第1話 「変身! 飛翔する私の未来」
私の朝はいつもバタバタする。寝坊癖がある訳じゃない。寧ろ同級生より早起きしているはず。単純に手際が悪いのに加えて、毎朝起きる度に頭にヤシの木が生えているからそれを剪定するのに時間が掛かってしまう。
髪を全体的に濡らした後、軽く乾かして日頃の恨みを込めたブラシで整える。無駄に力が入ってしまうから悪化している自覚はあるけど仕方ない。それが制御できるなら鏡に映る顔は多少はマシになったはず。
とりあえず形になったところでいつも立ちはだかるのは虫の触覚のように飛び出す二房。それを例える言葉は知っているけど、口にすると私がそれにぴったりな人間に思えるから嫌だ。とりあえずヘアピンで止めようかな。
「あてっ」
その判断が失敗だったことは自分の眉間を襲った軽い衝撃で思い知らされた。偶発的に鏡に向かって跳ね飛び、奇跡的に同じ角度の弧を描く壁当て。それを意図せず実現してしまう不器用な指先と頑固な髪質に腹が立つ。ついでにヘアピンも見失ったし。あー、もー、本当にいやになる。
「ぎにゃ!」
自己主張してくれるのはありがたいけど、私の足の裏でしないでほしい。それは主に対する最後の抵抗になるんだから。さよなら。ゴミ箱の中で眠ってね。二度と許さん。
心の底から幸いなのはそのヘアピンがお気に入りじゃなかったこと。結局はいつも通り妥協して、そのヘアピンは触覚以外のところを抑えるために使った。
「ふぅ、はぁ……ヨシ」
ようやくあの人の前に立っても最低限恥ずかしくない髪型になった。ヘアピン一つの犠牲は仕方ない。そこまで尊くはない犠牲だった。
「――じゃ、行ってくんね。あ、将吾」
「えっ? あっ? わ、待って待って!」
いつも通り余裕のあるお姉ちゃんのゆるい声がようやく落ち着けた私から余裕を奪う。本当に時間を掛け過ぎた。先に朝ごはんを食べろと言ったお母さんありがとう。ランドセルを引っ張り出して、靴はつま先だけ突っ込んで慌てて家から飛び出す。
「どしたん、寧子。最近の小学校はそんな忙しいん?」
「わーわー、なんでもないから先行くね」
「私らチャリなんだけど……」
お姉ちゃんの顔も見ずに勢いのまま下半身を全力で動かす。その一方で右手は可能な限り髪型の調整。オールバックになるような強風が吹いていなくてよかった。可能な限りナチュラルな笑顔に一さじの勇気を乗せて、ゆっくり自転車を押すあの人の元へと駆ける。
「将吾さん、おはようござわああああああっ!?」
情けない悲鳴を上げながらも私の脳は冷静に状況を理解していた。すっぽ抜ける靴。つんのめる身体。寧ろよく十数歩は耐えられた方だと褒めてあげたい。……明日からは急いでいても靴は踵まで入れてちゃんと履こう。
「おっと」
「ふにゅ?」
「大丈夫か、寧子ちゃん」
「ほへ?」
私の身体を受け止める暖かな腕。咄嗟に伸ばしたんだと思うけど、平均より小柄な私の身体を支えるには十分だった。見た目以上に剣道部で培ったものが大きいんだろう。でも、胸中でじんじん温まる安心感はそれだけじゃない。
「寧子ちゃん?」
「あっ……ひゃい、ありがとうございましゅ」
次いで襲ってきたのはとてつもない恥ずかしさ。最早両手で顔を覆いながら道路にしゃがみ込むことしかできない。何も見れない。見ないでください。
「……何してんの君ら?」
「なあ、大河……俺が分かると思うか?」
「いんや。まったく」
「ころちて」
恥ずかしながらこれが私――大野寧子の登校風景(モーニングルーティーン)です。
白状すると、私は近所に住む中学二年生の鶴見将吾さんが気になるちょっとドジな小学五年生です。……ついでに言うと、将吾さんと同級生である大河お姉ちゃんとの関係も気になってたりします。
「――へぇ、これはまたおもしろい女の子だね」
どこかで私を笑う悪趣味な声が聴こえた気がした。……そうですね。自意識過剰が産んだ幻聴ですね。ははは。
「もうやだ……」
ベッドに突っ伏して打ち上げられた魚のように跳ねる。びたーん。びたーん。しかし、なにもおこらない。なにもうまくいかない。
朝慌てて飛び出したから体操服は忘れるし、難しいから必死に教科書と黒板を追ってた授業では何を勘違いされたのかやたら当てられた。極めつけは日直だからとみんなのノートをまとめて運んでたら躓いて盛大にぶちまけた挙句、廊下に置きっぱなしになっていたバケツに頭がホールインワン。中身が空だったのが唯一の救いだと思う。本当に。
不幸と開き直るには不注意が多い自覚がある。言ってしまえばただのドジ。どうあがいても自分のせい。そして、私は自分の責任だと受け止められるほど大人じゃない。
「うぅーー! ああーーーっ! ヴーーッ!!」
もやもやするのは理不尽に対する不満じゃなくて泣きたくなるほどの不甲斐なさ。言葉に出来るほど整理もついていないからただただ呻くことしかできない。
「――ああもう、ピーピーうっせえな!」
「ぴぃぎゅふっ!?」
突然の怒号に委縮する間もなく、私の肺から変な声とともに息が漏れる。背中越しに押される圧迫感は近所の飼い猫に踏み台にされた記憶を思い出させる。いや、思い出させないでよ。というか重っ。どんなデブ猫が乗ってるの?
