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デジモンが理不尽に暴力を振るわれたり、殺生されるシーンがあります。
◇
やつが現れるのは、深夜を回った頃だ。
カーテンをしめ。布団を頭までかぶり。イヤホンを付け、テレビをつけて誤魔化しても。
やつは窓の外から見える電柱にカラスのようにとまって、じっとカーテン越しに視線を突き刺してくる。
そして。
『いつまで、いつまで』
ああ、今夜も眠れない。
だれか、たすけてくれ。
◇
妻を殺してしまった。
普段から夫婦仲は良くはなかった方だ。
今日の喧嘩も、過去に自分の言っていない事を「言った」と強く主張される……言った言っていないの、いつもの言い合いだった。
だが、今日は自分の虫の居所が悪かった自覚があった。
握りしめた拳が妻の顔を歪め、にぶい音と共に体重が後ろへと傾く。
まるでスローモーション。
「あっ」と悲鳴をあげながら、ゆっくり倒れていく妻の後頭部のその先に。
テーブルの角があって。
それで……。
開ききった黒目が虚しく自分を見つめている。
何度か肩を掴み揺さぶるが、力なくくにゃくにゃと首が揺れるばかり。
心做しか、肌がひんやりとして来ている。
妻を殺してしまった。
現実味のない現実に、自分の頭の後ろから事件の状況を眺めているような感覚だった。
「きゅぅん?きゅぅ〜ん」
ふと意識が一人称に引き戻される。
妻のデジモンのシャオモンが、足元にまとわりついて妙に甲高い甘えた声を上げている。
……数年前に、妻が連れてきた野良デジモンだ。
進化する予兆もなく、永遠に可愛らしい子犬のような姿だからか、妻が可愛がっていた。
あんまりデジモンが好きじゃない身からすれば、妻が死んだ今、こいつは自分に必要ない存在だ。
邪魔者でしかない。
一人称に引き戻された意識から、行動を起こすのは必然だった。
事切れた妻を布団で包み、重たくなった器を車に運んだ。
無理をしてシャッター付きの車庫を建てておいてよかった。
建ててから数十年間、散々妻に無駄遣いだと罵られた車庫がこんな所で役立つなんて。
不謹慎ながらそう思いつつ、ねじ込むようにトランクにスコップと肉塊を詰めた。
ついてきた先の車庫の周りで、ちょこちょこ跳ね回り鳴くシャオモンがうるさかったが、1回ぶつと恐怖からか静かになった。
壁にかけてあったビニール袋にそいつを詰め込み、助手席の足元に投げ入れてエンジンを踏んだ。
それからはよくある話だ。
人気のない山に向かい、真っ暗闇の中で、ひたすらに土を掘り、穴に埋めた。
相当山奥だ。
見つかることは無いはずだ。
肉塊の服を剥ぎ取り、深く掘った穴に押し込んだ。
ついでに目撃者なりうる訳では無いが、シャオモンももう要らないのでスコップで何度か殴ったら、すぐに動かなくなった。
そのままデリートした残骸も穴に捨て、土を被せた。
目標を成し遂げ、顔を上げる。
青臭さと埃っぽさが混じる、湿った土の臭いが、冷たい空気に溶けて鼻をつく。
ふとその時、木々の影にふ、と白い影を見たような気がして、すうっと背筋が凍るような感覚が走る。
妻の幽霊か、と有り得ないことを考えた私は更に恐ろしくなり、息を殺すようにして車へと乗り込んだ。
◇
それからというものだ。
布団に入る12時をすぎた頃にそれは起こり始めた。
自室のベランダ窓の透かしカーテンの向こう。
月の光で電線と電柱の影が見えるのだが、その夜から逆行で人影が見えるのだ。
肩に1羽の鳥を乗せた、背中から翼を生やしたようなその人影が視線をこちらに向けているのは、カーテン越しでもわかる。
