霧が濃い。
夕陽が差し込んでいるのに、まるで暗闇の中にいるみたいだった。
「くそ、くそっ……! 出てきてくれよ……!」
水の中を身の丈を遥かに超えた長さの鉄パイプで掻き回す。
”底なし沼”と噂されるだけあって水底が深い。堆積した泥のせいで、一回しするだけでも筋肉が悲鳴を上げていた。見つかる確率は最早絶望的だった。仮に見つかったとしても、最早使い物にはならないだろう。そもそもたかだか二千円の代物だ。諦めてさっさと買い直した方が手っ取り早いしお手軽に違いない。
それでも――
カツン、という微かな手応えに触れたのは、それから数十分後のことだった。
「!」
位置を失わないようにソレを続け様に小突きながら、端へと押し付ける。壁面に押し付けながら引き揚げる算段だ。傷が出来てしまうだろうが、このまま諦めるよりはずっとマシだ。そもそも拾えたとて使い物にはならないのだから今更だろう。
そうじゃない。使えるかどうかなんて、関係がなかった。
唯一の家族で、唯一の宝物になりつつあった。
代わりなんて効かない、唯一無二の思い出が詰まっていた。これからも詰まっていくはずだった。
だからせめて、手元に取り戻しておきたくて。
手先がブレないよう、慎重に、丁寧に引き揚げて――
「あっ、あ――」
水面まで持ち上げたソレを取ろう身を乗り出しかけて、思わずバランスを崩した。
そして、それが致命的だった――僅かばかりの浮遊感と共に、気付けば沼の中へと真っ逆さまに落下していた。
顔中の穴という穴から晩秋の冷え切った泥水が入り込んでくる。
方向感覚が一瞬で失われた。浮いているのか沈んでいるのか、水面がどの方向なのかも分からない。
”底なし沼”とはこういうことなのか、と心のどこかで妙に感心していた。
「~~~~!」
藻掻き続けていた矢先、指先に触れるものがあった。
泥水の中でもその感触だけは忘れようがなかった。
相棒。宝物。
――絆の記憶。
「……!」
これだけは放してたまるかと、手中にしっかりと握り込む。
刹那、様々な思い出が頭の中を過っていく。
初めて知った時の期待感。
中々手に入らなかった時の焦燥感。
散々探し続けて、ようやく見つかった時の達成感。
初めて電源を入れて、間もなく“生まれた”時の興奮。
画面の中で育ち、進化していく相棒への愛着。
初めて勝った時の喜び。
負け続けた時の悔しさ。
初めて死んでしまった時の寂しさ。
そして新たに育て直す時のワクワク感。
手にしてからたったの数か月間だというのに、人生の大半の思い出がそこに詰まっているような気すらした。
そしてその思い出の中には、必ず”彼ら“が一緒だった。
「――、」
体の力が抜ける――否。残り少ない体力を振り絞って、手中の感覚だけを護り続ける。
冷たい泥水は、最早棺桶の蓋の重さに等しかった。
それでも恐怖は感じなかった。怒りも悲しみも、悔しさでさえも。
意識を手放す間際に垣間見た、走馬灯と呼ぶにはあまりにも短い記憶。
そこに映る“彼ら”へ、もう一度会いたいと。
ただそれだけを願っていた――
〇
第一話:逢魔
〇
「行ってきます」
「気を付けるのよ~」
母に見送られながら家を発つ。
冬の間近、吸い込む空気の冷たさが僅かに残っている眠気を心地好く刺激してくるようだった。
体にぎこちなさを感じたのは、きっと土日共々朝から晩まで机に座ってテキストと睨めっこをし続けていたせいだろう。体育の時間までに十分解しておかなければ。
通い慣れた通学路をのんびりと歩きながら、ふと空を見上げる。
雲量の少ない、よく晴れた青空だ。きっと善い一週間になるだろう。
「おはよー、弥浦」
「おはよう、西山」
歩き始めて間もなく、狙いすましたかのように幼馴染が合流してくる。
西山晴香。小学校の頃からの腐れ縁だ。女性らしかぬアクティブさで振り回されてきた過去を鑑みるに、悪友と称しても問題あるまい。真横に並びながら、さっそくニヤニヤしながらこちらを覗き込んでくる。 ここまでは登校日に於けるいつもの習慣と化しつつある。
「眠そうだねぇ」
「土日とも夜更かししていたからね。借りていたテキストの返却日が今日なんだ」
「うっわ……休みの日まで勉強とか頭にカビ生えない?」
「実際生えたらどうなるんだろう?」
「知るか! ……ところで弥浦ぁ、これを見たまえよ~」
いつもながらの快活さをそのままに、やたら偉そうな口ぶりで鞄から何かを取り出す。
茶色の小さなドックーーデジタルモンスター。半年近く前に発売された電子ゲームだ。お手軽に遊べることもあって、僕らの間でちょっとしたブームとなっている。
「デジモン……ん?」
画面の中でうごめいていたのは、テディベアみたいなデジモンだった。
