「我々の目的を1度整理しておきましょう」
公園を出て周辺マップ確認する三角達に、改めて名城が口を開く。
「最大の目的は、相違点の修復。そのために必要なのが、聖解の回収です」
相違点Dでの事を踏まえて、一度地図から顔を上げた三角とシフが頷く。
そのためには、と、名城はさらに続けた。
「文字通り、原作との『相違点』を見極める事が不可欠です。シフ、『デジモンプレセデント』読者である貴女的には、そしてシェイプシフターとして、この相違点、まずはどのようにお考えになりますか」
「……」
ぐるりと辺りを見渡すシフ。
広がるのは、全体的に不自然に黒ずんだ、人気の無い住宅街。
「当初の推測通り、コラプサモンを利用したエンシェントワイズモンの計画が上手くいった世界……であるのは、間違いないと思います」
コラプサモン。現実のデジタルワールドでは確認されていない、『デジモンプレセデント』作者によるオリジナルデジモンだ。
デジモン、と言ってもそのあり方は一種の舞台装置で、劇中では『暗黒の海の水門』と推測されている。
「暗黒の海、っていうと」
流石に三角も知っている。……最も彼の中にある知識は、胡乱な心霊番組で特集されている際のものがほとんどであったが。
2003年の選ばれし子供達が目の当たりにした、人の昏い感情が流れ着く海であり、とあるアメリカの作家の著書と類似性が確認できる空間であり、リアルワールドの侵略を目論んだ魔王・デーモン封印の地。……それが、三角のような一般人の大半が持つ、暗黒の海への認識である。
「ところで『デジプレ』の作者って、デーモンの扱いはどんな感じだったの?」
「……その件でもひと炎上あったと、今は一先ず、それだけ」
「……」
「ばう……」
閑話休題。
「少なくともこの辺一体は、一度暗黒の海に呑まれたのでしょう」
「それで、ユミル論に基づく滅びが世界に伝播した。人は転生しないデジモンとなり、デジモンは寿命を終えれば消滅する存在と成り果てた。それが、この世界では本来起こりえなかった『事象』」
ここまでは、ラタトスクを出る前に推測していた通りだ。『デジモンプレセデント』の世界が、それ以外の理由で滅ぶとは考えづらい。
世界が滅ぶにしても理由が必要だ、と。へレーナも、そう言っていた通り。
『デジモンプレセデント』の物語に、滅びの理由は『ユミル論』の他に無い。
「相違点Dのエンジェウーモンの事例を鑑みるに、聖解を用いた物語への介入は外部から行う事が出来たとしても、相違点を維持し続けるためには内部――物語の登場人物の協力が不可欠なものと考えられます」
エンジェウーモンが最愛の友・ウィザーモンを聖解の力で蘇生させようと試みていた事が、結果として聖解の守護に繋がっていたように。
聖解を手にした者が願望器として聖解を用い続ける事が、相違点を存続する事に繋がるのだと、名城は推察を口にする。
「まあ、ようするに」
と、誤解や誤認を引き起こさないよう慎重に言葉を選ぶ名城を前に、ぬっとグランドラクモンがへレーナの身体で通信へと割り込んだ。
「『デジモンプレセデント』の世界では叶わなかった願いを叶えた人物。それが、聖解の持ち主になるというわけさ」
「……断定はしないでください。ただ、その可能性が高いのは事実で――少なくとも、相違点修復の糸口にはなる筈です」
「そのために、情報収集って訳ですね」
グランドラクモンを軽く押しのけながら、名城が頷く。
何者であるにせよ、物語の主要人物であるとすれば、そのキャラクターの行動は確実に誰かの目に留まる。
それだけは、いくらこの世界がどれほど間違った未来を紡いでいたとしても、物語である以上は避けられない設定(ルール)だ。
「ちょうど、今あなた達が向かっている『雲野デジモン研究所』の周辺に生体反応が複数確認できました。可能であれば、彼らに聞き込みを。……最も、エインヘリヤルで無い事は確実ですが、敵性存在では無いとは断言できません。警戒は、怠らないように」
「はい」
「ばう!」
返事に加わったバウモンを見て、思わず表情を綻ばせてから。
2人と1匹は、改めて。目的地に向かって、歩みを進める。
*
「それで? 情報収集の首尾はどうかな?」
