6話
男は『選ばれし子供』では無かった。
男はこの世界のある意味での創造主たる零 一の部下の1人で、そういう意味では『神』よりも偉大な彼の事を、他のメンバー同様に敬愛していた。
その一方で、男は『選ばれし子供』を始めとした子供達の事を、皆に聖母様と慕われる赤毛の少女を含めて別段何とも思ってはいなかった。
なにせ彼ら彼女らは、言ってしまえば、実験動物。
零に進んでついて行くような部下だ。元よりそれらしい倫理観すら希薄だった男は、加えて子供があまり好きではなく。
子供達に風変わりな――言い換えれば、功名心を募らせるあまり、特に子供たちを顧みない施術を行う、第3棟と呼ばれる実験棟が男の所属する部署で、犠牲も多く、その分『キメラモン』の『選ばれし子供』のように特異な個体もいくらか製造されており、少なくとも男は、その事を実に誇らしく思っていた。
最も。重ねた屍の数だけは勝っても、性能に関しては、零が直接手を加えた個体には遠く及ばなかったのだが。
それでも、それは男にとっては当然の事で、大した問題では無かったのだ。
零の『最高傑作』が、零の他の作品たちも、零以外の作り上げた作品たちも、零自身をも、零以外をも、全て消し去ってしまうまでは。
「……来たか。 」
抑えようとしたにもかかわらず、女の姿を認めるなり、怒気のあまり男の声が震えた。
その震えさえも、女が神に罰された『怪物』であるが故に発生するノイズによって、掻き消されてしまうのだが。
「まあ、貴方にこれといった用事は無いんですけれどね。しかし来ましたよ。……で、結局、何番なんでしたっけ、貴方」
「貴様ら実験動物と一緒にするな。俺は」
「その言い方だと白衣連中の1人ですか。じゃあいいです。貴方がたの個体名、普通に覚えにくいので」
単眼で女を凝視する元研究者と、「しかし白衣の方こそ念入りに殺したつもりだったのですが」と回想のためかどこか上の空の女。
『ゲート』から出て以降女の2、3歩後ろについていたサリエラは、気が気でないといった表情で2人を交互に見つめていた。
『御蔵』。
見上げるだけで首を痛めそうな程巨大な白い枯れ木と、その根元に絡んだいくつもの石柱。それらがこちらも木に負けないくらい高い壁に覆われているだけの『ゾーン』。
この場所が、そしてこの巨木こそが、『この世界』に携わった人々が求めた、そして『怪物』達全ての母体たる『神』である。
「俺と、俺達の研究室に保管されていた『デジコア』の目的が一致した。だから、俺は、死ななかった」
「……。……ああ、そういえば。そういう『怪物』も居るんでしたっけ。『デジコア』だけの状態で、大した執念です。その部分だけ、あの武器屋バカの『カオスデュークモン』を見習ってほしいくらいですよ」
会話の意味が解らず首を傾げるサリエラの隣で、女は自分の胸元を見下ろしてふぅと息を吐く。
妙なところで恨みを買いがちな自分の中の『デジコア』を、自分の事は棚に上げて、見下ろしているようだった。
そんな中でも、杭の声音は、相変わらずのんびりと間延びしていて。
「でっかい木だね~。狩人さん~、これ~、おいしいの~?」
「貴方が食べると、多分、お腹を壊しますよ杭ちゃん」
彼に返答を寄越す時だけは、女の調子もいつもと変わらない。
最も、この1人と1本が目の前の男を歯牙にもかけていない事が傍目から見てもまるわかりで、そういう点でも、やはりサリエラは気が気では無かったのだが。
案の定、男は苛立たし気に唸っていて――しかし彼の視線は、ふと見やれば、女では無くサリエラの方へと向いていた。
「?」
くい、と、男が顎を動かす。
離れていろ、とでも言っているようだった。
まさか気を遣われたのだろうかと内心驚くサリエラだったが、このまま女の傍に居た所で、自分が何か出来る事がある訳でも無い。
