一話はこちら
メーデー、メーデー。そらいろの瞳が見た、最後の夢。
どうか、わたしを──。
彼女は神さまでした。そうあれかし、と天使たちに望まれて生まれてきました。
神さまに似た者は、このデジタルワールドには大勢います。けれど、本当に神さまと呼ぶべきひとは、とっくのとうに、もう理由すらもわからないほど昔に、千々にちぎれて死んでしまいました。
その欠片を宿して生まれたのが、今の天使たちです。彼らは皆、自らの肌の下に流れる神さまのこころを感じ、それを誇りに戦っていました。
いつだったでしょうか。ある天使が、神さまをもう一度迎えよう、と考えました。他のどの天使にも、それはいい考えのように思えました。
彼らは自分の中にある神さまのかけらを少しづつ集め、一つの大きな卵を作りました。神さまを集めてできた卵からは、きっと小さな神さまが生まれるはずだ。彼らはそう信じていました。
けれど、そこからは何も生まれません。結局のところ天使たちが集めたのはただの神さまのかけらで、こころでもからだでもなかったのです。
天使たちは悩みました。
最も位の高い天使のデータを流し込みましたが、うまくはいきませんでした。その次に賢い天使、優しい天使、強い天使、どれもだめで、結局彼らは、誰が優れたものを持っているかを巡って少し仲が悪くなっただけでした。
昔の書物からかき集めた、神さまが何を考えて何をした、という情報を与えてみましたが、やはりうまくはいきません。実際その神さまは、何かを考えられたわけでも、何か意義のあることができるわけでもなかったようなのです。
だから天使たちは、禁忌を犯しました。自分たちだけが知る、世界の秘密に触れました。
この世界には、空を果て対称軸にして、反対側にもう一つ世界があります。そこには天使たちとよく似た姿の、デジコアがないかわりに、はらわたのある生き物がいました。彼らは殆どの場合天使たちよりも遥かに愚かでしたが、デジタルワールドに生きるどの種族よりも栄え、デジタルワールドに生きるどの種族よりもはっきりと音を立てる「生命」を持っていました。
天使たちは反対側の世界の生き物を丁寧に調べました。触れてはいけない知識に触れても。彼らはなんとも思っていませんでした。だって神さまはこれから生まれて、神さまのために自分たちがしたことはなんでも許してくれるのですから。
そして、その生命の情報を胚に流し込まれたとき、卵の内側から、何かが世界をノックする音がしました。彼らはやり遂げたのです。天使たちは歓喜し、神さまの誕生を心待ちにしながら眠りにつきました。
けれど、彼らのうちの一人。鍵を手にした天使だけは喜んでいませんでした。境界を侵すことの意味を誰よりも知る彼は、仲間たちが禁忌に触れるのを最後まで止めていましたが、仲間が聞く耳を持たないとわかると素直に沈黙し、機を待ちました。そして、ある夜そっと卵を持ち出したのです。
卵を抱え、鍵の天使はどこまでも飛びました。
森林地帯に差し掛かった頃、彼の行いに気づいた他の天使たちが、背後から追いついてきました。自らの命運を悟った鍵の天使は、生まれる寸前の卵、天使たちの神性のこもったものと、もう一つの世界の命「人間」の情報ががこもったものに分けると、神のかけらの方に加護を与え、森へと落としました。その力を天使たちが持つ限り、何度だって同じ事をするだろうと考えたからです。
そうして森に落とされた卵から生まれたデジモンは、鍵の天使の加護によって、森に馴染む犬や猫(のように見える鼠)の姿に成長していきました。しかしその強い力を何時までもは隠せず、彼女は天女のような、美しいエンジェウーモンの姿に変わりました。
彼女の命がたどったお話は、皆さんが知っているとおりです。ここでは、仲間だった背中を射抜かれた鍵の天使の手から神の座に引き戻された、もう一つの卵の話をしましょう。
天使たちが己のすみかに卵を持ち帰ってすぐ、天空につきぬけるように立つ水晶の塔の天辺。天使たちに見守られて、彼女は生まれました。