少なくとも僕は今までに見たことのないシルエットだった。こうして見せびらかして来るからには、西山だって同じなのだろう。
「見たことのないヤツだな。こいつは?」
「モンザエモンだって。ヌメモンから進化するって聞いてたんだけど、やっと進化できた!」
「そういうことか……大変だったろうな」
そういえば最近の西山は何度もヌメモンを育てていたんだっけ。先週もバトルで勝ち数を稼がせてもらったのを思い出した。
ヌメモンはお世話をサボっていると進化する、エイリアンのような見た目のデジモンだ。
バトルで戦わせても弱いので、基本的にはヌメモンに進化しないようきちんとお世話をするというのがセオリーなのだが……モンザエモンか。
「超強いらしいよコイツ~……一回やってく?」
「そうだね、やろうか」
僕自身も鞄の中から自分の灰色のドックを取り出す。
現在飼育しているのは『ティラノモン』。文字通りのティラノサウルスの姿をしたデジモンだ。
ビジュアルが気に入ったこともあって、育成についてはいつもこの種に進化させることを心掛けている。
上手く育てられれば『マメモン』という強力な個体に進化するのが特徴だ。
ボタンを操作し、バトルモードに切り替える。あとはドックの天面に備わったコネクタ同士を接続すれば、バトルが開始する。
「ハートを飛ばして来るのか」
「弥浦も欲しい? は・あ・と♡」
「うん? いらないけど」
「……やっちまえェ、モンザエモン!」
――校門に辿り着くまでの間。
一度の約束のはずが、いつのまにか白星三つ分。拗ねたフリをした西山に搾り取られたのだった。
〇
「勝率45%か……今回はこれ以上の進化は厳しいかな」
「ごめんねぇ、邪魔しちゃったかな~??」
「言ってくれるよ……」
玄関で一度別れて、男女別の靴箱でそれぞれ履物を換えてから再度合流する。
三連敗によって60%以上に達していたティラノモンの勝率が一気に45%に下落した。手酷くやられたものだ。
勝ち誇る西山を横目に向かうのは2階の2ーC教室。幸か不幸か、西山とは今年もクラスが一緒だった。
それにしても……何だろう。校内の雰囲気が、少し重い気がする。
妙にそわそわしているというか。
「何かあったのかな?」
「何かって?」
「誰か万引きでもしたのかな」
「えっ! そういうの、分かるの?」
「何となくね」
――朝礼で先生が怒り出すのがわかっている、あの独特の空気感。
多分それに近いものを感じたのだと思う。
去年も一度あった。卒表を控えた3年生が万引きをやらかして警察に捕まったのだ。
噂によると受験のストレスに耐えられなかったのだという。過度なストレスというものはどうやら人を犯罪に走らせたがるらしい。あの日は朝から空気が重くて、咄嗟に召集された体育館で校長先生が怒鳴り散らしていたのを覚えている。結局、あの生徒はどうなったんだろう。引っ越したのか、それとも𠮟るべき場所へと送られたのか……噂が錯綜して、結局分からず仕舞いだったんだよな。尤も、詳しく知ろうとする程の興味があるわけでもなかったが。
「よぉ、弥浦に西山!」
「おはよう、田村君」
「よっすー」
揃って教室に入ると、友人の一人が気さくに声を掛けてくる。
クラスでも広い交友関係を持ち情報通な田村君だ。その人柄故に以前から幾度も会話をしたことはあったが、二週間前に行われた席替えで席が前後に並んでからは頻繁に話すようになった。
西山と別れ、それぞれの席に着席する……ふと、違和感に気付いた。
「あれ? 小林君、まだ来てないのかな」
隣の列。いつもならこの時間にはすでに座っているハズの友人の姿が無いことに気付く。
僕の一番の親友でもある、小林俊夫君。デジモンを通じて親しくなった仲だ。登校日は決まって彼のデジモンとバトルするのが日課となっている。
いつもは既に着席している彼に声を掛けてから自分の席に座るのだが、今日に限っては机もがらんとしており、少なくとも未だ教室には訪れていないらしい。
欠席でもしたのかな――だなんて、何となくぼやいただけだったが――途端に、田村君がばつが悪そうな反応をする。
「あー……それなんだけどな」
「うん?」
「職員室が大騒ぎになっててな、こっそり聞いちまったんだが――」
一呼吸おいてから、田村君はとんでもないことを言い出した。
「小林な、家帰ってないらしいんだわ」
「え……」
○
――ご両親から昨晩警察に届け出があったそうだ。ご両親共々出張で暫く家を空けていたそうなんだが、昨日になって帰宅してみたら小林の姿がなかったそうなんだ。学校の鞄がなかったそうだから、恐らく先週の金曜日の放課後を最後に帰宅していない可能性がある。これから警察も動き出すそうだが、まだ少し時間がかかるみたいでな。何か知っていることがあれば出来るだけ情報提供に協力して欲しい――