「姉について教える」と言われてはいるが、女がどういった方法でそれを伝えてくるのかについては、今現在、サリエラには皆目見当もついていないのだ。
「あ、あの。師匠」
「ん? ……ああ、そうですね。少し、離れていて下さい。極力気を付けますが、巻き込まないと約束はし切れないので。あ、石柱には近づかないように。見た目以上に脆いですから、アレ」
とても戦闘前とは思えない緊張感の無さで普通に指示を出されて、男の方もまだ動きを見せそうにないので、サリエラはおずおずと元来た道、ゲートの側の方へと引き返す。
狭い『ゾーン』であるため、多少距離を置いたところで女の姿を見失う事は無さそうだったが。
「さて、では。行きますよ、杭ちゃん」
「うん~、がんばってね狩人さん~」
次の瞬間、轟音と共に地面が、弾んだ。
「!?」
距離を取っていたにも関わらず、サリエラのかかとが浮き上がり、そのままバランスを崩した彼はその場に尻もちをつく。
数秒遅れて顔を上げれば、女が居た場所には元研究者の男がしゃがみ込んでいて、地面に叩き付けられた右の拳が、大きな蜘蛛の巣状のクレーターを作り出していた。
女が丸太をやすやすと叩き切ったように
彼の拳もまた、化け物じみた力を備えているらしく。
「わ~、危なかったね~狩人さん~」
だが女の方も、潰れて死んでいるなんて事は当然無くて。
杭を左手に携えた女は、『ゾーン』の中央にある巨木の枝の上に佇んでいた。
「そこか」
上半身を捻り、振り返りながら口を開く男。
いっぱいいっぱいに開かれた口の前には途端に赤々と輝く光球が現れ、刹那、そこから女の方へと真っ直ぐに、光球と同じ色をした太い線が一本、放たれる。
サリエラの所にまで光線の余波が吹きつけて来て、花園を一瞬で焼いた熱波が、少年の息を僅かに詰まらせ、視界を霞ませた。
そんな中でも、女が枝から跳んで離れる残像だけは、どうにか捉える事が出来た。
今度はサリエラに「脆い」と教えていた石柱の上へと飛び移り、柱が崩れるよりも早くその場を蹴って、いくつもの残骸をそれ以下のガラクタに変えながら、女は元研究者の男と距離を詰める。
最後の一蹴りと同時に、女は杭を前へと突き出して--しかし男は右腕を胸の前に持ってくると、正確に『デジコア』を穿とうとしたが故に狙いの確かだった女の一撃を、杭の先端を逸らすようにして弾く。
「!」
そのまま男は再び、口から熱線を吐き出した。
一方、女の方も彼の次の動作は察していたのだろう。
杭を弾かれた勢いをそのまま利用し地面を転がって初撃を躱すと、再度地に付いた足で追撃が届かない位置にまで退避する。
「ごめん~、狩人さん~。思ったより硬かった~」
「いいですよ杭ちゃん。『選ばれし子供』の皮膚の硬度なんて、わたくしでもパッと見ではわかりませんから。ああ、いや、『選ばれし子供』じゃないんですけど、相手」
それに、と、喋りかけるために下ろしていた視線を上げ、女は杭を構え直す。
「彼の右手、見た目よりも攻撃の判定が大きいようですよ、杭ちゃん。少し手前くらいから穿つようにすれば、多分、貫けるかと」
台詞を置き去りにするような速度で飛び出した女と、迎え撃てるタイミングで大きく右腕を振り被る元研究者。
杭を振り下ろすタイミングと男の拳が空を切るタイミングが重なり、しかし次の瞬間には、突然可視化された光の粒子が、2人の間に飛び散った。
「!?」
「よくできました」
女は追撃を仕掛けず、男の脇を通り抜けるような形でそのまま駆け抜ける。
女の居た虚空を、また、熱線が焼き焦がしていた。
「カラクリが解っていればこんなものですよ、『サイクロモン』。デジモンの特徴がほとんど肉体に出ない『選ばれし子供』の性質を攻撃に利用した点はまあ、見事ではありますが、その程度の小細工がわたくしにも通用するとは思わない事です」
「それほどの」
男が単眼を見開く。
