
Episode.3 "人と怪物"
土曜日の午後三時。場所は八塚駅前にあるモールの裏手。その指定から五分ほど早く渡は待ち合わせ場所に着いたが、既に逢坂鈴音は黄色いラベルの缶コーヒーを飲みながら待っていた。待たせてしまったようだが、謝罪を口にするより先に彼女が口を開く。今は無駄なやり取りで時間を潰したくはないらしい。
「予習はしてきたかな」
「マニュアルに書いてあった分は」
X-Passの操作はカードの状態でもある程度できるようで、カードの表面をある手順でなぞると、模様が消えて代わりにマニュアルらしき文書が表示された。これではカードというよりも薄型のタッチパネル搭載PCという表現の方が適切な気もするが、出自すら分からないテクノロジーの産物だと割り切って文書の理解に励んだ。
「なら試験がてら一つ確認だ。――トラベラーとして課せられた当面の目的とは何かな?」
その質問は以前会ったときに口にしなかった情報の中で重要なものの一つ。生死に関わらないが、「特異点F」に挑む上で知らないままでいる理由はない。
「一つ。契約相手を進化させて強くすること」
明記されてはいたが、これは目的というよりも手段に近いだろう。加えて生存のために戦いを重ねれば自然と果たされる類いのものだ。
「もう一つ。『X』という人物の痕跡を探すこと」
X-Passの提供者が自分達にさせたい本命はおそらくこちら。「X」が何者なのかすら分からないが、それも含めて探せということか。
「上出来。これなら他のことも問題ないね」
「だいたいはな」
予習含めてこの日までに準備はしてきた。邪魔にならない程度に食料と水やアウトドア用品を詰め込んだ。鈴音の方も以前会ったときのロングスカートよりも動きやすい青のサルエルパンツを履いている辺り、完全に道楽気分という訳ではないらしい。荷物は渡よりも小さいが、それも考えあってのことだろう。
「転移予定地点は55F-169」
X-Passを操作して表示させた地図。その中で赤いピンのアイコンが刺さっている箇所が今回のスタート地点だ。平野と面する北を除いて、三方を山岳地帯で囲まれた場所。前回と大きく違いが無さそうな地形は渡としてもやりやすいチョイスだと感じた。
「ここから先は危険地帯だ。何があっても取り乱さないように」
「分かってる」
「それは結構。――では、行こうか」
「特異点F」へ渡るのにX-Passに複雑な操作を行う必要はない。デフォルトの状態で「X」の文字を押し込みながらカード自体を突き出すように前方に翳す。
ただそれだけで渡と鈴音が存在する座標は大きく書き換えられる。次に視界が周囲の情報を収集する頃には二人はこの世界には存在しない。
ドラマやアニメで場面(シーン)が切り替わるように、目の前の風景が三十ミリ秒前のそれと一変する。
乾燥した風が吹きすさぶ平野。以前訪れた場所よりも緑は多く、知識が無くても分かるほどに植生は日本のものとは大きく違っていた。視線を上方に向ければこれまた平野よりも緑の比率が多い山々が見える。渡達は現代日本から切り離された異界の土地に立っていた。
「これが君の契約相手の本来の姿か」
立つ世界が変われば自分達の周囲にも変化が起きている。カード状だったX-Passは本来の端末の姿となって利き腕とは逆側の手首に固定。カードの時にはドットの模様として圧縮されていたモンスターも本来の姿を取り戻して身体の筋を伸ばしている。
「そっちのアハトは前に聞いていた通りの姿だな」
蜂のマシーン。鈴音の契約相手を表現するには彼女自身が以前口にした言葉が適切だった。茶色のストライプが描かれた黄金色の身体は堅牢そうだが、その一方で肩と背中の機構で動きは身軽で自由度が高い。最大の武器らしき尻の先にある銃口は下半身と一体化したというよりも下半身そのものと言った方がいいだろう。このモンスターと鈴音が敵として現れなくて良かったと心から思う。
「ワタシ、アハト。ヨロシク」
「これはどうも……え?」
渡の思考がフリーズする。無理もない。モンスターのアハトが日本語を話したのだ。音声ガイダンスのような機械的な声で口にした言葉もたどたどしいが、確かに渡が会話に使っている言語を口にしていた。
「ツウジテナイ?」
「そういうこともあるだろうね。渡君、アハトはよろしくと言っているんだよ」
「一言一句聞こえた。だから混乱してるんだよ」
オウムが人の言葉を真似するのとは違う。訓練された犬が人の言葉に従って行動するのとも違う。語彙は少なくともアハトは自らの思考で言葉を選んで話していた。そんなモンスターが存在するなど渡に想像できるはずがない。
「人語を介するモンスターを見るのは初めてのようだね」
「ああ。いったいどう仕込んだんだ?」
「私は何もしてないよ」
