#ザビケ 幼い頃、毎晩死ぬ夢を見た。
そんなふうに話すと、だいたいみんな笑う。そうして、あるよな、だとか、わかる、だとか、俺もこの前さ、とか話し始める。
でも、僕にとっての死の夢は、そんなものではなかったらしい。
らしい、というのは、今の僕はもう死の夢を見ても、朝には忘れてしまっているから。そして、幼い時分の記憶はは、あまりにショッキングな死の夢のせいで、現実も夢もひっくるめてほとんど忘れてしまっているからだ。嘘じゃない、医師の診断書だって、立派なのがうちにある。記憶を失っていることを証明しなければいけない場面は日常生活に案外多く、うちの引き出しには診断書のコピーが一束常備されているのだ。
僕は時たま、そのコピーを引っ張り出してまじまじと見る。自分が自分であることにおざなりな病名がついていることで、僕は酷く安心したり、反対に恐ろしいほど心細くなったりする。
──
僕が一体いつから死の夢を見ているのか、定かではない。夜泣きが酷い赤ん坊だったのよ、と母が前に言っていたから、もしかしたら、生まれたその晩からかもしれない。
僕は今14歳と85日。生まれてから今までに4回の閏年を経験しているから、5199回死の夢を見ている計算になる。いや、越えた夜の数だから5198だろうか。どちらにせよ、なんだか思ったより大したことのない数だ。だけど別になんだっていい。今の僕はもう死の夢とはなんの関係もない。
死の夢を見ていた頃のことは忘れてしまったけど、死の夢と縁を切った日のことははっきりと覚えている。僕は6歳で、そして、オレンジ・ジュースを飲んでいた。
──
「オレンジ・ジュースは好き?」
目の前の若い男はそう聞いてきたから、僕は両手でコップを握りしめたまま、こくり、とうなずいた。身を預けているのは年季の入った赤い革張りのソファーで、座面に敷かれたごわごわのタオルが僕を不愉快な気分にさせた。
「ドーナツもあるよ、食べるといい」
僕はうなずいて、男が差し出した鉢の中に入っている小袋入りのドーナツを手に取った。
「あの」
隣に座る僕の母が、少し苛立ったような口調で男に話しかけた。僕は幼かったけれど、彼女の気持ちは痛いほどよくわかった。僕も母も、オレンジ・ジュースやドーナツにはほとほとうんざりしてしまっていたのだ。これまで母が僕の手を引いて訪れたありとあらゆる医師やカウンセラーが、そうやって猫なで声で僕をもてなし、そして最後には白旗を上げてきたのだ。
その日僕たちが訪ねた男は、医師でも学者でもなかった。先進的な医療機器を開発しているというとあるベンチャー企業の技術者で、万策尽きた母の最後の切り札だったのだ。CTスキャンやその他諸々の訳の分からない近未来的装置を期待していたら出てきたのがいつものドーナツでは、母が文句の一つもいいたくなるのも無理はなかった。
「結城(ユウキ)先生。事情は既にメールでお話したかと思いますが」
棘と、何より焦りを含んだ母の口調に、結城と呼ばれた男は少しも動じる様子は無かった。
「ええ、同封していただいたN大病院での検査結果も拝見させていただきました。感心しましたよ。さすが脳科学では本邦一の大学だ」
「別にあなたを感心させるために送ったんじゃありません」
「失礼、お子さんの容態についてもしっかり把握させていただいていますよ。蓮上調(ハスガミ・シラベ)くん、6歳。はっきり確認できた時点で3歳の頃から自分が死亡する内容の鮮明な夢を見続けている。そのことが脳や心に与えているダメージは計りしれない。と、確かに今も、夢でも見ているみたいだ」
そう言って結城は僕の目を覗き込む。彼の言葉は正しい。そのときの僕は、もうぎりぎりの状態にいたらしい。夢と現実の境が曖昧になっていて、最後に死んで、それが夢だったと気づく有様だった。
ぎりぎりの状態なのは、母も同じだった。当時の写真を見ると、母は僕を抱きながら、いつも酷くやつれていた。相手に怒鳴り散らすこともしばしばだったというから、結城ののんびりした態度に苛立ちを示すだけで耐えているのはかなり頑張っていたほうだったのだろう。
「私達が知っていることを、そう丁寧に教えてくださらなくても結構です。対処法はあるんですか」
「ふむ、それは難しい質問です」結城はゆっくりと椅子に腰掛け直した。
「たしかに、不眠対策は私達”梵天テクノロジー”の専門分野です。しかし、夢を見ないようにする、というのは難しい、人がなぜ夢を見るか、なんてのは、今でも解けない謎のひとつなんですから」
「打つ手がないなら、そう言ってください」
「ああ、いや、失礼」
結城は爆発寸前の母を押し止めるようにして、両手を前に出し、声のトーンを上げた。
「解決策ならあります。この上ないものが」
「本当に?」
「ええ、要はシラベくんが悪夢にも、睡眠自体にも怯えることなく、スッキリした頭で日常生活が遅れるようになればいいんですよね。可能ですよ」
「……」
母が言葉に詰まったのも無理はない。この無理難題に、ここまではっきり「できる」と返したものは、これまでどこを探してもいなかったのだ。
その場の二人のオーディエンスが静かに話を聞く気になったのを確認して、結城はゆっくりと話し出す。
「シラベくんが抱えている問題は2つなんです。毎晩死ぬ夢を見る、これはさっきもいった通り、どうしようもない。でも、些細な問題です」
「些細って……」
「些細ですよ。だってそうでしょう、人はたくさん夢を見る。お母さんも例外じゃない。でも、お母さんは、その内容を全部、翌朝になっても覚えていますか?」
「……」
「要はそこなんです。夢を見ることは止められない。脳の営みの一つを止めてしまうことによるリスクもはかりしれない。でもその内容を綺麗さっぱり忘れて目覚めることができれば、悪夢はなかったのと同じ、そうじゃないですか?」
「そんなことが……」
「できます」
結城はきっぱりと言った。
