なんでもない日編:ピーマンの肉詰めとビール
男には、多少面倒臭くてもピーマンの肉詰めを作らなきゃいけない日がある。今がその時だ。
……いや、そんな日なんて別に無いんだが、誰しもそういう気分になる食べ物自体は、あるんじゃないだろうか。
俺の場合、それはピーマンの肉詰めで、今日はそういう気分だった。
「一袋ではなくグラム売りのピーマンに手を出すものだから何事かと思いましたが、そういう事だったのですね。私てっきり、ついにあなたが値札表示まで読めなくなったのかと」
「「ついに」ってなんだ「ついに」って。あと「まで」も引っかかるなオイ」
肉ダネ作りの工程が物珍しいのか、キッチンを覗き込んでいたピエモンが、どこか生暖かい眼差しを向けながら、一言。
普段と違う大ぶりのピーマンを籠に入れた俺を見て怪訝そうな顔をしてやがったのは、それが理由か。
……まあ、グラム売りの商品の100グラムを一袋の値段と勘違いし、レジで軽く青ざめた経験自体は一度や二度では無いのだが、黙っておこう。
あの表示、何らかの罪でしょっぴけないのだろうか?
「んな事言ってると、お前の分だけ肉詰めてやらないからな」
「アッ許してくださいどうかそれだけは。肉の詰まってないピーマンなんて、ただのピーマンじゃないですか」
それはそう。
「でもそういえば、氷水に漬けたピーマンが生のままでも美味いだのなんだの、この前SNSで流れてきてたような」
「そうなんですか? ……とはいえ流石にピーマンの肉詰めの代わりにはならないでしょう。マジで非礼なら謝るのでお肉は詰めれるだけ詰めてください」
「しれっと取り分まで増やそうとしてんじゃねーよ」
遠慮が無いを通り越して図々しくなってきてないか? コイツ。
来月でピエモンと宅飲みを初めて丸1年になるのだが、あの日慣れない人の家で正座して残量に気を使いながら枝豆を摘んでいたピエモンと同じ個体だとは、まあ思えない。
親しくなると距離感がバグるのは、根っこの部分がコミュ症故か。
……初手宅飲みに誘った俺のバグり具合も人(デジモンだが)の事は言えないし、万が一言ったら後が面倒臭いので、絶対口には出さないが。
別に、コイツとのやり取りが嫌なワケでもないしな。
微塵切りにして軽く塩を振って炒めた玉葱(ちなみに新玉だ)を、あら熱を取ってから合い挽きミンチに投入。
繋ぎに使うのは、パン粉ではなく砕いたお麩だ。パン粉は高確率で余らせた分をダメにするが、こいつなら味噌汁や煮物にでも使えるしな。
それから卵と牛乳、顆粒のコンソメと塩胡椒に、ケチャップも少しだけ。
最後にナツメグを一振りしたら、手早く混ぜて、肉ダネは完成だ。
……ところでこの「混ぜ」の工程、手の熱が伝わり切るまでに混ぜ終えろと言うやつもいれば、脂が溶けて肉と一緒くたになるまで混ぜろと言う奴もいて、正直何が正しいのか、分からないままやっている節がある。
そもそもハンバーグ系は特集を目にする度にシェフが皆バラバラの事を言っている気がするのだが、気のせいだろうか?
「人間は適当ですねぇ」
「お前にだけは言われたく無いと思うぞ」
次に、半分に切って種とヘタを取り除いたピーマンに、肉ダネを詰めていく。
肉ダネからピーマンが剥がれないように、この時小麦粉をどちらかに振る……のが一般的だが、面倒なので振らない。
詰めれば詰まる。
「でも私、あなたのその、調理工程を力技で解決しようとするところ、嫌いじゃ無いですよ」
「おうサンキュー」
ここまで来れば後は焼くだけだ。薄くサラダ油を引いたフライパンに作ったものを並べ、肉の側から焼いていく。
いい感じに焼け目がついたらひっくり返して、次はピーマンにも軽く焦げ目がつくまで。熱と肉の脂でいい感じに鮮やかな緑色だったピーマンがしなっとなれば、中までしっかり火が通った頃合いだ。
「ほい、ピーマンの肉詰め、完成だ。……それから、と」
ピーマンの肉詰め、そして炊飯器から白いご飯をよそっている間に温めた、玉葱の残りをくし切りにしたものと輪切りのじゃがいも(これも新じゃがだ)、ワカメを散らした味噌汁を椀に取る。
一汁一菜ではあるが、普段の事を思えば大分しっかりとした夕飯の完成だ。
「おお……いつになく豪勢な……」
「ピーマンの肉詰めだと、やっぱりご飯も欲しくてな……たまにはいいだろ、たまには」
5月の俺達はよく働いた。ゴールデンウィークが過ぎても、比較的気候の良いこの月は所謂レジャーシーズン。
客足が遠退く梅雨入りを前に、一度勤労を称えあっても、バチは当たらないだろう。
食卓にビール缶を2本並べれば、準備は完了。
「いただきます」
手を合わせて、それから。俺達はほとんど同時にピーマンの肉詰めを口に運んだ。
旬はもう少し先だとはいえ、温室育ちのピーマンもなかなか侮れないものだ。
しゃくしゃくと、これだけ火を通したのに、まだしっかりとした歯応えがある。
「どうしてピーマンに詰めただけで、ハンバーグとは全く別の食べ物になるんですかねぇ。仄かな苦味が良い仕事をしている。これは米に行くかビールに行くか、かなり悩むところ」
ご満悦顔でしばらく悩んだ後、結局ビールに手を伸ばすピエモン。
だが確かに、米も酒もある食卓というのは、なかなかに贅沢なものだ。少なくとも、俺達の宅飲みでは。
俺の方は相方に米を選択して、ついでに冷蔵庫から持ってきたケチャップを一絞り。
加わったトマトの酸味と旨味が、また一段階、ピーマンの肉詰めを違う食べ物にしてくれる。お陰でさらに刺激された胃へと、一気に米をかき込んだ。
味噌汁を作っておいて、本当によかった。
春の空気を残す新野菜はそれだけで程よい甘味があって、口の中に残った肉の脂を引き受けて言ってくれる。
これでまた新たな気持ちで、今度はビールと向き合えるというものだ。
「……にしても、不思議ですねぇ」
「? 何だよ急に」
ふと端を止めたピエモンに、俺もカシュ、とビールのプルタブを引きつつ顔を上げる。
「いや、人間の子供はピーマン、苦手な者が多いんでしょう? こんなに美味しいのに」
「あー。でもほら、子供と大人の味覚って違うもんだし。そもそも苦味って、毒とかを感知するために発達したとか昔聞いたような、聞かなかったような」
大人が美味いと思うからって、子供に食べるのを強要するのは、正直あんまり気持ちの良い話ではない。
いや、俺の場合は親父が偏食でお袋が自称自然食派だったから、また毛色が違うんだろうが。
「まあ、いうて俺、昔からピーマン嫌いじゃなかったけどな」
「そうなんです?」
「ん。……でも周りが嫌い嫌い言ってるから自分もそう言っといた方がいいのかなって、言うだけは言ってた時期あるよ」
「……なるほどね……」
不意に、ピエモンが視線を落とした。
「? ピエモン?」
「そういう、形だけでも周りに合わせられる技術があれば、と。やっぱり、多少は思ってしまいまして」
「……」
ピーマンと魔術の才能じゃあ、また全然違うとは思うが……幼少期? の苦い思い出って意味では、簡単に飲み込めるものでもないのだろう。
「でも、やっぱりそんなの窮屈だし、今こうやって美味いピーマンの肉詰め食えてるんだから、いいんじゃねーの?」
「ま、それもそうですね」
時折突拍子も無く落ち込むのは今でも変わらないが、立ち直りは随分と早くなった。
デジモンの世代の頂点、究極体にも変化は絶えず訪れるモンなんだとーーそう考えてしまうのは、流石に、俺の驕りだろうか?
「ああ後、今ちゃちゃっと調べたんですが、最新の子供の嫌いな野菜ランキング1位って唐辛子らしいですよ。あなたが幼少期からピーマンを食べられたのも、なんだか納得ですね」
「おう辛いもの好きになったのは比較的最近だっつーの。……てか唐辛子って本当に野菜カテゴリでいいのか??」
驕りかもしれない。あと心配して損した。
美味い物を食べている時に、気分ってのはなかなか沈まないものだ。
俺は次のピーマンの肉詰めに齧り付いて、そこにビールを流し込む。
米とはまた違った最高の組み合わせに、俺もやっぱり、些細な事はどうでも良くなるのだった。
あとがき
最近久々にほろよいを買って飲んだら、1缶でグロッキーになってしまったアカウントはこちら、快晴です。
という訳でこんばんは。酒が飲めない文字書きによる、ピエモンに日本一雑な物を食わせているTwitter不定期連載デジモン小説『宅飲み道化』の夏編まとめをご覧いただき、誠にありがとうございます。
今回は俺くんやピエモンの背景に触れるお話が気持ち多かったのですが、いかがでしたでしょうか。
さて、春編のあとがきで予告していた通り、『宅飲み道化』は秋編の後、最終章に突入します。サロンへの投稿は、次のボジョレーヌーボ発売日に……この1年、あっという間だったなぁ。
とはいえフウマモン殿も言っていた通り、食欲の秋ですからね!