渡の驚きとは裏腹に鈴音はまるでこれが平常運転のように語る。さらに何か仕込んだ訳でもないと言われれば頭上の疑問符がさらに増えるのも仕方ない。だが、渡の問いかけに対していつものように人をからかうような振る舞いもせず、少し後ろめたそうに視線を伏せる鈴音の姿が何よりも気にかかった。
「だったらなんでこんな真似が」
「……そうだね。隠し通すほど稀なことでもないし、歩きながらでも話そうか」
あまり気持ちのいい話でもないけれど。そう前置きしてから鈴音は再び口を開く。
「――いぎゃアアアアッ!!」
その後の言葉を遮る悲鳴。断末魔に似たそれはトーンからして声変わりをとうに過ぎた男性のもの。大の大人がここまでの悲鳴を上げるほどのことが起こっている。だが、一番の問題は声が聞こえてくる方向だ。
真上。ちょうど渡たちの頭上を流れるように悲鳴が轟き、それに連なるように黒い影が足元を通りすぎる。
いったい何が起きている。その言葉は頭上から降ってきた茶色い毛の塊を目にした途端に封じられる。足下に落ちたそれは猫か何かの耳。時が早まったかのように風化していく様はそれがモンスターの身体の一部だったことを意味していた。
「スズ、クル」
今目の前に降り立ったモンスターの顎に囚われている男性がその契約相手と見るのが最も理に叶っている。動揺と困惑の裏で走る、冷静で非情な思考が渡に目の前の状況をそう認識させた。
「嫌だ……死にたくない。助けてくれ!」
「アキラメロ。シネ」
灰色の鍬形虫(クワガタムシ)の化け物。そう形容するのが適切なモンスターに理性はない。稚拙な言葉を話す知性はあれど、食欲を抑える楔は存在しない。中年男性を電柱のような腕で口に押し込む様を見れば、この怪物と対話も和解も不可能なのは一目瞭然だ。
「助けてくれ、頼む!」
男性の死を拒む声が刺さる。渡もそれに応えようとした。だが、冷静な思考と残酷な現実が彼を助けることが無理だと告げる。何か手を打つよりも先に鍬形虫のモンスターが食事を終える。その結末を変えることは最早不可能だった。
「イタダキモス」
「いやだ、私はこんなところでまだ終わるらないきてきえあがやめろくるなくるなくうなやめ……ィきぁ」
苦悶の声は次第に言葉の体を為さなくなり、ついには男の精神ごと消える。後に残るのは生命活動を担う機能をすべて失った身体(ハードウェア)だけだ。
「手遅れだよ。彼はもうその身体には居ない。私達の前に現れた段階でもう詰んでいた」
そんなことは言われなくても分かっている。ごみのように地面に投げ捨てられた身体はもう動くことはない。モンスターと違って即座に風化することはないが、鍬形虫がその足で踏み潰せば容易にひしゃげる。何度も何度も念入りに肉塊を叩き潰す鍬形虫の残酷さは野性の闘争特有のものではない。玩具で遊ぶ子供のようなもっと質の悪いものだ。
「もういいだろう。不愉快だ」
その様に渡は思わず声を上げてしまった。言葉が通じるとは思っていないし、通じようが通じまいがどうでもいい。ただ必要以上に尊厳を弄ぶその姿が在ることが我慢ならなかった。
「オれはすごく愉快だ。次はオ前たちを食って遊ブ」
だから実際に鍬形虫がアハトのように人の言葉を話しても驚きはしなかった。寧ろその声のトーンが先ほど死んだ男に似た部分があり、その語彙がアハトよりも多いと冷静に分析することもできたほどだ。だが、話した内容に関しては、情報源として分析する対象にもならなかった。言葉を話せたとしても奴が退けるべき障害であることには変わらない。そのことだけは奴が口を開く前から分かり切っていたことだから。
「オオクワモン、進化段階(ランク)は完全体(パーフェクト)」
「格上か……悪い。逃げるのは無理そうだな」
「それは奴が現れた段階で決まっていたことだよ。それにピンチはチャンス、と言うだろう。ここで奴を狩れば大金星だ」
モンスターの進化の段階(ランク)は六段階。オオクワモンが該当する完全体(パーフェクト)は上から二番目で、カインとアハトが該当する成熟期(アダルト)はその一つ下だ。二対一であっても容易に勝てるとは思えない。それでもこの場の全員が退くことを選択しなかった。理由が食欲か闘争かのどちらかの本能によるものだとしても、自分達の意思を尊重してくれるカインとアハトに渡は心から感謝する。
「お前はここで潰す」
「威勢だけはイイな」
戦闘開始。オオクワモンが渡に向けて突進。その鼻っ面に向けてカインが口から鉄球を放ち、後方からアハトも同じ目標地点に向けて尻先のレーザー砲を連射。だが、そのいずれもオオクワモンを止めるには至らない。
「ソら、やってミロ」
