デジタルワールド・ダークエリア。
人間の世界においてはあの世、冥界、ニブルヘイム、地獄――などなど様々な呼称をされるこの領域には、数多くの「除け者」がいた。
必要とされず、嫌われ、そこにあることが許されないと、何かに決めつけられたもの達。
似たような境遇の彼等の在り方は色々で、表の世界を呪うもの、ただ悪を愉しむもの、思考を放棄して気ままに歩むものなど、形はどうあれ何処かにネガティブを含んでいる場合が殆どだ。
無法、不毛、堕落、狂気。
およそ秩序とはかけ離れた要素には事欠かない住民達の間には、表の世界とは異なる形で社会と呼ぶべきものが形成されている。
その内の一つ――壊れ物を寄せ集めるようにして形作られたダークエリアの街の一つ、ボックスタウンと呼ばれる街の居酒屋にて。
全体的に黒いデジモンと、そうでもないデジモン達とが、飲み合っていた。
「うおーん!! ケルベロモン先輩パイせんぱーい!! モテるモンの秘訣教えてくだしゃー!!」
「別にモテてないし先輩って柄でも無いしうるさいし口臭いしとりあえずいい加減にしろスコピオモン!! 飲み過ぎだ馬鹿!!」
一方は黒い、もう一方は白い甲殻に身を包んだ完全体デジモン――ケルベロモンとスコピオモン。
彼等はダークエリアでとある『会社』の社員として仕事を請け負っている者たちであり、上司から休暇の命を受けて日々の疲れを発散している真っ最中なのだ。
……言葉の内容こそ何処か和やかなのだが、実際問題として彼等――特にスコピオモンの体はかなり大きく、長く伸びたサソリの尻尾を振ってしまえば余裕で建物の壁は損壊、店長は激怒した必ずやこのクソサソリ野郎に弁償させなければならないになりかねないので、他の面々共々飲み会に参加することになったケルベロモンとしては心休まらない状況でもあった。
視線を泳がしてみれば、当然ながら他のデジモンが楽しげにお酒を飲んでいる姿も見える。
(社長……こんなの楽しんでられる余裕無いですって……)
どいつもこいつも、暴れたら危険度高めのデジモンばかりだ。到底自分だけで何事もなく終えられるとは思えない。
そして実際、その懸念は何も間違ってはいなかった。
右肩越しに絡んでくるスコピオモンとは逆の左肩越しから、ケルベロモンに対して絡んでくるデジモンがいたのだ。
「んほー、かわいい先輩もいっぱいぱぱい飲めめー」
「酔い潰れるの早すぎるだろお前ちょっとま――ごぼぼぼぼ!?」
犯人の名前はウェンディモン。
白い面を頭に被せた、血のように赤い手足が特徴の獣人型デジモンであり、時にこの場に集まった【社員】の移動手段ともなる重要な存在である――見事に酔っ払って使い物にならなそうではあるが。
彼は手に持った酒瓶をケルベロモンの口に思いっきり突っ込み、酒を注ぎ込む。
ダークエリアで出される酒は他の漂流物と同様に、表の世界――ひいては人間の世界において"あってはならない"とされたものが当たり前に取り扱われている。
人間の世界において"人をダメにする酒"と称されている、いわゆる薬草酒《アブサン》と呼ばれるそれは、デジモン達に対しても一種の中毒性と幻覚作用を与えるとされ、秩序を重んじる表の世界においては扱うこと自体を戒められている(現実の世界では禁止ではなくなっているのだが)。
そんな薬物一歩手前なモノをグビグビ注がれたケルベロモンの視界はみるみる内に回りだし、気持ち悪さが頭蓋に滲み出す。
「――ぇ、ふぇぐぇ……」
「おー、あっちもあっちで出来上がってんなぁ。……今日のやつは結構アレな草が使われてるんかね」
「さぁ。少なくとも、花が使われるよりはずっと健全だと思いますけど」
酔ったケルベロモンの様子に、同席しているもう二体のデジモン――アスタモンとゴキモンがそれぞれコメントを残す。
この二体は『会社』においてヒラ社員であるケルベロモンにとって上司当然のデジモンであり、特にゴキモンは廃棄物の転送という唯一無二の能力を買われて『会社』の中でもそれなりに高い階級の持ち主だったりする。
そんな二体のデジモンの軽口が、酔っ払い一歩手前な状態のケルベロモンの耳にも届いたようで、彼は憤りを隠そうともしない様子でこんな風に物申した。
