多綱蓮(たずな れん)は動画配信者である。
《くるーえる》という名前でネットの世界で活動しているが、ハッキリ言ってそこまで名の知れた訳ではない。
だが、本人はそれでも本業と兼業して楽しく活動しており、それに自分なりの誇りを持っている。
それは動画配信の中で知り合った《炭水化物》という人物も同様で、趣味も通じるものがあった為にネットの知り合いの中でもかなり上位に入るほどの仲であった。
そんな彼が、自分の目の前で怪物となった。
少なくとも、彼自身はそう感じた。
だから彼は、その怪物となった友人と共にプレイしていたゲームを終えると、すぐにその友人がいるであろう場所へと走った。
「いない…!」
確かこの機体だった筈だ。
友人が、チュートリアルをこの機体で行うのを確かにこの目で見た。
そのすぐ後に、自分は彼がチュートリアルが終えるまでの間にでもとゲームをやっていたので、その後のことは分からないが、ゲーム中に機体を変えるなどという非効率的な行為はしない筈だ。
「何処に…!えっと…た、炭水化物さ〜ん!!!」
名前を呼ぼうにも、彼のフルネームを知らない。
叫ぶには珍妙なそのユーザーネームを言うしかなかった。
騒つく周囲を気にせず、多綱は叫び続ける。
そんな多綱を誰かが後ろから掴んだ。
「ちょ、ちょっと!くるーえるさん!」
炭水化物だ。
多綱はほっとした直後、すぐに周りの目に気付き、彼の手を引っ張ってゲームセンターを出て行った。
◆ ◆ ◆ ◆
炭水化物こと米咲乾土は、適当な路地裏までネット仲間のくるーえるに連れて行かれていた。
ある程度まで走り、くるーえるは息を整える。
引っ張られたからか、彼に対して米咲は息が全く上がらなかったが、彼の息が整うまでとりあえず待ってみることにする。
「し、心配しましたよ…た、炭水化物さん……」
「あ、す、すみません…。まさかあそこまで大騒ぎするとは……」
「いや、するでしょう!?普通!炭水化物さんが超越者みたいになって!不安になって機体の方へ見たら姿がいなくなってたんですから!!!」
思っていたより友人のことを心配させてしまった様だ。
もう良い大人なのに、ここまで人を心配させてしまったことに流石に米咲にも罪悪感が湧いてくる。
「それは本当に……その…申し訳ないです…。でも変なんですよね…。俺、確かにさっきまでゲームしてた筈なのに、気が付いたらくるーえるさんの後ろで立ってて……」
「は?立ってた?」
米咲の言葉に、くるーえるは疑問符を浮かべた。
機体は座ってゲームをプレイするものの筈。
それなのに【気が付いたら立っていた】?
「あれ?」
くるーえるが考え事をしていると、彼の背後の先に気になるものが見えた。
ゴミ箱に上半身を突っ込んだ子供の姿が見えたのだ。
「うわああああああああああああ!!!!!犬神家!!!!!!!!!!」
「え?何が……わああああああああああああ!!!!!犬神家!!!!!!!!!!」
二人は急いでその子供へ駆け寄り、足を引っ張る。
無事に子供はゴミ箱から解放され、そのまま地面に尻餅を付いた。
「いてて…だ、大丈夫?」
米咲はゴミ箱に食われていた子供の方を見る。
そして、彼は一瞬固まる。
それは隣にいたくるーえるも一緒だった。
「ヒカリ……ちゃん…?」
そう、雰囲気は違えどその顔はゴーストゲームのサポートAIのアバターと全く同じ顔だったのだ。
眠たげな表情をするそのヒカリ似の少女は、特に礼も言わずに米咲の顔をジッと見つめる。
「……アヴェンジキッドモン…」
「!?」
それは米咲がさっきゴーストゲーム中に変身したホログラムゴーストの名前だった。
だが、ゲーム内にそんなゴーストは存在せず、その名前も米咲の頭の中に自然と流れ込んだものの筈だった。
つまりそれは、米咲本人しか知らない筈の文字列。
「キミ、名前は?大人の人とは一緒じゃないの?」
米咲が固まる中、くるーえるが少し動揺しつつもその少女の目を見て尋ねる。
少女はまた何も答えずに、くるーえるをジッと見つめる。
「……先に名前を名乗った方が、相手は心理的に落ち着くらしい」
「えっ…」
ごもっともな事を言われ、今度はくるーえるが止まった。
そんな彼を割り込む様に、米咲は口を開ける。
「俺は米咲乾土」
「い、言うんだ…まぁそっか…」
躊躇なく名乗る米咲に少々驚きながら、くるーえるは一旦咳払いをして答える。
「多綱蓮。キミは?」
「………」
少女は何故か考える素振りを見せて「じゃあ」と口を開く。
「八神(やがみ)……八神……ヒカリで」
「え?何その今決めたみたいな感じ」
くるーえること多綱が困惑していると、いつの間にかヒカリは米咲と多綱の間を通り抜けていた。
「名前がそんなに大事なの?」
その一言だけを残して、二人が振り返った瞬間にはヒカリの姿は消えていた。
「何なんだ…一体…」
「それはこっちの台詞かな」
多綱が突然消えた少女に驚いていると、今度はショートヘアーの女性に声をかけられた。
「次から次へと…!」
もう頭が限界の多綱は髪を掻きむしるが、そんな事はお構いなく女性は彼等に近づく。
「その声…貴女は…」
多綱は頭がパンク状態で全く気が付かなかったが、米咲はその声に聞き覚えがあった。
そう、アヴェンジキッドモンとなった米咲と白い竜人の戦いに割って入ってきた謎の兎耳の獣騎士の声と同じなのだ。
「武藤稲菜(むとう いな)だ。初めて会った時はディルビットモンだったな」
「……米咲乾土です」
「あのぉ!?何でそんなあっさり自己紹介できるの!?しかも本名で!」
当たり前の様に話し合う二人に、多綱は全く着いて来れずにいた。
超越者の乱入、友の超越者化、謎の幽霊少女、そしてまた謎の女。
こんな事が立て続けに起きて、着いて来れる方がどうかしている。
「悪かった。だが、私的には君とも話がしたいんだ。くるーえる……だったかな」
「え……俺とも?」
完全に蚊帳の外と思っていた多綱に、予想外の言葉がかかる。
「あぁ、君は確かに今は部外者だが、知っておいても損は無い。我々、【EULEr(オイラー)】のことを」
「「おいらー???」」
二人は声を合わせて、その名前を口にした。
◆ ◆ ◆ ◆
「超越者。我々はそれを究極体と認識している」
「認識?」