「ですが、最初に言っておきます。先程申し上げた通り、それは対症療法で、治療と呼べるものではありません。おまけにそれは、当社の機密中の機密に関わっている。国から打診されて取り組んでいるプロジェクトでして、ぺら紙一枚の機密保持契約書でお渡しできるようなものではないんです」
「できることなら、なんでもします」
母より先に、僕が言った。
「もう夢は、いやなんです」
僕の言葉に胸を打たれたように、母も何度もうなずく。結城は少し黙って、それから立ち上がった。
「……わかった。それならこっちへ。彼との暮らしについて説明します。それから、顔合わせだ」
「彼?」
「安心してください。噛んだりしないから」
「何を……」
「いや、実際子どもの関係者ができてくれるのはありがたいです。あれを発見したときの会議では、ゲームにすればいいんじゃないか、なんて話もありましたから」
「ゲーム?」
あっけにとられて結城の背中を追いながら、ごくり、僕はオレンジ・ジュースを飲み干した。
──
「田中ー、寝るな。6限ももう後5分で終わるから、頑張れ」
晩夏の風が吹き込む第一理科室に、教師の仁科(ニシナ)の声が響き渡る。名前を呼ばれた生徒はその声にも反応せず、隣席の女子に背中を叩かれて始めて、びくり、という方の震えとともに目を覚ました。くすくす笑いがささやかに広がっていく。
後5分で授業は終わるところ、授業内容自体も公共放送の実験番組を見るだけの退屈なもので、今は余った時間を潰す雑談の時間だった。無理に起こさなくてもいいのに、意地悪だなあ、と僕は思う。
「ちゃんと夜寝てるか? ほら、アレやればいいんじゃないか。最近流行りの」
「”デジスリ”?」誰かが言う。
「そうそう、”デジモンスリープ”」
「やってたらこないだ怒ったじゃん」
「あれはHR中にスマホを出して写真の見せあいをしてたからだ。やる分には問題ない。あれのお陰で10代の睡眠の質が上がった、なんて統計もあるしな」
「先生、くわしいね」
「やってるんじゃないの」
「おう、やってるぞ」
仁科の発言に、クラス全体がざわわ、とどよめいた。
『デジモンスリープ』──脳科学分野で先駆的な研究を続けるベンチャー企業・梵天テクノロジーが1年前にリリースしたスマートフォン向けゲームだ。
舞台はデジモンという架空のモンスターと人が共生する世界。プレイヤーは国際デジモン研究所の所長・ネムリー倉田の依頼を受け、キュートなスヤスヤ系デジモン、ベルフェモン(同作のマスコットでもある)を育てながら、ベルフェモンとともに眠る様々なデジモンの寝顔を撮影していく。スマートフォンを枕元に置くことでプレイヤーの睡眠を計測し、眠りの質が高ければ高いほどベルフェモンも成長していく。
基本料金無料で、コンセプト的にゲームに厳しい家庭でも受け入れられやすいこと。健康促進に効果があると厚生労働省が認定したこともあって、爆発的にダウンロード数を伸ばしている。
「先生デジスリやってんの! レベルは?」
「一応最大にしている。あとこないだ、ゴツモンの色違いも撮ったぞ」
「マジ! 赤いの!?」
「いや、青かったな」
「……先生、青いのはゴツモンじゃなくてアイスモン。色違いじゃないですよ」
「いや、色違いだろ、色変わってる以外は同じなんだし」
「そうだけど、そうじゃないんです」
クラス中の失笑を受け、仁科は何を間違ったかわからないといったふうにおろおろしている。
「正直見分けつかないよな、あれ」
頬杖をつきながらその光景を眺める僕に、同じ班の友人──木村義人(キムラ‐ヨシト)が声をかけてくる。
「ヨシトもやってるんだ。あのゲーム」
「おう、シラベはやってないんだっけ。ソシャゲ厳しい家?」
「別に。でも今からやって追いつけるかわかんなくって」
「全然間に合うって! というか間に合うとか間に合わないとかないんだよな。基本は寝るだけだし」
「寝るだけで、そんなに楽しいわけ?」
「いやあ寝るのは寝るだけだけどさ。寝てる時間って基本的に虚無なわけで、もったいないじゃん」
「思ったことないかも」
「でも、デジスリやってると、そういう睡眠時間が話のタネになるって言うかさ、なんかいいんだよな。モンスターのデザインも尖ってるし」
そういってヨシトは仁科に見えないように、机の下からスマートフォンを見せてくる。そこには様々な姿かたちのモンスターが写されていた。
「これ、全部ヨシトが?」
「いーや! なんだかんだ言って俺夜更かししちゃうし、こんないいのは取れねえよ。これは全部ネットで拾ったんだ。デジッターにスクショあげてるガチ勢の人がいてさ」
「ガチ勢ってなんのだよ」
「そりゃ睡眠だろ」
大真面目な顔で言うヨシトに、僕は思わず苦笑を浮かべる。
「ヨシトくん、スマホ、だめだよ」
と、班のテーブルの反対側から女生徒の声がかかる。
「なんだよー、ユキナ、固いこと言うなって」
「もう」
そう言って真藤幸奈(シンドウ・ユキナ)は困ったように眉を下げる。分厚い眼鏡におさげ髪、一日の終わりだというのにブラウスには少しもくたびれたところはなく、ぴしりと音がしそうだ。そんなお堅い雰囲気とは対照的に声が纏う空気は柔らかく、僕たちの非行をこれ以上たしなめるつもりもないようだった。
「ユキナだってやってるだろ。デジスリ」
「え、そうなの?」
顔をあげる僕に、ユキナは頷く。
「やってるだけ、って感じだけどね。ヨシトくんがみせてるの、“Fudie16”さんの写真?」
「そうそう」
「フーディエ・シックスティーン?」
疑問符を飛ばす僕に、ヨシトとユキナが同時にこちらを見てくる。
「さっき言ったデジスリのガチ勢だよ。この一年、毎朝のように激レア写真をデジッターに上げてんだ。写真以外の投稿はナシの謎の人物」
「チートとかなんじゃないの?」
「睡眠のチートってなんだよ」
「そりゃあそうだけど」
「少なくとも、何か不正していたら一年ももたずにBANされてると思うの」
ユキナも熱心にうなずく。
