第一話「Encountering the soul」
人生とは波である。
絶頂を迎えたと思った矢先にどん底へと転がり落ち、かと思えば再び這い上がるためのチャンスがまるで蜘蛛の糸の如く目の前に垂れ下がることがある。
長く生きただけの老害は、よくそんな講釈を若者相手にふんぞり返って垂れたがるものだ。
そんなことは誰だって少し考えれば思い付くし、重要なのは『何を言ったか』ではなく『誰が言ったか』であることに気づいていないのが老害が老害たる所以だろう。
────佐久間チャンプは今回が初の防衛戦となります。ぜひ、その意気込みをお聞かせください!
その理屈が正しいのならば、そんな『名言』は俺にこそ相応しいと言えるだろう。
────1ラウンドで仕留めてやりますよ。早すぎて観てる側にはつまんないかもしれないスけどね(笑)
……そう。頂点に立った者は、常に最も不安定な足場での戦いに勝ち続けなければならないのだ。
────あーーっと! 佐久間チャンプ、まさかの1ラウンド目でTKO(テクニカル・ノック・アウト)! 初の防衛戦、誰がこのような結末を予想したでしょうか!!
一度でも敗けてしまったらハイ終了、下山ルートはどん底までの滑り台。
お先どころか見上げた空まで真っ暗だ。
目覚まし時計代わりのスマートフォンから、いつもの洋楽のイントロが大音量で鳴り響く。
中坊の時から聴き続けた一番のお気に入りも、今となっては自分を現実に引き戻す呪い以上の役割を果たさなかった。
歌詞の意味を知ったのは十七歳の時だ。
それまではただ洋楽を聴く自分の姿に酔いしれていたのと、曲がカッコいいからといった至極単純な理由でそれを流していた。
だが当時はそんなしょうもない理由がどうしようもなくキラキラと輝いていて。
なけなしの小遣いを手に、初めて入るCDショップの雰囲気に呑まれそうになりながら、震える手でディスクを手に取った記憶が今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
The soul is hot,(その魂は熱く)
the soul is strong,(その魂は強く)
the soul is bravery,(その魂は勇敢で)
and the soul is never broken.(そしてその魂は決して折れない)
今の時代なら小学生でも分かる呆れるほど簡単な英文の歌い出しを、イントロで流れる稲妻のようなギターの旋律と合わせて何度も頭の中でリピートしていたものだ。
今はその単調な繰り返しが憎たらしく思えてくる。
頭から振り払おうとしてもしつこく脳に絡み付いてくるようで、俺は開けたくもない目を擦りながらアラーム停止の操作をさせられる羽目になった。
「クソッ……」
誰に向けたわけでもない悪態を吐くようになったのは別に今日が初めてじゃない。
チャンプとしての防衛戦デビューに一ラウンドTKO負けという輝かしい戦績を刻み込んだ俺は、以降の試合でもまるで魂が抜けてしまったかのように無様な敗北を繰り返している。
次の試合は一ヶ月後。
もう調整を始めなければならない期間だというのに、まるで練習に身が入らない。
「いただきます」
質素な造りの器の中で艶やかな光を放つ白米に向かって手を合わせる。
どんな時でも必ずご飯は食べなさいと、お袋はいつも決まってそう言った。
かといって実家を出るときに半ば無理やり持たされた五合サイズの炊飯器は、六畳一間のワンルームにはオーバーサイズが過ぎる。
チャンピオンベルトという名の栄光を失った今、俺の部屋で欄然と輝きを放つのはそんな無駄にデカい炊飯器と、目の前の白飯だけだった。
ロードワークは早朝に限る。
黒のパーカーを着てフードを被っていても職質されることもないし、何よりこの引き締まった空気が頭の中の雑念を吹き飛ばしてくれる。
勝ち続けると何処からともなく住所を特定して湧いてくると言われるパパラッチや悪質なファンも、この時間帯では気配すら感じなかった。
