#ザビケ
本作は夏P(ナッピー)・作 『Death or Dominate』 Duester.01 の第二話となります。
・
◇
奇跡的に有機生命体の活動を可能とした惑星、それが地球である。
その奇跡が如何にして起き得たのか、それを理解できる者は未だ存在しない。本当に神の御心の為せる業なのか、果たして漆黒の宇宙に生まれたその奇跡は灼熱の世界を経てやがて海と大地が生まれ、蒼き輝きを放つようになる。その中で幾多の生物達が生まれ、子を成し、そして死んでいった。
45億年、そんな歴史を鑑みれば霊長の覇者としての人間の謳歌などほんの一瞬の瞬きでしかない。昆虫や両生類、恐竜といった我こそが地上を治める覇者であると名乗りを挙げる数多の者達が現れては衰退を繰り返す地球史において、人類もまたいずれ滅びの道を歩むことなど端からわかっていたはずなのだ。
それなのに、当人達だけがそれを認めなかった。
我々は滅びない、我々の歴史は永遠であると疑わなかった。
その果てにあるのが今だ。人類は自らの犯した業の代価を地球に支払わせ、自らの滅びと共にこの母なる大地を、宇宙に二つとない蒼き惑星を、何よりも生命を拒む場所にしてしまった。
人類は滅びた。
同時に地球もまた生物が住める場所ではなくなった。
広がる鮮血の色、全てを染める紅き花。
無限の輝きを放つ太陽とは明らかに異なる毒々しい地獄の色。
いつから始まったのか。如何なる理由で咲き誇るのか。それらの答えを持つ者はいない。我々は地球を捨てたのだ、新たなる安住の地を見つけたのだ、もうこの蒼き惑星だけが我々の居場所ではないのだ、そんな言葉で認め難い現実に蓋をして、誰もが捨て去った故郷を振り返ることはしない。
だが同時にこうも考えられる。
足を踏み入れた者を等しく狂わせる紅き花、その中で生物は一切のまともな生命活動を行えず、それ故に地球は紅く染まったことを除けば人類が滅亡した在りし日の姿を保っている。まるで故郷を捨てた人類への警鐘であるかのように、人類が地球に刻んだ傷跡をそのまま残し続けている。
これらは全て、地球からの意思表示だ。
故郷を見捨てた人類への警告だ。
この惑星に二度と近付くな。
きっとそんな思いを込めた。
「ん……あれは」
長きに渡る私の倦怠は、果たして空より飛来する円盤によって覚まされた。
人類が健在であった頃なら、彼らはその飛行物体をUFOと呼ぶのだろう。
私は紅い花の中に横たえていた体を起こす。クシャリと私の背中によって潰れていた花の感触は存外に心地良く、どうにも私は相も変わらずこの花々に対して憎しみを抱いているらしい、そう再認識させられる。生物を惑わせ狂わせ昂らせるこの紅い花は、元より人間の世界に在るべきものではないから。
さて、今は西暦で言えば何年になるのだろう。
世界がこの紅い花に浸食され始めたのは西暦3000年を過ぎた頃だった。人類は地球を見捨てて宇宙へ散り、今では紅い惑星となった地球には人類の文明の痕跡が残るのみ。陸も海も全てが紅く染まり、全てを拒むかのように宇宙に燦然と輝く紅の惑星は、異世界より溢れ出した我々の戦場でしか無くなっていた。
「……本当に懲りない者達」
呆れたように独りごちる。
轟音と爆音、紅い花は皆の心だけでなく世界の垣根をも破壊せしめた。元より我々はこことは違う世界で生きるべき生物であったはずなのに、今ではかつて人間界と呼ばれた地球を我が物顔で闊歩している。人間の消えた人間界、我々が支配するこの世界こそがデジタルワールドなのだと言わんばかりに。
くだらないと思う。人と繋がらずして何がデジタルモンスター。
我々は人間、あるいは人間界との繋がり無くしては生きていけないのに。
「さて、今度はどんな命知らずの馬鹿が来たのやら……」
私は笑う。仮面の下の口の端を上げて。
紅い花々の影響で、デジタルモンスターもいつしか本来の姿を失っていた。まだ幼く脆弱な種族は花に侵されていない僅かなエリアで細々と生き長らえ、強大な者達は自らあの黒い鋼の巨人の姿を取るようになっていた。
シャウトモンX4。かつて電脳融合(デジクロス)と呼ばれたその姿を模したシャウトモンX4ブラックこそが、紅い花の影響より己が心を防護する電脳聖衣(デジクロス)。
なればこそ、この紅い惑星は黒き巨人の闊歩する異形の世界。
赤、朱、紅。
それに侵されぬものを求めて。
黒、影、闇。
皆が画一的なその姿を取り始めた。その時点で最早、デジタルモンスターに多様性など無くなっていた。だから人類が消え失せた時点できっと、デジタルモンスターという生物群もまた滅びている。そこにあるのは生に執着するあまり己すら捨てた、ただ存在するだけの群体に過ぎない。
それでも唯一、この紅い世界で自らを保ち続ける方法があるとしたら。
「……餌になるだけなのに」
人を喰う。
元より我々をこの世界と結び付けていた人類という種を食することが、唯一の手段だ。
この私のように。
人を食して尚、漆黒の姿を保ち続ける私のように。
あの円盤にやってきたのが如何なる人種なのかは知らない。だがきっと半日と経たずに乗組員は鋼の巨人の餌となるだろう。それを哀れと思いこそすれ、手出しをするつもりなど私には毛頭無い。
この惑星は人を、全ての生を拒む紅い輝きを放って宇宙に在る。かつて傷付けられた怒りからか、星そのものが誰も立ち入るなと叫んでいる。その警告を無視するなら、命知らずがどうなろうと興味はない。
起こした体を再び横たえた。もう私は戦いに興味はない、彼らは彼らで好きにやればいいと思って。
「──────」
なのに、声を聞いたのだ。
どこからか届いたそれを受けて胸に、我が身に熱が灯る。
それは何百年ぶりなのだろう。何千年ぶりだっただろう。
酷く悲しくて、それでも訴えかけるような、真に迫る声。
他の誰でもなく、ただ私だけを呼び求める愛しいその声。
私を知る者なんてもう遠い宇宙の果ての彼以外いないだ。
それを知っているのに、それをわかっているはずなのに。
「──────」
地を蹴る。
空を舞う。
花畑から大空へ飛び出せば、ああ懐かしい新宿の街並み。
