十月三十一日――ハロウィン当日。
社会人――それも、食品を取り扱う企業に勤める者――にとって、ハロウィンとは子供に菓子を求められる日であると同時に、クリスマスやバレンタインと並んである種の戦争が勃発する時期である。
即ち、他の売り場よりも多くの顧客を呼び込めるかどうか、そうして結果としてどれだけ儲けられるかどうかの売買戦争。
売り手側は顧客が商品を買いたくなるようにするため、様々な手段を講じるものだ。
ビラ配りを始めとし、割引クーポンの配布に期間限定商品の販売などなど――その他の平時の商品管理なども並行して行いながら。
そういうわけで、スーパーやらマートやらの販売業の従業員たる人物が、ハロウィンで実際に子供達と触れ合う機会はほとんど無い、はずだった。
が、今年――しがない従業員の一人にして独身男性こと餡郷忍《あんごうしのぶ》が任された業務は、これまで経験してきたことの無いものだった。
即ち、
「俺が、着ぐるみの広告係……ですか?」
「そうそう。ハロウィンなんだ、ピッタリな業務だろう?」
「いや、確かにそうだとは思うんですけど……」
やけに軽快な語り口で説明をしているのは、彼の上司にあたる人物だった。
彼が告げた今回の業務は、言葉の通り――着ぐるみを着ながら子供達に菓子を渡し、売り場の広告宣伝にあたる事。
上司の指示である以上は逆らえないが、それはそれとして疑問の残る要素があり、
「えっと、本当に町中を歩き回って大丈夫なんですか? その、着ぐるみ装備で?」
「大丈夫大丈夫。今日はハロウィンだよ? 仮装している人はたくさんいる。中には気ぐるみを着ている人もいると思うし、雰囲気に溶け込む意味でもなんら問題は無いさ」
「いやそれも確かに気になりますけど、大丈夫なんですか? 着ぐるみって、前とか見えないし動きづらいしで滅茶苦茶不便なイメージあるんですけど。普通に制服を飾るのとかは……」
「今時そんな手抜きじゃ子供の客さえ引けないよ? ちゃんと前が見えるものにはしてるし、動くことについてもまぁ慣れていくはずだよ。ちゃんとボーナスもツケておくし、どうかな?」
余程のブラックな案件でも無い限り、ボーナスという単語には弱いのが社会人という人種である。
そもそもが上司からの指示であるということもあり、立場的にも逆らうことが難しい話だったりするわけで、忍は「まぁいいか」と内心で呟きつつ了承することにしていた。
そして、同じ事を任されることになった別の従業員共々、それなりに大きな着ぐるみを託されることになって。
従業員用に並べられたロッカーの前にて、手渡された着ぐるみを従業員用の制服の上から纏っていく。
今回の業務は他にも5名ほどの従業員が任されることになっているらしく、皆もそれぞれ異なる――恐竜やら動物やらを模したキャラ物の着ぐるみを身に纏っていた。
「あ、キャラとかは特に意識せずに喋ったりしてもいいから。喋れないと宣伝も出来ないわけだからね」
「それはそれで逆に意識しちゃうんですけど……?」
忍が着ているのは、クリーム色の毛並みをしており、ぽっちゃりとした太めの体系とすごく長い耳が特徴的な、なんというか白熊と兎を混ぜたような印象を抱くキャラの着ぐるみだった。
目元の部分は毛皮で少し隠れるような造形になっていて、視界の確保が為されているのかどうか外見だと怪しいところだった。
どういう意図の飾りか、アクセサリーとして耳の根元と両肩の辺りに黒いベルトが巻き付けられてもいる。
カッコいい路線? 可愛い路線? などと思いながら着ぐるみを纏った忍は、他の従業員達と共にハロウィンの街中――その内の、自らの持ち場――へとぎこちない足取りで入り込んでいく。
時刻は午後6時半頃。
夕食を終えた子供達が、わいわいがやがやと保護者同伴で夕焼けに染まった空の下を歩き回る時刻だ。
田舎ではどうなっているのか知らないが、都市には人だかりが多く、それ故に着ぐるみを纏った身では予想通りとても動きづらいものだった。
幸いなのは、上司の言った通り不思議と視界は確保出来ていることぐらいか。
やけに踵からつま先までが伸びた足の運びに四苦八苦しながら歩いていると、着ぐるみに気を惹かれたのか小学生と思わしき少年(魔法使いのような帽子を被っている)が一人、忍に対してハロウィン定番の挨拶を口にした。
「トリック・オア・トリート!!」
「とりっくおあとりーとー!!」
「うん、どうぞ。はい、どうぞ」
一人が口にすると、それに示し合わされるようにして他の子供達も同じ文言を口にしていた。
