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快晴
2020年10月17日

こいに落ちる文章

 夕刻。土砂崩れで抉れた崖の間際。影を1つ見つけ、私はその場に降り立った。

「空を、飛んでみたかったの」

 ここで何を、と問いかけた私に、振り返った見知らぬデジモンは、愛想だけでどうにか取り繕ったような笑みを浮かべてそう答える。

 不思議なことを言う。

 このデジモン。姿形は強いて言えばリリモンに似てはいるが、彼女達のような華やかさは一切無い。

 髪は夜の帳よりも黒く、顔は青白く。暗がりを住処とする『ナイトメアソルジャーズ』の連中よりもさらに色みの無い装束を身に纏っており、それから何と言っても、私の確認した限りでは、翼や羽に該当する器官は見受けられなかった。

 そんなデジモンが、どうやって空を飛ぶと言うのだろう。

「言ったでしょう。飛んでみたかった、って。飛べるなら、そんな事は言わないわ」

 貴方はいいわね。立派な翼。私を見上げて、しかし羨望と呼べる感情を抱いているとはとても思えない表情で、抑揚無く謎のデジモンは呟いた。

 とはいえこのデジモンの本心がどうであれ、これが自慢の翼なのは事実である。

 私は大きく、赤々と燃え上がる羽を広げた。

 幼年期や成長期のデジモンと比べればある程度は大きいが、それでも十分に小さなそのデジモンが、すっぽりと、私の明るい影に覆われてしまう。

 私が少しでも強く羽ばたけば、風圧で崖から落ちるよりも前に、翼から零れ落ちた炎でたちまち焼けてしまうだろう。そのくらい、このデジモンは小さかった。

 空を飛べる、というのは本当に、気分が良い。

 仲間達の中には進化の段階で飛べない種へと変わってしまう者も多く、故にこそ、鍛錬を重ね、今現在のこの姿――バードラモンに至った時。私は文字通り、身も心も、舞い上がったのだ。

 で、あれば。このデジモンが空に思いも馳せるのも当然ではあるか、と。

 私は機嫌よく、答えをわかり切ったつもりで、なおもかのデジモンへと問いかける。

 どうして、空を飛びたかったのか、と。

 しかし、しばらく悩んだ素振りを見せた謎のデジモンから返ってきたのは、いささか私の予想からは外れた答えだった。

「私、ブンショウを。……書くのが、好きだったの。だから、その参考にしてみたくて」

 ブンショウ。

 聞いた事も無い言葉だった。

 それは何だ、と私は問うた。

 思いもよらない返答に、胸のあたりがざわついた。

 ブンショウが何かはよくわからないが、それが「空を飛ぶ事」では無いのは理解できた。

 とすれば「ブンショウを書く」というのは、私がその昔焦がれ、今も愛してやまない「空を飛ぶ」という行為さえ通過点にしてしまうモノなのではないか。

 そう思うと無性に腹立たしくて、しかし、見た事も無いデジモンが言う謎の行為に、興味を引かれないと言えば、それも嘘になって。

 だから。尋ねたその時、私の口調は、少しだけ。強いものになっていたようにも思う。

 すると謎のデジモンは、ほんの僅かに眉を寄せて、それから静かに目を伏せて、たっぷりと間を置いてから、朝露に濡れた花を思い起こさせるような、やるせない笑みで私を見上げた。

「私は教えるのが下手だし、一言では。ううん。それなりに時間をかけても、説明するのは、難しいと思うの。それでもいいなら、明日から。同じ時間に、同じこの場所に来てくれたら。私にお話出来る範囲で、ブンショウについて、教えてあげる」

