※七大魔王をテーマにした小説アンソロジー『魔王狂典』への寄稿作品です。参加者それぞれに担当魔王が設定されていますが、羽化石は『憤怒』の魔王担当でした。
それは怒りである。純然たる憤怒である。
それは憤怒の化身である。或いは憤怒の権化である。
それはある日憤怒に魅入られた。或いはそれが憤怒を魅了した。
それは憤怒を呼び熾す。或いは憤怒を呼び覚まされる。
それは憤怒を以て罰する。或いは憤怒を抱きし者を罰する。
それは憤怒を憎みし者に裁かれる運命にある。
それは憤怒の罪を司る存在である。
*
眠りから目を覚まし、腕、それから掌を順に確認する。赤黒く、硬く、短い毛に覆われた腕はまだそこにあった。鋭い爪を備えた手も、未だそこにあり続けていた。
自分が『憤怒を司る七大魔王』などではない、何か別の存在へと変化しているのではないか、という希望は落胆に変わる。落胆は怒りに変わる。
彼は忌まわしき感情を発散すべく、ベッドの脇に手を伸ばす。部下が「水分補給用に」と置いていったコップが手に触れると、迷わずそれを握りしめた。ガラスのコップはいとも簡単に割れ、何の役にも立たないがらくたへと変わり果てた。
彼の怒りは晴れた。穏やかになった彼の視界にガラスの破片が飛び込んだ。腹立ちを抑えられなかった事実を認識した彼の中に再び怒りが沸き上がった。彼が憤怒の念を抱いた事実は彼に憤怒の念を抱かせた。
彼が怒りに囚われたためにこの姿に進化したのか。あるいはこの姿に進化したがために怒りに囚われたのか。もはや誰にも分からない事であり、些細な事でしかなかった。
いつか自分もこの粉々になったコップのように変わり果ててしまえるのではないか。期待さえしなければ怒らずに済むものを。彼は怒りを呼ぶ怒りに狂う日々を何百、何千、何万回と今までも、そしてこれからも繰り返すのだろう。
*
「嗚呼、どうか、憤怒の魔王よ、どうか、私と、私と」
吸血鬼が彼の足下で喚く。
「貴方様の爪と私めの爪が交わる、その刹那を感じてから死にたいのです。貴方様の圧が、熱が、私の爪を伝って私の神経を焼き焦がすのを味わってからこの命を“王”にお返ししようとここまで這って来たのです」
およそ生物らしくない瞳からは、その吸血鬼の表情は読めない。しかし、息も絶え絶えなそれが今にデータの海に還るであろう事は彼の目にも明らかだった。
踊り子のデータを基にした優美な佇まいは今では見る影もない。足を引きずり、元は袖だった薄汚い布を垂らした幽鬼。それは憤怒の魔王の目に酷く醜く映った。
「貴方様の血を啜るなど、そんな無礼な真似は致しませぬ。命も惜しくありませぬ。貴方様の手で殺されるというのならば、本望です。ですから、どうか、私と……」
いつまでも五月蝿い蝿に嫌気が差した。
「あ」
黄色く尖った頭をつまみ、左右に捻ると細い首は簡単に捻じ切れた。
何度振り払っても顔の側で飛ぼうとした、この蝿が悪いのだ。怒りの原因を排除した彼は、自らの怒気が静まるのを感じながら深呼吸をする。代わりに彼を襲ったのは「また怒りを抑えられなかった」事実に対する怒りだった。
*
「可哀想に。彼もまた、闘うために生まれてきたと豪語するマタドゥルモンだったというのに。それなのにこんな、幼子に目を付けられた蜻蛉のような死を迎えただなんて」
彼の感情を逆撫でして止まない声がする。
いつからそこにいたのか、幽鬼の「王」が顔を出す。「それ」は消えゆく幽鬼の亡骸を愛おしげに撫でていた。
均整の取れた顔と絹のように美しい髪は、疑似餌である。半身と同化した双頭の獣を唸らせ不敵に笑う「それ」は、『全ての生を冒涜する』者である。
「彼はとても良い部下でした。この子は最後まで私の事を主と言ってくれました。とてもとても、良い子でした。せめて最後に良い夢を見てほしかったのですが……」
幽鬼の最後の一片が宙に還るのを見届けると、「それ」の仮面に隠れた顔は深い悲しみを湛えた。
