ホワイトデー編:もやしと無限えのきと缶ビール
「……」
「……」
「……もやし、おいしいデスネ」
「ソウダネ」
「ビールにもよく合いますネ」
「ソウダネ」
いつになくどんよりとした空気の中、俺とピエモンは鶏がらスープの素で和えた茹でもやしを1本1本ちびちびとつまみながらビールの缶を傾ける。
別に、嫌なことがあっただとか、喧嘩をしただとか、そういう訳じゃない。
単純に、2人して懐が寒いのだ。
ようやく暖かい季節がやってきたというのにーーいいや、出費が激しくなったのは、今月が3月だからに他ならないのだが。
3月14日。
俗に言う、ホワイトデー。
人間(ピエモンはデジモンだが、まあ今は人間の世界のルールで生きているって意味で)、もらった贈り物にはお返しを用意しなくてはならない。
幸い。正直これを幸いと言い張るのも虚しいのだが、幸い。俺もピエモンも、もらったチョコの数はお互い4個ずつ。数だけなら大した問題ではないのだ。……幸い。
内2つはサーカスの先輩と団長の奥さんが新入りである俺達に施してくれたものなので、あまり気を張った贈り物をすると逆に失礼になるだろうと、貰ったものと大体同じくらいの値段のものを用意した。
俺がワルダモンから貰った分はピエモンのついでみたいなもんだし、ピエモンが施設の職員から貰ったのも所属デジモン全員に配られたものらしいので、こちらも「それなり」で良いだろうというのが俺達の出した結論だった。
なので、問題は残りの1つずつである。
俺がフウマモンから貰った分と
ピエモンがワルダモンからもらった分
「もうすぐホワイトデーじゃの〜楽しみじゃなあ。妾の可愛い可愛いバカ弟子は、妾にかようなお返しを用意してくれるんじゃろうなぁ。ホワイトデーのお返しは3倍と言うものなあ? ……いや、5倍じゃったかのお?」とこいつのデバイスから漏れてきた妖艶なお強請りボイスと、ピエモンのただでさえ白い顔が更に蒼白になっていく様は、聞いているだけで見ているだけで、思い出すだけで気の毒になる程で。
コイツのチョコを「母チョコの部類」と分類したのは、なるほど、確かに間違いではあった。
師匠チョコ。その力関係も含めてなんて恐ろしいチョコなんだ……。
で、俺の方はと言えば、シンプルにフウマモンがくれたチョコがかなりいいヤツだったのである。
値段を調べて軽くひっくり返った。少なくとも、ピエモンと同じ給料を貰っている奴が気軽に手を出せる値段ではなかった。デジモン同士でもこれだけ格差があるものなのかと、俺はこの悲しみを背負った宮廷道化が重ねて可哀想になるのだった。
まあそれはさておき。
何にせよ、最初に言った通り、貰った以上は返すのが筋だ。
聞けばワルダモンもフウマモンもロードナイトモンの直属らしく、角を立てないためにも被らず、それでいて同じくらいのお返しにした方がいいだろうと共に返礼品選びに出向き、帰る頃にはすっかり財布の中身とお別れする羽目になった哀れな安月給達は、こうしていつもよりも安い肴でいつもより更に安いビールを煽って、紙幣に描かれた偉人達に向けた少し遅めの送別会を開催するのだった。
もやしはいい。
なんだかすごく節約している気になれるので、金が無いならそもそも飲まなければ良いのでは? という理性の声も誤魔化してくれる。
「いや、やっぱりよく無い」
「え?」
しゃくしゃくと言葉数少なくもやしを食んでいた俺は、しかしいよいよ我慢できなくなってその場から立ち上がる。
「もう1品……もう1品、作る!!」
ピエモンが目を見開きながら、つるんと今咥えていた分のもやしを吸い込んで、数回噛んで飲み込んだ後「落ち着いて下さい」と口を開いた。
「ここでもう1品作ってしまったら、何のためにもやしだけで済まそうとしたのかわからなくなってしまいます。ホワイトデーのホワイトとはもやしの色。そう思う事にしたじゃないですか」
普段ならむしろ自嘲混じりの軽口を叩いて薄い懐を笑うピエモンが、何も言わずにホワイトデーのホワイトはもやしホワイト論に同意したくらい、今回の出費は痛手だった。
ホワイトデーだけではない。季節の変わり目は、何かと入り用なもんなのだ。
だけど、だけども。
「節約は必要だろうけど、酒の席に哀しみを持ち込むのは……違う。違うんだ。これじゃ酔ってるのは酒じゃなくて貧乏になっちまう。せめて……せめてもやしを卵と一緒に炒めるくらいはするべきだった……!」
「待って下さい。今、卵結構お高いじゃないですか。それにもやし、普通においしいですよ。だから、今日はこれでいいんじゃないですか?」
「あとここでホントにおつまみをもやしだけにすると、後で小腹が空いて夜食が欲しくなるなりして、最終的にむしろ高くつきそうな気がするんだ」
「そういう所、無駄にクレバーですね。安心しました」