超越者が一部で究極体と呼ばれているのは、多綱も知識として知っている。
だがそれより、「認識している」という武藤の言い方が気になった。
彼等は今、ブルースクリーン2区にあるフードコートで食事をしながら話していた。
「超越者に変わった瞬間、頭の中でそう感じたんだ。君もそうじゃないか?」
そう言って、武藤は今まさにハンバーガーを頬張ろうとしていた米咲に目をやる。
米咲は口を大きく開けたまま、気まずそうに頷いた。
ユーザーネーム的にライスバーガーにすれば良いのに、と頭を過りながら多綱はその摩訶不思議な現象について腕を組む。
「情報が入ってきたってことですか?まぁ…精神をデータ化しているから、不思議なことでは無い……のか?だとしたらその情報は何処から…」
「それは分からないな。不思議なことに、そこまで興味が湧かないのが事実な訳だし」
武藤はエビ天ぷらうどんを啜る。
「いやいや、湧いてくださいよ。明らかに変でしょあんなの」
たこ焼きを頬張る多綱。
「でも…武藤さんの気持ち、分かる気がします」
ハンバーガーを半分ほど食べ終えた米咲は、武藤の意見に賛成する。
それに多綱は「え?」と声を漏らした。
「俺も何で究極体になったのか…それに対してそこまで疑問に思えなくなってるんです。何というか……それが当たり前みたいな」
「ウッソ……マジですか?」
「マジマジ」
軽い調子で、エビの天ぷらを噛みながら武藤は答えた。
「そんな訳だから、私はこの事情の真相についてはよく知らない。だが、私達の様に究極体になった人間が好き勝手に暴れている事実については黙認はできない」
「それって…あの白い竜人みたいな…」
米咲の言葉に、尻尾ごと天ぷらを口に入れた武藤が頷く。
「シリウスモン。奴は謎が多くてな。さっきも尾行出来たらと思ってやってみたんだが、無駄足だった。どうやら【-a(マイナスアルファ)】の奴等も奴については何も知らないらしいんだ」
「マイナスアルファ?」
また聞かない名前に、多綱が食いついた。
武藤は僅かに残った麺を取ろうと悪戦苦闘しながら「そう」と言葉を綴る。
「究極体で好き勝手に暴れ回る奴等が作ったコミュニティ。まぁ一言で言えば、ヤンキー集団みたいなところかな」
「なるほど…じゃあ武藤さんが言ってた【EULEr】っていうのは…」
米咲の質問に、麺を食べ終えた武藤はその場にあった紙とペンで何かを書き始める。
Evolved that Undoes the Last Error
「最後のエラーを正す進化体。略して【EULEr】。私がリーダーを務める……簡単に言えば、究極体による治安維持部隊ってところかな」
「「リーダー!?!?」」
意外な言葉に、米咲と多綱は声を上げた。
武藤はうどんの出汁を全て飲み終えてから、「うん」と答えるだけだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「昨日、また超越者が出たらしいぜ」
「知ってる。しかも今回は一気に3体も出たって話なんでしょ?」
「フリーマッチにいきなり白い奴が乱入してきて」
「沢山のプレイヤーがボコボコにされたって」
「何だっけ?超越者にやられたら意識失うとか…」
「そうだったら今頃、大ニュースになってるっての」
「みんながそうなる訳ないじゃん」
「だよな〜、安心した〜」
「でも」
「一人、全身麻痺になったらしい」
◆ ◆ ◆ ◆
宇佐美入寿(うさみ いりす)。
何処にでもいる平凡な高校2年生の青年。
自慢できることがあるとしたら、それはゴーストゲームの腕である。
都内最強を決める黄龍杯への参加を目指して、練習として昨日もゴーストゲームのフリーマッチを行っていた。
「僕が…練習をしようなんて言わなければ…」
宇佐美は頭を抱えて自室で後悔していた。
昨日やったフリーマッチ。
それに突如として現れた謎の白いホログラムゴースト。
それは周りから超越者と呼ばれるチーターだった。
宇佐美はその超越者に手も足も出ずに負けた訳だが、その際に同じチームメイトもやられてしまったのだ。
それだけなら良かったのだが、そのチームメイトはなんとゲームが終わった後、首から下が全く動けない状態となっていた。
彼は本名も知らない彼女が、救急車で運ばれるのをただジッと見つめるしかなかった。
自分が誘わなければ彼女は無事だったのに。
そんな後悔が、彼の頭の中を占めていく。
瞬間、宇佐美のデバイスがメールを受信した。
もう一人のチームメイトからだろうか。
確か昨日は、用事があるということで彼は練習に参加できなかったのだ。
まぁそのおかげで、彼は無事でいられた訳なのだが。
そんな事を考えながらそのメールを確認する宇佐美だったが、確認した途端に彼は固まった。
それは、メールの内容が意外なものであったからだった。
【キジ太郎様、突然のメールを失礼します。
昨日の超越者による事件の際、キジ太郎様のゲームプレイを現地で拝見しておりました。
ですので、超越者による被害者が同じチームメイトの飛鳥様であることも知っています。
単刀直入にお話しします。
超越者を撲滅しましょう。
あの化け物共は、最早ゲームだけの話では無い。運営も動かない今、我々が動くしかありません。
貴方様も、あの超越者には恨みがある筈です。
我々は、貴方様のような超越者に恨みを持つ者により結成されたコミュニティです。
貴方様のような上級プレイヤーがいれば、我々のコミュニティはもっと強くなれます。
是非とも、コミュニティの参加をお待ちしております。】
「何だよこれ…超越者を撲滅する……コミュニティ…?」
《キジ太郎》というのは、宇佐美のユーザーネームだ。
そして《飛鳥》というのは、全身麻痺になってしまったチームメイトのユーザーネームである。
確かにゲーム中はユーザーネームが表示されるし、自分も飛鳥の名前を叫んでいた。その上、朱雀杯の内容は公式配信されていたので、自分達が同じチームであることも知っている人間は知っている。
現地にいた者で、その試合を知っている者なら、誰がキジ太郎で誰が飛鳥なのかは簡単に分かるだろう。
それにコミュニティというのも、今のネット社会では別に珍しいものではない。寧ろあって当然のものだ。
だが一番気になるのは、超越者の撲滅?
