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組実(くみ)
2020年11月1日
  ·  最終更新: 2020年11月1日

*The End of Prayers* 第33話


全話一覧



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 相棒としばしのお別れをして、待ちに待った“寄り道”に向かう。

「あの子達は第一階層かな? 良いペースだねえ」

 なるべく鉢合わせないように、こちらもなるべく正規ルートを外れて移動する。

 瓦礫まみれの塔の中。ほとんど壊しきったからか、もう防衛機の皆様からの歓迎は無いようだ。

 だから警報も聞こえてこないし、何かが壊れるような音もしない。なんとなく、外から雨の音が聞こえてくるだけ。

 その静けさがあまりに寂しいので──つい、気晴らしに歌でも口ずさみたくなってしまう。

 さて、何を歌おうか。

 長いことリアルワールドにいたくせに、ポップカルチャーな曲はあまり知らないし。

 ────そうだ、そういえば。

「……いーつのー、ことーだかー」

 養護施設や学校やらで、やたらと歌わされた曲があったっけ。

「おもいだしてごーらん」

 あんなこと、こんなこと、あったでしょう。

「うれしかったこーとー、……」

 うっわあ、全然気晴らしにならない。完全に選曲間違えた。デスメタルとかにすればよかった。

 ……まあ、でも。久しぶりの一人の時間だ。

 歌のように、色々と思い出してみるのも悪くない。

 なーんて。

 ちょっぴりセンチメンタルになってみる、(元)みちるちゃんなのでした!

*The End of Prayers*

第三十三話


「Memoria」

◆ ◆ ◆

 自分の世界が好きかと問われれば、実の所はそうではない。

 戦う事は得意だし楽しいけれど──知恵を持つ生命体のくせに、戦って強くならなきゃ生き残れない。そんな世界である事に、どこか矛盾を感じてしまうから。

 ただ、自分がいるコミュニティは好きだ。

 友達も好きだし、家族も好き。アタシの大切で、小さな世界。

 家族と言っても、電脳生命体であるデジモンに血縁の概念は無いのだけど。データの塊が孵る卵だって、母体から産み落とされるわけではない。

 そもそもデジタマが生まれる理由なんてものは、ほとんどが『転生』『継承』『眷属の増殖』、そして『無からの発生』だ。

 アタシ達の関係はとても曖昧。良く言えば、ひたすらに自由とも言える。

 だから自分達のように、盃を交わして誓い合うだけで────ほら、簡単に『家族』になれてしまうのだ。

「────我らオリンポス十二神。我らが神域の繁栄と自由の為、共に在り、共に戦い、共に生きる事を此処に誓おう」

 オリンポス十二神。

 リアルワールドのとある神話をモチーフとした、特定の究極体デジモン達によるコミュニティ。十二神と名乗りながら、まだ六柱しか発見されていないのだが。

 各々が自ら統治するエリアを持っていて、気儘に、けれどそれなりの秩序を保つ。それがこの世界で自分達に与えられた役割だった。

 誰がそんな役割を、自分達という種族の“設定”を決めたのかは知らない。──きっと、神様だなんて呼ばれる存在がお決めになったのだろう。

 しかし家族だ誓いだと言っても、別にいつも和気藹々と仲良しごっこをしているわけではない。堅固な協力関係にある、とでも思ってもらえれば。

「そういうわけで、ネプトゥーン兄の堅苦しいお話はさて置き! 平和に仲良くしようってことでオーケー?」

◆ ◆ ◆

 青い空と青い海。

 緑の草地に賑やかな街並み。ああ、なんて美しいデジタルワールド!

 ────さて。

 そんなデジタルワールドから、本日の天気をお伝えします。

 残念ながら青い空と言うのは嘘っぱち。どんよりとした曇天が続いて、既に早数週間。

 別に梅雨入りしたわけではない。

 ただ、おバグりあそばされたのだ。このデジタルな世界とやらは。

 その盛大なバグとやらに、我々オリンポスの六柱も盛大に頭を悩ませていた。──自分達だけではない。あらゆるコミュニティの長達は全員、この事態の対応に追われていたことだろう。

「──報告です! 報告……!」

 世界に突如として現れた「黒い水」の存在。

 それは、毒だった。地面から湧き出るのではなく、空から降ってくるそうだ。

 デジモン達は溺れて死んで暴れ回って、おかげで世界中は大惨事。世紀末とはこういう事を言うのだろう。

「数刻前、■■■モン様の神殿跡地に黒い水が発現! お力添えを……」

「では、このディアナモンが向かいましょう。我が片割れの兄の地へ」

 ああ、悲しいかな。見境なく降る黒い水に、自分達の領地も例外なく汚染されていく。

 仲間達の各神殿、各領地は壊滅状態。海底に在るネプトゥーンモンの深海神殿だけが、辛うじて難を逃れている状態だった。

 何故、どうして。そんな事は知らない。原因を探る技術も余裕も無い。

 毎日、毎日、眷属から毒の報告を受けては向かう日々の繰り返し。

「────報告です! 報告……! 山岳地帯で汚染デジモン達が暴走を!」

「ネプトゥーンモン、君の加護を僕に。僕の脚ならすぐ辿り着ける」

「承知した■■■■モン。急いで向かってくれ。私とマルスモンもすぐに追う」

 自分達にできる事は限られていた。ただ、起きてしまった事態への対応だけ。広がってしまった毒を焼くだけ。

 既に死んだ誰かや、既に破壊された何かを守る事はできない。だって事前に察知するなんてできないもの。

 ……自分達の“世界”を侵されるのは、胸が張り裂けそうになる程に悲しい。

 それでも下を向いてはいられない。オリンポスの神々は毒を焼く為に、奮闘していた。

 ────このアタシを除いては。

「あー、今日もなんて雨日和」

 何とこの毒、ウイルス種とは非常に相性が悪いらしい。ばっちりウイルス種である自分は、容易に地上へ出られなくなってしまった。

「でも海の中は平和です。……はぁ」

 暇すぎて独り言。

 世界がピンチなのは理解しているが、やれる事が無いのだから仕方ない。ささやかな領地もとっくに壊滅してしまったので、残念ながら守るべきものもとうに無かった。

 幸い、悲観はしない主義だ。楽観視しているわけでもないのだが。

「────やあ、ミネルヴァ。退屈そうだね」

 聞こえてきたのは、抑揚も緊張感も込められていない淡白な声。

 石柱の影からこちらを覗く、栗色のフクロウが一匹。

「……アウルモン。兄さん達なら毒を焼きに行ったよ」

「皆に用事があるわけじゃないんだ。ただ、キミが時間を持て余してるんじゃないかと思って」

 アウルモンはオリンポスの眷属ではない。皆からはアタシの従者だと思われているが、いわゆる竹馬の友という間柄だ。

「で、楽しいお話でも持ってきてくれたの?」

「楽しくはないけど、外の状況程度なら報告できるよ」

 種族としての性質上か、アウルモンは偵察というものに長けている。毒焼きに忙しい仲間や箱入り娘のアタシに、世の中の情勢を集めて報告してくれるのだ。

「メタルエンパイアは半分が稼働停止。機能の一部を切り離して各地へ分散させたって話だよ。これでデジタルワールドの物流ネットワークも壊滅だ」

 当然だが、暗いニュースしかない。知らないよりはまだマシ、そんなレベルの話だ。たまには心踊るような大発見をしてきて欲しい──なんて、他力本願をしたくなる程には。

「それと──三大天使がロイヤルナイツに救援を要請するのも、もう何回目になるか分からない。今回もダメだった。いい加減、自分達で何かを企もうとしてるみたいだよ」

「やっぱりかー。マジで上の連中は何で動かないんですかね?」

 デジタルワールドの創生に関わったらしい存在は、どういうわけか傍観を決め込んでいる。そこそこ人数いる筈なんだから、少しくらい下界の惨事に人員を割いてもバチは当たらないだろうに。

「事態は悪くなるばかりだし、毒は焼いてもキリがないし、アタシは家にいろって言われるし。あーあ。兄さんは外に出てるのにさ」

「なら、ボクと一緒に行けばいいじゃないか。少しは役に立てると思うけど」

「いや、アタシも再三お願いしてるのよ? 加護よこせって。アウルモンとウイルス種ペア組んでるから、無駄死にするって思われてるのかしら」

「流石にボクだって、外に出る時は進化してるさ」

 そう言って、不満そうに羽を膨らませた。

「せっかく究極体になれるのに、どうしてキミはボクに『アウルモンでいろ』って言うんだい?」

「そりゃあ、まあ」

 手招きをして、呼び寄せる。

 アウルモンは栗色の羽を散らかしながら、差し出した腕に止まってきた。

 昔からの習慣だ。互いが究極体にまで進化する、ずっとずっと前から、アウルモンを自分の体に止まらせてきた。

「こうしてアタシの腕に居る方が合ってるからさ」

 アウルモンと書いて安心毛布と読む。

 笑顔でそう言ってあげると──アウルモンは照れるどころか、自身の羽毛を庇うように丸まってしまった。

◆ ◆ ◆

「三大天使がリアライズゲートを開いたそうだ」

 ある日。

 平和でない世界の中、決して穏やかではない昼下がり。

 兄弟の一人、マルスモンがそんな噂話を小耳に挟んできた。

「もう自分達だけではお手上げだと。いよいよ人間の力を頼るのだとさ」

 人間と言えば、アタシ達デジモンの生みの親みたいなものだ。

 お上連中のロイヤルナイツが動いてくれないから、今度はそっち方向にシフトしたらしい。

「そうか。さぞかし優秀なエンジニアが来てくれるのだろうな。世界のシステムを全て、書き換えてくれるような」

 と、ネプトゥーンモンが冗談混じりに言う。しかしマルスモンは神妙な面持ちで

「それが……連れて来られた者の中には、幼い子供が大勢いると聞いた」

 これには驚いた。およそ天使がしていい行動とは思えない。恐ろしいなあ、世の中は怖いなあ、なんて思ってみる。子供達だって、まさか天使に誘拐されるとは思わないだろう。

 空気が不穏に包まれていく。すると今度はアウルモンが神殿に駆け込んできた。慌てた様子で、一枚の小綺麗な羊皮紙を足に掴みながら。

 フクロウ郵便が持ってきたのは勿論お手紙だ。それもなんと、三大天使の皆様からオリンポスの神々へ。

 なんでも大聖堂への召集のお知らせらしい。今後の泥への対策について検討したい、と書かれていたが──それが建前だろうと誰もが想像できた。

「────私は向かうが、他に来る者は」

 ネプトゥーンモンは兄弟達に呼び掛ける。

「身どもは行くぞ。まさかこの話が真実などと思いたくないが……」

「僕は残るよ。皆が行くなら尚更、各領地を見回って毒を祓わないと。……ヴァルキリモン、よければ手伝ってくれるかい?」

「もちろん、ボクで役立てるなら喜んで」

「俺は先回りして、道中に毒があれば焼いておく。……ディアナモン、ミネルヴァモン、君達は」

「アタシはどうせお留守番ですよー。足の遅いウイルス種ですからねー!」

「兄様、ディアナはミネルヴァと神殿に残ります」

 こうして、男性型陣は各地へ出立。女性型陣は神殿にて華麗に彼らの帰還を待つ事になった。──ディアナモンは、無理して残らなくても良かったのに。

「……ディアナモンは気にならないの? 天使の奴らの事」

「気にはなるけど、大丈夫ですよ。兄様達が行くんですもの。私の領地の毒も、今は停滞しているようだし……」

「ま、アタシは寂しくなくて嬉しいけどね!」

 毎日お留守番の妹を気遣ってなのだろう。お優しいことだ。

 久しぶりに水入らずのティータイムを楽しんでいると──ふと、ディアナモンがこんな事を口にした。

「──実は、相談したい事があって」

「ん?」

「今度ね、マルスモンと領地の奪還を試みようと思っているの」

 声には、僅かに不安の色が見えた。

「……奪還って、毒から?」

「私の神殿は空の上。取り戻せれば、地上を追われたデジモン達を避難させられるでしょう? この神殿はあまりに海深くに在るから、逃げ込めるデジモンも限られてしまう」

「領地はともかく、神殿はとっくに毒のプールなんでしょ? 勝算あるの?」

「付近の地上から全員を避難させてから、一気に毒を焼き払います。ある程度の形は残る筈です」

「わあ、それって領地まるごと焼け野原にするってこと!? そういうの大好き!」

 と、冗談は置いておいて。

「でもそれ、■■■モンは止めると思うよ。『危ないからダメだ』って」

「だから、兄様には秘密です。貴女にアリバイ工作をお願いしたくて」

 ああ、相談ってそういう事。

 ディアナモンと二人、いたずらを考えている時のような顔で笑い合う。

「きっと成功したら、兄さんも褒めてくれるね」

「ええ、きっと……」

 ────その話を聞いて。

 外に出ないアタシは、アウルモンからの話でしか外の事を知らなかったアタシは。

 共に戦おうと言わなかった。他の仲間達に相談する事をしなかった。

 究極体が二人もいれば大丈夫だと────本当にそう、思っていたから。

◆ ◆ ◆

 夕刻。

 海底神殿に、主が戻ってきた知らせが鳴る。

 可愛い妹達は飛び上がってお出迎え。神殿の入り口まで駆けて行った。

 ──だが、

「兄さん?」

 どうしたの、毒でももらった?

