ブラスターの側面に回る戦法自体は、ブラックウォーグレイモンとの戦いで既に目にしていたものだ。
異なるのは、その方向。
ブラックウォーグレイモンが懐に入り込み追撃を仕掛けたのに対し、ブラックセラフィモンが回り込んだのはその外側。
裏拳でブラスターを叩き、ブラスター自体の重みも利用して桐彦の体幹を崩す。
「ちいっ」
位置的にも、先に使用した尻尾でのガードは届かない距離。
次いで放たれた回し蹴りは、同じ方向に身体を傾けて受けることでどうにか衝撃を緩和し、周囲の机等を巻き込み転がりつつも、受け身を取る事自体には成功する。
「『セブンヘルズ』!!」
ブラックセラフィモンはそのまま桐彦を追わず、勢いを殺さず。腕を伸ばして更に半回転しながら、その軌道に7つの黒い高熱球を並べる。
「!」
出現した順に飛び立つ地獄の業火は、桐彦に続いて両脇から刃を携え迫っていたクヅルとシフを迎え撃つ。
「っ、『ツヴァイハンダー』!」
亜高速の斬撃は、属性の優位を以て『セブンヘルズ』を相殺するが、武器で受け止めた衝撃は重く、シフは後退を余儀なくされた。
対して、クヅルは僅かな熱球同士の隙間を縫うように、『セブンヘルズ』を回避したものの―――
「……む」
特殊な装甲を持たない皮膚が、高熱に焼かれる。
リヴァイアモンに空けられた穴と比べれば軽い火傷に過ぎない。
むしろ―――軽く炙られ、うっすらとケロイド状に硬化した組織が、瘡蓋のように傷口を塞いでいるような始末。
「これは、また。小賢しい」
誤差の範囲と言えば、誤差の範囲。
だが確実に、その乱雑な『治療行為』によって、僅かにと言えど『鬼種流離譚・鬼哭愁終(きしゅりゅうりたん・きこくしゅうしゅう)』の出力は、低下して。
振り下ろされた刀を手甲の曲面で受け流し、鞘による打撃はブラスター同様側面を弾いて逸らし、返す刀の一振りが差し込まれるまでの隙を突いてブラックセラフィモンの赤い爪が鷲掴みにするのは、クヅルの右肩の付け根。
「!」
反射的に身を引いたクヅルとは真逆の方向に力を込め、体格差と握力で、彼はクヅルの肩を外した。
「っ!」
『戦闘続行』スキルに関係無く、人体の構造の問題で一瞬身動きが取れなくなったクヅルを、ブラックセラフィモンはそのまま持ち上げ、振り被り、―――身体を起こしていた桐彦の方へと、投げつける。
「っとぉ!?」
「ぬ……すまん」
桐彦は構えかけていたブラスターを反射的に下げ、そのブラスターに着地するつもりで空中で身を翻していたクヅルは僅かに距離を見誤り、2人はお互いを巻き込むようにしてその場に倒れた。
その様子を見届けず振り返ったブラックセラフィモンの眼前には、既に吸血鬼の牙が迫っていて。
「血を―――」
ブラックセラフィモンは床を蹴り、先んじて飛び出してきたミラーカの右腕に飛び乗り、膝関節を彼女の首と胸の下に来るよう被せ、『鋼の鎧』の質量でミラーカの身体を横倒しにする。
続いて手首の棘の下をしかと握り締め、ブラックセラフィモンは人間で言う骨盤の辺りを逸らした。
「うっ」
可動域を超えて引き延ばされた肘関節が極まる。
柔道由来のオーソドックスな関節技、腕挫十字固めだ。
もちろん、アンデッドの腕はたとえ反対側に折られたところで繋がってさえ居れば―――いっそ千切れても―――動くものだが、いかにミラーカと言えども、普段の関節の可動域は人間のものだ。
動かせる筈の腕が動かない。痛みは兎も角、デジモン、あるいはデジモンの姿を取った存在同士の戦闘では滅多に体験し得ない違和感が一瞬、彼女の判断を鈍らせ―――
「『テスタメント』!!」
「がっ」
―――紫電が、ミラーカと、そしてブラックセラフィモン自身を包む。
『テスタメント』―――所謂「自爆技」。
己の命をも火種にした地獄の体現が、2体のデジモンの肉体を焼いた。
……そうまでして尚、致命傷が、致命傷に至らない。
「……聖解の、反応を確認……っ!」
ばちばちとテクスチャの上に火花を散らすようにして、肉体を修復したブラックセラフィモンが、ミラーカよりも先にその場から立ち上がる。
その手には、今更のように白いUSBが、握られていた。
「待ってよ、名城さん」
全員の動きを目で追うのがやっとだった三角が、残された結果に青ざめる。
ラタトスク側の職員達も、名城を含めてほとんどが、彼と同じような表情を浮かべていた。
「それって……あの回復以外は、全部ブラックセラフィモン自身のスペック、って事?」
沈黙を以て、名城は、そして玻璃と馬門も、それを肯定する。
イスラエル発祥の護身術、『クラヴ・マガ』
攻撃は主にボクシングから、身のこなしは柔術やレスリングから。様々な格闘技から実戦向けの要素以外を削ぎ落とした、シンプルかつ合理的な近接格闘術である。
実戦向け、とあるように、クラヴ・マガの動作はスポーツ的な『型』ではなく、「自身にとって不利な状況からの相手の無力化」を重視したものとなっている。
例えば、武器を持った敵や、複数人の相手の制圧
攻撃の必殺技を持たず、なおかつ戦闘中『防御』という工程を必須とするヒューマンスピリットの鋼の闘士にとって、それは正に理想的な戦闘技術であった。
加えて、クラヴ・マガには人間の本能的な反射神経そのものを利用した技術が数多く取り入れられている。
デジモンである彼にとって、それは直接役に立つ情報では無かったものの―――知る事は出来た。
人間が、戦闘時。どのような動きをしてしまいがちなのかを。
何せ、当時のブラックセラフィモンにとっての『敵』とは、即ちスピリットを纏った人間であった。
