※椿屋四重奏「恋わずらい」を題材に書きましたカノンとベルゼブモンの短編です。
◆ ◆ ◆
──燃えるような夕暮れが、白い肌を紅に染めている。
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茜と褐色が滲んだ空。
鈍く光る太陽が、廃墟の廊下に一人の男の影を伸ばす。
影に紛れそうな黒いライダースジャケットを揺らし、男は真っ直ぐにある部屋へと向かう。
仮面から覗く赤い瞳は一度だけ空を見上げ、すぐ廊下へと戻される。静寂に瓦礫を踏む音を響かせながら──ベルゼブモンは、錆び付いた扉に手をかけた。
ぎい、と蝶番が歪に鳴く。
少し遅れて、鈴鳴りの声が男を迎えた。
熱がこもる部屋。窓際のソファに座る一人の少女。
子供と呼ぶには成熟した、けれど大人と呼ぶには少しだけ幼いセーラー服の女学生。ベルゼブモンのパートナーである彼女は、安全を確保できたこの部屋で、男が見回りを終えるのを待っていた。
ベルゼブモンは、廃墟には誰もいなかった事を少女に告げた。暫くの滞在は問題ないであろう事も。必要な言葉だけを告げる短い報告に、少女はありがとうと言って微笑む。
会話はそこで止まった。とは言え決して気まずいものではなく、口数の少ない二人にとってはよくある光景である。普段であればそのまま男が少女の隣に座り、銃の手入れ等を始めるのだが──今は、何故だかそのまま立ち尽くしていた。
どうしたの、と鈴鳴りの声。
ベルゼブモンは答えず、口籠る。
男に向けられた目線。琥珀と金色に彩られた瞳。
透けるような白い肌は差し込む夕陽で僅かに赤らみ、逆光は少女の黒髪を艷やかに照らしている。
茜さすモノクロームの情景。
その美しさに、思わず目を奪われただけの事。それを言葉にできず、伝えられないだけの事だった。
そんな男の、突然立ち止まっては自分を見つめてくる行動は少女にとって珍しくはなく──けれど理由を知る事は無かった。敢えて訊く事もしない。
何事もなかったかのように、少女は小さく手招きをする。隣に来て座るようにと。男は言われた通り側まで来たが、ソファには座らず床に片膝を付いた。
少女はまた、どうしたのと訊く。鈴の音の様な声で、薄桃色の唇を開いて。
男はまた、答えなかった。
ただ──少女の仕草、ひとつひとつに。形容し難い感情が生まれては、胸の中で溜まっていくのを感じていた。
溜まり澱んでいく靄のような感情。この感情の名前を男は知らない。
いつからか抱くようになり、いつからか自覚してしまった何か。非力で儚い少女を守らなければという庇護欲と、失いたくないという恐怖に加え──新たに生まれてしまった何か。
こんなものを表に出せば忌避されてしまうだろうか。怖がらせてしまうだろうか。……などと思考する数秒。無意識のうちに、自身の指先が少女に向けられていた事を自覚する。
慌てて下ろそうとしたベルゼブモンの黒い手に、白く細い指先がそっと触れた。少女はそのまま男の手を引くと、白く柔らかな頬に、男の大きな掌を当てる。
光に溶け入りそうな微笑みに、男は時間が止まったような錯覚を抱いた。
それから、喉元から溢れそうになる靄を押し殺し──触れ合う温もりから意識を遠ざけ、平静を装った。
……ああ、やはり、やはり澱む。胸の奥に溜まっていく。
斜陽の影のような黒い靄。呼び方を知らない感情。理性と本能が拮抗する、同族への捕食願望とは異なった衝動。
これを抱く対象が、果たして同族であれば良かったのか。それとも電脳生命体として抱く事自体が異端なのか。
自分が抱くから、こんなにも澱んでいるのか。──身を委ねたらどう成るのか。
分からない。誰も答えを教えてくれない。かと言って自分で導く事も、誰かに、ましてや少女に尋ねる事などできはしない。
自分に赦されるのは、このあまりに煩わしい感情をただ、押し殺す事だけなのだろう。
ベルゼブモンは少女の頬からそっと手を離すと、小さく微笑んでみせた。
それから隣に座り、いつものように銃の手入れを始めていく。少女は柔らかな眼差しで、男の習慣を飽きもせず見守っていた。
誰もいない廃屋。熱のこもるコンクリートの部屋。
静かに流れていく穏やかな時間の中で、時折少女の顔を覗きながら──ベルゼブモンは願う。
為す術のないこの澱みを、どうか知られてしまう事がないようにと。
◆
──燃えるような夕暮れが、白い肌を紅に染めている。
【 終 】
あとがき
フォロワーさんが推してくれた二人のイメージ曲をテーマに書きたくなっただけの超短編。
いちばん短いかもしれないです。無理に長くする事もなかったので。
ちなみにエンプレ正史ではない。筈。念の為。サロンなので全年齢版です。
Pixivの方には年齢制限版を投稿したので覚悟がおありの方は【こちら】からお進みください。
古の手作りホームページのように。1ページ目は大丈夫です。
心理描写はベルゼブモンがメイン。
どちらもなるべく台詞を少なめに、直球な単語でなく比喩多めを意識して書きました。
ありがとうございました!
