駄菓子屋が一つあった。
私が小学生の頃は大体しわくちゃのおばあちゃんが店番をしていた。
イートインを雑にした様な畳の上に、テレビをぼけっと見ながらいつも座っていた。
その癖、勘は鋭くて、悪ガキが金を払わずにお菓子を持って行こうとすると、今日は手持ちがないのかいと見えているのかの様なことを言うのだ。
私が中学生になると、代わりに高校生ぐらいの孫が座っていて、何が楽しいのか刺繍をしていた。
たくあんみたいな眉毛だったから、私と二人の友達はその孫をたくあんと呼んでいた。
地元に着いてすぐ、ふと思い出した。
「あー……この駅前だけ建物がそこそこあって五分歩くと田んぼが見えてくる地方中心都市の隣県の中心部感、全く最高だなぁ……」
地方のバスは生命線、東京みたいに歩いていける訳じゃない。そんなことも私は忘れていたらしい。街並みの懐かしさに歩きを選んだのが全ての間違いだった。
「ふふふ……迎えに来てもらうんだった」
たった三年で歩くのが当たり前になってしまったが、地方が車社会になるには理由がある。体力があるクソガキだって自転車で爆走はしても走り回れる範囲は限界がある。
私の名前は斎藤灰姫(サイトウ シンデレラ)、親からもらった名前はなかなか適切だったらしい。
嫌味な継母も意地悪な義姉もいなかったが、高校進学の前年に父は東京に単身赴任。翌年、追いかけて東京に行った私と母が見たのは、母と離婚するしないで女と取っ組み合いをする父。
母は周囲の女が全員敵に見える様になって、半年後には私に手を上げ病院へ、母の介護に疲れて父はまた浮気して遂に離婚&再婚。
恋愛面以外は悪い人じゃないのが逆に困る継母と、お互い最悪の親だねと笑い合った義姉がいたが、義姉は自立する為に稼ごうとして裏バイトに巻き込まれて収監されていった。
その結果、こんなところにいるべきじゃないと迎えに来たのが白髪の祖父母だったのはまぁ誤差としよう。両親の血筋を思えば王子の白馬がパクったレンタカーぐらいで済めば御の字とかなってしまう。
「……パクったレンタカーでもいいから家まで送っていってくれる王子様いないかな」
そんなことを考えていると、ふと、すぐ前に白いワゴン車が止まった。
避けて歩こうとすると、そこから一人のドテラを着た女性が降りてきた。
「えと、灰姫ちゃん……だよ、ね? おじいちゃんに言われて迎えに、来た、よー」
誰だこいつという困惑が口に出る。その後、少し考えてその女性のかまぼこ形の眉を見て、もしかしてと口に出す。
「もしかして、たくあん……?」
「あー……灰姫ちゃん達はそう呼んでたねー……まぁ、でも、よかったよ覚えてて。駄菓子屋なんて都会にないだろうから覚えられてなくても仕方ないし」
とりあえずよかったよとたくあんは言って、寒いからとりあえず乗ろう? と促した。
「たくあんがどうして迎えに?」
「おじいちゃん、灰姫ちゃんが心配で乗るだろうバスにいつも乗ってる角田さんに連絡したんだって。そしたら、それらしい子は乗ってないって話になって……乗り遅れてバス停で待ってるか、歩いて向かってるかもーって」
ネットワークの強さを感じる。でも、これは田舎だからというよりも祖父母の家業故だろう。友達にも私の過程状況が伝わっていたらと思うと少し胸がもやっとする。
「それもなんだけど、なんでたくあんが?」
「あ、う、そっちね? それは、斎藤のおじいちゃんが免許返納したからだけど……知らなかった?」
「全然……そうなんだ」
自分の周りが忙し過ぎて、そういえば三年間ほぼ祖父母とは会ってなかった。母方の祖父母は母の入院前に顔を合わせたが父への怒りと母への心配でひどく歪んだ顔しか覚えていない。
「あ、でも、たった三年だから……全然街は変わってないよ、安心して」
それは安心なのかなぁと思ったが、変わり過ぎるよりは確かにいいかもしれない。東京に行ってる間は友達とも連絡をほとんど取れなかった。
「いや、待って、やっぱおかしいでしょ。なんでおじいちゃんが免許返納するとたくあんが来るの?」
「伊藤家と斎藤家は江戸時代に分かれたとか仲良かったとかなんかあるらしいよ?」
それも知らなかったのとたくあんに言われて、私は黙って頷いた。変わってない以前に私は何も知らないらしい。
「たくあん、伊藤って苗字だったんだ。前のおばあちゃんのことも妖怪さとりババァとか呼んでたから知らなかった」
