#ザビケ
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デジタルモンスターという生物がいるらしい。
異世界を旅する子供達の頼れる友。彼らの精神に影響されて様々な変態、変質者という意味ではなく某コンピュータゲームで言うところの進化を遂げる未知の生物が存在する。そんな都市伝説がいつしか人々の間に広まる、までもなかった。
西暦2003年、知られざる戦いを経てデジタルモンスターは社会に現れた。
それから数十年が経った現在、今や世界中の人々にパートナーとなるデジタルモンスターがいる。
彼らは人々と共に生き、歩み、そして死んでいく。いつしかデジタルモンスターの存在が当たり前となった社会、デジタルモンスター無しでは成り立たなくなった社会。それが2023年の人間界であり、政治もスポーツも文化もインフラも全てがデジタルモンスターありきのものとなっていた。
電脳生命体。言うまでも無くデジタルモンスターのことだが、基本的には誰しもが10歳までには運命づけられたパートナーと出会うとされている。
出会いの方法は様々で、ある者はある日突然枕元にパートナーとなる電脳生命体のタマゴ、通称デジタマが置かれていたというし、またある者は街中で偶然出会った野良と思しき電脳生命体がまさしくパートナーであったなんて話もある。
しかし一方でデジタルモンスターは人間を遥かに超えた能力を持っている。一般的に言えば猛獣とかそういった類に近く、違いがあるとすれば彼らは等しく人語を解し、パートナーを含む人間とコミュニケーションが取れるという一点にこそある。だからこそ、現代社会においてはデジタルモンスターの出現以前よりも更にコミュニケーション能力を重視する教育が行われるようになっていた。基本的に運命付けられたパートナーであれば、どういうわけかその人間の母国語で問題なくコミュニケートが可能である。だが一方でデジタルモンスターの種族や属性によっては円滑なコミュニケートが困難となり、多くの事故や事件を巻き起こす結果となる。2006年に一人の科学者がうっかり魔王と呼ばれるベルフェモンを暴走させた事件、2011年にクオーツモンなる巨大なデジモンがパートナーの言葉を無視して都市部で暴れ回った事件は記憶に新しい。
千差万別なデジタルモンスターの管理の為、我が国には電脳省と呼ばれる新たな省庁が設置され、各国もそれに続いた。同時に義務教育の過程でデジタルモンスターの取扱についての科目が必修とされた。
だが当然、困難を極めた。何せ教師を含む大人達すら自分のパートナーを手懐けるので精一杯、カリキュラムの策定どころか正常な学校運営さえままならなかった以上、それぞれ異なるパートナーを持つ児童達への指導などできようはずもない。そもそも各地でデジタルモンスターを制御できず、事故や事件を起こしているのは大人が殆どであったのだ。その時点では知られていないことだったが、デジタルモンスターはパートナーとなる人間の精神に多大な影響を受ける生き物であり、常日頃より喜怒哀楽豊かな子供以上に精神的に成熟している大人がふとした拍子に感情バランスを崩す──例えばリストラに遭ったとか親しい者に離縁を突き付けられたとか──時の方が悪影響は大きかったのだ。
抜本的な改革と人々への教育が必要であった。それは子供だけではない、大人に対しても必要とされた。
「俺……いえ、私に任せてください!」
そこで名乗りを上げた者が一人いた。仮名だがT・Y氏としておこう。
彼は2003年以前より彼自身がアグモンと呼称する、パートナーを持つ人物であった。デジタルモンスターのことだけでなくデジタルワールドにも精通した彼は、やがてゲンナイと呼ばれる人物の仲介の下、我が国とデジタルワールドの国交樹立に尽力した。あの世界にも我々のそれに近い科学や文化が存在するという事実はこちらの世界を大きく揺るがせ、やがて我らの世界はデジタルワールドと対を成す形でリアルワールドと呼ばれることになる。