 そう茶化す事さえできない程、帰還した兄達の空気は張り詰めていたのだ。

 話があるんだ────険しい顔で兄は言う。

 それから一歩だけ、横にずれて──背後に佇むネプトゥーンモンの姿を見せた。

「……え?」

 アタシ達は目を疑った。ネプトゥーンモンの隣に、小さな人間の女の子が立っている。

 薄い色の、ウェーブがかった髪を揺らして──神殿を見回していた。ネプトゥーンモンの指を握りながら。

「三大天使が連れてきた『選ばれし子供たち』だ」

 神殿でどんなやり取りがあったのかは知らない、──が、とにかくネプトゥーンモンの声は酷く重たかった。

「天使達は本当に、子供達を連れて来ていた。……人間の中の回路を使って、我々デジモンを強化するのが目的らしい。各地の究極体に宛がって、世界を救う為の手段にするんだと……」

「……アタシらの触媒にする為に、誘拐したって事?」

 噂には聞いていた、電脳生命体の創造種族である人間が我々にもたらす恩恵。……天使達はそれを信じて、ここまでして世界を救おうとしているのか。

 想定外の事態と現実。立ち会った兄達でさえ、未だ受け止められていない様子だった。

 すると、

「ねーねー、ネプちん。ここ、おうち?」

 可愛らしい声が、とんでもない愛称で兄を呼んだ。

「あ、ああ……。そうだよ。ここなら安全だ」

「広いねー!」

 小さな身体が、くるくると踊るように回る。初めて見る建築物が珍しいのだろう。

 その姿を呆然と見つめるアタシ達に気付いたのか────少女はパタパタ駆け寄って来て、興味深そうに顔を覗いてきた。

 目が、合った。

「こんにちは!」

 元気な声で、アタシ達の手を取った。

「わあー女の子! あなたたちも『でじもん』? すごーい!」 

「ちょ、ちょっと……」

「お名前は? 私は未春! ミハルっていうの!」

 未春と名乗った人間は、自分が置かれた状況を悲観する様子もなく、笑っていた。

「……。……アタシはミネルヴァモンだよ。よろしくね、可哀想なミハル」

◆ ◆ ◆

9件のコメント
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組実(くみ)
2020年11月1日


◆ ◆ ◆

 こうして、オリンポスの神々と人間の少女との奇妙な共同生活が始まった。

 未春はとにかく無邪気で人懐こく、いつだってこぼれる程の笑顔を浮かべて──おかげで皆とはすぐに打ち解けた。

 何より戦いに疲弊した彼らを癒してくれる。なんともありがたい存在になったのだ。

 別に可愛いから、という理由ではない。まあ実際可愛いけど。

「ネプちん、ネプちん、これでいい?」

「ありがとう未春。これで皆を治してあげられる」

 毒と汚染デジモンを焼く激動の日々。究極体と言えど無傷では済まない。

 そんな彼らに対し──パートナーの未春によりデータを増強したネプトゥーンモンが、文字通り“身を削って”仲間の傷を修復するようになったのである。

 肉体のデータを修復するまでの時間、兄弟達は未春と色々な会話を交わす。

 まだ見ぬリアルワールドの事を聞く。人間という種族の生態を、デジモンとの価値観の違いを。たくさんのことを教えてもらった。

 代わりに、アタシ達もデジタルワールドについてを語る。生憎と今はこんな有様だけど。

 それを未春は感情豊かに聞いてくれた。幼さ故か、とても純粋でいい子だった。

 デジタルワールドの現状を悲しんでくれた。

 自分で良ければ喜んで協力すると言ってくれた。

 ただ、そこに「自身の命が危険に晒され得る」事への自覚は無かった。──当然だ。こんな幼い子に、どう覚悟を決めろと言うのか。

 実際、他の子供達は既に危険に身を置いているだろう。パートナーとなった者同士、なるべく物理距離が近い方がデジモンへの影響も大きいと聞く。

 けれど兄弟達は、何処へ行くにも決して、未春を外に連れ出そうとしなかった。

 降りかかる危険を憂慮したのだろう。数少ない安全圏、深海神殿に彼女を置くことに決めたのだ。

 もちろん一人で留守電はさせない。きちんと警備、もとい子守り付きだ。

「──ミィちゃん、またお留守番?」

 その重役を任されたのが誰かは、言うまでもない。

「そー。戦力外通知です。過保護なお兄ちゃんお姉ちゃんズが、あの黒いのには触るなって」

 そんなオニイサマの一人はウイルス種だが、逃げ足が速いのでお許しが出ています。実に不服です。

「じゃあ、私と一緒にかけっこ練習しようよ! 足はやくなるよ!」

「大事なのはフォームと効率だぜミハルちゃん。■■■■兄が帰ってきたら教えてもらおうね。ガッコーだっけ? 走る競技があるんでしょ?」

「体育すきじゃないー。学校もすきじゃないー。ミィちゃんたちと遊んでる方が好き!」

「あらやだトーコーキョヒ! 人間は大変だねえ」

「いやだなー、あと四年も行かなきゃいけないなんて。デジモンはいいなあ」

 そうだろう、そうだろう。アタシも勉学は嫌いなので、学舎通いを強制されない世界なのはラッキーこの上ない。そういうのはアウルモンやネプトゥーンみたいな奴らが頑張れば良いのだ。

 でもその代わり、ここでは力が全てなんだけどね!!

「ミハルは幼年期かなあ。デジモンで言ったら」

「えー、私もう八歳だよ! もっとお姉さんだよー」

「はいはい」

 ……未春の子守りは楽しかった。

 ずっと末妹扱いされてた自分に、下の兄弟ができたみたいで。ああ、なんでも背伸びをしたがる“幼年期”の可愛いこと。見ていて頬が緩んでしまう。

「そういえばミィちゃんたちって、兄妹なのに全然、似てないよねー」

「そりゃあ、血の繋がりなんてないからねぇ」

「けど、家族なんだよね?」

「そうだよ。デジモンは自由だから、誓い合うだけ家族になれる。要は心の問題だ」

 それにアンタの両親だって、元は他人なんでしょ?

