Episode タジマ リューカ ‐ 0
大学の空気は嫌いでは無かった。少なくとも、高校までの事を考えると実に気が楽で、ずっとこわばらせていた肩からようやく力を抜く事が出来たあの瞬間の事は、きっと、生涯忘れられないだろう。
クラスという狭苦しい箱の中から解放されて、家という息苦しい檻から逃げ出して――無理に人と関わらないで良い、精々がゼミの集まり程度のこの空間は、私にとって、初めての『広い世界』だったのだ。
だが、それもあと数ヶ月だけの話だ。
「……はぁ」
公園の錆び付いたベンチに腰掛け、もう二度と関わる機会は無いであろう企業のパンフレットを丸めてゴミ箱へと放り込む。
「リューカ?」
不意に、心配そうな声が耳へと届いた。上着のポケットからだ。
「……大丈夫だよ、ピコデビモン」
ポケットの中身――デジヴァイスを兼ねたスマートフォンを取り出し、画面の向こう側にいるパートナーへと微笑みかける。いくら就職活動がうまくいっていないからといって、この子に――いや、この子にこそ、心配をかけるべきではないのだ。
だけ面接官の言葉が、隠しきれない蔑みの表情が、ドット絵姿の小さな蝙蝠みたいな彼を見る度に嫌でも蘇る。
――ああ、ヴァンデモンのテイマーなんだ。
「……」
就職活動が上手くいかないのを、間違ってもピコデビモンのせいにしたくない。
でも、世間の私達を見る目は、いつだって同じだった。
実の親でさえ、そうだったのだから。
「ごはんにするね」
小さく頭を振ってから、私はピコデビモンに呼びかける。「うん」とこれっぽっちも邪気を感じない返事には、いつもながら、軽く口角が上がった。
そう、こんなにいい子なのだ。ピコデビモンは、何も悪くない。
だから、これ以上この子に嫌な思いをさせないためにも、私がなんとかしなくちゃいけない。
卒業までに仕事を見つけて、2度とあの家には帰らない。
……だけど内定は取れていなくて、このまま仕事が見つからなければ、私はあの家に帰る他無いのだ。
そういう約束に、なっている。
「……」
周りに人気の無い事を確認。住宅街もビジネス街も比較的近いのに、メインストリートを外れただけでこんなにも閑散としているのは、恐らく昼過ぎという中途半端な時間帯とこの酷い寒空の下にさらされている事以上に、この公園の「需要の無さ」が関係しているのだろう。
きっと、昔からあるというだけで、かろうじてここに残されているのだ。
だが、あまり人目に触れたくない私のようなテイマーには好都合だ。
ここならゆっくり、パートナーと一緒に居られるだろう。
そのためにも、自分の食事くらいはさっさと済ませてしまおうと、鞄からコンビニのおにぎりが入った袋を取り出そうとした、その時――
雷が、落ちた。
「!?」
「ひぁっ!?」
あまりにも唐突な落雷だった。
天気は確かに曇ってはいるが、何の前触れもなく、稲光と轟音が寸分ずれずにやってきた、どう考えても異常な雷。
それは私達の背後――公園にやや大きな影を落としている、それでも背はそう高くない、寂れたコンクリートのビルからで。
振り返れば、建物の壁は抉れ、煙が立ち上っていて。
「……!」
ニュースでしか見たことの無い光景だった。
だが、いつかこういうことをするのではと、私達にそんな目が向けられるのは日常茶飯事だった。
これは、デジモンの仕業だ。
「――っ!」
その時頭に最初に過ったのは、ここから離れないと、という考えだった。
事件であるなら、事故であるなら、巻き込まれるかもしれない――といった、心配からくるものではない。
ここにいたら私達のせいにされるかもしれない――そんな、経験からくる保身の感情だった。
なのに――
「リューカ! あれ!」
「!」
建物の4階。
やや晴れ始めた煙の中に、2つの人影があった。
「……っ!?」
2メートルは優に超える、カブトムシに似た角の生えた人型の何者かが、派手なピンク色の髪を長く伸ばした白衣の女性の胸倉を掴んで持ち上げていたのだ。
「リューカッ!」
スマホの中の、ピコデビモンが叫ぶ。
「助けなきゃ!」
ああ――どうしてこの子は、私と違って、そんなにまっすぐなままでいられるのだろう。
きっとここに居たままじゃ私達が疑われて、助けたとしても感謝なんてされないのに。
なのに――ああ、結局私も、懲りない女なんだろうな。