その中でもT・Y氏の働きは目覚ましかった。三大天使と呼ばれるあの世界の頂点、中でも未だ人間に不信を抱く智天使に武力ではなく飽く迄も忍耐と誠意を以って接し、人類が如何にデジタルモンスターと関わっていく上で未成熟であるかを説いた。そして今後のデジタルワールドとリアルワールドの交流に必要なもの、二つの世界の安寧を願う上で人間がパートナーと友好的に過ごしていく為の教育制度の必要性を訴えた。T・Y氏の言葉にさしもの智天使も心を動かされたのか、やがて教育者としてホメオスタシスに関わりのある天使族の派遣を約束した。
ここに二つの世界の国交は成立した。故にT・Y氏を世界最初のデジタルワールド専門の外交官と讃える声が大きい。
そこから先は我が国だけではない、どの国も迅速だった。取り分けデジタルワールド進出で先陣を切っていた我が国では、首都圏北東部に急ピッチで教育機関の説明が進められていく。各業界に広がったT・Y氏の友人達の協力もあったが故というが、それを考慮しても緩慢政治と揶揄された我が国に見合わぬ速度で電脳省が動いていたことは確かだ。
そして2018年、デジタルモンスターとデジタルワールドを学ぶ世界最初の学園都市デジタルシティは成る。
最低四年の教育課程を通してパートナーとの付き合い方、制御方法などを学ぶ為の施設が多く置かれると共に電脳省もこちらに移転した。初等部と中等部も存在することから義務教育も修了することが可能であり、一部の富裕層は都心部からデジタルシティ内に転居することもあったという。講師は智天使から遣わされた天使族のデジタルモンスターの他に、T・Y氏を初めとする2003年以前よりパートナーと出会っていた者達が担うことになっていた。
やがて外部からの生徒の受入も次々と始まり、デジタルシティは隆盛する。
程無くして作られた三つの寮。それぞれシルバークロス、ブルーファルコン、ブラックソード。
デジタルモンスターには各々ワクチンとデータ、そしてウイルスの属性が存在し、パートナーの持つそれぞれを元に寮を分割した。やがて寮対抗戦なども行われるようになり、大いに賑わいを見せ始める学園都市。都市内では老若男女問わず多くの人々とそのパートナーが学び、競い合い、そして交流を図っている。各国も続く形で同様の教育機関を設けるようになり、いずれは学校同士の交流も企画されているという。
それから暫しの時が流れた2023年8月1日、物語はデジタルシティの一角から始まる。
『デジモンアドベンチャーXeno』
第1話:竜の泉に君はいて
「んー! いい天気だなぁ!」
朝焼けが射し込む部屋のベッドの上、9歳のダイチ・ヒイラギは大きく背伸びをした。
小学三年生の夏休みとなれば自由そのもの、宿題も絵日記も全て投げ出して夏休みを満喫してこその小学生!
「……っと、いっけね! 今日はデジモン記念日じゃん!」
両親はとっくに仕事に出かけている。どうせ一人なのだからと、部屋のテレビを点けた。
『ここ、お台場海浜公園では今日という日に多くの人々が詰めかけ──』
女子アナのそんな声。
8月1日は世界的にデジモン記念日とされている。ダイチはその理由をよく知らなかったけど、そこで最初にスピーチするらしい宇宙飛行士が大昔、世界にデジモンが現れる前にはもうデジモンと出会っていた人だということは知っている。そういう人達のことを両親は何と呼んでいたのだったか。
ダイチにはまだパートナーデジモンが現れていない。普通であれば10歳までには現れるというが、それは果たしていつなんだろう。
「おーい、ダイチいるかー?」
まだ朝8時だというのに玄関から自分を呼ぶ声。
「アスカか! 早いね~!」
「今日遊ぶ約束してただろ?」
同級生のアスカ・センダだった。そういえばそんな約束を何日か前にしたような。
「ちょっと待った、今テレビ見てるんだよ~!」
言いつつ一階に降りて玄関を開ける。するとパートナーのツノモンを抱いた友人の姿。
「ああ、デジモン記念日か今日。ウチも親父とお袋が見てると思うわ」
「アスカは興味無いんだ?」
「別に記念日って言われてもピンと来ないしな」
それはわかる。ダイチもなんとなく見ていたが、自分にとってデジタルモンスターはそこにいるのが当たり前で、わざわざそれと出会ったことや旅したことを特別だと思うなんて考え自体がない。デジタルシティに引っ越してきて二年ほど経つが、両親のパートナーと戯れているだけで十分楽しくて、別段自分自身にパートナーがまだ現れていないことを残念に思ったりしたことは無かった。
