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海から突き出した御柱の上。
長い白髪と袖を揺らして、『カカセモン』と名乗る得体の知れぬデジモンは悪意の籠る視線を陸へと向けている。
その圧は先程の船幽霊の比ではない。
並のデジモンであれば既に動けなくなるか、戦意喪失している所だ。
魔王達は別として。
「ふぅん。カカセモン。まあ覚えといてあげようかな。で、誰が沈むんだって?」
「なんか金星と剣の神が沈むンだとよ」
「フフフ!マジで?ウケるね。沈むのはお前だよ」
指を弾く音と同時に、宙に浮かび上がった無数の光球から放たれた激しい光線がカカセモンに向かい集中砲火される。
激しい閃光と爆風に煽られ、羽衣香を庇う盾になるバウトモンも思わず目を閉じ身を縮こめた。
「『レイオブトラウィスカルパンテクートリ』」
「……舌噛みそうな技名だな」
「試してみたかったんだ。新しく手に入れたデータの権能」
爆風が止んだ跡には、傷1つ無い御柱。
カカセモンの姿は何処にも見えない。
せっかく試した技で相手が消し飛んだかが分からないルーチェモンは多少不満そうに唇を尖らせる。
「海に潜ってるんだよ!見な!」
ヘカテモンが叫ぶ。
黒い海を見下ろすと、海の中で一際鮮やかな赤がゆらゆらと揺らめいている。まるで、リュウグウノツカイがそこで泳いでいるかのように。
ベルゼブモンがベレンヘーナを抜いて海面に発砲するも、赤はそのまま深く潜っていき、姿は見えなってしまった。
御柱が乱立する中翼を広げて飛ぶのは至難の業、追うことが出来ずベルゼブモンは軽く舌打ちを零した。
「おい魔女、トリオディティスだろ。三身全部集めて見逃さねえようにできねえのか」
「悪いがアタシの残り2身は別行動中でねェ。魔王様の魔弾でどうにかドタマぶち抜けないかね」
「チッ、生意気な魔女が」
「ただ気配ならよくわかるさ、来るよッ!」
ヘカテモンの言葉通り、海に異変が起きていた。
黒い海に鈍く輝く赤い光の筋。
その元にいたカカセモンは、高く脚を上げた体勢でそこにいた。
『"渡神割湖(とじんかっこ)"』
円を描くようにして脚を振り下ろす。
海に走った赤い光が一瞬輝き、それから間髪入れぬ間、轟音と共に激しく光柱と水飛沫を立てながら海が割れていく。
光の軌道は全てを切り割り、そのまま羽衣香達のいる高台にもあっという間に到達し、真っ二つに断ち切られてしまった。
咄嗟に避けることが出来て皆無事ではあったが、たった一瞬の判断ミスでもあれば人体・データ体は真っ二つだっただろう。
凄まじい切れ味の蹴り技。
カカセモンがニタリ、と鋭い牙を見せつける笑みを浮かべたまま、パシャリと再び海に身を潜ませる。
「無礼たマネしやがる、あのキンギョ野郎」
「まだ得体がしれなくてキモいかも、ベルゼブモン飛ばしすぎないでよ」
「とりあえず解析するだけだ。……おいチビ、危ねぇからそこの筋肉と魔女、女連れて早く安全なとこ行っとけ。流れ弾に当たって死んでも知らねえからな」
「わかった!ベルゼブモンさん、気をつけて!」
羽衣香の返事に軽く二本指を振る。
深く踏み込み、高く跳躍したベルゼブモンは、御柱に次々飛び移りカカセモンへ迫る。
『"星降海(ほしふるうみ)"』
海面から再び飛び出したカカセモンの頭上に無数の星が浮かび上がり、ゆらゆらと点滅し始める。そのままカカセモンが肩を振ると、輝く流星が無数に降りそそぐ。
まるで雨を避けろ、というような弾幕だが、ベルゼブモンの脚が止まることは無い。
流星を自身に当てることを許さぬ勢いでベレンヘーナが火を噴く。
御柱を盾、足場として巧みに扱い、空中でアクロバットな身のこなしをみせつつ、無数の弾丸で流星を相殺し、弾き飛ばしていく。