 わかった。と私は頷いた。

 食事を必要とする時間でもなければ、何か予定がある訳でも無い。

 空を飛ぶ力を得、姿形も巨鳥となり、燃え盛る翼をわざわざ獲物にしようとする天敵も、今やこの森にはそういない。

 逆に非捕食者という立場ではこのデジモンの方が危うそうではあったが、しかしそれについて尋ねるよりも前に、謎のデジモンは「その代わり」と改めて口を開いた。

「私がブンショウについて教え終わったら、その背に私を乗せて、空を飛んでほしいの」

 私は驚いた。

 そんな事をすれば、このちっぽけなデジモンは、たちまち私の炎に焼き焦がされてしまうに違い無いからだ。

 敵対者であればいざ知らず、私は好き好んで自分よりも弱いデジモンを焼き殺すほど、残虐な振舞いをするデジモンでは無い。

 だというのに、私がその旨を伝えても、謎のデジモンは小さく首を横に振るのみであった。

「いいの、それでも。私は、別に」

*

 さて、そういう訳で次の日から、この奇妙なデジモンの「ブンショウ」語りに、私が耳を傾ける日々は幕を開けた。

 曰く「ブンショウ」とは、言葉を文字に書き起こしたモノなのだそうだ。

 とはいえよくわからない事に、「ブンショウ」というのは文字を書くだけではなくて、自分が見たり、ただ考えたりしただけの風景や物事を、誰かの心に訴えるために使われるらしい。

 そんなもの、私とこうしているように、直接喋って伝えれば良いのではないかと思ったが、「同じ話を全く同じように、複数の相手に別々にするのは難しいでしょう」との事で、なるほど、それは確かにその通りだと、納得する他無かった。

 では、絵にすればもっと解り易く相手に伝えられるのではないか。と問えば、今度は私が謎のデジモンの似顔絵を爪の先で地面に描かされて、口で言うのと実際にやるのとでは全く違ってしまうのだと思い知らされる羽目になった。

 目鼻の位置だけは辛うじて、逆を言えばそれ以外の情報をまるで伝えられない私の絵に「まあ、やっぱりブンショウでも、ちゃんと伝えられるとは限らないんだけどね」とそう述べて、謎のデジモンは長らくその絵を眺め続け、私はなんだか、その内このデジモンを乗せる事になる自分の背が、むずむずと痒くなるような感覚を覚えるのであった。

 ところで謎のデジモンは、本当に生態すらも謎に包まれていて、約束の時間以外に崖の付近へと寄ってみても、まるで姿を現さないのだ。

 時々顔に痣を拵えているところを見ると、全く戦闘をしないデジモンという訳では無いのだろうが、解る事と言えばそれだけで。

 直接聞こうにも顔を合わせている間は「ブンショウ」の話だけで時間がいっぱいいっぱい使われてしまって、話が終わった後にこのデジモンがどこに消えるのかさえ、私は知れないままでいた。

 なのである時、朝早く。私はこの森で一番の物知りな、巨大なジュレイモンの元を尋ねた。

 しわがれ声で、燃え盛る私に必要以上に近寄らないよう何度も言い含めるジュレイモンに拙いながらも謎のデジモンの特徴を伝えると、曰く、見た目の詳細は解らないが、デジタルワールドのどこかにはエカキモンという絵を描く事を己の能力とするデジモンが居て、ひょっとするとそのデジモンはエカキモンの亜種で、字を書く事を得意とするならば、ジカキモンなるデジモンなのかもしれない。との事だった。

 その日の夕方。思い切って、謎のデジモンにお前はジカキモンなのかと尋ねると、謎のデジモンは片方が青い痣で縁どりされた目の中に在る、古木の色をした瞳を大きく見開いて、それから、「そうなのかもしれないわね」と、可笑しそうに微笑んだ。

 私はきっと、このデジモンはジカキモンなるデジモンではないのだろうと思ったが、本人が否定も肯定もしてくれないので、このデジモン自身が何かを言う出すまでは、ジカキモンと呼ぶ事に決めた。

 ジカキモンは兎に角、よくわからない、不思議なデジモンだった。

*

 ジカキモンから「ブンショウ」について習い始めて、何日が経っただろうか。

 いつもの場所に私が降り立つと、ジカキモンは崖の縁に腰かけて、足をぶらぶらと揺らしていた。

 ひざ丈の黒いスカートと同じく黒色の靴下の間に見える白い肌には、顔に時折あるのと同じ青紫色の痣があって、ほんの僅かに、他のヶ所よりも盛り上がっている。

「ああ、御機嫌よう」

 振り返って目を細めるジカキモンの上半身を、私は呆れ顔のまま嘴で挟み込む。

 縁には鋭い牙があるものの、怪我をさせない力加減くらいは解っている。それに少なくとも、燃えている箇所やかぎ爪で触れるよりは、安全に違いなかった。

 なるべくジカキモンに負担を与えないよう細心の注意を払いながら、ぎりぎり自分の翼が山の木々に引火しない範囲で、崖際からなるべく離れた位置にまでジカキモンを引き摺って行く。

