聖解のリソース。
ルーンの魔力。
超究極体の魔王型デジモンとしてのスペック。
その全てを断ち切られて、デーモン=ウォーデンは、余波で崩れた瓦礫と共に、暗がりへと飲み込まれていく―――
DGO第1章 悪例融解未来 ユミル エピローグ
「……ど、……かど……三角!」
びくん、と。
自分を喚ぶ声に、ようやく覚醒した青年の身体が思わず跳ねる。
「ばう!」
「ああ、三角……良かった、気がつきましたね」
「名城さん? 俺、また気を失って……」
「ごく短い時間だけですよ。シフの宝具解除と共にリソース供給の必要が無くなって、急な切り替えに身体が驚いたのでしょう」
バイタルにも問題はありません。と告げる名城の台詞以上に、安堵の交ざったその声に、三角は胸を撫で下ろす。
終わったのだと。
……終わらせる事が、出来たのだと。
「先輩」
顔を上げれば、丁度シフが桐彦に抱えられて戻ってくるところだった。
ミラーカとクヅルも、その後に続いている。
「シフ、みんな」
「すみません、先輩。宝具の反動で、しばらく動けそうになくて……」
「無理すんな、お前は良くやったよ」
桐彦が、そっと降ろしたシフの身体を、三角へと預けた。
バトルスーツの恩恵か人間形態を保っているものの、疲れ切って完全に力の抜けた少女の身体は、見た目相応に軽くて、全てを預けてきている分だけ、僅かに重い。
「やっぱり俺様ってば見る目があるぅ。……お前も、マジでいい女だよ、シェイプシフター・シフ」
絶対に、しっかり隣で支えてやれよ、と。
手を引き戻すがてら三角の肩を軽く叩きながら、青年の顔で、桐彦がにっと唇を吊り上げる。
顔を赤らめるシフの隣で、はい、と。三角も笑顔で、大きく頷いた。
と。
「っと、ンだよ。「そっち」の都合で呼びやがったクセに、急かしやがって」
不意に、桐彦の―――否、エインヘリヤル達の身体が、光の粉を零しながら、透け始めたのだ。
「!? みんな、ひょっとしてケガが」
「いや、そろそろ私達はお役御免という事らしい。……案ずるな、テイマー。断じて負傷のせいでは無いよ」
「……キミが言うと、あんまり説得力が無いよセイバー」
顔を引きつらせて突っ込む馬門だが、彼の方が零れる光の量は、やや少ない。
「どうやら、この相違点と縁遠い順に、エインヘリヤルの退去が始まっているようですね」
かつん、かつんと靴音を響かせながら、デーモン=ウォーデンを呑んだ崩落の方から、黒髪を撫で付けた長身痩躯のスーツの男―――デーモン=ウォーデンの元の姿と同じであるが、それだけに、一目でわかる―――シールダーの京山幸樹が、1人で引き返してきた。
……あからさまな溜め息を零しながら、渋い顔で。
「……えっと、玻璃は?」
「デーモン=ウォーデンの方へ。……最後の後始末、という訳です」
三角の問いに、不本意を隠すこと無く、幸樹。
そっか、と。三角達の隣で、他のエインヘリヤル達同様身体の透け始めたヒトミが、少しだけ寂しそうに呟いた。
「じゃあ、しょうがないや。玻璃さんだって、まだ言い足りないこと、たくさんあるだろうし」
「……アーチャー。神原ヒトミ、でしたね」
そんな彼女の前に、ようやく表情を改めて、幸樹は恭しげに膝を付いた。
「玻璃から感謝の言葉を預かっています。闘士としてはまだまだ未熟なあの子の、指針となってくださっていたと聞きました。……ありがとうございます。このお礼は、我が妹と、ワタクシ自身からです」
「……」
「それに貴女の物語には、なんとも頼もしい鋼の闘士がいるようで。今回の『奴』はあの通りでしたし、ワタクシ自身、妹に全てを任せたようなものですからね。……出典が異なるとはいえ、真っ当な同胞が居ると思うと、少し、安心しました」
「……「あの人」程じゃ無いけど」
ぷい、と、ヒトミは顔を逸らす。
「幸樹さんの事、かっこいいって言ったこと自体は、ウソじゃないから」
黒髪の隙間から覗く、ほんのり赤く色づいた頬と耳に、幸樹は眉尻を降ろして、唇の片側を持ち上げた。
「……そうだ、三角さん。シフさん」
誤魔化すように、ヒトミは三角達の方へと向き直る。
