった。 探偵としては未熟そのものだった美玖にとって、どうにか少しでも仕事を得てその成果でキャリアを積みたい一心の頃。 この頃すでに、彼女が心療内科に通院している事情を知っていたシルフィーモンはだからこそため息をつく。 「忠告はするが無理は禁物だ。人間や慣れないデジモンとの関わりで精神をすり減らすなんてブザマを晒されるのは見るに堪えないからな」 「でも…仕事である以上、ちゃんと経験は積みたいし、成果を得なきゃお客さんが来てくれない…」 「そうだろうが、雇い主に何かあれば原因次第では私からのフォローはないと思え。私の失態が原因ならまだ私の非で済むが、雇い主が自分の非からくる破綻をどうにもできない状態だと忘れるなよ。自己責任と言われて言い返せるかい?できないだろう?」 「……むう……」 まだこの頃特有の、淡々と、ドライに返すシルフィーモンの態度と言葉に美玖はうなだれた。 どこまでも、一人と一体の距離は離れたままでシルフィーモン側に至っては敢えて距離をとっているようにも思える。 そんな雰囲気を、PON、と軽快な電子音が打ち破った。 「あ、メール。……From L.A(ロサンゼルス)……アメリカからだわ」 送り主はとある食品メーカー。 あまり有名ではないのか、覚えのない名前だ。 内容は、とあるボディービルダー養成学校への潜入をして欲しいというもの。 「ボディービルダー養成学校…食品会社と何の関係が?」 怪訝そうな口調でシルフィーモンは画面を睨む。 そこで美玖はあることに思い当たった。 「そういえば、デジモンにもプロテインってあったよね…?」 「ああ、デジモンの身体のデータを書き換えて能力を一時的に向上させるサプリメントだ。君達人間にもプロテインというものがあったがそちらはどうなんだ?」 「人間が飲むプロテインは、食品工場で作られるので薬品やサプリメントというよりは健康志向や筋肉作りを目的とした食品なの。だからデジモン向けのプロテインとはかなり違うはず」 ボディービルダーにとってプロテインは必須と言って良いものだ。 それが関わった案件だろう。 そうとなると、問題は行くと決まった場合の旅費や現地へのアクセス方法。 これに関して、メールの内容を確認した上でシルフィーモンとの相談になる。 「どうしよう。今回、もし請けるならアメリカに飛ばなきゃいけないし、詳細を伺うのも現地に行かないと」 「請けないという選択を勧める。それを押して行くつもりなら私は何も言わず従うが選択を行う君自身の自己責任だ……さっき私が言ったこと、忘れるなよ?」 かなり長い時間を美玖は悩んだ。 いつもなら気安く請けるところだがメールの所在地は海を越えている。 そうなると運賃はもちろんだがパスポートの申請や航空券を押さえておかなければいけない。 依頼主が負担してくれる事はまずないため、自己負担は痛くなるだろう。 悩む美玖をしばらく眺めていたが、シルフィーモンはコーヒーをひと口啜って尋ねた。 「行くつもりなら穴を突ける旅行法があると聞いたらどうする?その代わり税関を通らないからバレたら捕まるだろうが」 顔を上げる美玖。 彼女に対し、人間ならな、とシルフィーモン。 「デジモンなら誰もがやる移動法だ。君が捕まっていいなら、私が君をアメリカまで連れてってやる」 ………… 「……そういうわけで、アメリカに行くことに決めたの」 「待って、即断だったの!?いや、あなたそういう人だったわ!!」 ………… シルフィーモンが提案した方法。 それは、ネットワークを通じて電子の世界を移動することだ。 デジモンがパスポート等を必要とせず国際移動を行えるのはこのためである。 人間側が制限を行ったとしても、デジモン側はその穴を突いて移動ができる。 これは、彼らデジモンにはコンピュータウイルスという側面があるからで、人間側が制限してもその穴を分析できるデジモンを通して学習してしまう。 そして、この方法は、長らくデジモンが人間を連れ去ったりパートナーの選ばれし子どもと共に緊急の移動を行う時に使われた。 25年前のイーター襲撃事件でも頻繁なネットワーク移動を彼らは行ってきたのである。 …それを、ビザを通さない"裏技"としてシルフィーモンは提案した。 選ばれし子どもは国際的な特例でこの方法による移動をしてもお咎めはないが、一般人ならば立派な不法入国。 十分リスキーなその方法を、承知の上で美玖は採用した。 ーーー そして、場所はロサンゼルスの大都市圏。 高層ビルが立ち並ぶ様は、東京に負けずに劣らないと美玖は思った。 空気も日本とはだいぶ違い、からりとした風が吹いている。 そんな中、専用の端末からリアライズした美玖とシルフィーモンはメールに添付されたマップの場所へ向かった。 …受付でヒスパニック系のスタッフとのやりとりに苦戦しながら、ようやくオフィスに通してもらう事になるとは思わず。 「貴方がたがイガラシ探偵所の方ですね。よくここまでおいで下さいました。どうぞお掛けください」 依頼主である社長が応接室へ一人と一体を通した。 歳は40代ほどの白人男性で、眼鏡とまばらな黒髭がトレードマークの営業マンという印象。 一人と一体がソファに腰を下ろすと、社長も向かい側に着く。 「今回は私どもではどうにもならない案件でして…はるばる日本で、デジモンに関係する依頼を受けていると聞く探偵所の噂を知りメールを送らせてもらいました。本当にありがとう」 「メールに詳細が書かれておりませんでしたが、どういった案件かお話ししていただけませんか?」 「良いですよ。…我々のミスとはいえ、本当に困った事になってしまったのです。危険な事を承知で依頼させていただきたい。我が社のプロテインと××ボディービルダー養成学校の校舎にあるデジモン用のプロテインを交換してきて欲しいのです」 ……事の発端は今から三週間前。 ボディービルダー養成学校からの発注を受け、会社は所有の工場で製造しているプロテインを出荷した。 そこで、スタッフのミスが起き、少し前にデジタルワールドから輸入という形で取り寄せていたデジモン用プロテインが誤って出荷されてしまったのだ。 異変は、それから二週間後に会社へ噂話として届いた。 曰く、養成学校に夜な夜な赤い光が見えるという。 また、スラムの不良達が夜中の校舎に侵入し、その翌朝にズタボロになって放り出された事件があった。 …彼らの証言によれば。 「赤い光と乳首……それしか覚えていないとの事です」 「待て、全く意味がわからない」 シルフィーモンの戸惑いの言葉に社長もため息で返す。 「当養成学校とは連絡が取れずの状態に進退極まった我が社は、問題が発覚する前にプロテインの回収を急ぐことに決めた。それにはどうしても、我が社と関係性の希薄な人材が必要でした」 「…つまり、私達は駒ですか」 「いや、危険だろう事はわかっていますがマジで我が社にとって重大な問題なんです!」 シルフィーモンと顔を見合わせる美玖に焦りの声音で返す社長。 目標は当該のボディービルダー養成学校に潜入し、校内にまだ在庫があるだろうデジモン用プロテインと本来の出荷予定の商品だったプロテインをすり替えてくること。 制限期間は…三日間。 社長との面会が終わった後、一人と一体は情報収集に身を乗り出した。 相変わらず、ヒスパニック系の人々と言葉の疎通に苦労はするが、どうにかボディービルダー養成学校に関する情報を揃えて愕然とした。 まず一つ。 依頼主の会社が誤ってデジモン用プロテインを出荷してから一週間後に学校そのものの雰囲気が様変わりしたこと。 なにより深刻なのは生徒達が家に帰っている様子が確認できない。 二つ。 夜中になると校内に生徒らしき人影が大勢闊歩するようになり、赤い光が窓から漏れているのを何人もの目撃者がいること。 三つ。 校長や学校関係者は現在行方が知れず、噂によれば学生と同じく異変に見舞われたかどこかの病院に搬送されたとの話があがっていること。 ……そして。 「……俺は、俺は、見たんだ。見たんだよ!」 スラム地区にて捕まえた、養成学校に忍び込んだ事があるという男は震え声でそう始めに切り出した。 「アンタ達もあそこへ入るつもりなら覚悟した方が良い。もうアイツら人間じゃねえ。筋肉の塊をした"ナニか"だ。そいつらが『HELLO!』なんて笑いかけながら、俺のダチを子猫でもつまみ上げるかのように捕まえたのは今思い出しただけでも背筋が凍る」 ーー 「……ねえ、シルフィーモン」 「なんだ」 「デジモンのプロテインを私達人間が摂取した場合、どうなるの?」 「知らん。私だってそんな話は聞いたことがない」 「思うんだけどね……嫌な予感がする」 だが、受けた以上は自己責任。 それはあのメールが来る前のやりとりからすでに交わした話だ。 肩に背負った大容量リュックサックがより重く感じた。 この中には依頼主の会社製プロテインの缶が小分けで詰め込まれている。 一つのリュックサックにつき15個詰まれているのが三つ。 それを、美玖が一つ、シルフィーモンが二つ背負って行くことになる。 決行は、情報収集を行ったその日のうちに行うことになった。 ーーーー そのボディービルダー養成学校は、ロサンゼルスより西の都市ビバリーヒルズにある。 多くの映画やドラマの舞台としても有名な、青空のよく似合う瀟洒な街並み。 だがこの日の夜になって、ロサンゼルス周辺では珍しい悪天候が迫っていた。 「……なんでこんな天気に」 窓から激しい雷雨を眺め、美玖の顔から血の気が引く。 鍵がかかっていなかったのでエントランスからの侵入は容易だったが、校内には電気一つ点いていない。 だが静けさに満ちた空気に反して人の気配は確かにあった。 ドス……ドス…… ドスドスドス… およそ、人間がたてるとは思えない足音が、リノリウムの床を伝って一人と一体の耳に届く。 シルフィーモンは目ざとく、エントランスを抜けたすぐ先の廊下に置かれた缶を見つけた。 「あったぞ」 「もう?」 「ああ…写真で確認した通りだ。同じもので間違いない」 ラベルに書かれた、恐竜と薬のカプセルをドットデザインで描いたようなデザイン。 これが、デジモン用プロテインだ。 「これを回収して…」 リュックサックから取り出した缶とすり替えておく。 なぜ廊下に…と疑問には思うが、この後で見つけた場所の数々を思えば些事に過ぎなかった。 手近のロッカールームでもデジモン用のプロテインを見つけ、すり替えていく。 中身が減った使用済みも残さず回収するなか、美玖は開いたロッカーの中に一枚のメモを見つけた。 それは過去にこの養成学校に侵入した誰かが残したもので、筆跡も乱れ読みにくかったがこう書かれている。 『気をつけろ。奴等はプロテインの匂いに敏感だ』 ーードスン。 突如、赤い光がロッカールームの中に差し込んだ。 思わず振り向くと、2m近い人影が入り口の前に立っている。 そいつを注意深く見て、美玖は思わず声を漏らした。 (ひっ…!?) ひと言でその男を表すならば、筋肉モリモリマッチョマンの変態。 ブーメランパンツ以外のモノを身に帯びておらず、バンプアップされた筋骨隆々の肉体を妙なテカりが覆っている。 極めつけはその見事な大胸筋についた二つの乳首だ。 まるでパトランプのように煌々と輝くそこは、赤い光を前方に向けてサーチライトめいて照らしている。 「HELLO?」 その男が声をかける。 中に気配を察知したのだろう。 シルフィーモンが美玖に目配せし、別の出入り口へ目をやる。 ロッカーそのものを遮蔽物にそちらを目指す。 が、ロッカールームを出たところで美玖の足先に何かが引っかかった。 「っあ…!」 足先にかかった重い感触に美玖がよろけた瞬間。 ドスンドスンドスンドスンドスン!!! 背後から赤い光と凄まじい足音が迫る。 両乳首を誇示するようなポージングで迫る男。 だが、その前にシルフィーモンが立ちはだかった。 その脚が上がり、男の腹部に突き刺さる。 「OH…!」 蹴り飛ばされ、男はロッカーを背に叩きつけられながら倒れ込んだ。 「思ったほど強くなかったのが幸いだな。…立てるか、美玖?」 「う、うん。でも一体何につまづいて…」 つまづいたモノにライトを向ければダンベルが無造作に転がっていた。 それも、よくよく廊下を見れば多くて二、三個ほど転がっている。 「なんでダンベルがこんな…」 「ロクに片づけられていないな。普通に迷惑だーー」 ドスンドスンドスンドスンドスン!!! 先程の音を聞きつけたか、複数人の足音が迫ってきた。 シルフィーモンがやや後方に視線をやれば、赤いライトが乱れてロッカーの後ろから照らしてくる。 「美玖、走るぞ」 「わっ」 軽く美玖を彼女のリュックサックごと脇に担ぐと、脚に力を込めての低空滑空。 跳躍とほぼ同時にロッカールームから三人ほどの筋骨隆々な男達が押し寄せてきた。 ……乳首を真っ赤に光らせながら爆速で迫ってくるほぼ裸のマッチョマン。 悪夢の如き光景である。 跳躍した先の廊下の壁を蹴り、曲がった先へ飛ぶシルフィーモン。 だが、前方からも赤い光が差す。 「美玖!」 「ぱ、麻痺光線銃(パラライザー)コマンド起動!」 慌ててデバイスを向け、前方から迫ってきていたボディービルダーの脇をすり抜けた。 仲間(?)に阻まれている間に、廊下を抜けた先の男子トイレに駆け込む。 一番奥の個室に飛び込み、擬装(クローク)コマンドで姿を消すようシルフィーモンは言った。 「本当に大丈夫なの!?」 「いいから!…静かにしてろよ」 ドスン…ドスン、ドスン… ゆっくりとした足取りと共に一人入ってくる気配。 赤い光がトイレを照らし、それによってなぜか流しにあるプロテインの缶を視認することができた。 コマンドを起動し、息を殺す。 しばらく見守っていると、トイレの入り口から足音が遠ざかっていった。 「……ふう」 「それはともかく、プロテインを回収だ。…なんでトイレにあるんだか」 「…知らない…」 涙目になる美玖をよそに、シルフィーモンは流しに置かれたプロテインを手に取り、リュックサックのプロテインと取り替えた。 男達に見つからないようにトイレを出た後、いくつもの部屋をハシゴしてデジモン用プロテインを回収、取り替えていく。 パソコン室や職員室と思しき部屋では至る所にプロテイン用のシェイカーが置かれているのはボディービルダー養成学校では普通の光景なのか美玖には窺い知れない。 「しかし、君達人間のプロテインにあそこまでの効力はあるのか?」 「それはないです!確かにアスリートやボディービルダーの方々はかなりの量を消費するとは聞いてるけれども…乳首が光ったりはしない…」 「なら、我々デジモンのプロテインを摂取してああなったのか…それにしても、文字通りの悪夢というべきだな、あれ」 足音に耳を傾けながらため息をつく。 途中、気づかれて迫られても、シルフィーモンのインターラプトを受けてノックアウトされたボディービルダー達が増えるだけだったが何人この学校を徘徊しているのかわかりもしない。 …それにしても。 (今日の間に収集できた情報の中で、学校関係者の行方が知れないって話があったわよね。…校長や顧問の関係者は一体どこに?) ーーーー 「HELLO,HAHAHA!!」 「いい加減しつこい!」 シルフィーモンの肘が一人の鳩尾に食い込み、体勢が崩れた所に回し蹴りを叩き込む。 その後ろから迫ってくる浅黒い肌のマッチョ。 羽交締めしようとしたその腕を逆さ手に掴み、素早く背負い投げで床に叩きつける。 美玖はシルフィーモンが引き付けている間に彼から預かった分のリュックサックからプロテインを取り替えていた。 リュックサックの中身はすでに美玖が最初に背負っていたものとシルフィーモンが担いでいたものの殆どはデジモン用プロテインに替わっている。 他のプロテインもある中探すに苦労こそしたが、マッチョメン達を撃退しながら校内を探索していった。 長かった。 (もうこの部屋で最後のはず…!) 今、一人と一体が駆け込んでいるのは校長室。 ボディービルダー大会のトロフィーや賞状が輝かしく飾られた部屋の中にさえ、プロテインはあった。 開きっぱなしの校長の机の引き出し、そこに入っていたデジモン用プロテインの缶を掴みリュックサックの中に突っ込もうとした。 ーーその時である。 「AHAHAHAHAHA!!」 「!?」 轟音と共に何もない壁が爆裂し、そこから現れた腕が美玖を引っ掴んだ。 他のマッチョと違い、歳のいった男でスーツを身に纏っている。 ……ただし、なぜか乳首のある部位だけは破れてパトランプめいた乳首が露出していたが。 「まさか…!」 他のマッチョと明らかに違う格好。 ある事実に気づいた美玖を、その襟首を持ち上げて不気味な程快活な笑みを浮かべた男はひと言。 「You LOSE……!」 「美玖!!」 マッチョの森を掻い潜って飛んできたシルフィーモンが、その男…校長に向けてソバットを叩き込んだ。 よろけた所で、あご下を上へ突き上げるように殴打。 一度では踏みとどまられたので三度の殴打でようやく吹き飛ばした。 投げ出された美玖をシルフィーモンが抱え上げる。 「急ぐぞ!!」 ーーー そこから先を美玖はあまり覚えていない。 なにせ、シルフィーモンに抱えられて振り返った後ろから迫る、真っ赤な乳首のサーチライトを突きつけるかのようなマッチョの大行進しか。 依頼主の会社へとんで戻り、デジモン用プロテインの詰まったリュックサックを突きつけた後は急ぎインターネットへ帰ってきた。 口座に報酬金は無事振り込まれたものの。 …その後、あのボディービルダー養成学校がどうなったか、あの迫り来るマッチョもとい生徒や校長は元に戻ったのか。 考えたくはなかった。 ……………… 「あれ以来、美玖はしばらくボディービルダーとか筋肉が軽度のトラウマになってしまってな。プロテインを見ただけもあの時の事を思い出してしまうんだ」 「……思った以上にとんでもない案件だったのね」 ミオナは引き攣った笑いを浮かべた。 うどんが来たが、食べるのに時間をかけているためのびてしまっている。 「てか、バレずに帰ってこれたのはいいけど、……美玖ってホントに元警察?」 「そう思われても仕方ないって思ったけど…もう私は、自分が警察だったなんて思い出したくなかったの。いちから探偵をやるんなら、そこに過去の私は持っていきたくなかった…」 「まあ、ともかく、あれに関しては私もよくまあ無事に帰って来れたと思う。…デジモン用のプロテインは、効果こそあるがデメリットも大きいしな」 デジモン用プロテインは能力の上書きを行うサプリメントだが、誤作動により能力を大きく損なう危険性も高い。 それゆえ、質の良いトレーニングを積むデジモンならばプロテインを使用することはほとんどないだろう。 「デジモンのものを人間が使えばロクな事にならない、か。いい勉強……ナノカナー?」 「逆も当然あっただろうな、それを思い知らされる一夜だった」 もうプロテインはこりごりだ。 そう話す美玖の表情は、疲れて見えた。
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みなみ
2023年12月25日
In デジモン創作サロン
人間もデジモンも等しくメリークリスマス! 「私がトナカイ!?」
こち五十メリークリスマス content media
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みなみ
2023年11月29日
In デジモン創作サロン
第一話:初めての電子的なふれあい その日、俺は上司にミスを指摘され、こっぴどく怒られ、沈み込んだ気分での帰りだった。 「……はぁあ……」 人気のない夜の道を、重い足を引きずるようにとぼとぼと歩く。 もっと気をつけていれば、気づけていたミス。 こうしていれば、ああしていれば。 沈み込んだメンタルは思考に悪循環をもたらし、ぐるぐるぐるぐると巡っている。 こういう時気づけば元気の前借りに手が伸びてしまうけれど、今はそんな余裕もなく。 「随分お疲れのようですね」 横から現れた若い女性に呼び止められたと気づくのにも時間がかかった。 あ、かなり可愛い子…。 「もしよろしければ、こちらでひと息休んでいかれますか?今の時刻でしたら半額でご利用頂けますよ」 指差す方を半ば無気力に見やれば、看板を構えたカフェのような店。 今は夜中の21時だが、営業中のようだ。 店名は、『Digital Life On Touch』。 中を覗くと、二人の女性がそれぞれ個別のドアへ入っていくのが見えた。 「えっと…ここは…」 「こちらは電脳生物と触れ合うカフェとなっております。お客様には専用のVR空間で様々な電脳生物との触れ合い体験をさせていただいているんですよ!」 いわゆる、猫カフェなどの体裁を持ったVR体験らしい。 電脳生物、というのはよくわからないが、アニマルセラピー等の効果が覿面と証明されているとかなんとかまくしたてられる。 「お客様、かなりお疲れのようですので、こちらで触れ合いを行い癒されてはいかがでしょう?」 「は、はあ……」 この分だと終電を逃しているだろうし、仕方ない。 俺は、このカフェで一泊することを決めた。 「まずは、時間とオプションを選んでいただきます。お客様は今回が初めてですので、こちらの『幼年期コース』がオススメですよ」 受付の女性から手渡されたバインダーを見ると、色々と書き込む項目がある。 年齢、性別、生年月日と基本的なものの他に、アレルギーや持病の有無についての質問まであった。 俺は特にこれといった問題は抱えていないため、基本的な情報だけを書き込んで、朝までの利用を選択した紙を渡す。 コースについては…幼年期の他に、『成長期』『成熟期』『完全体』『究極体』というわけの分からないものがあったがパスだ。 「それでは、お部屋に案内します。お食事等の注文がございましたら壁のブザーを押していただければお伺いしますので」 「あ、ありがとう」 …通されて入った部屋は、一見寂れた子ども向けのプレイルームのようだった。 こんな所で生物と触れ合うのか? そんな疑問を持った俺に、女性の店員がヘルメットのような物を渡した。 「それでは、こちらのVRヘルメットを装着して下さい。また、もし電脳生物に異常異変が見られましたらブザーでご連絡くださいね。すぐに対応いたしますので」 女性店員が退室し、俺は恐る恐るヘルメットを頭に着けた。 頭の中でキュイーンと響くような音がしたと思うと、視界に何かが入り込んできた。 「お、おおお……?!」 まるで異世界に放り込まれた気分だ。 目の前に、何匹もの妙な生き物が跳ね回っている。 足のないものが多いが、そういう生き物の多くはある生物より小さく、より子どものようだ。 まあ……可愛らしい、のかな? 「わあ、にんげんだ!」 「にんげんだ!」 「あそぼ!ねえ、あそぼっ!」 俺をひと目見るや、子犬のように人懐っこく集まってきた。 うっ、精神的な疲労状態の身に無垢な目が痛いけど、可愛く思えて…。 小さい犬のようなものが俺にすりついてくる。 毛並みも子犬みたいに柔らかくて気持ちいい手触りだ。 名前が表示されていて、今俺にすりついているのは『バウモン』というらしい。 「あそぼ、あそぼ!」 ポンポンとプレイルームにあるボールにじゃれつくように、俺にどんどんとじゃれついてくる姿に少しやる気になってきた。 「よーし、ボール遊びだな?それっ」 「わーっ!!」 心なしか軽く感じた足でボールを控えめに蹴り飛ばすと、みんながそこに集まる。 小さいので蹴り飛ばしそうになるのはかわいそうだから、すり足になって歩いた。 投げたボールにサッカーをやるように集まって、ぽんぽんと弾いてこっちに来る。 ボールが俺の足元に転がると、不思議な生き物達は距離を取って跳ねた。 「いまの、もっかいやって!」 「やってやって」 ぴょこぴょこ跳ねながら催促する彼らに、ボールをもう一度軽く蹴飛ばすとまたボールの方へとみんなとんでいく。 …それを眺めているのはとても不思議な気分だった。 それにしても。 (VRって、ただ立体的なモノが見えるだけかと思ってたんだがこんなに本物のように再現されるものなのか?) 視覚的なものだけだと思っていたけど。 匂いが、手触りが、身体に乗ってくる彼らの生き物そのものの重みや温かみが、仮想世界と呼ぶにはあまりにもダイレクトに俺の全身に伝わってくる。 「わふっ、わふ」 不思議に思う俺の傍らに、先程からずっとすり寄ってるバウモンというやつ。 こいつを撫でてると、ガキの頃うちで飼っていた犬を思い出した。 「お前はボール遊び、しないのか?」 「ばうっ」 なぜかボール遊びに混ざらないのを見た俺は声をかけてみる。 バウモンは、俺に呼ばれても未だボールには目もくれず、俺に尻尾を振る。 それを見て俺は手を伸ばし、くしゃくしゃっと毛並みをけば立たせるように掻いた。 「こいつぅ、俺と直接遊んで欲しいんだな?」 「ばうっばうっ」 「あーっ、ずるーい!」 「ボクもボクもー!」 いつのまにかボールに飽きたちび生物達が俺を取り囲む。 子どもにもここまで懐かれたことがないのに。 俺は思わず吹き出し、バウモンだけでなく彼らにも触れてみる。 ぷにぷにしたやつ、ガキの頃遊んだことのあるスライムのようなやつ、ふわふわしたやつ。 色んな手触りを楽しんでいると、あまりにも嗅ぎ慣れた異臭が鼻をついた。 「…な、」 それはぶっちゃければウンコの臭い。 まさかVR体験してウンコの臭いを嗅ぐことになるとは思わず、俺は慌てて発生源を探す。 出処は、コロモンとかいうピンク色の生物。 モジモジとしながら、後ろにこんもりとトグロを巻いたピンクのそれを隠していた。 「ご、ごめん、ボク…」 「ちょ、ちょっと待て!?」 近づいて見れば、それは紛れもなくウンコだった。 したばかりか、温かく湯気の立った……そしてコロモンの半分くらいのデカさ。 一体どこからこれだけのモノをひり出したのかはともかく。 ビーっ!! 俺は咄嗟に壁のブザーを押していた。 応答はすぐに返ってきた。 『どうされましたか?』 「すまない、生き物の一匹がウンコしたんだがこれはどうすりゃ良い?」 『ウンチをしたんですね、少々お待ちください』 おそらく片付けに来るということなのだろう。 だがどうやって? 仮想世界だから、と思ってはいたが、俺はこの時点でヘルメットを脱いでいない。 しばらくして、壁の向こうからウィーンという機械のような音が聞こえたと思うと。 からくり屋敷のように横へスライドし、鉄砲水が……水!? 「う、うわっ!?」 水が部屋をあっという間に押し流す。 俺は身体に思いきり水を浴びて後ろにぶっ倒れ、生き物達は…… 「わー!」 「流される〜!」 心なしか、楽しそうに水に流されていた。 いいのか、それで。 ウンコは、その流れに呑まれて、初めに開いた壁とは別に開かれた壁の向こうへ流されていく。 水が止まると、俺は起き上がった。 不思議な事に、確かに水をかぶった感覚はあったのにスーツは全く濡れていない。 (…本物の水をかぶったように感じたのに…ま、クリーニングに出さなきゃならなくて済んだからいいか) 夜遅くだったので軽食だがサンドイッチを注文。 すると、女性店員が皿を持って入ってきた。 上に載ってるのは…何本もの骨付き肉? 「皆、エサの時間よ!」 「わーい!」 「ごはんごはん!!」 生き物達が店員の周りに集まる。 店員が骨付き肉をあげると、美味しそうに頬張りだした。 「もし良ければ、エサやりの体験はいかがですか?」 骨付き肉は、マンガやアニメでよく見るようなやつだ。 それに生き物達がかぶりついて、骨まで平らげてしまうのは見ていて驚きだが店員さんは慣れた様子で俺に骨付き肉のやり方を指導した。 ……… 気づいた時には、もう朝だった。 眠ってしまって大丈夫なのかと思ったが、まぶたが降りる直前に何処からともなく枕が頭の下に滑り込んできたのを覚えている。 そうして目を覚ませば、ヘルメットは取り外され、男の店員がすぐそばにいた。 「お客様、おはようございます。よく眠れましたか?」 「は……はい」 「すでにご利用時間を過ぎておりますので、お忘れ物がないか確認の後に受付までどうぞ」 なんとも不思議な心地だった。 それでも、部屋には、生き物がいたような空気感、それと……かすかに、ウンコの臭いが漂う。 なんだか夢を見ていたように感じながら、俺は2000円の料金を払い、その店を後にした。 その日のうちに、俺の元へ二人の男女が話しかけてきた。 見知った顔だ。 「先輩、もしかしてですが…」 二人は最近社内恋愛で付き合っている仲で、俺とは違う部署を取り持っている。 たまに仕事でやりとりをするくらいで、個人としての接点はなかったのだが……。 「先輩、昨日もしかしてあそこへ入りました?」 「あそこ?」 何のことかわからず首を傾げる。 「電脳生物と触れ合うVRカフェですよ。朝に先輩が出てくるところを見てたので」 「…ああ!あそこ?」 聞くと、二人は少し前からあの店の常連であり、気づけばそれが縁で交際を始めていたそうだ。 「先輩、また次に利用することがあれば聞いてください。近々、海の電脳生物を扱う特別コースが期間限定で利用できるんです」 「海?」 「普段幼年期コースや成長期コースにはいない電脳生物、それと…常連でないと利用できない成熟期以降のコースからの電脳生物と触れ合える滅多にない機会でもあるんです」 海からの電脳生物。 俺は少しクラクラしながら、しかし過ごした時間が快かったことを思い出す。 「わかった、また、あそこに行きたいと思ってるよ」 「でしたら、僕に連絡を。せっかくですし、RINEの交換をしましょうか」 …こうして、俺は、二人の後輩とRINE交換をし、二人とまたあのカフェへ行くことになる。 今度は…何が、待ってるんだろう?
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みなみ
2023年11月21日
In デジモン創作サロン
目次(https://www.digimonsalon.com/top/dezimonchuang-zuo-saron/mu-ci-kotira-wu-shi-lan-dian-noy-tan-zhen-suo?origin=member_posts_page) ーーデジモンに関われる仕事がしたい。 小学生の時、私はそんな事を口にした。 『将来の夢』についての発表。 自分にとって、これが大事だとそう口にしただけだった。 けれど。 その頃、まだデジモンが人間の世界に暮らす事に抵抗を覚える人が多かった頃。 私は変わり者扱いされ、爪弾きにされた。 友達だった子も離れていって、気づけば一人でいる時間が多くなった。 それでも、中学に進めば、また新しい友達はできたのだけど。 変わり者と思われるのは相変わらずで、それでも。 (デジモンと人間は仲良くできないだろうか?) そんなことをずっと、思っていた。 たとえ誰かに嘲笑われたとしても。 こちら、五十嵐電脳探偵所 #21 なにかが違ったタイタニック (*今回、1997年公開の映画『タイタニック』のネタバレが含まれます。ご注意下さい) 「わーい、おちばー!!」 秋の気配が近づき、木の葉も色付いてきた景色。 広々とした公園の中を歩くは、美玖、シルフィーモン、ミオナ、ラブラモンの二人と二体だった。 「もう衣替えの季節かあ…冬になっちゃったら色々とキツイなあ」 そんな事を言いながらミオナがため息をつく。 冬になれば空気も乾燥するからだ。 乾燥を弱点とするホムンクルスには何かと厳しい季節といえる。 そんな彼女を気にもせず、ラブラモンは先行き落ち葉を踏んで楽しんでいた。 「そうね…私も寒いのは少し苦手だし、今の方が過ごしやすいから秋が好きなのよね」 「美玖、冬が苦手なんだね。少し意外かも」 「一年通して過ごしても、そうは思ってたから…シルフィーモンは?」 「私か?…春かな。逆に夏は駄目だ」 どうしても、暑さが羽根にキツい、とはシルフィーモンの弁だ。 砂漠の巨鷲という別名を持つアクィラモンとのジョグレス体として知られるデジモンには意外である。 「正直この国の空気が良くない。どうも合わないんだ。まだアラブとかあちらの方が肌に合う」 「全然気候違うじゃん!?」 (というか、アラブ行ってたんだ…) そんな事を思った美玖だったが、ふと、視線を感じて振り返った。 公園のベンチに座った一人の男。 歳は40才程で短くも豊かな黒い髭を蓄えて、黒のサングラスをかけている。 その目が向けられた先にいたのは、どうやらシルフィーモンらしい。 (あの組織の?……ううん、違う、わよね) 顔つきや雰囲気は日本人のものだ。 そっと、シルフィーモンの腕に触れて引いた。 「どうした?」 「あの人…」 「えっ?」 「あそこの、ベンチに座ってる人だけど…」 シルフィーモンがそこで男に気づくと、先に動いたのは男の方。 視線に気づかれた事にベンチを立つと、そのままこちらへやってきた。 ラブラモンが足を止めて身構える。 「すまない、私を見ていたとのことだが、何の用だ?」 美玖とミオナを後ろ手に回して尋ねるシルフィーモン。 男は申し訳なさげに頭を掻いた。 「いやあ、すみません。ワタクシは春陽劇団の主催者をしている中嶋英夫と申します。実は、あるプロジェクトのために必要な、デジモンを探しておりまして」 「プロジェクト?」 「ひとまず、お時間が良ければ私達の職場で詳しい話を聞かせていただけませんか?」 「ええ、構いませんよ」 ーーーー 探偵所のオフィスに通された中嶋は、探偵所のメンバー構成やスタンスを聞くや目を輝かせていた。 彼はどうやら今まで人間とデジモンが協力する場というものを、選ばれし子どものような例を除き目にしたことがなかったらしい。 「なるほど、こういう探偵所があったとは…いやはや、普段と違う場所に行ってみるものですな」 「それでは、改めてプロジェクトというものについて詳しく聞かせていただきませんか」 中嶋の話によれば、人間世界に暮らすデジモン達に少しでも人間との認識の"ズレ"を減らそうという試みがあるという。 それは、例えば能力の違いからよるもの、危機管理能力の違いからよるもの。 そういったものを、演目を通じて矯正を試みようというわけだ。 そのプロジェクトの一環として、デジモンにも演目を観て貰ったり、演者としての参加の勧誘を積極的に行ってきた。 しかし……。 「観客としてならともかく、問題は演者探しでしてね…なにせ、人型デジモンは多いのですがこれ!というデジモンが中々いないのですよ」 「それはどういう?」 「ほとんどのデジモンって何かしらの装備を持っていますし、中でも一番困るのは……武器、なんですよね」 「でもそれだけじゃ演者としての条件に当てはまらないのかって言われても…」 「もちろんそれだけではないんですよ。……サイズも重要でして。なるべくなら人型デジモンが良いんですがデカいのが」 「サイズ?………ああー……」 人型デジモンでも2mを優に超える個体は少なくない。 それを考えれば、シルフィーモンはギリ及第点というところなのだろう。 「…そのプロジェクトの件はひとまず理解しましたが、一体なんの演目かお聞かせ願えますか?」 「ずばり、タイタニックです」 「…ええっ!?」 ーー1912年、4月14日、夜11時40分。 北大西洋上のニューファウンドランド沖で一隻の大型客船が、氷山に衝突。 約2時間40分後に、乗客船員問わぬ約1500から1600名もの人々と共に海に呑まれた。 …その船の名はタイタニック号。 20世紀最大の海難事故として歴史に名を残すとも知らなかった、"不沈"の銘を与えられた船だった。 当時最先端の更に先を行く技術に加えて、数々の豪華な施設やデザインが惜しみなくこの船に積まれていたという。 しかし、不沈というこの名も、数々の当時の安全性への認識や思い違いからのものであり、これまた今からは到底考えられないようなミスや些細な問題の積み重ねの結果からは免れなかった。 しかしながら、読者諸君におかれては、本作と今回の話の趣旨としてここで一気には語らず少しずつ語っていくものとしよう。 「……情報屋からの連絡だが、春陽劇団はちゃんと存在する中小劇団のようだ」 中嶋とのやりとりから数日後、C地区から帰ってきたシルフィーモンが持ち帰ってきたのはそんな話。 「じゃあ、詐欺とかそういうのはないのね?」 「実績も残っている。過去にデジモンに向けてのミュージカルなんかも何作か行っているそうだ。…ただ、デジモンはともかく人間の客からの評判は…かなりブレがあるらしい」 「ブレ?」 早い話、原作ありきのミュージカルをやらせると原作崩壊が起きやすい傾向にあるという。 プロジェクトの為だけに動いている劇団であり、あくまでデジモンに向けた演劇を行っているためかは不明だが演劇指導中デジモンの演者に向けてアドリブを任せるのが常だという。 当然、そうなった場合のトラブルやアクシデントも相まって悪い意味でも有名のようだ。 「……どうする?」 美玖が尋ねる。 その視線を受け取り、シルフィーモンは首を横に振った。 「以前のシュートモンの時と同じことになりそうだな……とはいえ、今回は戦闘沙汰になりそうにもないから私としては強く断る理由はない」 「いや、断ろうよ…」 ミオナがツッコむ。 今回の件、シルフィーモンは中嶋から頼まれたのである。 春陽劇団が出す演目、かのあまりにも有名な超大作のミュージカルの主役にだ。 だが、シルフィーモンだけではない。 問題は、美玖がその主役と恋に落ちるヒロイン役にとその場で頼まれたのである。 「なんで美玖も断らなかったのさ!?だってやりたくないんでしょ?」 「そ、そうだけど……」 実際、この超大作の二人は美男美女であり、そしてその片割れたるヒロイン・ローズ役にと選ばれた美玖は恐縮の限りとなっていた。 にも関わらず、断れなかったのはなぜか。 「…う、うーん…シルフィーモンがやるっていうなら…かな?」 「どういう意味よ?」 ジト目で美玖を睨みながらため息するミオナ。 美玖としては、自分がヒロイン役を演るなどとは思ってもみなかったことで。 "地味な"自分が大役を演るなど恐れ多いとは今も思っている。 そう、話を持ちかけられた時断ったのだが中嶋からは 「本来の演者でした女性が事故に遭って全治五ヶ月の怪我を負いましてね。役を降りざるを得なくなりまして…どうしてもお願いしたい」 などと押し切られた。 (もしかして美玖……詐欺とかそういうの遭いやすいタイプじゃ?) そうミオナが思っても致し方ないことである。 断るにせよ、所長である美玖が決めたのならとはシルフィーモンの弁だ。 ミオナはラブラモンと顔を見合わせ、もう何度目かもわからないため息をまたついた。 ………誰かに好意を寄せた事もなかったし、自分にそんな資格もなかった。 爪弾きにされてきたために。 なのに。 『お前、優斗さんにチョコレート持ってくんなよ?デジモン狂い女』 『あんたが寄るとバカが移るのよ。ほんと近寄ってほしくないわ』 『持ってきたら即、ゴミ箱行きな』 そんな事を言って立ち去る女の子達の後ろ姿をただ見ているだけしかなかった。 多分、私を見かねた宮子とのやりとりが聞こえてたのだろう。 私には、そんな気はなかったのに。 バレンタインデー前日の、放課後の夕暮れで私の独り言だけが教室に響いて。 『…なんで皆、そんなにデジモンや彼らのために頑張ろうって人達を嫌うのよ。…なんで…』 ーー結局、私がチョコレートを学校へ持っていくことはなかった。 ……けれど。 この後で私は、友達を守るために自分の人間としての尊厳を投げ打つことになるとは思ってなかった。 ……それを取り戻すために、ほとぼりの冷めないうちから必死に、勉強もしたけど。 ……全ては、デジモンの近くで彼らの為に何かをしたいという、その望みだった。 だから、きっと、この時も……。 「うわあ……これ、セット、なんですよね。本当にこの上に?」 隣の県の公民館。 そこで初めて見るものを見上げ、美玖は気抜けした声をあげていた。 それは、タイタニック号の船首のセット。 さすがに現物大ではないが、それでも下から見上げた時の迫力は中々のものだと美玖は思っている。 ーータイタニック号は全長269.0m、全高53m。 新大陸に夢を望んだ当時の人々は、どんな想いでこの巨船を見上げたのだろうか。 「本物はこれ以上に大っきいのよね…」 そんなことを呟いていると、シルフィーモンの呼ぶ声。 結局、シルフィーモンと美玖は共にタイタニックの寸劇に参加する羽目となりその打ち合わせを頻繁に行うこととなった。 公演は一人と一体が来た公民館のステージで行われることが決まっており、すでに演者もその顔を見せに来ている。 うち数人は、俳優を目指していたり、現役だが知名度の低い顔ぶれがほとんどだ。 「やあ、あなたが、この劇に参加してくれると聞くデジモンですか。初めまして!」 言いながらシルフィーモンに握手を差し伸べてきたのは、ヒロイン・ローズの婚約者を演じるライル・カートレット。 日本に住んで10年目となるアメリカ人で、日本語も堪能、普段はエキストラとしての参加が多いそうだ。 「こちらこそ」 シルフィーモンがその握手を受けると、ライルはうなずき握り返した。 彼が演じることになるローズの婚約者・キャルドンは高慢で私利私欲なタイプだがそれを感じさせない好漢さである。 「で……」 シルフィーモンと美玖の目線が集中する。 演者の中で明らかに浮いた顔がそこにいた。 「なんでお前がいるんだ、ホーリーエンジェモン」 「ははは、なぜというのは心外だな。いや、シスターに尻を蹴られてここにいるだけなのだがな。慈善活動、というやつだよ」 言いながらホーリーエンジェモンが苦笑いを浮かべた。 身に纏ったカソックコートが様になっている。 「お知り合いでしたか」 「ええ、まあ」 ライルの言葉に曖昧な答えで返す。 「で、何の役なんだ?」 「カソックコートということは…聖書を読むシーンですよね。映画で観ました」 「そう……新約聖書のヨハネ黙示録第21章!それを甲板の上で読み上げる役ですよ、美玖さん」 史実にて多くの人々により目撃されたとされる、印象的な場面か。 見ればホーリーエンジェモンの手には確かに聖書がある。 傾いてゆく甲板の上、乗客達の前で聖書を読み上げた神父もまた船と運命を共にした一人だ。 だが、それを聞いたシルフィーモンは一言。 「どうあってもこいつは船と一緒に沈みそうにないだろ」 「中々の塩対応だね、面白い」 「…そうでしょうか」 確かに、飛ぶための翼を持つ天使型が沈みそうにない。 だが、ホーリーエンジェモンが来たのは、ある意味では重畳だった。 「あれから二週間程だがどうかな?」 「今のところ、発作は起きていないです。まだ不安が拭えませんが…」 「チェックしておこう。ああ、着けたままで構いませんよ」 言いながら、彼の手が美玖の胸元で光る護符に触れる。 護符の仕組みは、美玖の体内に溜まる闇のエネルギーを吸い上げる事で発作を予防するものだ。 そのエネルギーは定期的に抜く必要があるとホーリーエンジェモンは事前に説明している。 「ふむ、二週間とはいえ結構蓄積していますね。今回は時間を共有する機会も多いですし進行度合いを見ておくとしよう」 ホーリーエンジェモンの護符に触れた手が光を放つと、禍々しい紫の煙が立ち昇った。 「ひとまず瘴気抜きはしておきました。これで様子は見ておきましょう」 「ありがとうございます」 「こちらも初めての試みですからね。問題が発生した時に備えておきたいので」 ーーーー さて、それからは練習だ。 台本の読み込み、監督からの厳しい指示、失敗のたびのリテイク。 演劇経験など皆無のシルフィーモンや美玖は苦戦させられる事となった。 実際には幾つかの場面ごとにセットを切り替える仕様だが、セットを必要とするシーンは数日ほどの仕込み以外はアドリブでやる方針とは中嶋の弁である。 「あ、あの、一つ聞きたいんですが…」 「どうしました?」 「次にやるシーンって、デッサンのシーンですよね?ローズがジャックに依頼して……」 映画の中でも冒頭で見つかったデッサンがこの過程で描かれる事を示すシーンだ。 サファイアめいた青いダイヤ、碧洋のハートを着けた若く美しい裸婦のデッサン…… 美玖の顔が羞恥で赤く染まっている。 「ま、まさか、脱ぐんですかっ!?」 「脱がなくて大丈夫ですよ。極めて肌色に近いベージュの薄物で対応しますので」 「よ、良かった……」 胸を撫でおろす美玖。 それにシルフィーモンが尋ねた。 「裸ではダメなのか?」 「色々とダメ!!」 「そうなのか…」 そうですね、と苦笑する中嶋。 「お子さんの観客も来るかもしれませんので、裸とかラブシーンは流石に演るわけにはいきませんから」 「うん……大人なシーンはね、変に影響与えると思うし」 「……意味はわからないが、ダメだというのは理解したよ」 そうシルフィーモンは肩をすくめた。 そうでなくとも、美玖としては平静として演れる自信はない。 ましてやシルフィーモンが相手となれば尚更だ。 (とてもじゃないけど……俳優さんは本当に凄いって思うな) いくら何度もシルフィーモンと交わっているとはいえ、呪いの発作によって理性が飛んだ状態の上だ。 記憶がなくなるのである。 正常な状態の意識で交わってない以上は、どうしても恥じらいが勝ってしまう。 (シルフィーモンは……多分、そこまで意識してないよね) そう思いながら、シルフィーモンを横目で窺った。 彼は特にこれといった変化を見せる様子もなく中嶋に演技について色々と尋ねている。 「どうしてもダメか?」 「ええ、さすがに女性の裸を晒すわけにはいきませんから」 「美玖の裸を見るなら私は一向に構わないよ」 「そういう問題では…」 「もっとも、好きな人間の裸を私以外の奴の前に晒すのだけは良くないがな」 瞬間湯沸かし、一瞬でゆでダコの如く顔真っ赤。 美玖の叫びが響いた。 「シルフィーモンー!!!!」 一方、ミオナ達は美玖とシルフィーモンが不在の間を任されている。 元々ミオナの探偵所での立ち位置は同居人程度のものだったのだが、やむおえぬと手伝うことになった。 「全くもう………あの二人、ホントに大丈夫なのかな」 「へんなひとたちなのはたしかだけど…さぎじゃなくてよかったね」 「そうだけどさ…なんか納得できないっていうか」 唇を尖らせながらミオナはメモを取る。 電話の受付で来た、浮気調査の相談予約だ。 「予約日は○月○日の14時と。ひとまず二人に知らせておけばいいのよね」 「あとでふせんにかいてれいぞうこにはっておくね」 「……随分、家庭的……」 美玖とシルフィーモンのスケジュールは、変動こそあるが大体午前8時から9時に春陽劇団の元へ行き19時に帰ってくる。 ミオナ達はこの間、美玖とシルフィーモンの代わりにデスクワークや電話による相談受付を請け負っていた。 「早く終わらないかなあ…」 そんな事をミオナはつぶやいた。 流しているテレビでは、大人気ドラマシリーズの数年前に放送された分のシーズンが再放送されている。 最近は経済や治安等で重いニュースばかり扱われているのが億劫になり、明るいテンポと魅力ある登場人物、緻密なストーリー構成で人を惹きつけるこのドラマを流すことが増えた。 ラブラモンはそんなミオナを手伝いながら、ため息をつく。 (こんな事をしている場合ではないんだがな……) アヌビモンとしての姿に戻るためにも、美玖の協力を得る必要がある。 しかし、それが叶うことが難しい現状は、アヌビモンとしても非常に招かれざることだ。 (メフィスモン(奴)の行方もわからずじまい。ロイヤルナイツの追跡がどこまで進んでいるかも不明。……これは、あいつの尻を蹴飛ばす必要があるかもしれないな) そう思いながらヴァルキリモンの方を睨む。 ーーー何をそんな怖い顔で睨んでるんだい? 「後で話があるから覚えていろよ」 ーーー藪から棒に怖いなあ。 ……………… 「へぇー!五十嵐さんって元は警察の人だったんだ」 「いかにも仕事真面目そうだもんね、中嶋さんの指導にもついてってるし」 「シルフィーモンさんは、初めは依頼人として来たんですね」 「……まあな」 控室にて。 ライルを含む劇団の人々が美玖とシルフィーモンにあれこれと話しかける。 中嶋同様彼らも、選ばれし子供でもないのにデジモンと共同して生活している美玖に興味を示しており、矢継ぎ早の質問が飛ぶ。 「なんか、私達が聞く事情と違うね」 「人間とデジモンが一緒に住んでるって、選ばれし子供を除いたら全然聞いた事ないな。大抵のデジモンは、人間への接触に消極的だし」 「警察がデジモンと協力しないっていうのは、五年前の事件がきっかけらしいんだけど……その辺、五十嵐さんの探偵所はどうなんだろう?」 「………」 五年前。 その言葉に目を逸らす美玖。 見かねてシルフィーモンが代わりに言った。 「私が見ていられなかったからな。初めは、彼女一人だけだった」 探偵所には彼女一人しかいなかった。 それなのに、たった一人で完全体デジモン相手にカチコミを入れようとさえした無謀さに放って置けなくて。 「で、気づけばそこそこの所帯さ。とはいえ現状集った働き手がデジモンばかりなんだが」 「それ、凄いですよ。デジモンばかりって状況なのも」 「うんうん」 彼らは知る由もないが、これら全てが美玖と結ばれた縁によるものだ。 ラブラモンもといアヌビモンも。 グルルモンも。 ヴァルキリモンも。 そしてシルフィーモン自身も。 気づけば美玖との縁が築かれて集っていたのだ。 「皆さーん、そろそろ時間です。お疲れ様でした!」 中嶋が入ってくる。 解散の時間だ。 解散しての帰り道、途中で立ち寄ったスーパーで足りない物や夕食に足せそうな一品を買いに寄る。 この時間となると買い物に来る人間もまばらで、値下げシールが貼られた商品が目立ちだす。 シルフィーモンと二人並んで買う物を見ると、視線がちらちらと向けられていることに気づいた。 (……やっぱり珍しいのかな) 買い物に寄ったスーパーは隣県にある。 デジモンの存在が目立った場所ではなく、それゆえか物珍しさから視線を向ける人が多いようだ。 「あ、このお刺身安いな」 「美玖、こっちはどうだ?」 「キャベツひと玉100円かあ。最近、野菜も値上げしてきてるし、悩むわね」 相談を交わしながら、一人と一体の意見一致で買うと決めた食材や備蓄品をカゴに入れていく。 ーー劇も二日後に始まる。 台本の読み込みや演技はライル達経験者の手伝いやアドバイスもあって形にはなったが、ちゃんとできるかどうか。 美玖は不安を覚えながら、肌寒い風の中、シルフィーモンの背中にしがみついた。 ーーーあっという間に、二日は過ぎた。 開演当日。 朝早く公民館へ向かうと、タイタニック号の場面ごとの部位のセッティングや機具のメンテナンスが行われていた。 開演時間は朝10時。 ミオナ達が来たのは、その20分前となる。 「今、美玖達は中で最後の練習かしら?」 つぶやきながら席につく。 集客はこれまたまばらで、地元の人らしき顔ぶれの他は数体のデジモン達が座っている。 成長期が2、3体、成熟期が4体ほど。 「いちおう、きてることはきてるんだね」 そうラブラモンが言った時。 「すみません、こちらの席は空いていますか?」 「あ、はい」 女性に声をかけられ、振り返る。 そこにいた顔を見て、ラブラモンが訝しげな表情を浮かべた。 「……なにをしにきたの、けいさつちょうちょうかん」 「えっ?」 「久しぶりですね、アヌビモン。今日は春陽劇団の視察に来たのですよ」 言いながら三澤警察庁長官が席に腰掛けた。 ミオナは目を丸くする。 「ラブラモン、この人、知り合いなの?」 「せんせいのしってるひと」 「あなたは…見ない顔ですね。最近探偵所に来た方かしら?」 三澤警察庁長官はミオナの方を向いた。 「私は三澤恵子といいます」 「み、ミオナです」 「ミオナ……あら、五十嵐さんからあなたのお名前は伺っていました。よろしくお願いしますね」 上品ではあるが、厳格な佇まいも感じる。 ミオナは気後れして挨拶以上の返しを躊躇うことになった。 ーー 「美玖、台本の方は大丈夫か?」 「ギリギリだけど、間に合いそう」 「なら良いが、…肝心の一部のシーンはぶっつけ本番なんだよな」 「うん、そこはちょっと心配かな…」 映画を観たことのある美玖には知っているシーンばかりだが、問題はシルフィーモンだ。 実は中嶋から、事前に原作たる映画視聴をさせないよう指示された背景がある。 それを、ぶっつけ本番でやらねばならないとは。 (どう考えても原作崩壊の要因ってこれじゃ) 嫌な予感が早くも沸々としたがもう時間だ。 アドリブでどうにかやっていくしかない。 幸い、シルフィーモンが演じるジャックは超能力者でもヒーローでもない、ごく普通の画家を志した青年だ。 シルフィーモンがデジモンとしての能力を発揮しかねない事はないはず…である。 (でも、ちょっと心配) そう思っていると、聞き覚えのある音楽が流れてきた。 ーー物語はまず、タイタニック号の遺品を求めていたトレジャーハンター達の前で、一人の老女…ローズが若かりし思い出を語るところから始まる。 タイタニック号のセットが登場し、ググッと観客席に迫ると少しばかり客の驚いた声があがった。 成長期デジモン達が息を飲んで見上げる。 まずは若かりし頃のローズが母親と共に船に乗る。 続いて、ポーカーの勝負でタイタニック号への乗船チケットを勝ち取ったジャックとその友人が乗り込む。 運命の衝突事故が起きる4日前、史実によればタイタニック号はイギリス南部の都市サウサンプトンの港から出航した。 多くの乗客と郵便物、動物達を積み込んで、タイタニック号はニューヨークに向かうことになる。 劇の合間合間に、マイク音声によるナレーションが入る。 劇の邪魔にならないタイミングで、タイタニック号の基本的な知識を、簡潔に観客へ伝えた。 シルフィーモンも美玖も、演技にミスはなく、滞りなく進んでいた。 正直なところ美玖は戦々恐々としていたが、中嶋は問題ないと言う。 だが、その不安要素は、別の形でジャックとローズが出逢った後のシーンにより確実なものになった。 