 そう言うと未春は目を丸くして「知らなかった!」と声を上げた。むしろなんでアタシが知ってるんだ。

「じゃあ、私も家族になれる?」

「もちろん。ミハルもアタシ達の家族だよ。兄さん達はとっくにそのつもりだ」

 家族にも友達にも会えない日々は、きっと心細いだろう。

 だから、せめてアタシ達が。この世界では、この子の家族になろうと決めたんだ。

◆ ◆ ◆

「────やあ、ミネルヴァモン。その子が例の?」

 未春がメンバー入りしてからしばらく、アウルモンが久しぶりに神殿へ顔を見せに来た。

 いつものようにアタシの左腕に止まると、きょとんとする末春に向けて首を回す。

「フクロウさん?」

「ボクはアウルモン。ミネルヴァモンのお友達だよ」

「じゃあ、私ともお友達だね!」

 アウルモンは未春に撫でられ弄られ抱き上げられる。もみくちゃにされる様子があまりに滑稽で、笑い声を我慢できなかった。

「あーあ、もっと早く来てくれたら、フクロウさんも一緒にお写真とれたのに!」

「写真?」

「この前とってもらったんだよ!」

 未春は嬉しそうに、写真立てを持って来て見せる。

 そこには未春と、アタシ達オリンポス十二神の集合写真が収められていた。せっかくだからとネプトゥーンモンが提案したのだ。

「次は一緒に写ろーね。ネプちんに頼んであげる!」

「それは楽しみだ。……あ、神殿の中で撮ったんだね。まあ、外は今危ないし仕方ないのか」

「やっぱりお外って危ないの? いつも出ちゃダメって言われるの」

「なら、キミはいつも此処に?」

「うん。ミィちゃんとね、皆が帰ってくるの待ってるんだー」

「……へえ。ミィちゃん……ぷっ」

「ミハル喜べ! 今日のディナーは焼き鳥と唐揚げだ!」

「だめだよお腹壊しちゃうからね。……ミハル、オリンポスの皆は優しい?」

「みんな優しくて大好き! ミィちゃんいつも一緒にいてくれるし……。

 ……あれ? そういえばアナちゃんとマルくんは? 今日は一緒にお留守番するって……」

 未春は不思議そうに神殿を見回して、二人はどこ? と聞いてくる。

「二人はお出かけ。大事な用事です」

「えーっ、二人と遊ぶの楽しみにしてたのにー」

「ドンマイ、それは次回におあずけだ! 上手くいったらミハル、今度は空の神殿に行けるからね。ディアナモンの月の神殿はとっても綺麗なんだよ」

「ほんと!?」

 二人がいない寂しさは何処へやら、未春は星のように目を輝かせた。

「楽しみだねえ! 早く帰ってこないかなあ」

 海しか見えない窓を見上げて、空想の月夜を思い浮かべる。そんな未春に気付かれないよう、アウルモンがそっと耳打ちをしてきた。

「……ミネルヴァモン。事情は知らないけど、何かするなら二人だけじゃない方がいい。それこそ六柱、全員でやるべきだ」

 心配するアウルモンに対して、アタシは「大袈裟な」だなんて肩をすくめて、

「仮にも究極体のオリンポス神だよ? それが二人もいるんだから。それに危なくなったら切り上げてくるって」

 ────今、思えば。

 あの時、自分は何て事を口にしたのだろう。アウルモンの警告を受け入れて、すぐにでも仲間を呼んでいれば──。

 結局、夜になっても二人は帰ってこなかった。

 月の神殿から救難信号が送られてきたのは、兄弟達が彼らを探しに向かおうとした矢先の事だった。

◆ ◆ ◆

 救難信号の発信者はマルスモンだった。

 黒い水によって進化した究極体と交戦。対処しきれなくなり、ようやくの連絡。ディアナモンが戦闘不能になったとの事だ。

 一同、顔が真っ青になる。

 兄達はすぐに月の神殿へと発とうとして──その背中を追うように、アタシは咄嗟に声を上げた。

「待ってよ!!」

 兄達はどうして咎めないのだろう。二人と一緒に神殿で待つ筈だったアタシに、どうして叱咤ひとつ浴びせなかったのだろう。

 理由は明白だ。そんな余裕すらない程、事態は逼迫していたのだ。

「アタシも行く! ……行かせてくれ!」

 だが、せめて責任は果たさなければ。二人の行為を黙認して、彼らに伝えなかったのは自分だ。

 今この瞬間だけは────のうのうと神殿で待つなんて、出来るわけがない。

「──もちろんだ、僕達と来てくれ。君の力も必要になる」

「ネプトゥーンモンはミハルを頼む。ミネルヴァは俺達と。俺とネプトゥーンモンの加護は、もう二人にかけてあるから……」

「だが、ウイルス種の兄弟達よ。夜の月の神殿には太陽も水源も無い。私達の加護は合わせても二時間しかお前達を守ってくれない。くれぐれも時間には気を付けなさい。

 ヴァルキリモン、君も同行を。いざという時は……」

「分かってますネプトゥーン殿。少なくとも彼女だけは守り抜く」

 月の神殿までは遠い。

 加護というタイムリミットを抱えたアタシは、脚の速い兄──彼も同じ条件だが──に背負われ、先行する事になった。

「全力で走るよ。ミネルヴァモン、振り落とされるな!」

 ────そしてアタシ達は、毒にまみれた夜を駆ける。

 ようやく世界の惨状を知る。宵闇に溶ける黒い泉をいくつも目にする。

 それを気に留める間もなく景色は過ぎて────走って、走って。

 やがて俊神たる兄の脚は、月の神殿を目視できる距離まで辿り着いた。

 神殿はとっくに溶けていて、そこにはマルスモン達でも敵わなかったらしい──毒によって肥大化したデジモンの影が見えた。こんなに離れた場所からも、はっきりと。

「──僕が囮になって引き付ける。ミネルヴァモンはその間に二人を探して!」

「わかった!」

 幸い、俊足の彼は逃げ足もまた速い。他の兄達とヴァルキリモンが来るまで時間を稼ぐつもりだ。言われた通り兄と別れ、マルスモンとディアナモンを探す。

 周囲には黒い水溜まり。溶解した命の痕跡が散らばる。

 二人の名前を呼んだ。瓦礫をひっくり返して、そこにいない事に安堵して、周囲を探し回った。

 毒のプールに足を突っ込む。兄達の加護が守ってくれる。何も怖くない。

 怖いのはただ、自分の最悪の予感が当たってしまう事だけだ。

「──! ヴァルキリモン……兄さん達も……! よし、これで……!」

 仲間が追いついた事を察し、再び捜索を開始する。直後、周囲には戦闘による轟音が響き始めた。

 その音に負けないよう大声を上げる。名前を呼ぶ。何度も繰り返す。

 気付けば空の暗雲が流れ、隙間から僅かに月明かりが差し込んだ。

 煌々と、黒い大地を照らす。導くように、ある一点を示すように────

「……ディアナモン……?」

 そこには、

 ディアナモンが、

「────姉さん」

 既に分解が始まっている、彼女が、転がっていた。

 持っていた大剣が、音を立てて地面に落ちた。叫びながら一心不乱に駆け寄った。

 ディアナモンを抱き上げる。彼女はアタシの顔を見ると、懸命に口を開いて、動かして、

「……ミ……ネ、ルヴァ……」

「待って、お願い待って、ねえ、今ミハル達が……■■■モンが来るから、待って」

「……にいさま……」

「そうだよ! 今すぐ来てくれる!! だから……!」

「……、……」

 そして

「……────みんな」

 耳元で、最期に、はっきりと。

「だいすきよ」

 掠れた声でそう、零した直後────ディアナモンは散った。

 さっきまで彼女だった光の粒子は、月の光と混ざって、分からなくなってしまって。

 それを見ながらアタシは、「アタシも大好きだよ」って、言いたかったのに。

 言えなかった。

「────」

 後悔と喪失感が胸を潰す。

 涙ひとつ、流せないまま。

 ────そして、後にアタシはネプトゥーンモンから聞かされる。

 マルスモンもまた、間に合わなかったのだと。

 兄達とヴァルキリモンが戦う中、ネプトゥーンモンと未春は瓦礫の下にマルスモンを発見した。分解こそしていなかったものの、その損傷は凄まじく──もう手の施しようがなかったそうだ。 

「……その声……ネプトゥーンモンか?」

 未春は彼を治そうとした。パートナーとしての繋がりを持つのはネプトゥーンモンだけなのに、未春は必死に彼の傷に手を当てて、治そうとしたのだ。

「マルくん、もう治るからね、痛くなくなるからね……!」

「……ミハル。か。こんな、危ない所にまで」

 神殿から出しては駄目じゃないかと、マルスモンはネプトゥーンモンを叱って──

「……そこに、いるのは……デジモンは、お前だけだな」

「ああ。皆、あの汚染デジモンと戦っている。……問題ないよ。大丈夫だ、ディアナモンだって」

「彼女には……悪い事を……」

「謝罪なら後で聞く。だから早く、早く私のデータを取り込め、何をしている」

「ネプトゥーンモン」

 彼は、気付いていたのだろう。肉体の形状を保ちながらも、自身のデジコアは既に崩壊し始めていた事を。空っぽの核にデータを取り込んだ所で、意味が無い事を。

「選んでくれ。この命をお前に託すか、世界に還すか」

 だからこそ選択を迫った。

 飛散するデータを、ネプトゥーンモンが取り込むのなら────まだ、間に合うから。

「……マルスモン……」

「そ、そんなこと、言わないで……大丈夫だよ……! ねえ、そうだよねネプちん! 今、マルくん治してるんでしょ!?」

 ロードすれば、彼のデータはネプトゥーンモンの中で生き続けるだろう。何よりネプトゥーンモンが強化される。毒に打ち勝つ可能性が上がる。

 けれど────

「────お前の命は大地に還り……いつか再び、我等と共に歩む日を」

「……承知した。後は、頼んだぞ」

 彼の選択を、マルスモンは笑顔で受け入れた。

「…………ネプトゥーンモン。此処は寒いな。……すまない。少しだけ、手を……」

 言い終えるより前に、ネプトゥーンモンは彼の手を握り締める。

 マルスモンは、穏やかに散っていったそうだ。

◆ ◆ ◆

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組実(くみ)
2020年11月1日

◆ ◆ ◆

 月の神殿での一件から、ある程度の月日が経過する。

 アタシは今日もお留守番。子守をしながらお留守番。

 泣いてばかりだった未春も、最近ようやく笑顔を見せるようになってきた。

「姉さん達はいなくなっちゃったけど、また会えるから、悲しまなくていいんだよ」

 未春にはそう話したが──実際、二人はあの場でデジタマを生成しなかった。

 だから、同じ個体として発生する事はもう無いのに。「人間と違ってデジモンの命は繰り返すから、二人はちゃんと生まれ変わって会いに来るよ」なんて言っていたのだ。

 嘘ばっかり。でも、薄情なアタシは涙ひとつ見せないから、きっと説得力があったのだろう。

「いつになったら戻って来るかなあ」

 未春は信じて、そんな事を言い出すようになっていた。

 一方、ネプトゥーンモンはひどく傷心し、塞ぎがちになってしまった。

 他の二人の兄も、毎日がむしゃらに戦いに出てはボロボロになって帰ってくる。……どこか、自棄になっているようにも見えた。

 こんな事なら。こんな事になるなら。

 どうして──アタシは此処にいるのだろう。

「ごめんなさい」

 傷を癒した直後、再び戦地へ向かう兄の背に、懺悔する。

「────どうしたんだい、急に」

 振り向いた兄は、穏やかに笑ってくれていた。

「生きてるのが、アタシでごめんなさい。■■■モン、あなたの妹はディアナモンだったのに」

「……、……ミネルヴァモン」

「アタシの所為なんだ。アタシが……知ってたのに、何もしなかったから」

 優しい彼はやっぱり、アタシを責めはしなかった。

 それどころかアタシを抱き寄せて、震える声で

「そんなこと、言わせてごめんな」

 どうして彼が謝るのか、分からなかった。

「ごめんな……」

 やめて。言わないで。

 どうせなら張り飛ばして、思い切り叱ってくれたら良かったのに。

 もう一人の兄もまた、戦っては傷を癒して、纏う加護が続く限り無茶を繰り返す。

 彼はウイルス種だから、脚が速くたって危ないのに。

 今日も彼は外の浄化に向かおうとしていた。

 そんな背中に、少しだけ冗談交じりに声を掛ける。

「雨合羽でも作ろうか?」

 もしくは傘でもいい。そうしたら、少しでも安心だろうから。

「アウルモンの羽をむしって作ってあげるよ」

「はは。そんな事したら彼が泣いちゃうよ。……大丈夫、すぐに戻る。僕には時間制限があるからね」

 この兄もまた、頑張って作った笑顔を向けてくれるのだ。

「ところで、ネプトゥーンモンはまだ部屋に?」

「……うん。塞ぎこんでる」

「…………無理もないか」

 すると兄は踵を返して、石柱の側に腰を掛けた。 

「これまで……領地のデジモン達が、死んでいくのが悲しかった。……でも……、……家族が死ぬのは、こんなに苦しかったんだな」

 そう言って、両手で顔を覆う。

「ああ、嫌だな」

 指の隙間から声が漏れた。

「大切な誰かを失くすのは、もう嫌だ」

 そんな彼に、アタシは、どう声をかけたらいいか分からなくて。

 けれどアタシが謝れば、むしろ彼を傷つける事は分かっていたから。

「兄さん達が泣いてるのを、見るのは辛い」

 それしか、言えなかった。

「ミネルヴァ。……お前は、最後まで笑っているんだよ」

 愛情深い大きな手が、アタシの頭を撫でる。

 アタシは「もちろん」と答えた。意地でもそうするよと言うと、兄は、少しだけいつもの笑顔を見せてくれた。

◆ ◆ ◆

 それから、更に月日が経過する。

 未春がデジタルワールドに来てから、どれほど時間が過ぎただろう。

 もう、それさえ曖昧だ。数か月……半年、それとも一年だろうか?

 けれど残念ながら、それだけ経っても世界の情勢は改善していない。

 天使を含む他の勢力も、もうだいぶ疲弊してきているらしい。

 彼らもご愁傷様だ。わざわざ子供まで誘拐してきて──本当ならもっと早くに解決している予定だったろうに、

 他の子供達の様子は知らない。……生きているといいのだけど。

 聞くところによれば、子供達の年齢に大きな幅はないとの事。つまり未春と同様、リアルワールドでは学び舎に通う幼子の筈だ。

 大丈夫なのだろうか? ──と。アタシ達はここでようやく、漠然とした懸念を抱き始めていた。

 この世界に誘拐されてから、未春は一度もリアルワールドに帰っていない。

 人間としての教育を受けられていない。何より、家族と会えていないのだ。

 勉強に関しては、籠りがちなネプトゥーンモンが勉学を教える形でなんとかフォローできている。しかし後者はどうにもならない。

 リアルワールドでの彼女の扱いはどうなっているのだろう。

 この子がいなくなって、本当の家族は心配しているだろうに。

「そういえば、デジタルワールドとリアルワールドじゃ時間の流れが違うらしいよ」

 ある日。アウルモンが、そんな情報を仕入れてきた。

「こっちの方が十倍は速いらしい。もっとも毒のせいでデジタルワールド自体が歪んでるから、そのうち変わってくるかもしれないけど」

「……じゃあ実際、ミハルはリアルワールドだと、一ヶ月くらいしか姿を消してないって事になるんだね」

「一ヶ月『しか』、じゃない。ミネルヴァモン、一ヶ月『も』だ。あんな小さな子がそんなに行方知れずだなんて……きっと事件になってるよ」

 それ以上に──と。アウルモンは「ある事」について、何より危惧しているようだった。

「そもそも、人間がこんな長い期間デジタルワールドにいて、身体に影響とか無いのかな」

 ────電脳空間に、血と肉で構成された生き物が暮らす事。

 考えてもみなかったが、確かにそうだ。

 だが──その「何かしらの影響」を調べる為の知識も、技術も、手段も、アタシ達は持ち合わせていない。

 アタシ達は怖くなった。

 未春はずっと安全圏に隔離している。けれどこの世界にいる以上、この先何も起きないなんて保証はない。アウルモンが言ったように、外傷以外の要因が彼女を傷付ける可能性だってある。

