クリスマス編:シャンパンと鮭のムニエル
「メリークリスマス! 今年1年やんちゃができる程の出会いも無いので結果的にいい子にしていたあなたに、ミニスカサンタが来てあげましたよ♡」
俺は玄関の扉を閉めて、鍵も落とした。
「……あの」
「……」
「お気に召さないジョークを披露してしまった件は謝りますので、せめて何かしらのリアクションはもらえませんかね? 道化的に無視は一番堪えるといいますか」
俺は「今の姿」に合わせている事もあって妙〜〜に哀愁漂うピエモンの声音に頭を抱えながら、まあ近所で噂になるのも困るので、仕方なく扉を開けてやる。
そこには変わらずに、安っぽい生地のサンタ衣装(ただし本人の宣言通りミニスカ)を身に纏った、コイツの人間時の姿を更に女体化したような人物が、眉をハの字にしながら上目遣いで俺を見上げていて。
見れば見る程めっちゃくちゃに顔のいい女で、中身がピエモンだと思えば思う程シンプルに腹立ってきた。
「お前なぁ」
どうせガワを変えているだけだとは思うが、見ているだけで寒くなる格好のコイツをいつまでも外に放置しているのは気が引けて、流石に部屋へと手招きしてやる。
ピエモンはわざとらしく腕をさすりながら、これ幸いとばかりに飛び込んできた。
「遅れるっつーから心配してたのに、何やってんだよ」
「いやぁすみませんね。酒屋さんが混んでいたのは本当ですよ。ただ、私の見立てよりもレジのご婦人のお仕事が鮮やかだったのです」
言いながら、ピエモンは背中に背負っていた袋からシャンパンを取り出す。
ラベルにはトナカイの引くソリに乗ったサンタのデフォルメイラストが描かれていて、緑の瓶も相まって、1人暮らしの男の部屋にも僅かながらにクリスマスの空気が流れ込んできたような錯覚を覚えた。
「……てか、お前。いつまでその格好でいるつもりだよ」
そして酒の瓶よりもクリスマスらしく、同時にわざとらし過ぎて嘘っぽいミニスカサンタ美女は室内に入ってからも健在で、問いただしてみれば「せっかくなので」とピエモンはいつもより控えめな赤色の唇を弓形に曲げる。
「お料理が出来るまではこのままでいましょうかね」
「おいマジかよ」
「だって割合よく出来ているでしょう? なんだかすぐに解くのがもったいなくなってしまって」
こっちの世界での貧乏暮らしが、究極体デジモンにさえ節制の精神を根付かせてしまったらしい。
まあ、確かに、宮廷道化の顔がいいのは、女装以前から知っている話だ。
「でも中身がお前だと思うとなぁ」
「それとド○キで見繕ってきた衣装が少なくとももう来年まで日の目を見ないと思うと可哀想で」
「買ったのかよ!?」
変なところで無駄遣いしてるじゃねぇかコイツ……!!
とはいえいつもの調子を取り戻したいなら、さっさとクリスマスディナーとは名ばかりの、今日の肴を用意すればいい話だ。
俺はシンクに置いていた白いパックから、被せてあったキッチンペーパーを剥がした。
塩を振って置いていた鮭が、その鮮やかな朱い身を覗かせる。
「おや、鶏ではなく鮭なのですね」
「近所のスーパーに特撮好きでもいたのか、やたらと推してたんだよ。まあ実際、フライドチキンは買った方が美味いしな」
(ファ○チキください……)
「テレパシーやめろここはロー○ンですお客様」
相変わらずファンタジーな要素の無駄遣いが上手いなと思いつつ、鮭の表面に軽くキッチンペーパーを滑らせて水分をきっちり拭き取る。
改めて塩胡椒を振り、パックに乗せたままの鮭に小麦粉を振るう。両面に満遍なく振りつつ、混ぜるようにパセリも散らすとなんだかお洒落だ。
「まあ料理工程は全然お洒落じゃないんですけどね」
「おう思考まで読んでんじゃねーよ」
あなたがわかりやすいんですよ、と笑顔のピエモン。
実際今回はただの経験則だろうと判断しつつ、余分な粉を軽く落としてから、鮭をバターを溶かしたフライパンへ。
そういえば、魚は身から焼くものだと聞いたのでいつもそうしているんだが、念のためとレシピを調べたら皮目から焼いているものも多かった。
結局どっちが正しいんだろうな。
等々首を傾げたりしている内に、ほどよく色付いた鮭をフライ返しでひっくり返す。こういう時箸で横着すると、哀しい結果になるとは経験済みだ。
蓋をして3〜4分。
「こんなもんかな」
待っている間にセットした冷凍インゲンの解凍終了を知らせるレンジの音を合図に蓋を開けると、今回はちゃんと、狙った通りの狐色だ。
「バターのいい香りがしますね」と、ミニスカサンタもご満悦である。
緑のインゲンと赤いプチトマトを添えた皿にメインディッシュを鎮座させれば、気分だけはクリスマス風の鮭のムニエルが完成だ。
……と、言いつつ、これだけでは少々味気ないので
「今回は特製タルタルソースも用意したぞ」
冷蔵庫から出してきたタルタルソースを鮭のピンク色の身に乗せてやると、ピエモンもぱあっと大きな瞳を輝かせた。
いや本当に、中身がコイツなのが悔やまれるな。
「これはいいですね。雪などより余程素敵なホワイトクリスマスです」
「? なんか雪に嫌な思い出でもあんのか?」
「ええ、ええ。それはもう。ちょっとブリザード吹き荒ぶ極低温の地域で」
「ごめん、多分俺お前と雪の基準違うから、やっぱりいいや」
「幻の珍獣型、モジャモンの足跡を発見したという知らせを受けた我々は」
「胡乱な怪奇特番やめろ」
言っている間に自分の分も盛り付けを終えたので、今度こそ準備は完了だ。
「それじゃあ、シャンパンを開けますね……っと、その前に」
いつもの座布団に腰を下ろしていたピエモンが、その場から立ち上がる。
「慣れない姿で開封に失敗して大惨事、なんてのは避けたいですからね。名残惜しいですが、そろそろ魔法を解きましょうか」
「おー、そうしろそうしろ」
別に開封は俺がやってもいいのだが、食事中までこの姿では疲れるのはピエモンの方だとは想像に難くない。
悪ふざけを切り上げる口実にはちょうどいい頃合いだろうと、俺はピエモンが変身を解くのを見守った。
見守ってーー
「……あれ?」
次の瞬間に現れたのは、確かに、見慣れた道化の姿であった筈なのに。
「お前……ピエモン、だよな?」
何だか、妙に引っかかる部分があって。
と、
「ぷっ」
途端にピエモンが唇を突き出したかと思うと、女性の声をそのままに噴き出して。
「ふっ、はははは! 嘘じゃろう!? 全く違う姿になら騙されて、個体差のほぼ無いデジモンの姿なら即気づきおるとは! はぁー、おっかしぃー!! あのバカ弟子、全くもっておもしろい人間とつるみよってからに!!」
「えっ、えっ」
腹を抱えて大笑いするピエモンでは無かった誰かに、笑われ過ぎて混乱するしか無い俺。
その時だった。
「いやー、すみません、遅くなってしまって! クリスマスの混雑具合ナメてましたね。その上レジのお嬢さんが気の毒になるくらいお疲れだったようでーー」
まるで示し合わせたようなタイミングで、エコバッグを掲げたジェスターが、さっきのミニスカサンタとは真逆な事を言いつつ、変身を解きながら部屋に上がってきたのは。
そして目の前のコイツと共謀していたわけでない事は、ピエモンの点になった赤い目が何よりも如実に教えてくれた。
「よう、バカ弟子! メリークリスマスなのじゃ!!」
にやりと笑いながら振り返ったソイツは、今度こそ変身を解除したようだ。
現れたのは、クリスマスというよりはハロウィンが相応しそうな、ピンク色の装束を纏った青紫色の髪の魔女で。
肌の色は健康的とは言い難かったが、魔女の姿を確認するなり、ピエモンの顔がそれ以上に青ざめた。
「その声……まさか師匠!?」
「師匠!?」
ついでに俺の声もひっくり返ると、師匠と呼ばれたデジモンは、なおも可笑しそうにけらけらと笑う。
「妾の事なんぞあーっという間に追い抜いて究極体になってしまった神童クンに言われても、なんじゃがなぁ」
ワルダモン、と、魔女のデジモンは巨大な爪で自分自身を指し示した。