「それに投稿時間がガチで健康な睡眠取ってるっぽいんだよな。写真への発言はないかわりに、返信には律儀にいいねつけてくれるんだけど、毎日9時過ぎると一個もいいねつけないんだよ。で、毎朝6時ごろに写真をあげてんの」
「“睡眠に命を懸けている”とか“むしろ寝てる時が活動時間”とか“世界一ベルフェモンの覚醒に近い人物”とか、“もうお前がネムリ―倉田”とか、言われてる」
「それは褒めてるの?」
「少なくともネムリ―倉田は褒めてないね」
大真面目な顔で言うユキナに、僕は思わず苦笑する。
「ユキナさんも、その人のことフォローしてるわけ?」
「うん」
「あれ、ユキナ、デジッターやってんの? おれ知らないんだけど!」
「あっ、えと、その」
「いや、クラスのみんなフォローしてないなら、別に教えろとかって言わないって」
「よ、良かった……」
「そんなに安心されると逆に気になるな」
「え、あ」
「冗談だってば。でもシラベも気になるよな?」
「し、シラベ君も気になるの……?」
ユキナがあまりにも不安そうな口調で聞いてくるものだから、ヨシトは慌てたような顔を僕に向けてきた。フォローを任されても困るんだけどな。
「僕、デジッターやってないから」
「よ、よかったあ」
「にしても、そんなすごいんだ。その、フーディエなんとか」
「うん。アプリの内部データとか調べてる人たちが逆算してみたんだけど、ほとんど夢も見ていないレベルで熟睡してるって」
「夢も見ていないレベル、かあ」
「シラベも興味出てきたか?」
「いーや、別に」
僕がそう呟いたと同時に、チャイムが鳴り響く。運動部の数人の生徒が、待ってましたと言わんばかりに立ち上がった。数人の女子生徒はカラオケに行く話を始める。お前ら、夜遊びはするなよ。最近物騒なんだから、と仁科が声をあげた。
──
「と、のことらしいよ」
「言えばよかったのに。自分が”フーディエ16”だって」
「言えないでしょ。それこそ、チートなんだしさ」
「ボクのことをチートって言うなよ」
そう言って、僕は自室の椅子に思いきり体重をかけた。キャスターがころころ転がり、窓辺で止まる。暖かな春の夜、二階の窓から見下ろす町は静かでありながら、体の奥底の人ではない部分が長い眠りから覚めたようなざわめきが、そこら中に満ちていた。
「それに、本当はダメだろ。僕も梵天に研究協力してるって意味では開発側なわけだし。こうやってSNSにあげてるのだって、結城さんにバレたら怒られる」
「シラベはただ寝てるだけだろ。胸を張れって」
ベッドの上から返事をしてくるその声は、からかうように笑った。僕は椅子から立ち上がり、その声の主のそばに横たわる。
「なんだよ。もう寝るの? はやいね」
「寝ないよ。デジッター見るだけ」
「それもまた珍しい」
そう言って、声の主は僕とスマートフォンの間にするりと潜り込んでくる。茶色と蒼銀の毛から石鹸の香りがして、僕は唇の端を吊り上げた。
「風呂入ったんだ。母さんに洗われた?」
「言うなよ。ママさん乱暴に洗うから酷かったんだぜ」
「ねこみたいな臭いしてるバクモンが悪い」
「なんだと」
金属の兜をかぶった獣がムッとした顔を向けてくる。ピカピカにされたその体をみていけば、それには後ろ足がなく、かわりに煙のようになっていた。
「んー」
「どしたの、シラベ?」
「いや、みんなどんな顔するだろうなって。デジスリの人気キャラクターのデジモンは本当にいる、って知ったらさ」
「ボクを見ても、シラベは大丈夫だったろ?」
「あの頃は小さかったから」
「ママさんも許してくれた」
「僕のためだったから」
「なんだよーーー。俺たちはどうせネットでポップした起源も分からない電子生命体ですよーだ。よーーーーーだ」
「そういうなよ。頼りにしてるったら」
バクモン──梵天テクノロジーの結城が僕に示した悪夢への対抗策は、ネットから生まれたという国家機密のモンスター。僕の悪夢をくらうという電子のモンスターだった。
頬を膨らませたバクモンの声に、スマートフォンに視線を注いだまま、僕は笑みを浮かべる。
「なんだよ、今日はスマホに熱心だな」
「”フーディエ16”のアカウントだよ。いいね欄見てる」
「千も二千も来てるだろ。スパムだらけだし。とっくに見るのやめたと思ってた」
「クラスメイトがフォローしてるって言ってるから。探してるんだ」
「ほほう?」
その言葉に、彼は僕の腕の中からするりと抜け出して、さぞ面白そうに僕の顔を覗き込んだ。
「女の子か」
「違う」
「女の子だ―――!」
「ちがうったら」
「誰だ誰だ。まった、言うな。当てるから。あれだろ。同じ班のおさげ髪の子」
「ユキナさんの髪型なんて、僕教えたか?」
「相棒のクラスメートのことくらい把握してるさ。で? 普通は全世界22万人のフォロワーの中から、クラスメイトを探したりしない。好きなの?」
「好きじゃなくたって、ちょっと気になるくらい、あるだろ」
「ふーーーーーーん」
バクモンは笑みを浮かべて僕の顔の傍までフワフワと寄ってくると、一緒に画面をのぞき込む。それを無視して、僕はスマートフォンの画面をスクロールする。
「見つけられるか? SNSでなんて名前変えてるだろ」
「そんなに本気で探してないし」
「ふーーーん、あ、今のじゃない? ”雪那‐SETSUNA‐”ってやつ」
バクモンのその声に、僕は指を止める。彼が指示したアカウントは、人気男性声優による歌手グループのイラストをアイコンにしている。
「セツナ、だけど、ユキナとも読めるだろ、それ」
「まさか、ユキナさんがやるにしてももっと……」
そう言ってアカウントを開いた僕の目に、”雪那‐SETSUNA‐”の最新の呟きが飛び込んでくる。
”学校ででじったしてることがバレて終了した件”
”垢まではバレてない。生還です”
”いやでも完全に気つかわれた。死かもしれない”
”人間界での見た目完全に両おさげ地雷オタクモンスターだから、オタクっぽい絵とかあげてるんだろうなと気を使われた説。そのとおりだが?”