本当にそんなコミュニティがあるのだろうか。
メールにはURLが貼られてあるが、こんな胡散臭いメールに付いているURLなど進みたくない。
宇佐美はURLを見て、それが世界的に利用されているコミュニティサイトのものであることを理解し、そのサイトへ飛んだ。
◆ ◆ ◆ ◆
Loveform
無数のサーバーを無料で作り、そのサーバー内に同じ趣味等を持つ仲間を集めて交流する世界的に有名な大型コミュニティサイト。
宇佐美もここで飛鳥や園長と出会ったのだ。
宇佐美はキジ太郎として、キジの様なアバターの姿で、このLoveformのメインサーバーへとアクセスしていた。
「えぇと…ここは検索して調べた方が無難かな…」
キジ太郎は「超越者」「撲滅」と検索してコミュニティを探してみる。
すると何件かヒットしたが、トップで出てきたコミュニティがメールに書いてあったコミュニティ名と完全に一致していた。
【ペリメトロス】
◆ ◆ ◆ ◆
「待ってましたよキジ太郎さん!」
89と大きく書かれただけの無機質なアバター が、ペリメトロスのコミュニティルームに入室したキジ太郎に話しかけてきた。
このユーザーの名前は《89番裏口》。
キジ太郎にメールを送った張本人だ。
「せっかくで悪いんですけど、僕は別にここに入るとは決めてません。ただ、話だけでも聴いてみようと思いまして…」
「それだけで充分です!ささっ!リーダーがお待ちですので」
そうやって、キジ太郎はリーダーがいるらしいエリアへと案内される。
案内と言っても、ただ89番裏口が貼ったリンクを押せばいいのだが。
しかし、何度考えても分からない。
超越者を撲滅というのはどういう事なのだろうか。
普通に考えれば、アカウント停止とかそういう話な気がするが、それは運営がやるものではないだろうか。
考え事はそのくらいにして、キジ太郎は用意されたリンクを押す。
コミュニティサイトの機能内でのリンクなので、詐欺とかではないだろう。
リンクを押した瞬間、キジ太郎はとあるエリアへ飛ばされた。
そこには、黄金の騎士のアバターが立っていた。
「やぁ、君がキジ太郎だね」
騎士の頭上に表示されるユーザーネームには《キャメロット》と記されており、名前の初めに星マークが付いている。
コミュニティ作成者の証だ。
つまり…
「あなたが此処のリーダー…ですか?」
「えぇ、キャメロットと名乗らせていただきます。ようこそ、ペリメトロスへ」
「その…ペリメトロスって何なんですか?気になってたんですけど」
出会って早々、キジ太郎は我慢できずに質問してみた。
聞き馴染みのないその言葉が、ずっと気になっていたのだ。
「何でしたっけ…ギリシャ語か何かで『円』とかそういう意味でしたね。みんなで輪になって超越者を撲滅しようって感じで付けたんです」
なるほどギリシャ語。
キジ太郎は特に口にはしなかったが納得した。
確かに語感は、ギリシャ語のそれである。
だが、そこでもう一つの疑問が浮かぶ。
いや、正確に言うと「復活した」。
「その『撲滅』なんですけど、一体どういう事なんですか?確かに僕は超越者に良い感情は抱いていない。でも、一体具体的に何をやろうとしているんですか?」
キジ太郎の質問に、先程はすぐに答えたキャメロットが黙り始めた。
黙るキャメロットにキジ太郎が不信に思うと、キャメロットから小さな笑い声が聞こえた。
「ハハッ…失礼。少々意外な質問だったもので」
「そう…ですか?」
言うほど意外な質問だろうか。寧ろコミュニティ名の由来よりも妥当な質問だと思うのだが。
そうキジ太郎が訝しむが、アバター越しでそんなことが伝わる訳もなく、キャメロットは平然と話を続ける。
「言葉の通りですよ。超越者が現れ次第、奴を殺します」
殺す
ゲーム内でもたまに聞いてしまう言葉だが、キャメロットの放ったそれには本気度が伝わった。
そのあまりに物騒な声圧に、キジ太郎は少し引いてしまう。
「こ、殺すって…それってゲーム内の話…」
「どうでしょうね?少なからず奴らは、ゲームの出来事を現実に反映させることが可能なほどの影響力を持っている。ご存じでしょう?」
キャメロットの言葉に、キジ太郎…いや、宇佐美の脳裏に動けなくなった飛鳥の姿が過ぎる。
「え、えぇ…まぁ…」
「それほどの影響力を持つ超越者…果たしてその影響力は、超越者自身にも与えてしまうものなのか…」
そこまで言って、キジ太郎は分かってしまった。
このユーザーの考えていることが。
「つまり…ゲーム内とは言え、超越者を殺せば…」
「そのユーザーも死ぬ…かもしれません。もちろん仮説ですが」
◆ ◆ ◆ ◆
宇佐美はゴーストゲームにログインしていた。
果実と雛鳥を合わせた様な成長期のホログラムゴースト・ポームモンの姿で、ロビーでとある人物が来るのをただただ待つ。
あの後、キャメロットの指示で一度ペリメトロスのメンバーとフリーマッチを行う事になったのだ。
公式戦にも出る宇佐美の実力を知らない訳では無い。だが、キャメロット曰く「通過儀礼みたいなもの」ということらしい。
何はともあれ、これをクリアすれば無事ペリメトロスに入れるという訳だ。
しかし、同時に不安でもあった。
ペリメトロスに入れるかどうかの不安ではない。
ペリメトロス自体に対しての不安だ。
宇佐美にだって、超越者に対する憎しみはある。
だが、ペリメトロスの醸す空気は何やら危険なものを感じる。
「宇佐美はいつも冷静だよな」
友達に、よくこんな言葉をかけられる。
確かに、我ながらかなり冷静に立ち回れている方だと思う。
だからこそ、ゲームだって冷静な立ち回りが特に要求されるであろう囮役によく抜擢されるし、宇佐美自身もそれが性に合っている。
その冷静さは、言うなれば直感から来るものが多かった。
一瞬冷静さを欠けそうになった時、自然と自らを俯瞰して見始める。
そしてその視点から自分を見る事で直感が働き、宇佐美はそれに従って行動する。
もちろん、それがいつも正しい訳ではないのだが、この直感により頭が一瞬で冷静になって考えを纏めることができるので、自分のこの性質については我ながら助かっているつもりだ。
そして今、その直感が言っている。
ペリメトロスは危険だと。
「お待たせしました」
後ろから段ボールを全身に被った同じく成長期のホログロムゴースト・バコモンが話しかけてきた。
その頭上には《89番裏口》と記されている。