いくらデジモンの力を手に入れようとも。人間は、人間の本能までは消し去る事が出来ない。
故に、対デジモンに特化した環菜のパートナーの格闘術とは別に、彼のクラヴ・マガは、あくまで「人間との戦闘」を想定して、デジモンとしては本来あり得ないレベルで洗練されている。
ユミル進化に対する、一種のカウンターとして。
「じゃあ、これは!? ―――ギギモン! シフさん!」
肉の焦げる臭いに顔を顰め、嘔吐きそうになりながらも。メギドラモンに抱えられたヒトミの人差し指が、ミラーカから自分達に向き直ったブラックセラフィモンに照準を合わせる。
「『リヒトアングリフ』!!」
一点に集中した熱線(『メギドフレイム』)と、シフの左腕のロラント2(ツヴァイ)から飛び出した追尾型ミサイルが同時にブラックセラフィモンを狙う。
双方とも純粋な、デジモンとしての必殺技だ。
「『セブンヘルズ』」
だが、聖解のバックアップを受けた上で、きちんと構えを取って放たれた地獄の七球は、同じく地獄の炎たる『メギドフレイム』とミサイルの流星をいとも容易く飲み込み、時間差で発射されたロラント2の主砲の一撃をも巻き込んで爆ぜる。
「こんなの……こんなのばっかり……!」
ヒトミは唇を噛み締める。
「こんなのばっかり」とは言ったものの。それは「最強」の称号を誇り続けてきた彼女が初めて目の当たりにする、種族的な相性や特効の絡まない、実質的な「力負け」。
「もはやインチキじゃん……!!」
聖解込みの力だとは理解しつつ、悔しさを上回る動揺が、彼女の声を震わせた。
「とはいえ、数の有利はアナタ方にある。このまま続けていれば先に潰れるのはワタクシの方かと」
ブラックセラフィモンは極めて真面目な調子でそう呟き、やれやれと頭を横に振る。
どの口で、と桐彦が顔を顰めるが―――だが、実際に。クヅルは凄まじい音と共に肩をはめ直し、ミラーカもまた、焼け焦げた組織の下から盛り上がらせるようにしてそのテクスチャを再生している。
それぞれに致命傷を与えなかったというよりも、与えられなかった。
機械的な性質を持つ鋼の闘士は、そんなところに「遊び」を取り入れたりはしない。全員に対処する上で、1人1人に時間をかけるだけの余裕は無かったのだ。
「このまま」戦闘を続ければ、という所感に、やはり嘘は無い。
「なので。こちらも切り札を使わせてもらいましょう」
ほとんど瞬間移動に近い速度で、ブラックセラフィモンはその場から跳び退く。
戦闘開始以前の初期位置。教室の端。
ブラックセラフィモンは瞬時にオールバックのスーツ姿の中年男性へと用紙を切り替え、その場に降り立った。
「……さて」
右手の指で挟んだ白いUSB―――聖解を、ラタトスク陣営に見せつけるように持ち上げて。
スーツの男は躊躇無く、その銀のコネクタ部分を、己の右目に突き刺した。
「っ、うう……!」
擬態姿とはいえ、強度は人間のものと変わらず、加えて痛覚を持たないわけでもない。
激痛に歯を食いしばりながら。男は更に深く、深く。聖解を己の眼窩に沈めていく。
何故、そんな真似を?
聖解を体内に取り込むにしても、他に方法はいくらでもある筈だ。必要性を感じない男の行動に、多かれ少なかれラタトスク側の面々が呆気にとられているのを、残された左目で見渡して―――その視線を桐彦に定めて、彼は唇の片側を吊り上げた。
「「類似性のあるものは呪術的に見れば同じものである」……でしたっけ?」
「あ?」
何言ってんだテメェ。と、疑問符が口を突きかけて。
「……あ」
奇しくも半刻前に自らが口にした『名』と、己の『物語』に敷かれた理が脳裏を過った瞬間。お世辞にも血色が良いとは言えないベルゼブモンの皮膚から、さぁっ、と更に、血の気が引いた。
「おい。おいおいおいおいおいおい! 待て、ンのバカ!! やめ―――」
「やめてください! マスターッ!!」
狼狽えつつも、まず状況を把握できていない他のメンバーに代わってブラスターを構えた桐彦の咆哮に被さって。
玻璃の悲鳴が、響き渡った。
スーツの男が、ぴたりと動きを止める。
「やめて……もう、やめてください、マスター……お兄ちゃん……!」
「……」
咄嗟の事だ。
言いたい事は、まだ、全く形になってはいない。
だが、それでも。玻璃は堪えられなかったのだ。
最愛の兄が、自らの手で己を傷つけている場面に、何も言わないでいるだなんて。
「私は……私は、もう、お兄ちゃんが犠牲になる所なんて。……私のためにひどい目に遭うところなんて、もう、見たくないんです」
「……」
「聖解を、暗黒の海からの帰還に用いたのなら。きっと私は、マスターの敵としては召喚されなかった。もしもマスターが、もっと「ちゃんと」した妹が欲しかったなら、私は別に、それでも良かった! でも、でも!」
「……そうじゃない」
「そう、です。マスターの望みは、そうじゃない。……マスター、私は。……この相違点の、本来の『私』は。……既に、死亡しているのでしょう?」
ええ。と。
僅かな沈黙を挟んで、スーツの男は玻璃の言葉を肯定する。
「マスターは、私の蘇生を試みたのではないのですか?」
「その通りです。……その通りでした」
「状況は、私には判断のしようがありません。ですが、これだけは言えます。……本当に『私』が蘇ったのであれば。『私』は、例え滅び行く定めであろうとも、世界の滅びを加速させたりはしません。そんな事、考える筈がありません。マスターが存在する世界を、私は―――」
運命の歯車が狂ったあの日と同じ顔で。