「ピコデビモン、リアライズ!」
スマホを前に構えた瞬間、放たれた矢のように蝙蝠のような姿の成長期デジモン、ピコデビモンが飛び出した。
それとほぼ同時に、人型の何かは、白衣の女性を宙へと放り投げる。
まっ逆さまに、頭から落ちていく白衣の女性。
「お願いっ!」
「ピコデビモン、超進化!」
だが女性が地面に落ちるよりも遥かに早く、光に包まれたピコデビモンが彼女の元へと辿り着く。
そのまま、両手でしっかりと女性を受け止めた。
「ヴァンデモン!」
完全体と化したパートナーが、ゆっくりと地面へと降り立った。
……が
「うう……やっぱり昼間は無理だよリューカぁ……」
地に着いた瞬間、一瞬でヘタレた。
アンデットの王の異名を持つ、吸血鬼のような姿の完全体デジモン――ヴァンデモン。
強力なデジモンだが、昼間だと力が半減してしまう。
幸い雲のおかげで太陽こそ見えていないが、それでも真昼間に元気を出せるかと言われればそういうデジモンでは無い。
けど、そんな事は相手には関係の無い話で。
「……」
投げた女性を追うようにして、人型のそれは飛び降りてきた。
巨体に電撃の火花が散る青い装甲。どう見ても、デジモンにしか見えない。
見えないのに――同時に、その姿はどうしようもなく人にも見えた。
「何……このデジモン……」
一応、大学では真面目にデジモンの研究をしてきたつもりだ。書籍もそれなりに読んだし、今現在世に確認されているデジモンはおおよそ頭に叩き込んである、と、私なりに思っている。
だというのに、目の前のそのデジモンは、私の知識の中には存在しなかった。
電気属性である事と見た目から昆虫系統のデジモンであることは解るが――人型の昆虫デジモンは、そもそもあまり種類が多くないと聞いている。
じゃあ、このデジモンは、一体――
「『トールハンマー』!」
「!」
握り合わせた両手が振りかぶられ、雷を纏った状態でヴァンデモンへと振り下ろされる。寸でのところで回避したものの、刹那、アスファルトの地面が抉れた。
「ヴァンデモン!」
「大丈夫! 『デッドスクリーム』!」
ヴァンデモンの手から、コウモリを象った光線が放たれ、謎のデジモンの足に当たる。途端、謎のデジモンの足が石化した。
「!」
「これで今の必殺技は使えないだろ!」
近接技である以上、足を封じた今、脅威にはなりえない。力が弱まっている中では、ベストとも言える選択だった。
だけど、これだけじゃない。
さっきの技は、落雷だった。
「『ミョルニルサンダー』!」
予想通り、今度は頭上が光り始める。
「防いで、ヴァンデモン!」
「っ、『ナイトレイド』!」
稲妻が落ちるよりも早く展開したコウモリの群れが傘になり、電撃が地面に落ちるのを阻止していく。
……が、雷は、止まる気配を見せない。
「ぐ、う……!」
「が、頑張ってヴァンデモン! 助けるって決めたんでしょ!」
「そう、だけど……!」
解っている。そもそもが無茶なのだ。
何か、何か突破口になるものは、と周囲を見渡すけれど、それも、無いものねだりでしかない。
助けを呼ぶ先などそもそも無い。
この異常事態に気付いた誰かが助けを呼んでくれるかもしれないが――それは多分、私達に向けた助けじゃない。
やって来た助けが、今度は私達を犯人扱いするかもしれない。
……それでも、私のパートナーは逃げない選択肢を選んだのだ。
「っ、えいっ!」
陥没した地面からアスファルトの欠片を拾って投げつける。
意味など無いだろう。事実として、攻撃の手は全く緩まない。
それでも――この子の選んだ事を無駄になんか、したくはなかった。
頭を狙って投げ続ける。目にでも当たれば、少しは鬱陶しがってくれるかもしれない。そんなそんな淡い期待に縋りつくようにして黒い塊に手を伸ばす。
――その時だった。
「スカちゃん! いつまで寝てる気だいっ!?」
女性の叫び声が、響き渡った。
「え?」
「んもうっ! 今はエテちゃんだって言ってるじゃないのヨうっ!」
「えっ?」
続いたのは、女性では無い女性口調の声で。
それが聞こえた瞬間には、目の前の謎のデジモンは、突然現れた影に蹴り飛ばされた。
「ええっ!?」
雷が止み、ヴァンデモンの放っていたコウモリたちも完全に霧散する。
その中に1体立っていたのは――メタリックに輝く、筋骨隆々のサルスーツで。
