夏は生き物なのよ。小さなころ、母さんにそう言われたことがある。
詩的な、少し陳腐な、文芸部の中学生でも描けそうなくらいに詩的に過ぎる言葉だ。けれど、そのころわたしはよっぽど幼かったから、母のその言葉を額面通りに受け取った。
母も母で、ポエティックな感性とは全く別のところで、その考えに至ったのだと思う。故郷の田舎町から出たことのない、頭もあまりいいとは言えない人だったけれど、自分の言葉を虚しく飾り立てることはしなかった。だからあの人はきっと、しんからこの夏を生き物だと思っていたのだ。
蝉の鳴き声やら、水田の上を駆けるターコイズ・ブルーの蜻蛉やら、アフリカゾウのような入道雲やら、プールの塩素のにおいやら、アスファルトの照り返しやら、そんな一つ一つが毛細血管、或いは細胞で、それらを合わせて、夏というのはすべてが一個の生き物なのだ。と、母は言った。そうして、そんな夏の粒子をいっぱいに肺にため込んで、私たちも夏の一部になるのだ、と
それ以来、わたしの中で、夏というのは一個の怪獣になった。それは毎年やってきて、街を踏みつぶしていく。そして、夏らしいもの、眩しくて懐かしいなんだかよく分からないものをいっぱいいっぱいに詰め込んだ巨大な左腕で私をつまみ上げ、ぽとりとその大きな口の中に落とすのだ。そして、わたしも夏の一部になる。街を踏みつぶし、人をくらう、なんだか眩しくて懐かしいものの一部になる。
それは、幼いわたしにとっては、少し怖いことだった。いや、今もそうだ。夏というのは、いつだって少し怖いものなのだ。
いま、こうして大人になって、改めて思う。あの頃の私の感性は正しかった。夏は怪獣だ。オマケに、ちょっと性格が悪い。
だって、ちょっと、暑すぎるじゃないか。
「いや、だって、ちょっと、あつすぎるじゃない!」
わたしはそう叫んで、目の前の春川遊馬(ハルカワ・ユウマ)に、水羊羹の入った紙袋を突き出した。玄関先で私を迎えた幼馴染の青年は、そんなわたしを唖然として眺める。アンマリにもそうしている時間が長かったものだから、彼が右手に持っていたアイス・キャンデーが、ぼたりと石畳に溶け落ちた。かつてのぷっくりとした間抜け面からはいくらか甘えがそぎ落とされ、夏の日差しがよく似合う精悍な顔立ちになっていたが、この様子を見るに中身までは変わっていないらしい。
「……えーと、おかえり?」
永遠にも思える時間を蝉しぐれが流しきってから、ユウマはぽつりとそう言った。
「なにそれ、皮肉?」
彼の言葉が頭にきて、わたしは彼にお土産の紙袋をおしつけて、どしどしどしと玄関に上がり込んだ。
「あ、ちょっと!」
「幼馴染が中学ぶりに帰ってきたってのに、そのテキトーな”おかえり”はないでしょうが!」
そう言いながら歩く遊馬の家は、7年前と何一つ変わらない田舎建築で、わたしはそれがなおのこと頭にきた。
「じゃあなんていえばよかったのさ。歓迎しようと思えばできたよ。町の大人総出で!」
「それはそれでありえないでしょ! こちとら夢破れて飛び出した故郷の田舎町にすごすごかえってきたんだっつの!」
あのレコード・プレーヤーのある部屋だって、昔のまま。あそこから流れる音楽に合わせて廊下の床板を踏み鳴らし、ユウマのかあさんに怒られたのを思い出す。ウィ・ウィル・ウィ・ウィル・ロック・ユー。
「だいたいあんたにも腹立つけど、ジジイはどうしたのよ! いよいよ博物館に根を張って出てこなくなったわけ?」
「おい、ちょっと──」
そうだ、わたしが何より腹が立ったのは、彼がわたしを出迎えなかったことだった。いつも、機嫌がいい日も悪い日も、わたしがこの家の玄関を跨げば、しゃがれた怒鳴り声で迎えてくれたのに。
「おい、ジジイ! アンタの宿敵が帰ってきたよ! 花森千里(ハナモリ・チサト)が、夢破れてしっぽまいて帰ってきましたよ! ほら、わらいなよ! それとももう笑い死んだ!?」
そう言いながらスパンと開けたジジイの部屋は、恐ろしいほどがらんとしていた。窓辺にかかった風鈴はそのままだったけれど、それが風になびいていないのをわたしは初めて見た。ジジイは、冬でも窓を開け話しているのが好きだったのに。
「……去年、死んだよ。じいちゃん」
ぜえぜえと息をつきながら、ユウマが言った。
「……伝えてくれても、よかったのに」
「連絡先の一つも教えなかったのはチサトの方だ」
ぐうの音も出ないのが悔しくて、わたしはむりやり、ぐう、と言った。
「それにチサトとじいちゃん、ひどい喧嘩別れだったろ。今さら伝えていいかどうかも分からなくて」
「そりゃ、そう、なんだけど」
「ほんと、ひどかったよな、あの最後の喧嘩」
人様の子の上京のことであんなに怒ってたんじゃ、実の孫の立場が無かったよ、と遊馬がからからと笑う。その笑い方があまりにやさしくて、本当にジジイの死があったことも、それがもうこの町にとって過去になってしまったことも、わたしには痛いほど分かった。
