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秋分の日編:鶏胸肉のづけ焼きとビール
暑さ寒さも彼岸まで。……なんて言う割に彼岸に入ってもずっと暑いなとは思っていたが、クーラーを夏と同じ温度で入れると思いの外肌寒かったりして、そんなこんなで秋を感じ始めた今日この頃。
気温の他にも、思わぬところで季節の移り変わりを教えてくれるものも、案外身近にあって。
「あー、そういや残ってたんだっけか」
冷蔵庫のポケット。何かと突っ込んである他の調味料に埋もれがちだったボトルが、ふとした拍子にひょいと顔を覗かせる。
ご存知、夏の味方。そうめん……の、つゆである。
先週末にそうめんを食った時、使い切ったもんだとばかり思っていたのだが……やれやれ、自分の記憶力すら当てにならない。それに、なんだかんだ言っても使用頻度自体が、まず随分と落ちたような気がする。
メーカーの指定通り、開封3日で使い切れる季節も、いつの間にやら過ぎ去っていたという訳だ。
「どうすっかな」
とはいえめんつゆなんて大概何にでも使える。和のものなら主菜でも副菜でも汁物でも。だからこその「どうすっかな」だ。
この前の3連休を境に、サーカスは秋休み。もちろん業務やトレーニングは何かとあるが、土曜日と祝日が重なる本年度の秋分の日は、フツーに俺らもお休みである。
もちろん平日もそうしているとはいえ、なんとなしにピエモンと「休日飲みするかぁ」となったのも、自然な流れと言えば自然な流れ(?)で。
さっきの台詞をより正確に口にするなら、「今日の肴はめんつゆを使ってどうすっかな」になる訳だ。
一旦冷蔵庫を閉めて、スマホで近所のスーパーのチラシを確認する。
とはいえ祝日のスーパーはどこも休日特価を謳う割に若干割高……というか、値引きされてもお高い国産のステーキ肉がメインを張っている印象で、庶民のお財布にも優しそうに見えるのは、季節もののおはぎぐらいか。……いや、ホントに安いのかな。普段食わんとわからんな。
「直接行くか……」
どうにしたって最終的には足を運ぶしかないと、家を出る。
日差しがあるとまだまだやっぱり暑いのに、空の高さだけは、一丁前に秋模様だ。
*
「っつー訳で脳内議論を重ねた結果、今日のメインディッシュは鶏胸肉だ」
「うーん、家計の味方!」
ポリ袋に入れてめんつゆとにんにくと生姜(両方チューブ)に漬け込んでいた、一口サイズにカット済みの鶏胸肉を冷蔵庫から取り出すと、まあそうでしょうねと言わんばかりのしたり顔でピエモンはうんうん頷いた。
相変わらず季節を先取りした財布を揶揄っているのだろうが、給料が同じ奴のそれは、ただの自虐である。
「とはいえ鶏胸肉って、なんだか調理が難しそうな印象なんですが。その辺どうなんです?」
「そうかぁ? いうて下味つけたら後は焼くだけだぞ」
「そうなんですか。いや、鶏胸肉の料理って、大体「こうするとパサパサしなくなる」みたいな紹介の仕方をされているので、パサパサがデフォなのかと思いまして」
「あー、それならちょっとあるかも」
だが、いうて下味の段階で、大抵の場合は柔らかくなってくれる印象だ。
今回のめんつゆにしたってその類。1時間ほど漬けるだけで、お肉が柔らかくなる……と、言っていたのはどの媒体だったか。
短時間で柔らかくしたいなら、マヨネーズもいいらしいが。何にせよ、人類。安い肉を食べたいがために、創意工夫を怠らないので、そういう意味では調理に頭を抱えがちな食材ではあるのかもしれない。
「まあ前にも作って、その時は大丈夫だったから、多分今回もいけるだろ。でも万が一パサパサしてたらスマン」
「まあそういう事もある時はあるでしょう。そんな時はアルコール入りの水分があればなんとかなります」
「……そういや豚だとビール煮とか聞くけど、鶏だとどうなんだろうな?」
あくまで酒を飲む口実だというならこっちも気楽なもんだ。
フライパンにごま油を敷いて、温まったらぶつ切りにしたネギを投入。こんがり焼き目がつくまで焼いていく。
ネギが焼けたら、選手交代。皿に取り出し、今度は鶏胸肉を漬け汁ごとフライパンに空ける。
焦がさないよう注意しながらしっかり火を通して、最後にもう一度ネギを戻して、残った漬け汁と絡めれば、あっという間に完成だ。
「ほい、鶏胸肉の漬け焼きだ」
「おお! おネギもついて焼き鳥風ですねぇ」
「そもそも焼いた鶏以外の何ものでもないけどな」
そして焼いた鶏なら、シンプルにビールが一番だろうという事で、出して来たのはすっかりお馴染みの安缶ビール。
「いただきます」
準備が整ってすぐに、俺達は手を合わせた。
ぱくり、と。まずはピエモンが、肉を一口。
「ん。おいしいです! 私の心配など杞憂でしたねぇ。しっとりしていて、食べやすいです」
「なら良かったよ。切り方とかで食感が残る事もあるからさ」
「しっかり味のついた鶏皮部分も、鶏ももの時とはまた違ったアクセントになっていておいしいです。……世の中にはこの部位を剥がして捨てる人種がいるんですよ? 信じられます??」
「まあうちではまず捨てないから安心しろ」
でもレシピとかで鶏皮を剥がしてると「なんで?????」ってなる気持ちはぶっちゃけわかる。
いや、カロリーの問題だってのはわからんでもないが。……気にしないでいいまま生きたいもんだ。
「あとやはり、いいですね、ぶつ切りのおネギ。相変わらず油断すると舌を火傷しそうですが」
早速あちち、と言いつつ、箸を止めないピエモン。
相変わらず、と言うならコイツの方で、こんな金も手間も大してかけていない肴で喜んでもらえるなら、なんだかんだ言って俺も作り甲斐がある。
安いもん、とは、あえて言わない事にしよう。
*
「ああそういえば。こちら、よければ食後のデザートにでもどうです?」
そう言って食器を下げたテーブルへと、どこからともなくピエモンが取り出したのは、パックに入った2つのおはぎで。
「なんだ、買ってきたのか?」
「いえ、フウマモンがくれまして。……なんか、お詫びだとかなんとかで」
「お詫び?」
改めて居間に腰を下ろす。
まあおはぎ自体は大歓迎だ。フウマモンのお菓子、前にもらった団子も美味かったし。
しかし歯切れの悪いピエモンの「お詫び」とやらは気になって、続きを促すと、彼は仮面の黒い方を、気まずそうにぽりぽりとかいた。
「ほら、この前の三連休の終わり、確か当世では『敬老の日』というのでしょう? 年長者を敬う日といいますか」
「おう」
「それで、ホワイトデーの二の舞を恐れて、師匠ーーワルダモンのところに、先に贈り物を持って行ったのですが」
「大体流れ読めたな」
「「妾を年寄り扱いとは。ほぉ〜ん? ええ度胸じゃのう?」と……少なくとも魔術ではないなんらかの技を極められまして」
「案外肉体派なところもあるんだな……」
「ルールにはギリ抵触してないそうですが、顔馴染みのデジモン同士でもむやみやたらに力を使ったのは事実なので、形式上お詫びに、という事だそうです」
「まあ、女性(?)の年齢に触れたお前もまあまあ悪いよ」
「理不尽……」
とほほ、と肩を落とすピエモン。まあ気持ちはわからんでもないが……割とそんなしょうもない師弟限界の後始末にも駆り出されるフウマモンが若干不憫というか。
おはぎはもらうけれども。
「まあ師匠を怒らせたのは兎も角、確かにフウマモンには迷惑をかけてしまいましたね。この時期は忙しい傾向にあるというのに」
「そうなのか?」
「ええ。なんでもこちらでいう彼岸の周辺時期は、デジモンの渡航量が若干増えるんだとか、なんだとか」
そういえばそんな話を聞いたことがあるような、無いような。