「えぇ……あ、そういえばこれからどこで働くとかって決まってる?」
「いや、何も……」
「じゃあ、うちで働くのはどうかな?」
たくあんの言葉に、はてと斎藤は首を傾げた。
「駄菓子屋で? 雇う余裕あるんですか?」
「時々私が留守にするから代わりに店番してくれる人欲しくて……」
「あてもないし、いいけど……」
それはそれとして職探しはしないとと呟く。
「……そういえばたくあん、結婚した?」
「してないよ?」
「なら、三年は結婚しなくてもせっつかれないか……」
「私、灰姫ちゃんの五つ上だよ?」
「え? 私が駄菓子屋来てる時、制服とかジャージだった覚えが……」
「あー……うん。えと、大学入ってもめんどうだからって店番の時は大体高校のジャージ来てたからかな?」
たくあんはあははと笑った。
そんなことを話している内に、祖父母の家に着いた。観徳院、この地域ではそこそこの規模の神社である。歴史も無駄に古い。実家はその裏手、家を継いだのは父の弟、つまりは叔父さんだが、叔父家族はなぜか別の家から通っている。
氏子の人達が家によく出入りする家で、父は自由がないと言って家を継がず、東京に行きたいと言い続け、行ったら行ったで自由なのは下半身だけになったというわけだ。
祖父母は昔と変わらず歓待してくれた。でも、言葉の端々から、あぁ祖父母と父って仲悪かったんだなというのが見え隠れした。実家には部屋が余り倒しているのになぜか安アパート暮らしで年に一度も父と一緒には祖父母に会いに行くことがなかった時点で察してよかったのかもしれない。
「……義姉さんは悪い人じゃなかったよ」
「そうなのかい」
「でも、自立しようと無理して闇バイトで捕まった」
夕飯を食べながらそんなことを口にする。もう荷ほどきも終え、日も沈んでいた。
「闇バイト……ってあの、強盗とかするっていう」
「そう、一回目は何も知らずやらされて、二回目は事前準備からだったから、決行日に強盗行きますってタレコミしてやったって拘置所で言ってた」
「はぁー……それは、その、勇気出したもんだなぁ……」
「誰かに振り回されるのが嫌になってたからね」
「あらぁ……」
食卓に重苦しい空気が流れる。まぁ、戻ってきた経緯が経緯だし、その話題は当然出る。しかも、どう伝わってたかのか、思ったよりも知られていなくて逆に困る。
「あ、あとたくあんのとこでバイトすることに決まった」
やっと重苦しい空気が和らいだ。
「たくあん……紬儀(ツムギ)ちゃんかい、駄菓子屋の」
そうそうと言いながら、唐揚げを食べる。惣菜の唐揚げより美味しく感じるのは父が家にいないからだろうか。
しかし、紬儀って名前なんだたくあん。
「じゃあ、灰姫ちゃんも『お役目』をするのね」
「陽一は才能はあったが継がんかったし、有二は表は継げたが才能はなかったからなぁ……斎藤側は途絶えるしかないかと」
あれ、変な方向に行っているなと思ったが、楽しそうだし止めるのは躊躇われる。
「紬儀ちゃんも高卒からでお役目果たしとるから大丈夫だとは思うが、じいちゃんもやってるから、式神の作り方なんかも頼ってくれていいからな」
「うん」
『お役目』というのは大分ファンタジーな因習らしい。神社の系統だし、身内以外には知らせないでやる儀式みたいなのがあるのだろうか。
「まぁ、でも顔に傷がついたりしないかは心配ねぇ……おじいさんも全身血まみれになって帰ってきたこともあったし」
「確かにそういう危険はあるなぁ」
これとかじいちゃんが『お役目』中に負った傷だ、と祖父はシャツをはだけて背中に広くついた火傷痕のようなものを見せてきた。
神社の儀式で火を使うというと、火渡りみたいな焼いた薪の上を走る行事とかあった気がする。そういうのあったんだこの神社。何も知らされてこなかった辺りに父がどれだけ実家を嫌っていたがよくわかる。
「灰姫は今、いい人とかいないのかい?」
「……両親がアレなのでなかなする気になれなくて」
お米を口にかきこみながらそう返す。
それはしかたないよなぁと祖父母はうんうんうなずいた。浮気がこじれて一家離散を経験しながら恋愛に希望を持つのはなかなか難しい。
「でも、有二から才能がある子ができてくれれば安泰だが、有二の嫁は才能こそあるが体弱いからなぁ……無理に子供作ろうとするのは難しかろうし……」
