Episode.6 "譲れない怒り、殺したい相手"
出鼻を挫かれた。
建物の周囲を見張らせていたアハトから警戒信号が鈴音に届いたのが三十秒前。戦闘体勢を整えて出口を出た瞬間に戦端を切ろうとしたしたところで、その出口を不意に落下してきた巨大な鉄球に塞がれた。
鉄球という攻撃手段で連想するのは、渡の契約相手たるカイン。そして、そのカインと酷似した姿のデクス。だが建物出口を塞ぐほどの鉄球を吐き出したところは見たことがない。
「してやられた」
だが気に掛けるべきは巨大な鉄球の正体ではなくその用途だろう。連発できるかは分からないが、あれを建物ごと自分たちを圧し潰すのではなく出口を塞ぐことに使った。ただの殺戮機械や意思のない走狗とは違う、明確な目的を持った理性的な行動。いったい何者が何の目的のためにこんな真似をしているのか。
「これは……足止めかな」
「何のためにですか」
行動の裏にある目的で考えられるのは自分達が渡達と合流することの妨害。自分達が渡達と固まるのが不都合だと思って手を打ったものがいる。そいつに――デクスかどうかは別として――巨大な鉄球を武器とするモンスターがついている。
「それはもう……きな臭い話のためだろうね」
この過程が正しければ今最も危ないのは渡達。自分達が合流するより早く彼らと接触して何かをしでかそうとしている。こういうときの嫌な予感というものは当たるものだ。
互いの契約相手とともに相対する弟切渡と黒木場秋人。片や双眸に静かな怒りを讃えるケダモノ。片や仮面のように表情の読めない顔でも凶暴さは隠しきれないバケモノ。邪魔するものは既におらず現れるにも時間が掛かるだろう。秋人が望んだタイマンだからこそ、渡も堂々と目の前の敵を叩き潰す正当な理由ができるというもの。
「なんで俺を狙う」
「てめえが俺に言ったのと似たようなもんだよ。ただ邪魔なだけだ」
敵対する邪魔な存在。人間としては野蛮かもしれないが、向き合う理由なんてそんなもので十分だ。連れているモンスターも変わりきったこの世界もその性を受け入れている。
動き出すのはほぼ同時。体躯の小さいカインが上体を低く保ちながら間合いを詰め、対照的にクロムはその巨体で空を駆けて頭上から刈り取りにいく。
詰まる距離。それがゼロになる瞬間、クロムの剛腕が振り下ろされて土煙が盛大に巻き上がる。その中に紛れて上昇する紫紺の翼。カインは一気に敵対者の顔面の高さに飛び上がり、溜めに溜めた鉄球を解き放つ。
顔面直撃。攻撃の起点としてピンポイントで狙うのならそこしかない。軽く首を捻っただけでは避けきれない一発。それで視界に強烈な妨害を仕掛けたうえで畳み掛ける。万全のパフォーマンスが期待できないのなら相手のパフォーマンスも落とし、その変化への対処に追われている間に形勢を持っていく。
顔面から鉄球が剥がれ落ちるのとほぼ同時に今度はカイン自身が顔面に飛び掛かる。その間にクロムは笑いながら敵対者の動きを捉えていた。
カインの腹を真下から突き上げる筋肉質の腕。空中で怯んだのはカインの方で、クロムはその身体を鷲掴みにして地面に放り投げた。
「カイン!」
「今のは痛いよなあ。でもこんなもんじゃないんだろ」
「……そうみたいだ」
「そいつは最高だ。ああ、本当に良いサンドバッグだよ。もう少し痛めつけてからてめえと一緒にこいつの餌にしてやる」
傷つきながらも立ち上がり向かっていくカイン。キャストを耐久に振っているとはいえそれでもいつまで持つか。それほどに状況も戦力差も最悪だった。
だからこそ秋人はタイマンと言いながらまるでこちらを敵として見ていないような口振りをしているのだろう。最初に戦った時と違い、自分達の本気を見せてなお歯向かってくる渡達の姿を喜びそれを叩き潰すことに悦を覚えている。今思えば奴にとって先の一戦はあくまでお遊びでしかなかったのかもしれない。確実に叩き潰せる状況を作ったうえで、圧倒的な力を見せつけて心身ともに砕いて貪る。それが奴にとってのこの戦いの意義か。