二人がローズの母親とキャルドンと食事を挟みながらの会話を交わす過程で、ローズがジャックに心を開くきっかけとなるシーンなのだが…… バキッ (((バキッ?))) 席に着いた途端、耳に入った異音にライル以外の二人と一体が怪訝な顔をする。 ライルが若干強張った表情になった。 彼の全身が間近で見て震えている。 ちらり、と彼の下半身に目をやって、そこで理由を知った。 (い、椅子が…!) 彼の座った椅子の脚が二本折れている。 木製の、古い椅子を拝借してきたとの話だったが、運悪くも壊れてしまったようだ。 だがライルはこれを空気椅子で乗り切った。 その上で淀みなく台詞を言えるものだがら経験者って凄い。 そんな事を美玖は思った。 「大丈夫でしたか?」 「うん。結構びっくりしたけどね」 控室でライルに話しかけると、彼は苦笑いしながら応じた。 「壊れた備品はすぐに回収するそうだよ」 「それにしても椅子が壊れるなんて…」 「ここはリサイクル品などから備品を引っ張ってくるからね。経費を節約するためだって言ってたけど」 「ダメじゃないですか!?」 しかし、それもあるシーンの演技で少しだけ和らいだ。 (……うわあ) 初めて公民館で見てから、初めて踏み込む船首の上。 演出の為、上から大型扇風機による風が強く一人と一体に吹きついた。 事前にシルフィーモンへ、どうするシーンかを簡潔に伝えておいた美玖は先立って船首の上に立つ。 演者が掴まることを想定してか、船首のセットはそれなりに丈夫なようだ。 船首の手すりを構成する四本の横棒の一段目に足を乗せる美玖。 シルフィーモンはその後ろから支えるために立った。 本来のジャックよりかは身長が高いため、ローズに続いて手すりに足をかける必要がない。 落ちないように手すりからワイヤーに腕を回し、美玖の身体に掛ける。 美玖を見れば、このシーンを演じるのを楽しんでいるのか、ゆっくりと両腕を鳥の翼の如く広げリラックスしているようだ。 …元々このシーン自体が映画の中でも有名ゆえ当然だろう。 (……ん?) ふと、観客席を見下ろして、シルフィーモンはミオナ達を見つけた。 そして、その脇にこの場にいるとは思えない顔も。 (三澤警察庁長官!?なぜここに) だが美玖の方は気がついていない。 むしろ、憧れのシーンを演じる機会を得て雰囲気に浸りきっている。 シルフィーモンが三澤警察庁長官の存在に一抹の警戒心を抱く間もなく、物語は進行していく。 問題のデッサンの場面は、中嶋の言葉通り肌の色に近いベージュの薄物と、その上からコートを着てシルフィーモンの前に立つ。 (……これ、裸じゃないから良いけど、それでもめちゃくちゃ恥ずかしい…!) 着替えの際にブラジャーは外して置いてきている。 そのため不特定多数の人間とシルフィーモンの前でコートを脱ぐのは勇気が要った。 映画内ではローズがジャックをからかう場面があるが、このままではローズがジャックにからかわれかねない。 対するシルフィーモンが赤面すらしないのでなおさらである。 「うわっ……美玖、あれは……ブラ、着けてない?」 遠目からではあるが、ミオナはすぐさまそう判断した。 明らかに胸の形が違う。 劇としての視点は、モデルとしてソファに横になるローズとそれをデッサンするジャックを横から見る構図になるのだがコートを脱いだ時点で気づいた。 顔も真っ赤である事から大丈夫ではないな、と察した。 横で、三澤警察庁長官の目が鋭く光る。 (……この人も気づいたわね。怖いわぁ〜……) 初対面とはいえ、初印象が実際の彼女の性質に違わぬ事を確信しミオナの頬を冷や汗が伝う。 ラブラモンと椅子がないので直に床に座るグルルモンは気づかない。 (この人、さっきラブラモンが警察庁長官って言ってたから、警察でもかなり偉い人よね?…後が怖い) そして、映画中盤に当たる場面であり運命の時間。 史実にて実際に起こった事ーーそう。 氷山がタイタニック号に激突するシーンである。 こちらも専用に用意された横向きの船体。 タイタニック号の右舷側、船首に近い部分のみのセットだ。 …史実によれば。 出航した11日からしばらく、タイタニック号には幾度も氷山の情報が入っていた。 多くはタイタニック号がこの後通過する事になる海域を中心に発見した氷山群についてのものであったが、この警戒の呼びかけはあまり重視されなかった。 海図に氷山の発見された情報こそ記入されていたが、明確に伝達されたのは11日の夜にフレンチ・ライン社の定期船ラ・トゥレーン号からのものと14日朝にキュナード・ライン社の定期船カロニア号からのみ。 無線こそあったものの、乗客から故郷への私信に殆どを割かれてしまってもいた。 当時無線通信を重要視していた者はタイタニック号には少なかったようで、肝心の警告は受け取られたものの船長への報告やその船長自身の情報の扱いもおざなりであった模様。 航海士達も外への注意に必須とされる双眼鏡を何故か渡されていなかったことが判明している。 これについて、船員達の証言によれば、サウサンプトンを出航する前まで双眼鏡はあったがその後の紛失について詳細を聞かされなかったのだとか。 説明を一旦おいて。 美玖とシルフィーモン、そして一部のエクストラ達がセットの上に立つ。 この時氷山を発見する事になる二人の見張り員が見張り台へ。 氷山も個別のセットとして、ステージ端から距離を縮めるように船へ激突する演出となっている。 合図は、ステージ端、裏側にいる中嶋が行った。 美玖がシルフィーモンの方を向いた時、上からけたたましい警報の鐘と見張り員役の声が聞こえた。 「真正面に氷山!!」 この日の海はベタ凪といって風もなく波も立たなかった。 視界を頼りにするなら氷山の裾に当たる波による反射の光も必要だが、それが見えないとなればぶつかる危険性が高まる。 船首に合わせて、ステージの裏側、端から"氷山"が距離を詰める。 氷山は発泡スチロール製で、ぶつかる部分には幾つかの破片を詰め込み敢えて崩れやすいよう工夫している。 この時までタイタニック号は船長からの指示を受けて全速力で進行しており、見張り員から連絡を受けた航海士を通じて操舵手が左への全力回避を試みていた。 だが間に合わず氷山へぶつかる直前、シルフィーモンが美玖を抱えて走り出した。 「シ……!?」 船と氷山が衝突する。 予定通り、ぶつかった氷山の部分から発泡スチロールの破片がデッキに飛び散り、エキストラ達の足元へ転がる。 セットの船体が揺れ、いかにも実物の氷山にぶつかったように見せた。 激しく船の壁へぶつかったシルフィーモンは揺れに微かな吐き気を覚えつつも、美玖を慎重に下ろす。 「シ、ジャッ…」 映画でのジャックの行動からいささか違った行動ではある。 それを美玖は指摘しようとしたが、物語の進行はそれを許さない。 この後二人はキャルドン達と鉢合わせることになる。 この時ジャックは碧洋のハートを盗んだかのように濡れ衣を着せられ、警備室にて手錠で拘束されることになるのだが……。 (あっ……) 手錠を掛けようとした執事役が不意に止まる。 手錠は本物ではないが、サイズはごく普通の手錠基準だ。 (どうした?) シルフィーモンも小声で尋ねる。 (その、腕が) ……そう。 シルフィーモンの腕は太く逞しく、手首そのものは人間のそれよりサイズを上回る。 手錠のサイズが全く合わず、嵌まらない。 この異変にライルも気づいた。 (どうしましょう) (ロープで軽く縛りましょう。中嶋さんと五十嵐さんにも伝えておくので!) (はい!) こうしてジャック・ドーソン、手錠ではなくロープで腕を拘束され、ローズが助けに来るまでの間待つこととなった。 「……なんというか、しまらないなあ」 ミオナがため息をつく。 三澤警察庁長官は何も言わないが、目を光らせて見つめていた。 浸水の様子には大きなビニールプールや大きな水槽を使う。 美玖はジャックを救出しに、パニック状態の客達の間を塗って浸水した場所をじゃぶじゃぶと移動することになる。 水を吸った衣装が肌に重くまとわりつく感触。 救命ボートに人々が殺到する一幕や、ホーリーエンジェモンが聖書を読む場面、楽師達が演奏する場面を挟みながらセットは目まぐるしく回転した。 ジャックを救いに行こうとキャルドンに止められる場面も美玖はどうにかこなして。 途中で渡された小道具の消火斧を手に腰の高さまで浸水した警備室へ入った彼女が見たのは、パイプ越しにロープで拘束されたジャックことシルフィーモン。 (ホントに手錠でやるのは無理だったんだ…) 逃げろ、と叫ぶシルフィーモンだが、状況を考えればあまりにもシュールだった。 彼の力ならばロープを引きちぎる事は決して不可能ではない。 そうしないのは演じるジャックが本来人間であるからだが、デジモンが演じているばかりにどうしようもなくシュールさが先立った。 更にこの後。 救出後、船内の脱出を目指す二人の目の前を格子がさえぎる。 本来ならばここで二人を助ける人物が現れるのだが、生憎もここもアドリブ任せとなっているためにまたしても。 「少しの間下がってろ」 「えっ?!」 ここでシルフィーモン、格子に手をかけるや否や。 力を込めて曲げてしまった。 「……」 さっきのロープに拘束された姿は何だったのかとツッコミたくなる。 これには、二人を助ける人物の役を演じる男性もステージの隅で苦笑い。 (すみません!!) 心の中で詫びつつ、美玖はシルフィーモンに手を引かれる羽目となるのだった。 ……タイタニック号の沈没が始まるまで、幾つもの出来事が起こっていた。 船員達の多くは、自己保身より船となるべく多くの客の助けを優先。 例えば通信士の二人、ジョン・ジョージ・フィリップスとハロルド・ブライドは衝突してから二時間以上もの間間断なく救助の要請を打電し続けた。 例えば、機関長を始めとした機関士達も、乗客達の精神の支えとなる明かりを絶やさぬ為沈没寸前まで電力の供給を絶やさないことを優先した。 そうして多くの船員は船と運命を共にした。 機関士達の生命を賭けた勇敢な行動により絶やされなかった電力が絶えたのは、完全に船が海に没する前。 この時に、ジャックとローズは船尾へ辿り着き、辺りは闇に包まれることとなる。 タイタニック号の沈没はまず、船首が完全に没したところから始まった。 この時取り残された何人もの船客が海に投げ出される。 生存者の一人であるローザ・アボットが船体の裂ける瞬間を知ったのは午前2時20分少し前の出来事だった。 鉄が裂け、弾けるような音を聴いたと。 電気の光が一斉に消えて、百雷が一時に落ちたような凄まじい音と唸り声が、下の方から聞こえてきたと。 巨大なタイタニック号が真っ二つに裂けて沈む。 映画でも迫力を以て描かれた場面であり、…ジャックとローズの恋の終わりを知らせるシーンでもある。 エキストラ達がビニールプールの中、セットの船尾の縁や甲板にしがみついていく。 「私達はどうすれば良い!?」 シルフィーモンが中嶋を捕まえて尋ねる。 「引き続きアドリブで頼むよ!」 「本当にか!?」 「ああ、有名なシーンだからね!」 ……中嶋は、正直予期していなかった。 この後のシルフィーモンの行動を。 ジャックとローズが取り付いたは船尾の縁。 手すりにしがみつきながら、ほんのわずかでも零下2℃の冷たい海へ落ちる時間を先伸ばすために。 予定通りに、エキストラの何人かは傾く船体から滑り落ちていく。 縁にしがみついていた者も、自然と装うようにスクリュー側へと落ちる。 下が深めのビニールプールなので落ちても怪我はない。 ここで、シルフィーモンは美玖を振り返った。 「ローズ!」 「何!?」 「どうにかして助けを呼ぼう!」 「えっ!?」 ……これは、と美玖は直感した。 アドリブである以上、必ず何か違う事になるだろうと思っていた。 けれど。 「ジャーーーーーーーーーック!!!」 脚にグッと力を入れたと思うとジャック・ドーソン、ステージの上へ"飛んで"フェードアウトした。 観客席は今度こそシーンとなった。 ステージの裏側も、気まずい空気が流れる。 「おい……」 「どうするの、これ…」 ヒソヒソ声がステージ裏で飛び交う。 完全不測の事態だった。 映画の終盤、ジャックとローズの恋は死別によって終わる。 冷たい海の中に投げ出され、ローズを壊れたドア枠に譲りジャックの生命は冷たい海水の中で途絶えるはずだった。 ところがここで中嶋も、シルフィーモンに飛行能力があることを全く把握していないばかりにアドリブ任せにしてしまった。 その結果、映画とは完全に違った結末が待っていようとは。 「シルフィーモン……」 「困りましたわね」 ミオナ、そして今までずっと無言で劇を観ていた三澤警察庁長官もため息をついた。 (確かにアドリブで頼むとは言ったが、まさか飛ぶとは……えっ、ていうか飛べたの!?) 中嶋も困惑しながら頭を抱える。 まさかのジャック生存ルートの予感に、映画を実際に観た観客も動揺を隠せない模様。 「……どうしましょう」 「仕方ない、このまま進行してくれ。飛んだジャックはカルパチア号に行ったって事で!!」 このタイミングならば、史実にてタイタニック号からの救難信号を受け取った汽船カルパチア号が向かっているはずである。 この船が到着したのはタイタニック号が沈没してから二時間後の4時。 途中、救命ボートを救助する際に氷山を避ける為の行動を取った事を入れても、たどり着いたとこじつけるには良いだろう。 そう判断した。 船尾が沈み始めるように見せかけながらフェードアウトした後、美玖が舞台の上を見上げながら呼んだ。 「シルフィーモン!」 「ああ、今行く」 声に応じてシルフィーモンが着地すると、皆一様に困った顔になった。 「いや、まさか飛べたとはな…」 「この先、しばらくローズだけになるけど大丈夫?」 さすがに今、ジャックが戻ってきたという事にはできない。 了承以外に選択肢はなかった。 「やり…やれます」 「ごめんね…まさかこういう流れになるとは思ってなくて」 「いいえ……なんとなく、わかっていた事でしたので」 場面転換として、ビニールプールの中で数人のエキストラと入る美玖。 船の沈没直後、真っ暗で冷たい海の中を浮上したローズは偶然近くにいた船客の男に突如としてしがみつかれ海に沈みかける。 状況を考えれば致し方のないことだが、パニック状態の男をジャックが殴って彼女を救助する、というのが本来の展開だった。 しかしジャック不在の場合、ローズはどうするか。 彼女にしがみつくパニックに陥った状態の男を演じるエキストラには、演者が溺れないよう配慮の心掛けが指示されている。 なら、どうにか自力で抜け出せる状況を作っておくべきだろうと事前に船客役の男性エキストラと相談はしてあった。 (…ごめんなさい!) 「ンゴっふ!?」 …打ち合わせ通り、払いのけざま拳が男の顔へ。 もちろん力は加減したが…相手は少し、面食らっていよう。 男を払い除けた後、本来なら近くにあるドア枠を見つけたジャックがローズをそこへ誘導、わずかなスペースしかないその上をローズに譲って登らせるのだが。 これもローズが自力で探し、よじ登ることとなった。 (これ、何気に退屈になりそう) 本来なら、ここでローズと、冷たい海に浸かりながら震えるジャックが会話を交わすシーンがあるのだが……それすらないのでなんとも言えない気分になる。 ある意味、ジャックが死ぬまでの時間を過ごすより辛いかもしれない。 そこで、ナレーションが入る。 沈没後の出来事についてだ。 先程述べた、汽船カルパチア号がタイタニック号からの救難信号を受けて向かう旨。 カルパチア号の船長を務めたアーサー・H・ロストロンは連絡を受け取るや冷静かつ速やかな救援準備を行い、遭難地点へ全速力で急ぐよう指示を送った。 この時当船は地中海のナポリ方面に向けて航海中で、船客を抱えた状態での即座の決断にして即行。 そして、遭難地点に到着するとそこでタイタニック号の救命ボートを引き揚げた。 明るくなってから初めて、周辺に点在する氷山群を見つけたという。 全速力で駆け抜けてこれらの氷山に一つもぶつからなかったことは、奇跡と言える。 これに、ナレーションはこうこじつけた。 カルパチア号に飛んだジャックが氷山と沈没について報せ、彼が発見した事で回避させたのだ、と。 こじつけもここまで来ると清々しい。 事実、ロストロン船長は、同僚の船長にこう語っていた。 『夜が明けた時、自分たちが夜中に走ってきた海域に沢山の氷山があるのを見て、身の毛がよだつ思いがした。そしてあの夜は、自分以外の"誰かが"舵をとっていたに違いないと思ったものだ』 と。 全速力での急行前に、船長自身も含める見張りの人員を強化させていたが下手をすればタイタニック号の二の舞となるリスクはあった。 それを、ジャックの働きによるものだと中嶋はこじつける選択をするしかなかったのである。 さて、ローズがこの後どうなったか。 映画を実際に観た事のある者なら誰もが"本来の"この後について知っていよう。 ジャックを失い、救命ボートに救われた彼女は、彼の姓を取ってローズ・ドーソンと名乗り自身の家やキャルドンと改めて決別し新たな人生を送る。 そして結婚し、家族に囲まれ100歳まで生きた。 しかし、ジャックがもし生きていたらどうなっていたか。 ローズは他の男性と結ばれたものの、ジャックの存在は彼女の中に"生きていた"のだ。 なら、若かりし思い出の決着は、これしかないだろう。 ーージャックとローズがその後、円満に結ばれるか、結ばれこそしたもののなんらかの要因で離別となった未来を。 こうして、かなりドタバタし、グダグダとなったミュージカルは終幕となった。 「お疲れ様でした」 「お疲れ様!…すまないね、最後の最後でこうなるとは思わなくて」 滝汗を流しながら、中嶋は改めて美玖に労いの言葉を送った。 今、ステージではセットの片付けが行われている。 ライル達はその手伝いに回っている。 一番の問題は、ビニールプールの水と大きなセットの始末だろうがどうにかなるか。 「こちらこそ…なんといいますか、すみません。うちの助手が」 「いやいや、むしろ今までで一番良い演技してくれたよ。最後のアレ以外は、ほぼ完璧だった」 シルフィーモン自身、ミスも少なく、なんならアドリブ部分も劇団の皆からは少なからず好ましく覚えられているとのこと。 「さすがに僕も最後の沈没時の展開については、衝撃だったけどね。いや…まさか、飛べたとは思わなくて」 「能力について、お話するべきだったかもしれませんね。反省します…」 お互い頭を下げ合っていたところに、スタッフが来客を告げる。 通された相手を見た瞬間、美玖は思わず声をあげた。 「三澤警察庁長官!?」 「こんにちは、五十嵐さん。まさかこういう事にまであなたが働いていたのは、驚きでした」 「け、警察?」 言いながら入ってくる三澤警察庁長官に、中嶋が驚きの表情。 「どうしてこちらに?」 「春陽劇団の噂は以前から耳にしていましてね、そこへこの県の生活課からのPRを受けて知ったのですよ。直にこの劇団の活動を目にできる良い機会でした」 「機会、ですか」 「映画の方は私も息子夫婦と観に行った思い出がありましたので、どう変わるかという興味も幾許か」 言いながら流し目で中嶋を見やる三澤警察庁長官。 中嶋もここで初めて相手が悪い手合いである事に気づいたか、自然と冷や汗が流れている。 「まさか五十嵐探偵所からお二人を勧誘するとは、中々見どころがありますわね」 「いえ、そんなに知られた探偵所だったとは存じませんでした」 「そ、そもそもそんな有名な探偵所ではないです!私自身もまだ探偵としては、未熟でっ…!」 中嶋の言葉に美玖は慌てながらフォロー。 三澤警察庁長官はくすりと笑む。 「そういうところは相変わらずのようですね、五十嵐さん。…デジモンへの思いも、信念も」 正直に申せば、三澤警察庁長官はデジモンについて近頃思うところがあった。 香港で美玖の身に起こった事は三澤警察庁長官の耳にも届いている。 女性としての立場からすれば責苦というべき状況。 それをシルフィーモンがその身を以て鎮め、押し留めている。 それが、三澤警察庁長官には歯がゆい思いでもあった。 …克服どころか、苦しみの深みへ突き落としたのは自分なのだから。 「最近は私も、こういう活動に思う所があります」 三澤警察庁長官は言いながら、美玖の胸元に光る護符を見た。 「デジモンを信じるのは危険だ。その考えは変わりませんが、彼らの力無くして解決できない事象があることを知ってしまった。時として彼らを必要とせざるを得ない。それゆえ、この春陽劇団の方針を咎めることもいたしません」 ただし、と付け加え。 「デジモンを演者として採用する事と劇の指導については修正するべきでしょう」 「修正、ですか?」 「デジモンにも我々人間の文化や互いの相違性について知ってもらうという方針は悪くないと思うのですが。やはり、原作崩壊は宜しくないかと」 「…ですよね」 「それについては、後で改めて春陽劇団とお話の時間を設けましょう」 そう告げ、三澤警察庁長官は去っていった。 ……その後、後片付けが済んだライル達と歓談の後、お別れとなった。 「また今度、機会があった時に一緒に演りましょう!」 確かに最後の最後でとんだ路線変更があったとはいえ、彼らからすればこれまでのデジモンと比べても安心して演技を共にできたらしい。 シルフィーモンが行くのを惜しむ者もいた。 帰ると、ミオナ達が先に夕食を準備していた。 「お疲れ、二人とも」 「おつかれさま、やっとおわったね!」 ミオナ、ラブラモンが迎える。 特にラブラモンは、声音に嬉しさが隠しきれていない。 アヌビモンの心境を考えれば相当に焦れていたのは言うまでもないが、気づいた者はヴァルキリモン以外いない。 二人と二体が夕食の席につくと、ミオナがリモコンを取り出した。 「ミオナ?」 「劇からの帰りに借りてきたのよ。観たことのない映画だから、この機会にって」 リモコンを向け、ビデオに切り替え。 再生が開始されると、美玖もシルフィーモンも画面に目がいった。 (久しぶりだ…) 彼女がこの映画を観たのは高校生の時。 勉強ばかりの美玖を、朝奈と宮子の二人が気晴らしの為と映画館へ引きずっていったのがきっかけ。 放映まもなくあまりの大盛況から席に座れず3人揃って立ったまま観る事になったが、それすら気にならない程の感情の洪水が美玖の中で沸き起こった。 言葉にならないくらいの感情と情報の洪水。 海を進むタイタニック号の威容。 船内で繰り広げられる人間ドラマ。 ジャックとローズが恋に落ち、沈没直後の死別から数十年後の老いた彼女が取ったある行動。 それらを、美玖は必死に意識で追い、脳に押し寄せる感情と情報を整理しようとした記憶がある。 泣いていた事を朝奈に言われたのは、映画館を出てからだった。 それを今からもう一度。 「へえ、たいたにっくってほんとうにおおきなふねだったんだね」 映像で海の上を進むタイタニック号の姿にラブラモンが少し驚く顔をする。 「でじたるわーるどだと、あまりうみにふねはだせないってゔぁるきりもんがはなしてたな」 「そうなの?」 「海には凶暴なデジモンが多いしな」 シルフィーモンが代わりに答えた。 「ネットの海はディープセイバーズの領地だ。略奪や縄張り意識から攻撃を受けることも少なくなくて、好き好んで船やイカダで海に漕ぎだそうなんて奴はいなかった。これほど大きな船ならカモにされかねないな」 シルフィーモンがジャックに注目しているのはおさらいをする為のようだ。 「でも本当…本当に、こうしてまた、観る機会があるなんて思わなかった」 "あの出来事"があって以来の美玖は、それによって奪われた時間を取り戻すべく勉学に必死になっていた。 タイタニックを観た影響は非常に強く、それまで以上に勉強に励むようになったのは皮肉というべきだろうか、何だろうか。 そして、問題のシーンまであっという間だった。 シルフィーモンが、ぼそりと言う。 「彼は……飛ばなかったんだな」 「「当たり前よ!!」」 即座に二人のツッコミが飛んだのは言うまでもない。 船尾が最後に沈没するというクライマックスシーンに、なんともしまらない空気が漂った。 だが、ジャックがローズを自身の生命より優先する様に、思う所があったか。 「美玖」 「何?」 「……君は、私が例え仕事でなくとも君の生命を守る事を優先するような事があればどうする?」 暗く冷たい海の底へ沈んでいくジャックに、シルフィーモンはゴーグルの裏でまぶたを閉じる。 同じような状況で、自分が彼ならどうするか? ーーけれど。 リリスモンから自分を助けようとした事を思い出し、ため息を吐いた。 「…いや、私が君を助けようとしたところですぐ君は無理をしたがるから聞くだけ無駄か」 「ちょっとシルフィーモン、ここ泣きどころなんだから雰囲気ぶち壊さないの、もう」 そう振り返るミオナの顔は少し泣き腫らしていた。 けれど実際そうする、と美玖は答えた。 「だって、…シルフィーモンがいなくなったら、寂しいし悲しい、もの」 そう返すと、何ともいえない表情で返された。 (……少なくとも) 美玖は思い、ラストシーンを観る。 (シルフィーモンに本当の事なんて言えっこない。…私の気持ちなんて) きっと、迷惑に思われる。 ぎゅっと手を握りしめる。 バレンタインでの件だけでない。 男子に告白された事を断った後で、その当人が他の男子にこう言ったのを聞いてしまった。 可愛いし釣れると思った、と。 それがどういう意味か、ふざけた声音やそれを聞いた周囲の馬鹿笑いから察せた。 (私を好きになってくれる人なんていない) だから。 映画を観た後、その夜の夢の中で。 美玖はウェディングドレスを纏い、今夜も"花婿"の前に立つ。 (ああ……やっぱり、あなただったのね) 顔はあごの輪郭くらいしか浮き出ないが、全体的な容姿が浮かび上がった以上もう疑わなかった。 それだけに、涙が出そうになる。 (シルフィーモン…私は…) これが正夢だなんて思えない。 自分が彼に好意を告げたのならばきっと、今までの関係が壊れるに決まってる。 (私にあれこれしてくれたのだって、仕事だから。ホーリーエンジェモンさんから頼まれた事もあるのだから…だから) この夢の中だけで、せめて完結させたい。 そう思いながら、夢の中の自分に自身の想いを投影させる。 夢の中の自分は変わらず、シルフィーモンの傍らに歩み寄り。 彼の傍らで誓いの言葉を述べ。 彼と誓いの口づけを。 (……この夢が、醒めなければいいのに) 無駄だとわかっていても、どうしてもそう願ってしまう自分を恨めしく思うのだった。
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みなみ
2023年10月31日
In デジモン創作サロン
Kiss Me,Kill Me,Make my heart go INSANE... というわけでこち五十ハロウィン絵です。 本当はシルフィーモンのカラーをブラックテイルモン仕様にしたりとか、本当は美玖の首筋に血吸われた噛み痕(実はシール)とかあったんですが前者は黒の塗り分けのスキルの足らなさからの断念と噛み痕は横髪に隠れました…。 (タイトルとキャプションの一部はとある曲が元)
A Dance With The Vamps(ハロウィン絵) content media
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みなみ
2023年9月26日
In デジモン創作サロン
目次(https://www.digimonsalon.com/top/dezimonchuang-zuo-saron/mu-ci-kotira-wu-shi-lan-dian-noy-tan-zhen-suo?origin=member_posts_page) 『宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない』 そんな映画のキャッチコピーがあるが、この山の中でも、悲鳴が誰にも聞こえることはない。 そんな事を頭によぎらせながら、一人の男が山を駆け降りていた。 恐怖に足はもたつき、脂汗が服をじっとりと濡らし、目は限界を超えんばかりに見開く。 周囲は明かり一つもない、真っ暗な山の中。 テントに置いてきた他の者の安否など思いを馳せる余裕もない。 逃げる、そう、逃げるしか選択肢はなかった。 ざわざわざわざわ……… はぁっ、はっ、はあっ、あっ、はっ、はっ……! 木の根に幾度も足を取られ、それでも山を降りようと走る男。 男の後ろ、その真上を、巨大な影が追いかけていた。 ………りん…… りりん、りん…… 微かに男の耳に届いたそれは、嗚呼、鈴の音か。 やがて、男は開けた場所へと転び出た。 その先にあったのは、大きな、見るに深そうな淵。 そこで、男の真後ろから大きな影が音もなく飛び降りてきた。 「ひっ!」 男は引き攣らせた表情で目の前の影を見上げる。 影の頭、真横に伸びた大きな角の先端。 そこに吊り下がった鈴が揺れる。 ……りん、りりん…… 男は迷う事なく淵へ飛び込んだ。 だが腕はもたつき、思うように水を掻くことができない。 波が後ろからぶわりと大きくかぶさった瞬間。 その影の主が大きく水を蹴立て、男に覆い被さっていた。 「がぼっ、ぶぁっ、だ、ばれがっ、だれがっ、だずっ、ぐぇ……ごぼっ…ぼっ…!」 下半身を影の下の大きな口に咥え込まれた男は、そのまま影と共に淵の中へ沈んでいった。 ……やがて。 ぷかり、と。 男の着ていた服が、浮かび上がった。 こちら、五十嵐電脳探偵所 #20 牛鬼の淵に鈴は鳴りて 「ただいま!」 探偵所のドアが開き、迷うことなく美玖はラブラモンへ駆け寄った。 ぎゅっと抱きしめ、毛並みに顔を埋める。 「せんせい、おかえり…!ごふ、もらってきたんだ?」 「うん!これで、ようやく…ううっ、ようやく皆に触れるぅ…!」 そう涙目でラブラモンに顔をすり寄せた美玖。 その首元には十字架を付けたチョーカー。 これが、ホーリーエンジェモンが用意した呪いを抑えるための護符だ。 見た目はシンプルだが、その内部には高位の神聖系デジモンによる力が込められている。 これでどうにか発情に苦しめられなくなるはずだ。 …だから。 「シルフィーモン、…本当にごめんなさい」 美玖が一番先にシルフィーモンへやるべきと感じたのは、謝罪だ。 美玖が苦しむのが見てられなかったからといって、知人からの提案で自らのデジモンとしての定義をフイにしたのだ。 どれだけ快楽に苛まれようと、終われば痛感して思い起こされる罪悪感。 ……だが。 「謝るな。君のせいじゃないって」 「いたっ」 デコピンをかまされ、美玖は額を押さえた。 ため息をつきながら、シルフィーモンが腕を組む。 「良いか、この探偵所は君がいなければ成り立たない。それに、雇い主に倒れられたら困るのは私だ。力不足を省みるのは悪くないが、そう思うなら最初から……」 「ハイハイ!二人ともそこまで!」 ミオナが間に割って入る。 「それより、お客さんよ美玖。警察だけじゃどうにもならないから、ウチを頼ってきたんだって」 美玖がミオナの指し示す方を見ると、一人の根暗そうな表情の青年が客室のソファに腰掛けている。 その隣には、小柄な鳥型デジモンがちょこんと腰かけていた。 ピンクの羽毛…ピヨモンだ。 「あんたがここの所長さん?」 気怠げに青年が尋ねる。 その腰には…デジヴァイスがあった。 「お待たせして申し訳ありませんでした。所長の五十嵐美玖です。此度は、どういったご用件でしょう」 自然と声が浮ついてしまったと感じる。 なにせ相手は、依頼主として初めての…選ばれし子供だからだ。 青年の名前は高瀬雁夜。 大卒を迎えたばかりで、管理人を務めることになった山間キャンプ場にて問題が起きた。 「キャンプに来た客が、ここ数日の間に何者かに襲われて殺されている。状況からして、人間の仕業ではないのは確かだ」 一番新しい襲撃があったのは昨日。 利用していたのは学生達だった。 テントは無惨に引き裂かれ、非常に粘着質の強い糸が縦横無尽に張り巡らされた中死体が数人分転がっていた。 いずれも大きな獣に貪り食われたような状態。 さらに、キャンプ場内にある大きな淵からは、客の一人のものと思われる服が見つかった。 捜索が行われたが、死体は見つからず……。 「こんな感じでキャンプ場で殺しがあったまでは良いとして、デジモンの仕業だと認定された瞬間に警察は手を引きやがった。そこで、デジモンの事件ならここが良いって噂の探偵所にお邪魔したってわけ」 鷹揚な物言いで、雁夜は肩をすくめた。 彼のパートナーのピヨモンが続ける。 「私達もね、何日か見張ったの」 しかし、すぐに沈んだ声音になる。 「でもね……」 「姿を一向に現さねー。相当こっちを警戒してるのか知らないが、……ほっとけばこっちの面子が立たない。てな訳で、依頼を受けてくれるとありがたいんだけど」 「なんていうか…失礼な奴ねえ…。どうする、美玖?」 呆れ果てた顔で尋ねるミオナ。 美玖は少し考えた後、尋ねた。 「念の為、現場を見させては頂けませんか。それと、いつ頃から殺害事件が起こったかについての情報の纏めと、キャンプ場そのものの地形についても詳しい情報が欲しいです」 「てことは、受けてくれるのか?」 「そう思って貰って結構ってことだ」 シルフィーモンが答える。 それなら、とピヨモンがファイルを取り出した。 「警察の人達が纏めてくれたものがあるわ。それと、キャンプ場の地図も……あった、これよ」 そう言いながらピヨモンが取り出した大きなサイズの地図。 地形としては山に囲まれ、その間に先程話に出たものだろう淵と思しきものが書かれている。 「これが先程言っていた淵か。犠牲者の一人は服だけここで見つかってるんだったな?」 「ああ。結構深くて、20mくらいだったかな。死体がないか、さらってみたがダメだった」 「ともかく、行ってみた方が早そうだね。場合によっては私達が張り込むってのも良いんじゃない?」 ミオナの言葉にシルフィーモンは首を横に振る。 「張り込むのは何のデジモンか判明してからだ。でないと相手に不意を突かれてこちらに犠牲が出る可能性もある。……今回は下手人の判定基準が絞られてるから、特定は容易そうだが」 「そうなの?」 「さっき言ってただろう、糸が張り巡らされてたと。……糸を武器にするデジモンとなると、な」 候補は何体かいる。 最も可能性が浮かぶのは、蜘蛛型デジモンのドクグモン。 次に、知性と戦闘能力どちらも高くドクグモンを統率する能力を持った完全体のアルケニモンなど。 糸を操るデジモンは、いずれも凶暴で攻撃性の高い存在ばかりだ。 「そういえば、この淵には何か住んでいたりしませんか?」 「いや、何もいない。……けど」 雁夜は思い当たりがあってか答えた。 「俺、この手の話は正直嘘くさいと思って信じてないんだけど……爺婆連中は、昔からこの淵には牛鬼が住むって伝説があるって言うのさ。だから、今回の事件もその牛鬼の仕業だって騒いでる」 「う、うしおに?」 って何? そんな視線がいっぺんに美玖へ集まる。 「……え、私が説明を?」 「せんせい、しってるならおねがい」 仕方なく、美玖は気を取り直して説明を始めた。 「うしおに…または、ぎゅうき、という妖怪のことですね。頭が牛で身体が鬼とも、頭が牛で身体が蜘蛛とも言われていて昔見たアニメだと自分を倒して相手に取り憑いてその人が牛鬼になるなんて事もできてしまってました」 「自分を倒した相手に取り憑く?宿主が新しく成り替わるのか?」 訝しげにシルフィーモンが問う。 「ええ…あれは、子供の頃とても怖かったです」 「うーん、何か関係あれば良いけどね、それ…」 「……ちなみに、だ。この淵に住んでるっていう牛鬼って奴は、夜な夜な淵から出てきては凄い声で吠えたり、人を襲ってたらしい。その、襲われた時の話ってやつがまた、子供騙しより怖いんだ」 雁夜は、話しながらソファを立った。 「で、いつから始めてくれる?」 「明日からだ」 「へぇ!なら、キャンプ場への案内を渡す。ちょっと待ってろ」 ーーー 現場とキャンプ場があるのは三重県のとある山近く。 距離があるため早朝から車で行かねばならなかったが、着いてみれば見晴らしは素晴らしくとても陰惨な事件があったとは思えない程の眺めだった。 「来た、来た!」 キャンプ場の駐車場で待っていたピヨモンが、大きく手を振り出迎える。 車を停めて降りると、ピヨモンは近くの建物を指差した。 「カリヤが待ってるよ、こっち!」 建物は予約の受付の他、薪や一部の道具の貸し出し、トイレや風呂などの施設もある。 山の中へ深入りさえしなければ不自由はしないだろう。 その関係か、バンガロー形式ではなくテント形式のようだ。 雁夜は建物の前で腕を組みながら立っていた。 「こっちだこっち。待ってたよ」 合流と共に、雁夜とピヨモン、一同は現場へと歩き出した。 「ここから少し離れてるから、昨日言った、牛鬼が人を襲ったって話をしてやるよ」 ……それは、昔、むかしのこと。 二人の木こりが山奥で仕事をしていた。 ベテランの老いた木こりと、若い木こりの二人組で、二人は昼は仕事をし、夜にいつも決まったことをして過ごしていた。 老いた木こりは次の日に備えてノコギリの手入れを。 若い木こりは焼いた川魚を肴に酒を飲んでいた。 そんなある夜、二人が寝泊まりしていた小屋を訪れる者があった。 それは、不気味な目をした見知らぬ男で、何をしているのかと尋ねてきた。 これに答えたのは老いた木こり。 「ノコギリの手入れをしとるんじゃ。硬い木を切ると傷むんでな」 すると不気味な男がまた尋ねた。 「そのノコギリは木を切るんじゃな?」 そうだ、と老いた木こりが答えると男は小屋へ入ろうとしてきた。 しかし。 「だが、32本目の、大きな刃がな」 言いながら老いた木こりはノコギリの持ち手に一番近い最も大きい刃を見せた。 「このデカいやつだ、わかるか?これは鬼刃(おにば)ちゅうて、鬼が出てきたらこれで挽き殺すんじゃ。どうじゃ、もう少し近くで、見てみんか?」 すると、男は無言で引っ込んでいったという。 「で、男は次の日もやって来た。そして、同じ事を聞いてきて、これもじいさんの木こりがまたノコギリの鬼刃の話をしたら引っ込んでいった…て具合にな」 「でも、何で急にノコギリの刃のことを言い出したのかな?確かに、すっごい怪しそうな人だったからってのもあると思うけど」 「さてな。なんせ男が小屋へやってくるのが連続して真夜中、それも今はもちろんだが昔なんて余程の理由がなきゃ限られた人間以外立ち入らない山奥なんだからな。この時点でじいさんの方は怪しんだんだろう。ただ、若い方は全く気にしてなかったらしい」 その明くる日。 二人の木こりは手強く硬い一本の木に取り掛かっていた。 だが、そこで無理な挽き方をしたばかりに、ノコギリの鬼刃が欠けてしまう。 そこで、老いた木こりは、ノコギリの修理のために山を下りることにした。 だが、そうなると心配なのは若い木こりの方。 あの男は今夜もやってくるだろう。 老いた木こりは、牛鬼の言い伝えを知っていたために男の正体が牛鬼ではないかと疑っていた。 鬼刃がないと知れば、本性を表して襲ってくるに違いない。 そこで老いた木こりは、若い木こりを誘ったが、彼は一緒に下山することを断った。 仕方なく一人で山を下りる時、老いた木こりはこう言い聞かせたという。 「いいか、鬼刃の事は絶対に言うんじゃねえぞ!」 「ここだ」 着いた現場は、山でいえば麓より一合高いくらいの場所。 そこに建てられていたテントの惨状は、昨日説明された通り。 無惨に切り裂かれ、所々血に染められている。 すでに遺体は回収されているが、どこにあったかを示す白線はそのままだ。 糸が陽光に照らされて光っている。 「糸からサンプルを取るわ」 糸はそのまま取ろうとすれば、粘着力で引き剥がせなくなる。 適当な小枝に糸を絡ませると、それを美玖はプレパラートに付着させた。 「何するつもりだ?」 「デジモンの特定だ。ああして、デジモンが残した痕跡から特定する」 「ただの糸を?」 「ただの糸からな」 美玖がツールを起動すると……。 ツールの画面からホログラムが浮かび上がった。 それを見たシルフィーモンに剣呑な表情が浮かぶ。 「こいつは…ギュウキモン!?」 それは、牛の頭部に人型の胴体と蜘蛛のような多足動物の身体が合わさった姿をしていた。 顔を覆い隠す白布には漢字で牛鬼と読める。 「え、ぎゅうき…ってことは牛鬼のこと?これが?」 「想像と随分違うぞ」 言われてみれば、牛鬼と呼ばれているものの要素がごちゃ混ぜに掛け合わされているようにも感じる。 その中で特徴的なのは、頭に生えた二本の角の先端に結え付けられた鈴だ。 「ギュウキモンは何日もの間、目をつけた獲物をつけ回す習性を持つデジモンだ。私もまだこいつの襲撃に遭ったことはないが…」 夜には背後から奇襲を仕掛けることもあり、攻撃の時に鈴が鳴るためギュウキモンに狙われた者はいつ鳴るかわからない鈴の音に怯えなければならない。 「襲撃がギュウキモンの仕業ならこちらも張り込みの手段を考えなくてはな。強力なデジモンで、陰湿でズル賢く、頭も良い。姿を見せないのはそれだからだろう」 雁夜とピヨモンが張り込んで見つからなかったのは、選ばれし子供とパートナーの関係を警戒してのことだろう。 なら、他のデジモンが同行しても姿を見せない可能性がある。 そこで、美玖はある事を思いつき、手を上げた。 「それなら、さっき雁夜さんが話してくれた事、参考になるかも」 「えっ」 ーーその一方。 見事な鍾乳石の垂れ下がる闇。 その奥で、ドス黒い靄がうずくまっている。 とめどなく瘴気を放ち続ける全身は焼け爛れ、獣の爪痕が消えぬ腕は黒い靄に覆われていた。 それがあのメフィスモンのなれの果てだと、ひと目で判別などできまい。 化け猫コマの呪いは、今なおメフィスモンの構成データを蝕み続けている。 コマ自身は中国から来た化け猫だが、日本には化け猫のたたりにまつわる話は多い。 人間に成り代わって人間を呪う。 または。 何代も先まで男児が生まれぬようにと一つの家を祟り続ける。 といった話が多い。 メフィスモンを倒すには至らなくとも、三百年の齢を経た化け猫の呪いの強さは想像以上のものだった。 それを遠まきに眺めながら、フェレスモンは呟く。 「……いよいよか」 そこへ、一人の男が歩いてきた。 湯田悟その人だ。 「フェレスモン様……白羊(はくよう)教の規模の拡大は順調です。寺門(しもん)とアンドレに管理を任せるよう言付けました」 「ほう、出だしは思いのほか順調というわけか」 現在、フェレスモンはメフィスモンの現状を観察する傍ら、自らの目的の為の下拵えをしている。 だが、メフィスモンを蝕む呪いがいよいよ強くなるとなれば、そろそろ同盟者への本腰を入れて然るべきだろう。 「では…湯田よ。"ピクニック"に行くとしようか。支度するがいい」 「ピクニック、ですか」 「左様」 フェレスモンの口元に笑みが浮かんだ。 「同盟者の力を確実なものとするべき地へ下見だ。すでに移動手段は手配してある。……ほれ」 大きな羽音。 広い鍾乳洞の天井から黒い皮膜状の翼を広げて降り立つは、黒い身体に鋭く長い爪を備えたデビドラモン。 「その地というのは?」 湯田の問いに。 フェレスモンはデビドラモンの方へ歩みながら答えた。 「ここを遠く離れたスコットランドたる国にあるスカイ島。なんでも風光明媚と知られる島だそうだが……目指すは影の国。戦士にして女王、女王にして番人たるスカアハという女の座する死と魔の異郷にな」 ……雁夜が依頼に来てから三日後。 再びキャンプ場へ乗り込んできた美玖達の乗ってきた白いワゴン車には、様々な物が載せられていた。 テント一式、工具箱一つ、三日分の食事に食器や調理用器具。 そして監視カメラが5基。 雁夜とピヨモンはこれを見るや少し驚いた顔をした。 「何だ、うちの客になりにか?」 「詳しく説明させていただきますので、中へ入らせてください」 「…ああ」 管理者用の部屋まで通された所で、美玖が説明を始めた。 「先日のキャンプ場の現場を実際に視察しながら確立させた張り込みの方法についてプランをお話しさせていただきます。今回の張り込みには、監視カメラを使います」 シルフィーモンがキャンプ場の地図を広げた。 管理者用施設と淵の中間、少し山奥に近い地点にマーカーを置く。 「見張りを行うために泊まるのはこの地点。一番新しく襲撃が遭った場所に少し近い」 「ここにテントを張って、監視カメラを設置した後、私とミオナ、シルフィーモンでここを過ごします」 「待って。私とカリヤが見張って出てこなかったのよ。他のデジモンが見張っても結果は……」 「同じだろう。何も策を講じなかったら」 そうシルフィーモンはピヨモンの言葉をさえぎる。 「だがこちらには、デジモンの目を誤魔化す手段がある。それで最長三日間は様子を見て、何もなければ引き上げるつもりだ」 「それで、どうするんだ?」 「もし我々の他に客が利用しているなら、異常がないか見回りで確認しておく。殺人が発生したならこちらに連絡して、新たな現場を調査して張り込み方法を再考する方針だ。……少なくとも、最善としては今回の張り込みでケリをつけるのが一番の理想だ」 長引けばその分事態も悪化する。 ましてやギュウキモンやアルケニモンのような知能の高いデジモンは、逃せば逃すほど事態を悪化させる可能性が高まる。 一度の失敗で二度も同じ手段が効かなくなるからだ。 「監視カメラの設置も、テントの周囲と生き物に三基ほどと淵からテントまでの道に二基を設置するつもりです」 「生き物?」 ピイッ 鳥の鳴き声に雁夜がぎょっと振り向く。 テーブルの上に気づけば停まっていた金色の鳥。 その胸の下にレンズがくるように固定された監視カメラ。 「おい、この鳥……」 「あるデジモンの連れている鳥だ。危機管理能力の高さから採用した。暗い夜にも対応可能であることは実践済み」 ピヨモンが不思議そうに金色の鳥ーーフレイアを見つめる。 「この鳥…デジモンが連れてるってことはデジタルワールドの?」 「そうだろうな。詳しくは我々も知らない」 「話を戻しますが、テントとカメラの設置を完了した後、私達三名は客としてテントとその近くで三日間過ごします」 この間、ラブラモンとグルルモンを管理者用施設に残し、雁夜やピヨモンも交えて監視カメラの映像をモニターで見てもらうことになる。 深夜の監視やキャンプ側の見張りは交代制を取り、異常が見つかればすぐ他の者を起こして対応する。 ……そして最後の三日目は。 「シルフィーモンに、離れてもらう」 これには無論、意図がある。 そしてこの三日目こそが本番だ。 「それまでにギュウキモンが現れた時が、私達の勝負です」 その時ギュウキモンがどう出るか。 この時に併せて救援を要請してあるとはシルフィーモンの弁である。 「これらの物も、ツテやコネで用意したものだ。時間はかかったが始めよう」 作戦が実行されたのは午後13時。 美玖と擬装(クローク)コマンドにより人間の姿となったシルフィーモンがテントを張っている間、ミオナは監視カメラの設置を担当した。 最初に設置に訪れたのは、牛鬼が潜んでいるとされた淵の近く。 「……なんというか、不気味ね」 黒く淀んだ水面にぽつり。 波一つ立たず、泥の強い臭いが鼻につく。 警察が底までさらっただろうから牛鬼などいる訳がないだろうが、それでも。 何か得体の知れぬモノが潜んでいるのでは、という心持ちにさせる雰囲気があった。 「……まずは、この辺と」 テントを張る位置に向きを合わせ、途中の茂みに隠すように一基を置く。 更に、距離を空けてもう一基カメラを仕掛ける。 ギュウキモンは必ず、この道を通るはずだと。 テントの近くへ戻れば、テントの骨組みは組み終わっている。 近くの木の上で、フレイアがそれを見下ろしていた。 胸の位置に固定し装着されて光るカメラのレンズ。 なお、今回の調査に用いるカメラは全て特製だ。 デジモンとは、存在するだけで電子機器に強い影響を及ぼす。 現在はだいぶ人間側の方で調整ができるようになっているが、デジモンが人間世界に移住し始めた時は酷い有様だった。 マトモに電子機器が機能しなくなるのは、人間としては死活問題。 それでも原因は判明し、軽減はできている。 しかし……完全体クラスともなれば絶対影響が出ないという保証はない。 むしろそれを利用して意図的に電子機器の機能を麻痺させてくる者もごく一部存在するのだ。 今回は、完全体デジモンであろうと影響の出にくい仕様に調整されたカメラを使用している。 その調整は、ミオナの手によって行われた。 科学者である裕次郎を影ながら手伝っていた事もあり、ミオナは電子機器や実験器具の扱いに長けている。 カメラの調整のため、シルフィーモン、及び自身の中に内包されたドルグレモンのデータを参考にした。 「こんなところかな…」 テントを張り終えると、美玖はシルフィーモンの方を向いた。 「それじゃお昼ご飯にしましょう。おにぎりがバッグの中にあったはず」 「ちょっと待って……、あったあった」 朝に握ってきたおにぎりを、テントの中で食べながら二人と一体は外を眺めた。 テントの中にまで流れてくる木々の濃い香り。 いつかのエジプトの時のように、こんな時でなければ…。 「…なんか、考え事してるけど大丈夫?」 ミオナが話しかける。 「えっ……あ、うん…ちょっとね」 余程考えに耽っていたのだろう。 焼き鮭が具のおにぎりを一口食べ、美玖は言葉を続けた。 「仕事じゃなくて、休日みたいな、何の事件もない時だったら良かったなって。そうしたら、こんな時間も」 「美玖」 シルフィーモンが向き直る。 それでも、続けた。 「師匠から探偵として始めても良いって言葉を貰って、シルフィーモンが来て、一緒に探偵としての仕事を始めるようになってから…仕事じゃない時に来たかった場所が増えたの。キャンプはとっても久しぶりだし、その前の、エジプトの時も」 「エジプト!?」 「依頼で行ったの。綺麗だったよ、ナイル河」 だからね、と少しオレンジ色になった日差しを見つめる。 「いつか、仕事抜きで、皆で、思い出になるような場所へ行って…ね。人間もデジモンも関係なく、一緒に食べたり飲んだりとか、話したりとか、そういうのができたらって」 「……どうして、そんな事が言えるんだ」 シルフィーモンが目を背ける。 「美玖。君は我々デジモンに傷つけられた。身も心も。普通の人間ならそんな事は言えないはずだ。それは、リリスモンから受けた呪いにしても、君も目にしただろう組織の拠点で起きた件についても」 「………」 長い沈黙。 ミオナは、どうしていいかわからず、一人と一体を見ているしかない。 まだ自分はこの探偵所に来たばかりだ、だからわからない事がほとんどで。 それでも、寿命が近いと自棄になっていた自分を引き止めてくれた事に感謝したからこそ。 「……私は、ね」 ようやく、美玖の口が開く。 「困ってたりとか、迷ってる人の事はそれはそれでほっとけないの。何もできないままが、一番嫌。だから、私にとって苦しい事は今も沢山あるんだけど……それを理由に目を背けたりとか、逃げるのだけはしたくない」 「……だけど君は、」 言いかけて、シルフィーモンは口をつぐんだ。 それ以上言えないものを、触れてはいけないものを躊躇うように。 そこへ突如携帯が鳴り響いたのは、ミオナにとってありがたいことだった。 『いま、もにたーにかめらがうつってるのかくにんしたよ!』 ラブラモンだ。 「そ、そうか。明暗や角度はどうだ?」 『そっちももんだいないよ』 「わかった、なら今から監視を始める。頼んだぞ」 「うん!」 改めて時刻を確認。 現在は15時……まだ、日は落ちない。 「…二人が良かったらさ」 ミオナが切り出す。 「今まで二人が解決した事件の事とか、いっぱい聞かせてくれる?」 これで良かったのだろう。 過ぎていく時間と共に、そして今摂っている食事と共に彼女らの口から語り出されていく事件の数々に耳を傾けながら。 ミオナは和らいでいく一人と一体の空気を肌で感じた。 美玖もシルフィーモンも、お互いを強く案じている。 側から見ていて苦しくなる程に。 深入りするに自身はまだ彼らを知らない。 だからこそ、今のうちはまだこういう時間が必要なのだ。 「……それで、今はそのイーターって奴についての調査もしてるんだね」 「最近得た情報から、メフィスモンとは無関係でないことが判明してね。それで、並行して行っているところだ」 香ばしい匂い。 鉄の串に刺したアスパラガスとそれに巻かれた豚肉。 塩と胡椒を適度に振ったそれを焚き火の上で回しながら焼く。 ご飯を炊いた飯盒も、火から下ろされ蒸らした状態だ。 もうすぐで、できあがるだろう。 「……たとえ、危険な調査の途中だとしても」 シルフィーモンはつぶやく。 「もっとこういう時間が必要だったんだ。…彼女にこれ以上苦しい目に遭ってほしくない」 そう、耳元で言われた。 だから、ミオナは少しばかりだがシルフィーモンの人となりを察せた。 (いつもクールな感じに思ってたけど…こんなに、感情のある優しいデジモンだったんだな…) と。 ーー食事を終えた後、二人と一体は揃って管理施設へ戻った。 器具の洗浄と、監視カメラの確認を行っておくためだ。 全員揃っているのは、万が一の襲撃のためでもある。 「…それで」 美玖達が器具を洗う音をBGMにシルフィーモンは尋ねた。 「監視カメラには未だ何も映ってないんだな?」 「ああ、今のところは何も」 雁夜は言いながらモニターに目線を向けた。 そこには五分割の映像が映っている。 テントを高い視点でみおろし、時々揺れているのはフレイアの身体に固定してあるものだ。 「淵の方も特にな。けど、本当に上手くいくのか?」 「何もしないよりはマシだろう」 なお、今のところは宿泊客はいないとのこと。 これがはたして、どう影響されるか。 