断罪の槍とブルートエヴォルツィオンが何度も打ち合い、お互いを拒絶するように弾き合う。
エインヘリヤルのクラスは、物語の登場人物に対する一種の『キャラ付け』であるのと同時に、デジモンの属性―――ワクチン・データ・ウィルスのような、相性に近い役割を持っている。
もちろんそれが全てではないとはいえ、一つの要素として、ランサーはセイバーに不利なクラス。……即ち、京山玻璃(ダスクモン)は京山玻璃(ライヒモン)に、ひとつ優位に立てる条件を持っている。という訳だ。
「なんで……なんでよぉ……っ!!」
にもかかわらず。
押されているのは、ダスクモンの方であった。
(ダブルスピリットとのスペック差? 違う。聖解の直接的なバックアップがある時点で、エインヘリヤルとしては私の方が出力は強い筈)
一歩後退するがてら、ブルートエヴォルツィオンを振り上げ、その軌跡を赤い斬撃波としてライヒモンに差し向ける。必殺技の『エアオーベルング』だ。
だが、触れ、傷付けばリソースを奪う事が出来る妖刀の一撃に全く怯む事無く、ライヒモンは鎧と同化している贖罪の盾とオブシダンデジゾイドの硬度に任せて、むしろ攻撃を受け止めるようにして前進する。
「く……っ!」
踏み込みと同時に突き出された断罪の槍を、ダスクモンはもう片方のブルートエヴォルツィオンで抑えながら、自身の身体を押し出すようにして更に後退させる他無かった。
(年齢による戦闘経験の差? そんな訳がない! こいつはお兄ちゃんに守られたのを良いことに、戦う事を止めた玻璃なんだから!)
我が儘、という意味では甘えてきた。
だが、闘士としては、きっとこの玻璃よりも長い時間、ダスクモンは力を振るい続けてきた。
「私は―――あなたみたいな甘ったれとは違うんだから!!」
なのに、
なのに。
『エアオーベルング』は、ライヒモンの鎧をかち割る事が出来ない。
「……そうかもしれません」
対して、ライヒモンは、ダスクモンの言葉を甘んじて受け入れる、
「ですが、お陰で。……無力になった事で、得られた学びもありましたから」
テイマーの視点。
闘士(デジモン)としての主観では無く、一歩引いて、冷静に戦況を見極める事が出来る立ち位置。
直接敵と戦う事は叶わずとも、デジモンの隣に―――兄の隣に、立てる場所。
ましてや、『自分』のやる事だ。
ダスクモンもまた『京山玻璃』であると確信した今の彼女には、今までに増して、ダスクモンの動きがよく見えた。
「『エアオーベルング』!!」
「『赤十字架(ロート・クロイツ)』!!」
「くっ……!?」
赤い衝撃波同士が衝突し―――ダスクモンの方が、僅かに圧される。
力の上ではほぼ互角。だが技を放つタイミングと位置取りが、ライヒモンの方が巧みであったのだ。
『自分』を自分と認めた者と、『自分』を偽物と拒絶し続けた者の、認識の差。
同じ事を続けていけば、最終的に押し負けるのは―――
(こうなったら、宝具を―――)
ダスクモンが、ブルートエヴォルツィオンを掲げる。
……だがすぐに、彼女はその紅の刃を降ろし、構えを解いた。
「……」
ダスクモンが使おうとした宝具は、バーガモンとエビバーガモンの姉妹に対して使用したもの。『エアオーベルング』の超強化版とでも言うべき、単純故に火力の高い必殺技だ。
それではダメだと。
届かない、と。ダスクモンは悟る。
ダスクモンは―――セイバーの京山玻璃は、知っている。
忌々しいことに。
ランサーの京山玻璃が、最愛の兄の手元にあるべき鏡の盾、『イロニーの盾』を、宝具として所持している事を。
それがある限り、「デジモンとしての必殺技」など簡単に無力化されてしまう、と。
兄の実力を信じるが故に、ダスクモンはマスクの下で唇を噛み締める。
「これは、もう、使いたくなかった」
ダスクモンは右手のブルートエヴォルツィオンを仕舞う。
ジャキン! と鍔鳴りの音がして、入れ替わるように彼女の竜の頭骨じみた手に出現するのは―――闇の闘士の、もう1つのスピリット。
「お兄ちゃんに、また心配かけちゃうから」
悪の属性を持つ、闇のビーストスピリット。
「それに。世界一、大、大、大嫌いな、最低最悪の『風』のなり損ないと、同じ姿だなんて!」
その身を黒い翼で包んだ、怪鳥のオブジェ。
「でも―――でもでもでも!! あなたが『京山玻璃』としてこの世界に存在するのは、もっと嫌ッ!!」
ダスクモンの全ての目が、ライヒモンを睨めつけながら、憎しみにその『赤』を爛々と輝かせた。
……ライヒモンは、ただ、静かに構える。
「第2宝具、展開」
悪の闇の闘士が内包する「真の邪悪」を司るとも呼ばれる三つ首と七つの目が、新たな鎧を構築しながら、幼い玻璃の身体を取り囲む。
「醜悪に理性を溶かし、激情を以て嫌悪すら蝕む。……それでも『貴方』が許してくれるなら、私は鳥籠の縁を蹴りましょう」
スライドエヴォリューション・ユミル。
……高らかな詠唱と共に、セイバー・京山玻璃の身体が、天に昇る。
「『忌々しき、死者を呑む風(フレスベルグ)』ッ!!」
ほとんど咆哮のように宝具の真名を解放しながら、曇り空に巨大な怪鳥が謳う。
「あの日」その姿で対峙したオニスモンと比べれば、小鳥ほどのサイズしか無かったはずなのに。その翼は十分に下界を影で覆い、全てを喰らうような『闇』を生み出している。
「……ですが」
ライヒモンは、改めて断罪の槍を握り直す。
「私はけして、やはりベルグモンの姿を嫌ってなどいませんよ」
距離からしても、……力の代わりに破棄した理性に対しても。もはや言葉は届かないと理解しつつ、ライヒモンはベルグモンへと、静かに語りかける。
「だって私は、そのスピリットを使用した2回とも、その姿を「大切な人を守るため」に使いましたから」
一度目に、その意図は無かった。
だが、昼間でまともに戦えないヴァンモンに代わって、彼の力を借りながら柳花を守るために、玻璃はベルグモンの力を使った。
二度目は、自分の意志を持って使用した。
兄の命令にまで逆らって、兄を守りたいと願って、ベルグモンの力を纏った。
闇の闘士は、十闘士の盾。
『悪』の側面であろうとも―――京山玻璃は、闇のスピリットをそういうものとして、解釈している。
「まあ、セラさんが嫌いな点には、今となっては完全に同意なのですが」
兄―――京山幸樹のお陰で、成長に伴い理解できるようになった「好き嫌い」を、はっきりと口に出して。
ライヒモンは、微笑んだ。……とっくの昔に、自分は「我が儘」を許されていたのだから、と。
ベルグモンが、大口を開いてライヒモンへと急降下してくる。
金属を簡単に噛み砕く、鋭い牙。……オブシダンデジゾイドといえども、捕らえられればひとたまりも無いだろう。