最後に止まったのは渡の目と鼻の先。契約によって展開される透明な防護壁にハサミが食らいついたことで収まった。だがそれも時間の問題。契約相手との力の差か、防護壁が削れててじりじりとハサミが近づいてるのが分かる。それでも渡は冷静に左腕の端末を操作しながらオオクワモンを堂々と睨みつけていた。
「言われなくても、なあ!」
「がフグッ!?」
渡が吠えるのと同時にオオクワモンの腹に突き刺さる衝撃。それは真下に潜り込んでいたカインが渾身の跳躍による頭突きだった。渡に固執していたオオクワモンは反応することができず、勢いのままに上空に弾き飛ばされる。予想すらしていない完全な不意打ちだっただろう。自分より小柄な格下が自分を力任せに弾き飛ばすなど無理だ。事実、カインの元来の筋力だけでは不可能だった。
「下手に人の言葉話すから。動きが読みやすくて助かる」
からくりの名は「キャスト」。「ブラスト」とはまた別の、X-Passに内蔵された契約相手を強化する機能だ。簡単に言えば性能(パラメーター)の一部を動的に振り直す手法。力の総量は変わらず、進化に繋がることもない。だが、七つの球で表される危険指標(カラータイマー)――X-Levelを消費することもなく、状況に応じた無駄のない強化が可能だ。「ブラスト」を瞬間的な底上げと表現するならば、「キャスト」は能力の再分配というところか。
オオクワモンを押し上げられたのは至って単純な話。「キャスト」で振り分けられるパラメーターをすべてカインの筋力に振り込んだのだ
「調子に……」
戦闘の中心は上空に移行。体勢を立て直すのはカインよりもオオクワモンの方が早い。その時間差を逃さず、オオクワモンは真下のカインに腕を伸ばす。
「ノルながごグッ」
それを阻むのは認識の外から飛んできた多数のレーザー。射手は鈴音の頭上で砲口から火花を散らすアハト。恐るべきはその精度だ。肘に直撃してカインを逃させた一撃を初めとして、放たれたレーザーはすべてオオクワモンの間接部に直撃していた。
アハトの狙撃は全弾命中。それでもオオクワモンを仕留めるには至らない。だが、カインが体勢を立て直す時間を稼ぐには十分。立ち回りやすい間合いに調整することも含めて。
「俺達にそんな余裕はない」
前衛にはカイン。遥か後方でその陰に隠れるアハトが後衛。「キャスト」による能力調整も既に終えている。分配はカインが機動力に六割と耐久力に四割、アハトが火力に十割だ。渡が鈴音にX-Passで伝えた作戦を仕掛けるための準備は整った。
カインが翼を翻して空を舞う。オオクワモンとの距離は基本的に一定の安全圏を維持。だが、適当なタイミングで口から鉄球を放ちながら突進し、反撃が来ればそれを避けて後退してまた一定の距離を取り直す。
それは本来なら格上の相手には地力で潰されてしまう立ち回り。カインの鉄球ではたいしたダメージは与えられず、反撃を避ける隙も生まれない。だが事実として、カインが仕掛ける度にオオクワモンは怯み、カインが反撃を浴びることはなかった。
そもそもカインの役割はダメージを与えることではなく、オオクワモンの眼前で動いて意識を集中させること。言うなれば囮だ。突進も鉄球もたいしたダメージにはならないことは百も承知。最初からその目的は攻撃ではなく攻撃の一手を隠すことにある。
本命は火力のみを強化したアハトの射撃。その正確さは遥か後方からカインの股の間を抜けてオオクワモンの膝を撃ち抜く程。囮の後ろから来ると分かっていても、アハトの一撃はオオクワモンの認識の外を突いてその動きを確実に止める。
状況は渡の作戦通りに進んだ。だがそもそもこの策はカインに最も危険な役割を担わせるもの。格上相手の囮に加えて、背中は知り合ったばかりのスナイパーに晒している状況だ。
渡は契約相手を思う感情を押し殺して最適解を伝え、カインは嬉々としてそのオーダーを受け入れた。そして、鈴音とアハトはその様を見て奮い立ち、彼らの期待に応えることのできる射手だった。
「鬱陶しイな」
そんな吐き捨てるような言葉の後、オオクワモンは動きを止める。それが隙ではなく反撃の予備動作であることはこの場の全員が分かっていた。そろそろ仕掛けてくるだろうと予想もしていた。
警戒すべき大技の名は「シザーアームズΩ」。強大な鋏で断ち切る一撃が直撃すればその段階で勝負が決まるだろう。だが既に攻撃手段も通るであろう軌道も予想できている。この一撃を避けて反撃を畳み掛ければ、それこそこちらが勝負をつけられる可能性もある。
「シャハッ」
オオクワモンが動く。カインとアハトもほぼ同時に動く。瞬きすら許されないわずかな時間の攻防。ならば、その勝敗が示されるのも迅速で鮮烈だった。
「カイン!」
血を流しながら落ちる契約相手に渡が叫ぶ。その遥か後方でオオクワモンの鋏にアハトの右肩を抉るように傷つけられ、鈴音は今日初めて顔を歪めた。