「もしギュウキモンに襲撃目標の条件があった場合は、何もないことを考えなくてはいけない」 「ああ、デジモンがいたら手を出してこないって可能性か」 「今回とは違うが過去に意図的にデジモンを避けた事例がある」 ブギーモンによるデスゲームへの強制参加には、デジモンを弾く軽度のセキュリティシステムが使われていた。 しかし、今回は電脳世界ではなく現実の世界。 デジタルポイントでもないため美玖のツールのモーショントラッカーも機能しない。 「今夜一晩あたりが勝負だと思っている。これまでの犠牲者もおそらく一晩で…」 先日の調査の際に、他の襲撃場所にも訪れた。 犠牲者はいずれも一般人ばかり、うち一件は大型犬二匹を連れていた。 愛犬家でなくとも目を背けたくなるような有様の痕跡が残されていた記憶が蘇る。 血に塗れた毛の一房、ズタズタに食いちぎられた首輪……。 「戦闘においても厄介な相手だ。早期決着をつける」 ーーーー 管理施設からキャンプへ戻った時にはすでに19時を過ぎていた。 美玖とミオナがコーヒーを手に取りとめのない話をしている傍らで、シルフィーモンは脇に工具箱を置いていた。 キャンプで過ごすにしては、少しばかり異様なサマではある。 「……それで、今度ね……」 友達と行く予定を話す美玖。 せめてこれが、ごく普通の会話であれば良かったのだが。 耳を傾けながらそう思い、気を張り詰めさせているシルフィーモン。 そこで、通信が入る。 ≪ 淵の方で反応を確認した。何かが淵から出てきたぞ。 ≫ 「!」 いよいよか、とシルフィーモンは目線で美玖達に知らせる。 「…それで?」 ≪ 今、別のカメラにも映った。デカい何かが通ってく。鈴の音もするな。 ≫ シルフィーモンが工具箱を開ける。 中から取り出されたのは……ノコギリだ。 美玖はミオナと目を合わせてうなずき、テントの奥へ移動していく。 数分後。 ≪ 近くに誰か来てる。デカい奴じゃなーー 「誰だ!」 シルフィーモンが声を張り上げた。 テントの向こう側に写る人影。 緊張と沈黙。 しばらくして、何者かがテントの中を覗き込んできた。 「何しとるんじゃ?」 覗き込んできたのは男だった。 薄暗い中、その目は明かりに照らされて不気味に光る。 いかにも百姓風といった格好だが、あまりの違和感に美玖は背筋が凍る思いだった。 間違い、この男は…… 「ノコギリの手入れだ。明日DIYの為にな」 シルフィーモンが答える。 「でぃー、あい、わい?」 「え、ええと…大工さんみたいな事をね」 ミオナが答える。 若干笑顔が引き攣ってはいるが。 「なら、そのノコギリは、木を切るものだべか?」 「そ、そう!」 ミオナの返事を聞いた男が、テントの中へ押し入ろうとした。 美玖が身構える。 だが、先手を打ったのはシルフィーモンだ。 入ってこようとする男の目前で、ノコギリを自分の手元に引き寄せる。 「ところで、このノコギリの、32本目の刃が何て呼ばれているか知ってるか?ここは鬼刃(おにば)というらしい。これで鬼を挽き殺すそうだ。…もっと近くで見てみるか?」 すると。 男は、何も言わずにすうっとテントから退いていった。 ーー時刻は21時。 しばらく沈黙が続いた後、シルフィーモンは無線の向こうの雁夜に連絡した。 「……テント周辺の様子は?」 ≪ …あ、ああ。さっきの男はカメラからも消えた。淵の方にデカい影が通ったから戻ったんだろう ≫ 「…そうか」 そして、また沈黙。 (これで推測は合った) シルフィーモンは思う。 間違いなく、今のはギュウキモンだ。 ーー今回、ある推測が立てられていた。 いずれの襲撃場所もテントの中で人間が殺された状況だ。 ギュウキモンがすんなり入れるサイズではない。 とすると可能性は一つ。 (ギュウキモンは、牛鬼の伝説を模倣した狩りを行っている) デジモンの中には人間に擬態する者がいる。 過去であれば、人間の目を隠すためにやっていただろうが、公に人間の目前で歩くことができるようになったため現在ではやる必要性がない。 …ならば可能性は二つだ。 一つは、人間を危険視したデジモンが人間を避けるため。 もう一つは、…アルケニモンが特にこの手合いゆえに有名だが、人間に警戒心を抱かせずに近づき襲うため。 雁夜から聞かされた牛鬼の伝説も、まさにそのようなものだった。 鬼刃を失い、たった一人残った若い木こりがどのような末路を辿ったかも。 その夜は、交代制で眠ることにした。 一人、または一体が二時間置きに見張りをし、何か異常を察知したら他の者を起こす姿勢だ。 特に美玖かミオナの場合、優先してシルフィーモンを起こすことが取り決められている。 ーーそれから、午前二時頃。 最初に見張りをしていたのはミオナ。 あくびを噛み殺し、コーヒーをすする彼女の傍らに端末が鳴った。 すぐに出ると、ラブラモンの声がした。 ≪ あ、みおな!おきてたんだ、よかった ≫ 「どうしたの?」 ≪ ふちのちかくにせっちしたかめらから、なきごえがするんだ ≫ 「鳴き声?」 ……その時である。 ーーーォォオオオオオン…… 「!」 思わずコーヒーを落としそうになった。 悲しそうな、獣が吠えるような鳴き声が、わんわんと響いてきたのである。 「…シルフィーモン、起きて。起きて!」 「……どうした?」 揺さぶられ、体を起こしたシルフィーモン。 ーーおおおおおぉぉぉぉぉん…… 「!」 ただちに身構える。 ≪ さっきからこのなきごえがするんだ。そっちはどう? ≫ 「こっちも今聞こえ始めた。淵ってここから1kmは離れてるんだよね。だから結構声が大きい」 「…にしても、ギュウキモンにしては随分と大仰だな。獲物を取り逃がした事への当てつけか?」 ーーウォオオオオオオォォォォン…… 「……これ、美玖も一度起こしていい?」 「そうしてくれ。おそらく今晩だけとは限らない」 「わかった。美玖、起きて。美玖!」 「ん……」 その夜。 鳴き声は朝6時まで響いた。 今までもこのような事があったかと、雁夜に確認したところ。 「爺婆連中が言ってたな…」 夜中、淵から悲しげな鳴き声が響くという。 それは、牛鬼の鳴き声なのだと。 ≪ ……ギュウキモンと牛鬼は別モノなのよね? ≫ ≪ そこまでは考えてなかったな。私は別モノだと思うが ≫ 「俺も。爺婆の言うことは信じてないけど、ここまで再現されるのは流石に気味が悪い」 雁夜はため息をついた。 「どうぞ」 「おっ、ありがとう」 香ばしく焼けたトースト。 ラブラモンが持ってきてくれたそれに、マーガリンとマーマレードを塗ってかじる。 ピヨモンが同じく焼いてもらったトーストを食べながら、ラブラモンに話しかけていた。 「このトースト、こんがり焼けてて美味しいわ!」 「えっへん」 「ワタシもこんなに美味しく焼きたいなあ。いっつもこんがり焼けなくて…」 「せんせいからおそわったんだ。おしえるよ!」 「やったあ!」 ………トーストを朝食にした後、二人と一体は地図を開いた。 「今日は、打ち合わせ通りに罠を仕掛けて回る。ルートはテントを離れて左周りに三ポイントずつ」 シルフィーモンは言いながら、ミオナへ目配せした。 彼女はうなずき、脇に置いたカゴのようなものを見やる。 「調整は一通り済んだわ」 カゴの中で何かが息を潜めるような気配。 「これ…中に何が入ってるの、シルフィーモン?準備してた間ずっと、ネットの中を探し回ってたようだけど」 「これは、肉食獣(カニボア)だ」 「カニ……ボア?」 目を瞬かせる美玖。 シルフィーモンは続ける。 「こいつを一つのポイントに五、六体仕掛ける」 元々はネット中にばら撒かれたトラップであり、小型のデジモンがこれに捕らわれる事がある。 それを、大量に回収しミオナの調整によってウイルス種デジモンのみにしか反応しないようにした。 「でも、そんなのでギュウキモンをどうにかできるの?」 「これは三日目用のものだ。君達の為のな」 三日目のためにテントの奥に切れ込みを入れ、美玖達が潜れるようにしてある。 ギュウキモンは遠距離攻撃も得意とするため、普通に逃げたのでは確実に捕まるだろう。 そこで。 「この肉食獣(カニボア)に、自律的に獲物へ食らいつくようにしてある。逃走ルートに設置して逃げた後を奴が追えば…」 それに反応して肉食獣(カニボア)が食らいつく。 トラップとはいえ決して頑丈なものではないが、床一面に敷かれたネズミ捕りが一斉にバチバチと床の上で跳ねるようなものだ。 多少の注意逸らしにはなろう。 「……まあ、この探偵所にウイルス種デジモンがいないからできたことよね」 「……言われてみれば、そうね」 美玖は今更ながら思い返して苦笑いを浮かべた。 探偵所にいるデジモンはフリーかワクチンばかりだ。 ミオナに組み込まれたドルグレモンのデータをカウントに入れても、データ種が一種入っただけである。 「ともかく、昼食を済ませたら逃走ルートを確認だ」 さて、この後の昼食は何かといえば……。 「これで、ラブラモンやグルルモンも呼べたらなあ」 用意された鉄板に油を敷き、熱が通る頃合いに肉や野菜を並べていく。 久しぶりのバーベキューだ。 「バーベキューはよく話に聞くんだけど、食べるのはこれが初めて!」 「そうなのね」 喜ぶミオナに美玖は表情を綻ばせた。 ミオナはずっと、直美に自身の存在を知られないよう目立たずにいたのだろう。 「美味しい!外で食べてるだけなのにいつもより美味しく感じる」 「焼けたものはどんどん取ってくれ。美玖、そっちのエリンギが焦げそうだ」 「ありがとう」 肉焼きを交代したシルフィーモンの言葉に、美玖とミオナは焼けたものを取っていく。 「そういえばシルフィーモンって肉食べるの好きなの?牙生えてるし」 「…別に食べられないわけではないよ。ただ、そこまで血と肉が好きじゃないってだけだ」 シルフィーモンは言いながら豚肉をひっくり返した。 「じゃあ意外とヘルシーが好きなんだ」 「かな…」 「最近は焼肉屋も結構ヘルシーなメニュー出してるらしいのよね。またお肉焼く時にやってみる?サラダとか」 「良いね、良いね!」 昼食を終え、片付けを済ませて出発したのは午後13時。 肉食獣(カニボア)が収納されたカゴをシルフィーモンが背負い、その少し後ろから美玖とミオナがついていく。 テントの奥を切り裂いて開けた後ろには道はなく、あっても獣道のように整理されていない。 だからこそ、肉食獣を設置しやすいのだとシルフィーモンは話す。 「まずはこの辺り……茂みに隠れるように設置するぞ。テントを抜けたら真っ先にここへ逃げてくれ。それと、あまり奴との距離を離さないように」 「なんで?」 「意図的に気配を消して、一気に距離を詰めてくる可能性もあるからだ。逃げ切ったと油断させるためにな」 ギュウキモンは一度狙いをつけた獲物はどこまでも追い回す。 動きも決して速くはないが、その分狡猾に立ち回ろうとするはずだ。 「だから、逃げる時は距離を保つよう意識するんだ」 眩しく暑い日差しが木々の合間から差してくる。 鳥のさえずりが聞こえ、肌がじんわりと汗ばむ。 その中を歩きながらトラップを設置して回った。 「……ひとまず、こんな所かな」 「本番は明日だ。今晩に何も起こらなければ、な」 それからキャンプに戻ればもう夕方。 管理施設の方には行かず、戻ってすぐに夕食に取りかかった。 「他の肉と野菜はそのままでいいの?」 「明日のお昼にカレーにしようかなって」 「カレーかあ…」 今、作り始めたのは焼きそば。 焼いて残った肉と野菜があるため、麺に合わせて味を整える。 麺はソースなどが付いていないタイプだが、それゆえに柔軟に味付けができる強みがある。 「どうかしら?塩焼きそば風にしてみたんだけど…」 「塩加減、私はこれくらいがちょうど良い」 「心配しなくていい。悪くない」 ちょっと麺が固めに感じたが、一人と一体からの評価はそこそこ。 片付けを終えると、テントへ入った。 シルフィーモンは昨日同様、ノコギリを手近に置いておく。 この日のうち、肉食獣を設置する時の台として木材を加工するのに使ったため手入れの口実になる。 二人と一体がそうして時間を過ごして、もうじき21時近くになった時。 端末に通信が入る。 ≪ 昨日と同じだ。淵から何かが出てきた。多分、そっちへ行くぞ ≫ 美玖とミオナがテントの奥へ移動。 シルフィーモンがノコギリを取り出す。 三分後。 ≪ テント近くで足音が……昨日と同じ男だ ≫ 美玖がすぐに気づいた。 テントの戸口に浮かび上がる人影。 「誰だ!」 シルフィーモンの声。 しばらくして、テントの戸口が払いのけられた。 「何しとるんじゃあ?」 昨日と全く同じ問いかけをしながら、百姓風の不気味な男は覗き込んできた。 明かりの中、その目は陰気にもぎらぎらと光る。 シルフィーモンは昨日と同じ答えを返した。 「ノコギリの手入れだ」 昨日も言ったが、DIYで木材を切ったからな。 そう答えるシルフィーモンに、男は覗き込みながら少しずつ体をテントの中へめり込ませてきた。 「そのノコギリは、木を切るんじゃな?」 「そうだーーだが」 …明らかに速く侵入しようとしてきた男に、昨晩と同様ノコギリを見せる。 鬼刃が見えるように。 「この、32本目の、一番大きな刃が見えるな?ここは鬼刃といって、鬼が出たらこいつで挽き殺すそうだが」 そこまでシルフィーモンが言うと、男は何も言わずテントからすうっと身を引いていった。 美玖もミオナも、冷や汗が止まらず互いを見合わせる。 「……テント近くに変化は?」 ≪ いや、何も≫ ーーーー その夜、深夜2時に昨日と同じく咆哮が聞こえた。 カメラを監視していたグルルモンからは、吠え声の他にバシャバシャと水の大きく跳ねる音がすると言う。 「でもどうしよう……フレイアを飛ばして様子見に行かせる?」 「いくら究極体デジモンの供とはいえ、何かあった時が怖いかな…」 美玖は香港での出来事を思い出す。 組織の人間によってフレイアが銃撃された時の事を。 だが、シルフィーモンは切り出した。 「念の為だ。ともかくフレイアを淵へ飛ばそう。ここでウダウダ言った所で情報を取り逃がしては本末転倒だ」 外へ出ると、彼は木を見上げる。 梢に止まったフレイアに向かい声を張り上げた。 「フレイア、淵の様子を見に飛んでいってくれ!上の視点が欲しい」 それを聞いて黄金の鳥が飛び立っていく。 淵の方向、闇の中を飛んでいくのを見送って、シルフィーモンはぼつりとつぶやいた。 「…これで何か進展があれば良いが」 ……… 「フレイアはどうだ?」 ≪ ドコニ停マッテイルカワカランガ、水面ガ見エル。音ガハッキリト聞コエルナ。ダガコノ暗サダ、波ガ大キク揺レテルノハ見エテモ何ガ泳イデイルカマデハ…… ≫ 「フレイアが無事なら問題ない、本番は明日だ。朝までカメラが無事なら位置と照らし合わせてフレイヤを迎えに行こう」 ーーーー 夜が明けて。 カメラの状態を確認した後にシルフィーモンが淵へと訪れる。 すでに鳴き声も水音もせず、変わらぬ不気味な静けさばかりが支配していた。 フレイアは淵から30mほど離れた地点の木に停まっている。 それを見上げて指笛で呼ぶと、ひと鳴きと共に舞い降りてきた。 「よし、戻るぞ」 カメラの結果は……特になかった。 確かに、何者かを写してはいた。 赤外線等の暗所の撮影に対応済みであったにも関わらずだ。 (……だが、もう三日目だ。この日に決めるしかない) 予定としては、シルフィーモンが離脱してグルルモンと合流、美玖達のために用意した逃走ルートで待機する手筈である。 鬼刃が、ノコギリがないとわかれば、ギュウキモンは今度こそ本性を表して襲いかかってくる。 美玖達の無事の確保ができるよう最善の手は尽くしているが、実際にどうなるかまでは…襲われるまでわからない。 「……だが、必ず仕留める」 そうつぶやくシルフィーモンの隠された目は、鋭く細められた。 シルフィーモンがフレイアを連れてテントに戻ると、ちょうど朝食の最中だ。 鉄板を使って焼いたホットケーキとコーヒー。 「良かった、本当にどこも怪我してないのね」 フレイアを見て美玖はホッと胸を撫でおろす。 カメラの確認によれば、鳴き声と揺らぎ続けた水面以上の異変はなかったのだ。 朝食を食べながらも、二人の様子には緊張がある。 最後の三日目にシルフィーモンが離れていなくてはいけない。 牛鬼の伝説、それを再現するためにだ。 ……伝説の最後、老いた木こりと共に山を降りなかった若い木こりは。 鬼刃がない事を口にしてしまい、本性を表した牛鬼によって殺された。 ここまで過程をギュウキモンが真似ている以上、おそらく最後も。 「ひとまず、最終チェックといこう」 と、シルフィーモン。 「ギュウキモンは今夜も現れる。奴は獲物をどこまでも追い続ける習性がある以上必ず来るだろう。これまでと違う動きを見せるかもしれない」 「そういえば昨日、一昨日よりも積極的にテントに入ろうとしてた…」 「あれは私も少しヒヤリとしたよ。鬼刃について言うのが間に合わなければどうなってたか」 美玖の指輪型デバイスを使えば一時的にギュウキモンを足止めはできる。 使うとすれば、テントの中で襲われた時だ。 「肉食獣(カニボア)は昨日のうちに所定の場所に全て仕掛けた。あとは、悟られないよう祈るだけだ」 ……昨日。 管理施設でシルフィーモンは雁夜と内密に話をしている。 むろん、ピヨモンに関してだ。 雁夜のピヨモンは完全体にまで進化できるという。 あまり自慢できた話ではないけど、と雁夜は苦言を漏らした。 「俺の実家、熊野神社と縁があってさ…多分それがピヨモンの進化先になってる」 雁夜は、実家とは複雑な事情があり離縁中だという。 それが、ピヨモンの進化系統に影響を与えているなど、なんの冗談かと。 「結局家から逃げらんねえって事なのかな……あ、いや、悪い。こんなこと言ってる場合じゃなかったな」 「ああ、そうだ」 「戦力としては、俺のピヨモンとあんたと…」 グルルモンだ、とシルフィーモンは付け足す。 ラブラモンはおそらくアヌビモンへ一気に到達するためだろうが成熟期以上への進化の兆しがない。 となると、戦力として期待はしづらいのがネックとなる。 ヴァルキリモンは今回は探偵所に待機だ。 「……となると、完全体二体と成熟期一体で相手か」 グルルモンも決して弱いデジモンではない。 それは依頼を共にして知っている。 「ともあれ、今回は頼らせてもらうよ。あいつにキャンプ場を好き勝手にされるわけにはいかない。……就活が上手くいかずに困ってた俺にとっちゃ、仕事があるってチャンスのようなものなんだ。それを無駄にされちゃ困る」 夕陽が差す時間はあまりにも短い。 そんな事を思いながら、美玖とミオナはいつも以上に足の速度を早めていた。 早い夕食だったが、シルフィーモンが戦う準備のため致し方ないことである。 「……今夜も、同じ時間にきっと来る」 「ひとまず、鬼刃というかノコギリをなくしたって事でいいのかな?」 「シルフィーモンがいない事はすぐ気づかれると思うから、伝説の時と同じように鬼刃が欠けたから修理に出したで良いと思う」 「…そうね」 時刻はもうじき19時。 すでに途中の山道は真っ暗闇だ。 何が潜んでいてもおかしくはない。 テントへ着いた時には、すでに19時半を回ろうとしていた。 時間通りに男が現れるなら時刻は21時。 30分ほど前を目安にテントの脱出口近くに位置取り、そこで男が現れるまで待機。 この間、シルフィーモン達は美玖達の逃走ルートへと移動し、グルルモンが先立って肉食獣(カニボア)を仕掛けたポイントの近くに待つことになっている。 それまでは……。 「…ねえ、美玖」 その、待機の間。 テーブルに細工をしながら尋ねるミオナを美玖は振り返る。 「美玖って、いつもこんな危険な依頼受けてたの?」 「いつもって訳じゃないけどね」 「……そう」 ミオナの表情に曇るものを見いだして、問い返す。 「どうかしたの?」 「どうかって…どうもないよ」 細工を終えてミオナは顔を上げて睨む。 「シルフィーモンから聞いたの。美玖、前にも傷ついたりした事いっぱいあったって。銃で撃たれたり」 「あ…あの時は、…油断してたのもあるけど」 「そうじゃなくても死にそうな事もいっぱいあったんでしょ。なのに、探偵だからって危ない目に遭うのは普通?」 「……それ、は」 5年前以前から。 もっと遡ること14年前から。 友達の為ならと身を投げ出したことはあった。 それからも、そうでなくとも危険に晒されたことは多くて。 けれど。 「きっと私の運が悪かったとか、そんな」 「自分の運のせいにしないで、美玖。それは絶対違う」 言葉に詰まった。 ミオナは剣呑な眼差しで美玖の目を見る。 まるで、目の前に巨大なデジモンがいるかのような威圧感を、美玖はなぜか感じた。 「絶対に違う。私、わかるもの。美玖は優しすぎるし、忠実すぎる。だからシルフィーモンはーー」 そこで、ミオナの携帯が鳴る。 雁夜からだ。 「げっ、もう!?」 ミオナが応答に出る。 ≪ おい、そっちはもう用意できてるか?俺達はすぐ外に出るぞ ≫ 「了解。私と美玖も備えるから…後はこっちでどうにか頑張る」 ≪ 死ぬんじゃねえぞ ≫ 「ハイハイ」 通信を終え、ため息を吐いてしばらく、ミオナは立ち上がった。 「ともかく!今回は無事に帰りましょ!!」 そして、21時近く。 連絡がないのは、全員既に外を出てきている何よりの証左だ。 そのため、美玖とミオナは、テーブルより更に後ろ、切れ込みを入れてあるテントの奥へ移動している。 …そして、うっすらと、入り口の向こうに人影が見えた。 それは、しばらくしてから入り口を開けて覗き込んできた。 「何しとるんじゃあ?」 ゆっくりと不気味な男が尋ねる。 「こ、こんばんは。また今日も来たんですね!」 ミオナが顔を引き攣らせながら挨拶をしたが、返答はない。 少しして、男はつぶやくように言った。 「今夜は、一人足りんな」 ……いよいよだ。 二人は互いに顔を見合わせ、答えたのは美玖。 「そうなんです。今日、ノコギリの鬼刃が欠けたので、修理に行ってるんですよ」 「いやホラ、折っちゃったの私なんだけどねー!全然加減わかんなくてさ、それで怒られて…」 その時である。 男が断りを入れるでもなくテントの中に入ってきたのは。 彼の全身が、みるみると変化していく。 メキメキと音を立てながら、その身体は通常の人間の倍以上に膨れ上がる。 テントの天井を突き破らんばかりの大きさ、左腕の手が失せて大砲のようなモノに変わっていく。 「鬼を斬り殺す、鬼刃はないんじゃなあ?」 そう叫んだ時、すでに男は人間の形をしていなかった。 牛鬼と書かれた白い布に顔を隠した牛の頭部。 まるで樹皮のように硬い皮膚を持つ人型の上半身に、牙を剥き出した口を持つ蜘蛛のような下半身。 これが、ギュウキモンだ。 ちりんっ 頭に生えた左右の角、その端に結び付けられた鈴が鳴る。 下半身の口から糸が二人に向けて吐き出された。 「っ!」 美玖が腰を落とす。 テーブルの脚にひと蹴り。 ミオナが細工をしていたテーブルの脚部に衝撃を加えると、台の部分が斜めに立てかけられた。 糸がそれを覆うが、奥にいる二人までもを捉えるには至らない。 つまみだそうと近寄ったギュウキモンは、そこでテーブルから顔を出す美玖を見た。 「……麻痺光線銃(パラライザー)コマンド、起動!」 一条の麻痺光線がギュウキモンを射抜き、足止めにしている間にテントの切れ込みへミオナが駆け込む。 「美玖、今のうちに早く!」 ーー急転直下。 二人がテントの裏側からすぐ下の坂道へ転がり出たところ、大きな音と共にテントが崩れ落ちる。 暴れる気配に二人は薮へと駆け込んだ。 やがて、テントを引き裂き、ギュウキモンが姿を現す。 二人が近くにいないかと見回すと、坂のところに新しい靴跡を見つける。 ニヤリ、と口角を吊り上げてギュウキモンは音もなく坂を伝うように降りていった。 靴跡は薮の中へと続いている。 そこまでギュウキモンが歩み寄り、陰気な笑みを浮かべた時だ。 ガザザザっ!! 「!?」 薮が蠢いたと思うと、巨大な鼠捕りを思わせるナニかが一斉に飛び出しギュウキモンに喰らいつく。 設置されていた肉食獣(カニボア)だ。 ギュウキモンのウイルス種の匂いに飛び出してきたのである。 絡みつき、噛み付いていく。 「よしっ、早く!」 美玖とミオナが薮から飛び出した。 二人を追いたくとも肉食獣が邪魔だ。 左腕にまとわり付いたものを振り払い、大砲『千砲土蜘蛛』を向ける。 「…撃ってくる!」 後方に視線を向けたミオナが注意勧告。 それと同時に放たれた毒液と糸の塊が、二人との間に並び立っていた木立を幾本も刈り取り砕いた。 人間が当たればひとたまりもない。 そこで二人は岩や複数本の木立を盾に、逃走ルートを進んだ。 その後ろで激しく揺れる鈴の音がした。 おそらく肉食獣を振り払って後を追うつもりだろう。 (次の肉食獣の設置ポイントまでもう少し) 走り抜けながらそう思った美玖だが、木陰の合間に大きな影が走り抜けるのを見た。 「ミオナ!」 「!」 美玖の声にミオナは反応、即座に左側へ跳んで逃げた。 音もなくギュウキモンの巨体が上から降ってくる。 そこへ美玖の麻痺光線が飛ぶが、ギュウキモンはこれを身体を少し横にずらす事でかわした。 (だめ、距離が近い…!) ミオナに向かってギュウキモンが爪を振り上げた。 その時である。 薮の中で光が二つ光ったと思うと、大きな獣が素早くギュウキモンの背中に飛びかかった。 グルルモンだ。 下半身の腹部に生えた数本のシリンダーを飛び越え、上半身の背中めがけて飛びつくと、その肩に牙を突き立てた。 「早ク行ケ!」 二人は揃ってまた走り出す。 一、二分ほどしてその脇に走ってくる気配。 グルルモンが二人に並走してきた。 「足止めは!?」 「馬鹿ヲ言エ!アイツハ猛毒ヲ抱エテルンダゾ。長クハ喰ライツイテイラレン!ソレヨリ乗レ!」 後ろから追ってくる気配。 足音こそないが、それでも背後を見やれば糸を使い振り子の要領でぶら下がって追ってきている。 その巨体に見合わず、速度は、もはや人間の足では逃げきれないまである。 背中に跨ると、グルルモンは走る速度を早めた。 声も足音もない追手。 しかし、確かに追われているという実感。 「肉食獣を仕掛けた次のエリアまで来たけど……残念ね。かかってはくれなさそう」 ミオナが首を横に振った。 ギュウキモンはかなりの高さを移動している。 流石にここまで高いと肉食獣が反応しても、食らいつくには届かない。 先程麻痺光線銃を避けたことも考慮するなら、相当に狡賢いと言えるだろう。 「……グルルモンと美玖達だ!」 逃走ルート、決戦に選んだ開けた場所。 万が一の為に、ラブラモンを施設へ一旦帰したシルフィーモンが反応した。 グルルモンの到着とほぼ同じタイミングで、ギュウキモンが降り立つ。 シルフィーモンが手を振り上げると、上空から雁夜の声が響いた。 「ヤタガラモン!」 「『甕布都神(ミカフツノカミ)』!!」 ギュウキモンの頭上から降り注ぐ光。 決して清廉なものではないが、確かにそれは罰を与えるための光だった。 それを放ったのはピヨモンーーが進化したヤタガラモン。 三本足を持つ、まさに八咫烏そのものの姿をしたデジモンだ。 「うちのキャンプ場の客をよくも食い散らかしてくれたな。それもここまでにさせて貰う!」 「美玖達は下がれ。集中攻撃を……」 ギュウキモンが吠えた。 口から吐く糸で全身を覆い始める。 まるで繭のように糸を自らに纏いだすギュウキモン。 一同が身構えながら見ていると、白かった糸に毒々しい緑色が染み出し染まっていく。 それを下半身の口が、麺でも啜るかのようにするすると吸い込んだかと思うと。 上半身、牛の頭部の口から緑色の糸が上空高くへ吐き出された。 「ちっ…!」 雁夜が舌打ちし、ヤタガラモンは翼を羽ばたかせて飛んでくる糸をかわそうとする。 しかし、糸の標的はヤタガラモンだけとは限らない。 「っ!?」 糸は拡散し、幾重にも折り重なって美玖達へ飛んでくる。 そこへ割って入ったシルフィーモンとグルルモンは、たちまち糸に絡め取られ、その場で倒れた。 「シルフィーモン、グルルモン!」 「来るな!…これは、ただの糸じゃない!」 勘づいてはいたが、やはり糸にはギュウキモンのシリンダーに満たされていた毒液が染み込まれている。 糸に限らず猛毒も活用するギュウキモンならではの攻撃というわけか。 触れた部分から毒液が皮膚を浸透していく。 グルルモンが警戒していた通りに、体内に染み込んで灼けるような痛みを与え、著しく体力を奪う。 「グウ…ウッ…」 立ちあがろうとするたび、身体に灼けるような強い痛みが襲う。 ヤタガラモンが降下し、翼をあおぐと美玖達へ再び降り掛かろうとする糸を払った。 「くそっ、大した事ねぇ奴らだな!」 悪態をつきながら雁夜がヤタガラモンから降りる。 「なあ、この糸が取れればどうにかなるか!?」 「何ヲスル気ダ?」 気づけば、雁夜の手にはケブラー製手袋、そしてサバイバルナイフ。 ヤタガラモンがギュウキモンの注意を引いている間に救助に出る腹積もりだろう。 手袋をはめると、雁夜はシルフィーモンを拘束した糸の束を掴んだ。 どうにか切断しようとナイフを糸の束の隙間に差し込ませるが……。 「く、そっ、切れねぇ…!」 ナイフは一本も糸を切ることがかなわない。 蜘蛛の糸はワイヤー以上の強度を持つとされるが、この糸はおそらくそれ以上ーー 「うあっ!!」 糸に絡め取られたヤタガラモンが吹き飛んできた。 振り向いた先には『千砲土蜘蛛』を向けたギュウキモン。 「駄目、逃げて雁夜!」 糸を振りほどこうとヤタガラモンが暴れる。 雁夜めがけて毒と糸の塊が放たれーーそれを撃ち落とすは光の矢。 「美玖!」 光の矢をつがえた美玖がいた。 ミオナの顔から血の気が引く。 「美玖、何やってんの!?」 「ミオナは雁夜さんを手伝って!蜘蛛糸なら火で炙れば大丈夫なはず…!」 確かにキャンプでの着火用にライターを持っている。 しかし、そんなことより。 「私がギュウキモンの注意を惹くから、その間に!」 「だから、ダメってば!!」 その叫びはもはや悲鳴に近かった。 雁夜も脂汗をこめかみに浮かべながら、美玖の後ろ姿を睨む。 「美玖、わかってるだろう!?いくら麻痺光線銃があっても、長く足止めはできな…」 シルフィーモンが言いかけたところへギュウキモンが再び千砲土蜘蛛を飛ばす。 美玖もすでにつがえていた矢を放った。 弾が撃ち落とされたのを待たずに突進するギュウキモン。 自身から距離を詰めて走る美玖へ、ミオナはまだ叫び続ける。 「美玖、お願いだからバカな真似は本当にやめて!」 「くそっ、おい、火を持ってんなら早くくれよ!デジモンが全員動けないんじゃ意味が…」 「『カオスファイアー』!!」 近くで不気味な炎が燃え広がったと思うと、糸を焼き切り、特技『アンチドウテ』で自らの体内を巡る毒素を打ち消したグルルモンが走り抜けていく。 美玖とギュウキモンの間へ割って入るや、再び口を開いた。 「『カオスファイアー』!」 炎がギュウキモンを包むが、ダメージを受けた様子は見られない。 「グルルモン!」 「オ前ガ助ケニ行ケ。俺ガマダ立ッテイラレル間ニナ…!」 後ろから嫌な臭いが漂う。 ミオナから渡されたライターで、雁夜がシルフィーモンの糸を焼き切っているためだ。 「でも……」 「オ前ヨリカハ倍ノ時間ヲ稼ゲル。ソレニ…俺ニモ約束ガアルンダ、草葉ノ陰ニイルアイツヲ泣カセルナ」 ーーー 単独では勝ち目のない戦いなのはわかっていた。 だが、春信との約束を守るという強い意志がこの場に繋ぎ止めている。 『アンチドウテ』による解毒手段を持っているとはいえど猛毒は少しずつ体力を蝕み、痛みは増していく一方だ。 だがここで退くわけにいかない。 シルフィーモン達の糸が焼き切れるまでに…… 「グアッ…!」 叩きつけられ、ギュウキモンの下半身の口がグルルモンに食らいつく。 ギリギリと顎に力が込められ、牙が筋肉まで貫き通さんと食い込んで。 「グルルモン!」 駆け寄ろうとする美玖をミオナが止めた。 (頼ム、ドウニカ止メテクレヨ…) そうミオナに願いながら、反撃の隙を窺っていた時。 グルルモンの目はそれを見た。 美玖の胸元に輝く、オレンジゴールドと薄桃色の光を。 (……アノ、光ハ……) 二色の光に応えるように、頭上に輝く蒼い光が照らした。 それは、夜の満月の光だった。 「…何!?」 「グルルモンの身体から光が……」 白い毛並みを覆う輝き。 グルルモンの変化にギュウキモンも気づいた。 顎を解放し、素早く飛び退いて距離を置く。 雁夜がつぶやく。 選ばれし子供だからこそ見慣れた光であるゆえに。 「あれは…進化の、光?」 周囲が見守る中、光は強まり、グルルモンの周りをデータの螺旋が包み始めた。 その中で姿が変わり始める。 変化の時だ。 ……進化が始まる。 四足歩行から二足歩行へ。 身体は獣から人型へ。 その身体に纏う衣服が構築され…… 「グルルモン、進化ーーワーグルルモン!!」 現れたのは、ワーガルルモンに酷似しながらもより野獣そのものの凶暴さを空気として帯びた姿だった。 「グルルモンが、進化した?」 ワーガルルモンは軽装だったが、ワーグルルモンは更に上から薄汚れたボロボロのレザーコートを羽織っている。 「……ワゥオオオオオオオオオオオン!!」 グルルモン、否、ワーグルルモンは身体をのけぞらせながら咆哮した。 月の光がその全身を包むや、オーラとして同化していく。 ググッ…と腰を落とす。 「『バーサーカーレイジ』!!」 バネのように脚を力強く蹴り出した。 ギュウキモンに向かって飛んでいくとすれ違いざま切り裂き、そのままUターンしてシルフィーモンとヤタガラモンへ向かっていく。 「「「!!」」」 三人が驚く間もなく、光に包まれた獣人の影が二体のデジモンの間を通り抜けた。 「!」 「糸が、切れた…!」 シルフィーモンとヤタガラモンを拘束する糸が斬り裂かれて落ちる。 二体の手前でワーグルルモンは動きを止めた。 金色に光る双眸を二体に向ける。 「…反撃ダ、準備ハ良イカ?」 …形勢は逆転した。 ギュウキモンは糸と毒により再び搦め手、弱らせようと試みたが。 「『ライカンクロー』!」 せっかく張った糸があっさりと断ち切られる。 では毒をと浴びせれば。 「!?」 標的に選んだシルフィーモンの前に立つワーグルルモン。 緑の毒液が直撃する。 「大丈夫か!?」 「コレクライナラナ」 浴びた毒液が毛並みの上でジュウジュウと蒸発していく。 グルルモンの時と同じ『アンチドウテ』による解毒だが、明らかに自己回復力はグルルモンの時より優る。 これにはギュウキモンの表情も幾らかの焦りと思しきものが浮かんだ。 「『甕布都神』!」 再び自由を取り戻した翼から再度攻撃を放つヤタガラモン。 それをかわし、糸による補助で大きく飛びあがろうとしたがそこへシルフィーモンが追撃。 「『トップガン』!」 ドォン! 土手っ腹にエネルギー弾を受け、大きく吹き飛ぶ。 その眼前には跳躍したワーグルルモン。 反応よりも速い一撃がギュウキモンへ繰り出された。 「『ライカンクロー』!」 「っ!」 ゴッ、と脳にまで届くほどの衝撃と共に、ちりりんと激しく鈴が鳴った。 ーーギュウキモンの角の片方が、中ほどからもぎ取られていた。 「う、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ!!」 頭を押さえ、悶えるギュウキモン。 そのもう片方の角を、ワーグルルモンが掴む。 その空いたもう片手の掌から、血のようなものが滲み出たかと思うと細長い刃へ変わった。 「……鬼刃ガアレバ、鬼ヲ斬リ殺セルンダッタナ?」 「!?」 細長い刃と思ったものは、ノコギリ。 持ち手に一番近いその刃は、凶悪な程大きく尖っている。 それを見たギュウキモンは、素顔こそ隠れていたが…その布の下で明らかに怯えの表情を浮かべているのがわかった。 「やめ、ろ」 「オ前ニ殺サレタ奴ラモソウ思ッタダロウヨ!」 細長いノコギリの刃が閃いた。 …ただのノコギリではない。 ワーグルルモンの暗殺用の武器、あらゆる凶器に可変可能な『ジェヴォーダン・ベート』。 それがギュウキモンの首を抉り、彼の生命を根こそぎ刈り取ったのだった。 ーーーー 「せんせい!」 施設へ戻った美玖達をラブラモンが急ぎ足で迎えた。 その脇から、純白の戦士が現れる。 雁夜とヤタガラモンから退化したピヨモンが驚いた。 ヴァルキリモンとは初対面なのだ、無理もない。 「あ、ヴァルキリモンさん!?」 ーーーラブラモンが連絡を寄越してね。窮地の気配を察知して来たが…杞憂だったみたいだ。 ヴァルキリモンが言いながら、肩へ停まったフレイアを撫でた。 「ぎゅうきもんはたおしたんだね」 「ああ…窮地だったのは事実だよ。今回は、グルルモンが進化して事なきを得た」 言いながらシルフィーモンは後ろへ向き直る。 すでにワーグルルモンから退化したグルルモンがそこにいた。 「ひとまず反省会は必要ね」 そう、意味深な笑みを浮かべながら、ミオナは美玖の方を向いた。 「えっ?」 「えっ?じゃない!!今回は本当に、死んでもおかしくなかったんだよ美玖!」 「……そうだな」 シルフィーモンの賛同の声も、普段よりかなり低い。 美玖が一人と一体を交互に見た。 「え、ええと…二人とも…」 後ずさった美玖の腕を、ガッチリと掴んだのはシルフィーモン。 彼の口角が牙を一層際立たせつつ、ゆっくりと上がった。 「先に車へ行こうか、美玖。ゆっくり君にお説教してやるよ……ゆっくり、ね」 「え、ちょっと待ってシルフィーモン。怖い、ねえ、怖いって。ねえ待って、ちょ、お説教って…ねえ!?」 ずるずると引きず……られることもなく、あっという間にシルフィーモンの腕に抱きかかえられながら、駐車場の方へと連行されていく美玖。 それを呆然と見ていた雁夜に、ミオナが乾いた笑いを浮かべた。 「あはは…うちの所長がほんとにすみませんでした。なんであんなに無謀なのか、よくわかんなくて」 「ひ、ひとまず礼を言うよ。今回は本当に助かった。あいつをあのまま放置しようものならここの運営も危ういところだったぜ」 「カリヤの言うとおりよ。私からもお礼を言わせて!やっと犯人に引導を渡せたんだもの」 「ひとまずあの淵から聞こえる鳴き声が何かはわからなかったけどね」 「それについてだけど、あの淵の周辺は封鎖しておこうと思う」 「あ、そうなんだ?」 ミオナの問いに雁夜は淵のある方角を向きながら応える。 「あそこに人間は近づいちゃいけない…そんな予感があるんだよ。あの鳴き声が夢に出そうってのもあるけどな」 「…牛鬼が出るって淵だもんね。これでまた、危険な奴がいそうならそうして良いかも」 「こんかいはぎりぎりでまにあったようなものだからよかったけど、つぎもこうはいかないかもしれないしね」 不穏なつぶやきをラブラモンが漏らす。 その脇で、グルルモンはゆっくりと伸びをした。 「トコロデ腹ガ減ッタ。多分、進化デエネルギーヲ使ッタ影響ダロウ」 「やいたおにくは?」 「…アルノカ?」 「きのうのぶんがまだあったはずだよ」 ーーーせっかくだし私もちょっとお相伴に預かりたいよ。今度のキャンプには何かの機会でご同行願いたいものだ。 「はいはい」 ……… こうして、キャンプ場での凄惨な事件は、犯人であるギュウキモンの討伐を以て幕を閉じた。 そう、事件だけは。 ……… ーー深夜二時。 周辺を封鎖された淵は。 静かに凪いだ水面、辺りを包む暗闇、何も変わることがなく。 そうかと思えば、その水面の一部が、大きく揺らいだ。 ざばあ、ざばぁ じゃぷっ、じゃばじゃば、ざぽんっ… 水面の下から、眼を光らせたそれが現れる。 牛の頭、屈強な鬼の身体を持つシルエットが、水を割って現れた。 もぉぉおおおん… 不気味に眼だけを光らせたそれは、辺りをゆっくりと見回す。 淵の周辺にはキープアウトテープが貼られている。 以前まで、そいつが見なかった光景。 うぉぉぉおおおおおおん…… 悲しげに、それは夜空へ向かってひしりあげる。 美玖達が聞いたのと全く同じ、咆哮とも慟哭とも違わない声を。 うぉぉぉぉぉおおおおおおおおんんん……… うぉーん…… ウォオオオオオオォォォォン……… うぉぉおおおおおおおおん……………
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みなみ
2023年9月18日
In デジモン創作サロン
むかーし、むかし。 深い山を抱えたある集落には、二十三夜さまと呼ばれる小さな祠がありました。 この集落では毎年、二十三夜さまへのお供え物をするのが決まりとなっています。 万が一欠かすことがあれば、お使いのきつねがたいそう困ったいたずらをすると知られていました。 さて、お供え物は一年に決められた家の者が順番に届けに行くことになっていて、弥太郎という一人の男の子がその番となりました。 この弥太郎、とても悪戯好きで、集落の人たちをよく困らせました。 「あーあ。めんどうくせぇなあ。オラぁ、二郎たちと山へ遊びに行きてぇ」 拗ねた様子で、弥太郎は石を蹴り飛ばします。 おっかあはそんな弥太郎をなだめました。 「そんな事を言うんでねぇの。お供え物のお団子が出来るから、ちゃあんと夜に届けるんだよ」 お供え物を出しに行くのは、月の明るい夜に。 でも弥太郎は気が進みません。 お月さまで明るいとはいえ夜の道を、たった一人で歩かなくてはいけないのです。 それに、お供え物を置いた後にやってくる、きつねを見てはいけないと言われてもいるのでした。 (なぁにがケモノガミだ。ただのキツネじゃねぇか。オラ達人間さまを化かして良い気になって、お供え物を食って腹をふくらませてるに違いねぇ) 集落の近くの山では、ケモノガミと呼ばれる神さまに大層近いモノ達が住んでいます。 ケモノガミの機嫌を損ねたり、怒らせた者は二度と帰って来れない。 そんな言い伝えを弥太郎は聞かされています。 けれど、キツネなら山にもいます。 なのに、祠に来るというそのきつねとやらが、いかにも特別扱いされていることが弥太郎には気に入りません。 (よぅし、今夜、きつねの姿を見て、おどかしてひと泡ふかせてやる!) そんな事さえ考えついた弥太郎は、それがどれだけ危険なことか知りませんでした。 なぜ、ケモノガミが恐ろしいのか。 話には何度も聞かされても、実感が湧かなかったのでしょう。 まもなく、家の中からふかしたお米のいい匂いが、腹の虫を鳴らしました。 ○○○○まんまる、ぴっかぴか○○○○ そうして、供え物のお団子を持って弥太郎が出た時には、辺りは真っ暗で上には明るいまんまるのお月さまが顔を出していました。 祠があるのは村と山の間にある一本の細い道。 外から訪れる旅人もよくこの道を通ります。 風呂敷を担いでえっちら、おっちら。 やっと着いて、お団子を置いたら、まあ大変。 ぐぅう…… 「腹減ったなぁ。ちょっとだけ団子食っちまってもいいよな!」 弥太郎は、腹の虫が鳴って辛抱できなくなったか、さっそくお団子を一つぱくり。 「うんめぇ!こりゃ、キツネなんかにはもったいねえや!」 お供え物ということを忘れて、ひとつ、またひとつ。 気がつけば、十個近くお団子を食べてしまいました。 「おっと、いけね、いけね。……どうせオラが食ったなんて誰も知らねぇよな!きつねが食ったと思うだけだぁ」 そんな事をほくそ笑んでいます。 そうして、弥太郎は早速、こっそりと家から持ち出していた蛤の貝殻の笛を取り出しました。 そして、祠の後ろで、待つことにしたのです。 (さあ、来い。オラの笛でおどかしてやらぁ!) 弥太郎は貝殻の笛を吹かせれば集落じゅうの子どもらの中でも一番上手く、馬を驚かせて大人たちに叱られたことが何度もありました。 今回も、後ろからいきなり大きく吹いて、驚かすつもりだったのです。 それから、半刻ほど経った頃でしょうか。 がさがさと、山の方から草をかき分ける音がするではありませんか。 (……しめたぞ) ちらり、とお月さまの光に輝く金色の尻尾が見えます。 祠の手前、弥太郎のすぐ近くです。 弥太郎は悪戯心にほくそ笑みながら、穴の空いた蛤の尻に唇を当て…… 「おかしいな、団子が足りない。足りない団子はどうした、いたずら坊主」 童のような声に、弥太郎は思わず動きが止まりました。 そして、ぱちくりと開いたお目目と、目が合いました。 「だめだ、だめだ。この悪たれ坊主。お前だな、団子に手を出したのは。いけないなあ、いけないなあ」 「ひ、ひっ」 それは、キツネのようで、キツネではありません。 キツネと比べてとても小さく、寸胴で、非常に短い足をしていたのです。 けれど、尖った耳や金色の毛並み、尻尾は確かにキツネだったのです。 それは可愛らしい人形のようでしたが、弥太郎を見据える目はとても冷たい氷のようでした。 「う、うわあっ」 弥太郎は逃げ出しました。 おどかそう、なんてなぜ思っていたのでしょう? ですが、もう遅かったのです。 何かふわふわとした細長いものが、弥太郎の手足を絡めとります。 それは、長い長い狐の尻尾でした。 それは、弥太郎の胴体に絡みつきます。 それは、弥太郎の首にひと巻きします。 先程よりも大きくなったキツネが、にやりと笑いました。 もう遅かったのです。 おどかそう、なんて考えなければ。 供え物のお団子に手を出さなければ。 でも、もう遅すぎたのです。 夜が明けて、戻らない弥太郎を探しに祠まで来た集落の人々が見たものは、弥太郎がいつも吹いていた蛤の笛と小さな草鞋だけでした。 「祟りだ、きつね様の祟りだ」 「弥太郎のやつ、ケモノガミ様のお怒りにふれて連れて行かれたんじゃ。今年の供え物の当番の順番は決まり事じゃけ、あいつでもそこまでやらんと、思っとったのに…」 草鞋を抱きしめる弥太郎の母親の嗚咽は、一日中止まることはありませんでした。 ……それから、昭和の中頃、集落が終わるまでの間。 お供え物を粗末にすることも、きつね様をおどそうという悪い考えをする者が出ることもありませんでした。 弥太郎がケモノガミの怒りに触れ、お隠れになったという事実が、集落じゅうに改めてケモノガミへの恐れを植え付けたのです。 ……これは、古い古いおはなし。 ケモノガミと呼ぶモノ達が、記録だけを残して幽世(かくりよ)に姿を消す前の、おはなしだったということです。
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みなみ
2023年9月17日
In デジモン創作サロン