何千年経とうと変わらない私の故郷が今も眼下にはある。
でもそれすらもどうでも良くて。まるで気にならなくて。
紅く染まった外堀の水面に映る赤黒い姿に吐き気がする。
違う。声の主はこんな私を求めてはいないと知っている。
それでも行かねばならない、助けねばならないとわかる。
果たしていつ以来かの情動と共に飛ぶ。私を呼ぶ声へと。
彼女の声は清爽で明瞭で切実で、何よりも愛しいもので。
青、蒼、碧。
きっと今のこの星にはもう、決して存在しない色だった。
『Death or Dominate』
────Duester.02「I`ll be back.」
『なんでアンタが生きてるの』
振り向いた先、四女のエンが立っている。
なんで立てているんだろう。片足は太腿から先が無くて脇腹も抉られて赤黒く染まっているのに。それでも顔だけは私のよく知る一番近い『妹』のそれそのまま。
その快活で整った顔が、あのドルビックモンと名乗る竜の胸から生えていたなんて私は信じたくない。
『アタシは死んだのに』
一歩。
無いはずの足を一歩進めて。
『マキもミナもサトもウラもユノも。……みんな死んだのに』
エンと私の距離が縮まる。
その燃えるように赤い瞳が、立ち竦む私の姿を映していた。
エンの瞳の中に映る私は、まるで取り巻く炎によって裁かれるのを待つ罪人のよう。朽ち果てた『妹』を前にして所在無さげに目を逸らすメイビ・カザリの姿は、惨めなぐらい普段通りの私だった。
『そうね、私も殺されたわ』
『痛かった。凄く痛かったんだよ?』
私の両腕が左右からそれぞれ握られる。
次女のミナと五女のユノだった。ミナは左腕が肩口から無くて、ユノは右腕がひしゃげて使い物にならないはずなのに、そのどちらも使えないか存在しない腕で私の両腕を取る。
『……なのに、アンタは生きてる』
ツウと。エンの指先が私の顎をなぞる。
燃える瞳のエン、火星のエン。豪放と激情の四女、誰よりも熱を持っていたはずの『妹』の指先は、まるで死体のように冷たい。
ううん、それはとっくの昔に死体となっていた。エンもミナもユノも全部死体、私に纏わり付く『姉』『妹』はもう全員あの怪物達に食われてしまったはずなんだ。彼女達はあの怪物達が本当の姿、あの黒い巨人ではない姿を取り戻す為の糧として、その体を貪り食われたことを私は既に知っている。
『どうして』
『どうして』
『どうして』
逃げたい。逃げ出したい。こんなのは全部悪夢。死んだ『姉』『妹』達のことなんて振り払って現実に戻るべきなのに。
それなのに。
『だからね、メイも……』
耳の裏に吹きかけられる甘い声。
「マ……キ」
真面目で優秀な長女。
ずっと憧れていた自慢のお『姉』ちゃん。
『……メイも一緒に逝こう?』
それだけで、その声だけで心が溶けていく。
私のすぐ後ろに立つマキは全身を咀嚼された今、首から上以外がまともに存在しないらしかった。だけど顔と声は美しいままそこに在って、それなら別にいいかと思えてしまう私がいて。
八つ子として生まれた私達、18歳になるまでお『父』さんやルナと一つの家で暮らしてきた。気付けば同じ服を着て同じ道を選んで同じ任務を与えられて。だったら他の七人が死んだ今、私が一人だけ生き残っているなんて不公平だ。『姉』『妹』の中で最も不出来な私だけが生きているなんておかしいんだ。
私達は生まれた時から一緒だったんだから。
だったら死ぬ時も、一緒でなきゃダメだよね……?
「ごめん……ね」
謝って許されないと知っていても。
それは言っておかなくちゃならないと思った。
だけどそれは何への謝罪?
一人だけ生き残ったこと?
ルナを守れなかったこと?
生き残ったのが私だから?
『メイは本当、いい子だね……』
マキの口がそんな言葉を紡ぐ。首から上だけの惨めな姿で。
ううん、きっとマキなら今私を抱き締めてくれている。たとえ胴体も手足も全てがあの巨人に嚙み砕かれてもうこの世に存在していなかったとしても、私が憧れたお『姉』ちゃんならきっとそうしてくれている。無い腕で私を抱き締めて、無い掌で私の頭を撫でてくれているはずなんだ。
カプリと。
小さく開いたマキの口が私の首筋に食い付いて。
「あうっ……」
私の視界の端、パッと鮮血が虚空に舞い散るのを見た。
不思議と痛みはない。けれどマキの歯が食い込むと同時に全身が弛緩して、私の体は地に沈む。そこで初めて私は足首付近までの水溜まりに立っていたことに気付いたけれど、その赤黒い水溜まりがなんであるかなんてどうでも良かった。
冷たい『姉』『妹』達に纏わり付かれたまま、私は膝を折って血溜まりの海へと身を沈めていく。
『あ、メイお姉ちゃんも来たんだな』
「ウラ……」
『でもまだ生きてるじゃん。……なんで?』
仰向けに倒れた私の視界。
そこには第二陣として出発し、同じように怪物どもに殺されたらしいウラ達の姿も見える。
私の大切な『姉』『妹』七人が揃って。
もう死んだ七人が私を取り囲んで。
願う。口々に。
祈る。次々に。
叫ぶ。勝手に。
『もっとおいしいものを食べたかったなぁ』
『もっと色んな惑星を見て回りたかったぜ』
『もっと別の仕事もやってみたかったわね』
『もっと強くなれると思ってたんだけどね』
『もっと皆と仲良くしておくべきだったわ』
『もっと勉強しておくべきだったかしらね』
『もっと恋とか愛とか知りたかったな、私』
やめて。
やめて。
やめて。
『『『『『『『もっともっと、生きていたかった』』』』』』』
「やめて!」
それはまるで魔女の祭典。私を贄にして開かれる復活の儀式のよう。
私を呪う。
私を壊す。
私と同じ顔が、だけど一つとして同じ損壊を見せない私の家族の残骸が。
視覚の全てを拒絶するように目を閉じ、必死に暴れても存在しない『姉』の腕が、ズタズタに裂けた『妹』の足が、私の手足を掴んで離さない。それは血の海から伸びて生者を地獄へ引き摺り込む無数の手を思わせる。びちゃびちゃと赤黒い液体が私達の手足を染めていくのがおぞましくて仕方ないのに、私以外の『姉』『妹』は誰も一切を気に留めることなく私に絡み付いてくる。