「……ユキナさんかも」
「ほぼ本名でデジッターやんなよな……っ、おい」
息をついてさらに画面をスクロールする僕に、バクモンが咎めるような声を出す。
「まだ見るわけ」
「え、うん」
「やめとけよ。煽っといてなんだけど。感心しないぞ。好きな子ならなおさら嫌なことまで知っちゃうかもだし」
「だから、好きじゃないったら」
そう言いながら見てみれば、ユキナは主に声優やVtuberのイラストをアップしいるようだった。決して下手ではないが、とびぬけてうまいわけでもなく、フォロワー数もさほど多くない。主なつぶやきも”○○尊い”だとか、”△△の配信さいこうだった。酸素”といったもので、日常生活の愚痴は”今朝も学校だる”くらいのものだ。ユキナの普段のイメージとはギャップがあったが、健全なオタ活垢、と言うべきだろう。そう思うと、急に彼女のプライバシーを侵害しているという罪悪感が沸き上がってきた。
「な、やめたほうがよかったろ」
「たしかに、夢見が悪くなりそうだ」
「ならないよ。ボクが食うし」
「それもそうかな」
バクモンの言葉に微笑み、サイバー覗きはこれっきりにしようとスマートフォンを閉じようとした瞬間、青い通知が画面の上に出てくる。見ているアカウントに更新があったとき特有の通知だ。
「あ、ユキナさんの」
「最新の呟き? じゃ、それさいごにしろよ」
バクモンの言葉にうなずいて、僕は画面を更新した。
”てか、改めて死にたくなってきたな”
”Sくんにもオタ活裏垢女だと思われたじゃん。いやオタ活裏垢女だけど”
「……Sって、シラベか?」
「かも、見ない方が、いや、見る」
「判断が速すぎるぜ、シラベ」
”理科室向かいの席でずっと顔見てられる至福の時間だったのに”
”イケメン、だったなー、なー。まじすき”
「おいおいシラベ、こいつは”ある”よ」
「……”ある”かな」
「ああ、ある。今夜は宴じゃないか」
「……宴、かな」
「ああ、宴だ」
「……いよおおっし! 宴にしよう!」
「それでこそボクのパートナーだ! シラベ!」
と、一階のリビングから、静かにしなさい、という母の声が聞こえ、僕たちは同時に口を抑えた。そうしている間にも、新たなつぶやきが更新されていく。
「し、シラベ、はやく更新しろよ」
「あんま感心しないって言ったの、バクモンだろ」
「知らない、そんな夢は喰った」
”えーん、今日も不眠確定だわ。ベルフェモンごめん”
”最近こんなことばっかでウチのデジモンたちが全体的にしなしなしている”
”なんか今日の帰りも誰かの視線感じたんだよなー”
”自意識過剰かな。最近学校でもの盗まれてるのも陽のモノたちだけだし”
「……」
僕とバクモンは沈黙し、互いに顔を見合わせた。
「もの盗られるって、シラベの学校でか?」
「……うん、半年くらい前に話したろ。上履き盗み事件」
「全校集会にまでなったってやつか」
「それからも、2か月に一回くらいのペースで、体操服とか、櫛とか」
「犯人は?」
「全然名乗り出ない」
教師は集会の場では口に出さないが、被害に遭っているのはいずれも容姿の整った女子生徒だ。倒錯した欲求をもった男子生徒の犯行であろうというのが大方の見解だった。そばでこういう事件が起こってみると、あまりに生々しすぎて嫌なもので、これまで男子の間で飛び交っていたその手の冗談は鳴りを潜めてしまった。女子も女子で。男性教師に対して”変態”だとか”絶対ムッツリだよ”といった影口を叩くこともなくなったという。本気でそういう色眼鏡で見るには、教師というのは怖すぎる距離感にいるのだ。
「……ついててやったら?」
「え」
「だから、ユキナって子に」
「なにいってるんだ、バクモン」
「いや、だから、この子怖がってるだろ。ついててやれって。一緒に帰ったりとかさ」
「そそ、そんなこと、急に!」
「ま、好きにすればいーけどさー。ボク、シラベの親じゃないし」
「待てバクモン、こんな気持ちの僕を置いていくなよ」
「いーや、この話は終わり!寝て起きたら気持ちもはっきりするって、ほらほら、夢は喰ってやるから。明日はボクも早いんだから、宴もやっぱりなしだ。早く寝ようぜ」
バクモンはそういって、彼を捕まえようとする僕の手からするりと逃げ、シーツを整え始める。
「そういえば明日だっけ。結城さんのチェックの日」
バクモンは時々、彼の本来の住処である梵天テクノロジーの研究所に行き、メディカルチェックを受けている。もともとはデジモンとしてもかなり不安定な部類だったらしいが、僕の悪夢を山盛り食べて元気になったのか、どんどん存在が安定しているらしく、今やチェックは年に一度程度で済んでいる。
「そうそう。夜にはかえるけど、それまでは呼ばれても駆けつけられないから、昼寝とかするなよ」
「しないって。いつもおかげさまでぐっすりなんだ。昼寝なんて必要ない」
「それなら、いいけどさ。ほら。ちゃんと布団入れよ、風邪ひくぞ」
「うん」
そう返事をして、僕はスマートフォンを充電器に差し、ベッドにもぐりこんだ。
「おやすみ、シラベ、いい夢をな」
「冗談じゃない」
「悪い悪い。じゃ……”いただきます”」
「”召し上がれ”」
そこまで言って、僕は目を閉じた。
────
「……あ、シラベ君」
「こんにちは。きょう、当番だったんだ」
放課後の図書室。僕はなるべく白々しくならないように、カウンターのユキナに挨拶をした。でも、やっぱり白々しくなった。僕は彼女が図書委員会の業務で夕方まで帰れないことなんて知っていたのだ。余計なことは初めから言わなければ良かった。
「珍しいね。自習?」
「ううん、えっと、好きな小説が入ったっていうから」
口から出まかせである。どうせ口から出まかせなら簡単に”うん、自習だよ”といえばいいのに、追い込まれた人間というのは何をするか分からないものだ。
「え、今週入った本って言うと……」
ユキナはカウンターの新しい本が置かれるコーナーに目をやる。そこに並んでいたのは、いかにもな美少女のイラストが並ぶライトノベルタッチだった。
「これの、最新24巻だけど……」
「あ……」
完全にやってしまった、と思った。その、瞬間である。
「シラベくんもこれ好きなの!?!?」
ユキナがものすごい速さで僕の手を掴んだ。
「え、あ」
「わたしがリクエストしたんだ。小5の頃に読みはじめて、最近連載再開して」
「あ、うん。それくらいに、僕も読んでて、好きだったんだけどさすがに内容も飛んでるから、折角だから最初から読み直そうかなって」
僕の14年の人生の中で一番上手な嘘だった。
「あ、あの、ユキナさん」
「なに?」
「手、手」
「あ、ご、ごめん!」
そう言ってユキナは握っていた僕の手を離し、顔を赤くして俯く。
「ごめんね、つい」
「だ、大丈夫。過去の刊って」
「あ、うん。あっちにラノベの棚あるから」
「ありがとう」
「そ、それじゃ、最新刊まで来たら、感想教えてね」
そうしてうつむいたまま棚を指さすユキナにぺこりとお辞儀をして、僕は小説を取り、席に着いた。
参った。とりあえず取り繕えたはいいものの、こうなったらこの作品を読まなければいけない。僕は表紙の中の、パーカーのフードを被った少年と目を合わせる。小雨とか降ってるのかな。そうじゃないなら、それ脱いだ方がいいんじゃない?