「――というかぁ!! こうやってバカ共がバカになるの解ってるんならもっとちゃんと静めてくださいよぉ!! なんで俺ばっかりバカの集中砲火喰らってんですかぁ!!」
「いやー、まぁ何だ。そんだけお前が頼りになるというか? 見ていて楽しいし楽しそうだし、ウィンウィンだろ? とりあえずこっちには来るな」
「好きで頼られてんじゃないですよ!! わざわざ離れた位置の席、しかもこっちの様子がよく見えるのを取ったのって完全に愉しむためじゃないですか!! いつか地獄に落とすぞこの外道!!」
「まぁここが地獄なんですけどね。落とすも何も落ちてるというか、これ以上深くに落ちるのは魔王とかその辺りの類ですし。とりあえずこっち来ないでね」
「そういう返事は求めてな……ごぼぼぼぼっぼぼぼぼ」
必死の訴えも空しく、ケルベロモンは近くの席からの絡み酒に呑まれていく。
地獄の番犬と称されるその体躯に備わった三つの首に対しそれぞれ薬草酒を注がれ、意識はあっさりとオーバードライヴ、望まない形でいろいろと感覚がぐちゃぐちゃになってしまい、あえなく酒宴の席から真横に倒れてノックアウト。
そんなことなど些細な話とでも言わんばかりに食っては呑んでの繰り返しな社員達を背に、四つ足で這いずるようにしてアスタモンとゴキモンの席に近寄ろうとする。
無論、その視界は既に正しい景色を写しておらず、アスタモンとゴキモンの姿はおろか居酒屋の内装なども絵の具を派手にぶちまけたキャンバスのようにカオスな有様となっていて、思考も正常に回らない状態では正しい方向になんて向かうことは出来ていなかったのだが。
「―――れ? ―長、――で――」
「―――用が―――し―。皆―動―――す―?」
誰かの声が聞こえた気がしたが、ケルベロモンの耳は正しくその内容を認識出来なかった。
こんな状態になる酒など扱うべきではない、と表の世界の住民であれば訴えてくるかもしれないが、生憎このダークエリアに真っ当なお酒などありはしない。
故に、この暗い世界における飲み会とは"こうなること"が当たり前のバカ騒ぎであり、だからこそケルベロモンはあまりこの手の酒宴に付き合いたくはなかった。
他の社員は思いっきり楽しめている中、自分だけが浮いているようにも思えて、尚の事。
「――あー、―に出―上がっ―――よ。多―話は――ない―じ――いで――ね?」
「――や――れ。――ない――が、――しま――……」
聞いたことのあるような声が聞こえて、どこか強く覚えのあるニオイがした、ので。
ケルベロモンはどこかボーッとした頭のまま、ニオイを感じる方へと近付いて、つい獣らしくクンクンと鼻を利かせていた。
途端に、記憶の引き出しが開き、意識が覚めていく。
「――――あっ…………」
ほぼうつ伏せに近い姿勢になっていた都合、真下から見上げるような形でケルベロモンは覚えのあるニオイの相手のことを見た。
黒髪を生やした獣の頭に文様が印された白いぶかぶかした履き物、黄金の翼と腕輪と胸当て。
砂漠を想わせる、どこか乾いた空気を纏う神人型デジモン。
種族名をアヌビモンと呼ぶそのデジモンは、ケルベロモンの所属する『会社』の長――すなわち社長を務める存在だった。
そんな相手の足元で、だらしない格好を晒してしまっている事実を認識した途端、ケルベロモンの顔面は急激に(恥ずかしさで)沸騰した。
バッッッ!! と瞬間的に姿勢を整え、人間の世界の犬で言うところの『待ち』のポーズを取るケルベロモンの姿を見るや否や、アヌビモンは三本指の右手を顎に当て、どこか上品に「あらあら」と前置きしながらこう言ってくる。
「――そう畏まらなくても。そういう所だけはラブラモンの頃から変わりませんね、あなたは」
「む、むむ昔のことはいいんですよ!! どうしてアヌビモンさm……社長が此処に!?」
「急用が出来ましたので。まさか、あなたが甘えてくる姿を見られるなんて思いもしませんでしたが。ふふふ」
「あっ、甘えてなんていません今のはただの気狂いですッ!! ぼk……俺は社員ですよ、まさかそんなっ、社長のニオイで興奮してたとかそんなわけががが」
「おーい、面白い感じにおかしくなってるぞ~」
