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へりこにあん
2021年2月28日

Threads of D 第三話 くねくね

カテゴリー: デジモン創作サロン


ゴールデンウィーク初日の昼のこと。


尾池は幌付きの軽トラの荷台に膝立ちで、ゴミバケツの中に張った水の中にいる七美を心配そうに見ていた。その恰好は普段の制服ではなく、長袖のTシャツにジーンズ、スニーカーとラフな格好で、シャツには大きなヤツメウナギのイラストと八目鰻と漢字が描かれていた。


トラックがブレーキをかけると、固定されていたゴミバケツはそのままだったが、膝立ちだった尾池はあえなくバランスを崩し、硯石の腕の中に倒れ込んだ。


「心配なのはわかるけど、姉さんの運転荒いからな、膝立ちだと転ぶぞ」


硯石に言われて尾池はぐぅと呻いた。すでにこれは二度目である。車は走り出してそう時間も経っておらず、曲がったり止まったりする度に尾池はバランスを崩し、転ぶに至ったのがこれで二回目。


服装としては、黒い七分袖タートルネックニットに膝下丈のフレアスカート、足元もショートブーツの硯石の方が転びそうな格好であるが、動きの落ち着きのなさが如実に表れていた。


「あとどれぐらい車走らせるんでしたっけ……」


「まだ出て三十分もかかってないからな、一時間はかかる」


そう言われて尾池は仕方ないと座り込んだ。それでも硯石は動かなかった。一回目もそうだったのだ。


一時間は流石に見ていられないなと座り、数分するとやっぱり不安になって膝立ちになり、そして転んだのだ。


この状況になった理由は数日前に遡る。


「姉さん経由で情報が入った。というかうちの親族が住んでいる村なんだけど……くねくねが現れたらしい」


きっかけは硯石の言ったそれ。


「信憑性はありそう?」


「正直行ってみないとわからない感じです。目撃談を聞いたよく知らんおっさんがくねくねだと早い段階で断定して、半信半疑のままみんな目撃談は聞かないようにして怪談のそれ通りに被害者のおじじを部屋に閉じ込めたらしいです。そして、そのおじじも今は入院。周りもなるべく忘れようと努めてなかなか話してくれないってのが現状です。一応今姉さんに病院行ってもらってます」


どこのおっさんか知らないけど、くねくねって話じゃなければもっと詳しく聞けたろうにと硯石は溜息を吐いた。


「まぁ、でも家に閉じ込めていたわけでしょ? 目撃しただけで襲ってくるなんてのは考え難いかなぁ。しかも、その場では逃げられているから、後から追ったことになるわけだけど、それもおかしい。その場で追いかけなかったのは何故かもあるし、後でまた追いかける理由は何かというのもある。加えて、命までは奪わなかったのは何故か、捕食目的ならこれもあるわけだ。怪奇現象のせいにした村八分殺人未遂とかの方がまだ現実的じゃないかなと思うよ」


「副部長の親戚がなんか恨まれるような事やったみたいじゃないですか」


少し軽い調子で言う幽谷に尾池が呆れながらそう言うと、もうちょい軽く考えていこうよと言いながら幽谷は尾池に抱きついた。


「この柔らかなおもりが尾池くんが軽く考えられない原因かな?」


「……じゃ、じゃあ部長のノリが軽いのはそのフラットな体型のおかげですね」


尾池の細やかな反撃に、幽谷はにやりと笑った。


「ほう、ならせめて発言が柔らかくなるように色々揉みほぐしてあげようじゃないか」


尾池を理科室の床に押し倒してどったんばったん暴れる体を触り出す幽谷に、しばらく見守ってから硯石は幽谷の腕を掴んで止めた。


「おやっ、セクハラかな?」


「これは尾池を助ける為なので。流石にパンツ見えた状態で放置しておくわけにもいかないでしょう。誰か入ってきたらとんだ事故ですよ」


「……つまり、スカートの中を覗いたわけだ」


「不可抗力です。あと、尾池は短パンを履いた方がいい」


顔を真っ赤にしながら尾池はスカートを直し、そして硯石を一度睨んだあと、どうすればいいのかわからず固まった。


状況的にどう考えても不可抗力ではある、きっかけは幽谷なので幽谷に怒りたいが幽谷も意図した訳ではなく、実際に見たのは硯石、しかし不可抗力。行き場のない羞恥と怒りと困惑が尾池の頭の中をぐるぐると回る。今日は体育がないのでかなり気を抜いたパンツだったことも痛い。


「……副部長、今日だけ女子になってくれませんか?」


硯石が男子だから恥ずかしい。女子であれば、そうはならない。


既に見られたという事実があり、硯石はむしろ気を遣ってくれていたので責めたくはなく、幽谷を責めるのもなんか違うと思った尾池はそんな結論に行き着いたのだ。


「……仕方ない、わね」


笑いを堪える幽谷を見て、硯石は仕方なくそう口に出した。不可抗力とはいえ、下着を見てしまったし、ここで提案を蹴ってしまえば尾池はさらに恥をかく。硯石はこういう服装だからこそ、男子であることは可能な限り曲げたくなかったが、男子である前に紳士であるべきだと思ったのだ。