僕は小説というのが苦手だった。というか活字が苦手だ。読むと眠くなり、そして眠くなると悪夢を見る。幼い頃に植え付けられたそういう苦手意識を引きずっているうちにこの年になり、ほとんど本は読めないまま。中学に入学してから居眠りなんかしたことの無い僕だったけれど、国語の時間は唯一気を張っていないと意識が遠のきそうになった。
席について振り返ると、目を輝かせてこちらを見ていたユキナと目が合う。彼女は目を逸らす代わりに、はにかむようににこりと笑った。やばい、今から席を移って、彼女の視界の外で自習もできそうにない。
僕は観念して、椅子に深く座り直し、小説を開いた。
────
汗と煙草の嫌な臭いが、僕が最初に覚えた感覚だった。
次に右肩を強く押されるような感覚。これはマズい、と思って左手を伸ばし、とっさにそこにあったものを掴む。
それはスーツの男の肩だった。
それで、自分が、スーツの男ともみ合っているのだと気づいた。
なぜか、と考える前に、左頬に鈍い痛みが走る。殴られた。普段の僕だったら伸びてしまいそうな一撃だったが、僕はくらくらする頭ですぐに目の前の男に向き直り、拳をふるった。
それは空を切って、バランスを崩した僕の身体を、男が思い切り蹴った。
そのまま勢いで僕は後退する、そして、何かにぶつかって止まって。
──みしり、という音がして、止まったはずの体がさらに傾いた。
まて、という男の声が耳に届く、それがどんどん、遠ざかって、僕は宙に放り出された。
男ともみ合っていたのが学校の屋上で、突き飛ばされたはずみで、老朽化していた柵が折れてしまったのだと分かった。
落下していくなか、僕は嫌に冷静に自分の身体を見る。僕の学校の学ランだ。当たり前か。僕はいつもそれを着ているんだから。
でも、僕、こんなふうに胸元のボタンを開けた入りしないんだけどな。その思考と、どさ、という音が、同時に耳に届いた。
────
「────くん、シラベくん!」
その言葉と共に肩を揺り動かされて、僕ははっと目を覚ました。嫌な汗をたっぷり吸った肌着の感触が、いやに冷たい。
「だ、大丈夫? いやな夢でも、見た?」
夕暮れの教室、荒い息を吐く僕の顔を、ユキナが覗き込んだ。
────
「……そっか、ヤな夢、よく見るんだね」
「うん、最近はめっきりなかったんだけど」
決まって死ぬ夢なんだ。とは言えなかった。
どうも下校時間スレスレまで寝ていたようで、ユキナは図書館の施錠をする寸前まで待って僕を起してくれたという。僕は流れのまま、ユキナが職員室に鍵を返すのを待って、彼女と一緒に昇降口で靴を履き替えていた。
「やっぱり、慣れないよ」
「そっか」
ユキナは僕の話に安い同情を示すことも、笑い飛ばすこともしなかった。真摯に耳を傾け、時々的外れなところで頷いてくれた。
「ユキナさんも」
「え?」
「いや、なんか、最近不安そうだから。僕の話も聞いてくれたし、僕でよければ」
その言葉を聞きながら、救いの神でも得たかのようにだんだんと明るくなっていくユキナの顔を、僕は見ていることができなかった。こんなことがズルなのは分かっていた。でも、それ以上に、彼女の笑顔が直視できないほどに眩しいのも事実だった。
「そ、そうなんだ。まさかバレてたなんて」
「聞くよ」
「その、自意識過剰かもしれないんだけど、あのね──」
どさ。
校門を出た瞬間に、そんな音と共に、目の前に何かが降ってきた。
「え」
真っ白になった脳とは反対に、体はすぐには止まれず、僕たちは数歩歩き、結果として、その顔を覗き込んだ。
「うそ、だろ」
目を大きく開いた木村ヨシトが、そこにあおむけに倒れていた。
地面に接した後頭部から、赤い何かがゆっくりと広がっていく。
彼はいつものように、胸元のボタンを二つあけて、運動部で作ったという赤いシャツをのぞかせていた。
────
警察署に迎えに来てくれた母さんの車に乗って、家に着いたのにはもういつもなら眠っている時間だった。なにかたべるかしら、と静かに聞いてくる母さんに、いらない、と答えて、まっすぐ二階の自室に向かった。
「あ、シラベ……」
扉を開けると、バクモンがゆっくりと寄ってくる。浮遊できるくせにいつも何かに寄っかかったり寝そべっていることの多い彼だが、今はずっと僕のことを浮いて待っていたような雰囲気だった。
「シラベ、だいじょうぶだった? 友達が屋上から、落ちたって……」
「バクモン、知ってたのか」
「何をだよ、シラベ」
「僕の夢のこと」
「! じゃあ……」
「男ともみ合って、自分の学校の屋上から落ちる夢だった。今ならわかる。あれは、あれは」
「シラベ……」
僕を気遣うようにバクモンが寄ってくる。僕は手に持っていたノートを彼に投げつけた。
「寄るな!」
「シラベ、それは……」
「そのノートはさ、僕が小さいころ持ってたものだよ。母さんが僕の治療のために、僕の見た夢を記録してたんだ」
「……」
「帰り道に、スマホで検索してみた。誰かに殺されたり、おおきな家事に巻き込まれる夢を見たりした日を。その日に、日本のどこかで、誰かがそうやって死んでいた」
「……」
「知ってたんだな、バクモン。これまでもそうなのか、ずっとずっと、そうだったのか」
「……」
「嘘はつかないでくれ」
「……そうだよ」
呼吸も忘れるような沈黙の果てに、バクモンはぽつりとつぶやいた。
「シラベが見てるのは、予知夢だ。誰かの死を、その人の視点で、君は見る」
すっぱいものが胃の底からのぼってきた。
「それ、それをいつから……」
「最初から。同じだよ。ママさんの送ってくれた夢の記憶を見て、結城が気づいたんだ。二人で相談して、黙っておくことにした。君にも、ママさんにも」
「なんで……」
「君のためだ」
「冗談じゃない!」
僕はバクモンに掴みかかった。彼はするりと僕の手を抜けて、ふかふかのべっとが、ばさ、と僕を受け止めた。
「ヨシトは屋上でふざけていて落下したって、みんなそう思ってる! そういうところがある子だったって。そうじゃない。アイツは、アイツは」
「シラベ」
「あの夢が、あの夢がそうだと、あの時知ってたら! まだ、まだ」
「まにあった、止められた?」
驚くほど冷静な目で、バクモンは僕の目を見据えた。
「そうだね。そうかもしれない」
「だったら!」