叔父もこのお役目の関係で大分苦労しているらしい。そういえば、父より15歳下の叔父は、優しくていい人なのに父からひどく嫌われていた。その理由は神社の仕事に深く関わっていたからなんだろうか。
「場合によっては、伊藤家か余所の斎藤から誠実そうな男見つけてきたほうがいいかもしれんなぁ」
「おじいさん、灰姫は今年十八になったばかりですよ。気が早すぎます」
「だけど、顔に傷がついてからだと嫌がられることも多いだろうし、すぐ結婚とは言わんが面通しぐらいはしておいた方が……」
これは流石に止めたい流れになってきた。地方では現在でも三十で結婚にむけて動いていないのは遅いとされる。とはいえ私は十八なので余裕はあると思っているのだけど、さらに伝統なんか絡むとそうもいかないらしい。
「えーと……言いそびれたんだけど、私がやってって言われたのは駄菓子屋の店番のバイトなんだけど」
「えッ!? あ……そういうことにして関わらせるつもりなのか、紬儀ちゃん……」
「じゃあ……灰姫ちゃんは『お役目』についてなんも聞いてないの?」
「まぁ、そうですね。なにも」
そう答えると、祖父母は顔を見合わせ、やってしまったというような顔をした。どうやらなかなかの因習であるらしい。うちの地元はB級ホラーの舞台になるような地域だったのかもしれない。
「あぁ……じゃあなんか変な話しだしたなぁって思わせてしまったか」
「神社のなんかだったら、まぁ外に出てない儀式ぐらいあるのかなって思って聞いてた」
そうそうと二人とも激しくうなずく。
「そんなもんだ。なぁ、ばあさん」
「そうね、そう、うん……」
祖母の微妙な表情は何とも受け止め難いが、何も言わなかった。
「知られちゃいけない系なんでしょ? 口外はしないから安心して。落ち着くまでは友達にも帰ってきたこと話してないし」
やばいことには無関心な感じで深入りしない。
そう軽率に深入りしたりすると父みたいに下半身軽率深入り人間が出来上がる。私は浅く浅く、家族にも因習にも深入りしすぎないが吉だ。B級ホラーのスプラッタ要員になりたくはない。
何気ないどうでもいい世間話をしながら、夕食の時間は過ぎて夜が来てもなんとなくもやもやとしたものが頭から離れなかった。
布団に入ったのにもかかわらず、羊の代わりに『お役目』のことが頭を埋めて離さない。
祖父母が生贄を出してるようなB級ホラーの黒幕一族のようなことをしているとは思えないものの、一年の単身赴任でよそに女作ってた前例がいるのでいまいち信じきれない。
B級ホラーのこういうパターンだったら私は、この後大して何も知らない大学生とかと一緒に事件に巻き込まれて、その中の冴えない感じの人と一緒に解決に当たる中で能力目覚めて解決してくっついてハッピーエンドか、解決する代わりに死ぬ系のヒロインっぽい嫌なポジションになりそうだ。
都合がよすぎるヒロインキャラは好きじゃない。どうせホラーなら、ドラマパートはシャークネードみたいな過去の過ちを後悔するダメ親父が家族の為に更生して必死に戦う系がいい。
すしデッドのカッとなって包丁で人を殺そうとしたら止めに入った嫁を刺してしまって以来、包丁を握れなくなったすし職人が、女にすしが握れるかという逆風に負けて挫折して中居になってたヒロインと共にすしゾンビから生き残る中で再度職人としてやり直そうとするみたいなのもあり。
父のことを引きずりすぎている自分が嫌になる。
受け入れられない割に再生して欲しいとは願っていて、ああなった原因の一つかもしれない『お役目』がひどいものであれと願っている。
で、同時に『お役目』に関わる祖父母や叔父にはひどい人でいて欲しくないと思っているのだから都合がいいというかなんというか。
「だっさ……」
頭お花畑な自分が嫌になる。
夜は鬱々とする時間だ、だからこれは仕方ないことなんだ。考える無駄なんだと自分を納得させて無理やり眠る。しかし、まともに眠れなかった。
眠ったのは日付が変わる頃、そして、愛のメモリーを熱唱する父という悍ましい夢を見て飛び起きたのが午前5時。
寝不足だけど、もう一度眠れる気はしない。
「……散歩でもしようかな」
口に出してつぶやいたのは、あまりに静かだったからだ。