「え、副部長はそれで……ぷぷっ、いいのかい?」


「いいんです。今の俺……私は、硯石天悟あらため、硯石天子です」


そう言って硯石がちょっと足を内股にすると、幽谷はたまらず爆笑し出した。


その惨状に一番困惑したのは尾池だった。確かに硯石が女子だったら解決するとは言ったが、じゃあ女子になろうとなるとは思わなかったのである。


そもそも、苦し紛れの言葉だったのだからその先があるわけもない。


「あ、そうだトカゲを温浴させなきゃ」


尾池がそう言って逃げると、幽谷は床を転げ回り、硯石は顔を手で覆った。


そうしてトカゲの温浴も終えて幽谷の爆笑も収まった頃、硯石の元に姉からの連絡が来た。


「……部長、当たりかもしれません」


「へぇ、それは面白いじゃないか天子ちゃん。なんだって?」


「……被害に遭ったおじじが意識戻ったそうなんですけど、どうやら部屋からこっそり抜け出したところ、何かくねくねした白いものが迫ってきて、訳もわからないうちに何か白っぽいもので締めつけられたと」


「ふむ、でもそれだとなんか変な仮装した人って線もあるんじゃないかと思うんだけど」


「いや、どうやらですね。病院まで付き添ってるおばばもそれを見たみたいなんですが……その白いやつ、屋根よりも高くにいたそうです」


「……んー、だとしても気になるな。そこまで手を出しておいて何故殺さないのか。何か別に優先するものがあったのか……尾池くんはどう思う?」


「え? あー……くねくねってそもそもなんですか?」


「……よしわかった。何にしても調査の必要はありそうだし……そうだ、ゴールデンウィークに合宿と行こうじゃないか。尾池君には色々教える必要がありそうだ」


そんな経緯で科学部は合宿に行く事になった。


尾池としては無闇矢鱈と七美を動かしたくはなかったが、硯石が一緒に来ないと鼻の利く奴等が七美を襲っても俺達助けに行けないぞと言ったので行くことにした。


軽トラの運転席は運転手である硯石姉が、水が要る七美とシートを傷つけそうな固い石でできている重忠は荷台にということが決まっていたので、幽谷は助手席、硯石と尾池は荷台という割り振りはすんなりと決まった。


でも、転ぶ尾池を見るとその割り振りも失敗だったかもしれないと硯石は思った。


「……尾池、そんなに見てると逆に七美を心配させるんじゃないか」


「それは……どうなんでしょう。日本語を理解してるかもわからないし、感情とかもよくは……」


「確かに、客観的に証明するのは今は難しいかもな。でも、無いものとして扱うよりはあるものとして扱うべきだとは思うぞ。重忠は中学校の国語の教科書とか読むからな」


「え、そうなんですか?」


「そう、書き文字の習得には手間取っているが、それでもちゃんと読んでるらしい。重忠、右手上げてくれるか?」


硯石が言うと、重忠は右手を上げた。


「まぁこんな感じで重忠はわりとコミニュケーションも取れる」


硯石は手でバケツの中の七美を差し示した。


「七美もある程度認識してておかしくはないだろ?」


「それはそうですけど……心配は心配ですし」


「じゃあ、そうだな。二見先生には科学部の合宿と言ってあるわけだし、そっち関係で尾池が興味ありそうな話をしようか」


そう言って硯石は鞄から数枚の写真を取り出した。


「おじじの持っている土地には、この県内でも有数の地層観察スポットがあってな、私有地だから人も入ってないし、化石とか生痕化石とか出るぞ」


「生痕化石?」


「生物の生活の痕跡の化石だな。ここの場合は、元は海だった場所だから巣穴や地面をヒレが擦った跡が見られる」


ほらこれ見ろと写真の一部を指差すと尾池は食い入る様にそれを見た。


「近くの大学がそこの地層と繋がってるところの論文とか出してるから、それを基に比較調査考察すれば、まぁ文化祭に出すには十分なものになるし……調査の為に山に入る理由にもなるからな」


「そんなことより、これ、どれくらいの年代の地層なんですか?」


主目的はくねくねの調査の方にあるはずだったが、硯石はまぁ楽しそうだしいいかとそれには触れなかった。


「どうだったかな、とりあえず論文は印刷してきてあるからそれ読むのがいいんじゃないか? 見つかった化石の考察もされてるし」


「論文どこですか?」


「あー……スーツケースの中だな」


硯石がそう言って荷台の隅を見たので、尾池が視線の先を追うと大きなスーツケースが二個置かれていた。


尾池の荷物は自分のすぐ足元に、硯石も手に既に一つ鞄がある。幽谷が助手席に乗る際にこんもりと膨らんだリュックを抱えていたのも尾池は見ている。


「……お姉さんの荷物ですか?」


「これか?片方は全部俺の服。もう片方は理科室から借りてきたシャーレとかデジカメとか、田んぼや沢の生き物観察する時とか想定して色々……あと、おばばへの手土産と、残ったスペースにはまた俺の服詰めてクッションにした。すぐ使いそうなのだけど手元のカバンだ」