「ふんぎゅー……あぇ? なに?」
魚みたいだって食べられてなるものかとジタバタして頭に乗せられた前足を払う。私の抵抗が効いたのか、背中に掛かる負荷はなくなりその重みの主が姿を現す。
それは手のひらサイズの猫のような何かのぬいぐるみだった。猫と決めつけるには飼い猫にもしないような人工的な模様が張り付いている。特に目立つのは右後ろ足に刺青のように刻まれた「F14」のマーク。レーサーの真似事みたいでかなり自己主張が強い。飼い主が余程レース好きなのか、尻尾や翼の付け根にはチェッカーフラッグの模様が塗りたくられている。……うん、翼が生えている猫なんて聞いたこともない。
「なんだお前。文句あるのか?」
随分拘ったキャラクターのぬいぐるみなのかな。口の悪い性格もきっと変な拘りなんだろう。それにしてもよく出来たおもちゃだなぁ。中身詰まってるからこのサイズでもあんなに重かったのかな。
「――生憎その子はおもちゃじゃないよ」
「へ? そうなの? あ、いや違っ」
「誰がおもちゃだ!」
「ぎにゃ!?」
思考を見透かしたような声に条件反射した結果が顔に走る鋭い痛み。安全面を考慮していない躊躇いのなさは確かにおもちゃじゃない。血は出ていないけどとても痛い。
「おやおや随分ひどい顔だ。大丈夫かい?」
「だ、誰なんですか。何なんですか」
言葉の割にまったく心配していなさそうな声にノータイムで本音が出た。睨みつけた相手は案の定きょとんとした表情でこちらを観察している。……聞きたいことだらけなのはこっちなんだけど。
そもそも猫以上に第一印象が最悪だ。隣町のお嬢様学校高等部の制服の上に白衣を着たその眼鏡美人は部屋の窓枠に腰掛けて頬杖を突いていたのだから。はっきり言って堂々とした不審者。少なくとも不法侵入者の疑いあり。
「ああ、自己紹介がまだだったね。私は……そうだね、『Dr.ワスプ』とでも呼んでくれ」
「変な人……」
「褒めないでくれ。照れるじゃないか」
「警察呼びますよ」
普段ならパニックになってるけど、流石にもう一周回って落ち着いてきた。今日が今まで一番の厄日だってことは嫌というほど分かった。
「それは困る。せめて話くらいは……そうだ。君にプレゼントがあるんだ」
「怪しい人からは物を受け取らないようにって学校で言われてるので」
白状すると頭は落ち着いているけど、身体は忍者のように俊敏には動けません。警察云々もハッタリで、机の上にある防犯ブザーやスマートフォンもすぐには手が届きません。要するに、既に武器を握っている方が一手先を行っているのです。
「そう言わないで……ほらっ」
ほら、Dr.ワスプが投げた武器が風車のように回転しながら弧を描いてこっちに飛んでくる。その正体はリレーのバトンより少し長いステッキ。なんというか具体的な名称は頭に浮かばないけどすごく見覚えがある。
「あら?」
「ぴぎゃんっ!?」
ステッキは当然の如く類まれなコントロールで脳天直撃。正直言うとこうなる気はしてました。呑気に観察してた結果がこの様だと言われても、もう投げ出されたタイミングで間に合わないのは分かっていたので実質走馬灯のようなものなのです。
「ふにゅぅ……」
グッバイ、意識。グッバイ人生。……いや流石にこれで死なないとは思うけど。今日の私は本当にダメみたいです。
「あらら……でも、ちょうどいいかな。今のうちに手続きを進めておこう」
聞き逃してはいけないことが聞こえた気がしたけどもう後の祭り。後から死んだ方がマシだったなんて思いませんように。というか、ここまでのことが全部夢だったらいいのに。
「……なさい」
う……ううん。
「……起きなさい、寧子よ」
ううん。うるさい。うるさい。なに。なんなの。もう疲れたからふかふかのベッドでぐっすり眠っていたいんだけど。
「……あなたの大好きな飼い猫が待っています」
あれ、私って猫飼ってたっけ。でも待ってくれてるってことは懐いてて可愛い子が待っているんだろうな。……あれ、本当に飼ってた気がしてきた。
「ふかふかのお腹を吸うのです」