床に目尻から零れた染みを幾重にも重ねながら、玻璃は男に問いかける。
「―――私は。どうすれば良かったのですか? マスター。……お兄ちゃん!」
「「それ」では駄目な事だけは、確かです」
否定する。
男は妹の問いを、訴えを。否定する。
凍り付いた表情で顔を上げた玻璃から、男は隣に待機する馬門へと視線を移した。
「馬門。この世界の本来の玻璃の死というピースを以て、貴方はそろそろ、この相違点に呼ばれた理由を察しているのではありませんか?」
「いや、わかんないよ。ボクが察しの良い人間に見える?」
「「貴方のパートナーデジモンが『前例』であった」と、お伝えしても?」
一度、目を瞬いて。
「あー。ああ……」
次の瞬間、馬門が頭を抱える。
珍しく寄せた眉間の皺に指を添え。察すると言うよりも答案を開示されて。馬門は、この世界の自分が彼に殺された理由をも理解する。
「この世界の『京山玻璃』は、溶けて、何も残らなかったんだね」
「『貴方』は何も話しては下さいませんでしたよ」
馬門のパートナーは、他のデジモンのデータを付け加える事で進化先を操作する改造手術に失敗した末にデジコアも残さず溶けて死亡した。
即ち、『デジモンプレセデント』の世界には、「合わないデジモンのデータを移植し続けるとデジモンは溶けて死ぬ」という理が存在する事になる。
「そして、ワタクシは。あの子の最後の言葉を聞き取る事も、表情を確かめる事すら出来なかった」
闇と光、相反するスピリットの両方を纏えるよう、鋼の適合者から更に調整された肉体。
ただでさえ3つの属性を抱えていた玻璃の「デジモンとしての要素」に、深淵からの干渉に等しい、完全なデジモンへのユミル進化が加わった時―――当然のように、それぞれの要素がお互いに対して、拒絶反応を起こした。
ただ、それだけの話。
「合点がいった。なら、彼女本人を蘇らせたところで、だ」
「そう。もはやユミル進化が浸透した世界では、玻璃本人の蘇生は、次の死の引き延ばしにしかならない」
病院から失踪したこの世界の馬門を探し当て、パートナーの蘇生について集めた資料は無いのか。そして一種の「やり直し」の機構足り得るスサノオモンのパーツとしての氷のスピリットの所在を「聞き出して」いる最中―――鹿賀颯也から、雲野環菜が凶刃に倒れたとの知らせが届いた。
そうして、彼は全てを失い―――
―――そこに、都合の良い『奇跡』が、差し出された。
「ワタクシはそれに。聖解に望んだ。世界に、人に、デジモンに、……ワタクシの過ちに。もはや全てに脅かされる事の無い玻璃を。全ての望みを許される彼女を」
男が右目を抉っている聖解を、指先で軽く上下に動かす。
涙でも血でも無く、データの残滓がはらはらと零れた。
「ですが、万能の願望器の力を以てしても―――玻璃。貴女からの、ワタクシへの思慕だけは、外す事が出来なかった」
「そんなの、そんなの当たり前ではありませんか……!」
悪逆の限りを尽くしていたダスクモンでさえ、男の言う通り、それだけは変わらなかった。
兄を、京山幸樹を愛さない玻璃など、玻璃では無い。
玻璃にとって、兄は「全て」だ。彼女の生きる意味だ。
「何故、そのような事を」
「だからワタクシは、一先ず貴女を害しかねない存在の排除に努めました」
彼は玻璃の戸惑いを意に介さず、続ける。
「それでも、駄目だった。……研究所の仲間達まで巻き込んだ挙げ句、ワタクシはこうしてまた、全てを失った」
それで、気付いたのです。と。
「いいえ。本当の事を言えば、目を逸らしていただけなのでしょうね」
妹の幸せに、ワタクシは要らないのです。と。
「……マス、ター?」
いよいよ、玻璃は青ざめる。
「何を、言って」
「エインヘリヤルとして召喚された環菜からもたらされた情報によって、ワタクシ達が「物語の登場人物」だと知って。……納得しました。ワタクシは、どうあっても貴女を不幸にする機構(システム)なのだと」
何故ならそれは、他ならぬ玻璃自身が。兄を悲惨な目に遭わせる自分自身に抱いた所感であるからだ。
「絶対服従の権を以て貴女の自由を奪っていたのもワタクシ。貴女を連れ出し、より過酷な戦いに巻き込んだのもワタクシ。貴女の些細な願いを我が儘と断じ、舞台を降りれば貴女を傷つけ、貴女の下に帰れば貴女を殺し―――戦いを終えた筈の貴女すら、再び闘士として招き寄せる! 何もかも! 全ての選択を間違える!! 嗚呼、ワタクシなど。ワタクシなど」
兄妹は、お互いに対して、異なる形で、最悪の結論に至る。
「最初から、存在しなければ良かったんです」
「違う! 違います!! 私は、マスターが居なければ」
「玻璃。先に教えてくれたでしょう? ……貴女は、ワタクシの居ない未来で、幸せに暮らしていると」
「そう、じゃ、ない……! そうじゃない。ちがう」
「もう、貴女の順風満帆な人生に。ワタクシという影など落とさせません」
「待って、マスター」
「玻璃、必ず『貴女』を幸せにしますから」
手の平で聖解を眼窩に押し込み切って。
男は『京山幸樹』の名と―――京山幸樹の基盤であった、『鋼の闘士』としての己と、縁を切る。
メルキューレモン。
フランス語のメルキュール―――水銀。そして水銀を霊薬と讃える錬金術を司る神・ローマ神話のメルクリウスを語源とするデジモンの名。
そしてメルクリウスは、とある魔術の神と同一視されている。
「どうせ機構であるのなら。そして、我が父にもその権利が在ったと言うのであれば。ワタクシにも同じ事が出来る筈です。最高位の管理システム(神)に成る事が!」