「でも折角だしさ、ウチのリビングで見ようぜ! 今日誰もいないんだよ!」
「ダイチの家に誰もいないのはいつものことじゃないか?」
言いながら「お邪魔します」とだけ告げてリビングまで来るアスカ。彼の腕の中でツノモンはスヤスヤと寝息を立てていた。
「ダイチんちのパートナーは?」
「父さんと母さんが連れてったから大丈夫だよ」
セレモニーは終盤を迎えていた。宇宙飛行士のスピーチは終わり、出席している偉い人達の姿が映し出されている。
そこにズラッと並んでいるのは如何にも立派な大人達だけれど、一緒にいるパートナーデジモンが皆成長期だから、きっとあの人達は子供の頃にパートナーと出会えてからずっと一緒だったんだなと思う。デジモン達が現れるようになって二十年、今でこそ10歳までに現れるなんて言われているが、当時の大人達に現れたパートナーはどれも成熟期で、それがまた色々なトラブルを生む遠因にもなっていた。実際ダイチの両親のパートナーも父のコカトリモンと母のクワガーモン、二体とも成熟期だ。
「ダイチはどんなパートナーが欲しいとかあるのか?」
「んー、どうだろうな……とりあえず強い奴?」
「ダイチらしいな。でも強い奴ってそれだけ言うこと聞かせるの大変なんだろ?」
「そこは……ほら、何とかするんだよ」
身振り手振りで示すとアスカは笑う。
「何だよそれ」
スマホでセレモニーの様子を流しながらテレビゲームを始めると、気付いた時には正午が近付いてしまっている。天気のいい日だというのにすっかりゲーム三昧になってしまった。
「アスカ、お前昼飯はどうすんの?」
「お前んちであがってくるって言っちゃったぜ」
「そっか。ならウミんち行かね?」
歩いて数十メートルの同級生の名前を出すと、アスカは露骨に嫌な顔をした。
「またラーメンかよ?」
「うまいだろラーメン」
「うまいよなラーメン」
でも飽きた、お前と遊ぶ日って毎日ラーメンだし。
そう言いたげなアスカを強引に引っ張ってダイチは家を出る。隣の隣、家から歩いて二分とかからない距離に件のラーメン屋はある。ダイチが引っ越してくる前どころか、このデジタルシティができる前からあった老舗だが、今は有名ラーメン店のフランチャイズ──父が言っていた。ダイチには当然意味がわからなかった──になっているらしい。
「あいよ~、常連が来たよ~!」
「恥ずかしいから騒ぐな……」
暖簾を潜ると相変わらず閑散とした店内。看板娘はのんびり座敷で昼のワイドショーなんて見てるし。
「ああ……ヒイラギ君とセンダ君。どったのよ?」
仮にも飯屋の店員とは思えない発言。
「暑すぎて喉乾いたわ。とりあえずラムネくれ」
「俺はアイスコーヒー」
「冷やかしなら帰って。アタシ暇じゃないんだけど」
頬杖を付いてテレビから目を離さずに何を言うのか。
「おっちゃん! コイツ仕事舐めてますよ! 叱っちゃってくださいよ!」
「うっさいなぁ……覚えときなさいよ」
殺意を秘めた顔でダイチとアスカを見やって厨房へ向かうウミ・サヤマ。二人の同級生だが身長は二人よりかなり高く、睨まれると正直怖い。
それでも顔を合わせるとついつい煽らずにはいられないのは、要するにそういうことなのだが、ダイチは自分でもまだそれに気付いていなかった。
「ピョコモン、このクソガキどもを案内しといて」
「OKなのだわウミ」
ダイチの膝ぐらいまでしかない幼年期が名前通りピョコピョコ跳ねながら「こっちよ」と席へ案内してくる。ウミのパートナーで、彼女が5歳になる頃に現れたらしい。アスカとツノモンが何歳に出会ったかは聞いていないが、恐らく近隣の子供達の中でも飛び抜けてパートナーとの出会いが早いのが彼女だった。
「クソガキ言うなぁ! 訴えるぞぉ!」
「訴えてみなさいなのだわ、クソガキ」
10歳までに現れるというのも統計の結果で、言うまでも無く例外はいるし、何よりどうした要因でパートナーが現れるのかは現時点でもわかっていない。だから義務教育として定められているデジモン学、所謂パートナーシステムに関する授業も小学五年生からと定められていた。一方で2003年時点で大人だった者、二十年経った今では壮年や老年に近い者達にも同様のカリキュラムは設けられているからデジタルシティは自然、老若男女様々な人々で溢れている。