……ちょっと嵩高い。
「今の妾の種族じゃ。こっちでちょっとばかし面白い『実験』に参加して、それでようやく完全体相応よ。かぁー、嫌になるのう」
「えっ、え。師匠、ちゃんと法は遵守してますか? 怖いですよ? ロードナイトモン」
「阿呆。オマエと違ってこっちに来る時はちゃんと書類を数十枚書いて来たわい」
それお前が言うのか、と思っていたら、案の定だったらしい。
ピエモンは苦虫を噛み潰したような顔で、ようやく居間の方へとやってきた。
……だいぶ狭い。
「……何しに来たんです? 彼に手出しとかしてませんよね?」
「心外じゃのう。オマエも言うた通りロードナイトモンはおっかないんじゃ。そんな真似をする筈がなかろうて! ……いわゆるホリデーなんじゃ。久々に可愛い弟子の顔が見たくなったんじゃよ」
それはそれとして、俺は完全に初対面のデジモンに割と失礼な扱いをされていたのか……とじわじわ気づき始めた俺に、くるりとワルダモンが身体を向け直す。
うわ、大きい。
「まあ安心したわい。坊主、これからもバカ弟子と仲良くしてやってくれ」
こやつ、これでいて寂しがり屋なところがあるからのう。と、にこりと微笑む顔のいい女性型デジモン。
「……あの、恥ずかしいんでやめてもらえませんか師匠。あなたも照れるんじゃないですよ、見た目だけですからねこのオバいだだだだだだ」
どこからともなく現れた白い手が、白黒の仮面の隙間からピエモンの頬を捻る。
痛そう。
「全く、いつまでもつれない奴じゃ。ええわいええわい。そろそろお暇するわいのう」
そう言って肩をすくめると、壁に沿った横歩きで狭い部屋を抜けて廊下に出ていくワルダモン。
と、どうにか白い手を引き剥がしたピエモンが、ふいにその後を追った。
「ふふっ、メリークリスマス! バカ弟子とその友よ」
しばらくして、ワルダモンのそんなセリフと共に扉を開け閉めする音が聞こえて、その後げんなりした表情のピエモンが戻ってきた。
手洗いのために彼が置いたエコバッグを見やると、明らかに中身が減っていて。
「シャンパン、差し上げましたよ」
改めて部屋に入ってきたピエモンがふう、と息を吐く。
「どうやら師匠が良さげなやつをくれたようですからね」
「師匠、って」
「言葉通り、ウィッチェルニーに居た時の魔術の師ですよ。いや、あれを師と仰いで良いものか……。実力は間違い無く世代以上でしたが、いかんせん破天荒な方で」
「弟子見てるとわかるような気がするな」
ピエモンはあからさまに嫌そうな顔をした後、こほん、と咳払いを挟んで席に着く。
そのタイミングを見計らって、布巾で押さえながらシャンパンの栓を抜くと、ポンッ! と勢いのある音が響き渡った。
「私もさっき店のポップで知ったのですが、本当ならしゅー、と空気の抜ける音だけさせるのが正解らしいですね」
「「天使のため息」だっけ? ま、俺もお前も天使なんてガラじゃないだろ?」
「違いないですね」
普通のワイングラスにシャンパンをそそぐ。炭酸の泡と一緒に、ほのかに甘い香りが弾けた。
「それでは、男2人のさびしいクリスマスに」
「乾杯」
グラスを掲げあってから、シャンパンを口に運ぶ。
香り同様甘い炭酸の酒はどちらかと言えばジュースのようだが、たまにはこういうのも悪くはない。
「ムニエルもおいしいですね。なんだかすごくお洒落なクリスマスを過ごしている気分です」
「そんなに冷めてなくてよかったよ」
あのワルダモンとかいうデジモン、思ったより滞在してなかったんだなぁと、今更のように。
嵐のような、というのは、こういう時に使う表現なのかもしれない。
「タルタルソースの方はどうだ?」
「おいしいですよ。ただ、このシャキシャキ感、玉ねぎじゃないですよね? 酸味があるのにピクルスが入っている風でもないし」
「らっきょうだよらっきょう。漬物をタルタルソースに使うと意外と合うって話を聞いたから、ちょっと試してみたんだ」
「どうやら正解だったようですね。白一色のタルタルソースというのもなかなか乙なものです。雪よりも余程素敵なホワイトクリスマスですよ」
「……やっぱりなんか雪に嫌な思い出でもあんのか?」
「ええ、ええ。それはもう。ちょっとブリザード吹き荒ぶ極低温の地域で」
「ごめん、多分俺お前と雪の基準違うから、やっぱりいいや」
「幻の珍獣型、モジャモンの足跡を発見したという知らせを受けた我々は」
「胡乱な怪奇特番の天丼やめろ」
*
そうして食事を終えてから、ふいにぽん、と、ピエモンがエコバッグから新たに何かを出してきた。
ドーム型の透明な蓋がはまったそのカップの中には、申し訳程度に柊の葉を摸した紙が刺さったプリンが入っている。
「ケーキは流石に売り切れていたので、本当に気分だけですが」
「気ぃ効くじゃん、ありがとな……って、1つだけ?」
「私の分は師匠にあげたんですよ」
「じゃ、これ2人で分けるか」
ピエモンはまた少しだけ目を丸くして、それからふっと微笑んだ。
「あなたのそういう貧乏臭い発想、嫌いじゃないですよ」
「はいはい律儀で薄情な道化がよ」
俺は器とスプーンを取りに立ち上がる。
と、
「おや? あなたも何か用意してくださっていたんです?」
「え? って、あっ」
見れば、座っているとお互い死角になる位置に、白い袋が置かれていて。
「これ、お前の師匠のだよ。忘れていったのかも」
「師匠に限ってそんなドジをするとは思えませんねぇ」
俺たちはしばし顔を見合わせて
それから、「サンタさん」の置いていった袋を開けた。
「……」
「……」
中には「バカ弟子へ♡」と書かれたカードと、丁寧に折り畳まれたサンタ装束が入っていた。
ミニスカの。
「……あなた着ます?」
「その選択肢だけはねぇだろ。お前宛だし」
「ええ〜……なんで私がそんな事……」
言いつつ、ピエモンがサンタ衣装を片手にぱちんと指を鳴らす。
途端、俺の隣に魔人の代わりに現れたのは、中身がとてもデジモンだとは思えないようなミニスカサンタ美女だった。
「あなたのベッドの下にある書物を参考に化けたのですが、いかがでしょうか」
「んなわかりやすいところに置いてねーわクソ好みの娘に化けやがってチクショーが」
俺たちはどちらともなく嘆息する。
そして仕方なく、多分この世で一番今年のクリスマスを気兼ねなく一緒に過ごせる友人相手に、お互い乾いた笑いを投げかけるのだった。
あとがき
推しの好きな飲み物を消毒液呼ばわりした事があるアカウントはこちら、快晴です。
というわけでこんにちは、この度はTwitter不定期連載小説『宅飲み道化』のクリスマス編~節分編+サロン書下ろしのバレンタイン編を纏めた冬編をご覧いただき、誠にありがとうございます。
1週間毎日連載を行った前回とは違い、行事ごとでお話を分けたのですが、いかがでしたでしょうか。
今回も基本的にはTwitterに上げたものをそのままもって来ているのですが、バレンタイン編だけはこちらのみで読めるお話となっております。慇懃限界忍者フウマモンのお話が読めるのはデジモン創作サロンだけ!
また、こちらの『宅飲み道化』、ありがたい事にTwitterで交流してくださっている他の創作者の方と2回コラボさせてもらっておりまして、そちらのお話を読めるのはTwitterだけとなっております。快晴のアカウントに対して『宅飲み道化』で検索をかけてもらえれば読める筈なので、よろしければ……。
さて、『宅飲み道化』、次回のサロンでの更新は恐らく5月、ゴールデンウィークあたりになると思われます。春編、という事になりますかね。
Twitterの方は多分ホワイトデー編になるのかな? ひな祭りは流石にしないです。男2人で。まあちらし寿司とか食べてそうですけれども、この2人。……ま、快晴の気分次第ですかね。
他があんまりやさしいせかいしていない分、こっちは引き続き平和路線なので、よければ今後ともお付き合いいただければ幸いです。
それでは!
