Episode.4 "コミュニティ"
場違いなトラブルメーカー。
大野(オオノ)寧子(ネコ)に対して渡と鈴音が抱いた第一印象はそれだった。実年齢以上に幼く見える振る舞いは誰が見ても危うく、殺伐とした空気を緩めるような言動はこちらのペースを狂わしかねない。こういう手合いは野性のモンスターや黒木場秋人のようなトラベラーを相手にするよりも厄介な場合もある。
「お前の知り合いか、将吾?」
「ああ。さっき話した大河の妹。俺らの母校の二年生」
「なるほど。家族ぐるみの付き合いならお前に任せた方がいいか」
「そうだな。お前ら二人よりはマシか」
将吾が仲介役になるように誘導したことには先ほどの分析が関わっていないことは二人の名誉のために明示しておく。あくまで彼女と一番親しい存在だからであって、積極的に口を出さない方が良いとか自分が関わるにはまだ早い人種だとか思った訳ではない。断じて。
「で、寧子ちゃん大丈夫?」
「は、ひゃぢびぃッ! らいびょうぷれふ」
「本当に大丈夫? 落ち着いて、ね。ほら、深呼吸。深呼吸」
「は、はひ……ひっひ、ふう。しゅみません。お恥ずかしいところばかり見せて」
やはり付き合いのあるだけあって将吾は寧子の扱いが上手い。関わりたくないという本音を抜きにしても渡や鈴音が口を挟んでいたら状況が悪化していただろう。特に鈴音は十中八九泣かせていた。
「そこであくびしてるモンスターは寧子ちゃんの契約相手?」
「は、はい。タマっていいます。あ、トブキャットモンという種類らしいです」
翼の生えた大きな猫のモンスター。それに名前をつけて連れ回しているということは寧子もトラベラーで間違いない。
「なるほど。で、何故寧子ちゃんはこんなところに?」
トラベラーに対してこの問いを投げかける場合、求める答えは手順ではなく理由が適当だ。今回に限ってはおおよそ予想のつくものではあったが、将吾には自分の口で寧子に尋ねる義務があった。
「将吾さんと同じです。——私だってお姉ちゃんにもう一度会いたい」
「そうか……ありがとう」
「あああありがとうなんてやめてください。こっちの台詞ですし、いや私が言うのも変なんですけど。えっと、心より御礼申し上げます……あれ?」
将吾が恋人を取り戻そうとするのなら、寧子が姉を取り戻そうとしても何もおかしくはない。大河が家族からも自分以上に大切に思われていたことを将吾は心から嬉しく思ったが、その一方で彼女の妹が危険な真似を犯している事実は重くのしかかった。
「寧子ちゃん。俺達と一緒に動かないか?」
「いいんですか?」
「勿論。ここで置いていったらそれこそ大河にどやされる」
だからこの誘いも将吾にとっては当然の義務。同じ目的なら別れて行動する理由もないだろう。たとえ自分が倒れても彼女が願いを叶えてまた姉妹仲睦まじく過ごせればそれで十分だ。それを嫌な打算ではあると心中で自嘲できるくらいには余裕ができていた。
「なんか俺達のやり取りと違いすぎないか?」
「年上はストライクゾーンの外なんだろうね」
「言ってろ」
少なくとも先の二人とのやり取りと比べれば随分ましだ。予期しない出会いではあったが彼女の妹が極力危険な目に遭わないようにできる。将吾はそう思うことにした。
「あの、ありがたいんですけど実はもう一緒に行動してる人達が居まして……」
「そうか。ならその人達と合流しようか。いいだろ、二人とも」
既に寧子に仲間が居ることは寧ろ好都合だろう。新たな出会いには新たな情報がついてくるもの。単純な戦力が増えることも考えれば、仲間が多いことは歓迎すべきことだ。流石に相手を一切警戒しない訳にはいかないが、寧子を引き入れた理由を含めて見極めてから対応を決めれば良い。
「仲間はどこに?」
「それがその……将吾さん見つけて飛び出しちゃって……野良のモンスターに襲われて逃げて……また将吾さん見つけて飛び出したらタマが急加速して……」
「つまりはぐれたと」
「はうぅ……ごめんなさい」
尤も仲間とともに行動しているならばそろそろ現れていなければおかしい訳で、今この場に居ない理由も寧子の性分と言い分を踏まえれば納得だった。
「まず寧子ちゃんの仲間を探す。それでいいな」
「ああ」
「異論は無いよ」
寧子の仲間はこの世界で貴重な人脈。そこまで遠くまで離れていないのなら合流すべきだ。彼らの方が心配しているだろうが、X-Passでメッセージでも送らせておけば合流するまでは必要以上に焦ることもない。彼らの位置自体も寧子のX-Passを使えば辿れるはずだ。
「すみません。ご迷惑をお掛けして」
「気にしないでいい。積もる話もあるだろうし気楽にいこう」
寧子は将吾にとってこの世界で遭遇した人物では最も特別な存在だ。過保護と思われようとも、不必要に気負わせるような言動はしたくない。
「お前こそ気楽にいけよ、将吾」