小林君が行方不明となっていることは、朝礼の時間に担任の早田先生によって改めて伝えられることとなった。
他のクラスでの話ならば兎も角、このクラスで起こった出来事だ。誰もが対岸の火事と決め込むわけにはいかないらしく、クラス全体がどよめいて見える。
先生の話に耳を傾けつつ、僕は先週金曜の放課後の記憶を出来得る限り頭の中に絞り出してみる。
小林君とは金曜の放課後、登校時とは違うルートで一緒に下校し、途中の商店街であちこち寄り道をして適度に時間を潰しながら通りの途中で別れている――これは真っ先に先生に報告すべきだろう。恐らくは最後の目撃者が僕となる可能性もある。
僕も小林君も所謂帰宅部だ。僕は単純に塾通いのためで、当日も別れた後は商店街から程近い場所の塾へと直行し、夜九時までしっかりと勉学に励んでいた。
一方の小林君はと言うと、以前は卓球部に所属していたが、今年度になって進学する頃には既に退部したらしい。人間関係が上手く築け上げられなかったと吐露していたことを覚えている。
あまり他人を悪く言いたくないが、小林君は気の弱い方だ。退部の理由も併せて考えると、帰宅部となったのは消極的な選択の末なのかもしれない。
彼と下校することは多かったが、特に習い事をしているという話は聞いたことがない。
引き続き商店街の巡った可能性もあるが、それでも程無くして家に帰ろうとしたのではないだろうか。
どう考えても、遅くまで遊び歩くようなタイプではないと思うのだが――
……そういえば、僕と交友を持ち始めてからは基本的に行動を共にすることが多くなったのでそういった行為は見られなかったが、それまではよくガラの悪い連中に絡まれていたらしい。
「田村君」
「お?」
「以前小林君に絡んでいた奴らがこのクラスにいるか、分かるか?」
「ああ、それなら――」
さり気ない耳打ちに対して、田村君が付箋を取り出して、ササッとペンを走らせる。
受け取ってみれば、そこに書かれていた名前は三人――名前と座席を照らし合わせながら、僕は挙手をした。
「先生」
「どうした、弥浦?」
「金曜日の放課後ですが、僕は小林君と下校しました」
「本当か?」
「4丁目の商店街の途中で別れましたが、それまでの間は少なくとも小林君はいつも通りだったと思います」
「……もう少し、詳しく聞かせてもらってもいいか?」
「長くなりそうなので、場所を移してもらっても良いですか?」
「だったら職員室に行こう。皆、悪いがちょっと戻るまでは自習で頼む」
教室を出ていく先生の後に続き――その途中に位置する席に座っている西山の肩に、田村君から受け取った付箋をそれとなく貼り付ける。西山の反応は素早かった。教室を出る間際に振り返れば、それとない所作で付箋を剥がした彼女が僕に向かって小さく頷いていた。
恐らく僕の意図は伝わったハズだ。席を離れている間の様子は彼女に任せて問題ないだろう。
付箋に書かれた三人の座席。中央の列の最前に座る彼女の位置からならば、周りと会話でもしながらそれとなく様子を伺えるハズだから――
○
「じゃあ、別れたのは大体17時になる15分前くらいなんだな?」
「間違いないと思います」
職員室。どうやら他の教員は全員出払ってしまっているらしく、僕に対する取り調べは早田先生とのマンツーマンで20分ほど続いた。どの程度役に立つかは分からないが、なるべく詳細に話したつもりだ。
一通り聞き終えて、早田先生は腕を組みながら難しい顔をする。
「……弥浦、"幽霊区画"について何か聞いたことはないか?」
「幽霊区画ですか?」
「今でも封鎖されているハズなんだが、最近になってうちの学校の生徒があの辺りをうろついているという情報が入っているんだ。率直に聞くんだが、どう思う?」
「……ふむ」
幽霊区画。この街では少し有名な場所だ。
一区画が数年程前から十数メートルはあろうかという大きな仮囲いで丸々覆われており、その不気味さからいつしかそう呼ばれるようになった。元々その場所には工事途中のまま放棄された大型施設の廃墟が広がっており、その内部には底なし沼と呼ばれる大きな地下水道の名残があるとかないとか噂されていた気がする。
……商店街に、ほど近い場所だな。
だが、少なくとも小林君がうろつきそうな場所ではない気がする。
彼、ホラーにはとことん耐性がなかったハズだし。
それでも何かあるとするならば――
「帰りに少し様子を見に行きたいと思うのですが、警察の方はどうでしょうか?」
「調査に当たると聞いてはいるが、どうにも関係者とのやり取りで足止めを喰らっているみたいでな……日数がかかると聞いた」
