頬を抉る真っ赤な傷。
成長期が頑強な魔王の肉体に傷を与え得るなど、通常であれば有り得ない珍事であった。
「普段は大人しいコアラちゃんなのです」
「嘘をつくな……」
『傲慢』と彼の者の謁見は、そんな冗談のような会話から幕を開けた。
ダークエリア奥深くに築かれた傲慢の居城。名だたる堕天使、悪魔族といったモンスターの中でも更に上位と呼ばれる選ばれし者しか足を踏み入れることを許されない魔の空間、それだけの禍々しさと毒々しさを以ってそれは長らくそこに君臨していたし、同時にその城の存在こそが傲慢がその胸に野心こそあれダークエリアに留まり続けているという証左であった。
実際、ダークエリアを除いた世界は内外に渡り長期間の平和を保っていたのは事実だ。
「ほう……『怠惰』の使者が?」
始まりは部下その1であるデビモンの報告だった。
『怠惰』。『傲慢』と同じく世界の闇に暗躍する七体の魔王に数えられる邪悪。千年間にも渡り長らく眠り続けるが、一度目覚めれば世界を破滅に導くと言われる神之怒の主。『傲慢』と同じ魔王の中にも彼奴を恐れる者、利用せんとする者がそれぞれいる程度には絶大なる存在であった。
その『怠惰』の使者が現れたという。訝しみこそすれ、興味が『傲慢』の胸中では勝っていた。
「会おう、連れて参れ」
部下その2であるエンジェモンに命じる。
光と闇を一つとする者、そう謳われる『傲慢』の部下には悪魔族も天使族も存在する。魔王の身でありながら光の世界に在るべき天使族を部下として使役できる『傲慢』の存在は、ことダークエリアにおいては『怠惰』に負けず劣らず異質であろう。
果たしてデビモンとエンジェモンに連れてこられたのは数体の成長期であった。
「貴様達が……?」
拍子抜けであった。油断と言い換えてもいい。
究極体とは言わぬまでも、屈強な完全体やそれに類する者が現れると『傲慢』は踏んでいた。
元より『怠惰』は奸計に走るような魔王ではない。敵対の意思あらば策謀など見せず、真っ向から戦いを挑んでくる類に属する。そして同様に『傲慢』もまた敵対者が挑んでくるのならば正面より受けて立つべきという気質があった。
なればこその油断である。
「あううううん」
宴の始まりは突然。
されどそれも必然。
現れたのは小柄も小柄な数体の成長期だったのである。暗黒の深き森エビルフォレストに多数生息しているとされる魔獣型の成長期、名をファスコモン。確かに強大な魔人型や魔獣型への進化の可能性を孕む種族ではあったが、今この場において成長期の集団が魔王の居城に現れることなど、人間で言うところの政治の舞台に遠足途上の小学生が乗り込んでくるのにも等しい。
些細な罠であれば食い千切ろう。
卑劣な策など捻じ伏せてやろう。
そうした信条、それは騎士とか戦士というより東方に古来より伝わる武士に近い信念を有する『傲慢』とてそこに油断が生じるのも必然であろう。
そして狼藉者の狙いは、そこにこそあったのだ。
「き、貴様……七大魔王が一、ルーチェモン様の居城としっての狼藉……あううううん」
現れた成長期集団の最前列に立つファスコモン。
どこかで見たようなローブを纏うリーダー格のそれが、手にした扇を横薙ぎに一閃した瞬間、彼らを魔王の間まで誘ったデビモン、続けてエンジェモンは胴体の中心より真っ二つに分かたれて無残な屍となった。
真空波、それとも純粋な斬撃か。
「普段は大人しいコアラちゃんなのです」
「嘘を吐くな……」
だから謁見はそこが始まり。
玉座に座る『傲慢』は果たして成長期どもの突然の狼藉に慌てることもなく、ただ無礼を働いた者どもを真っ直ぐに見返した。
奴の攻撃による余波で『傲慢』の頬がザックリと裂けている。