「今回はちょっと―――ううん、たくさんズルされてばっかりだったけど、わたしとギギモンだって、もっと強くてかっこいいんだから」
「ヒトミさん達は、十分かっこよかったですよ?」
「もっとなの。……だから」
ヒトミは未だ立てないままでいる三角とシフの前に歩み寄ると、しゃがみ込み、彼らの手にそれぞれ左右の手を重ねる。
「また何か困ったことがあったら、助けてあげても良いってこと。……わかった?」
三角とシフは、揃って顔を見合わせ―――そうして、同時に微笑んで、ヒトミに向かって、頷いた。
「うん。わかってるなら、いいの」
どこか表情を和らげた彼女の側では、ヒトミのリュックから飛び降りたギギモンと、三角の側を一旦離れたバウモンが、向かい合って前足の片方を持ち上げ合い、軽く打ち合わせている。さながらハイタッチのようだ。
「俺様も『飯の分』のシゴトはしたと思うけどよォ、出遅れちまったのはまア事実だ。ゆるしてにゃ~ん」
「何故テイマーではなくワタクシの方を。それも睨みながら言うのです。というか、何ですかその巫山戯た口調は」
「いいから俺様の星5イケメン不機嫌フェイスを拝め奉り畏れ崇めろバ鏡水銀野郎」
「バ……ッ!?」
「うん? おう、なんだ、そんな面もできんのか。王様―――……大王様は、ちょーっとだけ気が紛れました」
思わぬ罵倒にフリーズする幸樹にふっと鼻を鳴らし、と言うわけで、と、打って変わってからりと笑って、桐彦もまた、三角達へと向き直る。
「次は最初から。地の果てぐらいまでならフルスロットルで駆けつけてやんよ!」
「……ありがとうございました。桐彦さん」
2人して頭を下げる三角とシフを、実に模範的な態度だと笑う桐彦は、やはり偉大な王の顔であり―――そして、ここに来てどこか、年頃の青年らしい、悪戯っぽさを交えた表情を浮かべていて。
だから、本当の事を言えば、三角はこの急な別れが寂しかったのだけれど。
それでも、笑って返した。
笑って、お別れしようと。
……相違点Dでも、ワーガルルモンが、そうしてくれたように。
「じゃあな、サマナーもといテイマー、そしてうら若きエインヘリヤル」
「またね、三角さん、シフさん」
すぅ、と。光の帯になって。
最強の選ばれし子供とそのパートナー、地獄の副王にして偉大なるカナンの王の姿が、かき消える。
「ふむ。奴らより私達の方がこの相違点に縁深いとは思い難いが―――現実として、どうやら我々には、まだ猶予があるらしい」
ミラーカよ、と。どこか悩むように視線を泳がせていたミラーカを、クヅルが鞘で小突く。
それでも彼女はまだ迷っている風だったが、「未来さん」と、三角の方から別れの挨拶のためにか手招きされて、ようやく意を決したのらしい。
「あのう。テイマー」
そろそろと三角に近寄り、膝を落としたミラーカが、契約者である彼の右手をそっと手に取った。
「その……ありがとう、ございました」
「いえ、こっちこそ、助けられてばっかりで―――」
ミラーカはマスクを外した口元に弧を描きながら、静かに首を横に振る。
「あなたのお陰で。一瞬だけ。自分が化け物だって事を忘れられた気がする」
半ば独り言のように、ミラーカが呟いた。
「……未来さんは、俺の」
「でも」
ミラーカはあえて、すぐさま口を開いたテイマーの言葉を遮る。
空いている左手を、己の唇に当てながら。
「「他の」私をあんな風に誘ったりしたら、めっ、じゃすまないと思うから。「この」私とだけの思い出ってことに……ね?」
「未来さん? 先輩??」
思わずシフは両者の顔を交互に見つめる。
「三角が未来を誘った」シーンについてはまるで知らない彼女は、きっとミラーカの言葉に深い意味は無い(筈)と頭では理解しつつ、彼のパートナーとして、困惑せずにはいられなかったのだ。
ミラーカの真意を察してしんみりとしかけていた三角も、シフの狼狽っぷりに彼女の言葉と仕草を改めて脳内で繰り返すと、なんだかシフの反応の方が正しいような気がして、どんどん顔を赤らめて行く。
そんなつもりでは、とミラーカまでも挙動不審気味になり―――傍らで見守っていたクヅルだけが、呆れたように肩を竦めた。