雲野デジモン研究所周辺。
研究所を中心にデジモン、そして僅かな人間の集落(コロニー)になっていたこの区画をひとしきり回った三角達がその外れに落ち着いたタイミングを見計らって、ラタトスクから通信が入る。
顔を出したのは名城ではなく、テティスモン――テディちゃんだった。
「テディちゃん。ドクターは?」
「普段のサボりのツケとはいえ流石に働き過ぎだったからね、仮眠室に投げ入れてきたよ。という訳で、しばらくの間はこのテディちゃんにお任せあれ!」
「よろしくお願いします、テディちゃん」
良い返事だと笑って、テディちゃんが改めて報告を促す。
途端、吊られて笑みを浮かべていた三角達は、表情を曇らせた。
「えっと……本当に、酷い状況です」
集落には、機械系のデジモンが多かった。
にも関わらず、彼らのほとんどは無機質な印象とはかけ離れていて、しかし隠しきれない無気力に、全てを支配されている風で。
そして、そういったデジモン達は、大概が元々は人間であるらしかった。
「成程、機械系デジモン。ようするに、いざとなれば身体のパーツを取り替えられる、寿命では比較的死ににくいデジモン。という訳だね。それ以外のデジモンが淘汰されきる程作中時間が経過していないとすれば、寿命による制約が発生した以上、進化先がそういったデジモンに集中するものだと『デジプレ』の作者は考えていたのかもしれない。そこのキミ! 念のため近い発言が無いか、氏のSNSの記録やインタビュー記事を確認してくれたまえ」
「もう始めてます。少々お待ちを」
「わお、優秀なスタッフ達だ」
「集落の皆さんは、とても親切で、協力的でした」
「人間の俺達……いや、シフはホントはデジモンなんだけど、人間に見えるから。……そんな俺達を、心配してくれているぐらいで」
ラタトスク側のやりとりを確認しながら、シフが改めて切り出し、三角が続ける。
うんうん、と、モニターの向こうでテディちゃんが頷いた。
「コロニーを築ける以上、彼らはデジモンと化した人間の中でも上澄みなのだろう。「無益な戦闘が発生しない」という希望的観測が当たっていたのは喜ばしい事だ。……して、そんな彼らは、何故雲野デジモン研究所の周辺にたむろしているんだい?」
「環菜博士の研究所に事態収束の手がかりを探しに来られた方が、それなりにいらしたようです。目的は果たせなかったようですが、危険から身を守るためにも、と、集まった方々を中心に、徐々に集落を形成していったものと思われます」
「ふむ。その様子だと、この異常がユミル論によるものである事は、既にある程度民衆にも広まっている、と考えて良いのかな。ユミル論と言えば、雲野環菜の婚約者にして全ての発端、栗原千吉の研究という事になっている。雲野と栗原の真の関係を知らずとも、2人が既知であると知っている研究者ぐらいは居ただろうし。情報を求めるのであれば、けして悪い選択では無い」
それで、危険とは? と、ひとしきり考察を述べ終えたテディちゃんが先を促す。
それこそが、世界の滅びを望む者への手がかりの一つに違いない、と、バイザーの下にあると思われる目を光らせながら。
「……ッ」
対して、シフの表情が一層強く悲痛に沈む。
つまり、それはラタトスクにとって有益な情報であり――『デジモンプレセデント』の1読者であるシフにとっては、辛い事実だ。
「『闇の闘士』が、暗黒系のデジモンを率いて各地を襲撃している……らしい、です」
シフに代わって、入手した情報を口に出す三角。
実際に『デジモンプレセデント』を読んだ事の無い彼でも、それがどれだけ酷い改変であるのかは理解できた。
周囲と衝突し、燃え続けてでも、暗黒系デジモンに対して差別や偏見を抱き続ける事への警鐘を鳴らしていた作者の作品で、その偏見通りの行動を暗黒系のデジモン達にさせる事の残酷さは。
「闇の闘士」
テディちゃんもまた、表情を改める。
「『デジプレ』における闇の闘士とは、即ち4人の主人公の1人――いや、1体である京山幸樹の妹・京山玻璃だ」
あまり喜ばしい話では無いね、と。彼女の唇は、今や一文字を描いていて。
――主人公の多島柳花さんと京山玻璃さんが友達になるところまでで構いませんので……!
