◇
◇
第13話:龍殺しの剣
ウィザーモンと二人、無人となった東京の街を歩く。
当然のことながら、電車も動いていなければバスも走っていない。確か【反転】が行われたのは昨夜の九時だか十時だかだったと記憶しているから、繁華街の大半の店もシャッターが下りたままだ。まあ、下手に店舗が開いていると物色したくなるので、これは幸運と言えるのかもしれないが。
ウィザーモンは見るもの全てが珍しいらしく、頻りに首を傾げていた。
「大きな町ですね……何と言う町なのです?」
「東京だよ。まあ、大きいのは当たり前さ。一応この国の首都だしな」
「……なるほど、では普段ならば周辺は人で埋め尽くされるわけですね」
その都度相手をするのも面倒なので、小さく「まあな」と返して話を切り上げる。
今の八雲の目的はアグニモンを追うこと。そのためには、ひとまず奴と戦った場所まで戻らねばなるまい。だが奴と戦ったのは八雲や朱実が住んでいる二宮市だ。現在位置の東京都芝区からは単純な直線距離でも20キロ以上はある。普通に歩けば今日中に行けないこともないだろうが、何よりも面倒くさい。そんなわけで、現在八雲はウィザーモンと共に移動手段を探しているというわけだ。
実を言えば、渡会八雲は昨冬バイクの免許を取得している。バイクがあれば二宮市までは一時間程度で戻れるだろう。だが運良くバイクを拝借できても、まだ免許の交付から一年が経過していないので二人乗りは不可能だ。これではウィザーモンと共に行くことができない。
そんなことを考えていると、腹が減ってきた。
「なあウィザーモン」
「……何か?」
「お前、見た目的に魔法使いだろ? 飯とかポンッと出せないわけ?」
冷静に考えれば昨日の朱実とのデート以来、八雲は何も食べてない。朱実は靖史の家で煎餅を食べていたようだが、流石にグロットモンやアルボルモンに追われていたこともあって、八雲の方は何も喉を通らなかった。というよりも、あの状況で呑気に煎餅を食せる朱実の方が豪胆すぎるのだ。
とにかく腹が減った。八雲は昔から食事を抜くことが大嫌いである。
「そんな便利な魔法が使えたなら、私は今頃一流シェフですよ」
「……だよなあ。そう上手くは行かないか、それが人生だ」
「さっきから思っていましたが、八雲君はその年齢にして随分と悟っているのですね」
まあ、自分で言うのもアレだが俺って人生経験豊富だし。口には出さないで言う。
渡会八雲という人間は熱血漢でもなければ、むしろ感情表現が豊かな人間ですらない。普段は仏頂面が多いし、他人に笑顔を見せることなど殆ど無い。そんな意味では、長内朱実とは正反対の人間である。何故彼がそんな性格に育ってしまったのかといえば、それは彼の人生経験が豊富だからに他ならない。
1歳になるかならないかという頃に両親を自動車の事故で失い、以後は孤児院暮らし。小学六年生の時に義父であり師でもあった義父の安藤浩志が死亡、程無くして渡会老夫婦に引き取られる。渡会家は稀に見る貧乏一家だったので、中学生の身で年齢を隠してアルバイトをしたことも何度かあるし、高校生になった今でもバイトは欠かさない。現在では義父である渡会義雄の事業が軌道に乗り、無事高校にも行けているわけだが、本来なら八雲は中卒で働くところだったのである。
そんなわけで、渡会八雲という人間は無駄に老成してしまっている。既にその見方は大人にも引けを取らない、マイナスの意味ではあるが。
「……私は昔からガキは嫌いです。その意味では、君は私の契約主に相応しい」
「おっと、早くも意見の相違が出たな。俺は子供が大好きだからな」
「なっ!? ならば八雲君はまさか、俗に言うロリ○ンなのですか!?」
「はは、そう取ってもらって構わないさ」
その言葉通り、八雲は昔から子供が大好きだ。
それは多分、義父であり師匠でもあった安藤浩志の影響が強いのだと思う。だから、いつの日か自分も彼のように、事故や事件で身寄りを失った子供達を守ってあげられるような、そんな大人になりたいと思っている。そうして彼らの笑顔を見ることができたら何て幸せなんだろうと憧れる。子供はいずれ大人になる。なら子供を幸せにすることができれば、大人もまた幸せになれるのだと八雲は信じている。
だから彼の夢は皆の幸せ。世界中の皆に悲しまずにいて欲しいというのが、義父が死んだ日に八雲が胸に刻んだ誓いだ。
「まあ、別にロ○コンとはいえ私の主であることに支障はありませんからね」