彼をペリメトロスに誘ったあのアカウントだ。
「まさかキジ太郎さんと一緒に戦えるなんて夢にも思っていませんでしたよ。まぁキジ太郎さんの事です。いつも通りやっていただければ問題ありませんよ」
恐らく宇佐美…キジ太郎の緊張を解そうとしているのだろう。
だが生憎、キジ太郎のこの緊張は面接から来るものではない。ペリメトロス自体から来るものだ。
しかしそんな事、ペリメトロスのメンバーである彼に伝えたところで良いことは無いだろう。
それが分かっているからこそ、キジ太郎は「そうだと良いんですけどね」と曖昧な返答をして、89番裏口とチームを組み、フリーマッチモードの入口へと向かった。
◆ ◆ ◆ ◆
【Ready】
キジ太郎の目前に、その文字が大きく表示された。
2人チームでのフリーマッチモード。
最大5チームの合計10人で行うバトルロイヤルであり、予め他プレイヤーとチーム登録をして参加するのもあり。登録せずに即興でAIにチーム登録され初めての相手と一緒に戦うのもありのゴーストゲームで最もポピュラーなモードである。
それ故に、10人のプレイヤーが集まるのは一瞬だった。
【Ready】の文字の後の3秒間、カウントダウンと共に参加メンバーが画面一杯に表示される。
《キジ太郎》《89番裏口》
《モップ大王》《むらぴー》
《虎汁》《野生のたぬきち》
《ちかおま》《TOUCH》
《飛鳥》《園長》
「……ん?」
ある筈の無い、見慣れた名前が見えた。
【GO!】
頭が混乱を始めた直後、無慈悲にもゲーム開始のアナウンスが鳴る。
『キジ太郎ちゃ〜ん。もう始まってるんですけど〜?』
サポートAIのヒカリちゃんの声が聞こえる。
相変わらず神経を逆撫でさせる様な喋り方ではあるが、キジ太郎自身はもうこれに慣れた。
キジ太郎は頭を回し、ワクチン、トリ、リュウのブレイブポイントの場所を確認する。
「……よし!行ける!89番さん!ワクチンとトリのブレイブポイントは僕にください!あとリュウも少しだけ!」
「分かりました!」
相棒である89番裏口の返事を確認し、キジ太郎はステージを駆け巡りながら順調に目当てのものであるワクチン、トリ、そしてリュウのブレイブポイントを集めていく。
基本的に進化先はランダムと言われているが、ずっと使っているキャラなので、どのブレイブポイントをどれくらい集めればどのホログラムゴーストになるのかは大体頭の中に入っている。
キジ太郎の思惑通り、ポームモンの姿にノイズが走り、彼の姿は火の鳥とも言える成熟期のホログラムゴースト・バードラモンへと進化する。
「これで…」
バードラモンとなったことで、キジ太郎は空へ羽ばたくことが可能となった。
キジ太郎は目前で始まっているバトルを無視して、バードラモンが上昇できるギリギリの高さまで飛ぶ。
『えぇ〜?もう戦線離脱〜?臆病者〜!』
『キジ太郎さん!?どうしたんですか!?』
ヒカリちゃんと相棒の89番裏口の声が聞こえるが、キジ太郎はそれを無視してステージ中に目を向けた。
「何処にいるんですか…!飛鳥さん!」
キジ太郎がバードラモンに進化先を選んだ一つの理由。それはステージの全体をこうして眺めることが出来るからだった。
これならきっと、いくら広大なステージでも飛鳥を見つけることが出来る筈だ。
あの、全身麻痺となってゲームすら参加できない筈の飛鳥を。
「おやおや、貴方が焦るなんて珍しいですね」
背後から、聞き覚えのある声が聞こえた。
キジ太郎は背後にある高層ビルの屋上へ目を向ける。
そこにいたのは、ヒョウ柄の布を纏った緑色の子猿の成長期のホログラムゴースト・コエモンだった。
そしてそのコエモンの頭上には、それを操るプレイヤーの名前が。
「園長さん…!」
そう、それはキジ太郎と飛鳥と同じチームを組んでいたプレイヤー《園長》であった。
ゲームが始まる3秒間、そこで表示されたあり得ない名前《飛鳥》と並んでいたもう一つの名前。
キジ太郎にとっては、その名前の登場も実に不可解なものであった。
「一体…何がどうなっているんです!さっきゲームが始まる前に出たあの名前…飛鳥って…」
「えぇ、貴方のご存じの…あの《飛鳥》さんですよ」
園長は平然とそう答え、次に「ほら」と言って地上に目をやる。
園長の視線の先を見ると、サイと恐竜を合わせた様な成熟期のホログラムゴースト・モノクロモンとしてステージを暴れる飛鳥の姿が見えた。
「体は動けなかった筈…。もしかして、症状が治った…?」
僅かな期待から、キジ太郎はそう答えた。
そうだ。本当はそうであって欲しい。
奇跡的に回復して、回復祝いに園長と一緒にゴーストゲームを楽しんでいる。
ただ、それだけであればどれだけ嬉しいことか。
しかしそんな希望も、園長の静かな笑いにより崩れ去る。
「残念ですが…超越者とやらが起こした症状は、そう簡単には治りませんよ。僕がちょっと手伝って、この世界に飛ばしてあげているだけです」
「世界に…飛ばす…?」
「そろそろ…ですかね」
意味深な園長の発言に気を取られていると、さっきまでモノクロモンだった飛鳥は完全体のトリケラモンへとなっていた。
何がそろそろなのかは分からないが、何か嫌な予感がする。
キジ太郎はバードラモンの技である『メテオウィング』を放つ。
これは広範囲に火球を飛ばす技であり、この広範囲攻撃こそがキジ太郎が進化先にバードラモンを選んだもう一つの理由である。
飛鳥を中心に起きた上空からの広範囲攻撃により、飛鳥の側にいたプレイヤーが彼女から離れた。
キジ太郎はその隙を見逃さず、彼女の目前に着地する。
「飛鳥さん…飛鳥さんなんですね!一体……一体何がどうなって…!」
「キジ……太郎さん…」
飛鳥は一瞬だけキジ太郎の方を見て、すぐに彼から目を逸らす。
「飛鳥さん!無事なんですか!?どうなんですか!?」
何も答えようとしない飛鳥に、キジ太郎は痺れを切らしてさらに問いかけた。
『キジ太郎ちゃん、何やってるんですか〜?戦うんならさっさと戦ってくださ〜い!』
「あぁもう、うるさいなぁヒカリちゃん!」
そんな中で、ヒカリちゃんが話しかけてくる。
流石のキジ太郎も我慢の限界で、サポートAIに文句を漏らした。
その瞬間、飛鳥はキジ太郎に向かってツノを突き出した体勢で突進してきた。
少し掠ってしまったが、キジ太郎はギリギリでその攻撃を避ける。
「あ、飛鳥さん!」
キジ太郎は咄嗟に名前を叫んだ。
「黙れぇ!!!」