いつも通り約十キロの道のりを走り、最後に自宅から歩いて五分のところにある神社の階段を駆け上がる。
地元の人間からは『爺殺し』なんて不謹慎な名前で呼ばれている階段だが、段差の数はたかだか三十段ほどしかない。
問題なのは段数ではなくその高さだ。山を切り出して半ば無理やり作ったような石の階段は、膝をへその辺りまで上げないと足を踏み出すことができない。
登りきったところで特に見所があるわけではなく、俺のようにトレーニングで訪れる者を除けば、進んでやって来るのはバカと煙ぐらいのものだろう。
他の郊外に漏れず高齢化が進むこの町において、この神社と階段を有する山はもはや俺のプライベートビーチならぬプライベートジムと化していた。
神社の境内まで辿り着くと、そこでしばしの休憩とストレッチを挟んでから縄跳びとシャドーに励む。
縄をそこら辺の木の枝に一日掛けっぱなしでも誰も文句は言わないし、喉が渇いたらなぜか一台だけポツリとおいてある自販機でその時の気分に合った飲み物を選べばいい。
家から近いだけでなく、持ち物を最小限にしてロードワークに専念できるのも好都合な点だった。
「おい」
寒さに赤くなった手でペットボトルのキャップを回したその時、どこからか声が聞こえた。
人がいること自体は珍しいが、別に気にすることでもないと俺は容器を傾けた。
「お前だ、お前に言ってんだよ」
声の主が自分に話しかけていることに気づき、若干むせそうになりながら慌ててフタを閉めた。
敷地を我が物顔で使っていたことが神主の気に障ったのだろうか。
謝ろうと思い、声のする方に目を向けたが誰もいなかった。
「こんな朝から怪談か……?」
気を紛らわせるようにひとりごちる。
ホラーものは苦手ではないが、一人の時にこんな体験をするのは初めてで思わず体がすくむ。
「階段を登ったところで出くわす怪談ってか。なかなか洒落が利いてるじゃねぇか」
背筋に鋭いものが走った気がした。
こちらの独り言に、まるで会話するかのような声が調子を合わせてくる。
肌が粟立つのが分かる、これは決して真冬の空気によるものだけじゃない。
「誰だ!? どこにいる!?」
「お前がどこ見てんだよ。……もうちょい左だ」
またもや返事が耳に届く。
何と言われようが、周りにあるのは神社と森ぐらいしか……
「……ん?」
俺は目を凝らして森の方に焦点を絞った。
朝方の森は奥の方が真っ暗でよく見えないが、その緑と黒の空間の中に『何か』がいることだけはわかった。
景色に溶け込む緑の体色のせいで、黄色い目があることに気づくまでその存在を全く認知できなかった。
「ずいぶん時間がかかったじゃねぇか。お前、本当にこの世界の剣闘士(グラディエーター)か?」
声の主が突然跳び跳ねた。
それは俺の頭を飛び越え、境内の中央に着地した。
咄嗟に振り向いた俺の目に映ったのは、目を疑うような生き物だった。
瓢箪のような身体はその全てがくすんだ緑で覆われ、体の下の方からは血管に似た筋が浮き出ている。
二本の触手が腕のように生え、頭からはボロボロの葉が扇状に広がっている。
黄色い目は三日月のような形につり上がり、大きく裂けた口も相まって非常に『悪』そうな印象を受ける。
意思を持って動いていることから分類としては『動物』にあたるのだろうが、外見や独特の青臭い匂いは『植物』のものとしか思えない。
というか仮に動物でも植物でも、人間の言葉でコミュニケーションをとっているということから導き出される最終的な結論は一つだった。
「……宇宙人?」
「……俺様を見た最初の感想がそれか。お前、俺様が人に見えんのか?」
呆れたようにため息を吐きながら肩──と呼べるものがこの生物にあるのかは不明だが、まあ腕の役割を果たしていそうな触手の付け根は肩としか呼びようがないだろう──をすくめ、謎の生物はさらに続けた。
「俺様の名はザッソーモン。……っつってもこの言い方だとお前ら人間が『私の名前は人間です』って言ってるようなモンなんだけどな。そこを掘り下げるのは野暮ってモンよ」
「ザッソー……モン……。え、お前雑草なの?」