「お前、わりと卑怯な奴だな」
「ああ、先にダメージ与えてたのは悪かったと思ってる。でもよ、俺もこんな真似したくなかったんだぜ。お仲間の完全体(パーフェクト)に大人しくしてもらうときにも喧嘩打ってきたからよ。気が早いって思わねえか?」
「お前なんかと違って根は真面目だからな」
そうなるのを分かったうえで仕掛けた癖に。明らかな敵意を前におとなしくしていられないのがモンスターというもの。カインがアキへの仲間意識を持っていようとなかろうと敵に会えば牙を剝くことは前の戦いで理解していたはずだ。
「酷い煽りだな」
「事実だろ。負けても契約相手に目もくれずに逃げる奴なんだから」
一方で渡が秋人について理解している一番の重要事項は契約相手を失っても何事もなく帰還した事実。安全な立ち位置にいる癖にフェアだのタイマンだの抜かす卑怯者。半分は煽る意図で口にした言葉ももう半分は紛れもない本心だ。この男ほど義理や覚悟という言葉に縁遠い男もそう居ない。だからこそ渡は黒木場秋人が気に食わなかった。
「おいおい。デビドラモンのことを言ってるなら、その台詞は看過できないなあ。仮にクロムがやられてもここじゃあの時みたいにはいかねえよ。――そもそもあんなのを俺のクロムと一緒にするなって」
「あんなの、だと?」
結局煽りの応酬で先に音を上げるのは前回同様渡の方だった。仮にも自分との契約期間の間に命を落とした存在だというのに、秋人がデビドラモンに対して何の思いも抱いていないことが気にくわない。デビドラモンが自分たちに牙を剥いたことも覚えているし、それを怒りの理由にすることがおかしいのも分かっている。それでも秋人の言動はどうしても看過できなかった。
「気に障ったのか? ……もしかしてあれか。てめえはモンスターに感傷持つタイプの変わり者か」
その怒りを秋人は鼻で嗤う。下らないことを気にしてると言わんばかりの態度。一変してテンションが下がった彼は冷めた視線で憐れむような言葉を紡ぐ。
「止めといた方が良いぜ、そういうの。こいつらにそういうのは意味がないし、期待して命を張るのは馬鹿げてる」
それは意外な程に真摯な忠告だった。秋人が一瞬見せた真剣な眼差しは渡の言葉を奪うのには十分で、語る言葉も腹に重くのし掛かる。
「まさか気づいてないはずないだろうが、勘違いしてるなら言ってやる。――そもそもこいつらは人類の敵だろ。トラベラーはそれを自分の目的のために使ってるクズだ」
秋人の発言の根拠は即座に思い浮んだ。物理的な衝撃で破壊されようと情報さえ無事ならたちまち甦る不死のモンスター。そんなものが大量に野に放たれたのならば、既存の生態系を根底から食い尽くすこともあり得るだろう。そこに人類が含まれない理由はなく、生態系の頂点がすげ変わって久しい世界が今居る未来だ。
人類を駆逐したモンスター。己が願いのためにそんなものと契約して戦う者を誰が誉め称えようか。それがトラベラーになった人間の本質に他ならない。
「人類の敵。その通りかもな。それでも借りは返すものだろ」
ただ例外があるとするならば、それは願いを持たずにトラベラーとなった者だろう。それは願いを持つ者とは異なる被害者のようなもの。だが仮にその中でも前向きに戦える理由を持つ者が居るならば、それは最早狂人と言うべきかもしれない。
「てめえ、何を言ってるか分かってるのか。変わり者かと思ったが、ただ頭がおかしい奴だったか」
「何とでも言え」
意志は平行線。きっと何度対峙しても交わることは無いだろう。ぶつかるのは明確な敵意のみ。それを互いに向けあっているのなら相手の命を考慮する可能性はゼロ。
「一つ聞かせてくれ。てめえはなんでトラベラーやってんだ?」
「俺はこいつに――カインに助けられた。そんな相手を死なせたら恩知らずになってしまう。それだけだ」