「逆に言えば、今なら多少は自由に動き回れるかもしれないと」
学校のこともあるから、教員が下手に動き回るわけにも行かないのだろう。
かといって、警察の手が回るにも多少の時間がかかるという、この状況。
生徒が様子を見て回るくらいならば容易いというわけだ。
「弥浦なら下手に真似はしないだろうからな。本当なら生徒に頼むようなことじゃないってのは承知の上なんだが……頼んで、いいか?」
「善処します。此方からも頼んでいいですか?」
「何だ?」
「放課後、どうにかしてクラスの不良児達をまとめて引き留めてもらっていいですか? 10分くらいで構わないので」
「……分かった、何とかしよう」
口にこそしなかったが、恐らくは先生も同じことを考えているのかもしれない。
行方不明の生徒。立ち入れない区画をうろつく生徒。
その二つが、いじめられっ子といじめっ子の関係性で繋がっているのだとするならば。
……憶測。飽く迄悪い方の、憶測だ。
何もなければいい。ただ様子を見るだけだ。取り越し苦労なら笑ってやり過ごせばいい。
でも、そうじゃなかったら。
もしも、本当に、何かあったのだとしたら――
〇
「……多分アウトだよ、アレ」
休憩時間。それとなく空き教室に連れ出されるなり、西山がはっきりと告げた。
「土屋も新井も吉田もみーんなそれとなーくそわそわしてるし何気なーくキョロキョロ見つめ合ってるし。もう完全にやっちゃいましたどうしようって感じ?」
「……そっか。ありがとう」
「肉まん一つで手を打ってしんぜよう」
「放課後にね」
察しの良いところと観察力に優れているところ、そして何よりもこうした場面に於いてドライに徹せられるところは西山の大いに評価すべき点だと思う。女子間でたまにその素っ気なさを非難されることがあると聞くが、いざという時に頼りになるのはこうした女性なのだろう。
110円の対価を約束しながら、もう一度だけ頭の中で現在の状況について仮想してみる。
先ずは件の三人。土屋君と新井君と吉田君。田村君から教えてもらった、小林君に絡んでいたことのあるという3人。クラスでもあまり素行の良くない分類の生徒達だ。幸いにも僕はこれといって絡まれたことはないが、他の生徒とよくトラブルを起こしているようだ。西山の話から察するに、小林君の失踪について彼らが何か知っているのは恐らく疑いようがない。
次に幽霊区画と生徒の目撃談。
立ち入れない場所だとされているが、わざわざそんなところをうろつく必要があるのだろうか?
それに、立ち入れないということは、裏を返せば中に侵入さえ出来てしまえばそこは誰の眼にも留まらない恰好の溜まり場となる。対象を連れ込みさえすれば、誰の目も気にせずに絡むことだって可能だろう。
飽く憶測に過ぎないが、あの区画には何処かしらに侵入口が存在する可能性が高い。
最後に、猶予だ。
先生は幽霊区画のことを伏せつつ、警察の対応が遅れていると教室でも語っていた。時間的な猶予があることを知らしめたようなものだ。犯人は得てして現場に戻るという。想定外の事態が発生した場合は特にその傾向が強くなるそうだ。理由は単純明快。証拠の隠滅を徹底するためだ。
そして今回、先生は対話に於いて僕にだけ幽霊区画のことを明かしてくれた。
これが何を意味するのか――
「西山、今日の放課後は空いているよな?」
「なぁに弥浦ぁ、こんな時にデートでもしようっての?」
「いや、張り込みだよ。彼らは放課後、真っ先に“現場”へ向かう可能性が高い。行先は多分幽霊区画だ」
彼らが僕のことをどう思っているかは分からないが、少なくとも現状は僕と彼らの接点は殆ど無いといっていい。
恐らく警戒されてはいまい。この状況を利用し、幽霊区画に向かうと目星をつけて彼らの動向を探る。
「先生には放課後、彼らを少しだけ足止めしてもらうよう頼んでおいた。その間に先回りして張り込もうと思う」
「後ろから追っかけるのは……あー、駄目かぁ。3人が固まって動くかは分かんないもんね」
「そういうこと。だから、幽霊区画に向かう奴だけを追いかけられればいいんだ」
頭の中で思い浮かべた周辺図。学校や商店街から幽霊区画へ向かう道のりでどうしても横断しなければならない大通りが存在する。学校からの道のりをA、商店街から向かう道のりをBとするならば……この二か所の間を効率的に見下ろせる場所に網を張りたいところだ。幸いなことに両間は然程の距離でもない。……そして、丁度いい場所にハンバーガーショップがあったことも思い出す。
「大通りの手前側にマックドがあるよね。西山にはあそこの二階の窓際から大通りを見張ってほしいんだ。
僕は隣の店にでも入って、いつでも追いかけられるようにスタンバイしておくよ」