その神は、知恵の対価に片目を捧げ
北欧の原初の巨人・ユミルを殺し
「激怒する王」の名を冠する。
大量のリソースを内包する願望器で片目を潰し
管理システム『ユミル』を名乗った『父親』を殺し
堕天使は、更に闇に堕ちる。
スーツの男の、顔立ちに妹との共通点も多々あるテクスチャが壊れる。
十枚の翼に変わって現れた一対の巨大な羽が開き、卵が孵るようにして、悪魔の王が―――否、異教の魔術を讃える者達にとっての神が、生まれ堕ちる。
「ワタクシの名はデーモン。そして、今より管理システム『ウォーデン』を名乗る者」
右目の在るべき場所に深淵が覗くその憤怒の魔王は、気圧されるラタトスク側の面々に向かって、高らかに宣言する。
忌まわしき父と、同じように。
「ワタクシの最愛に不条理を与える物語など要らない。理不尽を押しつける世界など必要無い。ワタクシは新たなる神として、ユミルの死を基盤に、そしていずれはワタクシ自身の消滅を以て、滅び(ラグナロク)の向こうに貴女の幸福な未来を敷きましょう―――玻璃」
「そんなの……そんなもの、要りません。マスター……! そんなものは、ありえません。お願いです。話を、聞いて」
「諦めろ、闇の獅子」
ふーっ、と長い溜め息を吐きながら、改めてブラスターを構えた桐彦が首を横に振る。
「よりにもよって俺様ンとこの理を利用した以上―――……少なくともありゃ、もうダメだ。詰め込みすぎて、イカれてる」
「そん、な。―――っ!!」
「! 玻璃!」
三角の隣を飛び出し、玻璃は、戦闘態勢を取り直していた仲間達の間を抜けて、デーモン=ウォーデンを名乗った、変わり果てた兄の前に躍り出る。
「お兄ちゃん」
その肩書きを口にする。
それがかつて鹿賀颯也に教えてもらった、魔法の言葉であるようにと祈って。
最愛の人(デジモン)から与えられた、最強の盾を掲げながら。
「私は、貴方がこの世界を滅ぼすと言うのなら。イロニーの盾を使用します。……貴方と、っ、戦います」
「……」
「私の幸せを願うと言うのなら! もう、これ以上」
「ᚨ(アンサズ)」
「……え?」
デーモン=ウォーデンが宙に素早くアルファベットのFに似た文字を刻むなり―――その位置に、火球が出現する。
大神の、ルーン文字。
「玻璃。エインヘリヤルの貴女は、消滅すれば物語の記録の中に戻る。幸せな記録の中に。……まずは、貴女が『外』の世界から強いられた物語を、終わらせましょう」
憤怒の魔王でありながら、あまりにも柔らかく、穏やかな声音で、デーモン=ウォーデンは宣言する。
殺意を。
「『デジモンプレセデント』を作り替え、ワタクシが消えるのは。貴女方の集めたスピリットを回収した後です」
今度こそ。玻璃は、自分の心が折れる音を聞いた。
「それまでは―――さようなら。おやすみなさい。ワタクシの■■■■」
きっと「いもうと」と発音したに違いない言葉までもが、ノイズに塗り潰される。
代わりに放たれるのは、手の平の上で燃え上がっていた火の玉。
「『アルゴルズフレイム』」
瞬く間に肥大化した悪魔の火が、玻璃達に迫る。
ヒトミが息を呑む音が、玻璃の耳に届いた。
―――防がなければ。
このメンバーの必殺技や宝具では、相殺という形で防ぐ事は困難だ。
イロニーの盾を用いて対処する他無い。
―――だから、私が。防がなければ。
そう、思うのに。
「これは……私の、罪。私を、闇たらしめるもの」
盾を支える腕が、全身が震える。
口はからからに渇いて詠唱もままならないのに、目尻からは水滴が留まる事を知らない。
―――私が、やらなきゃいけないのに。マスターをここまで追い詰めてしまった、私の罪なのに。
力を貸して欲しいと縋り付きたい最愛の兄から差し向けられた炎が、既に目に焼き付いていて。
「おにい、ちゃん……!」
スピリットは。……そんな玻璃の『心』に、応えない。
「玻璃。ワタクシの背から、けして出ないように」
「……え?」
だから、「そのデジモン」が応えたのは。
都合の良い幻だと。
幸せな夢だと思った。
それでもいいと思える程。何度も思い描いた背中が、泣きはらした玻璃と『アルゴルズフレイム』を、同時に映しながら、隔てていた。
「『救世に掲げし盾(ジェネラスミラー)』ッ!!」
燦然たる輝きが鏡の盾を覆い、その背を遙かに超える強大な炎を、そのままデーモン=ウォーデンへと跳ね返す。
「な―――あっ!?」
悪魔の巨体が、己の炎に包まれ、押し倒された。
「言いたい事は解ります。やりたい事も。ええ。アナタは、ワタクシだったようですから」
「霊基パターンエクストラ! これは―――シールダー!? 三角、そちらで何が」
呆気にとられる三角に代わって、深々と息を吐き出した後、馬門がからりと笑う。
「何って、主人公だよ」
「悪の闇のスピリットを用いたあの子もまた玻璃。彼女のために世界を滅ぼすと言うのであれば、それは許しましょう」
動く度に、金属のこすれ合う音が響く。
「玻璃のために玻璃のための世界を創造し、不幸の根源たる己を消滅させたいと仰るのであれば、それも結構。ワタクシは、アナタが彼女のために動く限り、この相違点に介入を許される謂れは無かった」
ですが、と。
彼は。丸い鏡の顔の中。赤い唇のマークを、ぐいとへの字に折り曲げる。
「玻璃に手を上げた以上、アナタはもはやワタクシではない」
姿見が反射するのは、悪魔の容貌ばかり。
だから、今から『彼』がやる事もまた、神を騙った身内に対しての、焼き直しだ。