バレンタイン編:ブランデーと仁義なきチョコバトル/薔薇チョコとホットミルク
俺とピエモンは向かい合って座り、お互いを見据えていた。
姿形はピエロを模しているものの、究極体、それも『暗黒』の属性を持つピエモンの眼光は恐ろしく鋭い。
しかしこの時ばかりは、俺の目力だってこいつに負けちゃいないだろう。
どうにしたって、そのくらい。
俺達は真剣だったのだ。
「いっせー」
「のーで!!」
合図と共に。
俺達は同時に、背中に隠していた「それら」を机の上へドンと乗せた。
4個と、4個。
「互角ッ!!」
「引き分けか……」
揃って顔をしかめる俺とピエモン。
コイツのもらった「コレ」が本当は俺より遥かに多いだとか、だけどここにある分は2人合わせても2桁に達ない現実だとか、理由は色々あるような無いようなだったが、何よりも「数が同じ」という面白みの無さでは酔った勢いの勝負なのに酒の肴にもなりゃしない。
「まだです」
不意にピエモンが重ねていた「それら」を一列に並べ直す。
「こういうのは数より気持ちと言いますからね。第二ラウンドと洒落込もうじゃあありませんか」
「なるほど……やってやろうじゃねぇか」
俺もまた、ピエモンに倣って自分の分を横に並べる。
「仁義なきチョコバトル、再開だ」
*
話は数分前に遡る。
バレンタインだしチョコで酒飲むかという話になり、当然のように何個もらったのか見せ合おうぜって流れになった。
以上だ。
*
「とりあえずお互い、この2つは同じ種類の義理チョコだから除外な」
「ですね」
いわゆるトリュフチョコのアソートと、クランチチョコの詰め合わせ。
青いリボンで飾られた長方形の小箱と、メーカーのロゴが浮かび上がった小さな缶は両者の陣営に置かれていて、そのどちらも、方や弊サーカスの団長の奥さんが、方や面倒見のいい皿回し担当の先輩芸人がくれた物ーーようするに、職場義理チョコである。
職場といえば、この時期だとファンレターにチョコを添付してくれるお客さんもいるのだが、昔ひどいイタズラやトラブルがあったらしく、申し訳無いがうちのサーカスでは届いた飲食物は全て処分する決まりとなっている。
それでもジェスター宛にいくらかチョコが送られてきていたのだが、「変身した姿にもらったチョコなんて、数に入れてもむなしいだけですよ」とピエモンが言うので、俺は入社以来ずっときぐるみを担当しているサーカスのマスコット宛に子どもたちから届いたチョコのカウントを、そっと職場に置き去りにしてきたのだった。
閑話休題。
「となると……次はこれか」
すっと前に出したのは、所謂オランジェット。
半分チョコのかかった輪切りの砂糖漬けオレンジが、小さなハートが散りばめられた袋にラッピングされている。
ピエモンは俺のカードに対して、無言で自陣営のチョコを差し出す。
それは、ハート型のチョコだった。正確にはハート型のカップに流し込んで、そのまま冷やし固めたチョコだ。
ややサイズがある上に、表面には細かく刻んだオレンジの砂糖漬けらしきものが散りばめられている。
材料自体は同じだが、オランジェットよりも手間はかかっているとみていいだろう。
「……」
俺のオランジェットと同じ袋同じリボンでラッピングされていなければ、俺を勝手に悔しがらせる事も出来たかもしれないのだが。
「ワルダモンからだろ、これ」
「……」
ピエモンは俺から目を逸らした。
「俺もお前から聞いた話しか知らねぇけど、それで判断するならこれ、こっちで言うところの「母チョコ」概念だぞ」
「違いますがー!? 師匠チョコと母チョコは全く別概念ですが!? 親しみポイントの高い義理チョコと言って欲しいですね!?」
「どっちにしても身内チョコじゃねーか!? よくそれで気持ち部門のチョコバトル続行しようとか言えたな!?」
「そんな事言ったらあなたのオランジェットだって「友達のお母さんからの「これからもうちの子と仲良くしてあげてね」チョコ」概念になるんですからね? 解ってます?」
「……」
「……」
「この話やめよっか」
「ですね」
俺達はすんと真顔に戻ってそれぞれのオレンジのチョコを脇へと避けた。
ワルダモンは滅茶苦茶美人なデジモンだが、くれたチョコは義理チョコだ。
そして義理チョコの義理の種類で争っても、虚しさが増すだけである。
こうして、お互いの手元には、今度こそ包装の異なるチョコレートが1つずつ残った。
ピエモンは白い小箱を持ち上げて、ふっと赤い唇の端を持ち上げる。
実にシニカルな笑みであった。
「施設の職員が、今朝出かけるデジモン達に配っていたものです」
「びっくりするほどシンプルに義理チョコじゃねえか」
重ね重ね、なんで試合を続けようと思ったんだ。
諦めたら試合終了とは言うけれど、泥試合の延長戦なんて目を当てられたものではなく。
俺はため息混じりに、こちらの最後のチョコを差し出した。
丸く平たい箱の中には、酒瓶を模ったボンボンが、円状に並べられている筈だ。
「お前の監視役の忍者からだよ」
「フウマモンが?」
「って名乗ってたな、確か」
いうて(ロードナイトモンと違って普通の黒い)スーツ姿の女性に化けていたから、本当にデジモンだったのか、そもそも忍者だったのかは、わからないのだが。
「この前ショッピングモールまで足を伸ばした時に偶然会って、ロードナイトモンへの贈り物選びについて相談されたんだ。そのお礼だって」
本当は「ピエモンの監視に巻き込んでいるお詫び」的な事も言っていたが、それは黙っておいた方がいいだろう。「つまり半分くらい私の手柄義理チョコですね。私の勝ちです」とか言い出しかねないからな。
「つまりついで義理チョコですか」
「良いのかそんな事言って。お前のチョコを「大家チョコ」に分類するのは控えてやったのに」
「……」
「……」
「やめましょうか、このバトル」
「俺もそう思う」
そしてその答えにはもっと早く至るべきだったなと頭を振りながら、以前開封したブランデーの残りを持ってくる。
チョコにも、そしてかなしい記憶にも、強い洋酒はよく合うモノなのだ。……多分。
「ミックスナッツも出そうか?」
「チョコ出してくださいよ。それもカウントするので」
「節操無しか」
まあ雰囲気からして冗談の類だ。
そんな軽口を交わしながら、こんな日に。男2人で酒を飲む。
なんだかんだ言っても、例年よりは、楽しいもんだった。
/
……と、あの人間はピエモンと酒盛りを楽しんでいる頃でしょうか。
時刻は午後8時。場所は自宅。
拙者の業務は既に終了しております。というか、本日に限ってロードナイトモン様は、拙者に休養を言い渡したのでした。
何故故。より拙者の心情に近い言語を使用するのであれば、どぼちて。
ど ぼ ぢ で っ"
……失礼、取り乱しました。
冷静になるためにも、状況を整理しましょう。
拙者はフウマモン。偉大なるロイヤルナイツの華麗にして高貴にして異端にして恐るべき激エモ最強スーパーハイパー滅茶苦茶カッコいい薔薇騎士・ロードナイトモン様の右腕。
そして本日は2月14日、世間で言うバレンタインデイ、という事になっております。
バレンタインデイ。
こちらの世界の聖人が殉職した日だとかデジタルワールド・イリアスで言うところのユノモン殿を祀る日だとか、由来に関して小難しく述べるつもりは毛頭ございません。
女性が男性にチョコレートを贈る日です。
……いえ、詳細な定義を言い出すとキリがない上一種のコンプライアンスに触れる事は百も承知しておりますが、とりあえずおおまかな認識としては間違いではありますまい。
拙者自身は性別を持たないデジモンではありますが、曰く、声帯が女性的であるらしく、それ故人間に擬態する際は女性の姿を使用しております。
一方でロードナイトモン様の人間と化しても容姿端麗眉目秀麗を極めた擬態姿は男性のもの……即ち、拙者がこの日にかこつけてロードナイトモン様に贈り物をしても、何ら不自然は無い、という訳でございます。
実際去年の暮頃に我らがロードナイトモン様の陣営に加わったワルダモン殿も、ロードナイトモン様と
「バカ弟子とその善き友人にチョコを作ってやりたいのじゃが、何がええかのう」
「知らん。だが強いて言うのであれば酒を好む者は過度な甘味を好まない傾向にあると聞いたことがある」
「ほおかえ! では柑橘を用いたチョコでも作ろうかのう。もちろんおぬしにも作ってやる故、楽しみにしておれ」
「業務外の時間の使い方に関しては、人間に危害を加えない限りは私の知るところでは無い。好きにしろ。推奨はせんが、行事や厚意を拒む気はない」
みたいなやりとりをしていましたし。
あの魔女、ちょっとピンク色だからってよくもまあロードナイトモン様に馴れ馴れしく……!