それが気持ち悪くて、でもそう思ってはいけない気もして。
「嫌だっ……放して……っ!」
『どうして?』
甘い声。
恐る恐る目を開けた先、そこには顔だけは美しく、けれど首から下がモザイクのように赤く塗り潰されている私のお『姉』ちゃんがいて。
『メイはお『姉』ちゃんの言うことが聞けないんだ?』
「……や」
カクンと。
完全に屈服した私の首が、血溜まりに沈む。
「や、だぁ……」
言葉とは対照的にもう反抗の意思なんて無い。全てが無駄だと知っている。
脱力した私の体に、七対の腕と七つの首が殺到する。
一瞬で服が剥ぎ取られ、露出した白い肌に次々と歯が突き立てられる。その度に噴水のように血が噴き出す様は自分の体とは思えない。自分の肉が、皮が、内臓が食い千切られていく様を私はただ他人事のように眺めていた。
痛みなんてない。
本当に痛みなんてない。
だけど食い尽くされる前に私は壊れる。
体が死ぬ前に心が死ぬ。
それが嫌だ。それだけが嫌だ。
だって私は死にたくない。
私以外の『姉』『妹』全員が死んだ今でも。
たとえどれだけ惨めな形でも。
私は死にたくなかったんだから。
「助け、て……」
誰に? 誰が? 誰を?
視線はただ一点。血溜まりの海の遥か上に臨む果て無き空。
もう食い散らかされた腕を伸ばしたつもりになる。
私なんかの腕じゃ届かない遥か先。
もう見えない星空の向こう側。
そこに行ってみたい、そこで生きてみたいと。
いつか、生まれた惑星でそんな風に母なる惑星を思ったはずだったんだ。
「あっ……はっ……!」
跳ね起きる。
見渡せばここは宇宙船アークの中。
体こそ起こしたものの上手く立ち上がることができなくて、就寝スペースから転がるように出てみれば、全身が噴き出した汗でぐっしょりと濡れている。長い前髪が額と頬に張り付いて、壁の姿見には幽霊のようにやつれた女の姿が映っていた。
それでも私、メイビ・カザリの内臓は勿論、食い千切られたはずの手足もキチンとそこにある。
「夢……!」
そんなことは理解していたはずなのに、今にも飛び出そうな心臓を宥めるように胸に手を当てて深呼吸。
先の光景は夢だったとしても、あのような光景を夢に見た以上は既に七人が死んでしまったことは間違いなく現実だと再認識する。それを理解した途端、割れそうだった頭からサアッと血が引いていくのがわかった。生きた心地がしないとは、まさしくこういうことを言うらしくて。
「最悪……」
そう毒づく相手もいない。末妹だったルナも死んでしまった。
あのビッグデスターズと名乗る化け物どもは、宣言通り私に手を下すこともなく去っていった。追って来れるなら来いと言わんばかりの態度だったけど、手持ちの武器の最大火力を口に叩き込んでも煙を噴かせる程度では連中を殺すことはできない。そして実際のところ、私はまだこの地球がどういう状況にあるのかも把握できていないんだ。紅い花を避けて埋立地に着陸させていたアークに戻ると、私はひとまずアークを埋立地からすぐ傍の海底深く──やっぱり海中も紅くて、生物は確認できなかった──へと移動させ、そこで休息を取っていた。
そのはずだったのに、あんな夢を見て、それだけで心が惨めに惑わされて。
『君が定時連絡を怠るとは珍しいね』
通信室に行くと『父』からのメッセージが届いていた。
相変わらずの穏やかな顔と声。こちらの状況など恐らく知りもしないのだろうけど、きっと真面目に報告したところで『父』は声音を変えることさえしないだろう。私がこの星で無様に果てて以後の連絡が途絶えたとして、あの『父』が何か感じ入るかと聞かれたら答えは否だ。
『ルナの調子はどうかな? 彼女は記憶こそマキと同じものを有しているが、事実上の初任務だ。君がサポートしてあげるといい』
そんな声がいつも以上に乾いたように感じるのは、私の気の所為?
「……ルナは死にましたよーだ……」
手早く着替えながら、私は淡々と語るメッセージ上の『父』に不貞腐れた言葉を返す。
私に責任があると思った。ルナはアークに残して私だけで調査に出ていれば、少なくともルナが死ぬことは無かったんだ。それを今更悔やんでも仕方ないと納得すべきだと言う私と、恐らく生きている限りずっと後悔し続けるだろうことを知っている私がいる。今は前を向かなければならないとわかっていても、やっぱり何故あんな選択をしたのかと私は自分を責め続ける。
『それ……と、君の調子はどうだろうか? 憧れの地球で気が逸ったとしても無茶はすべきではないよ』
おやと思った。
意外な言葉だった。普段と変わらない顔で、だけど常に内心私達を値踏みしているように思えた『父』が見せた、珍しく私を心配しているような色を持っていた。値踏みしているってことは、つまり『姉』『妹』の中で一番出来損ないだった私は最も見下されるべき存在のはずなんだけど。
少しだけ、くすぐったさがある。
『それでは以上、また連絡を取り合おう』
ブツリ。
淡白な音と共にメッセージが終了する。着替え終えた私はフゥと嘆息してモニターのスイッチを切りながら。
「お『父』さん……なんで」
彼は元々『娘』を心配するような人じゃない。
ありのままを受け入れられる人だと言えば聞こえはいいけれど、単に柔和な笑みから表情を動かすことができないだけではないかと私は思う。
だって今の地球は戦場、というより死地に等しい。実際に私の『姉』『妹』は私を残して七人全員が死に、そのスペアとして用意されたルナも同様に死んだ。私だってアークの外に出たなら一日と生き延びられる自信はない。そんな惑星に『娘』を送り込んで平静でいられるあの人は、きっとどうかしているに違いない。そう思わなければやっていられない。
「調子……」
ふと『父』の通信で出た言葉を独りごちる。
思い出すのは紅い花の上を歩く中で変調したルナの姿。あの怪物どもが他の『姉』『妹』達も紅い花の影響で壊れたと語っていた。だったら宇宙からでも地球を赤く見せるあの花々の正体はそもそも何なんだろう。キュッキュと鳴く小さな兎のような生き物も花によって巨大化していたけど、それも何か関係があるのだろうか?