「うるさい。分かってること口に出すな」
それはそれとして先程から渡の言葉がいちいち癪に障る。冗談なのか本気なのかときどき分からなくなるのが厄介な欠点だと思いながらも、将吾はそれを口にはしなかった。
新たな仲間を加えての再出発から十五分経った。新顔とはいえ一部見知った仲なので当人にとってはあまり新鮮さもないが、その分距離感の調整も必要なくなる。
「お近づきの印にお菓子をあげよう」
「わあ、ありがとうございます」
「変なものじゃないだろうな」
「この人は重度の甘党だから飴なら多分大丈夫」
「それ以上に性格に難があると思うが」
結果的に一番関係性が遠くなった筈の鈴音は最もマイペースで、その自由さを見ていれば変に気を使うのも妙に思えてくる。自分含めて慎重に付き合うような相手ではない。それが渡の全員に対する率直な印象だった。
「北欧で古くから愛されているグミキャンディか東京で買った秘蔵のコーヒーキャンディ。どっちがいいかな」
「じゃあ北欧の方で」
「はい。たんとお食べ」
「いただきまーす。……なんか歯にひっつく粘っこさですね。味も独特で甘くないし」
「え、甘くないのか」
「はい。寧ろイカの塩辛みたいにしょっぱいし、ほんのりアンモニアの臭いがするし……」
ただ渡の印象がすべて的を射ている訳ではない。今回鈴音の性分を見抜けていたのは将吾の方だった。甘党が持ち歩く飴が甘いだけの飴だと誰も決めてはいない。
「逢坂さんよ。あんたの言う北欧のキャンディってまさか」
「サルミアッキだよ。将吾君が知っているとは意外だ」
サルミアッキ。それは鈴音の言葉通り北欧諸国で古くから好んで食べられていた趣向品。リコリスという甘草と塩化アンモニウムを主な原料とし、タイヤのような黒色のグミはそれこそゴムを食べているような食感と風味を提供してくれる。そこに塩辛さとアンモニア臭が上乗せされる独特な味から、TV番組やネット上で「世界一まずい飴」の称号を受けている逸品だ。
「奇食の類には心引かれるものの、味覚に合わなくてなかなか消費できなくてね。気になるなら君たちも食べるかい?」
「なんてもの食べさせてんだあんたは!」
「これでも何かないかと探したよ。甘味は一つも譲る訳にはいかないからなんとか捻り出した逸品なのだけど」
「柄にもない親切ムーブしなくてよかっただろうに。流石にサルミアッキはない」
少なくとも会って一時間も経たない相手に親切心で渡す代物ではない。それも純真無垢な少女に渡すのは流石に人格を疑いたくなる。
ところで肝心の寧子の言葉が聞こえてこなくなった。そろそろファーストコンタクトのような悲鳴を上げてもよい頃だ。こうも静かだと彼女の意識が存在しているのかも不安になってくる。
「あの……食べきれないならもっと貰っていいですか。ちょっと癖になっちゃって」
「お気に召したのならよかった。好きなだけ持っていってくれて構わないよ」
「まじか」
寧子の舌はサルミアッキの味を初体験から受け入れられる代物だったらしい。新たな味の発見と在庫処分の手段が同時に成り立つ良好な関係。鈴音の好感度も上がったようで、年の離れた女性同士の微笑ましいやり取りは見ている渡にとっても頬の緩むものだった。受け渡されているものが味覚と嗅覚を侵す劇物でなければ。
「どうした将吾。明後日の方向を向いて」
「いや、寧子ちゃんの料理食べたことを思いだしたんだが……味見に望みは託せないんだなって」
自分と同じようにやり取りを眺めている将吾の微妙な表情に対するこれ以上の詮索はなんとなく憚れた。ただサルミアッキ以上の劇物がそこに存在していることだけは見当がついた。
「わふぁるはん、ふこしいいれすか?」
「口に含んでるのを飲み込んでからなら」
片手に溢れんばかりのサルミアッキを咀嚼しながら、寧子は渡に会話の矛先を向ける。その無邪気な振る舞いに寧ろ恐怖を覚える余り、年上の好青年らしい振る舞いを維持するのが精一杯だった。
「そのモンスターって渡さんの契約相手ですよね」
そのためここまでのやり取りの中で寧子の顔色を伺うことはできず、彼女の言葉に込められた思惑を汲み取ることもできなかった。
「カインのことならそうだが……何か気になることでも?」
「いえ、あの、何というか……大丈夫なんですか?」
伝わったことはカインに対して何か思うところがあることだけ。問いかけ自体が曖昧だが逆に疑問の内容を掘り下げたところで曖昧なものしか返ってこなさそうだ。出来ることはそのカインを観察して答えを選ぶことくらいだろう。
「カインは……何やってるんだ」
当のカインは寧子が連れていたタマというモンスターにからかわれているようだった。タマがカインの後ろを取って尻尾を叩き、それに反応したカインが振り向いたところでまたタマが後ろを取る。見事に弄ぶタマの軽やかさは個体の特技というよりも種として刻まれた本能によるものと言った方がいい。端から見ている分には感心するが、カインからしてみれば鬱陶しくて仕方ないだろう。