キジ太郎の呼びかけを、飛鳥は声を荒げて遮った。
そして振り返り、キジ太郎を睨む。
「園長さんが言ったんだ…。何も考えずに暴れろって……そうしたら、私はまた自由になれるって…」
「暴れろ…?どういう…」
「意味なんて知らない!でも…私はまた動きたい!たった1日でも耐えられなかった…。あれが一生続くなんて……死んでも嫌なんだああああああああああああ!!!!!!!」
再び飛鳥はツノを突き出してキジ太郎に突進する。
今度こそ当たる。
そう思ったが、二人の間に頭部がショートケーキで出来たホログラムゴースト ・ショートモンが文字通り飛んできた。
「えっ!?ちょっ!まっ!」
頭上に《ちかおま》と表示されたショートモンは、目の前に技を発動させたトリケラモンが迫っている事に気付いたが、誰かに投げ飛ばされたその状態で出来ることなどなく、トリケラモンの技『トライホーンアタック』に直撃して呆気なくクリーム色の卵となり敗北した。
ショートモンという壁が出来たおかげで、技の直撃を避けることができたキジ太郎は、すぐにこちらの技である『メテオウィング』を繰り出した。
大したダメージは得られない。
そんな事は分かっている。
だが、攻撃を受けたことで一瞬とはいえ隙が出来る。
キジ太郎はその隙を使って、再び上昇して飛鳥から距離を取った。
「飛鳥さん…」
「頼むから……邪魔をしないでえええええええ!!!!!!!!!!」
飛鳥は音割れがするほどに雄叫びを上げる。
すると、トリケラモンの飛鳥の周囲に赤いオーラが現れ始めた。
「何だ……これ…」
「くくく…」
困惑するキジ太郎の耳に届いた笑い声。
そちらに意識を向けると、先ほどまでビルの屋上にいた筈の園長が地面に立っていた。
何か良からぬ事が起きている。
そして恐らく、その黒幕は……
「園長おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!」
キジ太郎は、バードラモンの鋭利な爪を園長に突き刺そうと急降下する。
たかがゲーム。
そんな事をしても、精々このプレイヤーがゲームオーバーになるだけだ。
だが、それだけでもしないとキジ太郎の心は耐えられなかった。
成熟期のバードラモンと成長期のコエモン。
普通に考えて、バードラモンのキジ太郎が優勢だった。
その筈だった。
「うるさい」
コエモンだった園長にノイズが走ったと思うと、次の瞬間そのアバターは完全体のマクラモンへと変わる。
そしてマクラモンとなった園長は、回し蹴りをして迫りくるキジ太郎をビルの壁に叩きつけた。
「な、何っ…!?」
『キジ太郎ちゃん!?何アレ…!いきなりSPがすっからかんになってるじゃん!』
ヒカリちゃんの言う通り、キジ太郎のSPはさっきの回し蹴りだけでいきなり0になっていた。
しかしそれよりも驚くべきは、園長自体だった。
成長期の次の進化系は成熟期のはず。
それなのに園長は、その成熟期を飛ばしてホログラムゴーストの最終進化である完全体になった。
そして、まだ気になる点がある。
「園長……あんた…ユーザーネームは何処に…」
そう、マクラモンになった瞬間、まるでガラスが砕ける様に《園長》と記されたユーザーネームが消えてしまったのだ。
園長は「う〜ん」と少し悩む素振りを見せながら、キジ太郎に近づく。
「名前なんて、そんなものに意味は無いでしょう?まぁ、そういう価値観も人間の好きなところではありますが」
「何を……言って…」
まるで自分が人間ではない様な言い方。
まさかとは思いつつ、キジ太郎は信じたくなかった。
長い間、一緒に戦ってくれたチームメイトの正体が化け物なんて。
「僕はマクラモン。ホログラムゴーストなんていう紛い物じゃない。正真正銘のデジモンであり、四聖獣に使える十二神将(デーヴァ)の一人」
「デーヴァ…?それって…」
「でも、我ながら《園長》という名前はよく考えているでしょう?僕はね、人間が好きなんですよ。先ほどの名前、そしてファッションという文化はとても素晴らしい。だから、本当は何れ人間を管理してみたい。人間園の長になりたい。故に…《園長》」
【デーヴァ】という名前に引っかかるキジ太郎。
そんな中、園長は「ほら」と飛鳥の方を指差す。
「始まりますよ」
園長に言われるがまま、キジ太郎は飛鳥の方を見た。
すると、トリケラモンの飛鳥の体の所々が膨張を始めていく。
「な、何が起きて…」
さっきから、全く状況が掴めない。
しかし、何か良くないことが起きている事だけは分かる。
そして、トリケラモンの体は、爆ぜた。
周囲には炎が立ち込め、爆発の中心にいた筈のトリケラモンの姿は無かった。
代わりに、赤い鳥の姿が現れた。
バードラモンの様に火に包まれている訳では無い。
その鳥には、大きな翼が四枚あった。
その鳥には、赤い目が四つ付いていた。
その鳥には、思わず拝みたくなる程の威圧感を放っていた。
「遂にお目覚めになりましたね。スーツェーモン様」
「スーツェーモン…?」
園長の言葉に、キジ太郎が訳も分からず復唱する。
スーツェーモンの頭上には、マクラモン同様にユーザーネームが表記されていなかった。
だが、直前の状況から考えて、このスーツェーモンとやらがあの飛鳥であることは確かだった。
「まさか…飛鳥さんが超越者に…?」
『ヤバヤバ!ヤバいってキジ太郎ちゃん!あのマクラモンもそうだけど、あの鳥もっとヤバいよ!』
ヒカリちゃんが今まで聞いた事が無いほどパニックになっていた。
だが、その気持ちもよく分かる。
キジ太郎自身も、何が何やら困惑しているのだ。
そんな彼の前に、紫の翼を生やし、両手にはサイボーグ手術が施された様な足の無い竜の姿をした完全体のホログラムゴースト・メガドラモンが現れる。
そのメガドラモンの頭上には、《89番裏口》の文字が。
「超越者…!まさかこんなところで会えるなんて…!」
89番裏口は、言うや否やスーツェーモンに向けて両腕からミサイルを発射する。
その時、キジ太郎の脳裏に超越者を倒した時に起こるかもしれないキャメロットの仮説が響いた。
『ユーザーも死ぬ…かもしれません』
「飛鳥さんが…死ぬ!」
89番裏口が放ったミサイルが、スーツェーモンに直撃する。
「やめろ!やめてください89番さん!」
「何を言っているんです…?ゲームから抜け出すわ、超越者に怖気づくわ…見損ないま」