「そんな事では実際に「誘う」など、まあ当分は先であろうな」
それもまた愛らしいものだが、どうにも締まらんなと、どこか豪快に笑いながら。
「しかしこの調子であれば、案外すぐにでも再会できるやもしれんな。……いや、ひょっとすると既に出会っているのかもしれん。今更ながら、そんな気もする」
「?」
「……いいや、戯言だ。気にするな」
ようやく気を取り直し、首をかしげる三角に改めて微笑みかけ。
クヅルもまた、別れを前に、ミラーカの隣に並ぶ。
「では、さらばだテイマー」
「……さよなら、私のテイマー」
「その、その! お聞きしたい事はあるのですが―――それは、また、いずれ。いまはただ、感謝を」
「ありがとうございました。クヅルさん。未来さん。助けてくれて、本当に頼もしかったし、嬉しかったし、かっこよかったし―――それに、未来さん。未来さんは、やっぱり俺のヒーローでしたよ」
「……!」
頬にほんのりと血を通わせるミラーカを、再びクヅルが小突く。
そうして最後には、2人ともまた、笑顔で向き合って、別れを迎える。
ミラーカの姿が消えた瞬間、すり切れた紋章を中心に少しだけ三角の身体が軽くなって―――本当に契約が終わったのだと。それが、少しだけ、寂しかったが。
「……で、この流れでボク、まだ残ってるワケ?」
ううん。と、珍しく本気で困っているような唸り声に三角とシフが振り返ると、馬門が眉間に皺を寄せていて。
「ばーう」
「まあ別れの挨拶ぐらい済ませたい。ってのはウソじゃないけど……この面、ホントに合わせて良い顔? 実質ボクの失敗がそもそもの始まりみたいなものだったんだぜ?」
最後の最後まで言及しにくい話の振り方ばかりしてくるなと苦笑いする三角。
そんな彼の斜め後ろに、ようやく金属質の足音が響いた。
「観念なさい馬門。来たばかりのワタクシと違って、それなりに思い入れも出来たのでしょう。こういう時に素直になっておかないと、後悔しますよ。大変にね」
「あ、復活したんだ幸樹さん。……いっひっひ、流石に説得力が違うね。もう現時点で顔にそう書いてあるもの」
「右と左。このワタクシからは、どちらに首を捻られたいですか」
出会ったばかりではあるけれど。この人(デジモン)も大概だなと三角は思った。
冗談。と肩を竦めた馬門が、それこそ観念したように、三角とシフを交互に眺めた。
「ま、何はともあれお疲れ様! ……悪かったね。ボクなんかに付き合わせちゃって」
「馬門さんのせいでは―――」
「いっひっひ。そうは言ってもあながちウソでも無いし、何より全ての悪い事は自分のせいにしておいた方が、心情的には楽なモノなのさ。……違うかい? テイマー」
「……」
「キミの側には、シフがいる。……だから、キミはボクみたいな大人になるなよ?」
何も返せないでいる三角を、ハイライトの無い、黒い―――だがこの瞬間だけは、あの思わず身震いしてしまいそうになる人でなしの眼差しではない色を宿した―――目で静かに見下ろして。
馬門志年は、ひどく穏やかに微笑んだ。
「……肝に銘じておきます」
「そんなに重く捉えないで! 豆知識ぐらいのノリにしてくれないと、ボクが後で思い出して恥ずかしくなっちゃうから!」
「マジで面倒臭いですねコイツ」
「ばうばう」
「ほら、キミ達の上司も、バウモンもそう言ってる。ボクの事は「なんかいたエインヘリヤル」ぐらいに留めておいてくれればいいよ!」
「それは、難しいです」
シフが首を横に振る。
馬門が目を見開いた。
「だって、馬門さんとも沢山お話をして、色々なことを教えていただいて、何度も助けていただきましたから。……私は、覚えておきたいです」
彼女の真っ直ぐな眼差しに、流石に不真面目な態度ではばつが悪かったのだろう。かりかりと頭を引っ掻いて目を逸らす馬門に、三角もまた、「俺も、シフと同感かな」と追い打ちを加えた。
「ありがとうございました、馬門さん。……馬門さんとも、やっぱり、会えて良かった」
「はぁー、もう……わかった。わかったから、これっきりにしておくれよ?」
