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第15話:ああ懐かしき我が故郷(まち)よ
八雲がザンバモンと戦い、龍斬丸を得たのと同時刻。
名古屋でケンタルモンと契約を交わした朱実は、相変わらず東京を目指して驀進していた。以前とは違うことがあるとすれば、彼らが移動するために通行している場所が新幹線の線路ではなく高速道路だということだろうか。
どうしたものか、とケンタルモンは苦笑する。
朱実は現在、先程とは打って変わってバイクに跨っている。一方のケンタルモンはそんな彼女に併走する形だ。何故彼女がこんなバイクに乗っているのかと言えば、それはケンタルモンによって『現在の人間界には人っ子一人いない』という自分にとって凄まじく都合の良い現状を聞かされたからに他ならない。
それを聞いた後、朱実の行動は素早かった。あっという間に新幹線の線路を後にすると、どこからか持ってきたバイクを軽くチューンアップして愛機へと変貌させたのである。呆れるほどの手際の良さであった。
ヘルメットを被りながらも、朱実はどこかご機嫌だ。そのポニーテールは運転には酷く邪魔だと思うのだが、敢えて言わないでおこう。
「盗んだバイクで走り出すぅ~!」
「……しかし、朱実殿はバイクの整備にも随分と精通しているのですね。驚きましたよ」
「いやいや。……まさかアタシがそんなことに興味を持つわけがないっしょ。見様見真似でしかないんよ」
何言ってんのあんたとばかりに、ヘルメットの下で朱実は笑う。
しかしケンタルモンとしては、そんな興味を持たないことを鼻歌混じりに成し遂げてしまうことや、時速80キロ前後で走行中にも関わらず、己が走行音など聞こえないかのように自分の質問をハッキリと聞き取り、容易く答えを返してくる辺りに驚かされる。
彼女と出会ってから、自分は少し驚きすぎなのかもしれない。
「……ところで、遅ればせながら聞きたいことがあるんだけどさ」
「何でしょうか? 私に答えられることならば、喜んでお答えさせて頂きますが」
「うん、アタシはアンタと契約した。それは間違い無いんね?」
何を今更。ケンタルモンは大きく頷く。
「だけど未だにアタシは契約というシステムに関して多くを知らないんでね。わかっているのは、アンタが世界のなんたらを供給してくれているおかげでアタシが生き長らえているって、その事実だけなんよ。だけど、それじゃアンタには何の益も無いっしょ。……ケンタルモン、何故あんたはアタシに手を貸してくれるわけ?」
「なるほど。それは確かに尤もな疑問ですね」
それで納得が行った。要するに、長内朱実という少女は興味が無いことにはとことん気が向かないが、興味のあることは全てを知っておかないと気が済まない性質なのだ。
まあ、その程度の疑問は持ってもらわねばこちらとしても困る。
単に『生きられるんだ、やったぁ』などと考える愚鈍な人間と契約を交わしてしまったとあっては騎士の名折れだ。その意味では、やはり朱実という少女は自分にとって相応しい相手だったと思えてくる。
「先に簡単な方から答えておきましょうか。私が朱実殿に手を貸す目的……それは、人間という存在を見てみたかったから……ではいけませんか?」
「……理由にもよるね。アンタはどうして人間を見たいと思うわけ?」
「ええ、我らの世界は過去に幾度と無く脅威に襲われてきた。そして、そんな脅威から我らを救済した存在が人間だったのです。……その意味では、人間は我らにとっては一種の英雄なのですよ。それは私とて例外ではありません」
パートナーと共に闇に立ち向かった数多のテイマーの逸話。それはロイヤルナイツや十闘士と並び、異世界で英雄視される存在だった。世界が崩壊の危機に瀕した時、颯爽と現れて彼らを救う。それこそ異世界の民が求めるヒーローである。
ケンタルモンも含め、幼年期時代には誰もが聞かされるだろう。東方を司る龍を目覚めさせた勇気を携えし少年の話を。至高の聖騎士を従えた烈火の少年の話を。金色の巨鳥と共に未来を掴むべく世界を駆け抜けた奇跡の少年の話を。そして、その他数多の英雄達の物語を――。
だが朱実の顔は晴れない。英雄という言葉に対して、彼女は僅かながらも嫌悪感を示していたようだ。