……デジタルワールドとこっちも、所謂彼岸と此岸の関係にある……って事なんだろうか。
「少し前になるので、厳密にはこの時期ではないのですが」
ふぅ、と、ピエモンが息を吐きながら、おはぎへと視線を落とす。
「私の兄弟子……いつか言っていた氷魔術の主席も、ロードナイトモンの下で働くべく、こちらに渡って来たそうで」
「そうなんだ?」
「まあ、直接顔は合わせていませんがね。予定が合わなかったらしく」
と言いつつ、そこまで会いたい相手ではないのだろうというのは、表情から伝わってくる。
いやまあ、わかるよ。ぼっち時代のリアル知り合いなんて、余程の事でもない限り俺だって別に会おうとは思わんし。
「そうなんですよねぇ。……ただ、今までの事を鑑みるに、またあなたにデジモンの知り合いが増える可能性はあるので。念のため、先に、ね」
「……そろそろウィッチェルニーの知り合いが、学生時代の多少はやり取りのあった知り合いの数超えるかもしれん」
言ってて切なくなってきたので、もう一度立ち上がって、冷蔵庫にお茶を取りに行く。
本当は温かいのを淹れるのがセオリーだろうが、生憎お茶パックなんて小洒落たものは置いていないし、やっぱり外はまだ少し、暑いので。
ま、今になってコイツの知り合いが1人増えたところで、大した変化も無いだろう。
それがいい事なら肴として話を聞けばいいし、嫌な事なら、酒を飲んで忘れればいい。
彼岸だ此岸だ言わなくても、遠い世界から来た道化は、いつも身近にいるワケだしな。
「緑茶とほうじ茶どっちがいい?」
「じゃ、緑茶で」
気安く答えるピエモンに、要望通り緑茶のペットボトルを持っていく。
酒の〆に彼岸の住民とおはぎというのもまあ、なかなか乙なモンだろう。
虚無。
リンゴが透き通るまで炒める、という工程は、なんというか、虚無でございます。
ジャム用などに細かく刻んだリンゴならまだしも、大きくカットした、そのままデザートとして出せそうなサイズのリンゴとなると、こんなものが本当に透けてくるのか、拙者、疑わずにはいられません。
バターと焦がした砂糖の香りが大層良いというのも理由の一つでしょう。このまま食べればいいのでは? 十分おいしいのでは? とついそんな考えが頭を過り。
あー。いけません、いけません。忍者の忍は、忍耐の忍。我、忍ぶ者。このような誘惑や惰性に負けてはならぬのです。
でもとりあえずひとかけら味見してみましょう。……うーん、まだしゃりしゃり! 中途半端に表面だけ柔らかく甘くなって微妙! 初志貫徹の精神の大切さが身に染みる味!
仕方ありません。これは拙者の始めた物語。素直に電子レンジを利用した簡単なレシピを採用すれば良かったのかもしれませんが、伝統を重んじた結果です故、最後までやり遂げる他有りますまい。
この虚無の向こうに、僅かにでもあの険しい表情を綻ばせるロードナイトモン様がいらっしゃると信じて……!
……やだ、想像しただけで顔が良過ぎる……しゅき……拙者、がんばっちゃう。
……っと、すっかり愚痴っぽくなった上に自己紹介が遅れましたね。
拙者はフウマモン。人間の世界で暮らすデジモン達の王、最強のロイヤルナイツ(フウマモン調べ)にして至高のイケメン(これは周知の事実)。ロードナイトモン様の一の子分、フウマモンでございます。お見知りおきを。
右腕、腹心に代わる表現を色々と探したところ、某国営放送のアニメーションから着想を得る事に成功いたしました。さしずめ拙者のポジションは青色といったところでしょうか。いや、それとも赤い方? とりあえずひよこではないっぴ。
「……っと、ぼーっとはしていられませんね」
煮物等なら鍋に火をかけたまま多少放置しても、むしろ味が染みていくのですが、砂糖ものはすぐ焦げてしまいます故、常にへらを動かしてかき混ぜ続けなければなりません。完全体の拙者と言えども、そこそこの重労働であります。
本日のスイーツは、タルト・タタン。
まあ、本日というより、明日の分なのですが。冷蔵庫でしっかり冷やして、明日のおやつの時間にロードナイトモン様に召し上がっていただくためのものです。
拙者、今日は非番でして。ピエモン殿の監視業務についても、久々に顔を見たいという要望もあり、業務にも慣れてこられたソーサリモン……フェイクモン殿が代わって下さる事となったのであります。
フェイクモン殿。良い方です。
師であるあの老魔女の世話を焼き過ぎるきらいはありますが、基本的に誰に対しても物腰が柔らかく、それでいて必要な意見はしっかりと上げられる。かつ社交的な立ち振る舞いは、ロードナイトモン様も高く評価しておられて。
やや容貌がホラーテイストなフェイクモンを進化先として選んだのも、かのデジモンの能力であれば、擬態を作る事が難しいデジモンにもそういったものを用意できるのではないかと考えての事らしく。
えらい。本当に、あの老魔女の弟子だとは思えませんね。反面教師か?
という訳でお休みではありますが、で、あれば。普段給仕室では時間がかかり過ぎて作れないお菓子を、と考え、旬のリンゴを使ったタルト・タタンを作ろうと思い至ったのであります。
このお菓子は、フランスのとあるホテルの経営者・タタン姉妹が考案したものだそうです。タタン。どういう意味なのかと思えば、人名。拙者、吃驚。
なんでも調理担当のタタン(姉)氏が、アップルパイを作ろうとしてうっかり砂糖でリンゴを焦がしたのがきっかけで出来上がったのが、いい感じにキャラメリゼされたリンゴのタルト、タルト・タタンなのだとか。
まさしく怪我の功名。……あれ? その逸話からすると、ひょっとして少し焦がした方が良いのでしょうか、このお菓子。
まあ狙ってやる以上はほどほどにいたしましょう。苦みが勝つ程焦がしてしまっては、折角のリンゴが可哀そうですからね。ロードナイトモン様もそうおっしゃる筈。お優しい。
と、色々な事を回想したりしなかったりしている内に、ようやくリンゴが丁度良い色合いとなって参りました。
ここからはより焦げやすいので、作業に集中。
さらに色がきつね色となってきたあたりで火を止め、少し冷まして味を馴染ませます。
さて、その間にオーブンの準備と、冷蔵庫で冷やしてあるパイ生地を出して、と。
ここまでくれば後はオーブンの仕事ではありますが、やることが、やることが多いですね……!
しかし――まあ。大変ではありますが。
ロードナイトモン様。いつもおいしいと言って食べてくださいますからね。拙者はその言葉が聞けるだけで、表情には出しませんがいつも感動に噎び泣き、脳内にキュピモンを大量に飛ばしながらハレルヤハレルヤ言うております。
作った側まで幸せになれる。……それ以上に素敵な料理などありましょうか?
……最近、お菓子を少し多めに作る事が増えました。
ロードナイトモン様にお仕えする中枢のメンバーが増えたというのもありますし――時々、ではありますが、ピエモン殿やそのご友人におすそ分けする事も、よくありますので。
このタルト・タタンも、甘いお菓子ではありますが、ある程度お酒にも合わせられるでしょう。洋酒であれば、なおの事。……本日は、新酒の赤ワインの解禁日だというお話ですし。
私がロードナイトモン様に菓子をご用意しようと思い至ったのは、何を隠そう、半分程あの青年の影響でございます。
何もかもがつまらないがためにこちらにいらしたピエモン殿が、ああも楽しそうに毎日をお過ごしになるようになった理由のひとつである「料理」とは、いかなるものか。……それは、ロードナイトモン様にも安らぎを提供できるものなのか。自分の目で、力で、確かめてみたかったのでございます。
なにせ拙者、一の子分でございま……一の子分でごんすから?