程無くしてウミがお絞りとお冷を持ってきた。相変わらず顔は不貞腐れていたけど。
「ご注文をどうぞ」
「いつもの」
「いつもの」
「いつものなんてメニューはございませんが……」
「チッ、相変わらず気の利かない店だね。とりあえず生ビールと灰皿くれよ」
「次ふざけたこと言ったらフローラモンに放り出させるわよ」
気付けばピョコモンがいたはずの場所にいたのは、植物を被ったトカゲのようなデジモンだった。
「ふふん、あまりウミを怒らせない方がいいのだわ坊や達」
フローラモン、確か今日のテレビの中の誰かも連れていた成長期だ。
「え、すげえ! もう進化できるのかよサヤマのパートナー!」
それを見て興奮したのはアスカだ。未だにスヤスヤと眠っているツノモンは、まだ進化の兆しも無いらしい。
「どうしたら進化できたんだ?」
「どうって……ある日突然? そうとしか言い様がないんだけど……」
「そっかぁ。コイツも早く進化できるようになるといいんだが」
珍しくヒートアップしたアスカとそれに若干引いているウミ。
別に何とも思っていないはずだったが、こういう状況になるとダイチも少々の疎外感を覚えないでもない。その内に出会えるさ、初めてそう考えて自分を納得させたのはアスカにツノモンが現れた時だから、そろそろ半年が経とうとしている。同級生に置いていかれる焦りなんてものはないが、早く自分のパートナーがどんな奴か見たいという思いは確かにあって。
「ヒイラギ君はどうするの?」
「え? 俺? やっぱ強い奴がいいかなー」
「は? いつものラーメンでいいかって聞いてんだけど」
その横に跳ねた癖っ毛を左手で丸めながら、ウミがこちらを見て呆れていた。
「……いつものあるじゃねーか!」
「パートナーって何だろうな」
帰り道、と言っても二分で着く距離だが、ダイチは隣のアスカに呟いた。
「哲学的だな。俺には多分お前が満足する答えは出せないぜ」
「……アスカ、お前本当に小三?」
そもそもダイチが言いたいのはそんな難しい話じゃなくて。
「いや今の俺達ってデジモンがいるのが当たり前になってるじゃん?」
「そうなるな。俺達の生活にはデジモンが密接に関わっていることに疑いの余地はない」
別に構わないが、何故いちいちそう難しい言い回しをするのか。
「だったらさ、デジモンがいない頃の人間ってどんなだったんだろうって」
「……親御さんに聞けば教えてくれるんじゃないのか?」
「聞いたよ。でも父さんも母さんも大人になる頃にはデジモンがいたからな、デジモンがいない大人ってのを知らないんだ」
二十年が経てば時代は変わる。そこに生きる人だって変わる。
「お前はツノモンのこと、好きなんだろ?」
アスカの腕の内、結局今日はラーメンを食す数分以外一度も目を覚まさなかった気がする幼年期の頬を撫でる。
「そりゃな。パートナーなんだし」
「それだよ」
「え?」
ダイチが言いたいのはまさしくそれだった。
「多分俺達って皆、デジモンのこと好きじゃん?」
「……そうだな」
それが変とか間違っているとかではなく、ただ純粋に疑問に思うのだ。
パートナー、ある意味での運命共同体。自分の意思とは関係無く出会うそれを、世界中の誰もが己の半身として認めて共に暮らすようになる。そこに選択肢はない、というより少なくとも人間側は持とうとしない。人間はパートナーとなるデジモンを愛するのが当然で、少なくともダイチの知る限り例外は無い。老若男女問わず、自分のパートナーとして如何なるデジモンが現れようと、自らとの関係を解消したいという者はいないはずだ。
「なんかコイツは嫌だな、コイツと一緒に暮らすのは無理だなって思う人はいないのかなって」
「……やはり哲学的だ」
家に玄関から入る。アスカも軽く頭を下げながら続いた。
「考えてみろダイチ。例えばサヤマのピョコモン、アイツはさっきフローラモンに進化した。だけどそれは一時的なもので、寝る時や休む時にはピョコモンに戻るんだろう。これは俺の予想だけど、サヤマはピョコモンとしてアイツと出会ったから、あの姿が基本として認識されているんじゃないか? だからフローラモンも自分の意思でピョコモンに戻れる……」
「いやそれとこれに何の関係が」
