篠突く雨、うっすらと靄がかかる峠を通る車はほとんどいない。
その、車を停めるに必要な、ギリギリ狭いエリアに一台の大型のバイクが停まっていた。
その大きさたるや、通常の大型バイクを二回り上回り、人間が乗るには足が完全に地面に着かぬほど。
そうでなくとも、このバイクはただのバイクではない。
自我に似たものを備え、自らが認めた主以外の者全てを容赦なく振り落とす。
この無骨ながら洗練されたマシーンの名は、ベヒーモスという。
「……遅ェ」
そんな事を呟きながら、バイクに背を預けるのは一体のデジモン。
黒と灰のレザージャケットにカラスを模したような仮面を身につけた長身痩躯の男。
どこか、ベルスターモンを彷彿とさせる外見の持ち主。
赤色の瞳を細め、苛立たしげに遠くの山を見つめる。
「早く来い、いつまで待たせる?」
デジモンの苛つく声は、雨音にかき消されていった。
こちら、五十嵐電脳探偵所 #22 妖精はキューピッドになり得るか?
ーーそのデジモンが探偵所を訪れたのは、営業開始から30分過ぎてからだった。
「おう、失せ物探しならデジモンでも受付の構わん探偵所ってのはここでええか?」
そう言いながら入ってきたそのデジモンに対する反応は、美玖とミオナ、シルフィーモン達で大きく違っていた。
美玖とミオナからすれば、色々と情報量の多い外見をしていた。
赤で統一された色彩の鎧。
潜水服を思わせる頭の防具。
そして八本の腕。
多腕の人型デジモンといえばアシュラモンだが、それを超えるインパクトのある容姿だ。
だが、シルフィーモン達の反応は違う。
ラブラモンにしか見えてないが、ヴァルキリモンも驚きの表情を隠していない。
「落とし物ですか?でしたら、こちらへどうぞお掛けください。詳しくお話しを……どうしたの?」
美玖がシルフィーモンとラブラモンの反応に気づき訊ねる。
「せんせい、そいつ、おりんぽすじゅうにしんのいったい」
「…えっ?」
後ろでそのデジモンが咳払いする。
「あまり騒がしくされちゃ堪らんが、ワシはウルカヌスモン。イリアス一とは言わんが、鍛治を生業としておる」
「ウルカヌス…ギリシャの鍛治の神ヘファイトスと同一視されるローマの…?」
美玖の隣に湧く気配。
それを見たウルカヌスモンの目がカッ開かれた。
ーーーまさかオリンポス十二神、数々の武具を手がけた名うての鍛治職人がここに来るとはね。
「…テメェっ、ヴァルキリモン!?なぜ現実世界にいやがる!」
ーー
「……な、なるほどな。何事だと思ったが、…コキュートスのガルフモンねえ」
来客室に通され、事情を聞かされたウルカヌスモンは唸りながら茶呑みをあおる。
改めて素性を聞かされた美玖は、そっとヴァルキリモンに尋ねた。
「お知り合いなんですか?」
ーーー私、いや、代々のヴァルキリモンは勇者の魂を求めてあらゆるOSの管理するデジタルワールドを飛び回っていたからね。イリアスのオリンポス十二神とはある程度の面識がある。それに……。
意味深な視線をラブラモンに投げかけるヴァルキリモン。
ーーー数代前のアヌビモンが職務放棄した上でイリアスにカチコミをかけてきたのを見かねた先先代のヴァルキリモンがイリアス側へ援護に行った縁もね。
「せんだいの"くろれきし"だ、あれは」
「どういう事です?」
ーーーそれについて話すと長くなるから、今は彼の依頼に集中しようか。…それでウルカヌスモン殿、先程失せ物探しと言っていたが、まさか商売道具でも無くした…というわけではあるまいね?