まあ残りの半分は全国にロードナイトモン様カフェを設立するためですが。今、通常業務と並行して、提携できる業者をひっそり探しておりまする。
ロードナイトモン様が、実際に拙者の料理に心を動かしてくださったのか。それはわかりません。
わかりませんが――最近ナイトモン達も、ロードナイトモン様と接しやすくなった気がすると噂しているだとか、なんだとか。
もちろん舐められては困りますし、そんな輩には拙者ブチギレ『舎利弗』の刑でありますが、ロードナイトモン様はみんなのロードナイトモン様。その魅力を拙者1体が独り占めするわけにはいきますまい。
恐れ、敬われるべきではあるとは思いますが――裁定者として恐れられるだけでなく、慕われてもいいと。あの方を傍で見ていると、拙者は、そう思うのです。
これは秘密、ですけれどね?
と――その時でした。
不意に鳴り響く、デジモン専用スマホ型端末の着信音。
キャラメリゼが終わった後で助かりました。キッチンからすっと移動し、2コール目に入る時には既に相手を確認。……って、老魔女(ワルダモン殿)ではありませんか。
「はい、フウマモンです。何の御用ですか? ワルダモン殿。拙者、本日は非番――」
電話の向こうで拙者の言葉を遮ったワルダモン殿は、ひどく声を荒げておられて。
ひょっとすると、泣いているのかもしれないと思うくらい。
「……え?」
拙者は、嘘だと思いました。
ですが、いくらワルダモンと言えども。そんな、度々自慢している弟子達を巻き込んでまで、そんな悪趣味な嘘を吐く筈が無くて。
甘い香りと、優しいきつね色の世界から、色とにおいが抜け落ちていくのが、拙者には感じられました。
『宅飲み道化』
次回、最後の季節へ。
ボジョレー・ヌーヴォ解禁日編:赤ワインと
「解禁だー!!」
「解禁ですよー!!」
俺たちは2人して、買ったばかりの赤ワインのボトルを掲げた。
11月の第3木曜日は、休みでなくとも酒呑み待望の記念日だ。……なんて、去年もやったなこのやり取り。
コイツと同じ酒の発売日を祝うのも2回目だと思うと、なんだか感慨深いような、別にそうでもないような。
「私はそれなりに感慨深いですよ。こちらの世界に来てもう2年と少し、という事にもなりますしねぇ」
「その理屈だと毎年感慨深くなる事になるぞ」
「いいじゃ無いですか。ぶっちゃけ行事ごとにかこつけてお酒と貴方のおつまみがいただけるならなんでもいいですし」
「ぶっちゃけたなぁ」
今年も二枚目ピエロ・ジェスターの残念な一面を眺めながら、こどもたちに愛想を振り撒くのが仕事の着ぐるみの中身は、こどもじゃ飲めないドリンクと合わせる料理について考えを張り巡らせる。
重ね重ね、ちびっこ達には若干申し訳ない話だが、彼ら彼女らも、きっと大人になれば解ってくれる事だろう。
「去年はポテトサラダにしたけど、最近一気に冷え込んだしな。何かあったかいもので……今日は確か、海老が安めに出てたような。アヒージョとかどうよ?」
「おぉ〜、いいですね! きのこもたくさん入れてもらえると嬉しいです」
「へいへい」
赤ワインのグラスを傾けながら、アヒージョをつまむ。人外ピエロには、やはりサマになるのだろうなと思うと。……うーむ、2年経っても癪に触るな。中身こんななのに。
「何やら失礼な事を考えられたような」
「失礼な。気のせいだよ」
まあそれはさておき、アヒージョには賛成のご様子なので、今日の献立はこれにて決定だ。
酒屋から、いつものスーパーへ。
夕暮れ時。会社勤めの人々も、サーカス団員同様に帰宅時間らしく、その中でも酒を嗜む人種は考える事も同じらしい。
柄は違えど同じ中身のエコバッグかビニール袋を下げた人の群が、おおよそ似たような方角へと歩いていく。いつもよりやや人通りの多い歩行者通路。
そんな、いつもと少しだけ違う同じ道で。
「アースリンの」
届いた声に、ビク、とピエモンの、人に化けた姿の肩が跳ねる。
落ち着いた、穏やかな声だと思った。
もう少しだけ先の季節を白く彩る雪のような、そんな印象の声。
アースリン。……聞いたことがある。確か、ピエモンの元いた、魔術の発達したデジタルワールド『ウィッチェルニー』には4つ種族が暮らしていて、ピエモンはその中の『土のアースリン族』の出身だと。
……じゃあ、今の声の主は。
「……ソーサリモン?」
振り返りながら、少し前に「兄弟子」と話していた種族の名を口にするピエモン。
続いて俺もそちらを向けば、そこに居たのは
「!?」
ピエモンの擬態姿・ジェスターと瓜二つの青年で。
「驚かせてすみません」
ジェスターの姿を借りた何者かーーピエモンの弁から察するに、彼の兄弟子・ソーサリモンは、にこやかに俺へと謝罪の言葉を向ける。
コイツーーちゃんと社交的な奴だ。
そんな感じが、ジェスターと同じガワを使っているからこそ、些細な仕草からすら際立っていて。
「正規の擬態姿を獲得できる程、テクスチャ操作の魔術には精通していなくて。……元あるものの模倣なら、その限りではないので、悪いが少し借りているよ、アースリンの」
「いや……それは、別に、構いませんが……」
「久々の再会だろう? そう肩肘を張ってくれるな」
ソーサリモンとやらの口調はあくまで穏やかだが、ピエモンは居心地悪そうだ。
わかる。気持ちはめっちゃわかる。兄弟子って事は、先輩か。……距離感近い陽の先輩。しんどいよな。
「あー……。あなたもこちらにいらしているとは、師匠から聞いていました。お元気そうで何よりです」
「君の方も変わりなさそうで何より……いいや、最後に会った時にはワイズモンだったから、そういう意味では随分と立派になったものだ。同じ師を持つ魔術師として、僕も鼻が高いよ」
なんて、他人事のように油断してたら、いつの間にかソーサリモンの意識は俺の方へと向けられていて。
「君が彼の、こちらでの友人かな?」
ここだけはピエモンと違って涼やかな青色をしたソーサリモンの瞳が、じっと俺を見据えている。
「えっ、あ……はい」
「なかなか大変でしょう。デジモン、それも究極体が近くにいると」
「いや……そんなに……」
むしろ究極体ばっかりだし……
「特に、彼は優秀……強力な個体ですからね。気苦労も多いのでは?」
「気苦労は否定しないけどデジモンの強さはあんまり関係しないところばかりな気が……」
余計な事を言うなと言わんばかりにピエモンが俺を小突く。
とはいえ少し軽口が入って、気が紛れたのか。居心地悪そうにへの字に曲がっていた唇は、多少上向きになっていて。
その様子を見てか、俺の返答に対してか。
ソーサリモンは品のある顔で本当に品よくくすりと微笑んで、こちらへと歩み寄ってくる。
「よかった。師匠から聞いていましたが、本当に人間の友人を得ているとは」
顔を見に来て良かった。と。ピエモンを同じ顔で一瞥して。
ソーサリモンは、俺へと手を差し出した。
「これからもどうか、弟弟子と仲良くしてあげてください」