格上相手でも果敢に立ち向かう勇敢さはあるが、それは裏を返せば好戦的で短気だともいえる。呼吸が荒々しくなり目が血走ってきたからそろそろ危険かもしれない。寧子が気にかけていたのはこの点だろうか。
リング状の追いかけっこを繰り返すこと十回。その節目でカインは攻勢に出る。右回転に振り替えるところを三十度の角度で急停止し逆回転。振り向く先にはいつも通り回り込もうとしていたタマの顔。不意を突かれて動きを止めたタマが怯え、一矢報いたカインが不敵に笑う。流石にこれ以上はまずい。X-Passによれば仲間だと厳命すればおとなしくしているはずだが、それでも我慢の限界があったようだ。
「止めろ!」
制止の指示を出すより早く、カインがタマに向けて飛び掛かる。いくら軽やかに動けようとももはや回避は間に合わない。カインはぎらついた笑みを浮かべながら鋭い爪の生えた手をタマの頭にゆっくりと置いた。——ただそれだけだった。
「脅かすなよ」
その後カインが危害を加えるような真似をすることは特になく、ただ満足そうに鼻を鳴らしただけで終わった。遊びはあくまで遊び。それはモンスター同士のじゃれあいであっても変わらないらしい。
これは余談だが、タマは今度は月丹に同様の遊びを仕掛けたものの、初戦で後ろを取った瞬間に尻尾で叩き落されていた。
「何を心配しているかは分からないけど、俺が見ている限りでは今のところ大丈夫だと思う」
結局渡の口から出たのは楽観的な主観が大半の所感だけ。だがそれを裏付けるだけのやり取りがちょうど見えた。カインも寧子の契約相手であるタマとたいして変わりのないモンスターだということが分かったはずだ。
「そうですか」
しかし、返答に対する言葉はあまりに短く淡々としていた。今までの振る舞いとはどこか違うその反応はちょっとした衝撃で、なんとなくこれ以上思惑を探ることも憚れた。
「待って」
不意に鈴音が小さな声で、しかしはっきりと命令を出す。茶化す雰囲気の無い声音の理由が分からないほど全員馬鹿ではない。
彼女の指差す先にあるのは破損が著しい角柱に近いオブジェの群れとその残骸らしき壁がいくつか。そのいずれもが強靭な草木が巻きついており、そのまま締め上げられていつ完全に倒壊するか分からない代物。それでもこれらは今までの平原では見ることのできなかった文明の痕跡だ。文明が絶えて等しい遺跡にも見えるが、調べる価値は大いにあるだろう。
だが鈴音が上げたのは歓喜の声でなく、注意を促す指示。先行するアハトに哨戒を行わせていた彼女が声を上げる理由は一つ。自分達と文明の痕跡との間で群れているモンスターだ。
サイのような体躯のモンスター達の数は十五。背や膝を覆う黒い物質は強固な鎧のようで、一体相手にするのも骨が折れそうだ。群れの奥の方に控える一体だけ全身が黒く角も巨大な刃のようになっているが、何らかの変異種か群れのリーダーの証だろうか。
「寧子ちゃん、仲間はこの先かな?」
「は、はい」
「なら迂回するとメッセージを入れておいて欲しい。ここは静かにやり過ごそう」
遺跡の調査に踏み切るには多すぎる障害だ。好奇心を優先するような迂闊な輩が居ないのなら、取る選択は脱出と合流しかない。
「慎重に行こう。そう大きな音を立てなければ気づかれないはず」
鈴音の指示に全員が同調し、音を殺して動き出す。意識は鎧竜の群れに向けたまま、必要最低限の音を環境音に紛れさせる。それぞれの相方も流石に闘争本能よりも生存本能を優先している。このまま三分ほどやり過ごせば群れに認知される圏内から外れるだろう。
「ばぶぁ……びゅぶわっっくしょん!!」
その期待を裏切るように響く盛大なくしゃみ。爆発に似たその音の発生源は寧子だった。
正直なところ渡は鈴音が指示を出した段階でなんとなく嫌な予感を抱いていた。避けるべきこととそれをしなかった場合に発生する事象。その二つを具体的に明示するときはたいてい両方が現実に起こってしまうものだ。
「ふぇ……あぁ、ごめんなさい」
「怒っている余裕もなさそうだね」
一縷の望みを掛けて視線を鎧竜の群れに戻す。その浅はかな希望を打ち砕くように向けられる警戒心に満ちた野性の視線。重戦車のような身体が自分達を轢き殺すために準備を整えていく。旋回は遅くとも直進も同じ速度は期待できない。
逃げる以前に突進をしのげるかどうか。状況を逆転させるような有効な手は都合よく思いつかないが、小手先でも反撃の手段を打つしかない。
「ん?」
事態は渡達を待ってはくれない。だが同時に鎧竜のことも待ってはくれなかった。
状況を一変させたのは渡達から見て左方からなだれ込む別のモンスターの群れ。自分達の倍以上の数を前に鎧竜もそれに応戦せざるを得なくなった。渡達に気を取られたまま応戦できなかったものから先に状況を理解できぬままに数の暴力で仕留められる。
