月以外には明かりにも乏しい、深夜の海浜公園。
本来ならば人の姿などない、ましてや人ならざる異形の姿などいようはずもない場所で、 二つの異形によって戦いが繰り広げられていた。
片や夜闇にあって白く輝く清廉な騎士。片や夜闇にあってなお深い黒の鎧武者。
白騎士の構える竜頭の剣と鎧武者の光を湛える双刀がぶつかり、火花を散らして木々を燃やす。武者が躱した獣頭の砲が海を凍らせる。そんな、凄絶な戦いだった。
そんな戦いの中、手に持つ双刀を振るう鎧武者は――その『中』にいる彼女は、ある問いを頭の中で繰り返していた。
――なんで、私だったんだろう?
――なんで、彼じゃなきゃいけなかったんだろう?
何度も何度も繰り返したところで答えなんか出るわけがないことは、彼女自身百も承知している。けれど、それでも。彼女は繰り返さずにはいられなかった。
たとえ、今まさに戦いの最中にあったとしても。
否……きっと、だからこそ。
そんな彼女の考えを余所に、戦いは未だ続いている。自問自答による思考の間隙を衝くように、騎士が放った氷弾を左の刀で弾くと同時、彼女は相手へと踏み込み、右の刀を振るう。だがその一閃は、いとも容易く竜頭の剣で防がれた。こんな剣戟を、いったいもう何度交わしただろうか。
互いに引くこともできず、鍔迫り合いのように押し合う中、白き騎士と眼が合う。
合ってしまう。
その瞬間。ぎりぎりのところで抑えていた感情と想い出が溢れ出すのを、止められなかった。止められるはずがなかった。
騎士の『彼』と過ごした日々が。想いが。脳裏に溢れ出て止まらない。
「……その、この組織とかまだよくわかってないけど。まぁ、これからヨロシク」
――春に出会って、一緒に戦う仲間になった。
「なんかさ。こうやっていると、昔からキミと一緒にいた気がするなぁ」
――夏を過ごして、かけがえのない友人になった。
「命を助けられたからじゃない。キミのことが……その、好き、なの。きっと、前から」
――秋の戦いで、恋心を自覚した。
「嘘……嘘だよ。どうして、なんでキミが……! 信じてたのに! 愛してたのに!!」
――冬になって、愛故に心を引き裂かれた。
声にならない叫びと共に、技も何もなく、ただひたすらに力を籠めて白き騎士を吹き飛ばす。その刹那、海岸公園の石畳が砕けるほどに踏み込んで、彼女も跳躍して追い縋った。
溢れ出る感情のままに振るう双刀は、まるで彼女の慟哭のようで。
白き騎士もその一撃を迎え撃とうと、空中で姿勢を整えて竜頭の剣と獣頭の砲を構える。
刹那、二体の、二人の体が交錯し――落ちてゆく。
そんな二人以外には、互いを見ている者はほかに居らず。
戦いの結末は、凍り付くような月光を零す、冬の満月だけが見ていた。
●
静けさの漂う、板張りの道場。
その中央では、竹刀を手に防具に身を包んだ少女が二人、相対していた。
剣先で探り合い、時に竹刀をぶつけ合い、僅かに立ち位置を変えることはあっても殆ど動きが無いまま時が過ぎる。
動きがないまま時間が過ぎていくのかと思われたその時、片方の少女が動いた。
「面!」
相手の竹刀を払い、大きく踏み込み大音声と共に面を狙い行く――が。
「小手ッ!」
相手が手を上げ踏み込んだ刹那、もう片方の少女が後ろに下がりながら小手を打つ。鋭い打撃音と踏み込み。その一撃は、見事と言うほかないもの。
そして、事実。
「一本!」
審判は、全員が小手を打った彼女へと――『竜胆学園 和泉』、と書かれた垂をつけた少女の方へと旗を上げる。見ている周囲の者達も、思わず嘆息を漏らすほどに美しい一本だった。
「やっぱ凄いなぁ、いおりん」
一人の少女が思わずつぶやいたその言葉に、周囲の少女たちも頷く。いおりん、と呼ばれたその少女は、中央線へと戻ると再び構えを取った。まだ一本だ。試合は続くのだから。
緊張感を帯びた空気の中で試合は再開されて、間もなく。彼女が再び見事な一本を取って、無事試合を終えたのだった。
○
竜胆学園、剣道部。
試合を一週間後に控えた土曜日の練習試合を終えて間もなく、先ほどまで大将として圧倒的な強さを見せていた少女――和泉伊織は、したままだった手ぬぐいを解くと、後ろで縛っていたセミロングの髪を解いて一息ついていた。
今日の稽古は、強豪校の竜胆学園としては珍しく、午前中の練習試合で終わり。今後の予定を考え、さっさと帰ろうか、などと考えて立ち上がったところ。
「いーおりん」
「おわっ」
後ろから飛びついてきたのは、同じ剣道部員の少女だった。中堅として彼女と共にスタメンを張っている剣道部仲間であり、小学校以来の親友でもある。
「今日もお疲れ! 相変わらずのキレーな小手だったじゃん」
「お疲れー、綾乃。そっちこそナイスファイト!」
「いやいや、私なんてとてもとても。『竜胆小町』には敵いませんとも」
『竜胆小町』とは、いつしか近隣の剣道大会などに出場するとささやかれるようになっていた彼女の別名だった。にやにやと笑いながらそういう綾乃に、伊織は思いっきり顔をしかめる。
「ちょ、その呼び方やめてよね。ったく、誰が言い出したんだか……」
「多分、共学の対戦校の男子部員共でしょ。ま、その呼び方も納得だけどさー。ずっと一緒の私だって羨ましいもん、いおりん」
すらりとした、けれどしなやかな筋肉がついた体型に、動きやすいようセミロングに整えた髪。意志の強そうな切れ長の瞳という彼女の出で立ちと容姿はなるほど、『竜胆小町』の異名に相応しい、とは部員たちの談だった。