「……いちいち伏せ字を使わなくていいぞ? 俺は別に恥ずかしいなんて思ってないから」
ウィザーモンに対して冷静に突っ込み返す。
しばらく歩いてみたが、二宮市まで戻るための有効な移動手段は見つからなかった。結局、頼れるものは己の体のみのようだ。誰もいない人間の世界とは、こうまで不便なものかと実感する。運転手がいなければバスも電車もフェリーも動かない。こんな状況になって初めて、自分が今まで如何に他人の世話になってきたのかを実感するというものだ。
だが今はそんなことよりも腹ごしらえ。腹が減っては何とやらだ。
「おっ、都合のいいことにセブン○レブンがあるな」
「セブンイ○ブン?」
首を傾げるウィザーモンを促し、八雲はコンビニに駆け込む。
昨夜【反転】が起きた時も24時間営業のコンビニなら自動ドアが機能したままで当然だ。八雲は現在コンビニでバイトをしているので、大体の勝手はわかっている。故に賞味期限が近付いている弁当を迷わず手に取ると、無断でレジに入って代金を入れ、お釣りを頂く。
「ごちそうさん」
やっていることは不法侵入と変わらないが、八雲としては筋を通したつもりだ。
簡単な食事の後、歩くこと数時間。
二人は足の赴くままに千代田区まで来ていた。すぐ近くには江戸城、つまり皇居の威容が見渡せる。今から何百年も前に徳川家康が改築した巨大な城。現在は天皇陛下が住まわれているらしいが、世事に興味の無い八雲は今の天皇の顔すら良く思い出せない。尤も、あんな大きな城で暮らせと言われたら八雲ならお断りだ。その意味では、皇族の方々は本当に凄いと思う。
大手町を過ぎた頃だろうか。ウィザーモンが何かに気付いた。
「おや、これは……墓ですか?」
「……ああ。確かここ、有名な武将の首塚だったと思ったが」
小学校の頃の遠足で回るコースだったので、その首塚のことはよく覚えている。
確か志半ばで死んだことから怨霊と化した武将の魂を慰めるために立てられた首塚だと聞いた覚えがある。しかし、誰が祀られているのかは曖昧で思い出せない。平安時代において関東で名を馳せた豪族だったと記憶しているが、それ以上のことは判然としない。だが少なくとも皇居近くに立ち、線香の香りを充満させた場所は、確かに八雲が小学生の頃に来た場所と合致する。
ただ、唯一見覚えの無い物体がそこには存在していた。
「日本刀……いや、これって斬馬刀か……?」
そんなもの、昔来た時には無かったはずだ。そもそも、そんな物騒なものが現代の日本で、それも道端に落ちていることなど有り得ない。無断で携帯などしていれば問答無用で銃刀法違反で逮捕されるだろうし、恐らく日本刀を持ち歩こうなどという奇天烈な考えを持つ人間はいないだろう。
それでも確かに首塚の前には、鞘に納まった一振りの大刀が置かれていたのだ。
パッと見た限りでは、この刀は戦には向かなそうだ。それというのも、無駄に刀身が長いのだ。俗に言うところの斬馬刀という奴だろうか。これでは大きすぎて、自在に扱うのにもかなりの筋力を必要とするのだろう。だが見る者を惹き付けて止まない流麗な刀身は、鞘から抜けばどれほどの美しさを誇るのか予測も付かない。
無論、鑑定士ではない八雲に正確な製造年はわからない。だが少なくとも鍛冶屋の手で打たれてから数百年は経っていると思われるので、かなりの年代ものだと予測できる。真剣など今まで資料や博物館以外では見たことが無かったが、間近で見るそれは人殺しの道具というにも関わらず、不思議と感慨を思わせた。
だが刹那、八雲は何か痛烈なデジャヴに襲われた。
「……ん? この刀、どっかで――」
思わずその刀を手に取っていた。
明確な理由など無い。ただ、その刀を「どこかで見たような気がした」だけのことだ。それも、随分と最近のことのように思い出せるが、その辺りの記憶が混濁していてハッキリとは思い出せない。確か数日前、自分はこの刀を持つ者に襲われたような気がするのだが――。
その瞬間、唐突に周囲の空気が重苦しくなったような不快感を覚えた。
「マタ一人、我ガ愛刀ノ錆トナル愚カ者ガ現レタカ……」
不意に響いた妙な声。無論、周囲には八雲とウィザーモンしかいない。
「我ガ眠リシ塚ヲ荒ラス不届キ者ヨ……黄泉ノ国ニ旅立ツガ良イ……」
「……ウィザーモン、お前何か言ったか?」
「いえ、私は何も……なっ!? 八雲君、右!」
「なにっ!?」
邪悪そのものといった声が聞こえたと思った瞬間、何も無い場所から剣が閃いた。