ヴァルキリモンの言葉にウルカヌスモンは頭を抱えた。
「否定はせんが、テメェはいちいち癇に障るから嫌ェなんだよ」
「どこでなくされたか、心当たりのある場所はありませんか?」
「……あるんだが、どこそこという場所かって説明するのは名前を知らねえし面倒くせぇ。今から案内してやるからついてきな」
「あ、はい……」
ーーーー
その日は晴天なり。
陽の光を受けた水面がキラキラと輝き、深みのある蒼色をより際立たせている。
連れてこられたのは、そんな美しい海の広がる光景を望める広大な公園だった。
「…『ぴゅありい臨海公園』で落とし物ですか」
「おう、そんな名前だったのか。現実世界(こっち)に来て早々、用を足したくなってここのトイレに駆け込んでよ。戻ってきたらこっちで依頼人に渡すはずだったブツとワシの商売道具が消えやがった。…その辺りでなくしたと思うんだが」
「関係があるかはわかりませんが、この臨海公園、ちょっとした噂があるんです。私の友人で朝奈という子から聞いた限りなのですが……」
曰く。
ここ、ぴゅありぃ臨海公園は、開園から30年ほど経つのだがある噂がある。
それは、縁結びの噂。
散歩、あるいは出会ってすぐか。
仕掛け人のわからない不思議な悪戯に見舞われた男女がカップルとして結ばれると地元で知られた場所だ。
悪戯の多くは、男女どちらかが何者かに突き飛ばされて倒れかかったところを片方がそれを受け止める、など。
いずれも互いの距離が非常に近くなる事を意図されたものであるが、未だに悪戯を仕掛けた者の正体は不明。
デジモンだの、或いはキューピッドが実在していただのと噂されてはいるがただ一つ判明していることがある。
「…その、縁結びの悪戯が来て成立したカップルは、いずれも成立前から互いを意識していたり元から恋愛感情を持ちながら打ち明けあえていなかった人間同士なんだそうです」
「ほう?」
「縁結びを当てに、下心から気になっていた異性をデートに呼び出す人はいるそうなんですがその様な人達に悪戯は絶対来ないのだとか」
また、失敗例もあるがその場合は間が悪かったり片方が最悪な対応をしてしまった事がほとんど。
いずれにせよ、縁結びの悪戯そのものが一種のドキドキを提供してくれるスポットとして有名になり、歓迎されるようになっているのだった。
……で。
「今回は依頼人のウルカヌスモンさんに私とこちらのシルフィーモンのみで同行させていただきますね」
「おう、別に構わんよ」
ーー性別の持たないデジモンのみとの同行なら、おそらく悪戯は起こらない。
そう、美玖は思っていた。
…だが、思い違いでもあった。
確かにデジモンは性別こそ持ち合わせないが、"恋をする生き物"であることを、美玖は知らなかった。
デジモンは戦闘種族、戦闘本能こそが彼らの礎。
そんな生き物が恋などするはずがないーー
そうとすら、思っていたのだから。
「きゅきゅ、きゅ!」(ねえねえねえ!
「きゅっきゅきゅ、きゅーきゅーきゅー!」(ターゲットにできそうなの来たよー。
「早速心の中を覗くっピよ!」
「ええい、待て待てい!全く、お前達ときたらせわしく口煩いことこの上ない」
複数もの小さなピンク色の生命体に囲まれ、鬱陶しげに胡座を解くのは鴉天狗のような容姿のデジモン。
ピンク色の生命体には二種類おり、うち一つはフワフワした体毛に覆われた丸い胴体と透明な虫の翅に小ぶりの槍を持ったもの。
もう一つは、人間の手のひらに収まってしまえるほど小さく、幼年期デジモンのコロモンに身体を取って付けたような容姿だ。
その首には金色のホーリーリングが輝いている。
彼らもまた、デジモンだ。
「…ふむ、こいつらを……て、ウ、ウルカヌスモン!?オリンポス十二神がなぜここにおる!」
フワフワの体をしたピッコロモンが映し出す映像を見た鴉天狗が驚きの声をあげる。
多くのデジモンの知る限り、オリンポス十二神はデジタルワールド・イリアスにおいてロイヤルナイツに相当する存在。
それが現実世界はおろか他のOSが管理するデジタルワールドに出張る事はそうそうないはずだ。
「きゅ?きゅきゅー」(ほんとだー。珍しいねえ。
「誰かに依頼されたのかっピね?お仕事で人間の世界まで来るとは思ってなかったピよ」
「きゅきゅきゅー!」(さあさ、『悟って』『悟って』!
「サ!ト!リ!」
「きゅ!きゅ!きゅ!」(サ!ト!リ!