手段も軌道も予想通りだった。だが、その速度と突進力は予想外だった。咄嗟に「キャスト」で耐久力を強化していなければ二体ともどうなっていたか分からない。カインに関しては予め機動力が強化されていたために直撃は避けられただけで、もし分配が違っていたら間違いなく死んでいた。アハトも急所が外れただけ儲けもののようなもので、下方に回避するのが少しでも遅ければ確実に捕まっていた。
「スキアリ」
一撃は予想外だったがまだ死んではいない。ならばまだ反撃の余地はある。それをいち早く理解したのはアハトだった。
オオクワモンの下方に位置している今の状況を最大活用すべく、身体を後方に回転させてオオクワモンの腹を仰ぎ、その中心部に自らの尻の先端を押しつける。標的が回避しようとももう遅い。反撃のために溜めていたエネルギーを砲口から解き放つ。
「ベアバスター」
アハトは一つ勘違いしていた。オオクワモンが直撃を受け入れたのは回避が間に合わなかったからではない。その必要がなかったからだ。そもそもオオクワモンは元々防御力に優れた種族。アハトの砲撃で怯ませることができたのは間接部を狙って動きを阻害していたため。その攻撃ですら怯ませることはできても一撃で明確な傷を負わせたことはない。ならば結果は明白。アハトが至近距離で最大火力をぶつけてもその分厚い甲殻を貫くことはできなかった。
「まずはオ前だ」
隙が生まれれば反撃の余地がある。その道理は当然相手にも適用される。オオクワモンの右腕がアハトに伸びる。捕まれば最後。胴体を二つに断ち切られてその命は終わる。後方に位置し過ぎていたためにカインも間に合わない。
「……ン?」
だがオオクワモンはアハトを捕えることはできず、その胴体は繋がったままだった。アハトに自身の危機を乗り越える手はなく、渡達にも助ける術はない。ならばアハトが助かった理由は乱入者による干渉に他ならない。
乱入者は侍のような甲冑に身を包んだ龍だった。カインを西洋の竜(ドラゴン)と形容するならば、こちらはより東洋の龍(おろち)に近いシルエットをしている。黒色の鎧の中で目立つのは四肢を守る朱と白銀の角、そしてカインにも同じ位置に存在する赤色の宝玉だろう。
「助かった? 庇ったとでも? 何故?」
アハトは助かった。鈴音としてもその点には安心したが、その事実と経緯があまりに不可解だった。モンスターが他のモンスターを助けるために戦いに介入した。野性の個体がそんな行動をする理由はない。だがトラベラーと契約してその指示に従ったとしても、契約しているトラベラーが相当の物好きということになる。
渡も混乱していたが、その矛先も視線も鈴音とは別の方向を向いていた。見つめる先は龍が現れた地点。山に繋がる森の入り口には鈴音の推測通りに契約相手が居た。渡と同じ歳の男子高校生。眉間に皺を寄せて目つきの悪さを隠そうともしていないが、性根はそこまで悪くない人間だと渡は知っていた。
「なんで渡もここに居るんだよ」
「将吾(ショウゴ)か」
鶴見(ツルミ)将吾(ショウゴ)。中学の剣道部で知り合い、高校でも三か月だけともに稽古に励んだ剣道部員。いや元剣道部員か。渡は入学三か月で辞めたが、将吾は二週間ほど前に辞めたと聞いた。今彼がこの場に立っていることがその理由だろう。
「なるほど、渡君の知り合いか。アハトを助けてくれてありがとう」
「力を貸そうとした矢先に戦力が減ったら困るんだよ。もちろん相応の分け前はもらうぞ」
「悪い。こっちも全部はやれない。代わりに返すものに何か希望はあるか?」
「とりあえずその話は後にしろ」
カインとアハトに将吾が連れる甲冑の龍が加わって三対一。だが三体とも力量は敵の一つ下。それでも活路はどこかにあるはず。だからこそ将吾もこの戦いに乗ってきた。
「増エタか。まとめて食っテやる」
「そいつは怖いな。行け、月丹(ゲッタン)」
将吾の名前を呼ぶ声に応えて龍が空を翔ける。カインやアハトのように飛ぶのとは違う。寧ろ浮遊していると言った方がいい。水を泳ぐようなその姿は優雅で捉えどころがない。だからこそオオクワモンからアハトを救出することができ、また今も奴の直情的な攻撃を避けている。
巧い。ただその一言に尽きる。だがそれでも足りないものがある。それは堅固な甲殻を貫く力。月丹の武器は口から放つ鉄の槍だが、何度か撃ち出されたそれらは悉く灰色の甲殻に弾かれた。与えられたダメージ量もアハトが至近距離で当てたレーザーと比べて明らかに劣っている。
「おい、ぼさっとするな。あくまで手を貸してるのは俺の方だ」
「悪い。今はありがたく力を借りる」
それを補う策を将吾は導いていた。渡と鈴音は実行に活かすための指示を受け取っている。ならば後は共通の敵を倒すために、各々を信じて実行するのみ。
「アハト、まだいけるね」