「そうかよ。ならさっさとここで死ね」
最早交わすべき言葉はない。二人の意識は未だ続く契約相手同士の戦いに百パーセント向けられる。
空を踊るケダモノとバケモノ。クロムが腕を振るう度に風が鳴く。その戦慄きに乗りながら避けるのが現在カインに出来る最善の行動。既に鉄球は何度も放ち、複眼に命中させたのも一度や二度の話ではない。それでも奴は止まらず、下手に攻勢に出て手痛い反撃を喰らった回数も二桁に到達している。だがこのまま避け続けても先が無いのも分かりきったこと。抱えた損傷は無視できるものではなく、まだ回避に動けているのが奇跡だ。取るべきは仕切り直しの一手。その間に急所を見極めて最速で片をつけるしかない。
クロムの剛腕が迫る。掴まればそのまま握り潰されかねない腕を頭上すれすれで回避。腕を軽く頭突くのを挑発として、誘い込むように急降下。追うクロム。迫る地面。その距離関係を把握しつつ、ベストのタイミングで今出せる最大級の鉄球を放つ。直後、その反動を用いて反転、上昇。釣られたクロムも慌てて視線を上げようとするもその眼前には盛大に巻き上がる砂煙。視界を奪うその幕を使えば仕切り直せる。渡はそう考えて指示を出した。
だが、クロムの――黒木場秋人の地力はそんな浅い策で止まるものではなかった。
砂が再度巻き上げられる。それは先程よりも指向性を持って動いてカインの方に襲い掛かる。一瞬でも仕切り直すための隙を作るには十分な目眩まし。それが相手ではなく自分に作用すればどうなるか。その必然の答えをカインは自らの身体を挟み込む双腕で思い知る。
「そら、捕まえた。こいつがあんなので止まる訳ねえっての」
大技で巻き上げた砂をすべて押し返すのには二種四枚の翼での羽ばたきで十分。それが今のカインとクロムの間にある埋めがたいフィジカル面での差。同じ進化段階(レベル)のオオクワモンに勝てたのは頭数の差とそれぞれの特性を利用した策があったからこそ。単純な力量の戦いになれば必然的にその差は大きく出てしまう。
ぎりぎりと絞められるカインの身体。いや押し潰されると言った方が適切か。逃れるための翼もひしゃげて根元からぶちぶちと嫌な音が聞こえた気がした。実際にその音を確認出来なかったのはカインがその痛みを絶叫として表現していたから。それは渡が今まで聞いたことのないもので、何よりも彼の心に重い一撃を与えるものでもあった。
「核は潰すなよ、クロム。けどまあそれ以外は食ってもいいか」
下衆極まりない指示と許可をもらい、クロムはカインをただの餌として再定義する。その変化を感じ取ったカインは初めて怯えるような声を上げるが、今から襲い来る惨劇を止める術を奴は持ち合わせていない。
「いい声で鳴くなぁおい。そう思うだろ、渡」
今日一番轟く絶叫は命の危機に晒された生物が示す原初の恐怖。自己の存在を貪られ消失する痛みは計り知れない。それこそが良質なBGMだと言わんばかりの秋人の言葉はもう渡の耳には届いていなかった。
「あー、最後の悪あがきか。まあそうするよな」
クロムの食事は二口目で早くも遮られる。急に肉は堅くなり、貪られた箇所も細胞(セル)が補完して再構築する。それはトラベラーに与えられた、契約相手の生命力そのものを底上げする手段――ブラスト。X-Passに溜められた力を用いたその手段はまさしく切り札。だが、このタイミングでそれを使うということはもう使える手が無いということに他ならない。
ケダモノとバケモノの殺しあいは当然の結末に至る。――そのケダモノがただのケダモノであればの話だが。
「ッ……遊び過ぎたか」
秋人は立ち位置や心理状況を鑑みればその異変に早く気づいた方だと言えるだろう。だが、クロムが地面に叩きつけられて無様な姿を晒すまでに指示を出すには遅すぎた。
クロムを組伏せているのはカインだ。だが、その姿は先程までのものとは大きく異なっていた。
