Episode キョウヤマ コウキ ‐ 4
オニスモン。
最初の究極体である古代十闘士が誕生して間もないころに出現し始め、現代では進化先としての存在そのものが断絶――つまり絶滅したという事になっている超大型の古代鳥型デジモンだとキョウヤマから聞いた。
「いやまあ、ワシらが殺したんじゃけどね? ただでさえデカ過ぎて容量喰うから個体の発生自体がほとんど不可能じゃったのに、『聖なるデジモン』のヤツがその全個体を支配下に置きやがってからに……。恐らくワシら古代十闘士に全滅させられた事によって、「この姿に進化しても維持も難しい上に自分たちより前に生まれた究極体に勝てない」とオニスモン達のデジコアが転生したデジタマに記録を残したのじゃろうな。そういう意味では悪いことしたな~とは思わんくも無いし、オニスモンもある意味で『聖なるデジモン』の被害者だったんじゃろなとは思う」
表向きはデジモン学者――肩書上古代デジモンの研究をしているという事になっていた『京山幸助』を演じている以上、その息子兼助手であるワタクシには研究対象の1つであるオニスモンの情報を共有しておくべきだと思ったのだろう。
その過程で語られたのは、あの男の口から直接聞かされた唯一の『思い出話』だった。
……もしかしたら、思い入れがあったのかもしれない。
『聖なるデジモン』相手の負け戦において、オニスモンとの戦いは、古代十闘士達の、確かな勝利の記録だ。
あの男に、そんな感傷的な衝動があったのかまでは判断しかねるが――こうやって、最後の『前例』にこのデジモンを選んだのは、けして、気まぐれでも何でも無いのだろう。
それは、失われた過去の栄光そのものなのだから。
人間をデジモンに進化させる事が出来る、十闘士のスピリット。
そのスピリットの方に合わせて『調整』を施された、1人の少女。
その少女に、デジタルワールドにて起きた『異変』。
エンシェントワイズモンの能力。
『ユミル進化』。
……カンナの、『前例進化論』。
どうしてこれだけの材料が揃っていながら、今の今まで回答を出せなかったのかと、デジタルワールドの守護者としてのワタクシがワタクシ自身を責め苛む。
解る訳が無いだろうと、大声で怒鳴りたい気分だった。
粗雑極まりない『答え合わせ』が、はるか上空で羽ばたいている。
正しい意味での、人間のユミル進化体が、真っ青な空の中で。
「オニス、モン……!」
つい先ほどまでセラ ナツミだったオニスモンが、つんざくような大音量で喚き散らした。
キョウヤマの話では、古代十闘士最大の体躯を持つエンシェントメガテリウモンでさえ小さく見えたような――「生きた島のよう」だとまで例えられた巨大さを誇るデジモンだと聞いていたが、流石に、そこまでの再現は不可能だったのだろう。
だが、それでも十分に、異常と言って差し支えの無い大きさだ。
現在確認できる巨鳥型デジモンでは、きっとどの種であってもオニスモンと並べば小鳥程度の印象しか与えられないに違いない。
「マスター……!」
「!」
指示を仰ぐ、声だった。
目の前の異常事態に、ハリもまた、思考を掻き乱されていたのだろう。声が幽かに、震えている。
無理も無い。彼女は今、ワタクシよりもずっと小さな、普段と背丈の変わらないストラビモンの姿なのだ。ワタクシが見ている以上に、オニスモンの身体が大きく見えている事だろう。
それが微々たる差だとしても、彼女に次の手を言い渡す事が出来るのはワタクシだけなのだ。
余計な思考をシャットアウトし、改めて、ワタクシはオニスモンを見上げた。
体長に見合った大きさの羽根に隠れがちではあるものの、オニスモンの全身には金属製のチューブらしきものが巻き付いている。
ハリが光と闇のスピリットを操るために施術されているように、セラにも、そして進化先であるオニスモン自体にも、キョウヤマの手が入っている証拠だ。
元々違う物を、そういった小細工で無理やりに結び付けている以上、融合体の闘士よりも燃費は悪いに違いない。
だとしたら――
「ハリ、撤退です」
――無理に戦う必要は無い。
「了解です、マスター」
ワタクシとハリは、そろってオニスモンに背を向けた。