ほら、交代、交代だよ。と光の粒をまき散らしながら、足早に馬門が幸樹と立ち位置を入れ替わる。
やれやれ、と軽く頭を抱えて、幸樹はすぐに馬門から三角達へと視線を移した。
「とはいえ先にも言った通り、到着から時間の浅いワタクシが神妙に別れを告げたところで滑稽なだけですからね。なので―――」
―――些細なものではありますが、有益な情報を。と。
妹が絡んでいる時とは打って変わってドライな幸樹に「コイツはコイツで」と愚痴っぽく漏らしかけていた名城が、他ならぬ彼の言葉に口をつぐんだ。
*
「……」
三角達が他のエインヘリヤル達と別れを告げていたその頃。
疑似『天羽々斬』の余波による崩落がある程度収まったタイミングを見計らって、玻璃はまだ僅かに零れる瓦礫を追うようにして下階へと降り立った。
―――玻璃。
幸樹の優しげな声音が、耳の奥に蘇る。
―――エインヘリヤルとして。あるいは、今度は本当に『デジモンプレセデント』から続く物語で。ワタクシ達が語らう機会は、この先も訪れるかもしれません。
名残惜しそうに玻璃の肩を抱きながら。それでも姿を人のものに変えた幸樹は、妹の意志を感じ取って、彼女へと微笑みかけたのだ。
―――ですが、この機を逃せば。「あのワタクシ」と言葉を交わす事は、恐らく永遠に叶わないでしょう。
行って。
言っておやりなさい。
そう促して。
言葉とは裏腹に、幸樹は玻璃を強く抱き寄せて。
玻璃もまたその力強い腕に応えて、兄の広い背に腕を回した。
―――愛していますよ、玻璃。
いずれ、また。と。
後ろ髪を引かれながらも、お互いを放し合って。
嘘を吐けない兄妹同士で、ただ、約束を交わして。
そうして、玻璃はここへと、やって来た。
「……マスター」
もはやデーモンの姿も維持できなくなったのだろう。
最も燃費が良いという、先に分かれたばかりの兄と同じ、人間に擬態した―――もっともオールバックに整えていた髪は乱れ、ある程度は再生しているものの、四肢の末端はワイヤーフレームすら構築できていない―――姿を取ったデーモン=ウォーデンが、半ば瓦礫に埋もれた状態で、硬いコンクリートの床に横たわっていて。
「……ああ。玻璃」
気配に気付いたのか。
あるいは、最初から認識していたのか。
何にせよ、玻璃の呼びかけに応じるようにして、デーモン=ウォーデンは閉じていた瞼を持ち上げる。……聖解で潰した右目には、暗がりが広がるのみであったが。
ふん、と。
デーモン=ウォーデンは、自嘲するように鼻を鳴らした。
「結局、ワタクシは覚悟も手段も中途半端でした」
「……」
「許しを請う気は、ありません。愚かなワタクシを。何も成せなかったワタクシを。貴女は責める権利がある。……ですが、ええ。そうですね」
瓦礫の上を、雫が伝う。
……もはや彼は、『鋼の闘士』ではない。機械の性質さえ、壊れている。
故に、残された左目から零れるのは―――ただ、これまでの『設定』の都合上、表には現れなかっただけの彼の『心』だ。
「叶うならば。……せめて、ワタクシを……嗤ってください。玻璃」
「! 私は」
「それでもいいから……笑った顔を」
「―――っ」
「貴女が、笑って、生きられる未来が。本当に、あると……教え、て……」
「マス、ター。……お兄ちゃん。貴方、は」
玻璃が泣いているから、世界を滅ぼす結果を招いてまで帰還した。
世界が玻璃を傷付けるから、世界を壊す程我が儘な玻璃を聖解に願った。
それでも玻璃の幸せが奪われると言うのなら。その原因で在る己の居ない世界に、玻璃の幸福を祈った。
「ずっと、私を心配してばかりではありませんか……!」
物語のスケールや事態の深刻さ、常軌を逸する手段を前に。……そして「玻璃自身の作中での体験」もあって、すっかり見失っていた。と。玻璃はここに来てようやく悟る。
京山幸樹が『デジモンプレセデント』の、彼にとっての最後の章で得られた筈の安堵を手に入れられなかった結末が、この結果を招いたのだ、と。
「……っ」
元より形を成していなかった言葉が更に輪郭を失う。