「でもさ、シラベ、予知夢も夢なんだ。コントロールはできない。今回はたまたまそばにいる人の死を見た。でも、それまではそうじゃなかったろ? これまでシラベが死を見た人たちは、色んな所の人達だった。みんな日本人ではあったけど、それがなぜかは分からない。夢のことは何も分からない」
「……」
「助けられたって、君は言う。でも、君はどこまで助けるつもりなんだよ。空を飛べるマントがあるわけじゃない。どこで起きる出来事か分からないことの方がずっと多い」
「……家族や、友達、だけでも……」
「じゃあ、その予知夢に当たるまで、毎晩、助けられない死を見るのかい。そうやって心を擦り減らして、自分にはどうしようもできなかった死まで、”自分が何もしなかった死”として受け止めるのかい」
「……」
「できないよ、シラベ。そんなことに耐えられる人はいない。人はみんな死ぬんだ。そういうものなんだよ。その責任は運命だけが負うべきで、横からかっさらうことは、できないんだ」
いつのまにか、バクモンの口調は、ひどく、ひどく優しいものに変わっていた。僕はベッドに腰掛け、嗚咽を漏らす。大粒の涙がぽたぽたと、膝の上で握りしめたこぶしに落ちていく。
しばらくして、僕は、泣くのをやめた。
「……バクモン」
「なんだい」
「今晩は、食べないでくれるかな、夢」
「シラベ! そんなことしても」
「何の意味もない。そうかな?」
「シラベ?」
「そりゃあ、普通は意味ない。日本のどこかで、誰かが死ぬ。分かるのはその状況だけ、一億2760万の国民の中から、それを見つけるなんて」
「だったら」
「でも、それを発信することはできるかも」
「え」
「アカウントの”Fudie16”には22万人のフォロワーがいる。スパムも国外のアカウントも多いけど、日本在住の人だけでも相当な数だ。そこで僕がその状況を発信して、注意を呼びかけたら」
「それでも……」
「それでもきっと、何も変わらないことがおおいだろう。でも、変わることもあるかもしれない」
「ねえ、何を言ってるんだ?」
「むしろ22万人には、最初の話題作りをしてもらえればいいんだ。どうせ僕はよく眠れなくなって、ゲームの写真は撮れなくなる。でも、話題のアカウントが急に不可解な発言をして、それが死を予言だって広まれば……」
「シラベ!」
バクモンが怒鳴った。
「ゲームでバズっただけのガキが調子乗るなよ! それは君がやるべきことじゃない! 人がしていいことじゃない!」
「バクモン」
「なんて顔してるんだ。友達が死んだ夜だ。彼のことを悼めよ!」
それからのことはよく覚えていない。バクモンとひどい喧嘩をして、もう知らない、といって、彼が部屋を出て言った気がする。
僕は、もう、悪い夢は、いやなんだと、言った、ことだけ、覚えていた。
────
僕はよく見知った女子中学生用の制服を着ていた。ずっと使っているにもかかわらず、ぱりっと音がしそうな制服だった。視界の端では、これもよく見たおさげ髪が揺れている。
その制服を着て、僕はおぼつかない足取りで後ずさる。周囲は良く知った中学校の理科準備室だった。
「だめだよ。逃げちゃダメだ」
男の声がする。いや、と声をあげようとするが、恐怖でひゅうひゅうという息しか出ない。
「そんなかおしないで、聞いて、仕方なかったんだよ。もう、ずっと、悪い夢を見てたんだ。赤いレインコートの女のせいなんだ。
半年前に、夜遊びしている女の子補導してさ。雨も降ってないのに、真っ赤なレインコートを着てた。
その時は逃げられちゃったんだけど、それから、いっぱい夢を見るようになった。教え子の女の子に暴力やもっとひどいことをするゆめなんだ。いやなゆめだった。そんなのありえないとおもった。娘でもおかしくない年齢の、まだ幼い子たちにそんなの、気持ち悪くて、毎朝吐いて、あさのHRでみんなの顔見てまた吐いた。
そうしているうちに夢と現実がごっちゃになりそうになった。このままだとヤバいって思った。このままだと夢で済まないって、本当にやるって。
上履きを盗った。体操着も、櫛も、気づかれてないこまごまとしたものはもっとたくさん。そしたら大問題になってさ。
最初に気づいたのが木村だったんだ。屋上に俺のこと呼び出して、なんでこんなことしたんだって。先生最近変だから、病院とか行った方がいいって。
無性に腹が立ったよ。こっちは必死で取り返しのつかないことをしそうなのを止めてるっていうのに、病院なんて簡単に言うけどさ、教師なんですが、毎晩生徒をレイプする夢を見ますっていえばいいのか。そんなの、そんなの
気がついたら彼を殴ってた。彼はびっくりしたけど、ほんとに犯罪者を見るみたいな目でこっちを見てきたから、それから……
そうなんだ、俺がしたんだ。彼を突き落としちゃったんだ。いよいよ人殺しだ。自首しようと思った。
で、どうせ殺しで自首するなら、そのまえになにしてもいっしょかなって」
「俺は最後の夜だと思ってきたんだ。君なら全部わかってくれるかもともおもった。でも、真藤さん、昨日蓮上と一緒に帰ってたんだって? 君は男とそういうのないって信じてたんだけど、俺、残念だな」
月明かりが男の──仁科の顔を照らす。彼が僕に手を伸ばして────。
首が、飛んだ。
────
「──間に、合った。ダメだよ、先生」
「……シラベくん!」
「……蓮上?」
眩しい朝日に満たされた理科準備室の扉を蹴破り、僕は荒い息をついた。怯えるユキナに迫る仁科を、まっすぐに見据える。
まさか朝一番に仁科が行動を起こすとは思えなかったが、予知夢の中の日差しの様子から、万が一を想定した行動を取って正解だった。
「なんで、朝からこんなところに、先生に用か?」
「シラベくん、そいつなの、そいつが」
「分かってる。もう、大丈夫だから」
「そうか、蓮上、お前も、俺をそういう目で見るんだな」
ゆらりと、仁科がこちらを振り返る。
「それなら、お前から──」
首が、飛んだ。
────
「……え?」
目の前ぼとりとおちる仁科の生首を見て、僕の脳は再び動く。
そうだ、夢は首が飛ぶところで、終わった。おぼろげな中だけど、それを覚えている。
でも、首を切られた当人が、首が飛んだなんて、すぐに分かるものだろうか。
僕がそれをはっきりと覚えているということは、より明確な形で、そう、ユキナの目の前で、仁科の首が、飛ばされたのだ。
仁科の手が、ぽとりとスマートフォンを落とす。開かれていたのは”デジモンスリープ”の画面だった。そこには、真っ二つに割れたデジモンの卵────デジタマが写されている。