「それほどの才能を、何故イチノマエ教授のために、イチノマエ教授の作品のために使って! 死ななかった !!」
「……」
「貴様が、貴様が全て壊したんだ!! あの方は、貴様さえいなければこの世界の『神』であった筈なのに!!」
「『神』とは聖母様の子の事でしょう」
「それを貴様が潰したんだろうがッ!! 貴様が死ねば良かったのに!!」
冷めた言葉選びが、男の精神を逆撫でする。
激昂が咆哮となって『御蔵』の空気を揺るがし、思わず耳を塞ぐサリエラだったが――
その動作の合間に、元研究者の男の右腕は、宙を舞っていた。
「……は?」
「死ねませんよ」
くるりくるりと回る腕が、『御蔵』の枯れた根の上に大雑把な赤い点描を描く。
一方で残された肩口から噴き出した血は、右手の代替品を描こうとして、ただただ地面と女の黒い作業着に零れ落ちるばかりだった。
「そういう命令ですからね」
見た目以上に大きな音を立てて、男の腕が地面に落ちる。
その音を合図に、女は胸元にまで引き寄せた。
先のような切り落とす一撃では無く
杭本来の、指し穿つ一撃を、今度は、男のデジコアに放つために。
そこから、肉に穴を開ける湿った音と、骨を破砕する乾いた音が同時に鳴るまでは、『御蔵』の空間はひどく静かで
「……師匠?」
その音さえ途絶えてから、ある種ノイズのようなサリエラの声が、その場に零れ落ちた。
元研究者の男の外套が翻り、
ごぽ、と。
女の喉から、せり上がったものが噴き出す、嫌な音がした。
「師匠」
二度目の問いかけにも、女は応えない。
応えられる筈も無かった。
『男の右腕が見た目以上の攻撃範囲を誇っていたのは、男の中にある『デジコア』--『怪物』・『サイクロモン』の種族的特徴によるものだ。
そして今、女の胸の中央を貫いている男の左腕の肘より先が、ワイヤーに接続された状態で前へと飛び出しているのも、『怪物』に由来した力である。
男の左腕――かつての虐殺の際、女と杭に片眼を潰され、そして奇しくも右腕と同じように切り落とされた左腕の、代替品として用意した義手。
サリエラが『この世界』で姉を探すために『手袋』を身に付けたように。
男と男の『デジコア』が真の意味で復讐のために選んだ『武器』が、その義手だった。
その腕は、『トライデントアーム』と。本来はそんな名で呼ばれている。
「師匠!?」
ようやく事態を理解しないまでも認識したサリエラの声が悲鳴に変わる。
女がその呼びかけに応じて頷いたように見えたが、ただ単に、ワイヤーが引き戻された事によって女の身体が強く揺さぶられただけだった。
杭だけは、突き出そうとしていた腕がだらりと垂れ下がった今になっても握り締めたままだったが。
それでも、一切返ってこない反応と、背中まで貫通した男の腕は、彼女がもはやどうしようもない事を、何よりも雄弁に物語っていて。
その一方で、男は。
しばらくの間、サリエラ以上に理解の追いついていないような顔で、先程とは全く別の理由で目を大きく見開いていたが。
やがて
「は。はは、はははははは、ははははははははは」
笑い始めた。
「女をあっさりと殺せてしまった」という事実を受け止めきれずにいたものの、義手であってもしっかりとその感触を伝える『武器』の性能そのものが、ほぼ強制的に女の死を彼に認識させる。
それらが入り混じった混乱に突き動かされて、彼は敬愛するイチノマエの生前以来の大声で、兎にも角にも、笑い続けた。
「ははははははは! やった、やったぞ、やりましたよイチノマエ教授!! め、何が「死ねない」。殺した、俺が殺した、殺してやったぞ! ざまあみろ、死にやがった、あの化け物!!」
「っ」
死んでいる。
女が死んでいる。
過ごした時間は僅かとはいえ、それでも「死」とはあまりにも無縁に見えた女の状態について、他人の口から聞かされて、『ゲート』付近から身を乗り出していたサリエラが、思わず息を呑む。