そうしてライヒモンを仕留めれば、次は各地で戦っている仲間達だ。
「そうはさせません」
宝具、ではない。
だが、「友達」と共に邪神を退けた、自慢の必殺技だ。
「貴女のその姿もまた、マスターの『盾』であったとしても」
ライヒモンは、右手を振りかぶる。
「私もまた、十闘士の盾。……そして、テイマー・三角イツキの盾ですから」
投擲。
「『黒定理(シュバルツ・レールザッツ)』!!」
物理法則を、重力を無視して、投げ放たれた断罪の槍は、真っ直ぐに、真上へと。
全く速度を落とす事無く、空気をも裂きながらベルグモンの腹部へと潜り込み―――
―――骨に似た屍肉色の装甲を砕き、デジコアを―――霊核を、貫いた。
耳をつんざくような絶叫が響き渡る。
そんな断末魔が徐々に消え入るのと同時に、ベルグモンの姿が霧散し―――最後に残された、スーツ姿の少女の小さな身体が、重力に従って、頭を逆さに向け始める。
だが、彼女が落ち始めるよりも早く。
滑り込むように空へと飛び出してきたひとつの影が、「あの日」を、オニスモンと戦い、敗れたあの瞬間を再現するかのように、玻璃の身体を抱き留める。
……嗚呼、そうやって、私を助けてくれたのか、と。
ライヒモンは兜の下で、悲痛と懐古に、表情を歪めた。
「マスター……!」
十の蝙蝠の翼。
禍々しく歪んだ銀の鎧に、全身に施された、泣きたくなるほど懐かしい唇の意匠。
―――堕天使・ブラックセラフィモン。
『デジモンプレセデント』の世界では特例として設定されている、鋼の闘士の、ダブルスピリットの姿。
「……」
ブラックセラフィモンは×印に傾けた金の十字架飾りが施された兜から、ライヒモンに一瞥をくれ―――しかし彼女に攻撃を行う事はせず、すぐにセイバーの玻璃をしっかりと抱え直して、校舎の方へと飛び去っていく。
「やはり……やはり、「そう」なのですね? マスター……っ!」
「玻璃!」
ブラックセラフィモンの飛び去った方角を呆然と見つめていた玻璃は、背後から響いた自分の名に、はっと振り返る。
ミラーカに抱えられた三角とシフが、ベルグモンを退けたと見て安堵の表情を浮かべながら、自分に向かって手を振っていて。
「三角、シフ、未来さん……!」
テイマーが、そしてテイマーと共に戦っていた2人の無事を一先ず喜んで、玻璃はスピリットによる進化を解除してから、彼らの元へと駆け寄った。
「ご無事で何よりです」
「うん。2人が頑張ってくれたから、なんとか」
「……テイマーも、十分にがんばりました」
「はい、未来さんの言う通りです」
「ばう!」
激戦を経ても変わらない三角達の様子に表情を綻ばせ―――しかしすぐに脳裏を過った先程の光景が、玻璃の視線を徐々に下向きにしてしまう。
「? 玻璃?」
「! ……すみません、少し」
「もしかして、お怪我を? それとも、セイバーの玻璃さんが、まだ―――」
いいえ、と。自分よりもずっと満身創痍に見える彼らに苦笑いを返して、そうして僅かに息を整えてから、玻璃は自分の顔を覗き込む3人と1匹をぐるりと見渡した。
「セイバーの京山玻璃(私)は、まもなく消滅します。霊核を貫いた以上、それは、間違いありません。……だから、このお話は、テイマーに必要の無いものかもしれませんが」
三角が促すように頷いたのを確認してから、玻璃は改めて口を開く。
「この相違点の『私』が、何者かが解りました」
彼女はやはり、『私自身』では無かった、と。
「玻璃」
「……う、ううん」
「玻璃っ」
「……」
自分の名を呼ぶ声に、玻璃はゆっくりと目を開く。
暗い教室の中。……今にも泣き出しそうな程表情を歪めた最愛の兄が、彼女の身体を、抱きかかえていた。
「ああ……申し訳ありません、マスター。私は―――」
朦朧としたまま、そう言いかけて。
男の表情に更にヒビが走ったのを見て、やってしまった、とばつが悪そうに嘆息してから、玻璃は眉間に皺を寄せつつ、彼へと微笑みかけた。
「ごめん、なんでもないよ。お兄ちゃん。……なんでもなくはないよね。負けちゃった、私」
「……ワタクシはまた失敗した。貴女を引き留めるべきだった。貴女だけではありません。貴女の、大切なモノだって―――」
「ちがう、ちがう。そんなのはいいの。……それより、ちゃんとお留守番しててねって言ったじゃない。誰もいない間に鼠に聖解を盗まれたら、どうするつもりだったの」
「……すみません」
「だから、おあいこ。……私の失敗も我が儘も、全部許してよね」
語らう間にも、玻璃の身体から光が零れ、色が消えていく。
「……ええ、ええ」
スーツの男は、穏やかな表情を作り直して、そっと玻璃の頬を指で撫でる。
「貴女はもう、何者にも縛られず、咎められるべきでもありませんから」
「うん。……わかってるなら、いいの」
「今は、年相応にはしゃぎ過ぎて、遊び疲れただけ。……そうですね?」
「うん」
「では、少し休むのが良いでしょう、玻璃。……目が覚めたら、全て元通りに。……貴女の思う通りの世界を、用意しておきますから」
眉間を開き。
玻璃は、ただの少女らしく微笑む。
「うん。お兄ちゃんは、嘘なんて吐かないもんね」
「……ええ」
おやすみなさい、お兄ちゃん。
おやすみなさい、玻璃。
何の憂いも無い表情で、少女は、安らかに眠りについて―――
この相違点の京山玻璃は、『デジモンプレセデント』の京山玻璃であって、『デジモンプレセデント』を構成する全ての要素を持つ京山玻璃ではない。
加えて、彼女はエインヘリヤルだ。
多島柳花とピコデビモン―――ネオヴァンデモンや、ゲコモンとなった鹿賀颯也と違って。
玻璃が聖解の使用者であるが故の特例であったと考えれば、一応説明は付く。が、『デジモンプレセデント』のメイン主人公達を差し置いてまで、京山玻璃だけがエインヘリヤル化するだなんて。やはりそんな状況には、いささかの違和感が付き纏う。
で、あれば。
セイバー・京山玻璃には、召喚者が居る、と。
そう考えるのが、最も自然だろう。
「……では、それは一体」
誰なのか、と。シフは問いかけて。
目を伏せ、答えに渋る玻璃を前に―――彼女はむしろ、正解を悟る。
聖解。
願望器として、物語を相違点たらしめるイグドラシルの権能の破片。
これは、誰の願いで、物語だったのか。
詳細な状況は解らない。『デジモンプレセデント』が『デジモンプレセデント』で無くなる前に、何が起きたのか、シフ達には、何も。
解らないが、聖解に『京山玻璃』を願う者が居るとすれば、それは
―――「妹がどれだけ可愛いか」が解らない貴女に、あの兄妹を引き裂く権利は無い。
―――『あんな事』になった『お兄さん』の事、やっぱり見捨てられねえよ……!!