「それ」は死に損なった幽鬼よりも遥かに醜いものである、と憤怒の魔王は感じ取った。怒りを煽る存在が再び現れた事に苛立ち、歯噛みする。
「おや、そんなに怒って。如何いたしましたか?」
全て分かっている癖に。やはりこの、生き物とも呼べないものに怒りを抱かない日は何度生まれ変わっても来そうにない。
この「吸血鬼の王」は自らの死を否定した、全ての生への冒涜者である。故に、生ある者は「それ」を本能的に嫌悪する。七大魔王と呼ばれる存在も例外ではない。これに限っては、憤怒の魔王が背負いし業は関係が無い。
「私の城でお茶でもいかがですか? 良いハーブが手に入ったのです。ハーブティーの香を楽しめば、きっと貴方も落ち着きますよ。“憤怒の魔王”様」
幽鬼にしたよりも丁寧に首を捻じ切った。そして念入りに千切れた頭蓋を破壊した。
「ハーブティーはお嫌いでしたか?」
切断面から吹き出す血と潰れた頭を見た筈だった。筈だったのだ。
夢か現か幻か。吸血王の頭蓋は何事も無かったかのように首の上で澄ましていた。
軽薄な笑みを浮かべた口が空虚な言葉を紡ぐその前に。憤怒の魔王は怒りの源泉から離れる事を選んだ。
その顔は苦しみと苛立ちに満ちている。
*
腹の虫が治まらないので自室に籠った。天使による討伐軍はそれを許さなかった。
多すぎる血の気を疎んで失血死を夢に見た。魔王の体はそれを許さなかった。
呪いを受け入れようとした。心がそれを許さなかった。
*
それの進軍はやはり怒りを伴う。怒りは破壊を伴う。破壊は悲しみを伴う。悲しみは憎しみを伴う。憎しみは怒りを伴う。
黒く煤けた亡骸に憐れみを抱けたのはいつの頃であったか。罪悪感を怒りに変えずにいられたのはいつまでであったか。物言わぬ政敵と、事切れた市民の中に応えはある。
それは怒りに震える亡者となって、憤怒の魔王が奈落の底に堕ちてくるのを今か今かと待っているのだ。
魔王と呼ばれる前の、まだ罪を背負ってなどいなかった頃の記憶を呼び戻そうと試みた。それに縋ろうと試みた。幾度も幾度も。
しかし、思い出す事は叶わない。
否。有り得ないと分かり切ってさえいる偽りの感情を伴って再び姿を見せるのだ。
確かに憐憫の情を抱いた。確かに罪悪感を抱いた。
魔王の業か、或いは罰か。
想起される感情の全てが怒りに置き換わってしまうのだ。
魔王としてのプログラムとやらは、記憶を捏造してまで個体と罪を結び付けたがるのだ。
美しい過去に救いを求めるほどに、蛇のように蔦のように怒りに絡み取られていく。そして地獄に引き摺り込まれていく。
それはさながら汚し、殺してしまった思い出からの復讐のように。
問いの答えは今しがた焼き殺したデジモンと同じ場所で、憤怒の魔王を睨み続けている。
*
「本当は、そんな事をしたくないんでしょう? 私は分かってるから」
その名を聞いた者を震え上がらせるような、そんな存在もかつては優しい言葉を掛けられていたのだ。
確か彼女はミヒラモンだったか。ウイルス種でないどころか、神聖なる獣に仕える十二神将(デーヴァ)でありながらかつての知り合いである魔王を気に掛けていた。彼女の過去に纏わる記憶は容量を圧迫するデータとして消去されてしまったが、それでも彼女は彼にとっての癒しである事は分かっていた。
しかし彼女は姿を消してしまった。さて、理由は何だったか。
他の魔王に殺されたか。
暗黒の力を疎んだチンロンモンに引き離されたか。
彼女が先に寿命を迎えたか。
ああ思い出した。彼女の発言に烈火のごとく激怒した自分が葬ってしまったのだ。
些事でしかない彼女の発言にさえも怒れるのが憤怒の魔王の性だった。
全て思い出した。この記憶を忘れようと努めた事も。この記憶だけは忘れまいと厳重に保護(ロック)していた事も。
「否! 俺は憤怒の魔王! 怒りとは俺そのものだ! 怒りを否定する事は俺自身の否定に他ならない。貴様にだけはその言葉、吐かれたくはなかったぞ!」
*
果たして、彼は「否定したかったもの」が何か、覚えていただろうか?