小さな音だった。
それなのに、ぐるり、と元研究者の男は首を、突如としてサリエラの方へと向ける。
単眼は、弧を描いていた。
「ああ、よかった。まだ居た。そのままそこに居ろ。貴様、赤毛の親族だろう」
「!」
赤毛。
姉の事だと、少年は理解する。
「赤毛の血縁なんだろう。つまり、アレとおおよそは同じ血なんだろう? なら、貴様にも! 『神』のデータを移植できるかもしれない!!」
「……は?」
だが、続いた男の言葉に関しては、彼の理解と言うか、許容範囲を超えていて。
「な、なに」
「待っていろ、『コレ』を外してそっちに行く。貴様は俺と一緒に来い。性別が合致していないというのは惜しいが、何、『この世界』ならデータを操作すればどうにでも出来る!! イチノマエ教授、俺は、俺はやり遂げますよ、継ぎます、貴方の遺志を!!」
単なる復讐だと、少年は思っていた。
この男が望んでいるのは、女への復讐だと。
だが、それは事実ではあっても真実では無い。
男の狂信を成し遂げる過程に、女への復讐があっただけだ。
故にこそ、果たされた復讐の証拠にはもはや興味も用も無いと言わんばかりに乱雑に女の骸を『武器』から引き抜こうとして
そうしながら、恍惚の表情で次の狂信を果たすための道具――姉の物だったかもしれない名を名乗る少年を見据えているのだ。この男は。
そのあまりに異様な空気に、もはや揺さぶられた時以外にはぴくりとも動かない女の姿に。
引きつった呼吸と早鐘のように打つ心臓の音しか届かなくなり始めた少年の耳に
「狩人さん~、起きて~」
あんまりにも場違いに、のんびりと間延びした声が、まるでこの空気を引き裂くかのように、響き渡った。
今になっても、女は杭を、握り締めたままだった。
「狩人さん~、起きてってば~」
杭の声はあくまでのんきなものだった。
男の手まで、思わず止まる。
「この人~、なんだかすごい事言っちゃってるよ~。サリエラがピンチだから~、早く起きて~」
「う――うるさい!!」
「わっ」
ただ、すぐに我に返りはしたらしい。
男が杭を怒鳴りつける。
「 は死んだんだ、『武器』風情がやかましい! ……というか、何だ。『武器』の癖に喋るな、気色の悪い! 義手を抜いたら貴様の事も叩き」
折ってやる。
その発言自体を叩き潰すかのように、男の左肩付近に衝撃が走った。
男の望み通り、女の身体が彼から離れていく。
ただし、女を貫いたままの自分の義手ごと、だ。
自分を突き飛ばしているエネルギー体の形が、まるで獅子の顔を象っているかのようだと、そう、気付いたのとほとんど同時に
「うぐぇ!?」
圧し潰された肺から、空気が噴き出した。
そのまま背中から倒れる男を目で追っていたサリエラが、獅子型の衝撃波の出所へと目を向けるなり、肉の膨れ上がる音と、骨が差し込まれる音と、金属が砕けては零れ落ちていく、そんな、当然今まで聞いた事も無い途方も無く嫌な音が何重にも響き渡って。
その中央に、女が2本の足で、立っていた。
鳴り響く全ての音は女の肉体が再生する音で、それとは反対に、元通りになる身体に圧し潰されて吐き出されながら、男の『武器』だった義手がバラバラに砕け散っていく。
「げほっ、ごほっ、ごほっ!」
文字通り「息を吹き返した」女の肺が、気管に残る血を吐き出す。
全て吐き出して、代わりの酸素を取り込むように深呼吸して。
上半身を起こした女は、特にこれといった感慨も無さげに、尻をついている男の事を、見下ろした。
「良かったですね。お望み通り、1回死にましたよ」
「……は?」
「は?」
この時ばかりは、男もサリエラも、同じ1語しか吐き出せなかった。
当然である。死んだ生き物は、生き返らない。
それはたとえ『怪物』であっても、心臓が怪物の『デジコア』に取って代わられている『選ばれし子供』にしたって、同じ事だ。