これは、そのような"モノ"が出たかもしれないIFの物語。 「……っ」 必死に吐息を押し殺す。 とっさにカバンから出した参考書のページを開きながら、脇をそっと覗き見た。 (やべぇ……距離が、近い) 転校早々にこんなにも心臓が激しく荒ぶるなんて厄年か何かか。 そう思った彼の名前は、縁道達也(えんどう・たつや)。 電ノ宮高校に転校してからまだ日の浅い二年生だ。 そんな彼は今、運命の女神に翻弄されつつあった。 というのも…… (カッコつけて参考書なんて出したけど、さすがにオレの事気づいてたり、知ってるわけねぇよなあ。スマホに夢中みたいだし) 達也の目線の先には同じ高校の制服姿の少女。 栗色の髪をハーフアップに結い上げた美少女の名は淡空愛(あわぞら・あい)。 クラスで評判の美少女と目されている。 よく女友達と話す姿を目にした印象だが、どうやら今は一人のようだ。 バスの待ち時間に、二人きり。 話しかけるには絶好のロケーションだが、達也にはそれを実行できる勇気などあるわけもなく。 (それにしても、ずっとスマホを見てるけど、何だろう?……あ、笑った?) 観察していれば目にする、愛の笑み。 気兼ねない友達と会話をしているかのような様子だが、気が気でない。 (実はもう誰かと付き合ってるんじゃ) そうだったらガッカリする。 もちろん自分が。 好奇心と興味、不安を抑えきれずに覗き込んだスマホには…… (なんだ、これ?) 一瞬だけ見えた、何かのイラスト画像。 その右や下部分に、何やら色々と画像や文章が載っている。 どうも、SNSの類ではないようだが、かろうじて目に入った単語を思わず読み上げてしまった。 「…【デジタル・クルセイダーズ】?」 ハッとした。 愛が目をいっぱいに見開いて、自分の方を向いている。 (しまった!怒られる!?) 「わ、わわわ悪ぃ!何見てんのかと、つい気になって…」 だが、愛の反応は彼の予想を外れた。 とびっきりに目を輝かせた彼女は、達也にぐぐいっと迫った。 「達也君、PBW(プレイ・バイ・ウェブ)……"デジクル"やってるんだ!?」 「ふぁっ!?」 (何だそれ!?) 名前を覚えてくれてた、という衝撃よりも彼女の食いつきの方に驚かされる。 「……お、おう」 「ねえ、何のデジモンにしたの!?組織(トライブ)はどこ所属!?もしかして依頼かリアイベで会ったことある?……ああっ、待って、待って!聞くのが怖い!!」 (す、すっげえ早口…!嬉しいけど、なんか複雑っ) 茫然となって、しまいには。 「来月、オフ会に来る!?」 「もちろん!!」 勢いに流されて、約束してしまった。 「PBW、PBW……っと」 後悔先に立たず。 ひとまず、どんなモノかわからないことにはと家に帰って検索した。 勢いに乗せられてウソをついてしまった、では愛を悲しませてしまう。 そんな事だけはどうしてもしたくなかった。 なにより、彼女にお近づきになれるチャンスという、不純な動機もある。 「お、出てきたぞ。…PBW…とは?」 PBW。 正式名称はプレイ・バイ・ウェブ。 ウェブ上の遊戯ジャンルのひとつで、文章による通信が重視される多人数同時参加型ゲーム。 インターネットが普及する以前は、郵便を介して文章による通信を行うPBM(プレイ・バイ・メール)なるものがあった。 「……文章が多すぎてわかんねぇな。ついで、デジタル・クルセイダーズで検索っ……と」 こちらもすぐに検索結果にヒットした。 公式ページとされるアドレスにアクセスした瞬間、画像に迫力のあるモンスター達のイラストが表れる。 「うぉ、…て、こいつ見覚えがある。確か、デジモンだったよな…。今もあったのかよデジモン。公式でこんなのが…しかも、ブラウザゲーム」 それ以外、何もわからぬ。 だが達也は諦めない。 諦めては男が廃る。 こういう場合の"攻略法"を、達也は理解していた。 即ち、 「他人に聞く!!」 そうと決まればキャラクター作成だ。 キャラクター作成と書かれたタブをタップすると、説明文とは別に選択枠や記入欄が表示された。 「これは、…デジモンでキャラクターを作るのか」 それも、人間のオリジナルキャラをではない。 デジモンで自分の考えたオリジナルの性格や設定のキャラをデザインするようだ。 それも、成長期から究極体までの、一部を除くほぼ全てのデジモンを。 さすがに外見を大きく変更は無理のようだが、いくつかの外見特徴やアクセサリーを選択する事で識別が可能らしい。 「よし、ならオレは……」 成長期の項目を選び、かつて憧れたデジモンの成長期だったその姿を選択。 究極体にそのデジモンの項目がなかったのは残念だったがそれはそれ。 「この装飾品の項目は……ブレスレットとピアスにするか。後で変更可能だってあるし」 性別の項目があるが、これはデジモンの個性(パーソナリティ)のものだ。 男性的・女性的・中性的の三つ。 女性っぽいグレイモンや男性っぽい口調のリリモンなどを演じる(ロールプレイする)ことができる。 この項目に、男性的、と選択。 こうして、選択と記入を完了し、キャラクターが無事誕生した。 次は…… 「次はこの、おあつらえ向きに組織ってある所選びだな」 組織のページには、全く異なる絵柄のイラストのデジモンの顔アイコンと、組織によっては風景などが描かれたバナーが設置されていた。 「これ、デジモンのイラスト、なんか皆絵柄が違うな。オーダーメイドか?…んなわけ、ないよな」 同じデジモンでも絵柄や、絵の雰囲気がまるで違う。 そんな手の込んだゲーム、あるわけなど…… ふと、ある組織に目が止まった。 その名は【Heliolite】。 「お、この組織のリーダーのデジモン、知ってる。ガルダモンだ。この絵の感じはなんか見た事があるな…」 どこで見たかは覚えてないが、ひとまずと組織の詳細を確認してみる。 というのも、組織の詳細には初心者向けとあったり、特定の種族や属性オンリーと記載された所が多かった。 初心者向けの項目はなかったが、運命を感じて即座に入団申請を送信。 もちろん、簡易な紹介文を入力してだ。 申請してから10分後。 「……お、受理された」 早速、組織の掲示板に入ってみると雑談のスレッドにそのガルダモンによる新規入団のコメントが残されていた。 ーーーー ベガ・エイダック(青空を駆ける焔・g0237) 「新しい仲間が一人来たぞ。リューガ・コウジン(煌めきの紅刃・g5173)。最近、クルセイダーとなった新人のギルモンだそうだ。よろしく頼む」 ーーーー 達也はすぐにレスを返した。 『おう、初めてだ!よろし』 ここまで入力して、思い直す。 「いや、違う違う。こいつのキャラ(性格)なら…」 ーーーー リューガ・コウジン(煌めきの紅刃・g5173) 「入団受理感謝する。俺はリューガ。若輩者だけど遅れをとるつもりはない。ここに来てから色々教わることも多いだろうから、よろしく頼む」 ーーーー すると、幾つかのコメントがこの前後に入ってきた。 ーーーー シラユキ・ダンゴ(お団子は冷たくて丸い・g1025) 「初めましてー!ユキダルモンのシラユキだよ。リューガさんは初めての組織かあ。ゆっくりしていってねー!(にぱっ」 トマ・コマイ(お米は大事・g0081) 「おおっ、新たなオコメニストの降臨……ごほん。初めまして、トマだ。ここが初めての組織だそうだね。是非ともよろしく頼むよ」 ーーーー トマのコメントと発言アイコンには思わず吹き出してしまった。 ワイズモンなのだが、ポップな絵柄と文字で『お米は 生命!』と書き出されているのに笑いを誘われた。 しかも手にご飯とお箸持ってるし。 一方のシラユキは、綺麗さと可愛さの相まった顔アイコンだ。 ユキダルモンが可愛らしく描き上げられている。 (なりきりは久しぶりだけど、まさかデジモンでこんな光景が見られるなんてな……) 大抵の人にとってのデジモンはアニメなどでイメージが固められてしまう。 しかしここでは、それに囚われない、デジモンをキャラクターとして表現する人達がいる。 それに感心しつつ、他のネトゲでは難しかった完全なキャラクターのなりきりができる事に達也は面白さを覚え始めた。 ーーーー ベガ・エイダック(青空を駆ける焔・g0237) 「こちらこそよろしくな、リューガ。もし迷うことがあったら、現在のゲーム内の時勢なら【これまでのあらすじ】を、それ以外は各ページのヘルプがある。もし他にもわからない事があれば聞いてくれ」 リューガ・コウジン(煌めきの紅刃・g5173) 「よろしく頼む、皆。皆は俺の先輩だ、これから色々とわからないことがあれば教えを請おうと思っている」 トマ・コマイ(お米は大事・g0081) 「いやいや、先輩後輩と言わずとも新たな団員を我々は喜んで歓迎しよう。ここで会話を楽しむも良し、イラストを頼むも良し、依頼や闘技場に繰り出すも良し。我々クルセイダーの生活の基本だよ」 ーーー 「え、待てよ?」 達也はトマのコメントに目を瞬かせた。 このトマの顔アイコンがまた、絵柄が違う。 先程はコミカルな絵柄だったが、こちらは真剣味のあるものだ。 いかにもワイズモンといった、公式絵とは異なる趣きで描かれた謎めいた魔導士然のある顔アイコン。 「イラストを頼むって……もしかして、始めからゲーム側が用意してくれてるものじゃなくて、全部一点ものなのか!?」 そういえばと、キャラクターのステータスページを見る。 むろん、トマのだ。 すると……。 「すげぇ、描いた人の名前がバラバラだ…!」 顔アイコンの種類が豊富なのはもちろん、上半身だけを描いたいわゆる『バストアップ』イラストに全身イラスト。 さらには、ベガやシラユキ、複数のデジモン達と仲良く生活している光景に、達也には見覚えのある存在を相手に複数のデジモン達と共に戦うような構図も見受けられた。 「このイラストで相手に戦ってる相手、デ・リーパー!?このゲーム、デ・リーパーも出るのか!」 アニメで見たことのある敵だ。 すぐに、リューガでコメントを残すことにした。 ーーー リューガ・コウジン(煌めきの紅刃・g5173) 「今、トマのページからアトリエ?っての見てみたんだが、色々と沢山あるんだな。どれもトマが頼んだものなのか?」 ーーー しばらくして、また新しくコメントが入った。 ハイビスカスの頭飾りを着けたプレシオモンだ。 ーーー ナギサ・ガリュプデス(プレシオモンのクルセイダー・g3170) 「ベガ団長はDMありがと〜☆こっちも発注文の案が固まったから、今送っとくね!//リューガ君はいらっしゃい!ナギサっていうの、よろしくね!そうだよ、アタシ達のイラストは全部、専属のイラストレーターさん(イラストマスターって呼ぶ)に有料で依頼してイチから描いてもらう、世界でアタシ達だけの絵なの。アトリエってページを一度はチェック、チェック〜♪」 ーーー 「この人は二つ名はつけないのか」 キャラクターの名前とは別に二つ名を設定する事ができる。 未設定の場合は○○○(デジモン名)のクルセイダーと付く。 ……それより。 「すげえ……確かにいっぱいイラストがある。これ全部が……」 これが同人等のゲームなら問題だが、デジモン公式によるゲームならばほぼ無問題、といったところか。 装飾品による違いがあるとはいえ同じデジモンでもイラストマスターによる描き分けは見事としか言いようがない。 課金方法についても詳しく調べたところ、入金方法はウェブマネーやクレジットカード等幾つかの手段があるが、どうやらウェブマネーで払うのが一番のようだ。 ーーー リューガ・コウジン(煌めきの紅刃・g5173) 「ありがとう、トマ、ナギサ。凄いイラストばかりだ…これが全部公式で一点ものなんて、信じられない」 ……数分後…… ベガ・エイダック(青空を駆ける焔・g0237) 「ありがとう、ナギサ。今DMを受け取った。★が用意でき次第リクエストしよう。そちらも用意しておいてくれ。(リューガの言葉に)そう、だが一点ものなのはイラストだけではないぞ。そう、俺達が活躍する物語、つまり小説も一点もの…いや」 ーーー ここでベガは別のアイコンで新たにコメントをした。 劇画風の、気合いを入れたような顔アイコンを。 ーーー ベガ・エイダック(青空を駆ける焔・g0237) 「イラスト、俺達が選択した未来を描く小説、全てが一点もののゲームなんだ!」 ーーー 「…そういえば、小説がゲームになるって書いてあったな」 そも、勢いに乗って肝心の世界観を確認していなかった。 そう思い、達也は、図書館とあるコンテンツページに移動した。 ……デジタル・クルセイダーズ。 その始まりはこうだ。 時は2000年。 まだ人間とデジモンが、時々干渉しつつも決して交わり合うことのなかった時代。 しかし、とある国の軍事組織が、秘密の実験によって異次元の扉を開いた事で人間にもデジモンにも脅威たる存在を招く可能性を作ってしまった。 デ・リーパー、或いはイーター、また或いは遥か昔に置き去られた"神"の眷属……。 必死の抵抗も敵わず、滅亡へ追いやられていく中、一人の少年の祈りに応えた一体のデジモンをきっかけに多くのデジモン達が人間達の救いを求める声に応じた。 やがてそれは、イグドラシルやホメロスといったOSまでを巻き込む戦いに発展し、ロイヤルナイツやオリュンポス十二神、四聖獣といった勢力らは一時的に人間達を救援する側へ立つことに。 そうして人間を救う側として立ち上がったデジモン達は、クルセイダーと呼ばれた。 クルセイダーとなったデジモン達は、デジタルワールドや現実世界を脅かす存在、或いは七大魔王を筆頭とした敵対勢力と戦いを繰り広げることとなる。 ーーー リューガ・コウジン(煌めきの紅刃・g5173) 「そういえば、さっき依頼って言っていたのはそれだろうか?それも一点ものの…?」 シラユキ・ダンゴ(お団子は冷たくて丸い・g1025) 「うん、それで合ってるよー。詳しくはシナリオのコンテンツページを確認して欲しいけど、イラストも小説も含めて全部が一点ものってとこがPBWかな。長くなるからちょっとDMを送るねー!」 ーーー 少しして、ページの左上にあるリューガの顔アイコン(公式イラストのギルモン)に円で囲んだ1の数字が浮かぶ。 すぐにチェックすると、リューガのステータスページのうち、DMとある項目に赤丸で囲んだ1の数字。 どうやらメールが、何通来ているかと言う事を示すためのもののようだ。 *** シラユキ・ダンゴ(お団子は冷たくて丸い・g1025) 「ちょっと長くなると思うからこっちで説明するねっ。シナリオのページにはもう飛んでると思うけど、専属の文字書きさん(通称はマスター)が出している幾つものお話の冒頭が出てるの。 その冒頭、いわゆる話のオープニングを読んで、どのお話に自分のキャラを参加させるか決めるの!」 *** 途中まで読んで、シナリオのコンテンツページに飛ぶ。 ここで、様々なタイトルが出てきたので、適当に幾つかのタイトルのオープニングに目を通した。 「本当に小説の冒頭って感じだな…」 内容も様々で、目標の例を大まかに挙げると… ・ショッピングモールが敵対デジモンに襲われた!すぐに駆けつけろ! ・○○県の観光地にイーターの出現が予知された。客を避難させつつ出現したイーターを掃討せよ。 ・小学生が下校中に迷子になった。危険な神の眷属と遭遇する前に救助せよ。 …といった具合。 ゲームの設定として、カーネルとアクセスする権限を持つ選ばれた人間達、通称【メッセンジャー】がカーネルを通して得た限定的な範囲の未来予知をクルセイダー達に知らせるものになっている。 なお、このメッセンジャー達の予知から大きく外れた行動をとった場合は、予知とは全く違う事態になる可能性が出るため避けるべきであるようだ。 メッセンジャー達は全て人間で、マスター専属のNPCである。 年端のいかない子どもから、酸いも甘いも噛み分けたような壮年まで様々だ。 そこまで読んで、シラユキのDMの続きに移る。 *** 「もし参加したい冒頭のシナリオ、つまり小説が決まったら、『その小説で自分がやりたいこと』を『リューガ君自身の文章』で書く。 その文章、通称『プレイング』がマスターの元に渡って、他の人達の書いたプレイングと組み合わせて、小説の本編を書いてくれる。これはリプレイっていって、全部が無料で読めるよ! 機会があったら読んでみてね」 *** つまり、プレイングを書くに当たって限られた選択肢は少なく、その上で『自分はこういう行動をとる』と宣言するのだ。 確かに面白いかもしれない、けれど。 (でもあまりゲームって感じがしな……ん?) ふと、数多くある冒頭を眺めていると目に入ったもの。 それは、作戦を相談し合う様子だった。 「そうか、皆で参加する一本のシナリオだもんな!そりゃ、良いプレイングや結果を出すために頑張るか」 ふと、ここで新たな書き込みを見つける。 ベガの発言だ。 ーーー ベガ・エイダック(青空を駆ける焔・g0237) 「シラユキが説明してくれていると思うので、俺から他に言う事があるとするなら。それはやはり、シナリオに参加し、プレイングを書き、リプレイを読むことで攻略や研究をする楽しさだ。皆と協力し、努力し、選び取った選択の成果がプレイングになってリプレイに変わる。それによってこの世界がどう変わっていくかも変化する。ゲーム内の時間ではなく、現実世界(リアルタイム)でだ。これが、PBWの本質であると共に皆と世界を共有していく楽しさそのもの。覚えてくれると嬉しい」 ーーー 気がつけば、達也はすっかりデジタル・クルセイダーズにのめり込んでいった。 なりきりチャット感覚で話をするブラウザゲームは新鮮であったし、同じ組織所属を中心とした友達ができたからだ。 その経過で、達也は幾つかの事項に取り掛かっていた。 例えば、自身のキャラ…リューガ・コウジンのイラストのリクエスト。 「番号を入力して………よし、買えた」 間違えないよう画面に、ウェブマネーのカード面に記載された数字を入力する。 達也が教わって知った事の一つは、PBWは基本的にお金のかかるゲームということ。 組織や誰もが利用できるフリー掲示板の他、リアルタイムイベントの参加は無料だが、イラスト発注やシナリオへの参加等の一部のコンテンツは有料だ。 特にイラストが最もお金がかかりやすく、絵を発注する基本たるバストアップを頼むだけでも4〜5千円はかかる。 顔アイコンは一つにつき大体1000〜1500円ほど。 それでも月額制や強制的な支払い要求ではないだけありがたいのだが。 「イラストマスターって沢山いるけど……この人の絵、好きだな。頼んでみよう!」 派手で大胆な色使いと力強い線、影の表現がクッキリと特徴的な絵。 見れば色々なデジモンのものも描いており、ウォーグレイモンやジャスティモンといったカッコいい面子が多い事にワクワクしてしまう。 だがまずはリクエストだ。 ナギサやシラユキの説明によれば、絵を注文する際その仕方によって違うという。 「リクエストは発注文を送って一週間までの間に受理されればOKで、発注は発注文を送ってすぐに描いてもらえる、だったな」 今回頼むイラストマスターはリクエストのみの受付をしているらしく、積極的に受付をしている事を示す火の玉のマークがマスター名の横についている。 リクエストを送信するため、絵の種類やリクエストの期限の設定を選択し、発注文の枠へ進む。 発注文の文字制限は300文字まで。 完全なオリジナルキャラならばビジュアルまで委細を書く必要があるが、デジモンならばその工程をある程度省けるので妥当か。 『初めてのリクエストです、よろしくお願いします。 キャラクターイメージはクール。 デジモンはギルモンです。 耳っぽい所にピアスを三つ。 ブレスレットは両腕に着けています。 ブレスレットは赤い石が嵌め込まれた黒いものでデザインはシンプルです。 胸に左から右にかけて傷跡があります。 目つきは鋭くてこちらを睨んでいる感じに。 ポーズは全体的に斜め右を向いています。「やるのか?かかってこい」という風に挑発した感じでお願いします』 「……こんな所でいいかな?」 脱字やアトリエのルールの抵触がないか確認の後、リクエスト送信のボタンをクリック。 後は受理される事を祈るだけだ。 …… リクエスト送信から二日後、初めてのリプレイを送信したその日。 昼休み休憩で弁当を食べ終えた達也は、いつものようにスマホからログインしようとした。 そして。 「……な、なんだこれ」 いつもならメッセンジャーかNPC側のデジモンがいるトップ画面。 しかし、その雰囲気がガラリと変わり、画面一杯に何処かの洞窟の内部のような背景と見慣れないデジモンが出ていたのだ。 デジモンは人型で、天使型のような、しかし魔王のような相反する雰囲気を纏う偉丈夫。 ルビーのように赤い右眼とその周辺を覆う仮面が印象的だ。 トップの下部には、以下のような文章が記されていた。 ーーー 〜デジタルワールド、バグラモン軍団本拠地にて〜 密かに向かわせた尖兵より連絡が入った。 既に自身の預かり知らぬところで多くのイレギュラーが人間の世界への侵攻を果たしている。 ならば、此方も好機と見て動くとしよう。 人間界への侵攻に遅れをとるとあっては、このバグラモンの切望が果たせぬというもの。 待っておれ、神よ。 失墜の刻は必ずや訪れる。 これは、その一歩と知れ…! ーーー 達也はタダならぬ情報に、慌てて愛の姿を探した。 愛は、ちょうど同じクラスの女子と談話中だ。 「あ、淡空!ちょっと良いか!?」 声をかけると、愛や周囲の女子はもちろんだが、男子の注目も引いた。 「どうしたの、達也君?」 「淡空もこれ、見たか!?」 彼女にスマホを見せる。 すると、たちまち愛の表情が変わった。 「えっ、時限トップが来てる!…そうよね、もうじきオフ会だから事前に何かくるかと思ってたけど」 「どういうこ…」 そこで、授業開始を知らせるチャイム。 「ありがとう、達也君!達也君も、後で予定をチェックしてね。もうじき戦争が始まるかもしれないから!」 「せんっ…!?」 戦争、と物騒な言葉に達也は続きを聞きたかったが。 結局、この日は彼女とのやりとりに下世話な興味を持った男友達から絡まれたおかげで聞けずじまいとなった。 下校してからログインしてみた時には、既に偉丈夫なデジモンの姿は消え、代わりにトップには思いもよらぬ姿のデジモンがいた。 中世の騎士を思わせる白銀の甲冑、赤い竜を模したフルフェイスヘルムの庇(ひさし)、目の覚めるような軽薄な紅のマントに巨大なラウンドシールド……。 「デュークモンだ…!」 アニメで見た時から一番の憧れだったデジモン。 このゲームではNPC、ロイヤルナイツであるためキャラクターとしての作成ができなかった。 「やっぱりデュークモンはカッコいいな……」 トップ画面も少し変わっており、またトップ画面にいるキャラのコメントが表記されるもだがそこにはこうある。 ーーー 「皆の者、メッセンジャーからの緊急予知は届いただろうか。 先刻我らロイヤルナイツの元にも、バグラモンによる侵攻が始まるとの予知が届いた。 バグラモンは長い事人間の世界への侵攻を企んできたデジモンの一人。 バグラモン軍の侵攻を許せば人類にとっても我々にとっても更なる脅威となるだろう。 予知によればバグラモン軍の侵攻が行われるのは一週間後だ。 既に師団を設けている故、希望者は集まって欲しい。 このデュークモンも此度の戦いに馳せ参ずるため、宜しく頼むぞ」 ーーー 組織に向かうと、すでにベガによる専用のスレが立ち上げられていた。 その内容が長いものだったが、リアルタイムで行われる戦争イベントに関する説明だ。 それを読むうちに、達也の表情は青ざめる。 「死亡っ…!?このゲーム、キャラロストがあるのか!」 プレイヤーキャラクターは、難度の高い依頼や戦争イベントへの参加で重傷に陥ることがある。 この状態のまま更なる依頼や戦争への出撃をすると死亡する可能性が高い。 そう、ベガは説明した。 「すると重傷が回復するまで待ってろって話か」 重傷は数ターン経てば回復する可能性があるとベガは言う。 毎回、戦争は最大8ターンあり、リプレイを書く猶予が30分とリプレイによる結果発表がその一時間後なのでかなりの長丁場になる。 その間重傷者はどうするか? ベガの返答(もといスレッドによる説明)はこうだ。 『他の出撃している者の応援に回る』 これによって、応援した相手の重傷の確率を減らせるのである。 ともあれイベントの予定日は来週の日曜日。 それまでにやるべき事はあるだろうか? 「…いや、待てよ?リプレイの発表予定日って…」 念の為、メールで確認。 予定日はどうやら戦争イベントの前日だ。 「……念の為聞いてみるか」 ーーー リューガ・コウジン(煌めきの紅刃・g5173) 「ベガはスレ立てお疲れ様。少し聞かせてもらいたいんだが、依頼での重傷って普通にある話なのか?説明を読んで不安になってな」 数分後…… リィナ・エンジェライト(皆を繋げる光だから・g0052) 「ベガ、スレ立てお疲れ様。もう戦争かあ…しかもバグラモンってますますクロウォみが増してきたわね。//他のPBWなら普通に重傷になるケースはあるけど、デジクルは難易度普通でも重傷になるってケースは稀かなあ。ネタ依頼なら意外とあり得なくはないけど、そんな判定にするMSはいないかも」 ーーー 友好関係を結ぶ別の組織からの人だ。 エンジェウーモンで、左頬にある涙型の戦化粧(ウォーペイント)が特徴的である。 ーーー リューガ・コウジン(煌めきの紅刃・g5173) 「初めてのリプレイ返却待ちだったので不安だった、感謝する。…クロウォ、っていうのは?」 数分後。 ベガ・エイダック(青空を駆ける焔・g0237) 「俺もその手のMSにはとんと心当たりがないな。リィナの言う通り、リプレイが返ってきても重傷という事はないから安心していい。クロウォというのはデジモンクロスウォーズの事だな。デジモンの世代関係なく戦えてしまうから異色だの一部のデジモンの扱いだのと賛否両論言われたが、好きな作品だったよ。だから、このデジクルが出た当初からクロウォみたいだと言われていたんだ。バグラモンも、そのクロスウォーズに登場する敵だ」 ーーー 「へえ……そういや確かに、このゲーム、世代関係なく究極体と成長期で一緒に戦えたりしちまうから新鮮だった」 ただ、進化の要素はある。 これも説明を読んで知っていることだが、成長期からスタートしても進化することができる。 逆に究極体から始めても退化することもできてしまうのだ。 ステータスが装備品やパッシブスキルと呼ばれるデジモン個別の技とは別の特技に左右されるため世代が上な程有利というわけもないので、実質上の世代に進化したいデジモンがいた時の"乗り換え"と思った方がいいのだろう。 進化と退化、どちらにもそれぞれ"進化チップ"と"退化チップ"と呼ばれるアイテムが要求される個数分も必要であり、シナリオ参加や闘技場などをこなすことで手に入れられる。 今のところ、達也としては進化先は決めていないので後々したい時のために取っておくスタンスになるだろう。 次に気になって覗いたのは、専用ページとして設けられた師団である。 師団は五つあり、五体のロイヤルナイツがそれぞれ…… 紅薔薇師団と担当者ロードナイトモン 賢獅師団と担当者ドゥフトモン 蒼竜師団と担当者アルフォースブイドラモン 公爵師団と担当者デュークモン 竜帝師団と担当者エグザモン それぞれの師団には既に人が集まっており、戦争に関係する作戦案の相談が始まっている。 挨拶用や雑談用とは別に立てられた専用スレッドで、真剣な計画の相談の交わし合い。 達也にはまだ入れない場だと感じながらも、だからこそ思う。 (皆で相談し協力し合う…これもまた、PBWなんだな) と。 ……… そして、それから一週間が経ち、日曜日。 今日この日の達也は、いつもより早起きした。 「おはよう…」 「おはよう、達也。珍しいわね、まだ8時よ?いつもなら10時くらいまでずっと寝てるのに」 「うん、珍しく起きちまった」 母親とそんな話を交わしつつ、朝食を摂りながら興奮冷めやらぬ様子でスマホを握りしめる。 (リプレイ返ってきた翌日…つまり今日は戦争イベント…緊張する…!) 昨日返ってきたリプレイは、達也にとって興奮の連続だった。 自分のキャラクターが登場した小説なんて、一次や二次創作の世界でしか書いてもらえないものだと思っていた。 そして、他の人達の活躍も余さず書かれている。 (今のうちに感想送っておこう…!) 戦争の予定は以下の通りになる。 9:00 〜 ファーストアタック開始 10:30 〜 ファーストアタックによる結果リプレイと戦争第一ターン開始 12:00 〜 第一ターン結果リプレイと第二ターン開始 13:30 〜 第二ターン結果リプレイと第三ターン開始 15:00 〜 第三ターン結果リプレイと第四ターン開始 16:30 〜 第四ターン結果リプレイと第五ターン開始 18:00 〜 第五ターン結果リプレイと第六ターン開始 19:30 〜 第六ターン結果リプレイと第七ターン開始 21:00 〜 21:30 最終ターン と、このように長丁場で行われる。 もっとも、戦況によって第六ターンまでを待たず決着がついてしまうらしいのだが。 達也達が参加するのは10時半の第一ターンからで、その前にファーストアタックと呼ばれるものが行われる。 ファーストアタックとは、戦争にて攻め込む戦場が幾つもあり、そこから選んだ戦場に奇襲をかけて戦力を削ることだ。 バグラモン軍には幾つもの戦力があり、バグラモンの元まで一気には攻め込めない。 行き着くまでには幾つかのバグラモン軍団の将が陣取る戦場を攻め、敵の強さを示す規定数値の戦力を削って0にする必要がある。 そのため、有力な敵のいる大きな戦場ほど削るに必要な数値は大きく、戦況によっては二ターンほどかけて一点集中で攻める必要も出る。 このファーストアタックは、その時短ともいえるが、一つの師団につき指定して攻める戦場は一箇所が推薦される。 「ファーストアタックって参加はどうなんだろうな。プレイング出したわけじゃないけど参加した事になるのかな」 作戦師団で達也が参加・発言したのはデュークモン率いる公爵師団。 作戦師団に参加して発言すると、戦争当日に有利なバフがもたらされるのだ。 これはベガが立てたスレッドでも説明されていたものである。 そして、10時半のページ更新。 ファーストアタックの結果が出ているので読み始める。 今回ファーストアタックを行ったのは紅薔薇師団、公爵師団と竜帝師団だ。 それ以外の師団は、人間達からの支持と応援を取り付けるために活動していた。 デジモン達にとって人間の感情や祈りとは一種の動力源にして活力。 賢獅師団が主にマスコミやインターネットを通じて各国首脳との対応を、蒼竜師団が世界の人々の応援の集約をそれぞれ重視して活動する形だ。 ひとまずと集約や報道の部分は飛ばして、達也は気になっていた奇襲のシーンを読み始めた。 ーーー ●奇襲攻撃開始 ○○月××日明朝の日本。 光が丘上空のデジタルゲートを、輸送を担当するバルブモンと巨大な紅い竜が通過する。 目指すは通過先で侵攻の準備を整えているバグラモン軍団の陣地。 最初に交戦を開始したのは、竜帝エグザモンに率いられる竜帝師団だ。 「バグラモンか……名も顔も久しい。それが混乱に乗じ火事場泥棒とはな」 そう呟きながらエグザモンが自らの槍『アンブロジウス』を構える。 そして降下。 目指すは戦場の一つ、攻撃先に指定したドルビックモンの陣地。 ドラゴン系デジモンを率いる彼の敷く陣地に、雨霰と攻撃が降り注いだのは一瞬のことである。 「おのれ、クルセイダー!有象無象の輩が調子に乗りおって!」 「ふん、竜帝たる我の前で竜を率いデカい面を晒す貴様が言うか」 赤い二体がぶつかり合い、それを合図に支援と攻撃が飛び交う。 「バグラモンの勢力は今ここで押さえておかないとね」 「合わせるよ!」 有象無象とは言わせない、とばかりに飛び出したのはピノッキモンのピコット・ドゴット(ひょっこりはんの恐怖・g0512)とヨウコモンのサツキ・イナリ(それは僕のお稲荷さん・g1756)。 ドゴットのブリットハンマーとサツキの邪炎龍によるコンビネーション攻撃がドルビックモンに突き刺さる。 二人の攻撃を皮切りに、竜帝師団は確実に戦力を削るため斬り込む。 「竜系デジモンの時代が終わっとることに気づいとらんとは……機能美、進化していく知性、いずれも備えた我ら機械系の時代じゃというのに!」 攻撃を放つハイアンドロモンのゼロ・アイディ(アジモフの魂・g2446)のその言い分に耳を傾けた者がいたかはともかく。 黄金に輝く『フレイア』を駆使し戦況を監視していたヴァルキリモンのリューディア・エルストラム(しろがねの羽根が舞う時・g0041)が潮時と報せた。 「敵が増えつつある、包囲される前に撤退だ」 ドルビックモンの率いる戦力はバグラモン軍の中でも上位に値する。 ドルビックモンとの小競り合いもそこそこに、エグザモンも撤退態勢をとった。 「逃げるつもりか!」 「いや、この勝負は彼奴らに引き継がせる。故に覚えておくがいい。彼奴らクルセイダーは確かに有象無象、烏合の衆なれど侮れば痛い目に遭うぞ…?」 ×××××× デュークモン率いる公爵師団が攻撃に指定した先にいたのはネオヴァンデモン。 ここは彼が担当する勢力が陣取り、デビモンやレディーデビモンといった悪魔系デジモンが中心となった戦力である。 配置としては向かい側に位置するブラストモンの陣地と並んでドルビックモンの陣地への行く手を阻む。 しかし、ファーストアタックによる奇襲の前では、それもあまり意味を成さなかった。 「クルセイダー達、このデュークモンの後に続け!」 「はーい!では早速、不良堕天使共には御退場願いましょう!!」 そう叫んだのはラブリーエンジェモンのメアリー・レモリア(おてんば天使・g4206)。 ご挨拶代わりにと必殺技を叩き込めば、暴力という名の聖なる力の嵐に多くの堕天使が倒れ伏す。 「打ち合わせ通り、後追いは厳禁だからねっ!」 「撤退時の合図は任せろ」 メアリーが出張りすぎないようにとブレーキ役を請け負って飛び出すベアモンのジュウベエ・コグマ(子熊物語・g3050)とサジタリモンのソル・レヴェナント(一点狙撃・g4011)。 デュークモンとネオヴァンデモンが小競り合うなか、陣地は一方的な攻撃の雨のもとひっくり返されーー 「頃合いか」 デュークモンはソルが打ち上げた撤退の合図を見るとネオヴァンデモンの齎す終焉の光を聖盾で弾き、マントを翻す。 かくして、奇襲に成功した公爵師団はダークサイドエネルギーに満ち始めた陣地から速やかに撤退したのだった。 ×××××× 「もうじきバグラモン軍、指定の戦場に入る。皆良いか!?」 此方は紅薔薇師団。 目指すブラストモン担当の陣地。 号令を任されたザンメツモンのキサラギ・トウセン(ここに刃在らば・g2550)。 その声にクルセイダー達は鬨の声を以て応えた。 バルブモンのカタパルトからロードナイトモンの出撃を皮切りに皆が飛び降りた。 「敵襲!敵襲!!」 攻撃が降り注ぎ、ブラストモン直属の配下達が慌てふためき声を張り上げる。 「やっぱり来たわねクルセイダー!こんなに早く来ると思ってなかったけど覚悟なさい」 ブラストモンが鉱石に覆われたその巨体を現すと、その眼前にロードナイトモンが降り立った。 対峙する両者。 その30秒後…… 「フッ…」 「ちょっと、鼻で笑ったわね!?」 「そのなりで美を名乗るとは笑止。私のこの優美さ、華麗さに貴様が至る事もあるまい…」 「言ったわねー!!ホンッット、ロイヤルナイツってこう嫌味ったらしいばかり!!」 ……他のロイヤルナイツが聞いたらどう思うやら。 「正直どっちもどっちだと思うな…」 そのやりとりにシマユニモンのミドリ・シマオー(みどりのシマウマ・g4116)がぼそり。 それに同意と頷きパッシブスキル【癒しの風】で回復を飛ばすはハーピモンのアウラ・マンゴジェリー(いたずら鳥娘・g0123)。 「敵はそんなに強くないけど数が多いね。本格的に攻める時は広範囲攻撃も視野に入れるかな」 「うん、皆に撤退の合図を送ろう」 既に前座だけでヒートアップするも、撤退時にはこれまたブラストモンの美意識に対しての一言二言物申しを入れて去るロードナイトモンであった。 ーーー 読み終えた後【Heliolite】へ行ってみると、すでに10時半頃から戦争用のスレッドが新たに立てられ、早くも発言数は30を超えている。 それもどうやら、ある程度チャットに近い速度で書き込まれているようだった。 ーーー ナギサ・ガリュプデス(プレシオモンのクルセイダー・g3170) 「皆、今回は始めにどこを攻める?無視して進める場所が幾つかできたけど、今回師団の方で決まってる(2)へ攻める予定よ〜♪」 シラユキ・ダンゴ(お団子は冷たくて丸い・g1025) 「ナギサちゃんは師団の方針に倣ってかあ。私はベガさんの方針が決まったら同じ所に出撃かな。今回ちょっと師団でもどこ行くか相談してるけど、ファーストアタックのおかげで飛ばせるとこは飛ばせるし、よくて(2)か(4)かなって」 リィナ・エンジェライト(皆を繋げる光だから・g0052) 「私は他の組織仲間と一緒に(2)の予定ね。(3)と(5)は攻めてメリットのある戦場に繋がってないからスルー確定、ならその先の方にある(2)辺りを攻めたいかなって」 ーーー 始めのターンで選べる戦場は、バグラモンの配下が雇ったD-ブリガードと呼ばれる組織が担当している。 一見寒色系の迷彩色に染めたアグモンのようなコマンドラモンが担当している(3)、(5)。 それより上位のシールズドラモンが担当している(2)と(4)が攻撃候補となっている。 そこから順に、バグラモン軍への戦場の足掛けになるのだ。 ーーー ベガ・エイダック(青空を駆ける焔・g0237) 「ひとまず俺も(2)へ行こうと思っている。(2)と(4)がそれぞれ次の戦場へ地続きになってるしな」 ーーー 概要によれば、今回の戦場は15ヶ所。 クルセイダー達が最初にスタートする攻略不要の(1)。 バグラモン軍団が雇った謎の特殊部隊D-ブリガードの中でも末端が担当する(3)と(5)。 その末端より一つ上等な階級が担当する(2)と(4)。 (2)から続く(6)はマッドレオモンが担当し、(4)から続く(7)はトループモンの軍団が担当している。 (6)と(7)から(8)、(9)、(10)へと枝分かれしてそれぞれをバアルモン、ウェディンモン、ダークナイトモンが担当し。 (8)と(9)と隣接する形でブラストモンが担当する(11)、(9)と(10)と隣接したネオヴァンデモン担当の(12)があり。 この(11)と(12)を撃破しなければドルビックモンが担当する戦場の(13)へ行けないようになっている。 (13)からは(14)と(15)に枝分かれし、(14)にリリスモン、(15)にバグラモンがいる。 「ん?リリスモンって七大魔王、なんだっけ。なんで出てきてるんだ」 説明によれば、バグラモンへ攻撃を開始してから2ターン経過すると、それまでにバグラモンを撃破しなかった場合に限りリリスモンの率いるイーバモンの集団によりクルセイダー側へ強力なデバフがかかりバグラモン側の削られた戦力が回復してしまうらしい。 これについて聞いてみると、ベガはこう答えた。 ーーー ベガ・エイダック(青空を駆ける焔・g0237) 「クロウォのリリスモンはバグラモンの配下の一人で彼を慕っていたからな。それにイーバモンによる強力なデバフというのは、かつてあるデジモンの集団…騎士団のようなものだが、彼らに同士討ちをさせて壊滅させた原因を作ってる。今回の戦争での動きはそれを意識したんだろう」 ナギサ・ガリュプデス(プレシオモンのクルセイダー・g3170) 「でもその前にバグラモンを落としちゃえば問題ないよ⭐︎だから皆、頑張ろっ。重傷したら絶対、無茶はダメだからね!」 ーーー 「達也ー、お母さんそろそろ仕事行ってくるから!留守番お願いね」 「はぁーい」 母親の声に達也が答えてすぐ、ドアの開閉音が聞こえた。 一度大きく身体を伸ばし、ほぐしてからパソコンに向かう。 「よし、第一ターンの行動を決定するぞ」 戦場はベガが決めた(2)。 プレイングの文字数は100文字までと依頼での文字数よりかなり短い。 ベガのスレッドによれば、依頼のリプレイを書くのと変わりはないらしいが…。 「100文字なんだよなあ、ちょっと難しいぞ」 依頼の時は他の仲間がプレイングを送信する前の草稿を出し合っていたので、それを参考に書けたがそれすらもスレッド内のやりとりにはない。 とはいえ時間もあまりない。 白紙のままプレイングを送信しては、重傷や低い戦績の元になるため避けるべきだ。 そこで思いついた末書いたのは、 『【Heliolite】の皆と行動。中列から邪魔にならないよう必殺技とパッシブスキルで援護するのが俺の役目だ。危なくなったら傷ついた仲間に手を貸して撤退するぞ。』 …これで79文字。 これ以上は特にやりたいというよりも思いつく行動がないため、プレイングはこれで送信することに決めた。 そうなれば、残りは何をするか……。 「一応、スレの確認はしておくか」 スレでは既に、プレイング送信と行動決定の報告が相次いでいる。 達也も、リューガとして報告を残しておくと、一旦パソコンから離れることにした。 もうじき第一ターン目のプレイング送信の期限時間だ。 これを過ぎれば結果発表のリプレイと第二ターンのプレイングスタートが始まるまで一時間待つ必要がある。 「よし……」 ちょうど、今遊んでいるゲームがある。 それをやりながら時間の調整はできるはずだ。 ……… 「……お、そろそろだな」 もうすぐ12時。 なら、昼飯時でもある。 カップラーメンが棚にあったはずだとゲームをポーズモードにしておいてテレビから離れ、ヤカンを火にかけた。 それからパソコンのスリープモードを解除して、結果を見る。 「お、リューガは重傷しなかった」 初めての戦争なので緊張はするが、まだ初めのうちは大丈夫なのだろう。 (2)と(4)はどちらも制圧成功、(6)と(7)への道が開けた。 次はどっちに行くかだ。 「ベガ達はどっちへ行くんだろう?」 スレを確認するとナギサとリィナが新たにコメントしている。 ーーー リィナ・エンジェライト(皆を繋げる光だから・g0052) 「次に繋がったわね。こっちは早いうちから(7)→(10)→(12)のルートで行こうって相談で決まったわ。それと、そろそろ裏戦争始まるから★の準備もしたいわね」 ナギサ・ガリュプデス(プレシオモンのクルセイダー・g3170) 「リィナさんとこはもうルート決まったんだ早っ!?アタシは今回のターンは(6)へ行こうと思ってるとこ!それで、誰か良かったらコンビネーションで出撃に行かない?もちろんリプレイ送信の時に感情活性化は忘れないよーに。……裏戦争、今回は出られないなあ。ベガ団長と2ピン出したばかりだし」 リューガ・コウジン(煌めきの紅刃・g5173) 「コンビネーション出撃って、概要に書いてあった奴だよな。俺でもできるのだろうか?あと……裏戦争、って?」 リィナ・エンジェライト(皆を繋げる光だから・g0052) 「コンビネーション出撃は誰か友達と一緒に出撃したい時選べるものよ。もちろん、感情の活性化とプレイングでの指定が前提だけれど、もしリプレイに反映されたらその分気持ちは感無量よ。それに…そうね、リューガは初めての戦争だったわね。裏戦争っていうのは、イベント限定ピンナップの枠取りのことよ。色んな絵師が参加してるけど、それぞれに参加人数が決まっていて人気の絵師の所だとすぐ埋まっちゃうの。だから皆、裏戦争って呼んでるの。本当、取り合いっこみたいなものだから」 ーーー にわかには信じがたいが、どうやら自分の知らない戦争が他にあったようだ。 達也は少し驚いたが、湯を注いでから4分経っているため急ぎフタを開けた。 ちなみに今日のカップラーメンはカレーである。 ともあれ、リューガはナギサとコンビネーション出撃をすることになった。 「感情の活性化って、ここから行うやつだったな」 何人でも個別に自分のキャラが抱く感情を相手にわかるようにした感情システム。 ステータスページの変更ページから最大10人まで活性化と呼ぶ枠に収めることで、コンビネーションと呼ばれるものを発生させることができる。 コンビネーションとは感情を活性化させた味方との行動順を無視して行動する仕様だ。 先程ファーストアタックのリプレイにて一部のプレイヤーが行ったのはこれである。 それは依頼や闘技場、戦争でも同じだった。 そして、第三ターン。 (6)も(7)も制圧が成功し、次は(8)、(9)、(10)への戦場が開けた。 ここに来て、数人程度かつリューガと旅団仲間の中にはいなかったが、重傷者が出たのを達也は見つけた。 誰が重傷及び死亡したかはターンの結果、一番下のリストに一覧で載せられている。 リューガが重傷したらこのリストに載るのかと、そんなことを達也が考えていた時。 ーーー トマ・コマイ(お米は大事・g0081) 「諸君、申し訳ない。背後の都合がやっとついて、今からの参加となったよ。ちょっと戦況がどうなってるか結果を見てくる。どこへ行くかは師団を見て決める事にするよ」 ーーー トマだ。 どうやら今やってきたようである。 ーーー リューガ・コウジン(煌めきの紅刃・g5173) 「こんにちは、トマ。今のところ順調に進んでいるよ。ところで、トマも裏戦争というのに参加するのか?」 数分して… トマ・コマイ(お米は大事・g0081) 「そうだね、ただ、イベピンを取るなら第四ターン以降の枠になる。では、新たなオコメニストの活躍に期待しつつ私は早速プレイングを書く事にしよう」 シラユキ・ダンゴ(お団子は冷たくて丸い・g1025) 「トマさんこんにちは!そういえば最初のイベピン開始はもう始まってるね。私も行動決定したらどの絵師さんが良いか見に行ってこようかな」 ーーー 第四ターン。 (8)の戦力を微妙に残して、(9)と(10)が制圧完了。 (11)と(12)への道が開いた。 ベガからの次の攻撃予定先は(12)、ネオヴァンデモンの担当する戦場だ。 だがここにきて、達也はあっと声をあげる。 リューガが重傷を負ったのだ。 『リューガ・コウジン(g5173)は【迎撃、バグラモン軍団】第三ターンに重傷を負いました』 このような知らせがステータス欄の上部に赤文字で表示されている。 「ナギサさんに知らせとこう」 ーーー リューガ・コウジン(煌めきの紅刃・g5173) 「悪い……ナギサ、重傷になった。回復するまで応援に専念させて貰うけど大丈夫か?」 ナギサ・ガリュプデス(プレシオモンのクルセイダー・g3170) 「リューガ君大丈夫!?応援の方、了解だよっ!」 ーーー 若干ギャグテイストだが青ざめた顔アイコンで答えるナギサ。 申し訳なさを覚えながら、達也は応援に回ることにした。 応援も出撃選択の際同じページから選ぶことができる。 感情の活性化の欄を、初めての依頼を共にしたメンバーから同じ組織のメンバーに変えておいた。 応援相手をナギサに選択しておき、それに向けたメッセージを残しておく。 「『無理しないようにな』…っと」 こう送っておいてから、椅子を立った。 忘れないうちに掃除と洗濯物の取り込みをしておかなくては。 ……… こうして、リューガの重傷が治るのを待つまで、第四、第五ターンと続いた。 仕事から帰ってきた母親と家事の手伝いをしている間の進捗としては。 (11)、(12)は落とせたようだが次の(13)、ドルビックモンの戦場がまだだ。 戦力が多い分削るのに苦労したようだ。 なにより。 (……死亡者が、出てる) それも、三ターンにかけて数人も。 いずれも知らない名ではあったが、それでも自身が作ったキャラクターもこうした"死"が起こり得る事に動悸が起きる。 正直、達也にわからなかったのは、どうして重傷が出てなお出撃するのかということだ。 そしてそれより。 その第四ターンで、顔知った一人がネオヴァンデモンを仕留めた事が描写された。 トマだった。 ーーー (12)ネオヴァンデモン 静かなる光と共に敵の生命を奪い取るネオヴァンデモンの力は、多くのクルセイダー達を苦しめるには十分なものだ。 前衛のうちタンクを担当するデジモン達の身体におびただしい傷跡が刻まれる。 癒し手が追いつかない程のBSが重なっていた事がなお、クルセイダー達の負担を増やしていた。 だが。 「貴様らに慈悲をくれてやろう……月の輝きに抱かれてな!」 「ははは、月よりは太陽が好みでね。野菜も米も陽の光あればこそのもの!」 立ちはだかり、『パンドーラ・ダイアログ』でネオヴァンデモンの死の輝きを押し返すはワイズモンのトマ・コマイ(お米は大事・g0081)。 「作物というもの、良い土に水、温度に肥料に害虫防止のケア…色々とあれど陽の光もまた大事なのが奥が深い。お米が月の光で育ちますか?おかしいと思いませんかあなた」 「戯言を!」 ネオヴァンデモンは怒りを込めて攻撃を放つ。 しかし、前列への強化の支援、雨あられと注ぐ攻撃は彼を徐々に追い詰めていく。 周りにいた配下のデジモン達が倒れ伏すなか、ネオヴァンデモンの目に映ったのは別の輝きーー 「ではこれでフィニッシュ。ーー新米の香りに包まれてあれ」 トマの両手にある時空石。 それを見た時にはすでにネオヴァンデモンはその輝きの中へ囚われていたのだった。 かくして…道は開けた。 次なる戦場への進撃に、クルセイダー達は決意を新たにするのだった。 ーーー 「達也ー、ご飯よ!」 タイミングが悪い。 思わず吹き出して、傍らのティッシュボックスに手を伸ばす。 初めての時もそうだったが、トマのキャラが色々な意味で強すぎる。 しばらくは白米を見るたびに笑いが出てしまうのではないかと、そんなことを思いながらリビングへ行くのだった。 ……そして第六ターン。 ドルビックモンはまだ残っている。 だが、集中して攻める人が多かったようだ。 第七ターン開始の結果になって、まだリューガは重傷から回復してはいなかったが。 「…この人は……」 ーーー (13)ドルビックモン ドルビックモンの残存戦力は残りわずか。 それでもなお、残りの戦力を纏め、自ら戦場を暴れ回るその前に立ちはだかるは漆黒の竜戦士。 ブラックウォーグレイモンのトウヤ・クラサメ(グラディエーター・g2050)は、満身創痍なその様に目を細める。 「あなたに恨みはありませんが、バグラモン軍の侵攻を許すわけにはいかない。その勢いをここで殺がさせて貰いますよ」 「ほざけぇ!!」 痛みに自らの怒りと力をブーストし、必殺技を放つドルビックモン。 前列でアタッカーのトウヤと並び立つタンクを担うデジモン達がそれを受ける。 重い一撃だが、後列のメディックからの癒しが傷を癒していく。 ドルビックモンには自身を治癒する手段はない。 率いている竜デジモンにも、回復手段を持つ者は少ないようだ。 「攻撃こそ最大の防御なり、とはいいますが」 ドルビックモンのポジションは前列、アタッカー。 しかし癒し手やサポートのない攻撃者は、消耗に弱い。 どれだけ屈強だったとしても、いずれは体力を失い力尽きる。 それを理解していないドルビックモンではなかったようだが……。 「あなたの敗北は決まっています。その要因は二つ。一つはこれだけの軍団を率いながら、己の力のみをアテにしたこと。……もう一つは」 跳躍。 ドルビックモンの頭上高くからトウヤの黒いドラモンキラーが襲う。 ドラモン殺しの武器。 様々な強化を乗せた『ドラモンバスター』が、ドルビックモンの身体を引き裂き、その生命をもぎ取った。 「……ドラモン(竜)殺しに弱い軍団を作り上げてしまったことです。エグザモンの忠告を無碍にしたところ、大変申し訳ありませんが、ここまでです。ドルビックモン」 トウヤのその言葉はドルビックモンに届いたかどうか。 その答えは、ドルビックモンの肉体を構成するデータが四散しても得られることはなかった。 ーーー 「この人は、依頼で一緒になった……」 初めての依頼の時参加していた、他の一人だ。 参加メンバー中最もレベルが高く、相談も積極的でリューガへのアドバイスもしてくれたことをよく覚えている。 「また依頼で一緒になることがあるかな…?」 そんな事を思いながら、ふと時間を見た。 だいぶ時間が経っている。 思えば、ここまで一日をゲームを通して過ごしたことはなかった。 もちろん、そんな中都合が悪く参加できなくなってしまう人はいるわけで……。 (シラユキさんは夜勤があるということで抜けてしまったし、やっぱり全部のターンに参加するって日曜日がお休みでないとできないことだよな…) そんな事を思いながら迎えた最終ターンではリューガの重傷がついに回復。 参加し、バグラモンを退けたという結果を以て、初めてのリアルタイムイベントは終わった。 …………………… そして、二週間後の日曜に迎えたオフ会。 会場のある某市の都立産業貿易センターに向かう達也。 今まで来た事のなかった場所のため、地図を見ながらの道になる。 近づくうち、三〜五人ほどの人の集まりを見るようになり、ついに目的地の建物へ辿り着いた。 「っし、ここだな。エレベーターで三階、と」 案内板や建物内部に設置されたイベント案内板から間違いのないことを確認。 改めて、緊張が込み上げてきた。 今回、【Heliolite】から来るのはベガ、トマ、シラユキの三人。 愛が来ることは前日の金曜日に直に話して確定した事がわかっているため、トキメキな意味でも心臓が止まらない。 (えっと…ベガさんはもう到着したのか。一体どこに……) そこで、誰かとぶつかった。 「わっ!?ごめん!」 「あいっ……あっ、達也君?」 愛だった。 ぶつかった拍子だろう、何かの紙片が彼女の足元に散らばっている。 拾うのを手伝おうと屈んで、そこで目を疑った。 「……え、ベガ……」 ベガ・エイダック。 見慣れたガルダモンの姿と名前、二つ名とIDが書かれていた。 「あっ、達也君は知ってるかもしれないけどこれは名刺でねっ…」 「いや、淡空、その……」 「えっ?」 紙片を回収する愛に、達也は驚きを隠しきれず口を開いた。 「淡空が、ベガ、だったのか!?」 「……えっ?まさか、達也君…もしかして、リューガさんだったの」 互いに驚き合って、改めて達也が愛に詫びたところで二人の男女がやってきた。 一人は銀縁眼鏡をかけた痩せ型で背の高い若い男性で、スラリとした長い脚が印象的。 一人は小学生かと思う程小柄な女性で、いわゆるアニメ声に近い高い声質の持ち主。 彼こそが、お米推しなワイズモン・トマであり。 彼女こそがユキダルモンのシラユキである。 「この間の戦争はお疲れ様でした」 「うん、お疲れ様」 話しながら会場へ入っていく。 愛だけでなく、トマやシラユキからも名刺を貰い、達也はそれを眺めながら尋ねた。 「この、名刺っていうのは自作なんですか?」 「自作する人もいるけれど、」 と、トマが振り返る。 濃いキャラだったのとは裏腹に、しっかりとした大人というイメージのある人だった。 「通販ページから発注もできるよ。顔アイコンと同じくらいの値段だから、もし次回もオフ会に参加することがあるならリューガさんも頼んでみるといい。確か、イラストのリクはしてるんだったよね」 「はい…バストアップってやつのリクエストが受理されて完成まで一ヶ月待ちです」 「○○絵師は仕事が早い人だから、予定より早く来ると思いますよ。★も安い方だから、後一、二個分は取ってもいいくらいにクオリティの高い絵を仕上げてくれますし」 シラユキもうなずきながら会話に交ざる。 二人揃って、達也からすれば見ず知らずの他人ではあるものの、こうして一つの話題を共通する事に嬉しさがある。 「あ、そろそろ質問会が始まるわね。達也君は初めてだとは思うけど、上様が直接答えてくれるのを聞くのは楽しいのよ」 「かみさま?」 「ああ、デジクルを作った人だ。名義はかみはらっていうんだけど、通称は上様。知らない人はよく"うえさま"の呼び方しちゃうんだけどね」 数人程度で運営をしていると聞き、達也は信じられなかった。 数千人近くのDMのやりとりやこの間のようなリアルタイムイベントの集計などを全て、数人で行なっているのか。 質問会に立った肝心の"上様"は、30代半ばの男性で、会場に設置されていた質問を書く紙が集められた箱がすぐ側の台に置かれている。 ここからランダムに質問の書かれた紙を引き抜き、それに答えていくスタイルだ。 『今回の戦争でバグラモン軍団の中に、登場しなかったデジモンがいますが登場の機会はあるのでしょうか?』 「そうですね。バグラモンは今回初めてクルセイダーの抵抗を受けて引き上げましたが、人間の世界への侵攻を諦めた訳ではありません。また攻めてきた時、そのなかにいるかもしれません」 『新しいデジモンの解放(アンロック)はいつ頃でしょうか?』 「近いうちに新たな動きがあって、それに対する活躍次第では増えるかも…」 ……といった具合。 座って聴く者の中にはメモをしている姿が見られる。 その後はフリータイムやビンゴゲームといった流れであっという間に時間が過ぎ。 お開きも近いかというタイミングで、愛が言った。 「絵師さんに頼んだスケブ、取りに行かないと」 ここでは、イラストレーターやマスターも参加することがあり、コミケのようにイラストレーターにスケッチブックに描いてもらう事ができる。 愛はその一人にベガの絵をお願いしていたのだ。 それに付き添って向かうと、分けられた机に座っている数人のイラストレーターの手前、すでに完成したイラストが置かれている。 そのうちの一つを受け取る男性がいたが、スケブに描かれたのは黒いウォーグレイモン。 それも、兜に大きく斜めに刻まれた傷跡に見覚えがある。 「……あの、もしかして」 達也は思わず声をかけた。 ビジュアル系の格好をした若い男性が振り返る。 「もしかして、トウヤ・クラサメさんですか?」 「ええ、こんにちは。どこかで会ったかな」 「は、はい。ええと…」 愛を含め他の参加者は名刺だけでなくステータス欄を印刷したものを持ち込み、自己紹介をしていたが達也はそれすら持ち込んでいない。 「以前に、依頼で一緒した、ギルモンのリューガといいます」 「ああ、こないだの。初めての依頼だったんだよね。どうだった?」 「良かったです!今まで、自分のキャラの行動を小説にしてもらうって体験はなくて。それに、コンビネーションのシーンがマジでカッコよかった!!」 達也がそう言うと、トウヤは穏やかにうなずいた。 聞けば、トウヤはPBMが盛んだった頃からの経験者で、今回のデジタルクルセイダーズも数人ほどキャラを作って動かしているという。 「デジタルクルセイダーズはリリースされてから一年ちょっとだから改善の余地もあるんだけど悪くない。楽しむ人やどうすれば良いゲームになるか考える人が増えれば、もっと楽しくなると俺は思うね」 「うーん…」 考える達也。 そんな彼にトウヤは、こう言った。 「君の所属してる組織や君と一緒に参加した依頼の人達は問題ないけれど、覚えておいて。PBWも他のネトゲとそう変わらない。良い人ばかりじゃないってことだ。そこは、気をつけた方が良い。現に依頼に参加するなかで、PKに走ったりとトラブルを起こす奴はいる」 「PK?」 「プレイヤー・キラー。つまり味方を攻撃する行為の事だよ。ここじゃシステム的に問題はないけど、迷惑行為だから非難の対象になる。すでにそういう常連に、過去にニ、三度は会った事があるんだけどあれはひどかった」 「そんな事があるんですか…」 そこで、愛が呼ぶ。 「達也君、そろそろ閉会だから帰ろう!」 「わかった!」 トウヤへ向き直る。 「それじゃ、俺はここで」 「ああ。良いPBW生活を。またどこかの依頼で会えると良いね」 「はい。また、どこかで」 ………… 「達也君、初めてのオフ会どうだった?」 帰りに並んで歩きながら、愛が尋ねる。 男子達の嫉妬を買いそうな状況であるが、今この時を達也は楽しく思っていた。 「言葉に出しきれないくらい、色んな人や情報が多くて…楽しかったけど整理しきれないよ」 「ふふっ。慣れれば大丈夫よ。何かの都合で長い休みに入った人でも、皆が共有してくれたりするしね」 夕日が二人の歩く道をオレンジ色に照らす。 「……そういえばさ」 達也が口を開いた。 「組織の名前なんだけど、あれはなんて読むんだ?」 「……」 愛は立ち止まり、目を閉じるとこうつぶやくように答えた。 「ヘリオライト」 「えっ?」 「私を元気づけてくれた、歌からとったの」 風が、彼女の髪を撫ぜた。 「あるボーカリストがいたんだけど、急病で亡くなってしまったの。その人の歌の中でもヘリオライトが一番好きで。落ち込んだ時とか、悲しい時とかにはよく元気付けられた。だから、何か悲しい事とか苦しい事があっても誰かが助けになってくれるような場所にしたい。特別な事じゃなくてもいい、助けになれる場所が」 それが、組織名の由来。 そう彼女は答えた。 「だから、達也君がいつか誰かの力になれる事があれば私も皆も嬉しい」 「…そうだな」 一緒に歩く夕方の道。 昼の太陽に負けじとばかりに輝く夕日は何より眩しくて。 愛と歩きながら、達也は思う。 明日は、どんな事が待ってるんだろうな。 それはきっと、彼の、リューガ・コウジンの物語の始まり。 創造する世界はきっと、運命を超える。 ****** 用語集 ・★ デジタルクルセイダーズ内の通貨の通称。ほしと読み、お星様とも呼ばれる。個数で数える事が多い。★は一つにつき1000円である。 ・背後 中の人、キャラクターを動かすプレイヤー(人間)のこと。背後が同じ別のキャラクターは同背後キャラと呼ばれる。 ・絵師 イラストマスターの通称。○○(名前)絵師とも呼び、こちらで呼ぶプレイヤーも多い。 ・MS マスターの通称。文字表記ではこちらを記載する所は多い。 ・時限トップ ゲーム内に何かしらの進展や新たな敵の登場を匂わせる内容の特殊なトップ画面。通称"時限"。 ・事後行動 依頼や戦争リアルタイムイベント後、一定期間の間に行うことのできる機能。戦争の結果等から予測したものや、関連した事項等を予知の形で書き込む事により採用されればその通りに事態が動く(こともある)。 ・RP ロールプレイの事。キャラではなく役割を演じる事が強調されたTRPGと異なり、ここではキャラクターになりきる事を指す。 ・能力 攻撃や防御力の事で、三つの属性によって左右される。意思や肉体の力強さ等を表す『気魄』・敏捷さや頭脳の良さ、詠唱の早さ等を示す『術式』・感受性の良さや超能力、魔法と関わりのある『神秘』。デジモンの必殺技にも設定されている。 【一例】 ウォーグレイモンのガイアフォース(気魄) ディルビットモンのバックストラッシュ(術式) サクヤモンの金剛界曼荼羅(理力) ・BS バッドステータス、状態異常のこと。毒や麻痺、能力低下を引き起こすバグなど様々。 特殊な状況のみ発生する「はずかしい」「びしょ濡れ」も存在するが、ステータスに一切のマイナスの変化を及ぼすものではなくRP向けのものである。 ・解放(アンロック) 作成の際選べるデジモンが追加されること。リアルタイムイベントや全体依頼の結果により増える可能性がある。 ・隊列 戦闘におけるシステムの一つ。 通称ポジション。 プレイング送信時は選択必須であり、別ポジションへ移動する事ができるが1ターンかかる。 前列、中列、後列に分かれそれぞれ二種類の異なる役目が存在し、このルールは敵にも適応される。 【前列】 ・攻撃をメインとする火力重視のアタッカー ・盾になって敵の攻撃を受ける防御性重視のタンク 【中列】 ・命中率と回避率が上がるキャスター ・味方に付与する強化効果や敵に付与するBSの数が倍になる唯一無二の特性を得るジャマー 【後列】 ・命中率UPに加え部位狙いが可能になるスナイパー ・回復力や弱体化解除UPの他に攻撃された敵の強化状態を一つ解除するメディック ****** 人物紹介 縁道・達也 電ノ宮高校に転向してきたばかりの二年生。 リューガ・コウジンの背後でどこにでもいるような、ごく普通の男子。 淡空愛に好意を抱いているが、なかなか思いを伝えられないようだ。 彼女がきっかけでPBWの世界を知ることになる。 淡空・愛 電ノ宮高校の二年生で、縁道達也とは別のクラスにいる。 ベガ・エイダックの背後。 誰に対しても気兼ねなく話しかける、朗らかな少女でクラス中でも評判の美少女と目される。 パソコン部所属で同じ部の友人からPBWに招待されたのがきっかけで、デジタルクルセイダーズを始めた。 トマ・コマイの背後 22歳の若い男性で銀縁眼鏡がトレードマーク。 農家の生まれで父の後を継ぐため農業大学に入学している。 トマの米好き設定の一因。 シラユキ・ダンゴの背後 小学生並みの小柄な身長が特徴的な女性でトマの背後以上に年上。 オフ会の常連でPBW歴はそこそこ長い。 トウヤ・クラサメの背後 ビジュアル系の衣装やアクセサリーをよく身につける男性。年齢は30歳。 PBM時代からの経験者で、新入りの縁道達也を歓迎している。 普段はビジュアルバンドをやっており、ベース担当。