秋のおつまみも一生懸命考えますので、どうかもうしばしお付き合いください。
では、改めて。ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
番外編:冷奴の酢醤油きゅうり乗せとアイスボックス酎ハイ/かき氷とほうじ茶
薄い輪切りにして塩揉みしたきゅうりの水気を切り、ポリ袋に入れて醤油とお酢を少々。
申し訳程度の一手間にチューブの生姜を絞って揉み込み、最後にごま油を回し入れれば、酢醤油きゅうりは完成だ。
「ほら、好きなだけ冷奴に乗せていいぞ」
「ついにポリ袋のまま出してきましたか……」
言いつつ、すぐに調味料みたいなもんだと割り切ったのか。ピエモンは俺が一緒に持ってきたスプーンで袋の中の酢醤油きゅうりを掬い上げ、白い豆腐の上面が見えなくなるまで盛っていく。
俺も残りを受け取って袋をひっくり返し、どば、と醤油の代わりにたっぷりと冷奴に乗せた。
これで、準備は完了だ、
「いただきます」
盛る用に使ったスプーンで、今度はそのまま冷奴を口に運ぶ。
あ〜、上手いわ。本当に何の変哲も無い冷奴が、夏バテ気味の身体に染み渡るわ。
「生姜とごま油の香りで、いくらでも食べ進められそうです」
「そりゃ何より」
「まあ今はついついこっちに行ってしまうのですが……」
そう言ってピエモンが手を伸ばしたのは、コンビニで買ってきた粒状の氷菓子のカップ。
もちろん、ただの氷菓子ではない。
今やこの白と青のクールなデザインのカップには、氷菓子はそのままに、並々とレモン酎ハイが注がれていて。
由緒正しき、酒カスの甘味である。
「あ"あ"あ"おいしい!!」
普段の上品な宮廷道化はどこへやら。ファンが見たら幻滅待った無しの濁点付きの感嘆を漏らして、ピエモンはクッと煽った氷菓子酎ハイを机に置き直す。
今日で暑くて忙しかった8月が終わる。
朝晩はやや過ごしやすくなってきたとはいえ、昼間は相変わらず蝉も鳴けない蚊も飛べないような酷暑の日々が続いている。
冷奴に半分氷の酒だなんて組み合わせ的にはあまりにもセンスが無いが、兎にも角にもこの夏を乗り越えたい俺達は、今はただひたすらに、身体が『涼』を求めていて。
「ウィッチェルニーの魔術師もねぇ……もっと氷に味をつける魔術とかを開発するべきですよ……」
「なんだよ藪から棒に」
「いや、ふと思っただけです。……これはあくまでウィッチェルニーに伝わる伝説なのですが、氷の魔術はデジタルワールドから伝来したものらしく、それ故に他の体系より完成された魔術として、分岐が少ないんですよ」
「そうなんだ」
「私ももっと早くにアイスがおいしいと知っていたら、その分野を開拓してアイス屋さんを始めていたかもしれません」
「それは無いだろ」
こいつが飲食業を始めて接客をしている姿なんて、欠片も想像できないのだが。
そもそもコイツ、一応氷の魔術は苦手っていう体なんだよな?
「まあいいや。……でも、氷の魔術師の種類ってのはちょっと気になるな。冷やしたり凍らせたり以外に何かあるもんなのか?」
「おや、気になりますか。ひょっとして、やはりあなたも若い頃はエターナルフォースブリザードしていたクチですか」
「そこまで痛々しい思い出を刻める程周りに友達いなかったからな」
「なるほど、会話中の空気を冷え込ませるタイプ、と」
失礼な前置きを挟んで。
「もちろん「冷やしたり凍らせたり」がメインですが、氷の魔術では「造形」の技術も重要になってくるんです。それこそファンタジーものだとよくあるでしょう。氷の武器や、氷で出来た生き物に建造物等……物の形や扱い方を理解して構築する、というのは、他の属性の魔術にはあまり見られない傾向ですね」
「なるほど」
……そういえばこいつ、掃除道具の扱いも自分自身じゃままならないぐらい、魔術と道化のスキルが関係しない分野だと、やたらと不器用な奴だったな。
氷の魔術が苦手って、そういう……?
「なので物の形を理解・記憶する氷の魔術師は、一般的に治癒の魔術にも長ける傾向にあります」
「身体の構造も覚えてるから、きちんと元通りに出来るって訳か」
「ええ。……ただ、これには光の魔術の履修が必須で、この魔術に関しては適正自体がほとんど無く、私、治癒の魔術はからきしなんですよね」
「そうなのか? お前でも使えない魔術とかあるんだな」
いやまあ、ジャンルそのものは滅茶苦茶納得感があるが。
こいつ、どう考えてもヒーラーってキャラじゃないし。
「なので、あんまり怪我とかしないで下さいよ? 次の休演期間から、本格的に演技練習も始めるのでしょう?」
「そりゃもちろん安全第一だからな。分かってるよ。……てか、その言い方だと治癒魔術なら国の許可無しで使えたりするのか?」
「もちろんダメです」
「ダメなのかぁ」
まあ、心配をかけるつもりは最初から無い。というか、怪我は下手すると職場全体の問題になりかね無いのだ。
何事も、ご安全に、だ。
舞台に立たせてもらうのはまだまだ先だろうが、いつまでも見習いで燻っているつもりも無い。
いつまでたっても『宮廷道化』には程遠いだろうがーーいつかは、同じ舞台の慰労会もしたいので。
そのためにも、まずはこの、長引く夏を乗り越えるのだ。
俺もクイ、と氷菓子酎ハイを煽る。
柑橘が数種類入り混じった香りは甘酸っぱくて爽やかで。
またひとつ、季節が過ぎていく味がした。
*
「はぁ〜! 碌でも無い季節だと思っておったが、氷が美味いのはええのう!」
これが日本の夏かぁと目を細めるワルダモン殿に、拙者は「次は自分でお作りください」と釘を刺しました。
全く、拙者は迸る汗もヤバいくらい似合うのに超絶クール(このクールはご存知の通り無茶苦茶カッコいい、ヤバい。の意のクールです)ハイパーセクシーイケメン一等賞どころかこの世の一等星我が主、ロードナイトモン様にお召し上がりいただくために、このダイペンモン風かき氷機のレバーを回しに回していたというのに。
……とはいえ、かき氷機に設置している氷自体は、彼女の弟子からロードナイトモン様に献上されたものです。
「持って来た者から食すといい」と、ロードナイトモン様直々に順番を譲られたその弟子が、自分の分は彼女に譲ると言った以上、拙者は仕方なく彼女の分も作りました。えらい。えらいので作りましたが、これ以上は拙者の管轄外なので作りません。
「フウマモンや、残りの蜜もこちらに寄せてくれんか? 妾、虹色のかき氷を作るのじゃ!」
「自分でお取り下さい」
「すみませんフウマモンさん、師匠が本当に……」
ぺこぺこと頭を下げながら、ワルダモンの弟子ーー白い魔術師とでも呼びたくなる風貌の魔人型デジモン・ソーサリモンが、結局机に並べてあるかき氷の蜜を抱えて行ってしまいました。
「……教え子とはいえ、勉学に関係の無いところでまでいらぬ仕事をさせるのは感心せんぞワルダモン」
そうですそうです! その深みのある美声でもっと言っちゃってくださいませロードナイトモン様!!
「いえ、僕が好きで師匠の世話を焼いてしまっているだけなので……というか、こちらでも師匠はお変わりないようで、ある意味安心しました」
ああ〜もぉ〜際限無く甘やかすタイプ〜!