私もあの花の海に沈んだ。視界が明滅して青い空さえ朱に染まった感覚、花畑の中でルナと絡み合ったあの時を思い出すと頬が熱くなる。それはきっと羞恥とか気恥ずかしさとかではなくて。
そんな自覚はないけど、私自身もおかしくなっているの?
「調べる価値、あるかな……」
奴らを全員殺すと決めたけど、今の私にその手段は無い。
だったらまずは行動だ。
手当たり次第でも思い付くことはやってみるしかないだろう。
マキ達が乗ってきたであろう宇宙船──勿論アークと同型である──もまだ発見できていない。やること自体は山積みで、その為の猶予だってたっぷりある。何せ私達は行方を晦ましたマキやウラ達の生存を信じて、彼女達を助ける為にこの星まで来たんだ。食料も日用品も半年以上はアークの中で生活できるだけの用意はある。
「痛っ……」
ズキリと。
夢の中で『姉』『妹』に食い付かれた箇所に鈍痛が走る。つまり痛むのは全身、食い千切られなかった箇所なんてない。死んだ家族が求めなかった部位なんてない。私の全身に鈍い痛みがあって、だけどそれは私が確かに今ここで生きているという証拠でもあって。
そう、ジッとしていればしばらくは生きていける。
だって私一人だ。
私以外、もう服も食事も必要とはしないんだから。
背後にジリと立つ気配を感じ、月光将軍は振り返らずとも誰かわかった。
「……どこを見ているのだ?」
「グラビモンか」
不死なる山。かつてこの列島が国と呼ばれていた頃の最高峰。
この場から見下ろす世界、雲に覆われた先まで見渡せる大地はとても素晴らしい。人類文明の名残も戻り始めた自然の息吹も、全てが幻想的で目を奪われそうになる。人間達が消えた後も幾度かの噴火を経て尚、標高3000メートル強で聳え続けるその山は、月光将軍を含めたビッグデスターズにとって自らの故郷に存在する霊山を思い起こさせた。
富士山。
不死なる山。
終わりを知らぬ山。
即ち、ムゲンマウンテン。
「郷愁よな」
「実にネオヴァンデモンらしくない感傷だ」
「……クク、違いない」
喉を鳴らして己が同志、土神将軍と正面から相対する。
ビッグデスターズの中で元の姿を取り戻すのが一番遅かったことに、月光将軍自身然したる意味を感じてはいない。餌となる小娘の到着、供給と言い換えてもいいが、それが遅れたというだけの話。あの黒き鋼の巨人、かつて自分達を下したシャウトモンなる出来損ないの姿を取らされたことは屈辱以外の何者でもなかったが、この紅い世界ではそうしなければ壊れてしまっていたのもまた事実。元よりデジタルモンスターはデジタルワールドでこそ生きる者。そのゲートが閉じられた今となっては、我らは自らの生命活動が制限される人間界であろうとここで生きていくしかないのだ。
何故なら我々は生きている。
生きているということは、生きていかねばならないということだから。
「しかしらしくないと言えば貴様もだグラビモン」
「ふむ。確かに寝首を掻くには絶好の機会であったな」
土神将軍もまた笑う。同志として存在するビッグデスターズだが、全員が再び揃った暁には世界の覇権を争うべく競い合おうという取り決めを行ったのは、果たして今から何千年前のことだったか。
ならば物憂げに黄昏れている月光将軍など、背後から一刺しにするチャンスであったろうに。
「我らが王より解き放たれて数千年、ようやく純粋に競い合う機会が来たのだ。斯様な姑息な手段で終わらす道理はあるまいよ」
「言うようになったなグラビモン。それに懐かしい名を聞いた」
王、我らが王。
気の遠くなるほど昔の話だ。バグラモンと呼ばれる魔王がいた。その出自は未だに判然としない。神や天使の堕ちたる姿であるという話があれば、異なる世界より現れたそもそもデジタルモンスターですらない生物であったという話もある。一つだけ確かなことがあるとすれば、バグラモンとは七大魔王に伍するだけの絶大な力を持ちながら何ら野心は持たず、ただ世界のどこかで漂っているだけの魔王だった。
元々ビッグデスターズとは、そんなバグラモンの端末として生み出された存在である。
それはきっと、長きに渡る遁世の中で暇を持て余した魔王の余興でしかない。バグラモンは自らの肉体を七つに分け、それが即ち後のビッグデスターズとなるデジタルモンスターである。彼らは魔王の力の一端であるが故の強さを持つものの、その時点では自らがバグラモンの端末であるという自覚は無く、それ故に横の繋がりも無いままに様々な生き方を選んでいった。
人間のパートナーとなった者。
逆に悪として人に討たれた者。
ただ闇雲に強さを振るった者。
王と同じ幽鬼の如く漂った者。
経過も顛末もそれぞれ異なっていたが、やがて皆が死に絶えたことは確かだった。ビッグデスターズの全滅に伴う形で、現世に出現したバグラモンもまたシャウトモンと呼ばれる出来損ないの手によって倒された。そしてそこには、ダークナイトモンと呼ばれる不忠者も絡んでいた。
ダークナイトモン。七つに分かたれた我らが王、ビッグデスターズの六名を除く最後の端末。
その在り様は皮肉にもバグラモンに最も近く、またシャウトモンと対を成すかのように身に纏った魔鎧は、今のこの世界を覆う赤すらも跳ね除けるであろう漆黒。なればこそ赤い世界で黒きシャウトモンX4の姿を取って生き延びてきたビッグデスターズは、むしろ皆から見て『弟』に当たるダークナイトモンに近い気質を有していたと言える。
尤も、その時点でそのような認識は無い。我らが自らを同じビッグデスターズと知覚したのは、今より4000年近く前になってから。
「あれには感謝しているのだよ私も。そのおかげで貴様達と出会い、同志であるという理解も得た」
「同感だが異論もある。我らを隷属させてあれに何のメリットがあったのか」
「あれは損得では動かぬ。あれはただ純粋な力だよ、なればこそ、あれには征服欲も支配欲もなく──」
そうして、世界を朱に染めてしまった。
そう、あれがバグラモンの端末として散った自分達を生き返らせ、ビッグデスターズの同志として出会わせてくれたことは確かな事実。その事実にこそ感謝しよう。