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みなみ
2023年8月20日
In デジモン創作サロン
8月初旬。 夏休みシーズンの真っ盛りだ。 日光はカンカン、セミはジイジイカナカナと鳴き、そんな中でエアコンや冷たいアイスクリームで暑さを凌ぐのが日常となる季節。 そんな季節ならではの楽しみの一つこそ、やはりプールや海だろう。 ……だが、その楽しみが理解不能な状況にぶち壊されるなど誰が思うだろうか。 「はははははは!!!これだけ広ければ壮観よ!!!」 ここはB地区にある市民プール。 天井までわんわん響く程の笑い声が響いた。 人々はプールサイドの上でただ、茫然としている。 (((なんだよこれ))) 40mプールの水は全て抜かれ、代わりにくるぶしまでの高さまで満たされているのは……潤滑剤、またの名を、ローション。 ローションのプールと聞けば誰もがこう思うだろう。 そんなプールあってたまるか、と。 だが現実は非情だ。 無色透明、無香のローションで満たされた40mプールのど真ん中で、一体のデジモンが闘気を燃やしている。 足元をローションでヌルッッヌルにしながら四股を踏む姿はシュールの一言だ。 「さあさあ!!我と思う者はローション相撲にてワシとお相手してくれ!満足すれば出ていくその時まで、この戯れを存分に楽しんでいくがいい!!」 「…….マジで」 プールサイドから困惑の視線を投げかける人々に混じり、ミオナが額を押さえていた。 今日は酷暑ということもあり、探偵所を休業日として揃って出かけた市民プール。 それが、今40mプールのど真ん中を占拠している一体のデジモンに台無しにされていた。 少し暗めに映えるが黄金の甲殻、六対の腕全てに独鈷杵と呼ばれる仏具を持った昆虫型デジモンだ。 力士のつもりなのか、立派な前垂れの付いたしめ縄を廻しのように締めている。 大の大人より一回り大きな姿に、勇んでプールサイドから先へ入っていく人間は一人もいなかった。 「……あれはコンゴウモンだ。なんでこんな真似を」 シルフィーモンがため息をつく。 「知ってるの?」 「アーマー体デジモンの中ではあまり見かけない類だ。ただ、こんなことをするような奴ではないと思ってたんだが……あれは本気でやるつもりだな。説得を試みてもこんなふざけた余興をやめるつもりはないだろう」 「困ったわね…」 美玖がプールサイドを見やる。 普段なら水がなみなみと満たされた場所は、今はヌルヌルのローションで隅から隅まで行き渡っている。 こんなところで相撲をやれというのだ。 「言ットクガ、俺ハ行カンゾ」 日除けの下で暑さをしのぎながらグルルモンは首を横に振った。 毛並みが太陽の光を受けて熱くなっている。 「他にデジモンの姿もない以上私が行くか…外で誰か他にもデジモンがいたら、協力してくれるよう声をかけてもらっていいか?」 「いいけど、大丈夫なの?」 ミオナに聞かれてシルフィーモンは周りを見る。 「……大丈夫だろう」 ライフセーバーも管理人も出てこない。 出てきたところで迂闊に手が出せない。 それは客達にしても同じ事で、ローション相撲を仕掛けようものなら……最悪の場合、放送禁止レベル、これ以上ここには書けない光景が出来上がる。 テレビカメラが入れば編集段階でモザイクと◎に金か禁のマークが飛び交う羽目になる。 「行ってくるよ」 「きをつけて!」 ラブラモンの言葉にシルフィーモンはその頭をひと撫でで応え、プールへと降りて行った。 …え? シルフィーモンも全裸のようなものじゃないのかって? ましてや今、防具もゴーグル以外脱いでるし? ……こまけえこたぁいいんだよ!! 「……それより」 ラブラモンが高い視点を見上げる。 そこにいたのはヴァルキリモン。 肉体がないので実体化しない限り、暑さ寒さはそんなの関係ねぇな彼/彼女だがお留守番は退屈なのでついてきている。 「シルフィーモンがダメになる前にお前が行け」 ーーーえっ、ヤダ。 「……………」 さて、八卦よい……のこった。 「ぬおっ、ふんっぬううううう!!」 「はっ、くっ、うっうう!」 がっぷり四つで組み合い出した二者。 しかしローションでヌルヌルと足元が滑る。 あっさりとバランスは崩壊、二体はもんどり打ってプールの槽の床の上でもつれあった。 黄金の外殻と純白の獣毛、赤褐色の羽毛がたちまちヌルヌルに…。 それを見た子供たちが一斉に大笑いしている。 デジモン達がローション相撲という前代未聞な光景がウケたのか。 「ちょっと誰かタケシ達に電話しろよ!今、プールでデジモンが相撲してるって」 「ねえ、どっちが勝つか賭けよーぜ。負けた奴はアイス自腹な!俺、あっちのキンキラのカナブンみたいなやつ!カッコいいし」 「えー、僕はあっちのデジモンが良い」 「ならオレはあっちな!」 「ぼくは虫!」 キャッキャ、きゃっきゃとはしゃぐ子供たち。 大人達は安全の為に子供用プールへ誘導しようとしているが、子供たちからすれば滅多に見られない余興への興味が優ったようだ。 カブトムシとクワガタの対戦を眺めてる感覚なのだろう……カナブン呼ばわりされている事にコンゴウモンとしては気づかない限り幸福かもしれない。 ついでに言うと、プールに来た十組近いグループは出ていってしまっている。 収拾がつきそうにないとよそのプールへ移ったか、帰ったか。 「ぬおっ!…なかなかやるでごわすなっ」 うっちゃられかけるも、ローションのヌルヌルで脱するシルフィーモンにコンゴウモンの息は荒く。 「……願うことならさっさと切りあげて欲しいんだが」 面倒なことになったと、つくづく思う。 完全体のシルフィーモンとアーマー体のコンゴウモン。 アーマー体としてのスペックを考えれば普通に戦って五分五分でもっと早く勝負はつく。 しかし戦いの場がよりによってローションまみれの床という足場の悪さ。 そのせいで、勝負はついてるのかよくわからない状況で時間もかかる。 だから客足も早く遠のきつつあるわけで、早くお帰り願いたいとシルフィーモンは思うのだが……。 「オウオウオウ!!ここが噂の会場ってワケか!!」 ……状況の悪い事に参戦フラグが立ってしまった。 入ってきたのは、3メートルを超える人型。 長い手足と背中から生えたイカの触腕のような触手。 深海のダーティファイターと呼ばれるマリンデビモンだ。 「ほほう、新たな参戦者ときたか!是非此処で相撲といこう」 「面白え!!」 「待てっ…!」 マリンデビモンが足からプールへ飛び下りる。 シルフィーモンは止めようとしたが当然間に合うはずもなく…… 「ぅ、ウォォオオオオオオオアオオオオオオオオ!!!?」 ヌッッルヌルルルルヌロロオオオオオオオオっ …と、一面ローションの床に足をとられ、そのまま勢いよく滑っていくマリンデビモン…。 コンゴウモン、シルフィーモンの目の前を凄まじい速さで滑っていき、そのままプールの槽の壁へ激突していく。 ゴッッ …鈍い音の直後、壁に入ったヒビに数日はプールに入れないだろうなと予感した者が数人。 「おい……」 「ぐっ、やるじゃ…ねえか…」 まだ誰もやってない。 そんなツッコミが皆の心の中で飛び交うも、深海のダーティファイターはお構いなし。 態勢を立て直すや、彼が向かった相手はシルフィーモン。 「まずはテメェから相手しろ!!」 「なっ!?」 触手が絡みつき、長い腕が彼を捕縛する。 ローション相撲から一転してローションプロレスになってしまったはともかく。 振りほどこうともがくシルフィーモンと、より搦め手を使おうとしてくるマリンデビモン。 子ども達は戦局が変わって混乱している一方…プールサイドの別方面からは黄色い声が。 「ちょ、ちょっと待って、ヤバくない!?」 黄色い声の発生源は数人の女性。 若くて20代前半から30代半ばまでが、……シルフィーモンを見て騒いでいた。 「ねぇ、ちょっと待って!メッチャ良い表情してるんだけど!」 「誰かスケブ……ああっ、今日プールじゃなかったら!」 「やっっっば、デジモンでこんなに癖に刺さるなんて思わなかった。あのデジモン、顔良いのをあんな表情させるのクッソ癖なんですけど!?」 さっきまで退屈げにしていたのが、どっかの外人四人が披露したようなポーズの盛り上がりっぷりである。 その声が聞こえたラブラモンとヴァルキリモンはめっちゃ困惑している模様。 「今年の夏コミ新刊落ちちゃったからおちんこでたけど、いきなりこんな燃料投下されたら冬コミにリベンジするしかないっしょ!」 「あっ、今度こそやる?アンソロ。だったら私、後で企画の設定するから連絡くれればいつでもやるよ」 「それにしてもさー、あのデジモン、男か女かどっちなんだろうねー」 「普通に男じゃない?ひんぬーって可能性は微レ存だろうけど」 ……シルフィーモンの方は今、自分が同人のネタにされてる事に気づくまい。 マリンデビモン、及び足元のヌルヌルと格闘しながら外野にかまけている余裕がないのだ。 「じゃ私、今帰って早速原稿書くわ!!!」 「あ、便乗して私も!」 「ワイも!」 「ワイトもそう思います!!」 と、たちまち総立ちになってプールから出ていくのを見ながら。 ーーー……人間も随分と強者はいるようだね。魂の問題だが。 「そ、そうだな」 「はぁぁあああああああ!!」 プールの方で裂帛の気合い。 意識を引き戻された二体が見たのは、綺麗な放射線を描いてプールの上を飛ぶマリンデビモンの姿だった。 決まり手はシルフィーモン渾身の投げ技だったか。 あまりの綺麗な飛び方に爽やかな夏のヒットソングが聞こえてきそうだ。 多分サ○ンかTu○e辺りが歌ってる。 ♪ 熱いSeason マリンブルー 大空を舞うのさイカ in My Dream ♪ Super Bodyのあの娘(コ)の頭上を ジェット飛行さイカ I'm still in Love さて、爽やかとは360°ほど遠いイカ(シーデビル)ことマリンデビモン君。 シルフィーモンに投げ技を決められて飛んだ先にはガラス窓。 あなや非情なり。 ガシャンと音を………立てはしなかったが、その手前で落下し、派手に気絶することとなった。 嗚呼、無情。 「ねえ、さっきのデジモンは!?」 「ソコダ」 水着の上にラッシュガード、サンダルをひっかけた姿でミオナが外から戻ってくる。 グルルモンが鼻先で示した先には、気絶したマリンデビモン。 ちょっとホッとした顔をしたミオナだが、今だにローション相撲が続行中であることに変わり無い。 「シルフィーモン、大丈夫なのかな…」 「アノデジモンノ相手ヲシテイタンダ。疲労ガ溜マッテキテル」 先程よりシルフィーモンの動きが鈍ってきている。 グルルモンはそれを指摘した。 ……このままコンゴウモンはここに居座ることになってしまうのか? その時である。 「ハーッハッハッハッハッハッ!!」 何処からともなく笑い声が聞こえた。 腹の底からよく響く、漢(オトコ)の笑い声が。 「コンゴウモンよ、まさかこのような場所に居ったとはな!」 「おおっ!?」 「!?」 思わず試合を中止したコンゴウモン、そしてわずかでも疲労を回復しようと動きの止まったシルフィーモン。 二体の目の前ではためくのは……眩いばかりの白いフンドシである。 そう、Fundoshi である。 「おっ、お主は…!」 「久方ぶりじゃな、コンゴウモンよ。じゃがここは人間の共同の場。ひと試合してから場所を移動しよう。ここは大勢の人間が憩う為の場だからな」 そう言って現れたのは、逞しい裸体をふんどしのみで隠した巨漢。 何処ぞのプロレスラーと言われても信じてしまいそうだが、その身長はまさに天を衝くような大男。 コンゴウモンと同等以上のその身長となれば、どれだけ人間そのものな外見といえどわかる。 この大男もまた、デジモンなのだ。 「そこのシルフィーモンよ、待たせたな。こいつとここで一つひと勝負した後に移動するでな、しばし待つがいい」 「……なら、言葉に甘えて」 そこからは別な意味で危険なマッチングとなった。 男臭い咆哮とヌルヌルテカテカに濡れた肌。 (一体何を見せられてるんだろう) と、チベットスナギツネめいた目でミオナと美玖は目の前の光景を見ていた。 さっきの同人グループが見ていたら何と言っていただろう。 ……だが、それも終わり。 勝負は、数瞬もの駆け引きの後、終わった。 「いや、参った参った!やはりお主には負けるでごわす」 「ぬはははは、まだ勝負は終わらんよ。早速、この場所を退かねばな!」 この間、モップを握りしめて待機していた人達はホッとした。 ヌルヌルを洗い流す作業が待っていたとしても、プールの壁を直す作業が待っていたとしても。 デジモンという存在が引き起こすこれまでの被害を考えれば、あまりにも軽いのだから……。 「ちょっと師匠、なんですかその格好は!?」 「いやあ、人間が使うプールの傍を通りかかれば何やら困っとるというんでな。来てみれば久しぶりに見る顔があったのでハッスルしたまでよ」 「一体なんです、これ?イヤあ、ヌルヌル!!早くなんとかして、着てください!!」 「ノワールもブランも仕方ないのう、これが思春期というやつか」 「「全然違います!!」」 ………さらに、この冬の某イベントでは。 とあるサークルが、いわゆるリョナ本のアンソロジーを発行したのだが。 「これ、シルフィーモンってデジモンになんか似てね??」 と、一部の読者にそう思わせたショタキャラが載っていたことが話題となったことを。 我らが五十嵐探偵所の助手が知ることはなかった。 了
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みなみ
2023年7月28日
In デジモン創作サロン
目次(https://www.digimonsalon.com/top/dezimonchuang-zuo-saron/mu-ci-kotira-wu-shi-lan-dian-noy-tan-zhen-suo?origin=member_posts_page) 南国の木の小屋をイメージしたような、小物や観葉植物の置かれた一室。 それに相応しいような、熱気が部屋の中を包んでいる。 ぎしっ、ぎしぎしっ、ぎしっ 木のベッドが激しく軋む。 その上で激しく行われている前後動作によってだ。 「はあっ、あっ、あ……!」 その動作を行っている片割れが喘ぐ。 胎内を何度も強く突かれる度に湧きあがる歓び。 涎が口の端からこぼれ落ちる。 発作が起こって求めればもう、理性はひと時彼方へ追いやられてしまう。 ……ああ。 (気持ちいい、気持ちいい、気持ちいい…!) そんな中で、つぶやきを聞く。 「……私が、人間だったなら」 「君を……」 その後、意識が飛んでしまったため後の呟きは聞こえなかった。 けれど、今思えば。 この時の彼のつぶやきが何だったのかがわかっていたかもしれない。 こちら、五十嵐電脳探偵所 #19 おキツネの影隠し 「お、お前ら…いや、五十嵐、一体全体どうした!?」 合流先で阿部警部が呆気に取られた顔をした。 無理もない。 街のど真ん中、美玖はシルフィーモンにお姫様抱っこされながら来たのである。 当然、道ゆく人やデジモンの視線を浴びた。 「こ、これは……その…」 どう答えようかと迷う美玖。 「そこで派手に転んでな。歩くのに難儀していたのでこうした」 「いや、どういうことだよ!?仕方ない、パトカーの中で悪いが五十嵐は休め!」 「すみません……」 …言えない。 一時間ほど、人生初めてのラブホテルで発作を治めるために過ごしていたなんて。 まともに立てないまま、後部座席に座らされる。 「うう……まさかこんなに腰の力なくなるなんて」 涙目になるやら腰に力が入らないやらで、どこかに穴があるなら入りたいと本気で思う。 「……早くこないかな、護符……」 心の中でホーリーエンジェモンへの催促を叫びつつ、パトカーの中で一時間ほど座る羽目になったのだった。 ーー この日、阿部警部から救援を頼まれ、美玖とシルフィーモンは彼に同行していた。 発作は、それに駆けつける前に起こってしまったため、阿部警部へ急遽の連絡をしてからのラブホテルへの駆け込みになってしまったが。 「しかしこっちもすまんな。なんせ通報があったって時に限って、非番が多くて」 ハンドルを握りながら、阿部警部は通信機を片手にその向こうへ話しかけた。 「今、動きはどうだ?……わかった。こちらも適度な位置に停める。目標の銀行で怪しい動きがないか、引き続き見張ってくれ」 ここはA地区。 デパートや専門店が所狭しと並ぶ街並みだ。 今、ある銀行へ向かっていた。 近年、日本中である手口の詐欺事件が広まっている。 それは、ここでも例外ではなかった。 「最近多いですよね…」 「ああ。うちでも注意のポスターの貼り出しはやってるんだが、正直ここまで騙される被害者がいるとは思わなかった」 その手口とは。 電話をかけた先の家族や親類、時に警察や弁護人になりすます事だ。 ターゲットは主に、年配以上の年齢層が多い。 電話の主な内容としては 『運転事故を起こした』 『相手とのトラブルで至急金が要り用になった』 などから始まり、すぐにその日のうちに指定した口座へ高額の振込を要求するのが主なパターンだ。 これだけを聞けば、大抵の人は思うだろう。 そんなものに騙されるとは、と。 しかし、振り込め詐欺、または通称「オレオレ詐欺」と呼ばれるこの手口の犠牲者になる人間はいる。 「全く…どこのどいつか知らんが、最初にこんな手口を思いついた奴を今すぐにブン殴りたい気分だ」 「同感です」 詐欺に遭った者の多くは、家族との別居している事もあって声だけでの判別がつかない。 否、家族と同居している人間すらも被害に遭う。 中には、勘の良い者もおり、大抵は無視か穴をついて相手を追い返すが敢えて口座番号までメモにとった上で警察に連絡する者もある。 今回は、そういう"勘の良い"人物からの通報だ。 「……五十嵐、お前のその指輪でひとつ頼めるか?」 「わかりました」 今回は、犯人が金を受け取りに来るというパターンだ。 そこを取り押さえる。 美玖と阿部警部が擬装コマンドで潜伏し、近くを待機することになる。 シルフィーモンはより離れた距離からの待機だ。 (……来ました) 通報したという男性が一人、携帯電話を手に現れる。 彼は銀行の手前に立ちながら、辺りを見回していた。 それから、さらに一人が現れる。 黒いパーカーを着た男。 男が通報者に何やら話しかけているところへ、阿部警部と美玖が現れた。 ぎょっとした様子で、男が振り向く。 明らかに、日本人にしては特徴的すぎる顔立ち…アジア系のそれだ。 「失礼、少しよろしいですか?」 警察手帳を阿部警部が見せた瞬間。 男は三人の脇をすり抜けるように突如走り出した。 予想より逃げ足が速い。 ーーだが。 「!?」 男は思い違いをしていた。 人間だけが自分を追っていたわけではなかった。 中空から急降下してきたシルフィーモンが勢いを借りて男にぶつかる。 どんな陸上競技選手だろうと、この急降下のスピードからは逃げられない。 異国の言葉でわめきながらも、男は観念した。 シルフィーモンの腕力はかなりのものであるため、人間の力では抵抗が難しいのだ。 …美玖も、それに救われた事を覚えている。 通報者へ感謝の礼をしながら、阿部警部達はパトカーへ戻るのだった。 ーー 「まさか、すぐ逃げ出す奴がいるとは思わなかったな。シルフィーモンがいなければ取り逃がしてた。やはりデジモンがいるのといないのとじゃ全然違う」 「そうですよね…」 「けれど、こればっかりは愚痴っても仕方ねえな。俺達もそうせざるを得ない程の事態に出くわしてるから」 …言うまでもない、5年前。 デジモンの脅威を、恐ろしさを味わされたあの事件。 「……そういや、今もまだそのメフィスモンとやらがどっかに潜んでるんだっけか」 「はい。あるデジモンが、それを追っているらしいのですが」 「捕まると良いな」 そう美玖へ言いながら、阿部警部は携帯電話を開き… 「お、そういやもうじきか」 「何がです?」 「いや、今、典子からメールが来てな。明日、ブイ太郎に着せる浴衣用意してやらなきゃなって」 美玖が目を瞬かせる。 「阿部警部の地元ですか」 「ああ、親父が転職の関係で中学までの頃しかいられなかったんだが今も時々戻ってるんだ。今度祭りをやるんだよ。典子がその日は学生時代の友達と遊びに行く予定があるんで、非番も重なってブイ太郎を連れてこうってな」 阿部警部が話すに。 阿部警部の地元には、稲荷神社があり、かなり歴史の古い社で伝説も幾つか残っているという。 「何が凄いかってな…そこの狐が、いっぱいいんだよ。百…いくらだっけな。とにかくいっぱいの石の狐がいるんだぞ」 「石の狐?」 シルフィーモンが首を傾げる。 「ただの石でできた狐がそんなに凄いのか?」 「狐ってのはお稲荷さん、つまり神様のお使いだからな。だからその姿を彫った石の狐があんだよ。……まあ、一度見てみりゃわかるぜ。あの数のおキツネ様はそうそうないからな」 だから、良ければと。 阿部警部は美玖達に言った。 お祭りへのお誘いだ。 「おかえりなさい!」 探偵所に戻った一人と一体を迎えたのは、先日探偵所の一員として共に暮らすことになった少女・ミオナ。 一週間もの時間をかけて、部屋の割当てや新しい服の購入など受け入れの準備が済んだ彼女の髪は短く切られていた。 「刑事さんのお手伝いだったんだよね、どうだった?」 「ただいま、ミオナ。手伝いは無事に犯人を捕まえられたわ。…昨日買ったクリーム、どう?」 「うん、結構肌に馴染んでて、気にならない」 「それは良かった」 探偵所は滝沢邸と異なり、お世辞にも湿気に強い物件とは言えない。 そこで、乾燥に弱いホムンクルスのミオナの為にと美玖はミオナと保湿クリームを買いに行ったのだ。 まだ空気が乾燥とまではいかない時節だが、紫外線も気になるところ。 近いうちに日焼け止めも買わなければと思いつつ、美玖はミオナに聞いた。 「ミオナ、もし良かったら明日、着物のレンタルするからお祭りに一緒に行かない?一緒に行こうって誘われたんだけど」 「その刑事さんから?」 「うん」 そこへ、台所からラブラモンがやってくる。 「せんせい、しるふぃーもん、おかえりなさい!」 「ただいま、ラブラモン。ちょうどよかった」 「ちょうど?」 ラブラモンが目をぱちくりさせる。 「阿部警部から地元のお祭りに一緒に行かないかってお誘い受けてるの。ミオナとラブラモンも一緒にどう?」 「……ううん、わたしはたんていしょにいるよ。やりたいことがあるし」 「良いのか?珍しいな」 シルフィーモンが尋ねる。 「どうしても、やりたいことがあるんだ。だから、おまつりにはいけない」 「そうなんだ…」 美玖がシルフィーモンと顔を見合わせる。 今までなかったことだ。 「…詳しくは聞かないでおく。何かおみやげは買ってきてやるよ」 「うん」 「私からも、何かおみやげ買った方が良いかな?お祭りは初めてだし」 ミオナの言葉にうなずくラブラモン。 「おみやげはうれしいよ。だから、おまつりたのしんでいって」 ーーーああ、もしや"彼"へ連絡する予定か。 「そうだ。向こう側のダークエリアの状況もだが、向こう側の情勢の確認もな」 思い当たるようにはたと手を打つヴァルキリモンへラブラモンはそう返した。 …デジタルワールドにも様々な世界がある。 パラレルワールド、とは少し毛色は異なるが。 そして、人間世界へは、二つのそれぞれのホストコンピュータに管理されたデジタルワールドが繋がっている。 一つはイグドラシルが管理するデジタルワールド。 もう一つは、イリアスと呼ばれるホストコンピュータが管理するデジタルワールドだ。 ダークエリアも、アヌビモンとは別の管理者が存在する。 その名はプルートモン。 アヌビモン以上の実力と、恐怖や暴力を以て悪を制裁するそのスタイルを掲げイリアスのダークエリアを統べる。 「しばらく奴との連絡がご無沙汰だからな。奴のことだから気にしていないだろうが…イーターの次の動きが気にかかる。向こうでも異変があれば確かめておきたい」 先日、滝沢裕次郎からのメールからもたらされた情報により、思う以上に事態が良くないことをアヌビモンは察している。 デジタルウェイブとイーターは密接な関係にある。 一部の人間達やデジモンがデジタルウェイブを研究・監視しているのはイーターの一存があるからだ。 監視する者が減らされている。 イグドラシル側だけでなく、他のデジタルワールドにも及ぶ被害は甚大なものになっていくだろう。 その前に、この姿のままでもまだできることを。 それをラブラモンは実行するつもりだった。 ーーー 美玖とシルフィーモン、ミオナが出かけたのは午前11時。 グルルモンは探偵所に残った。 「グルルモンは行かないの?」 ミオナが聞くと、グルルモンはチラリと彼女に目を向けてからふぅ…と一つ息を吐き。 「俺ガ行ケバ驚ク奴ノ方ガ多イダロ」 「そうかな」 私の方が大きいし怖いから平気だよ。 そう言いかけた口を押さえた。 「それじゃバス停へ行きましょう。お留守番お願いね!」 阿部警部の地元へはバスでB地区方面の山を一つ越えた先。 小さな町で、都市部では珍しい商店街も有り未だ賑わいを失っていない。 バスを降りた時には、午後1時を過ぎていた。 「阿部警部とブイ太郎君が来るのは夕方だから、それまで祭りをやる予定の場所をゆっくり巡らない?結構広いらしいし」 「そうだな。夜になれば人も多くなるだろう」 「それじゃ神社行かない?石の狐がいっぱい並んでるの、見てみたい!」 そうやりとりを交わしながら、道路の脇を歩く。 人通りは少なく、歩いていく人も皆50代を過ぎた顔ぶればかりだ。 「この辺りは若い人があまりいないようね…」 そんな事をつぶやく美玖。 阿部警部から聞いた事も鑑みるに、過疎化が進んでいるのだろう。 そんな事を寂しく思いながら、美玖は稲荷神社があるという山を見上げた。 遠目にわかるぐらい、鬱蒼と繁った緑が豊かな山だ。 「お祭りは山の麓辺りでやるって言ってたっけ」 話によれば、社へは百段近い石段を登らないといけない。 さて、30分以上歩き、目的の石段の前に立つとシルフィーモンは自分の足を見た。 「どうしたの?」 「いや、随分狭い階段なんだな」 「え?……あっ」 美玖とミオナは気づく。 神社の石段やひと昔前の人家の階段は、狭く一段ごとのスペースが狭いものが多い。 大きいかぎ爪とサイズそのものも人間男性の倍はあるシルフィーモンの足では登りにくいだろう。 「もしあれなら、シルフィーモン飛んでっちゃえば?別に飛んじゃダメってわけでもないし」 「そうね…私はこういう階段は慣れてるけど、シルフィーモンが転びかけたらフォローしづらくなるし」 「そう言うか……仕方ない」 肩をすくめ、シルフィーモンが飛んでいく。 さすがに、先を行くことはないが。 石段を登り始めるも、ミオナの息が上がったのは三十段を過ぎてからだった。 汗が出るとクリームが流れてしまうため、冷やしたタオルを肩にかけてやりミネラルウォーターを持たせる。 「大丈夫、ミオナ?」 「こ、ここ……結構、しんどいんだね。今まで山とか登ったことなかったけど、キツい…」 「そういえば、私が初めてあなたに会った時も、軽トラに乗って山道を登ってたわね」 「えっ、もしかして美玖って私が直美に心臓移植しようとしたのを止めようとしたのが初めてじゃなかったんだ!?」 「うん…直に顔を合わせたのは、確かにあの時が初めてだったけど」 美玖がうなずくと、ミオナはだいぶ驚いた表情で、ミネラルウォーターを手に頭上を仰いだ。 「私、全然気づかなかった。軽トラってことは、私が持て余してた失敗作捨てに行ってた時じゃない…」 「その時、私はあなたの手前でスクーターに乗ってて山道登る途中だったの。滝沢さんへお話を伺いにね。シルフィーモンもあの時に上空にいたのよ」 「……うわあ……あの時か」 若干、心当たりはあったのだろう。 石段を登りながら、ミオナは苦笑いした。 空は晴れ晴れとしているが、空気は湿度と温度が嫌に高い。 ミオナのペースに合わせながらゆっくりと登っていると、上から囃し立てるような声が聞こえた。 子どもの声だ。 「お姉さん達、ほら頑張れ!後ちょっとで登りきるよ!」 思わず顔を上げると、にやにや顔がそこで二人を待っていた。 歳は小学高学年くらい。 よれよれの白いランニングシャツに短パンの格好。 金色の髪が動物の耳のように跳ね上がり、顔つきや目の細長いいわゆる"狐顔"をしている。 「お姉さん達、後十段だよ。ほらほらもうひと息!それともバテちゃったか?」 そう声をかけ、やいのやいのと手拍子をする少年にミオナがむっとなった。 「バテてなんかいませんよー!」 「なら、ほら早く!」 反応になおニヤつく少年。 こめかみに青筋を作るミオナをなだめながら、ようやく登りきると少年は手を叩いて褒めた。 「お見事、お見事!」 「なぁーにがお見事よ!」 ひっぱたこうかと迷う手を握りしめるミオナだが少年は動じない。 「まあまあ、おかげでお連れ様を待たせないで良かったじゃんか」 言いながら少年は空にいるシルフィーモンを見上げた。 「お連れのデジモンさん、あんたも降りてきなよ!でもそこから境内の中に降りるつもりなら、ちゃんと鳥居はくぐってくれよな」 言われた通りにシルフィーモンが地上へ降りる。 少年はシルフィーモンのそばをぴょんと飛び跳ねた。 「今日は祭りだからか?人間と一緒のデジモンのお客さんとか珍しいや!この辺は人間と一緒に暮らすのが好きじゃないデジモンが結構多くてさ、邪魔にならないのは良いんだけどたまには町の人達を寂しがらせないようにしてくれよって思うんだよなあ」 「町の人たち…?あなたは、ここの子なの?」 「そんなとこ」 少年は答えながら、薄目を開けた。 水晶のような、淡い水色の瞳が美玖を映す。 「おれはオキ丸。せっかくだからこの稲荷の中を案内してやるよ」 …… 「ねえ、オキ丸君」 後をついていきながら美玖は問うた。 「この町の人達であなたと同じ年頃の子ってどれくらいいるの?」 「んー…」 両手を後ろに回しながら、足をぶらつかせるようにオキ丸は先導を歩く。 「あんまりいないな。大人になっちまうと皆、東京とかおっきい所に行っちまって年寄りばかりなんだよ。たまに里帰りはしてくれる人もいるんだけどさ…とにかくこの町に生まれてからずぅっと居てくれる人が一人か二人くらいしかいない」 「じゃあ、君、友達いないの?」 「少ないの?って聞けよ。さっきの事でまだムキになってるの大人気ないなあ」 ミオナの方をじろっと見ながら、オキ丸は鳥居をくぐった。 「もっかい言うけど、鳥居は必ずくぐれよ。なんでかわかるか?」 「神様の住む領域に入る出入り口だっておじいちゃんから聞いたことなら」 「まあ、そうだけどさ」 美玖の言葉にオキ丸はなんとも微妙そうな表情を浮かべた。 「そもそも境内って場所だけが人ならぬモノの世界ってわけじゃない。入り方が肝心なんだよ。あんた達だって、家に入る時は玄関から入るだろ?窓から入ったりはしないよな」 「まあ、そうだな」 「鳥居ってのはさ、一つの世界への"玄関"なんだよ。しかもその世界は他の世界と地続きになってる。出方を間違えて他の世界へ出入りしちまったら大変なことになるぜ。そこにいる奴らからしたら、知らない奴が窓とか屋根の煙突から入ってくるようなもんだ。…最悪、人間から見たゴキブリみたいに扱われる」 つまり、侵入者と見なされて攻撃されるか、追い出されるということか。 「だから、いいか?鳥居をちゃんとくぐれば、何の問題もないんだ。お松(まつ)ちゃんが助けてくれたとしても、気まぐれでしかないしな」 「お松ちゃん?」 しかし、問いには答えず、オキ丸は鳥居をくぐった。 「ほら、こっちだ」 そこで美玖達を迎えたのは、境内へ入った先、社へと長く伸びた石畳の参道。 その両側をびっしりと埋めるように立つ、石の狐達がいた。 「この町に数百年伝わる伝説の108匹狐。他じゃそう拝めるモンじゃないぜ?」 狐達は皆、石の体に水晶が嵌め込まれた切れ長の瞳をしている。 その胸元を赤い前垂れが飾る。 「これは……確かに、壮観だな」 シルフィーモンが言いながらふと、一番前に並んだ一際大きな狐の前垂れを目にした。 白く染められた字で、名前のようなものが書かれている。 「お……オショロ?これは、名前なのか?」 「おう、ここの狐達を纏める親分さ。親分に叶う狐も妖怪もこの辺にはいない。ちなみにここの狐には皆ちゃんと名前があるんだぜ」 「この狐達全部?」 「そうさ、じっくり見ていけよ」 ずらりと並んだ石の狐達は、一様に美玖達を見下ろし、まるで見つめられているかのよう。 石でできているのに、今にも動き出しそうな程生き生きとしている。 シロとかオリキ、オナベのような変わった名前が多いなか、他の狐と明らかに違う狐もいた。 「ねえ、美玖」 ミオナが美玖の袖を引く。 「あそこに並んでる狐達、なんか壊れてない?」 「えっ」 見れば、ある狐は片方の耳が途中から折れ。 ある狐は片方の目から水晶玉が抜け落ち。 ある狐は鼻先がひん曲がっていた。 「これ、誰かがイタズラして壊した?」 「少なくとも鼻だけは違う。あえてひん曲げて作っているようだな」 シルフィーモンが指摘する。 「ええ……と、名前は、カグ丸、眼(まなこ)丸、耳丸?」 まさに、名は体を表すということだろうか? 「後で、ここの管理人さんに伺いましょう。これだけ狐が多いなら管理が大変でしょうし」 「そ、そうだね」 オキ丸はニヤニヤしながら後ろから見ている。 まさか、オキ丸の仕業じゃないだろうか。 そんな疑念をかすかに抱きながら、青錆色の屋根の社の前へとたどり着いた。 そこまで行けば、狐達の列も最後列だ。 その最後列に並ぶのは、オショロどころか他の狐よりも一際小柄な狐。 その名前を美玖は読み上げ…… 「オキ丸……えっ…?」 思わず顔を上げる。 しかし、そこで気づいた。 オキ丸の姿がどこにもない。 「オキ丸君!?」 「え?」 ここに来るまで他に道らしい道はないはずだ。 しかし、ざわざわと林の枝葉を揺らす風以外何も聞こえてこない。 「どうした?」 「この狐の名前を見て」 美玖の指差す狐の前垂れの名前を読んで一人と一体も戸惑う。 「えっ、あの子とこの狐の名前…」 「オキマル……同じ、だな」 「それに、あの子、さっきまでは私達の後から歩いてたよね?なのに、いつの間にか消えてるなんて!」 …それなら、どこへ? 立ち尽くした二人と一体。 そこへ、下駄の音が近づいてきた。 「おや、あなた方はどこからいらしたのですか?」 振り向けば、一人の老人がいた。 ーーーその頃、探偵所のとある一室では、異様な現象が始まっていた。 ラブラモンが座って、前に向かっているは姿見。 元々探偵所にあった、古そうな代物だ。 その表面が、波のように揺らぎ、歪んでいる。 「我が名、ダークエリアの守護者アヌビモンの名に於いて。門番よ、我が声に応じよ!」 激しく鏡面が揺らぎ、影が浮かび上がる。 始めはぼやけていたがそのシルエットは鮮明になった。 犬科猛獣の頭部を模した兜に装備を帯びた、人間の姿のデジモン。 「アヌビモン様!?この長い間御身は一体どうしていたのですか!」 長年に渡りアヌビモンに仕え続けている、ケルベロモンだ。 「ケルベロモン、大義であったな。しばらくそちらへ戻るには時間と力のリソースが必要ゆえ、まだ長く迷惑をかける事になってしまう」 「中々御身が戻らぬばかりに、ダークエリアの方は堕天使デジモンどもが日に日に大きな顔をする事が増えております。疾く、お戻りになっていただかねばなりませぬ」 心の中で苦笑いを浮かべ、ラブラモンは応える。 「為すべき事を為し、戻った暁にはすぐにそうしよう。それより頼みがある」 「何でしょう?」 「イリアスのダークエリアへチャンネルを繋いでくれ。現実世界(リアルワールド)で異常事態が確認された。それを向こうへも共有する」 「異常事態ですか」 訝しげながら、人狼の相を表したケルベロモンはお待ちをと短げに告げ。 鏡面が再び歪み、揺らぐ。 5分、10分と経って、鏡を通して鋭い冷気が吹き込んできた。 マイナスを余裕で突き抜ける冷気に、周囲の床に霜が降りる。 鏡の向こうに身の毛のよだつ気配が現れた時、ラブラモンは声を張り上げた。 「プルートモン!生者の世界に顕れていないなら応答せよ!私だ、アヌビモンだ!」 砂嵐のような雑音の中、獣が唸るような声が響き渡った。 「アヌビモンだと?噂に聞いていたが、随分無様な姿ではないか。久々だな」 黒い霧のようなものの中から、牙の並ぶ顎を備えた甲冑姿が現れる。 青黒い鎧とそこでガチガチと牙を鳴らす生きた顎の持ち主は、冷徹な光を宿した紅い瞳で鏡面の向こうのラブラモンを睨めつけた。 「それで?何の用だ?」 「イーターの動きが活発になってきている事は知ってるな?それについてだが」 「ああ…あの、データ喰らい共か。表で姿を現しているそうだな」 「やはり、イリアス側にも姿を現していたか」 「死者どもが騒いでいるのが耳に入っただけだ。貴様のダークエリアはそうではないようだが」 プルートモンの声は、降りしきる雪のようにラブラモンの耳を打つ。 「デジタルウェイブを監視する人間達が減らされている。おそらく、同じ人間によってだ」 「その証左は?」 プルートモンの冷ややかな眼が見据える。 「コキュートスを通して既に知ってるだろう?黙示録の残滓が人間世界に頭脳体だけだがリアライズしてしまったことは。奴と組んでいるデジモンと、それに協力している人間がいる。それが、デジタルウェイブの管理者の殺害に関与している」 ラブラモンは人間世界でリアライズしてからの事を、事短く説明する。 それが、今自身が退化している理由でもあることを。 「成程。それでそちらのダークエリアに主たる貴様が不在だったか。番犬が嘆いていたのが聴こえた。実に耳障りだったな」 「返す言葉もない」 そう苦笑したラブラモン。 「用事はそれだけだな?なら、おれは通話を切る。新たに罪人を探す時間が惜しいからな」 相変わらずだ。 そう思いながら、ラブラモンはプルートモンとの通話を切った。 「さて、次は……」 まだ用事はある。 次に訊ねるべき相手がいるのだ。 「ケルベロモン」 「なんでしょう?」 「"黄金の古狐"に繋げ」 ケルベロモンの表情が驚きに歪む。 「まさか、強欲の…?今まで不干渉を通していたはずでは?」 「そうだろうが今回は奴に直接問いたださなければならない件がある。理由は…通話そのものはお前にも聞こえよう?ともあれ、繋げろ」 「……畏まりした」 再び鏡面が水のように揺らぐ。 それをラブラモンは睨む。 (……リリスモンの件、奴はどう返すか) 黄金の古狐。 この名はあるデジモンの"通り名"だが、その名を知る者はごく一部のデジモンと名の主にのみ限られる。 その名の主こそ、七大魔王が一人、強欲を司るバルバモンだ。 …………… 「はっはっはっはっ。そういう事がありましたか」 社を管理しているという老人は、美玖達の話に笑いながら応えた。 今日この日は本殿の中に風を通すため扉を開いているということで、特別に中を見せようと踵を返す。 「いや、いつぞやのボウズを思い出すなあ。これがとんだイタズラ小僧にしてガキ大将でな。お稲荷ギツネに泥をひっかけたりして」 「もしかして、私たちがここまで歩く途中で見た、耳や目が片方しかない石のキツネも…」 「ほほほ、あれは元からそう作られたものですよ。それは今から本殿で案内しますでの。――こちらへ」 開かれた格子扉をくぐり、香のかぐわしい空気に包まれながら二人と一体は薄暗い空間へ足を踏み入れた。 シルフィーモンが足を止める。 「どうしたの?」 「…一瞬だが、何者かの気配を感じた。すぐにいなくなったが…」 「ほほ、そちらのデジモンさんは面白いことを言いなさる。だがあながち間違っていませんぞ。ここは、伝説の108匹の狐を祀る社ですからな」 御覧なさい、と上を指さす。 祭壇の左手の天井と障子戸の間に、細長い額が掛かっていた。 中に納められた絵は、横長の大きなもので、ぼってりと黒い墨の線により描かれている。 「稲荷縁起図といいましてな。この神社がなぜできたのかを説明する絵です」 激しい炎を巻き上げ燃え盛る山並み。 迫る炎を見上げ、驚き、逃げ惑う人々。 そして燃える山の上には、黒雲が今にも炎を飲み込む勢いで湧き出している。 その黒雲の上で大勢の狐達が踊っていた。 「これは…」 「江戸時代の初めに実際に起きたと記録に残る、当時の稲荷山の山火事を描いたものです」 1683年、三日三晩に渡り山を焼き尽くした大火の記録だ。 大火がふもとの村へ迫った時、あらん限りの手を尽くして火を消し、押しとどめようと抵抗が試みられたが無駄に終わり。 ーーもはや、万事休す。 そう、村人達が諦めかけたそこへ現れたのが、巨大な黒い雨雲とそれを呼び寄せた108匹の狐達だった。 雨雲は滝のような雨を大火に浴びせ、見事に鎮めた。 「山と村を救ってくれた狐達に感謝した人々が建てたのが、村を見下ろす山の頂にあるこの神社というわけじゃ。…もう、遠い遠い昔のこと。まだキツネやタヌキが人間と化かし化かされての近所づきあいをしていた頃じゃよ」 老人は言い、美玖達と同じように絵を見上げた。 絵の狐達には、まるで、生きているかのような躍動感がある。 老人はシルフィーモンへ向き直った。 「こうして、人間の古い歴史をあなた方デジモンが見ている姿に嬉しく思ってしまいますな」 「それは…わかる気がします」 コマと、華族一家のことを思い出し、美玖はうなずいた。 「ねえ、これ、オショロって狐でしょ?」 ミオナが黒雲の先端を指さす。 そこには確かに、大きな白ギツネが前足を高く蹴り上げて、仲間に号令をかけるかのように尾を振りたて首を後ろへ捻りながら大きく口を開けている。 「その108匹ギツネの頭領がオショロギツネじゃよ。一番強い力を持っておってな、葛の葉狐の生まれ変わりともいわれとる」 「葛の葉…陰陽師の、安倍晴明の母親と言われている狐でしたね」 恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉 「オショロギツネはな…絵に名前が書かれとるだろ」 「ほんとだ…於松(おまつ)?って書いてある。石のとなんか違わない?」 「それはな、於松(おしょう)と読む。松竹梅の松じゃ」 「どうして、こんな名前に?」 美玖が尋ねる。 「初めはオショウ、つまり和尚だったらしい。それが訛ってオショロに変化したらしいのだ。…だから、その名前の元々の由来は、強い法力を持つ狐だということだろう。それほどの強い力を持つ狐なら何百年、何千年もの間に生まれ変わり続けてもおかしくないとね」 「まるでデジモンのようだな」 シルフィーモンがぼやいた。 「あまり詳しくはありませんが、デジモンが遺伝子を残す時は、寿命を迎えるとともにご自身のデータを卵の形にする…そうでしたな?」 「ああ」 「確かに生まれ変わりに近しいものを覚えますな」 絵を眺め続けて、再びミオナが指さす。 「ねえ美玖、あの狐達…さっき壊れてた石のキツネじゃない?」 「どれ?」 ミオナが指さす狐を見れば、耳が片方だけの狐、目が片方潰れた狐、鼻のひん曲がった狐がいる。 …まさに、あの石のキツネ達そのものだ。 「ああ、その狐達が先程案内したいと申し上げた三匹ですな。名前はそれぞれ、耳丸、眼(まなこ)丸、かぐ丸という、伝説の狐達ですよ」 不思議な力の持ち主でしてね、と老人はにっこり。 「その力で困った村人達を助けたこともあるんです。意地悪な長者からね」 ふと、時計を確かめる。 時刻は16時近く。 …そろそろ、阿部警部とブイ太郎が来る頃合いだ。 「すみません、待ち人がいますので私達はここで…」 「おお、そうでしたか」 「貴重なお話をありがとうございました。その人は私の元職場の同僚なんですが、この土地の人だと言っていたので」 「ほう、どなたかな」 「阿部宏隆さんです」 「もしや、阿部さんのお孫の…」 思い当たりのある様子に、尋ねてみる。 「ご存じですか?」 「うむ、これくらいちんまい頃からな」 老人は笑って続けた。 「参道の石ギツネに泥団子をぶつけたり、本殿の障子を破いたり、いじめっ子を肥溜めに投げ込んだりとよう暴れとったものよ」 「それは、先程お話ししていた……、あの阿部警部が…」 「いつだったか、自分は109匹目の狐だと名乗ったこともあったなあ…賽銭箱を漁っていた不良の中学生達に取り囲まれながらね。社の物に手を出したらここの狐達が黙っちゃいないぞって言った側から、大きな雷がどこからかゴロゴロゴローっと鳴って…あの時の中学生達の逃げっぷりといえば…いやあ、懐かしい」 立派になったものだ……と、そう老人はしみじみとつぶやいた。 「五年前にあの子が就任したと言っとった警察署が恐ろしいデジモンに襲われた話はニュースで見て知っとる。無事だったのはきっと、ここの狐達に守ってもらったからだろうな」 「……狐に、守られた……」 思い出す。 五年前の彼を。 メフィスモン相手に目に見えて怖じる事もなく、ロケットランチャーを構え続けた姿を。 「……彼は、立ち向かっていました。何もできなかった私の目の前で、果敢に」 「そういえば、元職場と仰っておりましたな…お辛かったでしょう」 しんみりとしながらも、改めて暇を告げる。 静かになった本殿。 その梁の上から、一部始終を見守る影があった。 「なんだぁ、あいつら、ヒロ坊の知り合いだったのかよ。そうと知ってればもうちょい丁重に案内してやっても良かったのになあ」 美玖達が阿部警部とブイ太郎の元へ合流した時、すでに山の麓、アスファルト道路の両側に出店が開かれていた。 後半刻ほどすれば、神社の境内にも出店が始まるだろう。 「よう、五十嵐!こっちだこっち」 大手を振って浴衣姿の阿部警部が迎える。 その足元には同じ着物姿のブイ太郎がいた。 ブイ太郎は顔を半分覗かせながらたどたどしく、 「こ、こんにちは」 と挨拶。 ミオナがしゃがみこむ。 「可愛い!この子もデジモンなんだね、こんばんは」 「ああ、仲良くしてやってくれ」 「初めまして、ミオナよ。よろしくね」 そっと差し出されたその手に、 「…うん」 ブイ太郎は小声でうなずき、握ってきた。 一緒に歩きながら、美玖達は自分達が歩いてきた道を改めて見回した。 オキ丸が言うように、確かに、子連れの親子や小学生数人連れが見受けられる。 子供達は皆、小遣いを手に、出店へと走っていった。 微笑ましく見守っていた美玖、だったが。 (……あ……) その中に、混じって走るデジモンと子供。 子供の腰にストラップで固定されていたそれは……見覚えがある。 (デジヴァイスだ…!) ミツバチのようなファンビーモンと一緒に出店へ走るその小学生の少年に、美玖はずきん、と心の奥でささくれるものを覚えた。 どうしても、 (この感覚だけは、慣れない…) 不意に肩を大きく叩かれた。 「ふゃっ!?」 「あまりぼーっとするな。ほら、ぶつかる」 シルフィーモンが咎めるように言う。 それと同時に、前方から数人の大学生と思しき若いグループが通り過ぎていった。 「今日は普通の縁日だからそんなに人は多くないが、山送りだったらもっと人多いからな。ほんとに気をつけろよ、五十嵐」 「山送り?」 はぐれないよう、美玖の手をしっかりと握りながらシルフィーモンが尋ねる。 「この地域の、二大イベントさ。夏の終わりと、春の始まりを迎えて送るための大事なお祭りでな。この山送りが済まなきゃ、ここの人達は夏の終わりを迎えられない」 「夏の、終わり…」 一年の実りをもたらした田の神が山へ帰っていくのを見送るもので、元々は稲の刈り入れを待って行われていたが現在は8月最後の日曜に行うように変更された。 夏の終わりに山へ帰った田の神が、次の春に田を目指して山を下る。 春を迎える祭りは、山から下りた田の神を迎える祭りなのだ。 「縁日よりも賑やかで、もっと人も集まるんだ。それこそ、隣の県とかからもやってくる。今年の山送りは典子も予定が空いてるから、ブイ太郎と三人揃って行くつもりだ」 さて、出店は様々で、定番のお好み焼きやたこ焼き、チョコバナナにかき氷。 ソース煎餅にりんご飴。 ヨーヨー釣りに射的、スーパーボールすくい。 神社の参道にも幾らか出店は並ぶはずなので、遊ぶにも十分だ。 「わあ……あ……」 ここまで大勢の人の集まりに加えて、色々な音や匂い、未知の雰囲気を味わってか。 ブイ太郎はせわしなく出店や通り過ぎる人の流れを見回している。 阿部警部が穏やかにブイ太郎の頭を撫でた。 「すごいだろ?」 「…うん」 ーー 神社の参道を目指すように、出店を回って楽しんだ。 途中、人とぶつかってチョコバナナが落ちたり、ミオナの履き物の鼻緒が切れて転んだりとハプニングはあったが…。 「ここの階段のキツさは相変わらずだな…」 階段を登りきって、阿部警部は額の汗をぬぐう。 ここまで来て、新たに発電機の音が聞こえてきた。 途中の階段が狭く急勾配のためもあるか、出店自体は少ないが賑やかな声や人の気配はここにもある。 「ちょっとここでひと休みしませんか?」 美玖が息を整えているミオナの背中をさすりながら言った。 出店を巡るだけでも体力は消耗するものだ。 「そうだな。ミオナさんも疲れてるようだし」 「じゃあ、ちょっと鳥居の脇に……あっ」 体を曲げたその拍子に。 美玖の手首から、厚めのビニールの袋が鳥居の脇から下へ転げ落ちた。 キャラクターの柄がプリントされた、わたあめの袋。 ラブラモンへのおみやげに買ったものだ。 「わたあめが!」 慌てて草を掻き分け、飛び出した。 「おい、気をつけろよ!結構坂が急なんだここは!」 阿部警部が声をかけた。 …しかし、異変は、すぐに起こった。 「……美玖ー?」 いつまで経っても、美玖が登ってくる様子はない。 「……まさか」 シルフィーモンが立ち上がる。 鳥居から下へ飛び出し、わたあめの袋と美玖を探す。 しかし、ゴーグルを通しても、美玖の姿どころか袋すら見当たらない。 ーーしまった。 「美玖!美玖、どこにいる!?」 シルフィーモンの叫びが、山に響いた。 「う、わっ!?」 急な坂、それも普段と違い浴衣姿で下りたばかりに足を取られた美玖は袋ともども転がり落ちていた。 シルフィーモンがこの光景を目撃していたら呆れ果てていただろう。 ……目撃できていたならば。 「……いっ、たあ…」 やっと手に掴んだ袋の感触。 全身葉っぱと土まみれだ。 