「……まあ、こっちこそ」
その手を握り返すべく、腕を持ち上げる。
慇懃な割にぐいぐい来る陽の者特有の距離の詰め方はやっぱり慣れないもんだが、言ってる事は(少なくとも去年のクリスマスにミニスカサンタの美女に化けてピエモンを名乗ってうちに突撃してきたコイツらの師匠に比べれば)フツーだし、握手を拒否する理由も無い。
ワインの袋を左手に持ち変え、差し出された手へと自分の手を伸ばし、その細い指にこちらの指が届きそうになったーーその時。
ソーサリモンの左手の側から、にゅっ、と。割り込むように、黒くて小さい『ピエロ』が、顔を覗かせた。
「……え?」
刹那。
黒いピエロが、内側から漏れ出るような、光を放つ。
「っ!?」
不意に景色が遠去かり、閃光が四方に伸びるのが見えた。
轟音。煙。悲鳴。
爆発、と。
そんな、現実感の無い単語を未だ飲み込めず、呆然としている内に
「なんの……何のつもりですか!? ソーサリモン!!」
俺のすぐ後ろで、ピエモンが声を荒げた。
そうして、一拍遅れて。俺はピエモンに引き寄せられ、後退したお陰で難を逃れたのだと。ようやく気がつく。
途端、ぶわ、と。このクソ寒い中、嫌な汗が額から噴き出した。
コイツが気づかなかったら
俺は
今頃
「今は、フェイクモンというデジモンだ」
冷たい声が響き渡る。
立ち上る爆煙を掻き分けて、ぬっと顔を出すのは、さっきの小型ピエロの親玉みたいな、白黒の道化。
ピエモンも見た目だけの話をするなら大概ではあるが、全身を覆うような黒いマントや、笑顔しか表現し得ない吊り目の仮面は、まるで子供向け番組の悪役のようで。
「そう……フェイクモン。師匠と同じようにアプリとの適合実験を経て……そうまでしても世代としては完全体相応!」
なのに、ソーサリモンからフェイクモンとなったそいつは、ひとかけらたりとも笑ってなどいない。
わなわなと肩を振るわせ、ただただピエモンを睨め付けている。
妬ましげに。
「何故? 何故そうまで「違う」? 大して努力もしていないクセに。こちらの世界で人間と遊んでいるようなデジモンが、簡単に究極の……氷魔術の祖にも匹敵する位に……!!」
「……知り、ませんよ」
俺を抱えるピエモンの指が、僅かに震えている。
こんなもん、ただの逆恨みだ。それも、大概に理不尽な。
そう、言ってやればいいーーなんて言うのは、簡単だろう。
だけど、きっと。
ウィッチェルニーにいる間、ピエモンはずっと、こういう視線に晒されてきたのだろう。
人間でも普通にありふれた話なのに。
デジモンは、本来なら何よりも「強さ」を重視する種族だってのは聞いたことがある。……何もしていない風に見えるのに、とんとん拍子に強くなれるデジモンはーー確かに、疎まれるものなのかもしれない。
「どうせお前は簡単になんでも手に入れられる『神童』なんだ。……じゃあ、簡単に手に入れたものは」
不意に、フェイクモンが前に手をかざす。
「簡単に失っても仕方がないな!? 『イミテーションノイズ』!!」
途端、さっきのミニフェイクモンが2体、フェイクモン本体の前に展開されて、次の瞬間には俺達へと飛びかかる。
「っ……!」
ピエモンなら避けるのは容易な筈だ。
だが、周囲には野次馬が集まっている。
もしも、巻き込まれればーー
「すみません」
謝罪の言葉と共に。
ピエモンが俺を地面に降ろし、前に、フェイクモンの必殺技に向かって飛び出す。
まさか。
まさかーー自分自身を、盾にするつもりじゃーー
「ピエモン!!」
「『トイワンダネス』!!」
ピエモンが地面に触れたのと同時に、アスファルトが盛り上がる。
ミニフェイクモン爆弾は、突如出現した防壁を前に弾け飛んだ。
「!」
「その……お手数なのですが」
技を使用するためか既に擬態を解いたピエモンが、気まずそうに顔を引き攣らせながら、目線をこちらに泳がせる。
「後程行う正当防衛の主張を、手伝ってもらえると助かるのですが」
コンプレックスを拗らせた兄弟子としては、複雑そうな感情を浮かべてはいるが。
敵対者としては。フェイクモンは、既にピエモンの眼中に無い。
それだけ、力の差は、……才能の差は、歴然らしくて。
俺にデジモンの「力」の話はわからない。
使えば俺を怖がらせるかもしれないと、危惧していたのは覚えている。
だが、こうやって実際に目にしても。
……ホントに仕方ない奴だな、と。ピエモンに対して強まるのは、そんな印象ばかりで。
「……一発ぐらいなら殴っても許されるレベルじゃね?」
「いや、許さん。如何なるデジモンであろうとも、みだりに力を行使する事は」
ピエモンが何か言う前に、俺の提案をぴしゃりと否定して。
重々しく刺々しい声音と、金の帯が、天から降ってきた。
「っ!?」
帯は瞬く間にフェイスモンを拘束する。
状況的には「助かった」筈なのに。ピエモンは帯の主を見上げるなり、唇をひん曲げた。
「なんだその顔は。……心配せずとも、状況が状況だ。正当防衛は認められるだろう」
派手派手なピンクの鎧に、黄金の装甲。
なのにおそろしくスタイリッシュな鎧の騎士ーー日本のデジモンを取り締まる、国内最強の究極体デジモン・ロードナイトモンが、俺達とフェイクモンを隔てるような位置へと、降り立った。
誰かが通報したのか。……何にせよ、フェイクモンがこれ以上暴れる前に来てくれたのは助かったと、俺は、そしてピエモンも、思わずほとんど同時に、息を吐いた。
「しかしーー貴様には失望したぞ、フェイクモン」
その間にも、ロードナイトモンはフェイクモンへと向き直る。
……そうだ。フェイクモンは、ロードナイトモンの部下って事になってるのか。
「私の目は節穴であった。私や己の師まで欺き、悪意を行動に移した貴様のフェイクモンとしての適正と執念は、デジモンとしては評価もできよう」
「……」
「だが、ここはリアルワールド。弱肉強食のデジタルワールドと同じ道理を許すわけにはいかん。人に仇を成し、誠実にルールを遵守する同胞の生活や信頼を脅かした貴様には、厳正な処罰をーー」
「ええ、もちろんです」
ひどく、静かに。
再び平静を装って、ロードナイトモンの帯に拘束されたフェイクモンは、こくりと頷き、そのまま項垂れる。
「僕の行動は、しかるべき罪に問われるもの。それは、間違いありません。……いかなる罰も受け入れます」
「それが判るなら、何故ーー」
「ですが、ひとつだけ」
フェイクモンが、再び顔を上げる。
笑顔の仮面は、表情を相手に悟らせない。
「ロードナイトモン様も、世代は下がるとはいえ、師匠も。単独で強力なデジモンであるが故に。……ひとつ、勘違いしておられる」
「勘違い、だと」
そして、視線も。
「『アプリの力』の、真価を」
思えば、虫の知らせってヤツだったのかもしれない。
なんとなしに、背後に気配を感じて、振り返って。
もう「間に合わない」位置に、俺の知らないピエロの笑い顔が有った。
あれ?