エンシェントワイズモンの狙いは、オニスモンを現代に再現する事などでは無い。
「セラという『人間』が、オニスモンに進化を済ませた」という事実が残った以上、もはや彼女は、用済みだ。
進化先に太古の究極体なんぞ選んだ以上、ワタクシ達に打撃を与える目論見も無い訳では無いのだろうが、あくまでそれは、ついでに過ぎない。
まともに相手をするだけ、無駄だ。
……とはいえ
「逃ガ、ニ、ニニ逃ガサナイイイイイアアアアアッ!」
「!」
相も変わらず、セラはワタクシ達を『獲物』と定めているのだろう。
オニスモンがその場で羽ばたく。それだけで、ダイペンモンの吹雪にも匹敵する突風が吹き抜けた。
「っ、ハリ!」
ハリの手を引いて近くの建物の陰に飛び込んだ。
デジモン、という戦闘種族と暮らす事を前提とした近代の建築は、オニスモンの起こしたものとはいえ突風程度なら耐えられるらしい。
……何度も耐えられるかに関しては、甚だ疑問が残るのだが。
「ハリ」
とにかく、お互いに時間が無いのは確かだった。
ワタクシはハリの両肩を掴み、彼女と向き合う。
「全力で逃げなさい。ワタクシを構う必要はありません」
「マスター、それは」
「オニスモンは存在するだけで必要以上にエネルギーを使う。逃げ切れば、こちらの勝ちです。脚力は間違いなく貴女に軍配が上がるでしょうが、ワタクシの逃走手段は足だけではありません」
「……了解、しました」
一瞬迷いを見せたものの、ハリは地面を蹴って、建物の隙間を縫うようにして走り始める。
正規の姿では無いとはいえ、コンピューター回線を駆け巡る『光』こそがあの闘士の起源だ。速さだけなら、ストラビモンの姿でも他の闘士に遅れは取るまい。
そして、ワタクシも。この界隈なら、『映る』ためのガラス窓も十分にある。
「セラ! ワタクシはこちらですよ!」
風が止んだタイミングを見計らって、路地から飛び出す。
すぐ隣には、窓がある。
しばらくの間ワタクシに意識を集中させれば、ハリは無事逃げおおせるだろう。
……ワタクシに、意識を集中させれば。
「キヒャハヒャヒャヒャハハハハハ! 『コズミックレイ』!!」
「な――」
セラは、こちらを見もしなかった。
「きゃあっ!」
オニスモンがその巨体に相応しい大口から放った光線は一瞬で建造物の並びを吹き飛ばし、まだ十分に耳に届く範囲にいたらしいハリの悲鳴が、ワタクシの元に届いた。
「ハリッ!!」
「バアアアアアアアアアアアアカ! アアアアアタシアタシアタシ! グズ! グズデアソ、遊ブ遊ブ遊ビヒヒヒヒヒヒヒヒイッ!」
「――ッ!」
セラが、ハリを必要以上に目の敵にしている事は、知っていた。
彼女が失いつつある若さを持っているハリを、本来であれば十闘士のスピリットでも屈指の強さを発揮できる光と闇のスピリットを両方与えられているハリを――あの娘の事情など何も考慮せずに、セラはただただ醜く、妬んでいた。何かにつけてハリに暴力を振るっていたのも、そのためだ。
そして、その都度セラを咎めていたワタクシへの――敵対者となった時、彼女を徹底的に痛めつけたワタクシへの、単純な復讐心。
その両方が合わさった結果、妄念と言わざるを得ない執着心で、セラは今、ハリだけを見ている。
その方が、ワタクシと戦う上でも効率的だと、あの姿になってなお、正確に判断した上で。
「『コズミックレイ』!」
2発目が、放たれた。
すぐには殺さないようにするためだろう。直接当てないよう、確実に狙いを定めていた。
直撃はさせず、だが衝撃で大きく、ハリを吹き飛ばせるように。
「っああ!」
抉れた地面から弾き飛ばされるようにしてストラビモンの身体が宙に浮き、弧を描きながら、落ちてゆく。
「ハリ!」
同時に周囲から飛び散ったガラス片を伝って、ワタクシはハリの落下地点へと飛び出した。
計算通り、どうにか、ワタクシの腕に落ちてきたハリを受け止めた瞬間――
「っ!?」
また、羽ばたきによる突風だった。
今度こそ遮るものも何も無く、ハリを抱えたまま、ワタクシは身体のあちこちをぶつけながら、地面を転がる。
……オニスモン――セラは、嘲笑うような咆哮を空に向けた。
「くっ……」
ハリを放して、身体を起こす。