89番裏口が言葉を言い終わるより先に、爆炎の中から現れた黒い爪が彼の頭を掴んだ。
「なっ!これ!何!」
その爪はスーツェーモンのものであった。
「へぇ…紛い物にしては威勢が良いじゃないか」
スーツェーモンはそう言って、鷲掴みした89番裏口を見下ろす。
その声は確かに、飛鳥のものだ。
「この!離せ!化け物!」
「下等動物が…」
「スーツェーモン様」
爪の力を強めようとしたスーツェーモンに、園長・マクラモンが声をかける。
「お言葉ですが、今はまだ他の四聖獣が覚醒していない状態。人間界に多大な被害を及ぼすと、後々面倒かと」
「……なるほど。なら仕方ないね」
そう言って、スーツェーモンは再び視線を89番裏口に向ける。
「壊すのは心だけにしてあげる。煉獄爪(れんごくそう)」
瞬間、89番裏口を掴んでいた爪に炎が纏った。
「やめろ!」
キジ太郎は叫んだが、もう既に遅かった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
89番裏口の全身は燃え上がり、悲痛の叫びを上げて橙色の卵となった。
そしてその卵は地面に落ち、バラバラに砕け散った。
「ホロタマが…砕けた…」
『嘘……あり得ないんだけど…』
ホログラムゴーストが負けるとホロタマとなり、戦闘不能となる。
だが、それが砕け散ることなど、ゲームのプログラム上存在しない筈だった。
「そんな…飛鳥さん!」
キジ太郎は、飛鳥の名前を叫んだ。
それを聞き、スーツェーモンは彼の方へ視線を向ける。
「何だ、まだいたのか。キジ太郎」
「飛鳥さん…やっぱり、飛鳥さんなんですね。どうして…何が起こったんですか!僕、さっきから意味分からなくて…」
このスーツェーモンが、飛鳥の記憶を持っているらしいことは分かった。
だからキジ太郎は率直に訊いてみた。チームメイトだった飛鳥ならきっと答えてくれる、そう信じていたから。
「分からないならそれで良い。下等動物は下等動物らしく、ただ耳障りな鳴き声でも漏らしておけ」
「……え…」
飛鳥の答えに、キジ太郎はただ立ち尽くすしかなかった。
そしてスーツェーモンとマクラモンを中心に炎の渦が起きたと思うと、二人の姿が消えていた。
【エラーが発生しました。ゲームを中断します】
◆ ◆ ◆ ◆
「くそッ!」
宇佐美は中止になったゴーストゲームの機体から出て、悪態をついていた。
一体さっきから何が起きているのか全く分からない。
園長は自分をマクラモンと言っていた。
確かにマクラモンは、園長が得意とするホログラムゴーストだ。
園長が実は、そのマクラモン自身だということか?
だとして、それは一体どういう意味なんだ?
宇佐美は一旦落ち着く為に、自動販売機で炭酸の缶ジュースを買い、近くにあった椅子に座って一飲みした。
ゲームセンターに設置されたモニターに、ゴーストゲームの宣伝映像が流れる。
そしてそのモニターから、開発会社である「DEVA」という名前が映る。
「デーヴァ…」
園長…いやマクラモンは自分をデーヴァの一人と名乗っていた。
そしてそのデーヴァというのは、ゴーストゲームを作った会社の名前と全く同じだった。
これは、果たしてただの偶然なのだろうか。
悩む宇佐美のデバイスが鳴った。
ペリメトロスからだろうか。
「……ん?」
◆ ◆ ◆ ◆
ゆったりとした落ち着く音楽が流れる空間。
「ご馳走様でしたー」
「ありがとうございまーす」
二人組の女性がその建物から出て、カウンターでコップを拭いていた30代ほどの男性が礼を言う。
何処にでもある喫茶店の、何処にでもある光景。
普通はそう見えるものだ。
「マスター」
「だからマスターじゃねぇって」
厨房の奥から、ノートパソコンを操作しながら若い男が現れた。
マスターと呼ばれた男は若い男の言葉を訂正させるも、すぐに「どうした?」と会話を促す。
「そろそろ時間です」
「あぁ…でも来てくれるかなぁ…」
「どうでしょうねぇ…俺もただ連絡しただけですし、ゲーム中もロクに話してないんで」
若い男はそう言って、カウンターに座る。
「でもあの感じ…貴重な情報源にはなりそうなのは確かですね」
「そっかぁ…。ねぇねぇ羽山(はやま)くん、彼って君のファンだったりする?だったら来るんじゃない?」
マスターと呼ばれた男にそう言われ、若い男・羽山は特に照れもせずに「さぁ?」とだけ答えた。
その時であった。扉が開き、それを知らせる鈴が鳴ったのは。
「あ、いらっしゃいませー!」
顔を覗かせたのは宇佐美であった。
宇佐美は辺りを見渡した後、外にあるその建物の看板を見る。
「あ、あれ…?間違え…ました……?」
「間違ってませんよ」
困惑する宇佐美に、羽山がノートパソコンを閉じながら立ち上がる。
「……あなたが……《野生のたぬきち》さん?」
「おぉ〜流石は有名人」
マスターと呼ばれた男は、まるでおちょくる様に羽山にそう言った。
しかし、羽山はそれに対して特に反応はせず、宇佐美に近づく。
「はい。メッセージ読んで頂けたみたいで何よりです。《野生のたぬきち》改め、羽山善邦(はやま よしくに)です。初めまして」
《野生のたぬきち》
顔は非公開ではあるが、ゴーストゲームではかなりの腕前を持つ強豪プレイヤー。
しかし大会などには興味は無い様で、たまに野良でゲームに参加しているらしい。
そしてそのプレイの仕方も動画で投稿しており、今や人気動画配信者の一人でもある。
あのゲームの後、宇佐美に届いたメッセージは彼からのものだった。
《飛鳥》と《園長》という名前に意識が向いていて忘れていたが、確かにあのゲームに《野生のたぬきち》の名前があった。
つまり、彼はあの一部始終を見て宇佐美に連絡を送ったのだ。
「……キジ太郎改め、宇佐美入寿です。あのメッセージ…ここは本当に超越者のことを…」
「えぇ本当です。ここは超越者のことについて調査している」
「超越者の撲滅ではなく?」
「だったらペリメトロスに入りますよ」
どうやら、ペリメトロスの存在は知っている様だ。
知りつつペリメトロスに入っていないという事は、撲滅が目的ではないというのは本当の様だ。
「気になった事はどうしても知りたいタチでしてね。飛鳥っていうユーザーと貴方が何か気になる話をしてたんで、助けてみたんですが……まさかそのユーザーが超越者になるなんてね」
「助けた…?」
宇佐美は羽山の言葉に首を傾げる。
あのゲーム中、助けられた様なところはあっただろうか?