とはいえ女子高の剣道部。半分以上は女子高生に特有の揶揄い――あるいは嫌味だと、伊織自身は理解しているのだが。昔からの付き合いである目の前の綾乃は、別にしても。
「ま、それはともかくさ。今日は珍しくこれで終わりだし、どっか寄ってく?」
「あー……その、ゴメン。今日、これからバイトなんだよね」
伊織が苦笑気味に手を合わせてそう言うと、おっと、と彼女がバツが悪そうに頭を掻く。
彼女は、伊織の抱える事情をよく知ってくれている。だからこそ、なのだろう。
「最近付き合えなくてごめんね、綾乃」
「いいっていいって。でもいおりん、体壊さないようにね」
「モチ! 大会前だからね。怪我なんてしてられないって!」
力こぶを作るようにして、努めて明るくそう言うと、綾乃はしかし困ったように首を振る。
「いおりん、そういうことじゃなくて……」
「ゴメンゴメン、わかってるって。アリガト、綾乃」
「……なら、いいけどさ」
少しだけ不満そうに、そして心配そうに。そういう綾乃に軽く手を振って、防具を抱える。そのまま袋にしまって、帰り準備に更衣室へと向かおうとしたのだが、そうだ、と綾乃から再び声がかかった。それも、ひどく心配そうな顔で。
「それとは別に。今日バイトなら遅くなるんでしょ? なら、体調だけじゃなくて余計気をつけてね」
「? どういうこと」
彼女の心配が何を指しているか分からなくて、伊織は思わず首を傾けた。そんな彼女に、もう、と少し怒った様子の綾乃はデコピンを繰り出して、忘れたの、と呆れたように言う。
「こないだ緊急朝礼もあったでしょ? ここしばらく、あっちこっちで原因不明の爆発事故だか家屋倒壊だか続いてるから、夜間の外出とか、気をつけろって」
「ああ……そのことね」
「ああって……ホントいおりんって、もう」
呆れる彼女に、笑いながらも謝る。確かに綾乃の言う通り、数か月の間、この街では原因不明の事故などが続いていた。ひどい時には、ビルのワンフロアがまるで爆発したような有様を見せていたという、そんな事件だった。
「あとあれだよね、なんか現場には大型の犬みたいな歯形?も見つかってるとかって」
「そうそう。未確認生物かも、とかニュースで言ってたよね」
その言葉に、伊織は思わず動きを止めてしまう。
未確認生物。大きな犬のような動物だと推定されるというけれど、それ以外にもいるのだろうか。
それなら、やはり伊織があの日、見たモノは。
それに、この――。
「いおりん?」
「ん、あ、ゴメン。ぼうっとしてた」
「え、だいじょぶ? 変なとこ打ったりしてないよね?」
剣道というスポーツ柄、たしかに防具をつけていてもそういうことがないわけではない。彼女自身、突きが変なところに入って吹っ飛んだこともある。どうやらその類の心配を彼女にさせてしまったらしいと理解して、違う違う、と慌てて誤魔化すように笑った。
「だいじょーぶ。ちょっと気になることがあってさ。ま、夜も気をつけて帰るから」
「ホント気をつけなよ? それじゃホラ、今日の道場前の掃除は任せて早く行きなって。時間ギリでしょ?」
「ワオ、サンキュ! 今度絶対埋め合わせするから。じゃね、綾乃!」
そう言って、防具の片付けと制服への着替えを済ませて、伊織は剣道場を飛び出した。トレーニングついでにと走り出す傍ら、先ほどの綾乃の言葉を思い出していた。
原因不明の爆発事故。
正体不明の生物の痕跡。
そして。
「未確認生物、か」
ブレザーのポケットに入れたスマートフォンの重みを、少しだけ意識する。
気にならないと言えば嘘になる。それどころか、正直に言えば大いに気にはなる。
けれど、今は。
「バイト、頑張らないと、ね!」
力強く地面を蹴って、バイト先へと走り出す。
両親のことを、思い出しながら。
○
和泉伊織に、家族はいない――否、正確には、亡くした。
四年前、伊織が中学一年生になり、剣道部の夏合宿に参加していた最中のことだった。
合宿の夜、叔父から入った電話から告げられたのは、刑事だった父、そして科学者だった母が、夜中に何者かに殺害された、という知らせだった。
部屋の中は激しく争ったような跡が家中に見られ、近隣住民たちもその異様な物音を聞いていた。
被害者の一人は刑事。犯人らしき目撃証言こそ得られなかったものの、身内が殺された犯罪だと言うことによる警察の士気の高さ、そして伊織の父が秘密裏に追っていた事件があったことなどあり、犯人逮捕は間も無くのことだと思われていた。
だが四年経った今でも、犯人は捕まっていない。
犯人像は不明。人数も不明。残された手がかりは、争った形跡、それも一体何が暴れればそうなるのかというくらいの破壊痕。
そして、まるで巨大な生物の爪のような、謎の痕跡。
不明な点は未だ多く、未解決事件として警察による捜査が継続されている事件となっていた。
世間からしてみれば、言ってしまえば数ある未解決事件の一つでしかなかっただろう。
だが突如、その被害者家族となってしまった伊織にとっては、この四年間は、まるで嵐の中にいるような日々だった。
両親が亡くなって以後、一人身だった叔父が後見人となって引き取り、面倒を見てくれた。だが先のことを考えれば、頼りきりになるわけにもいかなかった。
幸い、幼い頃から父が鍛えてくれた剣道の腕前は全国でも指折りで、剣道名門校である竜胆学園のスポーツ特待生枠を取ることができた。大学も、既に推薦の話がきている。
だが、その先は?