何よりもその体躯が桁違い。クロムの身長を上回り、組伏せていると言うよりものし掛かっていると言った方が正しいかもしれない。その巨体を覆う体毛も紺色だった箇所は深紅に変わり、黒い稲妻模様が各所に描かれている。大小二種四枚の銀翼は簡単には飛行機能を損失させないだろう。
鍛えられた刃の角を持つ深紅の大型獣竜――それがドルグレモンという完全体(パーフェクト)へと到達したカインの姿だった。
「なんつー成長速度だよ。ふざけんな」
吐き捨てるような秋人の言葉はごもっとも。彼はそのカインがドルガモンへと進化するところも確認した時期も把握しており、そこから今までの期間が進化のためのエネルギーを溜めるには充分でないと踏んでいた。その計算にはブラストを用いた場合も踏まえていたから、普通のモンスターならこの短期間で完全体(パーフェクト)に進化する可能性はあまりに低い。それでも事実として進化して見せたのだから、カインは普通のモンスターに該当しない例外(エクストラ)と見るのが妥当だ。ただその異常性を引きだしたのは間違いなくクロムが与えた痛み。生存本能と怒りが未来に借金してでも現在の進化を選んだということか。
「ふざけてなんかない。ただ生きたい奴と生かせたい奴が居るだけだ」
そしてそこに少なからず契約相手である渡の意思や激情が関与しているのも間違いない。ブラストに注ぎ込んだ対価はどれだけか。そもそもそんな計算すらせずに可能な限り投資したのだろう。そうでなければ、あそこまで人類の敵に相応しい形相を浮かべてはいない。
「カイン。そのモンスターもそこの男も好きにしていい。お前にはその権利がある。――だから、やれ」
敵対者を塵殺する許可は下った。カインはクロムを――その契約相手である黒木場秋人を捕食対象として再定義し、己が糧とするために殺意を行動で表現する。
見せつけるように顎を開けるカイン。クロムがその意味を理解すると同時にその肩に牙が突き立てられる。悲鳴は上げないがその痛みは与えた者が一番知っている。到底受け入れることのできない屈辱。それに屈するか、反逆するかはモンスターとしての、それを手繰るトラベラーとしての力量のみが指し示す。
「そう楽にはくたばってくれないか」
「ネジがブッ飛んでるな、てめえ」
筋力爆発。盛大な勢いで弾き飛ばされるカインの姿が示すのはクロムの生命としての強さ。秋人がブラストによって解放した分はそれを証明するには足るもの。互いに力を証明する以上、ここからの第二ラウンドが本番。二体のモンスターは全身全霊を持って互いの生命を喰らう。そのために死力を尽くす。
取り直した距離を詰め出したのはどちらが先か。カインはその巨体で地を駆け、クロムは虫の性質を表に出して低空飛行。フェイントを織り交ぜて二段階に加速。その勢いに乗せて研ぎ澄ました爪を振りかぶる。
速度はクロムの方が上。それでも迎え打つ心持ちもカインにはある。戦闘種としての本能を用いた軌道計算は既に済んでいた。敢えて見せびらかすように伸ばしていた首に奴の爪が迫るも、瞬間的に首を縮め、空振りした腕の真下に潜り込む。それがケダモノ流のカウンター。クロムのどてっ腹を自慢の角で腹を串刺しにして致命傷を負わせるつもりだったが流石にそこまでは上手くいかない。クロムが咄嗟に左腕で払ったことで打点は昆虫の甲殻部分にずれた。そうなれば貫通させることは出来ず、インパクトでクロムの身体を上空にぶっ飛ばすという結果に持っていくのが落としどころだった。
「空で動かれると面倒だ。潰せ」
渡の指示は言葉と同時にX-Passを通してカインに連携される。それを遂行するために使うのはこれまでもメインウェポンとして重用してきた鉄球。ただ口から吐き出された核を中心に大量の鉄粉が固められる生成手法の結果、その質量と体積は桁違い。生成速度を優先しても製造者が持つ巨体の三倍に匹敵する。その高密度大質量の前では回避の余地も許されない。生成時間の間にクロムが体勢を立て直してこちらに迫ろうと関係ない。不自然に揺れる動きもろとも押し潰すまで。