「ガッテンショウチ」
標的から大きく距離を取りながらカインは再び空という戦場に上がる。アハトはそのすぐ後ろ向きに再度陣取り、鈴音の声と指示に従って自慢の武器を乱射。乱射といってもその狙いは正確で、オオクワモンの間接部に再びレーザーが襲いかかる。
だが、やはり怯みはしても傷を負わせるには至らない。いや、流石に慣れたのか、怯んで動きを止めることも少なくなってきた。
「鬱陶シイ……懲りナいよウダな」
それでも苛立ちを誘い、注意を向けるには十分だ。オオクワモンは再び狙いをアハトに定めて突進のために一度動きを止める。そのタイミングに合わせてカインは口から自身の身体に匹敵するほどの巨大な鉄球を放つ。
「シジャハッ」
だが、オオクワモンには止まる必要すら無かった。予定通り突進し、鋏という武器を使って鉄球を両断。想定よりも密度はあったが止めるには至らない。もたらしたことといえば多少速度を緩めたことと、一度鋏を閉じたために標的を断つためにはもう一度鋏を開かなくてはいけなくなったこと。しかし、それだけで将吾の策を進めるには十分だった。
「ムググ?」
鉄球は両断されて二つの半球になった。それは当然の現象でオオクワモンも理解していた。だが、その間から覗く何かは理解の外だった。だからその存在を認識した頃にはオオクワモンの口には異物が押し込まれて、初めて痛みを知覚した頃にはそれは腹の深いところまで刺さっていた。
「丹精込めた一本だ。存分に味わえ」
異物の正体は月丹が放った鉄の槍。それも将吾のキャストと指示により今までで一番太く長いものだ。どれだけ甲殻が堅かろうと腹の内は関係ない。だから槍は腹の底まで刺さり、飛び出した柄のせいで口は閉じることができなくなっている。断ち切ろうにも歯では噛みきれず、鋏は角度の調整に神経と時間を使うだろう。そんな猶予はオオクワモンに残されてなどいない。
半開きになった口の隙間の先は唯一の弱点に繋がっている。そこはアハトにとって、間接部を狙うよりも容易い格好の的だ。
「詰みだ。止めは任せた」
ベアバスター。それがアハトが告げる死刑宣告。閃光は灰色の身体を口から尻まで一息に貫いて、オオクワモンという生命を一撃で終わらせた。
地に落ちた巨体には既に意識はない。後に待つのは勝者の餌となる未来。勝者である三体のモンスターも地上に降り立ち、思うがままに報酬を貪る。一段階上ということもあり、喧嘩にならないほどには十分な質と量だった。 契約相手が食事に勤しんでいる間、渡達は肉体労働と作業に励んでいた。その内容は死体の処理とささやかな墓の用意。オオクワモンの犠牲になった遺体は一度渡達の世界に戻そうとも思ったが、新たな面倒事に巻き込まれる可能性が高い。そのため薄情な人間なりにできる弔いをしようと考えたわけだ。それが終わって、ようやく身の上話と情報交換に移ることができる。 「本当に助かった。まさか将吾もトラベラーになってたとは」 「それはこっちの台詞だ。危なっかしい奴だとは思っていたが、こんなところにまで来るのか」 将吾は渡が部活を止めてからはクラスも違うこともあってか少し疎遠になっていたが、言葉を交わす雰囲気は渡の知るそれと変わらない。それほどに互いの性格と事情は理解していた。だからこの場での再会に驚きはしたがその一方で納得もしていた。 「……大野(オオノ)か」 「まあな」 無論、将吾がトラベラーとして動く目的とそれを掲げることになった経緯も。それほどに彼の身に起こった事件は当時の渡にとっても衝撃だった。 「あらら、これは部外者は聞かない方がいいかな」 「渡の口が固いことは知ってるが別に隠すものでもない。俺が望むことなんて訳あり連中でもベターな方だろうからな」 重く感じないように言い回しを選んでいるようだったが、言葉とは裏腹に掲げる願いがけして譲れないものであることは明らかだ。 「渡が世話になってるみたいだな。あんたも八塚の人間か?」 「違うよ。けれどその二駅隣の夏根市に住んでいる。そういえば名乗るのが遅れたね。私は逢坂鈴音だ。よろしく、将吾君」 「地元民なら二年前に起きた通り魔事件を知っているな。それに深く関係があるって言えば、だいたい予想はつくだろ?」 「大野……大野(オオノ)大河(タイガ)か。うん、事情は察したよ」 将吾の言う通り、事件を思い出した段階で鈴音が彼の願いを推測することは容易だった。それほどにあの事件は夏根市周辺の人間には青天の霹靂で、会話の中で渡が口にした単語ですぐ手繰れるほどにその被害者のことも強く印象に残っていた。 二年前の夏、陽の光が強い夏根市の大通りですれ違った通行人に次々の刃物を刺していった通り魔。五人の被害者の中で最も若い、唯一の死亡者の名字が大野だった。