「英雄……ね。なるほど、アンタの言葉はストレートでわかりやすい。つまりアンタは、遠い昔に世界を救った人間という存在に並々ならぬ興味を持っていたって、そういうわけ?」
「如何にも。我々の世界の住人はその大半が人間に対して私と同じような感情を抱いているはずです。だからこそ、本来なら主体となるべき我々が付き従う者(じゅうしゃ)に甘んじ、契約の恩恵を一手に得るだけの人間が絶対の支配者(あるじ)などと呼ばれるようになったのでしょう」
その二つの単語が契約という行為の本質を示していた。
そう、契約を交わすこと自体において、彼ら異世界の住人達には何の利益も無い。かつてのテイマーとは異なり、人間にとって契約モンスターとは飽く迄も生き残るためのラインを確保させてもらう存在でしかないのだ。互いに感情を共有することも無ければ、また新たな進化を促すことも無い。つまりは契約とは、人間を生き長らえさせるためだけに構築された都合の良いシステムでしかない。
「へえ、従者と主……ねぇ?」
そんな何の得も無い行為を何故彼らが進んで行うのか。それはケンタルモンの言う通り、人間という生き物が彼らにとってヒーローであったからに他ならない。如何なる時でも人間は自分達の世界を救済する守護者たり得るのだと信じて、彼らは人間と契約を交わすのだ。
だが、そんな憧れにも似た感情を。
「……少々美化しすぎの気がするけどねぇ。勘違いの無いように先に言っておくけど、人間は断じてそんな美しい生き物ではないんよ?」
何の迷いも無く、長内朱実というヒーローに最も近しいはずの存在は否定するのである。
朝焼けに包まれる中、八雲とウィザーモンはようやく二宮市まで辿り着いた。
「や、やっと戻ってきた……」
「お疲れ様です、八雲君」
龍斬丸を得た後、彼らは夜通し歩いて二宮市に戻ってきたのである。直線距離では25キロ以上だ。その距離だけでも大したものだが、何より一睡もしていないというのが体に応える。睡魔に負けて倒れそうになる体に渇を何度入れたかわからない。今もまた、放っておけば前のめりに崩れ落ちそうだ。
しかし、その間の食事は全てコンビニ弁当と来ているのだから、我が事ながら栄養面の偏りが非常に心配なところだ。
襲い来るモンスター達との戦いも何度経験したのか数えるのも嫌になるぐらい。だがその中で、八雲は次第に連中のことを理解し始めていた。どうやら、連中には進化だか成長だかの段階があるらしく、それらで分類も変わるらしい。例えて言うなら、ウィザーモンは成熟期のモンスターというわけだ。
「あ~、眠い。それじゃ、とりあえず俺の家まで行くか。仮眠でも取ろうぜ」
「了解です。……む?」
「……どうかしたのか?」
不意に視線を鋭くしたウィザーモンの顔を覗き込む。
彼の目は山の方へ向いている。ちょうど、自分と朱実が初めてダスクモンと遭遇した香坂神社辺りだった。まあ、そちらは自宅の方向だし、帰宅がてらに少し寄り道するとでも考えればいいだろう。そんなことを考えながら、八雲はウィザーモンを促して自宅へと向かう。
気分は文字通りのお気楽。別に何が起ころうとも、ここは自分のホームグラウンドなのだから別段慌てることも無いだろう。
「嫌な……気配が」
「……気配?」
だが融合世界の侵食は、こんな場所にも容赦無く広がっていることを、八雲は知る。
嫌な気配。ウィザーモンの告げたその言葉に従って、ただ少しばかり寄り道でもしてみようかと思っただけのことだった。この町は自分が生まれ育った町、だとすれば何が起きても対処できるだろう。そんな軽い気持ちしか無かった。そうして歩くこと十分少々、八雲とウィザーモンは目の前の光景に戦慄を覚えていた。
「これって……?」
三日ほど前、自分と朱実が闇の闘士だと名乗る存在と激闘を繰り広げた神社の境内。そこに存在する奇妙な物体を前にして、八雲は疑問に満ちた声を上げる。
何らかの魔方陣を描くように、境内の中心に立てられているのは十本の石柱。だが、その中の三本は根元から無残に圧し折られており、既に元の形を成していない。また、残る七本の石柱も六本は輝いているにも関わらず、最後の一本だけは静寂を保っていた。