「わかった、わかったから静かにせい!集中できぬわ」
片手で周りの小さなギャラリーを振り払い、鴉天狗カラテンモンは周りにいる彼らが目を付けた者……美玖とシルフィーモンに向けて特技を行使した。
その特技とは相手の心を読む『サトリ』。
本来は戦闘において敵の思考を読み自身が有利な方へ戦況を傾けるため使用する特技である。
「どうっピ?」
「………ふむ、この感じは悪くなさそうだ。思惑あって、互いに感情を隠しておる。…じゃが、何かをきっかけに引き剥がせる程度には、脆いの」
視えたものへの所感をカラテンモンは告げる。
「きゅきゅっ、きゅ?」(どーいうこと?
「要は互いに懸想し合うているが、その感情にどちらも気づかぬまま自身のそれを隠し合っているという話だ」
「お互いに片想いて事っピね!」
「きゅきゅ」(そっかー!
ピンク色の、もう一種のデジモンの一匹がくるりと宙回転。
その名はマリンエンジェモン。
…愛らしい外見やサイズからは信じられ難いが、れっきとした究極体デジモンである。
「きゅー、きゅっきゅ!」(じゃあさっそくくっ付け作戦いってみよー!
「行ってみよっピ!」
「おう、とっとと行って…ぬおっ!?」
一人ここで待つ…と思っていたところ、ぐいぐいと大勢に引っ張られるカラテンモン。
「わかった、わかったから!無理やり引っ張るでない!頼むから!!」
……………
「このトイレで間違いないですか?」
「おう」
美玖の言葉にうなずくウルカヌスモン。
場所は臨海公園に入ってすぐの歩道を2キロ程の進んだ先にある公衆トイレ。
デジモン用のトイレの壁の真白さと元からあったトイレの壁の汚れが、それぞれの設置された時の違いを想起させた。
さらに、所々にバグがかかったような痕跡が見られるのは、25年前に起こったイーターの襲撃の爪痕である。
「警察に届け出はしたのですか?」
「いんや、そんなモン知らなかったしアテもなかったしのう。その辺を歩いてた人間を捕まえて聞いたが、デジモンならここで尋ねれば良いんじゃねえかと紹介されたわけよ」
「それでか……」
美玖が早速ツールのライトを起動する。
ウルカヌスモンの足跡の他に、新しい痕跡がないか調べる必要がある。
見れば、黒い羽根がデータのチラつきを伴って落ちていた。
「デジモンの羽根か…」
拾い上げ、早速ツールにスキャンを行う。
ホログラムに載ったデジモンを見て、シルフィーモンは怪訝そうにつぶやいた。
「カラテンモン?こいつの仕業ということか」
「カラテンモン…」
鴉天狗そのものの見た目に美玖は尋ねる。
「どんなデジモンなの?」
「大天狗デジモンの部下と言われてるが、私もよくは知らない。ただ、こいつには厄介な能力があることはよく知られている」
「能力?」
「こいつは相手の思考を読むことができる。『サトリ』とかいったな…」
そこで、美玖の口から声が漏れた。
「思考を読むって……まさか、悪戯の犯人って事?」
悪戯を仕掛けられた男女のほぼ全員が、お互いに隠しての相思相愛や片想い。
そして、仕掛け人不明の悪戯。
ならば思考を読むという能力はあまりにも都合が良すぎる。
だが、シルフィーモンは首を横に振った。
「恋人同士になるよう仕向ける意図がわからない。サトリを使うのはあくまで戦いの為のはず。…だがウルカヌスモンの仕事道具を持ち去ったのはこいつで間違いないと思うのだが、どうだ?」
「ワシの手製の武器が目当てならば取り返さにゃならん。今回はある依頼人(クライアント)からメンテナンスを任された代物でな、ワシでなければできん仕事だ。だがな、それゆえにワシの作った武具を狙っとる輩も多い…此奴が犯人ならば取り戻すまでよ」
「あなた程の職人はそうそういないからな…だからこそその武具を持っているだけで"箔"がつくと狙う輩がいるのは事実」
ウルカヌスモンは自身が認めた者にしかその手腕を振るわない気質を持っている。
肩をすくめながらシルフィーモンは美玖の方を向き直った。
「美玖、カラテンモンの痕跡は他にもあるか?あればそれを辿る」
「あるわ」
「なら、歩こうか。新しい痕跡を辿ってくれ」
ーーーー
(きゅきゅ、きゅ(どうする、どうする?)
空から彼らを見下ろし、マリンエンジェモンらとピッコロモンらはぺちゃくちゃと相談に入る。
(どうするっピ?ワガハイがここで仕掛けに行ってもいいっピ?)