 この子は、生きて帰してあげなければ。

 この子が無事なうちに、リアルワールドに帰してあげなければ。

 ──そして、後日。

 オリンポス十二神は、とある一つの決断を下す。

◆ ◆ ◆

「ミィちゃん。今日もお留守番だね」

「留守電だねー」

「今日は皆、無事に帰ってきてくれるかなあ」

「もうとっくにボロボロだからねえ。……本当、アタシにも手伝わせてくれればいいのに」

「でも、ミィちゃんが怪我するのはやだよ」

「……ありがとう」

 俯く未春の頭を撫でる。

 ああ、未春はいい子だね。優しい子だね。アタシ達は、君の事が大好きなんだ。

「ねえ、ミハル。兄さん達と話したんだけど」

 ────生きていて欲しい。

「そろそろ、おうちに帰ろっか。って」

 けれどこの言葉が──彼女を傷付けてしまう事は、分かっていて。

 だからこそ、その役割はアタシが一番相応しいのだ。

「……私、もう家族じゃないの?」

 ほら、今にも泣きそうな顔を浮かべている。

「家族だよ。アタシ達はずっと家族。皆ミハルのことが大好きだ」

「だったら、なんでそんなこと言うの……?」

「でもねミハル。デジタルワールドにキミがいつ来たのか、誰も分からないくらい……ここで長い時間が経ったの。キミには本当の家族もいるだろうし……」

「そんなのいない……帰ったって家族なんていない! つまらない『シセツ』に戻るだけ! 私は皆と一緒にいたいよ、私の家族は皆なんだよ……!」

「……っ……それにリアルワールドには、ミハルがこれから歩んでいく未来がある。このままデジタルワールドに居続けるわけにはいかないんだ。

 アタシ達はミハルが大好きだから……元気に帰って、人間の世界で人間として、幸せに生きていって欲しいんだよ……!」

 それは彼女を帰すための口実ではない。アタシ達全員の、紛れもない本心だった。

「でも!! ……ねえ、私……デジタルワールドを助けるために、連れてこられたんでしょ……?」

 天使達が、アタシ達が、身勝手に負わせた下らない“使命”。

 そんなもの投げ捨てて、自分の命を大事にすればいいのに。

「私がいなくなったら、ミィちゃんたち、どうなっちゃうの」

 けれど彼女にとって、それを放棄するという事は──デジタルワールドを、デジモンを、アタシ達を見捨てる事。見殺しにする事とイコールだったのだ。

「アタシ達は」

 そんな選択、この子に出来るわけがないのにね。

「いつか、会いに行くから」

「……嘘」

 だからアタシは──この子の腕を引っ張ってでも、連れて行かなきゃいけない。

「私、帰らない。ずっと皆といるの! 帰れなんて言わないでよ!」

「ミハル……!」

 泣き喚く未春の腕を掴もうとする。

 だが、未春は振り払った。力でアタシに敵う筈がないのに、振り払って、目を真っ赤にさせて、

「どうしたら幸せかなんて、そんなの私が決めるんだから!」

 ────そう叫んで、走って行ってしまった。

「……ミハル……」

 小さな声で、呼んでみるけれど。

「ごめん……」

 あの子には届かない。

 アタシは震える手を握る。

 ──振り払われるのも当然だ。掌には力なんて、これっぽっちも入らなかった。

◆ ◆ ◆

「失敗した」

 外で待っていたネプトゥーンに、そう声をかける。

 彼は予想していたのか、短く「そうか」とだけ答えた。……本当ならこのまま、未春を連れて天使の元へ向かう筈だったのだ。

「すまない。嫌な役をさせて」

 兄が謝る事ではない。自分がやるべきだと思っただけだ。──結果はご覧の通りだが。

「……兄さん達……先に聖堂、行っちゃってるから……」

「呼び戻してくる。きっとまだ道中だろう」

「帰ったらミハルをフォローしてあげて。部屋に篭っちゃってるんだ」

「……、……ああ」

 もう一度、今度は全員で話し合おう。

 不器用すぎる兄は、それだけ言い残して去っていった。

「────」

 哀愁漂う背中を、ひとり見つめる。

「……うまくいかないなあ」

 何もかもが空回り。何もかもがアタシのせいで。

 自由気儘に外を駆け回っていた、懐かしい時間と自分は何処へやら。

 そんな自己嫌悪に溺れていく。

 冷たい石のテーブルに突っ伏して──それはもう、長いこと。

 ────気付けば、いつの間にか眠ってしまっていた。

「──、──……! ──!!」

 どのくらい眠っていたのだろう。

 うなされるアタシを睡眠から引き摺り下ろしたのは、ヴァルキリモンの声だった。

「…………ん、何……」

「ミネルヴァモン!! よかった……!」

 彼にしては珍しい、大きな声が神殿に響く。アタシは中途半端な覚醒に頭痛を覚えながら、彼に不機嫌を振り撒いた。

「無事だね!? 何も起きてない!?」

「……何の事かさっぱりですけど。絶賛ネガティブ中なので放っておいて──」

 顔を上げて、目を疑う。

「……ヴァルキリモン。どうしたの、怪我……」

「ボクの事はいい! それよりミハルは!? 一緒じゃないのか!?」

「ミハルなら自分の部屋に……」

 それだけ聞くと、ヴァルキリモンは直ぐに部屋へと向かう。彼のいた場所に、白の羽がいくつも舞った。

「ヴァルキリモン……ちょっと、アウル!」

 追いかける。あの子の部屋の前で、ヴァルキリモンは大声で名前を呼んでいる。

 内側から鍵がかけられているのだろう。回らない取っ手がガチャガチャと音を立てた。

「ミハル、ボクだよ!」

「ま、待って。ミハル、部屋から出てこないんだ。アタシが……」

「──!! ……開けるよ!」

 制止する間もなく、ヴァルキリモンは剣を抜く。蝶番を破壊し、そのまま抉じ開けた。

「ミハル!!」

 名前を呼ぶ。

 花で飾られた部屋の中、彼の声だけが空しく響いた。

◆ ◆ ◆

 アタシの中で。

 動揺や焦燥といった感情よりも先に、疑問が生まれた。

 どうしてだろう。いる筈の、あの子がいない。

「……! 遅かったか……!」

 隣で壁を叩く音が聞こえた。どうでもよかった。

「ミハル、どこ行ったの」

 扉の鍵をかけたまま、いつの間に抜け出したのだろう。

「ミハル」

 神殿を散歩してるのだろうか。かくれんぼだろうか。

 ────もしかして、神殿の外まで出てしまった?

 いいや、出ていない筈だ。出られない筈だ。ネプトゥーンモンがいなければ、海中の壁があの子を阻むのだから。

「大変、きっと迷子になってる」

 大丈夫。

 胸の中は酷く、ざわつくけれど。

「探してあげなきゃ」

 なのに────踵を返すアタシの腕を、ヴァルキリモンは掴んで止めるのだ。

「ねえ、一緒に探してくれないの?」

「……いないんだ」

「誰かを探すの、得意でしょ?」

「子供達がいないんだよ!」

 また大声。……嫌になる。いつもの声でもちゃんと聞こえるよ。

 けれどヴァルキリモンは──彼にしてはやっぱり珍しい剣幕で──アタシに告げるのだ。

 選ばれし子供達が、忽然と姿を消しているのだと。

「────は、」

 訳が分からなくて、思わず笑いそうになった。

 けれど、彼がそんな冗談を口走るような奴じゃない事くらい、知っているんだ。

「天使達の……パートナーも消えた! 目を離した間にいなくなった! 他の勢力の子供達だって……!」

 彼はただ、忠告しに来てくれたのだろう。

 そんな、信じられない事態を。受け入れられないような現実を。

 いち早く知ったから、心配して駆けつけてくれたのだ。

「……セラフィモン達は……何も知らなかった。誰も、あの子達が何処に行ったか知らなかった! それに他のデジモン……“その時”に子供達と一緒にいたデジモン達も、揃って姿を消してる。だからボクは……!」

 理解できるのに。受け入れられない。

 だって、そうだろう?

「これから、リアルワールドへ、あの子を」

 あと少しだったんだ。

 あと少しだったのに。

「……、……ミハル」

 誰もいない廊下に向けて、名前を呼んだ。

「出ておいで、ミハル」

 お願い。もうあんな事、言わないから。

「ミハル……、……」

 ────お願いだから。

 でも、いない。未春がいない。

 何度も何度も、神殿中を探し回ったのに、気配ひとつ感じられなかった。

「……あの子はもう、此処にはいないよ」

「だったら外だ。外に探しに行こう」

「駄目だ。外は今、雨が降ってるから」

「────雨って」

「キミが加護も無しに外に出たら、間違いなく汚染される」

「……そんなに危ないのに……何で、ミハルは……」

「あの子の意思じゃないんだ。他の子供達だって。きっと誰かが──……」

「こんな海の底に来て拐ったって……? 兄さんの結界を破って乗り込んで来たって!? あり得ない!! そもそも神殿には誰も──……」

 ────来なかった。

「……誰も……」

 本当に?

「…………あ」

 だってアタシは、起きてすらいなかったじゃないか。

 アタシは、ただ呑気に、

「……──また……アタシのせい……」

 あんな事を言わなければ。

 ずっと側にいてあげれば。

 眠ってさえ、いなければ。

 また、アタシは。アタシが────家族を

「違う! そうじゃない、キミのせいじゃない! 落ち着いて──」

「────ミネルヴァモン! ヴァルキリモン!」

 その時だった。

 俊神たる兄が、血相を変えて道中から戻ってきたのだ。

「大変だ、外の毒が……! ……二人共どうしたんだ!?」

 錯乱するアタシを押さえ込みながら、ヴァルキリモンは兄に事情を話す。──その時の会話は、よく覚えていない。

 すぐに他の兄達も戻って来て、即座に話し合いが設けられた。子供達の失踪の件は、ネプトゥーンモンが既に道中で耳にしていたようだった。

「……私の結界に、何かが細工されたような痕跡は無かった。突破したのではない、恐らく転移の権能だろう」

 その時点で、究極体以上のデジモンによる行為だと推測する。

 手口も単純明解、だからこそ厄介だった。──そもそも誘拐なんて真似をする目的が分からない。子供達の力が必要だったなら、交渉してくればいいものを。

「最初から……僕達の理解を得られないと分かってたんだ。だからこんな事を!」

「──今すぐ行こう。ミハルを探しに行こう。アタシも、行くから」

「駄目だ!! ……俺とネプトゥーンモンの加護は切れたばかりだ。この雨の中、お前達が外に出るのは自殺行為でしかない!」

「────ッ……! 再起動まで何分だ!」

「五時間はかかる! それに……もう日没だ。俺の加護は日中じゃないと持続しないし、水源から離れる可能性だってある。……ディアナ達の時とは違うんだ。世界中を探し回るなら……せめて夜明けまで待つべきだ!」

 駄目だ、そんなの。そんな悠長に待ってられない。

「早くしなきゃミハルが……!!」

「……待ってミネルヴァ、何か聞こえる。……通信だ。ネプトゥーンモン殿、外から通信が!」

 一瞬だけ、誰もが期待した。もしかしたら未春が助けを求めているかもしれないと。

 だが──

『────、……えん……救援を……!!

 だ──か、助け──、毒が──、──、──ぉ──、────ァア!!』

 助けを求める声は、外の、残された領地のデジモンのものだった。

 ────外は、やはり大雨らしい。毒の雨が突然、土砂降りのように注いでいる。

「……私と■■■モンはミハルを探しつつ領地へ向かう。二人は待機だ!」

「!? ミハルは……最優先じゃないって言うの……!?」

「そんなわけないだろう! だが……助けを求める地上のデジモンも救わなければ! それが私の、オリンポス十二神としての責務なのだから……!」

「……っ……!!」

「……すまない。……夜明けまでには必ず、一度戻る」

 何も、言い返す事が出来なかった

 飛び出していく二人の背中が。どんどん、小さくなっていく。

 それと同じように、心も萎んでいくような気持になった。

「……朝まで神殿の警備はボクが。貴方達はその間に備えた方が良い」

「…………ありがとう。僕も……少し、助かる。ミネルヴァは──」

「部屋に行く」

 未春の部屋に。何か、手掛かりになるものが残っていないか探す為に。

 唇を噛み締めて、震える膝を自分で殴って、共に残った二人へ背を向けた。

 すると

「ミネルヴァモン」

 兄に呼び止められる。

「大丈夫か?」

 そう、問われた。

 何も大丈夫じゃないと思った。きっと彼も分かっていた筈だ。

 だが──それでも案じずにはいられない程、アタシの顔は惨めだったのだろう。

 アタシは笑えなかった。

 片手を振って応える事もできなくて、そのまま背を向けて部屋へと向かった。

◆ ◆ ◆

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組実(くみ)
2020年11月1日

◆ ◆ ◆

 ああ──だからさ、あの時。

 アタシが無理にでも笑って、「大丈夫」って言っておけば、よかったんだよ。

 なのにあんな醜態を見せて。情に深い兄が、それを聞いた優しい兄が、心配しない筈がなかった。

 夜明けになって戻ってみれば、この様だ。

 神殿にいたのはアタシとヴァルキリモン、そしてネプトゥーンモンの三人だけ。二人の兄は、一足先に発ってしまっていた。

 ──それを知ったアタシは、番をしていたヴァルキリモンに掴み掛かる。

 だってお前、あの二人を見す見す行かせたって事だろう?