「狩り目当てのモンスターか」
乱入者(イレギュラー)も鎧竜と同じく同種のモンスターの群れ。そのシルエットは人ではなく獣や竜の類だが、群青の被膜と銀の装甲が体表を覆っていることを踏まえるとゾンビかフランケンシュタインの扱いの方が正しいように思える。
「あれって……何かの見間違いか」
そのシルエットがカインと酷似しているのなら、奴らはカインと同種の成れの果てか、狂った博士が似せて造り上げた怪物と言うべきなのだろうか。存在理由は分からずともその奇妙な怪物が三十ほど存在する事実は受け止めるしかなかった。同種の群れと相対するよりも薄気味悪い話だ。
「何でもいい。今のうちに逃げるぞ」
鎧竜と偽物ゾンビとの戦いが始まった以上、自分たちは埒外の存在になった。予期もせず疑問も生まれる展開ではあるが、逃げるタイミングとしてはこれ以上ない。——踵を返したところで八体の偽物ゾンビと相対することがなければの話だが。
「なかなか上手くはいかないものだね」
群れから少し離れて動いてた個体が居てもおかしくはない。くしゃみ一つで鎧竜に悟られる立ち位置に居れば見つかるのも当然か。それでも乱戦に飛び込むよりかはまだ希望のある戦場だ。
「寧子ちゃんは下がって。こじ開けろ、月丹」
先手は月丹が放つ銀の槍。極力準備動作を見せないように撃たせたそれは、自分達が一方的に狩る側だと思い込んでいた相手には十分な不意討ち。真っ先に飛びかかろうとーしていた一体の右翼をまとめて射ぬき、その身体を地に落とす。だが他の四体は仲間の失態を一瞥することなく突撃を続行。ならばこちらも他の戦力も加えた上で叩くまで。
「後に続け、わた……寧子ちゃん?」
「私達だって戦えます。行って、タマ」
最も早く続いたのはタマ。先ほど見せた軽やかな動きそのままに一体のゾンビに向かって走り、その目の前で姿を消してみせる。いや、正確には消えたように見せただけ。攻撃が空を切ったことに動きを止めたゾンビの後ろにタマは陣取っていた。
相手の背後を取る。それはただの遊びで終わらせるには勿体ない技能だ。真正面から相対していても、仕掛ける瞬間だけは不意討ちと同じ状況に持っていける。そのまま牙を突き立てても良し。敢えて仕掛けずにフェイントとするも良し。
今回タマが選んだのは後者。一対一ならばここで仕掛けてもよかっただろう。だが今回の敵は複数。その中には自分の背後で爪を立てようとする個体も居る訳で、迂闊に攻勢に出るよりは回避に移る方が上手い立ち回りだった。
「今です」
そもそも寧子がタマに任せたのは敵の間を縦横無尽に潜り抜けて撹乱させること。数が同等ならば統率が取れている方が勝率は高い。それは逆を言えば統率を乱すことも有効な手になるということ。タマにはその危険な役回りをこなせるには十分な身軽さがあり、その活躍によって産まれた隙を正確に突ける戦力も味方に居た。
「ターボスティンガー」
アハトの主砲が唸りを上げ、その銃口が何度も瞬く。一発目は一番最初に動きを止めた一体の身体を貫通。二発目はその後ろでタマから逃れようと飛び上がった一体の右翼を焼き、三発目でその身体を撃ち落とす。
先陣を切っての攪乱。後に続く援護射撃。それだけあれば多少の数の差を打ち破って攻勢に出るには十分。カインと月丹も前面に出張り、飛び出ようとする敵に銀の球と槍で洗礼を浴びせる。
「これならいける」
数は多いが一体一体の力はたいしたことない。警戒するべきことは群れの本体かモノクロモンの群れがこちらに来ること。その前に蹴散らして進路を切り替える。渡達も全滅を待たずに移動を始めた方がよさそうだ。
「……ん?」
一体一体確実に息の根が止まっていることが確認できていれば渡達の予想通りの展開に持って行けただろう。まず最初に足が止まったのは一番動いていたはずのタマ。この段階では渡達には違和感を覚えることしかできなかった。だが次に月丹が不自然に転んだところで何が起こったかを正確に理解できた。
月丹の足には敵の一体が噛みついていた。それだけなら別段不自然なこともない戦闘での一場面。しかしその一体には身体の右半分がなく、左半身だけで月丹の足に絡みついていた。タマにも同じように敵に組み付かれているようだったが、その相手には両方の後ろ足と頭が存在していない。他の個体も同じだ。後ろ足が無くなれば尻尾で身体を支え、胴体が無くなれば上半身と下半身でそれぞれバラバラに動き出す。既に最早モンスターとしての原型を留めていないにも関わらず、その身体は止まることなく敵対者に組み付いてくる。
しぶといの一言で片づけられるものではない。渡達の知るモンスターとは異なる別の生命体。そもそも生命体という認識が正しいかも疑わしい存在。自分達が相対している存在について正しく認識するには少し遅すぎた。