全身が、駆動を拒否していた。
「マス、ター……」
そして目の前で、弱々しい声と共に、ハリの進化が、解ける。
……ただでさえ、だというのに。
彼女が単身で逃げる事は、ほとんど不可能になってしまった。
「申し訳、ありません……」
「……謝る必要はありません。セラの目的を看過しきれなかった、ワタクシの、落ち度ですから」
立ち上がる。
一通り嗤い終えたのだろう。……セラが、次の動きを、見せようとしていた。
「なので……次の命令です。ハリ」
ここまで来たら、付き合うしか無いだろう。
「ワタクシの背後から、けして、動かないように」
胸元で、イロニーの盾を構え、前に出た。
使いたくは無かったが……出し惜しみをすれば、ここで消えるだけだ。
「『コズミックレイ』!!」
次の瞬間、オニスモンの口内が光った。
再び放たれた光線の照準は、ワタクシの背後にいるハリに向けられているが、その通過点には、ワタクシが――イロニーの盾がある。
「あまり、調子に乗るなよ、セラ!」
『コズミックレイ』を受け止めるように、ワタクシはイロニーの盾を突き出した。
「『ジェネラスミラー』!!」
相手の必殺技を反転させて相殺する『オフセットリフレクター』に対して、あまりにも単純な、『反射』の技――『ジェネラスミラー』。
『コズミックレイ』の一撃は、イロニーの盾に激突した瞬間そのまま跳ね返され、来た道を真っ直ぐに折り返してオニスモンの頭部を貫いた。
……イロニーの盾は、ただそれだけで「受けたダメージをそのまま返す」特性を持っている。なので盾の許容範囲内であり、なおかつ物理的でない必殺技であれば、ほとんどノーリスクで跳ね返す事が出来る。
……では、許容範囲を超えた攻撃を跳ね返した上で、この盾を壊さないようにするには、どうするべきか。
決まっている。……ワタクシ自身が、イロニーの盾のダメージを請け負わなければならないのだ。
……解っていた。そんな事は。
故に、覚悟も――していた、つもりだったのだが。
「――――」
そんなものに、何の効果も無かった。
想像を絶する激痛に、身体が、崩れ落ちる。
『痛み』という感覚そのものが無数の、牙のある虫に姿を変えて、逃げ場を求めて内側からワタクシを引き裂こうとしているかのように暴れまわっていた。
ハリが見ていなければ、身を捩りながら絶叫していたに違いない。
最も
「マスター、マスター!」
ワタクシを必死の形相で呼んでいる彼女を見るに、何も、隠せてはいないのだろうが。
「ハ、リ……だいじょうぶ、です……それ、よりも……」
この苦痛に見合った『成果』を求めて――どうにか、顔を上げる。
自分の放った光線を顔面にくらったオニスモンは、顔から煙を上げながら――なおも、羽ばたいていた。
「――――っ!?」
ダメージが無かった訳では無いのだろう。だが――
「ヒ――ヒヒヒヒ、ヒャハハハハハハハ!」
――嗤って、いる。
セラ自身が感じているかは不明だが、オニスモンの姿でいられる時間は、もうそこまで長くは無い筈だ。
だが、嗤っている。
勝利を確信した上で、ワタクシの姿を無様だと、嗤っているのだ。
「く……っ!」
身を起こそうとして――失敗した。
がくり、と地面を押そうとしていた右腕が、折れるように力を失う。
左腕に至っては、イロニーの盾を支えていた反動か、しばらくは使い物にすらなら無さそうだった。
「エヒ、エヘヘ、ヒ、アヒヒヒヒャハハハハ!!」
「セ、ラァ……ッ!」
胸の内を掻き毟る痛覚に、異物が混ざった気配がした。
その感覚に任せて指に、力を込めるが――出来た事と言えば、ひび割れたアスファルトの上を、弱々しくなぞっただけだった。
こんな、ところで。
よりにもよって。こんな、醜悪な女に――
「マスター」
その時だった。
背後にいるよう命令していたハリの声が、ワタクシの前方から、聞こえたのは。
「……ハリ?」
「再び命令に背くことを……どうか、お許し下さい」
ハリは、声がした通りの場所――倒れたワタクシの前に、立っていた。
「ハリ、何を」
「私がセラ様を抑えている内に、マスターは、逃げて下さい」
何を言われたのか、一瞬、解らなかった。
「少なくとも逃走が可能になる段階までは、私が必ず、彼女を抑えます」