今は幸い、学費は最低限しか掛かっておらず、両親の残してくれた遺産でどうにかなっている。
だがこの先も、彼女は生きていく。そのために、部活の一方で、バイトに励む日々を送っているのだった。
――あるいは。
そうやって必死に先を見ることで、両親を喪った哀しみややるせなさ、どうしようもない怒りから、目を逸らしているだけなのかもしれないと、伊織自身、薄々理解していた。
○
「それじゃ店長、お疲れ様でしたー!」
「はいはい、お疲れ様、伊織ちゃん」
夜半。今日のバイト先だったコンビニの店長に挨拶して店を出ると、伊織は世話になっている叔父の家へと向かって歩き出した。
スマートフォンの時計を見れば、既に時間は二十二時も近い頃合い。明日の部活は休みとなれば、定期テストも近い以上、勉強もサボるわけにもいかない。これでも一応、文武両道で通っているという自負もある。親がいないということで、舐められたくない、という思いもないとは言えないが。
それに、勉強に打ち込むことも、剣道に打ち込むのも、結局は――
「……ふぅ」
嫌な方にずれかけた思考を修正するために、溜息と共に頭をひとつ振る。
いずれにせよ。
「こりゃ今日も、朝方コースかなぁ」
綺麗な月を見上げてそう嘆いた、その時だった。
ブレザーの中へと仕舞おうとしたスマートフォンが震える。表示された名前は、本来あり得ないことに空白。電話番号ですらない、完全な空白だった。
だがそれに驚くことなどせず、彼女はためらいなく通話をタップする。
「ん。どしたの、ギン」
慣れた様子でそういう彼女に、スピーカーの向こうの何物かは、落ち着き払って静かな、けれど不思議と通る声で応える。僅かなノイズ音と共に。
『何。ばいと、とやらが終わったのであろう?』
「そうだけど、どうしたの急に?」
『いや何、夜道に一人、心細いかと思うてな』
その言葉に、はは、と伊織は笑う。
「ん、アリガトね、ギン。でもホント、どしたの急に」
『……今日のアヤノとの話が少し、な』
「あぁ……」
何故綾乃との話を知っているのかなど、伊織は問うことはしない。そういうものだと、伊織は知っているから。ただ、僅かにすっと目を細める。
「それじゃあ……あの日、ギンが言ってたことは、やっぱりホントに――」
話しながら道を歩き、街灯も少ない暗がりへと差し掛かったその時。
偶然か、はたまた長い年月剣道を続けてきた、武道家の端くれとして何か感じるものがあったのか。ふと、彼女は振り向く。
そして。
「……、は?」
その先にあったもの、いや、居たモノを見て、そんな声を漏らすことしかできなかった。
なぜならそこにいたのは、断じて人ですらなく。
緑色の肌をして角を生やして骨の棍棒を持った、鬼としか形容できない何かだった。
しかも彼女目掛けて、手にした棍棒を振り上げている、まさにその瞬間のこと。
目の前で起きていることが受け入れられず、思考がフリーズする。
だが。
『逃げろ!! イオリ!!!』
電話の向こうから響いた声に、ハッと正気に返る。
日々練習に励んできた賜か、咄嗟に剣道の要領で後ろへと地面を蹴って、寸でのところで棍棒を躱すことに成功する。
やった、と思ったのは、ほんの刹那。揺れた毛先を掠めるほどの距離を通っていた骨の棍棒は、力のままに地面に叩きつけられ、そして。
「……っづぁ!?」
ありえないことにアスファルトを砕き、その余波だけで彼女のことを吹き飛ばした。
一瞬、伊織は何が起きたかわからなかった。突然世界が回転して、背中を打った。息ができないだとか、痛いだとか、そんなことを思う暇すらなく勢いのまま転がって、壁らしき何かにぶつかってようやく止まる。
「……うぅ」
『イオリ、大丈夫か、イオリ!!』
少し離れたところで、画面に罅の入ったスマートフォンから声がする。きっと『ギン』が心配してくれているのだろうことは、混乱した頭でもわかった。
でも、動けなかった。
彼女自身、長い間剣道に触れて来たこともあって、人よりは痛みや衝撃に強いと思っていたし、授業等でも普段からそう感じていた。
だけど、違ったのだと思い知らされた。
剣道は、あくまでスポーツだ。防具をつけ、ルールを決め、全員がそれを承知の上で行うものでしかない。
だがこの緑の鬼が齎したものは、スポーツの上にあるものじゃない。純粋な暴力で、殺意だった。
死。その一文字が、無意識のうちに脳裏を駆け巡るほどの。
体の衝撃以上に、そんなものを受けたのだという事実が、彼女から動く気力を奪う。
そんな彼女を仕留められなかったことに気付いたのか、ゆっくりと吹き飛ばされた彼女の方へと近づいてくる。
なんで襲われたのか、とか。一体何なんだ、とか。言いたいこと、頭の中に浮かぶことはこの僅か一瞬ですら山ほどあった。
けれど。
「……父さん、母さん」
彼女の方へと近づいてくる緑鬼を視界にとらえて、思わず漏れたのはそんな声だった。
何者かに殺された、父と母。両親も、死ぬ間際に、こんな暴力を向けられたのだろうか。こんな、謎の存在に、襲われたのだろうか、と。
目の前に迫った緑の鬼が、今度は棍棒を持っているのとは逆の手を振り上げる。相手が異形であることを除けば、なんということはない握り拳。けれどそこに、尋常ならざる、否、非常識的な力が集中していることが何故か分かってしまった。
それを見て、きっとここで死ぬんだ、とそう思った。痛みと衝撃に鈍る頭で、それだけは鮮明に理解していまう。理由や因果など関係なく、この謎の生き物は自分を殺すのだろう、と。
だが、それもまぁいいかと、伊織は倒れ伏したままぼんやりとそんなことを考えていた。
だって、これでようやく。
「父さんと母さんに、会えるかな」
奇妙なくらいに凪いだ心で呟いて、静かに目を閉じる。意識すらも手放そうとしたその瞬間。
『……オリ! 立てイオリ!!』
電話から切れ切れに聞こえてきた『ギン』の声。
『タケルとカヤの仇になど、殺されて良いのか!?』