「タイムアップ。ゾウエン」
「あいつらがやられたのか」
それはモノクロモンの群れも同じだったらしい。違うのはもう奴らは一体残らず食い尽くされたこと。それを無常に思う余裕もない。蹂躙したゾンビの群れの本体がこちらに来るのも時間の問題。そうなれば自分たちもその無常さの被害者になってしまう。
「アハト、組み付いている奴だけ叩け」
「ワカッテル。ヤッテル」
無理とは言わないだけあって、アハトは誤射なく味方に組み付いている敵を撃ち落としている。その後カイン達も即座に反撃に出ながら包囲から逃れようと暴れている。しかしそれ以上に五体がバラバラになっても動く敵がしぶとい。広範囲に跡形もなく消し去るような一撃を持っていれば話は違うだろうが無い物をねだっても仕方ない。
「のんびりしていられない」
「だな。覚悟決めた方が良さそうだ」
力押しで一発大きな穴を穿って突破する。キャストをすべて筋力に使って振り払えばここから離脱できるはず。ここさえ切り抜けられさえすればこちらの勝ちだ。
「ダメ」
「何を……何なんだあれは」
その希望を砕くのはアハトの声とほぼ同時に視認した敵の増援。右方向から現れた数は十。出現位置からしてモノクロモンの群れと戦っているものとは別働隊だろうか。出現頻度といいしぶとさといいあまりに異常で理不尽だ。
壁の層が厚くなればなるほど突破は困難になり、その対処に時間を取られれば後ろからさらなる絶望が来る。なぶり殺しにされる未来。それを避けるための手立てはこの場の誰も持ってはいなかった。
「皆さん、キャストの準備を」
「寧子ちゃん……」
それでも弱音を吐かずに冷静に居るのは意外にも寧子だった。意地を張って悪あがきを貫こうとしているのか。
「気力に六、耐久力に四で」
「何を」
「大丈夫ですから早く!」
いや、まだ捨て鉢になった訳ではないらしい。どうせ打てる手が思いつかないのなら彼女に賭けた方がマシ。意図も分からないままに、彼女の指示をそのままそれぞれの契約相手に伝える。
「……来た」
全員が行動を終えた直後、奇妙なものがこの空間に流れ込んできた。それは歌声。日本語以前に人の声かも疑わしいが、軽やかなリズムで奏でられるソプラノは歌という表現しか思いつかない。
奇妙な歌は不可解な現象を引き起こす。渡達が聞いた瞬間からゾンビ達は糸で縛られたように動きを止めていた。あそこまでしぶとく絡みついていた敵がまるで戦意を無くしたようだ。カイン達も半ば気の抜けた表情を浮かべて動きも鈍重になっている。どうやらモンスターに対してのみ効果のある歌声らしい。
「今のうちに離脱します。左に走って」
「寧子ちゃん、これは……」
「私の仲間です。近くまで来てたみたいで」
はぐれていた仲間の援護。それが寧子の指示の真意。キャストで歌声の影響を軽減できたカイン達も敵から逃れて合流。そのまま走っていけば、歌声の効力が切れる頃には敵の認識範囲の外に出る。
「ランさん、後はお願いします」
そのタイミングで渡達の後ろに発現する雷雲。落雷が炸裂する度に激しい煙が巻き上がり、互いの姿を隠す障壁となる。これも寧子の仲間の仕業らしい。ここまでしてもらえれば逃げ切るには十分で、先頭に飛び出たタマの後を追えば自ずと元々の目的地へとたどり着く。
見晴らしのいい荒野。そこにいくつかの人影があった。その傍らには彼らと契約しているであろうモンスターの姿もあった。
「もう心配したんだから。大丈夫だった?」
「ごめんなさい、真魚(マオ)さん。ご迷惑をおかけしました。アキもありがとね」
真っ先に声をかけてきたのは白シャツにデニムのショートパンツが似合う勝気な印象の少女。背丈と雰囲気からして高校生だろう。
彼女の契約相手は聖歌隊のような衣装を着た小人か妖精。ただ背中に生えている翼は蝶のようなものではなく魚のひれのようで、足の先も人のものではなく鳥のものが近い。森よりも海辺で歌っているのが似合っている印象を受けるこのモンスターが偽物ゾンビの動きを止めた歌の主のようだ。
「よう。寧子ちゃんが言っていたのはお前達か」
次に声を掛けてきたのは二十台前半と思わしき男。整髪料の臭いが随分きつく、その発生源たるリーゼントが嫌でも目につく。その髪型に加えて将吾顔負けの目つきの悪さと顔に刻まれた古傷のせいで威圧感がすごい。心当たりがなくとも何か気に食わないことをしてしまったのかと思えてくる。
傍らの契約相手はガンマンのような出で立ち……より適した表現をするならば銃(ガン)が人型(マン)になったような姿をしていた。常時武器を真正面に構えているような姿は正道の印象もあって物騒だ。
「正道君は圧がすごいから下がって。私のマメゴンで君のビリーを抑え込むよ」
「恭介さん、別に何もしませんって」