有り得ない話だ。七大魔王の一人にして究極の闇と謳われる『傲慢』の頑強な肉体は、たとえロイヤルナイツやオリンポス十二神といった強者を以ってしても容易く傷付けられるものではない。故にこそ『傲慢』は自らと対等に戦える強者を求めて久しく在ったのだが、それが事もあろうに成長期であるはずがない。
「では敢えて聞こう。貴様達は何者だ? 何が目的だ?」
「……微塵も慌てた様子を見せぬとは……流石は『傲慢』の魔王様、大した度量ですな」
最前、ローブを纏うファスコモンが笑う。
恭しくも不貞不貞しく。そこに従順の意思はなく、ただ挑発的な態度で。
「我々が何者かは貴方様が最もわかっているはずですがね」
故に『傲慢』もまた笑う。足を組んだまま、頬より流れる紫紺の血を拭うこともなく。
「面白い。とんだ余興よ、我が長きに渡る倦怠を覚ますのが斯様な成長期とはな……」
立ち上がる。
何百年ぶりか、それとも何千年ぶりなのか。
究極の肉体を持つ『傲慢』は、久方ぶりの敵と相対した。
「うっ」
「ぎゃっ」
一瞬である。
周囲のファスコモン達が吹き飛んだ。皆が皆、何をされたのかも理解できず次々と壁に叩き付けられる。瞬きすら許さぬ刹那の間、玉座の前に立つ『傲慢』が接近して個々に拳を見舞ったのだと気付くことはできない。
残るはリーダー格、ローブを纏うファスコモンのみ。
だが──
「……何……!?」
戸惑いの声は『傲慢』から。
元より『傲慢』には光と闇の力、その双方が備わっている。なればこその究極の肉体、相対する敵の属性を認識してそれとは真逆の力を撃ち込むことで確実に破壊するだけの能力が『傲慢』にはある。故に叩き込んだのは光の力、成長期とはいえ己の部下二人を惨殺した不届き者への制裁として『傲慢』に容赦など無かったはずなのだ。
それなのに、生きている。
城の壁や柱に叩き付けられ、無様に這い蹲る成長期どもは、一人とて息絶えてはいなかったのだ。
「なるほど、それが御身の光の力……いや誠に天晴れ、私自身も味わってみたかった」
緑のローブが揺れる。『傲慢』が敢えて拳を叩き込まず一人残したファスコモンは、その言葉に反して期待外れだとでも言いたげに。
「全く以って恐れ入る。最強と謳われた『傲慢』の拳、光と闇が備わった完全なる生命」
ゾワリと。
その瞬間『傲慢』は自分の背に迫る死を知覚した。
「されど完全体、どこまで行っても完全体」
それまで人のように二本足で立っていたファスコモンは、その前腕で大地を掴み。
「御身が完全体であるが故に、これには耐えられますまい」
それはまるで人が獣に切り替わるように。
あの忌々しい十闘士どものスライドエボリューションのように。
「──────」
四足で立つファスコモンが大きく嘶く。
それは絶叫とも咆哮とも呼べない脆弱なものであったが、己の視界が白く焼けていくことだけを『傲慢』は知覚していた。
然るに、斯様な伝承がある。
その吼える音を聞いた時。
完全体以下のデジタルモンスターは問答無用で死滅するのだと。
「あれは紛れもなく『怠惰』の能力だった」
少年の如き姿となっても、顔の片側に痛々しい傷跡を残している。
「だから死ななかったのは幸運だよ」
情けないことにね、そう付け足して『傲慢』の魔王、今では成長期となったルーチェモンは言う。
そんなルーチェモンの話は智天使ケルビモンには到底信じられる話ではなかったが、だが同時に先程自分達を襲った狼藉者達の所業と桁外れの強さを思えばこそ、一笑に伏せるだけのものではなかった。自分達の下に現れたのと同じ成長期の集団は、やはり魔王に類する者であったというわけだ。
「なるほど。ベルフェモンの咆哮、それは完全体以下を死滅させると言われている……貴殿も魔王とはいえ、完全体」
「……そうだ、つまり連中の狙いは初めから僕だった。七大魔王の中で唯一の完全体である『傲慢』を討つ為に『怠惰』の力を使ったんだろうね」