距離を詰め、回転を利用し勢いついた蹴りを叩きこむが、カカセモンも素早く回し蹴りで迎え打つ。
相打ちとなった蹴りを受け止める左脚からミシ、と骨格データが軋む音が伝わる。
久々に感じた危険信号。思わずベルゼブモンは口角を上向きに歪めた。
僅か下に左脚を滑らせ、カカセモンの蹴りをいなす。蹴りを空振らせ体勢が崩れたところを狙い、瞬きよりも素早くベレンヘーナの引金を引いた。
しかし相手もタダでは撃たれない。反対の脚をすかさず振り、硬い脚の装甲で弾丸を受け止め弾き返す。
流石に魔弾の威力は高く、右脚の装甲が少々砕けはじけるが、戦うにはまだ支障はない。
一進一退だ。
「ふうん、何考えてるかわかンねえが、まあ多少は楽しませてくれそうだな」
ベルゼブモンがベレンヘーナを納めた瞬間、カカセモンの体に衝撃が走る。
左側から、首をつかまれた。
目の前にいるはずのベルゼブモンが口角を禍々しく吊り上げ笑う。
目線を逸らすと、先程までベルゼブモンがいた場所にヒラヒラと舞う数枚の護符と、御柱にコンとぶつかり下へ落ちていくストロードール。
護符とストロードールで自身のテクスチャを投影させて分身を作り気を逸らさせる、いわば「身代わり」、歪な侵入者に戦いの礼儀は必要ないからこそやる戦法だ。
咄嗟にベルゼブモンの胴に袖を巻き付け引き剥がそうとするが、それをするにはあまりにも遅かった。その場に踏み留まろうとするも、足場が狭いことがアダになり片脚が御柱からはみ出て、あっという間にバランスを崩す。
無防備になった肩が曝され、待っていたとばかりにベルゼブモンががぱ、と大きく口を開けた。
『ギィイイッ!?』
響き渡る悲鳴。
細い肩口に鋭い牙を立て、その肉に思い切り食らいつくベルゼブモン。
ブチブチと肉が噛み削がれる感覚に、顔を苦痛で歪めつつもカカセモンは袖を勢いよく振り回して肩口から引き剥がす。
叩きつけられる寸前に体勢を整え、御柱の側面に足をつけると同時に『ダークネスクロウ』で袖を切り落とす。
振り払われたカカセモンはそのままどぼん、と海に落ち、再び海の中へと潜っていった。
ふわりと飛び上がったベルゼブモンは、口の中に含んだ肉をゆっくりと咀嚼する。
唇や口端に残るデータの残骸を舌で舐めとり、少しでも必要なデータを取り込んでいく。
「ねーえー。ベルゼブモーン。どーなのー」
爪や髪をいじったりしつつ戦いを眺めていたルーチェモンが声を張り上げた。
データをすっかり咀嚼し、飲み込んだベルゼブモンが首を傾げながら顎に手を当て、考え込むような素振りを見せる。
「……"天香香背男"。東洋の星の神のデータをベースに、"建御名方神"、"洩矢神"、……"リュウグウノツカイ"、"クラーケン"……こいつ、随分と要素を捩じ込んでガチャついてんな。データベースをツギハギデータでごちゃごちゃに固めて……よくあんな動けるな、
ア"?!」
解析結果を呟くベルゼブモンだったが、突如腹を貫いてきた熱に声を濁す。
それに続いて、脚、肩、翼、腕……背後から鋭い何かがベルゼブモンの肉体をあっという間に容赦なく貫いていく。
やられた。
目の前に輝く小さな光。
流星だ。
先程ベルゼブモンが攻撃で弾き落とした星によく似ていた。
『"唆喰滅星(さぐめぼし)" 』
どぼん、と水柱が立つ。
黒い海に落下し、力なく浮くベルゼブモンの周りを、顔半分を水面に出したカカセモンがまるで獲物に狙いを定める鮫や蛇のように回遊する。
さながら自分は撃ち落とされた鳥、といったところか。
ベルゼブモンはフン、と鼻で笑いながら横目でカカセモンを追う。
「撃ち出した弾を返すことができる、なるほど?雉を射るのが得意なわけだ」
『ワガ、ハゴロモ……ニ、ナレッ……シズメ、シズメ……ッ』
カカセモンとの会話は破綻している。
このデジモンはひたすらにハゴロモが欲しい欲しいと強請ってばかり。