――その声に、生すら諦めかけていた彼女の心へ熱が戻る。
目を見開いた彼女は跳ね起き、まさに振り下ろされるところだった拳を敢えて鬼の方へ進むことでかわそうとする。そしてそのまま駆けて、スマートフォンを手に取ろうとした、が。
「なッ……!?」
確かに拳の直撃は避けた。なのにその一撃が爆発を引き起こし、再び彼女を吹き飛ばす。伊織は当然、なす術もなく転がる。だが今度は、ただ吹き飛ぶだけでは済まさない。
それだけで済まされてなるものかと、遮二無二腕を伸ばす。
「……よしっ!」
吹き飛ばされて地面を転がりながらも、スマートフォンをしっかりと拾った。そして、勢いのままに立ち上がると、背後を振り返らずに駆け出す。
伊織本人も、まさか上手くいくとは思っていなかった。イチかバチかの行動だったが、成功だった。まだ激しい鼓動を刻む心臓を余所に、足を止めることなく大通りへと走り出る。夜半なことが幸いして人は少ない。とはいえ帰宅の途にあったであろう人々は、傷さらけで飛び出してきた女子高生に、目を丸くしていたが。
だが、そんなことに構ってはいられない。どこへ向かっているかもわからないがひたすらに走って逃げながら、スマートフォンを耳に当てる。
「ギン、ねぇギン――ギンリュウモン!! 聞いてるんでしょう!?」
『あぁ。ひとまずは無事だったか』
「そんなことどうだっていい。さっきのどういうこと!? あの変なのが父さんと母さんを……殺したの!?」
息を切らしながらもそういう彼女に、電話の向こうの存在は、押し黙る。
「なんとか言ってよ、ギン!!」
『……厳密にいえば、違う。だが、アレと関係していることは間違いないだろう』
「どういうことなの!?」
『あれはな、何者かが無理やりリアライズさせたデジタルモンスターだ』
「デジタルモンスター?」
『ああ、そうだ。本来であれば、現実世界では肉体を持たない、仮想の生物……私と同じくな』
その言葉に、思わず足が止まる。
「……は? ギンが、あいつの仲間?」
『仇かという意味では否だが……あぁ、然様だ』
「ナニ、それ。だ……だって、言ってたじゃん。ギンは……ギンリュウモンは、母さんが作った次世代型AIだって。私のために、用意してたんだって」
父と母の死後、気付けばいつの間にか彼女のスマートフォンに入っていたアプリ、『ギンリュウモン』。それは科学者だった母が、彼女のために残したAIだと……そう、聞いていた。
このAIを名乗っていた、ナニモノかから。
『……タケルとカヤから頼まれていたのだ。もしものことがあった時は、AIということにしてイオリのことを見守って欲しい、と』
何かを悼むような、悔やむような。そんな口調でギンは応える。
だがあまりに突拍子もない話ゆえに、伊織はそれに応えることができなかった。それでも何かを言おうと、口を開きかけたその瞬間。辺りが、急に騒がしくなる。
はっとして振り返ってみれば、人々が遠巻きにしてみていたのは、裏通りから飛び出て来た、緑色の鬼だった。
その鬼と、視線が合う。
背筋に怖気が走った。先ほどまでの恐怖が、一瞬にして蘇る。狙われている。そう、緑鬼の目を見て確信する。実際、周囲の騒ぎはどんどんと大きくなっていっているが、鬼はカメラを構えて動画を撮っている人々を襲おうとはしない。
その視線は、ただ彼女ののみを、捉えていた。
「――ッ!!」
声にならない叫び声をあげて、再び走り出す。大通りにいたらまずい。見通しが良すぎてすぐに追いつかれる。そう思って、郊外の海浜公園へと向かう道へと走り込んだ。
両親の仇ってなんだとか、アイツはなんで自分を狙うのかとか。
気になることは沢山ある。ギンリュウモンを問い詰めたい気持ちだってある。でも今は逃げろと、本能が叫んでいる。
だからただ、必死に走ることしかできなかった。
○
ギンリュウモンと話すことすらせず、必死に走って、駆けて。持久力にはそこそこ自信がある彼女が、もう走れないと思うほど走って、ようやく倉庫街へとたどり着いた。
海沿いに立ち並ぶ、夜半の海浜公園。他にはだれもおらず、不気味なまで静寂が漂っていた。
「ハァッ……ハァッ……ここまで、くれば……大丈夫、かな」
『イオリ、大事ないか』
走ってる間に、スピーカーにしてしまったのだろうか。耳に当てなくても、ギンリュウモンの声が聞こえた。どう答えたものか。少しだけ迷ったけれど、結局は小さくため息をついて、いつものように応える。
「ん、まぁなんとかね」
『なら、良いのだが』
そう、ギンリュウモンがそう答えた後、沈黙が支配する。逃げる前と同じく、聞きたいことは沢山あった。沢山ありすぎて、何から聞けばいいのかわからないくらいに。
だからこそ、さしあたっては一つだけ聞くことにした。
「ねぇ、ギン」
『なんだ』
「父さんと母さん、どんな最期だったの?」
なんとなく、見たのではないかという気がした。落ち着いてみれば、父と母のことを語ったギンは、今までにないくらい感情的だったような気がしたから。
そんな彼女の直感に、ギンは応える。
『あの時、タケルと共に戦った。だが、力及ばず……カヤが。そしてタケルも……な』
後悔がにじむ声に、何かがストンと胸の奥に収まった気がした。
確かに、AIだと信じていたし、いきなりデジタルモンスターだなんだと言われて、はっきり言って訳が分からず混乱する思いもある。
けど、それでも。
四年前から彼女を見守っていてくれた、『ギン』であることに、間違いはないのだと。その声を聴いて、素直に思えたのだ。
「……ん、そっか。そうなんだ」
『ああ』
「でもさ、ギン」
『なんだ?』
「父さんが戦うってそれ、一体どういう――」
死の恐怖に晒されていたのだという事実から気を紛らわすためにも……そして父と母のことを、知るためにも。詳しいことを聞こうとした、その時だった。
突然、海浜公園入り口近くのビルの壁が爆音と共に砕け散る。ニュースでしか見ないような爆発に、ぎょっとしてそちらへと首を向けてみれば。