硯石はこともなげにそう言った。尾池が見る限りは手に持った鞄もそれなりの大きさである。仮にも女子の尾池が持ってきたリュックと遜色なく、荷台な置かれたスーツケースはどちらも明らかにそれより一回りは大きい。


「お姉さんの荷物はどこに?」


「姉さんは免許取ってからちょこちょこ行ってるからな。今では向こうに服も下着も歯ブラシも置いてある」


硯石がそう言うと、その服を重忠がちょいちょいと掴んで首を振り、そうじゃないと修正した。


「そうか、俺の荷物の量か……まぁ、俺はそもそもズボンだとなんだか落ち着かないんだが……」


重忠のフォローがあってちらっと漏れた内容も尾池にとっては初耳で、重忠がフォローできるだけ十分な知性があるというのも驚きで、服が多すぎるのもあって少し尾池は混乱し、とりあえず全て置いて論文を読みたいと思った。


「山道とかはズボンでないとひっかけるし、汚していい格好というのも用意しないといけないし、服同士の相性とかもあるからな……何度も着替えると考えると何枚も必要になるなと、軽トラ使うから荷物持ってる大きくて問題ないしと思ったらこんなことになっていた」


まぁとりあえず論文だと、硯石から論文を受け取ると尾池は座ってそれを読み出した。


目的地、硯石の親戚の家に着くと、すぐに尾池はトイレに駆け込んでゲロを吐き横になった。


「じっと論文を大人しく読んでると思ったら、車酔いしてたのか……」


硯石がそう言って冷たいお茶を持ってくると、尾池はすみませんと謝りながら一口それを飲んだ。


「論文読んでたら気持ち悪くなって来て……でも言ったら論文取り上げられるかなと思ってそのまま黙ってました……」


「後から幾らでも読めるだろうに、尾池くんも大概だね。どうする?副部長」


「丁度いいんで、おじじとおばばに頼まれてた家のことしちゃいましょう。おばばは免許持ってないしこの辺り大きな病院ないんで、病院に近い別の親戚のとこ泊まってるんですけど、急だったんで家空けるつもりで準備できなかったらしいんです。食品とかは姉さんがやるんで、とりあえず部長はパッと見て位置が乱れてるものとか直したり掃除機かけて下さい。場所とかは重忠が知ってるので、そのまま一緒に」


「なるほどね、まぁ雑巾がけぐらいなら火夜もできるだろうしいいけど、君は何するのかな?」


「俺は薪割りです。春の内に割っとかないといけないんですが、おじじが検査入院してますからね。やっといてくれって頼まれたんです」


「わ、私と七美は……」


「尾池はそのまま居間で寝てろ。おじじが鯉かなんか飼ってた時のタライ持ってきて縁側のとこから見える様に七美連れて来とくし、俺も見える位置で薪割ってるから」


はい、と力なく尾池が手を上げると、ふわふわと幽谷のそばから飛んできた火夜が手の平を合わせ、にまっと笑った後にまた幽谷の元へ戻っていった。


硯石の言うおじじの家は昔ながらの家という感じで、土地も広いからか、尾池が寝転がっている居間も十数名は集まれそうな広さがあるし、開いた襖から見える縁側や庭も窮屈には感じなかった。


少しすると、硯石は大きなプラスチックのタライを持ってき来て、縁側から見える様な位置に置くとポリバケツから七美と水を移した。


それも終えると、割られていない薪と薪割り台、そして大小二本の斧を持ってきた。


スカートのままで薪の大きさに合わせて二本の斧を見事に使い分け淡々と振り下ろし、薪を割る姿はなんとも奇妙なものだったが、尾池から見てなんとなく面白いものでもあった。斧を振り下ろす度、しっかりと腰を落とすために足が開いてスカートとのミスマッチが際立つのだ。


「ふくぶちょー……普段から薪割りしてるんですか……?」


「週末とか、よく手が足りないからって手伝わされてきたからな」


それより寝とけよと言わんばかりの視線に尾池は一度七美を見て、七美からもまるで心配しているかの様に見上げられているのを確認しておとなしく目を閉じた。


大きな塊を割っている時はそれ程でもなかったが、小さな塊になってくると一定のリズムで小気味良く割れる音がする様になり、自然と眠りに落ちていった。


尾池が目を覚ます頃にはすっかり日も落ちていた。


全員知っている人間だからか、火夜は幽谷の首に腕を巻きつけて堂々としていたし、重忠も硯石の側であぐらをかいて座っていた。それを見て尾池もタライを側まで引き上げようかとも思ったが、寝起きで手に力も入らないし、重そうなのでやめた。


「起きたみたいだな、水飲むか? 飯食えるか?」


「ふぁい、いふぁふぁきまふ」


あくびしながらお礼を言って尾池は硯石から水の入ったコップを受け取った。


「じゃあ、今回の事例についてご飯食べながら確認しよう」「事前知識としてくねくねについて。『これは私の弟から聞いた話であり、弟の友達のA君の実体験である。A君が彼の兄と一緒に母の田舎に遊びに行った。外は晴れていて田んぼが緑に生い茂っている頃。A君のお兄さんが窓から外を見ていると真っ白な服を来た人がいて、人間とは思えないような動き方でくねくね踊り始めた。A君もお兄さんも、最初はそれが何なのかわからなかったが、やがてお兄さんはわかったらしい。しかしA君が「お兄ちゃん、あれは何なの。わかったなら教えて」と聞くと「わかった。でもわからない方がいい」と、答えてくれなかった。今でもA君にはわからないという。私は「お兄さんにもう一度聞けばいいじゃない」と言うと、弟が答えるには「A君のお兄さん、今、知的障害になっちゃってるんだよ」』というのが最初に投稿されたとされるくねくね。まぁこの時点で創作である事が明言されているんだけどね」