ハゴロモの何がカカセモンをそこまで駆り立てるのか。
ベルゼブモンには知る由もなく、知っても何をする訳でもない。
ただ、自分の縄張りを池ポチャさせた上に自分に無礼たマネをするこの存在が気に入らない。
「やなこった!死になタコキンギョ!」
べ!と舌を突き出した瞬間。
「"デッドオアアライブ"!」
取り込んだデータを循環させ修復した翼を力いっぱい羽ばたかせ、飛び上がる。
同時に、カカセモンの目の前に眩い光と暗い闇が渦巻き、迫る。
爆風に煽られた黒い海は激しく波打ち、何本かの御柱が波に耐えられずに倒れていく。
ブルブルと頭の水気をふるい落とすベルゼブモンに、ルーチェモンが呆れたような様子で膝裏を軽く蹴った。
「馬鹿だねキミは、だから油断するなって言ったじゃないか」
「手の内が若干見えたンだ。いいだろ」
「まあね。……さて、あのおチビさんたちがぼくらを囮にしている間になにか解決策を出してくれるはず。殺す前にどこまで足掻けるか見てやろうじゃないか」
頭上に展開される銀河。
まだまだ遊べる、2体は口角を歪めた。
◇
「羽衣香ちゃん、ごめんなさい……私また……」
「大丈夫だよアステリアーモン、守ってくれてありがとう」
激戦区から一旦退却した羽衣香達。
ヘカテモンの治療を受けるアステリアーモンとバウトモンは意気消沈として、空気はよくない。
そんなヘカテモンの結界の中で羽衣香はバイタルブレスを見つめ続けている。
激しく波打つバイタルはカカセモンのもの。何故カカセモンのバイタルが投影されているか。あのカカセモンはミカモンとなにか関係あると羽衣香は確信していた。
黒い海に振り返り、目を閉じる。
バイタルブレスに手を添え、すぐ側に巻き付くミサンガを人差し指で撫でる。
遠くで聴こえる爆音や潮騒が邪魔しようと、バイタルブレスが刻む星の律動を聞き逃さぬように。
「ミカモン、こたえて」
自身の心臓の音が耳元で聞こえる中、バイタルブレスの刻むパルスが徐々に周波数を変えていく。
まるで、羽衣香の心臓に合わせるような、最初は弱々しいものだが、少しずつその脈を強く刻む。
『……』
「ミカモン、羽衣香会いたいよ、ミカモン」
『……も……』
「ミカモン!」
『お、れも……あいたいよ……』
応えた!
頭に響いた言葉と同時に、羽衣香の頭の中にイメージがなだれ込む。
黒い海の中、弱々しく光る小さな星の子。
そしてその小さな星の子を抱きかかえて目を閉じる、大きな男の姿。
顔は見えない、星型の笠を被っている。
細長いリボンを腕にまきつけた髪の長い男が、ミカモンを胸に抱き、剣を握りしめている。
あなたは、だれ?
……ちゃん、
「羽衣香ちゃん、羽衣香ちゃん!」
「ワ!」
バウトモンに肩を叩かれ、羽衣香の意識が一気に浮上する。
「え!なに?!」
「羽衣香ちゃん、まずい、ちょっとお話聞けるかな」
「どうしたの?」
「まずいのぉ、来るぞ、ロイヤルナイツが!」
ヘカテモンの左頭、蛇のヘカテモンが言う。
「ロイヤルナイツ、って……」
「デジタルワールドの自警団みたいな感じの組織じゃ。ダークエリアでの異変に気づいたようじゃな。魔王はあっちに手を取られておる。というか、魔王の手がロイヤルナイツに回ったらアタシらがまずいんじゃ」
「ロイヤルナイツがうまく立ち回ればカカセモンの足止めはできるけど……一か八かすぎるわ」
「早くルーチェを見つければ良い話だけどね、アタシにもとんと検討がつかない。あいつの気配が分からないからね……」
一難去ってまた一難。予想を遥かに超える事態が続き、まるで追い詰められているような感覚だ。
アステリアーモンやヘカテモンの表情は更に曇るばかり。
羽衣香はバイタルブレスを撫で、ふ、と深く息を吐く。
「……あのね、ミカモンのいる場所、多分海の中かもしれない」
「マジで?」
「海の方から、声が聞こえたの」