エンダアアアアアアアアアアイヤアアアアエエエエエ。夏P(ナッピー)です。
初っ端から子供と呼ぶには成熟したという凶悪な一文によってもう一度エンダアアアアア不可避。夕暮れの廃墟、他に動くものはない静寂の世界、何も起きないはずもなく……エンダアアアアア。なんとなくカノンちゃんのセーラー服って常に黒とか赤で薄汚れていたイメージだったので、挿絵含めてめっちゃ綺麗で俺歓喜。太陽といえば琥珀色でございましたが、よく考えたらこっからの情景描写がほぼ「俺の見てる女めっちゃ美人んんんんんんん」と言わんばかりのベルゼブモン視点で駄目だった。エンプレで“澱み”と言われるとオアーまた何かヤバいことが起きるぞッピと警戒するものであったはずなのに、今回ばかりはその溜まり澱み始めた感情は決してそんな歪み切ったものではなかったのですな。
そしたら直後に「いつからか抱くようになり、いつからか自覚してしまった」と来た為、き、KISS☆SUMMER! 貴様ァ! 既に貴様らァ! 既にエンダアアアアア! と戦慄して強奪したベヒーモスを駆って廃墟に乱入してゆびをふるまでありましたが、数秒後に「抱(いだ)く」だと気付いて己を恥じた。CERO A! CERO A! 覚悟オオオオ!
とか言ってたら、段々と「いややっぱりヤバいんではその澱み」となってくるのにゾクゾクする。仄暗い欲望というか、単純なそーいうことではなくふとした拍子に狂いそうになる欲望というか。ベルゼブモンある意味いつもと違った感じで怖ェーッ!
え? 全年齢?
………………
………………
いやだったら最後の一文は何だよ!?
(冒頭と全く同じってことは、つまりむしろ何かしらあったってことだよなぁ!?)
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。
こんにちは、快晴です。
『斜陽』、サロン版ではない方も含め、拝読させてもらったのですが……どちらのバージョンでもベルゼブモンさんとカノンさんの関係性が余すこと無く美しく描写されており、こちらも感想をお伝えせねばあまりにも無作法とキーボードを叩いている次第であります。
拙いものではありますが、どうかご容赦下さい。
モノクロームの2人に射す、紅の色。個人的に紅(というか、厳密には赤色全般になってしまいますが)は「血の通った色」という印象が強く、あの血液すらも毒の黒色に染まりきっていたベルゼブモンさんの事を思うと(こちらのお話正史ではないとの事ですが)、2人の世界にこの紅の色が入り込んでいるという光景には、えもいわれぬ情緒を感じます。
物語としては、ベルゼブモンさんが「紅のさした」カノンさんに見惚れ、しかしその美しさを言語化する事も、ましてや行動に移す事も出来ず、澱として内に仕舞い込まれて静かに陽が傾いていく……と、纏めてしまうとそれだけである筈なのに、何故こうも、瞼の裏に情景がありありと浮かぶような、それでいて品があり、美しい文章を紡ぐことが出来るのでしょう。
リンク先の概要説明欄で食欲と紙一重と触れられている感情を、暴食の魔王が内に仕舞い込む……触れ合いを許容し合う事も愛ではあるけれど、相手を臆病な程に思いやるという行為も、また愛。
全年齢版との事ですが、こちらはこちらで誠に深い愛の物語。組実(くみ)様の静かでありながら鮮やかな文体で、たっぷりと堪能させていただきました。
……先にお伝えした通り、リンク先の方も拝見しました。
ここはデジモン創作サロンではありますが、これだけは。これだけは言わせて下さい。
Thank you so much…….
紅が染める白い肌の違い、本当に、本当に最高でした……。
短いものではありますが、こちらを感想とさせていただきます。
素敵な作品を、ありがとうございました。