(きゅきゅ!(ぼくが行くー!)
(きゅ、きゅきゅ?(どういくの?)
別のマリンエンジェモンに尋ねられ、くっぷっぷと企むような笑みを浮かべ。
(きゅきゅきゅ、きゅーきゅー!(それはもう!後ろから突き飛ばしちゃう!!)
……ここで回想。
(後ろから突き飛ばされ、シルフィーモンの胸へ倒れ込む美玖)
『ああっ……し、シルフィーモン…』
『心配いらないよ、美玖…私がちゃんと受け止めてあげるから』
(見つめ合う二人。その視線は情熱的に絡み合い、やがて……)
(きゅっきゅ、きゅっ、きゅっ、きゅーっ!(…という訳なのだ!)
(それ良いっピね!)
(きゅ、きゅきゅっ!(というわけでやってみよー!)
((おおーっ!!))
「……」
それを側から見て、カラテンモンはひとりため息を吐いた。
彼らの考えた事など『サトリ』を使わずともわかる。
だからこそ、こう思う。
(大丈夫かマジで)
と。
……………
さて、そんな企みが裏で交わされているとも知らない美玖達。
ツールに読み込んだカラテンモンのデータを利用し、照合させたライトで痕跡を探す美玖。
彼らが探索している場所は、海の見渡せる広けた道だ。
その後ろから忍び寄る、一匹のマリンエンジェモン。
最初の企みを提案した一匹だ。
(きゅー……(せーの……))
美玖の背後に忍び寄り、勢いをつける。
美玖の前方、すぐ手前にはシルフィーモン。
更にその前をウルカヌスモンがいるという配置。
美玖に狙いを合わせ、飛び出した…その時!
「あっ」
美玖が何かに気づき足を止める。
「どうした?」
「ちょっと待って、靴紐緩んだみたい」
(!?!?)
ローファーの靴紐の緩みを直すため、美玖がしゃがむ。
押すべき背中を見失い、スピードを殺しきれなかったマリンエンジェモンはシルフィーモンの脇を通過。
「ん?」
シルフィーモンが横を通り過ぎる気配に足を止めた目の前で。
「うおおおおおおおおおおおっ!!?」
ウルカヌスモンが切り立った崖からバランスを崩し落下していった。
言わずもがな、犯人はスピードを殺しきれず突っ込んでいってしまったマリンエンジェモンだ。
上空からそれを見たカラテンモンとピッコロモン達が絶叫。
「何してんだよ!!!!」
「こ、これじゃあ…!!」
火曜サスペンスのBGM、崖の下で変わりはてたウルカヌスモンの姿。
新聞のトップにデカデカと
『ウルカヌスモン暗殺事件 ぴゅありぃ臨海公園の悪戯が死を招いた!? 殺神事件の真相は!』
という煽り……。
ーーという妄想が走馬灯の如くマリンエンジェモン達の間によぎる中、崖下から猛烈な勢いで走ってきたのはウルカヌスモン本人だった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
全力疾走で整理された道を駆け上がるウルカヌスモン。
シルフィーモンと、わずかに反応の遅れた美玖の目の前まで走ってきた彼は完全に息を切らしていた。
「だ…大丈夫ですか!?」
「はぁ…はぁ、あ、荒事は不得手じゃが、はぁ…はあ…、ワシとてオリンポス十二神の一角…この程度で倒れる、ほどヤワでは…はぁ…ないわ…」
崖から落ちこそしたものの、彼自慢の鎧でダメージは軽減されていた模様。
「なぜ崖から落ちたんです?」
「ワシにもわからんよ!崖下にないものかと覗いた後ろから突然、何かがぶつかってきてバランスを崩したとしか!」
「………」
ウルカヌスモンの言葉に、思考を巡らすシルフィーモン。
ウルカヌスモンが落ちる数秒前にほんの一瞬、視界に入った高速飛行物体。
美玖に意識を向けていたこともあって、視界の端から全容を捉えるに至らなかったが。
(少なくともあれは攻撃…とは思えないな。オリンポス十二神である彼を直接狙った不意打ちの一撃にしては威力が低すぎる)
究極体デジモンを殺すに落下のダメージでは不十分だ。
一瞬だけ目に入ったモノの正体を知る必要がある。
なら、次にも来るかもしれないそれに気をつけるまで。
………………
「きゅ、きゅきゅ〜」(ご、ごめーん…失敗しちゃった
「きゅきゅ?」(大丈夫?