仏壇の蝋燭に、ユウマが火をともす。あれ、と何回もマッチを擦るのを失敗するのを見て、わたしはくすくすと笑った。そういうそそっかしいところは、大人になっても変わらない。
「はい、じいちゃんにカンカンしたげて」
「カンカンって」
子どもじゃあるまいし、と呟いて、子どもじゃないんだなあ、と思った。
鈴を鳴らし、手を合わせる。会ったこともないユウマのひいじいちゃんやひいばあちゃんを想いながらこうするときだけは、騒がしい子供だったわたしでもいくらか厳粛な気持ちになったものだった。でも、ジジイに手を合わせていると思うと、わたしはばかばかしくてやってられなくなって、やがて仕様のない子供のように、くすくすと笑いだしてしまった。
「ありがとう」
ひとしきり笑ったわたしに、ゆうまははにかむように笑った。
彼はわたしが土産に持ってきた水羊羹の箱を仏壇に供え、さっと手を合わせると、そこから二つ、自分とわたしの分を取りだした。
「飲み物は麦茶? アイスコーヒー?」
「コーヒー」
「飲めるようになったんだ」
「カッコつけないと、東京じゃやってられんのよ」
呆れたように笑って、ユウマは紙パックのアイスコーヒーを注いだコップをわたしに差し出し、そしてわたしのすわった座布団の、テーブルをはさんだ向かいに腰掛けた。背の高くなったわたしとユウマがそこにいるのは、それだけでなんだかヘンな気分だった。
「……」
「……」
しばしの沈黙、わたしは幼馴染を前に、何かを離さなければいけないと慌てていた。見ればユウマにはそんな様子はなく、手元のコップについた水滴が垂れるのをこれ以上面白いものがないとでも言いたげに見つめている。馬鹿馬鹿しい。都会に出て、少しは話すのが得意になったと思っていたのはただの勘違いだった。わたしはあの灰色の街で、沈黙への恐怖を植え付けられただけだったらしい。
「……今は何してるの」
そんなわけで、わたしが「気の置けない幼馴染」に切り出した話題は、ひどく不格好で悲惨なものだった。
「郵便局員」
「郵便局って、駅前の? 配達とかしてるわけ?」
「たまにはね。でも基本的には、局にやってくるじいちゃんばあちゃんの対応だよ。都会に出た子供への郵便とか、あとはATMの操作の相談に乗ったりね」
考えただけで気が遠くなりそうな仕事だったが、ユウマはとても楽しそうにそれを離していた。彼にとっては何でもそうなのだ。昔から、わたしがうんざりしてゲーゲー吐いてしまいそうなことを、こいつはどこまでも楽しそうにやっていた。
「チサトは?」
「わたし?」
「漫画家になるって東京にまで行ったんだろ」
「さっき挫折したって言ってたの、聞こえなかったか」
「聞こえたから聞いてるんだよ。田舎で時間がボケてるだけかもしれないけど、22なんてまだまだ若いだろ。何をするにしたって、諦めるには早すぎる」
「それ、皆に言われたわー」
わたしはへらりと笑って、コーヒーをぐびと飲み干す。
「……その、ナントカ先生には会えたの。チサトの上京のきっかけ。憧れの漫画家」
「ああ、会えたよ」
「会えたの!?」
「そう、会えた」
一丁前に漫画家なんて志した人間が、東京に出て、自分が井の中の蛙だと思い知る、なんて、ありがちな話だ。余りにもありがち過ぎて、わたしは実際にその壁を見せつけられても、別にショックも受けなかった。都会で、読みたいものは何でも読めて、学校でもなんでも専門のところに行ける奴らをずるい、と思いはしたけど、そのギャップをなるべく広げないために、中学卒業後即上京、なんて暴挙に踏み切ったのだ。それくらいはどうってことなかった。
「わたし、先生に会うために、追いつくために必死で努力したんだ。周りの子の倍は描いたし、読んだ。ネームを持ち込んだ出版社の人にも、厳しいことは言われたけど、諦めろ、とは言われなかった。だから諦めなかった」
「じゃあ、なんで……」
「わたしを特に見込んでくれた出版社の人がいてね。わたしが先生の大ファンなの知って、取り次いでくれたんだ。絵はずば抜けてうまいし、アシスタントにどうかって。こういうのもなんだけど、世間的にすごく売れてる人ではないし、そういう話も通りやすかったのかもね」
「それで?」
「会って、話して、気に入ってもらえて、アシスタントになった」
「え、すごいじゃん!」
ユウマはぱっと顔を輝かせて、それからすぐに顔を曇らせる。
「じゃあなんで……」
「わたし、そりゃ頑張って仕事したの。先生の仕事場すごくってね。私が好きな漫画や小説、映画が全部あって、ほんとに泣きそうだった。先生もわたしを気に入ってくれて、わたしの原稿、見てくれることになったんだ」
「……それで?」
悲劇的な破局を予期したように、ユウマは声を落とした。それが癪で、わたしはなるべくおどけて、先生の野太い声をマネして見せた。
「『チサトくん、○○とか、××とか好きなんだよねえ、いいよね』って、ぱらぱら原稿読みながら、先生は言った。作品からルーツが伝わったと思って、すごくうれしかった」