そこで八雲は気付く。石柱の中心に巨大な石像が建てられていることに。
「太陽を背負った……人間?」
「……いえ、人間ではないようですが」
ウィザーモンにも心当たりが無いらしい。
だが当然のように、こんなものは、あのベルグモンとの戦いの時には無かった。そもそも、小学生の頃に何度も遊びに来た場所だ。その境内にこんな石像が建てられているはずも無い。だとすれば、これは間違い無く【反転】の影響に拠るものと考えるべきだ。詳細は不明だが、ウィザーモンが感じた何らかの気配がここから放たれていたのは間違い無いだろう。昔からこの場所はかなりの聖地であると言われていたのを思い出した。
よく見ると、その場に立つ石柱には各々に一文字ずつ、明らかに人間の文字で奇妙な刻印が刻まれている。それらの文字は各々の石柱が司る属性を示しているようだった。そんなことを思っていると、ふと思い当たる。各々の石柱に描かれている刻印の内、拙い字で〝火〟と刻まれた刻印に見覚えがあることを。
「この文字、確かクラウドとかいう奴のD-CASに刻まれていたのと同じ……」
「……ということは、これは十闘士に関係する遺跡ということですか……」
何気なく石像を探ってみると、そこには何らかの文章が刻まれている。
しかし、八雲には見たことすら無い文字だ。丸やら四角やら三角やらが文字を成しており、象形文字より性質が悪い。ひょっとしたらウィザーモン達の世界で使われている言語かもしれない。そう考え、仕方無しにウィザーモンの協力を仰ぐことにする。
「……何て書いてあるんだ?」
「読み上げますから聞いてください。え~と――」
少し首を捻りながら、ウィザーモンは呟く。
でじたるわーるどヲ守リシ神々ノ名ニオイテ、コノ場ニ十闘士ノ魂ヲ封ズ。
固キ柱ガ輝キシ時、闘士ノ魂ガ目覚メン。
闘士ノ魂ガ滅ビシ時、固キ柱ハ砕ケ散ラン。
ソノ者達ノ魂ハ時ヲ超エ、過去ト未来ヨリ現レン。
故ニ我ガ欲スハ創造ノ力。風ヲ炎ニ、氷牙ヲ剣ニ――。
故ニ我ガ抱クハ破壊ノ力。闇ヲ光ニ、雷牙ヲ砲ニ――。
「……つまり、十闘士って連中は全員ここに封印されていたってことか?」
「ええ、この文面から判断すれば間違い無いでしょう」
会話を交わしながら、再び石柱に目をやる。
風と氷、更に雷の石柱は圧し折れてしまっている。ということは、記された文章からして、これらの属性を司っていた闘士は既に倒されたということだろうか。そんな風に各々の石柱を見やりながらも、八雲は冷静に今まで出会ってきた闘士達の姿を思い出そうとする。
最初に出会ったダスクモンは闇の闘士だと名乗った。奴の雰囲気からして、それは間違い無いだろう。次に遭遇したのはグロットモンとアルボルモン。奴らが土と木だろう。そしてアグニモンが炎。だとすれば、未だに見ぬ闘士がまだ存在するということになる。水と鋼、そしてもう一体――。
唯一破壊を免れながらも沈黙している柱を見やり、八雲は呟く。
「光の闘士……か。まだこいつだけ目覚めてないみたいだな」
「それ以上近付くな!」
「はっ?」
子供のような声を掛けられて、八雲とウィザーモンは咄嗟に身構える。
そんな彼らの視線の先で、石柱の影から一体の幻竜が姿を現す。その体色は太陽の光に照り映える清爽な青、四肢も外見に恥じぬ逞しさを感じさせる。どこか表情は愛嬌のあるものだけれど、頭部の二本角と胸のV字が却って力強さを感じさせ、その雰囲気は彼のグラウモンにも決して劣るものではない。
だが奴のような邪悪な雰囲気は無い。自分達を前にしたところで、彼が持っているのは敵意だけであり、殺意は無かった。
「……お前は?」
「僕はブイドラモン。……って、騙されないぞ。お前ら、十闘士の手下だな?」
「はぁ? 俺達が十闘士の……?」
「ジャンヌには手を出させないぞ! Vブレスアロー!」
「どわぁ!? いきなり!?」
大きく開かれた口から放たれるV字型の熱線。思わず仰け反って避ける。
隙は与えないとばかりに、間髪入れず突進してきた幻竜が鉄板をも打ち抜かん勢いで拳を繰り出してくる。人間では骨が粉微塵に粉砕されるほどの豪腕。当然、八雲もウィザーモンも逃走するしかない。奴の誇るパワーは圧倒的だ。八雲はもちろん、ウィザーモンでも一撃で命を絶たれる危険性がある。