確かに現在の我らはあれの眷属となった。だが部下や手駒として使役されるわけでもなければ、自由意志を奪われるわけでもない。更に人と繋がる為の媒介となる小娘達を食した今、自分達は在りし日のように絶対の存在としてこの世界に君臨し、相争うことができるのだ。文句など出ようはずもない。不満などあるはずがない。
胸に浮き出た小娘の顔、あの囀る娘がルナと呼んだ小娘の顔を軽く指でなぞる。
「この惑星は血塗られた楽園だ、朱に染まればこその世界だよ」
夕闇の近い世界はあらゆるものが深紅に染まり、そこに余分など存在しない。
こうではなかった。自分達の知る人間界はきっと、こうではなかったはずなのに。
赤、紅、朱。
今はそれだけが真実であり絶対だ。デジタルモンスターとは元より血で血を洗い、互いを食い合うもの。この惑星がその真理の下に動いているのであれば、そこに平穏も美しさも必要無い。
青など要らぬ。蒼など要らぬ。碧など要らぬ。
「故に我らは心行くまで殺し合い、楽しむとしようではないか我が同志よ。この赤く彩られた世界は我らの、我らだけの戦場だよ」
「……違いない」
全ては戯れ。我らは駒ではないが故に純粋に楽しめる。
たとえこの世界が全て、あれに築かれた紛い物だったとしても。
たとえこの世界にこの先の未来や可能性が存在しないとしても。
たとえこの世界はあれにとって、箱庭でしかなかったとしても。
翌日になれば幾らか気分は良くなり、痛みも引いていた。
また同じ悪夢を見るかって恐怖はあったけれど、それでも前向きな目標が一つあるとそれだけで心持ちも違ったらしくて、ある程度の睡眠は取れたと思う。
「マキ達の捜索を続行します、以上」
事務的に『父』に向けた連絡だけ残して、私はアークを海面に浮上させる。
そこから昨日と同じ埋立地へと上陸し、アークは遠隔操作で海底に戻す。相変わらず埋立地には紅い花の群生は確認できなくて、私は周囲に気を配りつつもゆっくりと本島へ向けて歩いて行く。
昨日の巨大な兎もどき、それが現れるだけでも私にとっては驚異なんだから。
「………………」
孤独だ。昨日なら隣にルナがいたのに。
ただ気を紛らわせる為だけでも、隣に誰かいて欲しいと思う。
やがて見えてくる本島のビル群。そこへ向けて架かる大きな橋は、昨夜確認した文献の古代人曰くレインボーブリッジと呼ばれていたらしい。やはりその上にも紅い花は見えず、むしろ大量の車がひしめき合い、土に還れず残骸を遺している様はつい数年前まで文明が生きていたとさえ思える違和感。
人工物はやはり浸食されていない。確証はないけれど、やはりあの花が植物であることは確実だと思う。
「でも……」
ビル群が近付いてくる。朝日に照らされて紅い輝きを放つそこは、砕けたコンクリートの合間から無数の赤という赤が溢れ出た血の海のよう。その目が焼けるような光景を前に、私は昨日の夢を思い出して胃の中のものが迫り上がりそうだ。
それをグッと堪える。
気を強く持て。紅い花と奴らの情報を少しでも持ち帰れれば、道は開ける。
そう自分に言い聞かせて私は可能な限り紅い花を避け、ビル街まで到達する。昨日はあの巨大兎に追われて気付けば迷い込んでいた場所だ。紅い花を無造作に踏み締めてこの場所まで走ってきた。
そこでルナが変調して、奴らが現れた。
「ルナ……」
喰われた『妹』を思えばこそ胸が痛む。何度目かの後悔だってある。
それでも、進まなければ。
お台場と呼ばれた市街地。ビル群の中に紅い花畑が広がる様は異様でこそあったけど、昨日と違ってそれ自体に恐怖や不安は感じなかった。理由はどうあれ、二度目だというのが大きいんだと思う。
アスファルトと花畑の境界線。
灰色と赤色で分かたれたそこは、まるで常世と黄泉を区切る川のようで。
「……んっ」
防護マスクを着用し、可能な限り香りも匂いも取り込まないように。
跪いた私は、その紅い花の内の一本を摘まんで引き抜いてみた。
「ヒガンバナ……」
知識としては持っていた通りのそれだった。
それはきっと何の変哲も無い紅い花。アークまで持ち帰ってみないと詳しいことはわからないけど、このヒガンバナ自体には何か特別な作用や性質があるわけではないんだと思う。マジマジと上下左右から確認してみても、至って普通の多年草に見える。
そんな時。
「お、お前……なんてことを」
「えっ」
左隣から震えるような声がして。
「罰が当たるぞ! いけないんだ、いけないんだ!」
次は右。
「ヤツが怒るぞ! ヤツを怒らせたらダメなんだぞ!」
今度は後ろ。
「な、なに……?」
振り返りながら立ち上がる。
私の前方と左右、そこに初めて見る生き物がいた。
「その花に近付くな! 頭がおかしくなるぞ!」
惑星探査員として色んな星を回っていれば、植物のような体質に変化した異星人と出会うこともあった。
だけど目の前にいる三体、あるいは三匹は人間ではない。知的生命体ではないはずだ。だってそれはどう見てもキノコに見える。キノコから手足を生えたような生き物が私を取り囲んで、ジリジリと間合いを計っているかのようだった。
「喋った……」
「オマエ、ニンゲンだろ! ニンゲンがなんでこんなところにいるんだ!」
「そうだそうだ、ニンゲンは出て行け! ここは俺達の星だ!」
「オマエ達がこの星をこんなにしちゃったんだろ! この疫病神!」
身勝手なことばかり言うキノコを前に、腰のホルスターに手を掛けつつ警戒する私。
三体のキノコによって、私の退路は後方の花畑以外塞がれている。キノコ達の言葉に従うわけではないけれど、迂闊に踏み込むことは危険が伴うと知っている道を選ぶのは得策じゃないと思う。
コミュニケーションを取るしかない。元よりそのつもりでいる。
「あなた達、何なの……」
「ニンゲンと話すことなんかない! 出て行けよ!」
にべもない。だけど昨日の巨大な兎が大きくなる前のことを思うと、殺すべき怪物どもを含めて今この惑星に現生している生物達は人語を把握できるのだとわかる。あの断じてキュートではない兎も、恐らくは私やルナの言葉を理解していた。その上で紅い花の世界に踏み込み、巨大で禍々しい姿となった。
(彼らは人間がいなくなった後に移住してきたのではなく、元々地球の生物ということ──?)