勝負を決めにかかる直前、クロムの身体が二つ存在するように見えたのは目の錯覚か。そんな妄言を振り払い鉄球を解放。逃げ場を失い揺れるクロムの姿を霧散させる。
「あ?」
霧散? それはおかしい。仮にきめ細やかなセルで作られていようとも、その身体は重厚な一塊として存在している。なのにまるで最初から存在が希薄だったかのような消えかたをしては、これまでの戦いが何だったのかと思えてくる。奴が霧散する筈がない。ならば今渡が目にしたものの意味は何か。
その答えは砂煙の奥から鮮烈に現れるクロムによって示される。その身体は潰れておらず砂にまみれただけ。ならば潰れたように見えたクロムの姿はそれこそ残像でしかなかったのだろう。
「今さらそんなんでビビるかよ」
痛快そうな笑みを浮かべる秋人の言葉に嘘はない。X-Passを使えばモンスターに関する情報は得られるがそれだけですべてを把握して対処したとは思えない余裕があった。鉄球に潰される範囲のすぐ外に退避しつつ、潰される残像を見せつける動き。その巧さは単純にこの程度の大技には慣れているからだけではない何かがあった。
「さあ、詰めだ。やっちまえ、クロム!!」
その真相を探る余裕はない。再度加速するクロムの速さは今までの比ではない本気。加えて残像を見せるようなあの動きを織り交ぜることで軌道の予測もしづらく、以前より小回りが利かなくなったカインの巨体では満足な退避も不可能。受け止めて仕留めるしかない。トラベラー同士の真っ向勝負ならばキャストの補強は参考にならず、加えて秋人はここでブラストをさらに使った。ならばこの戦いの優劣は考えるまでもない。
カインはクロムに負けて、渡ともども奴の餌になる。
その未来を変える術は渡は持ち得ず、カインもはね除けるだけの力は残っていない。
「……あァッ!?」
だからその未来が変わったのならば、要因は別の存在によるもの。例えば豆粒のようなシルエットの二頭身恐竜が愛用のヘルメットでクロムを殴り飛ばした、とか。
「間に合ってよかった」
小さな乱入者。その種族はマメティラモン。契約時に与えられた名はマメゴン。その契約相手は洋菓子店パトリモワーヌの店長にしてトラベラーのコミュニティのまとめ役。
「巽恭介か」
「そういう君は黒木場秋人だね」
いつもは穏やかに周囲を見守っていたその男も今だけは纏う雰囲気がまったく別のものになっている。それはトラベラーとして幾多の戦いを超えてきた者だけが纏うもの。積み重ねた経験は渡のそれを遥かに上回り、秋人よりも澄み切っている。
「あんたよぉ、そこのイカれ野郎を庇うつもりか?」
「訂正したまえ。彼は私達の仲間だ」
そのやり取りだけで互いの立ち位置は明確になった。巽恭介は――彼が率いるコミュニティは黒木場秋人を仲間に仇なす敵として対処する。それはこの場でも例外ではない。
「そうかよ。ろくな死に方しねえぞ、あんた。……クソッ、あーあ興醒めだ興醒め。タイマンでぶっ殺せると思ったのに敵に援軍とかやってらんねえ」
その線引きを苦々しげに吐き捨て、秋人は渡達に背を向ける。すべて同じ進化段階(ランク)で数の差を覆そうとする愚を犯さない冷静さは奴にあった。
「お前、まさかこのまま逃げるつもりか」
だが、秋人をのうのうと見逃すことを渡が許容するはずはない。カインは既に頭上に巨大な鉄球を生成し、追撃の準備を整えている。
「仕方ねえだろ。――こっちも迎えが来たんだからよ」
放たれたその鉄球は不意に現れた同質量の鉄球によって弾かれる。それが示すのは秋人を助ける意思を持つ新たな乱入者が現れたことと、その乱入者がカインと似た存在であること。カインと似た存在――それには嫌でも思い当たりがある。