全部覚えているんだこの人と、怪談の中身よりも怪談をそのまま覚えている事実に尾池は驚いたが、あえて何も言わなかった。


「副部長の親戚が閉じ込められたりしたのは、派生したくねくねの怪談由来の対処だと思うけど、とりあえず派生も含めて要点は三つ。一つ、田んぼや川など水場の近くに現れる事。二つ、白または黒のくねくねしたものである事。三つ、それを見て理解してしまうと異常をきたす事」


ふと、疑問が浮かんで尾池は質問する為手を挙げた。


「はい、尾池くん」


「副部長の親戚の人は見てしまったわけですけど、確か精神に異常をきたしてはいませんでしたよね?」


「確かにその通り、しかしね、先の怪談でもわかってしまったお兄さんだけが障害を負ったとしている。だから、見てしまったものの理解しなかったので異常は起きなかったのだ。とも捉えられる」


確かに、と尾池が頷くと次は硯石が口を挟んだ。


「まぁ、それは置いておいても、おじじは首を絞められて死にかけている。怪談のくねくねに比べると被害が直接的過ぎる」


「それに関しては私は別の意見かな。怪談のお兄さんは後天的に障害になっている。しかも会話もできない程と推測される。これは脳に外傷を負ったとか、首を絞められた結果酸欠で脳の一部が壊死したとも考えられると思うね」


「それについては、私からも追加情報を……おじじの首に残った締めた痕だけど、なめらかな縄の様なもので絞められていて、縄目の様なものはなく、また特徴として縄目が見当たらないのよ」


ほら、と硯石の姉から渡された写真を尾池が見ると、そこに写っている人の首にはぐるっと一周する様に均質に圧迫された様な痕が付いていた。


「あと、一周しているのに縄の結び目みたいな痕が見当たらないのもかなり謎なのよね。結束バンドみたいに結ぶもの自体に穴が空いていたり、輪っかを作って通して締め上げるというかたちをすれば基本的には一部分だけ他と違った痕が残る。でも、この痕にはそれがないのよ」


「それは、どういうことなんですか?」


「うーん、まぁ普通じゃないってのは確かかしら。仮に相手が人だとした場合、例えば、数センチは幅のある太くて厚い輪ゴムで絞めたとか、輪のような形になっているゴムチューブを首に被せて水なり空気なりを入れ続けて圧迫する、血圧計みたいな感じになるわね。でも、血圧計は長時間は圧迫できないし、痕の太さに比べて太過ぎる。ゴムの方もめちゃくちゃなのはわかるでしょ?」


そう言って、情報おしまいと硯石の姉は手をパンと一回打った。


「そもそものくねくねには首を絞めるという話はない、超常現象に見せたいにしても手間がかかり過ぎる。山中で崖から突き落として捨てれば、気が狂って山に飛び出していったとかなんとでもなるし」


副部長の発想の方がくねくねより怖いなとか思いながら尾池は頷いた。


「まぁ、とりあえず凶器の謎は置いておこうじゃないか。あれらの確証は深まったが……それなりに有望だと思ってなければそもそも来ていない訳だし。さて、怪談のくねくねが想起された理由を考えるならば、私なんかはそれはそのくねくねしてるという外見的特徴だろうと思うんだが……目撃証言の方はどうなんでしたっけ?」


「あー、それはね。おじじは田んぼで見た時に関してはね、『白いのがいっぱいくねくねしてた』って言っていて、おばばは『端っこしか見られなかったけれど、くねくねしてるやつは屋根より高いところにあって長かった』って言ってたわ」


幽谷に振られて、硯石の姉が説明すると、その場にいたほとんどの視線が尾池に向いた。向けなかったのは火夜だけで、幽谷の頭の上に顎を乗せて遊んでいた。


「ふーむ、尾池君の出番かな? 例えばこの特徴でどんな生き物が思いつく?」


「尾池、できれば水場によく出るって点も踏まえてくれ。この家もすぐ側に用水路が流れているからな。特に有力だと思うのを一つ上げてくれればいい、全部に対策できないからな。有力だと思うやつから想定して対策する」


「えーと……蛇は泳ぐこともよくあるので外せませんし、ウツボやウナギといった見た目がそう見える魚類や擬似餌を使うアンコウとかも外せない気がしますけど……クラゲ、イソギンチャク、ナマコ、ここら辺は触手的なものが出ますし、イカタコも忘れたらだめですよね」


移動してる点からイソギンチャクとかは外しても良さそうな気もして云々と尾池は数分ぶつぶつと呟きながら考え込んだ。


「……くねくねしてるものがいっぱい見られた事とかも踏まえて、自分から襲う性質とか、水場とか考えるとイカなんかは結構有力かなと……思います。他のものは田んぼの真ん中なんかにいるならば、他にももっと目撃されててよさそうなものですけれど、イカならば保護色で隠れられてもおかしくないと思うんです」