「お前なぁ……それは樹木希林に対して『貴方はキリンですか?』って聞いてるようなモンだぞ? それに人間みたいに姓名が分かれてる訳じゃねぇ、一言で『ザッソーモン』だ」
妙にこの世界のことに詳しいソイツの例えを聞いて、反射的に(いやお前はどう見ても植物だから実質雑草だろ……)という思考が頭を過った。
過りはしたが、指摘してしまうのはなんだか人権──宇宙人に人権があるのかはともかく──に抵触してしまいそうな気がしたのでやめた。
「ちなみに『モン』は俺様達デジタルモンスターの共通名称だ。有名な奴だと『グレイモン』とかがいる」
「グレイ……モン……? やっぱり宇宙人だろお前」
「……今のは例えが悪かったな。グレイモンは恐竜型だ。俺は植物型だから植物みたいな見た目をしてる」
ソイツはそう言うと傍らの落ち葉を触手で器用に拾い上げ、顔の横でヒラヒラと振って見せた。
「……宇宙人型もいるのか?」
「さあ、どうだったかね……。インベイド型なら知ってるが」
「やっぱ宇宙人だろお前」
「一旦宇宙人から離れろ! なんで俺様にツッコミやらせんだよ! 普通こういうのはホーム側の奴が常識人だろ!」
ザッソーモンが地団駄を踏んだ。
熟年コンビの漫才が如く流れるようなやり取りを謎の生物と交わしたことで、トレーニング中だったにもかかわらず俺の心は少しずつコイツに対する興味の方へ傾いていった。
「ったく、俺様はお前と漫才しに来た訳じゃねぇんだぞ」
向こうも同じことを思っていたらしい。なんか親近感。
とはいえ向こうが自己紹介してくれたので、こちらも早いとこ名乗らなければ失礼だろう。
「えっと、俺の名前は──」
「ストップ。お前のことは知ってるぜ、こっちの世界の剣闘士(グラディエーター)さんよ」
「……さっきも言ってたけど、そのグラディエーターってのはつまるところボクサーのことでいいんだよな?」
「そうだ。というか闘争を生業にしてる奴はみんなそう呼んでる。何せ──」
ザッソーモンが触手で自身を指し示した。
「俺様も向こうの世界では剣闘士(グラディエーター)だからな」
「……」
開いた口が塞がらないとはまさにこの事だ。
コイツが? 格闘技のプロ?
「その顔は信じてないな」
「そりゃあ、な……」
言葉を濁しつつ、改めてザッソーモンの方を見やる。
確かに背丈だけで言えば頭の葉っぱも含めて俺と同じぐらい。腕のような触手もあるから殴り合いは可能だろう。
だが……
「さっき恐竜がどうとか言ってたが、まさかそんな奴等とも闘うのか?」
「ま、俺様だってしょっぱなから信じてもらえるとは思っちゃいねぇよ。っつー訳で……」
何かに引っ張られる感覚を覚え、手首を見やるといつの間にかザッソーモンの触手が伸びて絡み付いていた。
いつの間に捕まっていたのだろう、プロボクサーたる俺の動体視力をもってしても認識できなかった早業だった。
「お、おいっ!?」
「『百聞は一見に如かず』だ」
突如、ザッソーモンが立っていた境内の中心に大きな穴が開いた。
奴はその穴に吸い込まれるように、触手で繋がれた俺を巻き添えにして引き込んでいった。
「ここは……?」
「『デジタルワールド』。インターネットの中にもう一つの世界があるって言ったら信じるか?」
「ネットの中に世界だって……?」
ザッソーモンの言葉を到底信じることができず、目の前の光景を注視した。
商店街の入り口のような門が立ち、その奥には通りとそれに沿って様々な店が連なっている。
通りは見たこともない生き物で埋め尽くされているが、あれらが『デジタルモンスター』なる生物なのだろうか。
門に書かれた言語と行き交う生物に見覚えがないことも除けば、その光景はアメ横など現実世界に存在する大きな商店街とさほど大差ないものであった。
「ワープしたのか……やっぱお前宇宙じ」
「もうツッコまねぇぞ。それよりホレ、これ掛けとけ」
どこから取り出したのか、ザッソーモンが手にしていたのは一般的なサングラスだった。
特別怪しい箇所は見られなかったので、とりあえず受け取って装着してみる。