マタドゥルモンはその本能故に戦いに生きていた。
グランドラクモンは不死の肉体を持つ故に生への執着を捨てた。
ミヒラモンはその高潔な精神を買われて十二神将となった。
では彼は何だったのか?
彼が憎むべきは魔王になる運命か? 魔王になる道を選んだ彼自身か? 無理矢理に怒りを抱かせた本能(プログラム)か? 本能に刷り込まれるまでの怒りを溜め込んだ自分自身か? 「自分は怒り」と嘯く口か? 「怒りは自分」と認めた弱さか? 正しいのはどれだ? そもそも正しい選択肢とは存在するものなのか?
果たして彼は彼という存在を正しく認識できていたのだろうか?
いつしか彼は、何に苦しんでいるかも分からないまま願う事と怒る事を繰り返す装置(システム)となっていた。
*
「無駄だよ。君のその姿は怒りを力として受け入れた証なんだ。今更手放そうったって、そうはいかないよ」
その傲りを悔いた事は?
「無いよ。ある筈がない」
嘘だ。
「本当さ。だって、僕が誇りを持てない世界で他に誰が輝けると言うんだい? 僕が謙虚になったなら、誰も彼もが卑屈になってしまうさ」
抱えた罪に苛まれる魔王に思いを馳せた事は?
「知らないよそんなの。七大魔王は『ある一つの罪を背負っている』、たったそれだけの事を唯一の共通点とした種としての分類に過ぎない。本当は君と話してやる義理なんてないのさ。『誰よりも大きな罪を犯した』魔王。『生きとし生ける者の罪を代わりに被った』魔王。そして『司る罪を裁く』魔王。君がどれなのか知らないし興味も無いけれど、いずれにせよ七大魔王は罪の化身だ。それが抱えた罪は切っても切り離せないし、僕は切り離そうとする奴の気が知れないよ」
話にならん。
「それはこっちの台詞だ。この話はこれで終わりにしよう。君が怒る度に庭が少しずつ焦げていくんだ。もううんざりだよ」
美しい金の毛先を弄ぶこの存在は、なるほど確かに天使だったのだろう。
何故この世界は天使の黒く染まった翼を白いままに留めておかなかったのだ。
何故自分をただのデジモンに留めておいてくれなかったのだ。
*
かくして道は開けた。祈りは通じ、憤怒の魔王は消え去った。
それは罪という殻を脱ぎ捨て、魂の段階(ステージ)は上昇し、新たな境地へと至った。それを満たすのは憤怒ではない。喜びである。もはや力を振るう事に躊躇いは無い。地獄の業火を呼び熾す度に溢れて止まらなかった感情から解き放たれ、蝕まれる事も無くなったのだから。
もはや七大魔王の枠には収まらぬ。それはデーモンにあってデーモンに非ず。理想郷(アルカディア)の彼方より降臨せし新時代の覇王なり。これより世界は新たな魔王、否、魔神によって永遠の安寧を授かるだろう。
さあ非道を成せ! 秩序を乱せ! 超究極の頂より叫べ! 旧い悪しき世界に許しを請う必要は無い! 嗚呼、何にも縛られず力を振るうのはこんなにも心地良い事なのか!
旧き世界の住民よ、刮目せよ。これが世界の終焉である!