 嘴を開いてから首を持ち上げると、ジカキモンは私の涎に塗れた顔を服の裾でぬぐいながら、「心配かけてごめんなさいね」と、謝罪の念などこれっぽっちも籠っていない声音で、軽薄にからからと笑うのだった。

 このデジモン、以前にも同じような事をして、あの時は本当に崖から落ちかけたのだ。

 こんなに赤々と燃える身体なのに、その時は自分の中身があっと言う間に凍り付いたような気がして、その時も咄嗟に私はジカキモンを、今よりはずっと乱暴な形になってしまったが、嘴で咥えてこちらに寄せたのだった。

 「痛い」と顔をしかめたくせに、ジカキモンが抑えたのは私の歯形が付いたのとは別の箇所で、どうにも、怪我をして弱っていたらしい。

 そんな時に、こんな真似を。空を飛べないのにするんじゃない。私がいなければどうするつもりだったんだ。そう咎めても、ジカキモンはただ困ったように、「心配してくれるのね。あなただけよ、ありがとう」と見当違いな礼を述べるばかりで。

 おかげでその日の「ブンショウ」の話は、ほとんどが頭に入って来なかった。

 辛うじて、ジカキモンが崖から落ちかけた時の感覚は、ジカキモン風に言うと「キモが冷える」になるという事だけは覚えたが、これは出来れば二度と同じ感覚を覚えたくは無かったからで――だというのに、ジカキモンはまた同じことをしていたのだ。

 キモが冷える、と。私は恨みがまし気に呟いた。

 キモが何なのかは、いまいちよく解らないにもかかわらず、だ。

「ごめんなさいね」

 ジカキモンは繰り返した。

 その様子が何故だか、むしろ嬉しそうなくらいで、私はジカキモンがきっと私をからかっているのだろうと少しばかり腹を立てる。

「本当に、ごめんなさい」

 だが、彼女が僅かに声のトーンを下げたのを聞いて、小さな怒りの灯火は、あっという間に掻き消えた。

 時々。本当に、時々。

 ジカキモンはこんな風に声色を変えては、私の感情を書き換えてしまうのだ。

 だから、もう怒っていないと。私は素直に、自分の中の今現在を伝える。

 ジカキモンは、首を軽く横に振った。

「いいえ、ごめんなさい。今日は……また、少し、飛びたい気分だったの。なんていうのかしら。泳げなくても、足を水に浸けると、水の感覚を知る事は出来るでしょう? そういう感覚、のつもりだったのだけれど……伝わっているかしら?」