三角の脳裏に浮かぶのは、『デジプレ』を勧めるシフの、緑フレームの眼鏡の下できらきらと輝く蜂蜜色の瞳。京山玻璃とは、シフが声を弾ませて口にした名前だ。
主人公と、友達になっていたかもしれないキャラクター。知る事といえばそれだけだとしても、どこか我が事のように嬉しそうに訴えていたシフを思うと、やはりやりきれない気持ちが三角の胸の内にも湧いてきて。
「『闇の闘士』と。確定しているのはなかなかいただけない」
とはいえラタトスクから俯瞰で指示を出す立場のテディちゃんに憂いがあるとすれば、それは物語に対する感傷を理由とするものではない。
「何せ京山玻璃が『闇の闘士』を名乗るのは、物語の最終盤――彼女の父にして黒幕、京山幸助ことエンシェントワイズモンが退場した後だ」
あくまで、現状に対する客観的な目。
登場人物ではなく、読者の視点。
それを提供する事が、彼女や名城の役割なのだ。
「思い込みで視野を狭める事を危惧して名城は言及しなかったようだけれど、シフも、そしてひょっとすると三角くんも、考えぐらいはしていただろう? この相違点で願いを叶えて、最も得をするキャラクターについて」
「ユミル論による世界の滅び」は、再三言及している通り、エンシェントワイズモンの目的であった。
で、あれば。聖解の所持者はエンシェントワイズモンであると、普通は誰もが、そう考える。
「でも、エンシェントワイズモンさんが玻璃さんを――玻璃さん本人で無くとも、闇のスピリットを手元に取り返して、使役している可能性も」
「あるにはあるだろうけれど、その可能性はぶっちゃけ低い。それは君自身がよくわかっているだろう?」
「……っ」
「エンシェントワイズモンの望みは、「恐怖を伴う緩やかな滅び」だと作中で考察されている。彼は一度破棄した戦力を、親友の亡骸とも言えるスピリットをわざわざ用いてまで、放っておいてもいずれは死にゆく群衆を追い回す小悪党に見えたかい? シフ」
「……」
それに、と。
諭すような口調で、うなだれるシフにテディちゃんは続ける。
「京山玻璃にもまた、聖解にかけるだけの願いを持ち得る者だ。そして我々の推察が正しく、京山玻璃が聖解の持ち主であるとすれば――」
その時、けたたましいアラートがテディちゃんの背後から鳴り響く。
「テティスモン医療チーフ!」
「テディちゃんと呼びたまえ。どうしたんだい、ここからがいいところだったのに」
「後にしてください! 1km先から多数のデジモン反応が! 全て暗黒系と、その上……!」
「……!」
声を震わせながら観測結果を述べるスタッフに、一気に表情を険しくするテディちゃん。
「先輩、あれ!」
次いで、シフが濁った曇り空を指さし、はじめはその直線上に何も見つけられなかった三角の目にも、すぐにその黒煙じみた『群れ』が広がり初めて。
「ば、ばう……!」
「デビドラモン……!?」
デビドラモン。「複眼の悪魔」と恐れられる、成熟期の邪竜型デジモンだ。
暗黒系、とくくられるデジモン達の中では、バケモンに並んで比較的一般人にも馴染みのあるデジモンである。
何故なら――
「炎上系小説家とは言っても、デジ文字書きの例には漏れないというワケか、全く!」
デビドラモンは、創作作品においていわゆる『敵モブ』としてあまりにも扱いやす過ぎるスペックのデジモンなのである。
何せ史実である『デジモンアドベンチャー』の中でさえ、彼らはヴァンデモンの城の番人であり、空飛ぶ馬車の引き手であり、デジモンカイザーの移動手段として用いられていたのだ。
あまり本を読まない三角でさえ知っている。物語にデビドラモンが現れたら、特に闇に属するデジモン達が主役でも無い限り敵である、と。……そのくらい、お約束の存在なのだ。
『デジモンプレセデント』は「闇に属するデジモン側が主役」の作品とは言え、群れを成して一直線に集落へと向かってくる彼らが味方だとは、三角には、そして流石のシフにも、とても思えなくて。
すぐに集落のデジモン達も気付いたのだろう。あちこちで悲鳴が上がる。
いくらデジモンと化した――ユミル論に基づくのであれば、強力な個体ではある筈――とはいえ、普通の人間の神経で、果敢に立ち向かおうと思えるような相手ではない。
複眼の悪魔。
見る者を畏怖させる、異形の邪竜。