故に逃げ回るのみ。そんな彼らを不審に思い、幻竜は怪訝そうな顔付きで立ち止まる。
「……何で反撃してこない?」
「何ではこっちの台詞だ! 俺達が何をした!?」
「グロットモン辺りの手下じゃないのか?」
「……何が悲しくて、俺らがあんなでかっ鼻の子分にならなきゃならないんだ」
「でかっ鼻?」
不思議そうに首を傾げる幻竜に言葉を返すことはしない。
ストーカー紛いな状況から襲われたことも、自分の幼馴染によって奴が容赦無く叩きのめされたことも、今では良い思い出だ。日数的には二日しか経っていないわけだが、それでも随分と昔のことのように感じられるのは、恐らくこの二日間が目まぐるしすぎたからだろう。二度も死に掛けた上、大嫌いな幽霊と斬り結ぶ羽目になったのだ。これから何十年と時間が過ぎようとも、昨日今日のことは忘れないだろうと思う。
「勘違い……なのか?」
「だから、最初からそう言ってるだろ」
「ご、ごめんっ!」
少し憤慨した様子で言ってやると、ブイドラモンは慌てて頭を下げてくれる。
何故だか、この世界に来て初めて素直な奴に会った気がする。グラウモンやクラウドはいざ知らず、悪口を言いたくはないのだが、ウィザーモンだって決して素直というわけではない。そんな意味では、目の前の竜の姿は少し微笑ましいものがある。
ブイドラモンは一頻り謝った後、静かに顔を上げた。
「本当にすまなかった。それで、君達は何故ここに?」
「俺達、アグニモンとかって奴を探してるんだが」
「……アグニモンを?」
瞬間、ブイドラモンの顔が醜く歪んだ。
「奴のことを知ってんのか?」
「……まあね。あいつは僕達の……仇だ」
その時、奴の顔に浮かんだ感情は憎しみだろうか。
どうもわからない。僕達と言うからにはブイドラモンと彼に連なる誰かが奴に関係しているらしい。だが仇ということは殺されたということだ。それでもブイドラモンは今、目の前に確かに生きている。つまり死んでいない者が自分を殺した奴がいると言っているわけで――?
矛盾が矛盾を生んで、思考が上手く纏まらなくなる。そんな八雲の思いを、ウィザーモンが代弁してくれる。
「仇って、あなたは生きているではないですか」
「そういう意味じゃなくて、つまり――!?」
ブイドラモンの言葉が唐突に途切れる。刹那、八雲は背後に猛烈な殺気を感じた。
「あんた達、何やってんのぉ?」
聞こえてきたのは幼い女の子のような声だった。
飛び退くようにしてブイドラモンから離れながら、咄嗟に背後を振り返る。無論、その際に龍斬丸に手を掛けることも忘れない。自分に誰かの命を奪うことなどできようはずもないとわかっていながらも、それは既に一種の習慣になりつつある。
八雲が振り返った先。そこには絶対的な存在感を以って、新たな闘士が立っていた――。
放たれたのは強力無比な一撃。
「ダムダムアッパー!」
それは一撃で敵の顎を打ち砕き、その肉体を四散せしめた。
片腕にキャノン砲を装備したゴリラのようなモンスター。それはブラックガルゴモンの攻撃をまともに受けると一瞬にして粒子と化してその場から消滅する。このD-CASが齎すデータによれば同じ成熟期であるにも関わらず、ブラックガルゴモンの強さは圧倒的だ。これでは自分の指示が無くとも十分にやっていけるのではないだろうか。
けれど、それにブラックガルゴモンは決まって言うのだ。
「いやいや、そんなこと無いって。助かってるよ、君がいてくれて」
「……そう」
どうでも良かった。彼の強さは信頼しているが、それだけだ。
何の感情も抱くこと無く、ただ可能な限りは本能で行動する。そうでもしなければ、この弱肉強食の世界の中を生き抜いていくことは不可能だろうと思えたから。郷に入っては郷に従えという言葉は確かに理に適っている。自分を襲ってくるモンスターが本能の赴くままに行動する連中だとすれば、こちらもそれ相応の対応をしてやるだけのことだ。
だから殺す気で掛かってきた奴は、逆に殺し返してやる。それだけのことだった。
本人は気付いていない。だがそれは、彼女が抱くこの世界に対する恐怖が臨界点を超えたからこその思考である。言うまでも無いことであるが、彼女はこの世界を誰よりも恐れている。この世界の理を誰よりも受け入れまいとしている。