「恥を知れ、痴れ者が。アナタの神代など、この先永劫に訪れるものですか」
―――刹那。
ほとんど同時に動いた桐彦とメギドラモンが、方やローキックで、方や伸ばした尻尾で、『シールダー』の膝裏を強かに打った。
「いっ!?」
所謂「膝カックン」に一瞬バランスを崩し、しかしすぐさま体勢を戻したシールダーは鏡の中で大口を開ける。
「っ、何をするのです!?」
「イヤ、わり。なんかめっちゃイラッとしたから。突然出てきて全部かっさらいやがって」
「かっこいいよ。かっこよかったけど、でも、桐彦さんとドーカン。もっと早く、こう、どうにかならなかったの……!?」
同調するように、メギドラモンも唸る。
「聞いていましたかワタクシの話を!? 来なかったのではなく来られなかったのですよ! ワタクシはあくまで玻璃の―――」
と。反論しようとするシールダーの鏡の胴に、ひし、とスーツの袖に通した腕が回る。
「ます、た、あ……マ、スター、マスター……ッ!!」
一転。唇だけで優しい表情を浮かべて。しゃがみ込み、振り返ったシールダーは、自分にしがみつく玻璃をそっと抱きしめた。
「玻璃。……よく、頑張りましたね」
しゃくり声が、嗚咽に変わり。……それからすぐに、玻璃はわあわあと声を上げて、小さな子供のように泣き喚く事しか出来なくなる。
手の平に伝わる冷たい金属の感触が、何よりも、温かかった。
ミラーカが軽く鼻を啜る。
緊張感の無い奴らよとクヅルが肩を竦める。
そして、シフは玻璃へと、微笑みかけた。
未だ、ここは戦場。
デーモン=ウォーデンが身を起こすまでの、たった一時の猶予。
それに―――堕ち果てた『彼』の悲劇は、何も終わってはいない。
それでも。
それは、シフが読者として夢見た一つの『未来』で。
あんなに泣きじゃくっているのに。……玻璃はちゃんと、幸せそうだったから。
「……テイマー、掴まって。シールダーのところまで跳ぶ」
「え?」
「ホントはあっちから来てもらうのがエインヘリヤルとしての筋かもだけど……闇の闘士がしがみついてる状況で、彼を動かすなんてテコでも無理からさ」
馬門に運ばれ、三角は緑の装甲に覆われた、背の高い奇怪な姿のデジモン―――シールダークラスのメルキューレモンの下に降り立つ。
鏡の顔に、三角の顔が映り込んだ。
「エインヘリヤル、シールダー。真名、京山幸樹」
シールダーは、堂々と己の人としての名を名乗り、唇のマークの片側をにやりと持ち上げる。
玻璃と同じ笑い方だと、三角は思った。
「遅ればせながら、参上いたしました。……ありがとうございます。玻璃と一緒に、戦ってくださって」
「……いや、俺の方こそ、助けられてばかりで……」
「と、つもる話はありそうなのですが」
「■■■■■ ■■■――――――ッ!!」
いよいよ炎を振り払い、体勢を整えたデーモン=ウォーデンが、捨て去ったその名を絶叫する。
「アナタは―――アナタだけはッ!!」
「奴はこの様子ですしね。……どうか助力を、最後のテイマー。そしてその協力者達」
幸樹がその場から立ち上がる。
まだしゃくり声を上げていた玻璃も、乱雑に目元を拭って、その後に続いた。
「あの偽神に、必誅の一手を下しましょう」
彼は今ひとたび、妹が使うのと同じ笑みを浮かべた。
「丁度、こうして10のスピリットも揃いましたからね」
*
桐彦の『カオスフレア』がデーモン=ウォーデンの右腕を消し飛ばす。
「ᛞ(ダガズ)!」
だが、デーモン=ウォーデンがすかさず自分の胸元にルーンを刻んだ瞬間、消滅の波動を浴びて分解された筈の右腕が、瞬く間に再生した。
「そういう『解釈』かよ……!」
桐彦が舌打ちする。
ダガズ。一日のサイクルを意味するルーン文字だ。
ルーン魔術は、使用者の「文字の解釈」によってその力が変化する。デーモン=ウォーデンはこのルーン文字を「変わらぬ日常」と解釈し、肉体を「普段と変わらぬ状態」にまで巻き戻したらしかった。
聖解によるリソース供給があってこその運用ではある。が―――デーモン=ウォーデン自身、このルーン文字に備わった意味に、思うところがあるのだろう。
それだけの、出力だ。
「だが、何。殺し続ければ死ぬだろう」
クヅルの黒い刃が、背後からデーモン=ウォーデンに迫る。
一閃。
真っ直ぐな煌めきが、デーモン=ウォーデンの首を走った―――かに見えた。
「っ」
しかし実際に刀が割いていたのは、デーモンの翼の先端。
僅かに身体を傾け、翼を軽く持ち上げただけで、鎧の大袖のようにクヅルの斬撃を受け止めたのだ。
もちろん斬れはしたものの、与えられるダメージにはどうしても差が出る。
加えて、刀を降り終わった、僅かな無防備の時間。
「くっ」
そのまま身を翻し放たれるのは所謂「裏拳」。
寸前、鞘で受け止めはしたものの、クヅルの身体は大きく弾かれ、壁に叩き付けられる。
「……とはいえ、露骨に攻撃を避けなくなったな。不死身の肉体に胡座をかくのは結構だが、なますに刻んだ後から泣き言は聞いてやらんぞ」
「お前も大概だよ」
火傷の覆いを突き破って再び裂けた傷口からだらだらと血を零しながら、しかし傍目には何事も無く立ち上がったクヅルに、桐彦が思わず引き気味に呟く。
「いや……お前「ら」も、かァ?」
ダガズが刻まれた位置を狙って伸びる、ミラーカの『ブラッディーストリームグレイド』。
爪がデーモン=ウォーデンの厚い胸板に食い込み、肉を抉らんとその隙間を狭める。
対抗するように、デーモン=ウォーデンもまた腕を伸ばす。格下の堕天使型・デビモンの必殺技と同じ要領の、悪魔の王として必殺技ですらない能力でミラーカ―――ネオヴァンデモンの全体から見てあまりにも細い腰をへし折らんばかりの勢いで鷲掴みにし、その場に固定した。