*
それは粛然たる安堵である。
*
それは怒りである。純然たる憤怒である。
友愛は炎に消えた。歓喜は焔に呑まれた。涙は炙られ涸れ果てた。そこにあるのは純然たる怒りである。
神の名の下に行われた悪逆を許してはならない。憎悪を止めてはならない。怒りの火を絶やしてはならない。
「我らが故郷を滅ぼした “憤怒の魔王”に復讐を!」
それは怒りである。純然たる憤怒である。
Twitterでは相互フォローを頂いておりますが、感想をお送りするのはこれが初めてかと存じます。
消えることのない「怒り」の連鎖に憤るデーモンの胸の内や、悪戯に彼の怒りを煽る不死身の吸血鬼の王、そして彼を哀れんだミヒラモンの記憶に、熱に浮かされて見る悪夢のような空恐ろしさとおぞましさを感じました。怒りに染まる意識と記憶とが彼の自我を蝕んでいく過程に、思わず生唾を飲んでしまいます。
そして自らが背負った魔王としての「業」を脱ぎ捨て、超究極の存在へ至った彼。解き放たれた魂は歓喜を以て力を振りかざし、暴虐によって新たな「憤怒」の連鎖を生む……そんな拭い切れない哀しさも、この作品ならではの味わいではないでしょうか。
独特の深淵さと精細な描写に魅せられ、のめり込むように拝読いたしました。
羽化石様の他の作品も、今後読ませていただきます。
どうも。こちらで、というか感想と言う形での投稿では初めましてとなります、快晴です。
『それは純然たる憤怒である』遅ればせながら拝読いたしましたので、おそれながら感想を投下します。
『憤怒』の魔王デーモンが作品の主人公となっていて、彼の一人称で描かれる怒りの世界は、目に映る全てが怒りの対象なれど一編の詩を読んでいるかのように美しく、流れるように文章を目で追い続けてしまいました。
この作品に限った話では無く、羽化石様の作品は言葉の選び方と言うか、テンポというか、そういうものが自然と受け取り易く、その上で重要なワードがばちんと胸に飛び込んでくる感じがあって、すごく美しい文章だと思っています。
何もかもが腹立たしくて、腹を立ててしまう事が苦しくて、苦しいからまた怒るという連鎖は憤怒の魔王の業を見ているこっちまで胸が痛くなる程表現していて、しかし同時に、だからこそ彼は『憤怒』の大罪を背負った魔王なのだと読み手にこれ以上ない説得力を与えている印象を覚えます。タイトル通りの、純然たる憤怒の物語なのだと。
それからこの物語では脇役に当たるデジモン達ですが、「一応脇役なんだよな?」と思ってしまうくらい個性がはっきりとしていて魅力的で、グランドラクモン様もルーチェモン様も少し喋っただけなのに崇め奉りたいですはい。
……マタドゥルモンが登場した時に「あ! マタドゥルモン!」となった直後「あ……マタドゥルモン……」となったのは内緒です。でも推しをきっちりむごたらしく(※褒めてます)殺せる手腕は自分も見習いたいです。
最後に殻を破り、憤怒する者では無く憤怒を撒く者となったデーモン様がどこに征かれるのか……ひょっとすると書き出しにあったように、「憤怒を憎みし者に裁かれる運命にある」ところへと行きついたのか。物語はここでお終いではありますが、その先に思いを馳せずにはいられません。
素敵な時間をありがとうございました。
つたないものではありますが、これを感想とさせていただきます。
ヒャッハー!! 憤怒の魔王の物語だぁ!!
どうも、基本的にこの手のアンソロジー作品の実物に触れる機会を得られない系九州民のユキサーンです。投下してくださってありがたやの一言ですよぉ……。
七大魔王の持つ『大罪』は色々な解釈が出来るのですが、その中でも『憤怒』は特に自分自身を傷付ける筆頭だと自分は思ってます。『暴食』も『嫉妬』も『傲慢』も『色欲』も『怠惰』も『強欲』も、基本的には他の何かから奪ったり与えてもらったりする事で(『怠惰』だけは例外)多少なり解消出来なくも無い一方で、『憤怒』は根底にあるものが(当人の主観に寄った)正義感だったりもするので、精神構造によっては今作の彼のようにあらゆるものが精神を焼く元凶となりかねない……。
場合によっては怒りに身を任せた行動が更なる怒りを生むわけで、今作のように大罪そのものがある種の機構と化してる場合はもう一種の永久機関になっちまいますわね……最後の独白はかつての『彼』のものとも『彼』に大切なものを奪われた誰かのものとも捉えられますし、仮に後者だとしたらこの子も第二第三のデーモンとなるのか……。
『七つの大罪』は本来、罪そのものというよりは『罪を犯す可能性が高い最筆頭の要因』とされてますが、だとすれば七大魔王はそういった『罪を犯す可能性』の象徴なのか、あるいは『罪を犯した結果』の象徴なのか。罪が先か魔王が先か、疑問は尽きませんな。
『彼』の地の文の語りを読んでも改めて思いますが、現実世界の情報を取り込んだ結果、望まざる可能性さえも生み出してしまうデジタルワールドの構造こそがあるいは一番罪深いのでは? とかちょっとだけ思ったり。
とても良い作品に巡りあえた事を感謝します。羽化石さんありがとう!!
PS 実の所、自分の中だと一番可能性を感じている大罪は『怠惰』だったり。