「だけど?」
「そのあと『じゃあそういうふうに描けばいいのに』だって」
「きっつ」
「やめてよ。今となっちゃ笑い話だって」
ユウマが怒りさえ含んだ声で呟くものだから、わたしはかえっておかしくなってしまった。
「実際、そうなんだよ。わたしは色々、こう、ディープでサブカル? なものが好きで、いくらでも語れるけど、そういうふうには描けないんだよね。インディーズのバンドとか色々大好きだったけど、その曲名とかタイトルにした、いかにもな青春バンドものとか」
「とか?」
「殺したくなる」
「大きく出たな」
「でも、そうやって馬鹿にしてたやつらが、いつの間にか認められて、本物になっちゃってるんだよね。それなら、わたしはいいかなって」
「それで、東京ごと捨てたと」
「はい、傷心なんです、わたくし」
そうおどけてけらけらわらう。けらけら、けらけら、その笑い声ばかりは、自分でも泣きたくなるくらいに惨めだった。
「で、物は相談なんだが、ユウマくん」
「はい、なんでしょう、チサトさま」
「仕事紹介してくれない?」
「そんなことだろうと思った」
「町唯一と言っていい若者なんだから、就職の時は引く手あまただったでしょ。そのコネを一つわたしにね? 農業と縁がなくて、あんまり歩かなくて良くて、ジジババの相手しなくて済むやつをね?」
「田舎をなめるなよ、ぶっとばすぞ」
半分くらい本気の交じった口調でそう言った後。彼は何かに思い当たったように、ため息をついた。
「……癪なんだけど、ちょうど、一個ある」
「……メイド募集?」
ユウマがわたしに差し出してきたのは、一枚のチラシだった。
「”不死川家”、メイド募集、家事全般、幼い娘の相手をしてくれる方。給料は……え!?」
そこに並んでいた日給は、東京でバイト暮らしをしていた時にも考えられなったもので、わたしは目を丸くする。
「町内会のご婦人方に回してくれって預かってたんだ。都合で放置してたからまだチサトしか見てない。今なら一等賞だよ」
「いや、それはいいんだけど。どこの誰さ。不死川って、聞いたことないよ」
「こんど、山の上の家に引っ越してくるんだ。ほら、あの博物館の近くにある」
「”幽霊屋敷”に!? あそこに住むバカがいるわけ? 博物館にあるどの展示品より古い家よ」
その建物は、元は養蚕で財を成したさる実業家の家だったと聞く。確かに昔は瀟洒な洋館だったのだろうが、窓は割れ、建物の中にまで周囲の木々の枝が入り込んでいる。”幽霊屋敷”の名は伊達ではなく、わたしとユウマはなんどもあそこに肝試しに立ち入ろうとして、二階に上がる階段に差し掛かるか差し掛からないかのところで恐怖で引き返している。
「半年前から、少しづつ建築業者の人が来ててね、リフォームが終わって、今では立派なものらしいよ。外観は相変わらずのお化け屋敷だけどね」
「何の用があってこの片田舎に来るのよ。ほんとにお化け屋敷でもやる気?」
「いや、考古学者らしい」
「考古学者」
わたしはぽかんと口を開ける。
「それって、ジジイと同じ?」
「まあ、そうなる。じいちゃんは学界からはほとんど追放されたとか何とか言ってたけど」
「あんな人種が世に二人とねえ……」
世界は広いものだ。と一人ごちたあと、そういえば、とわたしは顔をあげた。
「まった、チラシを預かったってことは、ユウマ会ったの? この”不死川”さんに」
「うん、一度一家で郵便局にいらしたよ」
「参考までに、どんな感じ?」
「どんな感じ、と言われても……」
ユウマは記憶の皿の底をさらうようにうーん、と首をひねる。
「その学者さん、なのかな、背の高いスーツの男の人。ちょっと顔色が悪くて一瞬ぎょっとするけど、めちゃくちゃ美形で、おまけに感じもよかった。あと、その娘さんが2人。奥さんはいないって言ってたな」
「”幼い娘の相手”とかってチラシに会ったわね」
「うん、歳の離れた姉妹で、お姉さんは……俺やチサトと同じか少し下くらい。態度は悪い、というかこっちを歯牙にもかけてない感じで、怖かったな。妹さんは小学生くらい? こっちは年相応に無邪気な女の子だったよ。どっちも人形みたいに綺麗な顔してた。あとは……」
「あとは?」
「うん、服なんだけど、姉はやたらに黒くて、妹は異様に白かった」
「はあ……」
「参考になった?」
「いや、あんまり、でも、なんにせよ、お給金は破格なわけで」
コーヒーありがとう、と言ってわたしは座布団から立ち上がり、そのチラシを手に取った。
「一度行ってみるわよ。田舎のくせに、ちょっと面白いじゃない」
「そういえば、どうだったの」
玄関で、ヒールに足を通しながら、わたしは見送りに出てきてくれたユウマに話しかけた。
「どうだった、って」
「ジジイよ。ぽっくり大往生したとか、管まみれになって苦しんで死んだとか、あるでしょ」
「ああ」
それね、と、まるで昨日の夕食を聞かれた時のような気軽さでユウマは言った。