気のせいじゃない。私は猫を飼っている。だから吸う権利がある。猫吸いは合法。学校でもそう習った。どうせふかふかに顔を埋めて眠るのなら猫の腹に顔を埋めたい。
「さあ、名前を呼んで思い切り吸うのです」
私が飼っている猫なんだから、当然名前も知っている。それはきっと記憶ではなく身体に刻まれているもの。深く考えるまでもなく、本能のまま叫べば自ずと正解が口から出るはず。飛び上がるように身体を起こして、本能のまま名前を叫んでダイブする。
「タマ!」
「捻りがねえ!」
「ぎにゃっ!?」
顔に触れるのはふかふか温かい感触ではなくびりびり痺れる痛み。予想とは百八十度違う感覚に何も反応できないまま、ベッドに背中から倒れ込む。ぼやけた視界に映るのは見知った天井。一人部屋を与えられて長いけど、その中で猫と触れ合った記憶は何故か一切なかった。
「……ほぇ?」
まだふらふらする頭を手で押さえながら、身体を起こす。意識が鮮明になってきたところでフォーカスが当たるのは、飼い猫と勘違いして飛び込んだ翼の生えた猫のぬいぐるみ。喋っていることに驚きを感じなくなったのは、意識を失う直前の記憶を思い出したから。その記憶によれば、不審者が一人居たはず。
「契約完了。協力感謝するよ」
「はぇっ!? な、なんのことですか?」
不審者は私に投げつけたステッキを触りながら、こちらをにやにや見つめていた。契約――難しいことはよく分からないけど、ろくでもない条件で結ばれたことは分かる。もう手遅れなんだ。悪い人の言いなりになるしかなくて、家族にも迷惑かけることになるんだ。
「君とそこのトブキャットモン――いや、今からタマと呼ぶべきか――この子との間のマスター契約だ」
「キャンセルで」
「右に同じ」
タマ……じゃなくてトブキャットモンも同意してくれた。一番の理由は名前が気に食わなかったことだろうけど。Dr.ワスプが言い直した辺り、私が与えた名前でこの子の名前自体が固定されてしまうんだろう。
「あ、キャンセルできないよ」
「あ、悪徳……」
「偏屈め……」
シンプルに酷い。お金が絡む契約はもっと長ったらしくて難しい文章を読まされる代わりに、ワンクッションは置いてくれるものだと思う。多分。知らないけど。
「さて、寧子ちゃんも完全に起きたことだし、契約内容の説明をしようか」
もうどうにもならないし、何も答えてくれそうにもない。私も何も分からないし、声を出すのも疲れたのでおとなしく聞き流すことにした。
「実はこの世界に危険なモンスターが紛れ込んでしまってね。君はタマの力を借りて彼らと戦い、封印してほしいんだ」
「あ、無理です」
モンスターがどんなものかは分からない。タマと同じサイズならなんとかなるとも思えない。散々引っ掻かれててるし。間違いなくその痛みより酷い目に遭うのが目に見えている。
「大丈夫。生身のまま戦えっていう訳じゃないよ。さっき渡しそびれたこれを使えば君はとっても強くなる」
「はぁ……」
先ほどのように投げ渡すことなく差し渡されたステッキを手に取ってみれば、意外と可愛らしいデザインをしていた。薄桃色にも見える白い杖の先端には輪っかが着いていて、外枠には一対の白い翼が広がり、内側にはHの文字を描くように七色の球が連なっている。まじまじと眺めてみて、頭にぶつけられる寸前にふわっとしていたイメージにようやく具体的な名前を当てはめられる。
「タマの力を借りるっていうのは、タマと合体してパワーアップすることなんだ。――無法少女と言うんだけど」
「無法少女?」
「ほら、魔法少女とか、プリキュ〇とか。そういうの好きだっただろう。私もそうだった」
「いや、今はもう別になりたいとは……」
「そうか。白状すると、私もアイテム自体は好きだったけど、なりたいとは思ってなかったね。気持ちは分かるよ」
「そうですか。なら、この話はなかったことに」
「ならないねぇ」
「諦めろ。こいつは人の話を聞かない」
「残念ながらそうなんだ」
「自覚あるなら直してください!」
本当に酷い契約。それ以上に本当に酷い人。邪悪そのもの。Dr.ワスプ、あなたは存在してはいけない生き物だ。
「俺だって大変だとは思ってるけど……選んでる余地はない。行くぞ」
「どこに?」