心掛けは立派ですが、厳しく接する事も時には大切ですよ? ロードナイトモン様を見習うのです。
「どうじゃ〜? よく出来た弟子じゃろうソーサリモンは!」
ホントですよ。貴女はもっと感謝なさい自分の弟子に。
……と、散々胸の内でつっこんで、うっかり己の紹介を怠っておりました。忍者にあるまじき失態。
拙者はフウマモン。デジタルワールドからこちらにやって来たデジモン達を取り締まる機関の長・我らが王・デジタルワールドが生んだ薔薇色の至宝・最優の騎士ロードナイトモン様の腹心の部下。
以前「推しの右腕って名乗るの、あんまりにも不遜だし破廉恥じゃない?」と思ったので、今回紹介文を改めてみたのですが、腹心は腹心でよりいかがわしくなってません? 腹にして心って零距離では?? はわわわ。
閑話休題。
約1週間前になるでしょうか。
ワルダモン殿の弟子ーー曰く、ピエモン殿の兄弟子にあたるんだとかーーソーサリモン殿が、ウィッチェルニーからこちらの世界に渡って来たのは。
実を言うと、申請はもう少し以前から通っていました。
ただ『施設』で人間の世界に馴染む暮らしを目指すのでは無く、師匠であるワルダモンと同じ職場ーー即ち、ロードナイトモン様の配下として働きたいと希望した事で、いくつかの試験を経て、改めて認可を待っていたそうです。
この自由奔放な老……この自由奔放な魔女の弟子と聞いて拙者、随分と身構えておりましたが、何の事はありません。無茶苦茶よく出来たお弟子さん。
……いえ、思い返せばピエモン殿もけして悪い方では無いのですが……いや、彼は次元の壁をぶち破って来ていますからね。ちゃんと系譜は感じますね。しかしソーサリモン殿にはそれが無い。えらい。
ロードナイトモン様であればそれが普通だと仰るのでしょうが、新しい部下だと考えると、やはり真面目である事はそれだけで評価に値する部分があると言いますか。
それで、本日はソーサリモンの歓迎会という訳です。
……言う割には、ピエモン殿をも凌ぐという彼の氷の魔術で、本日の甘味用の氷を用意してもらっている始末なのですが。
さて、そういう訳で、本日の甘味は『かき氷』です。
氷を削って蜜をかけいただく、と、シンプルな食品ではありますが、その起源は古く、かの『枕草子』にも記述があるそうです。
今でこそ夏の定番スイーツではありますが、当然冷凍庫の類も無かった平安時代には、貴族しか口にできない甘味であったのだとか。
正しくロードナイトモン様に相応しい夏のスイーツ。かき氷機を回す拙者の手にも、力が入ろうというものです。
「……器から溢れそうだぞフウマモン。大丈夫なのか」
「はっ、ロードナイトモン様。蜜をかけると溶けて量が減ります故、このぐらいが適量であります。また、少々神経を使いますが、器から零さないよう丁寧に氷を崩して食べるのが、かき氷の流儀にして風情であるとの事」
「ふむ、そういうものなのか。……確かに、山のように盛られた氷の粒というのも、なかなかどうして見目麗しいものだ」
ああ〜! 良いと思ったものを即座に褒めてくださるロードナイトモン様いっぱいしゅき〜〜〜〜!!
拙者もそんなロードナイトモン様のために器から何から拘っておりますよ〜〜〜〜!!
「蜜はどう致しましょう」
「少々気になっていたのだが、ブルーハワイとは何の味だ?」
「この味に関しましては、色に主眼が置かれているため、明確な定義は無くメーカーによって味が違うのだそうです。今回お取り寄せした物は、ピーチ味との事」
「ほう? ではそちらをいただこうか」
ロードナイトモン様がピーチ味のブルーハワイをかき氷のフレーバーとして選んだので、本日はブルーハワイ記念日。
青色の推し概念……!! 拙者、ロードナイトモン様の写真集(自家製)を眺めながら常々「ピンクと青って割と相性良く無い?」と思っていたのですが、やっぱり映えるわロードナイトモン様withブルーハワイ。いや、ロードナイトモン様と並んで映えない存在などこの世に存在しませんが。ロードナイトモン様の美しさと偉大さは、如来型の後光にも負けず劣らずあまねく衆生を照らすので。
「いただきます」
青い蜜をかけたかき氷に、銀のスプーンのスプーンを突き立てるロードナイトモン様。
拙者が削った氷を……ロードナイトモン様が崩しておられる……なんなのでしょう、このえもいわれぬ感覚は。
「ふむ、……氷を削っただけのもの、と、どうやら侮っていたようだな。これは美味い。人間達が夏にこぞって食べようとするのも、頷ける話だ」
いぃよっしゃ〜!!!!! 気に入っていただけた!!!!!
「もしも過分に冷えるようでしたら、こちらを」
拙者は氷を削る前に蒸らしておいた急須のお茶を湯呑みへと注ぎ、ロードナイトモン様へと差し出しました。
「ほうじ茶です」
「氷菓子に、温かい茶か。……悪く無いものだ」
ああ"〜、ティーカップはもちろんだけど湯呑みも似合いますねぇロードナイトモン様ーーッ!! 拙者忍者なので、ロードナイトモン様と和のものの組み合わせ、なんかちょっと嬉しい……。
「フウマモン、妾にも〜」
「し、師匠! 僕が入れますからあまりフウマモン様にご迷惑おかけしちゃダメですよ!」
「……」
ホントにこの魔女は……と、思う拙者でしたが。
「どうぞ」
湯呑みをもう「2つ」用意して、拙者はワルダモン殿とソーサリモン殿の前に、それらを置きました。
主従に関係の無いところでまで扱いを変えるのは、美しく無い行いですからね。
何よりワルダモン殿は兎も角、ソーサリモン殿の早速の働きには感謝しております故。
「あ、ありがとうございます、フウマモン様」
「こちらこそ、氷の提供、誠に有難うございます、ソーサリモン殿。……これからはロードナイトモン様の下で共に働く同士として、どうかよろしくお願いしますね」
「は、はい! ……僕も師匠みたいにアプリデータとの適合を済ませて、ここでは完全体相応としてがんばりますね!」
「ところで見て見て妾の舌。すんごい色になってしもた」
「弟子の決意表明に被せる話じゃ無いですワルダモン殿」
ホントにこの魔女……! と目くじらを立てながらーーふと振り返ると、ロードナイトモン様がこっそりと人間形態の舌を出して、付着した青色を確認しておられて。
……はわ。
はわわわわわわわわわわわわ!!!!!?????
み、見てない見てない!! 拙者何も見ておりません!!!!!!!!!! そんな刺激の塊みたいなお姿!!!!!!!!!!!!!!! あー、いけません、いけません!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
深呼吸、深呼吸……フゥー……。
まあ、何はともあれ、明日からは9月。まだまだ暑い日が続くとはいえ、認識的にはなんとなく秋を感じられる月です。
食欲の秋、なんて言葉もありますしね。
明日からも、何を作ろうか……このサイボーグ型にあるまじき頬の火照りが引いたら、また仕事の合間に考えさせてもらいましょう。
お盆編:てきとうコロッケとビール
「それで? 今日のおつまみは何なんです?」
「コロッケ」
どす、と音がしたので振り返ると、ピエモンが机の後ろで腰を抜かしていた。
見開かれた赤い目は、こいつのリアクションが心情に対してけしてオーバーではないと物語っていて。
「あなたが」
「ん」
「このクソ暑い真夏の」
「おう」
「超繁忙期に」
「うん」
「平時でさえ面倒臭がる揚げ物の」
「……」
「その中でもやたらと工程の多い、コロッケを……!?」
唖然とした表情で俺を指差すピエモン。全体的にぷるぷると震えており、この割合失礼な驚愕を1mmも隠そうとはしていない。
いや、前に冷凍のフライドポテトなら揚げ(焼きにし)てやっただろうに。こっちの方が工程がめっちゃ多いのは、まあ事実だが。
それに……そっか。
流石に去年は、もうだいぶ打ち解けてきていたとはいえ、お盆にまでこいつと飲んだりはしてなかったんだっけか。
「ほら、今日からお盆だろ」
「ええ」
「これ、死んだじいちゃんの得意料理でさ。もうこの先墓参りも行けるかわからないし、せめてお盆くらいは思い出の味を偲ぶ事にしてるんだ」
俺の話を聞いて、ぱちくりと目を瞬かせた後、すぐにピエモンが座を正す。
「それは、大変な失礼を」
「いや、いいよいいよそんな畏まらなくて。じいちゃんもそんなの気にする人じゃなかったし、そもそも料理で故人を偲ぶなんてのも変な話だし」
「それはそう」
「お前やっぱりちょっと正座してようか?」
まあ、そうは言いつつ、下手に引きずられるよりばずっといい。
じいちゃんがそういうのを気にしない性格だったのは本当だ。
……いや、気にしなさ過ぎというか、ドライ過ぎるというか。
じいちゃん……母方の祖父は、基本的に他人に興味を持たない人だった。
働き者で愛想が良く、誰にでも優しい人だった。と、葬儀の参列者達が口を揃えて悲しそうな顔をしてくれた程には間違いなく人格者だったのだが、その実、なんというか……すごく極端な言い方をすると「博愛は何も愛していないのと一緒」の縮図みたいな人で、実際、祖父を慕う人は沢山見てきたが、祖父が友人だと紹介した人は昔話を含めて1人も見聞きした事が無い。そんな人で。
「……おじいさまの思い出話をしているのですよね???」
「いや、うん……俺も喋ってて不安になってきた」
でも、俺はそんなじいちゃんが好きだった。
思えば、変に俺の学校生活を詮索したりしないから、その辺気が楽だったのかもしれない。人付き合いが苦手でぼっちだった俺は、人付き合いが出来るのにあえて孤高の道を征くじいちゃんに憧れていた……のかもしれない。
で、そんな俺がじいちゃんの家に遊びに行く度に作ってくれたのが、コロッケだった。