「ほら、ショートモンが盾になってくれたでしょう?あれ、俺が投げた奴なんですよ」
「あぁ!アレ!」
確かにそんな事があった。
ショートモンのプレイヤーには気の毒ではあるが、アレが無いと宇佐美は飛鳥がスーツェーモンになるあの瞬間を見れなかったかもしれない。
まぁ、それが良いのか悪いのかは分からないが。
「とにかく、俺達は知りたいんです。超越者のことやその他諸々のこと。貴方も同じでしょう?」
羽山に言われて、宇佐美は頷く。
飛鳥までも超越者となった。
そんな飛鳥すらも最悪殺そうと企むペリメトロスとは、到底一緒に活動する気にはならなかった。
それよりも、飛鳥の身に何が起きたのか知りたい。園長の正体、そしてこのゴーストゲームそのものについても。
「話は纏まったみたいだね」
マスターと呼ばれた男が羽山の隣にやってきた。
「所長の府内寧美(ふない ねいび)だ。ようこそ【府内探偵事務所】へ」
手を差し伸べた府内に、宇佐美は握手で答えた。
そして、ここが目当ての探偵事務所だと知り、つい宇佐美を口を滑らせる。
「やっぱり探偵事務所なんでねここ。どう見ても喫茶店ですけど」
「コーヒーが美味しいって評判でこうなったんだよ。ね?マスター」
「マスターじゃなくて所長な!?」
◆ ◆ ◆ ◆
多綱は自宅でパソコンを操作していた。
ゴーストゲームに対して、何か怪しい動きは無かったか。
それをとにかく探していた。
昨日、武藤稲奈という女性から言われたあの言葉がずっと気になっていたのだ。
「それで…どうして僕まで呼んだんですか?」
始まりは多綱自身からの質問だった。
正直信じられないが、超越者と呼ばれるもののコミュニティが存在するらしいことは分かった。
その内の一つ、EULErのリーダーが今目の前にいる武藤だということも。
「彼が呼ばれた理由は分かります」
そう言って多綱は、隣に座っている米咲を見た。
「彼も今や超越者だ。大方、そのEULErとやらにスカウトしたいってところでしょ?」
「まぁ…大体合ってるね」
武藤は紙コップに入っている水を飲む。
「でも、俺は違います。俺は超越者じゃない。あなたも言ったでしょ?俺は部外者だって。なのに、何で俺にまでこの話を…」
多綱の質問はご尤もだった。
それを聞き、米咲も静かに頷く。
そして水を飲み終えた武藤は、ジッと多綱の目を見る。
「君は…超越者誕生の瞬間を他に知っているか?」
「え?」
質問の意図がよく分からなかった。
多綱が混乱する中、武藤は話を続ける。
「超越者の数は決して少なくはない。なのに、誰もその超越者誕生の瞬間を見ていないんだ。今の時代、ネットに一つぐらいは転がっても良いのに……変だとは思わないか?」
「ま、まぁ…言われてみれば確かに…」
「今回の件も動画は出回っているが、米咲君が超越者になっている瞬間は映っていない。《炭水化物》というプレイヤーが敗北し、次に超越者が出現したという流れになっている筈だ」
多綱は、ネットに流出している動画を確認した。
武藤の言う通り、確かにその様な動画に改変されていた。
「本来、その場にいたとしても人間が超越者…つまり究極体に進化した瞬間は認識されない。なのに君は、今もハッキリとその瞬間を覚えているだろう?」
多綱は思わず米咲を見た。
確かに覚えている。いや、忘れるはずがない。
この米咲が超越者になった瞬間を。
「だから君も関係者として呼んだんだ。だが…どっちなんだろうね」
食事を終えた武藤はトレーを持って立ち上がり、二人の顔を見つめる。
「認識させた究極体か、認識する人間か……果たしてどっちがイレギュラーなのか」
そう言って、武藤はその場から戻ってこなかった。
最後の武藤の言葉、あれが多綱の頭から離れなかった。
だからこうして、多綱は超越者誕生のことをパソコンで調べていた。
一つでも目撃情報があれば、それは何らかの手掛かりになる筈だ。
その瞬間、多綱の目にあるネットニュースが流れ込んできた。
【ゴーストゲームに未知のホログラムゴースト 出現。噂の超越者か】
どうやら、今日のゴーストゲームで赤い鳥の姿をした超越者が出たらしい。
それも完全体のホログラムゴーストから変化したという目撃情報もあった状態で。
「これって……超越者誕生の瞬間じゃ…」
ネットニュースになると言う事は、この事態を認識した者が一人以上はいるということだ。
生憎動画は存在しないが、その瞬間を見た人間は確かにそれなりにいた様だ。
「認識されないんじゃねぇのかよ…」
多綱は頭が痛くなり、全体重を椅子に預けた。
一体、何がどうなっているのだろうか。
この意味不明な事態に、多綱は頭を悩ませるだけであった。
◆ ◆ ◆ ◆
八神ヒカリは、相変わらず路地裏を徘徊していた。
名前に反して日光が苦手な彼女にとって、路地裏は気楽な場所だ。
建物の影の中で寝ていると、太陽が動いてその影が突然無くなっていた時には焦ったものだ。
だからこそ、目に入ったゴミ箱にダイブしてしまったのだが、それがキッカケでこの路地裏という最高の空間を見つけることができた。
「キミ、こんなところで一人は危ないよ?」
突然、後ろから男性に呼び止められた。
男性は青い帽子を被り、白のTシャツに青いジーンズジャケットを羽織っていた。
「僕は小根明日(こね みらい)。小さな根に、明日って書いて『みらい』って読むんだけど、分かるかな?」
帽子の男・小根は優しい笑顔を見せる。