俺のすぐ後ろは、確か歩行者路と車道を隔てるポールが立っていてーー
「『擬装』ーー『クラウンマスク』」
嗤うような声を聞いた
「ようやくだ。ようやくひとつ奪ってやったぞ」
「う……」
衝撃と光を全身に浴びて。
それから。えっと。
全身めちゃくちゃにイッテェ……
だけどその割に頭がぼうっとして、気になる、って程でも無い。
「……ダメだ。ピエモン。それは許さん」
「何故ですか!! 悠長に救急車の到着を待っている余裕なんて」
「貴様や私が抱えて走った方が早いなど重々承知している! だが究極体デジモンが突然重症者を担ぎ込んで冷静な対応が得られると思うか!? パニックが起きないという保証は!!」
「っ」
「人間の機関に委ねろ。我々にできる事は、それしかない。……おい! 誰か応急処置が出来る者はいないのか!! 見ていないで……おいっ!! カメラを向けるな!!」
ピエモンとロードナイトモンが言い争っているのが聞こえる。どちらも声を荒げていて、でもそれと同じぐらい周囲のざわめきも耳にうるさくて。
うーん、野次馬。
よくわからんが、そんなに大した怪我じゃないって、早いところ伝えないと。なんというか、いたたまれない。
だけど、大きな声は出せそうになくて。
「……あ」
どうしたものかと周囲を見渡していたらーー俺の下から流れ出る赤っぽい液体が目について。
ああ、そうだ。
ワイン、俺が持ってたんだ。……割れちゃったのかぁ。
「もったいねー……」
弁償してもらえるのかな。
でも、これは、買ったその日に楽しむのが醍醐味であって。
じゃあ、どうせなら慰謝料的なのも兼ねて、もっといいやつを
おつまみも普段より手の込んだ……あるいは、赤ワインなら、肉焼くのもいいかもな
そしたらピエモンが、安月給のクセに無理をしてって、自分の事を棚に上げて笑って
いや、悪趣味なジョークですねとか言われるのかな。火傷はしてそうだし
今ーーあいつ、そういう顔してるもんな。
「 !!」
ようやく俺の覚醒に気づいたピエモンが、こちらに駆け寄ってくる。
多分俺の名前を呼んだんだと思うが、あんまりよく聞こえないな。
大丈夫
大袈裟だって
心配すんな
そう言ってるつもりなのに、ピエモンときたら、これっぽっちも聞いちゃいない。
ただでさえ白い顔から更に血の気を引かせてーーなんだ? ひょっとして泣いてんのか?
全く、宮廷道化がなんてザマだよ。
そんな顔すんなって
うん、やっぱり
今日は奮発して
肉食わせてやるから
だから……
…………
……
文化の日編:スンドゥブチゲラーメンとハイボール
「ラーメン……食べたいな」
「食べたいですね」
ぐう、と俺とピエモン(外なのでジェスターの姿)は、映画館を出るなり同時に腹を鳴らした。
11月の3連休、その最終日。
当然公演もフルにあってへとへとの身体で、なのに何を思ったか俺達は、休日の割高料金で映画を見に隣町まで足を運んでいて。
もう2日前に過ぎ去ったとはいえ、文化の日という何をするのかよくわからない日の字面に当てられたのかもしれない。……一応、今日見た映画、そういう要素もあるといえばあったし。
デジモンをキャストとして起用した映画。
演出にデジモンの力を借りた映画っていうのはちょっと前からちょくちょく出ていたらしいが、演者としては国内初だったらしい。
「まあ日本にはピエロとしてなら既に舞台に立っているデジモンが存在しているのですが?」
「張り合うな張り合うな。多分ギャラも知名度も雲泥の差だし」
「く……ッ」
結局ポップコーンどころか飲み物代すら出し渋った手を握りしめるピエモン。コイツは人の姿を取れるからまだマシなんだけど、それでもデジモンは別途料金取られるから、その点はマジでご愁傷様だ。
……で、肝心の映画の出来だが。
「よくも悪くも普通の日本映画、って感じだったな……」
『ネヴァーランド・ミュージックホール』……デジモンとバンドをやる、という物語の映画だった。
特に大きな目標も無いが、メンバーの親戚にライブハウスの経営者が居たことから高校の部活の延長で定期的に集まっていた主人公達。そこに「君たちの仲間に入れてほしい」とピーターモンが現れ、趣味のバンドだった主人公達の集まりは、初のデジモンのメンバー入りバンドとして望まぬ注目を浴びてしまい……と、あらすじとしてはそんな感じだ。
監督は「デジモンでなくても成立する物語を、あえてデジモンで撮る事で令和のリアルを描きたい」と語っていたそうだが、人型でイケメンのピーターモンを主要キャラクターとして起用している時点で大分日和っているとは公開前から散々言われてきたし、劇中の音楽も確かに良かったんだが、一番印象に残っているのが主人公達行きつけのラーメン屋での食事シーンの時点で……その……お察しである。
いや、でも、マジで。
ピーターモン、マジで美味そうにラーメンを食べるのだ。
こんな美味しいものは初めて食べたとはしゃぐピーターモンを見てメンバーが彼に心を許し始めたシーンに始まって、劇中の重要なシーンが大体ラーメン屋なので、嫌でも印象に残るというか。
これなら音楽じゃなくてラーメンにフォーカスした方がウケたんじゃないかな、とは流石に素人考えか。
「レビューを見ても大体あなたと似たような感想みたいですねぇ」
ネタバレを解禁したらしいピエモンが、早速スマホ風端末でレビューを漁っている。
「個人的には、無理にピーターモンの台詞を増やしてる感がひっかかりましたね。日常的なドラマを描きたかったのでしょうが、そこは人間に言ってもらった方がスムーズに進むでしょうにと思ったシーンがちらほら」
「あー、わかるかも。その割にヒロインの家庭環境が尺食ってるし……毒親ギミック、ドラマとして便利なのはわかるけどがっつり書かれると疲れるんだよな」
「でもラーメンは本当に美味しそうでしたよね……」
「マジで旨そうだったよな……」
近くにラーメン屋、あったよな。と。
前を通ってーーそのまま通り過ぎる。
……考える事は、みんな一緒だ。
「しかも休日ですからねぇ」
「スーパー寄って麺買って帰るか」
少しだけ遠回りして、いつものスーパーへ。
ここまで歩けば、流行り映画の影響も追ってはこない。麺類のコーナーには、きっちりあの黄色い中華麺が整然と並んでいる。
カップ麺でもいいんだが、この安っぽくてちょっと煮込むだけでぶちぶちに千切れるタイプの麺も、それはそれで味があるんだよな。
さて、スープは何味にするか。
「鍋は別に出すから、お前も好きなの選べよ」
「それはありがたい」
どれにしますかね、とお湯で溶くタイプのスープを順繰りに眺めるピエモンを尻目に、俺も自分の「ラーメンの口」と相談を重ねる。
……そうこうしている内に目に留まったのは、何故かラーメンスープではなくて。
市販のスンドゥブチゲのスープパックだ。
マイルドタイプと辛いタイプがある内の、もちろん辛い方。
「また辛いの見てる……」
「これはそこまで辛く無いぞ」
「そりゃあ市販品の麻婆豆腐で満足できない人間はそうでしょうけれども」
呆れた顔で、しかし結局スープは手に取らず、ピエモンはこちらに寄ってきた。
「とはいえ確かに、身悶えする程の辛さではないでしょうしね。……今日は冷えますし、久々に辛い料理もいいかもしれません」
「お、そうか? じゃあ一味とかも買い足して」
「味変は自分の分だけでお願いします」
冗談はさておき、コイツも同じの食べるなら、温める鍋はひとつで済むからそれは少し助かる。
俺達はその後冷凍のシーフードミックスとネギ、豆腐、豚肉を少しとやっぱり酒を購入して、ボロアパートへと足を運んだ。
出来合いのスープがあるとやはり楽なもので、2人分を鍋に沸かして、買ってきた食材に野菜室にあったえのきやぶなしめじも足して、あとは煮込むだけ。
器に装ってネギを散らせば、完成だ。
「ほい、スンドゥブチゲラーメンだ」
本日はハイボールを添えて、っと。
「ああ〜いい匂いですねぇ……食欲がそそられます。どうして辛い料理って、こんなに香りが良いのでしょう」
「まあ、『香辛料』っていうぐらいだしなあ」
いうて俺の腹も、作ってる時から割と限界だ。映画鑑賞って、なんだかんだ言って体力使うよな。
「いただきます」
お互い手を合わせてすぐに、真っ先にラーメンに手を伸ばす。