―――ねえ、玻璃。どうして、幸樹さんの味方をしてあげないの……?
嗚呼、そういう事だったのか、と。
玻璃は改めて、これまでに綴られた「台詞」を噛み締める。
―――幼い玻璃の姿が、「今回は」光に変わって、消えて果てる。
スーツの男は―――京山玻璃の『兄』は、その残滓に残された白いUSBを、表情の抜け落ちた顔で拾い上げた。
*
「あの、クヅルさん。……なんか、こう……ホウレン草とか食べます?」
「うん? どうせなら酒の肴になるものが良いな。酒そのものであれば、尚良い」
「セイバー・クヅル。三角は鉄分足りてるのかと聞いているのですよ。もっと噛み砕いて言うとですね、その出血量でどうやってここまで、あまつさえ馬門を運んで歩いてきたのかと問うているのです」
「なんだ、お前達ときたら皆、同じ質問ばかりだな」
動くものは動く。それで良いでは無いかと笑うクヅルは、相変わらず仕草に品があるのにどこか豪快な印象で。……豪快で済ませて良いのだろうか、と。三角は目を白黒させ、名城はモニターの前で頭を抱えた。
「……ボクより重傷のセイバーの手前、格好が付かないのだけれど。今回ばかりは、少しリソースを分けて欲しいかな」
地面に寝かされ、脱いだ白衣で左足の付け根だった場所を縛った馬門が、青い顔で「流石に足手纏いにしかならないからね。なんたって足が無いんだもの!」と軽薄に笑ってから、声を張り上げた代償のように吐血する。
「貴方に付く格好なんて最初から無いでしょうが」
「テイマー。アレはもう、吸ってしまっても良いんじゃないかと思います。その、自分でもびっくりするくらい、言うほど気乗りはしてないんですけど」
「おう止めとけノスフェラトゥ。俺様も腹壊しそうだからアレはパス」
「……かわいそう。って、そうは思わないけど。でも、そろそろどうにかしてあげたら……?」
最終的に、デジヴァイスを通じてラタトスクから送信されてきた回復プログラムのCD-ROMを手に、「しっかりしてください馬門さん」とシフが彼の下に駆け寄る。
まあ、そんなこんなで。
分断されていたラタトスク側のエインヘリヤル達は、多かれ少なかれ負傷してはいるものの、こうして再会を果たしたのであった。
「対する敵陣営は、こちらで観測できる範囲では、残すところブラックセラフィモン……推定・京山幸樹ただ1体となります」
「……」
「全員無事、……とは言い難いですが。こちらはもう欠ける事無く最終決戦に向かえるのは、本当に頼もしい限りです」
「おうおう待て待て。忘れてくれるなよサマナー。糞山の王クンは、迫り来るデビドラモン共を千切っては投げ千切っては投げ、まさに糞山無双といったありさまで近づく敵を片っ端から真っ2ツにして最終的に全身にマメモンをくくりつけて敵のブラックウォーグレイモンごと吹き飛んだんだぜ? 俺様はピンチヒッター。奴に全てを託された、通りすがりの超絶イケメン新エインヘリヤル―――渡部桐彦よ。てなワケだから、そんな感じで、シクヨロ」
「急に真名を名乗り出すんじゃないですよ一般通過ベルゼブモン:ブラストモード」
「ギギモンの胸の傷もその時の必殺剣の巻き添えなんだぜぇ。な? お嬢ちゃん」
「違うけど」
ジト目のヒトミに素っ気なく否定されながら、からりと笑って、赤毛の青年はぽかんと彼を見つめていた三角の隣に歩み寄り、その背を叩く。
「と、無理矢理ブッ込んじまったが、ようやく秘められし力が解放されてよ。……ここからは桐彦様、と。俺様のイケてるツラ以外も崇め奉ってくれや」
最後まで付き合ってやるからよ、と。あくまで軽い調子で名乗りを上げる糞山の王改め渡部桐彦に、「最終決戦」の単語に肩をこわばらせていた三角の緊張が、僅かに解れる。
「……ありがとうございます。よろしくお願いします、桐彦様」
「はっ、ホントに様付けすんなっつーの。照れちゃうだろうが、真面目ちゃんがよ。サマナーもといテイマーらしく、もっと堂々としてりゃいいんだよ」
敬う態度はやっぱり悪かねエけどよ。と。もう一度、先程よりも少しだけ力を強めて三角の背を叩き、桐彦は元いた位置に戻る。
三角は彼なりの激励に、改めて頭を下げるのだった。
「と、アサシンの真名も解放されたところで、だ」
一度ヒューマンスピリットを使用して左足を作り直し、ついでに「生足はキツいだろ?」とズボンのテクスチャも整えた馬門が、それでもややおぼつかない足取りのまま、メンバーの中心に躍り出る。
「……今回も、何故貴方が仕切っているのです、馬門」
「いや、正直このくらいしか出来る事があんまり残ってないんだ。現場の最年長者のやる事だと思っていい加減割り切っておくれよランサー」
呆れたように、しかし今はどうしても意識が校舎の方に向かっている自分が何か言うよりは、と、玻璃は嘆息と共に馬門から顔を逸らす。
馬門はこの度も口角を持ち上げ、そのまま口を開いた。
「突撃前に現状を整理しておこう。校舎内にある反応は、ラタトスクの観測によれば究極体相応の1体のみ。クラススキル上、こちらにデータの無いアサシンなら存在を気取られずに潜んでいられなくはないけれど」
「えっと……もし居たとしても、大丈夫です。……テイマーは、私が守りますから」
「うん。バーサーカーが居る以上、少なくとも同じ吸血種が彼女に不意打ちを決めるのは不可能だ。多分。とりあえず聖解の下に辿り着くまでは、最悪テイマーとシフさえ守り抜ければいいから、道中は2人の護衛に集中しよう」