……いえ、ロードナイトモン様が気にしていらっしゃらない以上、拙者がいちいち目くじらを立てる訳には行きますまい。今度ロードナイトモン様の寛大な措置に毎朝昼晩感謝するよう伝えるのみに留めておきましょう。
そう、ワルダモン殿の事を考えている暇は無いのです。
拙者の。
拙者がロードナイトモン様に献上する贈り物についてです。
*
話は数日前に遡ります。
菓子休憩の時間とは別にロードナイトモン様に差し上げるチョコのインスピレーションを得るべく、拙者はこの地域最大のショッピングモールにて開催中のバレンタインフェアに足を運んでおりました。
その中で一際拙者の目を引いたのは、その名も『薔薇チョコ』……本物の一輪の薔薇を模したチョコレートです。
拙者は感動しました。
ロードナイトモン様コラボカフェが現実のものとなった暁には、絶対にここの職人を雇おうと心に決めた程に、精巧な作りのチョコレートだったのです。
チョコは手作り、と考えていた拙者でしたが、この滅茶苦茶"概念"なチョコをロードナイトモン様にお見せできないのは口惜しいと考え、拙者はその薔薇チョコを購入しようとした
の、ですが。
「お客様、薔薇の花言葉はご存知ですか?」
花弁が傷つかないよう薔薇チョコを梱包しながら、店の方が不意に、そんな事を拙者に尋ねてきました。
花言葉。
そういうものがあるとは聞いていましたが、拙者、生憎詳細は知らぬまま過ごしてきました。
薔薇の、花言葉。
拙者がフウマの忍術書に記しておいた『ロードナイトモン様最高』以外には何があるのかと、店員さんが添付してくださった小さな冊子を近くの椅子に腰掛けて閲覧してみたところーーこのフウマモン、衝撃を受ける事となったのです。
薔薇の花言葉は、その色、本数にまで左右されるという話ではありませんか!!
拙者が購入した薔薇チョコの色は赤。
本数は1本。
導き出される答えはーー「一目惚れです、アイラブユー」
破廉恥!!
あまりにも破廉恥!!!!
いやまあロードナイトモン様の美しさたるや、一目惚れしない方がおかしいですし、推しの推し方にはガチ恋というジャンルも存在し拙者別にそのスタンスを否定する訳ではありませんが、拙者自身はあくまで従者としてロードナイトモン様を陰日向無くお支えする事を目標としておりますのでラブは自分に対して解釈違いと言いますか。っていうかロードナイトモン様、普段からそんなものを手元で愛でてらっしゃるので? 世界に対するBIG LOVEじゃん。はわわわわ。
「はわわわわ」
己の在り方に対する是非と主の"真実"に心をかき乱され、思わず処理しきれなかった心情が口から飛び出す(もちろん忍者として周りには聞こえないよう最低限の配慮はしましたが)拙者。
どうしよう。このチョコはロードナイトモン様にぴったりではありますが、これをバレンタインという特別な行事の日にそのままお渡しするのは畏れ多過ぎる……!!
……と、拙者が頭を抱えた、その時でした。
混乱故に逆に目が冴えたのかもしれません。
ふと拙者の目は、催事場の隣にある輸入食品ショップから出てくる、とある人物を捉えたのです。
間違える筈もありません。普段ピエモン殿を監視する際、隙だらけのこちらの方を目印にした方が早く見つけられるくらいですからね。
「御免」
「うわびっくりした」
拙者はピエモン殿の同僚殿と、一気に距離を詰めて声をかけました。
「驚かせてしまい申し訳ありません。拙者はフウマモン。貴方方人間にわかりやすく素性を説明するのであれば、忍者です」
「ごめん、シンプル過ぎて逆に情報量がエグいんだけど」
とりあえずデジモンなのは信じるから、色々順番に説明してほしい。と、声を潜めるピエモン殿の同僚殿。
それはそう、という事で、拙者達はフードコートへと移動。……隣にいると、買い物袋から微かに中華系のスパイスの香りがします。
「それで、俺になんか用?」
流石に普段から究極体魔人型と接しているだけあって、拙者がデジモンだと明かしても臆する様子はありません。
好都合、と、拙者は経緯と、こういった事態に対する人間流の解決方法……要するにアドバイスを彼に求めたのでした。
「えっと……」
困ったような顔をしつつも、彼は私が店員さんからいただいた薔薇の花言葉表へと視線を落としました。
「あー、ピンクのやつ買い直すのは? ピンクの薔薇なら「感謝」なんだろ、花言葉」
「それは既に拙者も考えました。ロードナイトモン様の鎧は確かに気品溢れるピンク。即ちイメージカラーもピンクではありますが、しかしロードナイトモン様の持つ薔薇となるとそれはピンクではなく赤と相場が決まっているのです。推し色はピンクでも、推しのキーアイテムは赤い薔薇。人間の文化に沿って説明するのであれば、そういう事なのです」
「……」
「何ですか。その面倒なオタクを見るような眼差しは」
「面倒なオタクを見る眼差しだよ」
なんて遠慮の無い男……! これが究極体と方を並べる人間の器なのでしょうか。
「うーん。……あ、そうだ」
その上で律儀に首を捻っていた彼は、不意に何かを閃いたようでした。
「どうかしましたか」
「ホットミルクと一緒に出すのはどうだ?」
「ホットミルク?」
「そ、ホットミルク」
曰く、チョコはそのまま食べるだけでなく、ホットミルクで溶かして楽しむ食べ方もあるのだそうで。
「買ったのはロードナイトモンをイメージした赤い薔薇だけど、ホットミルクの白を足せば色はピンクになるから、伝えたい花言葉は「感謝」に出来るっていうか。屁理屈って言われたらそこまでだけど、これなら一応、筋は通るんじゃねーの?」
な、なんと……色の足し算!
これは盲点でありました。
完成されたデザインのチョコをわざわざ溶かす、というのは勿体無い気もしますが、一手間加えるギミックが人間に喜ばれがちなのも事実。そういう時のためにデバイスの写真機能だってありますしね。きっとロードナイトモン様コラボカフェで実装した暁には秒で万バズ飛ばすこと間違い無しでしょう。
なんなら本物の薔薇だって、薔薇風呂のような、お湯に浮かべての使用も……ロードナイトモン様の薔薇風呂……!? あー、だめだめ刺激が強過ぎます!! 今の無し!! 今の無し!!!!!