忍は着ぐるみの右腕にぶら下げるようにしていた白い袋、その中にあったお菓子を一つずつ、定番の挨拶を行った少年に手渡す。
菓子は店のチラシ(割引クーポン付き)によって花束でも形作るように包まれており、同じものがバスケットの中にはたくさん入っている。
遊園地の着ぐるみ従業員が持つものが基本的に風船であることを考えると、これもこれで中々にハードな部類だと言える。
これが些か肌寒さを感じる秋空の下ではなく、日光の降り注ぐ夏空の下でのことであったら尚更だ。
幸いにも、制服越しに着ているにも関わらず、蒸し暑さのようなものを感じることはなかったが。
(ある程度回って、菓子を全部渡しきったらひとまず戻っていいって話だったっけ……)
やること自体は単純であるため、おのずと暇になる時間もそれなりにある。
今時、定番の挨拶を口にする子供も、そこまで多いわけでは無く。
時間的にも暗くなる頃、親に外出そのものを止められている子供だって少なくはない。
近頃の日本は治安が良いとは言い切れないため、その判断は概ね間違ってもいないことを、忍は知っていた。
作業以外のことに思考を回すことが出来るだけの余裕があり、だからこそ彼は気ぐるみの視界で拾いきれる範囲だけでも街中の様子を窺い知ることが出来ていて。
故に、彼がそれに気づくことが出来たのは当然のことだと言えた。
夕焼けが衰え、夜の闇が都市を覆わんとした頃のことだ。
わいわいがやがやとした人並みの中、一際目立つ一団の姿が忍の視界に見えた。
恐らくは目立ちたがりの類だろう、多少はハロウィンの仮装でも意識したのか、バイクの左右に顔の形に見えるようくり貫いたカボチャに灯りを仕込んだもの――いわゆるジャック・オー・ランタンと思わしき何かをいくつもぶら下げ、バイクそのものにも悪霊染みた絵柄の塗装が為された、俗に言うところの痛車と呼ばれる類のバイクに乗っている集団だった。
全員共通して骸骨を燃したようなヘルメットを被っており、意図してエンジンの音を大きく鳴らしまくっていることから考えても、暴走族の類であろうことは容易に想像がついた。
毎年、高確率でこの手の馬鹿は現れる。
暇なのか存在感をアピールしたいのか、主な目的が何かは知らないが、うるさくてうるさくて仕方がない。
やけに鼓膜に響くその音に不快感を覚えながらも、無視することも出来ずにバイクの群れの行き先を目で追っていると、そこで思わず息を飲んだ。
見れば、大人達から貰ったのであろう菓子の包みを落としてしまったのか、車道の端の辺りに一人の少年が入り込んでしまっていた。
騒音、あるいは人込みの所為か、母と思わしき女性は子供の危険な足取りに気付くのに遅れてしまっている。
気付き、手に持った荷物も捨てて子供を抱きかかえて車道から引き離そうと動いた時には、バイクの群れと子供の距離はかなり縮まってしまっており、母の抱きかかえる手が間に合ったとしても、母ごと跳ね飛ばされかねない。
暴走バイクは各々密集しており、その速度から考えても子供や母親を器用に避けたり出来るとは思えず、何より各々が取り付けているジャック・オー・ランタンの灯りの影響で視界そのものが満足に取れているのかも定かではない。
「!!」
そこまでの事を、不思議にも瞬間的に知覚して。
まずい、と他人事であるにも関わらず危機感を覚えて。
直後、忍の体は思わず動いていた。
ぴょん、と。
軽い調子で、さながら跳ぶかのようにその体が僅かに浮くと、凄まじい速度で車道に踏み込んでしまった子供と母親、その間に割って入る。
半ば無我夢中で、忍は着ぐるみの大きな腕で子供と母親の体を抱き、そのまま再度跳躍した。
一瞬で街路樹を飛び越えるほど高さに至り、僅かな浮遊感の後にどしりと着地をする。
自重と落下速度に伴う衝撃が着ぐるみ越しの忍の足のみに伝わるが、それによって骨が折れたりなどすることはなく、本当に何事も無かった様子で忍は子供に対して自然とこう聞いていた。
「大丈夫?」
「う、うん。大丈夫!!」
流石に自分の身を襲わんとした危機については気付いていたのか、あるいは着ぐるみを纏った忍の顔が急に視界に現れたためか、明らかに緊張した様子で少年は問いに返事を返していた。
母親も同じような反応を見せていたが、子供の無事を確認すると現実を確認するように抱き締め、忍に対して感謝の言葉を述べていた。
そうした反応をその目で確認して、子供と母親が無事で済んだことを知覚してから、
(……あれ?)