「案内する」
「タマも人の話を聞かないじゃん」
「タマ言うな、引っ搔くぞ」
分かってました。もう拒否権はないって。そして、心の準備をする時間もないまま、初戦に挑まなくてはならないことを。
追い立てられるように家から出て、得意でもない長距離走を強要される。送り出したお母さんに今日は独り言だと思われないといいのに。
家を出る間際、窓枠でDr.ワスプがこちらに手を振っているのが見えた。酷い人の癖に呑気だなぁ。私もタマも焦っているから、もうあの人の言葉なんか何一つ耳に入らない。
「おーい、君たちクロスカードを忘れてるよ」
「ひっ、ひぅ、ひぃん」
「いちいち情けねえ声出すな」
「だってぇ……」
目的地も分からないまま延々と走らされるのは体力的にも精神的にもしんどい。なんでこんなことをしているんだろう。頭上のマスコットに引っ掻かれたと思ったら、変な女にステッキぶつけられて、気絶している間に勝手に無法少女として戦えという契約を結ばれて、今はその初戦に向かって走らされている。……うん、自分でも現実とは思えない。
「着いたぞ」
「ひふっ……ふはぁっ……」
ようやくゴール。太ももに両手をついて、胃の中身も出そうな勢いで息を吐く。あっ、本当に吐きそ……うっ、うぐ……ふぅ。セーフ。
「結局、どこまで……へ?」
落ち着いたところで顔を上げれば、そこはお姉ちゃんや将吾さんの部活の応援で何度か見た場所。そして、二年後には毎日通うことになるであろう場所。――そう、二人が通う中学校の校門だ。
帰宅部は既に帰っており部活動もまだ終わっていない時間帯。それを抜きにしても人影がまったくないのは不自然。それ以上に不自然なのは校門の内で渦巻いている黒ずんだ灰色の霧。どう考えてもこの中にタマが探していた標的が居る気がする。
「ほら、行くぞ」
「あの……入って大丈夫なの?」
「杖を持ってきたんだろ。なら大丈夫だ。さっさと行け」
「ふぇぇ」
浮遊するマスコットに後頭部を小突かれながら泣く泣く足を進める。というか多分泣いている。霧が目と鼻の先まで来たところで、流石に足を止めたけど、顔には何の感触もないし温度の変化も感じない。
意を決して目をつむりながら走る。風圧は感じないけどごうごうと周囲で竜巻が荒れる音が聞こえる。それが聞こえなくなったところで、前に組んでいた腕を下ろしてゆっくり目を開ける。
「中は変わってない……いや、広いような……」
「電脳霧(セルミスト)の中だからな。空間が歪んでいる。……そこだ」
難しい言葉は聞き流してタマが指し示した方向に目を向ける。その先に佇むのは紫紺の毛並みの狼。ただ随分とお洒落さんなのか、足の先には爪というには鋭利な刃が何本も逆立ち、蝙蝠の羽のような飾りが首元と顔にを覆っている。中学校に居るより高貴な吸血鬼が侍らせているペットと言われた方がしっくり来る。少なくとも人間が関わってはいけないタイプの獣なのは間違いない。
「サングルゥモンか。実体化はある程度してる……来るぞ!」
「うわわっ?」
タマの声で思わず真横に飛び退く。頬を裂くかまいたちのように鋭い風。へたり込みながらも自分が立っていた場所とその奥に視線をずらすと、狼の足にあったものと同じ刃が花壇をぐちゃぐちゃに切り裂いていた。文字通り一歩遅かったら、私がああなっていたのは間違いない。
「ひ、え……何、これ」
怖い。とてつもなく怖い。ここに居たら本当に死んでしまう。死にたくない。勝てるわけがない。私には何もできない。どうすればいい。どうしてこんな目に。どうして私はこんなところに居る。
「これは……あまり時間はないな」
「え、じ、時間? なんの」
タマの声でぐちゃぐちゃになっていた思考が一つの疑問に絞られる。何故かこれは聞き逃せないと思った。この疑問の答えを得られて初めて私は他のすべての疑問に対して答えを出せる気がした。
「この霧が晴れるまでだ。そうなれば完全に実体化して、外に出る」
「え? 外に、こんなのが、出るの」
それはダメだ。絶対に止めなくちゃいけない。あんなのは野犬や熊とは存在自体が違う。他の人間に関わらせてはいけない。
「そうだ。絶対にお前の大事な人も傷つける」