前に住んでたマンションは地上から距離もあったし中心部近くで静かだった一方、こっちはもっと虫の音とかそれで眠れなくなるほどにうるさい記憶があった。
太陽もまだ頭を出してこそいないが、空はほんのり白んできていて、冷たい風が頬を撫でる。
澄んだ空気は心地よく、腹の底に溜まった濁りが清められていくような気がした。
気分よく神社の境内を歩いていると、ふと変なものが境内の御神木に付いているのが目に止まった。
藁で編まれた人形、間に写真を挟んで突き刺された五寸釘。
それを見て、サッと血の気が引いた。
「触れるな!」
祖父の大声に思わず藁人形に向けて進みかけていた足を止めた。
「見やれ、これは呪いだ。お前なら、紫の霧が見えるだろう」
そう言われて見ると、藁人形の周りにパソコン画面に出るノイズの様な紫色の霧が立ち込めているのが見えた。
「これは電脳妖怪(デジタルモンスター)の仕業だ。『お役目』用の装備がいる。衰えた俺じゃぁ、紬儀ちゃん呼ばなきゃ本体の位置さえわからん」
もう呼んであるから待ちなさいと祖父は続けた。
祖父の言葉を聞いて目を凝らすと、藁人形の真下に手足と顔が生えた紫色のキノコがいるのが見えた。
「……お祖父ちゃん、あのキノコが本体じゃないの?」
「見えるのか!?」
俺には見えんと祖父は言った。
私は、なんとなくそのキノコの顔を見ていると何かソワソワする感じがした。
「なにやってるんです?」
あんまり刺激しない様、申し訳程度にですます調で話しかけながら近づいていく。
すると、霧は私を避ける様にパッと分かれて消えていった。
そして、私がそのキノコのそばにしゃがむと、キノコはじっと私の方を見た。
なんとなく、助けを求められている様な気がした。
「灰姫ちゃん、これを!」
今来たらしいたくあんが、何か電子基盤の様な模様のカードと巾着袋を私に向けて投げた。
「その符にデジモンを通すことで、式神として最適な形に変換できるの」
いつの間にかまた木の周りを覆っていた紫色の霧の向こうで、たくあんがそう言っていた。
「……つまり、どう使えと? たくあんもこっち来て教えて」
私の声にたくあんはできないと答えた。
「私達は拒絶されているから行くのが難しい。変換は符が勝手にやってくれるから灰姫ちゃんは、そのデジモンに適切な供物を与えて縁を繋いで、そしたら自然と符が働く」
供物、巾着袋を開けると、すもも漬けやヨーグレットにうまい棒、駄菓子が何種類も少しずつ入っていた。
「……供物、駄菓子で大丈夫なの? 適当じゃない?」
そう言われてたくあんは祖父を見た。祖父は説明ほとんどしてなくてと謝る様なポーズをとっていた。
「えと、駄菓子には見立てが多くあって。あー……色々あって、本物は与えてならない供物もあるし、うまい棒とかカロリー高いものを好むのと穀物欲しがるのに両方対応できるし、すもも漬けは桃、みたいな感じで……まぁ、なんか色々あるので、フィーリングで好きそうなの与えて」
なんだそれと思ったけれど、代用というならば話は早い。助けを求めている気がする、何かに苦しんでいる気がする相手なのだから薬がいいだろう。
「ヨーグレット、食べる?」
ぷちと包装から取り出した白いラムネをキノコの手の上に置く。
何もせずに見ていたので、自分も目の前で一つ食べると、それを見てキノコもひとつ食べた。
そしてカードがピンク色に光り、キノコが吸い込まれて消え、霧も完全に晴れた。
「……誰?」
カードに映っている姿は、キノコではなくて紫色の薬のカプセルの様な姿だった。
「さっきのデジモンが式神化された姿だよ。えーと、とりあえず初『お役目』、お疲れ様」
「『お役目』……そもそも今のが何かもわかってなかったんですけども、斎藤さん、伊藤さん、どういうことですか」
「……あの、なんか苗字呼びやめよ? ね? おじいちゃんすごいショック受けてるから」
祖父は私に対してひどく狼狽していて、今にも泡でもふきそうだった。
「まぁ……ざっくりいうなら、鬼とか妖怪とかいうやつが今の。人が『闇』に対して抱く恐れとか不安とかが……あー、なんやかんや形になって動いてる。みたいな感じ」
「『闇』? というかなんか、色々なに?」
「幽霊の正体見たり枯れ尾花って知ってる? 人は柳の枝が揺れただけでも、幽霊だと思うことがあるってやつ」
まぁ、と答えると、なんというかとたくあんは続ける。