だから、解ってから――理解する。
ワタクシの動きを封じたセラ ナツミが、何故、すぐさま追撃をかけてこなかったのかを。
「ハリ、やめなさい」
「キョウヤマ博士を打倒するマスターの計画には、私が居なくても、支障はありません」
「やめ、なさい」
なんてことは無い。ワタクシが動けなくなればハリがこう動くと、予見していたからだ。
彼女の狙いは、最初からハリだけだ。
「マスター。……どうか、私を役立てて下さい」
「やめろ! これは」
命令だと、言う前に
ハリはスマホを、掲げていた。
「スピリットエヴォリューション・ユミル!!」
ワタクシの言葉が、ハリの進化宣言に掻き消される。
顔を見る事すら、叶わなかった。
だが、彼女が何のスピリットを纏ったのかは、舞い落ちてきた黒い羽根が教えてくれた。
闇の闘士、ベルグモン。
死者を呑むと言われる、理性無き超巨大怪鳥。
それでも。オニスモンと対峙すれば、鴉から見た雀ほどの体躯しか無い。
「あああああああああアアアアアアアアア!!」
にもかかわらず、ダスクモン同様全身を構築しているフォービドゥンデータに蝕まれながら、ハリは、飛んでいた。
オニスモンの元にさえ達してしまえば、思考も、人格をも破棄してなお、対象に襲い掛かる事が出来ると。
「ハリ……!」
無理やりに、身体を起こす。
……よく、見えた。
必殺技も何も無く、鋭い爪を、牙を、相手に突き立てて、お互いにそれこそ獣のように傷つけあう2体の怪鳥の姿が。
ベルグモンの爪には、相手を盲目にする性質がある。
ベルグモンの牙は、金属をも噛み砕く。
……だが、それでも、敵わない。
単純な「大きさ」に、敵わない。
……勝負は、あっという間に結した。
黒い羽根と寒色の羽根が辺り一面に舞い散る中、オニスモンの爪に胸部を抉られたベルグモンが、身体をのけ反らせて――そのまま、頭が、逆さまになって。
次の瞬間には、ハリに、戻った。
時間にして数十秒とはいえ完全にフォービドゥンデータに呑まれた後遺症か、噴き出す血液さえどす黒く染めて、まっ逆さまに、落ちていく。
意識など、無いだろう。
あったとしても――あの高さだ。助かる訳が無い。
「あ――」
セラの嗤う声は、今度は、聞こえなかった。
代わりに、何もかもが止まっているように見えた。
……ハリの、言う通りだ。
ワタクシは、このまま、逃げればいい。
目的は、理解したのだ。理解した上で――エンシェントワイズモンはやはりこの世の脅威だと、判断した。
ワタクシのすべき事は、あの男を倒す事だ。
それが、最優先事項だ。
「……アンタはアタシ『達』と違って」
するり、と。
指先に、何かが纏わりつくような感覚があった。
髪だと思った。
それも、とびきりキツい色をした、ピンク色の髪だと。
「何が一番大事か、天秤にのっけて選ぶ時間があるんだから」
考えるまでも無く、どちらが大切かなんて、解っている。
あの娘も、それを理解していて。そのために、飛び出して。
故に、使命のためなら、ワタクシはあの娘を切り捨てて然るべきなのだ。
ワタクシは、それができる――そういう、デジモンだ。
「ちゃんと、考えないと」
「うるさい!!」
叫びながら、指に絡まったピンク色の髪を引く。
ずい、と引き寄せた先には、輪郭だけはカンナの形をした鏡が――
「……アタシみたいに、なりたくないだろう?」
――無様に泣いている、『京山幸樹』の顔を映していた。
「――――」
手元を、見下ろす。
イロニーの盾こそ無いものの、確実に鋼の闘士のものである右手の中で、あの女の髪だと思っていたモノは、鋼のビーストスピリットの形を取っていた。
「……ああ」
白昼夢を見たのだと理解した瞬間――止まっていると錯覚していた時が、動き始める。
『死』に叩きつけられつつあるあの娘は、ワタクシのためならそれすらも厭わないよう、キョウヤマに造られた人間で――
――ワタクシの妹……玻璃だ。
「ダブルスピリット――エヴォリューション!!」
地面に這いつくばったまま、ワタクシは鋼のビーストスピリットを握り締めた右手を胸元に押し当てた。
……それだけで、良かった。
