あまり綺麗とは言い難い厩舎、馬と吸血鬼ヴァンデモンが並ぶその前に、男が一人座らされていた。
「あの、とりあえず叔父からはスーツ着て行ってこいとしか言われてないんですけれど……」
「そうか、採用面接だ。まずは名乗れ」
「ま、松浦流星です」
「デビューまでは時間がなかったので一人で全て仕切ったが、これからもそうはいかないことはわかっている。そこで、私とナイトロードは優秀な厩務員を求めている」
ヨシダはさらりと見栄を張った。
「え、と……僕はもう厩務員は辞めるつもりなんですけど……」
「マツウラからそれは聞いた。理由は知らんが……察しはつく、デジタルワールド由来の人工臓器か何かを使っているだろう。ドナーが見つからないまま耐用年数の限界が近づいてきて、肉体労働は控えたいというところか」
DWの金属の匂いがする。やつが気に食わんとはいえそこまでする理由もない、この話はなしだ。とヨシダはそう言った。
「……辞めた原因はいじめです」
そう言って、流星はシャツを脱いで背中を見せた。
背骨の辺りについた手術痕、そして、その周辺を中心に広がるノイズのような痣、それを見てナイトロードは思わず顔を近づけた。
うわぁ珍しい。二本足にこんな柄があるなんて初めて知ったよ。肌に斑点があるかないかぐらいだと思ってた。
ナイトロードの言葉に、ヨシダはその顔をペシペシと叩いた。
「ナイトロード、これはこの男本来の皮膚の柄ではない。脊椎損傷をクロンデジゾイドか何かで補ったか」
やはりあいつは気に食わんととヨシダは吐き捨てる。
「マツウラには相談しなかったのか。あいつの発言力ならそんなのひっくり返すのも簡単だろう」
「叔父には頼りたくなかったんです。叔父とちゃんと肩を並べて競う騎手に本当はなりたくて、でも事故で脊椎がこれになって、今のガイドラインだと飲んでる薬がドーピング扱いで、諦めて……叔父をまたがっかりさせたくなかった」
流星はこのザマですけどと笑いながら服を着直した。
「なるほど、ナイトロードが活躍すると、甥に対する偏見が払拭される。なるほどやつにも私たちの存在は都合がいいわけだ……」
軽く眉間にシワを寄せたあと、ヨシダはナイトロードを見る。
「とりあえず、私はナイトロードと少し相談する。そこで待ってろ」
はぁ……と流星が困惑していると、ヨシダはナイトロードをパドックに出し、その背に跨って行ってしまった。
「ナイトロードと相談するって……馬が喋るわけでもないのにデジモンって変なこと言うんだなぁ……」
流星は暇つぶしに厩舎の中を見ていると、少しむずむずとしてきた。
「……汚いなぁ。日光で火傷するって話だから、作業時間取れないのかな」
ナイトロードの敷き藁は、あまり代えてなさそうだし、手が足りてないのは本当らしい。
「少しぐらい掃除していくか」
そう呟くと、流星はジャケットを脱いで袖を捲った。
流星がそうして掃除を始めた時。
いいんじゃない? 僕にはよくわかんなかったけど、お仕事ができないとかじゃないからいいんじゃないかな
ナイトロードにそう言われて、ヨシダは嫌な顔をした。
「騎手を目指してたならば昼の調教も任せられる、なるべく数を雇いたくない身としては有難いが……」
なにがいやなのさ
「マツウラの読み通りになったみたいなのがな」
せこせこ気にしてるのちょっとかっこ悪いよ
「……見ろナイトロード、掃除を始めたぞ。断ろうとしていたのに骨の髄まで召使(厩務員)らしいな」
痛いところをつかれたヨシダは話題を逸らし、厩舎の掃除を始めた流星を見た。
手際は悪くなさそうだと見ながら、ヨシダはマントの下からコウモリを一匹飛ばした。
今のはなにしたの?