昔お肉屋さんで働いていたと言うだけあって、じいちゃんのコロッケはとにかく美味しかった。
何せ、家じゃ自然派だか天然だか謳う味の薄い健康志向食材が、偏食の父に合わせて似通った調理方法と組み合わせで出てくる事がほとんどで。
文字通り、幼い俺には、一番のごちそうだったのだ。
「本日作るのはその再現コロッケってワケだ」
俺は前日に作っておいた、ラップに包んだコロッケのタネ部分を冷凍庫から取り出す。
飴色になるまで炒めた玉ねぎのみじん切りと、気持ち脂多めの合挽ミンチを炒めたものを塩胡椒、そして醤油で味付けし、潰したじゃがいもと混ぜて小判形に整形したものだ。
冷凍にしてあったのも、一応工程のひとつだったりする……いや、俺がたくさん食べるのを想定して作り置きしてくれていた可能性も否めないが、まあ、記憶を辿ると出てくる以上は、だ。
「おお……にわかに気になってきましたね。あなたが『一番のごちそう』とまで言うコロッケとなると」
もうかなり早い段階で正座をやめていたピエモンが、やはり俺が揚げ物の準備をしているのが珍しいのか、キッチンの入り口にまで寄ってきた。
とはいえ、だ。
「あんまり期待すんなよ。じいちゃんより上手く作れた事は一回も無いんだ」
「それはそうでしょう。おじいさまがお肉屋さんで働いている中で覚えたというのなら、実質その道のプロという訳ですし。いつぞやの鶏がらスープの話ではありませんが、素人が簡単に真似できたら世話無いですよ」
「ま、真理だな」
「なのでこれからも頻繁に揚げ物を作って練習するのがよろしいかと」
「それはお前が食べたいだけだろ」
言っている間に、深めのボウルで小麦、卵、水、そして塩を混ぜ合わせて、バッター液を作っていく。
「この段階で塩って入れるものなんです?」
「じいちゃんのレシピだとな」
挽肉を炒める時の醤油もそうだが、じいちゃんのコロッケは、それだけでしっかりと味が付いていたのが特徴だったように思う。
「っていうか、当時はテレビ番組とかでコロッケにソースかけてるの見て、滅茶苦茶不思議に思ってた記憶がある」
「そのぐらいおじいさまのコロッケが、あなたにとってスタンダードだったんですねぇ」
バッター液も、この塩味がたっぷりタネに付くよう、ドロドロめに仕上げておく。
牛脂を加えたサラダ油を温めている間に、凍ったままのタネをしっかりとバッター液にくぐらせ、パン粉をまぶす。
タネからあぶれたパン粉をひとつまみして油に落とし、ぱちぱちと軽く弾けるようなら、こっちも適温だ。
鍋肌から衣をつけたタネを滑らせ、狐色になるまで揚げていく。
あまり触ると破裂するので、焦りは禁物。注意深く湧き上がる泡のサイズを確認しながら気を伺うのだ。
まあ、何もしなくても爆発する時は爆発するが、ここまで来ると祈る以外にできる事は無い。
地獄の道化も固唾か生唾を飲んで見守っていたおかげか、幸い、コロッケが弾ける事は無かった。
最後の最後に穴を空けないよう気をつけながらキッチンペーパーを敷いた皿の上に取る。……久々だったが、火加減もうまくいったらしい。綺麗な狐色の仕上がりだ。
「おお……これはお見事。お供はビールで良いですか?」
「待ちきれなくなってんじゃねーか」
冷蔵庫の物色を始めたピエモンに、軽く肩を竦める俺。とはいえ確かに、そろそろこの暑さは限界だ。冷房を付けているとはいえ真夏の揚げ物調理はやはり堪える。
お望み通りキンキンに冷えたビールを持って行くよう言い渡して、熱々のコロッケを、今日ばかりはちゃんとした皿に、2人分取り分けて、持っていく。
「それでは……いただきます」
席について。
早速合わせた手が、お互いいつもより僅かに長い時間そうだった気がしたのは、まあ、流石に、気のせいだろう。
喉の渇きに急かされて、先にビールを手につける俺の前で、ざくっ! と響き渡る小気味良い音。
そーっと視線を上げると、(まあ見慣れた表情ではあるが)ピエモンが顔を綻ばせていた。
「おいしいです! 仰っていた通り、中身にも衣にもしっかり味がついているのがいいですね。コロッケというと、どちらかと言えば甘いイメージだったのですが……これはビールにも合いそうです」
「お前の口にも合ったなら良かったよ。んじゃ、俺も……」
ビールに手を伸ばした交代するみたいにして箸を手に取り、コロッケを口に運ぶ。
うん。パン粉はさくさく、中身はほくほく。少し濃いめの塩味は酒のアテとしてはちょうどいいくらいで、我ながらなかなかの出来と言えるだろう。
言えるんだが……。
「でもじいちゃんのコロッケとは、やっぱりなーんか違うんだよなぁ……」
そうなんですか? とピエモン。彼はさっき齧っていた分の残りを咀嚼してから、小さく首を横に傾ける。
「やはり舌の記憶だけで再現、というのは、あなたでも難しいのですかね」
「いや、実はレシピは残ってる……っていうか、俺が聞いてメモしたやつがあるんだ」
「あるんですか」
俺はベッドの隣にある棚からクリアファイルを取り出して、そこから薄汚れた1枚の紙を取り出す。
中学生の頃に使っていたノートから、切り離した1ページだ。
どれどれ、と紙を覗き込んだピエモンは、読み進める毎にどんどん仮面の下で眉間に皺を寄せていく。
「これって……」
無理も無い話だ。なんていったって、食材と調味料の分量が全部「てきとう」になっているのだから。
「念の為言うけど、ちゃんと本人の言う通りに書いたからな」
そして実際に、じいちゃんは全て、本当に「てきとう」と答えたのだ。
もう何回もは作ってやれないかもしれないなぁと、ある日弱気な調子でぽつりとじいちゃんが呟いたものだから。なら俺が作るよとレシピを教わったのに。
てきとうはてきとうだからなぁと。肝心な事は全然教えてくれなくって。
……いや、わかるよ。料理をするようになったからめっちゃわかる。分量を正確に測っていたのなんて最初だけ。あとは全部、「てきとう」だ。
じいちゃんは(多分)料理で一番大切な事を教えてくれてーーそうして本当に、あの「てきとう」なコロッケを食べる機会は、あの後片手で数えられる程しか無くて。
「しかしレシピが残っていてそれなら、あなたのおじいさまを喚んで聞き出したとしてもあまり意味は無さそうですね」
「いや喚ぶな喚ぶな喚ぶな。レシピが無かったとしても喚んじゃダメだろそれは」
「流石に冗談ですよ。死霊術の書はウィッチェルニーでは禁書でしたから、大図書館の管理職だった私でも2、3回しか読んだことがありませんし」
「どこからつっこめばいいのかわかんないけど、空間転移魔術をチラ見で使える奴の2、3回は使えるの意味だろ」
「いえ、死霊術はその禁書自体が手元に無ければ使えないタイプの魔術なので、今回は本当に使えません」
「そういうパターンもあるんだ……」
「まあ死霊術がデフォで備わってるデジモンも存在するんですけれども」
「いるんだ……」
お盆とはいえとんでもない話をしてるな俺達、と、色々とお茶を濁す代わりにビールを啜る。
と、またざくざくとコロッケを齧っていたピエモンが、俺の方を見てにこりと笑った。
「まあ、あなたの納得には繋がらないでしょうが、私は好きですよ、あなたの揚げたこのコロッケ。気が向いた時でいいので、また作ってくれると嬉しいです」
「……まあ」
「それに、おじいさまのレシピを再現するのに足りない調味料、私、解っちゃったかもしれませんので」
教えませんが、頑張ってください。なんて、したり顔言うピエモンだったがーー残念ながらそれは一般常識というか、一般的で常識的な感性だ。俺だってある程度は察している。
キッチンの方を見やる。
洗い物はいつもの2倍以上。油の処理だって残っている。
それをこいつがやると言ってくれたとしても、そもそもいつも以上に手間暇かけて作ったコロッケだ。
それをじいちゃんは、俺が遊びに行く度に、毎回用意してくれていて。
だから俺は、そんなじいちゃんの味を、ちゃんと再現したいと思うのだ。
「まあ、たまにだったらな」
俺は遮られてしまったさっきの続きを呟いて、自分の作ったコロッケに齧り付いた。
海の日編:ほっけの冷汁と日本酒
災害級の暑さ、なんて言う割に、夏のサーカスはそこそこの盛況っぷりを見せていて、なんだかんだ言っても日本人って逞しいモンだよな、と、他人事のように、今日も一日着ぐるみ仕事を終えた日本人の俺。
まあ隣で外国どころか異世界からやって来た道化師……究極体魔人型のピエモンがダレている以上、そう思うのも無理は無い話か。
コイツの話を信じるなら、ピエモンは溶岩の暑さも耐えられるそうだが、曰く「湿度のある暑さは無理」との事で。
「湿度高めの性格してるのにな」
「湿気のように纏わりついてやりましょうか」
「やめろやーめろ暑苦しい」
言いつつ、ちょっと寄って来ただけで、実際に纏わりつくような真似はしてこなかった。マジで暑いらしい。
台所から引き返したピエモンは、すぐさまクーラーの下を独占する。
部屋の契約時から設置されているオンボロの型ではあるが、それでも冷たい風は出る。この季節ばかりはコレが無いとやっていられない。SNSに時折流れてくる電気代<熱中症の入院費のイラストを眺めながら、必要経費と割り切る他無いだろう。
「てかお前の場合、施設の方が涼めるんじゃねーの?」
ボロアパートと違って、設備自体は向こうは最新鋭だった筈だが。
「まあ確かに、向こうなら氷雪系の魔術を使っても怒られませんが……」
「納涼は自前(?)なんだ?????」
「いうて私、氷系統の魔術は不得手な方でしたからねぇ。魔術学校時代もクラスで2番に収まっている事の方が多かったですし」
「世間じゃそれを不得手とは言わないが??????????」
えっと……確か卒業時は炎魔術主席だったんだよな?