「すみません、少々こちらでお待ちになってください」
「? おう」
深呼吸込みで、3分後
「お待たせしました」
拙者は再び舞い戻った催事場でウィスキーボンボンを購入し、ピエモン殿の同僚殿へとお渡ししました。
「相談に乗っていただいたお礼と……取り扱いに気をつけているとはいえ、若干のプライバシーの侵害が発生しているのは事実ですからね。そのお詫びも兼ねて、です」
「えっ、ありがと。……でもいいのか? 一応アンタ、政府のデジモンなんだろ? こういうのって、えっと……収賄? にならないのか?」
「普段ご迷惑をかけている人間の方への個人的な贈り物となれば、ロードナイトモン様もお許しくださるでしょう。ご心配には及びませんよ」
正確には、まあ、多少お小言はあるかもしれませんが、それだけで許容して下さる程度には、ロードナイトモン様は貴方を気に入っている……とまでは、お伝えしない方が花でしょうね。
「そっか。じゃ、遠慮なく」
ただ、と、彼はチョコレートを受け取りつつ、軽く肩をすくめました。
「迷惑、ってのは、取り消してほしいかな。アイツと交流する上でアンタらの仕事が必要なのはわかるから、その認識を受け入れると、アイツが俺に迷惑かけてるって事になっちゃうし」
「……」
……全ての人とデジモンが、貴方方のように上手くいけば良いのですがね。
「承知しました。では、これはあくまで、相談のお礼という事で」
「ん。こっちこそチョコ、ありがとな」
「ああ、それと」
「?」
拙者はデジモン用スマホ型デバイスから名刺を具現化させ、彼に手渡しました。
「これは拙者が人間の世界で持ちうるプライバシー。即ち義理です。……何か困り事がありましたら、いつでも呼んで下さい」
くれぐれも悪用はしないように、と、形式上釘を刺すと、「忍ばないでいいのかよ」と彼は笑うのでした。
*
……と、拙者としても気分の良い、滅茶苦茶いい感じの交流があったのですが。
それはそれとしてロードナイトモン様への贈り物です!
やはり行事はその日に行ってこそ。手渡すのが後日になるのは気が引けます。
とはいえ休養を言い渡されたにも関わらず職場に顔を出しては他の部下に示しがつかず、なのでよほど急な事が無ければ業務が間違い無く終了している時刻まで待機してみたものの、こうなるとロードナイトモン様のプライベートをお邪魔してしまう可能性があり、しかしチョコをお渡し出来ないのは嫌ーーん? 今デバイスが震えたようnおんぎゃあああロードナイトモン様からお電話が
「フウマモンです。ロードナイトモン様、ご用命でしょうか。なんなりとお申し付けください」
「休日だというのにすまんなフウマモン」
「いえ」
良いのですよロードナイトモン様〜! お声を聞ける事が何よりもの褒美でございます!
「時に貴様。夕食はまだか」
「はっ。まだでございますが」
なんというか、それどころでも無かったですし。
……しかしロードナイトモン様、何故そのような事を?
「なら良かった。9時にディナーの予約をしてある。……来れるか」
「もちろん、ロードナイトモン様が望むのであれば、何処なりと……ん?」
ん??
「ディナー。夕餉でございますか」
「そうだ」
「拙者と」
「そう言っている」
混乱ーーそれこそ薔薇の花言葉を知った時の比ではない混乱に拙者が言葉を失う中、ロードナイトモン様が不意に、ふぅ、と一息。
艶やか〜。
「ワルダモンの奴に言われてな。たまには貴様を労ってやれと。思い返せばロイヤルナイツの同胞達も、時には部下と飲食を共にして、彼らの功績を労っていた」
「……」
「勧められたサプライズ、というのがこれで合っているかは判らんが、貴様が側にいては気付かれずに予約など出来たものでは無かったからな。休養を取らせた次第だ」
あ、
あ、
あっ、
あの策略の魔女〜〜〜〜!!
よくもロードナイトモン様の手を煩わせましたね……!? おのれ、後日菓子折り持って行かねば。
「我が身に余る光栄です、ロードナイトモン様。30秒程でそちらに伺います」
「戯け。予約は9時だ。早く着き過ぎては店の者を困らせかねん。30分に寄宿舎前に来てくれ。近場故、徒歩で向かうぞ」
「承知しました。では後ほど……あっ」
嗚呼、あまりの事に、頭の中がミルクのように真っ白になっておりましたが。
拙者も、拙者もこれだけは。
「? どうした」
「恐れながら。……拙者も、細やかながら、ロードナイトモン様にチョコレートをご用意しております」
「……」
「ロードナイトモン様のお心遣いには遠く及ばないやもしれませぬがーー」
「卑下してくれるな。市販品であるならば作り手に失礼であるし、何にせよ我が右腕の選択に誤りがあるとは思わん」
楽しみにしている、と。そう言い残して、通話は打ち切られました。
……はわ
「はわわわわわわ」
いっぱいしゅき…………!!
「いや、こんな事をしている場合では」
人間への擬態を開始しながら、その他の身支度も進めていきます。
そんな中、ふと目に留まるカレンダー。
……ハッピーバレンタイン、拙者。
そして、今日という1日が、全ての人・デジモンにとってもよき日でありましたように。
……さ、時間はあると言っても、急ぎましょう。忍者たる者、主よりも早く着いておかねばなりませんからね。
節分編:イワシロールと梅酒
「壱の型!! 水○斬り!! ザバァー!!」
「ぐあー」
武器はダメ! 武器はダメだよ! と血相を変えた運営の方が走ってくるのがお面越しに見えたが、俺はとりあえず斬られてあげた。
わかってはいたが、最近の鬼退治は豆ではなく刀がトレンドらしい。いや、豆(袋入りの炒り大豆だ)もぶつけられてはいるけれども。
2月3日。こども節分祭り。
普段よく会場を貸してくれる自治体の関係者に鬼役のヘルプを頼まれたんだそうで、そうなると一番下っ端の俺とピエモンが駆り出されるのは、まあ当然と言えば、当然の話で。
こういうところで地域に貢献しておかないと、色々立ち行かない部分もあるのだろう。
とはいえ俺は日本人の行事として節分を知ってるからいいとして、ピエモンの奴、子供とはいえ人に豆投げつけられるのはいい気分じゃないだろうな、また沈んでないだろうかとアイツの方をちらりと見やる。
……多分魔術で用意したと思わしき白黒の鬼の面を被ったジェスターは、凄まじいアクロバットで投げつけられる豆を鮮やかにかわしまくっていた。
「やべえやべえ、全然当たんねえ!?」
「○弦の鬼だ! こいつ絶対上○の鬼だよ!!」
「チェーンソー持って来なきゃ!!」
戦慄する子供達を「はははは、もう降参ですか人間達」と上位種族の物言いで挑発するピエモン。
この究極体、ノリノリである。
「心配して損した……」
呆れた俺の頭部に、ついでのように流れ豆が飛んでくるのだった。
*
「あのねぇ、いくらなんでも子供の遊びでいちいち傷つく程、究極体が繊細な訳が無いでしょう。私の事、なんだと思ってるんですか?」
「時々クソ重いぼっち属性こじらせ魔人」
「きずつきました」
およよ、と泣き真似をしてみせるあたり、それこそ気にも止めていないらしいピエモン。
この様子なら、本当に心配は無いのだろう。俺も一安心だ。
「それはそれとして、ぼっち属性をクールでドライなキャラを気取る事で誤魔化せていると思っている人間」
「言っていいこととわるいことがある。……なんだよ」
お約束のような意趣返しを済ませてから、ピエモンは左手にさげていたビニール袋をかかげる。
「お給金の他に思わぬ収穫があったのはラッキーでしたね」
袋の中身は、恵方巻きだ。
おそらく海鮮の類は入っていない、キュウリとかんぴょう、卵焼きだけの、子供ウケは悪そうな恵方巻き。
参加者全員に配られるものだそうで、臨時かつ運営側の俺たちも、そこは例外ではなかったらしい。
そういやコイツ、っていうか暗黒系デジモン。米が好きな傾向にあるんだっけ?