「ぶはははは!! 金髪のソフモヒにグラサンって、お前それ完全にエテモンだぜ! ダーッハッハッハ! 腹いてー!」
地面を執拗に叩きながらザッソーモンが笑い転げている。
コイツ一回ぶちのめしてやろうか。
ひとしきり笑ってから、奴は触手を俺の肩に回してきた。
「まあ怒んなよ兄弟。俺様がお前らの世界でそうしたように、カモフラージュってのは異世界を生き抜く上で大事な要素なんだぜ?」
「サングラス掛けただけじゃねぇか」
「デジタルモンスターの中には人間に似た姿もいる。『目の色が違う』ってだけで排除しようと攻撃してくる奴がごまんといる世界だ。用心するに越したことはないってね」
ここまでの説明を聴いてもいまいち納得がいかなかった俺は、腕を組んで返事の代わりに鼻を鳴らした。
やはり言葉というのは、『何を言ったか』ではなく『誰が言ったか』というのが大事になると、俺は改めて実感したのであった。
「オヤジ、ヤマとソラを一人ずつ」
「あいよ、5,000Bitだ」
ザッソーモンに連れられるがままやって来たのは、商店街の大通りから一つ曲がったところにある素朴なバーだった。
酒でも飲まされるのかと思ったが、どうやら裏口から地下の闘技場へと続いているらしい。
受付の鎧武者のようなデジモンにザッソーモンが『足下見やがって』と捨て台詞を吐いたせいで、奴に続いて受付の前を通る時に白い目を向けられる羽目になった。
「信じられるか? 二人で1,000Bitも吊り上げやがった! 俺様達がそんな飲み食いする奴に見えるかっつーの!」
「なあ、やっぱ俺ナメられてるんじゃないのか? ソラって完全体の呼び方だろ? 完全体のクセに弱そうとか思われて多く払わされたんじゃないのか?」
バーに向かう道中で、ザッソーモンからこの世界の基礎知識を教えてもらった。
デジタルモンスター、縮めてデジモンの成長段階は六つに分かれ、それぞれに呼びやすい言い方があるという。
下から幼年期1(アカ)、幼年期2(チビ)、成長期(ガキ)、成熟期(ヤマ)、完全体(ソラ)、そして究極体(ホシ)だ。
成長段階が進むことを『進化』といい、見た目だけでなく性格や記憶までガラリと変化する個体もいるとのこと。
歩きながらの詰め込み授業だったため、なんとか頭に入れられた情報はせいぜいその程度だった。
「お前はそんなこと気にすんな、堂々としてろ。どうせ俺様が嫌われてるってだけの話だ。それよか俺様は席を取っておく。お前は好きなドリンクと肉持ってきな。俺様のは普通の水でいい」
ザッソーモンと分かれ、ドリンクバーと肉のバイキングが併設されたエリアへと足を運ぶ。
会場内はこれまた様々な種類のデジモンで賑わっており、みな一様に肉と飲み物を手に──手足のないデジモンは体に乗せて──談笑しながら観客席へと向かう。
これまた眉唾ものの話だが、なんとこの世界では骨付き肉が畑から生えてくるらしい。確かに言われてみれば、目の前に雑多に積み上げられた肉の山からは芳しい土の匂いが漂っている。
なるべく土がついていないものを二つ選びトレーに乗せた。しかし想像以上の大きさにトレーが埋まってしまう。
「飲み物は……これじゃ持てないな」
先に肉をザッソーモンに渡そうと踵を返したその時、目の前のデジモンと目が合った。……いや、目はないみたいなので正確には顔が合った。
「よぉエテモンのあんちゃん。手が塞がってるなら持ってってやろうか?」
青色の体に四本の腕が特徴的なそのデジモンは、豪快に笑いながらドリンクバーの方へ俺を誘導した。
「あ、ありがとう。えっと……」
「カブテリモンだ。ここは初めてか? 何を飲む?」
「じゃあ水と……リンゴのやつで」
飲み物の説明は所謂『デジ文字』で書かれているため読めないが、この場に似つかわしくない笑顔を浮かべたかわいらしいリンゴのイラストが目に入ったため、ひとまずそれをチョイスした。
仮にも調整中の身である以上、少しでも健康に良さそうなものを選んだ方が良いだろう。
「『ニッコリンゴ100%』だな! あんちゃん目の付けどころがいいねぇ!」