「!」
「ᚺ(ハガラーツ)―――『ダークスプレッダー』!!」
デーモン=ウォーデンの胸部の宝玉が輝く。
破壊の意味を持つルーンを刻まれた闇色の光線が、ミラーカを飲み込まんと、凄まじい勢いで這い寄っていく。
「『オフセットリフレクター』!!」
「ちぃ……っ!!」
だが光線はミラーカに届く事無く、デーモン=ウォーデンの欠けた右側の視界に回り込んでいた京山幸樹によって打ち消される。
デーモン=ウォーデンは舌打ち混じりにすぐさまミラーカから手を離す。
とはいえ、それは解放の意図を持っての事では無い。デーモン=ウォーデンはそのまま腕を振りかぶり―――ミラーカを思い切り殴りつけた。
「がっ!」
衝撃に、デーモン=ウォーデンを掴んでいた彼女の手が離れる。
―――が、明らかに折れた首を意に介する事無く、ミラーカは傾きかけた身体を一歩引いた足で支え、同じように浮いた腕を、そのまま振りかぶった。
伸びた腕同士による、パンチの応酬。
ヴァンデモンの赤い閃光の鞭『ブラッディーストリーム』の名を冠するだけはある、鞭のようにしなる腕による強烈なフックに対して、クラヴ・マガの源流の一つであるボクシングの技術を取り入れた精密なラッシュ。
肉とテクスチャ、骨とワイヤーフレームが砕ける音が、双方から何度も何度も、空間いっぱいに響き渡った。
「おい水銀野郎! ホントに時間さえ稼げばどうにかなるんだろうな!?」
ブラスターで再びデーモン=ウォーデンが防具として利用しようとした翼を消し飛ばしながら、桐彦が声を張る。
「さあ」
「さあって」
「しかし、してもらわねば困ります。「アレ」がこの世の理として君臨し続けるだなんて、率直に言って虫唾が走りますので」
「理由まで極めて個人的だなアおい!! だが同感だ。テメェの事も既に嫌いだけど同感だ。全く以てなァ!」
桐彦がもう片方の翼を撃ち抜き。
再生までの僅かな隙を突いて、クヅルがデーモン=ウォーデンの股下を滑り抜けるようにして膝を斬る。
悪魔の巨体が僅かに傾いたところを狙って、ミラーカの拳とは逆方向から飛び出した幸樹が、彼女の拳と同時に跳び蹴りをデーモン=ウォーデンの額に叩き込む。
そうまでしても―――数秒の隙。
何度繰り返せば、と考えれば気の遠くなる「時間稼ぎ」
「全く……現界早々無茶を言ってくれる!!」
ワタシが天才で無ければ詰んでいたところだ! と。通信の向こうで声を荒げるテディちゃん。
近くでは、名城もまた、慌ただしく部下達に指示を繰り返している。
それだけの大仕事であり―――賭ける価値のある提案なのだろう。鋼の闘士・メルキューレモンの作戦は。
ラタトスクのスタッフ達が行っているのは、シフのバトルスーツの『調節』であり、三角の紋章に回すリソースの出力を上昇させるための作業だと聞いている。
「十のスピリット……」
宝具によってダブルスピリットの状態を維持したまま、バトルスーツ姿のシフが胸元に手を当てる。
「その全ての器に、私が」
聖解に匹敵する力を、聖解に対抗する手段として用いる。
この世界の京山幸樹がイグドラシルの破片を用いて管理システム『ウォーデン』を名乗っている以上、それが最善の策だと、シールダーの京山幸樹は、そう断言した。
そして、その『手段』であるところの十のスピリット、その全てを身に纏う資格を持つのは、炎か光―――太古の戦いにおいて、最後まで『傲慢』に食らい付いた2体の魂を継ぐ者と定められている。
「……」
シフが最初に宝具を使用した際に、僅かに感じた「違和感」。
ひょっとしたら、何かが足りないのではないか、という予感の正体はこれだったか、と。ここに来て大役を任されたシフの胸の内で、彼女のデジコアは脈を打つ。
「心配しないで、シフさん」
そんな彼女の蜂蜜色の瞳を見上げて、険しい表情のままでは在るものの、ヒトミは大きく頷く。
大事を取って退化させたギギモンを、その小さな手に抱えながら。
「わたし、サポートだって超一流なんだから。絶対成功させてあげる」
桐彦の宝具の補助にも用いたスキル『アンロック』。
最強の選ばれし子供・神原ヒトミを、最強たらしめる力。
未熟なシフに十のスピリットを使用させるにあたって、彼女のスキルは、文字通り鍵となる。と。幸樹はヒトミにそう伝えて、シフや玻璃と一緒に前線から下がらせた。
「わたし、もっと強いところ見せられたけど、鋼の闘士がそう言うならしかたないでしょ? だから、今回も『特別』。……『特別』は、何個あってもいいの。どうにしたって、絶対に守りきるんだから」
違う? と。それでももどかしさを隠せず、ほんの少しだけ頬を膨らませながら、ヒトミ。
シフは頷いて返す。ヒトミの言葉には、彼女に備わった力以上に、心を開く頼もしさが感じられて。
一方で。
「……」
兄と、兄だったものが激突する戦場を見守りながら。目元を赤く腫らした玻璃は、戦いの行く末を見守り続ける。
幸樹から言い渡されたのは、力の温存と、三角とシフの護衛。
最後の局面で玻璃の力が要る、と。手短に伝えて、彼女を下がらせたのだ。
(成すべき事は、解っている)
玻璃は左手首の、縮小したイロニーの盾の縁をそっと撫でる。
(マスターは、その身を以て私を肯定してくださった。成長した私を、今度は信じて任せてくださっている)
信じられない程幸せな事だと。
ずっと望んでいた事だと。
兄と、今度こそ肩を並べて戦える、と。それが、嬉しくてたまらないのに。