そして、囁くのだ。
『いつまで、いつまで……』
ただそれだけ。
その言葉を繰り返し囁き続けている。
囁くようなか細い声にもかかわらず、頭に直接届いたようにその声は反響し、眠りかけた意識をじわじわ引き戻していく。
そして気がつけば朝になっている。
朝日が昇れば姿を消すのだ。
妻を埋めた日の翌日から現れ出したそれに、数日の間に精神をじわじわ追い詰め始める。
ついに5日経ったあたりかで「うるさい、警察に連絡するぞ」と叫んでカーテンを開けたのだが、その先には誰もおらず。
その夜はそれきり姿を見せなかったが、やはり翌日には再びその姿を現して、『いつまで、いつまで』と囁き続けるのだ。
夜も眠れないため、仕事に支障が出始め、精神的にも更に追い詰められ始めた。
職場に『夜に出てくる怪異のせいで眠れません』だなんて言っても信じて貰えないのが目に見えている。
市販の睡眠薬を服用しても、声は眠りの淵から意識を無理やり引き揚げて眠ることさえ許さない。
『いつまで、いつまで』
3週間経った。
今夜も囁き続ける声に、耳を枕で押さえていたが、限界を迎えて叫んだ。
「一体何がいつまでなんだ!なんなんだよお前!いい加減にしろ!鳥野郎が!」
罵声にしん、と静まり返る空間。
囁き声が止んだのを確認し、顔を上げてカーテンへと視線をやった。
それに、心底後悔した。
それは、カーテンのすぐ向こう。
ベランダに立っていた。
そして再び『いつまで、いつまで、いつまで……』と壊れたテープのように繰り返し始め、それ以降そこで囁き始めるようになったのだ。
◇
砂利の敷きつめられた小さな駐車場に車を停め、重たいまぶたをどうにか開いて石造りの鳥居を見あげる。
行先は職場の友人が、今の自分の状況に只事ではないと言って紹介してくれた神社だ。
まさか3県跨ぐとは思っていなかったが……
スピリチュアルは信じていないが、怪異に悩まされる身としては藁にもすがる思いだ。
そこは確かに小さい神社だが、今話題のパワースポットらしい。
「こんにちは〜、ご参拝ですか」
短い参道を歩いていると、随分朗らかそうな神主が竹箒で清掃をしているところだった。
清廉とした空気に、優しそうな神主。
お祓いをしたら効果抜群そうだ。
「あ、あの……」
「お帰りください!」
声を発する前に、突然目の前に巨大なデジモンが立ちはだかった。
「お帰りください!いや、帰れ!帰れッ!」
見た目からしていかついデジモンが、参拝客に向けて声を荒らげた事に、びっくりして声も出なかった。
しかし警戒するような排他的な態度に感情が突沸した。
それ以上に大きな声を出して相手を罵倒する。
デジモンはそれに怯むことなく、射殺さんばかりの鋭い視線をむけてきた。
「おい!どしたん、ちょっと!」
「いいからっ!お前は社務所に入っていろ!お前は疾く立ち去れ!早く!去ね!ここに入ってくるなッ!」
ついに塩を撒き始めたデジモンに、我慢ならず、逆に参道の玉砂利を投げつける。言われるとおり、そのまま燈籠に蹴りを入れながら「クソ神社」と罵倒して神社を後にした。
とんだハズレ神社だ。がっかりした。
………………
「おいスサノオモン!お前参拝客に対してなんだあの態度!失礼にも程があるだろ!」
「あんなんウチに擦り付けられても困るわ!ありゃ別管轄、手を出さないのが吉だよ!気づかんかったん?!」
「いや気づかんかったが……」
「ざぁこざぁこザコ神主♡ボンクラ♡零感♡ご利益スカスカ♡」
「うるせーっ!」
◇
1社目はとんだハズレだったが、次はクチコミで人気のある神社へ向かった。