もし伏兵がいたら、囮はボクがやるからさ。と、やはり軽薄に馬門は笑った。
「それから、アーチャー、アサシン。雲野先生と戦ったんだろう? ……収穫はあった?」
「これの事が言いたいの?」
不機嫌混じりの複雑そうな表情で、馬門の言う「収穫」と思わしきアイテム―――雲野環菜が消滅した位置に残されていた、4つのスピリットをヒトミが差し出す。
炎と風、それぞれの人・獣のスピリットだ。
「えっと、私達も」
シフも同様に、水の両スピリットを取り出す。鹿賀颯也が回収し損ねた、中舞宵の<Gift>が落ちていた場所に最終的に出現したものだ。
「これで、鋼以外のスピリットはこちらの陣営に揃った。スサノオモンや、スサノオモンとまではいかずとも超越形態を使われる心配は、これで必要無くなったと見ていいだろう。……まあ、万が一ボクらが全滅しちゃったら、みすみす十のスピリットを相手方に差し出す羽目にもなっちゃうんだけどね!」
「マジでいちいち縁起でも無い事言わないでください」
いい加減おなじみとなってきた、咎める名城にどこ吹く風の馬門という構図に、やはり苦笑いするしか無い三角。
……ただ、『鋼』。その単語に玻璃が、そしてヒトミが表情を曇らせているのには、かける言葉さえ見つけられなかったのだが。
だが、やはり馬門は空気を読まずに続ける。
「ランサーの推測通り、現状と、スピリットという証拠からしても。最後の敵は、京山先生のご子息―――鋼の闘士、メルキューレモン。この相違点の京山幸樹だ」
全く玻璃達に気を遣う事無く、断言する。
どうにしたって、ここで終わりには、出来ないのだから。
「……メルキューレ。メルキュール。メル、クリ……ウーン? なーんか妙に引っかかるっつーか。ヤな名前だな。俺様、対応惑星は水星(マーキュリー)の筈なんだが」
怪訝そうに首を捻る桐彦。
「? よくわかんないけど、多分戦う時はブラックセラフィモンだから大丈夫じゃない?」
「ふうん、そうか。……ブラックと付けどもセラフィモンってなら、まあ、問題ねーか」
普通逆じゃ無いかと三角は思った。
空気は読めないが表情からは察せたのだろう。「とはいえ」と三角の方に向き直り、馬門がすかさず補足を入れる。
「メルキューレモンの能力はかなり厄介だからね。反射と消去。ランサーがイロニーの盾を使うのは間近で見ただろう? あれを聖解のバックアップがある状態で際限無しに使われたら、いくら数で勝っているとは言っても、正直滅茶苦茶キツいと思うよ? いっそ単純な火力で力押しされた方がマシまである」
「……そうだよ。本当に強いんだから。鋼の闘士って。めちゃくちゃ頭が良くて、カッコよくなきゃ、ダメなんだから」
本当は、と。ぽつり、零すヒトミに、玻璃も静かに頷く。
自身の出典に……そして、今まで共に過ごしてきた玻璃や、これまで戦ってきた相手から、思うところがあるのか。ヒトミは玻璃と並んで浮かない表情で、リュックサックの中に居るギギモンも、人間で言うところの眉尻を下げている。
「……この相違点の『私』は、既に死亡している。セラ ナツミ―――オニスモンとの戦闘時でも、コラプサモンとの決戦時でもなく、その間の時間軸で」
振り絞るように、玻璃はヒトミの台詞に続く。
「原因や事情は解りません。解りませんが―――マスターはきっと、私の蘇生を聖解に願った。その結果が、ダスクモン。……セイバーの京山玻璃であり、……この相違点に召喚された、私自身」
エインヘリヤルという形で蘇生した京山玻璃と
京山玻璃が死亡した物語の歪みそのものを修正するために、聖解に呼ばれた「未来の京山玻璃」
そう考えれば確かに辻褄は合うと、名城が自身の所感で玻璃の推測を補足する。
「ですが、やはり解らないのです。……マスターの願いが直接反映されたのがセイバーの京山玻璃だとして。……何故、彼女にあのような暴虐を」
もはや必要性や合理性の話では無い。
玻璃の望みによって、京山幸樹が性質を歪まされたのでは無く。
幸樹の望みによって、京山玻璃は性質を歪められていた。
玻璃の知る本来の幸樹であれば―――自分にそんな真似をさせる筈が無い、と。
だが、一方で。
玻璃の戸惑いに耳を傾けながら、三角は「何か」を掴みかけていた。
もちろん、詳細は玻璃同様に解らない。だが、ここまで敵味方問わず、彼らの『物語』を目の当たりにして。彼らの心からの言葉を耳にして。
なんとなく、何かがわかりかけている気がしたのだ。
「……先輩?」
三角の真剣な面持ちに、思わずシフは、彼に呼びかけて。
「して、どうする?」
だが先にクヅルが玻璃に問いかけた事で、話の中心は、玻璃のままで在り続ける。
「……どう、とは」
「お前、兄を斬れるのか」
「……」
もう一度、巡ってきたのだな、と。玻璃は轢き肉号の中でエビバーガモンとバーガモンの姉妹と語らった一幕を、思い返す。
「わかりません」
どれだけそれらしい理由を探しても、世界と天秤にかけてでも。「兄と戦う事になった時、どうすればいいのか」の答えは、見つからない。
「ですが、その時は。……私は妹として、兄と向き合います」
兄との再会。
それが、玻璃の生きる意味。……レゾンデートル。
たとえ、望まぬ形だったとしても。
―――玻璃さんのお兄さんは、「そうなった」時、どうする方?