「……構わないけど、連絡はどうするのさ」
「昼休みの間に学校のトランシーバーを借りよう。体育祭で使ってたのがあるハズだ」
「仕方ないなー……肉まんはキャンセルしてバーガーセットを所望する」
「喜んで」
後は放課後を待つだけだ。
それまではせいぜい、彼らの注意を引くことの無いよう普段通りに授業を受けることとしよう。
……そして、小林君の無事を祈るばかりだ。
〇
≪この逝鶏狂鳥っての滅茶苦茶美味いわ弥浦。帰りも買って帰ろ≫
「様子は?」
≪まだ誰も来てない。でもこの人通りならすぐにわかると思う≫
「引き続き頼む」
放課後。他の連中と一緒に帰りのホームルームで早川先生に呼び出しを受けた例の三人組を尻目に、僕達は速やかに下校。作戦通り、ハンバーガーショップの二階の窓際席でチーズバーガーセットと季節限定メニューを味わっている西山と隣のコンビニの窓際で如何わしい週刊誌を読むフリをしている僕とで大通りを監視している。
本当だったら今日も塾通いの予定だったのだが、学校行事とでっち上げた上で欠席の旨を母にも塾の方にも伝えてある。個別授業だから然程の影響は出ないだろう。
手元のデジモンのドックを時計画面に切り替える。時刻は四時前、陽も既に暮れ始めている。
僕達が張り込み始めて二十分が経過した。恐らくそろそろやってくる頃合いだろう。
≪しっかし、弥浦も結構アツいヤツじゃん≫
「そうか?」
≪もっと冷たい勉強バカなのかと思ってた。見直したよ≫
「……僕は、少し後悔しているよ。もっと小林君のことを知ろうとするべきだった」
今日一日中、ずっと考えていたことだ。
中学に上がってからの僕は、その生活の大半を勉学に捧げてきた。医師として活躍する父さんの後を追うためだ。
医学は兎に角学ぶことが多く、学業の応用も大いに利くため授業で学ぶことは全て頭に叩き込むくらいの覚悟を持て、というのが医師の道を志す上での父さんの教えだった。
父さんは厳格だったが、何よりも人格者だった。数年前に関西の方で震災が起きた時、真っ先に駆け付けてボランティアの医療活動を始めるような人だった。そうした父さんの姿に、僕は大きな憧れを抱いた。だから、大変な勉強だって父さんの背中を追いかけているのだと思えば決して苦痛には感じなかった。その甲斐もあって成績には恵まれたが、一方で人付き合いの時間はどうしても削らざるを得なかったため、友人と呼べる者達も少なかった。
学校からの塾通いに勤しむ日々を続けていたある日、塾帰りに立ち寄った商店街で、僕は偶然にも発売したばかりのデジモンを手に取る機会に恵まれた。何かと忙しく中々遊ぶ暇が作れない中で、一時間に数分程世話をすればいいというお手軽さに強く惹かれたのかもしれない。溜まっていたお小遣いで衝動買いして遊び始め、先生達には新型の時計だと誤魔化して学校に連れて行くのが日課となった。
ある日、休憩時間中に弄っていたところに声を掛けてきたのがそれまでろくに会話したこともない小林君だった。強く興味を抱いていたのだが、買い逃したまま今でも手に入れられていないのだという。画面の中に移った小さなデジモンの姿を、キラキラとした眼差しで眺めていた。
デジモンという共通の趣味を通じて小林君とはすぐに仲良くなった。
休日に彼用のデジモンを手に入れるため、共に一日中色んな店を虱潰して回ったこともあった。日暮れに隣町の寂れた玩具屋で最後に残っていた一つを手に入れた時は大いに喜びあったものだ。それからというもの、時折西山や他の生徒も交えて僕と小林君は学校の昼休憩や放課後の帰り道で毎日のようにデジモンのバトルを楽しんだ。
しかし、彼との関係はそれくらいのものでしかなかったのも事実だった。
彼のことをそれ以上は深く知ろうとしなかった。帰り道で別れれば、すぐに頭の中身を切り替え塾へと直行した。
遊びに誘われることもあったが、あの休日を除いて基本的には勉学を優先して全て断らざるを得なかった。
誰かに責められたりはしないだろう。僕には僕の生活があるのだから。
でも、もう少し。あと、もう少し。
彼自身に、触れようとすれば、こんな事態も避けられたのでは――
≪弥浦、土屋が来た!左の方!≫
「!」
物思いに耽っていたところに西山の鋭い声色が響き渡る。
慌てて窓の外を注視すると、落ち着かない様相で早歩きしている坊主頭の男子学生の姿が目に留まった。
土屋洋介君。誰かと殴り合う、なんて大きなトラブルこそ聞かないが、他者とつるんでは大人しい生徒に絡んでいる姿を何度か目撃したことがある。所謂、虎の威を借りるタイプなのだと思う。
「独りか……?」
≪一先ずは追っかけるよね?≫