カブテリモンは慣れた手つきでコップ二つにそれぞれ水とリンゴジュースを注ぎ、もう一つのコップにハチミツに似た色合いと粘度の液体を注いだ。
「席まで運ぼう。水ってことは連れは植物型かい?」
「あ、ああ。まあ、そんなとこだ」
「よし当たった! ちなみに俺が選んだのは昆虫型御用達『ジュレイモンの樹液』! 樹液系の飲み物はそんなに種類が多くないが、コイツはそれらの中でも一番──」
楽しそうに話すカブテリモンの口と足が止まった。
座席から向こうから伸びる緑色の葉っぱを見た瞬間、露骨なため息を吐いた。
「なんだ、連れってアイツのことかよ。時間を無駄にしちまった」
カブテリモンは残念そうに呟くと、俺が持つトレーに半ば無理やりコップを乗せ、トンボのような二対の羽を羽ばたかせて去っていった。
改めてザッソーモンの方を見ると、その周りだけ不自然に座席が空いている。
奴が自嘲気味に言った『俺様が嫌われてる』というのも、あながち誇張ではなかったらしい。
「楽しい話に水を差しちまったかい?」
俺が隣に腰を掛けるなりザッソーモンが皮肉を浴びせにきた。
「向こうが勝手に話しかけてきただけだ」
カブテリモンの態度も、そしてそれを当たり前のように受け入れるザッソーモンの余裕も気に食わなかった俺は、それを言葉に乗せるように声のトーンを一段階下げた。
「だが良いタイミングだ。そろそろ始まるぜ」
ザッソーモンの言葉を合図に、会場の照明の大半が落ち、中央のリングを四方からスポットライトが照らした。
リングは円形のフィールドと、ドーム状に張り巡らされた見えない電子の網で形成されているらしい。選手が攻撃を受け吹き飛ばされた時などに、その部分だけが可視化し場外を防ぐ仕組みのようだ。
実質的な金網デスマッチであるにもかかわらず、少し高いところから見下ろせる観客席の配置も相まって、闘いの様子を非常に見やすい構造になっている。
「野郎共、待たせたな!! 闘いに飢えた野獣を紹介するぜ!!」
どこからともなくメタル調の激しい音楽とそれに負けないくらいの爆音ボイスが流れ出し、会場は歓声に包まれた。
フィールドの入場口が開き、二体のデジモンが向かい合うように入ってくる。
「今日の対戦カードは~……『草食の重戦車』ミノタルモンVS『漆黒の暴君』ダークティラノモンだ~!!」
牛頭の巨人と黒い恐竜が、各々リングの端で待機し睨み合っている。今にも飛びかかりそうな雰囲気だ。
「客席のオメーら!! 準備はいいか!?」
「いつでもいけるぜ!」
「さっさと始めろ~!」
「ぶっ潰せ~!」
「いつまで待たせんだ~!」
司会のコールに対し、十人十色のレスポンスが巻き起こる。
「対戦者の野獣共! 目の前の敵をぶちのめす準備はOK!?」
二体のデジモンが雄叫びを上げ、試合開始のゴングが鳴った。
開幕早々両者共にリングの中央へ向かって駆け出し、互いの身体をぶつけ合う。
「ッ!!」
激突の瞬間、会場内の空気がビリビリと震えた。
技でもなんでもない、文字通りただの体当たりだったが、まるで3Dの怪獣映画を最前線で観ている時のような迫力があった。
観戦側として格闘技会場に入るのは初めてだったが、少なくとも人間同士の試合ではここまでの胸の高鳴りは得られないだろう。
「いいぞいいぞ~!」
「やれっ、そこだ!」
「溜めて攻撃だろ~!」
「一気に決めろ!」
ぶつかり合う二体の闘争本能をさらに煽るように、あらゆる方向から雑多な声が上がる。
恐竜が自慢の爪で相手の肉を抉り、丸太のような尻尾を振り回す。
一方の牛男は頭突きで頭の角を突き刺し、棍棒のような腕で殴り付ける。
手に汗握るとはまさにこの事だろう。一撃一撃に全力を込めた肉弾戦の応酬が、観客を魅了した。
ふとザッソーモンの方を見ると、奴は口の端だけを吊り上げたまま真剣な眼差しで闘争の光景を眺めていた。
対戦相手のチェックを入念に行う剣闘士(グラディエーター)の姿が、そこにあった。
「ファイアーブラスト!!」
相手の攻撃が緩んだ一瞬の隙を見逃さず、恐竜が大口いっぱいに火炎を吐いた。
たちまちリングは火の海と化し、行き場を無くした熱風がこちら側にも吹き込んできた。