 私は頷いた。

 この山の麓は水源が豊かだ。私は泳ぐ種でこそ無いが、あの冷たいせせらぎに足を浸した事はある。

 そう言われてみれば、ジカキモンの行動も、全く意味が解らないという訳でもないなと思った。

「そう。なら、良かった。自分の考えや思いが伝わるのは、とても、嬉しいわ」

 それは、ジカキモンが時折口にする言葉だった。

 自分の考えや、思いが伝わる。それが「ブンショウ」の醍醐味なのだと、ジカキモンは何度も、口にするのだ。

 そう言う時は決まって、ジカキモンはほっとしたように、本当の意味で、笑顔を浮かべている。

 だから私は、ジカキモンがその言葉を使う瞬間を、いつの頃からか、好ましく思うようになっていて。

 だから、だろうか。

 私はふと、ジカキモンにひとつ、提案してみる事にした。

 今さっきまで、崖際に腰かけて足をぶらぶらと振って。

 その中で、ジカキモン自身が感じた「空」を、ブンショウにして私に伝えてほしい、と。

 私は、そうジカキモンに懇願した。

 思わぬ提案だったのだろうか。

 ジカキモンは、私がこのデジモンの名前がジカキモンなのかと問うた時のように、また目を見開いて。

 それから、しばらく間を置いて

「わかったわ」

 と、私の頼みを承諾した。

 そうして。少しの時間。

 ジカキモンは山の麓に広がる森と、青色と赤色が両方ある夕刻の空を、眺めていた。

 やがて、彼女は口を開く。

 空を飛べないジカキモンは、なのに、自分が空を飛んだ時の「ブンショウ」を話し始めた。

 だが、誰がそれを嘘つきの妄言だとなじる事ができようか。

 少なくとも私の中に、そんな事をしようという考えは微塵も思い浮かばなかった。

 ジカキモンは、空を飛んでいた。

 今、丁度この時刻。赤の空と青の空を隔てる紫の雲の隙間を、深緑の森を見下ろしながら、鳥型のように、ではなく、風に舞い上がった花弁のように、飛んでいた。

 自由に、自由に、飛んでいた。

 それは、私のかつて見た夢だった。

 実際に翼を得る前に、出来得る限り高い木の枝に登って、いつか征くのだと夢見た空の景色だった。

 私は、その世界が欲しくて。

 欲しくて、たまらなくて。

 だから

「……どうして泣いてるの?」

 「ブンショウ」を語り終えたジカキモンが、あからさまな困惑を浮かべて私に問うてくる。

 懐かしいのだと、私は答えた。

 オマエが語り聞かせてくれたブンショウは、空を飛びたいと、ただそれだけを願っていたあの頃に見ていた景色なのだ、と。

「そう」

 でもね。

 そう言って、ジカキモンは自分の「ブンショウ」を否定する。

 もっと上手なヒトがいる、と。自分のは、これっぽっちも、才の欠片も無い、つまらない、くだらない「ブンショウ」だと。さも当然のように、ジカキモンは言うのだ。

 そして最後に、「あなたのはじめての「ブンショウ」が、私なんかのになってごめんなさい」と。

 崖から落ちそうなあの時よりも。ずっとずっと申し訳なさそうに、そう、言うのだ。

 どうしてそんな事を言うのだろう。今度は悲しくなって、涙が出た。

 目元から零れるなり、私の涙はじゅう、と音を立てて、蒸発する。

 胸の中にはまたおかしな感覚があって、しかしこれは、「キモが冷える」とはまた違ったものなのだろうという確信があった。

 ああ、ならば。

 私は再び、ジカキモンに問うた。

 もしも私がジカキモンを背に乗せて飛ぶ事が出来れば、ジカキモンの「ブンショウ」は、もっと素晴らしい物になるのだろうか、と。

「わからないわ」

 ジカキモンは首を横に振る。

「わからない。……でも、そうね。私は、あなたの背に乗って飛びたいわ」

*

 その日、私は夢を見た。

 ジカキモンと2人で、空を飛ぶ夢だ。

*

「ジカキモン!」

 声がどうしようもなく弾んだ。

 ジカキモンは今日も崖際に腰かけていたが、私は咎めようとは思わなかった。

 何せ、今日は今までよりもずっと丁寧に、彼女を安全な場所へと引き寄せる事が出来るからだ。

 爪の先には注意が必要だが、少なくとももう二度と、彼女を焦がしてしまう心配はいらない。

「あなたは」

 そっと手の平に乗せたジカキモンが、困惑したように私を見上げる。

 まあ、仕方の無い事だろう。

 私の姿は、昨日までとはまるきり変わってしまっているのだから。

「すごいだろう、進化したんだ」

 朝、目が覚めると。私はこの姿になっていた。

 バードラモンよりもさらに巨大な、赤い鳥。完全体のデジモンだ。

 ……だが、さらに高みの姿となれた事以上に、私の胸を躍らせたのは

「どうだろうか、この姿は、オマエに少しだけ似ている」

 炎でジカキモンを傷付けない姿になった事はもちろんだが、2本の足で立ち上がり、翼とは別の前脚があるこの姿は、大きさや形の差は有れど、シルエットだけを見れば、ジカキモンに、そっくりだった。

 それがなんだか、とても、とても嬉しくて。

「……そうね」

 しかしジカキモンの方は、どうも私の進化を芳しく思っている風では無い。

 その事実は一瞬、胸の中で靄となりかけたが……ただ、まあ。ジカキモンからすれば、バードラモンの姿の私に慣れているのだ。突然それが完全体となって現れれば、困惑するのも無理はない。