魔術の事は相変わらずわからないけれど、勉強に置き換えると、その(多分)氷雪魔術主席だったであろう奴はたまったモンじゃ無かっただろうなというのも想像に難く無い。
「おかけで「氷の魔術が苦手? なら寒いところで修行じゃな!」と師匠にデジタルワールドの氷雪地帯に他の弟子共々連れて行かれ、何だかんだで幻のモジャモンを探す羽目に……」
「あ、それがクリスマスの時の話に繋がるんだ?」
まあそのせいで長らくぼっちだった上、あの破天荒なワルダモン……当時はウィッチモンだったか、に振り回されていたって話だから、結局あんまり羨ましかったりはしないんだけど。
「少々話が逸れましたが、何にせよ施設の方が涼しく出来ても、向こうじゃあなたの料理は食べられませんからねぇ。多少狭くて暑いくらいなら、我慢してもお釣りが出るという事です」
「はっはっは。一言も二言も余計なお前の皿には唐辛子をぶち込んでやろうか」
「ゆるしてください」
というか、唐辛子ぶちこめる料理なんですか? と、クーラーの側からは動かず身体を傾けてキッチンの方を見やるピエモン。
そんな角度じゃ見えないだろうに。
「まあ入れて食えない事は無いと思うけど、今日はフツーに暑い日でも食べやすい、冷たい料理だよ」
「おお、それはありがたい」
今日は海の日という事で、まあ海には行かないが気持ちだけそれっぽく魚を使う。まずはスーパーで安かった、骨取り済みのホッケの開きを、フライパンで両面焼いていく。
「ホッケって割と夏の頃が旬なんだな。スーパーのポップ見るまで知らなかったわ」
「北海道のイメージに引っ張られてません?」
「多分それ。……でも実際、昔修学旅行の北海道で食べたホッケ、マジで美味かったんだよなぁ」
学生の、日程やルートが決められていて、しかも絶妙に気と食べ物の好みが合わないクラスメイトとの旅行だなんて正直あまり楽しめなかったが、だからこそ、いつかは自分の好きな回り方してみたいもんだ、北海道。
「お前となら行ってもいいけどな」
「あ、じゃあいっそ今から行っちゃいます? 全力を出せば5分くらいで」
「おう時間かかってもいいからお金貯めて飛行機かフェリーで行こうな」
いや……5分で北海道。無茶苦茶魅力的な響きではあるが、絶対ロードナイトモンに怒られるやつだろ、それ。
そうこうしているうちにホッケが焼けたので、皮から身を剥がして、ほぐしていく。こういう時骨無しの魚は本当に楽でいい。
皮の方はこの焼き加減だとざらざらと食感が悪いので、メインの料理には使わない。もう少しパリパリになるまで焼いて、別の肴として扱おう。
ホッケの粗熱をとるためにアルミホイルの上に広げて放置している間に、オーブントースターで、これまたアルミホイルに広げた味噌に軽く焼き目をつけていく。
「冷たい料理なんですよね?」
「おう、まあ見てろって」
ホッケを焼く前に薄い輪切りにして塩揉みしたキュウリの水を絞り、薬味に大葉とミョウガを切っておく。
味噌が焼けたらボウルに入れて、上から絹ごし豆腐と、冷蔵庫で出汁パックを使って水出しにしておいた出汁を注ぎ、溶かしていく。
本格的にやろうと思ったらすりこぎが必要なのだそうだが、生憎そもそもうちには置いていない。豆腐も混ぜ込みながら冷たい濃いめの味噌汁を作るようなイメージで、根気よく混ぜるのだ。
出汁ができたら、大きめのお椀にごはんをよそって、ほぐしたホッケとキュウリ、各薬味を乗せる。
あとは氷を入れた出汁を上から注いで、最後にゴマをアホほど振れば、今日の料理は完成だ。
「お待たせ、ホッケの冷汁だ」
こちらも冷蔵庫を使って冷酒にした日本酒カップを添えて出せば、ピエモンもようやくクーラーの風が一番当たっていると思わしき場所から動いて、お椀の中をにこやかに覗き込む。
「どこかの郷土料理でしたっけ?」
「えっと……宮崎。宮崎みたいだな。他の地域にも似たようなのあるらしいけど、参考にしたレシピのは宮崎風だって」
「氷が浮いているだけで嬉しくなりますねぇ。溶け切らない内に、早速いただきましょうか」
「だな」
いただきます、と、手を合わせてすぐにお椀を手に取り、汁と一緒に米を腹に流し込む。
あ〜、たまんねぇ〜。
「おいひい〜! 全体的にさっぱりしているのに、ホッケにはしっかり脂が乗っているので食べ応えがありますね。薬味もすごくいい仕事をしています」
「昔鯖の塩焼きで作った時も美味かったんだけど、クセが無くて食べやすいのはこっちだからさ」
まあ本場じゃいりこやアジが一般的らしいんだが、手間や値段を考えるとな。
「鯖ってたま〜に当たり外れありますしねぇ。美味しいんですけれども。……ところでこの出汁、そうめんにも合いそうですね」
「合うぞ〜。気に入ったんならまた作ってやるよ。暑い日でも食べやすいしな、これ」
「ふふ、今から楽しみにしていますよ」
ピエモンが上機嫌で冷えた酒を傾け始める。肴として摘む分には、少々貧乏くさいとはいえ、パリパリに焼いておいたホッケの皮もいい仕事をしているようだ。
俺も日本酒のカップを開ける。汁系のご飯ものには多少ミスマッチかもだが、それでも和の白身魚には透明な日本酒の辛味がよく合うもんだ。
今年の夏も、引き続きバカみたいな暑さだろう。正直、考えるだけで気が滅入る。
でも、まあ。なんとか乗り越えられるだろうとも思う。こうやって、また次の宅飲みの約束をしながら一緒に涼む友達がいれば、その内暑い季節も過ぎて行くだろう、と。
夏至編:搾菜とトマトのパスタと白ワイン
「あー……」
俺は一昨日買ったトマトの側面に触れて思わず嘆息する。
昨日まで艶と張りのあった赤い実がもうこの有様だ。安いからと詰め合わせのものを買ったが、安いものには安い理由がある訳で。
加えてこの気候だ。人間の俺だって溶けてしまいそうなのに、野菜にばかり瑞々しさを求めるのも、まあ無理のある話ではあって。
夏至。
梅雨の只中で実際の日照時間は短いため、今はまだ冷房に頼らず生活できてはいるが、やはり「夏に至る」と言うだけはある。食べ物が傷む速度で季節を実感するのも嫌な話だが、夏の長期休みという概念が無くなったこの時期には、すっかりいい印象も薄らいでしまった。
着ぐるみの仕事をしてると、なおの事、だ。
「どうすっかな」
柔らかいとは言っても、歯磨き粉のCMにデビュー出来そうな程じゃ無い。
まだ十分そのまま食えると思うが、今日1人で食べ切るには若干厳しいといったところだ。
「……」
献立を考えるにも、暑さで茹だる頭ではうまく考えも纏められず、俺はとりあえずトマトを冷蔵庫の野菜室に仕舞い、家を出る。
明日からまた雨の日が続くらしいから、帰りにはいくらか買い溜めしておかないと。
全く、この季節はままならないもんだ。
*
「って訳だから雨の前に宅飲みしとくか?」
「お誘いは嬉しいですが、まさかトマトの消費を手伝えが第一の理由に来るとは思ってもみませんでした」
止まる事を知らない私への雑な扱い。と目を細めるピエモンだったが、飲み食いが出来るならやはりきっかけは何でもいいらしい。
「では、ご相伴に預かりましょうか」と、彼はジェスターの面で涼しげに微笑んだ。
顔はいいけど、やってる事に節操は無いんだよな、この究極体。
誘う俺も俺なんだけども。
「して、今日の肴は?」
「買い物に行ってから決めるよ。でも生のままは何だから……パスタソースとかにするのもいいかもな」
「成る程、それは良い考えかと」
「もしくはトマト入りの酸辣湯とか」
「……美味しいでしょうけど、辣の要素はほどほどでお願いしますね?」
「……」
「もしもーし」
と、ピエモンを揶揄いつつ、あんまり熱々の麺料理の気分にはなれないというのが実を言えば本音ではあって。
そりゃ夏でも無性に食べたくなる時はあるが、それはどちらかと言えばカラッと暑い日にであって、湿度がキツい時分だとまた何か違うんだよなぁ。
……と、結局具体的な案が浮かばない内に今日の業務が終わり、2人して近所のスーパーへと足を運ぶ。
店内の気温は快適そのものだったが、相変わらず思考は纏まらなかった。とりあえず豆腐やらキノコやら、所謂物価の優等生と呼ばれるような食材ばかり手にとってしまう。
「マジでどうしたもんか……お前、何かリクエスト無いのか?」
「うーん。あなたの作るもの、大体美味しいですから、特には……」
「嬉しいけど献立考える時はまあまあ困るヤツぅ」
では……としばらく頭を捻った後、ふとピエモンの目が奥のコーナーの方へと向けられる。
「魚見ません? トマト、多少柔らかいくらいなら気にしないので、こう、カルパッチョ的なのもアリかなと思いまして」
「あー、それもいいかもな」
カートを押して刺身売り場へと赴く。
……が、この時間だと元からお手頃なヤツはだいたいはけていて、残っているものには値引きシールが貼ってあるものの、微妙に色の悪さが目立つというか。
んー……これとやわらかトマトでカルパッチョっていうのも……せめてどっちかが新鮮だったら考えるんだが……。
「あ、そうだ」
「?」
だが脳内に食材が揃った事で、レシピが1つ引っ張り出されてくる。
「ピエモン、やっぱりパスタでもいいか?」