「……嘘、でしょ」
『オーガモン! 逃げられなんだか……!』
あの緑色の鬼が――オーガモンと呼ばれたモノが、恐らくは自らが破壊したであろう瓦礫を振り払いながら、こちらへと歩いてくる姿があった。まだ距離はあるけれど、逃げなくては。そう思い、立ち上がった。
だが。
「痛っ……!」
『イオリ!?』
「は、はは。転がった時、足捻ったかなぁ。一度休んじゃったら、痛いや」
休んでしまったがゆえに、痛めたことに気付いてしまった。あれだけ命の危機にさらされていて必死になっている最中のことだ。痛めたのも仕方ないこととはいえ、伊織自身、あまりの運のなさに渇いた笑いしか漏れてこない。
そしてそうしている間にも、『オーガモン』とギンリュウモンが呼んだ存在は、こちらへと歩いてきている。
逃げることもできないし、どうしよう、と妙な冷静さで考えていた、その時だった。
『タケルとカヤの願いには反するが……これもまた致し方なし、か』
諦めたような、納得したような、そんな形容しがたいギンの声が、スマートフォンから響いてくる。
「……ギン?」
『イオリ。一つだけ聞かせて欲しい』
有無を言わせぬ調子に、伊織は思わず息を呑む。いつも静かに、優しく、見守ってきてくれたギンからは聞いたことのないような声だった。
迫力に呑まれ、静かにうん、とだけ答えた伊織に、ギンが――ギンリュウモンが、静かに、だが厳格に問いかける。
『イオリ、キミは両親が見ていた世界に、踏み込む覚悟はあるか』
ギンリュウモンのその言葉に、思考が漂白される。迫りくるオーガモンも、命も聞きも、一瞬にして彼女の意識から消えていた。
ギンリュウモンの言葉の真意はわからない。だが、それでも。ギンリュウモンがそう問うのなら、彼女も一つ、確かめなくてはならないことがあった。
「ギンリュウモン、私にも一つだけ教えて」
『なんだ』
「父さんと母さんを殺したヤツ、知ることはできるかな」
『確約はできないが、あるいは』
その言葉に、あぁ、と伊織は嘆息する。
両親の死、その『犯人』。
両親を殺した犯人は不明だと、手がかりがないと言われ続けてきた。彼女自身、もう分からないままなのかもしれないと、あきらめかけていた。
だがもし、それが分かるなら。分かるチャンスが、あるのなら。
友人たちと日常を過ごそうとも。
将来のためにとバイトに励もうとも。
剣道の腕をいくら磨こうとも。
勉強で優秀な成績を修めようとも。
どうあっても埋め得なかった心の孔を、埋めることができるかもしれないから。
「うん。ギン、私は、父さんと母さんが見ていた世界を、見ていたい」
『相分かった……すまぬなタケル、カヤ。彼女を戦いから遠ざけられなんだ』
そう、ギンリュウモンが言った途端。彼女の手にするスマートフォンが一瞬強烈な光を放ったかと思うと、何か文字が表示される。
『さぁ、イオリ。この文字を読んでくれ。カヤの遺したプログラムを、起動させる』
「読めばいいの?」
『ああ』
「わかった」
そうして伊織は、獲物を狩ろうとするかのように向かってくるオーガモンを見据えながら、その言葉を口にする。
――Decode:Realize/.
○
彼女がそう言った瞬間、スマートフォンから白の、青の、赤の、黄の、あらゆる色の光が洪水のように溢れ出た。伊織は、それに何か声を上げる間もなく飲み込まれる。
その光の洪水に反応したのか、オーガモンは一瞬驚いたように足を止めた後、今まで見せていた余裕のようなものを捨て、猛烈な勢いで伊織の方へと駆け寄る。そしてその勢いのままに、手にした棍棒を振り上げ、躊躇いなく振り下ろす。
だが、光の洪水がおさまった先、そこにあったのは棍棒に潰される伊織の姿ではなく。
「……痛、く、ない?」
『甘い、甘い。我が鎧、そのような棍棒で破ることなど叶わぬわ』
黒き鎧兜に身を包み、長い尻尾で棍棒を防ぐ、竜の姿だった。
普通なら、自分の姿など、伊織に見えようはずもない。だがそれでも、何故か自分が竜のような姿になっていることは、まるで自らを俯瞰しているかのごとく理解できていた。
「ちょ、何これ!? 尻尾あるし……ていうか尻尾! このッ……! 棍棒が重いんですけ、どっ!!」
混乱のままに、棍棒に全力をかけてくるオーガモンをとりあえず振り払おうとする程度の気持ちで、伊織はぐるりと体を回転させて尾を振った。
だが。
『ふむ。こういう時は、ほーむらん、と言うのだったか』
「……いや、違うケド」
あろうことかオーガモンは、尾の一撃を受けて大きく吹き飛び、自らが破壊し飛び出してきたビルの瓦礫へと再び突っ込むこととなった。轟音を立てて突っ込んだと同時、瓦礫が崩れて埋もれてしまった。
しばし、その有様を茫然と見つめて、ふと竜の姿のままで我に返る。
「いやいや、いやいやいや。え、この姿何!? てかギンリュウモンはどこから喋ってるわけ!?」
『ははは、異なことを。この姿こそが私の本当の姿。今の会話はまぁ、頭の中で自問自答しているようなものと思えば相違あるまい』
「は? え、あ! オーガモンと仲間ってそういうこと!?」
ようやく、僅かながら理解が及んだ。てっきり仲間と言うのは組織だとか、そういうことなのかと思っていたが、異形の生物、ということなのだろう。
ギンリュウモンも、然り、と頷く。
『本来なら我らは現実世界に肉体を持たぬ身。それを……まぁ、ある技術によって、人間を核に現実世界に展開するのが、リアライズ、というモノだ』
「……お母さんが、その技術に係わってたの?」
『それに応えるのは、あれを片付けてからのほうがよさそうだな』
ギンリュウモンの言葉に視線を向けてみれば、オーガモンが瓦礫を跳ねのけて飛び出してくるところだった。瓦礫から這い出すと、こちらを睨み咆哮を上げる。異形であろうとはっきりとわかる、憤怒の形相で。