「僕が先行する。西山は僕を追いかける要領で後から幽霊地区に向かってくれ」
≪……ああ、後方注意ってこと?≫
「念には念をね」
≪りょーかい、それじゃすぐ降りるから先に行ってて≫
すぐさまコンビニを出て、やや挙動不審気味なその背中を追う。
大通りに差し込む夕陽は、やけに赤く輝いていた。
〇
幽霊区画。その異様さを感じたのは、近付いて間もない頃だった。
……霧だ。
薄っすらと、霧が立ち込めている。
夕霧なんて言葉もあるのだから、夕方に霧が出ること自体はごく自然なことなのだろう。
解せないのは――その霧が、幽霊区画だけを覆っているかのように立ち込めていることだ。
ロールプレイングゲームとかでよくある、草むらの隣に突然火山のフィールドが広がっているような、あの出鱈目な感じに似ている。まるで、ここだけ異世界が広がっているとでも言わんばかりに……。下手なお化け屋敷よりも、よっぽど不気味だ。
仮囲い沿いに歩いていた土屋君が、ふいに足を止めた。
死角に一度身を隠して、数秒ほど息を潜める。聞こえてきたのは、妙な物音だ。
そっと、覗いてみると……劣化でもしていたのか、仮囲いを構成する大きなパネルの一枚を下から捲り上げている土屋君の姿があった。傍から見ている分にはまさに忍者屋敷の仕掛けといった風だ。
しゃがみこんで、隙間から潜り込むとパネルは何ともなかったかのように元の位置に収まった。
「ビンゴだ。土屋君が中に入っていった」
≪どうするの?≫
「僕もそのまま中に入る、西山は警察に連絡してくれ。入り口は囲いの西側、赤い印が付いているところだ」
≪分かったけど、中で変なことやらかさないでよ?≫
「気を付けるよ」
土屋君の後に続く前に、鞄の中の筆入れから赤の油性ペンを取り出す。
分かりやすいようにパネルに大きな赤い丸を描いた後、先の彼に倣ってパネルを捲り上げる。
ぺコンペコンと頼りない音を立てるパネルを抑えながら、全く未知の空間の中へと潜り込んでいった――。
「……何だ、ここは」
中の様子を見渡すや否や、全身が総毛立つ感覚に思わず身震いをする。
異常。異様。異質。
区画内は、濃霧に包まれていた。
それでいて、ひどく寒い。
差し込む夕陽が、血のように赤い。
まるで、文字通りの血煙の中にいるかのような、身の危険すら感じる怖気さを味わわされていた。
「西山、聞こえるか?」
……お約束と言わんばかりに、トランシーバーの応答はなし。
いよいよもって、生命の危険を感じざるを得ない。本物の幽霊屋敷にでも足を踏み入れてしまったらしい。
ここまで来て、頭の中を『撤退』の二文字が過ぎる。小林君に起こったことは確かに気になるが、身の危険を晒すほどのことなのか。今になって、そんなことを考え出してしまう。
このまま逃げ帰って、後のことは警察に任せたほうが、
―-唐突に、聞き慣れた電子音が耳朶を打った。
「……、ティラノモン?」
ドックの呼び出し音。
サウンドはオフにしてあるはずだ。そしてそれを解除した覚えもない。
ポケットから、取り出してみる。
……ティラノモンが、画面の中で怒っていた。
慌ててステータスを確認するが、空腹でもなければ脱力状態でもない。
脱糞もなし。ケガ、病気、眠気の表記もなし……つまりは、健康な状態。
それでいて、怒っていた。怒りの仕草を、繰り返していた。
「……逃げるな、ってことかい?」
反応はない。怒りの仕草を、繰り返すだけだ。
冷静に考えればバグか、あるいは怪奇現象だ。しかし、何故だかその姿を眺めていると、不思議と安心感のようなものすら感じた。まるで、本当に生きているかのような……。
「ありがとう、進んでみるよ」
ドックを握りしめながら、鞄を持ち直す。
歩く前にもう一度画面を眺めてみると、そこにはいつものように動き回っているティラノモンの姿があった。
〇
外から眺める分には気にならなかったが、内部は相当な広さのようだ。濃霧によって視界がひどく悪いため囲いの内部を伝うように歩いてみているが、端から端まで歩くのに5分近くかかった。距離としては大体400mくらいだろうか。立地からしてテーマパーク、なんてことはあるまい。ショッピングセンターか、公共施設の類だとは思うのだが、考えたところで所詮は後の祭りだ。今はただ、巨大なお化け屋敷か何かの様相と変わり果てているのが現実だ。
それにしても、まずったな。侵入口で立ち往生している間に土屋君の姿を完全に見失ってしまった。一先ずは囲いの内面を目印に回り歩くように内部へと近付いていってはいるが、未だに見つかる気配はない。
どうしようかと考えたところで、ふと、微かな水音が足元から聞こえてくるのを感じた。
地下を水道でも通っているのだろうか?こんな場所を?