「? それは構いませんが」
言いつつ、半額になったサーモンの柵を手に取る俺に、ピエモンが首を傾げる。
だが、この後取りに行った食材の事を思えば、大した驚きでは無かった筈だ。
「え、搾菜?」
中華調味料コーナーで俺が手にした小瓶を前に、「パスタですよね?」とピエモンが目を丸くする。
「パスタだよ。ちょっと変わり種だけどな」
そうして俺は、今度は乳製品のコーナーへとカートを押して行くのだった。
*
オリーブオイルを引いたフライパンに、切ったトマトと白ネギを加えて、水分を飛ばし切らないように気をつけつつ、トマトの形が崩れるまでしっかり炒める。
ある程度火が通ったら、搾菜を投入。軽く馴染ませたら生クリームを流し込んで、沸騰させる。
クリームが煮立ったら粉チーズを加えて混ぜ、そこに醤油を数滴。最後に薄く切っておいたサーモンを入れればソースは準備完了。
後は茹でておいた1.6mmのパスタ2人分を絡めれば、完成だ。
「ほい、搾菜とトマトのクリームパスタだ」
皿に盛ったものを机に置くと、ピエモンが不思議そうな表情を浮かべて、出来上がったパスタを覗き込む。
「これまた和洋折衷? 無国籍? なんとも言い難い料理ですね。見た目は美味しそうですが」
味も美味いんだよ味も、と言いながら、冷蔵庫で冷やしておいた缶のワインを出してやる。
ついにグラスまで出さなくなったのかなり言うかと思ったが、気候的に見栄えより冷たい飲み口の方が勝ったらしい。文句は言ってこなかった。
「では……いざ」
いただきます、と手を合わせて、当たり前のように箸でパスタを食い始める俺達。
やはり、俺のレシピに間違いは無かったらしい。ピエモンの表情は、すぐに綻んだ。
「これは美味しいですね! 搾菜の塩味と歯応えがクセになるといいますか。ネギはシャキシャキ、サーモンはほろほろしていて、全体的に食感が面白いです」
「だろ? どこで見たのかは覚えてないんだけど、昔なんかで知ったレシピでさ。作ってみたら美味かったから、結構お気に入りの料理なんだ」
機嫌良く缶の白ワインを傾ける。
あーもう、冷えた酒ってだけで最高だ。そりゃ香りは常温の方がいいんだろうが、キンキンに冷えたワインの爽やかな辛みと微かな甘味も、なかなかオツなもんで。
あー、と、なんとなしに合点がいったように、同じように白ワインを煽ってから、ピエモンもうんうんと頷いた。
「ありますよね、そういう由来は思い出せないけれど役に立つ知識」
「お前にもなんかそういうのあるのか?」
「ええ。世界間を移動できる空間転移の魔術も、多分学院の図書館でチラッと見たものだったのですが、使ってみるとなかなか便利で」
「んな一般人でも分かる大魔術をうろ覚えのチラ見知識で使いこなすな」
「実際、流石にデジタルワールドからこちらの世界へは怒られましたしねぇ。面倒臭くても正規の手続きを踏むべきでした」
「そういう事じゃ無いんだわ」
「しかし美味しい食事は人・デジモン問わず幸せにしますからね。それにあなたは、このままだと傷んでいた食材を見事に調理したのですから。それは大魔術に勝るとも劣らない素敵な『魔法』ですよ」
「そうかな……そうかも……」
いや、論点大分はぐらかされた気がするけれども。
……まあ、言われて悪い気はしないのは事実だ。起源もわからない俺のお気に入り料理が、正体不明の地獄の道化にもウケるなんて、確かにファンタジーな話ではあるし。
「ま、変わり種でも定番でも、パスタぐらいまた作ってやるよ。……でも、今より暑くなったらまたしばらくそうめん生活かもなぁ」
「冷製パスタでもいいのですよ私は」
「冷製パスタはちょっとめんどい」
「面倒なんですか……」
じゃあ仕方ないですねと、ピエモンがパスタの続きを口に運ぶ。
気が向いたら作ってもいいけどな、と、俺はまだ仄かに明るい窓の外をぼんやりと見つめながら、これからやって来る暑さに対応できる酒の肴を、今から考えたり考えなかったりするのだった。
初飲み編:黒枝豆の塩茹でとビール
「デジタルワールドから来ました。究極体ウイルス種魔人型のピエモンです。よろしくお願いします」
俺はこの時、ようやく面接の際問われた「デジモンは平気か」の意味を理解する。
初出社(と言っていいのかはわからない。なんたってサーカスだし。まあ運営元は株式会社って付いてるから出社でいいんだろう)の日、同期だと紹介され、共に先輩たちの待つ練習部屋に通された見るからにいけすかない高身長イケメンは、気がつけばさらにデカい人型の、ピエロの格好をしたデジモンに変わっていて。
しかも、何だって?
デジモン、そんなに詳しい訳じゃないが、究極体って呼ばれる奴らが一番強いっていうのは流石に知っている。
こちらで事件を起こすデジモンの約半数が、ウイルス種とかいう分類なのも。
それから、何も知らなくても判断はできる。
魔人。
どう考えても、『普通』のデジモンが持っていて良い肩書きではない。
先輩方もそわそわしている。俺と違って全く知らなかったとは思えないが、ひょっとすると、実際に会うのは今日が初めての人もいるのかもしれない。
そして何も知らないままコイツとの初対面を迎えた俺は、ただただ呆けた顔でこの見るからにヤバそうなデジモンの白黒の仮面を見上げる事しか出来なくて。
そんな俺に対して、ピエモンはピエロらしくニコリと愛想よく微笑み。
どこか遠いところで、同期同士仲良くやってくれと、なんとなしに気まずそうに言ってのける団長の声が、聞こえた気がしたのだった。
*
人とは違う事をやりたい。
ネットの胡乱な診断でクリエイタータイプなるものに分類されがちな俺は、それが即ちコミュ症の烙印であるとは理解しつつも、診断結果を間に受けたフリをして、地元を飛び出して来たのだった。
飛び出して来た、とは言っても、就職に至るまでは何というか、普通だった。求人は新卒向けの就活サイトで見つけたものだし、企業説明会にはスーツで赴いた。面接も、他の会社で受けたものとそう変わらなかったと記憶している。
強いて言えば……そう。「デジモンとか大丈夫な人?」と。そんな質問があったのは、サーカスの会社だけだった筈だ。
今思えば確かに変な聞き方だ。「デジモンについてどう考えるか」ではなく「デジモンとか大丈夫な人?」。
……緊張でいっぱいの新卒に、面接官の機微を一々判断しろというのも、まあ、酷な話だろう。
俺は「デジモンとの交流を視野に入れている御社は誠に先進的な企業」「エンターテイメント業界の鑑」「深く感銘を受けました」云々。兎に角歯触りの良い言葉を探して適当な台詞を並べ立て、そしてサーカスの側は「じゃあ大丈夫なんだろう」と判断して、俺を採用したらしかった。
その結果がコレである。
デジモン。
10年と少し前から突然現れるようになった、人語を解する不思議生物。
色々と騒動はあったが、なんやかんやで人間と共生している、インターネット生まれの怪物達。
そんな奴らが大丈夫だったのは、どうやら俺だけーーもしくは居たとしても、ここよりいいところに行ったらしい。
俺とピエモンは、お互いにとって唯一の同期だった。
(やんわりと、ではあるが)そういう事は最初に言って欲しかったな〜的な事を団長に伝えても時既に遅し。
むしろ唯一の同期として仲良くーーつまり面倒を見ろと(割とあからさまだった)激励されるような始末で。
途方に暮れたところで、他に行くあても無い。こうして俺の新社会人生活は、思いもよらなかった不安と共に幕を開けたのだった。
とはいえ幸いな事に、ピエモンは俺が、というか誰かが面倒を見なければいけないような奴では無かった。
デジモンってやつは、姿形に性質までもが引っ張られるらしい。ピエモンの芸は何をさせても完璧で、俺が着ぐるみの効率的な着脱方法を試行錯誤している間にアイツは先輩方と同じ舞台に立っていて、ひと月後には『宮廷道化(ジェスター)』なんて、大層な呼び名を貰っていた。
そして何より、クリエイタータイプは往々にしてコミュ症なのだ。
結局、俺とジェスターは挨拶以外に碌に言葉を交わさないまま、気がつけば5月が終わりを迎えようとしていた。
*
忙しかった行楽シーズンを乗り越え、梅雨入りとほとんど同時にサーカスが休業期間に入る。
まあ休業なのは公演だけで、やる事はいくらでもある。俺の場合は、まだ先輩方について回って、ではあるが、設備や小道具、衣装のメンテナンスやら、地道な筋トレやら。
今のところ一番大変なのは清掃だった。きちんと施設の内装や道具の場所を覚えるのも兼ねて、新人は毎日違う箇所の掃除を言い渡される。意外と広いのと、場所によって使う用具も違うので、覚えるのも一苦労だ。
この時期になると先輩もついて来てはくれないし、だからと言って仕事が甘いと当然怒られる。
何より
「……」
「……」
いくら既にリングに上がっているとはいえ、新人なのはジェスターも同じだ。清掃業務に関しては、宮廷道化も避けては通れなかったらしい。
無駄口はダメとはいえ、お互い無言で真隣で作業し続けるのは、地味にこたえた。
しかもコイツ、手際が悪い。滅茶苦茶悪い。掃除用具の使い方がマジで下手くそなのだ。……掃除用具の使い方が下手って何???