笑う事など。ましてや嗤う事など、出来る筈が無い。この場で「玻璃の未来の幸せ」を言って聞かせたところで、先の繰り返しだ。デーモン=ウォーデンは、自分を不要だと改めて結論付けるだけ。……彼を救う方法にはなり得ない。
そして、時間はあまり残されてはいない。
玻璃の退去にはまだ猶予がある。彼の目の前で光となって消える心配はせずとも良さそうだが―――肝心の彼の方が、もう、保たない。
(どう、すれば)
ここまで来たのに。
ようやく、話が出来る筈だったのに。と。
玻璃が途方に暮れ始めた―――その時。
不意に。覚えのある『音』が、彼女の耳に届いたのだ。
「……!」
何度も。
何度も何度も何度も。繰り返し聞いた『音』だ。彼女の身体が、ほとんど反射的に、「それ」に適した姿勢を取る。
「それ」がこの場において正しい、相応しい選択なのかは、正直なところ玻璃には解らなかった。『同じ行為』に、『違う意味』を持たせられるのかなど。
でも、もはやそれしか無いと。こと感情に関しては、未だ尚『彼』の方がずっとよく理解していると、それだけは確信しているが故に。信用しているがために。
息を吸う。肺では無く、腹を意識して。
口を開く。大きく。沢山の空気を吐き出せるように。
そしてその空気に、玻璃自身も、『音』を乗せて。
「――――――――――」
玻璃は、流れてきた『音』に乗せて、歌を歌う。
……その歌の詳細は、タイトルや歌詞を含めて、物語の中では語られていない。
故に、『デジモンプレセデント』の登場人物でない存在には、その内容は、耳にしたところで、きっとわからない。
ただひとつ明らかなのは、それが「出会いを喜ぶ歌」である事。……同じ詞を3度も繰り返して強調する程に。
天才音楽クリエイター・カジカPが、そう在るようにと、作った曲だ。
「……」
首に巻いたホーンに旋律を任せ、校舎の片隅で膝を抱えて震えながら、カジカP―――鹿賀颯也は演奏を続ける。
―――りゅーちん、カジカPの事、好きだったんだって。
好きです。と。その人に、直接告げられた事は在った。
彼自身、好きだと彼女に伝えた事は在った。
でも、それはお互いにLoveではなくLikeの感情で。
そういうものだと、思う事にして。
それどころではなくなって。
それきりに、なってしまった。
今更聞かされたところで、時間が戻る話でも無い。
「……ぅ」
鋭い牙で口を縫い止めるように、颯也は自分のうめき声を押さえつける。
目尻からも、鼻の穴からもぼたぼたと水が溢れては零れていたが、颯也は拭いも啜りもしない。音楽のプロである彼は、大事な曲に雑音を許さない。
時間は、戻らない。
だが、彼女が。……多島柳花が「好き」だと言ってくれた自分に、彼女に誇れる自分に、留まり続ける事は出来ると、颯也は考えた。
それだけが、彼に出来る事で。
彼に出来る事は、音楽であった。
弱くて、臆病で、選択を間違えてばかりでも。
目の前の誰かに、手を差し伸べられる『音楽』が、柳花の愛してくれた、自分だと信じて。
……ただ、やはり音楽のプロとして。颯也は―――本当に全てを失ったに等しい筈なのに―――自分の中に、喜びを。『デジモンプレセデント』への、未来への希望を見出す。
(マジェスティックだぜ、玻璃ちゃん)
何せ、玻璃の歌声は―――
「……」
男はただ、少女の歌に耳を傾ける。
伸びやかで、涼やかで、晴れやかで。
透き通った、美しい歌声。
まるで、彼女の名の通り、輝く水晶のような。
男が時折練習風景を確認していた際は、こんなに伸び伸びとは歌えていなかった。
あれから。……本来の京山幸樹が暗黒の海に消えてから。
玻璃は沢山の経験を経て。
当たり前以上に様々な感情を覚えて。
何度も何度も練習を繰り返して。
そうしなければ、これ程までに上達する筈が無い、と。
『歌』を正しくは知らない男でさえ、確信する程の歌唱力。
(「歌とは何か。会話の代用品としては非効率的ではないか」、と。ワタクシに、そう尋ねていたあの子が)
今は、彼に想いを伝えるために。わざわざ歌を用いている。
「……」
ただ―――これ程までに熟れていると。男には、どうしても懸念してしまう事がある。
―――そう、君は、アイドルになれる!!