「まあそれっぽいモンが手に入って助かったよ。今日はオイルサーディンのパスタでも作って「巻いて食べれば実質恵方巻き」で通すつもりだったから」
「そこまで風情が疎かだと一周回ってもはや清々しいですね」
いやまあそれはそれで食べたいですけれどもと、やっぱり麦も好きそうな暗黒系。
オイルサーディンは買ってあるからまたなと、俺も缶詰を次回以降に回して、今日の献立を算段する。
恵方巻きだけでもいいのだが、折角ならもう一品、酒と合わせる肴があってもいいだろう。
うーむ、節分。節分かぁ。
「帰り、イワシ売ってっかな」
「そういえば、豆はこの前聞いたからわかるんですけど、イワシを飾ったり食べたりするのは何故なんです? 何か謂れでも?」
「臭いから鬼が寄って来ないんだって聞いたけど」
「臭いなんです??」
「あと焼くと煙が出るからとか何とか」
「……なんていうか、繊細なんですね、日本の鬼」
「そこは豆で撃退できる時点で、じゃね?」
と、ここでピエモンが首を軽く傾ける。
「デジモン的には豆というのは強者の象徴なので、そこは違和感が無いのですが」
また適当を……と思いかけた俺の脳裏を、ふととあるデジモンが転が……過ぎっていく。
トノサママメモン。
日本に片手で数えられる数しかいない究極体の1体で、今はとある城に住み着いているだとか、なんだとか。
「……お前がそんな風に言うって事は、やっぱり強いのか? トノサママメモンって」
「直接相手を傷つける技を持たない特殊なデジモンなので、彼に関してはなんとも言えませんが……ロードナイトモンもまともに相手をするのは嫌がったという話ですからねぇ」
じゃあコイツと同じくらいか、というのが俺の所感だった。確か前、ロードナイトモン、ピエモンの相手も「骨が折れる」って言ってたし。
いや、まあ。
デジモンの強さの基準、イマイチ解ってないんだけども。
「まあ必殺技の話だけならトノサママメモンはかわいい方ですよ。マメモン種って基本爆弾魔みたいなものですから」
「爆弾魔て」
デジタルワールドの鬼は気の毒だなと、半日鬼をやっていた俺は肩をすくめる。
「まあその分鬼のデータを持つデジモンも大概なんですがね。……ただ、そんな彼らと、1日鬼体験しただけの私達にも、共通点はあります」
「どうせ「どっちも酒が好き」とかそんなんだろ?」
「話のオチを先に言うとは鬼の所業。相当な酒好きとお見受けします」
「神出『鬼』没の地獄の道化とどっこいどっこいだよ」
そんな風にお互いを鬼呼ばわりしながら、俺たちは既に、鬼が嫌いな筈のイワシで酒を飲む心算なのだった。
*
イワシの開きを半身ずつに分け、皮面にみりんを塗る……のは面倒なので、パックの底に薄く貼って、イワシを浸す。
「ものぐさですねぇ」
「手間を減らす一工夫と言え」
いつもより若干手順が多いのだ。このくらいのずぼらはさせてもらわねば。
こちらに向いている赤い身の面にはシソの葉を1枚ずつ置いて、さらにその内にチューブの梅干しを絞る。
あとはそれごとイワシを巻けば、下拵えは完了。
別に重ねるだけでもいいとは思うが、まあ、これももう一つの恵方巻きって事で。
フライパンで、巻き終わりを下にしたイワシを焼く。
楊枝で留めてはいないが、火が通ればなんとなくは固まってくれるのでその辺の手間は割愛。
時々転がしながら皮全体に焼き目をつければ、完成だ。
「ほい。イワシの梅シソロールだ」
「要所要所で手を抜いてた割におしゃれに仕上がりましたね……」
「こういうのは巻けば何かといい感じになるんだよ」
身も蓋もない事を言っている内に、ピエモンが俺の分の酒の缶をこちらに寄越す。
今日は梅酒だ。元は同じものだから梅肉と喧嘩にはならないだろうし、それに2月っぽい趣がある。……梅の実は初夏の頃だけれども。
「それじゃ」
「いただきます」
ひとまず俺たちは、今日の報酬・恵方巻きを手に取った。
「っと。そういや今年の方角、どっちだっけ?」
「こっちですね」
待っている間に調べておきましたと、迷わず俺から見て右の方を向くピエモン。
「おっ、サンキュー」
「魔術を使う上でも方角の把握は大事ですからね。種族柄気にしてしまうんですよ」
「そういうモンなのか」
「ちなみに方角を把握する魔術を使う際は、北を向く必要があります」
「北向けるなら魔術使う必要無いだろ」
そのくらい、魔術以前の基礎の基礎って事ですよ、とピエモンは笑うが、コイツ自身の日頃の行いのせいで妙に嘘くさい。
まあ、それでも方角に関しちゃ嘘は言っていないだろうと、俺達は同じ方を向きながら、恵方巻きに齧り付いた。
うん、うまい。案の定具は最低限だが、この素朴な良さが解る程度には、俺も大人になったらしい。
甘い具が酢飯ともよく合って、作法でなくとも無駄口を叩く暇も無く、俺たちは恵方巻きをぺろりと平らげた。
「優しい甘さでおいしかったですね。しっとりした海苔もなかなかよいものです」
「巻き寿司は流石に作るの面倒くさいからな。ありがたいよ」
こんな報酬があるのなら、鬼になるのも悪く無いもんだと2人して笑ってから、次に手を伸ばしたのはもう1つの巻物・イワシロール。
ちょうど一口大のそれを、ぱくりと口の中に放り込んだ。
「うん、美味しいです。鬼も逃げ出す臭いと聞いていたので少々怖かったのですが、どうやら杞憂だったようで」
「そりゃよかった」
どこかほっとしたように表示を緩めるピエモンに、俺も一安心。
実を言うと、俺も若干心配だったのだ。なんたって下拵えに何度もイワシを触った指の先は、まだ割としっかり、臭いが残っているので。
だがイワシロール自体は、イワシの引き締まった肉に紫蘇の香りと梅干しの酸味がよく合っていて、むしろ爽やかな印象を覚えるくらいだ。
梅酒を傾けると、酒の甘さと肴の塩味がお互いを引き立て合う。甘いのとしょっぱいの……なかなかに凶悪なコンボが完成して、どちらに伸ばす手も、まあ止まらなかった。
「ごちそうさまでした」
恵方巻きも食べたというのに、卓上の飲食物はあっという間に全て空になった。代わりに腹は、いっぱいなのだが。
ああ、ただ。節分といえば。
「そういや豆ももらったけど、どうする? 歳の数食べるか?」
「鬼役が投げつけられた豆持って帰ってちゃ世話ないですねぇ。……しかし、歳の数、ですか」
うーん、とピエモンは首を捻る。
「どうした?」
「ああいや、年齢を数えるという風習がこれまで希薄だったので、具体的な数字が思い浮かばなくて」
そういや寿命も人間より長いんだったか。ならそんなもんなんだろう。
「じゃ、こっちの世界に来て1年って事で、とりあえず1個食べとけよ」
それはいいアイデアですねとピエモン。
俺は破いた袋から豆を1つ、ピエモンのデカくて白い手の平に乗せる。小さい豆が、余計に小さく見えた。
「では、いただきます」
当然、ひとくちで消える豆。
しばらくがりがりと炒り豆を砕く音が響いてーーやがて、僅かにピエモンは仮面の下の眉間に皺を寄せた。
「正直、そんなおいしい物でも無いですねぇ。風味は香ばしいのですが、口に延々残るといいますか」
「そういうモンだよ」
「これが年々増えるんですか」
「増えるんだよ」
人間の世界も難儀ですねと、ピエモンは肩をすくめて、しかしどこか、次回を思い描いて楽しみにしているのが見て取れるように微笑むのだった。
鏡開き編:もちグラタンと赤ワイン
正直なところ、1月の3分の1が経過したーーようするに「正月は終わった」と言われてもまだピンと来ない。
うちのサーカスの場合、ではあるが、この時期の興行は施設等からの招待がメインだ。
気候のよろしくない期間に屋外テントでの公演なんぞしようものなら、演者どころか客まで地獄を見る羽目になるためだ。
そういう訳で、俺達の新年1発目の仕事もその類で、名目上は初笑い新春サーカスショーときた。
多分余程の事が無い限り国民の大半は初笑いを三賀日の内に済ませていると思うが、とりあえず1月いっぱいはスケジュールはずっとこんな感じで、俺達は仕事のせいである意味正月ボケという、なんだかよくわからない状況に置かれているのだった。