あの人はまだ部活動の最中なんだ。絶対に近寄らせたくない。危険な目に遭ってほしくない。――きっと、そのために私はここまで来たんだ。そして、そのための力を私は持っている。
「ねえ、私がこの杖を使えば、戦えるんだよね」
「ああ、寧子と俺の力しかこの場を打開できない」
杖を強く握る。不思議と何をすべきかは頭に浮かんできた。こんな私にもできることだというのなら、今の私にしかできないことだというのなら、私は動かなくちゃいけない。
「だったら、やるよ、タ……」
「今の寧子ならタマでいい」
「そっか。ありがと」
覚悟を決めて深呼吸。目の前の標的(サングルゥモン)を見据えて、力の限り叫ぶ。
「いくよ、タマ。――変転進化(トランスエボリューション)」
瞬間、渦巻くモノクローム。その中で私の周囲を駆け巡るタマの残像。その影に触れ合い溶け合う度に私の装いは変わっていく。身体の動きを邪魔しないどころか驚くほどに身体に馴染むように張り付く白と灰のドレス。その背中にはタマの翼を彷彿させるマントが翻る。ニーソックスの先には蝶のようなリボンが二つ飾られた靴。ステッキを握る手には灰色の手袋。そして、お気に入りのヘアピンを残したままの髪は銀色に変わり、耳としての機能は特にない猫耳がひょっこり生える。そのすべてが自分の身体に馴染んだのを知覚して、私はステッキを振り払って渦の中から一歩踏み出す。
「無法少女ミライロ☆彡ネコ、推参!」
(それ、わざわざ考えたのか?)
「あっ……違う、口が勝手に」
(誰の仕業か分かった。本当に余計な真似を)
一体化したからか脳内にタマの声が響く。それとは別に「日曜朝に頑張るヒーローガールには名乗りが必要だろう」とかそんな幻聴が聴こえた気がした。
「……で、この杖は魔法とか出せるの? ビームとかグミ撃ちとか」
(そんなもん出ねえよ)
「え? ならどうやって」
(来るぞ!)
「くっ……ありゃ?」
タマの声で迷わず真横に飛び退く。自分が居た場所に突き刺さる二桁の刃。飛び退いた勢いでそのまま空中に舞い上がった。飛び過ぎた。というか飛んでいた。
「えっ、ええー!?」
(驚くなよ。俺の力が宿ってるんだ。飛べて当然だ)
いや知らんし。飾りだとは思っていなかったけど、校舎の屋上が見える高さまで飛べるとは思わないって。
「飛べるのは分かったけど、ここからどうやって攻撃すれば」
(ビームでも飛ばせばいいんじゃないか)
「出来ないって」
(杖からは出ないって言っただけだ)
「あ、そっか」
なんか騙された気がするけど、使えるなら願ったり叶ったり。魂が囁く技名をキーにステッキを前方に突き出して、その力を引き出す。
「必殺猫ちゃんビーム!」
(それはねーだろ!)
願い通りビームは出た。私の目から。思ってたの違う。嘘は言ってないけど騙された気分だ。
「流石に古典的すぎない?」
(文句言うな。怪視線がビームになってるだけマシだろ)
「怪視線って何?」
(知るか!)
攻撃手段があるという安心感から気を抜いてしまったのが失策だと気づくのにそこまで時間は掛からなかった。着弾点には既にサングルゥモンの姿は影も形もなく、周辺に目を向けても見当たらない。
(後ろだ!)
「えっ……くっ!?」
反射的に振り返ってステッキを横に倒したのは、本能的に盾代わりにでもなればいいと思ったから。その願いが通じたのか、マントが私の胸元をベールのように覆い、喉元を狙っていた爪の一撃を防いでくれた。ただその勢いは殺しきれず、叩き墜とされた私は力任せにマントを翻して、地面に叩きつけられることだけは避けた。
「なんで!?」
(影だ!)
タマの叫びとほぼ同時に背後を振り返って、ステッキを振るう。ガチンと物騒な音を立ててぶつかるサングルゥモンの頭。飛び退きながら、視線を下にずらせば、確かに私の影にサングルゥモンの頭が引っ込むのが見えた。
「そんなのあり!?」
影に隠れて影の中を走る獣。特殊な霧の中でも陽射しの条件は満たされるのか。もし、影のない夜になったらどうなるのか。霧のタイムリミットが先か。夕日のタイムリミットが先か。
(タマ、これできる?)