「こんな所まで転がってきちゃったなあ…」 乱れた髪を直しながら、坂の上を見上げる。 「階段の所まで戻りましょう」 鳥居の脇から転げ落ちたことを考えれば、よほどルートをそれていない限り階段までの距離は離れていないはず。 がさがさと草をかき分け、また滑り落ちないよう足の重心に注意する。 階段へ辿り着くのにそう時間はかからなかった。 「それにしても、なんだか静かね…」 階段を上りながらつぶやく。 今たどり着いた所は40段ほどぐらいか。 それでも、先程と比べて不気味な程もの静かだ。 それだけでなく、心なしか非常に暗いようにも。 「この石段、急だけどもう少し早く上がらなきゃ」 少しズレた鼻緒を直し、やや駆け足で石段を上る。 そして、鳥居まで戻ってきたと…思った。 「……あれ?」 そこで、気づいた。 シルフィーモンもミオナも。 阿部警部もブイ太郎もいない。 それだけでなく、境内には音ひとつもせず、周囲を闇が包んでいた。 「……え、待って……皆?」 出店の照明で眩しい程照らされていたはずの竹林は、真っ暗で何一つまともに見えない。 いや、出店が一つとして見当たらないではないか。 異常を理解して、血の気が引く。 いつぞやかの、大きなタコの頭にコウモリの翼の巨大な影を見た悪夢を思い出す。 「……っ」 ぶるっと身を震わせ、バッグからペットボトルの水と薬を取り出す。 粉薬を口へ流し込み、ゆっくりと水を口に含んでいく。 「っ、んくっ、んっ…」 粉薬を水で流し込み、何度か深呼吸。 動悸を打ちつつあった胸を落ち着かせ、改めて辺りを見回す。 「どうしよう…これ、もしかして私、いけないことになってるんじゃ…」 「なってるよ」 「!?」 真後ろから聞き覚えのある声。 振り向くと案の定見覚えのある少年がいた。 「オキ丸君!?」 「しっ、声が大きい。お前、あれほどいけないって言ったのにやらかしたな」 オキ丸は人差し指を立ててから、辺りを用心深く見回した。 「やらかしたって…」 「言ったこと忘れたのかよ。鳥居はちゃんとくぐらないとダメだ、でないととんでもない場所に飛ばされるって」 「……あっ」 思い出して声をあげる。 それを見てオキ丸は呆れたか盛大にため息をついた。 「しかもな…とんでもない場所に飛んでくれたな。ここ、"魔道"じゃないかよ。お松ちゃんからも絶対入っちゃだめだって注意された超危険な場所なのに」 「まどう?」 聞き慣れない言葉に目を瞬かせる美玖。 「妖怪でも神様でも良いけど、その中でも特別"良くない"奴の通り道だよ。昔はよく、この魔道が山の中にはいっぱい這ってた。今はそうでもないけど、昔は迷い込んで帰ってこない人間達がいっぱいいたんだ」 「……人間じゃないって否定しないのね。自分は狐だ、って」 美玖に言われて、オキ丸はイタズラっぽく笑った。 「お姉さんなら良いかなって。でもまさか、ヒロ坊の知り合いだって思わなかったよ。そうと知ってたら、もう少しは丁寧に案内してやったのにな」 「阿部警部と知り合いなの?」 「ああ、お巡りさんやってんだっけかヒロ坊。そんなとこ……って、ヤベッ」 隠れろ、と短く叫び、美玖の腕を引く。 「えっ」 (静かに!早速厄介な奴らが来た。良いか、声を出すなよ) 草むらの中でオキ丸がそう言ってから少し経って。 境内の中に何物かが複数やってきた。 闇の中から現れたそれに、美玖は目を瞬かせた。 (…サンショウウオ?) 紫色の皮膚に赤い不気味な紋様。 人間の子供程の大きな両生類だ。 大きなサンショウウオのようなモノ達は、ぞろぞろと動きながらオキ丸と美玖の隠れた草むらを通り過ぎる。 何かを探しているようにも見える。 (オキ丸君、あれは何?) (ここ最近現れたってお松ちゃんが言ってた奴らだ。どういうわけか知らないけど、あいつらも人間、特に子供を狙ってる) (子供を?) (子供が狙われるってのはそう珍しくないぜ。でもあいつらの主って奴が特にマズい。とにかくゆっくり移動するぞ。魔道には抜け道ってものがある。そこを抜けない事には延々と同じ道を廻ることになる) (…わかったわ) サンショウウオのような連中はとにかく数が多いようで、道ゆく先にもうろついている。 その姿に、これもいつぞやかの魚人とは別種の不気味さを美玖は覚えた。 それでも、あの時とは状況が違い、一人じゃない。 例え人でなくても、一人きりで怯えずに済む。 草むらの合間を縫いながらサンショウウオの目をかいくぐって進んでいく二人。 (ちょっと止まれ。あいつらの数がさっきより多くなってる) オキ丸の言うように、サンショウウオめいたモノの数が、より一層増えている。 その数は数十頭ほど。 まさに群れだ。 (このままじゃ見つかるから、流石に術を使うぞ。今じゃ普段は使う必要がないんだけど、お姉さんがいるからな) (術?) (見つからないようにする術な。合図したら、息を止めろよ) (息を?) (そうしないと術が解けて姿がバレちまうからな。今のうちに準備しとけ) 数分後、オキ丸に手を引かれながら、もう片手で鼻と口をふさぐ美玖がいた。 オオサンショウウオがうろつく合間を急ぎ足で通り過ぎる。 かなり近い距離だが、彼らはオキ丸と美玖に気づく素振りを見せない。 (もう少しで抜け道に近い、それまでは……) パキッ 不意に大きな音が足元で鳴った。 気づかずに小枝を踏んでしまったようだ。 「っ!?」 (バカっ!!) その瞬間、サンショウウオの目線が一斉に美玖達へ振り向いた。 生気があるようには見えない、黄色の目がギラギラと光った。 「くそっ、走れ!」 「いたか!?」 その頃。 美玖の姿がないという異常事態から、山の中を駆けずり回ることになった阿部警部とシルフィーモン。 何かあった時の連絡のため、ブイ太郎とミオナには鳥居の近くで待ってもらっている。 「ダメだ、階段近くにいる人にも聞いたがそれらしい人を見なかったらしい」 「なんだってこんな時に…!」 近くにヴァルキリモンもいるそうだが、美玖がいなければ…。 ーーーいや、本当に困ったな。 阿部警部とシルフィーモンの脇でヴァルキリモンは困り顔になっている。 美玖の紋章の近く、美玖の近くにいなければヴァルキリモンは実体化できない。 実体化せずとも干渉のできるラブラモンは、この場にいない。 フレイアもラブラモンの元へ預けたままだ。 ーーーしかし、彼女はどこに行ったんだろうか…? 考えあぐねながらヴァルキリモンが飛びあがる体勢をとった時。 聞こえるぞ 聞こえるぞ 魔道を走る迷い子とオキ丸の足音が どこからか聞こえた声。 ヴァルキリモンが見回す。 視えるぞ 視えるぞ 迷い子とオキ丸を追う"奴"の眷属どもが ーーー誰かいるのかい? 阿部警部とシルフィーモンはまだ声に気づいていないようだ。 彼/彼女が見回すと、仄かに光る獣が三匹走っていくのが見えた。 線のほっそりとした身体。 尖った鼻や耳先。 ふさふさとした長い尾。 それは、狐だった。 ーーー怪我でもしているのかな? そうヴァルキリモンがつぶやく。 というのも。 一匹は片耳がなく。 一匹は片目が潰れ。 一匹は鼻先がひん曲がっている。 ふと、片目の潰れた狐が足を止めたかと思うと、ヴァルキリモンの方を向いた。 視えたぞ 視えたぞ にんまりと笑う狐。 人間なら不気味に思うところだが、ヴァルキリモンがそれに動じることはない。 ーーー良かった、私が見える者のようだね。困っているんだが…君達も急ぎの用かい? 鼻先がひん曲がった狐、片方だけ耳のない狐もヴァルキリモンの方を向きながら答えた。 「我々の同胞のオキ丸が魔道に入った」 「人間が一緒だ。そこを厄介なモノの眷属どもに目をつけられた」 ーーー人間?もしかして、こんな人間かい? ヴァルキリモンが美玖の写真を一枚見せる。 ラブラモンが渡したものだ。 「おお、その娘よ。その娘が魔道に落ちたのよ」 「オキ丸から急ぎ救援を請われた。魔道は良からぬ神やあやかしの通り道。人の子なぞ好餌じゃ」 「オキ丸も人の良すぎることを…数百年も、まるで変わらんのう」 ーーー私が探しているのが彼女だよ。 それで、と切り出しヴァルキリモンは離れた所にいるシルフィーモンを指差す。 ーーーあそこにいるデジモン…人間のようで人間ではない者がいるんだが、わかるかな? 「わかるぞ」 ーーーその魔道という場所へあそこの彼や私を案内できないかね。彼女を一人にしておくのは色々とマズい案件なんだ。 「そうか、我らはこれから棟梁の元へ向かう。眼丸が供をしよう、眼丸は遠くを見ることができる」 ーーー感謝する。できたら、あそこにいる彼、シルフィーモンに干渉を願えないかな?私は彼女の近くにいるか、視える者を介してでないと他者に接触できない。 「なるほど、呼べばいいのだな。それではかぐ丸、耳丸、先に行くぞ」 「おう」 二匹が去ると、片目の狐・眼丸は尻尾をぴんと立てて…… しゅるん 姿が揺らいだと思うと、そこに立っていたのは人間がよく知る狐の姿ではなかった。 金色の美しい毛並み、比較的人間に近い骨格。 身体の線は華奢で女性的、頭部は狐のそれだ。 ーーーほう、レナモンか。 ヴァルキリモンは感心の声をあげた。 黄金狐の獣人、レナモンの姿をとっても、普通のレナモンと違い眼丸の片目は潰れたままだ。 ーーーそれにしても驚いたよ。デジモンに化けられるとはね。 「棟梁の方針だ。お前たちデジモンなる存在を把握したことで、我ら108匹狐もそのように倣ったのだ。では、行こうか」 片目のレナモンが歩いていく。 阿部警部とどうしようか話し合うシルフィーモンの元へと歩み寄り…… 「少し良いか?」 「ん?」 先に気づいたのは阿部警部。 遅れてシルフィーモンも振り返った。 「あんた、デジモンか。ちょうどいい、ここら辺で人間の女性を見なかったか?」 「ちょっと待て。…こんな女性だ」 シルフィーモンが端末を見せる。 しかし、それを見るより先に、片目のレナモンの手が制止した。 「それには及ばぬ。その人間は今、こことは違う異層へ飛ばされておる。お前たちのいるこの層とは異なる危険な場所じゃ、鳥居をくぐり損ねたが故にな」 「なんだって?」 「鳥居……」 思い当たりにシルフィーモンの表情が険しくなる。 阿部警部がレナモンに尋ねた。 「それより、あんたは一体?」 「我が名は眼丸。……その者をしばし借りて行くぞ」 「まっ…!?」 名前を聞いた阿部警部が、一瞬固まる。 だがそれより早く、眼丸の手がシルフィーモンの腕を掴んだ。 「!?」 「急ぎ向かわねばならぬのでな。すぐに魔道へ跳ぶ」 ほんの一瞬で。 片目のレナモンとシルフィーモンの姿が風に溶けるように消えた。 取り残された阿部警部は、呆気にとられた表情でつぶやいた。 「眼丸って……オキ丸と同じ108匹の狐が、本当にいたんだな…」 祭りはまだまだ続く。 遠く聞こえる賑やかな音楽が静寂をささやかに破っていた。 「はぁ、はっ、はあっ」 背後から追いかけてくる足音に心臓が跳ね上がる。 参道を駆け抜けながら、オキ丸が叫んだ。 「抜け道はこの先だ、まだ主の気配もないとは思うけど油断するなよ」 竹林に混じる紅。 それは、今の季節からも外れた花々の綾(色)。 (彼岸花…?でも今の時期は違うはず!) 竹林の碧とのミスマッチ度合いが凄まじいが、その奥の暗闇からも濁った黄色い目玉が何百も輝くのが見える。 「くそっ、前の方からも来た!道を塞がれる前に蹴散らすぞ」 オキ丸の言う通り、前方、道の両側からもサンショウウオが迫る。 オキ丸の体を風が包んだかと思うと、一匹の狐がそこにいた。 身体の小さく、いかにもすばしこそうなその狐は美玖より前へと飛び出して駆け抜ける。 つむじ風が起こったと思うと、前を塞ごうとしたサンショウウオ数体が切り裂かれた。 「どけぇ!」 「オキ丸君、抜け道はこの先にしかないの!?」 美玖が走りながら後ろを振り返る。 ……追手はまだ数を増していく。 サンショウウオに混じって、円筒型とも人型ともつかないものや、筋肉質な人間に見えなくもないものまでが現れた。 そして、筋肉質な人型がオキ丸の脇から飛び出す。 「オキ丸君!!」 「しまっ…ぐあっ!」 太い腕に殴り飛ばされるオキ丸。 それを守るためにそばへ並び立ち、美玖がホーリーリングの弓を構え、引き撃つ。 迫ってくる巨体を、光の矢が数本撃ち抜いてやっと地に倒した。 「オキ丸君、大丈夫?」 「まあ、な…ほんとは、デジモンの姿で戦えもするんだけど人間の姿の方がしっくりきてるんだよな…!」 立ち上がるも受けたダメージは軽くないのか狐の身体がよろめく。 追手の動きを待つより、美玖の決断は早い。 オキ丸を抱えて走り出した。 「抜け道はここからどう行けばいいの!?」 「本殿かそっちがダメなら狐ヶ井戸(きつねがいど)とこの町の人間達が呼んでる湧水池がある。本殿の裏だ、そこへ行け!」 「抜け道は一つだけじゃなかったの?」 「そんなこと俺は一言も言ってない。でもあいつらの主がやって来ようものならおしまいだ!」 柔らかくなめらかな狐の毛並みと体温を腕に感じながら美玖は全力疾走する。 エキノコックスがなどとふざけている場合ではないし、そんな真似を好む美玖ではない。 危うい状況にまたしても放り出されているからだ! 「でも、数が多い…!」 暗闇から押し寄せる影。 そして、不意に現れた円筒型に美玖が足を止めた。 その時である。 「『デュアルソニック』!!」 「『狐葉楔』!」 エネルギー弾と光の木の葉が飛来し、美玖の前を塞ぐモノを打ち倒した。 「ーーシルフィーモン!」 美玖の声に応えるかのように、近くへ降り立つやそこへ襲い来た円筒型を殴り飛ばす。 「美玖、なんて格好を…ともあれ無事で良かった」 安堵の言葉を漏らしたシルフィーモン。 その脇に現れた片目のレナモンに美玖が目を瞬かせる。 「あなたは……」 「眼丸」 オキ丸の声に眼丸は開いた片目を細めた。 「オキ丸、何をしておる?ここが魔道であることはよく知っておろうに。疾く姿を変えるがいい」 「……しかたねえなあ、わかったよ」 「あっ」 美玖の腕からすり抜けると、オキ丸の姿が狐から直立した獣人へと変わった。 化け物達も、先程と形勢が逆転したと感じ取ってかすぐに襲いかかる素振りを見せない。 その素振りも、美玖に近すぎず離れすぎない位置で姿を表した純白のデジモンを前により顕著となった。 「ヴァルキリモンさんも」 だが、空気が激変したのはその時でもあった。 ーーーや? ヴァルキリモンが一番に反応し、美玖達が走ってきた方を見る。 闇の奥、数多の化け物達の背後に蠢くあれは…… 「……何、あれ?人の、手が……」 それは、無数もの人間の手のようなもの。 一斉に、美玖達の方へ伸びてくるように見える。 眼丸とオキ丸の全身の毛が逆立った。 「見えるぞ 見えるぞ」 眼丸が声を張り上げる。 「な、何が?」 「あいつらの主だ!もう来やがった」 オキ丸が答え、シルフィーモンが身構える。 ーーーいやあ、これは。 ヴァルキリモンがつぶやく。 ーーー参ったな。これは、並の気配ではない。 「どういうことですか?」 美玖がヴァルキリモンのいる方を見上げる。 ーーーそうだね、究極体も色々いるわけだが同じデジモンでも強い弱いの個体差というものがある。普通のデジモンの場合はね。 「……?」 「つまり、こう言いたいのか。…相手は非常に強力な究極体に匹敵する、と」 「!?」 シルフィーモンの説明に美玖は振り返る。 ーーーそうだ、少なくとも。あれはロイヤルナイツですらもおそらく手に余る。 「待って、それって」 化け物達の合間を縫って、無数の手が迫ってくる。 未だその姿を闇に隠しながら。 ーーー撤退しよう。今すぐだ。あれは私一人ではどうにもならない! 「おい、あんた!」 レナモンとなったオキ丸がシルフィーモンを振り返る。 「こいつを抱えて先に行け!あいつらに完全に囲まれたら掻っ攫われるぞ」 「わかった」 「きゃっ」 いきなり横抱きにされ、思わずシルフィーモンにしがみついた美玖。 ヴァルキリモンが先方を行き、オキ丸と眼丸は後方へ。 前方からさえぎるように現れるモノへヴァルキリモンが斬り捨て、あるいは矢で撃ち抜く。 後方から現れたモノに対してはオキ丸と眼丸が光の鋭い木の葉をショットガンのように浴びせかける。 「シルフィーモン、左側から来る!」 美玖の注意にシルフィーモンは素早く反応。 脇から現れるは円筒型。 上半身を振り回すように動かしたが、シルフィーモンはしゃがんでこれを回避。 脚に力を込めるとそのまま跳躍と共に土手っ腹に蹴り込んだ。 「距離的にはそろそろ本殿のはず…!」 不思議かつ恐るべきことに、背後の謎の存在との距離は広まっていない。 それどころか逆に縮まっているように美玖には感じる。 一体何者なのかわからない、未知のモノ。 ヴァルキリモンですら手に負えないという未知の相手は、自分という贄を求めている。 一体何の為に? 「オキ丸!」 「なんだよ」 「見えたぞ、見えたぞ!棟梁だ!」 「お松ちゃんが来たのか」 「狐ヶ井戸、そこで待っている」 やりとりを終えてオキ丸が叫んだ。 「狐ヶ井戸だ!そこまで行けばなんとかなる!」 「本当に!?」 「ああ、お松ちゃんならあいつを少しの間抑え込める」 シルフィーモンは美玖に目配せをした。 「一度、下ろすぞ」 「うん」 ザッ! 滑り込むようにブレーキをかけ、シルフィーモンが美玖を足先から立たせるように下ろす。 下ろされたと同時に美玖も動く。 シルフィーモンの脇を抜けるように回り込んで、彼の背に後ろからしがみついた。 一瞬、追いつきかけた眷属を、すぐさまシルフィーモンの跳躍とその直後の飛翔で引き離す。 この流れは一人と一体の繋がりが見せる連携と言えよう。 ヴァルキリモンがほう、と漏らした。 ーーー流石は付き合いの長い二人、と言ったところか。悪くないね。 ーー本殿の裏。 そこへ回り込めば、杉林が立ち並ぶのが見える。 その中で、うっすらと白いもやがかかっている所に、湧水池があった。 冷たく透き通った水がボコボコと水面を持ち上げる勢いで湧き出ている。 ここが狐ヶ井戸だ。 そこまでたどり着いた所で、美玖は三つの影が泉のそばで立っていることに気づいた。 うち二つは、よく似たシルエット。 もう一つは……。 「あの、人?は…」 顔の上半分を隠した狐の面。 紫と黒を基調とした軽鎧とスーツ。 手に握られた錫杖。 「棟梁、眼丸とオキ丸、只今戻られました!」 二つに分けられ束ねられた長い銀髪が揺れる。 「戻ったな、眼丸、オキ丸よ。ーー来たか」 背後に迫る気配。 無数の手が這い寄り、美玖は振り返りたくともできない。 だが、錫杖がしゃんっ!と鳴った。 「ーーー掛けまくも畏(かしこ)き伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ) 筑紫の日向の橘の小戸(おど)の阿波岐原(あわぎはら)に 御祓(みそぎ)祓へ給ひし時に生(な)り坐(ま)せる祓戸(はらへど)の大神等………」 凛とした声が謳う。 「何だ?」 戸惑うシルフィーモンの傍ら、美玖はそれが何かを理解した。 祝詞か祓の類…… 背後まで迫っていた禍々しいものが、進むのを止めた。 「とほかみ えみため はらいたまえ きよめたまえ とほかみ えみため はらいたまえ きよめたまえ……」 瓊矛鏡(とほかみ) 笑賜(えみため) 祓賜(はらいたまえ) 清賜(きよめたまえ) 地の底から響く声。 暖かな金色の光の中、凛とした声が誦(そら)んじる。 「ーー『胎蔵界曼荼羅』!」 その声と光の中、美玖の意識はすうっと吸い込まれるかのように、沈んでいった。 意識を取り戻した時、最初に美玖の耳が拾ったのは車のエンジン音。 目を開けると、車の前部座席とわずかに覗いた阿部警部の頭が見えた。 どうやら後部座席の上に、背もたれに寄りかかる姿勢でいたようだ。 「あ、美玖、大丈夫?」 「……ミオナ?」 覗き込まれ、美玖は目を動かしミオナの方を見る。 その反応に、ミオナは胸を撫で下ろした。 「よかった…シルフィーモンと二人戻ってきたかと思ったら、美玖だけ倒れてたのよ。なんか大変な目に遭ったって話だけど…」 「全くな」 ミオナとは反対の方向からシルフィーモンの声。 窮屈げにしながら彼は美玖の隣に腰を下ろしている。 「わたし、帰れたの?」 「まあな。リーダーと思しきあのデジモンが力を発動させたところまでは、私も覚えているが…」 気がついた時には本殿の前にいたという。 そこで美玖を担いで、阿部警部達と合流した。 「結局アレがナニモノだったのか、それすらもわからなかった。…イーターとは別物だろうが」 ーー謎の敵と思しき存在との遭遇は謎を残したまま終わった。 シルフィーモンの懸念は今のところ、このモノ共のいる世界と我々の世界が交わらない限りは杞憂のままだろう。 ……交わらせようとする者が現れない限りは。 ーーー 「良かったのか?お松ちゃん。ヒロ坊に顔を合わせないで…あいたっ」 林の中、少年の姿になっているオキ丸が尋ねようとして、頭を小突かれた。 「儂をその呼び方で呼ぶなと何度も言うておるだろう、オキ丸。……とはいえよく無事に戻った。あの者達への接触は山送りの日の前に使いを送ることにしている」 「じゃあ!」 「使いはお前を寄越すとしよう」 「げぇーっ」 オキ丸が頭を抱える。 人里に下りるということは狐にとって天敵な犬のいる場所へ近づくということ。 長年生きてきた中で犬に吠えられ失敗した事は数え切れない。 訴えようとしたオキ丸の脇を、白い大キツネが横切った。 「お、お松ちゃん待ってよ!」 オキ丸は慌てて狐の姿に戻り、走っていった。 「……それじゃ、ブイ太郎、始めてのお祭りは楽しめたのね」 「ああ」 まだよそ行きの服のまま化粧を落とす典子に祭りのことを話した阿部警部。 すでに敷かれた布団の上で、ブイ太郎はもう夢の中だ。 「それにしても美玖ちゃんも大変ね…最近危険なことに巻き込まれる事が増えたなって」 「……香港での一件でヤバい事が色々起こったしな。一週間後に香港から組織の調査に関して正式な発表があるとは聞いたが……そのために払った犠牲の中に、五十嵐にとって辛い案件があるのは見てられん」 タバコをふかしながら、阿部警部はもの思いに耽る。 「…もうそんな事が二度と美玖ちゃんに起こらないでほしいな」 典子がぼそりとつぶやく。 あの暗く散乱としたアパートの一室を、その中で膝を抱えてやつれた美玖を見たからこそつぶやかずにいられない。 夫婦は互いに、一つのことを思いながら、夜を過ごした。
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みなみ
2023年7月07日
In デジモン創作サロン
目次(https://www.digimonsalon.com/top/dezimonchuang-zuo-saron/mu-ci-kotira-wu-shi-lan-dian-noy-tan-zhen-suo?origin=member_posts_page) (七夕SS) 時刻は19:00。 ようやく事が終わった直後、ぐったりと美玖はベッドの上で胸を上下させていた。 梅雨晴れからの気温の高さもあってか、肌は汗ばみ、ほのかに湯気が立っている。 気怠げにもたげた後頭部を、下から支えるはしなやかな筋肉と獣毛に覆われた腕。 「……大丈夫か?」 何度、こんな問いを繰り返したかわからない。 優しく手を握りしめる手指は、人のそれよりも大きく力強く。 心音とは違う、命の鼓動に耳を傾けつつ、美玖は意識を揺蕩わせた。 「もう、ちょっと…このまま…」 「わかった」 見下ろすその目はゴーグルに覆われている。 けれど声色から、彼が自分を労ってくれているのはわかった。 ……30分後。 ようやく、立ち上がれるまでに状態の戻った美玖は、シルフィーモンと連れ立って格安のホテルを出た。 もう辺りは暗い。 この日は快晴で空は満天の星空だった。 「見て、天の川が綺麗…」 指差した先をシルフィーモンが見上げれば、光の帯のようとも表現される幾つもの星の連なりが見えた。 「そういえば今日、七夕だったわね」 「そうだな」 「シルフィーモンってそのゴーグル着けてるけど、星ってどんな感じに見えてるの?」 「……そう聞くか。特に意識も何もしてなかったな」 つぶやき、わずかにゴーグルをずり上げて星空を見上げる。 「……大して、そこまで違いはないよ。そもそもこれは、戦闘の補助のための装備だ。画像処理されて多少見やすくなっているかどうかしか、差異はない」 「でも、シルフィーモンがそれ外してるところ見た事がないから……いつも、どんな感じに世界を見てるんだろうって」 「世界を、か」 再度、天の川を見上げた。 「時々思うの。デジモンと人間。それぞれが見てる世界は、同じなのか、違うのか」 デジモンの多くは人間と違う感性を持つ。 それは、よく知っている。 ーーそして、それは、目の前で空を見上げる助手も同じだ。 「あの天の川だって、私達人間は綺麗だって思う人が多い。でも、あなた達デジモンがあれを綺麗だと思うとは、限らない…」 「そうだな」 素っ気なく答えてから、シルフィーモンはゴーグルの位置を戻す。 それよりは、と口を開く。 「遠くにある光の川なんかより、近くにいる君の方が好きだ」 「え……」 ーー硬直。 「ほら、帰るぞ」 「え、ちょっと、まっ…」 いくらなんでも、それはずるい。 ゆでダコのような顔をしながら、美玖は助手の後を追いかけて走る。 ーー天の川は、何処の国から見えようと同じ顔だ。 恋人達が年に一度の逢引きの為に渡る川。 女神の乳が迸って生まれたと言われる川。 しかし、長い時を経て天の川は見下ろし続けるだろう。 残酷な出来事も、ロマンスも、悲しい別れも、等しく。
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みなみ
2023年6月30日
In デジモン創作サロン
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みなみ
2023年6月05日
In デジモン創作サロン
(こちらは18話・擬似科学殺人事件の後半部分です。こちらから開いてしまった人は前半部へ→Before) < 目次 聞き込みを終えたシルフィーモンが戻る途中、滝沢邸から数ブロック離れた地区で石原警部補の姿が見えた。 この時どんよりとした、これからの一日を想起させる空模様が広がっているためか。 かなり古びた家の前で石原警部補の聞き込みに応じていた若い女はフードを目深にしてレインコートを着ていた。 「……そうですか、いえ、ご協力に感謝します」 シルフィーモンが着地する頃に、石原警部補の聞き込みは終わっていた。 軽い会釈をして女は去っていく。 「……それで、何か情報は得られたか?」 声をかけると、石原警部補は振り向きながら首を横に振った。 「悪いが、これは警察の管轄だ。探偵には…」 「貸し1」 「なんだと?」 「今ここで返させてもらうぞ。こちらも依頼なんでな」 シルフィーモンの言葉に、石原警部補はやれやれと肩をすくめた。 「……滝沢裕次郎の負傷だが、後頭部に打撲、腹部に刺し傷、腕などに裂傷。鑑識の調査結果で発見現場の血痕が少ない事がわかっている」 「つまり、打撲はともかく発見現場で刺されたとは考えにくいわけか」 「血痕は雨で流されたと、そう上層部は決めつけてるけどな……鑑識班は発見現場周辺で微かな血痕の痕跡を見つけている。おそらく滝沢裕次郎は血を流しながらこの辺りを通ったんだ」 シルフィーモンはうなずいた。 「後は目撃者だ」 「ああ。さっきの女性は昨日何も見ていなかった、と言っていた。この辺りに住んでいるらしいが」 今、一人と一体がいる場所は、木々の茂った中にある住宅地のような土地だ。 目の前にある空き家は、一年と半年前に家主が土地を売り払い買い手がまだついていない状態だそうな。 「この辺りに……あれか」 「ん?」 シルフィーモンの視線の先を見れば、いつからそこにあったのか屋台がある。 明らかに閑静な場所にはそぐわないが、売られているのはベビーカステラ。 一袋360円也。 近場の牧場で絞った牛乳の優しい甘さとふかふかの生地が嬉しい一品。 「…ちょっと行ってくる」 「え、なんで、おいっ?」 屋台へシルフィーモンが近寄ると、主人の男性が営業スマイルで反応した。 「いらっしゃい」 「ベビーカステラを一つ。……裏メニューとセットで」 その言葉を聞いて、屋台の主人の表情が変わる。 「あいよ。何の情報が要り用かね?」 「昨日この近辺で起こった、滝沢裕次郎なる男の負傷事件についてだ。目撃者の情報を知りたい」 数千円と引き換えに、屋台……を兼用した情報屋はシルフィーモンへベビーカステラの紙袋を渡しながら話す。 「直接的な目撃者はいないが、一人この辺りで警察に連行された奴ならいる。無職(フリーター)の男だ。昨晩、居酒屋で呑んで代金に出処不明の金塊を出したもんだから怪しまれて留置所に一泊だ」 戻ってきたシルフィーモンに石原警部補が口を開く。 「なんか買ってきたと思ったらカステラか?」 「ひとまず、いたぞ。目撃者と思しき男が。昨日、出処不明の金塊で金を払おうとして留置所に入れられた…」 「ああ、いたな」 「釈放がまだならそいつへの聴取を今から頼めるか?私は美玖達と合流に行く」 シルフィーモンの言葉に、何か意図があるものと感じたか。 石原警部補はパトカーを停めた方へ歩いていく。 「一足先に署に戻ってるぞ。あんたらが来る頃には全部聞き出してやるよ」 「助かる、任せたぞ」 ーーー 「昨日、取り調べ室にいた男が?」 「ああ。今、石原警部補が取調べ中のはずだ」 美玖と無事に合流し、遅い昼食の時間。 ベンチに腰掛けながら、弁当を開く。 「それと、グルルモン、血痕の臭いは覚えたな」 「アア」 「先程、石原警部補から聞いたが発見現場周辺で血痕の微かな痕跡が残っていたそうだ。出処を追えるか?」 「サテナ…ヨリ血ノ濃イ場所ヲ追エルカドウカハ…コノ天気次第ダ」 言いながら、空を見上げるグルルモン。 先程よりも雲の色は暗くなってきている。 「今日も降りそうね……」 不安げに美玖がつぶやく。 降水確率は70%、そこそこに高い値だ。 ベビーカステラをラブラモンと分けっこして口に入れる美玖に、シルフィーモンは聞く。 「ところで、そちらは?賢者の石について調べに行ったんだろう」 「うん。……やはり、あの石が関係してるんだと思う」 「…あのペンダントの石か」 「直美さんとは別に、あの開かずの部屋にはクローンがいたのは間違いない。ミオナって名前の……」 「こちらも宝石店で聞いたが、一年前に石を持ち込んでのペンダント作製の依頼を滝沢氏が出していたそうだ。…店の者にもどんな宝石かはわからなかったらしい。それを除けば、定期的に金を店から発注していた程度には常連だったようだ」 「……昨日は、頼まれていたという金を受け取って、滝沢さんは宝石店を出た……」 「娘を探して、な。直美さん本人ではなく、ミオナの方なのは間違いない」 ーーー 夕方近く。 昼食を終えた美玖達が長野県警に戻ると、気難しげな石原警部補が立っていた。 「どうした?」 シルフィーモンが聞く。 「シルフィーモン…、あの男、だんまりだ。口を全く聞こうともしない」 美玖が尋ねる。 「私達に、彼と話をさせてもらえませんか?あくまで、聞くだけです」 「……」 それに言葉で返さず、踵を返す。 「……俺は筋トレしてくる。一般人が取調べの真似事なんかするんじゃないぞ」 「……感謝します」 男がいる取調べ室の前まで来ると、シルフィーモンは美玖を振り返った。 「美玖はここにいてくれ。私が話を聞いてくる」 「でも……」 「人間の男というのはどうも、弱い奴に対して態度がデカい奴が多いからな。君が行けばナメられる」 部屋にシルフィーモンが入ると、男は驚きに目を見開いた。 「うおっ、アンタは…もしかして、昨日ここを通ったデジモンだよな?」 「ああ。…少し座るぞ」 さすがに相手がデジモンとなると、男も大人しく、素直に反応する。 パイプ椅子に腰掛け、シルフィーモンが言った。 「お互い、昨日はついてなかったな」 「あ、ああ。そういや、女と一緒じゃなかったか?」 「私の雇い主だ。昨日、彼女と目的地に向かう途中で犯人と間違われかけてな」 「犯人…?」 「身元不明死体の事件のだ。死体を目撃しただけなのに、怪しまれて犯人と断定されかけて、トラ箱に一泊コース。……お前はなぜ捕まった?」 身元不明死体。 その言葉を聞いた男が固まった。 それに追い討ちをかけるため、シルフィーモンは続ける。 「昨日…一人の男が負傷した事件があったそうだな。滝沢裕次郎という、身元不明死体の犯人と目された男だ。宝石店で金を受け取った帰りに、誰かに殴られ、刃物で刺されたらしい」 「な……っ」 男が身体を震わせる。 ぶるぶると唇を震わせながら、 「……して、ない……俺は、…てなんか…」 「なんだ?」 尋ねるシルフィーモンへ、男は思いきった様子でしがみついた。 「お、俺はやってない!刺してなんか、ない!」 「何を、やってないんだ?なら、金の出処が滝沢裕次郎なのは、認めるんだな?」 グスグスと泣きっ面になりながら、男はうなずいた。 ーー昨日の事を、男は話した。 男は、派遣先での倉庫業務を終えて帰る途中だった。 元々町の住人ではなく、バスで一時間と離れた所からの通いだ。 少なくとも、昨日も、いつものようにバス停へ向かっていた途中に。 よたよたと一人の男が暗い道の中を歩いてきて、声をかけてきた。 「すみません」 薄暗い闇の中、顔もよく見えなかったが。 「どうか、どうか、手を貸してくれませんか?」 成り行きで、男に肩を貸し、自宅だという道を共に歩いた。 その最中に、見知らぬ男の名が滝沢裕次郎と聞き、恐怖心に心が満たされた。 ーー今、ネットの大型掲示板で、この町の事件の犯人だと噂の殺人鬼。 ふと、滝沢裕次郎がつまづき、懐から袋が落ちた。 中からこぼれた金塊に、恐怖心はピークに達する。 (こいつは俺を家に連れ込んで殺すつもりだ。この金だって、殺した奴のーー) 「どうした?私の家は、すぐそこ」 咄嗟に。 近くにあった石で裕次郎を殴り、金塊の入った袋を掴んで逃げた。 無我夢中だった。 今夜くらいはバスに乗り遅れようが構うものか、忘れよう、と…… 「居酒屋に駆け込んで、呑んで騒いで、気づいたら警察署だった」 「……」 「なあ、頼む!金を取った事を認める!殴ったことも!でも俺はあの男を刺してない、刺してないんだ!殺してない、信じてくれ…」 シルフィーモンは一瞥をくれた。 「なら、昨日どこで滝沢裕次郎と遭遇したか、案内しろ」 「頼む、頼む…!」 「言っておくが私は警察じゃない、お前を釈放するかどうかは警察の仕事だからな。ともかく、おかしな真似はするなよ?石原警部補の極真空手とかいうやつを食らいたくなければな。来るんだ」 シルフィーモンが男を連れ立って取調べ室を出る。 美玖に目配せし、石原警部補を探す。 彼は玄関前に立っていた。 「おい、どうする気だ?」 石原警部補は慌てて美玖達の前を塞ぐように立った。 「ちょうど良い所に、石原警部補。この男が昨日滝沢氏を殴った事を認めた。今からこの男が滝沢氏と会った場所へ案内してもらうから、一緒に来てくれ」 「いくら貸し1にしたからってムチャクチャを言うな!…仕方ねえ、おーい、柏!」 石原警部補は近くを通りがかった若い警官へ声をかける。 「はい!」 「ちょっとこの男を参考人として外部へ同行させにゃならん。一緒に来てくれ。山口と榊原も呼んでこい」 「了解しました」 柏と呼ばれた警官が奥へ引っ込む。 「俺の部下を連れてく。逃げ出されちゃ困るしな」 「感謝する。それじゃ美玖、ラブラモンとグルルモンを待たせるわけにいかない。行こう」 場所は先程、石原警部補とシルフィーモンが合流した地域に移る。 「…この辺りだ。この辺りで、あの男を……」 男は言いながら、十字路を指差した。 「グルルモン」 美玖の言葉にグルルモンが動く。 鼻をうごめかせ、臭いを探す。 今にも泣き出しそうな空が、ついに雨を降らせていた。 まもなく、グルルモンの動きが止まった。 「ココダ、血ノ臭イガ一番濃イ」 見れば、血痕が大きく残っている。 そこから、点々と残っているようだ。 「思い出せ、滝沢氏は負傷していたか?」 「わ、わからない…暗かったし、覚えてない」 問いかけに男は首を横に振る。 美玖がグルルモンに言った。 「滝沢さんの血の匂いを追って、グルルモン。どこから来たか、辿りましょう!」 グルルモンはうなずき、早足で歩いて行った。 そして、たどり着いた先は、石原警部補が若い女に聞き込みを行っていた家の前。 血痕は、そこから続いていた。 「ここで、刺された?」 「ソノヨウダナ。別ノ奴ノ臭イガスル。……人間ノ臭イジャナイナ」 美玖がツールのライトで照らすと、二種類の足跡が入り乱れていた。 裕次郎のものらしき足跡とは別に、もう一つの足跡はどうやら女性のもの。 「……こちらの足跡を追いましょう。グルルモンもついてきて」 美玖がライトを照らしながら、行先を辿る。 そこは、空き家であるはずの家へ続いていた。 石原警部補が部下の若い警官三人に指示を出す。 「突入だ、裏口へ回れ!」 「「「はい!」」」 ーー空き家の玄関にカギはかかっていない。 足跡は暗い建物の中へ続いている。 警官三人とはそこで鉢合わせた。 「そっちもダメか」 「申し訳ありません」 「気にするな」 たどり着いた先はリビングだ。 リビングには家具は大きなソファ以外にない。 そのソファの下に敷かれたカーペットは、たっぷりと水気を吸っていた。 「……もしかして、乾燥を防ぐためかしら?」 足跡はその周辺で途切れている。 周辺の埃から、最近動かした形跡があった。 「ソファとカーペットをどかして下さい!」 「ああ!」 それらの物をどかすと、隠し階段が現れた。 滝沢邸の開かずの部屋にあった、地下への階段と同じ作りだ。 「ここは…下へ降りるしかなさそうだな」 シルフィーモンはつぶやき、石原警部補に言った。 「石原警部補、その男を部下に連れ帰らせろ。それで、急いでさっきお前が聞き込みをしていた若い娘を探させるんだ!……もう一つ、この町の人間に、不要に下水周辺に近寄らないように発令を!」 石原警部補は驚き、尋ねる。 「何が起こるって言うんだ!?」 シルフィーモンと美玖は互いにうなずき合い、こう返した。 「「何かが起こってしまう前に」」 階段を降りた先は地下水道。 真っ暗で、鼻を塞ぎたくなる臭いが辺りに満ちている。 滝沢邸の下と違い、こちらは水の流れが非常に緩やかだ。 シルフィーモンを先頭に、石原警部補、ラブラモン、美玖、グルルモンの順に並んで進んだ。 「石原警部補、これを。壁に掛かっていました」 「これは、懐中電灯か」 単1形乾電池を四つ使用するタイプの大きな懐中電灯。 付いていた汚れを見るに、かなり使い込まれたもののようだ。 「デジタルポイントではないからモーショントラッカーは作動できないようね…気をつけて」 「わかった」 探査機が作動しないということは、相手にこちらの動きを気取られたり逃走や奇襲の予測ができないということだ。 シルフィーモンはうなずき、歩みを進める。 「それにしても、地下水道に繋がってたとはな。こりゃ余程の事とは言わんが、犯罪者の巣窟になる可能性はあるぞ」 石原警部補はうなる。 家に細工をしておけば直通で逃げ道の確保が可能は捜査網には中々厄介な話だろう。 そこで、ラブラモンが美玖を振り返った。 「せんせい、なんかへんなにおいがする」 「えっ?」 前方、10m先。 そこで、何やら壁と地面が、黒く焦げている。 近寄れば、黒く燃えた何かが転がっていた。 「何かが炭化した?」 「誰だ、こんな所でゴミを燃やしたのは」 だが、もっと近寄って明かりを照らせばーー 嗚呼、それは、人体だ。 昨日、美玖とシルフィーモンが目にした… 黒く焦げたトルソーのような胴体、ちぎれた手足が散乱している。 「ここで燃やしてから、外に運んだのね…。燃やせばDNA鑑定はともかく外見での判別が難しくなる」 なにより、DNA鑑定や歯型だけで身元特定のための照合サンプルが必要になり時間もかかる。 必ずも一発で身元が割れるわけではない。 「……?」 手首までちぎれた左手のみのパーツに違和感。 美玖がそちらを見ると、その左手は微かに指を動かしているように見えた。 断面は黒い靄のようなものがかかり、やがて。 「!」 それは、五本の指を支えに動き出した。 「おい、どうし…手だけが動き出した!?」 美玖の反応から異常に気づいた一同が驚いて一歩退いた。 美玖が、震える手でそれを指差す。 「あ、あの手……」 「美玖、何かわかっ」 「はんど君!本物のはんど君だ!!」 「…………は?」 シルフィーモンが呆気にとられて美玖を見た。 彼女は目を輝かせ興奮している。 石原警部補が納得したような声音をあげた。 「ああ、確かに…似てるな」 手はカサカサと這い回るばかり。 「何のことだ?」 「昔にあった映画で動く手だけの…登場人物っていうのか?まあ、映画に出てたそれに似てるって話だ」 「…今一歩理解できないが、人間の身体は切り離されれば普通は動かないんだよな?」 「おう」 「…ひとまず追い払うか」 シルフィーモンの足が跳ね上がる。 ポーンとサッカーボールの要領で蹴り上げられ、動く手はたちどころに姿が見えなくなった。 「あっ、はんど君が……」 「美玖、あんなものに構うな。先を急ぐぞ」 どことなく残念そうな美玖を急かし、シルフィーモンはさらに奥へと進む。 やがて、扉が見えてきた。 扉には複雑な鍵がかかっている。 電子錠でもないため、ツールを使ってのハッキングもできない。 だが、シルフィーモンはそのピッキングに取り掛かった。 「これは難解だが……ここをこうして……」 「大丈夫?」 「ああ」 知恵の輪を解くようなもので、解くのに時間がかかってしまったものの。 「……よし、やっと開いた。手こずったな」 「スゲェな…」 「二年前の仕事の時の方が色々と楽だったよ」 そんなやりとりを石原警部補と交わしながら、シルフィーモンは扉を開いた。 ……その先は。 「こ、これは……」 そこは、滝沢邸の研究室と似通いながらもより異様だった。 幾つも並ぶ2mほどのガラス管。 その中には裸体の女性が、一本につき一人ずつ、それが十組以上も入れられている。 ガラス管の培養液の中で揺蕩う、同じ顔、同じ髪の色と長さ。 全員の口からかすれた声で、同じ名前がつぶやかれた。 「……滝沢、直美……」 十数個もの屹立したガラス管、その中を満たす培養液、その中に浮かぶ十何人もの"直美"。 それはまさに、美玖が直美から直接聞かされた夢の一部そのものだった。 しかし、あるものは腕がなく。 あるものは脚がなく。 ある悲惨なものは内側から胴体が裂け、心臓があるべき部分には空洞が広がるばかり。 「こ、これが全部直美さんのクローン!?こんな事が人間にできるのか…!」 「グウゥゥ……コンナモノ、デジタルワールドデモ見タコトガナイゾ」 「おぞましい!おぞましいが…!直視出来ないほどじゃない」 シルフィーモン、グルルモンがたじろぐ一方で石原警部補は呻きながらもその光景を見据えた。 ラブラモンは変わらず、鋭い目つきでガラス管を睨みつけている。 「これまでの身元不明死体は、クローンを何体も作って持て余したものを、処分してたのね…」 美玖はつぶやきながら、部屋に置かれた机を見た。 そこには幾冊もの本と、殴り書きがされたメモが置かれていた。 『1.21ジゴワット』 『心臓は作れない』 『私はだれ?』 『お父さんの本当の娘に』 そんな脈絡のない殴り書きが目に入る。 そして、ある一文が大きく赤ペンで何重にも囲うように書かれ、 『ホムンクルスは短命で長くも二年までしか生きられない』 「ホムンクルス?」 書き込みを見た問いかけ。 美玖はそんな問いかけに答えるため、自身が図書館で調べてわかったことを話した。 「…だから、直美さんのクローン…ううん、ミオナは自身がいつ死んでもおかしくない状況に不安になって、何をするかわからなくなっている」 「それが身元不明死体の真相というわけか?」 「多分、ね…だから、彼女を止めましょう」 その時、突然ガラス管に接続されていたコイルが電気を纏い回り出した。 直後、頭上で大きな音。 「何だ、今の?」 「雷だろ、今の。どっかで落ちたか…音からして結構大きい雷みたいだな」 「それより、見て!機械……が……」 指差そうとした美玖の手が止まった。 「どうした?」 「……皆、ガラス管から離れて!」 「えっ?」 美玖は見てしまったのだ。 ガラス管の一つ、その中で動くものがガラスを内側から殴りつけている姿を。 ガシャーン!! ガラス管が破られ、這い出る人影。 だらりと垂れ下がった長い髪の間からこちらを見る目には感情が一切宿っていない。 壊れたマリオネットのように立ち上がる姿は、元が美しいだけに醜悪だ。 「…まさか、さっきの雷…」 (そういえば…) 開かずの部屋に置かれていた、フランケンシュタインの本を思い出す。 フランケンシュタインの怪物は、つぎはぎの死体に雷の電力を流し込む事で生み出された存在。 そう、小説の中でしかないと思っていた事が、目の前で起きている。 「……石原警部補!」 バッグから小麦粉を取り出す。 これも買ってきたカッターで袋の一部を大きく切り裂く。 「石原警部補、これを投げつけて下さい!」 「何を……小麦粉!?そんな物でどうするんだ?」 「後で説明します!効果があるとわかるのならこちらとしても助かる事なんです」 有無を言わさぬ彼女から小麦粉の袋を受け取ると、肩に力を込め。 「でぇありゃああ!!」 ほぼ絹を裂くような叫びと共に投げられた小麦粉。 辺りに白い粉が舞い散る。 その中で、こちらに襲いかかるため動き出していたクローンは、先程よりも緩慢な様子を見せていた。 小麦粉をかぶった皮膚は水分を失ってか徐々に老婆の肌のように乾き、皺が寄っていく。 「効果が全くないわけじゃないね」 シルフィーモンもグルルモンも、その様子を、戦闘態勢をとりながら見ていた。 「だが、これで本当に倒せるのか!?」 「それは、わたしがみる」 前へ進み出たのはラブラモン。 「おまえのなかのいのちのありかた…みせろ!」 ラブラモンの赤い瞳が一瞬、緑色へ変化する。 アヌビモンとしての権能だ。 本来ならデジモンの魂の善悪を見抜く力だ。 その力を持って、ラブラモンは目の前のクローンを凝視する。 (……これは……!) 魂のないヒトガタの内部に、幾つもの球状の物質が生成され、それらは互いに"共喰い"をし合っていた。 共喰いを重ねる程に肥大化していくはずの球状の何かは小麦粉をかぶった影響からか少しずつ縮小。 だが、ラブラモン、否、アヌビモンが驚愕したのはその球状の物質。 それは、紛れもなく電脳核(デジコア)だ。 電脳核が電脳核を喰い合う状況。 しかし、デジモンという範疇で、アヌビモンはこれに似たものを知っている。 (まさか、死の進化(Death-X(デクス)か!) X抗体デジモンに見られたある現象。 死んでなお、存在し続けるためだけに他のデジモンの電脳核を喰らい続けて死にながら生き続けるという、アヌビモンからすれば身の毛のよだつ恐るべきもの。 アンデッド型デジモンに分類されるが、これまでこの死のX-進化(Death-X-Evolution)を初めて行ったのは……皮肉な事に、ドルモンから成る進化形態のデジモン達だ。 だが、アヌビモンとしての権能で視ている間に、クローンはやがて電池が切れたかのように倒れ、動かなくなった。 「……どうなの?ラブラモン?」 美玖が尋ねる。 「…うん。こいつのなかで、でくすりゅーしょんが起こってた。しんじられないことだけど」 「死のX-進化(デクスリューション)だと!?」 シルフィーモンとグルルモンが愕然とする。 「まさか、ドルグレモンのデータを使っていた影響からか?」 「たぶん、そう」 「だとしたら、滝沢氏の研究はかなり危険だったことになるぞ!」 死の進化によって生まれたデジモンの恐ろしさを、シルフィーモン達も知っている。 生存、いや、存在するためだけに他者を喰らい続ける悪鬼が如き在り方。 それは、ミオナにも起こり得る可能性を示唆している。 「ひとまず、☆☆病院へ戻ろう。今頃に目を覚ましているかもわからんが…」 「移動中、石原警部補には、なぜ小麦粉を投げさせたか説明しますので…」 「お、おう!」 ーーー そして、☆☆病院の受付へ、美玖達は駆け込んだ。 「警察だ。すまないが、滝沢裕次郎の今の容態について聞きたい!」 警察手帳の掲示と共に尋ねる石原警部補。 対応に出たのは、直美を連れて行った時に出てきた看護師とは別の人物だった。 「警察の方ですか、滝沢裕次郎さんでしたら先程目を覚まされましたよ」 「本当か!」 「すみません、今から面談させていただいても構いませんか?至急、滝沢さんにお尋ねしたいことがあって…」 美玖の問いに、看護師は待つよう伝えると、他の看護師と何やら話し合う。 そして、戻ってくると、 「10分の間でなら。御用が済みましたら必ず退室をお願いしますね」 「わかりました!」 部屋番号を教わりそこへ向かう。 美玖、シルフィーモン、石原警部補の三人だけで入室すると、そこには写真で見た男性がベッドにいた。 「初めまして、滝沢裕次郎さんですね?」 「ええ、初めまして。…あなた方は…」 「長野県警の石原警部補です。こちらは、五十嵐探偵所の者達です」 美玖とシルフィーモンが一礼する。 彼女の顔を見た裕次郎は口を開いた。 「あなたは…ニュースで顔を見た事が…」 「五十嵐探偵所所長の、五十嵐美玖です。この度は、あなたを案じたある方からの依頼で身元不明死体の事件を調査しておりました」 「ある方?」 「匿名希望のためお名前は出せません。ですが、依頼人はあなたをたいへん心配しておりました」 そこへ、病室のドアが開かれた。 チャッチャッと爪の硬い音が聞こえ、ラブラモンが入ってくる。 裕次郎はハッとラブラモンの方を見た。 「……けんきゅうしつをみせてもらった。おまえは、きんきをおかしたな?」 「ラブラモン!」 美玖が慌ててラブラモンを抱き上げる。 「すみません、この子は…」 「いや、良いんだ。…あなた方も、私の研究室を見たんだね?」 「ああ」 「……そうか」 石原警部補の返答にうつむく裕次郎。 ラブラモンを抱えながら、美玖は頭を下げた。 「…お願いします、あなたの力を貸してください。このままでは、あなたの…もう一人の娘さんであるミオナが、何をするか…」 「!!」 裕次郎の顔が勢いよく上がった。 「ミオナの事も知ってるのか!」 「…はい」 しばらく黙った後、彼は美玖の目を見ながら言った。 「私は、罪を犯した。だが…あの子に、ミオナに罪はない。約束してくれ。ミオナには手を出すな」 その言葉と目に、強い意志が感じられる。 美玖も静かにうなずいた。 ……そこから裕次郎は、昨日の事を話し出した。 その日。 夕方になってもお使いへ寄越したミオナが帰ってこない事に、悪い予感を覚えた裕次郎は。 贔屓にしていた宝石店を初めに町のあちこちを走り回った。 そして、あの空き家の前でミオナを見つけた。 二人はそこで口論になり、そして裕次郎はその最中で"怪我"をした。 ……事故だった。 「そこから戻る途中で、無職の男に助けを求めたが、ネットでの噂を鵜呑みにしていた彼に殴られて病院送りになったのか」 シルフィーモンがつぶやく。 元々、ミオナは、直美の延命のため賢者の石を作成に行き詰まった所落ちてきたデジモンから発想を得て生まれたホムンクルス。 そのデジモン、ドルグレモンのデータを消滅寸前のところで抽出し、直美の遺伝子データに加え人体に含まれるとされる成分を元に精製された肉体に注入されて生み出された。 …しかし、成功例は、ミオナ以降いなかった。 「その頃の私は、ミオナを直美の心臓移植用のクローンとしか考えてなかった。…だが」 移植を実行する前に、二人の細胞で実験をした。 その結果…拒絶反応が出た。 「それで、私は気付かされたんだ。自分の愚かさに。直美とミオナ。よく似ているが、他人だったんだと。そこから、ミオナへの感情も変わっていったんだ。どちらも、私の大切な娘だ。片方を犠牲に片方を生かす。そんな残酷な事はできない」 そこで、シルフィーモンは尋ねる。 「念の為に聞きたいが、地下水道にあなたの研究室とよく似たものが作られていた事はご存知ですか?」 「地下水道…?いや、私の研究室は私の家の中だけだ」 「じゃああれは、ミオナが作った研究室か」 かさり サイドテーブルからベッドへ、一枚の紙が落ちた。 その紙には、短い一文で 『さよなら お父さん』 と書かれていた。 これを見た石原警部補が尋ねる。 「もしかして、直美さんが我々より先に訪ねてきていましたか?」 「いや、私は先程目覚めたばかりだ。…誰も来てない、と思うが…」 「それなら…きっと、ミオナだわ」 美玖が紙を見つめた。 「…それでも、ミオナはあなたからすれば血の繋がらない存在だ。その上、ホムンクルスとしての寿命が近づいているらしい。あなたの本当の娘になるために何をするかわからないぞ」 「そんな!」 シルフィーモンの言葉に裕次郎は目を剥いた。 「ミオナは寿命なんかじゃない!」 「えっ?」 「どういうことです?」 「ミオナはデジモンのデータから強い生命力を引き継がせることに成功したホムンクルスだ。…むしろ、デジモンとホムンクルスのハイブリッド、といっていい。だから……今が寿命だなんて、ありえない」 喘ぐように言う裕次郎。 その言葉に嘘は見受けられない。 「それなら」 「ミオナは思い違いから身元不明死体事件を起こしていたってことになる!」 美玖がラブラモンを下ろして言った。 「直美さんの部屋へ!もうじき面会時間も終わるし、ミオナがここに来ていたって事は」 「直美さんの部屋へ急ぐんだ」 石原警部補とシルフィーモン、ラブラモンが部屋を出る。 一人、敢えて遅れて残った美玖は、しかし背を向けたまま尋ねた。 「……もう一度、確かめさせて下さい。あなたにとって、ミオナは本当に大切な娘さんなんですよね?