だが牛男は自身のビーフがウェルダンに焼かれることも厭わず、一歩、また一歩と近づいていった。
「決まったな」
ザッソーモンがそう呟いた。
次の瞬間、恐竜は牛男の豪腕に殴り倒され地に伏した。そして────
「吼えろォ、デモンアーム!!」
牛男の左腕に装着された砲身の短いガトリングのような機械が唸りを上げた。
それは恐竜の脇腹に押し当てられ、振動によって胴体を貫いた。
恐竜が上げた断末魔も、アームが地面に達すると同時にプツンと途切れた。
試合終了のゴングが鳴り響く。
リングに残ったのは敗者の死骸と、そこから血液のように飛び散ったサイバー感溢れる水色のモザイク。
そしてその死骸を踏みつけ武装化した腕を高々と掲げ、歓声という名の栄光をほしいままにする勝者の姿だった。
試合風景にこそ見入っていたが、この世界で初めて目撃する生物の死を目の当たりにした俺は顔を歪め、隣に聴こえるよう言い放った。
「格闘技ってよりこれは……ただの殺し合いだな」
「言っただろ? 剣闘士(グラディエーター)だって」
ザッソーモンは満足そうに細い目をさらに細めた。
元々この時間は食欲もさほど無かったが、凄惨な光景を目にしたことでトレーに盛られた肉を食べる気はいよいよ失せてしまった。
「次の試合はお前達の世界で言うところの昼頃だ。いよいよ俺様の試合を見せてやるぜ」
現実世界に戻された俺は、奴が向こうの世界に残って最後に発したその言葉を反芻していた。
どうやらこちらとあの世界では時間の流れが異なるようだ。
少なくとも一時間は経過したと認識していた俺の体内時計は、明けきっていない空と耳を悴ませる冷気を再び浴びたことですっかり使い物にならなくなってしまった。
無心になれるよう普段のトレーニング通りにルーティンをこなしたが、休憩中はデジタルワールドでの出来事がまた頭の中を覆い尽くした。
「剣闘士(グラディエーター)、か……」
未だ脳が熱を帯びているが、それはトレーニングのせいだけではない。
最後の結末にこそ辟易したものの、試合の内容自体は非常に興奮させられるものだった。
防衛戦で無様な敗北を喫して以降失ったと思い込んでいた闘争心が、自分の中で再燃しているのがわかる。
俺は帰宅してすぐにスマホで動画サイトを開き、『ボクシング 試合』と検索して一番上に出た再生数の高いものを適当に流し始めた。
デジタルワールドで感じたほどの高揚感は無かったが、それでも胸の奥に焼けつくような熱さを覚える。
画面の向こうでパンチを打ち込む選手に自分の姿を重ね合わせ、気づけば座ったままで上体を動かしていた。
闘いたい、今すぐに!
俺は今日、俺という存在のルーツを再認識した。
なぜ自分がプロボクサーとしてここまで続けることができたのか、そしてなぜチャンピオンから転落した後もリングに上がることに背を向けなかったのか。
なんてことはない、俺の中にある『雄』としての闘争本能が最初からここにあっただけの話なのだ。
「間に合うか……!?」
神社に続く階段を駆け上がりながら自身を急かす。
あの後すっかり熱が入ってしまい、自宅でもシャドーや筋トレに励んだせいで、日はすっかり高く登ってしまっていた。
デジタルワールドの方がこちらより早く時間が進んでいるので、ザッソーモンの試合もおそらくこちらの世界で換算すると数秒で終わってしまうだろう。
階段を登りきると同時に、ザッソーモンに渡されたサングラスを掛ける。
視界が暗くなる点は通常のものと大差ないが、それを装着した時だけ境内の中央にデジタルワールドへの入口が見えるようになる仕組みだ。
奴曰く『実はこの世界と人間世界の繋ぎ目なんて至るところにあるんだぜ。どっちの生物も大半はその事に気づいていないか、知ってても通れるだけの入口がないってだけなのさ』とのこと。
真っ白なドアが開けない限り白い壁と同化するように、二つの世界の架け橋もその先へ行こうとしない限りは存在を認識できないようだ。
そしてこの場において、ドアノブを回す代わりの手続きとはすなわち縄跳びの縄を円を描くように配置する事。