「道具の位置ぐらい案内せんと掃除もしにくいだろうからな」
やっぱり雇ったら? ヨシダのことは好きだけど、家が汚いの、ちょっと嫌だったんだよね
「……それは、他の厩務員でも同じことだ」
ヨシダは、そう眉間の皺を深めながら言ったあと、まぁやつは再就職も決まってるそうだしと続ける。
「働かせてくださいと頭を下げてくるなら、まぁ考えてやらんでもないがな」
ヨシダの発言に、めんどくさいなぁとナイトロードは軽く鼻を鳴らした。
馬の世話は、別に面白い事ばかりじゃない。
うんこを掃除するのは面倒だし、いつも素直に言うことを聞いてくれるわけでもない。体調管理だって馬が自分から不調を伝えてくれるわけじゃないから気をつけないといけない。
競走馬ともなればさらに大変だ。トレーニングの負荷も考えないといけないし、獣医との連携も必須。
ふと、大丈夫かなと流星は思った。ヨシダは思ったよりも優しい人の様だったが、ヨシダを避けて診てくれない獣医だっているだろう。蹄鉄だって競走馬となれば専用のものが必要な時は多いけれど、ヨシダは大丈夫なのだろうか。
飼料やビタミン剤の入手先、うんこの処分先も見つけないといけないはずだ。ヨシダは一人でやっていたと言ったが、それに加えてジョッキーとしての体調維持なども当然大きな負担になる。
さっきちらりと飼料とその管理ファイルを見たら、まぁまぁのぼったくり価格で売られたらしい伝票が挟まっていた。
人間界に不慣れで、お金がある分金銭感覚がズレているのかもしれない。
僕だったら、付き合いのあった業者に話をすれば、長く付き合いのある牧場ではないしオーナーがいつ人間界を出ていくかわからないデジモンだから前の様な値段ではないだろうけれど、それでも定価より安くはしてもらえる筈、ぼったくられていた分と合わせればかなり……
そう、自分が勤める前提で考えて、いや新しい勤め先は決まってるんだろと首を横に振る。
そして、ふと考える。
「……僕が断ったら、やってくれる人の当てってあるのかな」
パドックを見ると、ヨシダは本当にナイトロードに話しかけていて、ナイトロードはそれに相槌を打つ様に首を振ったりしていた。
ナイトロードはとても賢い馬なのだろう。競走馬の全盛期は4〜5歳。どんな名馬も10年も戦えない。
アウェーで世論に受けいられてないヨシダのところに人が集まるのには、どれだけ時間がかかるだろうか。
ヨシダが無理しても結果を出せたとして、結果が出てるから大丈夫、人手も足りてるのだろうと世の中は判断するんじゃないか? でも、結果が出せないまま求人を出しても人は集まらないんじゃないか。
レース直前とか、臨時雇いした人間がもしもナイトロードを不当に貶めようとしているやつになったらどうするんだろう。
ぼったくられてるのに気づかないのってもしかして、生き物として強すぎるから危機感が仕事してないとかもあるのかな。
流星は考えれば考えるほど、大丈夫じゃない気がしてきた。
「おい、乗る準備をしろ」
考え込んでいる流星に、そうヨシダが声をかけて来た。
「え、でも着替えとか持って……」
ナチュラルに命令されているものの、逆らう気には何故かならない。
「走らせろとは言わん。ナイトロードに軽く乗ってみろ。採用するかどうかはナイトロードが決める」
落ち着いた馬だと流星は思った。ヴァンデモンも恐れない馬だから当然といえば当然なのかもしれないが、じっとこちらを値踏みしている様にさえ思えるほどに落ち着いていた。
ナイトロード、夜の君主。厩舎に来た時には落ちかけていた日はすでに落ち切っている。
夜空と一体になった様な青毛の中でさらに深い黒の瞳が、厩舎の灯りを受けて輝いていた。
昼にこれを見た奴等はこの美しさを知らない。この馬をもっと知らしめたい。
胸の内で欲が膨らんでいくのがわかった。
鞍をつける時も大人しい、レースの最後に追い上げを見せていたあの力強さはなりを潜めている。
背に乗る、久しぶりの乗馬の感覚だった。
ほとんど馬に触らせてもらえない時間が最近は長かったけど、本当は、馬に乗るのが好きなんだってふと思った。
手綱を取り、腹を蹴る。
「もう一度、馬に関わりたいなぁ……」
思わず、口をついて出た言葉に、ナイトロードはぴたりと足を止めた。
ヨシダ、やっぱやりたいんだって。採用しようよ。
ナイトロードはそうヨシダに話しかけた。