「さっきダイチにも聞いただろ。漠然とだけど、誰にだってこんな奴と出会いたいって考えがあるものだよな。もしかしたら自分で気付いていない願望だってあるだろう。デジモンってきっと人間のそんな思いを汲んでくれるんだ。こんな奴とパートナーになりたい、こんな奴でいて欲しい、そういう気持ちに答えてくれるのがデジモンなんだ」
「アスカ、お前……」
リビングの机にツノモンを置いて語るアスカはどこか熱っぽくて。
「やっぱ小学生には思えねーなぁ」
「父さん達はどんな感じでパートナーと出会ったんだっけ?」
その日の食卓でダイチは両親に聞いた。
コカトリモンとクワガーモン、どちらも成熟期である両親のパートナーは、デジタルワールドの記録に残されているよりずっと小さい姿でヒイラギ家の庭で戯れている。
どうしたわけか、パートナーとして現れるデジモンは向こうの世界に現れるそれと比べると幾分か小型化しているとされている。その理由はわからず、こと戦闘能力という点においてリアルワールドに現れた彼らは、デジタルワールドの同種族に対して大きく劣ると考えられているのが現状だ。とはいえ、それによって大型のデジモンが街中で活動するだけで大混乱を引き起こすような事態が避けられているのも事実だったが。
「どうだったかなぁ……二十年前だろ? 父さんもまだ高校生だったからなぁ」
「あら、私は覚えていますよ? クワガーモンと初めて出会った日のこと」
母は笑って言う。まだ中学生だった当時、世界各地から空へ向かって真っ直ぐ光の帯が伸びていった日のこと。
自分の目の前に突然現れた不思議なデバイス──今では誰もが持つD-3のことだ──を握った時のこと。
ああ、それを握って自分には大切な半身がいるんだと何故か理解できた瞬間のこと。
「ダイチも早くパートナーが欲しいんだな」
「……そうなのかな」
「早く出会えるといいわね」
焦ってなんかいない。焦ってなんかいない、けど。
夕食を終えて部屋に戻り、ベッドに座る。ウミの家から貰ってきたポスター、壁に貼られたそれは全世界に展開するラーメンチェーンのもので、そこには如何にも快活そうな男とそのパートナーであるブイモンの姿がある。腕組みして背中合わせに立つ一人と一匹はどう見てもパートナーであり、それだけで楽しそうに見えた。そういう風にデジモンと立派にやっている人生の先輩達を見ると、自分は一体どんなデジモンとパートナーになるのだろうかと、ワクワクしているダイチ・ヒイラギがいるんだ。
テレビが点く、独りでに。リモコンなど操作していないのに。
「……は?」
画面には砂嵐。大昔のブラウン管ならともかく今どきのテレビでそんなことが起きるなんて。
『……ケロ……ッ!』
「うん?」
ザザーッとノイズ交じりだが。
確かに聞こえた。砂嵐の向こうから確かに聞こえた。
『助……ケロ』
自分を呼ぶ声、自分を求める声。
だから自然と手を伸ばす。砂嵐だけを映し出すテレビ画面に。
その瞬間。
「うわっ!?」
吸い込まれるように、引き込まれるように。
ダイチ・ヒイラギの体はこの世界から消失した。
「あれ? ここは……」
気付いた時、ダイチは薄暗い森を背に立っていた。
つい数秒前まで自分は部屋にいたはずだ。なのに背後には鬱蒼と茂る森、正面には見渡す限りの大きな湖とそれを照らす月明かり。湖と言っても普段から霞ケ浦を見ているから直感的にそう思っただけで、際限なく広がる目の前の巨大な水溜まりは恐らく海と言っても相違無い。
服は日中アスカと遊んでいた時のまま、どういうわけか靴はキチンと履いていた。
「どうなってんだ?」
首を傾げながら数歩歩いた瞬間、湖が大きく揺れた。
「うわっ」
巨大な何かが水面を割って現れたのだと思った瞬間、まるで絡み合うように飛び出してきた二体がダイチのすぐ傍の水面に再び沈む。
一瞬でよく見えなかったが、それらがデジモンであることはわかった。そしてその二体はダイチがよく知るどんなデジモンより大きかった。
「夢……じゃない!」
飛んできた飛沫は冷たく、思わず叩いた頬はパチンと心地良い音がした。
目の前のそれは現実だ。そう考えただけで興奮が止まらなくなる。
「すっげー! 見たこと無いよ、こんな戦い!」
鎬を削る二体は何度も水面に出ては沈んでを繰り返す。片や首長竜プレシオサウルスのような白、片や長大なウミヘビのような金と銀。