そう思案する私よりずっと小柄なこのキノコ達は、相変わらず口々にニンゲンのことを罵っている。暴力に出る様子はないので私はホルスターに掛けた手を離した。
「聞こえないフリしたって無駄だぞ! ニンゲンはさっさと──」
その罵詈雑言が停止する。
それを疑問に思ってすぐ、私もその理由を理解した。
世界に影が落ちる。私の視界が影で満ちる。
「黒神様……!」
何が、神。
黒、影、闇。
昨日と全く同じようにビルに手を掛け、紅い花の世界に立つ黒い巨人が私達を見下ろしていた。
「初めて見た……ホントにあの紅い花の中で生きられるんだ」
キノコの内の一匹が感嘆の声を上げるが、巨人の視線は真っ直ぐに私へ向けられている。
「まさか死地に戻ってくるとは思わなんだぞ人の子よ。大人しく逃げていれば、もう少し長生きできたものを……」
その声は少なくともルナを喰ったネオヴァンデモンではなく。
私がロケットランチャーを口の中に叩き込んだオレーグモンでもなかった。
「……誰?」
心臓が弾む。呼吸がそれだけで荒くなる。
それを悟られぬよう私は努めて冷徹に、かつ短い単語で返した。
黒い機神の肉体が変質していく。私の言葉に応じたわけではないだろうけど、隣のキノコ達が凄いものを見たとばかりに歓喜の呻きを放っているのが癪に障った。全身から蔓を生えさせて己の身を縛り上げて変化するその姿は、私の『妹』を喰った仇でしかないのに。
「木精将軍ザミエールモン」
名乗りを上げるのは五女、ユノの顔を胸部に備えた奇怪な魔人。
全身に武器を仕込んだその姿は、ネオヴァンデモンやオレーグモンと比べれば些か小柄ではあるものの、人の身では太刀打ちできない巨躯であることは言うまでもなくて。
瞬間。
「つっ……!」
私の後方で爆発。
それは奴が背中の弓を番えた為だということを私の、人間の視覚は認識すらできない。
「うわっ!」
そしてその行為は、私のすぐ隣にいた三匹のキノコ達を手元へ吹き飛ばす為の行動であったということも。
キノコ達が軽々と宙を舞い、やがて落ちる。
赤、紅、朱。
花畑へと。彼ら自身が立ち入ってはならないと再三警告していた紅い世界へと。
「昨日の貴様の暴言、ネオヴァンデモン殿は許したが我は許さぬ。だが同時に所詮は脆弱なる人の身、我が手を下すまでもない」
木精将軍が笑う。奴はもう弓を構える気さえない。
当たり前のことだった。我が家に迷い込んだ蝿を仕留める為に重火器を持ち出す人間なんていないのと同じように、奴らにとって人間など自らの手で誅する価値さえない弱々しい生き物でしかない。
それでも逃がさないと奴は言う。
だからつまり、私を殺すのは。
「あうっ……!」
理解する前に、私の体が飛んでいた。
数メートル吹き飛んでアスファルトの上を転がる。腹にキノコの内の一匹が体当たりを見舞ってきたのだと認識した時には、もう全身をバラバラになりそうな衝撃が駆け抜けていった後だった。
「あっ……ぐっ……!」
立ち上がれない。無様に跪いたまま腹を押さえて、ただ立っているだけの木精将軍を睨むことしかできない。
その足下でこちらを振り返る三匹のキノコ達は、キノコ達の目は。
赤、紅、朱。
先と違って血のような赤に染まっていて。
「惨めに果てるがいいぞ人の子よ。貴様は我らを殺すと言ったが、人間など我らどころか成長期にすら及ばぬ存在だと知りながら死んでいけ」
奴らが昨日言っていた。あの紅い花の世界では正気を失うと、そしてあの世界で正気を保つには人間をその身に取り込めばいいのだと。
だから彼らの変質も当然。
暴力に訴える様子はなかったキノコ達は、今や私のことを獲物としか思っていなかった。
「ギギ……」
血に飢えた獣、そうとしか言えないのに口の端から漏れる呻きは機械のよう。
大きく跳躍したキノコ達の下、ただ死に物狂いで前に飛んで潜りながら地面を転がる。思わず紅い花のエリアに入ってしまい、更には先に打たれた下腹部がジンジンと痛んだけど、今の私には自分の身を案じる余裕さえ与えられない。何とか態勢を立て直した私がホルスターに手を伸ばすより早く、全く同時に元の場所に、けれど低空飛行で戻ってきたキノコ達に私は為す術無く押し倒されて。
一日ぶりに紅い海に沈む私。私の視界の両端を染める赤は、むしろ美しさすらあったけれど。
「あぐっ……!」
それに感じ入ることも私はできず。
「ひ、ぎいっ」
左の肩口にキノコの歯が突き立てられ、喉から気色の悪い嗚咽が漏れる。
昨日の夢のように痛みなんてない、なんてことはない。
服ごと左肩の肉が抉られて血煙が上がる。それだけでビクッと痙攣して弛緩する私の体、その脇腹と太腿にもう二匹のキノコが同様に喰らい付く。だけど夢と同じように痛みはあっという間に遠のいて、狭まっていく視界の中で自分の身が削られていく咀嚼音をBGMにして、私はただ空を見ていた。漠然と今日こそ自分は死ぬんだと理解してしまった。
それでも意識を手放さなかったのは、きっと視界の端に死に行く私を見下ろす仇敵と、その胸にある『妹』の顔があったからで。
「もう終わりか人の子よ。呆気ない、あまりにも呆気ない」
嘲りの声が響く。
『妹』の仇である木精将軍どころか、彼の使役した小さなキノコ達に食われて、私は死んでしまうらしかった。
「い、やだ……ぁ」
それなのに、拒絶の声が漏れる。
嫌だ。無念とか悔恨じゃなくて、ただ嫌だった。
死ぬなんて嫌だ。食われるなんて嫌だ。
脱力した右腕をどうにかしたところで、キノコ達を振り払うことなんてできないのに。
齧られた太腿はもう振り上げることすら激痛を伴うのに。
それでもどこか。
きっと自分の体のどこかが動いてくれると信じて。
「死にたく……ない……っ」
メイビ・カザリの体は、迫る死に惨めな抵抗を続けている。
「何故抗う人の子よ。元より些細な抵抗など無意味、貴様に比べればこれは潔かったぞ。紅い花に壊され、乱れながらも我が体内に取り込まれる際には泣き言一つ言わなかった。命乞いなどしなかった」
木精将軍の指がなぞる私と同じ顔は、誰のものだったっけ……?