それは覆し様のないものとして世界に存在する『設定』であり、世界の誰もが逃れることは許されない絶対の真理。
あらゆるデジタルモンスターにはそうした『設定』が刻み込まれており、それに反する行動も生態も許されない。そういった意味でこの世界は別の世界、所謂リアルワールドと比すれば遥かに窮屈であり、同時に常識の範疇を抜け出せない世界でもあった。
「だが『怠惰』が退化した、それだけで斯様な力を得るとはとても……」
「だね。黒幕がいる、いや単に黒幕と言うのならアイツ自身なのかもしれないけど」
「……と言うと?」
問い返す智天使にルーチェモンは抉られた頬より上を擦りながら。
「僕がアイツと言う意味がわかる?」
「……?」
「アイツはアイツだよ。アイツらじゃない」
そう告げた。曰く現れたのはファスコモン達であり、セラフィモンとオファニモンを討ち取ったのも少なくとも複数体の彼らであったのだ。
そうにも関わらず、最早『傲慢』であったとしか言い様のない過去の魔王は、それを群れでも軍勢でもなく個と呼んだ。
「一にして多、言葉にすれば単純だけど面倒だよね」
リーダー格はあの緑色のローブを纏ったファスコモンであろう、それは間違いない。
「個体を倒したところであれは死なないんだ。これは私見も交じっているけど、微少のダメージじゃ本体にフィードバックもない。だって一体をどれだけ殴ったところで所詮666分の1だよ、多分」
「666……」
それは。
間違いなく闇の世界に刻まれた獣の数字。
「つまり其方はあれら、いやあれと同等の武を持つ者が666体存在すると……?」
それに『傲慢』は答えず、無残に崩れ去った神の領域を見やって。
「世界、終わりかな」
他人事のようにそう呟くのだった。
それが果たして何なのか、その明瞭な回答を未だ『傲慢』であった天使は持ち合わせていない。
理解できるのは一点、狼藉者達の主犯格が纏っていた緑のローブ。
見間違えるはずがない。かつて他でもない『傲慢』自身と鎬を削った英雄どもの一、世界の過去も未来も見通すと言いながら自らの死は予知できなかった愚かな『鋼』の英雄が纏っていたはずのもの。
だが彼奴は死んだ。何せ『鋼』を名乗りながらその実一切の中身が伴わぬ虚無の肉体を砕いたのは『傲慢』自らだ。そして彼奴が力を託した二人の英雄、即ち『光』『炎』も今では亡い。彼奴らの在り方を継ぐ人と獣の魂が現存しているという噂こそあれど、それらの力は果たして過去に実在した彼奴らに遠く及ぶまい。
故に伝説。十闘士と呼ばれる『傲慢』の宿敵であった英雄どもは、現存しない伝説であるが故に、奪うことも容易かったのだろう。
だからそれが最初に狙うのも必然であった。
空席となった十闘士の力を奪ったそれは、その虚無の身を以って次に眠り続ける『怠惰』の力を欲した。千年にも渡る安眠から目覚めぬまま、我らが同胞たる『怠惰』は手に入れた『ラプラスの魔』によって閉じ込められ、ただそれに姿と力を与える為にエネルギーを垂れ流す存在と成り果てた。
それは恐らくその時まで肉体を持たなかったはずなのだ。既に現存せず加えて元より実体など持たなかった『鋼』の力を得たところで、それは相変わらず世界に漂う大気と何ら変わることはなく、故に『怠惰』の力を取り込んだことでそれは世界に干渉する姿形を得た。
なればこその666の獣、『怠惰』の眷属の中で最も幼き姿であるファスコモンの姿でそれが顕現するのも必然。
そして奴が何故『怠惰』の力を欲したのかと言えば、それは。
「されど完全体、どこまで行っても完全体」
それの言葉だ。紛れもなくそれがファスコモンの姿形を借りて発した言葉だった。
「御身が完全体であるが故に、これには耐えられますまい」
初めから『怠惰』の力はこの時の為にあった。