魔法学校一の天才だったピエモンにお墨付きをもらったところで、俺は台所へと移動する。
なんだかんだ言って、おつまみにもう一声欲しかったのはアイツも同じなのだろう。俺の分を残しておこうという気遣いがうかがえる謙虚な速度でもやしを咀嚼しつつこちらを見やる赤い瞳には、ちょっとした期待も感じられて。
「さて……」
まあ引き続き金をかけていられないのは事実、というか現実だ。なので、選択肢は自動的に、冷蔵庫の中身で作れる物に絞られていく。
俺は野菜室から、もやしほどでは無いにせよ家計の味方には違いない白いキノコ、えのきを取り出した。
「それから、っと」
ついで手に取るのはピーマンの袋。数日前にも料理に使ったので開封済みだ。早く使うに越したことはないだろうと自分に言い聞かせる。
後は流し台の下の缶詰スペースから、ツナ缶を1つ取り出せば材料は以上だ。
鍋にツナ缶の中身をオイルごと空けて、火を点ける。
油が十分に温まってぱちぱちと音が聞こえてきたら、根本を切り落としたえのきと細切りにしたピーマンを投入。ツナとしっかり絡めて、えのきが軽くくたっとなるまで火を通したら、酒と鶏がらスープの素、少しだけ醤油を垂らしてもう一度よく混ぜれば、あっという間に完成だ。
「お待たせ。ホワイトデーおつまみ第2弾、無限えのきだ」
無限ピーマンだとかキャベツだとか、誰がいつからどういう定義で言い出したのか。実のところよくわかっていないので本当にこの料理の呼称がこれで合っているのかよくわからんのだが、個人的にお気に入りの、酒でも飯でも箸が進むレシピなのでとりあえずそう呼ばせてもらう事にした。
食卓に置くと、おお、とピエモンも顔を綻ばせて感嘆を漏らす。
「では、早速」
いただきます、と、改めて口にしてから、ピエモンが箸でえのきを摘む。
もやしよりも歯応えを感じるしゃくしゃく音の後、道化はさもご機嫌そうにビールを傾けた。
「味付けはもやしとそう変わらないのですよね?」
「まあな」
「食材で随分と雰囲気が変わるものなのですねぇ。美味しいです」
俺もピエモンに続いて無限えのきを口に運ぶと、えのき特有のとろみにツナと鶏がらスープの素がよく絡んでいて、風味がより豊かに感じられる気がする。
ピーマンを混ぜたのも正解だった。彩りにも食感にも、アクセントを与えてくれている。
「食感の違いが楽しめるからですかね? 心なしか、もやしも先程より美味しく感じられるような」
いや、元々もやしも美味しかったのは本当ですよ? とピエモン。
そりゃもちろん、もやしは優秀な食材だ。安くて調理に手間がかからなくて、その上で美味い。
だからこれは気分とかノリとかそういう問題で、俺が今日ケチるべきじゃなかったのは、きっとそういう部分だったのだろう。
「まあしばらく酒も肴も節約気味になるとは思うけど、工夫できなくはないからな。どうせ宅飲みは今月中もまたやるんだろ? じゃあ、次回はもやし料理リベンジって事で」
「やれやれ、薄給も極めると芸事に繋がりそうですねぇ。頼もしい事です」
「からしと一味と山椒、好きな辛みを選ばせてやろう」
「……あの、できればピリ辛くらいで留めておいて欲しいのですが」
お互いの軽口が、いつもの調子を取り戻す。
財布の中身は重くあってみたいものだが、酒の席の空気はこんなものでいいのだ。
次の献立や来月から本格的に再開するサーカスでの公演。そんな話に花を咲かせながら飲むと、いつもより安いビールの喉越しも、なんとなしに爽やかに感じられたりするのだった。
あとがき
滅茶苦茶気に入っていたおつまみじゃがりこ麻婆豆腐味がついに近所のスーパーでは出回らなくなり、静かに涙を流すアカウントはこちら、快晴です。
はい、というわけでこんばんは。『宅飲み道化』の春編まとめをご覧いただき、誠にありがとうございます。
冬に比べるとわかりやすい行事が少ない印象で、その分若干更新頻度が減っていた気がするのですが、代わりに1話が長めになっている印象ですかね。
春でこんな感じだと夏、どうすっかなと、思わなくは無かったり……海? 海行っちゃう?
実はありがたい事に超DIGIコレに参加させてもらう機会を得て、恐れ多くも無配ペーパーなるものまで『宅飲み道化』で作らせてもらったのですが、今回はTwitter限定話がその無配の公開版になります。
地味〜にサロン限定版のお話とも連動しているので、よければチェックしてみてください。
さて、宅飲み道化もいよいよ折り返し。
次の夏編が終わると、秋編で締めくくりに入ります。
次回のTwitterでの公開は、多分5月の後半、遅くても6月の前半くらいになるでしょうか。またいいレシピが思いついたら、その時に。
では、改めてここまで読んでくださり、ありがとうございました!
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。