……そういえば、底なし沼なんて噂があるくらいだ。この音を辿っていけば、もしかしたらそこに繋がっているのではないかと――
―-最初に聞こえたのは、水の爆ぜる音。そして、
『う、うわあああああああああッッッ!?』
「土屋君……!?」
彼のものと思しき、尋常でない叫び声。
近くからだ。そして跳ね返るような音響が伴っていた。
つまりは、施設の内部からだ。
思わず鞄を投げ落としながら、音の聞こえてきた方向を頼りに駆け出す。
鉄骨が剥き出して資材が積まれたままの施設の内部にも霧が広がっている。その様相に嫌な予感を抱きながら、ひた走り続ける。
程なくして、中心部なのであろう開けた空間に到着して――
「――ッ!?」
それを視界に捉えて初めて抱いた印象は、巨木だった。
大きな木の幹から、広くて長い葉っぱが伸びているのだとばかり錯覚した。
それが大きく蠢いたことで、樹木ではないことに気付かされた。
夕陽の赤い逆光に照らされて、恐らくはぬめっているのであろう青白い体表がぐにゃりとくねり始めた。
それが首を降ろしてこちらを見下ろし始めたことで、それが生き物なのだと漠然と理解した。
逆光に照らされてシルエットしか判別できない。両耳の辺りに広がっているのはヒレなのだろうか。
そして濃霧の中でも爛々と輝いている大きくて青い双眸が、こちらをギラリと睨みつけていた。
そして何よりも、そいつの口元。
嘴のような形状から伸びた、じたばたと蠢いている、人間の脚――
「土屋君ッ!」
「~~~~!!」
生まれて初めて、声にならない悲鳴というものを聞いた気がする。
そして大きく上向いたそいつの口の中へと、あっさりと飲み込まれていった。
食べられた。
土屋君が、大きな生き物――大きな、ヘビの化け物に。
そしてそいつの姿を、僕は知っていた。
呆然と、口から零れる。
「シードラ、モン」
――……。
何も答えない。
ごくりと大きく嚥下した後、何事もなかったかのように僕を見下ろしている。
……怒り。
無言の圧力が、眼前の怪物が怒り狂っていることを雄弁と物語っているかのようだった。
……、……。
何も、してこない……?
僅かに空いた口元から細長い紫色の舌をなめずらせた、その時だった。
どこか間の抜けた電子音が、思わず強く握りしめていたドックから再び鳴り響き渡った。
――、――ッ!
その音に、何かを感じ取ったのだろうか。
空気が勢いよく抜けるような威嚇音を鳴らしながら、巨大なヘビ、シードラモンが地面の下へと引っ込んでいく。
ざぶりと大きな飛沫と共に映り込んだのは、円形の巨大な穴……泥水が溜まって沼のような様相となった、地面に埋め込まれた巨大な水道管の剥き出された切り口だった。
「底なし、沼」
第一印象が、思わず口から零れ落ちる。突如として出現した怪異が目の前から消え去って、思い出したかのように体の力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。
ふと見渡すと、いつの間にか霧が晴れ渡っていた。
悪夢のように赤い夕焼けだけが、この場所を変わらず照らしていた。
〇
今のは、なんだったんだ……?
夢でも見ていたのか?夢なのか?それとも幻か?
これは、今のは、なにもかも、本当に現実だったのか?