冷凍とはいえシーフードミックスから出た海鮮出汁がよく効いている。……うん、しっかりとした旨味の後からじわじわとくる辛さが、お腹から身体を温めてくれる。
「おお……思ったよりは辛いですね」
「あれ? そうか?」
「とはいえ大きめに崩してある豆腐のおかげでいい感じに調整できますから、ご心配は無く。……ん? それなら本来麻婆豆腐もそうやって食べられる筈なのでは……??」
「フシギダナー」
ラーメンにはやや邪道かもしれんが、純豆腐(スンドゥブ)の名も冠してもらう以上は、と、豆腐入りだ。
俺自身は辛味の緩衝材が必要なタイプでは無いとはいえ、それはそれとして、色々な具材を入れる事で生まれる食感の違いには、やはり楽しいものがある。
「まああんまり辛かったら卵入れていいぞ。この前ちょっと安く買えたし」
「ふむ、このままでも食べられますが……それはそれとして卵が入るとまた一段とおいしくなりそうですね。もう少し食べてから考えましょうか」
「ああ、なんなら昨日ので良いなら米もあるぞ。雑炊にするか?」
「それはいいですね! スープも最後まで楽しませていただきましょう」
そんなこんなで、酒に手をつけたのは麺をほとんど啜り終わった後で、それから〆にスープの残りを宣言通り雑炊にしたものだから、食べ終わった頃にはもう腹いっぱいで。
「ふぅー、食った食った」
「お腹いっぱいで、ちょっと熱いくらいになりましたね」
美味しかったです。と取り出したハンカチで軽く汗を拭いながら、ピエモンが表示を綻ばせる。
ほとんど出来合いの品で、全く。俳優デジモンに負けず劣らず、いい顔してくれやがって。……手抜き料理でも、作り甲斐はあるものだ。
「ああそうそう、満腹ついでに、またさっきの映画の話、するんですけど」
「ん?」
「私、なんだかんだ嫌いではありませんでしたよ、あの映画。面白い面白く無いはまた別として、ね」
なんだそりゃ、と俺は笑う。
……だけどまあ、言わんとせん事はわからなくはない。
映画の全体の出来は正直イマイチだったけれど……最終的に戻ってきたライブハウスで、冒頭のシーンと同じように客もまばらな中同じ曲をピーターモンと一緒に演奏して、友人同士、客よりバンドメンバーやスタッフが盛り上がって終わる、というエンディングは、確かに監督が言っていた通り、「デジモンのいる日常風景」に思えた。
初のデジモン主演映画をやった事に意味がある、だとか、そんな高尚な話をするつもりは無い。
でも、穿って無意味だとか喚くつもりも無い。
これ、見てくださいよ。と。帰り道、声を弾ませながらピエモンが見せてきたスマホ風端末には、レビューサイトではなく、人間の主演俳優のSNSアカウントが表示されていて。
それはプライベートの食事風景の投稿で、そこには『友人』として、ピーターモンと笑顔で同じ料理を囲んでいる写真が投稿されていた。
……人気取りとか、映画の宣伝とか。
有名人なんだから、ひょっとすると、そういう意図があっての事かもしれないけれど。
人とデジモンの友人関係は、これからどんどん珍しい事でもなんでもなくなっていく……と、いいなと思わなくは無くて。
「ま、フツーの話だったもんな」
「ええ、フツーの話でしたから」
とりあえず、俺達にとっては、そんな感じの話だった。
ハロウィン編:かぼちゃのシュクメルリと白ワイン
「トリックオアトリート! お酒とおつまみを出さなければイタズラしちゃいますよ!」
「そちらの発言が脅迫行為と見做された場合、最低でもデジタルワールドへの強制送還は免れませんが」
「アイエエエニンジャ! ニンジャナンデ!?」
ホラー映画の殺人ピエロも泣いて逃げ出す2m越えの究極体ピエロ風魔人型デジモンが、しめやかにエントリーしていたサイボーグ型ニンジャデジモンのフウマモン=サンを前に、ひとんちの玄関でひっくり返る。
おおブッダよ、これが日本のハロウィンなのですか。
……なんて、B級映画じみた光景の割に、現代日本のボロアパートではサツバツとした事態に発展する事もなく、冗談です、とフウマモンは、冗談とは縁遠そうな声音でそう言って、すたすたと我が物顔でリビングへと引っ込んでいく。
「おう、いらっしゃい」
「ドーモ。……何故フウマモン=サンがここに?」
「中途半端に忍◯仕草続けられると地の文=サン(俺のモノローグ)が困っちゃうからその辺で」
とりあえず上がれよ、と、ハロウィンぽさを演出するためか、既に擬態を解いているピエモンを室内に入れる。
一方で、フウマモンは逆に、いつか見せたパンツスーツの女性に変身して部屋の隅に正座していて。
うーん、部屋に女性がいるのって変な感じなんだけど、中身はやっぱりサイボーグ忍者で、それ以前にロードナイトモン限界オタクなんだよなぁ……スーツの袖のボタンとか、地味にコーラルピンクだし……。
「現在、ハロウィンにつき警戒強化中でして」
フライパンを火にかけている俺に代わって、フウマモン自身がピエモンの問いに答える。
「はあ」
「ハロウィンにかこつけて人間の皆様との交流を図るデジモンは案外多いですからね。もちろんお菓子の交換等であれば問題ありませんが、デジモン基準の「ちょっとしたイタズラ」が過去に大きなトラブルを招いた例もありますので、我々もこうして担当のデジモンを見回っている次第なのです」
「それは……ご苦労様です」
「そのついでに、パンプモンがハロウィン飾り用に召喚したカボチャの余りとその加工品を知り合いに配っていまして」
デジモンの中でも特に、カボチャ頭のぬいぐるみのデジモン・パンプモンは、見た目通りハロウィンに起源があるとか無いとかで、この日はどうしても大人しくしていられないらしい。
ならばいっそ、とデジモンを管理する側もこの日はこっちの世界にいるパンプモンに呼びかけて、ジャックオーランタン製作のワークショップや、仮装イベントを開催しているのだそうだ。
うちのサーカスも先週末には、普段とは衣装や使用するBGMを変更してのハロウィン特別公演を開催していたのだが、お国の方もなんだかんだやってるモンなんだなぁ。
「パンプキンプディングももらってるぞ。お前の分もあるから後で出すな」
「おお、それはありがたい! フウマモンのお菓子、おいしいですからねえ」
ありがとうございます、と、ぶっちゃけさっきの「ご苦労様です」より敬意を感じる仕草で、いつものスペースに腰掛けたピエモンが会釈する。
トノサママメモンの時といい、コイツ、胃袋掴んでくるヤツにフツーに弱いな……??
「相変わらず失礼な事を考えられている気がするのですが、酒とおつまみのために足繁く通っている身としてはあまり反論できない……!!」
「よくわかりませんが、以心伝心ですね。……何にせよ、こうしてお菓子をお渡しする以上は、イタズラはお控えになってもらえれば、と思う次第です」
実際お菓子を渡せば、ハロウィン気分のデジモン達はむしろ納得するのだろう。
ピエモンはそんなイベントを理由にはっちゃける陽の者では無いと思うが、何にせよパンプキンプディングにはご満悦のようだ。「了解しましたよ」と顔を綻ばせている。
と、
「そういえば、「カボチャの余りとその加工品」という事は、カボチャ自体もいただいたので?」
「おう、だから今日のおつまみもカボチャ料理だぞ」
仕上げのチーズを散らした「それ」を、早速器に装って机に持っていく。
「ほい、カボチャのシュクメルリだ」
シュクメルリ。
某牛丼チェーンが提供した事で一躍有名になった印象のある、ジョージアの伝統料理だ。
とはいえ本来のシュクメルリは、具は鶏肉オンリーのガーリックソース煮らしいのだが、まあ、ここは魔改造の国・日本なので。
そして魔改造部分であるサツマイモを、さらにカボチャに取り替えたのが、このシュクメルリ。
サツマイモで作れるものは、大概カボチャでも再現できると、相場が決まっているのである。
塩胡椒をした鶏肉と薄く切った玉ねぎ、にんにくを炒め、かぼちゃも加えて、牛乳とバターで煮る。
かぼちゃに火が通ったら火を止めて、ホワイトシチューのルーを投入。
もう一度火を入れてとろみが出たら、レモン汁とチーズ、少しだけ醤油を加えれば完成だ。
……紹介しといて何だが、これ、シュクメルリって言うよりニンニク入りカボチャシチューでは?