(奇遇だな。俺も同じ考えだ)
すぐに分からない答えを求めたって今さらどうしようもない。どうせ私は今も頭に残っている二房の単語が似合ってしまう女の子なんだ。考えることは必要最低限に絞るしかない。
「そういうことをする相手なら……私はもう逃げも隠れもしないよ!」
今までの攻撃が通じていないと虚勢を張って、サングルゥモンに対して精一杯声を張り上げる。タマと同じように言葉が通じるかなんてわからない。それでも振る舞いから伝わる印象はきっと人間相手でも変わらないだろう。正面から戦ってこないお前は私の敵ではない。……そういう振る舞いをするには私は格が足りていないんだけど。
(来る!)
(うん!)
タマの声より早く、私は振りむいてステッキを叩きつける。再びぶつかり合うステッキと狼の頭。弾かれて上空に飛び上がるステッキ。勝ち誇るように牙を剥きだしにするサングルゥモンの顎目掛けて左拳をぶち上げる。
不意の痛みに慄くサングルゥモン。蝙蝠の羽に隠れたその瞳が私を捉えなおすより先に、私は逆にその背後に回ってワンツーパンチ。完全に影から飛び出たその腹におまけに回し蹴り。
「参ったか。これが私達の『肉球肉弾戦形態(グルグルファイトモード)』」
(ビームよりはマシか)
落ちてきたステッキを手に取った私の姿はサングルゥモンにどう映っただろうか。怯えて逃げるだけで反応だけは良かっただけの少女は猫の手の似たグローブで殴りとばしたのだから。
「止めを刺すよ、タマ」
(ああ、全エネルギー装填。この一撃にすべてを籠めろ)
ダメージで満足に立ち上がれないサングルゥモンに向かって一歩ずつ近づく。躊躇いはない。守りたいもののために最後の一撃を振るうだけ。
「正真正銘必殺の――」
ステッキの先端に凝縮されるエネルギー。それは次第にタマの形を象り、ステッキの形状とも相まって個性的なシルエットのハンマーと化す。でもそれでいい。文字通り、これは私とタマの思いを込めた一撃なのだから。
「猫ハンマー(キャットガン)!」
力任せに振るった一撃は確実にサングルゥモンを捉えて、有り余るエネルギーが光の粒を巻き散らす。私はその余波に押されて空中に舞い上がり、不本意ながら一回転をしてなんとか地面に着地。意図せずハンマーを握ってない手が猫の手になってそれらしいポーズになったから、まあよしとしよう。
(よくやった、寧子。封印だ)
「ふう……いん?」
(あの女が言ってただろ。封印と回収が目的だって)
そういえばそうだった。危険なモンスターが暴れださないように戦って封印する。それが私の役割だって。……ところで、どうやって封印するんだろう。
(クロスカードを使え)
「あ、なるほど……どこにあるの?」
(は?)
見たことはないけど、何故か聞いたことがあるカードだ。具体的には家を出てすぐにDr.ワスプが言っていた。忘れているとか。なんとか。
「多分……あの人が持ってる」
(あの野郎……)
脳内で野生の本能を丸出しにしようとするタマをどうどう宥めながらも、私自身も迷っていた。この場合、どうすればいいのか。封印は目的だが、もう倒してしまったのならやることなんて何もないんじゃないか。このまま霧が晴れれば、勝手に消えてくれるんじゃないか。
「……ッ! 寧子、まだだ!」
「え?」
タマの今までにない慌てようで現実に戻される。明らかに何かが違う。明らかに何かがおかしい。
異変の正体はのした筈のサングルゥモン。その周囲には外で見たのと同じ霧が密集し、嵐のように渦巻いていく。その風景を私は知っている。何せ私が同じような変化でこの姿になったのだから。
(進化……)
「えっ、ちょっ、どうすんの?」
(間違いなく今までより厄介な相手になる。急いでクロスカードを取りに行って、完了するまでに封印するんだ)
「間に合う訳ない!」
そうこうしている間に渦の中のシルエットがサングルゥモンとは異なるものへと変貌していく。二本の足で立つ人型。ただその頭には狼のマスクのようなもので覆われている。気品すら感じるその姿に私は一瞬見とれてしまっていた。
「――邪魔」
意識を揺り戻したのはタマの声でもDr.ワスプの声でもない知らない誰かの声。その正体を探ろうとした頃には私の真横を疾風のように誰かが駆けていく。
「限定変換(インポート)――フライモン」