感情が壊れていた。というより、彼女自身が意図的に壊していたのかもしれない。郷に入っては郷に従え、確かにそれは彼女の処世術だったから。
「もうすぐ環菜の町なんだろ? ……へへっ、先が見えてくると楽だよねぇ」
「……そうね。確かに楽だわ……」
無愛想で物静かながらも人付き合いの上手い少女はもういない。この世界が彼女を変えた、この世界によって彼女は変えられた。もう何日も笑っていない。もう何日も怒っていない。もう何日も悲しんでいない。もう何日も楽しさを覚えていない。この世界が変わった途端、喜怒哀楽の全てをどこかに置き忘れてしまったようだった。
だから今ここにいるのは既に壊れた女。敵が殺そうとしてくるから殺し返す、殺されそうになるから先に殺す。そんな単純な行動だけを繰り返す女。
そう、自分以外の人間が消えた世界の中。
皆本環菜(じぶん)はまるで、ロボットのようだった。
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第16話:遭遇、水の闘士
埼玉県二宮市。渡会八雲や長内朱実の住むこの町は大きく言って二つの地域に分けられる。
地図上でこの二宮市を二宮市たらしめている線が二本ある。その内の一つが市の中央を東西に走っているJR線である。八雲や靖史が通学にも用いているこのJR線を用いれば新宿まで数十分で出られる便利さもあって、二宮市はベッドタウンとして発展してきたのだが、近年は二宮市内にもオフィスビルが立ち並ぶようになり、オフィス街として新しい発展の形を見せ始めている。
もう一つがそのJR線と垂直に交わる形で北から南へと流れている二宮川だろう。最近では流れ込む廃棄物によって水質汚濁著しいこの川だが、数年前までは八雲や朱実が河川敷でキャンプをしたことがあるほどの大きな川だった。そんな八雲達が何度か河川敷のゴミ拾いを手伝ったこの二宮川により二宮市内は東西に分断されており、それぞれ川を挟んだ東側と西側では雰囲気が全くと言っていいほど異なっている。
まず川を挟んで東側。ここが前述したように中央を走るJR線周辺を中心としてオフィス街として発展し続けている地域である。都心部にも劣らない高層ビル群が立ち並び、スーツ姿のサラリーマンが往来している、そんな場所だ。同時に南部はそんなサラリーマンやその家族が暮らす高級住宅街であり、八雲と靖史が通う相葉高校や朱実と環菜の通う二宮女子高校はその中に立っている。ちなみにこの二つの高校は最寄りの駅が隣同士ということもあり、年に一度の学園祭において軽い交流の場が設けられているのだが、あまり行事に関心を見せない八雲達は当然のように知らなかった。
そして逆に川を挟んで西側。こちらにも高校は松本商業高校と大野大学付属高校、そして桜井高校の三校が存在する。これら三つの高校は二宮市東部にある二校と違ってバリバリの進学校というわけでもなく、ある程度の自由な校風が特徴である。中でも市内南西部の一角を占める大野大学の系列でもある大野大学付属高校は付属校特有の雰囲気と所謂郊外という立地条件の良さから市内の中学生からの人気は抜群とされている。ただ、それだけに素行の悪い生徒もそれなりにいるようで、市内で喧嘩を売ってくるような高校生はまず上記の三校の生徒と見て間違い無い。
そんな西部の中で最も目を引くのが北西部に全容を覗かせる小山、香坂山であろう。飽く迄も小山であり、標高数百メートル程度しかないわけだが、それでも二宮市の中では最大の標高を誇る。八雲や朱実が通っていた小学校はそんな香坂山の麓にあり、逆に言うなら香坂山は小学校の裏山でもあった。二人の暮らしていた孤児院がすぐ傍にあったことも幸いして、二人は良くあの山中を駆け回ったものだった。
その香坂山の中心に彼らの思い出の場所、香坂神社は存在する。
そんな香坂神社の境内にて。
「お前は……!?」
思わず振り返った八雲とウィザーモンの視線の先に立っていたのは、パッと見た限りは確かに可愛い女の子だ。
そう、それは一目見ただけなら奇妙な帽子を被り、青一色の水着を纏った年頃の女の子に見えないこともない。だが奴の存在は朱実のような人間の女とは全くの別物だった。恐らく今の彼女には敵意や殺気など微塵も無く、また同時に明らかに人の形を成しているというのに、何故か八雲は違和感と嫌悪感を同時に覚えさせる。