鹿賀颯也―――カジカPの『計画』は、どこまで進行しているのだろう、と。
……ひょっとすると。もう、既に。
「や……めろ……。玻璃を、大衆の、面前に晒すなど……」
どうあっても諦めないと、颯也は言っていた。
あたしじゃムリだから、さっさと帰って来て自分で止めろと、環菜は言っていた。
柳花に至っては、玻璃と颯也を後押ししているまである。
―――ああ、何という事だろう。
男は―――『京山幸樹』は、もうほとんど消え去った腕を虚空に伸ばす。
―――ワタクシがいなくなれば、誰も鹿賀颯也の悪しき企みから、玻璃を守れない。
それは自分にしか、出来ない事だと。ようやく思い出して。
……そんな、妹の意志すら関係無い「我が儘」を口にして。
己が冠した魔王の性質通り、こんなにも憤っているというのに―――
「はやく、帰らないと。玻璃。貴女の、隣に――――――」
―――唇の端を、妹が笑う時と同じように持ち上げて。
ふっと吐き出した一息につられるように、男の身体が完全に霧散する。
そうして幸樹の願いは、在るべき物語へと、帰結した。
*
玻璃は走った。
光の速さを誇ったスピリットは、もはや自分の側には居ない。
己に正義を与えてくれた闇の優しさも、流石にこれ以上は力を貸してはくれない。
だから、自分の足で、必死に階段を駆け上がる。
「はあ、はあ、はあ」
全力で戦って。
全力でぶつかって。
全力で、歌った後だ。
エインヘリヤルとしての優れた肉体でさえ、当たり前に、息が切れる。
それでも、足を止めない。
走って、走って―――辿り着いた部屋の、扉を開ける。
そうして、ほっと胸を撫で下ろした。
「! 玻璃」
「玻璃さん」
ようやく立ち上がれるまでに気力が戻ったらしい三角とシフが、勢いよく開いた扉の音に振り返った。
不意に、三角が僅かに視線を下げる。
「……ごめん、玻璃」
「幸樹さんは、先程退去を―――」
「お二方が謝る事ではありません」
玻璃はもう一度、床を蹴って。
駆けて。
飛び出して。
三角とシフを、2人一緒くたに抱きしめた。
「!」
「玻璃さ―――」
「貴女達に会えて、良かった」
少しだけ枯れた声で、しかししっかりと玻璃は宣言する。
「間に合って、良かった。……ありがとうございました。三角。シフ」
「……玻璃」
「あなた達が、一緒に戦ってくれたから。……私は、私は―――」
「……最初に力を貸してくださったのは、玻璃さんの方です」
うん、と、三角も頷く。
「ありがとう。玻璃。助けてくれて―――本当に!」
玻璃の目尻から、涙が伝う。
泣きながら、にやりと笑う。
兄と、同じ笑み。
「はい……こちらこそ!」
―――と、その時。
「ばう!」
ふわ、と。三角とシフ、そしてバウモンの身体が、宙に浮き上がる。
「!」
「すみません、三角、シフ。これ以上は……」
『デジモンプレセデント』が、元に戻る。
相違点が、相違点で無くなる。
そうなれば、読者と、「本来は存在しない主要人物」もまた、やはり異物にしかなり得ない。
「そっか、俺達の方が先なんだ」
2人の身体が、玻璃の腕から離れる。
だけど、今回の「お別れ」では。玻璃は、笑顔を保ち続けた。
「さようなら、三角、シフ!」
「さよなら、玻璃」
「さようなら、玻璃さん!」
「また、いつか!」
浮遊感と共に。
世界が、鮮やかに反転する―――
*
「ああ……! おかえりなさい、三角、シフ」
息を切らした名城が、言葉になりきれていない感情を一先ず飲み込んだせいで、ひどくぎこちなく。それでもしっかりと、帰還時のコネクトダイブを成功させた2人に笑いかける。
一度、顔を見合わせて。
帰ってきたのだと。
帰りたい「日常」に向けての1歩が、確かに前に進んだのだと、理解して。
「ただいま」
「ただいま」
三角イツキとシフは、泣きながら笑い合った。
*
「「かくして、青年達の初めての聖解探索は終わりを迎えた。物資も人員も足りない中、三角とシフは果敢に相違点を自らの足で駆け巡り、ラタトスクのスタッフ達もまた、その技術の粋を以て彼らの「帰り道」を作り上げた」……む、〆の文字に「た」が連続している。「作り上げたのだ」……「作り上げたのである」。どちらにしようかな。いや、いっそ違和感が無いなら、このままでも……」
「……何してるんですか、グランドラクモンさん」
第一相違点帰還後の夜更け。
ようやく全ての検査と治療が終わり、医務室から解放された三角は、最後まで付き添っていた名城に断りを入れて、施設の地下―――グランドラクモンの城としての一室『図書館』へとやって来た。