(なのに―――)
玻璃の視線が、デーモン=ウォーデンへと向けられる。
もはや負傷を省みる事無く、持てる全てを駆使してラタトスクに味方するエインヘリヤル達を。……自分自身を葬り去らんとする、最愛の兄の成れの果て。
全ての策を弄して己の怒りを敵対者に向けて体現する者を『復讐者』と定義付けるこの世界において―――デーモン=ウォーデンは、憤怒の魔王の姿を取りながら、ただただ己に爪を突き立てる『狂戦士』にしか見えなくて。
未だ尚
ここに至って尚。
玻璃の『心』は、『彼』を救える言葉を求めて、悩み続けていた。
「……」
「で、キミの方は何かひとつ、纏まったものと見える」
「!」
憂いを帯びた玻璃の横顔にかける言葉を探していた三角の前に、リソース不足を理由に自主的に待機している馬門が割り込んだ。
「馬門さん」
驚いて身を引く三角に、馬門は全員の死角になるような位置から、そっと三角の手に何かを握らせる。
「? これって……」
冷たい感触に視線を下げると、それは馬門が京山デジモン研究所から持ち出したというアンプルで。
「リソース運用、結構負担が大きいんだろう? 痛み止めだよ。副作用は無い。多分。京山先生も、折角改良を加えた闘士の器の運用には気を遣ってたからね」
「……」
「耐えなくて良い痛みまで耐える必要が無いように、言いたい事があるなら言える内に言っておくに越した事は無いよ。どうにしたって、最終局面だ」
「……馬門さんは、もう少し自重した方が良いと思いますけどね」
「いっひっひ、言うようになったね! その調子さ!」
こくん、と頷いて。
三角は一歩、前に出る。
「デーモン=ウォーデン!」
「三角?」
「先輩?」
声を張り上げた三角に、一瞬。全員の視線が彼へと集中する。
デーモン=ウォーデンの隻眼とて、例外では無い。
「俺は―――俺は、あなたが間違っているとまでは言わない。……思わない」
デーモン=ウォーデンの青い目がぎょろりとこちらに動いたのを確認して、三角は続ける。
三角!? と。作業の手は止めないまま、彼の新たな無茶を察知した名城が、思いもよらぬ彼の言葉に声を裏返らせた。
「気持ちがわかる……までは言わない。言えない。でも、「生き残ったのが俺じゃ無ければ」とは、何回も思ったから。……大事な人の未来を模索し続けたあなたの『心』を、否定したいとは、思えない」
「ほう?」
エインヘリヤル達の攻撃を捌き、受け止め。迎撃に影響しない範囲で、ではあるものの、デーモン=ウォーデンは、三角へと向き直る。
「では、ワタクシを見過ごし、滅びを受け入れますか? ワタクシとて、敵対の意志が無い者を追う事は致しません。貴方方の最後の安寧を脅かすような真似はしませんとも」
「違う」
三角は、首を横に振る。
「俺達は、貴方を止める。絶対に」
その宣言さえ、仮初めとはいえ、安全圏から。
どこまでも、読者の視点。
エインヘリヤル達の足を引っ張りながら、守られながら。
物語の主人公でも何でも無い、人間だから。
「ここまで『デジモンプレセデント』を歩いて(読んで)きたから、これだけは言える」
感じた想いを、率直に伝える。
「貴方がどれだけ玻璃の幸せを祈っていたとしても。玻璃が泣きながら終わるのは、そんなのは、絶対に『デジモンプレセデント(この物語)』の結末じゃない!!」
「だから」
消滅波を、刀を、吸血鬼の爪をくぐり抜け。
デーモン=ウォーデンが、腕を構える。
「終わらせて、終わらせないのですよ。ワタクシは―――玻璃のための未来を!!」
だから、貴方達はここで死ね、と。
腕では無く、爪だけが凄まじい速度で、真っ直ぐに。
五指の全てが一直線に三角の心臓に狙いを付けて、伸びる。
「っ」
玻璃は三角を背に回し、人間の姿のまま、イロニーの盾ではなく贖罪の盾で―――闇の闘士として、デーモン=ウォーデンの爪からテイマーを守護した。
「!」
「嫌な事は、「嫌」でいい。……昔の私ですら出来た事なのに。沢山の事を学んできたから、逆に、解らなくなっていました」
振り返って、玻璃は微笑む。
「ありがとう、三角。……貴方が私のテイマーで、良かった」
兄譲りの、唇の片側を吊り上げる笑い方で。
「……ま」
彼女の前に降り立った幸樹が、重力とイロニーの盾の質量に任せてデーモン=ウォーデンの爪を叩き折る。
「及第点と言ったところですね、ワタクシ的には」
「だからナニサマなんだテメーはよ」という桐彦の悪態を聞き流し、更に回転蹴りでその場に留まっていた爪を蹴り砕いてから、幸樹は三角の方へと向き直った。
「それで、首尾の方は」
「……三角」
名城の促す声に、三角は振り返る。
シフと、真っ直ぐに視線がかち合った。
「行こう、シフ!」
「はい、先輩!」
紋章の最後の一画が燦然と輝く。
……三画の紋章には、『誠実』の意匠が感じられるとテディちゃんは言った。
しかし実際の『誠実』の紋章には、この最後の一画―――円の要素は無い。
では、これは一体、何を意味する文様なのか。
「紋章を以て命ずる」
―――痛い。
これまでの比では無い負担による激痛に、三角は歯を食い縛る。
駆け巡るリソースの『熱』によって、腕の神経が内側から焼かれているようだと、三角は錯覚する。
―――痛い。怖い。
一瞬、馬門に渡されたアンプルに手を伸ばしそうになって―――三角はその左手を、自分の右の手首をしっかりと押さえつける事によって、その場に留める。
痛み。
恐怖。
後悔。
……悲しみ。
せめて、抱えていこうと、腹を括る。