 私は、そう判断する事にした。

 そう、その程度は、些事なのだ。

「ジカキモン」

 私は手の中にすっぽりと納まる小さなジカキモンに、嘴を寄せて、囁いた。

「この姿は、オマエを燃やしたりしない姿だ。心配する事は、何も無い。だから、今から。私と一緒に、空を飛ばないか」

 ジカキモンは、今度こそ仕草にも驚きを表した。

 私は首を傾げる。

「何をそう驚く事がある? 「ブンショウ」の話がまだ終わっていないからか? だが、オマエは私と約束しただろう。今が、その時だ」

 ジカキモンは、しばらく、黙って。

 やがて顔を上げたかと思うと、やはり困ったような顔で、

「少しだけ。ちょっとの間だけ、待っていてくれる? すぐに、戻るから」

 枯れたような声で、ジカキモンは、そう言った。

「……わかった」

 ひょっとすると、今日はジカキモンにとっては、飛びたい日では無いのかもしれない。

 そう思って、私は肯定のすぐ次に、明日でも、明後日でもと言葉を足す。

 だが、それにはジカキモンは首を横に振った。

「いいえ、少しでいいの。必ず戻るから、ここで、待っていて」

 私に手の平から降ろすように促して、それから、ジカキモンは背後に広がる林の奥へと、私の方を振り返らずに駆けて行く。

 長く、待っていたように思う。

 だが夕陽が沈み切っていない様を見るに、大して時間は経過していないのだろう。

 それでも「お待たせ」と背後から声がした時に、自分の中で何かが何度脈を打ったのか、それすら判らない程の時が流れたのだ。

 振り返り、今度は私が目を見開く番だった。

 ジカキモンは、髪や目、肌の色こそ変わらなかったが、それでも、いつもよりもずっと、それこそ花のように色鮮やかな衣装を身に纏っていた。

 やはり、空を飛べそうな装束では無かったのだが――それについては、むしろ安堵する自分も居て。

「オマエも」

 私は膝を降り、僅かにではあるが、ジカキモンに視線を寄せた。

「進化したのか?」

「いいえ」

 ジカキモンは眉をハの字に寄せ、口には弧を描いた。

「私は飛ぶ事だけじゃなく、成長する事も出来ないの」

「だけど、オマエは綺麗だ。いつもより」

「そう」

 誤魔化すように、ジカキモンの眼が細められる。

「だったら、頑張った甲斐くらいは、あったのかもしれないわ」

 そう言うなり、ジカキモンはすぅ、と私の方へと、手を差し出した。

 指先には、四角い形を取るよう折り畳まれた空色の紙が挟まれている。

「これは?」

「封筒よ。中に、手紙が……私の書いたブンショウが、入っているから」

 ここに戻ってきたら読んで、と。

 ジカキモンは、私にそれを直接は渡さず、履いていた靴を脱ぐとそれを重石の代わりにして崖の間際に置いた。

「さあ、行きましょう。あなたの背中に、乗せて頂戴」

「手の上の方が良い。その方が、安全だ」

「いいえ、背中が良いの。あなたの背中が。あなたの翼の間に腰を下ろして、金色の髪を、しっかりと握ってみたいの」

 ジカキモンは頑なに、背中が良いと言って譲らなかった。

 何度かは説得を試みた私も流石に折れて、四つん這いに近い姿勢になって、ジカキモンを、背に乗せる。

 ジカキモンが乗った事を確認して、私は立ち上がらないまま地面を、崖を蹴る。

 翼を広げて、ばさり、ばさり。

 私とジカキモンは、空を飛んだ。

 ジカキモンを待つ間に、昼の青色は夕焼けの赤色に塗り潰されて、私はそれを、火が燃え広がったようだと考える。だからまるで、昨日までの自分を高い所から見下ろしているようで、気分が良かった。

「どうだ、ジカキモン」

 私は背中の小さなデジモンに問いかける。

「お前は空を、飛んでいるか?」

「ええ」

 バードラモンの時よりも遥かに速く跳べる筈の翼をゆったりと動かしているからか。風も無く、ジカキモンの声は、思ったよりもよく聞こえた。

「ええ、ええ。……そうね」

 ぎゅ、と、金の髪をジカキモンが握り締めているのが解る。痛くは無いが、初めて誰かを乗せる背は、どうにもこそばゆい。

「私、幸せよ。今が一番幸せ。今までこれ以上に幸せな時間なんて無かったし、これからもきっと、もう二度と。こんなに幸せだと思う日なんて、訪れないでしょうね」

「そんな事は無い」

 思わぬ言葉に、私はムキになって返す。

「確かにこの、赤い夕暮れの景色は美しい。だがこの島の空には、朝焼けの黄金も、夜の白銀もまだ残されている。昼間には空も大地も海もそれぞれ別の青色で、きっとオマエも気に入る筈だ。ああそうだ、オマエは工場地帯の景色をまだ見てはいないだろう。あそこは普段雲でも霧でも無い、少々嫌な臭いの靄に覆われているが、時たま、灰と黒鉄の建造物がびっしりと隙間なく並び立つ様が覗くのだ。森に住まう者達の中にはそれを異様に嫌う輩も多いが、あの謎めいた空間を、私はオマエにも一目見てほしい。そうしたら、きっと私達は、同じものを違うブンショウで、語らう事が出来ると思うのだ」