それは十闘士と呼ばれる存在を前にした際、常に感じてきた不快な感覚だった。幾度となく自分を襲ってきたその感覚が意味するところはつまり。
「……なるほど。彼女もまた、十闘士の一人ということですか……恐らくは水の闘士」
「ああ、そうみたいだな。尤も、俺らには何の興味も無いらしいが」
八雲の言葉通り、その小柄な少女は既に彼らのことなど視界にも入れていない。
彼女はただ、小悪魔染みた笑みを浮かべながら、ゆったりとした足取りでブイドラモンに歩み寄っていく。外見から予想できる性格などを鑑みてもその姿は極めて自然で、まるでモデルの闊歩を見ているようだった。しかし歩み寄られる側のブイドラモンの顔が僅かな恐怖と焦燥で滲んでいるのを見れば、それは明らかに不自然な光景だった。
少しだけ震える声で、ブイドラモンが彼女の名を呟く。
「水の闘士……ラーナモン。何故ここに」
「あはは、流石に驚いたわよ、ブイドラモン。あんた、まだ生きてたのねぇ?」
その素っ頓狂な声に含まれていたのは嘲りだ。だがそこで八雲は不意にあることに気付く。
「……?」
違和感と嫌悪感はある。だがラーナモンと呼ばれた彼女からはそれ以上の印象を覚えない。
確かに彼女が身に纏う存在感は圧倒的だが、他の十闘士とは少し違う感じがした。僅かながらも迫力に欠けているというか、伝説に残る闘士としての威厳が無いというか、上手い表現が見つからないが、有り体に言えばそんな感じだ。彼女と相対したとしても、恐怖や躊躇は覚えない。対峙しただけで自然と肌が泡立つような感触を覚えたアグニモンやダスクモンと比べれば、その殺気や威厳の差は歴然としていたし、グロットモンやアルボルモンとて確かに自分達はなんとか退けることができたとはいえ、その異質な感じは目の前の闘士よりもう少し上だったと思う。
こんなことを言っては失礼かもしれないが、他の闘士と比べれば迫力不足である。
「あの憎たらしいフェアリモンやチャックモンと一緒に殺されたのと思ってたわよぉ」
「……何故ここに来たのかと聞いているんだ」
「あははっ、そんなの一つしか無いわよぉ。……あんたのご主人様のイ・ノ・チ♪」
「まさかジャンヌを……?」
「正ぇ~解♪ だから別にあんたに用は無いんだけどねぇ……ま、邪魔するなら殺すわよ?」
その底冷えのする瞳を前にして、先程の違和感や嫌悪感とは別の理由で不快感を覚えた。
ラーナモンと呼ばれた少女は、己が主の復活を信じて待ち続けるブイドラモンのことを、最初から愚かな存在としてしか感じていない。それが無性に癪に障る。無論、八雲自身とて出会ったばかりの彼といきなり思いを共有することなどできはしない。けれど、彼の表情を見ていれば、その真摯さや主への思いは紛れも無く本物なのだと理解できる。それ故にそんなブイドラモンを馬鹿にすることなど、誰にもできるはずが無い。
初めてダスクモンと遭遇した時から長らく感じていた不快感の意味が、やっと理解に及ぶ。
そう、十闘士という存在は己が在り方を間違えているのだと。
「くっ……!」
「……それじゃ、潰させてもらうわよん♪」
無造作に手を振るう。刹那、ラーナモンの手から高圧の水流弾が放たれた。それはまるでショットガンの如き勢い。未だに封印され、眠り続ける〝光〟の柱を圧し折って余りある。人間が受ければ打撲では済まないほどの強烈な弾丸。
それを、ブイドラモンは己が身を盾として受け止めた。
「ぐうっ!」
「ブイドラモン!?」
全身を穿つ衝撃に苦悶の声を上げる蒼竜。その様に八雲は思わず彼の名を呼んでいた。
「あはっ、見っとも無いわねぇ。自分の体を盾にするなんてぇ」
そんな嘲りの言葉と共に、逞しき青い竜がドサッと地に倒れ伏す。
それを前にして、ラーナモンの顔には尚も嘲笑しか無い。その事実こそに意味も無く疑問が湧いた。何故彼女はこんなことができるのか、何故ブイドラモンは自分の身を挺してまで眠る〝光〟の闘士を守らんとするのか。そして渡会八雲という自分は、何故そんな光景を前にして異様なほどに腹が立っているのだろうか――!