その人影は私が持っているのと同じ形状のステッキを掲げて、その先端に一枚のカードを重ね合わせた。その瞬間、カードとステッキは光を放ちながら溶け合い、その人の左手と一体化して先端に赤い針がついた虎縞のグローブに変わる。それが当然かのように一瞥することもなく、その人は渦の中へと飛び込んだ。
「刺し侵す黒霧の毒牙(デッドリースティング)」
短い静寂。渦は既に消えて、その中心に居た人型は彫像のようにピクリとも動かない。その胸元には、私とは対照的に迷わず飛び込んだあの人の左手が突き刺さっていた。
「瓦落多の晩餐(メタルキャスト)」
そして、彼女は空いている右腕を人型の左胸へと突き刺して力任せに何かを引き抜いた。それは真珠のように輝く球体で、きっとサングルゥモンだったものの心臓のようなものなのだろう。それが右手の中に消えるように取り込まれたとき、渦の中にあった存在は跡形もなく消え去った。
「あなた……何?」
ようやく出た問いはあまりにもふわっとしていて、自分が本当は何も知らずにこの場に居ることを思い知った。
「何って……アンタの同類……ではない、わね」
彼女自身が言った通り、その人は私とは似て非なる存在だった。年齢はきっと私と同じくらいだろう。そして、私のようにモンスターと戦うための装いをしているのは間違いない。
紺色のゴシックパンクのドレスに銀色の金具が映えるブーツと手袋。頭にはセミロングのブロンドヘアーが螺子のような髪留めで後ろに一房でまとめられている。
手には確かに私と同じようなステッキが握られている。ただ、その使い方も戦う目的も私が与えられたものとは根本的に異なることだけは確実だった。
「で、アタシの獲物相手にアンタらは何をしてたの?」
冷めた声で私にステッキを突きつけたその目には明らかに隠す気が一切ない敵意が籠っていた。
ザビケの再来を騙るハマーンの跳梁ともなった! 何故だ! 夏P(ナッピー)です。
おま、ちょ、おま、ネコさん(※オトコではない)なのにプリるとは貴様ァーッ! 真面目に冒頭パートで「何だとTravelers外伝! 本編前の時間軸か! つまり知られざる秘密が今ここに!?」かと思ったら爆笑したのでした。「弟切渡:第一話では未登場」でダメだった。それもう出ない奴ぅーッ!
よく見たら大河もいるの運命だコレ。胡散臭い女子高生は元から胡散臭いので気にならないのかと思いきや、流石に奇行が目立ち過ぎた(結局判別手段が奇行)というカオス。そもそもTravelersの諸君がそれぞれ討ち取られて能力使用されるのかと思いましたがそんなことは無かった。渡お前さては親とか孫と仲良く暮らしてるなこの世界! と思ったら「お兄ちゃん」の座はお前じゃなかった! 無念!!
密かにミスターXも「第一話では未登場」で噴く。お、お前らという奴らは……!
ちょっと続き考えてきます。
◎あとがき
どうあがいてもプ〇ヤ。というわけで、本作はX-Travelerの根底にある作品よろしく魔法少女パロディがやりたかっただけの話です。白状するとがっつり触れてきた時期はないですが、平成の定番の題材を令和にやるとは自分でも思いませんでした。
「THE BEGINNING フリーマーケット」に参加するうえで、当初は昔設定だけ練って結局書き始めなかった作品の一話だけ書こうとしていました。ブログで書いてた50話近い連載作にゆるい繋がりがあって、成長したキャラがちょいちょい出て、窮地には颯爽と登場みたいなのを考えてた時期があったのです。……まあ、プロットや設定まとめたテキストが携帯からスマホに乗り換える上のミスかなんかで全部消し飛んでたうえ、自分の記憶もあやふやだったので完全に芽は断たれたわけですが。泣く泣く諦めた結果、何をとち狂ったのか生まれたのが本作です。
第一話のみというフォーマットで漫画作品の一話みたいな引きが欲しいと思った結果、ライバルキャラが出て終わりというある種王道、でも絶対続きありそう(あるとは言っていない)という形になりました。
最後に、第一話では収まる訳のなかったキャラクターなどの暫定的な設定を吊るして終わりにします。
〇キャラクター
・大野寧子
主人公。小学五年生。本編同様、年より幼く見えるドジっ子。だが、本編よりは多少明るい。