「元気だったよ。最後の最後までね。心臓の薬は貰ってたし、物忘れも激しくなってたけど、ご飯はもりもり食べてたし、医者に行くのも嫌がってさ」
「ジジイらしいね」
「結局病気が悪くなって、入院が決まったんだ。病院に入って、きっとそのまま出てこられない、ってはなしになってさ」
「……」
「入院したときもしっかり僕の手を握ってくれて、ああ、老い先短いとはいえ、このまま病院暮らしを1、2年するのかな、って思ってたら、入院したその晩に死んじゃった」
「迷惑かけたくなかったんじゃない?」
「それなら入院の手続きの前に逝くさ。単に病院にうんざりしたんだ」
「一晩で?」
「一晩で」
ユウマが大真面目に言うものだから、わたしはくすくす笑った。と、彼の顔が少しだけ曇る。
「……じいちゃん、最後まで後悔してたよ。チサトのこと」
「あんなに怒鳴って上京に反対しなきゃよかった、って?」
「いいや、それじゃなく」
歯の奥に何かが引っ掛かったかのような顔で、ユウマはわたしの方を見た。
「チサトが出ていったの、本当は ”あの日、裏山で” 見たもののせいじゃないかって。じいちゃん、ずっと思ってた。あの日に、僕たちを裏山の発掘に連れてくべきじゃなかったって」
「……バカ」
「実際、どうなんだよ」
「バカみたい。 ”あの日、裏山で” わたしたちが見たものはそりゃ酷かった。でも、わたしはそれで生きる道を変えたわけじゃない」
「僕は、変えたかも」
その言葉と同時に、中学校の頃の記憶がよみがえる。そうだ。あの頃はユウマもずっと、この田舎町から出たがっていたはずだ。
「じゃあ、あんた」
「うん、高校も行ってない。町から出てない」
「そんな……っ!」
勢いよくあげた視線がユウマのそれと重なる。彼がひどく悲しい顔をしているものだから、わたしはそれをかき消すように、大きく声を張り上げなくてはいけなかった。
「バカ、バカ。あんた、そんなことで、 ”あの日、裏山で” 見たものが、あんたにそんな……」
「いいんだ。この町はもともと好きだったしね」
「でも」
「チサト」
有無を言わせぬユウマの調子に、わたしは思わず口をつぐむ。
「もし、君が不死川さんちのメイドになることがあったら。不死川さんは考古学者だし、きっと裏山に興味を持つと思う。もしかしたら、あそこの発掘が目的ってこともあるかもしれない」
「ユウマ?」
「その時は、止めてあげて。それでだめなら、僕に知らせて」
「ねえ、ユウマ、大丈夫?」
「あの場所は、隠さなきゃだめだ」
じりり、蝉時雨が、わたしと彼の間の永遠を埋めた。
裏山。当然裏山という名の山はないから、きっとなにかちゃんとした名称があるのだろうが、この町の人々にとって、その山はただ裏山だった。
小学校の裏手にあり、中ほどには小さな神社があったり、ところどころに子どもの遊ぶのに適した空き地があったりする。わたしとユウマは、放課後になるとそこで昼も夜もなく遊んだものだ。
それは小学校のある側から登った時のことで、反対側には山頂近くまで細い道路が伸びている。道中には横道があり、まっすぐ進むと、この町唯一の、小さな博物館に出る。横道に進むと例の幽霊屋敷だ。
「ほう、この町から東京に」
「はい、そして今年帰ってきたんです」
「博物館の故春川博士とはお知り合いだと?」
「はい、ジジ……えっと、良くしてもらってました」
「素晴らしい。春川博士の実績は私も見た。清新で独創的な研究だ」
わたしは今、その幽霊屋敷にいた。玄関を跨いですぐの応接間。新品のソファーは座るだけで体全部が呑み込まれてしまいそうなほどにふかふかだ。最初こそ、あの頃の幽霊屋敷と何も変わらない外装に狼狽えはしたが、中はすっかり快適に整えられている。アレだ。あまり外見や他人からの評価にこだわらない人なのかもしれない。
「家事などは?」
「一通り、出来ると思います」
「ちなみに料理は?」
「できはする、くらいだと思います。町の出前やってる美味しい店なら大体知ってます」
「それでいい。日頃の料理はわたしが作っていますから。あなたは私や娘たちが夜食や間食を求めた時に対応する程度でしょう」
目の前にいる館の主人──不死川奏(フシカワ‐カナデ)というらしい──は、わたしに簡潔な質問を飛ばしながら、にこにこと微笑んでいる。その顔は、ユウマの言う通り病的なまでに青白く、夏だというのにスーツにワイン・レッドのネクタイを結んですましている。まさしく貴族、といった佇まいだった。ただ、厳粛な雰囲気はなく、値踏みするように履歴書を見ながら、長い指で頬をとんとんと叩く姿は、一種の気安さすら感じさせる。
まあそれでも、生まれてこのかた経験したことのない「面接」という場の持つ空気感は、わたしを震え上がらせるには十分だったわけだけれど。
「……あのう」
「はい、なんでしょう」
「いや、次の質問とか、あるのかな、って、はは」