「ヒヤヒヤしたっピよ」
戻ってきたマリンエンジェモンを他のマリンエンジェモンとピッコロモン達が取り囲む。
「ちょっと気をつけた方が良いっピ。あのデジモン、確か目が良かったはずだからバレたらどうなるかわからないっピよ」
「おう、あ奴、気づきかけとった。慎重にやらんとだぞ」
「きゅきゅー…」(気をつけるよー
しょぼん、とするのも束の間、すぐそのマリンエンジェモンは次の作戦会議のため同族やピッコロモン達とぺちゃくちゃし始める。
カラテンモンはその様子にもはや、何のリアクションも示さない。
…始めこそは呆れ果てていた。
だが彼ら、特にマリンエンジェモン達はこの悪戯によって得た人間やデジモンの恋する心のエネルギーを自分らの糧として食い繋いでいる。
それに悪戯好きであるピッコロモン達が乗っかって今の関係ができているのだ。
(…まったく、拙も甘くなってしまったものだな…。此奴らに助けられてしもうたが運の尽きかねえ)
25年前。
イーターによる襲撃事件の時、デジタルワールドから人間のいる現実世界に来た先で襲われたデジモンのうちの一体にこのカラテンモンもいた。
デジモンならばともかく、本能の赴くままデータを食らい尽くし取り込むイーターを相手に『サトリ』は通用しない。
危うく自身の肉体データを喰われかけ、逃げた先で迷い込んだのが、ピッコロモン達の魔法によってできた結界だった。
イーターの脅威から逃れるために張られた結界に助けられたカラテンモンは、以降、その『サトリ』の能力を見出されてマリンエンジェモン達に協力させられる関係として今に至る。
「カラテンモン、そろそろ次の作戦に入るっピよ」
「ほいほい」
ーーーー
「そうですか…ありがとうございました」
ランニング中の女性を呼び止めるも、得られた情報なく美玖は一礼した。
情報収集を始めて数時間経過、公園を歩く人に声をかけているが収穫は得られない。
…この合間にも"悪戯"は仕掛けられた。
「きゃっ!?」
突然清掃用の台車が美玖に向かって突っ込んできたのを、シルフィーモンが彼女を横から抱きかかえたり。
休憩所で突然できたぬかるみに転びかけた美玖を支えようとシルフィーモンも転びかけ、いわゆる『壁ドン』になったり。
突然蛇口が噴出、近くにいた美玖を水が直撃することで彼女のブラウスを濡らし、シルフィーモンの眼前で『透けブラ』を晒すことになったり。
さすがにこれが意図的なものである事にウルカヌスモンは気づいたものの、当の本人たちは何ひとつとして気がつかない様子だ。
心の中でツッコむウルカヌスモン。
(気づかんかい!!)
なおカラテンモンも同じ意見である。
実際、悪戯でそれなりの接触こそさせられているにも関わらず、普段から接触した日々を過ごしていたせいか悪戯と気がついている様子が全くない。
…透けブラになった瞬間、シルフィーモンの心に動揺の色を見ることはできたが。
それをカラテンモンが伝えると、マリンエンジェモン、ピッコロモン達も焦りだした。
「きゅきゅー…」(まずいよぉ…
「全然トキメキな雰囲気にならないなんて…こんな手強いの初めてだっピ」
「人間同士じゃないのがいけなかったのかなっピ?」
「きゅー…」(そんなー…
しおしおに萎れたマリンエンジェモン達。
流石に可哀想な有様ではあるが、悪戯が過ぎると次はバレかねないと危惧するカラテンモン。
(此奴らには悪いが、切り上げることを提案せねばならん。これ以上頻発しようものなら人間に悪い影響になりかねんからな…)
「おい、お前達。いい加減ここで切り上げ……」
「「「それじゃ最終作戦だっピ!!!」」」
……なぜそうなる。