次の瞬間には身体は驚くほど軽くなり、一瞬で、宙に浮かび上がる。
地面を蹴る必要など無かった。飛ぶための機能は、最初から備わっていた。
そこから先は、簡単で、ワタクシはただ、ハリを受け止めるだけで良かった。
彼女に触れた瞬間、ハリの表皮を蝕むフォービドゥンデータがワタクシをも侵そうとしたが、闇のデータなど、この身体にとってはむしろ餌のようなもので。
フォービドゥンデータがワタクシに接触した瞬間にその全てを吸い上げて、自らの所有物に変える。
それによって得た力と、この状態でも少なからず残っているらしい聖属性データを利用して、彼女の傷を、塞いだ。
ハリの皮膚が、本来の色へと戻る。
「……」
ハリを抱えていない方の手で、自らの顔に触れる。
目鼻の代わりに、十字の飾りがあった。
……ワタクシはそれを傾けて、×印に変える。
決定的に、『間違えた』のだ。
このくらいは、しておくべきだろう。
「……鋼の闘士、ブラックセラフィモン」
今の姿の、名を述べた。
……少しばかり、自分の姿には驚いている。飛べさえすれば何でもいいとは思ったが……。
天使型デジモンの最高位、十枚の翼を持つ熾天使型デジモン――セラフィモン。
これは、そのセラフィモンが、聖なる力を反転させた姿だ。
堕天使型、と言うべきか。
とはいえセラフィモンの聖属性データを反転させたのは、間違いなくワタクシ自身の要素――鋼の闘士の力なのだろう。メルキューレモンとしての意匠が、鎧のあちらこちらに見て取れる。
……本来、鋼の闘士に融合形態は無い。エンシェントワイズモンが完全な死を迎えていなかったが故に、データの引継ぎが不十分だったのだろう。
別な理由で水・木・土の闘士も融合形態を持たないが――まあ、それは今はいい。
問題は、何故、有りもしない融合形態への進化に成功して、しかもワタクシの属性に縁もゆかりも無いセラフィモンの姿になっているのか、だが――
――きっと、『前例』があったのだ。
ワタクシにそんな記録は無いが――全てがデータ、という特徴故に異世界の存在が平気でまかり通るデジタルワールドの事だ。ワタクシの知るデジタルワールドとは別の、どこかの世界で、ブラックセラフィモンに進化したワタクシが、居たのだろう。
絶対に碌でも無い理由での進化だとしか思えないのだが……それでも今は、感謝するしか無い。
「セラ」
自分の勝利を確信していたに違いない。
セラは、醜い怪鳥の姿のまま口を大きく開け――つまりは、呆けた顔をしている。
「この姿になった以上、ワタクシを構成するデータは底をついたも同然です」
だが次の瞬間には、奇声とも怒号とも取れる雄叫びと共に
「『コズミックレイ』!!」
眩い光線が、放たれた。
だが、同じく空を飛べるこの姿なら、避けるのも容易で。
「まあつまり、貴女はワタクシに勝ったようなものです」
そのまま、彼女の攻撃が届かない――そして、デジモンとはいえ生き物である以上確実に弱点足り得る、オニスモンの、首元へと回る。
左手には気を失ったハリを抱えたまま、右手を、前に出した。
片手で撃つ技では無い。が――そもそも、進化を解けばほとんど壊れたような右腕だ。
このまま潰れようとも、もはや、気にはするまい。
「良かったですね」
そしてこれ以上、セラに言いたい事も無かった。
反応も、求めない。
ただ、振り向かれる前に、展開する。
凄まじい熱量を誇る、7つの『闇』の塊を。
「『セブンヘルズ』!!」
円を描き、オニスモンの首を叩き折る勢いで放たれた7つの闇の球は狙い通りの位置に炸裂し――耳障りなノイズを交えたセラの絶叫が、辺り一面に響き渡った。
……実際にやってみると、案外気分の良い物だ。自分自身の必殺技で、相手を仕留めるというのは。
ぼんやりとそんな事を考えながら、落ちていくセラを見送って――そうして、世界を、見下ろした。
謎の巨大デジモンを恐れて避難する人々。かと思えば、立ち向かうべきかと、パートナーと共に空を見上げている人間もいる。
……それから。
「……」
『それ』が見えた方角に少しでも近寄ろうとしつつ、ワタクシはもはや興味の対象では無くなったセラから目を逸らして、高度を下げる。
と、
「マス、ター……?」
ハリの、声がして。