「アンタも――不意打ち一発かましてくれたくらいで、良い気になってんじゃないわヨ!」
メタルエテモン。
究極体の全身クロンデジゾイドのデジモンが、私達と謎のデジモンの間に見事なまでのマッスルポーズを決めて佇んでいた。
「……」
状況を不利だと判断したのだろう。
爆音のような凄まじい雷鳴と、その音に見合うだけの強烈な稲光が落ちたと思った瞬間――謎のデジモンは、姿を消していた。
「……ふえ……助かった……」
ほとんど同時に崩れ落ちるヴァンデモン。尻もちをつく直前で、その姿が見慣れたピコデビモンへと戻る。
「ピコデビモン!」
すぐに駆け寄って、怪我がないか調べる。
防戦一方だったが――それでも
「大丈夫。けがはないよ」
「……良かった」
余所行き用のコートが汚れるのなんてちっとも気にせずに、私はピコデビモンを抱きしめた。
と……
「いや、ほんとに助かったよ! アタシたちだけじゃ冗談抜きで死んじまうとこだった!」
「まーそれに関しては悪かったと思ってるわヨぅ。でも寝てたのはカンナカンナも一緒でしョぉ?」
「うっさい。まったく、あんたのそのクロンデジゾイド製のボディは飾りかい?」
「そーヨ! 美しい飾りも兼ねた一級品ヨッ!」
白衣の女性とメタルエテモンが、こちらを向いて微笑んでいた。
「あ……」
「見たところ就活中の学生さん? いやぁ、肝が据わってるね!」
「ホントホント! こんな非常事態に飛び出して来てくれるなんて、エテちゃんも感激ヨ!」
おそらくパートナー同士らしい2人が、同じタイミングでニッと笑う。
「アンタとヴァンデモン、かっこよかったよ、ありがとう!」
言われた瞬間――どっと、涙が噴き出した。
「え、え、え、ちょ、な、なんで!? 何で泣くの!?」
「あー。泣かせたー。カンナの顔が怖いから泣ーいちゃーったーんだー」
「んなワケあるかい! 万が一怖かったとしてもあんたの腑抜け面より大分とマシだよ! ……いやそれよりも泣かないでお嬢ちゃん! あ、ああ、そりゃ怖かったよねあんなんに襲われたら。思い出したらあたしも怖かったわ。パートナーすぐにやられちゃうし」
「あ、違うの。リューカは多分、嬉しくて泣いてるの」
「……へ?」
「ご、ごめんなさい……」
止めようとするのに、涙が止まらない。
堰を切った、と言う言うのだろうか。これは、今まで私の中に溜まっていたものなのだろう。
ああ、だって――
「お礼なんて……言ってもらえると思わなかったから……!」
いつも、そうだった。
何もしなくても嫌われて、何かをしたら怖がられて。
このリアルワールドで実害を起こしたデジモンと同じだという理由で、みんなからのけ者にされていた私達は――この日初めて、感謝をされて。
そんな縁があって、数か月後、私はこの、メタルエテモンのパートナー……雲野環菜博士のところで、働く事となったのだ。
*
20××年。
全ての人間にパートナーデジモンがやってくるようになって、もう20年近くになる。
しかしかつてデジモンがこの世界に落とした影は未だ色濃く残り――人類の側も、デジモンに対して全てが寛容とは、とてもとても、言えなくて。
これは、そんな世界で爪弾きになるしかなかった筈の私とヴァンデモンに進化するピコデビモンが、『前例』になるための物語だ。
ユキサーン様
お返事が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。
改めまして、感想をありがとうございます。
本家『デジモンアドベンチャー』『デジモンアドベンチャー02』の世界観を見た時に、ウィルス種への偏見っていうのは絶対にあるだろうなー、ヴァンデモンとか、実際に悪役を務めたデジモンであればなおの事……というのがこの『デジモンプレセデント』の根底にあります。まあようは妄想を全力で形にしたという感じでしょうか。
ユミル論につきましては、お察しの通り『デジモンストーリーサンバースト・ムーンライト』から設定を持ってきました。あの設定、絶対に色々広げられるだろうと思ったので……。
3人+1の物語はこの先どんどん展開していきますので、読者様に楽しんで頂けるよう、こちらのサイトでも頑張っていこうと思っています。
最後になりましたが、どうぞ今年もよろしくお願いします!