 興奮が私の舌を回す。

 ジカキモンに見せたい景色の話題は尽きる事が無かった。

 まるで、初めて空を飛んでいるかのようだった。

「……私ね」

 不意に、ジカキモンが私の髪に顔を埋めた。

 突然の事に自分の中の何かが跳ね上がりそうになるが、まさか羽ばたきを止める訳にはいかない。精一杯、震える声で「どうした」とだけ尋ねるが、ジカキモンはそれには答えなかった。

「今が一番幸せよ。さっきよりも、『今』が、幸せ」

「……なら」

 先程とそう変わらぬ台詞に、しかし私は深く満たされる。

 続いた言葉は、自分でも驚くくらいに、穏やかだった。

「次に空を飛ぶ時は、オマエはもっと、幸せだろう」

「あなたは、本当に。素敵なブンショウを使うわね」

 首を傾げる私に、今度はジカキモンの方が、風に揺れる梢のように声を震わせて。顔を上げないままに呟くのが聞こえた。

「だから私、もう――いいえ、本当は最初から、あなたに教えられる事なんて、何も無いと思うのだけれど。それでも。……それでもあなたは、また、私を背中に乗せて飛んでくれるの?」

「私は今」

 笑っていたように思う。いくら形が変わったとはいえ、嘴にそんな機能も無いだろうに。

「お前と居るから、知らない空を、飛んでいるよ」

 ジカキモンが顔を上げたのが解った。

 ちょうどいい。ここなら、森も海も、殊更良く見える。

 美しい景色だ。

「ありがとう。大好きよ」

 デジコアが突然どくりと動いて、全身の羽毛が逆立ったような気がした。

 そうやって出来た羽根の隙間に、ぽたりと、雫が落ちたような気がして。

「ごめんなさい。さようなら」

 私はその感覚に、気を取られ過ぎたのだ。

 ジカキモンは、私の背中から飛び降りた。

 気付いた時には、手遅れだった。

*

 何度詰め寄っても、私の代わりにジカキモンの遺したブンショウを声に出すジュレイモンの枯れた言葉が内容を変える事は無かった。

 どんどん膨れ上がる幸せが、いつか失われる日が来ると。壊れる日が来ると。それが怖かったのだと、ジカキモンは書き残していたのだと言う。

 だから、その日が来る前に。幸せが最も美しいその時に。……全てを、終わらせたかったのだと。

 身勝手な自分を憎んで欲しいと、最後にそう書き添えて。ジカキモンは、それを実行したらしかった。

 ああ、だけど。そんな筈は。そんな筈は無いのだ。

 あれだけ見事に『空を飛んだ』ジカキモンが、こんなつまらない、何も描かないブンショウを書く筈が無い。

 きっと手紙は2枚あって、本物のブンショウは風に飛ばされてしまったか。あるいはひょっとすると、悪戯の過ぎるマッシュモンが、ジカキモンのブンショウを偽物とすり替えてしまったのかもしれない。

 いいや、いいや。もしかすると、ジュレイモンが嘘吐いているのかもしれない。そうだ、そうに違いない。この古い巨木のデジモンが命じれば、応じる者はいくらでもいる。誰かに命じて、こいつが手紙を私から奪ったのだ。