カラテンモンの意識は30秒程漂白。
しかし、ハッと我に返った時には、たちまちマリンエンジェモンもピッコロモンもいなくなっていた。
「待て!待たんか!!あ奴ら、思いつきだけで行動しおって…知らんぞ」
ーーー
「や、やっと乾いた…」
先程まで透けていた下着の色が薄くなっている事に安堵の息を漏らす美玖。
控えめなバストとはいえ美玖も乙女。
目の前の相手が性別を持たないデジモンとはいえ反射的に見えてしまう部分を隠してしまうのは仕方のないことだろう。
…しかしシルフィーモンがかすかに顔を赤らめた事に気づくことはなく。
「うう…っ、なんか今日は変なことばかり起きる…」
シルフィーモンとウルカヌスモンの元へ戻ると、彼らは何か話を交わしている最中だった。
美玖に気づき、二体が振り返る。
「美玖、大丈夫か?ずっと胸を隠しっぱなしだったが」
「だいぶ乾いてきたから大丈夫。それより、何を話していたんですか?」
「うむ、実は報酬について少しな…」
言葉を濁すウルカヌスモン。
シルフィーモンが続ける。
「実は持ち合わせがないらしいんだ。依頼人の元へ届けに行くだけと思っていたらしくてな」
「まさかこうなるとは思わなんだ。そこで相談なんだが、ワシに仕事をさせてくれんか?カバンの留め具でもいい、修理の依頼でもあればこの件が完了次第にちゃっちゃとやらせて貰おう」
「そんな、良いんですか?」
美玖が訊ねるとウルカヌスモンはうなずいた。
「ワシとて仕事人、仕事をしてなけりゃ落ち着かんでの。武具に関しては使い手を見抜かにゃならんが、道具かつ誰もが使う物ならば息抜きになる。お嬢ちゃんの持ち物でないかの?そういう、まだ使えるが部品が使い物にならんで困っておるようなーー」
そこまで言い、ウルカヌスモンの目が美玖のある物に止まる。
それは、美玖の身に付けていたデバイス。
「お嬢ちゃん、それなんだが…」
「このデバイスですか?」
「そりゃ、オーパーツじゃないか。この感じからして、おそらくイグドラシル管轄のデジタルワールドの産物。ちょいと見せてくれんかね」
「ええ、構いません」
良いのか。
そんな事を思ったシルフィーモンをよそに、美玖がデバイスを外しウルカヌスモンに渡す。
ウルカヌスモンは早速、デバイスを手に取るやしげしげと見始めた。
「こりゃかなりの年代物だのう。普通に遺跡に眠ってるような奴じゃぞ。人間が手に出来るような代物じゃあない。…一体お前さん、どこでこんな物を手に入れたんじゃ?」
「貰ったんです。探偵所を師匠から引き継いだ時に……」
そこで、美玖は突然金縛りに遭ったかのように、身体の自由が利かなくなったのを感じた。
それに遅れ、シルフィーモンの身体も強張ったように止まった。
「えっ?」
「っ、何だ!?」
「な、何じゃ?」
まるでマリオネットのようにぎこちなく、自身らの意思とは違う動きに動揺する美玖とシルフィーモン。
デバイスを調べていたウルカヌスモンが思わず彼女達に目をやる。
まるで、小さいナニかが群がってしがみつき、無理矢理押しだそうとするような感覚を覚える一人と一体。
シルフィーモンが振りほどこうとするが効果は薄くすぐに押し出される。
強制的に変えられる身体の向きと体勢。
美玖とシルフィーモンは、互いに向き合うようになった。
(えっ…)
驚く間もなく背中から押し出され、グイグイと距離が縮まる。
シルフィーモンの後頭部に力を込められて体勢を低くするよう強制された。
美玖の顔が上がる。
そのまま、さらに距離が狭まり…
(ふぇ、あっ…!?)
ようやくことの事態に気づき、美玖の顔が紅潮した。
このままいけば、互いの唇が重なる。
(だ、だだだだ…ダメ!!)