「それで、幽霊だと思ったことで本当に幽霊も産まれちゃいました、みたいな感じ」
厳密に言うと『闇』の定義も一般的なものと違うんだけど、それはあとでねとたくあんはいった。
「……そんなことあるの?」
「ここみたいな黄泉平坂の伝承とか、異界の伝承がある土地の一部ではね」
「じゃあお役目っていうのは、妖怪ハンター的な……」
「妖怪ハンターって……観徳院は元は観『毒』院、妖怪の生まれやすいこの地を管理する為にという由緒ある……」
祖父が嫌な顔をしが、私はふいと顔を背けた。うめき声が聞こえた。
「そういうことなんだけど……その『呪い』、思ってたより危ないことになってるみたいだから、これ以上は落ち着いたらね」
「え? キノコ採っておわりじゃないの?」
「うん、この符で吸えるデジモンって分類の妖怪は、電子機器のネットワークの『闇』に生じる。素人製の藁人形と五寸釘そのものからは産まれない」
そう言いながら、たくあんは藁人形を手に取ると釘を抜いて中身を確認した。
「中身は対象の私物のストラップか何か、写真もデジタルプリントだけどただの紙、この条件から考えるに、この藁人形の写真か動画がSNSか何かでアップロードされてるはず」
人形の中に入っていた何かしらのストラップらしい模様入りの紐と、顔の部分に打ち付けられていた写真の切れ端を見せながら、たくあんはかなり険しい顔をした。
藁人形っていうのは他人に見せるために作るものだって話を聞いたことがある。呪われていると本人やその周囲にわかるようにすることで、相手の心や周囲の風評にダメージを与える。
そうして、プラシーボ効果に代表される思い込みの力で自滅するように促す。
つまり、呪いの中でも藁人形というのは科学的な範囲で説明がつくと、そんな話を中学生の時聞いたことがある。
誰から聞いたかまで鮮明に思い出せてしまった。
「……それって、呪われている相手と呪っている相手がわかればどうにかなったりする?」
「そうだね、デジモンが産まれてくる『闇』は、つまりは『想像できる余地』。見てる人がその性格もこんな仕打ちを受けるべきだということも、勝手に想像できてしまう」
聞きながら、じっとたくあんの黒い目が私に向けられた。私は思わず目を背けた。
「……それで、どうなるの」
「死ぬ。藁人形の写真を見た人が5000人いたとして、その内1000人がこんなことをする人間は一発殴られていいと思ったら、妖怪に反映されたのがその10分の1だったとしても、100人に代わる代わる思いいっきり殴られたら人は死ぬよね」
実際はそう簡単じゃないんだけどと言いながら、たくあんは穴の開いた写真を見たあと、穴越しに私の方をじっと見た。
「……灰姫ちゃん。顔はわからないけど写真に写ってる制服は知ってる。いつも一緒に駄菓子屋に来てた二人のどっちかだったりする?」
たくあんの瞳は全部見透かしているような深い黒に見えた。
「紬儀ちゃん、そりゃあ……灰姫の友達がこんなことする子だっていう……」
「すみません。今は灰姫ちゃんに聞いています」
どうかなと言いながら、たくあんは私の顔を覗き込んだ。
確信していた。誰ならやれるか、誰にやったのか、今あるものだけで私には全部わかっていた。
「……その写真、修学旅行の班の時の写真だから、誰かわかる。紐のストラップはその時に3人で買ったお揃いのやつ」
見切れてるけど写り込んでる手は私の手でもある。
ポケットの中で握った私のスマホにも色違いの組紐のストラップが揺れている。
「呪った側の子の住所はわかる?」
「番地はわからないけど案内はできる」
私は嘘を吐いた。毎年年賀状の交換もしているから、スマホを確認すればすぐだった。
「じゃあ、案内してもらうけど……私の言うことは絶対守ってね、命の保証ができなくなるから」
そう言って、たくあんはどてらのポケットから車のキーを取り出して、藁人形と写真を私に持たせた。
ワゴン車の助手席には出張駄菓子屋箱と書かれた紙が貼られた薬箱みたいな引き出しがいっぱいある箱が置かれていた。
でも、正直それどころではなかった。
地元のことだからって何も知らないことばかりなのは、昨日から嫌っていうほど味わった。
でも、友達のことぐらいはよく知っていると思っていた。
「……まりりん、ユキチ」
東京に行って色々あって、私は二人に合わせる顔もなくて連絡を自分からしなくなった。