しかし、八神はそんな小根をジッと見て彼の顔を指差す。
「違う。あなたは、マクラモン」
そう言われた瞬間、小根は顔色を全く変えないまま、自身の体にノイズを走らせる。
そして小根…《園長》は、その体をキジ太郎達にも見せた真の姿であるマクラモンのものへと変えた。
「流石はデジタルワールド様」
マクラモンは八神ヒカリに手を伸ばす。
だが、まるで間に壁でもあるかの様に、バチン!と衝撃が走り彼女を掴むことが出来なかった。
そして気が付くと、彼女の姿は何処にもいなくなっていた。
マクラモンは小根の姿に戻り、路地裏を吹きぬく風に帽子が飛ばされないようにそれを手で押さえる。
「やっぱり…まだ掴めないかぁ…」
小根は特に焦る様子を見せず、そう言って笑みを浮かべるだけであった。
第二話『Q?』完
誰得あとがき
ってな訳で、ユキサーンさんの『Zero/oneを僕達は行く』の第二話を書かせていただきました。
第一話にマクラモン出て、さらにはゲーム中は本来完全体までしかいないという設定で「これワンチャン、デーヴァ出せるんじゃね?」と思ったのがキッカケで作ろうと思ったので、ユキサーンさんが用意してくださった米咲や多綱の出番がめっちゃ少なくなってしまいました。
続きはいつ書くことになるかは分かりませんが、イメージとしては米咲・多綱・宇佐美の三人で話を回せたらなと思っています。
まぁ話を回すキャラは増えていきそうですが。
これ以上増やしてどうすんのとか言わない。
せっかくのユキサーンさんが書いた話なのに、あまりその色を出せなかったのが反省ポイントですね。
あとサポートAIのヒカリちゃんの存在忘れてたので、急遽キジ太郎のヒカリちゃんのシーンを付け足したので、何か変になってるかもしれません。
え?それ以外にも変なところあるだろって?うるせぇうるせぇ!素人だぞこっちは!!!(謎の自信)
ってな訳で、とにかく情報量が多かったと思うので、元ネタ解説も交えた紹介を。
と言ってもキャラまで紹介すると文字数大変になりかねないので、組織名だけ言いますね。出来る限り手短に。
【-a(マイナスアルファ)】
名前だけ出て構成員が1ミリも出ていませんが、とりあえず解説です。
簡単に言うと究極体の力を使って好き勝手やる半グレ野郎共です。主な敵枠ですね。
名前の由来はシンプルにAIにAを引くと虚数を意味するiになるのでこういう名前になりました。
虚数ってワードが出てきて「虚数!良いよね虚数!」ってなったのも書くキッカケの一つです。
【EULEr(オイラー)】
-aとは違い、究極体の力を平和の為に使うコミュニティです。
劇中では「Evolved that Undoes the Last Error(最後のエラーを正す進化体)」の略であると説明されてますが、メタ的な由来は俺の推しの数学者レオンハルト・オイラーからです。
オイラーさんは色々な数学的発見をした凄い人なんですが、その中で虚数関係のものがあったのです。
長年、数学者の間で「虚数ってなんやねん。ふざけんな」と言われてたのですが、オイラーさんが「待って震えてる」と言って出したのが「オイラーの等式」と言われる「この世で最も美しい数式」であり、これには虚数が使われていたのです。ここからガウスを始めとする数学者達が「虚数ってすごくない?」と思う様になり、虚数が数としての権利を取得していく訳なのですが……まぁ要は虚数が今の立ち位置にいられたのはこの人のおかげという訳なので、この名前になりました。
【ペリメトロス】
超越者(究極体)撲滅を企むコミュニティ。
メンバーは普通のプレイヤーで占めています。当然ですね。
由来はリーダーのキャメロットが言ってますがギリシャ語です。
キャメロットは「円」と言ってますが正しくは「円周」らしく、これがあの円周率πの由来とも言われています。
虚数(ホログラムゴースト)側ではないので、実数由来が良いと思い、かと言って実数由来って数のほとんどやんけと思ったので、数学定数として有名なπを採用しました。
【府内探偵事務所】
超越者やゴーストゲームの謎を調査する探偵事務所。コーヒーが美味いと専らの評判のため、ほぼ喫茶店となっています。
由来はペリメトロスがπを使ったので、それに並ぶ定数としてネイピア数eを使いました。
πが3.14……でeは2.71……なので、この最初の3桁「271」で「府内」って感じですね。
所長の下の名前が「寧美(ねいび)」ですが、まぁこれもズバリ「ネイピア数」からですね。
本当はネイピア数は前述の通りeと書かれるので、「え」から始まる名前にしようかと思ったんですが、どうしても良い感じのが思いつきませんでした。
ちなみに余談ですが、先ほど言った「この世で最も美しい数式」とされる「オイラーの等式」は、虚数はもちろん、円周率πやネイピア数e、そして自然数1と0だけの数を使った式でして、これがもうすごk(オタク特有の早口
あと最後のマクラモンこと小根明日こと園長の衣装が第一話と違いますが、これは彼が服が好きなオシャレキャラなので、衣装は毎日異なりますよという意味合いです。
非オシャレ人間がオシャレキャラを小説で書くとは無謀なことをしますね。正気か?
ってな訳で、ここまで読んでくださり有難うございます。
そしてユキサーンさん、あまり上手く書けなかったかもですが、こんな素晴らしい題材を用意してくださり有難うございます。
それでは