 ジカキモンの最期が、こんなブンショウであってたまるものか。

 ジュレイモンを、ジュレイモンを中心とした森の一部を怒りに任せて焼き払った私は、それから昼夜を問わずにジカキモンのブンショウを探し回った。

 目を潰す眩さがひたすら鬱陶しい朝日の中を

 目を覆う暗がりがただただ不快な宵闇の中を

 急速に色あせたいくつもの青色を何度でも掻き分けて、時にはどんよりとした鈍色の、工場地帯の靄にまで飛び込んで

 しかしついにジカキモンのブンショウが見つかる事は無く、

 代わりに多くの土地が焼け、

 そして私は、私の飛んだ空もまた、無くなってしまったのだと知った。

 私は飛んだ。

 ただただ高く在る事を目指して、ひたすらに羽ばたいた。

 目に映る何もかもを焼いた私の炎は知らぬ間に、多くのデジモンの胸の内にまで飛び火したのだろう。

 住まう土地の枠さえ超えた幾体ものデジモンの群れが、私に刃を向けたのだ。

 今や私の自慢だった翼は穴だらけで、『ナイトメアソルジャーズ』の堕天使型達にも負けず劣らずといった有様だ。

 気が付けば日は海の向こうにまで傾き、ちょうどそれは、ジカキモンと飛んだ空だった。

 私は最後の力を振り絞って、縋るように、自分の羽と同じ色の中に、あの日飛んでいた自分を探した。

 どこまでも昇った。

 どこにも無かった。

 と、不意に稲妻のような黄金が、ひょいと私を追い抜かして行くのが見えた。

 それが本来であれば凶悪なウイルス種を滅する天使の破魔矢で、他ならぬ私の胸の中央を穿って去って行ったのだと気付く頃には。私は飛ぶための力をすべて失って、自分の身体が粒子化する光が尾を引く様を眺めながら、逆さの姿勢で天から突き離されていた。

 逆転した茜の景色は、来た道を引き返しているだけなのに、違う世界を見ているようだった。

 それでふと、私は今、ジカキモンが見たのと同じ景色を見ているのだと、そう気付いて。

 ジカキモンが目に焼き付けた最後の光景を臨んでいるのだと悟って。

 私はようやく、ジカキモンが本当の意味で最後に書いたブンショウと、同じ物を見つけたらしかった。

 私は、やはりジカキモンは空を飛んだのだな。と微笑んで。

 そうして私達は、きっと最期に同じ音を聞いた。

 だからこのブンショウは、これでお終い。

快晴
2020年10月17日

 あとがき

 おかしい……私はロゼモンと女テイマーの濃厚イチャラブ百合小説かピノッキモンと女テイマーのほのぼのおねショタ小説を書こうと思っていた筈なのに……。

 はい、という訳でこんにちは。へりこにあん様考案の『デジモンペンデュラムZ』発売記念企画で、ウィンドガーディアンズを担当させていただきました、快晴です。

 今回はデジモンの恋愛がテーマという事でしたが、いかがでしたでしょうか。

 一応、恋愛という共通テーマを除くと『ハッピーエンドで終わる話』『未完の傑作より完結した駄作』がテーマでしょうか。快晴はどうにも不幸な少女と人外の組み合わせが好きらしい。

 そう、念のためここに書いておきますが、ジカキモンちゃんは人間なのでした。

 『物語』や『小説』ではなく『文章』という語を使っているのは、思春期時代の快晴とかいうヤツがその昔「小説を書くのが趣味」と言うのを気恥ずかしがって、「文章を書くのが好き」という言い方を使っていたからです。特に意味は無いんですけれども。

 ただまあジカキモンちゃんにとって彼女が書いたものは小説にも物語にもなり得ない程度のモノだった、という意味で、ジカキモンちゃんが言葉にして描くものは『文章』にさせてもらいました。

 作中に恋愛という言葉が一切出てこない上にそれっぽい台詞もジカキモンちゃんの「好き」しか無いので「これ本当に恋愛モノか?」と聞かれると少々苦しいのですが、「こいには落ちたし……」を振りかざしてなんとか頑張ろうと思います。タイトルの時点でお察しの方もいらっしゃるかもしれませんが、このお話の元ネタは『意味が解ると怖い話』の『こいに落ちる音』です。恋愛とは。

 あとボカロ曲の『メルト』もモチーフと言えばモチーフです。なんだやっぱり恋愛モノじゃないか。快晴さん一安心です。

 ……半分くらい冗談の裏話はこのくらいにしておきましょう。

 10月5日にウィンドガーディアンズのペンデュラムZが発表され、同時に魅力的なデジモン達が4体も公開されたのですが、今回は発表以前に書いていたこの作品を企画用として投稿する事にしました。

 新デジモンを使ってみたく無かったと言えば嘘になりますが、『こいに落ちる物語』にも書きたい物を書けたという自負がありましたので……。

 正直納得できない事も多々発生するコンテンツではありますが、しかし同時に魅力的な創作のネタが沢山転がっているのもデジモンの世界だと思っています。新しく生まれたデジモン達が色んな人に愛されて、様々な形で飛び立っていく事を祈って、今回は旧ペンデュラムに登場した作品でお祝いしようと思い……ながら……俺は死ネタで話を書いたのか……?(ふと冷静さを取り戻した顔)

 まあ何にせよ、自分も今後じゃんじゃか新デジモンを使った作品とか作っていけたらいいなと、そう思う次第なのであります。

 最後になりましたが、素敵な企画を立ち上げてくださったへりこにあん様に、同じ企画に参加している同士の皆様に、そしてここまで読んで下さった全ての方々に、多大なる感謝を。ありがとうございました!