「何でもいいんですよその辺は。うーん、ニンニクの香りとあたたかなオレンジ色が食欲をそそりますねえ」
まあいいか、ピエモンは引き続きご機嫌のようだし。
「確かに美味しそうです。……しかし本当に、拙者も御相伴に預かってよろしいので?」
「いいよいいよ、普段色々もらってばっかりだし。それに、シチューのルー使う関係で、食べる分より多く作んなきゃだしな」
「何なら私がおかわりいただきますが??」
「食いしん坊か」
「そういう事であれば、遠慮なく。明日は本日のハロウィン業務の関係お休みです故、ニンニクもアルコールも、楽しませていただく事としましょう」
フウマモンが僅かに微笑む。鉄仮面キャラ、っていうか、サイボーグって事はロボなのかもしれないが、あの股下激長堅物ピンクスーツに比べれば、ずっととっつきやすい印象というか。
「……何やらロードナイトモン様に対する不遜を察知したような気が」
「気のせいじゃないデスか?」
デジモンってアレなの?
読心術、デフォ機能なの??
何はともあれ、器とコップ、スプーンをいつもよりひとつ多く出して、準備は完了。
「いただきます」
狭い室内で1人と2体机を囲んで、俺たちはスプーンで日本のハロウィンのシュクメルリをつついた。
「うん、これはおいしい!」
ピエモンがにこりと赤い唇の両端を持ち上げる。
「色だけでなくカボチャの甘味が全体に溶け出していて、よりマイルドな仕上がりになっていますね。その割に香りとチーズの風味にガツンとインパクトがあって……◯屋だとごはんと提供されていたんでしたっけ? そういう食べ方も、確かに良さそうですね」
でもお酒にも合いますね、やっぱり。と、ピエモンは引き続きほくほく顔で白ワインの入ったコップを傾ける。
普段ワインの時はグラスなんだが、あれ、2つしか無いからな。なので今日は全員コップで、雰囲気は無いが、それでも十分酒は美味い。
「そういや、飾り用のカボチャってあんまり美味くないって聞いたんだけど、コレは全然そんな事無いな。むしろ普段買ってるヤツより美味いまである」
「パンプモンの進化系譜のひとつにノーブルパンプモンというデジモンがいるのですが、この種になるとカボチャだけではなく、カボチャ料理も精製するようになるそうです。ハロウィンという行事にもお菓子が絡んでくる事を踏まえると、そもそもが"食"に関連深いデジモンなのかもしれませんね」
「へぇ〜」
「ちなみにノーブルパンプモンの必殺技は、相手の体内に大量のカボチャスープを流し込み破裂させる『アトランティックダム』です」
「怖えよ!!??」
フウマモンの思わず話題にドン引きする俺を横目に、涼しい顔でシュクメルリと白ワインを交互に口内へ運んでいくフウマモン。
……話の内容は兎も角、食べる手を止めないあたり、カボチャのシュクメルリは彼女の口にも合ったらしい。それは、まあ、良かった。
「何事もほどほどが一番、という事ですね」
「そういう話かなぁ」
流石に同じデジモンだけあって、ピエモンも動じている様子は無い。日常会話の部類、という事でいいのだろうか。
ま、どうせ日本にいる究極体じゃない。ハロウィンだとか、少し前の彼岸だとかに関係なく、遠い世界の住民は、なんだかんだと俺の側に居る。デジモンとの付き合いは、こいつらとで既に、いい意味でお腹いっぱいだ。
なので今日は、食後のデザートもある事だし、カボチャスープじゃなくカボチャのシュクメルリは、腹八分目くらいにしておこう。
お月見編:えのきのチヂミ風焼きと日本酒
「久しぶりでおじゃる! 麻呂が遊びに来たでごじゃる!!」
玄関を開けてたっぷり数秒固まった俺は、玄関前で優雅に桃色日の丸の扇子を掲げる、白塗りの丸い顔に袴姿のそいつをやっとの思いで認識して、そのまま腰を抜かした。
「むむ。斬新な出迎えの挨拶でおじゃる」
「い、いやーーびっくりしてんだよ。なんであんたがこんなところに?」
トノサママメモン。
国内に4体しかいない究極体の内の1体。
普段はとある観光地の城に住み着き、マスコットキャラクターとして街の活性化に一役買っている、地域猫ならぬ地域デジモンである。
それが、なんでこんな、寂れた安アパートにーーいや、前回登場した時も大概突然だったけれども。
だが俺の混乱と裏腹に、トノサママメモンは相変わらずのとぼけた顔で
「お月見でごじゃる!!」
と威勢良く言って、今一度見栄を切るように扇を掲げた。
……いや、言ったはいいけどーーお月見?
まあ、そういや今日は所謂中秋の名月だっけか。
それは分かるけれど、だからと言ってやっぱり、コイツがうちに来た理由はいまいちわからんというか。だって、どうせ月を見るなら、実質自宅である城の天守閣からの方が綺麗に見えるだろうし。
「そうは言っても、麻呂、逆に城からの満月は毎月見ておじゃるでな」
「贅沢な話だなぁ」
素直に尋ねるとこの返事。うーん、殿様。
「そういう訳で、久々に遠方の友と遊びたいと思ったのでおじゃる」
迷惑であったか? と、特にそう思われているとは思っていなさそうな顔で、トノサママメモン。
「いや、迷惑じゃないけど。でも、先に言ってくれたらこっちだって色々用意しとくのに」
「そういうのが無い方が麻呂は気楽なのでおじゃる。突撃そなたらの夕餉といったところでごじゃる」
「語呂はイマイチ良く無いな。……あ、あと月見っつってもこの部屋からだとあんまり月、見えないと思うぞ?」
「それは心配いらぬでおじゃる。大家殿に屋上に登る許可をもらっているでおじゃる」
「抜け目ないなぁ」
なんだかんだちゃんと先に許可を取っておく立ち回りができるあたりに、根がコミュ障故に突拍子もない事をやりがちなピエモンとの違いを感じる。
とぼけた見た目でも、究極体の為政者属性なんだなあ、このデジモン……。
「わかった、とりあえず摘めるもん作るから、上がってくれ」
「うむ! かたじけないでおじゃる!」
さて、こうなるとピエモンも呼ばねばなるまい。
男2人で月見酒(部屋の加減で見えない)なんてのもなぁと数時間前に笑って別れたのだが、結局1人足してやる事になるとは。
ま、そんな十五夜も、やはり悪くはないだろう。俺はトノサママメモンを狭い廊下にお通ししながら、スマホを手に取りつつ、冷蔵庫をチェックする。
さて。お殿様にも宮廷道化にもウケそうな、月見酒の肴の材料は、と……。
*
水で溶いた小麦粉に、卵を割り入れる。
「こちらもお月見でごじゃるなぁ〜」
「まあすぐ混ぜちゃうんだけどな」
ほとんどバッター液を作る用量だ。とはいえ、揚げ物を作るわけじゃない。
出来上がった液に、石づきを落としてほぐしたえのき、ざく切りにしたにら、薄い短冊にしたにんじん、そして塩胡椒を振って、まんべんなく具材に液が絡むよう混ぜ合わせる。
ここにキムチを入れてもいいんだが、急拵え故手元に無かったので、今回は勘弁してもらおう。
フライパンに多めにごま油を引いて、そしたらなるべく薄く、フライパンいっぱいに広げたタネを、両面がこんがり狐色になるまで焼くだけ。