「妙に疲れましたねぇ。休み中もトレーニングは怠っていなかった筈なのですが」
業務終わりのミーティングを終えて職場を出るなり、ジェスターの姿のままのピエモンがううんと身体を伸ばす。
「まあ休み明けってそういうもんだよ。ウィッチェルニーじゃ学校? に通ってたんだろ? 長期休みとか無かったのかよ」
「無くは無かったですが、私の場合家もそこでしたからねぇ。平日も休日も関係無く併設の大図書館に籠っている事の方が多かったですし、なんなら卒業後はその大図書館の闇の魔術関連書籍の管理に回されて外に出る必要すら無くなっちゃったので、曜日ごとにスケジュールを立てて行動するようになったのはこっちに来てからなくらいですよ」
私を外に連れ出すのなんて、師匠ぐらいのものでしたし、と、遠い目をするピエモン。
その連れ出された行き先が豪雪地帯だったり、コイツ自身最終的に職場どころか世界も飛び出してこっちに来た訳だから、師弟共々極端が過ぎる。……その師匠もなんかこっちに来てるし。
「じゃ、今日はなんかエネルギーになりそうな餅料理でも作るか。ちょうど鏡開きだし」
「鏡開き?」
「鏡餅はわかるだろ? あれを割って食べるのが本当は今日なんだよ」
当然のように飾りも含めてうちは鏡餅なんて飾っちゃいないし、餅だけなら既に何度か食べているが、行事ごとにかこつける風情くらいは申し訳程度に持ち合わせている。
まあピエモンの場合、うちで飲み食いできるならなんでもいいのだろう。「いいですね」とお疲れ気味だった語調にも弾みが出てきた。
「お餅、好きですよ。暗黒系のデジモンは大概米料理が好きなんです」
「また適当言って」
「これは真面目に研究データがある話なんですよ? なんでもダークエリアで米派とパン派のアンケートを実施したところ、奇妙な程に結果が米派に傾いたという話で」
「誰が何を思って実施したんだそのアンケート」
「ちなみに私は米の酒も好きです」
「同じくらい麦の酒も好きだろうが」
ただ、と。
ピエモンの話が元図書館暮らしの豆知識なのかいつもの与太話なのか判断しきれないまま、今度は俺がにやりと笑ってみせる。
「今日の酒は米や麦じゃなくて、葡萄でできたやつの方が合うと思うぞ?」
「え?」
餅、と聞いて、完全に和食の気でいたのだろう。
実際それも悪かないが、このところ一応正月の雰囲気を重んじて和っぽい肴が続いていたので、今日はそろそろ趣向を変えようと思うのだ。
「という訳で、今回は洋の餅料理だ」
*
耐熱皿に丸餅を並べて軽く水を張り、ラップを被せてレンジで加熱する。
この後オーブンで焼くのだが、その上でまだ硬いとなんとも言えない悲しい気分になるので、先に柔らかくしておくに越した事は無いのだ。
餅を細かくカットすれば解決する問題ではあるが、鏡餅に包丁を入れるのは切腹を連想させるのでNGと昔の侍が決めていたらしいのと、「手で砕くのが主流なんですか? それなら」とアスファルトを陥没させられる拳を持ち出そうとした道化がいたのでこの形式を取ることにしたのだった。
断じて面倒臭かったとかじゃないです。
「餅ひとつ取っても色々ルールがあるんですねぇ」
国から支給されているデジモン専用のスマホ風端末で多分Wi○ipediaを見ながら、ピエモンが呟く。
「元々はお餅の側に武具をお供えしていたらしいですよ。来年からはトランプソードの持ち出しも申請しましょうかね」
「「餅の前に供えるから」で申請は通らないんじゃねーかな……」
野菜の下処理の時は(究極体の圧で)通したって話だが、切るものがなくても許可は降りるのだろうか。
いや、刃物として使ってくれない方が国的には安心かもしれんが。
なんてやってる間に加熱が終わったので、残っていた水を捨ててから、餅の上にぶつ切りにした白ネギ、ちぎったベーコンを置いて、ホワイトソースとミートソースを交互に塗り重ねていく。
「紅白でおめでたいっぽい感じがしますね」
「だろ?」
適当極まりないこじつけをしながら2種のソースでミルフィーユを作り、最後にチーズを散らせば下拵えは完了。
オーブントースターに入れれば、後は待つだけだ。
「しかしなんと言いますか」
卓上のトースターの内部を覗き込みながら、ピエモン。
仮面の白い側がヒーターに照らされて橙の色に染まっている。
「絵に描いたような和洋折衷ですね。ネギが入っているのも珍しい」
「餅じゃなくてマカロニで作っても美味いんだぞ、ネギグラタン。……油断するとめっちゃやけどするけど」
まあいい役者はどこに居ても輝くって事だなと括ると、それを聞いたピエモンはくすりと笑う。
「縁起物ですね。我々のような商売をしていると栗きんとんの次くらいにあやかりたいこじつけです」
「かもな。……つってもお前の場合既にお客さんへのウケもいいんだし、そういうのに頼る必要無くないか?」
「そうは言っても、私の場合全てがデジモンとしての能力ありきですからね」
ふっと、ピエモンが目を細める。
「あんまりいいものじゃないですよ、修練無く大体の事がこなせるというのも」
「うわ天才の物言いだ。腹立つ」
すかさず茶化す俺に、ピエモンはやれやれと肩をすくめる。湛える笑みが普段の無駄に意味深な道化のものに戻ったので、俺の対応は合っていたのだろう。
ーーこやつ、これでいて寂しがり屋なところがあるからのう。
去年のクリスマス。
嵐のように訪れて嵐のように去っていったコイツの師匠の艶めかしい唇が描いた言葉が蘇る。
……ぼっちが長いと色々拗らせてしまうのは、なんだか覚えのある話でもあって。
なんて考えている内に、トースターがチンと小気味良い音を鳴らす。
蓋を開けると、チーズはこんがりきつね色。一瞬流れた湿っぽい空気なんて、まるでものともしていない。
2人分いっぺんに焼いたのを取り分けている内に、ピエモンがグラスへとワインを注ぐ。今回は正真正銘料理用と兼用の安ワインだが、洋酒は入れ物を変えるだけで随分と様になるものだ。
「あ〜、いい匂いです!」
「マジで熱いから気をつけろよ。加熱したネギの中身と焼いた餅は凶器だからな」
「そう解っていても熱々を食べたくなるんですから、本当に恐ろしいものですね」
わざとらしく怯えたように震えてみせる、他のデジモンからすら畏怖される究極体魔人型。
でも特に餅はホントに洒落にならないので、気をつけてくれるならそれに越したことはないのだが。
何はともあれ、スプーンを出して、準備は完了だ。
「いただきます」
手を合わせてから、俺達はスプーンの先端を溶けたチーズの焼き目へと突き立てた。
途端、ただでさえ湧き立っていた湯気が、チーズの隙間からほわ、と噴き出る。
ふーふーと何度も息を吹きかけてから、引っ張って千切った餅と絡めてすくったグラタンソースを口に運ぶ。
これだけ気を付けてなお舌の上に降り立ったグラタンはまだまだ熱くて、はふはふと息を出し入れしながら隣を見やると、案の定ピエモンも似たような調子で。
だけどやっぱり、多少熱かろうがなんだろうが、いい役者はいい仕事をするもんだ。
「伸びる餅にソースとチーズがよく絡んでおいひいですね。ネギもすごく良いアクセントになっています」
「だろ?」
小休止に今度はワインを一口。
ボジョレと違ってフレッシュさを欠いたそれは渋みがやたらと目立って入るが、今この瞬間は、それなりに冷えた飲み物というだけでも十二分に価値があって。
初仕事終わりとあって、腹もしっかり空いていた俺達は熱い熱い言いながらもあっという間に餅グラタンを平らげた。
「ふう、ごちそうさまでした」
ワインの最後の一口を流し込んで、ピエモンが満足げに息を吐く。
疲労と寒さ、そして空腹に引っ張られて若干気分が落ち込んでいた事自体、もはや忘れているようだ。
美味しくて温かいメシは、心を少しだけ前向きにしてくれる。
それは才能も種族も関係無い、しかし生きていく上で何よりも重要なメソッドに違いない。
「じゃがいもで作っても美味いし、俺のグラタンレパートリーはまだあるからな。また作ってやるよ」