 それでは、またどこかで(具体的に言うと自作の続きか思い付いたら短編とかで)お会いしましょう。

へりこにあん
2020年10月18日

@快晴

とても素敵な短編でした。思いつきの様な企画に参加して頂いてありがとうございます。


人間の事を新種のデジモン扱いさせる事は私も考えた事がありますが、なるほどジカキモン……


ブンショウを通じて心を通わせたのは二人とも同じだったのに、この先も幸せがあるはずだと思ったからこそそこで終わりを迎えてしまった。その幸せがとても大きなものであったから全てを台無しにしてしまった。


切なさに胸が詰まる様な心地になりました。トップバッターとしてこんな素晴らしい短編を書いて頂き本当にありがとうございました。

夏P(ナッピー)
2020年11月8日

 企画自体の存在を先日知りましたが折角読ませて頂きましたので感想を書かせて頂きます、夏P(ナッピー)です。


 ジカキモン……そんな奴いたか……クロスウォーズかソシャゲ系のどっかにいたんかな……と思ってたら人間だったとは想定GUYでございました。でもそう思うと実は不治の病とかそーいうのだったんかな、とか思ったりしましたが、どちらかと言えば思いを文字で誰かに伝えられないもどかしさとかそーいうものなのかしら。とはいえ、今となっては誰も知らぬことか。

 小説を書くのが趣味と言い出せない気持ちはすげーわかると言いますか、自分も就活面接で話のネタでポロッと出す以外はあまり公言してないので非常に共感。原稿用紙に好きなように書けていた中学生の頃は幸せだったのかもしれない。

 ガルダモンの最後は太陽に近付きすぎて墜とされたイカロスのようで。いやジカキモンちゃんの最期を思うとある意味で彼女と同じ死を──という形式上ではあるけれど、ある意味では英雄ではなく人間(ただの人、という意味)として彼女と同じように死ねたということなのか。


 このような作品を拝読させて頂きありがとうございました。

パラレル
2020年10月18日

いやぁ、トップバッターを飾るに相応しい作品でした。


ブンショウを教える代わりにその背に乗せて空を飛ぶ。約束から始まった関係性は互いにとって大切な時間になったものの、その先は「私」とジカキモンで異なっていたようで。遺されたブンショウが受け入れられなかったのもジカキモンの自己評価の低さや「まあ、やっぱりブンショウでも、ちゃんと伝えられるとは限らないんだけどね」という言葉が現実になったようで尚更悲壮さが増しているようでした。……だからこそ、最期の最期でジカキモンが書いたブンショウと同じものを見つけられたのは本当に救いだったんでしょうね。


まとまりないですが、こんな感じで。ありがとうございました。


ユキサーン
2020年10月18日

これは紛れも無い”天才”ですね……恐ろしい……第一打者から既に投手の体ごとスクリーンに叩き込んでらっしゃる……。


人間というものを知らないデジモンが、人間のことを新種のデジモンとして扱って名付ける。そんな、ありそうでなかなか見られない関係性から始まった物語。いやホント、切ないものでした。なまじバードラモンの方もかつては”ジカキモン”と同じで「空を飛んでみたい」という願望を抱いていて、それが現実のものになった時の喜びを知っていたからこそ、進化して乗せてあげられるようになって、同じ景色を見て同じものを語らえると信じて……それがまさかよりにもよって最期の引き金となってしまうとは……マジでどうしてこうなった……。

もうね、その後のガルダモンの荒れようが、その衝動に突き動かされた故の行動が、最初の方に述べていた”敵対者であればいざ知らず、私は好き好んで自分よりも弱いデジモンを焼き殺すほど、残虐な振舞いをするデジモンでは無い”という独白の半ば真逆になってしまった事実が、どれほどまでにジカキモンに心を惹かれていたのか、その喪失に対してどれだけ心が揺れ動いたのかを表してて……結果として”残虐な振舞いをするデジモン”として撃たれた彼が最後に見たものが、ジカキモンと同じ景色であったことは、救いであったと信じたいものです。


こちらも頑張らねば……名作をありがとうございました。