ただの臓器移植用の道具ではなく?」 裕次郎は答えた。 「ああ、臓器移植のための存在じゃない。ミオナも……私の大切な娘だ」 「……わかりました。必ず、ミオナも直美さんも、無事にあなたの元へ帰せるようお約束します」 美玖が駆けつけると、直美の病室には倒れた男性看護師しかいなかった。 石原警部補が起こしながら尋ねる。 「おい!しっかりしろ、何があった!?」 「な、……直美さんが、ふたり、いて…一人が…」 男性看護師の答えはまるで要領を得ない。 「くそっ、先を越されたか!どこへ行った?」 「それなら近くにいた人に!」 美玖が部屋を出て、近くにいた看護師をつかまえる。 「すみません、この近くでよく似た二人の若い女性を見ませんでしたか!?」 「え、ええ…さっき、階段を上がって行きましたよ」 看護師が言うに、意識のない一人をもう一人が支えていて、心配して尋ねれば 「気分が悪いようなのでちょっと屋上まで、と…」 「屋上か、急ぐぞ!」 「あ、あのっ!?」 階段を駆け上がっていく。 石原警部補が舌打ちした。 「一体何のために滝沢直美を?復讐するつもりか!」 「違う!」 美玖は首を横に振った。 「多分、復讐するにしても見せしめとかではありません!そんな形の復讐なら、とっくにさっきの部屋で殺してもおかしくない」 「じゃあ、何が目的だっていうんだ!」 「……本人に聞きましょう」 「そうだな」 屋上に上がった美玖達。 その先には、意識を失った状態でストレッチャーに載せられた直美と、彼女に接続された謎の機械を操作するミオナがいた。 美玖達に気づくと、傍らの直美にメスを突きつける。 「やめて、ミオナ!」 美玖が叫ぶ。 戸惑った表情でミオナは彼女の方を向いた。 「あなた達、誰!?なぜ私の名前を」 「滝沢さんから聞いたわ。他にも、色々と知ってる!」 「なら…なら、私が紛い物の生命だってことは知ってるでしょ!?お願い…役に立つ形で死なせてちょうだい」 そう訴えるミオナに問いかけを投げる美玖。 「何をするの」 「私の心臓を、直美に移植する。直美はそれで……生きられる」 ああ、だからか。 一歩、進む。 かすかな光を吸って、メスが光った。 「ミオナ、あなたの人生は、あなたの物よ。無理矢理自分を誰かの人生のレールにする必要はないわ」 「そもそも心臓いしょ……むぐぅ」 口にしかけた石原警部補を、シルフィーモンが強引に引っ張っていく。 ラブラモンも空気を読んでかついていく。 小声でシルフィーモンが言った。 (交渉(ネゴシエイト)中だ、外野の我々は様子を見よう) 美玖の言葉にミオナは言い淀む。 「でも…それだと、直美の命が…」 「あなたのお父さんは言っていたわ、ミオナ。あなたも直美さんも大切な娘だ、片方を犠牲にもう片方を生かす。そんな残酷なことはできないって」 「……でも……」 雨の中、涙がぼろぼろとミオナの目からこぼれ落ちた。 堰を切ったように彼女は訴える。 「でも、私……もうじき、死んじゃう……」 (そうだよね、寿命が近いと思ってるから…けれど) 不安を取り除く。 心臓移植ができない、その事実を彼女に知らせるのは…後だ。 「大丈夫よ。あなたのお父さんは言っていたわ。あなたはデジモンの強い生命力を受け継いだホムンクルス。まだ、寿命じゃない」 「え…………?じゅ、寿命じゃ……ない…?」 しばしの間時間は過ぎて。 ミオナはメスを取り落とし、膝から崩れ落ちた。 自分はまだ寿命ではない、父は自分の生存を望んでいる。 それを知ったゆえの脱力感だろう。 その時、頭上を一際大きな稲光がよぎった。 轟音と共に、病院の周辺がまっ暗闇に包まれる。 辺りで驚きの声があがるのを聞いた。 「…終わったようだな」 「それにしてもまたデカい雷だな。しかも停電か……ん?」 突然、何かが屋上へとよじ登る気配。 目の前を飛び出したのがグルルモンと知って、石原警部補は危うく気絶しかけた。 「どうした?グルルモン」 「地面ノ下カラ何カ来ルゾ!」 「地面の下?」 どぉん!! 「!?」 「何?一体なんなの!?」 真下から突き上げるような振動。 シルフィーモンが屋上から下を見下ろし、彼の目は闇の中で道路を引き裂き現れる蛇のようなシルエットを捉えた。 それは、コンクリートの下から汚水と共に現れ、粘土のように自らの形を形作っていく。 蛇のように見えるそれは、そこに集合して合体した全てが、滝沢直美のパーツだ。 やがて、長い首、大きな翼、短い脚に長い尾。 それは、遠目に見ていた美玖達の前でおぞましい吠え声をあげた。 「あれは……」 シルフィーモンがその姿をつぶさに見た。 両目を覆う肉のプレート。 鼻をうごめかす姿。 口からしゅるりと覗く蛇のような長い舌。 姿はドルグレモンに酷似していたが、先程のクローンの様子から大体想像がつく。 つまり…… 「デクスドルグレモンになったのか…!あれを野放しにするのは危険だ!」 「いや、それより」 石原警部補がうめく。 「こっちに来るぞ!」 クローンがより集まって生まれたデクスドルグレモン。 それが、猛烈な勢いで病院めがけて地面を走ってきた。 「な、なにあれ、こっちに」 その姿に声を震わせるミオナ。 美玖が咄嗟に振り返る。 「直美さんと一緒に私達の後ろへ下がってて!」 デクスドルグレモンは病院前にたどり着くと、前足の爪を壁に突き立てた。 鼻先を屋上へ覗かせ、匂いを嗅ぐ。 その鼻先は、シルフィーモン、ラブラモン、グルルモンと移動し、ミオナと直美の方へしきりに鼻腔が開閉を繰り返す。 「まさか…直美さんとミオナを狙って…!」 美玖はグルルモンに背負わせていた小麦粉の袋を即座に切り裂き、石原警部補に渡した。 「石原警部補!」 「お、おう!」 「姿と大きさが変わっても弱点は同じはず…頼みます」 渡された小麦粉を、石原警部補は抱えて走る。 そして、鼻先を覗かせていたデクスドルグレモンの胴体めがけてその袋を落とした。 小麦粉の当たった部分が煙をあげ、グズグズに崩れていく。 そんな状態であるにも関わらず、デクスドルグレモンは屋上へ上体を乗り上げようとした。 その時、美玖に見えた。 崩れた肉の間に現れた、大きな球状の塊を。 「あれ、もしかして電脳核?」 「あれを壊してしまえば、動きは止まるかもしれない」 「ヴァルキリモン、出てこい!お前も手伝え!」 ラブラモンの声にヴァルキリモンが出現した時。 タイミングを同じくして、デクスドルグレモンは遂に屋上へ上体を乗せ上がった。 首をもたげ、睥睨しているデクスドルグレモン。 小麦粉を浴びて崩れたはずの身体が、クローン個々にある電脳核の喰らい合いからくる増殖・新陳代謝に似た死の進化の働きにより瞬く間に再生していく。 たちどころに、最も大きな電脳核は見えなくなった。 「傷を修復しやがった!?」 ーーーそのようだ、だが手はあるよ。 「て、誰だあんた!?」 驚く石原警部補にヴァルキリモンは薄く笑んで。 ーーーあの電脳核が弱点ならば砕くこともできようさ。 「そうだな、おまえのけんのれいきなら、でじこあをはかいしつつしゅうへんのさいぼうのでくすりゅーしょんをおさえられるだろう。やるぞ」 「凍らせる事で、細胞組織を破壊し、再生させにくくするんですね」 『フェンリルソード』の冷気を近くで浴びた感覚を思い出す美玖にヴァルキリモンはうなずく。 ーーーさあ、こじ開けてくれたまえ。 「やるぞ…!」 「ええ!」 胸元が熱い。 光の矢で狙いを定める美玖の胸で、光が生まれた。 薄桃色とオレンジゴールドの光を放つ、二つの紋章が、燃えるように輝いた。 (約束したから…必ず、滝沢さんの元に帰すって!) その想いを込め、美玖はデクスドルグレモンに向けて聖なる光の矢を放った。 小麦粉が投げられ、 「『トップガン』!」 「『カオスファイヤー』!」 「『レトリバーク』!」 集中攻撃を受けたデクスドルグレモンは大きくよろめく。 崩れた体組織がボロボロとこぼれ落ちる中、再びその姿を現した電脳核は、死の進化の影響か不気味な赤い輝きを放っていた。 ーーー『フェンリルソード』!! 高速、斬撃。 ヴァルキリモンの剣が電脳核を真っ二つに切断。 その周りが凍りつく。 魔剣の凍気を受け壊死していく細胞は死の進化を継続する事が難しくなり、電脳核なしで集合体となった肉体の維持ができなくなる。 デクスドルグレモンの形を成していたモノは、形を失い大きく崩壊していった。 「ーーミオナ!」 声に美玖達が振り返る。 石原警部補の部下達に支えられた裕次郎がいた。 「…お父さん!!」 ミオナが駆け寄り、裕次郎はそれを抱き止める。 嗚咽が、屋上に響き渡った。 「……終わったな」 「帰りましょう。直美さんも、元の病室へまた寝てもらわないと…」 ……… 未だ眠ったままの直美を元の病室へ運び、改めて二人の話を聞くことになった。 先程も伝えられた通り、裕次郎は直美の延命のため賢者の石を研究しており、その途中ホムンクルスの技術と死ぬ間際のドルグレモンから抽出したデータからミオナを生み出した。 一方ミオナは、ホムンクルスが短命と知った一年前から、自らの延命のためミオナ自身のクローンを造っていた事を話す。 しかし、裕次郎と同じように、試みは全て失敗した。 「……殺人事件なんて、最初からなかったんだ」 シルフィーモンがつぶやいた。 あのクローン達も、雷のような強烈な電気がなければただの肉の人形だ。 生命など始めからない状態だったのだ。 「最初から、ミオナと滝沢氏が素直にお互いの事を話していれば」 無職の男が、裕次郎を殴らなければ。 周りの悪意や無意味な義憤、無知が、存在しない殺人鬼の影を作り出していたのだ。 「……でも、良かった。一人も犠牲者が出なくて、本当に良かった」 「ただ、あのデクスドルグレモンもどきの後始末やら、結局滝沢裕次郎に向けられた犯人と見なす向きをどうにかしなければだがな」 「そこは…ほら」 美玖が意味ありげに、シルフィーモンの方を向く。 「うちには、コネやツテを持った優秀な助手がいますから」 「何から何まで私任せにする気か、どいつもこいつも…」 盛大にため息をつき呆れるシルフィーモン。 石原警部補がニヤついた顔を見せた。 「だな、うちの署にも欲しいくらいだ」 ふと、美玖はある考えがよぎった。 そうだ、ミオナは寿命を心配する必要はない。 けれど。 「……シルフィーモン」 「何だ?」 「直美さんの、心臓のことを考えてた」 人間だけでは打つ手がないのなら。 「シルフィーモンのコネで、腕の良い医者なデジモンはいないの?」 「…美玖」 彼女が何を考えているかわかる。 だから。 「美玖、そこは私達の管轄じゃない。いないとは言わないが…それに君が私情を持ってまで対応する必要はないよ」 「でも、なんとかしてあげたい。人間の方で治すのが絶望的なら、デジモンの力でどうにかできない?」 「………」 シルフィーモンは沈黙。 ジッと見つめる美玖。 やがて、観念したように、シルフィーモンは言った。 「いないわけじゃない。腕は確かだ。……だが、人間をやたら手術したがるド変態だぞ。そこに目をつむれば、タダ同然で手術するとうそぶいてるが…やめるなら今のうちだ」 それでも、意思は変わらなかった。 「お願い」 ーーーー ☆☆病院に出没した巨大な化け物の噂は、たちまち病院周辺の目撃者の証言や撮影されてネットに投稿された動画から広まった。 これに対し、一部の報道をシルフィーモンのコネから複数のパブリモン達による情報操作で対応。 数多の誤情報をネットに流すことで、怪物に関する詮索を牽制した。 『怪物はデジモンであり、これまで発見された身元不明のバラバラ死体は怪物による犠牲者のものだった。これに対し、長野県警の石原警部補と出張中の五十嵐探偵所所長とメンバーのデジモン達が応戦。怪物は退治された』 このような話がネットに流され、やがて裕次郎を犯人視する声はなりを潜めていった。 遠くないうちに、死体騒ぎと化け物騒ぎは、忘れられていくだろう。 ーーー 一方、シルフィーモンの紹介を受け、美玖と裕次郎、直美は医者をしている一体のナノモンの元を訪れる。 「おっほほほほほーう!!なんとこれはこれは!本当にあいつの言う通り、人間の患者が来てくれたぁ…ありがたい。これで我が寿命が一年延びるというもの、あっはははー……おっと、失礼失礼!」 エキセントリックな言動に、不安がよぎったものの。 結果的には、手術は成功。 ナノモンが自らのウイルスを改造した医療用ナノマシンを注入することで、直美の体内の弾丸は無事に摘出された。 (…確かに、デジモンは危険な存在だけれど…人を幸せにすることだって、できる) そんな事を、美玖は思った。 ーーー 裕次郎、ミオナを交えての話し合いで、ミオナは五十嵐探偵所へと同居することになった。 裕次郎は、ミオナが人間らしく暮らせるようにと、以前から戸籍の取得や免許証取得など彼女に取らせていたという。 「これから、よろしくね。美玖、シルフィーモン、ラブラモン、グルルモン」 彼女は笑った。 「こちらこそ!」 その胸に、赤い石が光る。 事件の後に裕次郎がミオナへ贈った、デジコア・インターフェースを模したペンダント。 …その石は、直美のものと同じ、ただの石ではなかった。 賢者の石、完成には一歩及ばずも極めて近い性質を持って作成の実現したものが。 ミオナが生まれた日、ミオナが"寿命を迎える"と怯えていた日に贈られたのである。 結果を言えば、ミオナは確かに、寿命を迎えることはなかったわけだ。 ……その後日、五十嵐探偵所を訪れた直美は、美玖にお礼を言いに来た。 「ありがとうございます。何からにまで…父への嫌がらせもなくなって、本当に、感謝しています」 ……その様子を、ミオナは陰から見つめていた。 シルフィーモンが声をかける。 (会わないのか?) (…うん。これからも、私は、直美に会わない方が良い。そう思うの) ーーー 美玖は、のちに近況報告を、三澤警察庁長官へ行った。 通話のやりとりで、美玖は、今回の事件の事を話した。 「……三澤警察庁長官」 『なんです?』 「警察というのは、やはり、誰かに信頼される仕事であるべき…ですよね?」 『…正義や信念に縛られなくて良いのですよ。五十嵐さん』 三澤の声はいつもより穏やかで。 『肝心なのは、正義や信念に囚われ過ぎず、市民が安心して暮らせる土台を築き、守ることです。……最近は、それをわかっていない者が多いようですがね』 …………… 後日。 一通のメールが、探偵所に届く。 送り主は滝沢裕次郎。 内容は、謝礼と人探しの依頼。 『私の友人を探して欲しい』 裕次郎の話によると、友人が姿を消したのは四年前。 時を同じくして、世界各地で、ある事件が起きてもいた。 …デジタルウェイブの研究者が、何者かにより殺害されていたのだ。 『私の兄と、妻の花江も、デジタルウェイブの研究者でした。それが、あんなことに』 裕次郎の兄は、同じ年に何者かによって妻とは別の場所で殺害された。 そして、デジタルウェイブの研究者が狙われ、殺害されていく背後に友人が関わっているという情報を得ていたのである。 『どうか、彼を探して欲しい。デジタルウェイブの研究者はデジタルウェイブを操作・管理する権限を持つ。でなければ…』 25年前に世界中に襲いかかったイーターの脅威。 イーターを制する鍵は、デジタルウェイブにある。 それを制御する者がいなくなったら、誰もイーターを止める術がなくなる。 送られた友人の情報と顔写真。 それを見た美玖とシルフィーモンは、険しい表情になった。 「……こいつが……」 その人物の名は、湯田悟。 その顔はまさしく、数ヶ月前にホテルの支配人と依頼人を装い、美玖とシルフィーモンを罠に陥れたあの男のものに他ならなかった。
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みなみ
2023年6月05日
In デジモン創作サロン
 > 目次 一晩が過ぎた朝は、清々しい青空だった。 探偵所の前を箒で掃く美玖。 彼女に一組の老夫婦が声をかける。 ご近所付き合いの、見知った顔だ。 「美玖ちゃん、おはよう」 「おはようございます、後藤さん」 箒を動かす手を止め、夫婦仲の良い朗らかな二人に美玖は笑顔で挨拶を交わす。 そこへシルフィーモンが顔を出した。 「美玖、朝食が…おや、おはようございます、後藤さんに奥さん」 「シルフィーモンさんもおはよう。これ、お土産なの。美玖ちゃんや探偵所の皆で召し上がって頂戴」 「これはご丁寧に…ありがとうございます」 後藤夫婦は旅行帰りからのお土産にと、菓子折の入った紙袋をシルフィーモンに手渡した。 「草加はどうでしたか?」 「良いお宿に温泉がね、とっても良かったわ。それでね…」 後藤夫婦と会話を交わすシルフィーモン。 その横で美玖は昨晩の出来事を思い出し、慌てて真っ赤になった顔を伏せる。 (昨日の事が、嘘みたい) あれだけ燻るように身体の奥で何週間も残り続けていた疼きは綺麗に解消されていた。 ドス黒く染まっていた印の色も、淡さを取り戻している。 再発を考えると手放しに喜ぶ訳にもいかないが、なにより助手を『男』として初めて受け入れた感覚とあられもなく雌となって快楽を貪った自身の姿どちらも忘れ難い。 一瞬、頭に想像がよぎる。 (……ダメダメ!変な事考えちゃダメ!呪いのせいでこうなってるのに、そんな事考えちゃったらーー!) 顔が真っ赤に熱くなるのを覚え、必死に頭の中に生まれたイケナイ欲望を振り払うためブンブン頭を横に振る。 「そうそう、美玖ちゃん、美玖ちゃん」 「はっ…!な、なんでしょう?」 箒を掃く手を止め、振り向いた。 「帰ってきたのは昨夜なんだけど、……美玖ちゃん、あんまり声が大きいとご近所さんから色々聞かれちゃうから気をつけた方が良いわよ」 「!!?」 思わず固まる美玖。 シルフィーモンも平静を装っているが冷や汗をかいている。 「ま、まさか、聴こえて…」 「やぁだもう、あれだけ大きくて気持ちよさそうな声あげてるのが美玖ちゃんなのほんとびっくりしたんだから。シルフィーモンさん意外とやり手なのね」 「いやあ、若い頃思い出すよ」 「え、えええ、えっと…」 赤裸々に発言されて慌てふためく美玖とシルフィーモン。 「違うんです!昨日のあれは…」 必死に考えに考えた言い訳が 「ま、マッサージしてもらってただけなんです!」 だった。 が。 「そうかぁ、仕事大変みたいだったものね。シルフィーモンさんほんといい人だから、仲が良いのはとっても良い事よ」 「そうそう。そのうちちゃんと身固めんとかないとな!」 「え、ええと…」 後藤さんがシルフィーモンの背中を軽く叩く。 「シルフィーモンさんも今のうちに美玖ちゃんお嫁さんにしといた方が良いぞう?今どきこんなに器量良しで可愛い子なぞそうそうおらんからなあ」 「さすがにその件については彼女の意思に任せます!それに、我々デジモンに性別はーー」 「やだもう、好きな人同士なら良いじゃない」 後藤夫婦揃ってにこにこなので、美玖もシルフィーモンも言い返せない。 言い返す余地も雰囲気もない。 「好きな人同士で結婚しても良い時代になってきた。これからどんどんそうなってくんだよ。俺達の頃はそういうの、しようと思っても中々できなかった」 「お二人は若いしこれからなんだから、頑張ってね。応援してるわよ」 「あ、ありがとう…ございます」 後藤夫婦が去った後、美玖は箒を、シルフィーモンは紙袋を手に、顔を真っ赤にしたまま立ち尽くしていた。 ガレージの中にいたグルルモンはなんともいえない表情を二人に向けている。 「せんせーい、しるふぃーもーん、ぐるるもん、あさごはんだよー!」 ラブラモンが呼びに来るまで、二人はそうしていた。  こちら、五十嵐電脳探偵所 #18 擬似科学殺人事件 ーーー…なるほどなあ、やはりそういうことか。 デスクワークを離れた所で眺めながら。 ヴァルキリモンは苦笑いを浮かべていた。 朝食時に、美玖の口から打ち明けられたリリスモンの呪いの話を受け、その場にいた一同が静まり返った。 ーーー闇のオーラがヤバイくらい彼女を包んでたからな、近づけばロクな事にならないとは感じてたよ。 「どのみち今の我々ではどうする事はできない」 ラブラモンが大きくため息をついた。 ーーーあれ、闇の力由来なら君の権能でどうこうできたんじゃなかったっけ? 「阿呆、今の私はまだ完全に力を取り戻せてないのだぞ。それに呪いの主はリリスモンだ。完全に呪いを除去できる保証はない」 ダークエリアの守護・管理を務め、デジモンの生死を定める力を持つと言われるアヌビモンだが、そんな彼でも手出しのできない者は存在する。 同じダークエリアに存在し、支配する七大魔王や彼らより上位の実力者と目されたグランドラクモンだ。 それでもなお、七大魔王らとは一種の協定を結んでいる。 その上で、監視という形で不干渉に徹底している。 七大魔王達からして、アヌビモンはあくまでダークエリアという環境の管理人以上の特権がないので彼を攻撃する事に何のメリットもない。 だが、それでもアヌビモンが彼らに対し不利である事に変わりはなかった。 「先生の紋章…あれの力を得られれば」 ーーーおやおや、私に嫉妬とはひどいな。 「そういう意味ではない!…先生は選ばれし子どもじゃない。パートナーを持たない事が関係しているかは知らんが、彼女の持つ紋章が与える物が未知数である以上、それに賭けたいのだ」 思わず声を大きく出してしまったため、美玖を一度見てから小声になる。 「先生の紋章は今までの紋章とは異質な点が幾つかある。……ただ、問題は、先生自身がそれを使いこなせていないことだな」 ーーー本人が自覚していない事も起因しているようだがね。しばらくは、彼に頼るしかないんだろう、呪いに関しては。 ヴァルキリモンは言いながら膝の上のフレイアを撫でた。 その目線の先にはシルフィーモン。 今では再び近い距離で言葉を交わしているが、現状は彼だけしか近寄れない。 「……呪いの影響で変質したシルフィーモンの身体は、もう元には戻らない。先生から呪いを除去できたとしても」 ラブラモンは目を伏せた。 今も美玖は、シルフィーモン以外のデジモンから距離を置いている。 その気遣いが、ありがたくも複雑だと感じていた。 「…ともあれ、彼の知己だというホーリーエンジェモンからの品が届くまでは待つしかないということだ」 ーーーフレイアは大丈夫な様子だよ? 「それは重畳な報せだな。お前のその鳥は以前と同じ働きをしてくれるはず」 フレイアの翼は完治している。 ーーーフレイアに彼女のそばに居てもらうとするよ。呪いの気配があればすぐ教えてくれるようにね。 「なら、それで決まりだ」 ……それにしても。 ラブラモン、否、アヌビモンは、疑問に思う。 (リリスモンめ、一体どこへ消えた?) ロイヤルナイツによる調査で、リリスモンが居たと思しき場所にはイーターにより侵食された痕跡が残されていた。 なら、イーターに捕食されたのだろうか? (…捕食されたにせよ、呪いをどうにかするにはリリスモンに解呪してもらう必要が出た時の事を考えねばならんのに) 今は、新たな情報を待つしかない。 それが、アヌビモンには歯痒かった。 依頼が持ち込まれたのは、その日の午後。 依頼人は19歳の若い女性で、名前を滝沢直美と名乗った。 明るいブラウン・カラーの髪を長く垂らし、病弱そうな面立ちをしている。 「……真実を」 開口一番、直美は嘆願した。 「真実を明らかにしてください」 ーー長野県のある町で今、数ヶ月に渡ってある事件が起こっていた。 最初は地域新聞に少しだけ取り上げられた程度だったが、やがて地域を超えて現在では都市圏でも話題となっている。 事の発端は、五ヶ月前まで遡る。 発見者は50代男性。 愛犬と散歩中の出来事である。 朝の6時。 いつも通る道を歩いていた時、犬が突然道を外れ、1キロ程まで来た地点を掘り始めた。 一体どうしたのかと見ていると、地面から現れたのは黒く焦げた人間の腕。 驚いて警察へ通報すると、駆けつけた彼らも事の異常さに口をつぐんだ。 見つかった死体は女性で3人分。 いずれも炭化した状態で埋められていた。 周囲に人気はなく、夜間に遺棄されたと思しきそれはすぐに検分に出される。 しかし、それだけで終わらなかった。 なぜなら、その後も、身元不明のバラバラ死体が幾度も発見されたからである。 棄てられた場所もバラバラで、月が経つたびに新聞のみならずネットでも騒がれるようになった。 【二人目の切り裂きジャック、日本に出現か?】 煽り文を交えた報道が幾度も流れた。 ネットではこの事件に関し、大型掲示板を中心に数多くの推測が流れたが、その中で犯人と目された一人の人物が浮上している。 ……滝沢裕次郎。 直美の父親である。 「父は科学者でしたが、3年前から錬金術といったものに傾倒していました」 それゆえに娘の直美からして、些か奇行と言える行動は多かったようだ。 ネットでは既に彼を事件の犯人と看做した書き込みが散見されており、住所も特定されてしまっている事態。 さらに、ネットの住人と思しき全く面識のない人間が幾度か自宅の周辺をうろついたり、異臭のする何かを入れた容器が玄関に放置されたりと嫌がらせも頻発している。 しかし、直美はなお。 「ですが、父は決して殺人を犯すような人ではありません。それは、誰よりも私が知っています。警察も、何か手がかりを見つけているようなのですが、教えてくれなくて」 「…それで、探偵所へか。しかし…」 シルフィーモンは気難しげに唸り、そして尋ねた。 「我々が調査したとして…それでも、君の父親がクロだという結果が出たのなら?」 「………それでも、私は、父の無実を信じています…けほ、けほっ…」 直美は咳き込み、ポケットから取り出したピルケースの錠剤をふた粒飲み干す。 「大丈夫ですか?」 「すみません、4年前から持病を患っていまして。…どうか、この依頼を受けてくれますか?」 直美は切実な思いの込もった眼差しで美玖とシルフィーモンを見る。 美玖は、しばらく考えたのち、うなずいた。 「お受けしましょう」 「……!ありがとうございます」 直美は安堵の面持ちで頭を下げた。 「それで、お父様に直接話を伺う必要があるのですが直美さんの名前を出して大丈夫でしょうか?」 「悩ましいのですが、どうか、この事は父に内密でお願いします」 「わかりました。明日にでも、お父様の元にお伺いしましょう」 美玖は請け負った。 そんな彼女を見ながら、直美はおずおずと声をかける。 「……あの、所長?さん」 「どうしましたか?」 「その、もう一つ、お話したいことがあるんです。できれば、…その…」 美玖がシルフィーモンに向かって目配せ。 それを察して彼はソファを立つ。 「…わかった。済んだら、呼んでくれ」 「ありがとう」 シルフィーモンが来客室を出ると、直美は続けた。 「…事件に関係があるかわかりませんが、もしかしたら父に何かあるのではと、そう思いたくなる夢を見るんです」 「夢…ですか」 「はい」 美玖が続きを促すと、直美はその夢の話をしてくれた。 直美が言うに、誰かの目線から物を見ているような夢だという。 夢の中で見る、直美が見た事のない場所、出会った事のない出来事。 暗いどこか、幾つもの大きなガラス管が屹立した研究所のような場所。 町を離れたどこかの山道、目前にはスクーターに乗って山道を登る女らしき後ろ姿。 次に、雨降る夜の町の、人気のない道。 自分と父が住んでいる町のどこかである事は確かだが、直美自身の記憶にない。 昔のサイレント映画を観ているような感覚。 最後に見た父の顔は、今まで見たことのない恐い顔をしていた。 真剣で、恐い顔。 「…夢だと信じてもらえないでしょうが、どうしても誰かに話しておきたくて」 「……」 美玖はしばし直美の夢の内容を反芻の後、首を横に振った。 「いえ、夢だからこそ、決して馬鹿にはできないと思いますよ」 「えっ…」 「私も、夢には縁がありますから」 そう、美玖は微笑んだ。 ーー翌日、E地区のレディースクリニックへと赴いた後に美玖はシルフィーモンと長野県へ向かった。 薬を受け取ってその場ですぐに1回目を服用、スクーターにまたがる。 「本当にそれで妊娠というものはしないのか?」 シルフィーモンが首を傾げながら問う。 「完璧にとはいかないけど…一応ね」 医師に説明し、呪いの事を完全に理解して貰えたとは言いがたいものの薬を受け取れた事に美玖はひとまずの安堵を得た。 むしろ、本当に妊娠の兆候が見られたらどうしたものか、頭を抱えなければならない。 「…後藤さん達はああ言ったけれど…あまり、真に受けないでね」 「わかってる」 人間とデジモンの婚姻に関しての現実は、シルフィーモンも理解している。 ……今は、どちらにとっても、望まざる事だ。 少なくとも美玖も、熱烈なあのひと時は愛情とはまた別のものと捉えている。 (勘違い…しないようにしないと) 今後しばらくはそれが続く。 それを彼に巻き込ませてしまった。 その責任は、何よりも重い。 「……美玖?」 シルフィーモンの声にハッと我に返り、改めてハンドルを握りしめ、エンジンをかけた。 「なんでもない。それより行きましょう、滝沢さんに話を聞きに行かないと」 長野県、○○町までは二時間。 山々に囲まれた風景はB地区に近い印象を与えた。 小さな集落がある山道を抜けた先に、浅間山がうっすらとした雲をかぶる姿を見ることができる。 (……この辺りは初めて来るけれど、空気が全然違う) 澄んだ、冷たい空気。 そんな事を思いながら山道を登る。 道の片方は切り立った斜面になっていて、転落を避けるためのガードレールが続いていた。 ふと、スクーターのミラーに、一台の黒の軽トラが映るのを見た。 目測10mくらい距離を空けて走っている。 しかし、美玖はすぐに妙な事に気がついた。 ーー軽トラの運転手の顔が見えない。 パーカーのフードを目深に下ろしているらしく、目元に陰がかかっている。 (……この人、業者や農家さんではない?) 軽トラは荷台に青いシートをかぶせている。 美玖も見慣れた、工事や農家でよく使われている頑丈なシートだ。 不審に思うもすぐそこに、急カーブの道が待っていた。 少しスピードを落としてカーブを曲がった時。 上空からシルフィーモンの声がした。 「待った、美玖!道を引き返してくれ!!」 美玖が慌ててスクーターのハンドルを右に、大きく道を曲がる。 逆走しないよう隣の道へ避けた先で、軽トラとすれ違った。 ……その荷台のシートの一部が、風にあおられていたのは気のせいではない。 空にシルフィーモンの姿がなかったため急ぎで道を引き返すと、彼は道の上に着地している。 「シルフィーモン、一体な………」 そう言いかけた時。 道に散らばったモノが見えた。 「これ、は……」 それは、嗚呼。 それは、紛れもない人間の胴体だ。 炭化したその身体、手足が急カーブの道で幾つも散乱している。 「シルフィーモン、これ…」 「君の後を走っていた軽トラが急カーブを曲がった時、荷台からこぼれ落ちたんだ」 「!!」 美玖はスクーターを道の脇に寄せて、携帯電話を取り出した。 「……もしもし!今、山道で……」 美玖が長野県警への通報をしている間、シルフィーモンは道へ転がったものに近づいていった。 それは紛れもなく、人体そのものだ。 マネキンのような作り物でない事はすぐわかる。 彼の鼻を強い刺激の薬品臭がついた。 (……奴らから漂うものとは違う臭いだ) 例の組織の戦闘員から臭ったものとの違い。 人体は四人分転がっており、脚が片方だけないモノもある。 いずれも、左側の首筋にホクロがあるのを見つけた。 (これは…一体なんなんだ?) 考え込むシルフィーモンの脇へ、通報を終えた美玖が歩いてきた。 「これが、例の事件の死体かしら?」 「さてな」 美玖も取り出した手袋をはめ、死体を詳しく見始めた。 「……死体はいずれも体つきや骨格から女性。出血の様子が見られない」 「うん」 「死亡推定時刻は…どれも、かなり経っていそうね。炭化しているから分かりにくいけれど」 動かさないように調べていく。 そして、美玖はある死体を調べている手指を止めた。 「これ…」 「どうした?」 「この死体、身体から金属片のようなものが…」 シルフィーモンが膝をかがめ、美玖の隣で覗き見ると死体の左胸、乳房の横から確かにネジのような金属が皮膚の内側から飛び出ている。 まるで、生まれた時からそこに生えているかのように。 「普通にありえないわ!まさか、人間の死体ではない?」 疑わしげに、ツールを死体に向ける。 しかし、ツールによる結果は更にその疑問を加速化させることになった。 死体を分析したツールは一体のデジモンの姿をホログラムとして映し出した。 しかし、そのデジモンは、人型でなく首の長い四足歩行と鉄の翼の竜…。 「これは…」 「ドルグレモンか。先天的にX抗体を持つデジモンの一体だ」 「X抗体……」 X抗体。 デジタルワールドが生まれ、現在人間世界との間に交流を持ち始めるより数千年前の出来事がきっかけで、一部のデジモンの中に生まれた抗体。 イグドラシルがデジモンを"間引く"為にデジタルワールドへばら撒いたプログラムへの抗体。 デジモンの持つ、生き残りたいという強烈な生存への欲望と本能が生み出したと言っていい。 一時期X抗体を持つデジモンは排除の対象とされていたが、現在は普通のデジモンと同じように暮らして生きている。 「……そのデジモンのデータをなぜこの死体が……」 美玖の問いにシルフィーモンはかぶりを振った。 その時、かすかにパトカーのサイレンが聞こえてきた。 警察が到着したようだ。 美玖もシルフィーモンも、死体への調査を切り上げてスクーターの近くで待つことになる。 ーーー 長野県警で、美玖とシルフィーモンは事情聴取を受ける…だけのはずだった。 しかし。 「違います!」 取調室で美玖の叫びが響く。 美玖とシルフィーモンは今、二人の警官から執拗に取り調べを受けていた。 「私はスクーターに乗っていたんですよ!それにいくらシルフィーモンの力が強くても、何人もの人間の死体を担いで飛んだままは目立つし無理があります」 「けど、その軽トラのバックナンバーを見なかったんだよな?」 「なら当然あんた達が怪しいと考えるのが筋だろ?」 「……あなた達っ!」 ねちっこい声色で執拗に訊ねる警官の言葉に、美玖は苛立ちを覚える。 突然の事ゆえシルフィーモンが軽トラのバックナンバーを押さえるのを忘れていたのは、痛恨のミスだ。 しかし、状況的な判断のみで自分達が犯人と思われるのは心外が過ぎる。 「そもそもデジモンなら、なんかこう、なんかして死体隠して運べるとかできるんじゃないですかねえ?」 「できません!うちの助手を何だと思ってるんですか!?」 我慢ならず美玖が椅子を立った時。 取調室に一人の男が入ってきた。 「なんだ、騒々しい。お前ら一体なにをやってる?」 「あ、警部補」 新たに入ってきた男は40代後半。 190cm120kgもの鍛えられた身体を窮屈げにスーツで包んだ成りをしていた。 石原浩司警部補、それがこの男の名前と官職である。 数々の凶悪犯に加え、凶暴なデジモンすらも己の肉体で鎮めてきた剛の者だ。 「石原警部補、お疲れ様です」 「いやあ、今、死体を発見したこの人とデジモンを取り調べ中でして。死体を遺棄した犯人じゃないかって」 いけしゃあしゃあと警官二人は美玖とシルフィーモンを横目に話す。 石原警部補は美玖とシルフィーモンを見ると、目を見開いた。 「あんた……五十嵐美玖!?5年前の事件の!」 「……はい」 美玖はそっと顔を伏せた。 「え?」 「事件って、もしや前科しーー」 「馬鹿野郎!5年前、某県の警察署で起きたデジモンによる襲撃事件を知らんのか!彼女はその事件の被害者だ。無神経にも程があるぞ!!」 「す、すんません!」 「ともかく、お前らは他の業務に移れ!俺が代わる!」 雷を落とし、警官二人を追い出すと石原警部補は椅子に腰掛けため息をついた。 「うちの若い者(もん)がとんだ失礼をしてすまない。五十嵐さん…あんたの事は当時ニュースを見て知っててな…まさかあの悲惨な事件を覚えてなかった奴がいたとは」 「い、いえ…」 「それと」 石原警部補の目がシルフィーモンに移る。 「……まさか、お前ともまた会うとは」 「2年前以来だな」 「シルフィーモン、知り合いなの?」 美玖が訊ねると、石原警部補が代わりに答える。 「さる役人が行方不明になった案件があってな…捜索の人手不足を補うため独自のルートから求人をかけたら有償で協力をかって出たのがこいつだった」 役人は無事救助され、シルフィーモンはその働きを当時の県警から認められた功績がある。 それゆえに。 「あんた達がやったとは考えにくいが…まあ、今日一日はここで一泊(大人しく)していてくれ。明日には出してやる」 すぐさまシルフィーモンが聞いた。 「それで、こちらのメリットは?」 「貸し1だ」 ーーーー 「困った事になっちゃったな…」 「とはいえ、冤罪をかけられるよりはマシだろう?」 「そうだけど」 警察署の保護室(通称トラ箱)内。 ベッドに腰掛けながら美玖はため息をついた。 幸い、食事等の不便はなく、呪いによる発作の発情も今の所起きていない。 「それにしても、…さっきの聞こえた?」 「……ああ」 それは、署内での手続きを済ませ、女性警官に保護室へと案内された時である。 この時、時計は午後20時を指している。 取調室を通り過ぎた時、またしても問答がそこで行われたのが聞こえたのだ。 「正直に吐け!この金(きん)の出処は!?」 「知らねえよ、そいつは拾ったんだ」 「嘘つけ!今時、酒代を延べ棒どころか金塊で支払おうとする奴なんていねえよ!喋らねえなら好きなだけ豚箱に入ってろ」 「信じてくれって!俺はやってない、本当だ!」 取り調べを受けた男は酔っ払っているようで、ドアの隙間から見えた姿もおよそ清潔からはほど遠い身なりだった。 「確かに金塊でお代を払う以前に、変な話よね」 「普通はそういうモノではないのか?」 「大抵はちゃんとした通貨で支払うものだから……金塊とか延べ棒なんて普通は手に入らない。それをどこで手に入れたのかって話になるのよ」 それからの一日を、一人と一体は過ごした。 そして、夜が明ける。 この間に、幾つか、例の死体に関して情報を得る事に美玖達は成功した。 死体には、幾つもの謎めいた特徴もあった。 「…死体は共通して10代後半の若い女性。身長体重共に同じ。全ての死体は死後に火を放たれている。使用されたと思しき薬品は通常の大学等の実験にはまず使われない品目。……そして、心臓がない」 箇条書きしたメモを睨む。 手術痕やそれ以外の傷跡がないにも関わらず全ての死体から心臓が何らかの手段で摘出され、発見された一体の心臓のある箇所から球状の物質が発見されたという。 この物質からは生体電気が発せられていた。 また、美玖が事前に見た通り、死体の経過時間は早くて一週間前から最長一年前と経っているものが多い。 そして、全ての死体は身元不明で行方不明者の届け出とも合致しない。 これが意味するものとは? 「……美玖、君は」 シルフィーモンは聞く。 「これが本当に殺された人間の死体だと思えるかい?」 「…他殺体にしても、自殺にしても、不自然すぎる」 「だよな」 そこで喧騒。 署内が何やら慌ただしい。 やがて、石原警部補がやってきた。 「多忙で忘れないうちにあんた達を出してやる。今また、新たに事件が発生してな、それでうちの署も大騒ぎだ。朝メシを食うヒマもねえ」 「何があったんです?」 美玖が聞くと、石原警部補は新聞を手渡した。 「今日の朝刊だ。これを見りゃわかる」 それは、昨日の死体についての報道だった。 美玖達が山道で死体を見つけてから二時間後、町から離れた小道で別の死体と乗り捨てられた黒の軽トラが見つかったと記されている。 黒の軽トラは元々町の農協の人たちの物であり、盗難届けが出ていた。 それ自体は、美玖とシルフィーモンにも大して重要な内容ではない。 問題は、その後に書かれた内容だ。 「………滝沢裕次郎が、負傷した?」 石原警部補に伴って外へ出ると、薄暗い雲の立ち込める空が待っていた。 昨日までこの町と周辺では雨が数時間程度降り続けていたという。 濡れた駐車場のコンクリートを踏み締めた時、美玖とシルフィーモンは見知った顔を見つけた。 「直美さん」 憂いに満ちた顔が振り返る。 「所長さん…」 美玖達が向かう予定だった昨日の夕方。 帰宅途中の直美は家の前で、腹部を血に染め倒れている父を見つけた。 裕次郎はすぐに病院へ搬送、直美は何度か美玖達への連絡をかけたものの美玖達は出られず…。 「昨日、そちらへ向かう前に例の事件の死体を発見して…」 「それで県警に一泊コースだ」 言いながらシルフィーモンは後ろの石原警部補を振り返る。 直美がつられて彼の方を向くと、警察手帳がすぐに開かれた。 「長野県警の石原警部補だ。……というわけで、昨日の件について詳しく聞かせてもらいたい」 「は、はい」 直美が帰宅したのは夕方の19時。 死体が積まれた黒い軽トラが発見されたのはさらに二時間後の出来事だ。 夜が明けた現在、裕次郎は未だ意識不明の状態である。 「上層部(うえ)は滝沢裕次郎を犯人と見做してる奴らが大半だ。このままなら彼は有罪、真相は闇の中…」 石原警部補は悲観的な面持ちを浮かべ、空を見上げる。 美玖が直美に尋ねた。 「直美さんはこれから病院へ?」 「はい…父の入院に付き添う為に一度家へ戻って準備を」 「それなら、私達も付き添いましょう」 「……あんたら、事件に関わるつもりか?」 石原警部補の言葉に、うなずく。 「依頼ですので」 「死体の件で取調室に行く事にならなければ、今頃はとうに滝沢氏に話を聞きに行っていたんだ。依頼人は滝沢氏の身の潔白を証明してほしいと言っていた。その点で言えばお前とは方針は概ね反目しないはず」 シルフィーモンの言葉に石原警部補は深く息を吐いた。 「…邪魔するなよ」 ……長野県警から一時間半。 滝沢邸は○○町のはずれにある、コテージに似て小さな館のようだった。 2台の車と一台のスクーターが到着した時、既に家の近くを鑑識が調査していた。 キープアウトテープに囲われた先には、微かに血痕と思しき痕がある。 「お父さん……」 直美は目に涙を溜めた。 石原警部補はひとつ、咳払い。 「今から捜索……と言いたいところだが、我々警察じゃ手続きなしには始められん。そこで相談なんだが今回はこちらの探偵所による捜索に同行させてもらいたい。怪しい物があったとしても差し押さえは正式に令状が出るまでは保留とする。どうかな、直美さん?」 「…構いません」 家の中へ美玖達を通しながら、直美はハンドバッグから一枚の紙を取り出す。 それは、滝沢邸の見取り図だった。 滝沢邸は二階建てで、一階はベランダとキッチンが一体になったスペース、トイレ、書棚、研究室、そして"開かずの部屋"と明記された部屋。 二階は裕次郎の書斎、直美の部屋、物置、二階のバルコニーに繋がったデッドスペースだ。 「この開かずの部屋というのは?」 シルフィーモンが指差して尋ねる。 「数年前までは物置部屋として使っていたのですが、今は父の手で扉を壁に塗り込めています」 「なぜ、滝沢氏はそんなことを?」 「わかりません。ですが、この部屋は父の研究室の隣です。研究に使うような品を保管する為に使っているのかもしれません」 「ポオの小説が如く死体が中になければ良いが…」 直美は自室へ向かった。 病院にいる裕次郎に付き添うための準備だ。 石原警部補は一階の書棚、美玖とシルフィーモンは二階の裕次郎の書斎へ向かった。 書斎は寝室も兼ねており、ベッド、サイドテーブル、簡素な棚といった最低限の家財道具もある。 棚の上にはプレゼント用に包装された小さな箱が置かれていた。 「……滝沢さんには申し訳ないけれど」 美玖が小箱の包装を丁寧に開ける。 中から出てきたのは、大きく赤い宝石のペンダント。 その鮮やかな色合いと美しさは、美玖には初めて目にするものだ。 ペンダントトップは角が丸みを帯びた逆三角形のフレームになっていて、石はその中に収まっている。 留め具には名前が印字されていた。 「……MIONA(エム・アイ・オー・エヌ・エー)。直美さんの名前の逆綴りかしら?」 箱へ戻す前にと様々な角度から写真を撮っていると、そばへ来たシルフィーモンが神妙な表情でペンダントを見ている。 「シルフィーモン、どうしたの?」 「……石の色も相まって、デジコア・インターフェースのようだな」 「え?」 「昨日、X抗体のデジモンについて少しは言ったよな?」 シルフィーモンは言いながらペンダントから目線を外さない。 「ドルモン、リュウダモン、最近確認されたルガモン。デジモンの中でも比較的新しい類に当たるとされるX抗体デジモンでありながら、デジモンが存在する以前に生まれたプロトタイプともされる彼らの額に付いた石があるだろ?」 「ドルグレモンってデジモンも?」 「ドルグレモンはドルモンからの進化形態としてよく挙げられる完全体デジモン。彼らの額についたデジコア・インターフェースは、それを通じてデジコアに込められた情報を引き出したり、デジコアへなんらかのプログラムを与える為のものだ。このペンダントはそれに良く似ている」 「…死体から検出されたドルグレモンのデータと何か関係が…」 「あるかもな」 シルフィーモンは言いながら、ペンダントから目を離した。 彼が視線を移した先に、サイドテーブルに置かれた写真立て。 そこには、柔和な印象の男性と優しげで直美と面影のよく似通う女性、そして直美が写っている。 日付から6年前のものとわかった。 「そういえば、直美さんから母親の話を伺ってなかったわ」 「そうだな」 サイドテーブルの引き出しを見る。 引き出しはカギ付きで、施錠されていた。 「鍵はどこかしら?」 棚やベッドの周辺を探ってみるが、それらしき物は見当たらない。 「君は、ピッキングはできたか?」 「ううん。"マスターキー"の訓練は受けたけど、ピッキングは…」 「なら、私がやろう」 針金か細いものはあるか、とシルフィーモン。 バッグを探るとクリップが一つ。 それを渡すと、シルフィーモンはクリップを少し引き伸ばし、それを引き出しの鍵穴に差し込んだ。 「昨日も、そうやって窓を開けて入ったの?」 「まあな」 「…窓開きっぱなしじゃなかったら、声漏れてなかったね」 「…」 沈黙の合間にピッキング音だけが聞こえた。 一分も経たないうちに引き出しが開く。 中には日本ではあまり見られない、ハードカバー表紙のノートが出てきた。 「日記か」 ノートに書かれた最初の日付は、3年前のもの。 そこには、直美が傷病にでもかかっているのか、治療に関する内容があった。 「そういえば、依頼に来た直美さん、薬を飲んでいた…」 治療はそれに関係するものだろうか。 最初の日付から数週間ほどの日付のもので、錬金術に関係する内容となってくる。 『今は20世紀のこの時代で、錬金術などというものに手を出す人間は私だけになるだろうか?だが直美を助けたい』 半年後ほどの日付ではこう書かれる。 『賢者の石の錬成に手詰まりを覚えていた時に、巨大なデジモンとの遭遇は衝撃的だった。デジコアが消滅してしまう前に摘出に間に合って良かった。調べてみれば、このデジモンはドルグレモンという種だとわかった。ドラゴンの強力な生命力を持つと』 「ここでドルグレモン…!」 「やはりあのバラバラ死体と関係がありそうだな。だが確定的な証拠が見つかるまでは保留だ。ドルグレモンのデータを何に利用したかについてもな」 日記は続く。 ドルグレモンのデータを何らかの錬成に用いたこと、それが成功したこと。 しかし、ノートの半ばで日記は途切れる。 最後の日付は一年と半年前。 そこにはこう書かれていた。 『私は本当にこれで良かったのか?娘の為とはいえ、その大義名分の元に非道を繰り返していたのではないか』 その、一文だけだった。 「これは、どういう意味だ?」 「ドルグレモンのデータを利用したって何にだろう?賢者の石の錬成?」 そういえば、と美玖は呟く。 「賢者の石ってどう作るんだろう?」 「私はよく知らんが、そんなに凄い代物なのか?」 「ゲームとかでよく名前は聞くんだけど、私もよく知らなかったのよね。何かを黄金に変えるってくらいしか」 「黄金、か…」 そこで、表紙の感触に違和感を覚える。 「これは…」 表紙の皮にくり抜かれた跡。 そこには小さな金属が納められていた。 「鍵だわ」 「おそらく研究室のものだ、持っていこう。……他は」 そこで目に入ったのはクズかご。 中にはくしゃくしゃに丸められたメモ用紙が入っていた。 「何も書いてないな」 「待って」 美玖が鉛筆を取り出す。 「何も書かれてないと思ったメモにはこれよ」 メモ用紙の上に鉛筆を軽く走らせる。 すると、文字が浮かび上がった。 「なるほど、筆圧が強ければ文字が…これは、なんだ?」 「何かの成分表…?賢者の石の作り方の?」 「それにしては、随分有機的な気が……」 突然、大きな物音が響いた。 一階からだ。 「!?」 「一階には石原警部補がいたはずだ」 急いで階段を駆け降りた一人と一体。 そこで目にしたのは、大量に床に散らばった書籍と尻餅をついた石原警部補。 書籍はいずれも英語やドイツ語で書かれたものが多く、かろうじて読めるものといえば 『妖精の書』 『トートの書』 そういった、美玖にはあまりにも見慣れないタイトルばかりだ。 「石原警部補、どうした?」 「すまん、どんな本が置かれてるのか見ようとしたらな。しかし…すごい本の量だ」 立ち上がる石原警部補にシルフィーモンは鍵を見せた。 「研究室の鍵と思しきものを見つけた。こいつで研究室を開けられるか試そう」 「お、おう」 滝沢邸一階の奥にある研究室。 鍵は扉にぴったりと合った。 開いた扉の隙間から薬品の臭いが吹き込む。 中は、大きな理科室のように美玖は感じた。 フラスコに試験管、ビーカーにアルコールランプ、顕微鏡と小学生の頃から見慣れたものもあれば全く見た事のない機材もある。 机の上には本が平積みにされていた。 一番上に載った本を石原警部補は無造作に手に取る。 「こいつは…なんて本だ?」 「見せてもらえますか?」 タイトルは、『奇蹟の医書』 美玖が著者の名を確かめる。 「……フィリップス・アウレオールス・テオフラストゥス・ボンバストゥス・ヴァン・ホーエンハイム。この本を書いた人の名前ですね」 ルネサンス朝に活躍した、高名な錬金術師の一人。 一般的には、もう一つの呼び名である「パラケルスス」が有名か。 「何かのヒントか?」 「賢者の石に関係かな」 日記に賢者の石を求めていたという内容を思い出しながら、美玖は壁に立て掛けられた物を見つけた。 「シルフィーモン、これ!」 それは、先程見たペンダントによく似た、逆三角形のフレームに囲まれた赤い石。 石原警部補の背丈より二回りの高さがある。 「間違いない、ドルグレモンのものだろう」 「ドルグレモン?」 石原警部補に、二階で読んだ裕次郎の日記の内容を話す。 「…そのデジモンが落ちたとかいう日、確か警察(うち)でもちょっと話題になったな」 「え?」 「○○町から少し離れた地域で、何かデカいモノが落ちた衝撃と地揺れが起きたんだ。向かってみればクソデカいクレーターがな」 しかし、クレーターを作ったモノらしきものは見当たらず、結局警察や調査に派遣された政府機関も首を傾げる始末だったらしい。 「…待って、シルフィーモン。ドルグレモンって、どれくらいの大きさなの?」 「私は直接姿を見たことはないが、完全体デジモンの中では超大型だと聞いたことはあるな。知性が高く、自分から滅多に姿を見せないらしいが」 「じゃあ、そのドルグレモンが…」 「おそらく、他のデジモンとの戦いで瀕死の傷を負い、逃げた先で人間世界にリアライズしたんだろう。…だが、落下した時のダメージも相当だったはずだ。だから、人間である滝沢氏はデジコアを取り出せたんだろう。でなければ、ドルグレモンに抵抗されてデジコアを摘出以前に近寄れない」 人間世界にリアライズしたデジモンは、死ねばその場で消滅する確率が高い。 死体がないのはそのためだ。 「さっき見つけたこの成分のメモにも関係があるだろうからな…探索を続けよう」 部屋を見渡すと、ふと一枚の壁に掛けられた絵に目がいった。 中央に立つ一人の男が、伏せった男に手を伸べている。 鑑識眼の優れた者ならひと目で複製画とわかるだろう。 モチーフは…… 「アスクレーピオス…」 死者を甦らせたとまでいわれる、医学の神。 絵を見れば、幾らか動かした形跡が見られる。 絵画の額縁に手をかけ、ずらすと電子ロックが現れた。 「金庫か。何か入っているかもな」 「これなら私のツールでハッキングできる。やります」 香港で見せた要領で、美玖はツールの電線を接続する。 電子ロックに接続して三分。 金庫の扉がゆっくりと開く、その時。 「!?」 扉の隙間から、白い液状の物体が周囲の壁へ染み出していく。 「な、なんだ!?」 それは、粘土のように固形化、形を変えていく。 まるで、悪意ある神が人を嘲笑うかのような造型。 真っ白な人型の肉塊がそこにいた。 肉塊の表面はゴボゴボと泡立ち、ぶつぶつした気泡の痕を残す。 集合体恐怖症の人間ならば間近で見れば気絶は確実だろう。 「美玖、下がるんだ!」 シルフィーモンの声に茫然としかけた美玖の意識が引き戻される。 気づくと肉塊の太い腕が美玖の頭めがけて振り下ろされようとしていた。 反射的に指輪型デバイスを構える。 「ーー麻痺光線銃(パラライザー)コマンド起動!」 放たれた光線が肉塊へ直撃。 わずかに動きが止まったところで、シルフィーモンの手が美玖の腕を掴み引き戻す。 麻痺が切れた勢いそのままに、美玖の頭があった位置を剛腕が通り過ぎた。 石原警部補が構える。 「コイツはひとまずブッ倒せば良いんだよな?」 「探索の邪魔になるのならそうだろう」 美玖を後ろに下がらせてシルフィーモンも構える。 「それにしても、見慣れない奴だ…デジモンではないようだな」 「デジモンかそうじゃないかはわかんねぇからその辺は正直どうでも良い!」 