半ばウィザーモンを突き飛ばすように太刀筋から逸らすと、八雲も一旦距離を取る。凄まじい速度で振り下ろされ、標的を失った剣がコンクリートを叩き割った。そう、得物はどう見ても剣であるにも関わらず、コンクリートを斬るのではなく叩き割ったのだ。まるでハンマーを振り回したような剛剣だと言えよう。その圧倒的な剣は、明らかに人間によって振るわれたものではなかった。
目の前に現れたのは馬に跨っている、というより下半身を馬と一体化させた鎧武者。左の腕には妖しき雰囲気を孕む妖刀、そして右手には八雲が手に取ったものと同じ斬馬刀が保持されている。屈強な肉体の上から不気味に輝く鎧を身に纏ったその武者は、圧倒的な威圧感で八雲とウィザーモンの前に存在している。その首の上には、かつてはさぞかし面妖な顔が乗っかっていたのだろうと予測できる。
そう、彼の者には首から上が無いのだ。まるでギロチンか何かで切り落とされたかのように、気味の悪いほどに綺麗に首の断面だけが覗いている。
「くっ、首無し武者……!?」
「龍斬丸ヲ欲サントスルナラバ、我ヲ倒シテ己ガ力ヲ示セ……!」
その殺気は圧倒的。油断すれば飲み込まれてしまいそうだ。首が無いのに声がどこから出ているのかというツッコミすら許されない。
「うわぁぁぁぁ、頼むウィザーモン! 俺、幽霊とトマトだけは駄目なんだ!」
「なっ、何を馬鹿な! 八雲君が呼び寄せた種ですよ、君が自分でなんとかなさい!」
そんな風に互いに責任を押し付け合う隙を突き、首無し武者が突進してくる。
下半身が馬ということもあって、そのスピードは凄まじい。その上、振り下ろされる剣の軌跡が殆ど読めない。故に受け止められる道理は無い。だが内在する剣士としての本能か、八雲は咄嗟に先程の刀を掴み上げ、鞘に納まった状態で相手の斬撃を受け止める。
ガンという強い音。まるで自分の両足が大地に沈んだかと感じたほどに、敵の剣は重い。
「くあっ……何て怪力だ、お前!」
「ホウ、人間風情ガ我ガ一撃ヲ受ケ止メルトハ」
「くっ、マジで亡霊なのか……!?」
震えていく心を必死で支える。
首無し武者と斬り結ぶ経験など、恐らく一生の内で二度とあるまい。ただでさえ八雲は幽霊が苦手なのに、既に切り落とされたと見える武者の首の断面が間近で見える。子供の頃は朱実に何度挑発されてもお化け屋敷にだけは意地でも入らなかったというのに、今は特等席で首無し武者の姿を目の当たりにさせられている――。
「くっ、くそぉ!」
「ムッ……?」
無我夢中で刀を振るい、敵の懐から逃れようとする。
しかし次の瞬間、凄まじい衝撃が腹部を襲い、八雲は数メートル後方に吹っ飛ばされる。あるはずのない攻撃を前に、彼は思わず目を見張る。前述した通り、首無し武者の下半身は騎馬そのものだ。その強靭な前足が、八雲の体を物の見事に蹴り飛ばしたのである。
逃げの姿勢に回っていた所為か、その痛みは厳しいものの立ち上がれないほどでもない。
「やっ、八雲君!」
「……邪魔ハサセヌ」
咄嗟に駆け寄ろうとしたウィザーモンを制するように首無し武者は手を掲げる。
すると、次の瞬間には八雲とウィザーモンを隔離する障壁のように、無数の鎧武者が出現していた。ただ、こちらの武者は別に首が無いわけではなく、また下半身も人間に近い二本足。禍々しい容姿を持つ彼らの侍は、須らく妖しき空気を孕む曲刀を保持している。どれも首無し武者が左手に持つ妖刀と同じ型のようだ。そんな彼らが現れた様は、まるで志半ばで倒れた武者の魂が怨霊として迷い出てきたような、そんな雰囲気さえ感じられた。
ウィザーモンとて流石に戦慄を覚える。単体の戦闘力はともかく、数が多すぎる――!
「む、ムシャモンがこんなに……!」
「……ソノ者達ハ我ガ下郎ナリ。うぃざーもんヨ。我ガ戦イヲ妨げんと欲スルナラバ、貴様トテ容赦ハセン」
「ばっ、馬鹿な! 人間の八雲君が勝てるはずが――」
問答無用とばかりに無数のムシャモン達が一斉に襲い掛かってくる。
サンダークラウド、クリスタルクラウドを使い分けて応戦するも、多勢に無勢で全く活路を見出すことができない。一体一体はウィザーモンなら軽く手玉に取れるレベルの相手。しかし数を武器に攻められると反撃の余地は無い。故に今のウィザーモンにできることは、ただ背後を取られぬように細心の注意を払って戦うことだけだ。
渡会八雲が棟梁たる首無し武者を討ち取らぬ限り、このムシャモン軍団は決して自分を逃さないだろう。
無論、それは絶望的に0%に近い確率だったのだが。
◇
更新久々ですか?