刹那、そのスマートフォンを、おおきな甲冑の足が、ばきり、と踏みつぶした。
「おいおい、ムシャモンかよ。こんな学校になあ」
「──っ! バクモン!?」
背後で聞こえた耳慣れた声に、僕の心臓が飛びあがった。
「まさか、2日連続で身近な人の死を夢に見るなんてな。そしてまさか、本当に助ける、なんてな」
バクモンはその小さな体で、血にまみれた刀を持つ目の前のそれ──デジタルモンスター・ムシャモンから僕を庇うように向かい合う。
「おい、シラベ、その子大丈夫か?」
「え、えっと」
僕はユキナに駆け寄る。彼女は恐怖のあまり気絶してしまっていたが、しっかりと息はしているようだった。
「大丈夫だ」
「おうし。それじゃあ、シラベはその子守ってろ」
「え?」
「こいつはボクが引き受ける」
「そんな、バクモン!」
僕がそう叫ぶと同時に、ムシャモンが再び刀を大上段に構える。まず最初に目の前の小さな獣を狩ることに決めたのだ。
しかし、バクモンに動じる様子はなかった。
「なあに、心配いらないさ。ボクは君に代わって、何人もの死を喰らってきたんだぜ?」
そう言って、バクモンは口を大きく開く。
「そうかい、落下に、首斬りか────ボクの友達に、なんてもの見せてくれたんだ」
その、怒りを含んだ言葉と同時に、彼を、紫色の霧が取り囲む。
「いいかい、シラベ、デジモンは”進化”する。そういう生き物だ。」
バクモンは、ぽつりぽつりと語り始める。
「でも、ボクにはそれができない。バクモンがほんとは持ってるはずの聖なる輪っかを、ボクは持ってないんだ。────だから代わりに、夢を見る。進化の夢を。」
その言葉と共に、紫の霧が、ふっと黒く染まった
「夢幻進化症候群(ナイトメア・シンドローム)────”落下死の悪夢:シェイドモン”────フリー・フォール・デス」
同時に、黒い霧がムシャモンを包み、刀を振り下ろそうとした彼の手が止まる。次の瞬間には彼は刀を取り落とし、声にならないうめき声をあげて、その場にうずくまった。
黒い霧はそんなムシャモンの頭上で渦を巻き、そこからバクモンが顔を出す。同時に、彼の姿が桜色の鎌鼬へと変貌していく。
「狂ったかい? 介錯してやるよ。夢幻進化症候群(ナイトメア・シンドローム)────”首切りの悪夢:キュウキモン”────ブレイド・ツイスター」
風の刃が、鋼鉄の鎧を切り刻んだ。
────
「あり、がとう、バクモン」
「これまでただ飯食わせてもらってたんだ。これくらいはしないと」
「今のは───」
「俺が強いんじゃないよ。シラベが今まで見てきた夢が、あれくらいひどかっったんだ。俺は強い夢を喰えば、それだけ強くなれるからさ」
「……ユキナさんは」
「それはお前の仕事だ。きっと、ひどいトラウマになる。そばにいてやれ」
「なんて言えばいいんだよ」
「そうだな、嘘でも、こう言ってやればどうだ」
────
「シラベ……くん、私」
「ユキナさん、大丈夫だよ」
「私、私」
「大丈夫だ。ぜんぶ」
全部、悪い夢だったんだ。
────
「君は……」
その夜は酷い雨だった、傘を差した男は立ち止まり、不意に背後に現れた気配の方を振り返る。赤いレインコートを着た少女が、そこに立っていた。
「初めまして。梵天テクノロジーの結城さん。私、”悪夢屋”っていいます」
「はじめまして。そういう名前のネットロアを、聞いたことがある。赤いレインコートの女の子と会うと、悪い夢を見て、夢と現実の境がつかなくなって死んでしまう、だっけ」
「あら、よくご存じね」
「君は、興味深い調査対象だから」
「それなら大方、私を取り巻く噂の真相も分かっているわね」
「仮説はある。方法は不明だが、君は悪夢を見続けさせることで、対象の夢と現実の境を破壊するんだな? ────胡蝶の夢、だ」
結城の言葉に、少女はフードに隠れてわずかにしか見えない口を吊り上げる。
「そうよ。個人の認識のレベルでなら、夢と現実の境界は簡単に破れる。そこでは、幻想が現実になる」
「デジタル・モンスターがリアライズし、ユーザーを殺す。”デジモンスリープ”ユーザー失踪事件の元凶は、君か」
「あら、知ってて隠してるなんて、皆が聞いたらどう思うかしら」
「その心配はない。何の用かは知らないが、事件の元凶は僕がここで殺すからだ」
「あら、できる?」
「夢を現実にしたのは、君だけじゃないんだぜ」
その言葉と共に、結城の背後に巨大な気配があらわれる。少女はフードの下からでも暗闇を見通すことができるかのように、それを見上げ、心底楽しそうに笑った。
「メタルグレイモンね! すごいわ」
しかし、彼女の声はすぐに暗くなる。
「でも、残念ね。私たちには勝てない────デジタマモン」
「────!」
その種族名を聞いた結城の顔が大きく歪む。
「なんだって、その種族はバクモンと───」
「そう、おなじ、というかこっちがオリジナル。もっとも未完成で、最も完成されたデジモン。始まりで終わり、この世界(ストーリー)とおなじ。だから、あなたは勝てない」
卵、夢、悪意。(ナイトメア・シンドローム)
暗闇に、わずかな音と気配がしただけだった。それだけで結城の後ろで、巨大な竜が悲痛な叫びをあげて倒れる。
「なっ……!」
「でも、完成されているっていうのは、どこにも行けないってこと。それはいやなの、私も、この子も寂しいの。このまま続きが無くて、こーんな悪いことしてる私が、好き放題して終わりなんて」
だから、物語を動かすことにしました。彼女が笑う。
「あの子たちは、どうなるかな、私たちのところまで来てくれるかな。そのためには、物わかりのよくて頭の切れる保護者には、今のうちに死んでもらわなくっちゃ────だから、さよなら」
ぱん、結城の身体が弾け、路地裏に血しぶきが散る。
「ふふふ。たのしみ。いい夢を見ましょう? バクモン、シラベくん」
稲光、雷鳴、真っ白に照らされた路地。血まみれのフードの下で、おさげ髪が揺れた。
────
おっふ、一話で既に完成され過ぎている。夏P(ナッピー)です。
登場人物紹介で「死んだ」多過ぎやろと噴きましたが、それぐらい濃い一話っていうかバクモンがシラベ君を怒声で諭す辺りとか、既に数十話付き添ってきた主人公とパートナーデジモンのような錯覚を覚える。いや待てそれにしたって結城さん一話で死んでいいわけ!? アンタ色々と語ってくれなきゃダメでしょ! そのメタルグレイモン何だよ!?