一定間に鳥居が跨る長い石段の道中、端に無数の陶器製の狐の置物や小さな鳥居が乱立した不気味な雰囲気。
多少来たのを後悔したが、怪異から離れられるのならもうなんでもいい。
石段を登りきった先の社に参拝していると、社務所から緋袴をはいた巫女とクズハモンが顔をのぞかせた。
「あ、あの……。こんにちは、お祓いを」
「あーあーもうダメだねこりゃ」
半笑いで放たれた出会い頭の一言に、凍りつく。
「いや……wwwお客さん、あなたお祓いって言ったってもう無理ですよwwwウチはもう何も出来ません、祇園社にも断られたんなら諦めてくださーいwww精々やらかしたことを省みてくださいにゃ〜」
「ンン〜ッ!芳しい呪いの臭いッ!いやはら何をしたらそうなるんだかwww神域で殺生でも致しましたかな?wwwンンンン〜えんがちょでございますなあwwwwワタクシ退散退散、コヤンコヤン」
嘲笑混じりに矢継ぎ早。
言葉をかける隙もなく2人はこちらにむけて塩と酒を撒くと、御札を戸に貼り社務所へ戻ってしまった。
ガチャリと鍵をかける音を盛大に鳴らして。
2社目すらこの対応。怒りを通り越してもはや恐怖を感じ始めていた。
そして、ふたりが放ったまるで「自分が隠している罪」を知っているかのような言葉に、心臓が不自然なくらいに早鐘を打ち始める。
『いつまで』
夜にしか鳴かぬ声が頭に響く。
ああ、そうだったのか。
そういうわけか。
その言葉の意味を理解し、自失呆然として車に乗り込んだ。
次に行く先は決まった。
◇
湿った土を掘り返す度に、有象無象の小蟲が慌てて湧き出て靴横を掠めていく。
土跳ねが顔や服に当たるのも気にせずに、ひたすらスコップでそこを掘り返していく。
かつん、と硬いものが当たった感覚に、ようやく肩の荷がおりたような安堵感で満たされる。
蟲達にすっかり肉を食い尽くされた妻は赤茶けた骨だけになっていた。
『いつまで、いつまで』
未だに頭に響く声はつまり、"いつまで"妻を殺した罪を認めない、と言っていたわけだ。
もう仕事もクビになり、行くあても無い。巫女の言葉もチクチク刺さる。
これを持って出頭しよう。
ようやく馬鹿げた怪異からも開放される、と思っていたのだ。
「きゅぅん、きゅう〜ん」
妙に甲高い甘えた声が山の湿気た空気に響く。
さぁ、と背筋が冷え、思わず顔を上げる。
霧がかる向こうに、小さな仔犬のような影が見えた。
シャオモンだ。
スコップで殴って殺したはずの。
パタパタと嬉しそうにしっぽを振り、こちらを見つめていた。
「ぱぱぁ!ぱぱぁ!おかえぃなしゃぁ!」
初めて口を聞いたシャオモンははしゃぐ声音でころころと笑う。
「しゃぉねえ!ぱぁぱにこちゅんしゃれていちゃかったけぉね!いつまぇしゃぁとやまいぬしゃぁがねぇ、しゃぉいいこいいこしてくぇたんだぁ!」
血の気が引いていく感覚をリアルタイムで体感している中で、シャオモンの舌足らずな言葉がぐらぐらと耳に響く。
あの時デリートしたはず、体が崩壊するのを見届けた。でもなぜ。
『いつまぇしゃぁ』と『やまいぬしゃぁ』なるものが、このシャオモンの身に何かをして、その起こった過程を知ったというのだろうか。
その考えに至った瞬間、土に濡れたスコップを再び握りしめてシャオモンへと歩み寄る。
「れねー!ぱぁぱ!しゃぉねぇ!やまいぬしゃぁのとこにおちゅとぇ……?すゆことになったのぉ!やかやね!ぱぁぱにいぃたかったの!そしたゃね!いちゅまぇしゃぁがぱぁぱをよぃにいったのぉ!」
振り上げたスコップに激しい衝撃に、手が痺れて思わずスコップから手を離す。