だというのに、この女は。
「避けようかとは思ったんですけどね。貴方、ずっと左腕を隠していたでしょう。そこに『武器』があるのは正直見え見えでした。やましい事があるから隠すんでしょうに。……ただ、それをすると先にわたくしの方が貴方を殺してしまいそうだったので。多少なり気が住んだらこっちの話を聞いていただけるかと思いましてね。なので、避けないで1度死ぬ事にしました」
「も~、だったら先に言っといてよ~。それに~なかなか起きないから~ちょっと焦ったんだからね~?」
「それは、その。はい。すみませんでした、杭ちゃん」
無茶苦茶だと思った。サリエラはそう思った。
言っている事の理屈も道理も解らないと、そう思った。
ただ――女が最初から意味の解らない、無茶苦茶な存在だと、それだけは先に知っていたからか。
今回だけは、元研究者の男の方が、混乱の具合は酷かった。
「な、きさ、な。なぜ、なぜ生きて」
「他ならぬイチノマエと、そして『神』に押し付けられたんですよ。貴方の敬愛するあの老害共にね」
女の蘇ったばかりの声音に、あからさまな不機嫌が混じった。
「わたくしの『デジコア』の主の事は知っていますね『サイクロモン』。『レオモン』--貴方の『デジコア』の原初となったデジモンの片目を潰したデジモンです。……それ以外にもこの『怪物』、『怪物』の癖に妙な正義感があるとかなんとかで、「余計な事にちょっかいを出しやすい」性質を持っていましてね」
女は肉体とは違ってそのままの、黒い作業着の穴の縁を軽く指ではじいた。
「だから、「死にやすい」んだそうです。『神』の元いた世界でも、ありとあらゆる『レオモン』が、それに連なる近縁種が。様々な理由で身の丈に合わない強敵との死闘を演じて、そのまま死んでしまうのだと」
「説明に、なってな――」
「しかしそのせいで『レオモン』という種は、設定されていたデータ量以上に『死の因果』を使い過ぎたとか、なんとかで。どこかでそれを釣り合わせなければならないとなった時に。……丁度、押し付けられるとなったのが、わたくしとその『デジコア』だったようです」
なので、それ以来死ねなくなってしまいました。
事も無げに、女はそんな事を言うのだった。
「そ、そんな馬鹿げた話があってたまるか!!」
そして、そんな説明で男が納得する筈も無い。男でなくても納得はしないだろう。
「仮に、仮にそんな事が可能だったとして、貴様はそんなものでは無かった筈だ。イチノマエ教授が作った貴様は」
「そうですね、馬鹿げた話ですよ。わたくしもそう思います。というか、実際再生能力についてはわたくし由来じゃないですし。とりあえずちゃんと理由もあるので黙って聞いて……いえ、見ていなさい」
サリエラ、と。
ここに来て、女が少年の方を見る。
赤茶けた瞳はまっすぐに、少年の碧い瞳を見つめていて。
口元は、僅かに微笑んでいて。
「これが、貴方の姉が。聖母様が遺した物なので」
「……」
「貴方もちゃんと、見ていて下さいね。そのために来たんですから」
少年がその意味を問いかける前に
男が疑問に喚き始める前に
女は杭を、右手に持ち替えた。
「『獅子王丸』」
そして女は、自らの『武器』の名を呼んだ。
「杭ちゃんを外に出してあげて下さい」
花が。
白い花が、咲いたのだと、サリエラは一瞬、そう見紛った。
女の『武器』としての杭がその先端から割け、純白の内側をさらけ出す。
サリエラの目にはそう見えただけで、実際のところ、これは花では無い。
これは、若木だ。
芽吹いてからまだ間もない、瑞々しい白い木が、枝葉を伸ばして脱ぎ捨てた『武器』の殻と女の右半身を覆う。
それに呼応するように、女の髪も木肌と全く同じ、真っ白な物へと変貌する。
……全ての変化が。
女と杭の『進化』が終わるころには。