でもその点で考えるとクラゲも……と言い始めた尾池の頭を硯石はぽんぽんと手を置いて制した。


「ひとまずイカとして動くのが良さそうですね」


「そうだね、水辺かつ軟体動物というのはあり得そうだし、私達の手札では不利な想定でもある。うーん、どうしようか、竹槍とか作るかい?」


「やめときましょう、重忠達が使える様な大きさのものはそう用意できませんよ。多分部長のスリングショットもあまり役に立たないでしょうし……場所をいかに有利な場所にするかとかを優先した方がいいかと」


「ふむふむ。ならとりあえずは予定通り、明日は地層を見に行こうか。ついでに周りの立地と目撃地点も確認できる。科学部の合宿としている訳だしね」


「あの、私は七美からなるべく離れたくないんですけれど……」


「そこは安心していい。水が通ったことで削られて過去の地層が見える様になった場所だ。そばに川が流れている」


「水温は……」


「まぁ、大丈夫だろ」


硯石の返答に尾池はちょっと不安そうだったが、まぁバケツごと川につけてならせばなどとぶつぶつ呟いていた。


そのまま、硯石姉の作った残り物ごった煮カレーを食べ、風呂に入り、少し話した後、一応俺男なんだがという硯石も諸共に全員で雑魚寝する事になった。


尾池が起きたのは、昼間寝たせいか夜明けよりもかなり早かった。月が空に輝き月光が障子越しに部屋を照らしていた。


「七美は……寝てる、のかな? 魚ってパッと見だと本当寝てるかわからないよね」


タライの中であまり動かない様にしている七美は、まぶたもないので目も開きっぱなし、人間から見ると表情の差なんてものはわかるわけがないという感じだった。


「そういえば、副部長のおじいさん?は夜中に襲われたんだっけ、夜行性……日が当たらなくても活動的になりやすいのは恒温動物だけど……」


この前見た赤狼みたいな姿を変えられる個体だったら種の予想なんて意味ないかもしれないと思いながら尾池は縁側に座る。


目が冴えていて眠くはないし、論文をまた読みたいが勝手に人の荷物を漁るのにも抵抗がある。昼間寝ていた分部屋を見て回りたい気もしたが、それも他人の家だから少し気が引ける。


「……じゃあ、今まさに襲われることもあったりするのかな」


そんな風に考えていると、ふと庭先に置かれた斧が目についた。硯石が薪割りに使っていたものだろうけど小さい方なら自分でも持てるかなと尾池は軽い気持ちで持ち上げた。


わりと重いなと思っていると、ふと顔にかかっていた月光が遮られて尾池は何が遮ったのかと顔を上げた。


塀の向こうから上へ向けてくねくねとS字を書くように伸びる白い影、その動き方に尾池は見覚えがあった。


「蛇……」


尾池が呟くと、くねくねとした影が倒れて尾池に頭を向けた。そのシルエットは普通の蛇のものではなかったが、蛇とわかって見た尾池にはその姿が首元に一対の翼を持った白蛇であることがわかった。


尾池が青い目を見つめたまま一歩二歩と縁側に向かって歩くと、ぐるりぐるりと白蛇は輪を描くように体をくねらせた。


するとその体は白く光り、体の軌跡は一つ輪を作った。作られた光の輪は大きく広がって、尾池の頭の上で一瞬ぴたりと止まった。


咄嗟のことに尾池は声を上げるでも斧を振るうでもなく、斧を靴脱ぎ石の上に落とし、そのまま縁側に倒れこんだ。


ほんの数瞬、石に斧が当たって鳴った金属音の余韻も消えない内に、さっきまで尾池の首があった位置で光の輪は急激に縮んだ。もしも首を絞められたと聞いていなければと想像すると身震いがした。


それを見て、白蛇は口をがぱりと開いた。尾池に向かってじりじりと身をくねらせながらにじり寄る。


あと少しでその頭を飲み込もうというところまで近寄ったところで突然に七美がたらいから飛び跳ね、そのまま白蛇の目へと飛びついてそのヒレで目を切り裂くと、重力に従って地面へぼとりと落ちた。


「七美!」


尾池が叫んだのと白蛇が奇声を上げながらその場で身を捩らせるのとはほとんど同じタイミングだった。


「どうした!」


飛び起きたらしい硯石が襖を勢いよく開けると、まず飛び出してきたのは重忠だった。


重忠は地面に落ちた斧を拾い上げると、地面で跳ねるだけの七美に向けて片目から血を流しながら飛び込んでくる白蛇へとすぐさま斧を振り上げ、下あごを叩き割った。


七美を尾池が抱き上げに行き、硯石は状況を見て一度部屋の中へ戻る。白蛇は奇声を上げながら一度上空に逃れ、その隙に重忠はその姿を石でできたただの人型から大きな石猿へと変える。


白蛇は上空でぐるぐると円を描きながら重忠達の様子を伺っていたが、硯石が靴下にスニーカーと携帯を二台持って出てくると、逃げに徹することを決めたらしく空を滑る様に飛んで行った。