「それに、奴らはただのデビドラモンじゃない」
ピピ、と電子音と共に三角のデジヴァイスに届いたのは、テディちゃん達が解析したらしいデビドラモンのステータス。
吸血種のデータが混じっていると、そう書かれている。
「どういった影響があるのかは未知数だが、強化されている事は確実なデジモンだ。幸いまだ日中とはいえ、見ての通り陽の光そのものは雲に遮られている。弱体化にはとても期待できない」
「じゃあ――集落のデジモン達が、危ないって事ですよね!?」
上述の理由に加え、三角達が見た限りでは、集落に完全体以上のデジモンは居なかった。
仮に居たとしても、成熟期や成長期のデジモン、数は少なくとも人間が居る事には変わりない。襲われれば、ひとたまりも無いだろう。
「ああ」
テディちゃんも、それを肯定する。
「危ないだろうね」
「っ、シフ、行ける!?」
「はい、先輩。すぐに戦闘準備を――」
「そしてそれは、キミ達も一緒だ」
撤退を、と。
喧騒の中でも凜と響くテディちゃんの言葉に、一瞬、三角は世界が停止したような気さえした。
「必要な情報は概ね入手しただろう。今すぐ安全な場所にまで避難したまえ。ここでの戦闘を許可する事は出来ない」
「何、言って……」
「忘れたワケでは無いだろう? 相違点は、物語の中の世界。どれだけリアリティがあろうとも、そこに居る人々は文字の列ですらない『デジモンプレセデント』の余白――モブだ」
彼らがここで死に絶えたとしても。
誰も悲しまないし、困らない。
「本分を忘れてはいけないよ、三角くん。彼らと違って、キミやシフが死ねば、全てが終わるんだ。本物の人とデジモンが、全て消えて無くなってしまう」
――誰も悲しまないし、困らないのだとすれば
「撤退を。急いで――」
――どうして彼らは恐怖に怯えて逃げ惑って、涙を流している成長期(こども)がいるのだろう?
「きゃあ!」
こちらに走って逃げてきたトイアグモンが、まだ足の動かし方に慣れていないのか、大した凹凸があるわけでもないアスファルトの上で転ぶ。
途端、バラバラになるブロックの身体。
慌てて身体を構築し直すトイアグモンだったが、デビドラモンの複眼が、そんな格好の獲物を見逃すはずも無く。急旋回した邪竜が、猛スピードでトイアグモン目がけて高度を落とす。
「っ!!」
三角は半ば転がるようにしてトイアグモンの方へと飛び出し、自分の身体でまだ本体に繋がっていないブロックをも巻き込みながら、デビドラモンの襲撃をすり抜ける。
あの鋭く赤い爪が自分の髪を掠めていくのを感じて、三角は「肝が冷える」の意味を身を以て実感する。
「大丈夫。大丈夫だからね。……シフ!」
「はい、先輩!」
そんな中、三角が振り絞るようにしてエインヘリヤルとして彼女の名を呼ぶと、シフはすぐさまそれに応えた。
「礼装を戦闘モードに転換。『レーザートランスレーション』スキル、起動!」
途端、ラタトスクのテイマー用の制服にパーカーを羽織っていたシフの格好が、光と共に形を変える。
本体の姿こそ人間のままではあるが、彼女の装備は、メタモルモンの意匠が所々に感じられる、鮮やかな若草色の、いわゆるレオタードに近い形状の装束へと変化した。
変身能力使用時に発生するタイムラグを最小限に抑え、また、状況に応じて人間の姿を保ったまま、デジモンの能力を使用出来るよう名城とテディちゃんが共同で開発した、シフ専用の戦闘用スーツである。
「……ワタシの話は聞いていたかい?」
だがせっかくのお披露目を前にしても、むしろテディちゃんは怪訝そうに小さく首を傾ける。
シフはどこからともなくふた振りの筒を取り出し、次の瞬間、その先端からぶん、と光の柱を出現させる。いわゆるビームサーベルや、ライトセーバーと呼ばれる形状の剣だ。
技術の粋を凝らした戦闘用スーツが想定通りに作動しているとはいえ、使用するタイミングが「今」である事を思えば、やはりテディちゃんの表情は浮かないもので。
「わかってます。……わかってます、けど!」
だが、それでも三角には、目の前の彼らを見捨てる事が出来なかったのだ。
彼は未だ続く恐怖と混乱、そして一時の安堵にわんわんと泣きわめくトイアグモンを、同じく避難してきたらしいガードロモンに託し、光の剣を構えて今まさに宙を折り返してきたデビドラモンを迎え撃たんとするシフの方を見やる。