広げたアルミホイルの上にひっくり返せば、完成だ。
「ほい、えのきのチヂミ風焼きだ」
「おお〜! 麻呂にも満月にも負けず劣らずのまんまる料理……これはあっぱれでごじゃる!」
「まあ今から切り分けて四角になるんだけどな」
コテではなくフライ返しでチヂミ風焼きを切り分けている間に、ピエモンも到着。
俺に代わって玄関に出たトノサママメモンを見て、基本的には人見知りの激しいピエモンも顔を綻ばせた。
「お久しぶりです、トノサママメモン」
「久しいでおじゃるなピエモン! 息災であったか?」
「ええ。あなたもお変わり無いようで何より」
最初はあれだけ警戒してた事を思うと、なんだか勝手に感慨深くなるぜ。
多分だが、花見の後の交流もそうだが、そうめんギフトが効いたな。そうめんギフトが。
「む。数少ない別の友に大分と失礼な事を考えられている気がしますね」
「気のせいだろ、満月の日ってなんか気が立つらしいし」
まあ警戒はしていなかったとはいえ(むしろロードナイトモンにはもっとデジモンを警戒しろ的な事を言われたような)俺もあんまり人(デジモン)の事は言ってられんので、軽口はここまで。
「で、屋上で月見って話だったけど……どうやって上がるんだ?」
いうてうちのアパートはちゃんとした屋上がある訳じゃなく、傾斜の緩やかな瓦葺だ。だから当然、上に登る階段みたいなのは無いと記憶しているのだが。
「もちろんベランダから行かせてもらうでごじゃる」
「ま?」
「失礼するでおじゃる」
一頭身のトノサママメモンは自分の頭より高い位置にあるベランダのガラス戸を開け、外に出たかと思うと、軽々と欄干に跳び乗って、そのままさらに跳んですんなりと屋根へ登ってしまった。
そういうところ、やっぱりデジモンなんだなぁ。
「え。で、俺は?」
一応外に出て同じ事が出来そうか確認してみたものの、……まあ今習っている事を応用すればできなくは無さそうだが、命綱抜きではまだまだ不安な高さというか。
「では私が抱えて跳びましょう。トノサママメモンが許可は取っているという話ですし、このくらいの高さなら始末書もいらないでしょう」
「おめーの場合は逆に跳びすぎないでくれよ?」
まあ「日本で一番高い場所から御来光を見せられる」とか「5分で北海道まで走れる」とか豪語する奴の屋根へのジャンプなんて、スキップと誤差みたいなもんだろう。
念のため酒とコップはピエモンに先に上げてもらい、その間に切り分けたチヂミ風焼きをしっかりとアルミホイルでくるんで改めてベランダに出る。
「では、失礼しまして」
体躯に対して細い腕が、やはり軽々と俺を小脇に抱える。
「よく悪役が札束とか運ぶ時の持ち方!」
「いや片腕空けないとですし。それに嫌ですよ、あなたをお姫様抱っこだなんて」
「それは俺も嫌だわ」
持ち方に納得したところで、欄干に乗るまでもなく屋根に手をかけたピエモンが、そのままトンっと軽い音だけ立てて、一瞬で身体を屋上にまで持ち上げてしまう。
「おお〜! 流石は軽業師でごじゃる!」
「あなたの跳躍の方がインパクトはありましたけれどね」
言いつつ、褒められて悪い気はしないのだろう。ピエモンは照れくさそうだ。
うーむ。悔しい訳では無いが、流石にデジモンと同じスペックは絶対に無理とはいえ、サーカス団の一員として、いつかは屋根ぐらいには軽々登れるようになりたいところ。
とはいえ今は言ったところで無い物ねだりだ。……自分の持ち味で勝負させてもらおう。
どうやらトノサママメモンが持参して広げたらしいブルーシートに腰掛けて、アルミホイルを開く。
ふわ、とごま油の香りが宵闇に広がった。
「そのままでもいけると思うけど、ソースか何かいるなら誰か取りに行ってくれよな」
「酒は注いでおいたでおじゃる! さっそく月見酒ぞよ」
「この殿様めっちゃ気が利く」
てか殿様にお酌をさせてしまった。デジモンの種族名とはいえ、なんだか微妙に申し訳ない気がしつつ、しかしどうあっても酒は飲むので、その指から自分のコップを受け取った。
「それでは、この良き月夜に」
「「乾杯」」
そして、いただきます。と。
近所迷惑にならない程度の声を重ねて、各々コップを傾け、チヂミ風焼きを摘む。
「おいしい! 外はカリカリ中はふわふわ……というよりはもちもちですね。えのきの歯応えがシャキシャキではなく、もっちりした食感に一役買っていると言いますか」
「昔SNSかなんかで流行ったえのきの唐揚げ食った時に思いついてさ」
粉の量の問題だったのかもしれないが、(油をケチりつつ)作ったエノキの唐揚げは、揚げ物というよりなんとなくチヂミに近い印象で、じゃあいっそ、とチヂミに寄せてみたら、思いの外うまくいった。ってな感じだ。
うまいうまいと、トノサママメモンもにっこり笑顔で頷いた。
「にらやにんじんも、甘みがあっておいしいでごじゃる! これはあっぱれにごじゃる」
上機嫌で酒のコップを傾けるトノサママメモン。ファンシーな見た目の割に、やはりというか、なんとなくサマになっている。
そうして、月見酒と言う割に、花より団子ならぬ月よりチヂミ風焼きですっかりつまみを食い尽くした俺たちは、それからようやく、満月を見上げた。
ただ、丸くて明るい。それだけなのに。
えのきの腹持ちも相まってか、なんだか謎の満足感がある。
「月が綺麗でおじゃるなぁ」
ぐい、とまたコップを傾けてから、不意にトノサママメモンが口を開く。
ふっと、ピエモンが鼻を鳴らした。
「あまりおおっぴらに、特に女性がいるところでそれを言ってはいけませんよトノサママメモン」
「む? そうなのでおじゃるか?」
「人間の中には、「月が綺麗ですね」を愛の告白だと解釈する方々がいらっしゃるそうで」
「まあどっかの文豪がそれを言い出したってのは嘘らしいけどな」
確かにキャッチーでオシャレではあるが、まあまあ面倒くさい話だと思わなくは無い。
月が綺麗は、月が綺麗でいいじゃないか。
それ以上に表現のしようもない。
の、だが。
「ふむ。それなら問題は無いでおじゃる」
こくん、と。トノサママメモンは大きく頷いて、またしてもズバ、と扇を広げた。
「麻呂はこの世界が、人間が、同族が。みーんな大好きでごじゃるからな! 故に、天晴れ! 毎日月が綺麗でおじゃる!!」
そうして、臆面もなく宣言してみせる。
「""""器""""だなぁ」
「ですねえ」
ここまで堂々とされると感心するしか無い。なんかちらちら桜まで舞ってるし。
「そうは言うても」
と、ぱたんと扇を閉じて、トノサママメモンはこちらへと向き直る。
「ピエモンや。そなたとてこの者を好いておるのでごじゃろう? しかれば、月も綺麗なのではごじゃらぬか?」
「……」
ピエモンはしばらく思案顔で丸い月を見上げた。
そして
「まあまあ綺麗、ってところですかね」
と。そう言って、酒の残りを、傾けた。
「右に同じ、ってところかな」
俺も笑って、右側に腰掛けるピエモンと同じようにする。
何にせよ友と飲む酒は最高でおじゃる! とトノサママメモンがニカと笑って、まあ、結局はそういう話だった。