円の中にノイズがかかるのが確認できたら、後は競泳選手のように勢い良く指先から飛び込むだけだ。
……端から見たらなんとも恥ずかしい絵面だが、この入り方でないと向こう側で重力が反転する関係上、頭から着地する羽目になってしまうのだそうだ。
この事を奴から聞かされた時、最初に奴に捕まったのが脚ではなく腕で本当に良かったと、俺は心から安堵したのであった。
会場に着いた俺の元に、良いニュース二つと悪いニュース一つが届いた。
良いニュースはザッソーモンがあらかじめ俺の分のチケットを購入してくれていたこと、そして試合がまだ終わっていなかったことだ。
そして悪いニュースとは────
「オラァ、さっさとくたばれ!」
「無駄に長引かせてんじゃねぇぞ!」
「さっさと溜めて攻撃しろ~!」
「醜く足掻いてんじゃねぇ!」
多種多様な罵詈雑言が、主に片方の選手に向けて飛ばされている。
息を荒げながらリングの前に辿り着いた俺の眼前に広がっていたのは、目を覆いたくなるような地獄絵図だった。
フィールドの至るところに、牛男が左腕の武器で作ったであろう穴が開いている。
さらに植物の蔦や葉のようなものが、無理矢理引きちぎられた痕を残して周囲に飛び散っていた。
フィールドの中央には仁王立ちする牛男。
一方ザッソーモンは、全身を壁に打ち付けられたような状態で潰れかけていた。
俺の額に嫌な汗が浮かんだ。
出会った当初から正体不明の宇宙人という印象には変わりないが、それでも奴は──奴自身にそのような意図があったのかは不明だが──俺の内に燻っていた闘争心を再燃させてくれた恩人だ。
そんな奴の命が目の前で、今、潰えようとしている。
敗者に待つ結末を想起し青ざめた俺は、無意識のうちに声を張り上げた。
「……立て! 立てよザッソーモン!」
観客の罵声がピタリと止まった。
「このままじゃお前死んじまうぞ! いいのかそれで!?」
客席の一人がプッと吹き出し、それを合図に一斉に笑い声が上がった。
さらに周りの連中は小馬鹿にしたような台詞を次々にぶつけてくるが、俺はそれを気にも留めなかった。
「俺の前に現れたのは偶然じゃないんだろ!? 俺の事知ってたってことは何か理由があって会いに来たんだろ!? その目的も達成してないのに勝手にくたばるな!」
俺の声が届いたのか、ザッソーモンは触手でなんとか体を支え、立ち上がろうともがいている。
そんな青春漫画の一ページのような青臭いやり取りが気に障ったのか、牛男がザッソーモンを掴み上げ左腕の武器で殴り付けた。
観客席から歓声が上がる。
人間同士のそれは熱い感情を昂らせるものだったが、反対に牛男がザッソーモンに放つ殴打の連続はみるみるうちに俺の心に霜を落としていった。
トドメと言わんばかりに大きく殴りつけられ、ザッソーモンは再び壁に激突した。
その光景を観て湧いた俺の感情は、観客席の手摺を掴む力に変えることしかできなかった。
「てこずらせやがって……。もう……立つんじゃねぇぞ……」
長時間の試合で息の上がった牛男が祈るように声を絞り出した、その時である。
「お前がな」
リングの中央から何かが吹っ飛んだ。
それは大きく弧を描き、いつの間にか立ち上がっていたザッソーモンの巻いた触手の上に着地した。
奴がもう片方の触手に持っていたのは、身の丈の倍ほどもある巨大な鎌。
「えっ……!」
俺は思わず声を上げた。
吹っ飛んだものが牛男の頭だと気づいた時には、視界を失った胴体が無惨に倒れ込む音が響いていた。
「『草食の重戦車』だったか? 俺様を喰らうつもりならその胃袋じゃ小さすぎるな」
ザッソーモンは牛男の胴体にそう話しかけると、鎌の柄の先端を突き立てた。そして────
「もっとビッグにしてやるぜぇ!!」
まるで杭でも打ち込むように振り下ろした鎌の柄が、牛男の胴体を貫いた。
奇しくもその一撃は、牛男自身が恐竜に喰らわせたトドメの一撃と同じ構図であった。
胴体は暫しの間痙攣を繰り返した後、完全に生命活動を停止した。
Boooooooooooo!!!!!