「二人とはいつから?」
「幼稚園から……いや、多分その前から」
三年も経てばいろいろ変わるということはわかっていたけど、だからってこんなことになるとは思っていなかった。両親とどっちが悲惨だろう。
「まりりん、中橋麻里奈はゾンビとかちょっとホラー系のが好きで、ユキチ、新橋由紀は女子らしい女子って感じのかわいいのが好きだった。趣味が合うかは微妙だったけど、三人でずっと一緒にいた」
藁人形に入れられていたストラップはユキチのだった。まりりんの好きな紫と、私の好きな青の組紐。
私が持ってるのはまりりんの紫とユキチのピンク。いつでも他の二人が一緒にいるみたいにってそう提案したのはユキチだった。
「呪ったのはどっち?」
「まりりん。中橋麻里奈」
私は次の角を右にとたくあんにまりりんの家に行く道を案内する。私達家族も住んでた駅の近くで、観徳院からは少し距離がある。
「中橋……噂を聞いたことがあるかも、高校に入って一年ぐらいして、不登校になったって」
「不登校……? なんで……?」
そして、なんでそれをまりりんは私に教えてくれなかったんだろう。何かあったのに、どうして私に相談しなかったんだろう。
「……『急急如律令』」
たくあんのどてらのポケットの中が一瞬光って、ピンク色の帽子を被った人形のようなものが顔を出した。
「灰姫ちゃん、さっきの符も同じキーワードでデジモンに戻せる。あと少し、ショッキングなものを見るかもしれないから、覚悟して」
たくあんはそう言って、車を止めて出張駄菓子屋箱の取っ手を掴んだ。私の道案内はもういらない様だった。
『細波、こいつは斎藤家のか』
「そうだよ、淡島、今日が初めての『お役目』、緊急で半ば巻き込まれ状態」
人形の声は変な響きで、でもたくあんは動じる様子もなかった。
「あ、細波はね、私の妖怪ハンターとしての芸名みたいなもの。細波衣音(サザナミ イト)、伊藤よりおしゃれでしょ」
『来るぞ、衣音』
そう答えると共に、人形の背中のコードが伸びて、たくあんの背中に刺さった。
次の瞬間、ひどく金属同士を擦り付ける様な音が鳴った。
何かが突然私達に襲いかかってきていたのだ。
たくあんの片手には巨大な縫い針、それと鍔迫り合いをしているのは、ゲームにでも出てきそうな幅広の刀だった。
「『呪い』をかける人間は、人の気持ちもわからない悪鬼のようであるべきだと思っている人が多いみたい」
たくあんはそう言って、鍔迫り合いの相手を勢いよく蹴り飛ばした。
『「ぐぎゃっ」』
飛ばされたのは、ジャージ姿のまりりんだった。やつれた様で、目元のくまもひどいけれどそれでもわかる。ただ、さらにその上に蠢く肉塊が取り憑いて、右半身は鬼の様な紫色の肌の赤い鎧武者の様になっていた。
「まりりん……!」
私の声に、虚な見えている方のまりりんの左目が見開かれる。
「ヒメ、何しに来たの?」
その口から出たのは冷たい言葉だった。
「……藁人形、うちの境内にあったから」
それしか言えなかった。
「灰姫がいなくなって、ユキチとクラス分かれてさ、私いじめられる様になったんだよ」
そう口にするまりりんの身体の上で肉がびくぴくと蠢いた。
「助けてくれなかったら、ユキチを呪ったの?」
「ユキチは最後、いじめに加担してたよ。目の前でその組紐を投げ捨てて、踏みつけて、次の日から私は学校行かなくなった」
「でも、ユキチが始めたいじめじゃ……」
つい、そう口に出してしまった私の肩をたくあんが掴んだ。
「灰姫ちゃん。主犯の子は卒業式の日に死んでるよ。殺された上で服を剥かれて真冬の田んぼにカカシみたいにされてた。その子は恨みを買いすぎてた。親の政治家と縁故ある会社への就職が決まってて、卒業前についに被害者の一人が自殺して、その魂が核になった『怨霊』を私は祓ってる。誤魔化す為に工作していた家族も今は社会的制裁を受けている」
じゃあ、なんでと言いかけて気づいた。
「……私が帰ってきたから、ユキチを呪ったの? 私の家の神社で」
まりりんの口元がぐにゃあと歪んだ。
「そうだよ? なんでずっと連絡くれなかったの? なんで気づいてくれなかったの?」
そう言うまりりんの左手に握りしめたスマホは中学の頃のままで、青とピンクの組紐のストラップがついたままだった。