そうやり取りを交わす一人と一体。 肉塊は緩慢な動きで石原警部補に殴りかかる。 「ぐっ…中々ぁ!」 「大丈夫ですか!?」 ホーリーリングから弓を顕現させながら、美玖が叫んだ。 「彼なら心配はいらない。ーーハッ!」 シルフィーモンが跳躍し、力強い蹴りを肉塊の土手っ腹に見舞う。 強く蹴られた肉塊がよろめいた。 石原警部補が走る。 「キェェェェエエエエエエ!!チェストぉおおおおおおお!!!」 猿叫を上げながら、石原警部補の足が上がる。 肉塊の、人体でいえば鎖骨の辺りに叩き込まれたと思うと。 肉塊はたちまち形を失い、ぐずぐずに溶けたように崩れていった。 「………」 美玖は唖然とそれを見つめるばかり。 パンパン、と自らの手を払い、石原警部補は得意げに美玖を振り返る。 「な、こいつの言う通り、心配いらんかっただろ?」 「は、はい……」 気の抜けたような返答しか返せない。 そんな彼女にシルフィーモンは小声で話す。 (…心配するな。私も目の前で彼がデビドラモンを一騎打ちで倒す姿を目の当たりにした時には目を疑った) (で、デビドラモン…!?) デビドラモンは成熟期の闇のデジモンの中でも知性と凶暴性を高く併せ持つ種だ。 狡猾で体格も優れているため、人間が出くわせばまず助かる可能性が低い。 (おかげで、彼が本当に人間か、一日中疑ったよ) 「ところで、」 石原警部補が咳払いした。 「金庫の中を見ないか?」 「そうだな」 シルフィーモンは軽く美玖に目配せし、金庫へと歩み寄った。 金庫の中身は横倒しになった空のフラスコと、古ぼけた一冊の本のみ。 「おいおい、これだけか?」 中を覗き見た石原警部補が渋い顔をした。 「さっきの奴はどうやらこのフラスコから出てきたと見える。本の方は…」 美玖が表紙を見る。 本はかなり古ぼけており、英語で次のように書かれている。 『賢者の石について』 「…賢者の石のこと、調べる必要があるみたい」 呟きながら本を取ろうとする美玖。 それを石原警部補が制止した。 「おっと、その本はひとまず差し押さえ対象だな。何処かでなくされては元も子もない」 「…そうですね、失念していました」 本に伸ばしかけた手を戻し、美玖は他に何かないかと周りへ視線を巡らす。 他に目立ちそうなものは…… 「あの棚…何度も動かした形跡があるわ」 棚の近くの床に、擦れた形跡。 美玖が動くより先に、シルフィーモンが棚に手をかける。 「こういうのは助手の仕事だ、そうだろ?」 彼が棚を溝のある方へ動かすと、隠し穴がそこにあった。 見取り図の位置からして開かずの部屋に間違いない。 穴は少し狭く、シルフィーモンと石原警部補は屈まなければいけないくらいだった。 「ここは……」 空気が妙に湿気を帯びている。 部屋に備え付けられ稼働中の加湿器によるものだ。 「なんでこんな所に加湿器を置いてるんだ。しかも付けっ放しじゃないか」 石原警部補がそのスイッチを切る。 机の上に置かれたメモを見つけ、美玖がそれを取り上げた。 『宝石店ISHIBASHI 金50g 石灰 5gの受け取りを代わりに頼む』 筆跡からして裕次郎のものだろう。 「宝石店?」 メモにあった表目の中に石灰があった事を思い出す。 (それに…金も?) 何かが引っかかる。 部屋の隅に置かれたタンスを開いたシルフィーモンが言った。 「ここに誰か住んでいたようだな。服が入ってる」 美玖と石原警部補が見れば、女性の服や下着が幾つも入っている。 …下着の棚は美玖がすぐに閉めたが。 「…奥様のお部屋、でもないわね。直美さんもこの部屋に誰が住んでるかまでは多分知らないでしょうし」 でなければ、わざわざ同居者の住む部屋の扉を壁に塗り込めないだろう。 メモの他に、英語で書かれた一冊の本が置かれてある。 『Frankenstein: or The Modern Prometheus』 「美玖、この本は?」 「『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』……『フランケンシュタイン』の原題だわ」 「フランケンシュタインって、よく吸血鬼とか狼男と一緒に出てくるやつだよな?」 「それはフランケンシュタインの"怪物"です、石原警部補。本来は小説のタイトルか怪物の生みの親である登場人物の名前です」 でも、なぜこの本が? そんな事を呟きながら、美玖が考え込む。 そこで、シルフィーモンは水の音を聴いた。 …床の下からのようだ。 「シルフィーモン?」 「…床から何か水の流れる音だ。何かあるかもな」 美玖がツールを起動し、床をライトで照らす。 痕跡を示す光は、ベッドを指し示した。 シルフィーモンがベッドを持ち上げて動かせば、隠し扉がそこにあった。 扉の取っ手を引き開けると、下をごうごうと流れる水が見える。 「隠し階段か……水路に繋がっている?」 「とはいえ、こりゃ、降りてすぐ足が水に着く感じだな。しかもこの水の勢いだ。ここから降りるのは無理だな」 昨日の雨のせいだろう。 「ひとまず、一度探索をこの辺りで切り上げるか?俺はそろそろ鑑識から調査結果を聞かなきゃならんからな」 「そうですね。直美さんに聞かなければいけない事も、色々」 美玖達が頷き合い、部屋を出る。 研究室に戻ると、そこにいたデジモンに驚き、美玖は思わず呼んだ。 「ラブラモン!」 美玖が今まで見たことのない程、鋭く険しい目つきで研究室の機材を見上げていたのはラブラモン。 しかし、呼ばれるとその表情はすぐいつものように戻った。 「あ、せんせい。こっちにいたんだ!」 「もしかして、連絡くれてた?…ごめんね。グルルモンは?」 「そとにいるよ」 そこで、シルフィーモンは石原警部補の様子がおかしい事に気づく。 「ラブラモン、こちらは長野県警の石原警部補よ。石原警部補、この子は我が探偵所……の?」 振り返り、紹介しようとした美玖の目が点になる。 先程までおぞましい肉塊相手に凄まじい覇気を見せた彼。 それがまさか、生まれたての仔馬のように足を震わせるとは。 「…石原警部補?」 「すまん…俺は、その、ガキの頃から……犬が苦手なんだ…!」 「……」 しばしの沈黙。 しかし、それもいけないと美玖はラブラモンへ尋ねた。 「直美さんを見なかった?」 「わたし、いまはいってきたところだよ。こえをかけてもだれのこえもしなかったから、ようすをみにはいったの」 「それじゃあ、直美さんの様子を見に行こうか。二階にいるはず……」 ラブラモンを連れ立ち、二階の直美の部屋へ向かう。 3回、ドアをノック。 「直美さん?すみません、お聞きしたいことが」 ……返事がない。 もう3回、ノックしたがなお返事はない。 「まさか」 失礼、とドアノブを回し、入った美玖が目にしたのは床の上に倒れた直美。 「直美さん!」 駆け寄り、支えるように上半身を起こす。 「確かに、あまり丈夫そうな人間には見えなかったが…」 シルフィーモンが屈み込んだ時、彼の目に止まったのは直美の首筋。 そこには黒子が一つ。 死体にあったものと同じ位置に、同じ大きさ。 そして、これまで意識することがなかったが、…胸元に光った赤い輝き。 ペンダントトップのデザインこそ違うが、裕次郎の書斎で美玖とシルフィーモンが見たものと同じ赤く大きな宝石だった。 「……まさか。もう一人の直美さんか?」 「えっ?」 美玖が顔を上げたところで、ラブラモンが口を開いた。 「……あのね。きのう、せんせいたちがでかけたあと、じょうほうやのおじさんにれんらくしたけどるすでいなかったよ。それでるすでんいれたら、きょうのあさにれんらくしてくれてせんせいからたのまれたじょうほう…しらべてくれたの」 昨日。 美玖達は、探偵所を出る前にC地区の情報屋へ連絡をとってもらうようラブラモンに頼んでいた。 滝沢親子に関する情報を、である。 「おじさんがいうにはね、よねんまえ、いえにはいってきたごうとうになおみさんとおかあさんがおそわれたんだって」 …妻は惨殺。 娘は意識不明の重体。 大学から戻った裕次郎が見たのはそんな状況。 直美は助かったが…… 「なおみさんは、そのときのけがのしゅじゅつがにゅーすになってたの」 「手術?」 「しんぞうのちかくを、うたれたんだって。このあいだのせんせいみたいに、じゅうのたまがからだのなかにのこってて……いまも、とりだせないって」 「何だと?」 嫌なものを感じる。 バラバラ死体と直美。 賢者の石と、謎の成分表。 それが意味するものは…… 「ひとまず、どこの病院か教えてもらった!?」 「うん、☆☆びょういんってところ!」 「直美さんの荷物と…診療票と身分証…それと、お化粧セットも。ひとまず持って、向かうから手伝って!」 直美を抱えた石原警部補を先頭に、美玖達は☆☆病院の受付へと駆け込んだ。 受付の看護師へ説明し、担当医の都合を尋ねる。 「滝沢直美さんですね。佐東先生でしたら今日は診療日ですよ」 「すぐに診てもらえませんか?急に倒れたんです」 「少し、お待ちください」 数分後、診療室へ通される。 担当医の佐東は、60代近くの男性医師だった。 直美の診察に応じながら、美玖達に直美との関係を問いただす。 ここで、美玖は、直美からの依頼で事件の調査をしていたことを打ち明けた。 「……そうですか。今回は、おそらくお父様の件で心労から倒れたのでしょうが…」 ーー暗い表情。 「……彼女は、いつ倒れて亡くなっても、おかしくない状態です」 「それほど、重篤なんですか」 「日々、進歩を目指してきた現代の医学だからこそ、こうは言いたくはないが…彼女を再手術しても助かる可能性は低い。銃弾が少しずつ、心臓に近づいている。解除できない時限爆弾だ」 現代において、名医と呼ばれる医師は多い。 しかし、彼らの腕を乞い願うにはあまりにも長い時間を待たなければならない。 なぜならば、彼らの助けを一年以上先も待つ患者が後を絶たないからだ。 「……どうにかできないのか?臓器移植、というものなら聞いたことがあるんだが」 と、シルフィーモン。 その問いに、佐東医師は首を横に振る。 「いや…あなた方デジモンには想像がつかないでしょうが、人間の体内というものは極めて複雑で微妙なバランスの上に成り立っている。何処を取っても崩れてゲームが終わりかねない積み立て積み木(ジェンガ)のようなものだ。その辺の人間から持ってきた臓器をハサミで切って貼って何事もなく元通り、なんて単純な話にもいかない。拒絶反応というものがある」 拒絶反応は対策こそとられてはいるものの、あくまで抑制するためのものであるため完全にはなくせない。 「…そうか、じゃあ、…滝沢さんは、拒絶反応を起こす可能性の少ない人体を…直美さんの遺伝子を持つクローンを作ろうとしたんだ。錬金術で」 「なんだと?」 訝しげな声で佐東は美玖を見た。 「ところで、滝沢裕次郎もこちらの病院に?」 助け舟と知ってか知らずか、石原警部補が問う。 「あ、ああ……確かに、昨日はここで緊急手術をした」 「今のお具合は…?」 「残念ながら、まだ目を覚まさない」 美玖達は顔を見合わせる。 ともあれ、直美は病院に預けてもらうしかなかった。 話し合った結果。 「本当に美玖一人で大丈夫か?」 「ふれいあがいるからだいじょうぶ!」 …フレイアを連れて美玖は長野県でも一番の蔵書数を持つ県立長野図書館へ。 シルフィーモンと石原警部補、ラブラモンはグルルモンの待つ滝沢邸へトンボ返りすることに。 「一体何を探すつもりだ?」 「…錬金術に関連する本を探しに。滝沢さんが直美さんを治すためになぜ賢者の石を必要としてたのか。ドルグレモンのデータを何に使ったのか、その推測に役立つものを」 「…発作が起こったらどうするんだ」 「そうしたら、デバイスでしばらく姿を隠して耐えようと思う」 心配げなシルフィーモン。 「だいじょうぶ、もしものときには、ゔぁるきりもんがいる。だいだいのゔぁるきりもんのなかであいつはもっともうでがたつし、のろいのことはきいてるからせんせいとはてきせつなきょりはとれる」 「……そうか」 こうして。 彼らは、各々のやるべき行動へ乗り出すのだった。 ーー身体が、痛い。 最後に覚えていたのは、命からがら空間にできた裂け目へ飛び込んだこと。 でも、抜け出た先が、まっさかさまの地面だなんて。 ーー……ついて、ないなあ……。 殺されるのと、どっちがマシだったのだろう? 辺りを確かめようにも、首が動かない。 足も鉛のように重い。 でも、地面の感触が、ここはデジタルワールドじゃないと教えてくれた。 そこへ、誰かが近寄ってくる。 (……モン、か?) 何て言ってるのか、わからないくらいに頭がぼやけて。 視界に映った小さな姿は、確かに、今まで話でしか聞いたことのなかった「人間」だとわかって。 それでも、何もできない。 殺される。 そんなことをぼんやりと思った。 元から、排除対象として追われてたんだ。 もう逃げ場はないと、諦めから目を閉じた。 (ーー今から、データを、この中に) 人間が何かがさごそと探す気配を感じる。 その気配を感じながら、わたしは、ゆっくりと目を閉じて…… ……意識がそこで途切れた。 滝沢邸へ戻ると、鑑識班が調査を切り上げる支度の最中だった。 石原警部補が鑑識から調査結果を尋ねに行っている間に、シルフィーモンはグルルモンへ言う。 「鑑識の調査が終わるようだから、今のうちに血痕と人間の臭いを覚えに行ってくれ。私と美玖がこちらへ来る前に起きた事も調べないと」 「ソウダナ」 「そういえば、しるふぃーもんとせんせいはごはんたべたの?」 「……そういえば」 思い出せば、朝食は摂っていない。 もう時刻は正午である。 「別行動を起こす前に美玖と食事を摂っておけば……薬は飲んでいたが」 「じゃあ、せんせいにめーるするね」 「ああ、頼む」 石原警部補の方を見やれば、大方の調査結果を聞き終えた後か彼は聞き込みに歩いていくところだ。 「まだ時間はかかるだろうからな…近くにコンビニなどはないか?」 「ここにきたとちゅうで、おべんとうやさんならあったよ!」 「……なら、そこへ買いに行くか。ついで、宝石店の場所も確認したい」 ………道の駅で自分と美玖の分の弁当を買った後、シルフィーモンは開かずの部屋で見つけたメモにある店名を検索する。 すぐにヒットした。 「場所は…滝沢邸からあまり遠くはないな。ここへ、私が聞きに行こう」 ラブラモンとグルルモンに弁当を預け、滝沢邸へ待ってもらうことにして。 シルフィーモンが飛んでやってきた先は、宝石店ISHIBASHI。 シンプルだが品のある佇まいの店に入ると、従業員の男性がにこやかな笑顔で迎えた。 「いらっしゃいませ!デジモンのお客様ですね。何かお要り用ですか。ご友人やパートナー様への贈り物でしょうか?」 淀みがなく好感の持てる接客だ。 デジモンの利用客も増えてきており、最近は選ばれし子どものパートナーデジモンが自身のパートナーのプレゼント選びに宝石店を訪れることもある。 「すまないが、この店の商品ではなく人を探している。滝沢裕次郎という男について知らないか?この店を利用していたはずだ」 そう尋ねると従業員は困った表情。 「申し訳ございませんが、他のお客様の個人情報に関して当店では……」 「それを分かった上で尋ねたい。昨晩、彼が刺されたという話がニュースであったはずだ、私はその事件を調査している。何か知らないか?」 シルフィーモンがさえぎると、従業員はたいへん驚いた表情になった。 「刺された!?昨日はお怪我一つもないご様子でしたのに!」 「……詳しく話を聞かせてくれないか?」 「は、はい」 動揺していた姿勢を直し、従業員は話しだした。 「昨日の夕方、こちらにいらっしゃった時は、ひどく焦ったご様子で『娘は来なかったか』とお尋ねになられまして」 「もしかして、その時に何かを彼に渡さなかったか?」 「はい…注文を受けて取り寄せました金を、その時に」 ……金、か。 「…それについて、もう少し聞かせてくれ。金と言ったが、そういう物もこの店では取り扱ってるのか?」 「はい。お客様からのご要望で、そういう貴金属の品を特別かつ合法のルートからお取り扱いしておりました。滝沢様の時は、代理受取人として娘さんが来られる事もございましたが…」 その上で、従業員が言うには。 一年前ほどに裕次郎が宝石の加工とペンダントの作製を依頼してきた事があるという。 個数は2個で、宝石と片方のペンダントトップのデザインは裕次郎の持ち込みだったが。 「その宝石が、これまで当店で扱ってきたどの宝石の中でもとびきり素晴らしく美しいものだと覚えております」 真っ赤だがルビーでもなく、思いつく限りの赤色の宝石に該当するもののどれにも当てはまらない。 「……すると、何かの鉱物だと?」 「可能性はありますね。宝石は鉱物そのものでございますから」 ーーー その頃。 県立長野図書館前では黄色い声が一部あがっていた。 (…ちょっとやりづらいなあ) 集まっている視線に美玖は苦笑いする。 というもの。 ーーーこれはちょっと照れるなぁ。 視線を集めているデジモンが目の前にいたからだった。 …思えば、人前で直接の対面は、これが初めてである。 (…どんなデジモンか、シルフィーモン達から聞いた) 救いの主は、究極体デジモン。 どうりで強いわけだ。 「…改めて、よろしくお願いします。ヴァルキリモンさん」 ーーーおや、私の名前を言えてるとはね。誰かから教わったのかな? 「はい」 ーーー知っての通りとは思うが、私は今となっては肉体が不安定でね。もう次代は作れない。代わりに君への恩義に報いるまでさ。よろしく。 ……にしても。 (し、視線が痛い……) 若奥様やちびっ子達、学生だろう若い女性達が黄色い声をあげながらヴァルキリモンを注視している。 無理もない。 純白のヒロイックな佇まいと、中性的な雰囲気に魅力を感じているのだろう。 ちびっ子達は何処そこの特撮のヒーローかと、目を輝かせながら見ている。 中にはこっそり携帯電話で撮っている女性もいた。 「ひ、ひとまず中へ入りましょう」 逃げるように、そそくさと図書館へ入る。 ふわり、と軽い紙の感触が肩へ重みを伴い舞い降りた。 フレイアだ。 今は、擬装コマンドで金紙の折り鶴に見た目を変えている。 動物そのままの姿で図書館に入るわけにはいかない。 ーーー錬金術、というものについて書かれた本を探すのだね? 「はい。できれば、詳しく書かれた本を…」 とはいえ、蔵書数の関係もあり、時間がかかる。 検索用の機械も利用し、ヴァルキリモンの手を借りてできる限りの資料をかき集める。 そうして、やっと、美玖は知りたい情報を見つけることができた。 ……例の成分のメモ以外は。 「…賢者の石、とは」 卑金属を金に変え、永遠の生命をもたらす霊薬。 万能の願望機ともいわれる。 形状は結晶から液状のものまであり、色は西洋では赤、インドでは黄色い卵型の物質とされる。 作製方法、材料、いずれも不明。 黄血塩と呼ばれる物質だとする説も唱えられている。 「……これだけだと、直美さんのクローンを作る発想まで至らないか。何か……」 その時、フレイアが嘴で一冊のページをつついた。 美玖がつられてそちらを見る。 そして、ある言葉に目を瞬かせた。 「……『ホムンクルス』?」 すぐにそちらに向けて調べてみた。 …変わらず、例の成分のメモに関わりそうなものはなかったが。 「……ホムンクルス、とは」 別名、フラスコの中の小人。 製造方法は諸説ある。 人間の精液や数種類のハーブを入れて40日間密閉させる方法、妊娠した母胎に霊魂を招き入れる方法etc。 背丈も大人より小さいとされることが多い。 共通して、知性が非常に高いが弱点もある。 フラスコなど液体に満たされた中から生み出された生命体ゆえか、乾燥に弱いこと。 極めて短命なこと。 「…最長、二年までしか生きられない…」 ーーークローンという話だったね。それに二年しか持たない身体が代替(スペア)というのは無理がないかな? ヴァルキリモンの言葉に美玖はうなる。 ドルグレモンのデータはこの辺りに使われたのだろうか? ドルグレモンのデータにはドラゴン由来の強い生命力がある。 「…でもそういえば、開かずの部屋には加湿器が置いてあった」 石原警部補が付けっ放しだと止めてしまったものだ。 女性もの、それも直美や美玖ほどの世代くらいなら無難なデザインの衣服がタンスに収められていたことも考えればあの部屋には直美のクローンが暮らしていたのだろう。 …直美には秘密で。 ーーーひとまず纏めるとしようか。君達の依頼人である直美にはクローンがいる。 「……あのペンダントに印字されていた文字からして、名前はおそらくミオナ」 ーーー君と助手君が昨日出くわした死体の運び屋もこのミオナと見て間違いないだろう。特徴が似過ぎた死体ばかりというのも非現実的だからね。 「ということは、クローンの失敗作を滝沢さんはミオナにこっそり遺棄するよう指示を…?」 ーーーあるいは、自主的なものかもな。 美玖は、ホムンクルスについて纏めて書いたメモに目を通し、つぶやく。 「……加湿器が必要なほど、乾燥に弱いのなら吸湿性の高い物質は有効かもしれない」 ーーーそういう代物があるのかい? 「乾燥剤が手っ取り早いけれど…小麦粉でもいけるかもしれない」 ーーー小麦粉って、あの、小麦粉?君達人間が料理に使う……? ヴァルキリモンが少し拍子抜けしたような声音で美玖を見る。 「小麦粉にも吸湿性が備わっています。それで上手くいけば」 ーーーふぅん。 ともあれ、善は急げと美玖達は図書館を後にする。 そして向かうは業務用スーパーだ。 「シルフィーモンにメールを送って、小麦粉数袋分確保することは伝えましょう。それから、滝沢邸へ!」 (容量の影響から全て一つのページに投稿することができませんでした。↓をどうぞ!) < After
こちら、五十嵐電脳探偵所 #18(before) 擬似科学殺人事件 content media
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みなみ
2023年5月05日
In デジモン創作サロン
こちら、五十嵐電脳探偵所・時間系列 2000年以上前 〜 後のデジモンとなる存在、人間の世界に稀に現れる。 1500年頃前 〜 人間の中に後のデジモンとなる存在と交信を行う者が現れる。神職・シャーマン・呪術師etc。 850年頃前 〜 後のデジモンとなる存在の力を政治に利用する者が現れる。 500年頃前 〜 アンティキティラの機械に接触した結果、初めて未知の存在がデジモンと呼ばれる存在へと意義を確立し始める。 150年頃前 〜 デジモンたる存在の住む異界がデジタルワールドとしての確立。人間の増加やデジタル機器の誕生等に合わせてデジモンの存在が確立された。 100年頃前 〜 ホメオスタシスが人間、特に子どもとデジモンの相互効果に着目。ターゲットに定めた子ども数名の元に幼年期デジモンを派遣。こち五十の世界において初めての選ばれし子ども達が誕生。 50年前 〜 デジタルワールドにてグランドラクモンとガルフモンによるダークエリアからの侵攻。選ばれし子ども達の活躍により阻止される。 25年前 〜 イーター、デジタルワールドと人間世界を襲撃。デジタルワールドと人間世界は共に大きな被害。人間世界の総人口数三割が植物状態(サイスル&ハカメモにおいてのEDEN症候群)に。 24年前 〜 五十嵐美玖、誕生。デジタルワールドの時間の流れが人間世界と同じになる。 20年前 〜 デジタルワールドの修復がほぼ完了。人間世界へデジモンを派遣し復興支援する。 18年前 〜 人間世界とデジタルワールドが選ばれし子ども達の仲介により、正式に交流を開始。デジモン達の移住が始まる。 12年前 〜 超巨大な究極体デジモンが突如某県に出没し暴走。広範囲を更地にした後その姿を消す。未だ正体不明。 10年前 〜 某県の復興が80%ほど完了。復興支援したデジモンや土地を離れた人間達が戻る。(こちら、五十嵐電脳探偵所の舞台となる 5年前 〜 リビア砂漠のオアシスでガルフモン復活未遂。切り離された頭脳体のメフィスモン、日本へ渡りこち五十のメイン舞台である某県E地区の警察署を襲撃。五十嵐美玖、精神的な事情から辞職、心療内科を受診し長期治療となる。アヌビモン、ガルフモンの目論見を止める為自らをデジタマに変換、人間世界へ渡る。 3年前 〜 シルフィーモン、人間世界へ渡る。 2年前 〜 五十嵐美玖、探偵を名乗るアグモンに師事。半年後に五十嵐探偵所を設立。 本編開始年 〜 シルフィーモン、五十嵐探偵所へ依頼に訪問。五十嵐美玖、シルフィーモンを助手兼用心棒として正式雇用する。デジタマ化したアヌビモン、発掘される。
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みなみ
2023年5月04日
In デジモン創作サロン
目次 「こっちです、こっちの方に階段が…」 ツールで確認しながら、美玖はワイソンと走っている。 彼にはフレイアを抱えてもらっていた。 「この先はデジモンの数があまりないようで良かった…イーターというモノの数がそこかしこにいますが」 「あらかた、あいつらに喰われたのでしょう」 ワイソンの言葉に、美玖は足を止めた。 「どうしました?」 「その…イーター、というのは何ですか?」 「…デジモンすら食う、危険な存在ですよ。25年前には、人間世界にも侵食してきたこともあり、多くの犠牲者を出している」 「私が生まれる、一年前…」 そこで、モーショントラッカーに反応。 デジモンが一体、近づいてくる。 (属性は、フリー…) 一体だけなら、麻痺光線銃コマンドで足止めできる。 顔を見合わせ、小声で話し合った。 「ワイソンさんは後ろで待機を。私がデバイスで麻痺させましたら、すぐに横を抜けましょう」 「大丈夫ですか」 「…多分」 足音はかなり早足で近づいてくる。 どうやら、相手は二足歩行。 (……) そして。 相手が曲がり角を出た瞬間を狙って、デバイスから麻痺光線。 だが現れたデジモンの姿を見て驚きの声をあげた。 「シルフィーモン!?」 わずかに狙いがズレて、シルフィーモンの頭から数cmの所の壁に火花が爆ぜた。 「美玖!」 その声音には幾許かの安堵がある。 手短にワイソンへ自身の助手だと説明した。 「どうしてここに!?」 「イグドラシルからの指令でロイヤルナイツに率いられて来ているんだ。一体何があった!?」 「それは……」 話そうと美玖が口を開いた時。 ひゅー………と風を切るような音。 そして。 ドォオン!! 爆風と爆発。 壁に大きな風穴が空くのを見ながら、美玖とワイソンは意識を失った。 こちら、五十嵐電脳探偵所 #17 その欲印拭うは愛の嵐 突然の爆音、爆風。 その原因が、ヴァルキリモンと戦闘中のスカルグレイモンによる『グラウンド・ゼロ』だと誰が知り得ようか。 幸いにも直撃は免れたが、爆風に叩きのめされたシルフィーモンがかろうじて身を起こした時二人は意識を失った状態で倒れていた。 「美玖!それと…誰だ、しっかりしろ」 シルフィーモンが揺さぶるが、完全に意識を失った二人が目覚める気配はない。 現状、この階へまだ下りてきたデジモンはいない。 二階にいるイーターを片付けるのに手一杯の状態だったからだ。 「私一人で運ぶしかないか…」 美玖を背負い、ワイソンを担ぎあげ、フレイアを空いた片手に抱える。 こうなると戦うことは困難なため、途中で敵に遭遇するようなことがあれば戦闘を全力で回避しなければならない。 (……先程この階にいたデジモン達はどれも様子がおかしかった。完全に理性を失った、酷い有様だったな) 薄暗い通路を駆け抜けながら、シルフィーモンはそう思う。 美玖達なら何か知っているのだろうが、今ここで聞ける状態ではない。 (下の様子が気になるが、今はこの二人を安全な場所へ……) だが、先程自分が降りた階段近くまで来たところで、フレイアが突然傷ついた羽根をバタつかせた。 「どうした?」 「ピイッ!ピピッ、ピイッ!」 只事ではない様子に嫌な予感を覚え、そして前方20m先向こうから歩いてくる人影に足が…止まった。 「ーーお前は……」 ヒールの音を響かせ、歩いてくるのは一人の女。 一度は目にした女。 「あら、あなた……吉原で会ったデジモン……」 乱れた黒髪を掻き上げながら笑うその姿には余裕の表情。 しかし、精神的なそれとは違う、強者特有の余裕さだ。 「そこのネズミ女はお前達の差し金ってわけね、ロイヤルナイツの狗ども。嗅ぎ回られた挙句、最下階に収容していた実験台まで解き放ってくれた御礼参りがまだなのよね」 「なんだと?」 収容。 実験台。 「まさか、今この階で見境なく殺してまわっているデジモン達は」 「この組織が開発している新薬の実験台よ。デジタルワールドへ侵攻するための戦力の足がかりとしてね」 「…なぜそんなことを」 「知らないわ。飽きたからって何もかも私にこの組織を押し付けていった、強欲ジジイにでもお聞きなさいな。…生きて帰れたらの話だけど」 じり…っ、とにじり寄る女。 その足元から、瘴気にも似た闇のオーラが湧き上がる。 「今すぐ、お前が背負っているそのネズミ女と彼女が持っているフロッピーディスクを渡しなさい。今、私はとーーっても、機嫌が悪いの。断るなら……」 闇のオーラが完全に女を、莉莉娘娘を包む。 相手が何者か知って尚、シルフィーモンは睨み、一言言い放った。 「断る」 「なら、死になさい」 ーーーー 「何をする…おいっ!」 イーターに混じり、全身を血まみれに暴れるデジモンへ駆けつけた者達は押さえるのに必死だった。 声をかけるも、それが彼らには届かず、仕方なく押さえつけて縛するしか手段がない。 「組織の連中は一体、何をしたんだ?まともに会話のできる状態じゃない。それに人間のものらしき血だらけだ」 アルフォースブイドラモンが訝しげに言いながら、縛りつけたシードラモンを引きずっていく。 それを横目にマグナモンは傍らを通りがかったデジモンへ指示を出す。 「三階への道が開け次第警戒しろ。イーターの気配もだが、近くにはーー」 そこへかすかに聞こえた、爆発音。 「今のは!?」 「三階の何処かで爆発だ!戦闘による余波の様子」 ざわめきの中、無力化させたデジモン達が上の階へ担ぎ込まれる。 外ではすでにイーターの駆逐と彼らが侵入した先と思われる空間の歪みを修正したデジモン達が、開通した道を通じて転送作業を開始していた。 (……この組織のバックには、やはり奴らが絡んでいたか。ダークエリアの事情から薄々勘付いてはいたが) 手近なパソコンのディスプレイに浮かび上がるマークにマグナモンは目を細める。 それは、それぞれ強欲と色欲を司る魔王の象徴。 組織が瓦解しただろう今、何をしているのか? ーーー 「…………っ、ぐう……」 頭がズキズキする。 重いまぶたを開けながら身をよじれば、近くで意識を失ったワイソンとフレイアが見えた。 (一体、何が起こったの…?) 覚えているのは、シルフィーモンに事情を説明しようとした時不意に聞こえた異音。 見えない手に張り倒されたような感覚に意識を叩き落とされて以降は、何も…… 「シルフィーモン、は…?」 そう呟き、床から身体を起こしかけて美玖が目にしたのは…… 「ぐうっ、…っく…!」 「あはははは!どうしたのかしら?手も足も出ない?」 嘲笑うような声が響く。 美玖が見たものは、煽情的な衣装を纏う女性の姿をしたデジモンに足蹴にされるシルフィーモンの姿だった。 その身体は満身創痍、立ち上がるのもやっとな所を何度も踏みつけられ、蹴って転がされている。 (シルフィーモン!?……あの、デジモンは……) 莉莉娘娘の面影があるそのデジモンへ、美玖はツールによるスキャンを開始。 1分弱後、ホログラムは情報を展開した。 『リリスモン。魔王型、ウイルス種。究極体。女性の姿をした魔王型デジモンで“七大魔王”デジモンの一体でもある。元々はオファニモンと同種族だったと考えられており、堕天して “暗黒の女神”と呼ばれるようになった。妖しくも美しい容姿で相手を惑わし……』 美玖の背筋に冷たいものが走った。 (究極体!) 今まで美玖は究極体に出会ったことがない。 ……正確には、究極体と自身が認識した者と出会った事がない、が正しいか。 それほどまでに、現実世界で究極体クラスのデジモンに人が遭遇することは稀なのだ。 …だが、それより。 (……こいつ……!) 莉莉娘娘の正体は七大魔王が一体、リリスモン。 七大魔王という名は以前に警察署で閲覧可能な要注意デジモンのデータベースで見たことがあった。 究極体デジモンの中でも上位の実力者にして、彼らに殺されたデジモン達は転生する事も許されず魔王の糧となって吸収される…。 このままでは、シルフィーモンもそんな運命を辿るのは確実だ。 (助けないと…でも、どうやって) まだリリスモンは美玖に気づいていない。 とはいえ、シルフィーモンに体勢を立て直させるに麻痺光線銃コマンドで稼げる猶予はあるのか。 そんな時、姿勢を直そうとした手が、冷たく細長い物に触れた。 先程の爆発で破損した壁の一部だろう、細長い鉄のパイプ。 「ほら、どうしたのかしら?そんなにあそこで倒れてるネズミ女が大事なようね。でももう立つ気力もないとはみっともないわ、ほほほ!」 「くっ…誰がここで…」 「お前を殺した後でゆっくりネズミ女を料理してあげるわ。言ったでしょう?御礼参りしなければならないって。素直に渡していれば命だけは助けてやったのに」 仰向けに倒れた上からリリスモンの足が踏みつける。 胸元をグリグリと踏まれ、苦悶の吐息を漏らしながらシルフィーモンは耐えた。 (上の増援が駆けつけてくれるまで、どうにか時間を…!) 七大魔王と互角で戦えるのはロイヤルナイツなど限られたデジモンだけだ。 彼らが来てくれれば、自身はともかく美玖達の命が助かる可能性はある。 その時。 リリスモンの耳が背後からの足音を拾った。 「私の助手に何をするの!!」 咄嗟に振り返れば、鉄パイプを両手に構えて走る美玖がいた。 「美玖!?」 シルフィーモンの目の前、リリスモンに向けて振り下ろされた鉄パイプは、その一撃は…硬質な音を立てて彼女の籠手のような右手に止められた。 たちまちその手の中で腐食し、朽ちていくパイプ。 触れた物全てを腐食させる「ナザルネイル」。 日向に致命傷を与えたものの正体だ。 「…っ!」 「随分早いお目覚めだったようね、可愛いネズミさん?助手ってことは思った以上に深い関係なのね、そうなの……ふふ……」 美玖の手からもぎ取った鉄パイプを放り捨て、怖いほどの笑みを唇に浮かべながらリリスモンが迫ってくる。 「やめろ…逃げるんだ、美玖…!」 シルフィーモンは立ちあがろうとするが、散々痛めつけられた身体は鉛のように重い。 距離を詰めてくるリリスモンへ、美玖はデバイスを向けた。 「……麻痺光線銃(パラライザー)コマンド、起動!」 麻痺光線はまっすぐリリスモンへ飛んだ。 ーーしかし。 バヂッ 「……うそ……」 光線はリリスモンに命中したが、彼女は涼しい顔で歩みを進める。 くすっ、と笑みすら返してきた。 「なぁに、今の。ちょっとむず痒かったけどなんともなかったわ。抵抗のつもりならごめんなさい」 全く謝罪の意図すらない言葉で、美玖に向かい左手を伸ばす。 そこで、ようやく立ち上がったシルフィーモンの必殺技の構え。 「『トップガン』!!」 だが、放たれたエネルギー弾を、リリスモンはいとも容易く弾いたばかりでなく…… 「邪魔よ」 「ぐわあっ!!」 シルフィーモンに向けて返した。 自らが放ったはずの必殺技を跳ね返され、直撃されて壁へ叩きつけられる。 そのまま、動けなくなった。 「シルフィーモン……あ、ぐ…!」 彼女の左手に美玖の首元は掴まれていた。 「く…あ…」 (なんて、強い力…) 足が地面すれすれに離れる程掴み上げながらリリスモンがその耳元で囁く。 「こうするとちょっと可愛げないわねぇ。心配しなくても貴方の助手とやらは死んでないわ」 そう言いながら、ちらりとシルフィーモンへ視線を向けた。 彼はすでに全身ボロボロだったが、まだ立ちあがろうとしている。 「今ここで殺しちゃったら面白くないもの。……ふーん……?」 「な、なに?」 意味深く笑みを浮かべた後、リリスモンは唇を歪めた。 「貴方、生娘か」 「!?」 「男をまだ知らない身体なら、…うん、良い事を思いついたわ」 ナザルネイルが美玖の下腹部へ近づいていく。 「嬲り殺しにしてやろうかと思ったけど気が変わった。貴方にはちょっと面白い目に遭ってもらいたいもの。我慢がかーんたんに通用しないようなやつをね」 「ど、どういう…」 「知りたい?ふふ…」 リリスモンが右手を動かした。 先程の腐食した鉄パイプを思い出し、美玖は身体を硬直させる。 「なぁに、固くなっちゃって。安心なさい。お腹を腐らせたりはしないわよ。一番大事な部分をちょっと弄るだ・け」 美玖の腹に触れる。 臍より少し下の辺りを。 「一体何を…」 どくん。 「え…あ…」 触られた部分が、熱を帯び始めた。 殴られるような衝撃が脳を襲う。 「美玖に…美玖に、触るな…」 シルフィーモンの掠れる声を聞きながら、美玖は再び意識を手放した。 高らかな哄笑が広い回廊で響き渡る。 「あっはははは!!目覚めて時刻(とき)が経った時どうなるのかしら。きっと大切な彼氏のためにとっておいた初めてなんでしょうけれど、それももうお・し・ま・い。けれどぉ?貞淑に自分を守ろうと我慢をすればするほど、それこそ貴方の死へのカウントダウン。死に様はとーーーってもブザマよ?生きるために初めてを棄てるか、初めてを守り通して女として最も侮辱的な死に様を晒すか……愉しみ。あははは……はははーー」 ーーーやれやれ…悪趣味なのは相変わらずだね、リリスモン。 その声にリリスモンは一瞬、反応が遅れた。 視界に迫る純白の影。 凍れる魔の刃を、ナザルネイルで止める。 敵の攻撃に反応して放たれた言葉は、魔王としての威厳が込められていた。 「ーー貴様っ、ヴァルキリモン!?」 ーーーすまないね、もう少し早く駆けつけられていたら良かったのだが。あのスカルグレイモンに思いの外手を焼かされたよ。 「………すま、ない…」 シルフィーモンの方を一瞥し、ヴァルキリモンは切り返す刃でリリスモンを押し返した。 そこで、リリスモンは思い出す。 「そうか……あの鳥、何処かで見たと思ったが貴様のペットだったな!だが、貴様はなぜここに?グランドラクモンの手で永遠の闇に放逐されたと聞いたぞ!」 ーーーそれについてはそこの彼女から……は、今は無理か。まあ色々と奇縁があって彼女と知人に協力してあげているんだよ。 「……ヴァルキリモン」 シルフィーモンはリリスモンと相対したその姿を見ながら、名を呟いた。 聞いたことがある。 勇者として死んだデジモンをデジタマへ還す力を持つとされる、光の力を宿した究極体デジモン。 今から1100年以上前のデジタルワールドでの戦いで、ダークエリアから出ようとしたグランドラクモンとガルフモン相手の戦いにも多くの助勢を引き連れ馳せ参じた。 その際、グランドラクモンによる闇への放逐に、当時参戦していたロイヤルナイツや選ばれし子ども達の身代わりとして自ら盾となったとも。 (……美玖を助けてくれていたのは、そういう……) だが、それゆえに。 無力感に、床に爪を立てる。 目の前で倒れている美玖。 その苦しげな表情に、身体を引きずりながら近づく。 「……すまない、美玖。私に、力が、あったら」 また、自分は守れなかった。 以前は目を離した不注意で。 今度は力不足で。 すでに戦闘が始まっていたが、シルフィーモンは美玖の傍らでうなだれたままでいた。 「チィッ!」 『フェンリルソード』を『ナザルネイル』で弾き、リリスモンは素早くブリッジで後ろへ回避。 返す刃が先程までリリスモンのいた場所を切るが、 ーーーまだ攻撃は終わっていない。 空気が凍りつき、氷の刃となってリリスモンへ迫った。 彼女の纏うドレスの裾が氷に囚われて張り付く。 「ちょっと!?」 眉根を寄せ、咎める間もなく距離を詰めてくる白鳥の衣の戦士に舌打ちし。 素早く自身の爪を振るうことで凍りついた裾を切り裂き、脱した。 ガキィン! 爪と剣がぶつかり合う。 爪を繰り出すと見せかけ、闇色の吐息『ファントムペイン』が繰り出されるが。 ーーーおっと。 竜巻のような回転と上昇で回避。 そこへ下からリリスモンが迫る。 突き上げるような掌底を受け、羽根のように軽く打ち上げられた。 追い討ちをかけるため更に上昇したリリスモンだが、目前でくるりと宙回転をされた直後。 その腹部へヴァルキリモンの蹴りが突き刺さる。 「がはっ!」 真横に吹っ飛んだ先には壁。 激しく叩きつけられた部分に亀裂が大きく入り、何かがリリスモンの懐からこぼれ落ちた。 それは、床を転がりながら、うつむくシルフィーモンの手に当たって止まる。 ーーー流石は七大魔王が一人。まだ息は上がってないようで何よりだよ。 「ふざけっ…!」 涼しげなヴァルキリモンの声に苛立たしげに返しながら、壁に空いたスペースから身体を出すリリスモンだが。 (……此奴、こんなに強い奴だったか?) 激しいぶつかり合いを再開しながら、リリスモンは思った。 彼女の記憶している限り、ヴァルキリモンの強さは代にもよるが究極体としては中の下を出ない。 そも彼らの役割は勇者の再生と記録の管理・保存であるため、そう表立って戦場に出てくる機会はない。 「……貴様、永遠の闇の中で悠長にトレーニングにでも励んでいたのか?」 ーーーははっ、貴方にしては面白いジョークだ。無論、違うよ。バックアップは受けているけれど、企業秘密と黙秘権のハッピーセットだ。 「……」 探るような眼差しで、リリスモンは次の一手を模索しーー そこへ、今度は蒼い疾風が斬り込んできた。 「!」 掠めた肩口の傷を押さえながらリリスモンは新手を睨む。 「ロイヤルナイツまで来たか」 「間に合ったようだね。……すぐに援護が来る、観念した方が良いよ」 蒼い疾風ーーアルフォースブイドラモンは言いながら、片腕から伸ばした光の刃を突きつけた。 遠くから戦闘音が聞こえたと思うと、数体のデジモン達が駆けつけてくる。 その中にはグルルモンも混ざっていた。 「お、おい、あいつ…」 「リリスモン!?七大魔王がなぜここに!」 「あっちの、白いデジモンは誰だ?」 グルルモンが脇からシルフィーモンと美玖の脇へと走り抜けて駆けつける。 「遅レテ済マナカッタ、ーー美玖ハドウシタ?無事カ!?」 「……」 シルフィーモンは答えず、手に当たった物を見た。 それはアンプルのようだ。 ラベルには中国語の文体で『進化霊丹』と書かれている。 (……私に、進化できるだけの力が、あったなら……) 「シルフィーモン?」 グルルモンの再度の問いで我に返り、無造作にアンプルを掴むシルフィーモン。 彼はそれを…自らの懐へと押し込んだ。 誰もその行為に気付く者はいない。 持ち主のリリスモンでさえだ。 もし美玖が意識を失っていなければ、薬の危険性を訴えて止めていただろう。 「リリスモン、お前に尋ねたいことが山ほどある。覚悟しろ」 黄金の鎧を纏う姿を認め、いよいよリリスモンの表情の険しさが増した。 「……興醒めだ、ここまでだな」 「待てっ」 踵を返した後ろ姿を追おうと走るアルフォースブイドラモン、マグナモンの目前で広がる闇のオーラ。 リリスモンがパチリと指を鳴らすと、粉塵爆発を起こしたかのような連鎖爆発が起きた。 「…くっ!」 マグナモンがバリアを張り、『ファントムペイン』の拡散を防ぐも、そこから先の視界は見えなくなっていた。 ……… エレベーターへ駆け込み、四階のボタンを押す。 四階にはダークエリアへと繋いだポータルがある。 元々、強欲を司るバルバモンが張ったものだ。 「……ほんっっっっっっ……っっとに最悪だわ」 溜めに溜めた言葉を吐き出し、リリスモンは壁にもたれる。 意味不明・予測不可欠の出来事が多い。 「ヴァルキリモンの奴もだが、なぜイーター共が…」 デジタルウェイブの流れを変えたことでダークエリアに雪崩れ込んできたイーターの大群。 初めてあれを見た時は何の冗談かと思っていた。 総力を挙げなければならなかった程、手を焼いた事を未だ覚えている。 「本当に、一体、何の冗談よ!なぜ本来なら世界の外にいるはずの奴らがーーー」 その時である。 剥き出しの肩に、冷たいものが置かれたのが。 それは、土気色の人間の手だった。 反射的にリリスモンが振り返り、"そいつ"と目が合った。 「お前、はーー」 四階に着くエレベーター。 戸が開かれると、中はモノクロカラーのチラつく空間となっており。 そこにリリスモンの姿はなかった。 ーーー 玖……美玖…! 時間を置いて浮き上がる意識の中で美玖は声を聞いた。 「…美玖、美玖!」 今度ははっきりと聞こえたシルフィーモンの声。 目を開くと、全身手当てをされたシルフィーモンとその脇にいるラブラモンが覗き込んでいた。 「……ラブラ、モン?」 「せんせぇ!」 ラブラモンが泣きながら美玖に抱きついた。 (私は、生きてる…?) 「目ぇ覚ましたか」 シルフィーモンとラブラモンの後からやってきたその人物に美玖は安堵の表情を浮かべた。 「阿部警部…」 「例の組織についてはこちらも警戒態勢を敷いたりしてたが、まさか七大魔王とやらが絡んでたとはな。すまん、五十嵐。俺は話に聞いた限りだが無事だったのが不思議だったんだぞお前ら」 「全く、だ。私も駄目かと思った」 シルフィーモンが目線を美玖に向ける。 彼の目は装着したゴーグルに隠れたままだったが、心配の色を滲ませているのはわかった。 「究極体相手に殴りかかるなんて…殺されてもおかしくなかったのに」 「……あの後、何が起こったか聞かせて貰えるかしら?ワイソンさんは無事?」 ーーリリスモンが撤退した後、組織の拠点内は隅々まで彼らデジモンによる調査が始められている。 美玖とフレイアはシルフィーモンが、ワイソンはマグナモンが引き取り、後日各々の国の医療施設へと送還された。 リリスモンに殴りかかる前に美玖がワイソンの懐へ押し込んだフロッピーディスクは、無事彼によって香港政府へと届けられたようだ。 組織の目的が明るみに公開されるまで時間は要するようだが。 「それじゃ……ここは、日本の病院、なのね?でもラブラモンは…」 「ああ。…それについては、三澤警察庁長官から伝言だ。エジプト政府との取り決めは解除された。アヌビモンの意志により、今後とも身柄は五十嵐探偵所のものとして扱う…ってな」 「そうなの?」 美玖が驚いてラブラモンを見る。 パタパタと尻尾を振り、彼は頷いた。 「うん。せんせいのところがいちばんおちつくから」 「俺は今から、担当の医師を呼んでくる。お前達もあまり長居しないようにな」 阿部警部が退室すると、シルフィーモンは背後へチラリと目線を送った。 「……また君を守れなくてすまない、美玖。あの時私を置いてでも逃げて欲しかったのだが」 「ダメ、そんな事言っちゃ。シルフィーモンは私の、大事な助手なんだから」 言い張る美玖にため息を一つ。 「良いか、君は忘れてると思うが。契約上私の本来の役割は、君の探偵所に不足した人材の穴埋めと用心棒を兼ねたものだ。助手はあくまで肩書きに過ぎない。前にも言っただろう…早くデジモンの人材は雇うべきだ、と」 「あなたとグルルモンがいるじゃない」 「その認識がダメだと言ってるんだ。……グルルモンはともかく、私は元々傭兵のようなものだ。金の分働いたら、君の元を去ることだってできるんだぞ」 「……でもね」 横からラブラモンが口を聞く。 「しるふぃーもん、じぶんがいなくてもだいじょうぶなように、せんせいのこうざにじぶんがいぐどらしるのしょうしゅうでかせいだぶんのはんぶんいじょうをこっそりふりこんでるんだよ」 「ラブラモン!?なぜそれを」 「……あの、誰からのかわからない結構な額の振り込み、シルフィーモンからだったの……」 慌てるシルフィーモンを前に、美玖が思わず笑う。 「怖かったから手出さないでいたんだけど…あなたからのなら安心かな」 「いや……その、これは…」 「えへへ」 「……そろそろ医者が来るから我々はこれで失礼する。ラブラモン、どこで知ったか今から聞かせて貰うからな!」 早口で言いながらラブラモンを抱え、退室していくシルフィーモン。 また後でねと手を振り、美玖は一人になった病室の窓を眺めた。 ……今回はあまりにも、衝撃的なことばかりだった。 これで、例の組織によるデジモンの事件は収束を見せる可能性はある。 組織は壊滅したのだから。 …しかし。 (……あの時、私が彼らを、解き放たなかったら) 組織の人間の半数以上が全滅。 ロイヤルナイツが確保したのはわずか20人に満たなかったという。 そして、阿部警部から受け取った、イーターというものに関して詳しく書かれた記録も読んだ。 イーターに捕食された者は、デジモンならデジタマに戻ることがなく、人間ならば死亡はないが永久的と思しき植物状態に陥るという。 データを食餌とすること、データを捕食によって摂取すればするほど形態を変化させる等々の判明している部分があるが未だ正体不明の捕食者である。 (何も知らなかった私は……どうすれば良いんだろう) 今回、医師の診断により、打撲以上の負傷は見られなかったため一日一泊のみの入院で済むこととなった。 ーーー だが、安寧の終わりは早かった。 「ええと…これが例の書類で……、FAX必要か。ちょっと、近くのコンビニに行かないと」 病院から帰って早々。 今回の組織の件含め、幾つもの報告書に必要な書類の送検とそれに必要な書類そのものを確認していた美玖。 未だにFAXを要求される時代であることにため息をつきつつ、財布と書類をかき集めてバッグへ押し込んだ。 外へ出ると、グルルモンが腰を上げる。 「一緒ニ、行クカ?」 ちょっと考えたが、首を横に振った。 コンビニまでは徒歩で5分とない。 「大丈夫、そんな遠くないし」 「グゥウウ…ソウカ」 断るとグルルモンはガレージに戻っていく。 ちょっとコンビニで用事を済ませに行くだけだ。 そう思っていた。 ―― 印刷とFAXの送信を終えたので、コピー機から印刷物と残りの釣り銭を取った時だった。 どくん。 「っ、あ…」 突然下腹部を襲う熱と脈動。 苦しいとか痛いとかはなくて、只々強い疼き。 「お、お客様?」 近くにいた女性店員の声で我に返る。 どうやらファイルと財布を持ったまま床に膝をついていたらしい。 「大丈夫ですか…?顔色が良くないようですが」 「ありがとうございます。だ、大丈夫です!」 女性店員の手を借りて立ち上がるが、まだ身体の…奥が熱くて疼く。 コンビニを出ると、疼きも熱もより一層ひどくなってきた。 こんな事になるなら、グルルモンの背中を借りていけば良かったと思うのも束の間だった。 背後に、尾行の気配。 気配を隠す気のない足音に美玖も足運びを早めようとした。 が…。 ずくん 「…は…ぁあ、んあっ…」 視界が歪んでいく…。 一体どうなったら、こんなにひどい状態になるのだろう? 寄りかかる壁もなくコンクリートの地面に膝をつく美玖に、足音の主が追いついた。 「へへへ…」 相手は男。 中肉中背の推定40歳ほど。 頭がぼうっとしてきて思考が追いつかないが、鼻にツンとアルコールの臭いがつく。 安酒を飲んだ後か。 「へへ、良い匂いした姉ちゃあん。そんなとこで突っ伏してどしたあ?」 男は呂律の回らない声で笑いながら美玖へ歩み寄る。 「はあ、はあ、はあ…」 立ちあがろうと足に力を込めたが、うまく力が入らない。 もたついているうちに男が彼女に乗せかかってきた。 「く、あ…!」 その重みに呻く。 危うく後頭部を打つ所だったが、それどころではない。 男の手がブラウスの上から小ぶりな胸を掴むように伸ばす。 「うぅ、あ、くぅ、っあ」 「はあ、はあ、ひ、ひひっ!」 涎を口から垂らす男の様子は異常だったが、異常なのは美玖の身体も同じだ。 男の見目は典型的な醜男そのもの。 こんな男に胸を揉まれて喜ぶなどまずありえない。 その筈なのに。 「んあっ、はっ、はんっ、ああっ」 揉まれれば揉まれるたびに。 揉まれる胸が、お腹が、…身体の奥底が、かっと熱くなっていく。 心地良くなっていく。 「へへ、こんなに固くなっちゃって、ヤりたかったんだろぉ?」 「んんっ!」 ぎゅうっと両胸の先を指でつままれて美玖は激しくのけぞった。 かろうじて残った理性で、頭を回転させようと努める。 すぐそばでカチャカチャと軽い金属音が聞こえる。 ベルトを外す音とわかると身体の熱が高まるのを覚える。 ……期待してしまっているのだとわかった。 「さて、早く戻らなければシスターに怒られてしまいますね…」 メモを手に、そのデジモンはちょうどコンビニを曲がった狭い道を低空飛行していた。 彼が戻る場所はC地区にあるため、最短で帰りつくならちょうどいいルート。 ーー奇しくも、それにより異常を見つけることになろうとは思わなかった。 「……おや?」 道の途中で、倒れた若い人間の女とそれに乗りかかる人間の男を発見したのはその時である。 時間帯は夕方。 辺りは薄暗く、人通りの少ない夜道で行われようとしている行為に彼は当初異常を感じはしなかった。 (逢瀬、でしょうか。随分と人間の歳の差は離れているようですが) だが、近づくにつれて、彼は異常を察知し足を止めた。 女の全身から闇の力が発散され、それに触れた男の様子も明らかに正常な精神状態のそれではない。 そして、女はなすがままのように見え、しかしその手は男の体を力なくも押し除けようとしていた。 「何をしているのですか、貴方」 それは、どちらに向けたものだったか。 地に足を付けて降り立つと、男を素早く引き剥がした。 「あ…」 「やめなさい!彼女から離れなさい」 引き剥がされた男がじたばた暴れる。 ベルトを外し、半分ほど尻がはみ出しているがまだ行為に及ぶ手前の様子。 女の方は幸いにも未遂の状態だ。 「くそぅ!なんだテメェ離しやがれこのー」 理性を失っている様子ならば、やむおえず。 その首元に手刀を打ち込む。 声もなく男が倒れ、