『何故かはわからぬが、アレはイオリを狙っている。撃退しない限りは追われるだろう。行けるか?』
いきなり竜の姿になるなんていう、非現実的な事が起こり、戸惑う気持ちはある。ましてやいきなり戦えなどと言われて、どうしていいか分からない思いも。
だけどその一方で、妙な確信が胸にあった。多分この姿……ギンリュウモンの姿であれば、あのオーガモンとやらに負けるようなことはないはずだ、と。
そして、これが両親の『見ていた』世界なのかという、妙な高揚感も、確かに胸にあった。
「……うん、多分。大丈夫だと思う」
『体の主導権はイオリだが、私もサポートはする』
「アリガト。了解!」
そう伊織が答えた時、オーガモンが跳躍する。人ではありえない距離、あり得ない高さの跳躍。飛び上がったオーガモンは月を背に拳を構え、届くはずのない距離で振り抜く。
一体何を、と思う間もない。振り抜いた拳から、闇色の衝撃波としか形容できない何かが飛来する。
見た瞬間に背筋が冷たくなる。当たってはまずい、ということだけは直感した。相手の狙いは正確。寸分たがわず伊織を狙ってきている。
ならば。
「……ッ」
剣道に邁進したが故の勘所か。伊織は衝撃波の軌道を正確に見切り、僅かに二歩、前へ出る。相手の狙いは正確であるがゆえに、それだけで衝撃波は外れ、地面へと向かった。
『ほう、見事』
感心したようなギンリュウモンの声と同時、衝撃波地面にぶつかり、アスファルトを砕いて破片をまき散らす。だがギンリュウモンの体となった伊織には、かすり傷すら負わせられるものではなかった。
そのまま、伊織は躊躇うことなく走って前へ出た。飛んできたオーガモンが着地するその刹那、再び尾を振り回して一撃を加えようとする。剣道と同じ、相手の動きの隙を衝いた一撃。
だが。
「……っつぅ!」
相手も予測していたのか、棍棒を思い切り尻尾めがけて打ち付けてきた。振った尻尾と棍棒の衝突に、耳障りな金属音が鳴り響く。鎧に覆われた体躯に、負傷こそない。だが、それでも尻尾から体の奥へと響く衝撃に、思わず苦鳴が漏れた。
オーガモンは、その衝撃を利用して後ろへと飛び、少し離れた位置に着地した。もう伊織を舐めるのはやめたのだろうか、まるで狩人のような油断ない瞳で、そのままこちらの様子をうかがっている。伊織も、この体の扱い方は不思議と分かるとはいえ、どうしたって慣れていないために積極的に攻められない。
まるで剣先を払い合うような探り合い。相手の間合い、謎の衝撃波。それらを思考に入れて、相手の行動を予測し、こちらの僅かな動きで牽制する。その繰り返し。違う体なのにもかかわらず、肌に馴染んだ感覚が、伊織を試合の最中にあるように錯覚させていた。
そんな感覚を抱きながら牽制を繰返しながら、伊織はギンリュウモンへと問いかける。
「ねぇ、あの衝撃波みたいなの、私も出せる?」
『あれはオーガモンの固有の力。私には無理だ』
「なら、ギンリュウモンの『固有の力』はあるんだね?」
そのことばに、ギンリュウモンはなるほど、と頷く。
『決め手が欲しいか。うむ、あるにはあるし、放てる……が。今のイオリの体力では、一発が限界だぞ』
真の正体は知らずとも、四年間見守ってきてくれたが故か。どうやらギンリュウモンはイオリが何をしたいのか瞬時に察してくれたらしい。まるで試合のような緊張感の中、そんなことが伊織には何故か嬉しく思えてならなかった。
だがそんな想いは表に出さず、うん、とだけ頷く。
「それでいい。隙は見つける。その時どうしたらいい?」
『相手に向けて、口を開け。それだけでいい』
「わかった」
そう答えた瞬間、伊織は一歩踏み込み、体を回転させながらオーガモンの頭めがけて尾をしならせる。尾の先がオーガモンに触れるかどうかすれすれの距離。棍棒を振るには距離が足りない。衝撃波を打つには拳を引く時間が足りない。
ならばとり得る行動は一つだけ。オーガモンは、伊織の予測通り後ろへ下がった。そして伊織は回転を終え、僅かにたたらを踏んだ。
その瞬間、オーガモンが笑ったように見えた。隙を見つけたとばかりに拳を引き、衝撃波を放とうとする。骨の棍棒が通らないことは既に十分見せつけた。その上、棍棒を振るには僅かに届かない距離。なら、相手の攻撃は衝撃波に絞られる。
「――かかった」
そう、追い込んだ。
たたらを踏んだ――そのように見せただけで、態勢は万全。放たれた闇色の衝撃波は伊織へと迫るが、彼女はそれを、僅かに体を傾かせながら踏み込み、躱す。
目の前にあるのは衝撃波を放ったままの恰好で動けずにいるオーガモン。伊織は尾でオーガモンの足を払って転ばせ、棍棒を持った腕を足で押さえつける。
そして。
「ギンリュウモン!」
オーガモンの体目掛けて、口を開いた。
『応――『徹甲刃』ッ!』
ギンリュウモンが、そう言った途端、口腔が冷たくなるような熱くなるような、不思議な感覚が訪れる。何か巨大な力が、そこにあることだけは、彼女にもわかった。
そして次の瞬間。
鉄の槍が、オーガモンへと打ち出され、その体を貫いた。
○
「……終わった、のかな」
足の下で鉄の槍に貫かれ、動かなくなっているオーガモンを見て、伊織はそう呟く。まるで剣道の試合のような、いや、それとは比べ物にならないほどの緊張感の中での駆け引き。それがなんとか決まったことに、少しだけ安堵を覚える。
『そうらしい。凄まじいな、イオリ。初めての戦闘だというにも拘わらず』
「はは。なんか、剣道の試合みたいなものかなって思ったら、体が勝手にね」
『タケルの天稟、しっかりと受け継がれていたか』
「そうなのかな……って、あれ」
ぐらりと。突然体が傾ぐ。竜の体を制御できず、そのまま倒れ伏しそうになった。急激に力が抜け、立つ事すらままならないほどの脱力感。熱中症を何倍にも強くしたような、そんな感覚だった。とにかく尋常ではないと、それだけは瞬時に察する。
『いかん、体力が尽きたか! イオリ、繰り返せ。『Encode:Digitalize/.』と!』