鈴音の導きでタマと契約し、無法少女に変転進化(トランスエボリューション)する。現代に現れたモンスターを封印・回収する戦いに臨むことに
戦闘の際はタマと合体し、猫耳と柔い翼のようなマントが特徴的な白ベースの衣装を纏う。肉弾戦モードとして猫グローブを纏って殴りかかることも。必殺技はタマのエネルギーを杖の先に集約してトブキャットモンの身体に似たハンマー状にし、スタンプのようにたたきつける「キャットガン」。基本的に魔法よりも身体強化の格闘戦が得意だが、魔法少女らしく光線も出せる。目から。
また、話が進んでいけば、闇堕ちとしてスカルバルキモンの力を纏った骨をモチーフにした暗色の衣装を纏ったり、さらに乗り越えた姿として〇〇〇〇〇〇モンの力を纏ったよりデンジャラス且つビーストな姿に変化したりしただろう。
さらに、モンスターを封印したクロスカードを使って、その一部を武器として顕現する限定変換(インポート)や、モンスターをモチーフにした武装を上から纏う換装召喚(インスタンス)を得る。詳細は下記の通り。
※限定変換
ギンリュウモンの槍、ワスプモンのレーザー砲、ピーターモンの剣、リボルモンの銃、ソウルモンの帽子、シーラモンのダーツ、ティラノモンのマスク
※換装召喚
ヒシャリュウモン→ 各所に金をあしらった黒備えの鎧武者。金竜と角竜の球体は簪となり、成龍刃を武器とする。
キャノンビーモン→ ミサイルコンテナを背負い、右手に巨大なレーザー砲を抱えたメカメカしい衣装。
ピッコロモン→ ピッコロモンの被り物を上から被り、背中に生えた翼で空を翔けて、フェアリーテイルを振るう。
アサルトモン→ 全身をミリタリー衣装に包み両手にはガトリング砲を構え、四脚の支援ロボに乗って戦場を駆けまわる。
メタルファントモン→ 死神のような黒布で全身を包む一方、フードの右側面に髑髏のような銀仮面とエネルギー状の刃を光らせる大鎌が目を引く。
セイレーンモン→ 魚の鰭が翼のようなアクセントとして光る、白と青の聖歌隊風の衣装。
マメティラモン→ 両手にメリケンサック、頭にヘルメット、後は局部のみを包帯で隠した赤熱化した裸一貫。
・タマ
寧子と契約したモンスター。翼の生えた猫――トブキャットモン。生意気なガキンチョのような性格で寧子の尻を叩くが、芯の強さには最初から惹かれており認めている。エネルギーの節約のため手のひらサイズのマスコット形態がデフォルト。
・Dr.ワスプ
神出鬼没の白衣を翻すうさんくさいお姉さん。デジカルステッキとモンスターのタマを寧子に授け、モンスターの封印と回収を強要する。身体は元々奇行が目立つ女子高生、逢坂鈴音のもの。だが中身は本来の彼女とは若干違うようで、数か月前から奇行がより酷くなったと周囲からさらに疎まれるようになった。
・アハト
主に鈴音が操作する端末の中でサポートをするモンスター。第一話では未登場。ワスプモンとして実体化し、寧子の戦いをサポートすることもある。
・リタ・ドラクロア
最後に出てきたライバルキャラでモンスターが実体化した未来から来た少女。デクスモンシリーズの力をベースに倒したモンスターの能力を使用する。モンスターを敵とみなし、封印ではなく殺傷を目的とする。殺して吸収したデータを使用する技術がベースだが、破損が大きいため限定換装(インポート)が限界。そのためプライドを曲げて寧子のカードを借りるか、サングルゥモンの残留思念とシンクロして再封印しするなどして換装召喚(インスタンス)する話がターニングポイントになりそう。
・ミスターX
リタの裏に居る全身ベージュの布で覆った謎の男。第一話では未登場。
・鶴見将吾
大野家のお隣さんの中学二年生。寧子がほのかに思いを寄せる。目つきが悪く、一見ぶっきらぼうな態度を取るが、根は穏やかで芯は優しい。大河との関係は……?
・大野大河
寧子の姉。中学二年生。常に陽気で飄々としながらも、要点は押さえている要領の良さがある。人見知りしていた寧子は彼女のおかげで将吾と仲良くできたが、彼女と将吾の関係に複雑な思いを抱いている
・弟切渡(Dr.ワルート)
将吾の友人の中学二年生。第一話では未登場。人の好過ぎる性格だが、後天的な二重人格に目覚めており、裏の人格こそが宿敵のDr.ワルート。焦がれるように興奮した高笑いをしながら、未来からモンスターを送り込んでは実体化させている。