動こうにも、小さな何かに集団でしがみつかれているような感覚。
シルフィーモンも故意にそのような動きをしている様子ではない。
ならどうしよう。
ウルカヌスモンも彼自身の武器に手をかけながら、事態の把握に必死だ。
唇が重なるまで、残りーーー
「だ、ダメえっ!!」
美玖が叫んだ瞬間、これまでにない程強く胸元の紋章がオレンジゴールドの光を放ったと思うと。
「うわっ!?」
オレンジゴールドの光が形作る巨大な剛腕、その拳に殴られたシルフィーモンが吹き飛んだ。
「きゅきゅー!?」
「きゅぴー!!」
彼と共に吹き飛ばされて、姿を現したのはピンク色の海洋生物のような外見をしたデジモン達。
それを見たウルカヌスモンが声をあげる。
「マリンエンジェモンじゃと!?…それに、今のは…」
上空から更に別の声が乱入してきた。
「い、今のなんだっピ!?」
「ええい、だから言っておろうに!」
姿を現したのはピッコロモン達とカラテンモン。
ピッコロモンの魔法によって姿を見えなくしたマリンエンジェモン達が、美玖とシルフィーモンにとりついていたのだ。
美玖にとりついていたマリンエンジェモン達の姿が、紋章による影響か見えるようになる。
「……えっ?」
「きゅ〜〜……」
美玖は戸惑った表情で自身の身体にしがみつく彼らと目が合った。
一方、シルフィーモンはどこぞの有名漫画作品めいて殴られた反動からまっすぐ後ろに吹っ飛び、コンクリート塀にクレーターのような亀裂を作りながら目を回していたのだった。
彼の周辺に15匹程のマリンエンジェモン達が背中から落ちて目を回している。
…幸い、軽傷で済んだ。
「やはりというか、デジモンの仕業だったとはな」
「きゅきゅー…」(ごめんなさい…。
「ワガハイ達、トキメキの感情をおまんまにしないとやっていけないんだっピ」
「拙は此奴らを手伝っておったのみだが、拙はともかく此奴らを悪く思わんでやってくれ」
「…それは、いいけど…」
その後。
カラテンモンが率先してピッコロモン、マリンエンジェモンらと共に土下座。
気を失っていたシルフィーモンも意識を取り戻して、話を聞きに加わっている。
「その、…びっくりしちゃった事は本当よ。でも怒ってなんていないわ」
「……ほんとっピ?」
「きゅきゅ…?」(ボク達のしたこと、迷惑じゃない?
美玖がうなずく。
そこで、マリンエンジェモン達が歓喜の声をあげて跳ねた。
「で、あんたに聞きたいんだが…」
ウルカヌスモンはカラテンモンを前に尋ねる。
「あんたか、ワシの仕事道具と依頼人の武器を盗んだのは。早(は)よう返してくれ」
「返すも何も、初めからあそこに置かれたままよ」
「な、なんじゃと?」
カラテンモンが答えるに、ウルカヌスモンが置いたのに術をかけ、見えなくしていたという。
「最近は置き引きが多くてな。拙の羽根で置かれた場所をひと撫ですれば術が解けるよう、置いておいたのだが…」
「早く言わんかそれを!!」
美玖がすぐ、スキャンに使ったカラテンモンの羽根をウルカヌスモンに渡す。
「すぐに行きましょう」
「だな、歩き損だったのが手痛いが…」
………
ウルカヌスモンが探していた道具は確かにトイレの隣に置かれたままだった。
とりあえずとホッとした彼を伴い、カラテンモンやマリンエンジェモン、ピッコロモン達に別れを告げて探偵所へと戻った。
「さて、料金の代わりとしてだ。このデバイスにワシが手を加えてやろう」
説明によれば、このデバイスは、アップデートが古いまま止まったパソコンのような状態であり、改良・改善が必要とされた状態だ。
そこで、ウルカヌスモンはイリアスの技術をデバイスに加えつつアップデートを行う事で、クールダウンの短縮や機能の追加、究極体デジモンにも通用できるまでの機能強化を行うという。
「本来なら、こういったモンの扱いは他の奴がやるべきかもしれんが…ワシも心得はあるからの。しばらく部屋を借りるわい」
「ど、どうぞ」
ーーー鎚を振るう。
鎚を振るって、デバイスの記憶媒体(メモリ)に技術を刻み込む。
この時、いつもならば彼はただ無心で作業を行うのだが…。
(まさか、"あれ"があのお嬢ちゃんの体内に潜んでいたとは…いつからじゃ?どこで?)