だから動いた。言葉より先に体が。
「でも無駄だったわねぇ! 光の闘士は、今ここで死ぬわ!」
再び放たれる水流弾。盾となるべき者がいない今、それは確実に〝光〟の柱を撃ち砕かんと殺到する。
だがそれが、柱の数センチ手前で突然凍り付いた。
「なっ、なに……?」
驚愕に染まるラーナモンの声。
「……させません」
そこには油断無く杖を構えるウィザーモンの姿。
咄嗟に駆け出したばかりの八雲も、驚愕にも似た思いでその様を振り返ってしまった。彼らは未だに出会ってから実質二日しか経っていない。互いの気持ちなど理解できようはずも無いし、そもそも彼らはそういう関係ではない。
クリスタルクラウド。本来ならソーサリモンが使用する技であり、同時に種族を違えたウィザーモンが持ち得る得意技でもある。それがラーナモンの放つ水流弾を止めたのだ。
「……何のつもり? 人間とウィザーモン、悪いけど私はあんた達に用なんて無いの。命は取らないであげるから、さっさと消えなさいよ!」
その言葉は確かに上に立つ者の台詞だった。だから自然と理解できる。きっとラーナモンは自分達を虫けら程度にしか感じてはいまい。けれど、退けない何かがあるからこそ渡会八雲はウィザーモンと共に今ここに立っているのだし、何よりも自分達は彼女に舐められるほど弱い存在ではないと思う。少なくともザンバモンと戦った事実は渡会八雲にとって大きな自信となっていたし、同時にあの多勢に無勢の状況を切り抜けたウィザーモンの実力も十分評価に値するレベルだったと感じている。
だから自分達は負けない、彼女などに負けるはずが無い。――そう思った瞬間、腰の龍斬丸が微かに唸りを上げたように感じた。
「……?」
まるで龍斬丸が自らの意志を持って語り掛けてくるような違和感。俺達は弱くない、それを奴に理解させてやろうぜ――?
「八雲君?」
「あ、いや……」
錯覚だろうか。咄嗟に首を振って残照を振り払う。
「人間の癖に十闘士に刃向おうっての!? 生意気なのよ!」
「……言ってろ」
最早ラーナモンに対しては何ら恐怖も躊躇も感じない。どうやら彼女は自分達にとって確かに倒すべき敵らしいから。
八雲は相手が誰であれ、無益に命を奪う行為を許しておかない。しかし恐らくウィザーモンは、もしも相手が本気のアグニモンやダスクモンだったなら手出しできなかったと思う。彼らはそれほどの存在であったし、ウィザーモンとて相手の力量を測れぬほど愚かではないと八雲は信じている。
だから、彼が助け舟を出した時点で自分達のすることは決まっている。ウィザーモンは八雲に全てを任せたのではない。そもそも、彼らはそこまで親密ではない。もしもウィザーモンが危機に陥るようなことがあれば、八雲は命を賭して彼を助けようとするだろうが、その逆は有り得ない。つまり、八雲がウィザーモンを助けるのは飽く迄も彼の性格故だ。互いに契約しているからなどという単純な理由ではない。八雲は助けたいから助けるだけ、守りたいから守るだけだ。
無論、ウィザーモンが手出しをするか否かに関係無く、八雲は戦うつもりだった。故に最初から心には何の迷いも無い。全く動揺する素振りを見せず、極めて自然な態度でラーナモンと相対した。
「……悪いけど、俺って目の前で誰かに死なれるってことに耐えられないんだよな」
「それは私も同感です。見知らぬ者とはいえ、尊き命が視界の中で奪われては目覚めが悪い」
「き、君達は――」
息をするのさえ苦しそうに自分達を見上げるブイドラモンを庇うように、八雲とウィザーモンは前に出る。
前述したように、元から打算的であるはずのウィザーモンが手を貸してくれた事実こそ重要だった。あの時、クラウドと戦うと言った八雲を少なからず諌めようとした彼が、何故ラーナモンと戦うことを決めたのか。彼はラーナモンに勝てると判断したのか、それとも単に八雲の夢に感化されたのか。
当然、そんなことは八雲の与り知らぬことだ。だが少なくとも、今だけでも頼りにさせてもらおう。
「休んでろ、ブイドラモン。……詳しくは知らんが、お前のご主人様は俺らが守るからな」
「……やれやれ、敵となるかもしれぬ者を無償で助けるとは。人間とはかくも不条理な生き物でしたか」
それは紛れも無く皮肉だが、ウィザーモン自身にも向けられた皮肉だ。
そう、確かに光の闘士は敵となるかもしれぬ、むしろ今までの十闘士を鑑みれば敵になる可能性の方が高い存在だ。それを助けるということが如何に愚かなことか、聡いウィザーモンなら既に理解しているだろう。それを承知で、彼は戦いに望む。共にいる時間は短いけれど、彼は既に八雲に影響され始めているのかもしれない。