そして、彼女が生きていれば渡や将吾と同い年の女子高生になれたはずだった。……この時まで鈴音が一度も信じたことのなかった噂だが、彼女は同い年の少年とのデート中に事件に巻き込まれ、少年を庇って代わりに刺されたらしい。 「死んだ彼女を助けたい。捻りのない女々しい話だと思うか? でも俺はそうしなければ前に進めなかった。だから都市伝説でも聞いた瞬間に飛びついた……いきなり何を話してるんだろうな、俺は」 「気にするな。別に俺も鈴音もお前の動機についてどうこう言うつもりはないし」 「優しいな。いや、あっさりしてるだけか」 渡や鈴音が詮索したわけでもないにも関わらず自ら語ってしまった辺り、将吾もトラベラーとして心が磨り減るような経験をしてきたのだろう。今までそれを共有できる相手が居なかった状況で渡と巡りあったのなら口が滑ったのも仕方ないといえる。 「俺の経緯も話せばフェアになるか」 「変な気を回さなくても……いや、聞かせてくれ」 渡が話す理由は将吾を気遣ってのものではない。ただ状況をフェアにしようとしたことと別段隠しておくほどたいした事実がなかっただけ。動機ではなく経緯と言ったのがその証拠。 「……なるほど。渡は成り行きでなったのか。でも報酬で叶えたいことくらいあるだろ」 「いや、今のところはない。まあ考え中だな」 そもそも渡には将吾のような動機がなかった。トラベラーになった時もカインの命を助けたくて衝動的に契約しただけで願いも目的もありはしない。強いて言うなら、カインとともに生き残ることが現状の目的のようなものだ。 「考え中? 渡、お前が?」 「あ、ああ。成り行きだと言っただろ。そこまで驚くことか」 だが、その答えこそが将吾にとっては想定外の事実だった。渡が将吾の過去を知っているように、当然将吾も渡の過去を知っている。そこに刻まれた六年前の事件は自分がここに立つ理由と同等以上のものだと思っていた。だから、その事件を忘れたかのような返答に反応するなという方が無理だった。 「驚くも何も……お前には戦う目的として十分なものがあるだろうが。忘れてるなんてことも言わせないからな」 「別に何も重要なことは忘れてない。確かに俺の短い人生にも色々あった」 「お前の親父がしでかしたことを色々で済ませられるのか」 「あ……悪い。これは被害者の方に失礼だな。でも正直言うと、俺は今の生活にも人生にも不満や後悔はないんだ。すべてを賭けてまで取り戻したいことも消してしまいたいものも特にはない」 言葉を重ねても渡の姿勢は変わらない。それは目的がないという発言が真であることの証明。望んだ返答が得られないと理解する度に将吾は苛立ちを募らせていった。その理由は将吾自身にも分からない。いや、分かっていないと自分を誤魔化していた。 過去の痛みを清算できる可能性を手にしながらその手段を選ぼうとしない。似た立場に居ながら真逆の選択肢を取る渡の姿勢が自分を批判しているように感じていた。 「だから、こんな場所でも目的と信念をちゃんと持って自分から飛び込んだ将吾は正直すごいと思う」 その言葉は紛れもないトドメ。もし渡が本心で口にした称賛だったとしても、今の将吾には真逆の嘲笑として受け取ることしかできない。 「俺を馬鹿にしてるのか!」 吠えるような言葉とともに将吾が渡の胸倉を掴む。そのまま地面に叩きつけそうになるが、言葉の意味を理解していないような渡の顔を見ると逆にその気すら失せてきた。行動の理由がここまでのやり取りにあることすら渡は分かっていない。 「急にどうした? 別に俺はお前を馬鹿には」 「してるだろうが。『こっちは過去を克服したのに、お前はまだ過去に縛られているのか』って言いたいんだろ。本来なら称賛されるべきは前を向いてるお前の方なんだよ!」 どれだけ丁寧に言葉を選んで重ねても、渡には意味もそれを口にした理由も理解できないだろう。それを薄々分かっていても将吾は抑えられなかった。現実と過去を受け入れたように前を見ている渡が少し羨ましかった。 「買いかぶり過ぎだ。俺だって六年前のことには今でも思うところはある。散々やらかした挙げ句、一家心中の真似事なんて本当にふざけてる」 六年前、渡の両親は死んだ。正確には父親の凶行に母親が道連れになったと言った方がいい。 事件発生から一週間ほど前、渡の父親は仕事である致命的な失敗を犯したことで周囲から完全に孤立した。ただ孤立しただけならまだよかっただろう。そこで発生した被害をすべて押しつけられ、蜥蜴の尻尾のように切り捨てられた彼は社会的にも精神的にも追い詰められていき、そして遂には壊れた。 母親を刺し殺し、自分をその手で絞め殺そうとした姿を渡は今でも思えている。後で同じような真似を自分自身にもするだろうと感じたことも。