「物語の終わりを―――俺達の、未来を!!」
この相違点を、壊す者として。
リソースの消費と共にかき消える、青年の手の甲の小さな円は。
彼自身の、なけなしの『勇気』を記したものだ。
「手に入れるんだ―――シフ!!」
「……ホント、強い子だよ、キミ達は」
馬門と玻璃のデジヴァイスから、それぞれ2筋の光が。
幸樹は光そのものに。
そして、三角のデジヴァイスに纏めていた残りのスピリット達もまた、同じように光と化して―――その輝きを冠する闘士を担った少女のデジモンへと、降り注ぐ。
「『仮想宝具 疑似展開/電子人理の支柱(ロード・ラタトスク)』―――再起動・再構築」
三角からリソースを。……そして『想い』を受け取って。
シフは全てのスピリットから、彼らの力を『光』としてその身に纏う。
バトルスーツが、白一色に染まる。
「宝具―――再展開!」
闇は光に、雷牙は砲に
風は炎に、氷牙は剣に
右手には、狼の誇りを備えた砲筒を。
左手には、竜の魂を封じた大剣を。
マグナガルルモンとカイゼルグレイモンの力を纏ったシフは、最後の闘士として。……擬似的な「破壊と再生を司る神」として、相違点に顕現する。
神を騙った悪魔を、終わらせるために。
「……」
アンロックの対象を確実に定めるためにシフへと向けていた指先を、ヒトミはそっと、ある種の『進化の光』に気を取られていたデーモン=ウォーデンへと向ける。
彼女はその人差し指を拳銃に見立てて、僅かに目を伏せながら、ぱん、と手を傾けた。
「―――『道』を!!」
それをスタートの合図にするかのように。
シフが、その場を立つ。
「宝具の維持は持って十数秒! どうか、彼女に道を拓いてください!!」
「はっ、仕方ねえな!」
「言われずとも」
「任せてください」
名城の号令に、桐彦がデーモン=ウォーデンの腕を撃ち、クヅルが翼を斬り落とす。
次いでミラーカがデーモン=ウォーデンの足に組み付き、彼をその場へと縫い付けた。
―――あと十数秒で、全てが終わる。私達の、この相違点での旅が。
憧れた物語の世界。
憧れた物語の登場人物達。
―――私は、皆さんに恥じないエインヘリヤルですか?
一歩ごとに、終わりが近付く。
ページをめくるように。
―――沢山の人やデジモンに支えられて、迷って、悩んででも、選ぶ事を止めなかった「貴方」に、相応しいエインヘリヤルですか?
だけどこの物語はまだ始まりで。
初めての、本格的な聖解探索で。
……その先にさえ、「未来」が在ってほしいと願う人が、今は居る。
―――いつか私も、「そう」なれますか? ……先輩。
そして、その願いを叶えられるエインヘリヤルになりたいと。
今、彼女は、そう思っている。
奇しくも目の前の偽神が、かつて、己に『心』がある事を悟ったように。
「『スナイパーファントム』『龍魂剣』同時起動!!」
それだけは朱と蒼であったシフの両腕の装甲が、文字通り白熱する。
怒れる偽神の血走った単眼が、己に肉薄したシフを睨めつけた。
「ᚨ(アンサズ)、 ᚲ(カノ)、ᛊ(ソウェル)―――ッ!」
腕を消し飛ばされたデーモン=ウォーデンは、自身に這わせた地獄の炎に、3つのルーンを―――すべて、「火のルーン」と解釈されるルーン文字だ―――を焼きつけさせる。
「終わらせない―――終わらせるために、ここでは終わらせない―――!!」
全てが終わる。
それだけの力を、今のシフは有している。
だが逆を言えば、シフさえ倒せば、ラタトスクは『詰み』だ。
「終わるのは、アナタ達です!! 『アルゴルズ―――」
「これは、私の罪。私を闇たらしめるもの」
闇のスピリット提供後、シフに「先んじて」駆け出していた玻璃が、デーモン=ウォーデンの眼前へと身を投げ出した。
「ですが同時に、大切な約束でもあるもの」
「な―――」
その左腕では、『イロニーの盾』がシフにも劣らぬ輝きを放っている。
京山玻璃。
闇の闘士にして、鋼の闘士の『妹(こうけいき)』
彼女は、幸樹とは独立した鋼の闘士だ。
たとえ鋼のスピリットが暗黒の海に消えようとも。
たとえ鋼のスピリットが『破壊と再生の神』のパーツとしてその内に組み込まれようとも。
イロニーの盾の片割れは、ただ、玻璃を守るために。ずっと彼女の傍に有る。
他ならぬ、『彼』が望んだ事だ。
「思い出してください―――『お兄ちゃん』!!」
はっきりと、兄を表す名を叫んで。
「『贖罪の盾(オフセットリフレクター)』―――ッ!!」
玻璃の宝具が。
最愛の兄の必殺技が。
彼女を、彼女の大切なものを呑み込まんとする悪魔の炎の性質を反転させ、消滅させる。
そうしてデーモン=ウォーデンは、彼女の掲げた鏡の盾に、ただ、己の貌を見る。
悪い自分の貌を。
かつてそう断じた父よりも、醜く、悍ましく、壊れてしまった、己自身を。
それでも。
それでも、まだ、抵抗の手段はあると。
宝玉から放つ光線。
ウィルス種の頂点として宿した闇のウィルス。
一工程(シングルアクション)で起動させられるルーン魔術。
「終わらせる」力は、まだ、残っていると。デーモン=ウォーデンは、身を乗り出そうとして―――
「―――あ」
―――鏡を下ろし、自分を見上げる『妹』の顔を、真正面から見据えてしまう。
「玻璃」
男は、ただ、妹の名を呼んだ。
何か話があるのかと。……たったそれだけの事が聞けなかった「あの日」を繰り返すようにして。
「疑似・ゼロアームズ:オロチ、展開―――『天羽々斬』!!」
砲と剣。
両方から同時に展開した『光』が、デーモン=ウォーデンの身体を両断した。