わたしのその言葉が意外だったとでも言いたげに、カナデはわたしに視線を向けた。いざ視線でとらえられると、あまりに均整の取れた顔立ちに呼吸を忘れそうになる。
「いや、ないね。ないよ。質問は以上だ」
「それ、じゃあ、わたしは、これで」
「いいや、それも違う」
「ひぇ? と、いいますと?」
場の空気に気圧されそうになりながら素っ頓狂な返事を返すわたしに、カナデは立ち上げり、手を差し出した。
「採用だ。たった今から君はうちのメイドになった。よろしく、花森くん」
その吸い込まれそうな瞳に、ほお、とみとれて、すぐにわたしは目をそらした。だめなやつだ、これ。と思ったのだ。
「で、制服が、これ、ですか」
「そうだ。前時代的に思えるかもしれないが、まあルールだと思ってくれたまえ」
とんとん拍子に話は進んで、気が付いた時には、わたしは履きなれないロングスカートをくるくる揺らしながら、鏡の前で息をついた。
メイド服だ。どう見たってクラシックなメイド服だ。東京にいた時に見たそういうカフェの従業員が来ていたものとも違う。本格的な、屋敷に仕える女性のユニフォームだ。
「変じゃないです?」
「とてもよく似合っているとも」
「そうですか……」
先ほどからカナデは妙にご満悦だ。困惑しないわけではなかったが、このあまりに妙な状況の中で、わたしは異様なほどにリラックスしていた。メイドの衣装も、この格式ばった屋敷の中で、わたしがまっすぐ立てるようにするためのサポーターのように思えて、頼もしかった。
「……なら、よかったです」
わたしがそう言って微笑むのを満足げに見つめ、カナデは席を立った。
「それなら今度は屋敷を案内しよう。とはいえ、君は間取りを理解しているようだったが。昔、ここに来たことが?」
「え、あ、はい、子どもの頃に……」
肝試しで、とはとても言えなかったが、そのあたりは言外に理解されてしまったのだろう。気にしていないよとでも言いたげに、カナデはチャーミングなウィンクをした。
「ええと、呼び方は? 旦那様、とか言った方が」
「不要だ。敬称は自由にするといいが、君は常識もあるようだし、その範囲で好きに読んでくれ」
「それなら、カナデ様、で」
誰かを様付けで呼ぶことなんて、生まれてこのかたなかったから、その響きは妙にくすぐったかった。
そのとき、つかつかつかとせっかちな足音がして、ホールの扉が開いた。
「お父様、何の騒ぎ?」
ほお、と私は声に出してしまいそうになるのを必死にこらえる。それほどに、そこに立つ女性は美しかった。年のころは20歳前後だろうか。黒を基調とした身軽なドレスに身を包み、髪を後ろで器用に結わえている。ただでさえ切れ長の眉は手でも切れそうに鋭く整えられ、その目はカナデと同じで、吸い込まれそうな黒をしていた。ユウマの話からして、彼女がこの一家の姉だなのだろう。
「おや、乃愛、挨拶をしなさい、彼女が……」
「あら、それが新しいメイド?」
それ、とは失礼な。カナデの言葉を遮って彼女が言った言葉に、わたしは眉をあげる。カナデも困ったように眉を下げ、わたしの方を向き直った。
「失礼、娘は難しい年ごろでね。私が紹介しよう。長女の乃愛だ」
「不死川乃愛(フシカワ‐ノア)様、ですね。ええっと、わたし、花森千里っていいます」
たどたどしく頭を下げるわたしに、ノアと呼ばれた女性は、あざけるような笑いを返す。
「こんな田舎町で、お節介おばさんが来なかっただけ感謝すべき? お父様、本気でこれをうちに迎え入れるつもり?」
「そうだとも、娘よ。先ほど決まったことでね。その時にはお前はいなかったから」
「はん、花森、だっけ? 言っておくけど、わたしに構う必要はありません。だからあなたもわたしに構わないで、田舎娘がいると空気まで土臭くなるわ」
随分なご挨拶だ。ふつうならここでヒールでもなんでも投げつけて出ていくところだが、幸い今のわたしは奥ゆかしいメイド服に身を包み、心に大きな余裕がある。箱庭育ちのご令嬢の貧困な想像力から出てくる罵倒など、痛くも痒くもない。
他にも、ぶっ飛ばしたくなるような悪口をいくらか言ってから、ノアは部屋を後にしていった。カナデは困ったように眉を顰め、わたしに軽く頭を下げる。
「すまないね。ノアは昔からああなんだ。どこで育て方を間違えたのか」
「大丈夫です。えっと、ノア様はかまうな、って言ってましたけど」
「悪いが、良くしてやってくれないか。ああは言うが、一人ではきっと部屋の掃除もできまい」
はーん、いいこと聞いた。こんどあの高飛車お嬢様にあったら言ってやろうと考え、わたしは思わずにまりと笑った。
不死川のお屋敷に務めだして、1か月が経った。
初めて見れば楽なものだ。わたし自身、あまり掃除や片付けが得意な方ではないのもあって不安はあったが、もともと綺麗なものをきれいに保つ仕事で、それに法外な給料が発生するのだから嫌がる理由もない。もらうものをもらって怠けられるほど面の皮も厚くはない