「……社長のことが好きだとは噂になってますけど、こういう形で発覚するとは。ニオイが好き、ですかぁ……」
「違うわ!! ただ単に尊敬の対象なだけだわ!! アンタ等俺の気も知らないで酒のサカナにしやがってよぉ!!」
「落ち着きなさい。昔からあなたには可愛いところがある事は存じてますし、ケモノのデジモンであればニオイが好きの切っ掛けになることは自然のことですよ。私もあなたのニオイは嫌いではありませんし」
「しつこいです!! 夢見まくりのガキだったあの頃の俺と一緒にしないでくださいよ!! あとなんかちょっと怖い!!」
「怖……っ!?」
ガーン、とでも言わんばかりに解りやすくしょんぼりする犬顔の神人。
いつもながらマイペースな方だ、とケルベロモンは思う。
ダークエリアにおいて、魂の裁定者とされる存在。
デジモンの生と死、輪廻転生の理に"触れる"ことが出来る、他のデジモンとは存在の格からして違う者。
そんな、ある種における超越者が、こんな――事あるごとに誰かを可愛がろうとする保護者紛いである事実など、ダークエリアのデジモン達にはあまり知られたくない。
優しい、という要素はこの世界において、弱さとして受け取られがちだからだ。
同士である『社員』達からすれば優しさはとてもありがたいものだが、それはそれとしてケルベロモンとしてはアヌビモンが誰かに侮られるような事は、望ましくなかった。
ので、彼は迅速に話題を変えるため、見るからに落ち込んだ様子のアヌビモンに問いを飛ばした。
「……で、急用とは何ですか? 落ち込んでないで早く言ってください」
「……そうですね。しょんぼりしてる場合ではありませんでした」
そうして、アヌビモンはケルベロモン――だけではなく、居酒屋の席でバカ騒ぎしている『社員』達に対しても届くように、強く言った。
「――ハナザカリの気配を感じました。不葉(ふよう)の森、灰鬼(はいき)の丘、火滞(ひてい)の沼。合計三ヶ所に……それぞれ大規模のを」
「……色は?」
「それぞれ赤と黄と黒ですね。規模から考えて、既に"染まっている"デジモンもいるでしょう。最も規模が大きい火滞の沼については私が向かいますので、他の二つについて皆で向かってほしいのです」
「解りました。おいウェンディモン!! お前の出番だぞ!!」
「――ぁーぃ? ケルベロモン先輩はどこに向かう~?」
「俺は灰鬼の丘に向かう。ついて来る奴は勝手にしろ。何なら俺だけでも行くぞ」
どこか鬼気迫る表情のケルベロモンから何かしらの圧を感じたのか、ウェンディモンの酔いは薄れ、彼は速やかに意識を集中させていく。
途端に居酒屋の空いたスペースの空間が歪み、一つの『孔』が形成される。
ウェンディモンの持つ、次元を歪ませる能力の産物だ。
その『孔』に体を突っ込ませれば、突っ込んだ誰かは速やかに望む座標に向けて転送される。
それを理解しているケルベロモンは、何の躊躇も無く次元の歪みに向かって飛び込んでいった。
残った――というか酒に酔って出遅れた他の『社員』達を見やりながら、アスタモンはアヌビモンに対してこんな風に呟く。
「……アイツのスタンドプレイ癖、このままだと一生治りそうに無いですね。頼りになると言えばなるんですが」
「そうですね……理由は大方察しがつきますが、そもそも他者との間に壁を作っているような気は私もしています」
「せっかくの飲み会だってのに、ちっとも楽しそうじゃなかったですし……何か切っ掛けが作れればいいんですけどね」
言うだけ言って、アスタモンはアスタモンでウェンディモンに指示を送って『孔』を作らせる。
そうして、時間をかけて、アヌビモンを社長とする『社員』たちはそれぞれ自らの仕事場に向かって行った。
◆ ◆ ◆ ◆
灰鬼の丘。
そこはダークエリアの中でも一際不気味な雰囲気を醸し出す、名の通り灰の積もった丘。
いたる所に不気味な形状をした巨大な生き物の骨が野放しになっており、森の木々の代わりを担うように景色を悪趣味に彩っている。
大地に活力の色は無く、緑など一片も見えはしない。
基本的に存在するのは灰にまみれた枯れ草と干からびた大地のみ――あるイレギュラーを除きさえすれば。
(クソったれ、つい三日前に焼き払ったばかりだろうが……!!)