全ての人を幸せにする。そんな渡会八雲の夢は、愚かしく果てしない。たった一人の人間如きが達することのできる程度の高みではないということは、聡いウィザーモンにはわかっている。そう、彼の夢には限りが無い。一人の人間が幸せにできる人間の数などは限られている。それなのに、少年は全てを幸せにしようとする。その矛盾に気付かない。気付こうとしない。
そんな夢を持つ少年を手助けしたいと思う自分の気持ちには、ウィザーモン自身が一番驚いていた。
どこか遠く離れた場所。
渡会八雲をも容易く退けた炎の闘士は、己が契約者と共に公園で時間を潰していた。
「……まずはラーナモンか。奴程度で苦戦しているようでは先が見えんぞ」
「お前は奴が生きているって確信しているみたいだな、クラウド」
前に立つ主に向け、グラウモンは問い質す。
その質問にクラウドは答えない。それが何よりも肯定の意を示していた。今まで冷徹な暗殺者として存在してきたにも関わらず、渡会八雲という少年に対してだけはこの男が珍しく感情を露にする。無論、グラウモンはその理由を知っている。クラウドが渡会八雲という少年に固執する理由、そして炎の闘士として戦い続けている理由を。
だから敢えて掘り返すことはしない。自分はただ、彼に従うのみだ。
「……さて、問題はそこで光の闘士が目覚めるか否かだが……」
「光の闘士……なるほど、ジャンヌね」
「ああ。奴の存在如何で状況は大きく変わるだろう。……元来、そういう資質を持つ者なのだからな、光の闘士とは」
ジャンヌ。ブイドラモンの言う通り、それが光の闘士の名。
だがその名を口に出した瞬間、一瞬だけクラウドの目が穏やかな光を宿したように見えた。その時の彼の目は、肉親への愛情というか親愛というか、そんな感情を内包したもの。少なくとも炎の闘士である冷徹な男がする目ではない。
静かに呟くクラウドの腰には、渡会八雲が持つものと同じ、龍斬丸が姿を見せていた――。
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【解説】
・水の闘士“???”
八雲とウィザーモンの前に現れた美少女闘士。本作の十闘士は全員が必ず人間の姿とカタカナ名を有しているが彼女は不明。
立ち位置的には仮面ライダーシザース、つまり噛ませ犬。グロットモン&アルボルモンと共にダブルスピリットエボリューションを持たない闘士の悲哀を体現する。本作を10年以上寝かせてる間にダブスピ追加されると思っていました。
今読み返すとラーナモンの口調、あまりにも(当時漫画の封神演義にハマってたからか)妲己過ぎて草生える。
・ブイドラモン
光の闘士の契約者。香坂神社に顕現した十闘士の遺跡にて、未だ目覚めぬ光の闘士を守っている。これまでに登場してきた十闘士及びその契約者はドドリアさんの如く「とりあえず死ねェーッ!」と殺しに来るイカれた奴らばかりであったが、彼だけは穏やかな性格でやっくんやウィザーモンに親身に接してくる上、十闘士の秘密も普通に教えてくれる好漢である。あと間違って殺しかけたらキチンと謝る。
タイチの1とゼロマルの00で勝率100%を誇るブイドラモンだが、タイチがいないので圧巻の勝率00%。
【余談】
作中の舞台である二宮市ですが、主人公のやっくんが通う相葉高校とヒロイン二人である朱実と環菜の通う二宮女子高校の他に松本商業高校と大野大学付属高校、そして桜井高校が存在します。
もうおわかりですね? 由来は嵐のメンバーです。
【後書き】
宣言通り一気に投稿していくッッ。
誤字脱字は可能な限り手直ししていますが、表現や流れは「こんな文章オレのじゃねえ!」と首を掻き毟りたくなる部分も執念で我慢して十年前の自分のそれを保たせるようにしております。恐らく今の作者が書いていたら、ラーナモンはもっと超強敵として現れただろうしブイドラモンももうちょっと見せ場があったのだ!
今回のポイントは、前回の将門の首塚=ザンバモンの墓標であったのと同様、デジタルワールドの施設が人間界において属性の近いそれに憑依していると明かされたこと。そして炎と並んで最強と目される光の闘士の名前……。
それでは次回も近い内にお会いしましょう。
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