「答えてよ、帰ってきても連絡なかったら、ヒメだけ信じてた私が馬鹿みたいじゃんかぁ……」
私の顔を見て鎧武者は嗤っていたが、まりりんは泣いていた。
「……ごめんね、まりりん」
「言い訳しろよぉ! 噂になってたから全部知ってるよ!! そんな場合じゃなかったって、他人に構ってられる場合じゃなかったって、全部全部知ってるんだよ!! 謝られると、私、もっと惨めになるじゃんかぁ……」
より一層、二つの顔の表情がかけ離れていく。
「『急急如律令』」
私の隣に紫色のカプセルのデジモンが現れる。
なんとなく、この子が私には無害だった理由がわかった気がした。
私の手から受け取ったヨーグレットをなんで最初食べなかったかもわかった。薬で助けて欲しいんじゃなくて、まりりんを助ける為の薬が欲しかったんだ。
ポケットの中から取り出したヨーグレットを一粒口に放り込む。
「私、怖かった。最初は心配させたくなかった。でも、その後は違う。二人が知ってる二人の通りだった時に、私だけやさぐれて嫌なやつになってたら、二人に嫌われるかもって怖かった。怖くて、見ない様にしてた、見なければずっと綺麗な思い出だけ見ていられるから」
傷ついても一歩踏み出す勇気が私にはない。
家族のことも、母と父の間に割って入った覚えはない、ただじっと耐えていた。自分を守ってうずくまっていた。
視界が滲んでいく。涙が止められない。
「そんな、そんなこと私も一緒だよぉ! 本当はヒメも私のこと気持ち悪いって思ってたんじゃないかって、頼られても東京で新しい友達できたんじゃないかって、そう思ったら、そう思ったらぁ!」
鎧武者がまりりんから引き剥がされて、ヒモのような繋がりこそあれ、もうほとんど横に立っているだけになる。
「灰姫ちゃん、お疲れ様。こっちもちょうど縫い上げたところ」
「縫い……何?」
いいからとそう言って、たくあんは私に稲妻の刺繍が入ったスカジャンを着せた。
「灰姫ちゃんは、ただ突っ込んで抱きしめればいい。『呪い』から引き剥がすにはその核になってる感情以外でいっぱいにするのが一番いいからね」
さらに、淡島と呼ばれていた人形が、カプセルのデジモンから伸びたコードを掴んで私の背中に差し込むと、心臓がバクバクと高鳴り、手足に力が漲ってきた。
「……引き剥がした後は? ユキチの方に行ったりしない?」
「そうなる前に祓うから大丈夫」
私が一歩踏み出すと、赤い鎧武者は刀を大きく振りかぶった。
『怨ッ!』
そう叫ぶと、身体の芯にまで空気の震えが響いた。
でも、まりりん以外見ないことにして、二歩目は強く地面を蹴った。
バットでも振る様に、私を迎え撃つ様に刀が振るわれる。そのまま走れば身体が真っ二つになる様に。
スカジャンに刀が触れた瞬間、空気を切り裂く雷鳴がして、武者は感電してびくりと手足を縮こめ刀も引っ込めた。
『安い、美味い、強い、ブラックサンダーは駄菓子の鑑だな、細波』
淡島がそう笑ってるのが背後から聞こえた。
私はそのまま鎧武者の横を走り抜けて、まりりんを抱きしめる。
「中学の頃だって私達何度も喧嘩したじゃん。二人喧嘩したら、残った一人が間に入る。私とまりりんと、ユキチ、私達は三人で親友」
「ごめん……ごめんね……ヒメぇ……!」
まりりんが膝から崩れ落ち、繋がっていた黒い紐がぷつりぷつりと解けて消えていく。
その行き先をと鎧武者を見れば、私とまりりんに向けて大きく刀を振りかぶっていた。
まりりんを庇う様に抱きしめ、目を瞑る。
一秒、二秒、痛みが来ないことに気づいて目を開けると、鎧武者は腕を上げた姿勢のまま、糸で縛られてチャーシューの様に見えない細い糸で縛られていた。
「グロテスクだから、目を瞑ってね」
たくあんの声がして、直後に鎧武者は糸に切られて輪切りになった。そしてその肉は地面に落ちることもなく、光の中に消えていく。
「……あ、やるの早かった? ごめんね? 変なもの見せて……気持ち悪くない?」
「……あー、デッド寿司の口から米を吐き出すゾンビに比べたら百倍マシ」
大丈夫と普通に言えばよかっただけな気もしたが、プッとまりりんが噴き出して、私も釣られて笑った。
「さて、仲良しなところ申し訳ないんだけど、藁人形のことってSNSで投稿した? その投稿が原因でこんなことになってるから、消してね」
「あ、うん。消さなきゃ……あ」