後ろなど見ずに駆け抜けるケルベロモンの視線の先。
そこにあるのは、黄色く広大に咲き誇る――人間の世界においてはオトギリソウと呼ばれる――花の群れ。
乾いて栄養などあるはずも無い大地、太陽の光一つ届かないダークエリアの中では、到底育つわけが無いモノ。
言い伝えられし花言葉の名は、恨みと敵意。
美しい見てくれとは裏腹に恐ろしい言霊を内包したそれ等に対し、ケルベロモンは一瞬の躊躇も無かった。
「ヘルファイヤー!!」
その口から業火を放ち、彼は黄色い世界を真っ黒の塵へと還していく。
真正面に見えるもの、左右に見えるもの、その全て。
ケルベロモンの目には、花というものが全て害悪にしか見えず、実際このダークエリアにおいてその認識は正しいものだった。
ダークエリアは、表の世界から不必要とされた『除け者』が流れ着く情報の墓場、あるいは排気孔だ。
つい先ほど居酒屋で飲まされた、表の世界で一時期"あってはならない"とされた薬草酒と同じように、此処には表の世界で"あってはならない"とされたものが様々なカタチで流れ着く。
使われなくなって取り壊しになった建造物とか、多勢にとっての害悪として排斥された生き物とか、個々が見向きもしたくなくなるような――ドロドロしたおぞましい悪感情とか。
即ち、この世界に咲き誇る花々は"そういうもの"だった。
花言葉が示す言霊、その記憶や記録がカタチをもって根付いたモノ。
個の価値観を文字通り"染め上げる"害悪。
「ハァッ……ハァッ……」
ケルベロモンは知っている。
この暗黒界における花の害悪を、嫌と言うほどに理解している。
だからこそ、立ち止まってなどいられない。
三つの首、三つの視界でもって索敵し、見つけ次第に魔性の彩りを焼き尽くす。
灰の大地を駆け、吐く息を焼き、何も振り返らず、ただ塵に還して。
だが、現実は彼の望む通りにはならなかった。
「――ッ!!」
必死になって駆け抜けた先。
灰と骨の丘、その最も高い場所。
遮蔽が少なく、辺りを見渡せて、比較的明るい場所。
そこに、子供がいた。
見るからに成長期、小柄な体格を有した二匹が。
一体はピンクの体色を有した鼠のデジモンことチューモン、もう一体は銀と金の鎧を身に纏う汚物のような輪郭を有したデジモン――ダメモン。
彼等は特に警戒などする様子も無く、いっそ好奇心さえ抱いた様子でオトギリソウ畑に近付こうとしていた。
その気持ちが、ケルベロモンには理解出来る。
花の危険性はダークエリアのデジモンの全てに認知されているわけではないし、話を聞いた上でそれで利口に受け止められるかどうかはまた別の話。
咲き誇る花自体、このダークエリアでは唯一と言ってもいい『綺麗なもの』だ。
見ているだけで心は癒されるし、欲しくなって摘み取ってしまいたいと考えるデジモンだって少なくはない。
だから、
「――そこの二体ッ!! それ以上その黄色に近付いたらダメだッ!!」
ケルベロモンが、経験則から必死に訴えても。
おそらくは何も知らない、知っても信じられるほど見ず知らずの誰かを信じることの出来ない二匹は、こんな風に返すだけだった。
「……誰かな? アイツ」
「さぁ? それより、さっさと採っちまおうぜ」
言葉は届かない。
疾走は間に合わない。
そして。
ジィ……ッ、と。
辺り一面に広がるオトギリソウの真ん中、渦を巻く花びらの中心部から、眼球が浮き出てきたのだ。
それ等は自らに近寄っていた二匹に視線を向ける。
「――えっ」
真っ先に、それを認識したチューモンが気の抜けた声を漏らす。
その間にも花の変化は進んでいく。
眼球を浮かべた花々は突如としてその茎を他の花々と絡ませると、ある一つのカタチに収まっていく。
ほどほどに長い手足、細い胴体、長い髪と幾多の眼球を生やした頭部――即ち『人間』の形へと。