遅れて、疑問を覚えた。
今、自分は何で子供と母親を助ける事が出来たんだろう、と。
同時に、その行動を成し遂げられた、成し遂げようとした事実そのものを、心の何処かで当然のことだとも思った。
二つの相反する感想が頭の中を巡っていて、されど疑問に答えを出せずにいると、母親の腕の中から出た少年(狼の被り物をしている)がこんな事を聞いてきた。
「ありがとうございます、えぇと……なんて名前なんですか?」
名前、というのが着ぐるみのキャラクターの名前の事を指していることは察しがついていた。
だが、彼は上司の男から着ぐるみのキャラクターの名前を何も知らされてはいなかった。
本名で名乗るのは色々な意味で駄目だと思える――と、そこまで考えて、彼はふとこう思った。
あれ。
僕の名前、なんだっけ?
(あん……ご……えぇと、あんごらしのぶ……だったっけ。いや、なんか違う気がする……えぇと……)
「――ごめん。それは言えないんだ」
記憶がどこかあやふやになっている気がして、結局彼はそうとしか答えられなかった。
返事を聞いた少年は、着ぐるみを纏った彼に対してこう返してくる。
「うーん……じゃあ、もふもふさん!! たすけてくれてありがとう!! えぇと……そうだ、お礼に僕のお菓子を……」
「気持ちだけ受け取っておくよ。それは、後で君達が楽しむべきものだからね」
我ながら、やけに格好つけた台詞が出たなと内心で呟いてから、着ぐるみの彼は少年と母親の元から離れていく。
経緯から考えても仕方のない事だが、少年達を助ける過程で道にいくつかハロウィン用の菓子包みを落としてしまっていて、彼はまずそれを拾うことを優先する必要があったのだ。
一つ二つと取っていき、見える範囲の菓子を回収し終えて。
彼はふと、少年の言葉を反芻していた。
(もふもふさん、か)
どこかふわふわした思考のまま、彼はこんな風に想った。
(……確かに、僕の毛皮はかなり厚いしね。そういう風に呼ばれるのが普通、なのかな)
いつの間にか、視界はとても開けて見えるようになっていた。
足運びに困ることはなくなり、太った体型に反して体はとても軽いように感じられている。
夜風が心地良い。
不快なものがあるとすれば、先の一団が反省もせずに鳴らしていると思わしきバイクのエンジン音が、未だにその耳を刺していることぐらい。
(……まぁ、ああいうのは関わるだけ無駄だし。また同じ事になったら話は別だけど……)
不快に思いながら、されど特に関心を持つことはなく。
(……それにしても良かった、僕の手が間に合って。人間の体は脆いからなぁ……)
彼は多くの宣伝用菓子包みが入った袋を軽々と右肩に担ぎ上げながら、ハロウィンの街中を再び歩いていく。
同日夜中、迷惑極まりない目立ちたがりのチンピラを病院送りにする不思議な生き物の姿が多くの人間の目に入ったりして。
それ以外にも色々な、異なる姿の不思議な生き物の姿が確認されて。
それ等は結果として、ある種の見世物のように扱われ、ハロウィンを盛り上げる一因となったりしたという。
そうして、街の人だかりが薄まってきた頃。
もふもふさん、と呼ばれた彼はとある建物の上で休んでいた。
見れば、その右肩に担がれていた袋の中から菓子包みはなくなっており、それは即ち彼の業務がひとまず終わったことを意味していた。
「ふわぁ……」
(……流石に、眠くなってきたなぁ……)
仕事は終わった。
であれば、
(……戻らないと、いけないんだったな……)
大きな手で目元を擦り、光の消えつつある街中を覗き見る。
数多に人の住まう場所、通う場所が見えていた。
まどろむ意識の中、ぼんやりと思考をして、そうして彼は戻るべき場所を思い出す。
自然と、それが当然の事であるように、一切の疑問を覚えることなく。
「……行こ……」
そうして、彼は跳んでいった。
頭から伸びる長い耳、それをプロペラのような形に高速で回転させながら。
此処ではない、何処かへと向かって。
ハロウィンの時期に感想を書いておくべきだったか……というわけで、大分遅くなりましたが夏P(ナッピー)です。
なんかもう最初の10行ぐらいで結末が予測できた気がしますが、途中の幽遊白書第1話展開は想定GUYだった。危うく箒に跨ったポニーテール死神が現れてキャハキャハ煽り散らかしてくるかと思ったぜ。というか、この展開的に同僚の皆さんも……ええい、渋谷系デジモンはどこだ!
此処ではない何処かってお前。人間の体は脆いとか倫理観崩壊しとるやないか!!
それでは。