事実、渡が一度手放した意識を取り戻した時には父親も母親の後を追っていた。紆余曲折を経て母方の実家に世話になるようになってからも、カインと出会うあの日まで何度も夢に見ていたほどに強く記憶に刻まれている。 「今も俺はあの人は許せない。母さん殺して自分も妙な死に方して、残された身にもなってくれって思う。あんなのは二度とごめんだ」 「だったらなんで失ったものを取り戻そうとしない。父親……はともかく、母親を生き返らせたいとか考えないのか」 「確かに……正直考えてなかったな。奇跡と言われても、具体的に報酬で何ができるのかも正確に理解してないし」 「それは俺だって同じだ。でもその曖昧な何かに縋らなきゃやってられない奴だって居るんだよ」 渡の過去を知っていたから将吾は彼を自分の同類だと思っていた。成り行きでなったとしても、心の片隅で似たようなことを一度は考えるはずだ。それが自分と同じ人間の弱さだと信じていた。 だから渡の態度は将吾の感情を著しく逆撫でした。言葉を交わすたびに得られるのは共感とは程遠い不信感と強烈なカーブで抉る批判だった。 「そこまでにしておきなよ。君と渡君では過去の受け止め方が違う。今はそういう結論で十分だろう」 「それで矛を収められないくらい今は機嫌が悪いんだ。あんたが口を挟むことはお勧めしない」 「自分から語っておいてその態度とはつれないね。ここに来るまでどれだけ戦ったのかは知らないけれど、あまり張りつめるのも良くない」 この状況で話を止められるのは鈴音しかいない。だが、その彼女自身が一癖ある人物だ。口を挟んでみて棘を持った態度で返されたのなら煽るような言葉と態度を含ませながら応える。半ばわざとそういう対応を取る辺り、鈴音は事態を収束させることに真剣になっていないらしい。 「俺は渡よりずっと真剣に賭けてるんだよ。あんたも曖昧な希望に縋る身なら気持ちは分かるだろう。……いや付き合いきれてるならあんたも渡の側か」 「そうだね。報酬がどんなものかは気になるけれど、その過程でこの世界の秘密を知ることの方が重要かな」 「とんだ物好きだな」 だが、わざとらしい煽りは寧ろ将吾の熱を冷めさせることに一役買った。矛先が苛立ちの根源から外れたことで現状を再認識する余白が生まれたのだろう。この場では自分の方が少数派であるということに気づいた途端、鈴音の対応に乗ることがあほらしいと思えるほどには冷静になることができた。 「そんなマッドサイエンティストみたいな考えしてりゃ、好奇心のために人を食わせててもおかしくないか」 だからこの言葉はそのパフォーマンスに対する少しばかりの感謝と嫌味を籠めた軽いジャブ。ジョークにしては少し毒の強いその言葉の意味を正確に理解できたのは発言者とその言葉を向けられた相手だけ。 「将吾、それは冗談でも悪質だ。逢坂さんは変な人でもアハトに人を食わせるような人じゃない」 つまり渡には正確に理解できなかったということ。彼が割って入ったのも事実無根の中傷だと考えた当然の行動だった。だが一方で指摘しなかった事実に対しては否定する材料を持ちえなかった。 「いやあのモンスターは確実に人を一人食ってるぞ」 「将吾はさっき会ったばかりだろ。何を根拠に言ってるんだ」 「根拠ならある。……あいつ、日本語話しただろ」 「それがどうした?」 疑問の体で返しながらも渡は将吾の言わんとすることが薄々分かっていた。いや、ここまで来れば分からない方がおかしいだろう。人を食っているという推測。その引き合いに出した人の言葉を話す能力。この二つを紐づける事実を渡自身が先ほど見ていたはずだ。 「渡は知らないのか。モンスターは本来人の言葉は話せない。――人の精神や記憶でも食ってないとな」 それはトラベラーとして戦っていればいずれ辿り着く事実。人を殺して食ったオオクワモンの言動がその一端。明らかに語彙が増えて言葉使いが流暢になった姿を思い出すと将吾の推論を否定することは難しい。 そうなれば必然的に目を瞑れなくなる事実と直面することになる。アハトもオオクワモンと同じように人の言葉を話すことができる。ならばその術はどのようにして手に入れたのか。 「どうなんだ、飼い主さん?」 真正面からの追い打ちに対して鈴音は表情を変えることはない。ただ一度渡の方を見て、感情が失せたような声で答えを口にする。 「そうだね。アハトには食人の経験があるとみて間違いないよ」 白状したというにはあまりに淡々とした口調と振る舞い。それはタブーを誤魔化しきれないことへの諦観によるものか。 「ただ私の指示で人を食わせたことはない。……信じるかどうかは君次第だけれど」 諦観は諦観でも後に続く言葉の信憑性が無くなることに対するものだろう。鈴音に向けられた問いかけの返答は、人を食したモンスターを連れている自分とこれからも行動をともにするのかという問いかけ。