「死とは万物に等しく訪れる。我が使役する草花も木々も、やがていずれは朽ち果てる。故に死を恐ろしいものと考え、忌避するのは人間だけよ。それでも貴様の『姉』『妹』は真っ当に死を受け入れていたというのに」
もう飛びそうな意識の中、それでもその言葉だけは違うと。
私の大切な『姉』も『妹』も、絶対に死を素直に受け入れたなんてことは無いと。
それだけは知っていた。それだけはわかっていた。
私は無様だけど、私は惨めだけど。
それでも。
家族だからわかる、家族だから知っている。
マキもミナもエンもユノもサトも、あの家で育った私の大切な家族には、きっとしたいことやりたいこと、沢山あったんだ。
未来があった。明日があったはずなんだ。
だから私だって。
私にだって。
私にだってきっとあるはずなんだ。
ううん。きっとじゃなくて。
絶対に希望(それ)はあるはずだった。
もっとおいしいものを食べたい!
もっと色んな惑星を見て回りたい!
もっと別の仕事もやってみたい!
もっと強くなりたい!
もっと家族の皆と仲良くしたい!
もっと勉強したい!
もっと恋とかしてみたい!
だから、死にたくない。
たとえ無様でも私は死にたくない。皆もきっとそうだった。
生きたい。母なる星は赤く染まってしまったけれど。
生きたい。ひとかけらでも私にその権利があるなら。
生きたい。だって私、18歳になったばかりなんだよ。
生きたい。
生きたい。
生きたい!
私はもっともっと、生きていたいんだ!
「助け、て……!」
誰を? 誰が? 誰に?
もう家族はいない。あの遠い星の家の住人は皆、いなくなってしまった。私の繋がりはあれだけだったのに、私の世界はあの古びた家だけだったのに、そこはもう伽藍洞になったパラダイス。唯一残ったあの人は、私達の『父』は助けに来てくれるはずがない。
惨めな私。可哀想な私。一人残された私。死ぬ時まで一人ぼっちで。
でも。
なんで一人?
昔から疑問だった。あの惑星で同年代の子達には誰しもにいるのに、どうして私達にはいないんだろうって。でもマキもミナもエンも他の誰も気に留めていないからそういうものなのかと納得させていた。だから当然、家の中でそれが話題に挙がることはなくて、私もいつしか忘れてそれが当たり前になっていた。最初からいないのなら自分がそうなればいいものだと自然に理解して、料理も洗濯を掃除も率先してやるようになっていた。
そう、いなくて当然。だって『父』は存在を匂わせることすらしなかった。
なのに最期、次の瞬間に消えそうな命で。
「助け、て……!」
残された生命力で私が叫んだのは。
「助けて! お『母』さん──!」
ただそれだけの言葉だった。
全身から発せられる熱は炎となり、黒鎧から噴き上がるのではないかという錯覚。
『助けて! お『母』さん──!』
誰が呼んだのか。どこから届いたのか。
そんな声を聞いた。その言葉の意味は、私にはわからなかった。
駿馬のように一昼夜駆け続けた私の身に疲労など無く、むしろ久方ぶりに味わう激情が視界をも焼く。ただ打ち捨てられた兵器の如く世界に在るだけだった私は今、ただ己の身を焦がす憤怒に支配されている。
何故なのか。それすらも私にはわからない。
「き、貴様は──!」
私の姿に目を見開くのは確かビッグデスターズの一人、木のザミエールモン。
ならば私の激情の出処は。
その木精将軍の胸部より突き出ている、緑色に染まった瞑目した少女の顔なのか。
ザミエールモンの部下だろうマッシュモン達に嬲られている同じ顔の少女なのか。
結論。
私にはどちらでも良かったのだ。
「ぎゃあああ!」
左の爪を振り払う。
何の躊躇いも無く、されど誰よりも何よりも正確に。
それで少女を嬲っていた数体のマッシュモン達は一瞬で四散した。どういうわけか私には彼奴らを肉片の一つとて残すつもりは無かったから、それは四散という表現すらも間違っている。勿論それで少女の肉体に傷を付けるような不手際は起こさず、狼藉から解放された彼女はダラリと手足から脱力して紅い花の海の中に沈んだ。
呼吸はある。だが手足から出血が激しい。
抉られた肩口は破れた服の隙間から白い肌と赤黒い肉塊のコントラスト。
それを美しいなどと思わない。自らの餌などとも思わない。
「き、貴様が何故……ここに」
背後のザミエールモンの狼狽え声などに興味は無く、私は薄っすらと開かれた少女の瞼の下。
青、蒼、碧。
ただそれだけの色を纏う瞳に、目を奪われていた。
「アシタ……?」
何故かそんな単語が浮かぶ。それはあるはずのない遠い記憶。
生まれたのは八つ子だった。その中で恐らく最も良く泣いていた三女に、他の『姉』『妹』に合わせて地球を意味するEarthを捩ったアスがいいという意見を押し切って、殆ど強引にアシタという名前を選んだ。漢字は同じなのだから構わないという思いもあったが、それ以上に名前に込めた意味を明確にしたかった。
これから生きていく中で辛いことも苦しいことも悲しいこともきっとある、だけど絶対に明日はあるんだと教えてあげたい、明日は今日よりいい日になる。だから泣かないで、どんな厳しい運命が待っていたとしても。
忘れない。忘れるはずがない。
アシタ・カザリ。
メイビ・カザリと同じ漢字の、明日 文(あした かざり)。
何故かわかる。
何故か知っている。
何故かって?