洗濯の方はいくらか大変だった。屋敷の皆の着る服は上等で、特に主人のカナデは、この田舎町で来客もないのに、何着も持っている上等なスーツを着回している。上等な生地の洗い方は分からないことも多く、わたしは地元の老舗クリーニング屋のおばあさんに方法を聞かなければいけなかった。久しぶりに帰ってきた家出娘にそんなことを聞かれ驚く彼女の顔は忘れられない。
カナデは、日中は毎日のように博物館に通っているようだった。あの小さな博物館のどこにそんなに何日もかけてみるほどのものがあるか分からなかったが、彼は朝になるとスーツを着込んで博物館に行き、夕方ごろに、子どものように顔をほころばせて帰ってくる。 そうして私に買いに活かせた食材で手際よく夕食を作り(彼の作る料理は控えめに言って、すごく、すごくおいしかった)、ディナーを囲む家族に今日の博物館での新たな発見を語って聞かせるのだ。
専門は考古学だとユウマが言っていたが、彼の知識は広く、そこから語られる話は、いささか衒学趣味に走りすぎることはあったけれど、わたしにはいつもおもしろかった。長女のノアは父の話に興味を見せることなく途中で席を立ってしまうし、次女のランは目を輝かせ父の話に聞き入るものの、大抵は途中で眠ってしまうので、彼の話を聞くのはいつもわたしの役目だった。
そう、次女のラン。真白いドレスに身を包んだ、不死川家の末娘の不死川蘭(フシカワ‐ラン)である。小学3年生になったばかりの彼女の相手も、わたしの主な仕事の一つだった。 とはいえ、ランは日中は小学校に行くため、主に彼女と話すのは夕食時と休日だったが。
「チサト、やっぱり絵、上手だね」
「そうですか? ありがとうございます」
「ね、ね、こんどはおねえちゃんのこと描いて」
「はい、はい。ノアさまですね」
ランは姉とは正反対の無邪気な少女だった。絵を描くのが好きで、わたしが一度彼女の似顔絵を描いてやったらあっという間に懐いてきて、あれを描いてこれを描いてとねだってきた。
「ランさま、小学校で友達はできましたか?」
「うん、ひとり! 4年生の人。あと先生とも仲良くなったよ!」
「よかったですね」
友達は上の学年に一人、きっと、学校にランとその子の二人しかいない、というなのだろう。わたしとユウマの通ったあの小学校がいまだに閉校になっていないことは驚きだったが、こうしてランが後輩となったからには、このお屋敷にいては絶対学べないであろうド田舎小学校での身の振り方を教えてやらねばという使命感も湧いた。
と、いうか、単純に人形のように美しい顔の幼女に懐かれるのは悪い気がしない。というか、めっちゃ可愛い。お勤め中でいけないと思いながらも、勝手に頬が緩んでいくのが分かる。
「ラン、また花森とはなしているの」
背後からそんな声が聞こえて、わたしの笑顔はさあっと引いてしまった。
そう、そうなのだ。平日の昼間はカナデもランも家を開けている。ということは、つまり、この屋敷には、わたしと、性悪美形箱入りニートこと、ノアだけになってしまうのだ。
「あ、おねーちゃん! みてみて! チサトが、おねーちゃんのこと描いてくれたの!」
ぴこん! と何かのセンサーで姉の到来を感じ取ったようにランは立ち上がり、わたしが今しがた描き終えた絵をもって、ノアに駆け寄っていく。
「花森が、わたしを? はん、よかったわね。でもラン、花森と話しちゃいけないって前に教えなかったかしら?」
「でも。パパはチサトと遊んでなさいって」
「遊びなら一人でもできるでしょう。とにかく、だめよ。部屋に戻ってなさい」
「えー!」
「えー、じゃないの。おやすみ。ラン」
穏やかに言い含めるように、けれど確かに強い口調で、おやすみ、と言われ、ランはスケッチブックを抱えてすごすごと部屋に戻っていった。
ランががいったのを見届けると、ノアはわたしの描いた似顔絵をくしゃくしゃに丸め、ぽい、と床に放った。
「掃除しなさい。あと、もう私のことは描くな。不愉快です」
「申し訳ありません。ノア様。ラン様にお願いされたもので」
「そもそもあの子に関わらなければいいだけの話でしょう」
「わたしは、仕事を、している、だけですので」
この1か月、わたしとノアは二人きりになるといつもこの調子だった。わたしも口だけはノア様、と言ってはいるが、口喧嘩で負ける気は毛頭なく、ぴりぴりとした空気が流れてしまっている。
「とにかく、もうランにかまうな。わたしにも、父にも」
「ノア様はわたしに、仕事をするなと?」
「そうよ。さっさと出てけって言ってるの」
ノアはいつも屋敷にいる。最初の1週間は町に降りることもあったが、あれがないこれがない田舎臭いと散々に愚痴を垂れた挙句、いまではほとんどこもりっきり。大体蔵書室で本を読んでいるか、ホールでピアノを弾いているかだ。完全に深窓ニートである。
「それに、今日また私の部屋に勝手に入ったでしょう。やめてと何度言ったら分かるの」
「シーツの取り換えと掃除のためでした。仕事ですので」