言葉に3体は驚愕するが、羽衣香が海を見つめる姿に否定はできない。
「……仮に海の中にいるとして、どうやってミカモンを探すの?今魔王とカカセモンが戦ってるのよ?それに海の中に潜ることなんて」
「できるよ」
アステリアーモンの言葉に被せるようにバウトモンが答える。
「俺はフツコの仕事に支障を出さないために、どの環境にも対応できるよう完全体の進化ルートを広げてるんだ。ダイブモンに進化できる。海での活動は可能だよ」
「……そんな都合のよすぎる」
ヘカテモンが肩を竦めながらも、羽衣香の頭を撫でた。
羽衣香の言葉を信じて、ヘカテモンは口を開く。
「いいかい羽衣香、この世界はデータで出来ている。……お前さんも今はデータだ。今からお前さんが泳ぐのはデータの海。普通の海じゃない。……出来る、と考えれば呼吸が出来るってことさ」
「えっそっちの方がご都合過ぎない?」
「お黙りッ。いいからルーチェを探しに行け!もう時間が無い!アタシらがどうにか時間を稼ぐ!」
「アステリアーモン、ヘカテモン、大丈夫なの……?」
「……羽衣香ちゃん!大丈夫!私がんばるわ!私、羽衣香ちゃんとオリコのために!私!戦うわ!……頑張って!」
「で、でも!ロイヤルナイツは強いんだよ!俺も……ッ」
話が絡み合う最中、ダークエリアの空に、突如切れ目が発生する。
裂けた空の切れ間から差す眩い光の中、一際輝く装甲の白。赤い外套がはためく。
迷っている時間は無い。
「いいから!行って!」
アステリアーモンの叫びと同時に、バウトモンが覚悟を決めたように拳を握りしめ、すかさず羽衣香の体を抱えて走り出す。
「"スライドエボリーション"ッ!"ピストモン"!」
進化の光を纏ったバウトモンは背中に羽衣香をしがみつかせ、ピストモンに姿を変え大地を疾走していく。
その後ろ姿を見届け、ヘカテモンとアステリアーモンは笑みを浮かべた。
「……さてと、お前さん。仕事でこんな辺鄙なとこまでご苦労さんだねえ」
「一体何があったというのだ。報告で聞くより海が広がっている」
「こちらの事情があって……。随分と焦ってるけど、ここに騎士さんと仲のいいご友人さんかいらっしゃるの?」
「まあまあまあ、そりゃ心配だろうて、……まあそれはロイヤルナイツ様の個人的なアレソレさ。でもこちらも訳ありでね。ねえ騎士さんや、ちょいとアタシらとお話しようかい?」
「……任務遂行の協力であれば構わんが、もし妨害であるならば、私はそなたらにこの槍を抜かねばならぬ」
「まさか」
「ええ」
アステリアーモンが軽く指を振る。
指先から飛び立った輝く小鳥が、弧を描きながら光の速さで騎士目掛けて飛びかかった。
速いが、ぶつかる寸前に腕で振り払うことが出来る程度の"攻撃"。しかし、騎士にその意味を伝えるには十分だ。これが彼女達の答えだった。
「……抜かねば無作法ということか」
「聡くて助かるよ」
騎士の掲げた左腕に光が集まり、金に縁取られた純白の円盾を形作る。
槍を持つ右腕で周りを払えば、赤い外套が鮮やかに翻り、鮮烈な威圧を放つ。
金色の目の瞳孔がきゅう、と絞られた。
「名を」
「律儀だねえお前さん。ヘカテモン。三界の魔女」
「アステリアーモン、星の女神よ」
ヘカテモンとアステリアーモンが臨戦態勢に入ったのを目視して、騎士は盾を構える。
「……我が名はデュークモン。いざ!」
◇
……後ろで弾けた光を振り返り、羽衣香は目を細めながら再び前を見据える。
アステリアーモンとヘカテモンの行動を無駄にしない。したくない、その為に羽衣香とピストモンは前に進むしかない。
あと少しで、黒い海だ。
「ミカモン……!今行くよ!迎えにいくよ!」
……羽衣香は気づいていないが、バイタルブレスの鼓動に合わせ、ミサンガが柔らかく光を帯び始めていた。
あともう少しで、ちぎれそうだ。