その矛先は将吾ではなく渡に向けられていた。 「俺は信じるよ」 「本気か、渡?」 「俺がここで冗談言うと思うか。せめて奢ってもらった分は働かないといけないからな」 あっさりとした渡の答えに将吾は驚いた後に頭を抱え、鈴音は溜息一つ吐いて笑みを返す。そこに共通するのは渡がこういう人間だという再確認。後に続く冗談みたいな言葉を本気で口にするような人間には何を言ったところでその信念を曲げることは不可能だ。 「それに邪魔が入っただけで、逢坂さんも元々隠すつもりはなかったんだろ」 「覚えていたとは意外だ。――ありがとう。ますます君のことを気に入ったよ」 言い訳じみたことになるから口にはしなかったが、鈴音も話すつもりだったし実際口にしようとした。ただそこにオオクワモンという乱入者兼実例が現れてそれどころではなくなった。それは確かに事実ではあったが触れられることのないものだと思っていた。 愚直でずれている割に妙なところは覚えているものだ。ならば鈴音としても興味本位でからかうだけの対象としては見れなくなる。 「あほくさ。……いろいろ変なこと言って本当に悪かったな。この通りだ」 渡の態度に感化されたのは将吾も同じ。張りつめて暴言を吐いていた自分を冷静に見つめさせられ、頭を下げないと渡を直視できないほどに惨めになってくる。渡相手に何を言ったところでこっちの言葉は通じず、鈴音との不和を招こうとたところでその思惑を受け流すことは最初から分かっていた。分かっていたから弱く情けない部分を晒してしまったのかもしれない。ただあまりに情けない姿を見せてしまったため、これ以上は渡達の前に立っていられなくなった。 「俺は行く。邪魔したな」 「待てよ。置いていく気か」 「んん? まさかついてくるつもりか」 「当然だろ。助けてもらった借りをまだ返していない」 その思惑を遮ったのは渡の機械的とも思える言葉。これも渡の性格を知っていれば真っ先に予想できる展開だったはず。だがそれができないほどに数分前の将吾は冷静さを欠いていたようだ。確かに手を貸してほしいと思わないと言ったら嘘になる。だが、今さらそれを望むことはできないと諦めていた。 「渡、お前は本当に……」 「いや名案だ。仲間は多い方がいい」 「あんたも正気か?」 「少し前の君よりかは正気だよ。明確に願いを掲げてるのも一人だけだから、もし報酬を巡って争うことになったとしても対立することはない。君にとっても徳しかないと思うのだけれど」 「そうだな。……分かったよ。白状すると、限界を感じていたからありがたい」 しかし、それは諦めた方が精神的に楽だっただけ。その資格がないと自責の念に駆られるのが怖かった。それでも本当は自分の痛みを許容してくれる仲間が欲しかった。 「改めてよろしく頼む、将吾」 「こっちこそ」 和解を果たして共闘体制を得る。その証として伸ばされた渡の手を掴もうと将吾も逆側の手を伸ばす。知り合いの身で今更握手をするのも変な気もするがこれはこれで悪くはない。 「――にぎゃあああ! 止まって止まってああ無理だこれどいてどいてえええ!!」 蟠りのなくなったいい雰囲気に割り込む甲高い悲鳴。それに疑問を抱く前に渡と将吾の間に突風が走り、それが通り過ぎた方向に二人が首を向けるとその発生源が地面を跳ねて転がっているのが見えた。 「ぎにゃんっ」 跳ねること三度。転がること六回。そのイベントを経て止まった乱入者はやはりモンスターとトラベラーのタッグだった。 モンスターの方は灰と白の毛並みの猫のような生物。ただその体躯は小学生程度なら背中に乗せられるほどに大きく、その背中には一対の翼が生えていた。翼と尾に描かれたチェッカーフラッグのせいか、その出で立ちは物騒なこの世界には不釣り合いに見えた。 「いったーい。もうやだこんなの」 トラベラーの方はそのモンスターに跨がれる――実際に背に跨って滑空した結果無様に転んだのだろう――程度に小柄な少女。白とピンクのパーカーも薄紫のスカートも砂にまみれているが怪我はないらしい。茶色いショートカットから跳ねている二束の毛を何と言っただろうか。特に意図も意味もないが、渡と鈴音はまったく同じ疑問を抱いた。 「もしかして――寧子(ネコ)ちゃんか?」 ただ一人将吾だけは別の反応を見せていた。理由は単純。その少女のことをよく知っていたからだ。二年間会っておらずその間に成長していたとしても、将吾が忘れるはずも分からないはずもない。 「あ! 将吾さん。お久しぶりです。……って、あああこんなとこ見ないでくださーい!!」 「冗談だろ……」 失った恋人の妹――大野(オオノ)寧子(ネコ)。こんな場所で彼女と再会することを将吾は望んでなどいなかった。