「助かったぜ。このまま殺されるかと思った」
大方の予想通り、それは進化したカインと似て非なる姿の存在だった。ただシルエットは似ていてもその外見も在り方も明らかに異なる。生気に満ちた白い肌は変色したかのような黒に変わり、頭部は何か隠したいものでもあるかのように銀の装甲で覆われている。尻尾に至っては本命の一本の側から触手のようなものが伸びていて、それがただ獣や竜の要素を束ねた存在ではないことを示している。
「目的は達成した。撤退する」
ドルガモンだった頃に似て非なる存在が居たのだから、ドルグレモンになってもそのようなケースがあってもおかしくないだろう。本当に着目すべき事柄はその背中に一人の男が乗っていて、彼の指示で秋人を助けたということ。それが指し示す事柄は秋人とデクスが――その背に跨る男も含めて――繋がっているということに他ならない。
「なあ、ここで潰す気は……いや、忘れてくれ。誰よりもあいつをぶっ殺したいあんたが我慢するんだ。従うさ」
鍵を握るであろうその男は空軍パイロットのような装備で身を固めており、ゴーグルまで掛けているためその顔や表情を見ることはできない。それでも秋人の言ったことを身を持って理解できるほどの殺意に満ちた視線を向けられていることは嫌でも分かった。
「待てよ。お前だけは許さない」
何にせよここで秋人諸共仕留めればすべて分かる話。数の差が無くなろうとも覆った訳ではない。煮え切らない怒りに理由をつけてなおも戦おうとする渡だったが、それすらも萎えさせる一手は既に用意されていた。
「言ってろ。追いかけてくるなら来いよ。俺に追いつくまでにくたばるだろうけどな」
秋人の笑い声に紛れて聞こえる地鳴りような音。それは多数のモンスター……いや、デクスの群体のもの。音の方向に目を向ければそれが聞き間違いでないことを確認させられる。ドルガモンに酷似した個体が八、ドルグレモンに似た個体が二。このままやれば数の差で押し切られるのが目に見えている。
「どういうことだよ、あれ」
「自分で考えろバーカ」
あれが到着する前に仕留められるか。仮にできたとして逃げ切れるか。それは考え始めた瞬間に答えが出るように簡単なもの。どれだけ煮え切らないかたちであっても、秋人の言うタイマンは既に終わりを迎えていた。
「じゃあな。また会った時に生きてたら殺してやるよ」
「お前達は俺達が叩き潰す」
既に秋人達の姿は遠く、互いに捨て台詞を返すのが限界。戦いが終わった以上、すべきことは次の状況に対する対応。新たな敵が現れこちらに向かってくる。それは許容できてもその方角だけは渡にとって受け入れられなかった。
「あそこは確か……冗談であってくれ」
それはこのトラベルで初めて訪れた建物に通ずる方角。その中には真魚以外の仲間が居たはず。鈴音達はどうなった。まさか仕留められたのか。
「逢坂さん達のことを言っているなら問題ないよ。彼女らは先に戻っている。真魚ちゃんのすぐ後でまた君のことを口にしたから慌てて来たんだ」
その嫌な懸念は恭介の穏やかな声で断たれた。今までの渡と比べれば冷静に危機管理や戦況把握は出来る面子のはずだ。重傷を負うよりも先に速やかに撤退したのだろう。
「ああ、そうでしたか。あ、ありがとうございます」
「まずは撤退だ。長居する必要もない」
憂いが無くなったのならもうここに居る必要もない。新たな敵が来るより先にこの未来から安全な現代へと戻る。その先で一番最初に与えられるものが真魚の容赦ない脛蹴りであることをこの時の渡は知りもしなかった。
「とんでもない収穫だな、おい!」
黒木場秋人との死闘から一日明けた、午後二時頃。洋菓子店パトリモワーヌは貸し切り状態になり、店主がまとめるコミュニティの報告会会場となる。