世界の果てまで見通せそうな、きりりと澄んだ冷たい空気が、彼女の知った初めての世界でした。
彼女は生まれたばかりの柔らかな手で枕元を探り、彼女の顔を見ようと集まった天使の羽に触れると。生まれたばかりの力でぎゅうと握りしめました。
光に満ちた空に、天使の悲鳴が響き渡ります。
彼らは自分の過ちに気づきました。鍵の天使に出し抜かれたと気づきました。星の波間の向こうに生きる、自分たちに似た、はらわたを持った生き物が、そばで見るとどうしようもないほどに醜いと知りました。
その日の太陽がしずまないうちに、天使たちは彼女を放り出しました。結局のところ、かれらは自分たちをより良くしようとする試みにしくじっただけで、何かが悪くなったわけではないのでした。
それで、彼女は一人ぼっちになりました。神さまの力も、助けてくれる人も、何もなく、彼女はぼんやりと、こっちだ、と思った方に、四つん這いで歩き始めました。
旅の中で、彼女は成長しましたが、彼女はそれでも一人ぼっちでした。気のいいデジモンがこわごわ彼女の面倒を見てくれることはありましたが、彼女のはらわたと、胸のあたりから聞こえるどくどくとした音をしんから理解してくれるデジモンは一人もいませんでした。
旅の中で、彼女は森にいる魔女の話を知ります。それが自分の片割れだと気づいた頃には、魔女は、天使と森の民を余さず殺し尽くしていました。天使が大事に抱えていた「神さまのちから」は、結局そういうものだったのです。
いいえ、話を聞けば、森の民にはわずかな生き残りがいたというではありませんか。彼女は気になっていても立ってもいられなくなりました。
人らしさを自分にあずけ、異国の地に立った一人で放り込まれた片割れは、
切り離された力、すべてを消去するシステムに過ぎなかっただけの片割れは、
どうして誰かを生かしたりしたのでしょう。
気になって気になって、そして気がつけば、彼女は禁域と化した森へと歩みを進めていたのでした。
『そういうこと、だそうだ』
「その話を真に受けたのか、ザミエールモン」
夕暮れ時、バリケードの前に佇む少女を見下ろしながら、ギリードゥモンはため息を付きました。
『彼女の身体が特殊なのは事実だ』
それだけいうと、無線機からは沈黙だけが流れます。ザミエールモンはいつもこうやって、尻切れの蜂の踊りのように話します。肝心なことを言葉の外で察してもらわなければ気がすまないのか、自分の意志が他のすべての意思であることに慣れすぎてしまっているのかもしれません。
「それで?」
明確な司令を好む性格のギリードゥモンは、たまらず尋ねました。
「それがなんで、デクスモンを殺せるって話になるんだ」
『知らんな。彼女がそういったんだ』
「わからない?」
刹那、背後で聞こえた声にギリードゥモンのコアが飛び上がりました。とっさに背後をみると、先程まで下にいたはずの少女が膝を抱えて、もう彼の後ろにいるのです。鋭敏な彼の感覚をもってしても、荒唐無稽に思える話を聞きながらでは、デジコアを持たない相手の気配を捉えるのは難しかったのでしょう。
「もう、登ってきたのか」
ギリードゥモンはゆっくりと言葉を刻みながら尋ねます。髪の色も瞳の色もエンジェウーモンとまるで同じで、どう接したらいいのか、彼にはまるでわかりませんでした。
「そう」
そう素っ気なく答えた声まで、エンジェウーモンとまるで同じもので、ギリードゥモンは胸を内側からかきむしられるような気分になりました。
「バリケードは」
「ザミエールモンが一時的に解除してくれた。当然の判断。デジコアを持たない私が近づいても、デクスモンは反応しない」
彼女は無機質にそう告げます。しかし話す内容とは裏腹に、口調はがさがさと有機的で、その乱雑な話し方がエンジェウーモンとかけ離れていることに、ギリードゥモンはどこか安心するのでした。