鎚がデバイスを打ち、概念的な火花が散る。
(最後に"あれ"を見たのは『銀の時代』…ついぞ地中で絶えたものと思っていたが…まだ潰えなんだか)
鎚の打つ音。
火花。
鎚の打つ音。
火花。
「…おっと、そうじゃ。折角じゃ、追加料金といこう」
道具袋を漁って触れた感触に、ウルカヌスモンは思い出したようにつぶやいた。
ーーー
ウルカヌスモンがデバイスを手に部屋から出てきたのは、彼が部屋に篭って6時間後。
すでに日が暮れ、探偵所は閉まって夕食の支度の行われていた時間だった。
「ほれ、出来たぞ」
「すみません、なんと言うべきか…」
「気にせんで良い。金が無ければ手に持った職の技で返すまでじゃからな。ホレ」
手のひらの上に転がされたそれは、使用感が微塵も見られない程に磨き抜かれていた。
いつも見慣れたデバイスが、新しく生まれ変わったような色合いを以って美玖の指に帰ってくる。
「新しく加えた機能と、前からあるもので改良した機能についてこの豆本を作っておいた。この手の道具を扱いこなすなら、学んでおくのがよかろう」
「あ、ありがとうございます」
「どんな機能が付いてるんだろうね!」
緊張やら嬉しさやらでデバイスを眺める美玖の脇から覗き込むミオナ。
(師匠に見せたら、驚くかな…)
それを見つめるシルフィーモン。
ウルカヌスモンは、手に天鵞絨の小箱を持ちながら、そんなシルフィーモンの目前までやってきた。
「…それは?」
「追加料金じゃ。…あのお嬢ちゃんにはまだ内緒だぞ」
…「まだ」?
そんな事を尋ねたそうなシルフィーモンに、ウルカヌスモンはかぶりを振った。
(こいつは、来たるべき儀に、あんたがお嬢ちゃんと開けるべきものじゃ。それまでは取っておけ)
小声で伝えながら、天鵞絨の小箱をシルフィーモンの手に握らせた。
…力を込めたら握り潰してしまいそうだと思う。
「それと、もう一つ」
「何だ?」
神妙な顔で再度小声で囁かれる。
あのお嬢ちゃんだがな、何か妙な変化が起きた時にはオリンポス十二神の誰かを頼れ。
場合によってはプルートモンをアテにするのも良い。
危険な賭けだがな。
………
雨が止んで、晴れ渡った空を見せた時にはすでに夜だった。
あまりにも長すぎる到着に、いい加減待ちぼうけもダラけるというもの。
バイクの上で伸びを仕掛けた男に声がかかったのはその時だった。
「…まさか、お前が現実世界に来ようとは思わなんだ」
「ああ?」
気怠げに男が紅く鋭い目を声のする方へ向ける。
そこに立っていたのは、鹿撃ち帽を被り、ロングコートを羽織ったアグモン。
帽子やコートの質感から、先程まで雨に濡れていたのだろう。
「なんだおめぇ」
「雨宿りのできる場所がないかと探しているうちに止んでしまってな。…まさか、ここで意外な顔を見つけることになるとは。七大魔王が一人、ベルゼブモン殿よ」
探偵アグモンが口を開き、しばしの沈黙。
冷たい風が吹きつけ、湿った匂いを漂わせる。
「……俺に大した用がねぇなら去れ。こっちは待ち人がいんだよ」
「邪魔はせん。歩き詰めだからの…近くで腰を下ろさせてもらうぞ」
武器・ベレンヘーナを届けに鍛治神が来るまでの間。
それまでの間、この不思議な沈黙は守られるのだった。
遅くなってしまいましたが感想を書かせて頂きます、夏P(ナッピー)です。
カラテンモンとは想定外でしたが、んほおおry 的なことしといて両片思い状態だったんですかこの二人。まさしく王道のラブコメみたいな微笑ましいことしてますが、もっとエグいこと既にこなし済みじゃん!! 今回の依頼が骨折り損だったこともあってか、完全にキューピッドがキューピッドなだけであった……妖精?(ギラリ)
ちなみに当初、キューピッドという表記の所為でピッドモンを想定していたのは内緒。普通にピッコロモンとマリンエンジェモンの妖精コンビでした。此奴らを探偵事務所に連れて来れば抱けェーッ抱けェーッ系ポジションとして定着できるのではと思ったのでした。
冒頭でどう見てもベルゼブモン! ベルスターモンに似た~とベルスターモン側から描写されるのが珍しいなと新鮮な驚きを感じつつ、これウルカヌスモンが出てきた回にベルゼブモンってことは、ベレンヘーナが絡んだ何かが!? と思ったら最後の最後にやっぱり!
師匠込みですがデジヴァイスによるパンチは何!?
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。