「わ、わかった。え、『Endode:Digitalize/.』」
苦しいのを抑え、そう呟いた途端。伊織とギンリュウモンの体がまるで剥がれるように分離した。そしてギンリュウモンの体が、折りたたまれるようにして小さくなっていく。
そして、元の姿にもどった伊織の膝に、すとんと落ちてきた、手のひら大の『それ』は。
「……私のスマホ?」
『正解だ』
「わっ!? ってああ、そっか。そっちも元に戻った、ってこと?」
『うむ。時にイオリ、体の方はどうだ』
「あ、うん。まだ頭が重いけど、さっきよりはいいかな」
そう言って、伊織は一つ息を吐く。
傍らにある異形の生物の姿以外は、いつもと何ら変わらない夜。なのに、この僅かな間に、全てがひっくり返ってしまったような、そんな気すらした。
「いろいろさ、聞きたいことはあるんだけど。とりあえず一つだけ聞かせて、ギン」
『なんだ?』
「父さんと母さんは、こんな戦いを、いつもしていたの?」
『カヤは技術面担当の科学者故、戦いはしなかったが。タケルは、そうさな。常にとは言わないが、必要とあれば時には、な』
「そっか……そう、なんだぁ」
驚きはある。受け入れがたい気持ちもある。意味が分からない、非科学的な、と叫びたい気持ちだってある。理不尽に命の危機に追いやられたことへの怒りもある。
けれど不思議と、彼女の胸の内に満足感があったことも、また事実だった。
失った筈の父と母。両親が見ていた世界の一端を見られたということは、今までどこか虚無感に囚われ続けていた彼女にとって、それだけで価値のあることだったのだ。
『……そうか。そうか。ならばまぁ、よかったとしておこう。私もタケルとカヤの忘れ形見の力になれて、何よりだ』
「ん、アリガトね、ギン」
『当然だとも』
そんなやりとりをして、ふと時計を見てみれば、時間はもう日付を跨ごうという頃合い。その時間も問題だが、よく耳を澄ませてみれば、パトカーの音なども聞こえてくる。まず彼女が関わった一連の事態のせいであろうが、それよりも何よりも。
「ヤッバ、早く離れよ! 補導されたらいろいろマズい! 部活も奨学金も!」
『む、そうか。なれば、詳しい話は帰ってから、じっくりと……イオリ!!』
「え――っあッ!?」
結論から言えば、ギンの警告は間に合わなかった。
ギンの警告の叫びと同時、不穏なものを感じてオーガモンの方へと振りむく。そこには、血走った目を爛々と光らせ、拳を握りしめるオーガモンが居た。
避けなきゃ。そう思いはしたものの、先ほどの戦いで体力を使い切った伊織には、とても躱すことなどできなかった。
槍に貫かれたまま、ただ闇雲に振り抜いた拳が、伊織の腹を打つ。衝撃波はない。力だって、きっと先ほどの何分の一にも落ちている。だがそれでも、吹き飛ばされ、無様に転げまわってしまうには十分な威力だった。
「ぐ……ぁ」
『イオリ! イオリ!!』
先ほどの戦いで、知らず知らずのうちに全精力を使い果たしていた彼女には、致命的な一撃だった。目が霞み、血の味が口に広がる。スポーツを続けてきて、それなりの怪我も経験してきたからこそ彼女には一瞬でわかる。これはマズい、と。あらぬ方向へと飛ばされ、彼女に声を上げるギンに言葉を返すことすらできなかった。
霞みゆく視界の中、体に刺さった槍を抜こうともがきながら、彼女へと近づいてくるオーガモン。間違いなく、相手は致命傷の筈だ。なのに、動き回っている。
「はは……バケモノ、じゃん」
だがそれと同時に、痛みと苦しさで意識が飛びそうになりながらも、どこかで深く納得してもいた。父と母の死後、一度だけ見た生家の部屋の中。何かが荒れ狂ったような傷跡と、まるで未確認生物のような痕跡。こんなバケモノ相手なら――先ほど自分が成っていた姿なら、あんな普通じゃない痕跡も納得できる。
「やっぱりお前達、なんだ……!」
父と母の仇が、その手掛かりが目の前にあるのに、届かない。一度は襲われ、ただ生を諦めた。だが、今度は。
「死にたくない……!!」
父と母が見ていた世界を見られたのに、仇の手がかりを得られるかもしれないのに。
胸の奥底に空いていた孔を、やっと埋めることができそうなのに。
「こんな……ところで、死ねる、かっ……!!」
だが、死は刻々と彼女の前へ迫ってくる。ふらふらとした足取りで迫ってくるオーガモンは、あの闇色の衝撃波を放とうと、腕に力を集めているのが、視界の端に映る。
立ち上がって逃げようと、腕に力を篭めようとした。だが、体を持上げることができない。なんとか顔を上げてみれば、そこに移ったのは、満月を背に、拳を構えるオーガモンの姿。
「父さん、母さん……、」
悔しさと絶望に意識が飲まれかけ、思わず両親を呼び、その先に彼女自身もわからないままに何か言葉を続けようとした、その時だった。
「させるか!『カイザーネイル』!!」
そんな叫びと共に何かが上から飛び降りてきたと思った瞬間、びくりとオーガモンが体を震わせて動きを止め、そして崩れ落ちる。
「……え?」
『あぁ……彼らが間に合った、か』
崩れ落ちた背後、そこに立っていたのは新たな異形。オーガモンと違って不思議と満月が不思議とよく似合う、青い狼男だ。霞んだ目にも鮮烈に映る、そんな存在だった。
その狼男が、じっと彼女のことを、そして少し離れたところに転がり、ギンが言葉を漏らしたスマートフォンを見つめながら言葉を発する。
「アンタが、ギンリュウモンの反応の……そうか、もしかして尊さんと伽耶さんの」
「っ!? 父さんと母さんを、知ってるの!?」
その言葉に、無理やり上半身を起こす。だが力が入らず、崩れ落ちかけたところを、慌てたように狼男が支えた。
「無理するな! デジモンに襲われた上に、初めてのリアライズで限界のはずだ!」
「それでもいい!! 父さんと母さんのこと……『このこと』を、知ってるの!?」