「……ちっ、掃除もまぁそれなりにできる。雇ってやる価値はあるか」
降りろ、とヨシダは流星に手で示した。
「お前を雇うことにした。異論はあるか」
一瞬、流星の頭にすでに決まってる会社のことや何やらが浮かんだが、胸の高鳴りを抑えられるものではなかった。
「ありません!」
ヨシダは紫色の唇を少し歪ませ、微笑んだ。
「竹田さん、ちょっといいですか?」
「げぇッ……編集長」
「自分が咎められるのがよくお分かりの様でよかったです。企画段階ではここの記事はナイトロードとヨシダ騎手の記事を書くはずでしたが……何故フレアフラワーと松浦騎手の記事に?」
「JRAに問い合わせても連絡先も教えてもらえず、馴染みの関係者に片っ端から声かけても連絡先一つ知らないんですよ? そうなったら、あの日の走りと、その後の会見と……」
「で、文字を稼いでいたら、ナイトロードとヨシダ騎手の記事のはずがフレアフラワーと松浦騎手の記事になったと。よくないですねぇ……仮にヨシダ騎手にインタビューが取れなくても、松浦騎手への取材もないのはよくない。この系統ならば、松浦騎手へ取材をして松浦騎手の目から見たナイトロードとヨシダ騎手について語ってもらうというのがいいでしょう」
「あぇ……」
「ヨシダ騎手はにわかに時の人、しかしヴァンデモンへの恐怖からそもそも取材さえしてない雑誌がほとんど。取材するだけで他誌に優位が取れる楽な仕事です」
「……ッス」
竹田瑞生(タケダ ミズキ)は編集長の言葉に仕方なく頷いた。
競馬誌としての意義はよくわかる、でもそれ自体が終わりの見えたコンテンツに瑞生は思えてやる気がなかった。
競馬の絵面はデジモンのレースに比べて地味だ。
目を引くには派手さがいる、ジェット付けてレースしてるやつとか燃えながら走るやつがいるのに、どうして馬に人が乗ってるだけのやつがエンタメとして勝負になるのか。
とりあえず松浦に取材をするかと、瑞生は電話をかけた。
その三日後、何故か瑞生の前には松浦ではなくヨシダが席に座っていた。
「ほ、本日は取材を受けてくださりありがとうございます」
松浦は、ヨシダのことなら本人に聞けよとヨシダを瑞生に紹介した。
「例ならマツウラに言え。下手なゴシップ誌なら私は受けんと突っぱねたら、自分が無名の頃にこの雑誌の現編集長に丁寧に取材してもらったから、この雑誌は大丈夫だと言ったのはやつだ」
それだけではないが、とヨシダは内心思ったがそれは飲み込んだ。
メディアとの関係はナイトロードの人気稼ぎに大きく関係する。ただただ流される様に全部受けるのは論外。
しかし、ヨシダにその類の対策をする余裕はない。
DWでは力が正義だ、適当に襲いくる力自慢達を適当にボコっておけばその力は知れ渡り、縋ろうと弱者が集まり、城も建てば財産も積み上がる。弱者が集まった時の自分の評判が望むものではなかったら、適当なものに言って操作させれば良かった。
でも人間界では暴力はネガティブな意味合いが強く、築き上げた名声も畏怖もない。
一人、懇意の記者を作っておけばその記者を通じて色々とわかることもある。イメージ戦略や、競馬以外の対応を任せるに足る門番にどんな人間が必要かがわかってくる。
「へへ、ありがとうございます」
怖いのに愛想笑いしてるのが丸わかりの瑞生に、ヨシダはこいつでよかったのかと一瞬後悔した。
飾りっ気がなく素朴な味わいの血は飲めそうだが、記者としてどうかという点には疑問が残る。
「……先に、記事の主旨を聞きたいのだが。ナイトロードの記事か? それとも私の記事か?」
現状、話題性があるのはナイトロードよりもヨシダだ。
デジモンの騎手、ほぼワンオペ競馬、ベテラン騎手松浦との関係性、人間が取り締まれないとされる完全体以上のデジモンであること、どこを取っても話題にはなる。
とにかく話題になる様なことを優先するならば、JRAや松浦との関係を中心に来るだろうとヨシダは考えていた。もしそうならば、取材拒否も考える。
一方で、目の前の怯え様だと無難に騎手としての当たり障りない質問とナイトロードの話で来るだろうとも思っていた。
「あ、えと……じゃあ、ぶっちゃけた話なんですけれど、ヨシダさんは、競馬って面白いと思いますか?」
「面白いと思ってなければ、わざわざ人間界まで来ていないが……面白いと思わないのか?」