「だって、マスターは。私の事を、叩いたりなんて、しませんから」
大切な友達の言葉を胸に、玻璃は拳を堅く握り締める。
「だから、今度はマスターと。……ちゃんと、話をしたいのです」
そうして、彼女は仲間達を見渡す。
今回は。……いいや、今回「も」。
玻璃は、もう、けして1人では無いのだ。
……相違点を修復すれば
本来の『デジモンプレセデント』を取り戻せば
京山幸樹は、また、暗黒の海に消えてしまう。
本当は―――嫌だ。と。
兄を犠牲にして成り立つ世界なんて、欲しくないと。
玻璃はやはり、そう思う。
(それでも)
最後に玻璃は、三角とシフを見つめる。
この世界の外側で、最愛の兄に世界を壊されたかもしれない1人の人間と、1体のデジモンを。
(もう、マスター1人に。罪まで背負わせる訳にはいかない)
兄妹として。
贖罪と断罪を司る、闇の闘士として。
「どうか―――私に手を貸してください」
玻璃は三角達に、頭を下げた。
……そして、ふと。
目の前に差し出された手に気付く。
甲に赤い円だけが残った、傷だらけで、……始めて見た時より、ほんの僅かに逞しくなった青年の右手に。
「力を貸して欲しいのは、俺の方だよ」
顔を上げる。
この世界を壊さなくてはいけない『最後のテイマー』が、だから真っ直ぐに、玻璃の瞳を見つめていた。
「会いに行こう。玻璃のお兄さんに。……どんな結末が待ち受けているとしても」
「……」
玻璃は唇の片側を持ち上げて
「はい、テイマー」
しっかりと、その手を握り返した。
「全く、ただ敵を斬るよりも、ずっと難儀な事を言う」
それこそ刃物じみた鋭い眼差しを玻璃に投げかけていたクヅルが、不意にふっと表情を緩める。
「天気雲翳にして波高し。……だがこの船になら、もう少し乗ってやるのも一興か」
「俺様も新参エインヘリヤルとしてェ、サマナーもといテイマーにチョーカッコイーところ見せなきゃなんないので。っつーワケで新しいベヒーモスの代金をお願いシマス」
「桐彦さん、まだそのキャラ続けるの?」
「今くらいはな」
「……あっそ」
あくまでおどける桐彦から、ヒトミは玻璃と三角に視線を移す。
「いいんじゃない?」
誰にも顔を見られていない間にそう呟いて。
彼女の背中で、ギギモンがにこりと微笑んだ。
「その……すごく、良い事だと思います。お兄さんと、お話。……とても、大事だと思うので。……私も、大して役には立たないと思いますけど……力には、なりたいです」
「! もちろ」
「もちろんバーサーカーが居てくれたら心強いよ! あ、ボクも引き続き協力はするから安心してね、テイマー! まあボクの場合はあくまで利害の一致なんだけどさ」
「手始めにこの人を吸ってしまった方がいいんじゃないかと思うんですが。その、自分でも気持ち悪いくらい全然食指は動かないんですけど」
「……やっちゃえ、とは言えないかな……」
「おそらく氷の性質を持つ馬門は血液も冷え切っているのでしょう。きっと血を呑んでも未来さんのお身体に触るだけなので、無視が一番です」
「ばう」
笑顔の引きつる三角に、すっかりジト目になったミラーカと玻璃。呆れを隠さず鳴くバウモンに、相変わらず涼しい表情の馬門。あまりの緊張感の無さに、デジヴァイスから漏れ出す名城の溜め息。
シフの蜂蜜色の瞳が輝く。
最後の戦いが迫っていて。
ひょっとしたら、そこには新たな悲劇が待ち構えているかもしれないのに。
なのに―――今、この瞬間。目の前に広がる光景は、とてもかけがえのないものに感じられて。
『京山玻璃』という1人の少女の周りに、『デジモンプレセデント』本編とは異なれど、沢山の人々が集っている事が、まるで自分の事のように、シフは嬉しくて。
そんな彼女の浮かべた笑顔に、真っ先に気付いた三角もまた、シフに向かって笑って返す。
「行こう、シフ」
「はい、先輩!」
第1相違点という物語の最終章へ。
2人は始まりの時と同じように手を取り合って、新たな1歩を、踏み出した。
*
物語の分岐点となった話のタイトルは、「キョウヤマ コウキ – 5」
スーツの男が正しく物語の主人公であった、最後の章である。
男は回想する。
電子的な光に包まれ、消滅するセフィロトモン。
器を失い、弾け、流れ落ちる黒い水―――暗黒の海。
大地を満たし。
大地を浸し。
大地を侵し。
昏い海は、コラプサモンという水門から零された分量だけで、十分に。瞬く間に世界の理を侵食し、歪曲させた。
「あ―――あああ」
男は―――メルキューレモンは、装甲から汗のように海の水を滴らせながら、イロニーの盾を装備していない両腕で自分の頭を抱え、声にならない悲鳴を、涙の流れ得ない嗚咽を漏らしながら、その場にうずくまる。
失敗、という単語が、彼の内部を埋め尽くす。
安堵と悔恨が絶え間なくお互いを塗り潰し合う。
―――『お兄ちゃん』……!
頭を過るのは、最愛の妹の呼び声。
初めて呼ばれたはずなのに、ずっと己を指し示していた肩書き。
その言葉を耳にした時。
メルキューレモンの『心』に、雪崩れ込むようにして後悔が押し寄せた。
今すぐ全てを投げ出して、泣いている妹の下に駆けつけて、彼女を抱きしめたい。
世界なんて、どうなってもいいから。
どんな形でもいいから、妹とこの先もずっと、一緒に居たい。
……それでも、その思いをどうにか振り払おうと、メルキューレモンは妹の台詞を我が儘と断じた。
人がデジモンに進化する、という『前例』である彼女を。
ユミル論による滅びの『前例』としないために。
メルキューレモンは―――
「本当に良いのか? もう、二度と会えないかもしれないぞ?」
―――たったひとこと。
そんな言葉が、胸の内に響いて。
たったのひとことで、セフィロトモンの許容量よりも先に、メルキューレモンの心に限界が来てしまった。
そうして、この有様。
世界の滅びが、始まった。
「は―――はははははは! 情けないのう、我が骸!」
自分を指さして、狂ったように嗤うしわがれ声に、メルキューレモンはゆっくりと顔を上げる。
「あれだけ派手に啖呵を切っておいて、なんと無様な体たらく! 我が計画は、古代十闘士の悲願は今この瞬間を以て成就した! 我は、我は―――正しかった!!」
否、狂ったように、ではなく。狂って、壊れ果てたのだろう。
そうでなければ、目の前のデジモンが―――自身と道連れに暗黒の海に封印するつもりでいた古代鋼の闘士が、こうも声高に笑える筈が無い。