出来る事はそう無いとしても。
彼女の戦いを見守る事は、自分の勤めだと。震える身体を押さえつけて、真っ直ぐに戦いの行く末を見据える。
「怖かった。死ぬかもしれなくて、怖くて。でも……! 俺と同じ思いをしている人やデジモン達を見殺しにして、世界を救えたとしても――俺、その人達や、所長に、顔向けできない……!」
「……」
インクの染み。と。
ノルエルがそう嘲り、相違点Dに置き去りにするしか無かった所長の姿が。
余白、と。ただのモブだと片付けられる、実際そうに違いない相違点の人々とが、三角の中で重なってしまったのだ。
相違点Dの記録は、回収した聖解を用いて、完全に崩壊しきらないよう厳重に保存されている。グランドラクモンが願ったように、全てが解決した後、へレーナ・マーシュロームの精神をサルベージできるように。
故にこそ、三角は怖かったのだ。
ここで手の届く者達を助けない事が、あの時手の届かなかった所長への、更なる裏切りになってしまうような気がして。
それがたとえ、ただの自己満足だったとしても。
「……誠実、か」
ぽつりとテディちゃんが呟く。
引き続き、呆れを隠そうともしない声音であったが――彼女はけして、非常なデジモンでは無い。呆れて、諦めたなりに、優しさと敬意を含んだ言葉であった。
「やああああ!!」
かけ声と共に、シフの双刀がデビドラモンの身体を引き裂く。
剣の名は、『リヒト・シュベーアト』。
彼女の放った必殺技の名は、『ツヴァイ・ズィーガー』。
それは、かつてデジタルワールドを救った十闘士、その『光』の力を受け継ぐ人型のハイブリッド体デジモン――ヴォルフモンの能力である。
「ようし、こうなっては仕方ない! 幸いワタシのデジタル生化学の粋を詰め込んだバトルスーツの性能は絶好調。吸血デビドラモンにも十分に通用するようだ。みんな、三角イツキ・シフ両名のバイタルと周囲の生体反応に一層注意してくれたまえ。デビドラモンとの交戦を開始する!」
応、とテディちゃんの指示に応えるスタッフ達の声に、ようやく三角の手の震えが収まる。
「わっふ!」
足下で三角を鼓舞するバウモンに微笑み返し、彼を抱え上げた三角は改めて顔を上げ、シフと視線を交わして頷きあう。
三角のアイコンタクトを受けて、彼女は住居の屋根を跳ね、集落の中心部へと引き返した。
「『リヒト・ズィーガー』!」
逃げ遅れたデジモンに組み付こうとしていたデビドラモンの腕を、光の刃が切り落とす。属性的にも、この悪魔竜には『光』の力がてきめんに効くようであった。つんざくような咆吼と共に身をよじるデビドラモンを、シフはもう片方の刃で切り捨てた。
(とはいえ、数が多い……!)
少しだけ離れた位置から三角、そしてラタトスクからスタッフ達が目となってシフの視覚を補い、集落のデジモン達もある程度は応戦しているものの、襲撃者の数も半端では無い。
(せめてもう1騎エインヘリヤルがいれば――)
「シフ、後ろ!」
「っ」
敵の多さについ焦りの出たシフの隙を突いて、背後から2体のデビドラモンが奇襲する。
それぞれ1本の『リヒト・シュベーアト』でも相当のダメージを与えられる筈だが、2体同時に致命傷を与えるような器用な芸当を、いくら相違点攻略の最適解といえる力を得ているとはいえ、精神的にも状況的にも余裕の無いシフが出来るはずも無く。
回避。あるいは多少の負傷を覚悟での各個撃破。戦闘経験の浅いシフでは、即座に判断する事も出来ない。
「シフ! 避けて――」
三角の指示も虚しく、4振りの『クリムゾンネイル』が、彼女を血祭りに上げようと迫り――
「!!」
だが、彼らの赤い爪がシフの鮮血に染まる事は無かった。
文字通りの、横槍。
並んだ2体のデビドラモンのデジコアを、1本の槍が寸分狂わず串刺しにし、その推進力を何ら衰えさせること無く前進を続け、さらに数体のデビドラモンを巻き添えにして地面へと縫い付けたのだ。
刹那、槍の穂先に閃光が走ったかと思うと、デビドラモン達が爆砕される。
「あれ、は」
目を見開くシフ。
4つの先端を持つ銀の矛先に、黄金の装飾が施された、漆黒の柄。
光の闘士ヴォルフモンの力を纏うシフは、より強く、その槍の『持ち主』を感じずにはいられなくて。