「面白いとは思いますが、色んなデジモン達の走るレースとかも最近はあるじゃないですか。そういうのと比べると、派手さもないし面白くないのかなって……」
「……あぁ、アレか。アレは面白いかもしれんがショーだ。競技ではない」
「競技ではない? とは」
「そうだな、例えば、競馬の最大出走数と同じ十八種のデジモンがいたとしよう。全員が同じ様に真剣に速さを追い求め真摯にトレーニングを積んできたとする。するとその勝敗はどうなると思う?」
「……どうなるって、その時々の条件とか実力で左右されるんじゃないですか?」
競馬もそうでしょうと瑞生は口に出す。
「いや、種族の差は一般に個体差より大きい。種族内で速い個体よりもより速い種族に産まれた凡才が勝つ。飛行機とバイクと自転車がレースする様なものだ。どれほど優れた最新鋭の自転車も型落ちのセスナ機に抜かされる」
「でも、だったら同じ種のデジモン同士のレースもその内に出てくるかもしれない、気も……」
「かもしれないが、デジモンのレースでは私と人間が競えない」
ヨシダはそれがつまらないと言った。
「身体を動かすことが私は好きだ、誰かと競うことも好きだ。だが、デジモンにおいて対等な競争は幼いデジモンの特権。完全体までなれば種と呼べる存在はなく、いても関わりを持つことすら難しい。私はヴァンデモンだからではなく私だからで勝敗が決まる世界で闘える方法を望んでいた」
「それが……競馬であると?」
「そうだ。競馬の主体は馬だ。ヴァンデモンと人間の種族差よりも馬の差が大きく出る。私の種族から来る特性は大して作用しない、馬は私と同じ様な長寿でなく、かけられる時間も大差ない。それが面白い」
「……なるほど」
少し、瑞生はヨシダを怖いと思わなくなる自分に気づいた。詰まるところ彼は、競技者のメンタルなのにDWでは競技者としていられなかったのだ。
強い種だから強い、勝っても勝った気にならないだろうし、負けても悔しいとも思えない。確かめるだけの競技は虚しいものだっただろう。
「だが、今のは貴様がデジモンのレースなんて話を出したからだ。それは競技者の目から見た他にない魅力であって、全てでもなければ主要なものでもない。『ただトラックを馬に走らせる』、それだけの為に全てがある。走る時間は一瞬だ。その一瞬の中で駆け引きがあり、戦略がある。それが美しい、そもそも……」
ヨシダの語りに耳を傾けながら、瑞生はさっき誤魔化した記事の趣旨を改めて考える。
デジモンレースに関してのその視点は正直面白い。競馬の未来、競馬にしかない魅力についてとでも銘打てばまぁ成立するだろう。
でもそれは、誠実な記者とは言い難い。ヨシダが主役ではなくなる。
ふと、だから編集長は世間一般に終わって思える競馬の雑誌にこだわるのかと気づかされた。
「では、あの、改めて取材の趣旨なんですが、新人騎手のヨシダさんの今後の目標や意気込みを聞かせてもらえたらと思います。」
面白いと思ったからだ。競馬誌なのは不本意だったが、そもそも瑞生もそう思って記者になったんだった。
デジモンが人間界にいることは制限もある、苦労もある、それでもなお競いたい。その面白さを伝えたい。
「……ふむ、あまりキャッチーな記事には思えないが」
「そういうのはうちがやることじゃないです。うちの雑誌を読むのは、競馬が好きな人達です。ヨシダさんについてもゴシップよりも騎手として将来有望かどうか、馬との向き合い方は、そんな話が知りたい筈ですし……私も、話を聞いてそれが聞きたくなってきました」
それは、予想通りの無難な質問と言えば無難な質問だったが、最初とは瑞生の表情が違った。そこに怯えはもうなく、好奇心がギラギラと光っていた。
「……不満がある」
そう言いながら、ヨシダはにやりと笑った。
「え?」
「将来有望な騎手という表現だ。初戦はビギナーズラックだなんだと思われてるのだとすれば心外だ。ナイトロードと私はこれからも勝ち続ける」
そう言って、ヨシダはとんと自分の胸を親指で指した。
「吸血鬼がブラッドスポーツで負けるわけがない」
瑞生は、これを記事の見出しに使おうと決めた。
あとがき
ヨシダ分が増えてナイトロードくん分が深刻に不足しているへりこ版の『続き』、三話目です。
次話冒頭でサクッともう一人ぐらい、今度はDWから来たスタッフを増やして、レースの話に持っていければなぁと思います。