心など無いと、己を押さえつけていた心が、壊れていなければ。
「認めてやるよぉ、我が『息子』!! お前は我に似て愚かで! 恥知らずで! 悪質な臆病者よ! 結局お前は、我と同じ道しか辿れなかった!!」
無機質な金の目を明滅させ、駄々をこねる子供のように紫の羽団扇を振り回し、海水をたっぷりと吸い込んだ緑衣に押し潰されそうな姿勢で、古代鋼の闘士は喚き散らす。
再び、暗黒の海に。数千年を漂った『深淵』に落とされそうになった恐怖。……だけではない。
最後の最後に残されていた理性の部分で、幽かに安堵があったのだろう。
メルキューレモンが指摘した通り。……最愛の同胞達の誇りに、傷を付けずに済んだ安堵が。
古代鋼の闘士・エンシェントワイズモンの『亡霊』を。
「彼ら」の父を、メルキューレモンの選択は、本当の意味で殺してしまったらしかった。
「……」
もはや笑う事しか出来なくなったエンシェントワイズモンに、更にかぶせるようにして、上空から嘲笑が降る。
身体を起こせば、たった1日前に見た悪夢が。
メルキューレモンが自身の手で仕留めた筈のオニスモンが、馬鹿にしたような歓声を上げながら、こちらに向かって飛んでくるのが見えて。
「…………」
メルキューレモンは立ち上がる。
内部データをほとんど使い果たした身体が酷く軋んだ。
その痛覚と、目の前の壊れた人とデジモンが、むしろ彼の神経を鎮め、冷静に思考させる。
「コレ」と「アレ」を食えば、十分『雲野デジモン研究所(いえ)』に帰れるな、と。
*
「バッカだねぇ。1人で背負って無茶したヤツを、あたしが怒れる立場に居るワケ無いだろうが」
玄関に足を踏み入れるなり飛び出してきた妹を強く、強く抱き返し、泣きじゃくる彼女を前にその場に崩れ落ち、譫言のように謝罪の言葉を繰り返すメルキューレモンを、彼の妹共々、雲野環菜は被さるようにして、そっと抱きしめた。
「おかえり」
*
それからしばらく、穏やかな日々が続いた。
……もっとも環菜はいよいよ実例の出始めた『ユミル進化』対策本部の中心人物となった手前、以前約束していたように十闘士のデータを活用した研究にいそしむような余裕は無く、あちこちを駆けずり回っているのだが。
「でもね。実を言うと、そんなに気分は悪か無いんだよ」
なのに、たまに自身の研究所に戻って一息を付いた時、彼女の身をメルキューレモンや柳花が案じれば、環菜はそう言って笑うのだ。
「だって、皆に知れ渡っちゃったからね。うちの旦那は、滅茶苦茶頭が良かったんだって」
不謹慎だけどね、と。困ったように眉を潜めて。左手の薬指に光るメルキューレモンの装甲と同じ色の指輪を煌めかせながら。
「だから今度は、カンナがセンキっちゃんヨりかしこいって、みんなにシょーメーしなきゃいけないの! もータイヘン!」
「そーそー。まったく、頭の良いバカを婿に持つと大変だよ。世界を救う羽目になる!」
パートナーのコロモンを撫でながら惚気るだけ惚気て、なのにそうこうしている内にきっちり必要な資料を纏めて研究所を後にする環菜を見送る日々。
相変わらず、彼女は研究に関することだけは恐ろしく優秀で。だから、いつか鹿賀颯也が言った「意外とどうにかなりそう」の言葉が真実味を帯び始めたような気がして。……そう思うと、メルキューレモンの中の罪悪感は、徐々にではあるものの、薄れ始めていたのだった。
「そもそも、幸樹さんが罪悪感を覚える必要がまず無いんです」
食器洗いの作業を分担しながら、ふと口を突いてしまったメルキューレモンの胸の痛みに、柳花が彼女にしては珍しく、やや食い気味に反論する。
向かいのキッチンスペースとリビングとの仕切りに止まったピコデビモンも、うんうんと頷いた。
「そう……でしょうか。ワタクシが暗黒の海を留められれば―――」
「―――玻璃は、ずっと寂しい思いをする事になっていました」
しばらくの間、水道から流れる水の音だけが響き続けた。
「……あのですね、幸樹さん」
皿を洗い終えた柳花は水道を止める。
「もし幸樹さんがあの場で自分を犠牲にして、世界を救ったとしても。……知らない人は、好き放題言います。むしろあのセフィロトモンが人類を害する兵器だったのではないか! とか。博士みたいな専門家がどれだけ正しいことを言っても、胡乱な考察がネット上に溢れかえって、視聴率のためだけにあること無いことを言う偽物の専門家が呼ばれた特集が、夏頃になれば公共の電波を使って放送されるんです」
「……貴女の言葉となると、重みが違いますね、タジマ リューカ」
「どうせ、同じ事になるのなら。幸樹さんの頑張りを知っている玻璃や、私達が。悲しまないで済む『今』の方が。……私は、好きですよ」
世界の滅ぶ、滅ばないに関係無く。
……等と、スケールをまるで気にかけない柳花の素朴な肯定に、思わず苦笑するメルキューレモン。
彼の負の感情や過ちもまた『闇』に属するのなら、それを受け入れてしまえるのが、多島柳花という『選ばれし子供』なのだろう、と。
「ただ、考えている事は、あるんです」
「?」
不意に柳花がポケットから取り出すのは、『暗黒の海』に浸された彼女のデジヴァイス。
「このデジヴァイスにも暗黒の海が宿っているのなら、「暗黒の海を利用した進化」もまた、存在する筈なんです。実際にその進化を行って、メカニズムを解明できれば―――」
「環菜には?」
「この前お話しました。……被検体に私とピコデビモンを使うしか無いので、もう少し『海』の研究が進むまでは、実験を強行しないようにと念を押されました」
「僕はリューカが望むなら、いつでもいいんだけどね」
だが、全てを否定されなかったという事は、環菜も柳花達の発想に希望を見出している、と、いう事だ。
「例えば、人とデジモンのジョグレス進化。……2002年の時は憑依、という形でしたが、ヴァンデモンは現状唯一、人とデジモンの融合、その後の分離という『前例』を持つデジモンです」
全ての人間にパートナーデジモンが居る世界。
一度、自分の魂の片割れとも言えるパートナー同士でジョグレスを行い、その後分離すれば、理を正しい位置に戻せるのでは無いか、と。
柳花とピコデビモンは、今度はヴァンデモンが「世界を救った」象徴になるかもしれない身勝手な世界を思い描いて、悪戯っぽく微笑んだ。
「だから、幸樹さんはもう悩まないで下さい。絶対、なんとかしてみせますから」
その笑みが、何よりも心強かった。
「……あ、お疲れ様です、マスター。……ではなく、お兄ちゃん」