『断罪の槍』
それは、闇の闘士の得物である。
と、シフと、彼女の隣に追いついた三角の目の前で、『断罪の槍』がひとりでに持ち上がる。
そのまま槍は次なるデビドラモンへと襲撃をかけ、次々にその数を減らしていく。
「テディちゃん! あの槍」
「大丈夫、ピンの打ち込みに成功した。今は目の前の戦闘に集中したまえ、シフ」
「……はい!」
「あっちはひとまず槍に任せて――」
三角やテディちゃんの指示の下、残りのデビドラモンに立ち向かうシフ。
数さえ減れば、集落のデジモン達もある程度落ち着いて対処できるようだ。数分もしない内に、最後のデビドラモンが、どこかのマシーン型デジモンが放ったと思われるミサイルに迎撃される。
と、同時に。『断罪の槍』が、デジモン達の勝利の歓声に紛れるようにして、ひっそりと飛び去っていくのが、三角達にも見えた。
「先輩、追いかけましょう」
「ああ、そうしたまえ。……引き続き、警戒は怠らないように、ね」
テディちゃんの許可を受けて、再び、しかし今度は全身から光を放つシフ。
今回は、完全にデジモンへと切り替わった彼女の姿は、白い鋼鉄の狼となっていて。
「おや? その姿は」
「? ヴォルフモンじゃないんですか?」
「いえ、この姿はガルムモンというデジモンです、先輩。どうやらこの相違点での私は、デジモンというよりも『光のスピリットの適合者』と定義されているようで」
「?」
「まあ、説明はまた後でね」
2人に促され、三角はバウモンを抱えながら、ガルムモンのウイングブレードに気をつけつつシフの背中に跨がる。
「では、しっかり掴まっていてくださいね、先輩」
次の瞬間、ガルムモンの足に取り付けられたローラーが高速で回転を始め、その場から一気に加速。デビドラモン撃退の功労者であり、どうにも謎の力を用いているようにみえる三角達に声をかけようと集まってきたデジモン達を振り切って、白銀の狼は疾駆する。
「ばーう! ばうばう!」
「早っ!?」
「2人とも、喋ると危ないですよ! 本当に、絶対振り落とされないでくださいね!?」
その最中。
あっという間に置き去りにされていく景色の中。
一瞬だけ、鮮やかな原色のブロックで構築されたデジモンの隣を横切って――ありがとう、と。まだ涙声ではあったものの、そんな言葉を、三角は耳にしたような気がして。
それが空耳だったとしても、確かにあのデジモンは助かったのだと。彼は安堵に、ようやく表情を綻ばせるのだった。
*
再び人気の無い区域へと出て。
ガルムモンが停止したのは、コネクトダイブ直後に降り立った場所とは違うとはいえ、またしても児童公園であった。
先の公園よりもやや広く、遊具とは別に、子供達がボール遊び等に利用していたであろう長方形のコートが設けられている。
その中央。
自らの下に降り立った断罪の槍を手に取ったそのデジモンは、獅子の意匠を施された、漆黒の鎧を身に纏っていた。
「闇の闘士、レーベモン……!」
デジモンの名を呟きながら、三角を下ろしたシフが、姿を人間のものへと切り替える。
レーベモンもまた、ゆっくりと振り返りながら、光と共にその鎧(スピリット)を解除した。
そこに居たのは、1人の少女であった。
三角よりも背の高い、すらりと猫のようにしなやかでスレンダーな身体に黒いスーツを纏った、どこか少年のようにも見える、ショートヘアーの少女。
彼女は深い緑色の瞳で、じいっと三角達を、見つめている。
敵意は、感じられなかった。そも、敵対するつもりでいるのならば、スピリットによる進化を解除する必要は無いし――三角達を助ける道理も無い。
「京山玻璃さん……ですよね?」
シフが、1歩。彼女の方へと歩み出る。
少女は、問いかけに対して首を横に振った。
「見ての通り、この姿は「貴女達の知る京山玻璃」では無いでしょうから」
「!」
抑揚の少ない声音で紡いだ台詞は、自分が物語の登場人物である、という自覚があり、三角達を物語の外側の存在であると認知している証。
「エインヘリヤル、槍兵(ランサー)。……闇の闘士と、そうお呼び下さい」
シフは一瞬三角と顔を見合わせ、しかしすぐに、『リヒト・シュベーアト』を構える。