後ろを振り向くと、木の影に白い影がひとり。
あいつだ。
ここまで追ってきた怪異に、膝から崩れ落ちる。
濡れた枯葉がズボンを湿らせ不快感を更に増幅させていく。
「……いったいなんなんだ、今から妻を殺したと自首するつもりなのに、いったい、なんなんだ……」
『……ここまで来て、その意味を察せないのであればもう私の声は意味を成さない』
鳥人間から、『いつまで』以外の言葉が初めて放たれる。
カーテン越しに見ていた鳥人間は、闇にぼんやりと光る美しい姿をしていた。
この鳥人間には、見覚えがあった。
"ヴァルキリモン"だ。
一度だけ見たことがある。
会社の要人が無くなった際に、火葬場で。
多分葬儀会社かその火葬場に勤めていたのだろう。職員の隣で故人の死を共に悼んでいた姿を覚えている。
『お前がここで殺生をした事を、私はずっと咎めていた。……別に人間の殺生などどうでもよいことだ。血の穢れを持ち込んだ事は罪であるが』
淡々と話すヴァルキリモンの足元に、駆け寄ったシャオモンが体を擦り寄せると、そのまま小さな体を抱き上げられ、頭を撫でられる。
『この神域で、"我ら"に手をかけたということがお前の罪だ』
その言葉に、ようやく『いつまで』の意味を理解する。
「まさか、そいつをデリートしたのが……」
『そうだ。罪をようやく理解した今、お前は罪人として"ヤマイヌ"の天秤の片方に掛けられた。己が罪の重さを骨の髄まで噛み締めさせる』
ザワザワと木々が音を立てて揺らめき、妙に生温い風が身体全体を撫でていく。
背中に感じた視線に振り向くと、闇に解けたその先に石段と古びた鳥居がある事に気づく。
いつの間に現れたそこから、人影が下りて来るのが見える。
いや、人ではない。
立った耳に、大きな翼。
『私はここに連れてくるのが仕事。後は"ヤマイヌ"がお前を裁く。嘘を申せば……分かるな?』
顔の真横で、ヴァルキリモンが囁く。
石段から降りてきた巨大な影が、目の前に立ち塞がる。
凄まじい威圧感を纏うそれが、口を開いた。
『浄玻璃の前に立ったものと思え』
◇
もしもしー?ウチウチ、葛葉稲荷の信太森ー。元気?
この前ヤバいやつ来てたでしょ?
……うんうん。えーっマジでやっぱり来てた!
んーそーそぉ、ヤバい呪詛かかってたオッサンねー!
アレアタシが見たとこでも人殺し以外にもデジモン殺ししてたよね?
ヤバいとこでさあー
クズハモンも流石に引き攣った顔してたもん、マジでヤバイよね
多分あのオッサンさあ、『三ツ犬山』でデジモン殺したよね?
ほらあそこ、『山犬神社』あるとこ?
あそこヤバいって有名じゃん、御祭神がさー知らない?『閻魔犬様』、アヌビモン祀ってんの。
デジモンの延命とか無病息災を銘打ってるけど、あの辺でデジモン殺ししたら御祭神が直々に裁きに来るって話あるよ?
隣山の白鳥山の神様、なんだっけな『以津真天様』と手組んでやってくるって話もあるし。あそこも似たような神様だからねえ。
多分あのオッサン目付けられてたんだよー。昔話もバカに出来ないねえ。
スサノオモンくんがそういったのも賢明な判断でしょ、冥府でも主が違えばやり方も違うって言うじゃん。よそのやり方には口出せないって。
まあ仕方ないよねえ、オッサンもう助かってないだろうし。大体デジモン殺すのが悪いし。
……落ち込むなよ〜神の怒りに触れたならもう手出しできねェじゃぁん。
ん、んー。まあスサノオモンくんに感謝しとけよなー。ラーメン連れてってやれよー?
ん。ん。わかったわー。
また遊びに行くわー。
気ィつけてねーじゃあねーバイバーイ。