ただ、家事をしている間、部屋で待機していただけだというのに、玻璃はまだまだぎこちなく彼の肩書きを呼んで、メルキューレモンに駆け寄り、その腕にしがみ付く。
玻璃とメルキューレモンは、改めて。『兄妹』という関係を始める事にした。
もっとも、端から見ればそのやりとりは少々距離感が近過ぎて、だがそれをいちいち指摘する者は、この研究所には鹿賀颯也とオタマモンくらいしか居なかった。
その颯也も近頃は諦めたようで、加えて「世界の滅び」が始まって以降は、自身の家族の下に戻っている事の方が多くて。
2人はお互いの身を寄せ合いながら、取り留めも無い、どうでもいい事をよく語らった。
毎日一緒に居る筈なのに、不思議と話題は尽きなくて、尽きた時はその時で、こんな時分でも残されているネットの問題集を用いて簡単な授業を行ったりもした。
「柳花とピコデビモンらしいですね」
そしてその日の話題はたまたま、どうでもよくは無い、直前にメルキューレモンが柳花と交わしていた、新たな『前例』についての話だった。
「仮にも、光と闇のスピリットの適合者として。私も何か、お役に立てる事があれば良いのですが」
「正直なところ、この期に及んで尚。貴女の肉体を、研究を目的とした衆目に晒したくは無いのですが」
「マス……お兄ちゃんが望むなら、その通りに。……ところで、環菜さんだけに、だとしても、返答は否定でしょうか」
「……」
「……」
玻璃はわざとらしく膨らませた頬を、メルキューレモンの腕に押し当てる。
「……玻璃、それは」
「怒りに近い感情表現です。この場合は、お兄ちゃんから環菜さんへの信頼に対する嫉妬の表現になります」
教えたのは十中八九鹿賀颯也か、と。メルキューレモンは人間形態の小指、その関節部分を、玻璃には聞こえない程度に小さく鳴らした。
それでも一先ず、玻璃の気が済むまでそうさせて。
しばらくしてようやく離れた彼女は、再び兄の顔を見上げた。
「どうしましたか」
「その。……一生懸命対策を考えている柳花や、一応環菜さんには、申し訳ないのですが」
「?」
「私は、本当の意味でデジモンになる事を。実のところ、楽しみにしているようなのです」
兄のクセを真似て、僅かに唇の片側を持ち上げて。玻璃は戸惑いに目を瞬く彼を見据える。
帰還以来、人間の姿を取り続けているが―――本来はデジモンである、兄の姿を。
「そうすれば、マスターと。……お兄ちゃんと、お揃いですから」
「……」
何か、言おうとして。
何を、言うべきかと考えて。
結局何も言えずに、メルキューレモンは、そっと妹から目を逸らして、頬を掻く。
「それは『デレ』の感情表現だと、カジカPに教わりました。……『デレ』とは何か、よくわからないのですが。お兄ちゃんは、どのような意図を持ってその仕草を?」
「……ワタクシ自身説明のしようが無いので、次回カガ ソーヤが研究所を訪れた際、尋ねる事にします」
身体に。と。メルキューレモンは、いちいち付け加えたりはしなかった。
玻璃もその辺のメルキューレモンの本意には気付かず、そうですか、と納得に頷いて見せて、
「それで……お兄ちゃんは、私がデジモンになるとすれば、どのような種族になると予想しますか?」
話を戻す。
「そう……ですね。スピリットの適正から考えるに、ガルルモン系統や、あるいは暗黒属性の獣型の可能性が高いのでは無いか、と考えられますが」
「そうですか。……個人的には、突然変異型を希望します」
「そこまでワタクシとお揃いである事を望んでもらえるのは兄冥利に尽きますが、万が一爆発物の類になられると、その、多少は困ります」
スマイリーボマーと化した妹を想像して、遠い目をするメルキューレモン。
その他の突然変異型も、自身を含めてくせ者揃いといった印象で、遙か昔に『父』の残したデータに思いを馳せながら、メルキューレモンは肩を竦めることしか出来なかった。
もっとも、玻璃がいつか、自然に笑顔で居てくれる日が訪れるのなら―――結局は、何でも構わないと、そう思いながら。
「……来るべき日に備えて、図鑑の確認でもしましょうか」
「同意します、マス、っ、お兄ちゃん」
好きな方で呼べば良い。と言いたいところだが、やはり兄妹で兄の呼び方が「マスター」ではおかしいだろうと、苦笑いと共にメルキューレモンは指摘を飲み込む。
それに、玻璃自身。兄を呼び戻せた「お兄ちゃん」の呼び名を、どこかお守りのように考えているらしく、多少無理をしてでも、その呼び方に慣れようとしているようで。
メルキューレモンは、環菜のパソコンからデジタルワールドのアーカイブに接続するべく、部屋の移動のために自室の扉に手をかける。
と、
「あ、お兄ちゃん」
不意に。だが、今度は間違えずに、玻璃がメルキューレモンの事を呼んで。
「? どうしました、玻璃」
振り返る途中。
ぱしゃ、と。あまりに軽く、あっけない水音が、静かに響いた。
*
「マスター」
スーツの男が、人の姿の瞼を持ち上げる。
玻璃にとっては、懐かしい姿。
男にとっては、終ぞ訪れなかった未来の姿。
『鋼』のスピリットで繋がった兄妹は、お互いにとって『現在』とは言えない容姿で、この瞬間、対峙する。
玻璃が。そして三角達が訪れたのは、小学校の視聴覚室。
講堂の役割も果たしていたこの部屋は、授業によっては大型のデジモンもリアライズできるよう、広いスペースが確保されている。
……否、広すぎる、と。三角は周囲を見渡した。
恐らく、この空間もまた、『デジモンプレセデント』そのものよりも、デジタルワールドに近い理が働いているのだと、三角は一先ず判断する。作中に直接登場した施設とはいえ、戦闘が行われていたのは校庭だ。「未来の小学校の校内」など、やはり作者もそう詳しくは設定していなかったのだろう。
「……ようこそ。電子人理保護機関ラタトスクと、その協力者達」
スーツの男は腰掛けていたパイプ椅子から立ち上がる。
まだ距離があるのに、くたびれたスーツの黒と長身痩躯が、白い壁によく目立っていた。
「そして我が妹、玻璃。……随分と、大きくなりましたね」
にこやかに妹達を出迎える男に、むしろ三角達は身を竦ませる。
見た目だけでは解らない『彼』の異質な気配に、バウモンも唸りながら毛を逆立たせた。
スーツの男は目を細め、自嘲するように首を横に振った。