元より解っていた事とはいえ、そしていくら助けられた身であるとはいえ。わざわざ「闇の闘士が虐殺を行っている」という情報のある相違点でその名を名乗る相手を、エインヘリヤルとして、彼女は警戒せざるを得なかったのだ。
が、
「そこまで警戒に値する相手でも無さそうですよ、シフ」
意外にも助け船を出したのは、彼らの無茶を窘める側であるラタトスクからの通信――それも、テディちゃんではなく、名城の声だった。
「ドクター?」
「全く。バトルスーツを使用するような自体に陥ったらすぐに呼ぶよう言っていたでしょう、テディちゃん」
「ううむ、今回ばかりは名城の休憩に付き合っている場合じゃ無かった。おいしいところを見逃してしまったようじゃないか」
どうやら休憩を終えて戻ってきたらしい。しばらく姿の見えなかったグランドラクモンも、名城に同行していたようだった。
「すまない、すまない。ちょっとそれどころじゃ無かったのさ。キミ達を呼びに行くより、ワタシが指揮を執る方が効率が良さそうだったからね」
「トップになった以上、わたくしにも立場がですね……」
まあいいです、と。困惑気味に展開されたモニターと闇の闘士を交互に見つめる三角とシフを見渡してから、名城はスーツの少女へと視線を向ける。
「随分と霊基の不安定なエインヘリヤルです。ようするに、多数の邪竜型デジモンを従えて各地を回れる程「元気そうには見えない」」
「その方の仰る通りです。……仰る通りですが、なんとなしに鼻につきますね。まず、一人称が少し嫌です。他のものに変えられませんか」
「シフ、やっぱり敵かもしれません。何故わたくし、初対面のエインヘリヤルに一人称を変えるよう迫られているのです?」
「「わたくし」……ドクターの使用している一人称は、やはり貴女にとって、特別なものなのですね?」
名城の発言をスルーして、シフ。
闇の闘士が、僅かに視線を落とした。
「?」
「彼女の兄の一人称が「ワタクシ」なんだよ。……最も、彼女の真名がワタシ達が思っている通りのキャラクターであれば、だけれど」
シフの発言の意図がわからず首をかしげていた三角に、こっそりと補足を入れるテディちゃん。
その間に、意を決したように、「ええ」と闇の闘士も口を開いた。
「ですが、私はそれを、確信を持って肯定することが出来ないのです。……頭に、霞がかかっているかのようで。エインヘリヤルとしての自覚はありますが、ステータスは低下し、何よりこの姿。……この姿の私は、本来闇のスピリットを使用できない筈ですから」
「槍だけであの強さだったのに……!?」
「否定します。今回は『もう1騎の闇の闘士』のような指揮者が居なかったので、私の力でも通用したのです。闇の闘士の本来の力は、あの程度ではありません」
そういうものなのか、と思いつつ、三角達の中で当然のように引っかかる単語が1つ。
「もう1騎の、闇の闘士……?」
闇の闘士は、こくんと頷いた。
「彼女こそが、この相違点においては、正当に『京山玻璃』を名乗ることが出来るエインヘリヤルです」
*
京山玻璃。
『デジモンプレセデント』の主人公の1体、京山幸樹――鋼の闘士・メルキューレモンの、最愛の妹。
光と闇のスピリット、その両方を扱えるようエンシェントワイズモンに改造を施された、いわゆるデザイナーベビー。
彼女は最終的に闇のスピリットの使用者であるを選び、そして鋼の闘士の後継者として『友達』と共に世界を救い――最終的には、デジモンとしての力を全て失ったと描写されている、『5人目の主人公』。
「闇の闘士は、2人居る」
目の前の闇の闘士の話を纏めるがてら、名城が繰り返す。
「まあそうおかしな話ではありません。この相違点の『物語』と地続きの京山玻璃――ようするに、『推定聖解所有者』の京山玻璃に対するカウンターとして呼ばれた、本来の『デジモンプレセデント』の京山玻璃。そう考えれば、辻褄は合います」
デジモンとしての力を失った姿で闇の闘士として呼ばれている、という点は多少不可解ですが。と、眉をひそめる名城に「では辻褄は合っていないでしょう」と引き続きやや辛辣な闇の闘士。
とはいえ表情こそ乏しいものの、闇の闘士は三角達に対しては、引き続き敵意が無いと伝わるよう、彼女なりに一生懸命務めているようであった。
「実際に貴女方が指摘する通り、『京山玻璃』には聖解を利用する理由があります」
