第一話:初めての電子的なふれあい
その日、俺は上司にミスを指摘され、こっぴどく怒られ、沈み込んだ気分での帰りだった。
「……はぁあ……」
人気のない夜の道を、重い足を引きずるようにとぼとぼと歩く。
もっと気をつけていれば、気づけていたミス。
こうしていれば、ああしていれば。
沈み込んだメンタルは思考に悪循環をもたらし、ぐるぐるぐるぐると巡っている。
こういう時気づけば元気の前借りに手が伸びてしまうけれど、今はそんな余裕もなく。
「随分お疲れのようですね」
横から現れた若い女性に呼び止められたと気づくのにも時間がかかった。
あ、かなり可愛い子…。
「もしよろしければ、こちらでひと息休んでいかれますか?今の時刻でしたら半額でご利用頂けますよ」
指差す方を半ば無気力に見やれば、看板を構えたカフェのような店。
今は夜中の21時だが、営業中のようだ。
店名は、『Digital Life On Touch』。
中を覗くと、二人の女性がそれぞれ個別のドアへ入っていくのが見えた。
「えっと…ここは…」
「こちらは電脳生物と触れ合うカフェとなっております。お客様には専用のVR空間で様々な電脳生物との触れ合い体験をさせていただいているんですよ!」
いわゆる、猫カフェなどの体裁を持ったVR体験らしい。
電脳生物、というのはよくわからないが、アニマルセラピー等の効果が覿面と証明されているとかなんとかまくしたてられる。
「お客様、かなりお疲れのようですので、こちらで触れ合いを行い癒されてはいかがでしょう?」
「は、はあ……」
この分だと終電を逃しているだろうし、仕方ない。
俺は、このカフェで一泊することを決めた。
「まずは、時間とオプションを選んでいただきます。お客様は今回が初めてですので、こちらの『幼年期コース』がオススメですよ」
受付の女性から手渡されたバインダーを見ると、色々と書き込む項目がある。
年齢、性別、生年月日と基本的なものの他に、アレルギーや持病の有無についての質問まであった。
俺は特にこれといった問題は抱えていないため、基本的な情報だけを書き込んで、朝までの利用を選択した紙を渡す。
コースについては…幼年期の他に、『成長期』『成熟期』『完全体』『究極体』というわけの分からないものがあったがパスだ。
「それでは、お部屋に案内します。お食事等の注文がございましたら壁のブザーを押していただければお伺いしますので」
「あ、ありがとう」
…通されて入った部屋は、一見寂れた子ども向けのプレイルームのようだった。
こんな所で生物と触れ合うのか?
そんな疑問を持った俺に、女性の店員がヘルメットのような物を渡した。
「それでは、こちらのVRヘルメットを装着して下さい。また、もし電脳生物に異常異変が見られましたらブザーでご連絡くださいね。すぐに対応いたしますので」
女性店員が退室し、俺は恐る恐るヘルメットを頭に着けた。
頭の中でキュイーンと響くような音がしたと思うと、視界に何かが入り込んできた。
「お、おおお……?!」
まるで異世界に放り込まれた気分だ。
目の前に、何匹もの妙な生き物が跳ね回っている。
足のないものが多いが、そういう生き物の多くはある生物より小さく、より子どものようだ。
まあ……可愛らしい、のかな?
「わあ、にんげんだ!」
「にんげんだ!」
「あそぼ!ねえ、あそぼっ!」
俺をひと目見るや、子犬のように人懐っこく集まってきた。
うっ、精神的な疲労状態の身に無垢な目が痛いけど、可愛く思えて…。
小さい犬のようなものが俺にすりついてくる。
毛並みも子犬みたいに柔らかくて気持ちいい手触りだ。
名前が表示されていて、今俺にすりついているのは『バウモン』というらしい。
「あそぼ、あそぼ!」
ポンポンとプレイルームにあるボールにじゃれつくように、俺にどんどんとじゃれついてくる姿に少しやる気になってきた。
「よーし、ボール遊びだな?それっ」
「わーっ!!」
心なしか軽く感じた足でボールを控えめに蹴り飛ばすと、みんながそこに集まる。
小さいので蹴り飛ばしそうになるのはかわいそうだから、すり足になって歩いた。
投げたボールにサッカーをやるように集まって、ぽんぽんと弾いてこっちに来る。
ボールが俺の足元に転がると、不思議な生き物達は距離を取って跳ねた。
「いまの、もっかいやって!」
「やってやって」
ぴょこぴょこ跳ねながら催促する彼らに、ボールをもう一度軽く蹴飛ばすとまたボールの方へとみんなとんでいく。
…それを眺めているのはとても不思議な気分だった。
それにしても。
(VRって、ただ立体的なモノが見えるだけかと思ってたんだがこんなに本物のように再現されるものなのか?)