「ええ、ええ。……ワタクシはやはり、何もかもを間違えたのですね。ワタクシが選択を誤らなければ、貴女には美しく健やかに成長する未来があった。学校には通っていますか? 多島柳花以外にも、友人は? 環菜とは、上手くやれていますか?」
「……マスター」
「未来の貴女は、幸せに暮らしていますか?」
矢継ぎ早な質問は、どれも「この」玻璃の『現在』を慮るもの。
……彼が拠点を『学校』に置いた意図を察して、三角は思わず目を伏せた。
「……私は」
一呼吸を置いて。
玻璃は、スーツの男へと向き直る。
「学校にも通っていますし、人・デジモン問わず、新しい友達もたくさん出来ました。環菜さんとは……よくケンカしますが、それでも関係は概ね良好です」
「……」
「マスターが守ってくれた未来で、私は、マスターに誇れるぐらい、幸せに暮らしています」
そうして、真っ直ぐに訴える。
……それが、「この」兄の全てを否定し、過ちを過ちであると肯定する行為だとしても。
だからお前はあの昏い海に沈めと、そう言っているに他ならない非道だとしても。
玻璃には、その「事実」を声高に叫ぶ他無かった。
「そうですか」
そして、妹の話に。スーツの男は、やはり穏やかに微笑む。
「『貴女』から直接、その話を聞けて良かった」
その、持ち上がった唇の片側を覆うようにして。
傾いた十字飾りの施された若草色の兜に、男の顔が作り変わる。
十枚の悪魔の翼が、円を描くように彼の背中に広がった。
「マス、ター?」
「ちょっとちょっと幸樹さん。今のは説得成功で聖解譲渡、可愛い妹の先々の幸せを願ってめでたしめでたしのハッピーエンド的な流れじゃ無かったの?」
「……ああ、馬門。「こちら」の貴方にも悪いことをしましたね。貴方に言っても無意味でしょうが、謝罪はしておきます。……すみませんでした」
「……ヤバいよテイマー、ボクが言うのもなんだけど」
戸惑う玻璃の前に躍り出て、気安く問いかけていた馬門は、予想だにしない真摯な態度での謝罪に上がり気味の口角を引きつらせる。
「アレは、話が通じてない」
「お話は、理解はしているつもりなのですが。……ただ、まあ。ワタクシも今更、予定を変えるつもりはありませんので」
表情はもはや窺い知れない。
どこか機械的な声音は感情を伝えない。
スーツの男―――ブラックセラフィモンはただ淡々と語り、重々しく金属的な足音を響かせ、ラタトスク側のエインヘリヤル達と、距離を詰める。
「よーするに、ボコし合いってこったろ?」
ばきり、ばきり。
指の関節を鳴らし、桐彦が玻璃や三角を背に回す。
彼の姿もまた、雲野環菜に加えてブラックウォーグレイモンのリソースを『讃え崇められるべき高館主』で回収したベルゼブモン:ブラストモードへと切り替わる。
「その……本当は、ダメなんですけど。私なんかが、口を挟むのは。でも、あなただけ納得して終わらせるのは、その、それも、あんまり良く無い気がして……」
「事情は知らぬ。だが、我々はあくまで部外者故、加減も知らぬからな。荒事で決めると言うのであれば、私の領分だ」
マスクを外し、ネオヴァンデモンの肉(テクスチャ)で全身を覆ったミラーカと、すらりと鞘から刀を抜いたクヅルも彼の隣に並ぶ。
待って、と。
玻璃が持ち上げた手に、そっと彼女に歩み寄ったヒトミが、小さな手を伸ばし、添えた。
「大丈夫。玻璃さん」
リュックから降りていたギギモンも、玻璃とヒトミを見上げてこくりと頷く。
「桐彦さん達はああ言ってるけど、わたし達の仕事は、また時間稼ぎみたい」
「ヒトミ?」
「信じるよ。少なくとも、わたしとギギモンは。……玻璃さん、まだお兄さんとお話ししたいこと、たくさんあるんでしょ?」
目を、一度瞬かせて。
玻璃は、こくりと頷いた。
「通じないって諦めるのはまだ早いよ。通じなかったとしても、言いたいことは、全部言ってやらなくっちゃ。言っても解らないやつには、言わなきゃもっと分かんないんだよ? 違う? 馬門」
「なんでボクに振るのかな? さっきから滅茶苦茶耳が痛いんだけど」
「わかったならいい」
ヒトミとギギモン―――なけなしのリソースを燃やすように進化したメギドラモンが、戦列に加わった。
「……三角。シフ。私は」
「もう少しだけ、悩んでよう、玻璃」
三角はシフと目を合わせ、頷き合い、そして玻璃に笑いかける。
「俺も一緒に、悩むから」
「んじゃ、まあ。この面子じゃ戦力にもなれないだろうし、ボクは残ってテイマーの壁役に務めるよ」
「先輩をどうかお願いします、馬門さん」
「……キミ、ホントに良い子だね、シフ……」
直接戦う力を持たない三角に代わって、シフはエインヘリヤル達と並んで立つ。
「宝具、展開します。……『仮想宝具 疑似展開/電子人理の支柱(ロード・ラタトスク)』!」
それが、エインヘリヤルとして―――仮に、だとしても。三角のパートナーデジモンとしての、役割だと信じて。玻璃は宝具によって、光の2つのスピリットをその身に纏った。
「……ありがとう。皆さん」
玻璃が、僅かに掠れた声音を震わせた。
「……準備も整ったようなので」
そんな彼女の様子を見届けて、相変わらず表情の読めない堕天使が、ぐるりと自分の前に立ちはだかるエインヘリヤル達を見渡す。
「始める前に、一つだけ。……貴方方の陣営の『ライダー』に、言伝を預かっているのですが」
「あ? ……ライダー自体はいねぇが、そりゃ俺様か、そうじゃなきゃ馬門の旦那の事だろうな。騎乗持ちは、この2騎だけだ」
「馬門で無い事は確かですね。では、貴方で間違い無いでしょう。……お伝えしてもよろしいですか?」
「どこの誰のモンだか知らねエが、下々の言葉を無碍にするのも王の名が廃る。……いいぜ、堕天使。副王様手ずから地獄に送り返す前に聞いてやるよ」
「では、僭越ながら」
名乗り出た桐彦に、ブラックセラフィモンは仰々しく向き直る。
そして
「「結局悪いことしちゃった。でもこっちもお仕事だから許してにゃ~ん」……と。こちらのライダーからです」
ブラックセラフィモンは、散々桐彦の調子をかき乱したライダー・風峰冷香の台詞を一言一句、調子まで違える事無く、正確に。……確かに、桐彦へと伝えたのであった。
びきり、と。
紫の仮面の下には青。
緑の虹彩を持つ眼には赤。
それぞれ色の異なる筋が幾重にも走る。
この場で、このタイミングで、この語調で、この台詞。
その上よりにもよって散々辛酸を舐めさせられた相手の言葉ともなれば、挑発と受け取るなと言う方が、無理な話で。
「上ッ等だゴルァ!!!!」
バアル・ゼブルのブラスターが、火蓋を切った。