「尾池! 俺と重忠でアイツを追う! 部長を起こして、そのスマホのスマホ追跡アプリを起動して渡せ!ロック解除は0113でできる! もし忘れたら姉さんも起こせ!」


靴下、スニーカーと目を見張るほどの速さで履くと、硯石はそう言って重忠に抱えられて塀を飛び越えて白蛇を追っていった。


「え? あ……」


尾池はとりあえず抱えたままの七美をたらいに戻すと、既に二度の奇声に起きかけていた幽谷を起こした。


火夜は幽谷が起きるまでは二度寝しようとしていたが、事情を聞いた幽谷が着替え出すと急に手のひらを返して準備を手伝いだした。


「じゃあ行ってくる、尾池君はここで待機ね。すぐ戻ってくるから」


火夜に抱えられて幽谷も飛び立ったのを見届けると、尾池はそこでやっと息を吐いた。


背後に今やっと起きたらしい硯石姉の気配を感じつつ、ふと七美に視線が向いた。


「ありがとう、七美」


尾池の言葉に七美はヒレで水面を叩いて応えるような仕草をした。


「……七美は、私の言ってることはわかってるの? わかっていたら右回転に泳いで」


そう言うと、七美は右回転で泳いだ。そして、ぴゅっと尾池の足元に水を吹いて飛ばした。


「おわっ」


水に気を取られて尾池が足の方を見ると、縁側に倒れ込んだ時に引っ掛けたか打ったのか、擦り傷があるのが見えた。


「……傷の心配してくれてる?」


そう言うと七美は右回転に泳いだ。


「今は興奮してるからかな、あんま痛くないけど、ありがとうね。副部長のお姉さんがちゃんと起きたら救急セットの場所聞いてみる」


尾池がそう言うと、今度は七美はなんとも言えない感じに変な軌道を描いた。


救急セットという単語がわからなかったのか、それとも複雑な文章は伝わらないのか。少し考えて尾池は、とりあえず傷は大丈夫と目の前で屈伸して見せた。







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夏P(ナッピー)
2021年3月22日

 可能であれば一気に5話まで行きたかったですがすみません、ひとまず3話までで感想を書かせて頂きます夏P(ナッピー)です。


 都市伝説モノだ! 洒落怖とか昔から大好きでした!

 題材からして1話からワクワクしっぱなしでございました。美少女三人(異論は……認めなくてもいいんじゃないか)で知恵を働かせながらデジモン、というより都市伝説の正体を探っていくのはなかなかに楽しい。口裂け女の正体とかなるほどなぁと感心致しました。部長はなかなかいいキャラしてますがセクハラはいいのか。

 そして硯石クン(さん?)が有能過ぎる。あまりに有能過ぎて「嫌な予感がする」とか言うとアカンこれ絶対的中する奴やと思ったらその場でフラグが回収されてしまった。というか、よく考えたらレベルⅣなんて昨日の今日で早々出ないと言ってたフラグまで二話の時点で回収されてる……。


 それではまた5話まで読ませて頂きます。



追伸)新聞部の高橋君はメインキャラじゃなかったんかーっ!


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へりこにあん
2021年3月23日
返信先

@夏P(ナッピー)

読んで頂き感想まで、ありがとうございます。


洒落怖発の怪談はどれも怖いし現代に合わせられていたりするので拾える範囲で拾って行きたいところです。


美少女ばかり()はやっぱり絵として映えますからね。ただの話し合いもなんとなく面白くしてくれます。部長のセクハラは尾池ちゃん的にはあまりよくありません。

 硯石副部長と重忠は本当やたら強いし頭も回るので、三話とかは七美進化回なのにいたら進化しなくても勝てちゃうという事で彼の立場だと予想し難い理由でいなくなってもらう必要があったりしました。重忠なんて科学部最強ですしね。