「おや、それは楽しみです」
やれやれ、正月から判っていた事ではあるが、今年も酒と肴が1人前だけでは続かない日が続きそうだ。
大晦日編:年越しそばとカップ酒
「一応栗きんとんはある」
「びっくりするくらい俗っぽくて、一周回って清々しいですね」
まあ、私達に一番必要なものでしょうしねと、その見事な黄色に金運アップの願いがこもっていると思われる、瓶詰めの栗きんとんを眺めるピエモン。
偏食がひどい父の影響で、実家の新年にはおせちという概念が存在せず、こうやって1人で暮らすようになってからは、単純に金と手間惜しさにおせちの重箱はより縁遠いものとなってしまった。
「黒豆も買うか悩んだんだが、あれ、確か「まめに働け」って意味だろ? 働いてるが?? って思ったら、ちょっとな」
「……健康を願う、的な意味もありませんでしたっけ?」
「ある。あと魔除けの意味もあるぞ」
「あー、それは困りますね。私、どちらかと言えば魔の者なので」
お正月から除け者扱いは悲しいです、よよよ。と、それっぽく泣くような仕草を見せるピエモン。
だから買わなかったんだよと、俺は予算の都合を美しい友情で誤魔化すのだった。
「にしても」
俺は沸騰したお湯にそばを2袋空けてから、改めてリビングの方にいるピエモンの方を見やった。
「仕事でもないのに外泊許可なんてよく出してもらえたな。施設の職員さん忙しく無いのかよ」
除け者云々言っていたピエモンであるが、コイツ、普段暮らしているデジモン用の居住施設に外泊届を出して、あろうことか俺の家に転がり込んできたのである。
年が明けたら餅料理でも振る舞ってやるかと思っていたのだが、大晦日から三が日にかけて、どうやら俺は、自分用以外の肴も用意する必要があるらしかった。
「むしろ年末年始は施設外で過ごすのを推奨していましたよ」
「そうなのか?」
「ええ。最も、本当ならデジタルワールドに帰省して欲しいという意味だったのでしょうが、究極体を施設内に置いておかなくていいならこの際勤務先の同僚の家でも良かったのでしょう」
いいのだろうか。
いやまあ、許可が降りた以上は、いいのだろう。うん。
役人さん達だっておやすみ欲しいわな。
「……ひょっとして、ご迷惑でしたか?」
「後から心配になるくらいなら次からはアポ取れよな」
言いつつ、ピエモンが誤解しない内に「別にいいよ」と俺は続ける。
「元から年越しそばと、初飲みの準備はしてあったしな。それに、食材は持ってきてくれたし。床しか寝るとこが無いのと狭いのは文句言うなよ」
「そこは大丈夫です! 慣れてますから」
「地味に文句より傷付くんだが??」
俺の家に泊まれると見るなり、にわかにピエモンのテンションが上がって見えた。
ま、折角の新しい年だ。どうせ実家には帰らないし、ゆっくり過ごすのは1人の時に出来るのだ。友人と愉快に年越しなんてのも、きっと悪くは無いだろう。
そうこうしている間に茹で上がった蕎麦をざるにあけ、軽く水洗いしてから、先に温めてあった蕎麦用の出汁の中に入れてほんの数十秒だけ火にかけ直す。
しっかりと温まった蕎麦と出汁を2人分に分けて、最後にネギを散らせば完成だ。
「七味持っていきますね」
「それと天かす出してあるだろ? それも頼むわ」
了解しましたよ、と、冷蔵庫から七味と、その隣に置いてあった天かすを持っていくピエモンに続いて、俺もどんぶりによそった蕎麦を運ぶ。
机の上には既に箸とワンカップの酒も置いてあって、俺たちの食べ収めと飲み納めの準備は万端だった。
「いただきます」
どちらともなく手を合わせててから、お互いまずは蕎麦をすする。
外国人が麺をすする音を嫌うというのは有名な話だが、デジタルワールドからの来訪者はそうでもないらしい。
いつものだし醤油の風味でしか無いのだが、温かい蕎麦は冬の空気を僅かに馴染みやすいものにしてくれる。
俺は室内にもかかわらず白い息を湯気に混じらせながらまた蕎麦を一口すすって、それから、カップ酒の蓋を開けた。
透き通った酒は水にも見えるのにしっかりと辛口で、安物なりに安い蕎麦にもよく合った。胸の奥からじんわりと、身体が熱を帯びていく。
「天かすもらいますよ」
「好きなだけ入れていいけど俺の分は置いとけよ」
わかってますよとわざとらしい含み笑いを浮かべて袋を持ち上げるピエモン。
どれだけヤバそうな道化のムーブをかましたところで、持っているものが持っているもののため、何ひとつとして様にはなっていないのだが。
とりあえずピエモンがそっちを入れているならその間に、と、俺は先に七味を蕎麦に振るう。
「……あなたが「年越しそばは家にあるカップ麺でいいよな?」と言うタイプのニンゲンじゃなくて、本当に何よりです」
「うちで辛くないカップ麺が食べたいなら自分で買ってくるこったな」
俺のカップ麺ストックを七味の量で思い出しているらしいピエモンから交代で天かすの袋を受け取って蕎麦の上に流し込む。
ざらざらと音を立てて溢れた天かすはすぐに黄金の小島と化して、心なしかおめでたい感じに見えた。
えび天を買うか、俺たちは大分悩んだのだが、スーパーの大えび天が立派なのは衣ばかりで割高だ。
一応海老は別に買ってあるし、ならいっそ天ぷら衣だけでいいかと天かすを買ってきたわけだ。
もとより俺たちは○亀製麺でうどんに天かすを乗せるタイプ。人目を気にする必要が無い自宅ともなれば、かけ放題でやった方がなかなか楽しいもので。
入れたばかりの天かすはさくさくで、時間経過と共に出汁が染みてふんわりと柔らかくなる。
「幸せな気持ちになりますねぇ」
温かい蕎麦とカップ酒を行き来しながら、ピエモンが表情を綻ばせる。
「だな」
安月給の人とデジモン2人のケチくさくて寂しい年越しだと言われると、何の反論もできないのだが。
でも、こんな気持ちで新年を迎えられるなら、来年もまあ、悪い年にはならないだろう。
*
食卓を片付け終わると、ちょうどどこからか除夜の鐘が聞こえてきた。
「おう大丈夫か魔の者」
「私は美しく清らかな心を持つ魔の者なので、除夜の鐘は問題はありませんよ」
「よく言うよ」
「むしろ煩悩の化身という意味では、あなたの方が心配です。……おや、心なしか身体が透けて見えてきているような」
「ぐあー、なんてこった。このままじゃ消滅してしまうー」
「まあ108回の鐘の音で消滅する程やわな方だとは思っていませんよ。来年も元気に頑張ってください」
「HAHAHAその言葉そっくりそのまま返してやるぜ暗黒属性究極体」
ところで、と、俺たち式の暮の挨拶が終わるなりピエモンが話題を切り替えてきたので、俺も何ごとも無かったかのように「何だよ」と返す。
「ニンゲンの遊びに、年の変わり目にその場でジャンプして、「今年の初めは地球にいなかった」みたいな事を宣うものがあるそうじゃないですか」
「あー、なんか聞いた事あるな」
「あなたさえよければ」
いたずらっぽくウィンクしながら、ピエモンが人差し指で天井……ひょっとすると、もっと上のどこかを指し示す。
「多分この地球上で一番高い「地球じゃないところ」で新年を迎えるのも、やぶさかではないのですが」
「……怒られないか? それ」
「「ちょっと」跳躍するだけですし、大丈夫ですよ。……多分」
コイツ、そのノリでデジタルワールドからこっちに来てしこたま怒られたって話なのに……懲りない奴だ、全く。
それでも俺は、きっと誰も過ごしたことのない年明けに一瞬心が揺らいで。
「いいよ、外寒いし」
しかし結局、この部屋の中よりさらに冷え込んだ夜の空気を思って、思い止まった。
「えぇー。いやまあそれはご最もですが、想定してませんでしたね、その断り文句は」
「第一、ああいうのってつまり、友達と過ごすなら何しようがどこだろうと楽しい、ってヤツだろ?」
「……じゃ、無理に特別な事しなくてもいいですね」
「そういう事だよ」
お互い照れ臭い事を酒のせいにして言いあって、空気にも酔っ払いながら、今年がゆっくりと終わっていく。
良いお年を、俺たち。
……さて、明日は何をつまみに、酒を飲もうかな。