そこで渡が開示した内容物は他の面々からすれば予想以上に実のあるもので、正道が大声で誉めながら背中を強く叩くのも無理はなかった。悪意のない理不尽な痛みで、渡は口にしていたスコーンを吹き出しかけたがそれを誰も気にも留めない程度には重要な情報だった。
まず説明されたのがあの未来に至るまでに誰かが書き残した、モンスターのルーツに関する情報だ。――モンスターはセルというナノマシンで実体を得た電子生命体である。妄想とも思える内容ではあるが、肯定できるだけの事実も既に目の当たりにしている。
さらに個人的に因縁のある黒木場秋人は謎の多いデクスと繋がっていることも判明した。契約相手が似ていることから関係性を疑われたのも昔の話。明確に敵視している相手の方が繋がっていることは、渡がデクスの味方でないことを改めて証明したことにもなる。
特異点Fが未来であることを理解してすぐに自分だけが知る穴場を掘り下げたからこその成果。だが、個人のシェルターに都合よく重要な情報が隠れていた理由については渡自身も分からず、今は頭の片隅に押しのけておくしかなかった。
「だが、俺達も収穫なしって訳じゃあない。なあ、将吾!」
「自分が説明するんで射場さんはボリュームを下げてくれ」
「おう! 頼んだ!」
この日までにトラベルを行ったのは渡達だけではない。鶴見将吾、大野寧子、射場正道、斑目ラン、羽賀関奈も昨日に渡達とは別の地域に狙いをつけて探索を行っていた。
「端的に言うと、俺達が見つけたのは地下にあったデクスの牧場……いや、生産工場(プラント)だ」
正道が胸を張るだけあって、彼らが持ち込んだ情報もなかなか馬鹿にできないものだった。ただのモンスターではないと思っていたが、生産工場という単語(ワード)が出ると最早単純な生命体という扱いをする訳にもいかなくなる。
「一応潜入してはみたが……まあ見張りに見つかって散々追い回されて辛くも逃げ出したのがオチだ」
「その見張りは寧子ちゃんくらいの歳の女の子だったな」
「それは別に言わなくても」
「単独でどうこうではないという根拠にはなるだろう」
少女が見張りをしていただけとはいえ当然そこに人間は関わっている。それが稼働している工場の必然。少女一人が関わっているとは思えない以上、他に協力者は居るだろう。
「黒木場秋人の仲間と考えるのが当然の流れかな」
「工場で見たデクスの上位個体は渡達が見たのと同じだと思う。まあ繋がっている可能性は高いだろうな」
そこに黒木場秋人と彼を助けた謎の男が関わっていると考えるのはそこまで強引ではないだろう。デクスを従える勢力は自分達が思っている以上に強力で強大なのかもしれない。
「次に調べるべき対象は決まったね」
黒木場秋人と彼が関与している勢力。そして彼らが稼働させているデクスの生産工場(プラント)。Xという存在に関係があるかは別にしても、調べて損はないだろう。
予想以上に実りのあった報告会。渡達の参入からコミュニティ全体の行く先にも大きな変化が起こりつつある。その変化がどういう方向なのかはこの段階で予想することは難しかった。
夜の街と化した夏根市。妖しげな光が瞬くホテル街から少し外れた裏路地を一組の男女が歩いていた。この場での組み合わせで想起される間柄は一つだけ。だから男の方が落ち着きなくそわそわしているのも、経験のなさからただ緊張しているだけと捉えることもできただろう。だが彼の表情に期待はなく、ただ未知への不安だけが浮かんでいた。
「ごめんなさい」
そう言って女は男の手を握る。触れる柔らかな感覚とそれと同時に向けられる蠱惑的な笑みを前に男は蕩けたような表情を浮かべる。
彼がこの場でその表情を浮かべられたのは一秒だけ。一瞬で女とともに姿を消したと思えば、五分後には女だけが何事もなくこの場所に戻ってきていた。
「こうしないとあの子は生きていけないもの」
誰に向けるでもなく女は星の見えない夜空に語りかける。右手に滴る血を舐めとる仕草はこの街の夜で踊る誰よりも妖艶なものだった。