彼女の右目は、失った物を補うかのように、赤い色に変わっていた。
「なんだ」
震えた男の声が
「ソレは」
問いかける。
彼の単眼はせわしなく、今や女の右腕と化した若木の表皮と、『御蔵』に座した巨木のくすんだ木肌の色を見比べていた。
「『バグラモン』」
女は『怪物』の名を答える。
だが、男にとって、その行為に、名に、意味は無い。
女の右腕――『武器』の正体以上に大切な事柄など、在りはしないのだから。
「ああ、ああ」
そして女から、その白い『怪物』から何故か目を離せないでいるサリエラとは違い、元研究者だった男は、なまじ知識があるだけに既にその腕がなんであるかを理解していた。
彼の狂信の果てにあるモノは、既に存在していたのだと。
「そう……か。そうだったのか」
右腕を失った際の出血で青ざめていた顔が、それでも興奮で紅潮する。
「ああ、ああ! 見て下さいイチノマエ教授! それとも、貴方は御存知だったのですか!?」
両腕の無い身体でもがくように起き上がり、縋りつくように、男は『バグラモン』へと這い寄っていく。
「貴方の、悲願は」
『バグラモン』の長い右腕が、そっと男の胸を掠めた。
それだけで、男は凍り付いたかのように、身体の全てをその場に固定される。
……引き戻された白い手の平には、ぼんやりと光る球状の何かが、浮かんでいて。
「『アストラルスナッチャー』」
吐き捨てるように、そう呟いて。
炎よりも赤々とした瞳で、冷めたように、見下ろして。
女は手の平の上で、球を粉々に握り潰した。
男は二度と、動かなかった。
*
「……とまあ、そういう訳ですサリエラ」
長い沈黙を経て振り返った『バグラモン』は、そう言ってサリエラに微笑みかけた。
「いや」
少年は声を絞り出す。
「どういう訳なの?」
本気で解らない、と言いたげな少年の心情を流石に汲み取ったのか、『バグラモン』はぽりぽりと生身の左手で白い髪を引っ掻いてから、彼の方へと歩み寄り始める。
「あの男は『神』の子こそがイチノマエの悲願だと言っていたのですがね。実際のところ、そうでは無かったのですよ」
「え?」
「所詮は、壊れた神の破片を女の腹の中で培養しただけのモノです。……満たしていなかったんですよ、イチノマエが望む、『この世界』の管理者としてのスペックを。『神』の子は」
イチノマエは、生まれてきた子にほとんど死なせる前提で、様々な実験を施す気でいました。
……そんな事を言いながら、『バグラモン』は少年の前で立ち止まる。
「聖母様は、偶然、その事を知ってしまったのですよ。……いや、知ってしまった時のシチュエーションそのものはわたくし、聞いていないので。あの男の事です。イチノマエが直接聖母様にその事を教えた可能性もありますね。あいつ、クソ野郎でしたから」
だが、聖母が誇りに思っていた事自体は『神』の子を産む娘として選ばれた事だったとしても。
聖母が望んでいたのは、産まれてきた子供の輝かしい未来と、幸せだった。
経緯そのものは人並みも、人の道をも外れていたけれど。
彼女の願いは、どこまでも月並みだったのだ。
「『レオモン』の『武器』・『獅子王丸』はね、サリエラ。意思を持つ妖刀なんですよ。わたくし、実のところ素手の方が強いので、それまで『武器』は持たないスタイルだったんですよね。……だから、その時は。わたくしが最初に『武器』として認識した物を、自動的に意思を持つ妖刀に出来る状態でした」
『バグラモン』が、少年へと右手を差し出す。
霊木の手を。……後に神木となる手を。
「わたくしは『獅子王丸』にした杭で聖母様のお腹の中の子を刺し殺し、そのデータを『獅子王丸』に頼んで保管し、育てるよう、聖母様に命令されました。……その後『この子』を育てる障壁になりそうなものを事前に全て取り除いたのは、まあ、わたくしの独断でしたけれどね」