スマホを見て、まりりんは少し固まった後、メッセージアプリの画面を私に見せた。
ユキチから、ちゃんと話したいとメッセージが来ていた。
「付き添うよ、後で駄菓子屋にってユキチに送っといて」
私はそう言って、たくあんを見た。たくあんは仕方ないなぁと笑っていた。
「たくあん、この後はユキチのとこに行くんだよね?」
「いや、必要ないかな」
たくあんはそう言って、ココアシガレットとカードを一枚、私に投げ渡した。
「呪われる側も悪いはずだから不幸に逢えという気持ちは、今回はこっちに集まって、鬼になった術者に直接害させるという形になっていたんだろうね」
「じゃあ、もうデジモンはいないってこと?」
「それは違うけど……灰姫ちゃん、もしかしてあの写真の切り抜きに手とか入ってなかった?」
「え、まぁ……」
たくあんは、そう言って私の足元を指差した。そこには、ピンク色のウサギがいた。
「酷い目にあうかもしれない被害者に対しての心配とか哀れみとか……かな。今まさに灰姫ちゃんが酷い目に遭ったことで向こうを離れてここに来てる」
「これも、無害?」
「いや、調伏しないとじんわり不幸運んできたりして、慰め甲斐がある状況に灰姫ちゃんを誘導するよ。治してもくれるだろうけど」
「マッチポンプ……」
「『呪い』から産まれてるからね、加工しないと」
私はその言葉を聞きながら、ココアシガレットを一本取り出してうさぎに差し出し、私も一本口に咥えた。
カリと音がして、カードの中に包帯でぐるぐる巻きになったナースの様な絵が描かれる。
「はい、妖怪騒ぎはこれで解決。朝ごはんまだだし、まりりんちゃん送ったら一度帰った方がいいね」
パン。とたくあんは一つ柏手を打った。
その日の午後、私とまりりんとユキチは、三人でひとしきり泣いた後、駄菓子で豪遊した。
おまけと読む価値のないあとがき
たくあんと灰姫ちゃんとココアシガレット。
因習(デス)駄菓子屋VS電脳妖怪(デジタルモンスター) episode1を読んで頂きありがとうございました。
因習駄菓子屋VS電脳妖怪2〜帰ってきたシンデレラ〜とタイトルは迷ったんですが、普通に連載のタイトルとしてふざけすぎなので、続きを書く人の手でふざけてもらった方が楽しかろうとあえてシンプルにしました。episode2から〜監督の気まぐれサブタイトル〜みたいなのつく作品とか私大好きです。
話の中身はもっとふざけられたかなと思うとこもありますが、デッド寿司とシャークネードがアマプラで見放題なので(2023/11/20現在)許してください。満足な説明もない第一話になりましたが、これを読んだ上後書きまで確認される知識人の諸兄におかれましては、B級映画って説明足りなすぎるのもありすぎるてやたら長いのもあるあるだよねとか、何かしら深読みして頂いてるかと思います。人間の脳は前後に単語や場面があると、なんとか意味づけて「流れ」を見出そうとする性質があり、これをクレショフ効果といいますが、前後に限定されているので今回は関係ないです。書きたかっただけです。
作者の言いたいことの代弁だろみたいな描写が露骨なのもB級感ありますが、今回は「デスマフィンって言葉の響きが軽すぎてかえって事態を矮小化してないか?」とか、頭にアルミホイル巻いてるやつとかを出してセリフひとつで殺したりとかできませんでした。削ったとはいえ説明も長くなっちゃいましたしね。
あ、ちなみに出てきたデジモンは、
淡島 ドレスモン
キノコ マッシュモン
→カプセル ドープモン
鎧武者 ムシャモン
うさぎ キュートモン
→ナース エイドモン
です。
ドープモンくんはなんの感情だったの?に関しては、多分木が可哀想とか神社が可哀想とかよくわからんけど当事者が大きなトラブルになる前に和解できます様にとかそういうやつですね。放置しておくと、胞子撒き散らしてトラブル起こして解決するマッチポンプ電脳妖怪になります。怖いね。
タイトルがタイトルなことで皆さんお察しの様に、サメが竜巻で巻き上げられたり、寿司が交尾してるぐらいなら多分説明なしでごり押していいです。ブラックサンダーから突然リアクティブアーマー革ジャン作り出すドレスモンが説明なし許されるぐらいの世界観です。
ではでは、誰かしら続き書いてくれたらいいなぁと思っています。ザビケ一話投稿ラストスパート!頑張っていきましょう!