「もうするな。一人でする」
「できるんですか?」
わたしのちょっとメイドの敬語の範疇を越えた物言いに、ノアは顔を真っ赤にして怒りをあらわにした。愉快愉快。大体もういい大人なんだから、家の場所や召使に不満があるなら一人でどうとでも暮らせばいいのだ。就労も学業もせずに漫然とえらそうにしているだけの女相手に、そこまでかしこまっていられるほどわたしは奥ゆかしくない。
「もういい、さっさとどこかにいきなさい」
「かしこまりました」
今日はわたしの一勝ね。ノアの眼にそう語りかけると、わたしはくるりと踵を返す。一緒にスカートの裾もくるりと揺れるのが、最近は好きになってきた。トラブルこそあれど、メイドという生き方は案外向いているのかもしれない。
「……そうだ。花森」
と、ノアがわたしの背中に声を投げかけた。捨て台詞でも思いついたか、とわたしはまた振り返る・
「なんでしょう」
「今週の休日なのだけれど、ランに紅茶の淹れ方を教えるの。朝は来なくていいようにお父様に言っておくから、ケーキかなにか見繕って買ってきなさい。間違ってもここいらの田舎菓子なんて持ってこないようにね」
一言多いが、まあお嬢様からメイドへの頼みとしては至極真っ当だ。駅前に昔ながらのケーキ店が一軒ある。店主のおじさまは気難しいところがあるから、この高飛車お嬢様よりは顔見知りのわたしが行くのがいいだろう。
わたしが驚いたのは、こんなふうにノアからわたしに何かを言いつけるのが、初めてだったということだ。
「かし、こまりました」
「何間抜けな顔しているのよ。さ、用はすんだわ。さっさと行きなさい。いい、買ってから来ること。前日に買うなんて論外よ。おたくの所帯じみた冷蔵庫で寝かせた菓子なんか食べられるものですか」
わたしがぼおっとしているのをいいことに、ノアはさらに二言三言罵倒を言い添えて行ってしまった。なんだかズルで勝ち逃げされた気がして、ちくしょう、とわたしは呟いた。
──チサトちゃんが帰ってきたって聞いてねえ! おばさんもう張り切っちゃって! 早起きしてケーキ焼いちゃったの! くるみケーキ! 今日もお仕事なんでしょ? 是非職場の方々にもたべてもらって~!!!
ノアからお使いを言い使った朝、わたしはいつもの出勤時間に、タエコおばさんからもらったくるみケーキをもって、裏山の坂を上っていた。
ノアの言いつけ通りケーキ屋の開店を待っていたらきっと出勤は10時ごろになるだろうから、それよりも3時間ばかり早いことになる。きっとまたぐちゃぐちゃ文句は言われるだろうが、望むところだった。このくるみケーキはこの山奥の町よりももっともっと山奥で、都会人ならだれもが夢見る人生の楽園的スローライフを送るタエコおばさんが多分朝の4時くらいから焼き上げたものだ。あげつらう欠点なんてないくらい美味しいし、これならあの性悪ニートもぎゃふんというだろう。あとランちゃんにもこれ食べてもらいたいし。
出し抜かれ目を丸くしたノアの顔を思い浮かべ、わたしはふんすふんすと鼻息荒く山道を登る。今は暑さも気にならない。まっていろ高飛車ニート、いまにそのちっちゃな口に無添加無着色のオーガニックケーキを詰め込んでやる。
そんな風に道路沿いの山道を登る私の足が、途中で止まった。
「え……」
息が止まる。どさり、とケーキの箱が地面に落ちる。
何の変哲もないガードレール、だけど、その向こうの茂みに、人が分け入って入ったような跡があった。
見ればわかる、 ”あの日、裏山で” わたしとユウマ、そしてジジイはこの道を通った。
落ちたケーキを顧みずそこに駆け寄る。枝の折れた後は新しかった。
──不死川さんは考古学者だし、きっと裏山に興味を持つと思う。もしかしたら、あそこの発掘が目的ってこともあるかもしれない。
ユウマの言葉が脳裏でこだまする。
「そんな……ダメ!」
気がつけば、わたしはガードレールを飛び越え、その道に勢いよく踏み込んでいた。
「そこに、そこに埋まってるのは──!」
裏山の、その場所は、あの日から何も変わってはいなかった。最悪なことに。
風もないのに、草木がいやに有機的にゆらめく。音もないのに、何かがそこら中にいると分かる。
そうだ、あの日もわたしたちはこれを感じて、なのに引き返さなかった。
ジジイは革命的な発見だといって目をぎらぎらさせていたし、怖がるユウマのことを、わたしは引き返したら弱虫だなんてからかった。
そのせいでわたしたちはそれを見て、ユウマは、この町に縛り付けられる羽目になった。
──チサトが出ていったの、本当は ”あの日、裏山で” 見たもののせいじゃないかって。じいちゃん、ずっと思ってた。
そうだった。わたしはやっぱりそうだった。漫画家の夢はホントだった。でもあそこまで無理をして町を出て行ったのは、やっぱり、あの日見たものが、怖かったからだ。どうしようもなく、恐ろしかったからだ。
あの日、あのひ、あの……。
「────あ」