互いの首元に食らい付こうとする様は激しい生存競争の渦中にいる野生動物そのもので、見様によっては十分凄惨と呼ぶべきものだったけれど、不思議とダイチに恐怖はない。
見惚れていたのだ。生まれて初めて見るデジタルモンスター同士の戦いに。
「ガウッ……!」
戦いは果たしてどれぐらい続いたのか。ウミヘビがその身でプレシオサウルスの首を締め上げると、呼吸を止められたプレシオサウルスは一瞬だけ白目を剥き、その首を解放されても即座に体勢を立て直すことができない。
そこに。
「アルティメットストリーム!」
炸裂するウミヘビのエネルギー砲。防御態勢を取れない敵の脇腹に炸裂したそれは周囲の水を飛散させ、プレシオサウルスを容易く湖の底へと沈ませた。
ウミヘビの勝ちだ。その光景をまるで自分が勝利したかのように歓喜の顔で見つめるダイチ。
そう、もう心は決まっていた。
「なあー!」
声を張り上げる。
恐怖はない。自分が今どうなっているのかさえ忘れている。
それでも今を逃せばきっと後悔することだけはわかるから。
「お前! 俺のパートナーになってよ!」
迷い無く。
躊躇い無く。
ダイチ・ヒイラギは振り向いた巨大なそれにそんな言葉をぶつけていた。
「なぁニ? 堅物の貴方が私を呼ぶなんて珍しいんじゃなイ?」
「……君の国から通達があってな。来年度からの学校同士の交流戦が正式に決定した」
「あれマ。流石は我が国と言ったとこロ? のんびり屋サンのこの国とは大違いよネー」
「言うな。我が国はこれでも未来に向けて出来得る限りの速度で進んでいる」
「そうは言うけど、貴方は何か……気に入らないことがあるのでしょウ?」
「……Yの尽力は見事だった。だがそれが100%正しかったと思えないのは確かだ」
「でもそれが彼のやり方ヨ? 彼のそういうところ、昔から好きなのよネ」
「……君は幾つになった」
「言わないデ。女は実年齢を聞かれなければ永遠に17歳なのヨ」
「私は年齢を聞いたと思うが」
「……で、早速進めるのでしょウ? デジモン学の受講年齢の繰り上げ、嫌よねェこんなの、何年もかけてやっとカリキュラムを組んだばかりの電脳省の皆様が卒倒するわよォ?」
「デジタルワールド進出でアメリカの後塵を拝するわけにはいかん。現時点で我が国が一歩でもリードしているのなら、その差は何としても守り抜く必要があるのだ」
「そレ、アメリカ人の私の前で言うことかしラ」
「君に頼みたいのはもう一つの件だ。ミズM」
「あア、全寮制にするって話……あレ、本気だったわケ? 予算はどう動かすのヨ?」
「既に手は打った。来年度には開設できるだろうライトファング寮とナイトクロウ寮、元選ばれし子供の君ならどちらかの寮監に相応しかろう?」
「先生って柄じゃないんだけどナ……」
「君以上の適任者など私には探せないだろうよ」
「それ褒め言葉なのかしラ? ……ま、考えといてあげル……それにしても、やぁネ……折角デジタルゲートが開いたっていうのニ、人間は結局利権と覇権の取り合いカ」
「それが人間というものだよ。それにな、米国は更に厄介な要求も突き付けてきている」
「……W?」
「そうだ。米国で君より僅かに早く、つまり最初に確認された選ばれし子供、W。現在我が国と条約を結んだ智天使は元々彼のパートナーであったと……ならば智天使との会合は米国主導の下で行うべきであると、これが君の祖国の主張だ。そしてあろうことか総理はそれを呑む気でいる。その時に備え、我々も別の接点を持たねばならんのだよ。あの世界の理を左右し得る、究極体デジモンとの繋がりを」
「……ホント、面倒なことだワ」
「俺の、パートナーになってよ!」
もう一度言う。
振り向いたウミヘビはダイチを恐れるでもなく、かと言って襲うでもなく。
見極めるように。
見定めるように。
ゆっくりとその鎌首を下げていく。
「俺は、お前がいいんだ──!」
この少年、ダイチ・ヒイラギ。
自らの手で究極体、世界の理を左右し得る水龍王との繋がりを望んだ少年の物語が如何なる色を描くのか。
それはまだ、誰も知らない未来の話である。
【解説】
・ダイチ・ヒイラギ
9歳。一応主人公のはず。元気いっぱいの小学三年生。
誰もがパートナーを持つ時代、自分にもパートナーが現れるのを待っていたが……?