応える前に、足の先が地面に触れて――それ以上は、耐えられなかった。
「っ、マスター!」
相当、派手な音が鳴ったような気がする。
ブラックセラフィモンとしての姿は一瞬で霧散して――燃費を抑えるための人間の姿すら形作れずに、ヒューマンスピリットの鋼の闘士としての姿で、思い切り地面に倒れ込んでしまった。
巻き込んでしまう前に、どうにかハリの事は降ろしたが……。
「マスター、マスター……」
意識が朦朧とする中で、ワタクシに縋りつくハリの指先と恐怖に震える様な声音だけは、きっちりと、届いていて。
「マスター、私は……」
ハリは、額をワタクシの胸に当てたらしい。
……そのまま泣く事が出来れば、どれだけ楽だっただろう。
「私は……きっと、マスターの足を引っ張るためだけに、生まれてきたのですね」
そしてそれが、ハリの――常にワタクシの助けになろうと勤め続けた少女の、結論……か。
「そうですね」
不甲斐ない事に、否定は、出来なかった。
間違いなく、キョウヤマには、そういった思惑もあったのだろう。
この娘はまさしく、ワタクシの『枷』として用意されたのだと。
「貴女は実力も知識も乏しく、思考もワタクシ以上に機械的で柔軟性に欠け、年頃の少女のように振る舞う事も出来ず、……ついに、ワタクシの言う事まで聞かなくなってしまった」
「……」
「それら全てを差し引いた上でなお――ワタクシは貴女が、この世界よりも、愛おしい」
ハリが、顔を上げる。
ワイヤーフレームが剥き出しになってしまっているが、それでもまだ、右腕は、動いた。
ワタクシはその手で、ハリの頬に触れる。
「マスター?」
やはり――ワタクシには過ぎるほどに、温かい。
「……」
天秤に、乗せた時。
キョウヤマの配下だった頃。ハリと他の闘士の器達とを比較した時、ハリの方が、重かった。
ワタクシがこの娘の教育係を務め、そしてこの娘がワタクシに絶対服従である以上、それは別段疑問視する程の事では無いと思っていた。
古代十闘士の記録を持つピノッキモンとハリを比較してしまった時。ハリの方が、重いと感じた。
優先すべきはピノッキモンの方だったと思いつつ、それでもハリに関心が傾いたのは、カンナを始めとした周囲からの言葉に振り回されての結果で――加えて、やはりいくら力を失おうともワタクシ個人の持ち駒であるハリの事を重要視するのは、仕方のない事だとも思いつつあった。
だが、今回。
エンシェントワイズモンの目論見に気付いて
……それを防ぐには、自分自身という駒が必要不可欠だと理解していて
故にこの世界と、ハリを、比較しなければならなくなった時。
ハリの方が、重かった。
それが、この結果だ。
ワタクシは構成データのほとんどを失い、この手でエンシェントワイズモンを止める手立ても失われ――それでいて、後悔の一つも、湧いてこない。
ああ、こんなもの。実際に比べなければ、気付ける筈も無い。
ただの一個人が、この世の何よりも――むしろ、この世界そのものよりも重要度が高いのだと判断を狂わされるこの感覚が、『愛』だというのか。
そんな知識を、得てしまったら
世界の全てが、違って見える。
「……」
そしてこれが、カンナの失ったモノ……か。
「ハリ。……痛むところは、ありませんか? 治療はしたつもりですが……いかんせん、慣れない能力でしたから」
「え? ……あ、いえ。問題ありません。それよりも、マスターが」
「貴女が無事なら……このくらいは、平気ですよ」
気を抜けば、意識などあっという間に失ってしまいそうだったが――不思議と、強がりを言った気にはならなかった。
……ホヅミを倒すと言ったスカモンも、この晴天の下ハタシマに挑みに向かったピコデビモンも……きっと、似たような気分だったのだろう。
嗚呼、今なら。様々な事を、理解できる。
ハリの重要性を理解しきれないワタクシをカンナがポンコツ呼ばわりした理由も。
タジマ リューカがハリを羨ましいと言ったその真意も。
……心の底から不本意ながら、ワタクシにハリの兄であれと、妙に急かしていたカガ ソーヤの気持ちも。
それから――
「マスター……私は」
――……あの時。