「ごめんね。でも、頼まれたから」

「……ッ!! ────ネプトゥーンモン!!」

 怒りで揺れる視界の端では、同じく加担したであろうネプトゥーンモンが俯いていた。

「どうして二人だけで行かせた!? どうして……わざわざアタシに悟られないように……!!」

 理由や経緯はどうあれ、アタシを激昂させるには十分な事実。兄達の加護を得られなければ、アタシは戦えないのに。

「……ねえ、まさか……またアタシだけ残れって? いつもみたいに此処で待ってろって言いたいの!?」

「……──」

「ディアナモンとマルスモンが死んだのも! ミハルが消えたのもアタシのせいだ!! なのにアタシは罪滅ぼしをする事さえ許されない!!」

「ミネルヴァモン、それは……」

 ──感情が溢れていく。言葉が、止まらない。

「それとも家族ごっこが過ぎて皆、アタシが成長期か成熟期にでも見えてたわけ!? ミハルと同じ庇護対象だった!? もしそうなら──」

 違う、違う。こんな事が言いたいんじゃないのに。

「──舐めるなよネプトゥーンモン。望むならお前のキングスバイトと我が大剣オリンピア、今この場で交えてみせようか!!」

 アタシは────その時ネプトゥーンモンが見せた顔を、忘れる事はないだろう。

「…………ミネルヴァモン……」

 ネプトゥーンモンは槍を構えるどころか、両手を上げて敵意の無さを訴えていた。

 大きな両手はアタシの肩をそっと掴む。その手も、低い声も──ひどく震えていた。

「……太陽の加護は、陽が昇れば自動的に付与される。……筈だ。お前達を死なせない為に、あいつは此処に宿していったよ。

 お前は……私がお前の尊厳を傷付けていた事を、許さなくてもいい。だが、お願いだ。これだけは」

 どうか生きていてくれ。

 生きて帰って来てくれ。

 どうか、どうか。

「……」

 それは、ネプトゥーンモンの心からの懇願。

 先に発った二人にも、同じ言葉をかけたのだろうか。かける事が、できたのだろうか。

「──もうすぐ日出だ。太陽の加護がキミに宿る。ミネルヴァモン、そろそろ海を上がらないと」

「……。……お前はアタシと来て。ミハルと二人を連れて帰るよ」

 振りほどくように、ネプトゥーンモンの手から離れていく。

 共に向かう選択肢をはね除けて、彼だけを置いて去ろうとする。

 アタシは、

「ごめんね兄さん」

 その、一言だけ。

 なんとか絞り出したけれど、他には何一つ、伝える事ができなかった。

◆ ◆ ◆

 雨が降る。

 世界に、雨が降る。

 美しい景色。

 おぞましい景色。

 命が溶けていく光景。

「ヴァルキリモン! こっちは全滅だ、次に行く!」

 降り注ぐ雨の中。鎧のように加護を纏って、情報を得る為だけに駆け巡り──背中に投げ掛けられる声さえ見捨てて走った。

 太陽の加護は続いても半日。それが役目を終え、海の加護へと切り替わった瞬間──ウイルス種たる自分は退避を開始しなければならない。

 こんな雨の中で加護が切れたら終わりだ。時間も捜索可能範囲も、あまりに限られている。

 だからこそ的は絞った。捜索対象はあくまで、人間とパートナーになった究極体──彼らが所属していたコミュニティに限定した。そうすれば、何かしらの情報が得られると踏んでいたのだ。

「──次、次だ! 誰か生きてそうな場所……!」

 だが──どいつもこいつも既に亡く、究極体という柱を失った集団は悉く毒に飲まれていた。

 あらゆるものが溶解して平らになった大地、人影を探すのは、それはもう楽だったとも。

 辛うじて息のあるデジモンを見つけては話を聞く。が──そもそも何も知らないか、「気付かぬうちに姿を消した」と言うばかり。何の役にも立ちはしない。

 時間がない。

 焦燥感に潰されそうになる。時間がない、あまりに足りない。

 どうして、デジタルワールドはあんなにも命で溢れかえっていたのに。

 どうして皆生きていないんだ。どうして誰も知らないんだ。世界を救うなんて名目で奔走する羽目になった、可哀想な子供達を。どうして誰も────アタシは、守ってやれなかったのだろう。

「行き先を変えようミネルヴァモン! 大聖堂に向かう!」

「!? でも……天使達は何も知らないって……!」

「違う、彼らのデータを分けてもらう! 少しでもキミが動けるように!」

 時間を忘れて駆け回るアタシに対し、ヴァルキリモンはしきりに加護の起動時間を気にしていた。──当然と言えば当然だ、直接毒を浴びれば、アタシは尤も厄介な「究極体の汚染個体」と成り果てる。そこから先は言わずもがな、只々地獄が待ってるだけだろう。

 ヴァルキリモンはアタシを抱えて飛び上がり、聖堂都市へと方向を転換する。

 空に上がっても尚、立ち込める毒のにおいが鼻を突いた。動きを止めると集中力が切れ、一気に嘔気が押し寄せる。彼の胸に嘔吐しそうになるのを必死に堪えて────ぼやけた思考を、気合で回転させていく。

「……っ……」

 考えろ、休むな、考えろ。

 三大天使。天使の軍団。聖なる都市に、天まで聳える大きな聖堂。アタシみたいなウイルス種はお呼びじゃない、あんなに神聖でありがたい場所でさえ子供達を守れなかった。

 天使の結界も海神の結界も、意味を成さない転移の能力。

 ああ、あまりにチートすぎる。ルール違反じゃないか。卑怯じゃないか。……そんな力があれば、今すぐだってミハルの所まで行けるのに。

 けれど──そんな大層な力なんて、きっと、神様のお許しでもなければ手に入らないのだ。

「──……あれ?」

 ふと、自分の思考に疑問を抱く。

「神様」

 そう、神様。

 アタシは────思い出す。以前、神殿でアウルモンに聞かされた話を。

 毒で塗られていく世界。

 そんな世界を救おうと、数ある勢力が敵味方の垣根を越えてまで挑む中──未だ目立った動きを見せていない奴らが、いただろう。

 どれだけ三大天使が救援要請を出しても、静観を決め込んでいた彼らが。

「……ロイヤルナイツ……」

 デジタルワールドを運営する、創生者の騎士達。それはそれは偉大で、強大な。

 頭の中に雷が落ちるような錯覚をした。

 身体の中に衝撃が走り、衝動が響いた。

 どうして気付かなかったのだろう。今この時まで、浮かばなかったのだろう。例えこじつけであったとしても────子供達の失踪が彼らに由るものだとすれば、あらゆる辻褄が合ってしまうのに。

 各地に構えられた結界を容易に越える力だって。それぞれ究極体に守られていただろう子供達を、襲うような力だって。

 ロイヤルナイツなら、「ああそうか」と納得できてしまうじゃないか。

 ────それはきっと、アタシの人生における最初で最後の名推理。

「行ってみるかい、ミネルヴァモン」

 ヴァルキリモンは、信じてくれた。

「聖堂よりももっと高い、空の上だ。辿り着く前にキミの加護が切れる」

「……世界で一番、特別な場所なんでしょ? きっと毒だって枯れてるよ」

「根拠は?」

「第六感」

「ああ……なら、きっと確かだろうね」

 現実問題、アタシ達にはもう他に選択肢が無かった。

 地上を駆ける時間が残されていないなら、ようやく掴んだ可能性に賭けるしかない。それが、無謀だったとしても。

「でも──……もしアタシが毒になったら、その時はすぐ落としてね。悪いけど、そこから先はお前に託すよ」

「検討だけしておくさ、相棒」

 ヴァルキリモンは、アタシ共々その高度を上げていく。

 天使達の領域よりも遥か遠く、もっと、もっと、天の上。神様の領域を目指して。

◆ ◆ ◆

 空は灰色。雨模様。

 兄達の加護に弾かれる毒は、高度に相関して濃度と粘度を増していく。──嫌な予感がする。

 例えばアタシの理想通りに、一定以上の高度を越えた途端、空が鮮やかに晴れたなら────世界を巻き込んだ犯人は明白。神と騎士達が悪意を持って、この世界を殺そうとしているという事になる。

 でも、もし神様の領域にまで毒が広がっていたら?

 だから、子供達を連れ去ったりしたのだとしたら?

 縁起でもないが、その時は間違いなく世界ごと全滅だ。

 ──こうして思考を巡らす間にも、ヴァルキリモンはどんどん空を昇っていく。

 既に太陽の加護は尽きた。海の加護が発動しているが、空の上では長続きしないだろう。

 地上はもう見えない。

 空の先も、見えない。

 早く辿り着いて欲しい気持ちと──これでミハルが居なかったら、自分達は無念にもゲームオーバーとなる、そんな不安とが胸の中でせめぎ合っていた。

 そうして段々と息苦しくなり、空の中で溺れそうになった頃、

「────ミネルヴァモン、あれだ」

 アタシ達は辿り着く。

 遠い空の果て。究極体の翼でさえ、やっとの思いで届いた天の領域。

 強固な結界を幾重にも纏いながら、美しい巨塔は浮かんでいた。

 毒は見えなかった。けれど、塔の上部には真っ黒な雲が浮かんでいる。

「……で、。着いたのはいいけど、下手に飛び込んだら結界で蒸発するやつ?」

「ボク程度でも辿り着けたんだから、これで結界まで甘かったら侵入し放題だろうね」

「それもそうだ。……じゃあ、ダメもとだけど」

 騎士相手に対話を望むなら、それ相応の態度を示さなければならないだろう。

 彼らに届くかは分からない。防犯用の録画媒体が設置されてる事を願いながら、アタシは塔に向かって声を上げた。

「────我はオリンポス十二神が一人、戦女神ミネルヴァモンである!!

 創造神に仕えし騎士達よ! 僅かでいい……どうかお目通り願いたい!!」

 声は空に吸い込まれて、消えていく。届いたのか、届いてないのか。

「ロイヤルナイツ!!」

 気付いてはくれないだろうか。

 もし此処にミハルが居なくても、何か一つでも手掛かりを。

「子供達はデジタルワールドを救う為に連れて来られた! デジモンの都合で連れて来られたんだ!! 世界を管理する貴方達なら何か知ってるだろう!?」

 だってアタシはここまでだから。加護はとっくに消え果てて、地上へ戻る過程で毒に飲まれる。

 だから──ねえ。欠片ほどでも得るものがあるなら、アタシはそれをヴァルキリモンに託して逝けるから。そしてヴァルキリモンは、兄達へそれを繋げてくれるだろう。

 どうか────

『────入場を承認します。オリンポスの蛇姫』

 声が聞こえた。

 空間全体に響いたアナウンス。中性的で凛々しくて、けれどどこか震えている声。

 静かになると、浮かぶ結界の一部が解放され始めた。一枚ずつ、ゆっくり──それを目にしたヴァルキリモンはすぐに中へ飛び込んだ。

「「……」」

 あまりに易々と事が運びすぎて、思わず罠なのではと勘繰ってしまう。しかし疑ってみたところで進展もしない。アタシ達は、神の領域へと足を踏み入れた。

 塔の中は、美しかった。

 地上の地獄が嘘のよう。水晶と大理石で構成された無音の世界。

 出迎えは無い。それどころか誰もいない。自分達の侵入を許した声の主も、姿を見せない。

「────」

 好きにしろ、とでも言いたいのだろうか。

「ロイヤルナイツを探そう」

 ヴァルキリモンはアタシの手を引いて、どこまでも続く螺旋階段を飛び越えていく。

 塔の中はどうなっているのか。どんな構造になっているのかも分からない。声の主は何処にいるのだろう。子供達は、何処にいるのだろう。

 塔の天井は続く。

 空の果てに在るのに、更にその先へ。ずっと、ずっと。

 だが────誰もいない。

「何処だ!!」

 誰も、どこにもいない。

「ロイヤルナイツ! お前達は何処にいる!!」

 此処だけ別の世界になってしまったみたいに、思った。

 やがて────螺旋階段の先に、僅かな空間の揺らぎを見つけた。

 そこに見たのは浮遊する水晶の鳥籠。アタシ達を迎えると、そのまま先の空間層へと連れて行く。

 その先はまた綺麗な空間だった。

 先程とあまり変わらない内装。階段があって、いくつもの部屋があって、扉が浮かんでいて──眩暈がする程美しい。

 美しすぎて吐きそうになる。

「また、あの籠だ」

 長い長い時間をかけて進み、また、空間の揺らぎまで辿り着いた。

「……あの籠はキミによく似合うね、ヴァルキリモン」

「同感。いっそボクが囚われのお姫様なら良かったのに」

 上昇しすぎて頭がおかしくなったのか、相棒はそんな冗談を言ってみせた。

 鳥籠はまた、アタシ達を出迎えて。

 運んでいく。どこまでも、どこまでも。

 そして、鳥籠がアタシ達を連れて行った先は────。

◆ ◆ ◆

0
組実(くみ)
2020年11月1日

◆ ◆ ◆

 声が聞こえた。

 聞き覚えのある、中性的な声。

 凛々しくて、震えていて。

 それを口から零す、黄金を身に纏った騎士は

「────、────」

 泣いていた。

 背中を震わせて泣いていた。

 白くて、白くて、白い空間に。

 居たのはその黄金と、虚空を呆然と見上げる黒紫。

 その、白くて、あまりに白くて、気持ちが悪いくらい真っ白な空間に。

 散らばっているのは何だろう。

「────、────また、駄目だった」

 人形が落ちている。

 人間の形をした何かが落ちている。いくつも。

「小生が、至らないせいだ。何もかも」

 そう、あれは人形だ。

 だってあんなにも、誰一人動かない。

 だから“落ちている”──その表現が相応しいのだ。

 そうじゃなかったら、

「許してくれ……赦してくれ……」

 あの、ミハルによく似た、アレは。

「ねえ」

 あれ、何?