サリエラは、促されるまま『バグラモン』の右手に両手を添える。
それがもはや抜け殻となって動かない『サイクロモン』の男の中から、何か大切なものを奪い取ったに違いない『武器』であるにも関わらず、少年は、そうせずにはいられなかったのだ。
「これが、貴方の姉の子供です」
少年の唯一の肉親が、そこには居た。
……それ以上の事を、サリエラは、どうすればいいのか解らなかったのだ。
ただ、姉が無意味に殺された訳では無いと、そう思う他無い真実が、目の前にあるだけで。
「……師匠はさ」
「なんでしょう」
「どうして、姉さんの頼みを聞いたの?」
「……」
不意に押し黙った『バグラモン』の影が揺らぐ。
そのまま、霊木の右腕は風に流される砂のように掻き消えて、杭と、いたって普通の、人間のモノにしか見えない女の腕が現れる。
「きっかけが、何であれ」
やがて、女が口を開く。
「聖母様の事を、心から慕っていたからだと。彼女の願いを叶えたかったのだと。……そう言ったら、貴方は怒りますか? サリエラ」
女の髪だけは、一瞬では元には戻らないらしい。毛先から徐々に黒い色を取り戻しつつはあるが、まだまだ白い髪のままだった。
犯した罪を、引き摺るかのように。
「……わからない」
だから、サリエラも、今は、何も。
言葉を、用意出来なくて。
「少しだけ、考えさせてほしい」
「……わかりました」
と、女はそっと、サリエラの方へと杭を差し出した。
杭に手を添えていた少年は、そのまま杭を受け取る。
「少しの間だけ、預かっていて下さい。……次に寝たら、わたくし、数日は目を覚まさないと思うので」
「えっ」
「いや、驚く事は無いでしょう。いくら『デジコア』が不死だとは言っても、再生は杭ちゃんの『神』の子としての能力由来なので、普通に堪えるんですよ」
「い、いや……その感覚全く解らないんだけど……」
女なりのジョークなのか、本気で言っているのか。
いつものように判断の付かないまま、『ゲート』へと引き返し始めた女の背中を眺めていたサリエラは、ふと、手の中へと視線を落とす。
杭は、女と杭が『バグラモン』になって以来沈黙したままだ。
「安心して下さい。杭ちゃんは少し疲れて眠っているだけですから。通常通り、明日の朝には目を覚ましますよ」
「そう……なの?」
「ええ。……なので、わたくしが寝ている間。親族同士、お喋りでもしていてください。積もる話も、あるでしょう?」
「……」
そうは言われても、というのが。
結局のところ、サリエラの率直な感想なのだけれど。
ただ、どうにせよ
「さあ、一先ず『宿』に帰りましょう」
少年は、次に向かうべき場所として
女の背中を追う事を、この時彼は、迷わなかった。
第6話あとがき
Twitterで何度か「その内「色んな世界で死の因果を使い過ぎた反動を一気に受けて死ねなくなったレオモン」書くよ」みたいな話をしていたのですが
こいつです。
はい、という訳で『0426』6話です。詰め込みに詰め込みましたが、とりあえず「書きたい」と思って書いたモノはほぼほぼ書けたと思います。思いたい。そんな快晴です。
狩人さんが基本左利きの描写だったのは「レオモンは左利き」って資料に書いてあったからです。ただ、時々意図的に右半身を使っている描写を入れているのですが、そういう時は大体『神』にイラついている時だったりします。……ミスしてない限りは……。
正直前作の時と比べると自分でもあんまり細かい事考えずに書いてたなぁと反省するばかりなのですが、っていうか前作書いてるときの自分が多分おかしかったんですが、まあ二次創作って自分が楽しいのが一番だと思って書いてるんで、私が楽しんで書いているものを、読んで下さった方がちょっとでも面白いと思ってくれたらラッキーかつ嬉しいなと思いながら突っ走った形です。