今、”それ”はまた、わたしの目の前にいた。
姿は見えない。でも気配で分かるのだ。茂みの向こうに、あの日と同じ、それがいる。涎を垂らして、かぎづめを鳴らし、わたしのことを見ている。
「や、や」
泣いたら殺される。本能がそう叫んでいた。わたしの心が折れた瞬間に、それは飛び掛かってくる。
でも、でも、無理なのだ。わたしには、それが、どうしても────。
「なんでいるのよ」
刹那、銃声が山の中に響いた。その轟音に、わたしの意識は現実に引き戻される。わたしの前にいるそれも、獲物に襲い掛かる構えを解いたようだった。
でも、まだいる。
わたしが逃げ出そうとした瞬間、がさり、と音がして、わたしの隣に、何かが降り立った。
「私は、なんでいるの、と聞いたのだけど、花森。ケーキはどうしたのかしら?」
「……ノア様!?」
間違いない、わたしの前にいるのは不死川ノアだった。
ただ、その格好は、わたしの知っている彼女とはずいぶん違う。黒が基調、ではあるのだが、スカートは大幅に短くなっており、頭にはベール。そしてそのてっぺんからは、獣のものとしか思えないもふもふの耳が、飛び出している。
そう、言うなれば、ケモシスター。
「ノア様、それは……」
「恰好をどうこう言ったら撃ち殺すわよ」
そういう彼女の両手には、確かに、十字架を模した拳銃が握られている。
「ったく、どうしてそう間が悪いのよ。花森、あなたを引き離そうとしたのに大失敗じゃない。パパに見つかったら面倒なことに……」
「カナデ様がここに!?」
その言葉に、わたしは事態の深刻さを思い出す。そうだ、この恥知らずのコンコンチキとしか思えないノアの恰好を置いておくとしても、彼女とカナデはここにきてしまっている。”あの日”と同じ”この場所”に。
「ノア様! 逃げてください! それと、カナデ様も!」
「うっさいわね……事情は何となく……」
「逃げないとダメなんです。あそこに──」
「───あそこにいるのは、”恐竜”なんかじゃないんです!」
「……驚いた、あんたそこまで知ってるんだ」
ぽつり、ノアがそう呟いて、参りましたと言いたげに手をあげた。
「町の人間だから何か探れるかもとは思ったけど、あんた、その死んだ学者からよっぽど色々聞いてるわね。参った、パパにあんたを渡せなくなった」
「の、ノア様?」
「あー、でももう手遅れかな、もうパパに視られちゃってるもんね、花森。ほいほいメイド服とか着てたし」
「ノア様、逃げないと」
「ごちゃごちゃうるさいわね、黙ってなさい、花森」
そう言うと、彼女は目の前の恐ろしい気配へと、一歩、一歩と踏み出していく。
「死ぬほど癪なんだけど、私、あんたを守らなきゃいけないみたい」
「はい!?」
「命は守るけど、腕の一本二本は保証しないから、そこは自分で何とかしなさい」
「ひぇ」
「メイドでしょう、返事は!」
「は、はい、お嬢様!」
混乱した頭からわたしがとっさにひねり出した「お嬢様」が面白かったのか、彼女は唇の端を吊り上げてきひりと笑う。
「よろしい。それじゃあ────────────シスタモン・ノワール、参る」
SUMMER TIME SERVICE 第一話「猫と恐竜の夏休み」
次回に続く……
まあザビケなんで、次回に続くかどうかは分からないんですが。
というわけで、お世話になっております。マダラです。「SUMMER TIME SERVICE」読んでいただきありがとうございました。
いや、ザビケ、一話企画、素晴らしいじゃないですか、思うさまそれが何か作者にもわかっていない思わせぶりな描写をばらまける、素晴らしいです。こんなに気持ちいことはない。
というわけで、、本作にはマダラの好きなものとか、過去に脳内で考えるだけ考えたプロットが多分に含まれています。夏、なんかありそうな田舎、博物館、メイド、なんかありそうなお屋敷。二話を書けと言われたら僕はここで腹を切ります。
ともあれ、続きを書きたいという酔狂な方がいた時のため、下にいろいろまとめときますね。では、企画を今後も一緒に楽しみましょう、それでは。
登場人物
・花森千里(ハナモリ・チサト)
多分主人公。元漫画家志望のメイド。“町”出身の22歳。
・春川遊馬(ハルカワ・ユウマ)
千里の幼馴染。郵便局員、“町”を出たことがない。
・春川博士
一年前に死んだジジイ、考古学者。学会を追放されてる。
・不死川奏(フシカワ・カナデ)
幽霊屋敷に引っ越してきた考古学者。なんか人じゃなさそう。
・不死川乃愛(フシカワ・ノア)
不死川家長女。22歳ニート。シスタモンノワールになれる。
・不死川蘭(フシカワ・ラン)
不死川家次女、ようじょ。シスタモンブランになれそうかも。
用語
・”町”
みんなの心の中の田舎町
・裏山
博物館、幽霊屋敷、なにかがある。
・幽霊屋敷
今は改築され不死川家が住む。チサトの勤務先。
・“あの日、あの場所”
なにかあった
・くるみケーキ
もったいない