彼を諫めるのは白髪が交じる初老の男性。正道と呼ばれた男とは真逆の穏やかな雰囲気が年の功という言葉を思い出させる。血の気の多そうな正道がおとなしくなる辺り、彼が寧子の仲間の中心人物とみてよいだろう。
彼がマメゴンと呼ぶ契約相手は球体の身体に恐竜のパーツをくっつけてヘルメットを被せたようなモンスター。真魚の契約相手――アキもそうだが、小さな体躯に反してこの中でトップクラスの力を持っていることは分かる。二体とも進化段階(ランク)はあのオオクワモンと同じなのだから。
「ランさんもありがとうございました」
「気にしなくていい。無事なら十分さ」
他にこの場に居る寧子の仲間は四人。魔法使いのようなモンスターを連れた青年に、ツタの生えたウツボカズラのようなモンスターを連れた男性。獣と人の中間のシルエットを持つ桃色のモンスターを連れた少女に、黒い猟犬のようなモンスターを連れた女性。真魚達と合わせて合計七組とは、渡の想像以上に多い仲間とともに行動していたらしい。
「君達が寧子ちゃんの言っていた仲間か。私はこのコミュニティをまとめている巽(タツミ)恭介(キョウスケ)。この度は仲間を助けてくれてどうもありがとう」
「いえいえ。こちらこそ助けられた身ですのでお互い様ということで。名乗りが遅れましたが、私は逢坂鈴音と申します。以後、よろしくお願いします」
ひとまず役目は果たした。鈴音も猫を被るのかと感心しながら、渡は腰を下ろして一息つく。窮地を切り抜けて気持ちに余裕が生まれたのか、寧子の仲間から向けられる視線について考えることもできた。
感謝以上に強いのは不信感。中でも自分とカインに向けられているものは格別だ。その視線の理由も寧子が自分にした質問の意図も今なら分かる。カインと酷似した姿のあのモンスター。いや、あれをカイン達と同じモンスターとして扱っていい類なのかも怪しい。正体が何であれ、あんな化け物と似たモンスターを連れていれば関連性を疑われるのも仕方ない。尤も仮に関連性があるのならこっちが尋ねたいくらいだが。
「渡君、将吾君。今日はここまでにしよう。後日改めて話がしたいと巽さんから提案を受けてね。当初の想定とは違っていたけれど、人の繋がりは報酬として十分だろう」
鈴音からまた聞きしたこの話もこちらを探ろうとしてのことだろう。都合がよいと開き直って誤解を無くしていくしかなさそうだ。
様々な出会いが会ったトラベルから戻って一日明けた。渡、将吾、鈴音は寧子に連れられて八塚町にある一軒の洋菓子店を訪れていた。現在、午後三時を少し過ぎたところだが、もちろん中学生にお菓子を奢ってもらいに来たのではない。
洋菓子店パトリモワーヌ。それが恭介に指定された会合場所だ。八塚駅から徒歩十分の立地に佇むその店には気負わせるようなお洒落さは薄く、何度も塗り重ねられてムラが目立つ白壁は住民の往来を眺めてきた年季を感じる。一階を乗り越えるほどに威勢良く伸びる観葉植物のアーチを抜けて白い扉を潜った先で渡達を迎え入れたのは、甘い匂いが優しく誘う安らぎの場だった。
「いらっしゃいませ。いや、お待ちしておりましたの方が良いかな」
迎え入れる声はオーナーである巽恭介のもの。お客様を迎え入れるには些かラフな言葉と丁寧な接客態度で最も入り口に近いテーブルに案内される。
「こちらはサービスのアイスティーとガレットです」
「あ、どうも……あれ」
そのタイミングに合わせて配られる紅茶とガレット。流れるようなやり取りに思わず頭を下げた渡だったが、顔を上げた時に向き合った顔に思わず目を丸くした。
「確か昨日……」
「気づいたんなら接客は無しで。あそこに居た一人で、名前は小川(オガワ)真魚(マオ)」
「真魚……ああ、昨日はありがとう。俺は」
「そっちのお姉さんが言ってたでしょ。お互い様って。自己紹介もどうせ後でやるだろうし今はいい」
昨日の一件で仲間と合流した寧子に真っ先に声をかけた少女にして、自分達の窮地を契約相手の歌声で助けてくれたトラベラー。それが彼女が渡の真正面に立っている店員の正体だった。
「ここでバイトしてるようだけど、他の店員もトラベラーなのか」
「今日居るのは全員そういうこと。事情知ってる者同士都合がいいから」
ガレットの食感と上品な甘さを味わいながら他のテーブルを見れば、確かに昨日の合流場所に居た面々も店員と客に別れてそれぞれのロールをこなしているのが見えた。正道とかいうあの威圧感が洒落にならなかった男が店員側なのはどうかと思うが。
逆に昨日の場に居なかった新顔も居る。奥の方のテーブルで神父らしき黒づくめの服装の男性が、糸目を一ミリも開けることなく熱の籠った弁を奮っているのがまず目に入った。彼と話している店員は真魚と同い年くらいの赤毛の少女で、世間知らずのお嬢様のような笑みと死んだ魚のような表情を入れ換えながら生返事を返している。二人とも何とも無駄に器用なことだ。