ダークエリアにこれ等の花々を形作った悪感情の源。
その異形は獲物を――自らの拠り所として二匹の姿を見据えると、速やかに躍り掛かった。
「に、逃げ――ぅあっ!?」
咄嗟に逃げようとしたチューモンから悲鳴が漏れる。
見れば、傍らのダメモンがチューモンのことをその手に持ったトンファーで打ち、弾き飛ばしていた。
目の前の異形から、遠ざけようとするように。
そして、その結果は解り切っていた。
ようやくケルベロモンの疾走が弾き飛ばされたチューモンに間に合った時、一方でダメモンは間に合わなかった。
悲鳴の先で、末路が口を開く。
ダメモンの全身が、花びらと茎の異形に呑み込まれて見えなくなる。
抱きしめるように、あるいは覆い被さるようにして、美しくもおぞましい黄色が魂を一つ蝕んでいく。
ケルベロモンは即座に火炎を放ち、何かが起きる前に事を済ませようとした。
が、
「っ、やめてくれぇっ!! あいつは友達なんだよぉ!!」
その言葉に、胸の中心を抉られるような錯覚がして。
必殺の呼吸を途切れさせ、対応が遅れてしまった。
僅か数秒の惑い、されど花の"生殖活動"においては、十分な猶予。
そうして言霊は紡がれる。
花びらと茎を繭として、ケルベロモンの眼前でそれは成る。
「――rr――」
野獣のような、荒い産声。
その主、元はダメモンと呼ばれていたそのデジモンの姿は、変わり果てていた。
体躯は元の十数倍、黒の金属と緑のヘドロを混ぜ込んだような見てくれの、再生と崩壊を繰り返す腐肉。
種族名をレアレアモンと呼ぶそれの目が、チューモンを捉える。
自分のことを覚えている、と認識したのであろうチューモンが、恐る恐る声をかけようとする。
「――だ、ダm
「――■■■■■■■■■!!」
だが、僅かに期待を含んだ言葉を遮るように、レアレアモンは咆哮していた。
自分にとって友達であったはずの相手に向けて、何かの仇でも取らんとするように、敵意や恨みなどといったネガティブな印象しか感じ取れない声色でもって。
即座にケルベロモンはチューモンの左腕を優しめに銜えて駆け出し、レアレアモンと距離を離させていく。
ワケが解らないといった様子で、チューモンは戸惑うしかなかった。
「……な、なんでっ。あいつ、あんな……」
「……もう助からない」
可哀想、だとは思った。
だがその上で、ケルベロモンはいっそ残酷に事実を告げる。
「花に"染められた"時点で、アイツはもうお前の知る友達じゃない。込められた、無関係の何かに上書きされた、別モンだ」
「……嘘だ。そんなの、なんでこんな」
「出来る限り遠くにいろ。アレは俺が処理する」
「――ッ!! 処理って……何様だよお前っ!! 俺たちのこと何も知らないクセにっ!! ゴミを扱うみたいに言いやがって!!」
「………………」
「頑張って、これでも頑張ってやってきたんだよ!! 何処にも居場所が無くて、味方なんて他にいなくて、騙されて腹を空かせながらもどうにか歩いて来たんだ!! それをっ、なんでっ、お前なんかに、会ったばかりのお前に消されないといけないんだよぉっ!!」
「いいから、離れてろ。お前もああなりたいのか」
十分な距離、離れた後で。
ケルベロモンはチューモンをその場に下ろし、改めて敵意の源を見据える。
見てくれが美しいものを原因として生まれたにしては、醜悪極まる外見の完全体デジモン。
(……やるべき事を、間違えるな)
「変身《モードチェンジ》」
チューモンの嘆願を背に、ケルベロモンはレアレアモンに向かって駆け出す。
その最中に、彼の姿は四つ足で駆ける獣の姿から移り変わっていく。
前足は両腕に、両肩に備わった二つの頭は両手の先に武装として備えしモノに。