 どうして、

 ミハルが落ちてる。

「────ああああああ!!!!」

 後ろで、ヴァルキリモンが叫んで、駆け出した。剣を抜いて飛び掛かった。

 でも騎士様は二人共、微動だにしなくて。ヴァルキリモンの剣を避けようともしなくて。

 かと言ってそれは、彼を侮った訳でもないのだろう。きっと、そんな心の余裕さえ無かったのだ。

 ヴァルキリモンは黄金の騎士の腕を切りつける。

 騎士の胸に抱かれていた、ミハルを奪った。

「ミハル!!!」

 何て事だ。どうしてこんな事に。ヴァルキリモンはそう叫んで、必死に未春を介抱しようとする。

 アタシは、息をするのも忘れて、身体の動かし方さえ分からなくなって。

 眼球を回す。転がる子供達を見る。

「────回路を使えば、イグドラシルは治る、筈なんだ」

 霞む視界の端、黒紫の騎士が声を漏らした。

「人間の回路……育った回路が、我が君を」

「……嗚呼……何故、だって今度は、焼き切れないように……パートナーのデジコアだって介したのに……!!」

 二人の騎士の会話。

 内容が、理解できない。分かりたくもない。

「……! オリンポス十二神……」

 今更こちらに気付いた騎士は、よりによって縋るような目を向けてきた。

「その子供は貴様のパートナーか……? ああ、こんな場所まで来たのだ。今度こそきっとそうだろう。あの二体でなく貴様のデジコアを使えば……『回路』はきっと我が君と繋げられる」

「……、……は?」

 こいつは何を言っているのだろう。

 それは、どういう

「ミネルヴァ!! ──ミハルは生きてる! まだ息がある!」

「……!!」

 相棒の声にハッとして、騎士を無視してミハルを抱き上げる。

 まだ、温かかった。か細いけれど息があった。

「連れて行こう! リアルワールドに……! 此処じゃ人間の治療は無理だ!」

 危険な状態であろう事は、目に見えて理解できた。

 たった一晩の間で、未春はあまりに衰弱している。────何が、あったのか。

 すると、

「無駄だ。もう、間に合わない」

 黒紫の騎士が、こちらに向けて何かを抜かす。

「回路の摘出に耐え切れなかった。この人間達は……いずれ果てる」

「──黙れロイヤルナイツ。それはただ、ボクらデジモンが無力なだけだ。お前達が何をしたのかは知らない、でも……何て事を!」

 ヴァルキリモンは憤り、糾弾した。

「この子達は死なせない。絶対に生き延びさせる! ……だからリアライズゲートを開け。すぐに!! お前達なら出来る筈だ!!」

 けれど騎士は弁解する素振りも見せず、ただ、告げる。

「駄目だ、駄目だ。その子達は帰れない。リアルワールドに帰したところで肉体が分解する」

「「────!?」」

「嗚呼、何故こんな事に。子供達はどれほど長い間デジタルワールドで生きていたのだ? 彼らの肉体はとうに変質した。人間のものとは明らかに異質な構成だ。……もっと肉体が正常であったなら、耐えられたかもしれないというのに……!」

「……違います、クレニアムモン。小生が……正しく回路を摘出できていれば、こんな事にはならなかった!!」

 騎士の言葉に青ざめたのは、ヴァルキリモンも一緒だった。

 つまり奴らはこう言いたいのだ。──『デジタルワールドに長くいすぎたせいで、子供達はヒトでなくなった』──。

 ────アタシ達が。

 ねえ、もっと早くに答えを出して、この子を帰してあげていれば。

「…………」

 兄さん。アタシ達は未春に、取り返しのつかない事をしていたんだね。

「……ミハル……」

 頬を撫でる。

「……。……ごめんね……」

 細く柔らかい髪を、撫でる。

「────……みぃ、ちゃ……ん」

 すると瞼が微かに動いて、僅かに開いて──零れた声は、アタシの呼吸で掻き消されそうなほど小さかった。

「……ミハル、迎えに来たよ」

「……、……あの、ね? ……■■■、モンたち……」

「……え?」

「きて……くれた、から……みんなで……」

 思わず耳を疑った。兄達が、此処に来ているのか?

 兄達が来ていると言うなら──何故ミハルの側にいないのかは分からないが──とても心強い。加護を再び宿してもらえればアタシも帰れる。天使達の元まで行って、リアライズゲートを開いて──……!

「……無駄だと、言うのに」

「うるさい。お前はもう喋るな!! ──こっちを見ろ黄金、兄さん達は何処にいる」

「……、……そ、それは」

 口ごもる。泳いだ瞳が上空に向いたのを、見逃さなかった。

 即座にヴァルキリモンに目配せをする。彼は頷いて、アタシをミハルを抱いて飛び上がった。

「! 待ちなさい! 行ってはいけない……!」

 力無き制止の声など聞こえない。

 とにかく今は未春を、そして散らばった子供達を────どうにかして救う道を!

 ────だから、進まないといけないのに。

 ミハルの声はどんどん、どんどん、小さくなっていくのだ。

「待ってて、もう少しだよ……! 兄さんが……」

「もう道がない! ミネルヴァモン、ここから先は走って探そう! ボクは向こうを!」

「……ッ! クソッ……なんで……いないんだよ誰も!! ヴァルキリモン、お前が見つけたら遣いの鳥を飛ばして! いいね!?」

 飛ぶことを諦め、水晶の廊下を足で駆ける。

 駆ける、駆ける、早く、速く、必死にミハルを抱えながら。

 けれど。

 その間にも、呼吸は浅くなって。

「頑張れミハル、頑張れ……! すぐに兄さんを見つけるから! 皆で帰ろう! アタシ達の家に帰ろう!! もう一人にしないから! だから……!!」

 胸の鼓動も、遅くなっていって。

「……みぃちゃ……」

「なあに? ミハル……」

「……、……お、ねがい……ある……」

「いいよ、何でも聞いてあげる。ミハルのお願い、なんでもいっぱい聞いてあげる! 何して遊ぶのだって、どこに行くのだって、おいしいものを食べるのだって、何でも……!」

「──、んな……──を」

 ────皆を、どうか助けてあげて。

「ミハル」

 そして、その言葉の後。

 未春は深く深呼吸をした。

「ミハル?」

 それから、返事をしなくなった。

「……え、……あ、」

 辺りは、あまりに静かになって。

「あああ……あああぁっ……! あああああっ!!」

 アタシは静寂を裂くように、叫びながら走り回った。

「誰か……!! 誰か助けて! ミハルを助けて!! ……兄さん!! どこ行ったの兄さん!!」

 大切な子を抱き締めながら、必死に兄弟を探し回った。

 本当にいるかも分からない彼らを、いるのだと信じて。

「ねえ!! ッ……どこに……行っちゃったの……兄さん達……」

 この子を、助けて欲しかった。

「────! あ……!」

 ふと、馴染みのあるにおいを感じ取る。

 それが兄のものだと、すぐに分かった。ミハルを抱く手に力を込め、走る足がもつれそうになるのを必死に堪えながら走った。

 辿り着いたのは暗い部屋だった。

 怖いくらい静かで、けれど確かに中に兄達がいるのだと──確信を抱ける程、においが濃かった。

「兄さん!」

 誰の気配も感じない空間に、声を掛ける。

「兄さん、兄さん!! ミハルが……!」

 けれど、

「……兄さん?」

 そこには、やっぱり誰もいなくて。

 代わりに大きな水晶の柱が、いくつも立ち並んでいただけだった。

◆ ◆ ◆

 水晶の中には、愛しい兄達の姿が在った。

◆ ◆ ◆

「────」

 全身から力が抜け、ミハルを抱いたまま膝をつく。

 体温が一気に下がり、震えと脂汗が噴き出していく。

 周囲には、子供達と共に姿を消したデジモン達の姿も在った。皆同じく、水晶の中にその身を眠らせていた。

 だが、どうでもいい。

 そんなもの、そんな事、どうでもいい。

 下で倒れていた子供達の事さえ────もう、どうでもいい。

「…………、……」

 何もかも、無くなってしまった。空っぽになってしまった。

 気付けば────アタシは無意識に、眠る兄達の前に少女を横たわらせていた。

 小さな体の温度が下がっていく。

 血と肉で構成された肉体に、何故だかノイズがかかって見えた。

 その幻覚が、何を意味していたのかは分からないけれど。

 この子はもう動く事も、目覚める事もないのだと、理解した。

 アタシは、未春の頭を撫でた。手を握った。

 顔にかかった長い前髪を、そっとかき分けてあげた。

 ────放心状態のまま、意味も無く部屋を出る。

 美しい白の空間が出迎えた。

 見上げれば、美しく煌めく光。

 ああ、これはきっと神様の光だ。

 だからアタシは手を伸ばして────光に乞う。

「返してくれ!」

 叫ぶ。

「帰してくれ!!」

 叫ぶ。

「兄弟をかえしてくれ! あの子をかえしてくれ!!