一度だけ、擦っても落ちない壁のシミを前に「魔術なら一発なんですがね」と嘆息していたので、冗談の類でないのなら掃除の方法そのものが違う可能性があり、俺もよほど目に余る場合を除いては、彼に口出ししないようにしていた。
……人と違う事がしたい、だなんて。
究極体デジモンと同期とかいうすごい現場にいるって言うのに、これじゃ学生時代と大してやってる事、変わらない気がするな。
「っす」
午前の練習後の練習場清掃を終えて、先輩達より少し遅れて食堂に入る。
食堂のメニューは安めに設定されているが、先月最終的に手元に残った金の事を考えると定食ものが贅沢品に思えて、一番安いかけうどんを注文する毎日だ。
と、
「あれ?」
食堂のおばちゃんがうどんの上にかき揚げを乗せる。
注文間違えたっけかとパネルを確認する俺に、おばあちゃんがニコニコしながら先輩達の一団を指し示す。
出来上がったかき揚げうどんをトレーに乗せてお礼を言いに行くと、皆通った道だからと、先輩達も笑っていた。
「まあ、かき揚げ1つで先輩面できるなら安いモンだよ」
「マジでやっすい先輩面だな」
「うっせ」
「いや、そんな事は……ありがとうございます、助かります」
「いいぞ〜、素直な後輩は可愛がりがいがある」
「今の発言、なんらかのハラスメントになるんじゃね?」
「最近そういうの厳しいぞ。訴えたら賠償金で毎日定食にできるんじゃね? どうよ」
「いや、その、あはははは……」
「新人君マジで困ってるぞ、その辺にしとけ」
先輩方は厳しいが、優しいのは優しかった。確かに大した値段でないとはいえ、天ぷらものが入ると腹持ちが全然違ってくる。
もう一度お礼を言ってから、近くに座らせてもらう。
しばらく食べ進めていると、実際お前も大変だよなと、食べ終わったらしい先輩が話しかけてくる。
「? って言うと」
「だって唯一の同期が、その……ほら」
「いや、まあ……でも、先輩達の方が関わる機会、多いんじゃ?」
「んなことねーよ、あいつ、1人……1体? で何でもできるし、教えられる事、ほぼほぼ無いし」
そういや芸事に関してはそうだったな。
「ここだけの話、ジェスターは団長が国からの補助金目当てに雇ったって話だ。こっちでの就労体験を希望してたとか、なんとかで」
「そうなんですか?」
噂だけどな、と言いつつ、先輩の表情には確信めいたものがある。
確かに、あの団長の事だ。それくらいのメリットがなければ、進んでそんな真似はしないだろう。それだけは、まだ団員になって日が浅い俺にも解る。
「でも、正直ぞっとしないよ。IT関連の仕事がデジモンに奪われる、みたいな話はよく聞くけど、この様子じゃエンタメ業界もヤバそうっていうか」
「意識高いな〜。……まあ、わからなくはないけどな。姿形も自由自在、しかもアクロバットも奇術もなんでもござれだもんなぁ」
「……」
先輩達があからさまに声をひそめる。
……食堂の奥には、ジェスターもいるからだ。
一番端、角の席。ずっと、アイツの定位置である。
やがて、全員が食べ終わったのか、お先にと先輩達が部屋を後にする。
再度の例を言いつつ、彼らを目で追うがてら、ジェスターの方を見る。
……食べているのは、俺と同じでかけうどんに見える。
そんな飯を、毎日1人で、つまらなさそうに食っている。
「……」
万が一にも目が合わない内に自分のうどんに視線を戻す。
先輩が奢ってくれたかき揚げは、半分齧ったところからつゆが染みて、いい意味でくたくたになっている。
ジェスターのには乗ってなかったなと思うと、ふと過っただけの筈の考えが、一層自分の中で大きく膨らんでいくのだった。
*
「うわ……そういやあったなそんな事」
やっすいビールを傾けながら(これをやめれば浮く金があるのは百も承知だが、生憎これのために仕事をしている)、酔いに任せてスマホでピエモンについて検索すると、真っ先に出て来たのが数ヶ月前の記事。
正規の手続きをせずに、次元の裂け目を作るだのなんだのでデジタルワールドからやってきた究極体を、デジモンの管理を一手に担う国内最強のデジモン……ロードナイトモンが捕獲した、という内容のものだ。
記事の本文中では種族名は伏せられていたが、目撃者が一様に「ピエロのような姿をしていた」と口を揃えた事から、コメントなんかで特定に至っていて。
自己紹介の時以来ずっと人間の姿でいるのは、騒ぎを起こしたデジモンなのを、隠す理由もあるのかもしれない。
しかしこのピエモンというデジモン、他に碌な情報が出てこない。
デジタルワールド側から開示されているデジモンのアーカイブに記載はあるのだが、そこですら神出鬼没正体不明と書いてある。なめてんのか。
2ヶ月目にしてようやく真面目に考え始めた同期への接し方は、しかしそのきっかけの糸口すら、インターネットでは教えてくれなくて。
「どうしたもんかな……」
画面をスクロールしながら途方に暮れる。
どうするも何も、今までどうもしなかったんだ。別に、相手が人間だったとしても、同期だからを理由に馴れ合うような時代じゃない。このままでも、別にいいとは思う。
ただ、俺は良くても、ジェスターが本当にそれでいいのかが、なんだかわからなくなってしまったのだ。
少なくとも今日みたアイツは、好きでぼっち飯食ってるようには、とてもとても、見えなくて。
アイツ、ロードナイトモンを怒らせてまで、どうしてこっちの世界にやって来たのだろう。
……向こうでも、飯食う時は、1人だったんだろうか。
「ん?」
そんな折、スクロールを続けた先に、ふととあるサイトの名前が目に止まる。
「デジモンの好物アーカイブ……?」
開いてみると、害は無さそうだが見るからに胡乱な個人サイトだった。
製作者が独自の方法で調べたという、デジモンの種族ごとの好物がずらりと記載されていて、その中には全てが謎に包まれている筈の、ピエモンの名前も載っていた。
「酒……」
特に好むのはブランデーだが、他の酒類も好むと考えられるだの、なんだの。
俺は思わず、片手に持っていたビールの缶をまじまじと見つめる。
天下の宮廷道化サマが、自宅? じゃ俺と同じように安月給故似たような価格帯のビールを傾けているかもしれない。だなんて。
眉唾もいいところだ。
……眉唾も、いいところ、なんだが……。
*
「なあ、今日ってこの後、空いてるのか?」
就業前の備品点検中、思い切って同じ作業にあたるジェスターに話しかけたところ、彼は一瞬自分に話しかけられたのだと気づかなかったらしく、たっぷり数秒間を置いてから、俺の周囲を見渡した後、改めて俺の方を二度見した。
「私に言いました?」
「……うん」
「ええっと……それは、失礼しました。作業に集中していたもので。……お手数ですが、もう一度お願いできますか?」
聞き逃していたとは思えないが、ジェスターは俺の台詞が到底信じられなかったのだろう。
だが俺も一度は括った腹だ。同じ内容を、より簡潔に繰り返す。
「この後暇か? って、そう言った」
「……予定は無い、ですね」
「なら、うちで宅飲みしないか?」
ジェスターがいよいよ目を見開く。人間の姿を取っていても、赤みが強い印象の目を。
「え、えっと……その……」
彼は舞台の上にいる時の姿からは想像も出来ないほどあちこちに視線を泳がせ、やがて、かなり気まずそうに、俺とは目を合わせないようにしながら半笑いを浮かべる。
「もしかして、気を使ってくれてます? 先輩達の言っていた事なら、大して気にしていませんので……あなたも、無理はなさらなくても……」
がっつり気にしてるのが判るし。
先輩、先輩。しっかりジェスターに聞こえてたみたいですよ?