天上まで届く本棚の列に圧倒されていた三角は、しかしその光景にあまりにも不釣り合いな、ラタトスク支給の白いベッドを始めとした人間大の調度品で固められた一角に目を取られてしまう。
その内のテーブルに齧り付くようにして、プラチナブロンドの髪の女性―――へレーナ・マーシュロームの肉体に取り憑いた彼女のパートナー・グランドラクモンが、うんうん唸りながらノートパソコンと向かい合っていたのだ。
ああ、三角。と。
彼の名前を呼びながら、へレーナの浮かべなかった朗らかな表情で、グランドラクモンは振り返る。
「君も、我が蔵書を借りに来たのかな?」
「君も、って事は」
「うん。恐らくお望みの本には先約が居てね。ここに座って、少し待つと良い。エインヘリヤルの肉体性能は同じデジモンと比べても破格のものだからね。検査が終わってここに来たのも、随分と前だ。もう少ししたら、こちらに戻ってくると思うから」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
予備と思わしきパイプ椅子を広げて腰掛ける三角。そんな些細な仕草にも、包帯の下の右腕がズキズキと痛んだ。
「それで、グランドラクモンさんは、何を」
「ん? ああ。君達の活躍をね、小説にしているんだよ」
「へ?」
思わぬ回答に、三角は目を瞬かせる。
グランドラクモンがにやりと笑った。
「肉体こそへレーナのものとはいえ、知っての通り現在所長の権限は名城にある。年の功で些細な助言をする事は出来るが、私とて王の端くれ。事務仕事やサポート業務などとても出来なくてね」
自慢っぽく言う事じゃ無いなと三角は思った。
「つまり、あの場では基本的に、私は何の役にも立たないんだ」
「そんなこ……そんな事は」
「言い直さないでくれたまえ、普通に傷付く。……まあ、いいのさ」
代わりに、と。激務ながら身だしなみに気を遣っていたヘレーナの、丸く整えられた爪の先が、キーボードを軽く弾く。
「どうせお堅い報告書という形で、嫌でも目を通す事になるとは思うが。それとは別に、私の『目』で見た君達の活躍を、いつか、レナにも聞かせてあげたくてね」
「グランドラクモンさん」
「君達を見ていたら、自然とそう「感じた」のさ」
グランドラクモンが、へレーナの顔で柔和に微笑む。
「遅くなってしまったが、第一相違点の修正、お疲れ様。……グランドラクモンオーダーの発令者として、ヘレーナに代わって、礼を言わせてくれ」
ありがとう、三角。と。
礼を言われて。三角は頭を下げて返す。
所長との再会も、ひょっとしたら、けして「夢物語」ではなくなったのかもしれないと。
そんな期待に、僅かに胸を高鳴らせながら。
と、
「あ……先輩」
奥の本棚から、ひょこ、と緑縁眼鏡をかけた少女の顔が覗く。
肩までの赤い髪が、ふわりと揺れた。
「シフ!」
それから落とした視線の先。シフの腕の中に、三角は自分の捜し物を見つける。
「そっか。やっぱり考える事は一緒だったね」
シフが、ぱあ、と表情を綻ばせ、蜂蜜色の瞳を輝かせた。
「是非―――是非ご一読を!」
自分が持っていた物なのに、シフは早足で三角へと歩み寄り、躊躇うこと無くその『本』を差し出す。
「ああ、読書を始める前に。1つだけインタビューに答えてくれるかい? 三角」
本を受け取ろうとする三角に、ふと、グランドラクモンが声をかける。
「? 何ですか?」
「どうだった? 君の見た『デジモンプレセデント』という物語は」
「……」
苦しい思いをした。
辛い思いをした。
何度も痛い目に遭った。
相違点の根幹を成していたのはやはり悲劇で。
三角は、沢山の願いを踏み躙った。
だが―――同時に。
頼もしい仲間達がいて。
彼らと共に笑い合って。
自分の願いのために、懸命に前を向いて走って。
……それから、みんなで美味しいハンバーガーも食べた。
「素敵な、物語でした」
三角は、受け取ったばかりの『デジモンプレセデント』の単行本に視線を落として、物語そのものへと微笑みかける。
「だから、これから。読んでみようと、思います」
*
振り合う手が、透けて。
最後には、見えなくなる。
「……」
それでもしばしの間虚空へと左手を振って。
やがてその手を下ろした玻璃は、思い立ったように、窓辺へと向かう。
見渡せば、一面の灰色の街。
管理システム『ユミル』を名乗った、彼女達の父の屍とも呼べる世界。
『ユミル』の屍の上に、『ウォーデン』が築いた、うたかたの夢。