前にもお話した通り、元はと言えばこのお話はむかーし書いたオリジナル自作のリメイクなのですが、「あっ、女性のバグラモン出したい!」がある意味出発点だったので、もう快晴は満足です。燃え尽きそう。
とはいえ締めの話が次回、まだ残っておりまする。
次回はエピローグ、『サリエラくんが最終的にどうするのか』というお話になります。
作中の時間軸は多分年明けるか明けないかくらいになるのですが、お話自体は年内に投稿出来たらな、と考えています。というかします。できたらいいね(弱気)。
どうか最後までお付き合い頂けたら、作者としても、幸いです。
それでは、また『0426』最終話でお会いしましょう。
「ねえ、426番」
皆に聖母と呼ばれている、赤い髪の少女は自らの従者である『レオモン』の『選ばれし子供』の方へと振り返った。
浅い海のような紺碧の色をした瞳には、波の泡のような涙を湛えている。
自分の子は、1人の研究者のエゴのために産まれる『神』の子は、その男のエゴのために殺されてしまうのだと、それを知ってしまったからだ。
「お願い。この子を助けて。私を殺して、この子を連れて逃げて。貴女の『怪物』としての力なら、きっと、それが出来るでしょう? 貴女にしか、頼めないの」
少女は自分が逃げたところで、自分や『レオモン』の『選ばれし子供』の力だけでは、真っ当な生命体の形を持って産まれてくる子供を育てられない事を知っていた。
そして子供だけを逃がし自分が生き残ったところで、同じことが繰り返されるだけだという事も。
『レオモン』の『選ばれし子供』は、少女の望みを承諾した。
『レオモン』の『選ばれし子供』は、少女の願いを、出来得る限り彼女の意向に沿った形で叶えたかったのだ。
「ありがとう。この子の事を、お願いね、426番。この子に、美味しい物をたくさん食べさせてあげて。この子に美しい物を、たくさん見せてあげて。……この子を、幸せにしてあげて」
『レオモン』の『選ばれし子供』は、少女の望みを承諾した。
それが他ならぬ、少女自身がやってみたかったことなのだと、理解した上で。
「ああ……それから。私の事は。私の事は、散々に、無茶苦茶に苦しめて、殺してちょうだい。私は、この子と生きられないから。……貴女を介して、1度はこの子を、殺してしまうのだから。そんな私を、どうか、お願い。罰してちょうだい」
『レオモン』の『選ばれし子供』は、少女の望みを承諾した。
そうしない事も、出来た筈なのに。
そして『レオモン』の『選ばれし子供』は、己の武器に、杭を選んだ。
庭の花壇の前から引き抜いてきた、ホームセンターなどで500円ほど出せば買えるような、打ち込まない側が円になっている金属製の杭だ。
それを見た少女が、首を傾げる。
「最期に教えてちょうだい。どうして、『武器』に杭を選んだの?」
それは、ある時偶然『レオモン』の『選ばれし子供』が知識として得た、彼女の本来の生まれ故郷で神を数える時に使う単位に由来していた。
『レオモン』の『選ばれし子供』や零の故郷では、神を数える時に柱という単位を使うのだと。
柱の小さい物を杭と呼ぶので、だったら、今自分が用意できるものの中では、この杭が、『神』の子である貴女の子に相応しいと思ったのだと、少女にそう伝えた。
「まあ。面白いお話ね」
少女は笑った。これから死ぬとは、殺されるとは思えない程無邪気に。
笑うと殊更美しい少女だった。
「そんな話を、この子にもたくさんしてあげてね。426番」
そうして『レオモン』の『選ばれし子供』は少女の子を殺して、奪って、少女を殺した。
それを最後に『レオモン』の『選ばれし子供』は、自分の半身よりも大事なものを全て失って、大切な人と同じところに行く権利を失って。
『武器』の中に仕舞った少女の子供にたくさん『食べ物』を与えた後、美しい景色を探して、旅立った。