口元は獣らしく前方に突き出たものから、人間のそれのように平たいものに。
そして、体躯は全体的に小柄で身軽なものに。
ケルベロモン・人狼モード。
度を越えた害悪を処理する際に用いられる、獣の姿とは別に内包したもう一つの姿。
レアレアモンとの間合いを詰めた彼は、両手の顎を開き、獣の姿の時と同じように業火を解き放つ。
「ヘルファイヤー!!」
「■■■■■■――ッ!!」
獣の姿の時とは格段に規模を増したそれはレアレアモンを絶叫させ、腐った血肉を蒸発させる。
時折、生成された複数の口から漏れたガスに反応して爆発が巻き起こるが、ケルベロモンは構うことなく業火を放ち続ける。
抵抗の余地など与えない。
腐肉によって形取られた複数の大口を素早い動きでもって避け、その口から漏れ出る死の空気ごと人狼の業火が掻き消す。
炎が血肉を焼き焦がし、辺り一面の黄色も巻き込んで黒き塵へと還す。
伴う爆風が体を打っても、倍増した熱に体を焼かれても、それ等全てに伴う痛みを感じても、ケルベロモンは行為を止めない。
駆けては焼き、跳んでは焼き、決して肉薄などはせず、どこか淡々とした立ち回りでもって。
敵意と恨みに染め上げられた魂を、この世界以外の何処かから自分と同じく"あってはならない"とされた『除け者』を、この世界から滅していく。
時間にして一分弱。
体躯の巨大さのわりには呆気なく、世界にとっては"その程度"でしか無いと証明させられるように、焼き尽くされたレアレアモンの体はケルベロモンの視界から消え去った。
処理の中で、オトギリソウの花畑もまた焼き尽くされ、周囲にはもう灰と塵以外に何も無い。
喜びは無かった。
達成感は無かった。
虚しさだけが残った。
もうこの辺り一帯に花は見えない。
おぞましい気配は何処にも無い。
その実感でもって、自分の今回の仕事は終わったのだと、そう理解したケルベロモンは元の四つ足の姿に変じた後、チューモンのいる所にまで戻っていく。
当然と言えば当然の話として。
友達の死を遠方から眺めるしか出来なかった子供は、既に気力を失っていた。
「……何だよ」
「…………」
「もうワケわかんねぇよ。俺たちは、ただ頼まれてやって来ただけなのに。悪気なんて、何も無かったのに……」
感謝の言葉は無かった。
当たり前の反応だと、ケルベロモン自身も思った。
ただ、一つだけ気懸かりがあった。
「……誰から頼まれたんだ?」
「言うと思うかよ。友達をブッ殺しやがったやつなんかに」
「……そうか。どうあれ、ひとまずは一緒にきてもらう」
「……勝手にしろ……」
花を採ることを、頼んだ誰かがいる。
その事実がどうしても気になって、ケルベロモンはチューモンを『会社』に連れて行くことにした。
幸か不幸か、チューモンも特に拒否などはせず、ケルベロモンの意向に従う選択をする。
彼等がその場を離れ、時間が経てば、後には普段通りの景色しか残っていない。
その場で誰かが焼け死んだ事実になど、立ち登る煙の正体になど、部外者が興味を抱くことはない。
疑念こそ残れど。
言葉にしてみれば、この場で生じた出来事は、それだけのことだった。
その場で巻き起こった事柄に対する興味など、不要とした全てをダークエリアと言う名のゴミ箱に棄てた何処かの誰かの意識には無い。
ゴミ箱の中身など、仕事でも無ければ望んで覗き込みはしないように。
一方的な放棄と否定、それこそがダークエリアの当たり前であり、これからもきっと変わることは無い定義なのだから。
今日もまた、何かが塵となる。
この物語は、それが当たり前の世界で生きる誰かの証明。
そして、一つの『会社』の業務の記録。
《後書き》
一日0時に天才キメてやるぜ!! とか息巻いてたら見事に遅刻しました。どうもユキサーンです。