 お願いだから、神様!!!」

 ────ああ、けれど。

 どれだけ願っても、祈っても。その果てには何もない。

 誰も助けてなんてくれない。誰も救ってなんてくれない。

 アタシの大切なものを、アタシの小さな世界を、助けてなんてくれやしない。

 そしてアタシは……何度、同じ事を思ってきただろうか。

 だって、ねえ。本当に、こんな事になるんだったら、

「アタシが最初に死ねばよかった!!!!」

「────やめて、ミネルヴァ」

 自らの喉に食い込ませた、剣の切っ先が止められる。

 あたたかな感触。手を、体を、包み込んだ。

「それだけは、やめてくれ」

 それでもアタシが剣を取ろうとするから。

 ヴァルキリモンはアタシの腕に矢を突き刺す。アタシが自身の喉を裂くことができないように。

「…………なあロイヤルナイツ。どうして、あの二人が」

 彼の後方には黄金と黒紫が、空っぽの瞳でこちらを眺めていた。

「お前達と同じだ。察して、気付いて、此処まで来た。────私達はそれを、受け入れて」

 けれど毒の真実を。世界の真実を。子供達の現実を、惨状を。

 全てを知って、激昂して、糾弾して────剣を抜いたから。

 黒紫の言葉は、信じられなかった。だって兄達が敗れるはずない。

 けれど現実は見ての通り。──生け捕りにされて、天に喰われた。

「ミハルが……彼らがどうして、こうならなきゃいけなかったんだ。世界を救おうとしただけじゃないか」

「────彼らは世界を、救おうとしてくれた。だからこそ……」

 誰より冷静であろう黒紫は、それでも声を詰まらせていた。

「……人間の回路が、我ら電脳生命体に恩恵を……ならばそれは、創造主イグドラシルに対しても、同じ事だった」

「でも皆、死んだじゃないか」

「回路が焼き切れた。神との接続に耐え切れなかった。だから、パートナーなるデジモンの達のコアを使って、そうならないように」

「そう、なったじゃないか……!」

「まだだ!! まだ……そのオリンポスのデジコアを繋げば回路は繋げられる! あの人間も再び起動するかもしれない! もっと数が必要だ……もしくは変質する前の肉体……いいや、いっそ変質したのならば我が君の苗床に────」

「……! お前……ッ」

「クレニアムモン!!」

 黄金が叫ぶ。

「もう……いい……!」

 そのまま、泣きながら、地面に頭を擦り付けた。

 何をしてるんだろうと思った。そんな事をしても、未春は帰って来ないのに。

「全ては……小生らの、不徳の致すところ」

「……何が、『もういい』のだ、マグナモン」

「我らのせいだ。イグドラシルを止められなんだ、我らロイヤルナイツの罪は……どうあっても贖い切れるものではない。これ以上はもう……!」

「頭を上げろマグナモン。……逃げるな!!」

 黒紫は黄金の首元を掴み上げ、強引に目と目を合わせる。

「我らは盟友達を殺した。地上のデジモン達を殺した。人間達を死なせてパートナーを殺した。それを無駄になどしてたまるものか!! 何があっても何としてでも世界を! 毒の無い世界を!! イグドラシルが涙しない世界を造らねばならぬのだ!!」

 演説かのように高らかに叫ぶ、黒紫の声に吐き気を催した。

 黄金の瞳は虚ろだった。死んでいるという表現が正しいと思った。

「……そうだとも。回路もデジコアも、我が君と繋げないなら結界の補填に使うしかあるまい。盟友達の結界はじき完成する……!」

「そこまでの行為を盟友達が望むと……!? クレニアムモン、小生らが間違っていたのです。小生らの手段が誤っていた!」

「至らなかった事は認める。だが……他に道はないだろうマグナモン。イグドラシルの修復プログラムの目処が立たぬ以上、そして結界が永劫続く保証も無い以上……毒はいつか再び降り出すのだ! デジタルワールドは、我が君の世界は真に消滅するぞ!」

 気持ちが悪い、くだらない言い争い。しかし冷え切った心には、その言葉の羅列がスッと入り込んできてしまう。

「────なら、せめてアタシを」

 それ故だろうか。気付けば口を開いていた。

 殺してしまいたい程、醜悪に見える騎士達に声を掛けていた。

「アタシのデータを、デジコアを使えばいい。代わりに仲間を、今すぐ解放してくれ」

 だって、同じオリンポス十二神の、究極体のデータだ。取り替えたって不足はない筈。

 二体が無理なら、せめて一人だけでも。どちらかなんて選べないけれど、より生存する可能性が高い方が救われればいいと思った。

 アタシが生きているよりは、その方が良い。

 そしてミハルの亡骸と共に、ネプトゥーンモンの所へ帰ってくれるなら。

 だが、

「……駄目です、それは出来ない」

 一握の期待は、その一言で容易く打ち砕かれる。

「彼らの肉体はいずれも、既にその形を保っていないのだから」

 水晶の中で動かない手足も。眠るように閉じられた瞳も。

 ただのデータの残滓。あの中に実在するのは、彼らの電脳核のみなのだと黄金は言った。あの水晶から出て空気に触れた瞬間、崩れていくのだと。

 そうか、と思った。────ああ、そうなんだ。

 それだけだった。けれどすぐ、息が詰まりそうになった。

 こんなにも、現実は残酷だっただろうか。苦しかっただろうか。

『────警告、警告。天上部に空間遮蔽層の構築を確認。ロイヤルナイツ各位は直ちに対処へ当たって下さい。警告、警告────』

 無機質なアナウンスが響く。

 アタシの頭には、その言葉は入ってこなかった。けれど二人の騎士は目を見開いて天を仰いだ。

「…………クレニアムモン。結界が……!」

「……警報停止。それは騎士達が遺した希望である。繰り返す、警報を停止せよ」

『────声紋を認証。警報を停止します』

 プツン、と何かが切れる音がして、静かになる。

 黄金は両手で顔を覆っていた。黒紫は、深く深く息を吐いた。

 きっと完成したのだろう。奴らの言っていた結界とやらが。毒から世界を守ってくれる光が、誰もが待ち望んでいた救いが。

 ──これっぽっちも、喜べやしないけれど。

 だってそれは、あまりに多くの命を燃やしてようやく出来上がったのに。

 そのくせ薄っぺらくて期限付き。いつまた毒を降らせるか分からない時限爆弾、だなんて。

 僅かな安堵さえ抱けない。

 毒が降らなくなったって、大切なものは何ひとつ戻ってこないのだから。

 目の前の騎士達は少しだけ喜んでいた。

 けれど、これまでとこれからの背徳へ抱く罪悪感に、顔を歪ませていた。

 ああ────きっと、「救いがない」とはこういう事を言うのだろうと、アタシはぼやけた頭で思う。辺りにはただ、虚しさだけが溢れていた。

◆ ◆ ◆

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組実(くみ)
2020年11月1日  ·  編集済み:2020年11月1日

◆ ◆ ◆

 ────とは言え。

 天の結界という存在が、騎士達にモラトリアムを与えたのは事実だった。

 毒が天上で堰き止められている間に、確かな対処と解決を。失敗は許されない。

 しかし時間さえかければ勝算はあるのか? ヴァルキリモンが問うと、黒紫は力強く頷いた。

「全ては我らがイグドラシルの涙。神の嘆きを止めれば、あの毒は」

「具体的に言ってくれないかな。そういうの、聞いてて腹が立つ」

「……人間が抱く回路の接続によって、世界樹イグドラシルのプログラム修復を」

 ────なんだ、やっぱり。

 世界中を巻き込んだ諸悪の根源は神様で。その尻拭いのおかげで皆、死んだのか。

 馬鹿みたいだ。思わず、乾いた笑いが込み上げた。

「……力を、貸してはいただけないでしょうか」

 すると突然、黄金はそんな事をのたまった。

「この事実を、知ったのは貴女達だけです。他のデジモン達は知らない。何も知らぬまま、これから訪れる安寧を消費していく」

「……そんなの、アタシ達が言いふらして回ってあげる。皆が死んで、世界がこんな事になったのは神様のせいだって」

「伝える訳にはいかないのです。そうすればデジモン達は此処を落とそうとする」

「いいじゃん。世界中から恨まれて、何もかも背負って、苦しんで死んで行けよ。自分で首を切らないように、アタシが両手を落としてあげるから」

 口を開けば憎悪が溢れていく。自身の無力さを責任転嫁しながら。

「ええ、ええ。そうなればいいと思っています。しかしイグドラシルを救えなければ、世界も救えない」

「だからボク達に協力しろって? ミネルヴァ達にここまでの事をしておいて?」

「……弁解する余地もありません。貴方達のパートナーを死なせたのは……殺したのは小生だ。

 しかしあの二体は……オリンポスの二柱は……肉体はもう崩れてしまったけれど、デジコアはまだ機能している……!」

「────!!」

 子供達と共に連れ去られたデジモン達と異なり、兄達が水晶に眠ったのはつい先刻。

 だから、デジコアはまだ水晶と一体化する事なく『個』として存在しているのだと。

「今すぐに──は、不可能です。時間はかかりますが、未来に必ず……あの二人を貴女達に返すと誓います。ですから、どうか」

「……、……兄さん達……元に、戻るの?」

「理論上は。同個体として目覚める筈です」

 それを聞いて────アタシは一切の判断力を失った。

 甘い誘惑とさえ思える告白。家族を人質に取られただけの、決して対等とは言えない要求。

 断るわけがない。選ばないわけがない。まだ間に合うと言うのなら。

「残酷なマグナモン。お前の偽善で、彼女に我らの罪を塗り付けるのか」

 分かっている。こいつらに加担する事が、何を意味するのか。

 結界の補填、イグドラシルの修復。これからも誰かの命を犠牲にしていく行為。

「だが、友よ。それが世界を、イグドラシルを救う道と成るのなら……これまでの散華が無に帰さず、全てが実を結ぶのなら。私はどんな手段も選ばない」

 結局アタシも、忌々しいロイヤルナイツと本質は変わらない。自分の大切なものを守る為なら、自身の手を汚す事など厭わないのだ。

 ミハルが、兄姉達が知ったら、怒るだろうか。糾弾されるだろうか。

 いっそ、そうして欲しいとさえ思うけれど。

「────条件を言え。アタシの『世界』を救う為なら、お前達と一緒に地獄にだって堕ちてやる」

 最後まできっと、怒ってはもらえないのだろう。

 そして黄金は、兄達の電脳核と世界樹との接続を断つ。

 二人の『個』たる核の中枢が現存している事を確認する。

 兄達のデジコアは、肉体を壊した本人達の手で保護された。

◆ ◆ ◆


 こうして。

 アタシはロイヤルナイツと同じく、世界の為に外道と成り果てる事になりました。

 めでたし、めでたし。

 ────いいえちっとも、めでたくなんてないですが。

 新しい仲間、もとい協力者に対し、高貴な騎士様が出してきた条件は三つ。

 ひとつは、兄達の空白分も含めてデジコアの回収に加担する事。

 ひとつは、人間の回路──今度はデジモンとパートナーになる前の純粋なもの──を、定期的に収集する事。

 そして、それらをイグドラシルの救済まで継続する事。

 無事に成功した暁には、めでたく兄達が復活し、帰還する。ハッピーエンドというヤツだ。

 しかし黄金──マグナモンが言ったように、彼らの肉体をすぐに用意する事は出来なかった。

 既に分解してしまったから、データが溶け込んだ水晶ごと再構築して、タマゴからやり直しとなったのだ。

 本当ならそのデジタマを保護して、面倒を見るのが理想的なのだろう。

 だが、デジモンは戦いを繰り返して強くなっていく存在。修行をつけたとしても、庇護していたら強くなれない。命を懸けなければ生き残れない。

 アタシが成長期だった頃も、ヴァルキリモンがアウルモンだった頃も──互いに死ぬ気で駆け抜けて、やっとの思いで究極体にまで進化したのだ。誰にも守ってなんてもらわなかった。

 究極体に成れないのなら、オリンポス十二神にだって戻れない。それでは駄目だ。

「だからロイヤルナイツ。アタシからも要望がある」

 再構築した二人の体には、ひとまずダミーの電脳核を。

 二人は生きなければ。戦わなければ。でも、こんなに厳しい世の中だ。毒だって溢れているのに、幼年期がまともに生きていける筈がない。そもそもオリンポス十二神の電脳核なんて埋めたら、未熟な肉体はそれだけで崩壊しかねない。

 せっかく生まれ直しても、すぐ死んだら意味無いでしょう?