言うまでもない。
何故ならそれは、私と『彼』で考えた大切な──
恐らく失神は数分にも満たない。
「あっ……くっ」
肩と手足、そして脇腹の痛みは眠っていることすら私に許さなくて、だけど痛いということは生きているということで。
それでもこれ以上の痛みが来れば耐えられないという恐怖から恐る恐る目を開く私の視界に、あのキノコの化け物はもう存在しない。
黒、闇、影。
そこに在るのはそれだった。ルナや他の『姉』『妹』を喰った奴らとは明らかに違う、漆黒に覆われた鎧を身に纏う巨人。各所を黄金の装飾で縁取られたその姿は黒ながら邪悪なものとはとても思えず、禍々しく在りながら清爽という真逆の印象を抱く。その漆黒の巨人がこちらを見下ろしていたらしい姿勢から背後の木精将軍の方へ振り返るのが、私が晴れていく視界で最初に認識した光景だった。
「何故ここにと聞いたぞ、メイオウ!」
狼狽した木精将軍の声。
果たしてそれでこの漆黒は木精将軍にも十分脅威に値する存在だと知るのだけれど。
「メイオウ……?」
私はそれ以上に、その単語に意識を取られる。
「……さてザミエールモン、私は今から貴様を殺すのだが」
響く涼やかな女性の声音よりも、重要なのはその単語が私と同じであることで。
「な、何だと……」
メイビ・カザリ。
私の名前。
「何か言い残すことはあるか。聞く気は無いし慈悲も無いが」
三女なのに地球の名前ではなく。
遥か昔に惑星ですらなくなった星の名を与えられた私と同じ星を意味する単語。
その名前で眼前の漆黒は呼ばれた。
正体を知る。
私の前に立つ漆黒。
どこか懐かしい女性の声を持つ漆黒。
今ここで木精将軍を殺すと言い放った漆黒。
その名は。
プルートゥ
冥府の王。
Duester.01「地獄で会おうぜ、ベイビー」
Duester.02「I`ll be back.」
Duester.03「キミの瞳に乾杯」
Duester.04「May the Force be with you.」
Duester.05「子羊の悲鳴は止んだか?」
Duester.06「Remenmber I promised to kill you last? I lied.」
Duester.07「俺たちに明日はない」
Duester.08「I`m king of the world!!」
Duester.09「Elbow roket! ~ロケットパンチ!~」
Duester.FAINAL「明日は明日の風が吹く」
【解説】
・プルートモン
本作の主役デジモン。……1話に出てねーじゃねーか!
誰もがシャウトモンX4(黒)の姿を取らねば正気を保てぬ赤い世界の中、ただ超然と存在していた漆黒の神人。作中ではメイオウとか漆黒とかプルートゥとか呼ばれる。浦沢直樹が描いた漫画ではない。
ビッグデスターズを太陽系の惑星と絡めた時点で登場することは自明の理でありましたが、メイビが自身を冥王星の“冥”と定義しているため繋がりはあるものの、メイビという名前は“明日”の誤読で彼女の本名はアシタであるため既にその繋がりには歪みがある。
正体はあまりにバレバレであるが、要するにそういうことなのです。
デジモンサヴァイブ激情ルートの「サキさんを感じる……」がいなければ、コイツというか本作自体がは恐らく生まれなかった。そういう意味でも正体はバレバレ過ぎる。ありがとうアオイさん。
うそ。
初見激情ルートで寝返られた時ビビったじゃねーか! ピエモン背後からエビルデインで殺した時はむしろ笑ったけど!
・あれ
ビッグデスターズやマッシュモン達からあれとかヤツとか呼ばれるあれ。一応本作のラスボス。
バグラモンが死した後、魔王の端末であったが故に転生できずダークエリアを漂っていたビッグデスターズの六体を拾い上げて隷属させたが、その支配に洗脳や強制力はなく今は赤い地球で好きに暴れさせている。そもそも赤い地球、紅い花は数千年前に現れたコイツの所為だという話がある。
あれとかそれとかボケが始まっているのか。
・不死なる山
所謂富士山。人類が滅びた後も火山活動を継続しており、西暦2000年で言うところの静岡県東部と山梨県南部は既に溶岩と火山灰に覆われた死の大地と化している。
なんで月光将軍がそこにいたかというと、かぐや姫が月に帰った竹取物語最後の舞台だからというだけの話である。
作者のデジモン小説でお馴染みの超理論、富士山=不死なる山=死(終わり)無き山=ムゲンマウンテン。
【後書き】
なんか気付いたら自分で2話を書いておりました。
最近のデジモン(言うほど最近か?)だと、一二を争うレベルで好きな究極体であるプルートモンが本作の主役デジモンでございます。今考えるとザビケとして投げるには、1話でここまで書かなければならなかったかもしれない。
姉妹を全て殺されたメイビと宇宙船アーク、紅い花の世界で争い合うビッグデスターズ、そしてメイビをアシタと呼ぶ『父』とプルートモン。
これで本作を構成する大体の要素は出揃った形です。
あとはどうやってビッグデスターズを全員撃破するかですが、そもそもザミエールモンが次話冒頭であぼんするのか否かすら決めていないのは内緒。
2話書いてしまいましたが、これは飽く迄も案でございますので、もし1話の続きで書いてくださる方がいらっしゃいましたら、こちらの内容は無視して頂いても問題ございません。
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