訳も分からないまま自分の正気を疑いそうになって、
「あ……」
『底なし沼』の周囲に転がっていた、二つの鞄に目が向いた。
僕のものと同じ。つまりは僕の学校のものと、同じ。
力の入らない体を無理やり引きずって、手近な方、沼により近い方の鞄を手に取ってみる。
……底面の近くに、土屋、という名前が記載されていた。
土屋君。
今しがた、怪物に飲み込まれた、彼の。
「~~~~ッ」
寒気と吐き気に襲われながらも、何とか堪える。
大丈夫、大丈夫だ。多分今、僕は正常な判断能力を失っている。突如として繰り広げられた目の前の光景に、錯乱状態が止まらないでいる。
襲い掛かってくるであろう諸々の感情は後の自分に押しやって、今は確認しなければ。
もう一つの鞄。なんだか見覚えのあるようなキーホルダーがぶら下がった、その鞄の、名前を。
ひどく眩暈を感じながらも立ち上がって、ふらふらともう一つの鞄の元へと歩み寄る。
半ば崩れ落ちるように座り込みながら、手繰り寄せた鞄の名前を確認する。
――小林。
――小林、俊夫。
――僕の親友、僕の、探している――
「小林、君」
小林君が消えて、
目の前で土屋君も、飲み込まれて、
蛇、巨大な、怪物の蛇。
シードラモン。
デジモン。デジタルモンスター。
デジモンが現れて、人間を、食べ、
「うっ、」
駄目だ。駄目だ駄目だ。
理解した。今しがた、理解してしまった。
目の前で起きたことを、正常に、認識してしまった。
――故に。
「あ、ぁぁ、ああああああああああああッッッ!!!???」
湧き上がってきた様々な感情に耐え切れず、悲鳴じみた叫び声を、抑えることが出来なかった。
そして、これが全ての始まりであったことを、この時の僕はまだ知る由もなかった。
〇
第一話:完
〇
〆切当日なので頑張ろうとした矢先、通っている病院で突然糖尿病を指摘されました。
その上「ちょっとマズいので精密検査しましょう」と指定された日時が次の誕生日でした。
健康に暮らしていても遺伝的なアレで突如発生したりするそうなのでみんなも油断せずに気を付けようね!!!!
――等という前置きはさておき。
皆様方初めまして。ヤギと申します。デジモンの創作界隈でヒロコプとか邪神とかそういうHNに見覚え聞き覚えのある方はそいつらのなれの果てがこの私となります。好きなデジモンはラーナモンです。白目のある方も好きですがない方はもっと好きです。どうにかして私のママになって毎日ママぁしてくれねえかなと思ったりしているのですが現実はなかなか厳しいですね。閑話休題。
諸事情あったりなかったりで長い間創作界隈から身を引いていたりしたのですが、なんやかんやあってリハビリがてらこちらの企画に挑ませていただく運びとなりました。如何せん数十億年ぶりぐらいの執筆な上に執筆期間も一週間足らずな有様だったのでもうあっちこっちガッタガタなクオリティですが最後まで一読していただけたのならば幸いです。ブランクもあって多少ひねったような内容ではとても勝負にならんだろうということで敢えてシンプルな方向で書かせていただきました。ホラーな空気が一ミクロンでも出ていれば望外の喜びであります。
この一作が今後につながるかどうかは分かりませんが、機会があればまた何か書きなぐったり脱糞したりするかもしれないのでその時はまたよろしくお願いします。ありがとうございました。
来たか……ヤギィ。ふーん、またダゴモンかと思ったらシードラモンだった。夏P(ナッピー)です。
というわけで小説掲示板では久し振りですな、そして相変わらずの邪神節に実家に帰ったような安心感。西山さん絶対作者の趣味のキャラしとるやろとは思いました。あと「実は腕っぷしも大した奴だった」とか後付けされて、次回冒頭で他の不良達薙ぎ倒して現れそう。
お、初代デジモンが発売した1997年辺りの空気。阪神大震災の話題も出ているのでまさしくそこ。てことはその時点で中学三年生ってこたぁ弥浦君達我々よりずっと年上かと戦慄しつつ、まだアニメ化もされてない段階なのでデジモンの認知度もこれぐらいということなのか。ヤローある日突然クラスメイトのもんざえモンにギタギタにされたトラウマを蘇らせおってからに。
大きな葉っぱのついた木という表現から「ん? デジワー版ジュレイモンそんな見た目だったか……?」となりましたがシードラモンだった。確かに言われてみればアイツの頭部葉っぱっぽいかもしれない。底なし沼ってこたぁ冒頭のアレはつまり……。不良残り二人既に死相が見えるぞ。
小林君死んだのか他にいるのかデジモン化したのかは二話以降にボカされてる感じか。ところでアニメ化前だとグレイモンではなく敢えてのティラノモン育てている弥浦君は如何にもなザ・主人公ですが、キャラ的に超絶真面目クンな風に見せて、進化したのティラノモン(アグモン時にトレーニング15回以下)なの見るに、さては雑にプロテイン喰わせてたな!?
あと御体は大事に。
今回はこの辺で感想とさせて頂きます。