デジモンスリープ、あまりに流行りに迎合(ルビ:パクリ)し過ぎた超絶アプリ。梵天テクノロジーというが実は梵天堂じゃないの!? ネムリー倉田、そんなボルケーノ太田とかミニ四ファイターみたいなマスコットキャラにでもなるつもりか倉田。サイスルで夢を食べる獏の話題が出てきたのにバクモン出なかった時に血の涙を流したことを思い出しました。
レインコートの女と聞くと、どっちかというと口裂け女的なアレを想像してしまうのですが、むしろそっちをユキナさん疑う流れなのかしら後書き的に。俺ぁてっきりムシャモンがユキナマインドの発露かと思って、気絶した彼女を庇おうとしたらいきなり後ろから刺されてあうううんするのを警戒していたのは内緒。
はいデジタマモン。そういえば必殺技名同じじゃん! こちらがオリジナルというが、オリジナル(初代デジモンVer.4.0)と言うのならちょっと前までOYAJIじゃん!!
というわけで、非常に濃い一話でした。最後のレインコートの女さえいなければ、死の夢=実は予知夢で苦しみ続けた少年+彼と共にいるデジモンが、互いに折り合いをつけて一歩だけ先に進む話として一話で完成されている。
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。
俺は、バクモンが、すきだあああああああああああ!!!!!
キュウキモンは、もっっっっっとすきだああああああ!!!!!
後書きを時間差で投稿するなんて野暮なまねをするんだ。テンションぐらい上げていかないといけないだろ。というわけで、マダラです。「Stray Sheep Complex」 読んでいただきありがとうございました。
はい、ザビケです。当然続きはありませんし、続きのことを考えた書き方もしていないです。書けといわれたら腹を切ります。三回。
でも前作「SUMMER TIME SERVICE」に比べたら書きやすい方なのかな、クセのあるキャラ造形は避けたつもりです。
ともあれ、やりたかったことは「主人公の悪夢を食べていろんな姿に進化するバクモン」と「誰かを助けるために心をすり減らして悪夢を見続ける主人公」なので、僕は満足です。
主人公が悪夢を見るようになったらバクモン何も食べれないのでは……みたいな問題がある気がしますが、その気になればきっと他の人の夢も食べられると思いますし、何より何年も良質な悪夢を毎晩食べているので蓄積された力はとんでもないことになってます。進化して戦うくらいなんてことないはずです。てかその辺の設定の帳尻とか考えてないし。
バクモンの進化先についても完全お任せです! 先述の通りシラベ君の夢以外も食べられるので悪夢だけに限る必要も無いです。でも胡蝶の夢=フーディエモンはルートとして熱いなとか思ったりはしてます。
最後に出てきたおさげ髪の赤レインコートの少女がユキナちゃんなのかについてはあえてぼかしています。そのへんもおまかせで!
一応、続きを書かれる酔狂な方々のための諸々を以下にまとめておきますね。作品内で語られないことも書いてるかもですが、作品内で語られてないということはマダラが勝手に思っているだけ、なので、無視して貰ってけっこうです。
☆キャラクター
・蓮上 調(ハスガミ・シラベ)
14歳の中学二年生。幼い頃から人の死を予知する夢を見る。デジモンスリープのレア写真をあげるアカウント「Fudie16」の中の人。
・バクモン
調のパートナーデジモン。調の悪夢を食べる役目をしながら共に暮らしている。
通常バクモンが持つ「ホーリーリング」を持っておらず、聖獣系デジモンへの進化の道が絶たれてしまっている。その分進化を求める=夢見る想いが強く。食べた悪夢を纏う必殺技「夢幻進化症候群(ナイトメア・シンドローム)」を使うことで、食べた夢の内容に即した姿に進化できる。
確認されているのは落下死の悪夢=シェイドモン 首が飛ぶ悪夢=キュウキモン
・真藤雪菜(シンドウ・ユキナ)
調のクラスメイト。おさげ髪の優等生で、学校では図書委員をしている。所謂”隠れオタク”で、SNSに絵などをアップしている。
・木村義人(キムラ・ヨシト)
調のクラスメイト。光の陽キャ、死んだ。
・調の母
そのまま、調のおかあさん。幼少期の悪夢のことがあるのでちょっと過保護気味かも。
・結城
調とバクモンを引き合わせた梵天テクノロジーの研究員。デジモンに関して何か知っている様子。死んだ。
・仁科
教師で一話で起きた事件の犯人。死んだ。
・悪夢屋
夜の街で暗躍する中学生ほどの赤いレインコートの少女。「見るとその夜から悪夢を見るようになり、最後には夢と現実の区別が付かなくなり死んでしまう」というネットロアの元になっている。
何らかの手法で対象に悪夢を見せ、その人物の中での夢と現実の境を破壊することで、幻想の存在=デジタルモンスターをリアライズさせているらしい。
その目的は不明。調とバクモンに強い興味を持っている。
・デジタマモン
レインコートの少女がつれているデジモン。バクモンと同じ技を持つ。少女曰く「こっちがオリジナル」
☆用語
・デジタルモンスター
インターネット上で自然発生した謎のモンスター。発見した梵天テクノロジーが日本政府の協力の下その存在を隠蔽している。本来は現実に出てくることなど無いはずだが……。
・梵天テクノロジー
医療分野でめざましい成長を遂げている企業。VR、ARなどを駆使した認知機能の改善、不眠の解消などを目標に掲げている。
・デジモンスリープ
梵天テクノロジーがリリースしたスマートフォン向けアプリケーション。通称デジスリ。上述のデジモンを架空のキャラクターとしてマスコットに使っており、子どもから大人まで高い人気を誇っている。細かい説明は作中参照。作者はポケ○ンスリープをやったことがない。
・ベルフェモン
デジスリのマスコットキャラクター。当然見た目はスリープモード。本家でいうカ○ゴン枠。
・ネムリー倉田
デジスリに登場する博士のキャラクター。続き書いている人は途中で収集付かなくなったりやる気なくしたりしたら全部こいつのせいにして終わらせて良いよ。
ではでは、本当に素晴らしいフリーマーケットを企画してくださったシル子さん、そしてグッドな一話を投稿された参加者の方々、みなさまお疲れ様でした。
次会うときは自作かな。あ、普段は「White Rabbit No.9」って小説書いてます。そっちもよろしくね。
ではでは、またどこかで。