とりあえず、ここまで読んだ方の中に「えっ!? デジモン化は!?」とか思った方は素直に名乗り出てください。デジモン化《ルビ:せっとく》を使います。
冗談はさておき、ユキサーンのX(旧ついったー)を見ている方なら薄々感付いた通り、今回ビギニング企画のトップバッターに選んだのはダークエリアを舞台としたケルベロモンの社畜生活のお話。世界観は以前別の企画で書いた『地獄を染めるもの』という作品と同じものを使用していて、当時やっつけ彼岸ネタで使い潰したのもったいねぇなァーと思っていたものを連載想定で掘り起こした形となります。
デジモンの二次創作においてダークエリアの表現は様々だと思うのですが、今回この世界観においては見ての通り『ゴミ箱』と表現させていただきました。捨て去られたもの、見向きもしたくないもの、全てが集う場所。
そのくせ醜い言霊は美しいモノとして根付き、デジモンの価値観などを上書きする劇薬としてあれやこれやする世界。
そんないろいろ押し付けられ投げ棄てられ誰もが苦労しまくる『ゴミ箱』の中で、会社勤めのケルベロモンがいろいろ頑張るお話として書いたのが今回の『Dust Box diary』なのですが、ひとまずバトンを渡しやすい構造には出来たかなと自負しております。
ひとまず護っていただきたい要点があるとすれば
① 主人公はケルベロモン。アヌビモンが社長な『会社』に勤めている(アヌビモンとはラブラモンだった頃から関わりがある)。花の危険性について人一倍重く認識している。
② 舞台はダークエリア。表の世界(デジタルワールドの表層や人間の世界などを含めた、ダークエリア以外の世界)から廃棄or否定されて不要とされたものが主に流れ着き、その中でも『人間の悪感情』は不吉な言霊を孕んだ花となって突然根付く世界。普通で無害な花なんてものは無く、触れたり見惚れたりすると花の"生殖活動"によって花の言霊に価値観を上書きされる。
③ アヌビモン社長はあらあらうふふ系。
この3点ぐらいですね。ケルベロモンには知っての通り『インフェルノゲート』があるので表の世界に行く手段自体は持っていますし、その他諸々の可能性を発展させられるだけの種は埋め込めたかなと。個々で思う存分悪趣味を花開かせましょう!!(言い方)
それでは余分な後書きはここまでに。
シル子さん、今回はすばらしい企画をありがとうございます。
そして、今回の話をお読みになってくださった皆様にありったけの感謝を。第二話、もしも書かれたら感無量でございます。
重ね重ね、ありがとうございました。
ザビケ末代の沽券に関わります。夏P(ナッピー)です。
ああ、いつもの……じゃない?(弟切草から“人間”が象られた途端「いつもの逆パターンじゃねーか!?」と叫んだ)
てっきりアヌビモン社長と社員の皆さんによるほのぼの奮闘日記かと思ったらまさかの。社長がうっかり落ち込んでた辺りまではそう思っていたのに、気付けば1話の内に大分遠くまで来てしまった感。ゴミの運搬に関してかなりの実力者と予想されるゴキモン氏も、これ実は更なる実力者だったりする奴だ。ちゅーか、ケルベロモン氏だけでなくても居酒屋から現場直行とはブラックだぜ! ウェンディモンはともかく案外死んでそうなのだが……または次回、友の死を受け入れられなかったチューモンが死ぬかどちらか!
ちゃんと“頼まれた”ことまでケルベロモン氏が突っ込んでくれたのは次書く上で優しいポイント。しかしダメモンと組んでたわけですがチューモンなんだ。チューチューモンではなかったのか。
………………よく考えたら。
ダークエリアに飲み屋あるんか!?
一応、社員のほのぼの話に戻れる種は撒かれているように感じるが……。
それでは2話目考えてきます。