少女はといえば、そんなギリードゥモンの気持ちを知ってか知らずか、たっぷりの余白をあけてから立ち上がり、彼に向かい合いました。
「あなたが、ギリードゥモン」
「そうだ。お前さんは?」
「名前はない。呼び方がないと不便なときはサンプリング元の人間の個体名を名乗っているけれど」
「それでいい、教えてくれ」
「ヤガミ」
「ヤガミ、か」
ギリードゥモンはまた一つ安堵します。これで、少なくともエンジェウーモンとは別の名前で彼女を識別できるのですから。
「それで、デクスモンはこの下」
「そうだ」
「それじゃあ、この森には今、デジコアは一つもない」
「そうだ」
「あなたを除いて」
「そうだ」
「ふうん」
ヤガミと名乗った少女はそういいながら、大股で塔の外周を歩き回り、あと一歩で落ちる、というところで立ち止まりました。危なっかしい足取りに、ギリードゥモンが止めたものかと迷っていると、彼女は美しい森を見渡し、ふむと息をつきます。
「本当にぜんぶ、殺されてる」
「そうだと言っただろう」
「デクスモンが、殺したんだ」
「そうだ。デクスモンの事は知ってるんだろう。だったらここで大勢殺されたことも……」
「ううん」
彼女は否定するように首を大きく横に振りました。
「違う」
「なにがだ」
苛立ちを隠しながら尋ねるギリードゥモンを見返すかわりに、彼女は夕映えの地平線に目を向けます。
「デクスモンはデジモンじゃない。ただのシステム。消去のためのプロセスをただ繰り返すだけの、原始的で暴力的な構造体なの」
そんなことは分かっていると鼻を鳴らす彼を、ヤガミは心底驚いたような表情で振り返ります。
「でも、ここにいた命はみんな”殺されてる”。明確な意志を持って。あなたとザミエールモンは、意思を持って生かされた。システムのエラーで見逃されたわけじゃない」
「そんなことは」
気がつけば、ギリードゥモンは声を張り上げていました。無線でザミエールモンと話すばかりだったせいで、久しぶりに出した大声は、がらがらでところどころひっくり返っていました。
「そんなことは、言われなくても分かっている。彼女が戦争を終わらせたくてすべてを殺したことも、おれたちを生かしてくれたことも」
「ちがうでしょ」
不意にヤガミがギリードゥモンに近づき、その目を覗き込みます。森の狙撃手であるギリードゥモンは自分が狙われることはまずありません。ごくまれにそんな機会があっても、デジコアまで見透かされるほどに命の危険を感じたことはありません。けれどこの時、彼は初めて、自分に狙いを定められた獲物の感覚を理解しました。
「あの子はつかれたんだ。そして憎かったんだ。自分を受け入れてくれない連中が、美しくない世界が。だから殺した。あなたは憎まれてなかったから、殺されなかった。そうでしょ?」
目を真っ直ぐに見据えながらそう言われ、ぎりぎりと心臓を締め上げられる心地がします。けれどギリードゥモンは、ゆっくりと言葉を刻みます。
「お前さんは、彼女の片割れだったのかもしれないが、分かってない。少なくとも、彼女の全ては」
「そう?」
「そうだ」
ギリードゥモンはヤガミから目を外し、橙色に染まる森を見回します。自分にとってはじめはただ生まれただけの場所だった森。エンジェウーモンとともに守った森。
「彼女は、この森を、愛していた。彼女は、平和を願っていた。確かに」
「……」
しかめっ面でその言葉を聞いたあと、ヤガミはにへら、と笑いました。
「ギリードゥモン、無理だよ」
「何がだ」
「あなたに、デクスモンは殺せない」
「──!」
不意に告げられたその言葉に、ギリードゥモンは彼女に詰め寄ります。
「どういう意味だ。お前さん、なにか知っているのか」
「知ってる、でも、教える気がなくなった。あなたはデクスモンを殺せない。そして、もう誰もあの子を殺せない」
「……」
沈黙、それに先に耐えかねたのはヤガミの方でした。またくすくすとわらうと、軽い足取りで塔の縁に腰掛けます。
「そんな顔しないでよ。そうだなあ、それじゃ──」