淡々と。
自分はそんな真似などしないと弁明する事も出来る筈なのに、闇の闘士はあくまで客観的に――だが、微かに瞳に悲しそうな光を宿して――事態の解決にやって来た三角達に、情報を開示する。
「マスター――『京山幸樹』の奪還です」
予想は、していたのだろう。
だが本人の口から直接詳らかにされて、再びシフの面持ちに悲痛なものが混じる。
「作中でマスターは、自身のビーストスピリットを利用して最初に世界に零れた分の暗黒の海を回収。さらにそれらを用いて、エンシェントワイズモンを暗黒の海に封印しています。そのシーンにおいて、私は。……マスターに、行かないで欲しい、と。心の底からそう願っていました」
「……」
「もしもその願いを叶えてくれる道具が目の前に現れたとすれば、間違いなく縋り付いたでしょう。「マスターを返してください」と。……故に、それがこの異常――相違点とやらの発端であると、私は考えています」
『デジモンプレセデント』の詳細を知らない三角でさえ、身内を失うものと考えれば、その痛みは想像に難くなく。……やはり、どれだけ思考を巡らせても、ワーガルルモンの時と同様に、かける言葉を、見つけられずにいて。
「では、君はどうするつもりなのかな?」
故に、言葉を失った彼らに代わるのは、今回は自分の役目か、と。名城が闇の闘士に微妙に嫌われている事もあってか口を挟むグランドラクモン。
「どうする、とは?」
「カウンターとして呼ばれたのだとしても、この世界は、君のお兄さんが暗黒の海から帰ってきた世界かもしれないのだろう? 消し去りたいとは思えないんじゃ無いのかい?」
「……」
「もしそのための交渉に我々を誘ったのだとすれば、その願いには――」
「この相違点は、正されるべきです」
グランドラクモンの言葉を遮って、闇の闘士がきっぱりと断言する。
三角が顔を上げると、闇の闘士の深緑の瞳には、確かな意志が見て取れて。
「私がどれだけマスターの帰りを望んだとしても。それはマスターの覚悟を踏み躙って良い理由にはなりません。マスターの守ろうとした世界が、滅んで良い訳が無いのです」
ぐっ、と。闇の闘士が拳を握りしめる。
……その袖口からは、腕時計に模した円形の鏡が覗いていた。
「私はどうするのか。その答えは、「この相違点の京山玻璃を排除(デリート)し、マスターが救おうとした世界を救う」。その他にはありません」
「……玻璃さん」
「闇の闘士、です。あるいはクラス名――ランサーと」
闇の闘士は、改めて三角達に向き直る。
「話を聞くに、私と貴方方の利害は一致しています。故に、以前のマスターの思考に則って、共同戦線を張るべきだと判断しました。……戦力としては心許なく、そして禄に真名も名乗れない、信用に値するエインヘリヤルではないとは自覚していますが――」
彼女に向けて、三角は迷うこと無く右手を差し出した。
「俺は、三角イツキ」
「私はシフ。クラスはシェイプシフターです」
「新米テイマーとエインヘリヤルだけど――それでも、ランサーさんの力になれるなら」
「ばう!」
「……良いのですか?」
自分から申し出た事とは言え、あまりにもあっさりとそれを受け入れる三角とシフに、闇の闘士は目を瞬かせる。
そんな彼女の戸惑いを少しでも払拭できるように、と、三角は大きく頷いてみせた。
「だってランサーさんは、さっき俺達を助けてくれたでしょう? 真名云々はよくわからないけれど、信用って言うなら、それで十分だと思ってる」
「……」
一度、目を伏せて。
そうして思い返すのは、この世界の新たな異変として、影に潜んで動向を伺っていた彼らの、集落での姿。
助ける必要の無い『物語の余白』のために命を賭けられる、無力でお人好しな――故にこそ、誰かの心を確かに救える、眩しい程の善性が、彼女自身の恩人達と、重なって。
「さん付けは結構です。心を許した相手には、呼び捨てを許容するものらしいですから。……こちらこそ、あの研究所の周辺集落を守ってくださった事。心から感謝しています」
あの場所が汚れてしまうのは、私としても望ましくは無い事ですから、と。
そう、微かに唇の端、その片側を持ち上げるようにして微笑みながら。
闇の闘士は、三角の手をしっかりと握り返すのだった。
Chapter:2に続く