 うっかり死んでしまってもいいように、保険を掛けたかったのだ。

 しかしマグナモンは、アタシの提案をすぐに承諾しなかった。

「それでは……彼らは別個体として生まれ変わる事になります。記憶だって、ダミーの電脳核では継承されない。貴女の事を認識できなくなりますよ」

 別に構わないさ。記憶なんてもの、一番最後にでも戻ればいい。

 全部終わって、毒のない世界で元に戻って、思い出して──ネプトゥーンモンの所に帰ってくれるなら、それでいいんだ。

「では、二人が肉体を取り戻すまではダミーのデジコアを。最後は貴女達で、再びこの場所へ連れて来て下さい。元のデジコアと統合させ、本来の彼らに戻します。

 ……ただ、人工核は単体で起動しないので、誰かと繋いでおかなければ……何より耐久性能にも限度があります。損傷データが蓄積すれば壊れてしまう」

 それも、問題ないだろう。アタシに繋げばいいんだから。

 損傷データだってアタシの核に転送したらいい。成長期や成熟期が死ぬ程度のダメージなんて大したことはない。偽の核は残したまま、肉体の再生だけを繰り返すのだ。

「むしろ、ダミーだからこそ出来るでしょ?」

 マグナモンは再び渋る。協力要請をしてきたのはそっちなのに、「でも、二体分ですよ」だなんて言っている。

 すると、

「……何でミネルヴァモンひとりが全部やる話になってるの? 二体分なら、繋ぐデジコアだって二つなきゃおかしいでしょ」

 突然、ヴァルキリモンがそんな事を言い出した。

 アタシは目を丸くする。マグナモンも同様だった。

「……よろしいのですか? 貴方も」

「むしろボクだけ帰ると思ってたの?」

「いえ……しかし貴方はオリンポスでない」

「そうだね。けど彼らと交流はあったし、何よりミネルヴァモンの大切な家族だから」

 理由なんて、それで十分。

 ……なんて奴だろう。それだけの理由で、自身を穢すつもりだなんて。

 お前が背負う必要は無いんだよ。それよりもネプトゥーンモンを元気づけてやってくれ。兄さん達はいつか戻るって、伝えてやってくれ。

 だが、ヴァルキリモンは頷いてくれなかった。

「ボクはただ、自分が後悔しない道を選ぶだけだよ」

 長い付き合いなのに今更だけど、彼は思いのほか頑固だったようだ。

 アタシの聖鳥は、アタシと共に堕ちていく道を選んでしまった。

 ────ああ、本当に

「馬鹿だね、アウル」

 そう言うと彼は笑った。胸の中が、ちくりと痛くなる。

◆ ◆ ◆

 その後。呼び出されたアタシ達は、交わした契約内容が急遽変更された旨を告げられる。

「デジコアの回収は、やはり我々の方で行います」

 幸い、悪い方向にという訳ではなかった。マグナモンの良心の呵責故か、それともクレニアムモンが効率性を重視した故かは不明だが──善良な同族を手にかける必要が無くなったのは、ありがたい事だ。

 まあ、残されたもう一方の条件も、だいぶ酷いものではあるが。

「ならアタシ達は、リアルワールドから回路を……人間を連れてくればいいって事?」

 未春や他の子達のように。集めて、こいつらに渡して、死なせていくのか。

 しかしマグナモンもクレニアムモンも、どういうわけかそれを否定した。

「現状は、我らの手元にある回路のみで結界の補填を行う」

「……それは結構。ボクらもなるべく手を汚したくない」

「だが、『今は』だ。……いずれは必要になる。それまでに我らは、回路を正確に摘出する術を持たなければならない」

 今のまま子供達を迎えても、技術が追い付かないから無駄に死なせるだけ。まずは環境を整える事から始めるらしい。

「同時に、人間達がデジタルワールドの干渉を受けないよう……肉体が変質しないように、専用の空間も設ける必要がありますので」

「……これからの子供達は、随分と丁寧に扱ってもらえるんだね」

 皮肉を込めて言った。

「私達とて、無抵抗の命が不必要に消える事は望んでいない」

 そうだろう。望んでるなんて言われたら、今以上に軽蔑する。

「その間、アタシ達は何するの?」

「──来るべき時までに、良質な回路の取集を」

「言ってる事、矛盾してるけど」

「回路の質はその個体差があまりに大きかった。イグドラシルへの接続に利用するなら、少しでも優秀な回路を集めておかなければ」

「だから、それも。……収容環境が整ってないなら意味ないんでしょ」

 クレニアムモンと会話が噛み合わずに苛立っていると、マグナモンが解説を始めてくれた。

「いつでも迎えられるよう、リアルワールドの特定地域に子供達を集めておくのです。

 環境が整い次第、デジタルワールドに連れて行き……回路を精査し、必要最低限の子供達だけを選ぶ。そういう方針にすると、クレニアムモンと決定しました」

 回路とやらに優劣があるとは知らなかったが、成程。そういう事なら理解できる。

 闇雲に連れて来てハズレばかり引くより、予め一定以上の質の回路を持つ子供を集めて連れて来た方が良い。

 でもそれ、どうやってやるの?

「……二人にはリアルワールドに滞在し、そこで子供達を集めてもらいたい」

 マグナモンが平然とそんな事を口にするものだから、アタシ達は耳を疑った。

「貴女達は、リアルワールドで『座標』と成る。……ただ、居るだけでいい。そこに生きているだけでいい。回路は自ずと、貴女達という存在に惹かれ、導かれ、集まって来るでしょう」

 デジタルワールドから出ていって、未春のいないリアルワールドで生きて。

「リアルワールドからの『回収』も、我らの方で行う事とした。お前達がその瞬間を見る事は、そう無いだろうが」

 未春と同じ子供達を、捧げる。

「…………ああ、そう。わかったよ」

 酷い話だ、何もかも。

 でも、デジタルワールドを追い出されるというのは──こんな自分に課せられるには、ぴったりの罰なのだとも思った。

 しかし大丈夫なのだろうか?

 アタシとヴァルキリモンは、デジモンの中でも人間に近い形状、いわゆるヒューマンタイプだが──それでも人間の容貌とはかけ離れている。子供達は集まるどころか、恐怖で散開するかもしれない。

「対策は取ってあります。──二人共、こちらへ」

 マグナモンが案内した先は彼の工房。黄金の身なりに似合わない、質素で薄暗い空間だった。

 工房の中央には、艶やかな絹の布が敷かれていて。

 未春と、見知らぬ少年の身体が寝かされていた。

 何だこれは、と聞くより先にマグナモンが答える。──「これは人間ではありません」

「子供達の肉体データを元に造形したものです」

 人間の容をした、空っぽの入れ物。電脳生命体が現実世界で生きる為の手段。

 ──元々、協力者となり得るデジモンをリアルワールドへ送る為、誘拐時点から設計はしていたらしい。

「ベースに出来たのが、この二名だけでした。他の子供達は……元々の外傷と内部損傷が目立っていたので……」

 恐らくこれまでの戦闘に依るものでしょう、という彼の言葉に胸が痛む。

 きっとその子達はパートナーの側で、パートナーと共に、ずっと戦ってきたのだろう。

 疲れたろうに。痛たかっただろうに。帰れないまま終わってしまったなんて。

「だが、ただの人形にデジコアを埋めた所で、人間の様に生きる事は叶わない。一部のみだが、彼らの肉体組織を流用させてもらった」

 毛髪や皮膚の一部、回路摘出時に触れた血液と肉。それらをほんの僅か、人形の中に埋め込んだという。実際の遺伝子情報を組み込んで、義体そのものを時間と共に成長させるのだと。

 大層な話だ。そこまで徹底して、騎士共はデジモンの人間界侵攻を目論んでいたわけだ。

「ゲートの通過時に、電脳体と義体とを一体化させます。通常のデジモンなら拒否反応を起こすでしょうが、究極体の貴方達なら問題ない筈です」

 ──リアルワールドに行った後。どうやらアタシ達は野放しらしい。義体の調整が必要なら連絡を寄越す程度。本当にただ「生きている」だけでいいのだという。

「出発は、すぐにでも可能です。……ですが先に、済ませたい事があれば言って下さい。少しの時間なら下界にも連れて行ける」

 例えば、別れの挨拶とか。

「しばらくの間は、デジタルワールドに戻らないでしょうから」

 ────残してきたネプトゥーンモンの顔が浮かぶ。

 彼はきっと今も戦いながら、未春を探しながら──アタシ達の帰りを待っているだろう。

 でも、

「…………いい。下には降りない」

「……ネプトゥーンモンには何も言わないの? 彼は……」

「理由を伝えなくても、兄さんなら絶対『自分も協力する』ってついて来ようとする。……駄目だよ。デジタルワールドには……これだけ究極体が死んでいった世界には、ネプトゥーンモンの加護が必要だ」

 だから、今は言えない。

「兄さん達を連れて帰ったら、その時に話して、謝るから」

「……キミがそう決めたなら、ボクは止めないよ」

「そう言うヴァルキリモンはいいの? 何かしておく事、あるんじゃない?」

「ボクは……。……出発までに少しだけ、休息を取らせてもらえれば」

 それからヴァルキリモンは僅かに俯き、憐憫を込めて人形を見つめた。

「あとは、子供達の弔いを」

 彼の言葉にマグナモンは目を赤くさせ、声を詰まらせる。

「……ええ。小生も、それを望んでおりました」

 けれど、どうしたらいいのか分からないのです。

 ──そう言って騎士は、泣き崩れた。

◆ ◆ ◆

 与えられた僅かな休息。その残りを、水晶の墓標の前で過ごす。

「……ねえ、本当に良かったの」

「……何が?」

「アタシについて来ること」

「逆に駄目だと思うの?」

「……」

「ひとりでデジタルワールドに残っても楽しくないし」

 ネプトゥーンモンには悪いけど、と。少しだけ冗談めいて言った。

「キミが気にする事じゃないよ。今までだって、突っ走るキミを追って飛んで、掴まってきたんだ。それと同じさ」

「……向こうじゃもう、アウルモンにはなれないねえ」

 フクロウさんとはしばらくお別れだ。──アタシは、眠る未春を静かに抱き上げる。

 他の子供達は既に弔った。でもこの子だけは、一緒に連れて行く事にした。

 ゲートを越えた瞬間、分解するだろうと言われたけれど、最期の瞬間まで抱いて、見届けて、見送りたかった。まったくひどいエゴだ。

「…………」

 冷たくなってきた身体を、ぎゅっと抱きしめる。

 たくさんたくさん抱きしめても、温かくはならなかった。

「……ミハル」

 呼びかける。意味が無いと分かっていても。

「大丈夫。ちゃんと皆を、ミハルの家族を助けるからね」

 誓いを立てる。届かないと分かっていても。

「……──だからおやすみ。アタシ達の、大切なパートナー」

 別れを告げた。

◆ ◆ ◆

 ────そして。

 騎士らの手にとって、リアライズゲートが開かれる。

 眩しさの中に道が続く。アタシは光に飲まれていく。

 隣には相棒を、腕の中には妹を。

 進んで、進んで、生まれ育った世界を振り返る事なく。

 進んで、進んで、やがて終わりに辿り着く。

 光が溢れた。

 腕に感じていた重さは、零れるように消えて行ってしまった。

◆ ◆ ◆

「────」

 最初に見たのは、青空。

「…………」

 晴れた空を見るのがあまりに久しぶりで、目が眩んだ。

 隣には、少しだけ見覚えのある男の子が横たわっている。

 それが人間ではなく、肉と皮を被った紛い者だとすぐに理解した。

「……、……アウルモン?」

 ぱち、と瞼を開いた。少年は、慣れない身体を不便そうに動かす。

 それからアタシを見て、アタシが纏う身体を見て、

「ああ……キミは、よりによってその姿に」

 そう言って静かに涙する彼を、アタシは他人事のようにぼんやりと眺めた。

 静かな時の流れに身を任せていると──ふと、遠くから声が聞こえてきた。

 知らない声だ。敵意は感じなかった。

「────どうして、こんな場所に子供だけでいるんだ……!?」

 人間だ。“大人”だろうか。ミハルよりもずっと大きい。

「お父さんとお母さんは!?」

「裸足じゃないか! そんな薄着で……おい、警察、警察!」

「君。名前は? 名字と名前、言える?」

 名前を聞かれた。口にしようとした。

 けれどその瞬間──自分がこれから、どんな世界で生きて行くのかを、理解して。

 もう、“ミネルヴァモン”と名乗る事は出来ないのだと知った。

「……アタシの名前……」

 やわらかな春の風が吹く。

 あの子が二度と感じることのできない、あたたかな風が。

 もう、あの笑顔で満ちることのない心を通り過ぎた。

「────アタシは、みちる。春風みちる」

 さようなら。

 アタシの愛した、小さな世界。 

◆ ◆ ◆

 ──そうして紆余曲折、長くて短い人生の走馬灯もここまで。

「いーつにーなーってもー、わーすれーないー」

 在りし日を想いながら、引き続き口ずさんでみたりして。やはり選曲は間違えたと思う。

 いっそ皮肉を込めて大地を讃頌する歌の方が良かったかしら? 嘘だけど。

 けれど、デジタルワールドを讃えたいのは半分本音。

 こんな有様だけど、故郷の空気は肺に馴染む。と言うより自由で気楽なのだ。

 リアルワールドの暮らしは思ってたより自由じゃなかったし。

 人間だって、思ってたよりも「いい子」ばかりじゃなかった。

 相棒と二人、慎ましく暮らしながら──いつか“お迎え”が来て、

『もう終わったから帰っておいで。家族に会わせてあげる』

 なんて、言ってくれる日を望んだ事もあったけれど。

 結局、マグナモン達は最後までリアルワールドに現れなかった。