その瞬間、ギリードゥモンのコアが危機を告げます。禁域に近づくものの気配。手が勝手に、どんぐりという名の銃を手に取ります。
「今から来るやつら、うまく殺せたら、考えてあげる」
ギリードゥモンはスコープを覗き込み、意外そうな声を上げました。
「……ユニモンにメイルドラモン、複数体。このあたりじゃ見ない種だ」
「神さまの右半身と左半身が出会ったんだよ? 天使はもういないけど、そのそばのデジモンたちは気配を察してやってくる、きっと夜通しの戦いになるよ」
「……そうか」
「朝になって、私が満足したら、教えてあげるね。あの子の殺し方」
「おれは、嘘は嫌いだぞ」
「はいはい、約束」
じゃあ私、ここで見てるから、といって足をぶらつかせるヤガミの横で、ギリードゥモンが狙撃の準備を整え、警報がなります。
「ところで」
「なんだ」
「こんな塔の天辺でそんなカッコ、逆に目立たない?」
「……」
ギリードゥモンは黙って鼻を鳴らすと、スコープを覗き込みました。少女はけらけらと笑い、頬杖をついて、響き渡るであろう銃声を、その余韻に至るまで聞き逃すまいとするように、目を閉じました。
「ねえ。あの子の愛しい世界、あなたは、上手に殺せるかしら? あなたの、愛しい世界を」
なんてこった……そういう話だったんですか……(驚愕)
この度は『そして最後には、友に当たれ。』の2話を書いてくださり、誠に、誠にありがとうございます。快晴です。
1行目からしっかりマダラマゼラン一号様味の味付けに仕上げられていて嬉しさと驚きのあまり溶けるなどしていました。
読みながらずっと「そうだったのか……」と驚きっぱなしでした。もちろん良い意味で、です。
改めて1話を読み返すと、本当にほとんど何も設定を明かさずに投げっぱなしで自分に対して「こいつ……!」となっていたのですが、そこをエンジェウーモンの背景まで含めてここまで立派に調理してもらえるとは……心から感謝するばかりです。それはそれとして天使こいつら……。こいつらを殲滅させた事に関しては1話の自分グッジョブだよ。
自分達の優劣でちょっと仲が悪くなったり、赤子が天使の翼を握り締めた美しい光景の次の瞬間の彼らの「わかり合えない生き物」感、本当に素晴らしいです。あの心臓の描写からここまで『違う生き物』として掘り下げてもらえるとは……。
あ、天使達の中で『鍵の天使』だけは規律を重んじている場面ににっこりしたのは内緒です。デジモン創作の民はみんな大体鍵の天使が好き。……もっとも、重んじていたのはあくまで「境界を侵してはいけない」という規律だったのかもしれませんが……。
そう、そうです! ヤガミさん!
まさか最後のあの子がマダラマゼラン(様)ガールに――も、ありますが、エンジェウーモンと合わせて神様の卵の片割れになるとは夢にも思ってみなかったので、腰を抜かしておりました。ヤガミ……因果な名だ……。
皮肉屋な雰囲気を微笑ましく思いつつ、それまでの苦労も感じて切なくなるなどしていました。元気に育ってくれて、俺は、俺は嬉しいよ……(謎目線)
地の文=サンからしてエンジェウーモンにも片割れとして思うところがあるのが見て取れ、彼女の言う「もう誰もデクスモンを殺せない」の理由にも引きつけられるばかりです。
最後になりましたが、ギリードゥモンとザミエールモンの描写もパーフェクトでした……ザミエールモンの「察せよ」な雰囲気もギリードゥモンが大声を出し慣れていないところも、思わずにっこりしてしまいました……。
結局とっちらかった感想になってしまいましたが、兎にも角にも、改めて。素敵な2話をありがとうございます。第3話は少なくともお書きになると聞いて、今から舞い上がっております。
自分では絶対に味わえないマダラマゼラン一号様の『調理』を心から楽しみにしておりますので、拙作はどうかご自由に扱ってください。
それでは、こちらを感想とさせていただきます。もう一度……本当に、ありがとうございました!