高橋君は……科学部やべぇを示す為の生贄だったのです……


では、次回以後もお楽しみ下さい。

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へりこにあん
2021年2月28日

あとがき


どうも、へりこにあんです。第三話まではあんまりストーリーの感じを見せてない感じで進めていたのですが、四話目からは少し動く感じになるかなと思います。


とりあえず、先にブログの方で出していた分はこれで終わりになりましたので、次からは多少間が空くことになるかと思います。


では、次回もお付き合い頂ければ幸いです。

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へりこにあん
2021年2月28日

白蛇に重忠が追いついたのは、十五分は経ってから、白蛇が山へと入ってすぐだった。


重忠が木と木の間を跳んでいくと、その体重に木はみしりと音を立てたりもしたが、それでも空を飛ぶ白蛇との距離は縮まった。


腕の岩が一欠片剥がれて白蛇の頭に当たると、方向感覚を失ったのかそのまま墜落したのだ。


片目を失い、顎は割れて脳震盪も起こした白蛇に対して重忠はどこまでも有利だった。


白蛇が今から飛んで距離を取ろうにも重忠は腕から岩を飛ばして阻止できる。


白蛇が光輪を持って締め上げるのも、尾池から話を聞いてないとはいえ予備動作が大きいし、尾池でさえ予想ができたものであるから重忠に食らう道理はない。


もし白蛇に勝ち筋があるとすれば一つだけ、互いに未知な素の身体強度のみである。


それに関しても硯石は全く心配していなかった。ただ、翼を持つ白蛇を見て何か釈然としない気持ちにはなっていた。


山中の少し開けた場所で白蛇と重忠が睨み合いになると、硯石はその違和感をひとまず飲み込んだ。


現状はただでさえ有利であるし、時間をかければ幽谷と火夜も来る。


だけど、空を飛ぶ白蛇であることは睨み合いの中で何度考えても硯石の中でどこかに引っかかった。


「何か判断を誤った気がする……」


そう硯石が呟くとそれは重忠と白蛇の戦いのゴング代わりになった。


一方、尾池は縁側に座りながら白蛇について考えていた。本当は傷の手当なんかもしたいのだが、硯石の姉が二度寝に入ってしまった為、することがなくなったのだ。


「なんで田んぼで目撃されたんだろう……」


予想していた時、一応ではあるが尾池は蛇の可能性は捨てられないとは思った。でもそれには蛇が水辺でも活動できるから以上の意味はなかった。


水がある場所、川や田んぼというのは開けていることが多く、他の場所よりも見通しがいいから見えるのであって、他の場所を移動している時は目立たないだけなのではないかと。でも、それはおかしいのだ。


「くねくねは真っ白な服を着た人と間違えられているから、横じゃなくて縦にくねくねしてたはず……その点まであの時は気が回っていなかったけど、蛇だとするならおかしい」


さっき、尾池の前に現れた白蛇は塀の下から上へと伸びてきて頭を出してきた。つまり、基本的には地を這っていたはずであるのだ。


「頭を上げるのは威嚇する時か上方向に体を伸ばす時……それに、そうだとしても多頭とかじゃなかったから多分一本だけにしか見えないはず……」


ある可能性に気づいて尾池は恐ろしくなった。


「首を絞めたのは、多分白蛇……でも、首を絞めたのと別にくねくねがもう一体いたら説明がつく」


空を飛ぶ白蛇に向かって触手か触腕を伸ばしていたのがくねくねとして見えたのだとしたら、そう考えるとつじつまが合ってしまう。


ここで白蛇は血を流したし、他のこういった存在を優先的に襲う性質がアレらにはある。白蛇の血に引かれてここに来る可能性も十分にある。


さらに考えるならば、硯石のおじじが白蛇に襲われた理由も今日尾池が襲われた理由も、もう一体がこのすぐそばを根城にしているからという事もあり得るのだ。


そう考えていると、門の方からずるりと大きな湿ったものを引きずるような音がした。


尾池はその音に慌てて自分のスマホを手に取ると、すぐに幽谷へと電話をかけた。しかし、音が鳴ったのは幽谷の布団のそばから。次いで副部長へと電話を掛けるもなかなかつながらない。


尾池は知らない事だったが、この時硯石には先に幽谷が電話をかけていた。


GPSで大体の位置情報こそわかったものの、山の中でうまく見つけられず、空から探すのは的になりかねないからと避けたかった。そこで、硯石と重忠の側から何か合図を送ってもらえないかと電話をしていたのである。


尾池はしばらく、つながらないスマホを片手に持ちながら、もう片方の手でストラップとしてつけてあるお守りを握ってその場でうろうろしていた。


硯石の姉は起こそうとしても起きないし、七美を持ってどこか行こうにも片手では持てないし、スマホを手放すと助けが呼べない。尾池の寝巻にポケットはなく、着替える時間もない。


全部同時にやろうとしなければまだできる事はいくらかあったのだろうが、炎人の時と違って自分が直接狙われたことでパニックになっていた。


ずるり、ずるりと音がして、建物の陰からイカのものらしい吸盤のある白い触腕に黒い爪が生えたものが見えると、尾池はとりあえず硯石の姉が襲われないように襖を占めた。


「あ、そうだ。お守りを咥えればスマホ持ちながら七美を運べ……や、しゃべれない、でも七美襲われ……」


色々とぶつぶつ呟いた後、尾池は置きっぱなしの斧をスマホを持つのと逆の手に持って構えた。


「イカは、目と目の間を刺してしめる……胴には骨が入ってるから多分無理……」


うまく行けば脳震盪に近い状態になるはず、と思いながら建物の陰で息をひそめ、頭が来るのを待つ。


そうして目の前に現れたのは確かにイカの様だったが、尾池の知るイカとは異なる見た目の存在だった。


八本の触手で地面を掴んで歩くのは尾池も想像通りであったし、3mはある塀よりも高いとはいえ大体のシルエットは尾池の知るイカのものであったが、目らしいものはどこにも見当たらず、本来は足の中に隠れクチバシの様であるはずの口は大きく開いた上に牙を持ち、隙間からは赤い舌も見えていた。


その姿を見て尾池は固まった。普通のイカと考えた時、頭に当たる位置が口になってしまっているだけでなく、目も見えないせいでこの辺りが頭だろうと当たりをつけることもできない。