視覚的なものだけだと思っていたけど。
匂いが、手触りが、身体に乗ってくる彼らの生き物そのものの重みや温かみが、仮想世界と呼ぶにはあまりにもダイレクトに俺の全身に伝わってくる。
「わふっ、わふ」
不思議に思う俺の傍らに、先程からずっとすり寄ってるバウモンというやつ。
こいつを撫でてると、ガキの頃うちで飼っていた犬を思い出した。
「お前はボール遊び、しないのか?」
「ばうっ」
なぜかボール遊びに混ざらないのを見た俺は声をかけてみる。
バウモンは、俺に呼ばれても未だボールには目もくれず、俺に尻尾を振る。
それを見て俺は手を伸ばし、くしゃくしゃっと毛並みをけば立たせるように掻いた。
「こいつぅ、俺と直接遊んで欲しいんだな?」
「ばうっばうっ」
「あーっ、ずるーい!」
「ボクもボクもー!」
いつのまにかボールに飽きたちび生物達が俺を取り囲む。
子どもにもここまで懐かれたことがないのに。
俺は思わず吹き出し、バウモンだけでなく彼らにも触れてみる。
ぷにぷにしたやつ、ガキの頃遊んだことのあるスライムのようなやつ、ふわふわしたやつ。
色んな手触りを楽しんでいると、あまりにも嗅ぎ慣れた異臭が鼻をついた。
「…な、」
それはぶっちゃければウンコの臭い。
まさかVR体験してウンコの臭いを嗅ぐことになるとは思わず、俺は慌てて発生源を探す。
出処は、コロモンとかいうピンク色の生物。
モジモジとしながら、後ろにこんもりとトグロを巻いたピンクのそれを隠していた。
「ご、ごめん、ボク…」
「ちょ、ちょっと待て!?」
近づいて見れば、それは紛れもなくウンコだった。
したばかりか、温かく湯気の立った……そしてコロモンの半分くらいのデカさ。
一体どこからこれだけのモノをひり出したのかはともかく。
ビーっ!!
俺は咄嗟に壁のブザーを押していた。
応答はすぐに返ってきた。
『どうされましたか?』
「すまない、生き物の一匹がウンコしたんだがこれはどうすりゃ良い?」
『ウンチをしたんですね、少々お待ちください』
おそらく片付けに来るということなのだろう。
だがどうやって?
仮想世界だから、と思ってはいたが、俺はこの時点でヘルメットを脱いでいない。
しばらくして、壁の向こうからウィーンという機械のような音が聞こえたと思うと。
からくり屋敷のように横へスライドし、鉄砲水が……水!?
「う、うわっ!?」
水が部屋をあっという間に押し流す。
俺は身体に思いきり水を浴びて後ろにぶっ倒れ、生き物達は……
「わー!」
「流される〜!」
心なしか、楽しそうに水に流されていた。
いいのか、それで。
ウンコは、その流れに呑まれて、初めに開いた壁とは別に開かれた壁の向こうへ流されていく。
水が止まると、俺は起き上がった。
不思議な事に、確かに水をかぶった感覚はあったのにスーツは全く濡れていない。
(…本物の水をかぶったように感じたのに…ま、クリーニングに出さなきゃならなくて済んだからいいか)
夜遅くだったので軽食だがサンドイッチを注文。
すると、女性店員が皿を持って入ってきた。
上に載ってるのは…何本もの骨付き肉?