「……ねえ、この世界の『私』」
玻璃は、この世界に溶けた、この世界の自分へと語りかける。
「貴女は、ただ。マスターと、なんでも無い話がしたかっただけではありませんか?」
最期に兄の名を呼んだ『自分』。
自分なら、何を話したかったのかと考えて―――すんなりと、そんな答えが導き出されて。
……それだけは、暴虐の限りを尽くしていたもう1人の『自分』でさえ、変わらないのでは無いかと。そう思えて。
「だから、私は。これからも願おうと思います。いずれ、本当にマスターを。意識すらせずに「お兄ちゃん」と呼んで、どうでもいい話をして、時々ちょっとしたケンカまでしてしまうような日が訪れる事を」
ただ、信じる。
都合の良い願望器など無くとも、その願いは叶うと。叶えられると。
「そして、私のたくさんの大切な人達が。私を助けてくれた彼ら彼女らが、同じように幸せな日々を享受出来る事を」
読者が登場人物の幸せを願っていいように。
「お互いの幸せが、お互いの幸せへの『前例』となりますように、と」
玻璃は登場人物として、読者の幸せを願う。
「それがきっと、今の私の生きる意味。ですから!」
第一相違点
A.D.2019 悪例融解未来 ユミル
『デジモンプレセデント』
最愛なる水晶
校閲完了
*
「くだらない」
青みがかったくせのある黒髪にシルクハットを乗せた男は、もはや欠片も人の良さを感じさせない眼差しで本を閉じ、吐き捨てる。
「『楽な仕事』ではあったが、その分見返りも『この程度』か」
男―――ノルエル・フローストは、そのまま本を虚空へと投げ捨てた。
ゴミ箱に落ちるように。
……電子人理と同じように。
本―――『デジモンプレセデント』は、突如現れた暗がりに飲み込まれ、消えていく。
聖解を介して『デジモンプレセデント』に干渉したのは、このノルエルだ。
とはいえした事と言えば、暗黒の海に呑まれようとする京山幸樹にたったひとこと、囁きかけただけ。
「本当に良いのか? もう、二度と会えないかもしれないぞ?」と。
「全く。人も、デジモンも。書き手も紡ぎ手も。なんとも愚かで―――度し難い」
たったひとことで、幸樹は自ら己の運命を狂わせ、『デジモンプレセデント』の根底に張り巡らされた『設定』が物語自身を壊し尽くした。
あとは、予定通り聖解を貸し与えただけ。「それ以上の介入」は、必要無かった。
「「必要無かった」……ではこの『結末』は何だ?」
刹那響き渡った、見透かしたような低い声に、さぁっ、とノルエルが青ざめる。
嘲笑うような笑みはすぐに冷や汗の浮いた焦りの表情に飲み込まれ、ノルエルはすぐさま振り返って、誰も居ない背後の暗がりへと跪いた。
「『楽な仕事』と言ったな。ノルエル。……それは、単に貴様の怠惰に起因する『結果』でしか無いとは思わないのかね? 仕事を十全に果たしたと言うのであれば、何故、鼠の巣はまだ残されている?」
「っ」
ノルエルは平伏したまま、何も答える事が出来ない。
この場には居ない声の主は、ふう、と小さく息を吐いた。
そこには呆れや嘲りも、何も含まれては居ない。
「偽りの夢に囚われた哀れな魂を、いたずらに苦しめてはならない。速やかなる安息を―――死と滅びこそを、与えるのだ」
「……はっ」
「例外はない。取り零しは許さぬ。……この失態は、貴様自身の手で取り返したまえ」
「必ずや。……我らが王」
気配が。プレッシャーが。次の瞬間、ふっと掻き消える。
立ち上がったノルエルは、『次の物語』を睨み付けた。
―――アナタ方は、近くアナタ方の追う男と相見える。
召喚時、相違点に溶けた『ユミル』―――エンシェントワイズモンの残滓から拝借したという情報を、シールダーの幸樹は退去直前にラタトスクへと伝えた。
―――そこでアナタ方は、この『電子人理崩落事件』の手掛かりを、僅かにではありますが、掴める筈です。
「余計な真似を。私に踊らされた影法師風情が」
目を見開き、牙を剥き出しにし。
さながら、『獣』のように。ノルエルは唸る。
「だが―――まあいい。元よりそのつもりだ」
そして唾棄すべき人類をあえて装うべく、シルクハットを目深に被り直し、ノルエルは歩き始める。
「今度こそ。私が手ずから、終わりの文字を刻んでやろう。電子人理守護機関ラタトスク―――!」
次回
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第三相違点
A.D.2010 蒼天樹楼活劇 絶対生存不可能領域
『WILD.WORLD.WIDE.WEB.』