でもなんとかしなくちゃと、我に返った尾池はとにかく斧を振り上げると、口の中に向けて振り下ろした。


尾池が振り下ろした斧が舌に半ばまで刺さると、口裂けイカは二本の触腕を振り回して暴れ出した。


尾池は斧を取り落としながら叩き落とされ、さらにもう一度殴られて地面をゴロゴロと転がった挙句塀に背中からぶつかった。


肺から空気が押し出され、転がった時に擦った手足はズキズキとぶつけた背中はジンジンと痛み、視界は思わず出てきた涙で滲んで見えた。


痛みを以ってやっとパニックから立ち直った尾池は、深呼吸しながら自分の幸運に感謝した。


口裂けイカの触腕は細い根本でさえ直径は20から30cm、仮に触腕の断面が円だとした場合の外周はおよそ60から90cm、鍛えに鍛えたプロレスラーの上腕が60cmいくかどうかというところであることを考えれば、尾池が受けた攻撃は当たり方次第で人が死ぬ威力なだっただろうという推測が立つ。


尾池が咄嗟にそこまで計算したわけではないが、車にはねられた様なものであるのは体感したことで理解していた。


陸地であったこと、不意打ちへの対応でしかない力の乗り切ってない一撃だったこと、変に尾池が踏ん張ったりせずに倒れたり転がって衝撃を逸らせたこと、そもそも当たった場所が致命的でなかったこと、色々あって軽傷で済んだのだ。


どうしたらいいのかと、尾池は考えを巡らせる。


起き上がって斧を拾って切りつける。これはもう尾池にはできない。体力も限界だし、パニック状態でない今となっては正確な威力を考えられてしまっている。


死んだふりをするのは尾池自身は助かるかもしれないが、七美も助かるかはわからない。口内を傷つけたことで食べようという気になっていなければチャンスはあるかもしれないが、確実ではない。


『尾池、どうした』


そんなことを考えていると、やっと電話が通じてスマホから硯石の声がした。


「えーと、ごふっ、イカのアレが今庭にいて、襲われています。どれぐらいで戻ってこれますか?」


『こっちは終わった、10分で重忠が着く』


「どう、でしょうね。間に合わないかも」


『……お守りあるか、渡したやつ』


「ありますけど」


『中に、部長が火夜に使ってた卵みたいなやつの類似品が仕込んである。握りしめて、何でもいいから気持ちを込めればいい』


硯石の言葉に、どういう理屈なんだろうとか、最初から教えてくれればよかったのにとか思ったが、とりあえず尾池はそれを握りしめて目を瞑った。なんとなくそうした方が気持ちが込められる気がした。


せめて七美だけでも無事でいて欲しい。


そう気持ちを込めると、ふとお守りの中にあったはずの塊の感触がなくなって、瞼越しにもわかるぐらい強い光が発された。


ばしゃんと水がこぼれた音に尾池が目を開くと、七美の代わりに尾池の見覚えのない魚の様な生き物が一体増えていた。


顔はカマスのように細長く、体は全体的に青みがかって光沢があり、トビウオの様な広くて長い胸ビレが特徴的な体長3m程の魚の様だった。ただ、普通でない点もあって、胸ビレのすぐ下にヒレと鉤爪を持ちベルトを巻いた逞しい腕があることに加え、胸元には比較的小さな魚のようなものを格納する袋の様な部位もあった。


それが七美であると尾池が察しをつけられたのは、火夜の変化を見ていたからであったが、それを踏まえても尾池は動揺していた。


その姿が一つ前の普通の魚らしかった姿から見て異様なこともさることながら、七美が手と尾を使って地面から跳ね上がるとそのまま飛行を始めたためである。


口裂けイカは突然変身した七美に向けて一対の触腕を投げかけるが、七美は方向と距離をうまく利用して一本ずつヒレを刃のように使って切断した。


「……えーと、七美、胴を切る時は後ろからね!」


尾池がそう言ったのは、イカは皮の下に貝殻の名残がある為。ただ、同時にこれは口裂けイカにとって最悪の指示だった。


触腕が切り落とされてしまった今、口裂けイカは何とか逃げたい状況であったのだが、陸上であるため素早くは動けず、墨を吹きかけて視界を封じて逃げる他になかったのである。その噴出孔は口にあり、七美を正面で捉えるのが必須であった。


七美は、尾池の言葉にうなずく代わりに口裂けイカの頭の上でぐるりと一周右回りに泳いだ後、背中に向かって切りかかった。口裂けイカの白い背中は紙にハサミを通すようにざっくりと切れ、青い血が噴き出した。


『尾池、どうなった? うまくいったのか?』


硯石に言われた尾池は、スマホに向かって大丈夫みたいですと答えた。


「なんかこう……いや、ちょっといい言葉がみつかんないですけど、多分大丈夫だと思います」


『なんだそれ、テレビ通話できるか』


そう言われて尾池がスマホのカメラを向けると、ちょうど七美の腹のところから飛び出した魚のようなものが口裂けイカの背中に開いた傷から中に入っていき、口裂けイカの胴体が爆散したところだった。


爆散した肉体はその直後に光の粒になって宙に溶けて消えていき、硯石はスマホの向こうで大丈夫そうだなと安堵した調子で漏らした。


尾池が落ち着いてきて、一人戻って来た重忠に続いて硯石達が戻ってきたころにはもうすっかり空は明るくなろうとしていた。

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