ワタクシが、この娘の『マスター』である事を放棄しようとした、あの時。
「私は、きっとこれからも、何のお役にも立てません」
それでも、どんな形であれ、ワタクシに、兄で――家族のままで、いてほしいと願ったハリの『心』が、今なら、ようやく。
「それでも、マスターは」
今度こそ、何の疑問も無かった。
残る力のほとんどを使って、ワタクシはハリを、抱き寄せる。
「ワタクシは貴女の兄で――貴女は、ワタクシの最愛の妹ですよ」
抱きしめたところで、特別な情など、湧いてこない。
こんな事をしなくても、最初からずっと。この娘は、特別な存在だったのだから。
「遅くなって、すみません」
何かの千切れる音がした。
……逃げても隠れても、主を別に定めても、ずっとワタクシに纏わりついていた、古代鋼の闘士からの呪いのような枷がバラバラに砕け散って、塵に変わっていったように見えた。
ピコデビモンの言う通り、あの男にも『無知』の部分があったのだ。
あの男は必ず、ワタクシの得たこの知識を否定するだろうが……その事に関しては、もう、何も恐ろしくは感じない。
むしろ、ようやく理解した。
ワタクシを責め苛んでいた、あの男の『恐怖』の本質を。
「……」
最も、それに関しては現状では追及など望む事すら出来ないが――
――ただ、エンシェントワイズモンに挑めなくても
やるべきことは……いや。やれることは、まだ残されている。
「ハリ」
抱きしめたまま、呼びかける。
願わくば、構成データが尽きるまでこの状態で休んでいたいのだが、そればかりは、望みが過ぎるというものだ。
「貴女にとっては不本意かもしれませんが……ワタクシは、カンナを助けに行こうと思います」
上空から見た時に、居場所が解った。
正直なところ、最後の最後で単独行動に出た彼女を咎めたい気持ちはありありと存在する。というか、彼女の所に向かう目的の中には間違いなくその事も含まれている。
……キョウヤマの息子であるワタクシに、それをする権利など、きっと、無いのだろうが――それでも、誰かが今の彼女を、叱らなければならない。
もしもメタルエテモンと2人だけでホヅミを打ち破れるとしても、誰かが、彼女を助けに行かなければ、カンナはこの先もずっと、『失った』世界の中でしか生きられない。そんな気がした。
「しかしハリ。……見ての通り、ワタクシはもう、動けません。時間をかければその限りではありませんが……その時間が、ありません」
それだけは、避けてもらわなければならない。
何せ
「故にハリ。……ワタクシの、足になって下さい」
カンナには、まだ、やってもらうべき事とやるべき事が、残っている。
……まあ、それが叶うかは、ハリの心境次第なのだが――
「スピリットエヴォリューション・ユミル!」
ハリの姿が、もう一度、ストラビモンのものに変わる。
「引き受けて……くれますか?」
「それで、マスターのお役に立てるのであれば」
背筋を伸ばし、真っ直ぐにワタクシを見つめるハリだったが――少しだけ、拗ねているのかもしれない。声音に、若干の棘を感じた。
だが同時に、ワタクシに頼られたという事実に、少なからず安堵したのだろう。その瞳に、あの暗い影は無い。
だとしたら――まあ、多少は。ワタクシはハリに、欲しい物を、与えられたのだろうか。
「お願いします」
改めて頼むのと同時に、ハリがワタクシを担ぎ上げる。
背丈の都合上、カガ ソーヤの時以上に不格好な事になってしまっているが……気にしている場合では、無いだろう。
「行きます、マスター。場所の指示を」
ハリが光の闘士の自慢の速度をもって、走り始める。
……今は、彼女の足を信じるのみだ。
タジマ リューカとピコデビモンの事も気がかりだったが――上空で感じた『気配』から察するに、カガ ソーヤとオタマモンも、自分たちの出来る事に気付いたのだろう。
ならば弱ったワタクシがわざわざ助力に向かわずとも、彼らはきっと、上手くやる。
「ハリ」
「はい」
「目的地に着くまでに……いくつか、指示をしておきます」
なのでワタクシは、弱った身体に鞭打って、この期に及んで1人で動いたカンナを助けに行って、怒りに行く。
彼女が望む望まないに関わらず、貸しを作って押し付ける所存だ。