「えっと、そんなんじゃなくて……大家さんに枝豆もらってさ。1人じゃ食べきれないから。俺も地元出て1人だし、誘うなら、ほら、同期くらいしかいないだろ、こういうのって」
本当は枝豆は自分で買って来たのだが、余計に気を遣った風になってしまうし、その上で逃げ道を塞ぐ形になりそうで、俺は咄嗟に嘘を吐く。
本当に嫌がっている奴を誘うのは、俺としても本意ではないのだ。
ただ
「そういうものなのですか?」
「そういうもんなんだよ」
やはり、俺の誘いそのものを嫌がっているわけでは無いらしい。
「本当にご迷惑でないのなら」と、最終的に約束を取り付け、何やら手続きがあるとの事だったので、住所だけ教えて業務が終わった後は、先に帰った。
ひょっとしたら多少無理をしてでも外飲みに誘った方が良かったかもしれないが、何度も言うようにそんな金は無い。
国から監視されている立場なら、よほどの事はしないだろうと判断した結果だ。
俺は昨日の内に下処理して冷凍しておいた枝豆を、沸騰したお湯で茹で始める。
……万が一ジェスターが来なかったとしても、まあ枝豆なら食えるだろう。冷やしたビールもあるワケだしな。
だが、俺の心配は杞憂だったらしい。
約束していた時間になった瞬間、インターホンが鳴り響いた。
「どうも。今日はお招きいただき、ありがとうございます」
「ん、いらっしゃい。まあ上がれよ」
ちょっと狭いけど、と付け足しながら、シンクの側に寄ってジェスターの通り道を確保する。
ジェスターはそわそわぺこぺこしながら通路を通り抜けていく。その間にちょうどタイマーが鳴って、俺は枝豆をざるに取り上げた。
「鍋のままで勘弁な。さやはこのボウルにでも入れてくれ」
「ありがとうございます。……ああ、これ、お土産です。急拵えなので、お口に合うかわからないのですが……」
渡されたビニール袋の中を覗くと、おつまみの詰め合わせセットだった。
……なかなか信頼のおけるチョイスだ。
「……ピエモンが酒好きって本当だったんだな」
「え?」
「ああいや、そんな話、ネットで見かけて。だから、好きなら誘ってみようと思ったんだ。……本当みたいで、よかったなって。これ、好きじゃなきゃしなさそうなチョイスだったから」
「載ってるんですね? そんな情報……」
書類に好物なんて書いたっけかなとジェスターが首を捻りつつ、差し出したクッションに腰を下ろす。
サイトは誰がどうやって書いた情報なのかますますわからなくなってしまったが、まあ些細な事だ。
今大事なのは、茹でたての枝豆と、コイツなんだから。
「ほい、ビール。もう何缶か冷やしてあるから、おかわりいるなら気軽に言ってくれ」
「あ、どうも……」
と、不意にジェスターがまた視線を泳がせ、やがて、俺が向かいに腰を下ろしたのを見て、控えめに、ではあるが、意を決したように口を開く。
「その、ご迷惑でなければ、なのですが」
「?」
「姿、戻しても構いませんか? お酒が入ると擬態が途中で溶ける事があるので、ならいっそ先に、と思いまして」
元の姿……って言うと、あの2mくらいあるピエロの。
髪も含めると、もっとデカかったような。
……大丈夫かな。
俺が、というより、スペースが。
「机、もうちょいこっちやろうか?」
「オネガイシマス」
なんだかお互いぎこちなくなりながら机を俺のいる側に寄せると、宣言通りあのイケメンの姿からピエロのデジモンに変わるジェスター。
見るのは2ヶ月ぶりだが、あの時と違って不意打ちではないので、そんなに驚かずには済んだ、と、思う。
少なくとも、怖いとは思わなかった。仮面をしているとはいえ顔の作りが人間に近いからか、相変わらず緊張しているのが伝わってくるし。
「じゃ、準備も完了って事で」
あえてあまり触れずに、お互い改めて席につき、食卓で手を合わせる。
「いただきます」
それから、俺達は枝豆をつまみにビールを飲んだ。
食べ終わるまで大した言葉は交わさなくて、だけどそれが逆に、お互い酒と肴に集中している証らしくて、意外と心地は悪くなくて。
「……おいしかったです。塩加減も、絶妙で」
「そりゃ良かったよ」
食べ終わって、ようやく口を開いたジェスターに、俺も笑って返す。言われる前から伝わっていた感想は、しかし言葉にされると、なんだかこそばゆかった。
「ええ、本当に良かったです。……お酒を誰かと飲める日が来るなんて、思ってもみなかったので」
「そんな大袈裟な」
「大袈裟じゃないですよ。私、故郷にも、その、ゆうじ……酒飲み仲間なんていませんでしたし」
言い直したのは、俺を勝手に友達認定したものだと思われては迷惑だと考えたからか。
……正直、わかるぞ、その気持ち。
「……人間の世界なら、何か違うかもしれないと思い、ちょっと次元の壁を突き破って来たのですが、よくよく考えれば、究極体ウイルス種だなんて、むしろ怖がられて当然の存在ですし」
「……」
「ロードナイトモンには滅茶苦茶怒られるし」
「それは仕方ないと思う」
申し訳ないけれども。
と、ここでジェスターがくす、と微笑む。
「?」
「ああいや、すみません。……本当に、怖いもの知らずな方だなぁと思って」
あー、思わずつっこんだから、それで。
「そう言うジェスターは、なんていうか……なんていうんだろうな」
「なんでしょう」
「思ったよりは親近感の湧く奴で、ちょっと安心した」
「……」
サッ、とジェスターが顔を背ける。
が、耳が尖っているせいで一目でわかってしまう。
どうやら、コイツ、照れているらしい。
「その……ありがとう、ございます。それから、ご馳走様でした」
「おそまつさまでした」
「それから、その。ご迷惑ついでになのですが」
白い顔のままではどうあっても誤魔化せないと考えたのか、ジェスターがまた姿をあの容姿端麗な青年のものに戻す。
「名前、なんですが。ジェスターではなく、ピエモンと呼んでもらえれば、と。実を言うと、個体名って、なんだか慣れなくて」
「……逆じゃなく?」
「デジタルワールドでは種族名呼びの方が一般的なのですよ。しかも究極体ともなれば、種族名で充分個体名の役割も果たせるので」
「そういうもんなんだ?」
「そういうものなのです」
解った、と同意する。
慣れない場所で慣れない呼び名だなんて、そりゃ、確かに落ち着かないだろうしな。
折角こうやって一緒に酒飲んだ縁だ。知った以上は、そうしてやろう。
「宅飲み、また誘うよ、ピエモン」
早速名前を呼ぶと、ピエモンはぱちくりと目を瞬いて。
それからふにゃりと、舞台用からはかけ離れた笑みを浮かべるのだった。
*
「その頃の事を思うとマジで可愛げなくなったよなお前」
「その言葉、そっくりそのまま返してあげますよ」
新入社員には若干荷が重い備品整理を終えて食堂にやってきた俺達は、今からちょうど1年前の思い出に花を咲かせて、しかし気付けばお互いを小突きあっていた。
折角だから今日も飲むかという話になったんだが、コイツ、今回は冷凍枝豆だって言ったら「私達の仲も1年で随分と冷え込んだものですね」だのなんだのちくちくつつきやがってからに。
「今のうちに言ってろ。冷凍焼き枝豆、マジで当たり商品だからな」
「食べるまではとても信じられませんね。尚のこと今日は宅飲みに伺わなくては」
「興味津々じゃねーか!」
そして俺達は、夜の酒を楽しむために、今日も食堂で一番コスパのいいかけうどんを頼む。
と。
「?」
「?」
渡されたトレーの上のうどんには、揃ってかき揚げが乗っていて。
顔を見合わせる俺達はに、食堂のおばちゃんが指し示すのは後ろの席。
先輩達が、2年目なんてまだまだヒヨッコだからなと俺『達』を笑っていた。
俺とピエモンは、改めて顔を見合わせる。
それからにやりと笑って、先輩達にお礼を言うために、並んでそちらへと足を運んだ。