白目を剥いた牛男の頭をザッソーモンが高々と掲げると、途端に観客席からブーイングが巻き起こった。
「ふざけんな~!」
「俺達の時間返せ~!」
「いつまでそこに居座ってんだ!」
「さっさと負けちまえ~!」
全方向から降り注ぐ暴言の雨に、奴はまるで運動した後シャワーでも浴びているかのように恍惚とした様子で耳を傾けていた。
一通りの文句を聞き終えると、ザッソーモンは触手に持っていたものを全て手放し、自分をアピールするように触手を伸ばして大きく広げた。
「止まない賛辞をありがとう腰抜け共! 頂点に登りたきゃいつでも相手をしてやるぜ! この……」
奴が俺と目を合わせるようにこちらに向き直った。
「『不屈の雑草魂(ディフェンディング・チャンピオン)』ザッソーモン様がな!!」
……
…………
………………
……………………
お 前 が チ ャ ン ピ オ ン か よ ! ! ! ! ?
散々大声を上げた観客達は、試合中とはうってかわってどこか満足したような、爽やかそうな表情で続々と会場を後にした。
デジモンにストレスという概念があるのかは分からないが、鬱憤が晴らされているような様子を見るにこの血生臭い殺し合いがこちらの世界でエンターテインメントとして楽しまれていることは間違いないのだろう。
だが一方で、俺の胸中には靄のような不満が残った。
罵声を浴びて戦うチャンピオン? 敗北を望まれる王座だって?
なんて馬鹿馬鹿しい! チャンピオンとは頂点の栄光を勝ち取り、それを守り続けることで皆の尊敬と羨望を集める立場ではなかったのか!?
まだこの世界を、そしてザッソーモンのことを知らなかった愚かな俺は、がらんどうになった会場(パラダイス)で中心に一人佇む奴に叫んだ。
「ザッソーモン!」
奴は不敵な笑みを浮かべたままこちらに顔を向けた。
「俺のことは知ってるって言ったよな!? いいか、俺は必ずチャンピオンの座を取り戻す! 誰よりも早く勝ち上がって、誰よりも早く返り咲いてやる! だから……」
一度に吐ききった息を大きく吸い込む。
「お前はチャンピオンの座を守り続けろ! 俺がお前に肩を並べられた時、お前に本当の王座の栄光ってやつを教えてやる!!」
奴の目がさらに細まり、奴の口の端がさらに吊り上がった。
「踏み外さないよう慎重に登りな。いつまでも待っててやるぜ、剣闘士(グラディエーター)」
ZASSOU is hot,(ザッソーは熱く)
ZASSOU is strong,(ザッソーは強く)
ZASSOU is bravery,(ザッソーは勇敢で)
and ZASSOU is never broken.(そしてザッソーは決して折れない)
これは、俺が俺の人生において終生のライバルと呼べる存在に出会い、再起する物語。
最も早く頂点を奪還した男(人間)と、最も長く頂点を守護した漢(デジモン)の、それぞれの闘いの記録である。
第一話「Encountering the soul」 終
あとがき
三度の飯よりモンドレイク
どうも、wB(わらび)です。
まずはサロンへの投稿にずいぶんと間が空いてしまい、楽しみにしてくださっていた方には本当に申し訳ございませんでした。
もし待っててくださった方が一人でもいたのなら、ありがとうございます。いっぱいちゅき
せっかく素敵なイベントが今月末までやっているとのことでしたので筆が乗ってきたのもあって半月経たずに書き上げましたが、これやっぱ自分で続き書きたいな……。
第二話以降を書きたい方がいましたらぜひとも大歓迎ですが、続きが上がるにせよ上がらないにせよこれとは別に同じタイトルで長編として書いていくことになるかもしれません。
まあその時は『ザッソーモンユニバース』としてサロン界に草の根を張り巡らせていこうじゃあありませんか。
もちろん主題歌はオ〇イシマサヨシで。
DIGIコレでの制作物が終わって以降、文章を読んだり書いたりするモチベが無事再燃いたしましたので、今後はサロンの方に顔を出していけるかと思います。
改めて、素敵な企画を考案してくださりありがとうございました。