モチーフは太一+丈先輩。
・アスカ・センダ
9歳。ダイチの親友で冷静な少年。パートナーはツノモンだがまだ進化の兆しがないという。
小学三年生とは思えないほど理屈っぽく、下手に熱が入ると色々と語り過ぎる男。
モチーフはヤマト+光子郎。
・ウミ・サヤマ
9歳。ダイチの家の隣の隣のラーメン屋の娘。背が高く怖い。パートナーはピョコモン(フローラモン)。
ダイチは彼女を見ると煽らずにはいられないのだが、それはつまりそういうことである。
モチーフは空+ミミちゃん。
・T・Y氏(仮名)
世界中にパートナーデジモンが現れる前に前にデジタルモンスターと出会っていたとされ、智天使との交渉を重ねてデジタルワールドと我が国の国交樹立に尽力した外交官。
こっから下のメンバーは名前を出さない方がいいかなと思ってこうしていますが、果たして誰であるかは言うまでもない。
・ミズM(仮名)
ルー語もどきで話す米国人の才媛。来年度に新設されるデジタルシティの新寮、ライトファングかナイトクロウの寮監として招かれる予定。
・W(仮名)
米国で最初に確認された選ばれし子供。智天使は元々彼のパートナーであったという事実が、我が国と米国との間で諍いを生む。
・学園都市デジタルシティ
デジタルモンスターを専門とした教育機関、もしくはそれを中心とした周囲一帯の都市部を指す。
ケルビモンと友好関係を結んだ我が国は、数体の天使型デジモンと選ばれし子供を講師や職員として招き、世界初のデジモン学を学ぶ学校を創設する。周辺に多くの施設や公的機関が集まり、それに伴う住民の移住を経てやがて一つの都市群を成すようになった為、元々はデジタルシティとは学校そのものを指す名前であったが、現在では地域一帯を含めて学園都市デジタルシティの名で呼び習わされる。
外部からも寮生として老若男女問わず多くの人間とパートナーを招いており、2023年現在でワクチン種をパートナーに持つシルバークロス、データ種のブルーファルコン、ウイルス種のブラックソードの三つの寮が存在する。また水面下では全寮制に移行する動きがあり、ライトファングとナイトクロウの二つの寮の開設が急がれているとか。その理由には各国の間で繰り広げられているデジタルワールドの主導権争いがある。
【後書き】
よく考えたら02ビギニングに合わせた企画なんだから02モノ書くよなァ!
というわけで、作者的には数億年ぶりに書いたデジモンアドベンチャー02の二次創作となります。折角なのでtriとラスエボの内容も拾いつつ、一方で映像作品からは読み取れない要素は敢えてオミットしました。何故ならそうしないとtriとラスエボが矛盾だらけになるからだぁ! それに付随して所々でオマージュとしてデジモンワールド二作目であるデジワー2とデジモンストーリー二作目であるサンバーストムーンライトの要素も組み込んでみました。一方でビギニングがどうなるかわからないので未来は確定させないチキンっぷり。
モチーフはとある+ハリー・ポッターで、学園都市デジタルシティは(既に学園都市がある)つくば~土浦周辺をイメージしております。元々はお台場を考えていましたが、海沿いに学園都市築いたらどう考えても巨大デジモンにゴジラの如く踏み潰されるわと思ったので泣く泣く移動。なのでお台場要素は宇宙飛行士のY・I氏! お前のスピーチだけだ!
世界観の構築にめっちゃ快晴さんのデジモンプレセデントの影響が見えますが気にしたら負け。
以上、#ザビケ二作目を投稿させて頂きます。。
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