必死な様子を見せる彼女に、驚いたように瞠目した後、あぁ、と狼男は深く頷く。
「あぁよく知ってる。アンタのことも二人から、偶に聞いてたよ。和泉伊織さん、だよな?」
「そう、だけど……」
「やっぱりな――『Encode:Digitalize/.』」
狼男がそう呟くと、先ほど伊織の身に起きたのと同じことが起きる。光と共に狼男の体と人間の、それも男の体が分離して、狼男の体がスマートフォンへと折りたたまれていく。
その現象が終わってみれば、彼女のことを支えているのは、狼男ではなくなっていた。伊織のことを支える『彼』は、歳のころは伊織よりも少し上くらいと言った頃合いの、鋭い雰囲気を纏った男性。
まるで今日の月のように、冷たくも芯の通った光を放つ瞳が、よく目立つ。
「さ、手を貸す。立てるか」
「その、キミは……」
「ん、ああ」
そう言うと、伊織のスマートフォンを回収してから彼女を片手で立ち上がらせ、軽々と抱え上げてみせた。
いわゆるお姫様抱っこ、というやつだ。
「ちょ、ちょっと!?」
「歩くのキツいだろ、我慢してくれ……で、俺のことだったな」
「う、うん」
顔を赤くして答える伊織に、俺はな、と彼は続ける。
「名前は佐々木厳希。法務省管轄、公安調査庁仮想生命体対策室の嘱託職員で……それに何より、な」
彼女の方に顔を向けて、小さく笑う。
「そこに所属してた尊さんと伽耶さんに、昔助けられた人間だよ」
――それが、彼女と彼の出会い。
そんな二人の出会いを、冷たい月光を零す、春の満月だけが見ていた。
あとがき。
ここまでお読みいただきありがとうございます、湯浅桐華です。
Realize the Digitalworldの1話、お楽しみいただけましたでしょうか。
イメージしたのは、漫画などの異能バトルもの第1話、と言ったところです。
日常にいたはずの主人公が、突然非日常に巻き込まれ、戦いを余儀なくされていく……そんな物語です。
よくある展開を、自分なりに出力してみた、といったところです。
そこに自分の趣味がひとつまみ。冒頭とか。公安調査庁とか。組織もの好きだからね、仕方ないね。
それに異能バトルと秘密組織って相性いいと思うのです。次話以降で詳しい解説とかね、よくあるよね。
さてこの後、伊織はどうなっていくのでしょう。両親の死の秘密を追うのか。はたまた事件に巻き込まれるのか。
そして冒頭で相対していた、相手とは。
そんなところで、1話はここまで。
もし2話以降を書こうという奇特な人がいたら、どうぞご自由にお書きくだされば、と思います。
いやしかしなっがくなったなぁ。2/3くらい量になる予定だったのになぁ、おかしいなぁ。
それでは。
登場人物
・和泉伊織(17)
主人公。かつて両親を亡くしている剣道少女。腕前は全国クラス。
現在は叔父の支援の下、一人暮らし中。
4年前から携帯にいたギンリュウモンはAIだと信じ切っていた。
・佐々木厳希(20)
ササキイツキ。正規ではないが公安調査庁の職員。
かつて仮想生命体対策室に所属していた伊織の父に助けられ、伊織の母共々世話になった経験がある。
その経験から仮想生命体対策室に、嘱託職員として所属し、リアライズされるデジモンの対策を行なっている。
・ギンリュウモン
伊織のパートナー。
かつては父のパートナーだったが、4年前の事件で死に瀕した際に伊織の両親から頼まれ、彼女を見守っていた。
科学者であり技術者だった母のAIということにし、静かに見守っていた。
・和泉尊(故人)
伊織の父。
表向きは刑事だが、実際は公安調査庁に所属、仮想生命体対策室の一員であった。
ギンリュウモンと共に戦っていた。
四年前、何者かに殺害される。
・和泉伽耶(故人)
伊織の母。
科学者であり技術者。デジモンまわりの技術開発・整備などを担当。
伊織をギンリュウモンに託し、いざという時のためにリアライズできるプログラムを組み込んでいた。
四年前、何者かに殺害される。
癖の嵐。夏P(ナッピー)です。
文武両道の少女、詳細不明の非業の死を遂げた両親、なんか最近近隣で起きまくってる奇怪な事件、そして偶然にもそれに巻き込まれる少女──うひょおおおおおお、アポカリモンの攻撃の如く癖の嵐が矢継ぎ早に襲い掛かってきます。強い女! アルティメットストリーム! それが苦しむ姿! ブラッディーストリーム! その相手役として相応しいイケメン! ∞キャノン!
爆発事故は柳洞寺に潜む魔女の仕業だろうな……。
冒頭のアレはガイオウモンに思えましたが、本編の姿はギンリュウモン。直接繋がっているのかはたまた別個体なのか。実はオウリュウモンなのかなと考えるも奴は双刀の使い手じゃねえ! 何故だ!!
しかしこういった形で結果を最初に表示されると、そこまでどういった形で繋がるのか想像するだけで楽しいもの。剣道少女に和風ドラゴンは似合い過ぎるというのもある。俺達は負けたんですドン・クリーク……(腹パン)。腹パンと言えばもう殆ど死にかけだったとはいえ、オーガモンの腹パン喰らって即死しなかったいおりん、恐らく鋼鉄の腹筋を持つか無意識に陸奥圓明流・浮身を体得しているものと思われます。園田真理ならドラム缶に頭から突っ込んで死んでたとこだぜ。
既に未来が提示されてるのでハハァコイツが今回のイケメン枠ねとなりましたが、最初からオメガモンではなく姿はワーガルルモン。グレイモン要素はどっから持ってくるのか、そもそも世界観や設定的に進化やジョグレスは有り得るのか……? 教えてくれ母さん! 実はスマホ外してライジングイクサになれたりするのか!?
親友の綾乃ちゃんはまあ間違いなくヤバいデジモンと化して「アンタにずっと嫉妬していた……!」みたいな仄暗い感情剥き出しにして襲い掛かってくるも力及ばず、いおりんのメンタルズタズタにして死ぬ未来が既に見えてるぞ。
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。