「皆、エサの時間よ!」
「わーい!」
「ごはんごはん!!」
生き物達が店員の周りに集まる。
店員が骨付き肉をあげると、美味しそうに頬張りだした。
「もし良ければ、エサやりの体験はいかがですか?」
骨付き肉は、マンガやアニメでよく見るようなやつだ。
それに生き物達がかぶりついて、骨まで平らげてしまうのは見ていて驚きだが店員さんは慣れた様子で俺に骨付き肉のやり方を指導した。
………
気づいた時には、もう朝だった。
眠ってしまって大丈夫なのかと思ったが、まぶたが降りる直前に何処からともなく枕が頭の下に滑り込んできたのを覚えている。
そうして目を覚ませば、ヘルメットは取り外され、男の店員がすぐそばにいた。
「お客様、おはようございます。よく眠れましたか?」
「は……はい」
「すでにご利用時間を過ぎておりますので、お忘れ物がないか確認の後に受付までどうぞ」
なんとも不思議な心地だった。
それでも、部屋には、生き物がいたような空気感、それと……かすかに、ウンコの臭いが漂う。
なんだか夢を見ていたように感じながら、俺は2000円の料金を払い、その店を後にした。
その日のうちに、俺の元へ二人の男女が話しかけてきた。
見知った顔だ。
「先輩、もしかしてですが…」
二人は最近社内恋愛で付き合っている仲で、俺とは違う部署を取り持っている。
たまに仕事でやりとりをするくらいで、個人としての接点はなかったのだが……。
「先輩、昨日もしかしてあそこへ入りました?」
「あそこ?」
何のことかわからず首を傾げる。
「電脳生物と触れ合うVRカフェですよ。朝に先輩が出てくるところを見てたので」
「…ああ!あそこ?」
聞くと、二人は少し前からあの店の常連であり、気づけばそれが縁で交際を始めていたそうだ。
「先輩、また次に利用することがあれば聞いてください。近々、海の電脳生物を扱う特別コースが期間限定で利用できるんです」
「海?」
「普段幼年期コースや成長期コースにはいない電脳生物、それと…常連でないと利用できない成熟期以降のコースからの電脳生物と触れ合える滅多にない機会でもあるんです」
海からの電脳生物。
俺は少しクラクラしながら、しかし過ごした時間が快かったことを思い出す。
「わかった、また、あそこに行きたいと思ってるよ」
「でしたら、僕に連絡を。せっかくですし、RINEの交換をしましょうか」
…こうして、俺は、二人の後輩とRINE交換をし、二人とまたあのカフェへ行くことになる。
今度は…何が、待ってるんだろう?
ネカフェだ! デジモンなのに夜寝るどころか夜通し遊んでしまってそう! 夏P(ナッピー)です。
幼年期と戯れるのは実に楽しそうで、しかもVRなのに触れる触られる実感もあるとは凄いぜ。店員さんも実は荒事に慣れているのかしら……。
なんて思っていたら、後書きで成熟期以上だと命の危険も有り得ると突如言われて戦慄。幼年期だとウンチとトイレジャー(ホエーモンの必殺技ではない)ぐらいで済むが、成長期の時点で既に生保不可避。幼年期に囲まれた時点で結構絵面が危険なのに、成長期に囲まれてベビーフレイムその他やられたら頭がアフロでは済まねェーッ!
しかし所謂ネカフェかと思えば2500円、しかも夜間は半額とはなかなかにリーズナブル。2話以降でどうなるかは自由とのことですが、やはりデジモンが関わっている。社内恋愛で付き合っている二人はどう考えても二話で死ぬと思われます。コナンの被害者ポジション。
主人公の“俺”は冴えない30代半ばサラリーマンですが、割と順応性高そう。
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。
*あとがたり*
出しちゃいました、ザビケ第二弾を。
PBWという知ってる人の限られる第一弾だけではとっつきにくいかも、という思いの後押しもあり勤務中脳裏に浮かんだネタを出す事に決めたのが今回の作品。
というわけで、早速今回の作品説明と参りましょう。
舞台は現代日本。
主人公の"俺"は苦労の絶えないサラリーマン生活を送っています。
35歳・独身。
モン○ナは友達(
勤務中に致命的なミスを犯してしまい、心労困憊の帰りにカフェの店員に呼び込みを受けたことから猫カフェならぬデジモンカフェ『Digital Life On Touch』を利用することになります。
*『Digital Life On Touch』について
電脳生物、つまりデジモンと人間のふれあいの場を猫カフェの体裁で提供している。
VRはかなり特殊な仕様で、専用のヘルメットには特殊な電波があり装着することで電波が脳に送り込まれてデジモン達を認知することができるようになる。
仮想現実そのものなので、人間とデジモンはお互いに触ることができる。
逆に言えば、その気があればデジモンが人間に危害を加えることもできるため安全性の保証のため成熟期コース以降は常連限定かつ生命保険の加入が推奨されている。
デジモンの大体は人間に友好的な個体を選別して専用の部屋で待機しており、獣型メインだが人型デジモンとのふれあいも用意されている。
期間限定コースがあり、水棲デジモンや機械型デジモン、獣人型デジモンなどの縛りがあり、店内のカレンダーから予定で確認ができる。
本来ならば常連でなければ触れ合いができない世代のデジモンとも触れ合えるチャンス。
基本料金は2500円、夜間の利用は半額。
食事は軽食が多く、おにぎりやサンドイッチの他にパスタやお蕎麦、うどんが頼める(トッピングは自由
夜間の利用も可能で、ネットカフェ等と同じ感覚で一晩を過ごす利用客もいる。
管理者とかバックにデジモンが関与するかは、2話目以降を書く予定の方にお任せします。