その他昨日見た者見ていない者含めて合計二十名。小さな店のイートインスペースは満席。店員もエプロンを外しだしたということは、既に面子は揃って世間話をする時間は終わったということ。
「そろそろ始めようか」
恭介の一声で談話が止まる。やはり単純に最年長という理由だけでこの場をまとめているだけではないらしい。
「今日集まってもらったのは新たな仲間……になるかもしれない、寧子ちゃんの恩人の紹介のため。あと今後の活動についても」
そう言って恭介は寧子に視線を向けて渡達の紹介を促す。
「鶴見将吾。寧子ちゃんとはまあ……昔から付き合いがあって助けた。それだけだ」
それを遮るように将吾が口を開く。自ら切り出した割にはぶっきらぼうで干渉を拒むような自己紹介。
「弟切渡。将吾と同じ学校だけど別口でトラベラーになった感じ」
渡もそれにつられて自分でもよく分からない情報を話す始末。いや別に味気ない自己紹介でも一切問題はないのだが。
「逢坂鈴音。噂をかねがね聞いていたパトリモワーヌにこういうかたちで来ることになるとは思いませんでした。いやはや渡君にナンパされてついてきて良かった」
「この人の話は聞き流してくれて問題ないです」
少なくともこんな冗談を口走る必要はない。巻き込まれたようで渡の首筋に嫌な汗が落ちる。恐る恐る他の席に目を向ければ困惑や不快感、憐憫や嘲笑が籠った視線が刺さる刺さる。とりわけ真魚からは親でも殺されたのかというほど憎悪に満ちた目で睨みつけられていた。
「俺らのコミュニティにようこそ。俺は射場(イバ)正道(マサミチ)。よろしくしようや」
気まずい空気を断ってくれた正道に対しては第一印象から大きく上方修正しなくてはいけない。少し顔が怖いだけで根は真っ直ぐで気配りのできる男性のようだ。お陰で向けられる視線も少し柔らかになった。自己紹介や質問のやり取りも何人かと交わすことができた。
「渡さん、一つ尋ねてもよろしいでしょうか」
「ああ」
「貴方は『デクス』と似たモンスターを連れていると伺いましたが本当ですか」
だが、その柔らかな雰囲気もある質問によって断たれる。渡を名指しした質問者は神父と華麗な二面相を見せていた赤毛の店員——綿貫(ワタヌキ)椎奈(シイナ)。お嬢様モードの表情と丁寧な口調を重ねてはいるが、質問内容は渡に関する情報で彼女らが最重要視しているであろうこと。聞きなれない単語でもデクスが何を指しているかは分かる。覚悟はしていた。どうせ話せることは限られているのだから正直に語るまで。
「『デクス』ってのは足が千切れても身体が崩れても動いていたあの化け物か。初めて見たけど、確かにあれは俺の契約相手と似た姿をしていた。正直驚いたし、あれが何なのかこっちが教えてほしいくらいだ」
「似ている理由を知らない以前に、『デクス』のことも知らなかったということですか」
「ああ。X-Passのボットに珍しいと言われてたのに、あんなゲテモノのそっくりさんがうじゃうじゃ居るなんて思ってもなかった」
正直に話したつもりだがあまり反応は芳しくない。だがそれも仕方ないだろうし、元からやりにくい雰囲気で反論を受けても堂々と受け止めるつもりだった。だが、実際に渡に向けられた反論は彼の予想していた方向とは違った。
「X-Passのボットが? あれはそんなに饒舌なものではなかったと思いますが」
「いやいやそれこそ冗談だろ。俺のはうるさかったし、終始俺をコケにしてきてたから」
それは最初のトラベルにおいてチュートリアルと称して終始渡を煽ってきたボット。あれが饒舌でなくて何だというのか。
「私達の知るボットの応答は事務的な敬語ばかりですが」
「人違いというか個体差というかそういうものがあるのかも」
「このコミュニティに居る全員が事務的な敬語のボットしか知りません」
「そう言われてもな……」
とうの昔に沈黙しているために証明手段もなく、かといってこのままなかったことにできるほど印象が薄いなんてことはあり得ない。そもそも話の方向自体が想定していたものとはずれているため、このまま突き詰められたところで渡には意地を張ることしかできそうにない。それは双方にとって印象を悪くすることにしかならないだろう。
「そこまでで良いのでは。どうやらデクスの件は彼自身も受け身で何も知らないようですし。それにもう一つ議題があるのでしょう」
嫌な空気を断ったのは十分ほど前まで椎奈相手に熱弁を奮っていた神父――天城(アマギ)晴彦(ハルヒコ)。先程のギャップのせいか少し薄ら寒いものを感じてしまうが、穏やかに場を収めようとしてくれるのはありがたい。熱い芯を持っているだけで理性的な振る舞いを出来るほどには余裕のある大人で良かった。
「そうだね。会話も弾んだのなら次のトラベルについての話に移ろうか。弟切君、悪かったね。『デクス』についてはこちらも詳しいことは分かっていないんだ」