七大魔王で唯一の完全体である『傲慢』を討ち、その力を奪うこと。その為にそれは千年の眠りの最中にあった『怠惰』を手に入れて実体を得た。その完全体以下の存在を問答無用で死滅させる力によって、七大魔王の頂点に届く可能性を秘める『傲慢』を倒す為に。
だがそれは止まらない。既に三大天使の二角さえ討たれたという。
十闘士。
七大魔王。
そして三大天使。
世界の高位なる存在のみを狙うそれの目的は果たして何なのか。本当にそれが高位存在のみを狙うとしたら、次に襲われるのはロイヤルナイツかオリンポス十二神か、それとも──
この時より世界の安寧は崩れ始める。
どこより現れるのか、何を目的とするのか。まるでわからないファスコモンの群れ。
誰も倒せない。
誰も敵わない。
ロイヤルナイツが敗北を喫し、オリンポス十二神も半数が散る。
ビッグデスターズも崩壊、四聖獣も世界の守護者たる任を果たせなくなった。
成長期によって。
取るに足らないはずのファスコモン、666体によって。
彼らは時として古代闘士のローブを纏い。
天使と悪魔の相反する翼を備え。
騎士の如き剣と大砲で武装し。
神人達と同じ動物を模した仮面を被り現れる。
それが狙うのは高名な究極体、もしくは一部の完全体のみ。
デジタルモンスター、その中でも高位存在に等しく驚異となる者達。
故に下々の者は平和そのもの。
世界の頂点に位置する者達が討たれたとて彼らの生活は変わらない。
だからだろう。
ある日ある時、ある者が面白半分に言ったのだ。
それは収穫屋のようだと。
肥大化した世界の中で名を馳せた者達を、大きく実った作物に例えて。
増大し過ぎた勢力を整理するかのように。
豊作が過ぎる畑を今一度均すかのように。
それはデジタルモンスターであるはずなのに。
それがデジタルモンスターであるはずがない。
それは彼らの生命を刈り取る者。
それは彼らに等しく死を運ぶ者。
それは彼らの前に死神を喚ぶ者。
それは間違いなく何者かであり。
それは明らかに何モンでもない。
なればこそ皆は呼ぶ。
それはデジタルモンスターの収穫屋。
デ・リーパー。
第二話 終
・
【後書き】
元々最初にザビケ2話として出すのだと思っておりましたらユキサーンさんに先を越されて全消ししておりましたが、折角なのでと一から書き直させて頂きました。安易にベルフェモンXと繋げるよりも、世界を滅ぼす機能≒Xプログラム≒デ・リーパーと繋げて見たら面白いかなという思い付きでこんな形に。ネロ・カオス的なファスコモン×666匹を体内から召喚するベルフェモンでもありだったかなとも思ってはおりますが。
それでは鰐梨様に捧げる2話でございました。ありがとうございました。
鰐梨です。
夏P様、この度は拙作の第二話を書いて頂きありがとうございます。
謎コアラ達を敢えてベルフェモンの直接の系列にはせず、デジモンではない、実体を持たぬ"何か"が彼や他の魔王、十闘士やその他強大なデジモン達の力を以て他の強き者達を刈り取っていく、故に死神デリーパーである、とした結びが実に見事であり、またこの状況に誰がどうやって抗えようかと途方に暮れてしまう、絶望感漂う結び──夏Pさんテイストが存分に凝縮された第二話、とても面白かったです!
あと、デジモンがデータであるが故に決して逆らえぬ『設定』というメタ要素を巧みに話の根幹に取り入れるのも実に見事!
ケルビモンが見たコアラの青い頭巾と白い漢服(ようは孔明コス)に対し、ルーチェモンの前に現れたコアラが纏っていたのは、外形も色合いも鋼の闘士が身につけていたのと同一の緑色のローブ…何となく察せられてしまいます…
改めまして、この度は本当にありがとうございましたm(_ _)m
追伸 羽扇斬で天使(とついでに悪魔)をチョンパ、コレひょっとして他作品の描写も拾って貰ってる…?と勝手な期待を抱く鰐梨なのでした。