「そうですか」
「『デクス』についても『X』についても分からないことが多くてね。私達は分担して調査を進めているんだ。次の調査には君達にも是非参加してほしい」
「そうでしたか。俺個人としては良いですけど」
「寧子ちゃんも行くんだろ。なら放っておけない」
「場所を決めているということは有益な目標があるということ。ぜひ便乗させてもらいます」
それぞれ思惑はあれど、この誘いを断る理由がないのは三人とも同じ。こういう情報や共同作戦こそがコミュニティという繋がりに参加するメリットだ。
「昨日逢坂さん達が『デクス』と遭遇した場所に例の建造物の成れの果てがあった。先日発見した二か所と合わせて三か所。それぞれ分かれて調査したいと思う」
昨日のトラベルで見た建造物。もしコミュニティに合流することがなければ調べようとしていたものを盛り込む辺り、最初からこちらを取り込んだ上で次の方針を立てていたらしい。
「分担や細かい日取りはまた追って相談する。それまでの間はいつも通り好きに過ごしてくれ。以上。解散」
「あれ、終わりですか」
「メインはあくまで君たちの顔見せだからね。場合によっては話さないつもりだった」
渡と椎奈のやり取りが無ければ、それこそ顔見せだけで終わらせるつもりだったようだ。見切り発車での情報交換や自由行動など、活動方針や集会のようなものがあってもあくまで寄り合い(コミュニティ)ということか。
だがこういうゆるい集まりの方が動きやすく居心地が良い。正直なところ、渡達三人は初めて訪れた洋菓子店の雰囲気を早い段階で好ましく思っていた。だから、今日残された時間をすべて情報交換と雑談で浪費してしまうのも仕方のないことだ。
天宮(アマミヤ)悠翔(ハルト)は黒羽(クロハ)という名の契約相手が白い梟のモンスターに進化してしまったと語り、雑﨑(サイザキ)草介(ソウスケ)は特異点で見つけた食べられる雑草を教えてくれた。とあるトラベラーを探している星埜(ホシノ)静流(シズル)はアハトが人語を介することを知ると鈴音の意思で食わせていないことをしつこく確認し、とあるモンスターを探しているという羽賀(ハガ)関奈(セキナ)は恩のあるそのモンスターが片言でも人の言葉を話したことを気にしていた。昨日の逃亡を雷雲の目くらましで手助けしてくれた斑目(マダラメ)ランに感謝すると、優木(ユウキ)朝陽(アサヒ)と峰原(ミネハラ)烈司(レイジ)が「危ないときは守ってやるからこのコミュニティに居ろ」と熱く迫ってきた。
それぞれの事情と願いを持つトラベラー達が行動と情報を共有するコミュニティ。洋菓子店に隠されたその裏の姿を知れたこと、そしてそこに参加できることは幸運だった。
「ありがとうございます。また来ます」
「気に入ってくれて何より。いつでも歓迎するよ」
渡達三人がパトリモワーヌから出たのは入店から二時間後のこと。次の調査には当然参加するが、八塚町内ならコミュニティにも結構な頻度で顔を出すこともできる。そう考えるほどに前向きな気持ちで店を後にすることができた。
「寧子ちゃんの恩人というだけあって、中々曲者揃いでしたね」
「どういう意味ですかそれー」
三人と相対したコミュニティの面々も同じような印象を抱いていた。曲者と言った椎奈の声にも嫌悪感が籠らない程度には、新顔が去った後の店内の雰囲気も悪くなかった。
「でもいいんですか。あのこと誰にも言わせなくて」
「今日言う必要はないだけだよ。いずれは分かること。それこそ次のトラベルで彼らも気づくだろうからね」
「私は他人の口からでも、早めに知っておいた方がいいと思いますが」
「百聞は一見に如かず。自分の身体で感じてから頭で理解した方が早いよ」
だが良い印象を持っていれば必ず情報を共有するというものではない。ましてやその真実がショッキングであるのならば。
渡達がパトリモワーヌから出て三時間後の午後九時。貸し切りを解いての通常営業も終わり、既に店内には人一人居ない。
「っかー、負けた負けた! 今日は見事に負けたよ、くそったれ」
同時刻、とあるパチンコ店の前では灰色のアロハシャツを着た男が一日で七万円ほど溶かした悲劇を前に、やけくそとも取れる大笑いで精神を保とうとしていた。
「ん、メール? 何だあいつか。……ハッ、そう来たか」
だがその抵抗の必要もすぐになくなる、カーゴパンツのポケットのバイブレーションが知らせるのは、一人の少年が自分との戦いの後に辿った足跡と次の展開。
「いいねえいいねえ。これは俺も一枚噛まないと勿体ない」
現代日本で公に認められている賭け事ではけして味わえないスリル。それを楽しむような自分から見てもおもしろいほどにおかしな相手。奴ともう一度相まみえる機会が目の前に転がっている。それだけで今日の手痛い出費にも耐えられるというもの。
「再会が楽しみだ。——なあ、渡」